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関連審決 訂正2000-39009
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審判番号(事件番号) データベース 権利
平成14行ケ393審決取消請求事件 判例 特許
平成17行ケ10607特許取消決定取消請求事件 判例 特許
平成21行ケ10266審決取消請求事件 判例 特許
平成17ワ2649特許権侵害差止等請求事件 判例 特許
平成20行ケ10151審決取消請求事件 判例 特許
関連ワード 物の発明 /  進歩性(29条2項) /  周知技術 /  29条の2(拡大された先願の地位) /  技術常識 /  発明の詳細な説明 /  化学構造 /  優先権 /  分割出願 /  参酌 /  置き換え /  実施 /  設定登録 /  訂正審判 /  誤記の訂正 /  請求の範囲 /  訂正明細書 /  異議申立 / 
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事件 平成 13年 (行ケ) 189号 審決取消請求事件
原告 三共株式会社
原告 宇部興産株式会社
両名訴訟代理人弁護士品川澄雄
同弁理士 津国肇
同 伊藤温
被告 特許庁長官及川耕造
指定代理人 竹林則幸
同 深津弘
同 山口由木
同 大橋良三
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2002/03/26
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告ら 特許庁が訂正2000-39009号事件について平成13年4月6日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告 主文と同旨
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告らは,発明の名称を「8-メトキシキノロンカルボン酸誘導体の製造中間体」とする登録第2716952号の特許(優先権主張日:昭和61年3月31日,同年9月24日。昭和62年3月30日にした特許出願(特顕昭62一76892号)を分割してその一部につき平成2年6月12日に新たな特許出願(特願平2-153306号)をし,さらにこれを分割してその一部につき平成6年3月28日に新たな特許出願(特願平6-56950号)をし,さらにまた,これを分割してその一部につき平成7年9月8日に新たな特許出願(特願平7-231343号)をしたものである。上記登録第2716952号の特許は,最後の分割出願(以下「本件出願」という。)に係るものであり,平成9年11月7日に設定登録された。)の特許権者である。
原告らは,平成12年1月26日,本件出願の願書に添付された明細書を訂正すること(以下「本件訂正」といい,本件訂正に係る明細書を「訂正明細書」という。)につき訂正審判の請求をした。特許庁は,これを訂正2000-39009号事件として審理し,その結果, 平成13年4月6日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,平成13年4月13日,その謄本を原告らに送達した。
2 訂正請求に係る特許請求の範囲請求項1(以下「訂正発明」という。) 「一般式(XXXTTT) (式中,Y2はフッ素原子を示し,R11は水素原子または低級アルキル基を示す)で表される化合物。」 3 審決の理由 審決の理由は,別紙審決書の写しのとおりである。要するに,特願昭61-220149号に係る特許出願(以下「先願」という。)の願書に最初に添付された明細書(以下「先願明細書」という。特開昭62-252772号公報参照)において参考例1及び2に記載された(@)ないし(x)の工程によって得られるものとされている「1-シクロプロピル-6,7-ジフルオロ-1,4-ジヒドロ-8-メトキシ-4-オキソ-3-キノリンカルボン酸」(以下「先願発明」という。
「DFQ」と略称することがある。)につき,(@)ないし(x)の工程の記載に不適切な部分(「濃硫酸8.5ml及び水40mlを加え」の部分)があるとしても,昭和52年12月20日丸善株式会社発行社団法人日本化学会編 新実験化学講座14 有機化合物の合成と反応U」(甲第17号証の2。以下「周知例刊行物1」という。)の1134頁及び1135頁,1150頁ないし1157頁,昭和51年3月25日株式会社廣川書店発行「官能基別 有機化合物合成法[I]」(甲第17号証の3。以下「周知例刊行物2」という。)の312頁及び313頁,1967年発行「Tetrahedron」23巻(甲第17号証の4。以下「周知例刊行物3」という。)の4719頁ないし4727頁に示される技術常識参酌すれば,当業者において,上記部分の記載が適切でないことを理解し,高濃度硫酸を適宜使用するなどして,目的物質を製造することができる,と認定判断し,これを前提に,訂正発明は,先願明細書の発明の詳細な説明中の参考例1及び2に記載された(@)ないし(x)の工程によって得られるDFQと同一であるから,本件訂正は特許法29条の2の規定に該当し,特許出願の際独立して特許を受けることができない,というものである。
4 先願明細書の参考例1及び2の記載 (1) 参考例1 (@) 「参考例1 3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロ安息香酸の合成 1,2,3,4-テトラフルオロベンゼン50gをバードンらの方法[テトラヘドロン22 2541(1966)]に準じてブロム化及びメトキシ化を行ない無色油状の1-ブロモ-3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロベンゼンを22.21g得た。得られた油状物22gの無水N-メチル-2-ピロリドン37ml溶液を耐圧管に仕込みシアン化第一銅10gを加え140〜150℃で4.5時間加熱した。冷後反応液に塩化第二鉄・6水和物44g及び濃塩酸11mlの水溶液60mlを加え,50〜60℃に加温し20分間攪拌した。反応液をエーテルで抽出し,有機層は希塩酸水溶液で洗浄後水洗し,さらに飽和食塩水で洗浄した。芒硝乾燥後濃縮し,残渣を減圧蒸留して無色油状の3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロベンゾニトリルを14.25g得た。沸点94℃/8mmHg」(甲第4号証11頁右上欄12行〜左下欄10行) (A) 「得られた油状物14.2gに濃硫酸8.5ml及び水40mlを加え110℃で1時間攪拌した。冷後反応液を氷水50ml中に注ぎ析出晶を濾取して水洗し,得られた結晶を塩化メチレン-n-ヘキサン混液から再結晶して白色針状晶の3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロベンツアミドを11.59g得た。
融点 130-133℃」(同頁左下欄11行〜17行) (B) 「次いで,この結晶に18規定硫酸150mlを加え3.5時間100℃に加熱した。冷後水400mlを加え析出晶を濾取し,得られた結晶をn-ヘキサンより再結晶して無色針状晶の目的物(判決注・「3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロ安息香酸」である。「MTFBA」と略称することがある。)を9.61g得た。
融点98〜101℃ 元素分析値:C8 H 5 F 3 O 3 計算値:C;46.62, H;2.45 分析値:C;46.68, H;2.48」 (同頁左下欄18行〜右下欄6行) (2) 参考例2 (C) 「参考例21-シクロプロピル-6,7-ジフルオロ-1,4-ジヒドロ-8-メトキシ-4-オキソ-3-キノリンカルボン酸の合成 3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロ安息香酸9.4gに塩化チオニル50mlを加え3時間還流した。塩化チオニルを留去後残渣を減圧蒸留して黄色油状の3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロベンゾイルクロライド8.86gを得た。 沸点108〜112℃/20mmHg」(同頁右下欄7行〜16行) (D) 「マグネシウムエトキサイド5.9gにマロン酸ジエチル7gの無水トルエン35ml溶液を滴下し50〜60℃で2時間加温した。次に-10℃に冷却後先の酸クロライド8.86gの無水トルエン10ml溶液を15分間で滴下した。-5℃〜0℃で1時間攪拌後濃硫酸8mlを含む氷水30mlを加えトルエン層を分取した。有機層は飽和食塩水で洗浄後無水芒硝で乾燥して濃縮し,かっ色油状のジエチル-3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロベンゾイルマロネート13.64gを得た。」(同頁右下欄17行〜12頁左上欄6行) (E) 「得られた油状物13.55gに水20ml及びp-トルエンスルホン酸14mgを加え9時間還流した。冷後反応液を塩化メチレンで抽出し,有機層を7%炭酸水素ナトリウムで洗い,次いで飽和食塩水で洗った。有機層を無水芒硝で乾燥後濃縮し黄色油状の3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロベンゾイル酢酸エチルを10.29g得た。」(同頁左上欄7行〜13行) (F) 「得られた酢酸エチル体9.79gに無水酢酸9.6g及びオルトギ酸エチル8.4gを加え,3時間還流した。更に無水酢酸3.2g及びオルトギ酸エチル8.8gを追加し8時間還流した。反応液を濃縮し茶かっ色油状の2-(3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロベンゾイル)-3-エトキシアクリル酸エチルを9.73g得た。」(同頁左上欄14行〜末行) (G) 得られた油状物9.73gをエタノール20mlに溶かし氷冷下シクロプロピルアミン20gを滴下した。室温で2時間攪拌後濃縮し残渣をシリカゲルカラムクロマト[溶媒;n-ヘキサン:酢酸エチル=5:1]で精製をおこない黄白色結晶の2-(3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロベンゾイル)-3-シクロプロピルアミノアクリル酸エチルを7.52g得た。
融点56〜58℃ 元素分析値:C16 H 16 F 3 NO 4 計算値:C;55.98 , H;4.70, N;4.08 分析値:C;56.07 , H;4.66, N;4.07」(同頁右上欄1行〜12行) (H) 「得られた結晶6.68gを無水ジメチルホルムアミド26mlに溶かし,フッ化ナトリウム1.31gを加え5時間還流した。冷後反応液を氷水100ml中に注ぎ,析出晶を濾取して水洗し,これを酢酸エチルから再結晶して無色針状晶の1-シクロプロピル-6,7-ジフルオロ-1,4-ジヒドロ-8-メトキシ-4-オキソ-3-キノリンカルボン酸エチルを4.53g得た。
融点 178〜180℃ 元素分析値:C16 H 15 F 2 NO 4 計算値:C;59.44 , H;4.68, N;4.33 分析値:C;59.34 , H;4.59, N;4.33」(同頁右上欄13行〜左下欄4行) (I) 「次いで,この結晶4.5gに酢酸30ml,濃硫酸4ml及び水22mlの混液を加え1時間還流した。冷後氷水100mlを加えて析出晶を濾取し,水洗後乾燥して無色粉末の目的物(判決注・先願発明である「1-シクロプロピル-6,7-ジフルオロ-1,4-ジヒドロ-8-メトキシ-4-オキソ-3-キノリンカルボン酸」であり,「DFQ」と略称することがある。)を4g得た。
融点185〜186℃ 元素分析値:C14 H 11 F 2 NO 4 計算値:C;56.95, H;3.76, N;4.74 分析値:C;56.68, H;3.70, N;4.74」(同頁左下欄5行〜12行) (3) 上記(I)工程の生成物が,訂正発明における一般式中のR11が水素原子である場合の化合物(先願発明であるDFQ)であり,(H)工程の生成物が,上記一般式中のR11が低級アルキル基のエチル基である場合の化合物(先願発明であるDFQのエチルエステル)である(審決書6頁下から7行〜6頁下から4行参照)。
原告ら主張の取消事由の要点
審決は,先願明細書に記載の誤りがあることを看過し(取消事由1),この記載の誤りにより先願発明が実施不能であることを看過し(取消事由2),仮に,実施不能でないと認められるとしても,周知技術参酌することによって当業者が容易に追試することができたと誤った認定判断をした(取消事由3)。審決のこれらの誤りがそれぞれその結論に影響を及ぼすことは明らかであるから,審決は,違法として取り消されるべきである。
1 取消事由1(先願明細書の誤記の看過) 審決は,「先願明細書の上記3.(1)(A)の工程(判決注・参考例1及び2に記載された(@)ないし(I)の工程のことである。)の記載中の「濃硫酸8.5ml及び水40ml」の記載が,「濃硫酸8.5ml」の誤りであるか,或いは,[濃硫酸8.5ml及び水「I」mL]の誤りであるか等について審理することは,本件訂正審判で必要とされるものではないし,本件に係る訂正拒絶の理由において,「濃硫酸8.5ml及び水40ml」の記載が,特許法上の「誤記」である等としていない。」(審決書17頁5行〜10行)として,先願明細書の参考例1及び2の記載に誤りがあるかどうかの認定をしていない。
しかしながら,参考例1に記載された(A)の工程中の「濃硫酸8.5ml及び水40mlを加え」の部分は,明らかに誤りであり,参考例1に記載されている条件そのままでは反応は進行しない。このことは,後記のとおり,先願明細書に係る発明の特許出願人である杏林製薬株式会社(以下「先願出願人」という。)自身も認めているところである。
以上のとおり,先願明細書に記載の誤りがあるのに,これを看過(無視)した審決の認定は,不当である。
2 取消事由2(先願発明の実施不能) (1) 先願出願人は、特許庁の審尋書に対する回答書(甲第5号証、甲第6号証)において、先願明細書の参考例1の方法によっては,MTFBAの直接の原料となるアミド体の合成ができない,先願明細書の参考例1に記載されているシアノ体からアミド体への変換の反応条件には明らかな誤記があり、当該箇所に記載された条件そのままではシアノ体からアミド体への変換において反応が進行しない旨回答した。このように、先願出願人自らが、参考例1の方法では反応は進行せず、アミド体の合成はできないことを自認しているのであるから、参考例1の方法が実施不能であることは否定し得ないところである。
参考例1に記載されている条件そのままでは反応は進行しないという事実は,原告らがこれを追試したことによって初めて見いだされたことであって,それ以前には何人もこれを見いだすことができなかった。それゆえ,先願明細書の参考例1の記載は,その記載どおりに受け取って,先願発明は実施不能であると理解する以外にないのである。
特許法は,進歩性のある新たな発明に対して,特許権を与えて独占を許す一方,当該発明の内容を一般に公開することによって均衡を図っている。しかるに,特許権を得て発明を独占する一方,当該発明の内容について実施不能の方法を開示するとすれば,それが特許法の原則に反することは言をまたない。先願明細書の記載は,正にこれに該当する。先願明細書の記載を無視して,それを当時の技術常識置き換えることは,上記特許法の原則を無視するに等しく,およそ許されることではない,というべきである。
(2) 審判便覧(甲第7号証)によれば,「「誤記の訂正」とは,錯誤により本来の意を表示していないものとなっている記載を,本来の意を表す記載に訂正することをいう。」(同号証54-01章2頁下から1行〜3頁1行),「訂正後の記載が,@通常の日本語出願に係る特許にあっては出願当初の明細書又は図面の記載から直接的かつ一義的に導き出せ・・・ることが,必要である。」(同号証同章3頁4行〜9行)とされている。
ニトリルを加水分解して対応するアミド体を得る反応において,濃硫酸に水を加えるということは,およそあり得ないことというわけではなく,水を加えても反応が進行する場合もあり得るのである。そうである以上,先願明細書において,参考例1の(A)工程の一部を示すものとされている,「濃硫酸8.5ml及び水40mlを加え」との記載が,簡単に誤りとみられるなどということは,あり得ないというべきである。
先願出願人は,昭和61年から平成12年にわたる約15年間に,先願明細書の参考例1に記載されている条件と同一の条件を用いた方法を,そっくりそのまま明細書に記載して5件もの特許を出願しているにもかかわらず,その間,上記記載の誤りを全く訂正しなかった。これらの特許出願に対しては,多くの異議申立てがなされたにもかかわらず,異議申立人らも,上記記載の誤りを全く指摘しなかった。
このように,訂正発明や先願発明に係る技術分野の専門家であり,当該技術分野の技術常識を最もよく知っているはずの先願の出願人や異議申立人らが,先願明細書の参考例1の記載を訂正せず,異議申立てもせずにいたという事実は,当業者が,先願明細書の参考例1に記載されている上記の条件について何の疑いをも差し挟まず,参考例1の記載に誤りがあるということを全く気付かなかったことを示している。
このような状況の下では,先願明細書の参考例1の「濃硫酸8.5ml及び水40mlを加え」の記載が誤りであることを,出願当初の明細書から直接的かつ一義的に導き出せる事項とすることはできないものというべきである。
このように,訂正審判においてさえ認め得ない上記記載の誤りに訂正を加えて先願明細書の参考例1の記載を読むことが,許されることでないことは,むしろ当然というべきである。
3 取消事由3(先願発明の実施困難性) 審決は,刊行物1ないし3から,「ニトリル体を加水分解して対応するアミド体を得る反応において,例えば,上記刊行物1に例示された80%硫酸と同程度の濃度の硫酸,或いはそれよりも高濃度の硫酸,つまり,80%程度以上の高濃度の硫酸を使用することが広く知られており,先願時には,この種の反応において通常採用されている方法として技術常識であったといえる。」(審決書10頁2行〜7行)と認定し,この認定を前提として,「該アミド体生成物の融点130〜133℃が示されているから,当業者であれば,「濃硫酸8.5ml及び水40mlを加え」の記載のとおりに追試して,その反応が進行しなかったとしても,その20%にも満たない濃度の硫酸の記載が,この種の反応における技術常識からみて,適切でないものであることを理解して,高濃度硫酸を適宜使用することにより,該アミド体生成物の融点の記載を確認データとしつつ,過度の実験を要することなく該アミド体を製造することができたといえる。」(審決書12頁2行〜8行)と判断した。しかし,この認定判断は誤りである。
上述したとおり,当業者は,先願明細書の参考例1に記載されている上記の条件について何の疑いをも差し挟まず,参考例1の記載に誤りがあるということに全く気付かなかったのであり,このことは,「ニトリル体を加水分解して対応するアミド体を得る反応において,例えば,上記刊行物1に例示された80%硫酸と同程度の濃度の硫酸,或いはそれよりも高濃度の硫酸,つまり,80%程度以上の高濃度の硫酸を使用すること」が先願時に技術常識ではなかったことを物語るものである。
確かに,参考例1における「シアノ体からアミド体」への工程((A)工程)は,形式的には,単なる加水分解反応であり,酸を用いて加水分解を行うこと自体は,周知の反応といい得るものである。しかし,どのような化学構造を有するシアノ体でも単に97〜80%硫酸を用いさえすれば(すなわち他の条件を検討しなくとも)アミド体に加水分解される,及び,3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロベンズニトリルを97〜80%硫酸程度のもので加水分解すれば高収率で最終産物になる,とする認識は誤りであり,また,「シアノ体からアミド体」への加水分解反応で考慮すべき条件は,硫酸濃度だけであるというわけでもないのである。
このように,審決の周知技術の認定は誤っている。当業者が先願発明の実施を容易になし得たとする判断は,この誤った周知技術の認定に基づいて行われたものであるから,これまた,必然的に誤りとならざるを得ないのである。
被告の反論の要点
審決の認定判断は,正当であり,審決を取り消すべき理由はない。
1 取消事由1(先願明細書の誤記の看過)について 審決は,「濃硫酸8.5mlおよび水40ml」につき,「濃硫酸8.5ml」の誤記である,とは述べておらず,「適切でない」記載であるといっているだけである。
審決は,参考例1に記載された条件そのままでシアノ体からアミド体への変換反応が進行する,とは述べておらず,当該加水分解反応について「当業者であれば,「濃硫酸8.5ml及び水40mlを加え」の記載のとおりに追試して,その反応が進行しなかったとしても,その20%にも満たない濃度の硫酸の記載が,この種の反応における技術常識からみて,適切でないものであることを理解して,高濃度硫酸を適宜使用することにより,該アミド体生成物の融点の記載を確認データとしつつ,過度の実験を要することなく該アミド体を製造することができたといえる。」(審決書12頁2行〜8行)と述べているのである。そして,「濃硫酸8.5ml及び水40mlを加え」たのでは反応が進行しないからといって,「当業者が,先願時の技術常識参酌しても,先願明細書の記載に基づいて該加水分解反応の生成物であるアミド体が得られないとは,直ちにはいえない。」(審決書10頁29行〜31行)ことは,審決の指摘するとおりである。
2 取消事由2(先願発明の実施不能)について 原告は,先願明細書の記載は実施不能の方法を開示するものであり,その記載を無視して,それを当時の技術常識置き換えることは許されない旨主張する。
原告が行う,先願明細書に記載された方法は実施不能である,という主張は,先願明細書の参考例1の方法は,それに関する記載をその記載どおりの意味に受け取って,実施不能と解する以外にない,とするものである。
しかしながら,先願明細書の参考例1,2には,訂正発明の1-シクロプロピル-6,7-ジフルオロ-1,4-ジヒドロ-8-メトキシ-4-オキソ-3-キノリンカルボン酸(DFQ)及びそのエステルの製造工程,各工程の操作条件や各工程での生成物の物性などが具体的に記載されているのであるから,先願明細書における先願発明(DFQ)及びそのエチルエステルの製造工程の記載の一部に適切でない記載があったとしても,実際に製造できた事実に基づいた記載といえるのであれば,実施不能ということはできない。原告らの主張は,失当である。
3 先願発明の実施容易性について 審決による技術常識の認定に誤りはない。原告らの主張は,失当である。
当裁判所の判断
1 取消事由1(先願明細書の誤りの看過)について (1) 先願明細書の参考例1の(A)工程に,「得られた油状物14.2gに濃硫酸8.5ml及び水40mlを加え110℃で1時間攪拌した。冷後反応液を氷水50ml中に注ぎ析出晶を濾取して水洗し,得られた結晶を塩化メチレン-n-ヘキサン混液から再結晶して白色針状晶の3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロベンツアミドを11.59g得た。融点 130-133℃」との記載があることは,当事者間に争いがない。
(2) 甲第14号証の4(平成11年12月3日宇部興産株式会社科学樹脂事業本部開発部作成の実験成績証明書),甲第15号証の1(山口大学工学部応用化学工学科A教授他1名作成の実験成績証明書)によれば,先願明細書の参考例1の記載に従ってそのとおりに追試を実施したものの,(A)工程において,記載された反応が進行しなかったことが認められる。
甲第5号証及び甲第6号証によれば,本件の審判段階における書面による審尋に対して,先願出願人は,平成12年4月28日付けの回答書において,「甲第1号証(判決注・先願明細書)の参考例1に記載されているシアノ体からアミド体への変換の反応条件には明らかな誤記があり、当該箇所に記載された条件そのままではシアノ体からアミド体への変換において、審判請求人主張の通り反応は進行しない。・・・「濃硫酸8.5mlおよび水40ml」とあるのは「濃硫酸8.5ml」の誤記で、この正しい条件で反応を行えば、参考例1記載の通り当該反応は円滑に進行し、問題なくアミド体が得られるのである。」(2頁7行〜19行)と述べていること,平成12年7月28日付け回答書においても同旨の陳述をしていることが認められる。
甲第2号証によれば,訂正明細書発明の詳細な説明中の実施例3には,「実施例2で得た3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロベンゾニトリル(XXXTTb:Y1=Y2=F)1.24g(0.007モル)に濃硫酸5mlと水1.2mlを添加し、100ー140℃で30分間加熱後、氷水に注加し、酢酸エチルで抽出した。酢酸エチル層を水洗し乾燥後、減圧乾固し、3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロベンズアミド(XXXTTc;Y1=Y2=F)1.10gを淡褐色粉末として得た。」(16頁下から6行〜下から2行)との記載があることが認められる。
以上によれば,上記参考例1の(A)工程において,出発物質である3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロベンゾニトリルに,「濃硫酸8.5ml」か,あるいは,これにわずかな水を付加した高濃度の濃硫酸を加えるのでなければ,(A)工程の目的物質である3-メトキシ-2,4,5-トリフルオロベンズアミドを得ることができないものであり,(A)工程における「濃硫酸8.5ml及び水40mlを加え」の記載において,濃硫酸8.5mlのほか,「40ml」の水をも加える記載となっているのが,少なくとも,(A)工程を意味するものとして理解しようとする限り,それを妨げる働きをするという意味で,誤った記載であることは,明らかというべきである。
原告らは,審決が上記記載(「濃硫酸8.5ml及び水40mlを加え」)の誤りを看過していると主張する。しかし,審決が,上記記載が上記意味で誤ったものであることを認定し,この認定を前提に論を進めていることは,その説示全体をみれば,明らかである。原告らの主張は,採用できない。
2 取消事由2(先願発明の実施不能)について (1) 特許法29条の2は,特許出願に係る発明が,当該特許出願の日前の他の特許出願又は実用新案登録出願であって,当該特許出願後に特許掲載公報,実用新案掲載公報の発行がされたものの願書に最初に添付した明細書又は図面(当初明細書等)に記載された発明又は考案と同一であるときは,その発明については,特許を受けることができないと規定している。
訂正発明が物の発明であることは明らかであり,審決は,物の発明である訂正発明との同一性を判断するに当たって,これと対比されるべきものとして,先願明細書において(I)工程の目的物質として開示された,1-シクロプロピル-6,7-ジフルオロ-1,4-ジヒドロ-8-メトキシ-4-オキソ-3-キノリンカルボン酸(先願発明)を挙げていることが明らかである。
先願明細書の(I)工程の目的物質である1-シクロプロピル-6,7-ジフルオロ-1,4-ジヒドロ-8-メトキシ-4-オキソ-3-キノリンカルボン酸(先願発明)を製造するための工程自体は,本来,上記物質(先願発明)を,訂正発明との関係において特許法29条の2の規定する先願発明とするために必要不可欠なものというわけのものではなく,当業者が,先願の願書に最初に添付された明細書等に記載された技術事項を理解し,実施可能であることを示すために必要な場合があり得るにすぎないというべきものである。
そうである以上,先願明細書には,当業者が,先願発明がそこに示されていることを理解し,それが実施可能であることを理解し得る程度に記載されていれば十分であって,それを超えて,少しの誤りもなく完璧に記載されていることが要求されるものではないことは,いうまでもないところというべきである。
(2) 原告らは,先願明細書の参考例1の「濃硫酸8.5ml及び水40mlを加え」の記載が誤ったものであったとしても,出願当初の明細書から直接的かつ一義的に導き出せるといい得ないから,訂正審判においてこれを誤記として認めることはできないとし,これを前提に,上記記載の誤りに,訂正審判においてさえ認め得ない訂正を加えて先願明細書の参考例1の記載を読むことが許されない,と主張する。
しかし,先願明細書に(I)工程の目的物質として開示されている物質が特許法29条の2の先願発明としての要件を備えているか否か,と,当該物質に関する,先願明細書の記載について訂正が認められるべきか否かとは,互いに全く無関係であるとはいい得ないものの,判断基準を異にする異なった問題であり,仮に,上記記載の誤りが,訂正審判によって訂正することは許されないものであるとされるとしても,そのことは,上記物質が特許法29条の2の先願発明に該当するか否かの検討において,上記誤りにつき上記のように扱うことの妨げとはならない,というべきである。原告らの上記主張は,上記のとおり互いに異なる二つの問題を同一視することによって,初めて成り立つものであり,前提において既に誤っており,採用できない。
3 取消事由3(先願発明の実施困難性)について (1) 上述したとおり,参考例1の(A)工程の「及び水40ml」の部分に前述の意味で誤りがあるものの,その誤りを除けば,先願明細書の参考例1及び2の(@)ないし(I)の反応工程の記載には,格別,問題はない。そして,(A)の反応工程においても,出発物質及び目的物質に誤りはなく,反応条件である濃硫酸を使用することについても誤りはない。誤っているのは,唯一,濃硫酸を希釈するという点である。
(2) @周知例刊行物1(甲第17号証の2)に,「5・7 酸アミドおよび酸イミド」の項に,「e.ニトリルからの合成 ニトリルは加水分解により第一酸アミドになる。この場合,反応条件によっては生成する酸アミドがさらに加水分解を受けてカルボン酸になるので,反応物質に応じた適切な条件を用いることが必要である。(@)酸加水分解 塩酸,硫酸などの鉱酸のほかにPPA,ギ酸あるいはLewis酸が用いられる(表5・31)。」(1151頁7行〜12行)と記載され,表5・31には,「ニトリルの酸加水分解による第一酸アミドの合成」のタイトルの下に「97%H2SO 4」,「80%H 2SO 4」を使用した例が他の酸を使用した場合と共に示されていること,A周知例刊行物2(甲第17号証の3)に,「4.ニトリルへの水の付加 ニトリルの酸による水和反応は,生成するアミドが加水分解されて遊離の酸となることを極力押えるため,わずかの量の水の存在下に行われる。水の濃度を調節する一方法としては,組成にしてだいたい硫酸-水和物(84.5%H2SO 4)に相当する程度に,硫酸に水を加えた溶液を用いることがある。」(312頁3行〜7行)と記載されていること,B周知例刊行物3(甲第17号証の4)に,2-アミノ-3,4,5,6-テトラフルオロベンゾニトリルからのアミド化について,「アミノニトリル(4.75g)を36規定硫酸(10ml)とともに100℃で1時間加熱することにより2-アミノ-3,4,5,6-テトラフルオロベンズアミド(]]TT);(4.3g),水からの再結晶の融点140〜141℃,が得られる。」(4725頁下から3行〜末行)と記載され,2-ブロモ-3,4,5,6-テトラフルオロベンゾニトリルからのアミド化について,「ブロモニトリル(5.1g)を36規定硫酸(10ml)とともに100℃で1時間加熱することにより2-ブロモ-3,4,5,6-テトラフルオロベンズアミド(]]X);4.3g),水からの再結晶の融点118〜119℃,が得られる。」(4726頁17〜19行)と記載され,また,2,3,4,5-テトラフルオロ-6-ニトロ-ベンゾニトリルからのアミド化について,「ニトロニトリル(2.2g)を36規定硫酸とともに100℃で1時間加熱することにより2,3,4,5-テトラフルオロ-6-ニトロ-ベンズアミド(XXW);1.6g),クロロホルムからの再結晶の融点124〜125℃,が得られる。」(4725頁下から9行〜下から7行)と記載されていることは,当事者間に争いがない(審決書9頁下から9行〜末行参照)。
上記各周知例刊行物の上記各記載によれば,ニトリルを加水分解して対応するアミド体を得る反応において,80%程度以上の高濃度の硫酸を使用することは,当業者の間で広く知られていたことであると認められる。
そうであるならば,先願明細書の記載の上記誤りによって,参考例1の(A)工程の反応が進行しなかったとしても,そのことは容易に発見され得るはずであるから,その時点では,同工程がニトリルを加水分解して対応するアミド体を得る反応であることに着目し,80%程度以上の高濃度の硫酸を使用していないところに問題があるのではないかと考え,80%程度以上の高濃度の硫酸を使用して追試をしてみようと考えることは,当業者において,むしろ自然に行うところというべきである。
したがって,先願明細書には,上記の誤りにもかかわらず,当業者が,先願明細書に開示されている1-シクロプロピル-6,7-ジフルオロ-1,4-ジヒドロ-8-メトキシ-4-オキソ-3-キノリンカルボン酸(DFQ)を製造する工程であることを理解し,追試を実施することができる程度に先願発明が記載されているものというべきである。
(3) 原告らは,当業者は,先願明細書の参考例1に記載されている上記の条件について何の疑いをも差し挟まず,参考例1の記載に誤記があるということに全く気付かなかったのであり,このことは,「ニトリルを加水分解して対応するアミド体を得る反応において,例えば,上記刊行物1に例示された80%硫酸と同程度の濃度の硫酸,或いはそれよりも高濃度の硫酸,つまり,80%程度以上の高濃度の硫酸を使用すること」が先願時に技術常識ではなかったことを物語るものである,と主張する。
しかしながら,たとい,当業者が,先願明細書の参考例1に記載されている上記の条件について何の疑いをも差し挟まず,参考例1の記載に誤りがあるということに全く気付かなかったとしても,そのことから,直ちに,「ニトリルを加水分解して対応するアミド体を得る反応において,例えば,上記刊行物1に例示された80%硫酸と同程度の濃度の硫酸,或いはそれよりも高濃度の硫酸,つまり,80%程度以上の高濃度の硫酸を使用すること」が先願時に技術常識ではなかったということに結びつくものではない。
原告ら自身,参考例1における「シアノ体からアミド体」への工程((A)工程)は,形式的には,単なる加水分解反応であり,酸を用いて加水分解を行うこと自体は周知の反応といえるものであることを認めているのである。そして,前述したとおり,参考例1の(A)工程の記載は,唯一,濃硫酸を希釈しているという点において誤っているのみであり,周知例刊行物1には,80%ないし97%の濃硫酸を使用して上記加水分解をする技術が公知となっていたのであるから,当業者であれば,上記誤りにもかかわらず,参考例1の(A)工程の反応を追試して,目的物質を得ることに格別の困難はないものというべきである。
このように,上記誤記が当業者にとって格別の困難性のない事柄であったからこそ,先願出願人その他の関係者が,その誤りに気付かなかったとも推測し得るのである。
4 結論 以上によれば,原告ら主張の取消事由は,いずれも理由がないことが明らかであり,その他審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。そこで,原告らの本訴請求を棄却することとし,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条,65条1項本文を適用して,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 山下和明
裁判官 設樂隆一
裁判官 宍戸充