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審判番号(事件番号) データベース 権利
平成23ネ10029特許権侵害差止等請求控訴事件 判例 特許
関連ワード 発明者 /  技術的思想 /  製造方法 /  新規性 /  29条1項3号 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  周知技術 /  下位概念 /  技術的範囲 /  実施可能要件 /  試行錯誤 /  技術常識 /  発明の詳細な説明 /  着想 /  存続期間 /  参酌 /  技術的意義 /  容易に想到(容易想到性) /  実施 /  構成要件 /  構成要件充足性 /  差止請求(差止) /  侵害 /  不法行為(民法709条) /  拒絶査定 /  拒絶理由通知 /  請求の範囲 /  変更 /  要旨変更 /  異議申立 / 
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事件 平成 22年 (ネ) 10028号 特許権侵害差止等請求控訴事件
裁判所のデータが存在しません。
裁判所 知的財産高等裁判所 
判決言渡日 2011/09/05
権利種別 特許権
訴訟類型 民事訴訟
判例全文
判例全文
平成23年9月5日 判決言渡

平成22年(ネ)第10028号 特許権侵害差止等請求控訴事件(原審・東京地

裁平成20年(ワ)第8086号)

口頭弁論終結日 平成23年7月4日

判 決

控訴人(一審原告) 古 河 電 気 工 業 株 式 会 社

訴訟代理人弁護士 片 山 英 二

同 北 原 潤 一

同 木 村 貴 司

同 黒 田 薫

同 岩 間 智 女

訴訟代理人弁理士 山 崎 京 介

同 古 川 友 美

補 佐 人 弁 理 士 黒 川 恵

被控訴人(一審被告) 日本オプネクスト株式会社

訴訟代理人弁護士 古 城 春 実

同 堀 籠 佳 典

同 牧 野 知 彦

同 玉 城 光 博

補 佐 人 弁 理 士 中 村 守

主 文

1 本件控訴を棄却する。

2 控訴費用は控訴人の負担とする。

事 実 及 び 理 由

第1 控訴の趣旨

1 原判決を取り消す。




2 被控訴人は,控訴人に対し,3億円及びこれに対する平成20年4月2日か

ら支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人の負担とする。

4 仮執行宣言

第2 事案の概要

1 一審原告である控訴人は,半導体光デバイス・光関連部品等の製造販売等を

営む株式会社(明治29年6月25日設立)であり,一方,一審被告である被

控訴人は,光通信関連部品及び半導体素子等の製造・販売等を業とする株式会

社(平成12年9月28日設立)である。

2 本件は,発明の名称を「量子井戸半導体レーザ素子」とする下記特許権(請

求項の数1,以下「本件特許権」という。)を有する控訴人が,平成13年2

月ころから量子井戸半導体レーザ素子及びこれを構成部材として含む発光レー

ザモジュール(原判決にいう「被告レーザ素子」)を製造・販売する被控訴人

に対し,上記レーザ素子は控訴人の上記特許権を侵害するとして,不法行為

よる損害賠償金47億9500万円の一部請求として,3億円及びこれに対す

る平成20年4月2日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年

5分の割合による遅延損害金の支払いを求めた事案である。



・出願日 昭和63年11月11日

・登録日 平成11年3月12日

・特許番号 第2898643号

存続期間満了日 平成20年11月11日

3 なお,本件特許権に関する出願から異議決定までの主な経過は,次のとおり

である。

・出願 昭和63年11月11日(特願昭63−285549号)

・公開 平成2年5月18日(特開平2−130988号)




・補正(第1回)平成8年11月5日

拒絶査定 平成9年4月21日

・不服審判請求 平成9年7月10日(平成9年審判第11553号)

・補正(第2回)平成9年8月11日

・補正(第3回)平成10年12月11日

・審決 平成10年12月24日(原査定取消し,特許査定)

・登録 平成11年3月12日

・特許異議 平成11年12月2日(平成11年異議第74467号,申

立人 A)

・異議の決定 平成12年2月24日(特許維持)

4 そして,特許出願人たる控訴人が求めた本件特許の特許請求の範囲の変遷は,

次のとおりである。

・出願時(昭和63年11月11日)

原判決別紙「本件当初明細書」のとおり(請求項の数5)

・公開時(平成2年5月18日) 同上

・補正(第1回)時(平成8年11月5日)

原判決4頁下3行〜5頁15行のとおり(請求項の数5)

・補正(第2回)時(平成9年8月11日)

原判決別紙「第2回補正明細書」のとおり(請求項の数1)

・補正(第3回)時(平成10年12月11日)

原判決5頁下5行〜下2行のとおり(請求項の数1)

・登録時(平成11年3月12日)

補正(第3回)時と同じで,下記のとおり



【請求項1】InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含むV

−X族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,量子井戸




層はその格子定数がInPの格子定数よりも大きい膜厚2.5nm〜30nm

のGax1In1−x1Asy1P1−y1(0<x1,y1<1)であり,バリア層は

その格子定数がInPの格子定数よりも小さいGax2In1−x2Asy2P1−y2

(0<x2,y2<1)であることを特徴とする1.3〜1.55μm用量子

井戸半導体レーザ素子。

5 原審における主たる争点は,次のとおりのものであった。

@ 被告レーザ素子は本件発明の技術的範囲に含まれるか(構成要件充足性

有無)

A 平成9年8月11日になされた第2回補正は,本件当初明細書に記載した

事項の範囲内の補正ではなく,明細書の要旨を変更するものであり,本件特

許の出願日は,平成5年法律第26号による改正前の特許法40条の規定に

より,上記補正時まで繰り下げられるから,本件特許は下記刊行物により新

規性(特許法29条1項3号)又は進歩性(同29条2項)を欠如するに至

ったか。



・本件公開公報(特開平2−130988号,平成2年5月18日公開,乙

2の2)

・乙7刊行物:Dana Varga ほか論文「低閾値,高量子効率で高速な歪み補償

型多重量子井戸レーザ」(「LOW THRESHOLD, HIGH QUANTUM EFFICIENCY,

HIGH SPEED STRAIN COMPENSATED MULTI QUANTUM WELL LASERS」)IPRM'94

WP22 pp.473-475 ,1994年[平成6年]3月刊
<判決注,上記特許法40条の規定は次のとおり>

第40条:願書に添付した明細書又は図面について出願公告をすべき旨の決定の謄本の

送達前にした補正がこれらの要旨を変更するものと特許権の設定の登録があつた後

に認められたときは,その特許出願は,その補正について手続補正書を提出した時に

したものとみなす。





B 本件特許は,下記刊行物に記載された発明からして進歩性を欠如するか。

・乙6刊行物:Quillec et al.の論文 「InP基板上のInxGa1−xAs

/ I n y G a 1 − y A s ひ ず み 超 格 子 の 成長 と 評 価 」 ( 「 Growth and

characterization of InxGa1-xAs/InyGa1-yAs strained-layer superlattice

on InP substrate」 J.Appl. Phys. 59(7), 1
) April,1986,pp.2447-2450

(1986年[昭和61年]4月刊)

・乙8刊行物:イアン・マーガットロイドほか論文「歪超格子1.3μmG

aInAsP/InP MQWレーザのしきい値電流の低減化につい

ての計算」第49回応用物理学会学術講演会講演予稿集 5P-ZC-12(1

988年[昭和63年]10月刊)

・乙9刊行物:Dutta et al. の論文「長波長InGaAsP(波長λ〜1.

3μm)改良多重量子井戸レーザ」(「Long wavelength InGaAsP(λ

〜 1.3 μ m ) modified multiquantum well laser 」 ) Appl. Phys.

Lett.,46(11) 1 June, 1985, pp.1036-1038(1985年[昭和60年]

6月刊)

C 本件特許出願は,特許請求の範囲の記載要件に違反したものか,また,発

明の詳細な説明の記載が不備であるか(実施可能要件違反,特許法36条)。

D 一審原告たる控訴人に生じた損害の有無とその額

6 平成22年2月24日に言い渡された原判決は,上記争点Aのみについて判

断し,平成9年8月11日になされた第2回補正は平成5年法律第26号によ

る改正前の特許法40条にいう要旨の変更に該当するから平成2年5月18日

に公開された本件公開公報(乙2の2)により新規性を欠如するに至っている

(特許法29条1項3号)ため,特許法104条の3の適用により,特許権者

たる控訴人は相手方たる被控訴人に対しその権利を行使することができないと

して,一審原告たる控訴人の本訴請求を棄却した。そこで,これに不服の控訴

人が本件控訴を提起した。




7 当審における争点も,原審とほぼ同様である。

第3 当事者の主張

以下のとおり付加するほか,原判決「第3 争点についての当事者の主張」

のとおりであるから,これを引用する(なお,「原告」は「控訴人」と,「被

告」は「被控訴人」と,それぞれ読み替える。)。

1 当審における控訴人の主張

(1) 争点A(要旨変更の有無等)について

ア 原判決は,明細書の要旨を変更するか否かの判断基準を誤解したか,又

は,本件当初明細書に開示された技術的思想の把握を誤った結果,第2回

補正が要旨変更に当たると誤って判断したものである。そして,かかる誤

った判断に基づき,本件発明の出願日を繰り下げた結果,同発明が新規性

を欠くとの誤った判断に至ったものである。

イ 明細書の要旨とは,「特許請求の範囲に記載された技術的事項」をいう

ものであり,本件当初明細書の「特許請求の範囲」に記載された技術的事

項が,当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する

者)の目からみて,その文言から一義的に明確に把握できる場合において

は,その字義どおりに理解されるのが当然であり,明細書の他の部分に当

該発明の下位概念に属する態様が記載されているという理由により,「特

請求の範囲」に記載された発明が,他の部分に記載された下位概念に属

する当該態様に限定されるなどということはあり得ない。

そして,原判決のいう格子定数関係式Aに係る発明の「特許請求の範囲

に記載された技術的事項」は,本件当初明細書の「特許請求の範囲」の文

言自体から,その意味するところが当業者に一義的に明確に理解できるも

のである以上,その字義どおりに理解されるのが当然であり,明細書の他

の部分の記載を根拠に,かかる技術的事項が限定されるなどということは

あり得ない。すなわち,格子定数関係式Aに係る発明の「特許請求の範囲




に記載された技術的事項」が,平均格子定数要件による限定のない構成で

あることは,特許請求の範囲の文言自体から明らかであって,これを否定

する余地はない。

以上のとおり,本件当初明細書の特許請求の範囲の一義的に明りょうな

記載に基づけば,第2回補正が要旨変更に該当しないことは明らかであ

り,第2回補正が要旨変更であるとした原判決の判断は誤りである。

ウ 仮に,「特許請求の範囲の記載の文言上の形式的な対比のみに限定され

ず」,本件当初明細書の記載について,特許請求の範囲や〔課題を解決す

るための手段〕の記載以外の箇所を含めて実質的に考察したとしても,本

件当初明細書には,格子定数関係式Aに係る発明であって平均格子定数要

件の限定のないもの,すなわち,活性層の平均格子定数がInPの格子定

数と等しくない態様の発明が,技術的思想として開示されているものと理

解できるのであって,原判決の認定・判断は誤りである。

本件当初明細書の「発明の詳細な説明」の〔課題を解決するための手段〕

及び〔発明の効果〕の各項には,格子整合を前提としない格子定数関係式

Aに係る発明がそのまま記載されていることは明らかであり,本件当初明

細書の記載を実質的にみても,前記格子定数関係式Aに係る発明につい

て,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくしないことを前提

としたものが記載されており,そのような発明の記載がないとする原判決

の認定は誤りである。

また,本件当初明細書の〔作用〕の記載や〔実施例〕の記載を断片的か

つ形式的にではなく,当業者の常識に基づき,原判決にいう格子定数関係

式@に係る発明についての記載と併せて総合的に読めば,本件当初明細書

には,格子定数関係式@に係る発明から格子定数関係式Aに係る発明まで

が連続的な技術的思想として記載されており,格子定数関係式Aに係る発

明は格子整合を前提としない態様も含むことが明らかであり,原判決のよ




うに,格子定数関係式Aに係る発明が格子整合を不可欠の前提とするもの

であると限定的に解するのは不自然,不合理というほかない。

本件当初明細書の発明の詳細な説明の記載を実質的に検討すると,同明

細書には,従来技術の課題は解決できるものの,なお格子不整合に起因す

る問題が生じる可能性がある格子定数関係式@に係る発明から,かかる問

題発生の可能性がより低減された格子定数関係式Aに係る発明までが,連

続的な技術的思想として記載されていること,そして,格子定数関係式A

に係る発明は,かかる問題発生の可能性が完全に回避された態様(活性層

の平均格子定数がInP基板の格子定数と等しい態様)を含むが,それの

みに限定されないものとして記載されていることが明らかである。

そして,格子整合を具備する構成に関する記載は,明細書の特許請求の

範囲(1)に記載された格子定数関係式@又は格子定数関係式Aを特徴とす

る量子井戸半導体レーザ素子の発明についての,いわゆる「ベストモード」

を記載したものと理解すべきである。

また,格子定数関係式Aの作用効果についての記載は,「活性層全体と

しての平均的な格子定数をInPの格子定数に等しくする」ことのみを示

すものではなく,格子定数関係式@よりも格子不整合を解消した構成全般

に当てはまる。

したがって,本件当初明細書中の格子整合に関する記載は,いわゆる「ベ

ストモード」を記載したにすぎず,格子定数関係式Aに係る発明は,「活

性層全体としての平均的な格子定数をInPの格子定数に等しくする」こ

とを前提条件とするものではない。

エ なお,当業者が,前記乙6刊行物に記載された格子整合についての知見

を量子井戸半導体レーザ素子に適用して本件当初明細書を理解する理由

はなく,そもそも,本件当初明細書にどのような技術的事項が記載されて

いるかと,本件特許出願前に公知の乙6刊行物にどのような技術的事項が




記載されているかは無関係である。

よって,原判決が本件当初明細書に記載された技術的事項を認定するに

当たって,乙6刊行物等の記載内容に言及したことは誤りである。

オ このほか,本件公開公報(乙2の2)より後に出願された特許出願,同

様の特許出願に対する特許庁審査官の拒絶理由通知等及び特許異議の申

立手続(以下「本件拒絶理由通知等」と総称し,本件公開公報より後に出

願された特許出願及び本件拒絶理由通知等において拒絶ないし異議申立

ての対象となった出願を「本件後続特許出願」と総称する。)がなされた

当時の特許審査実務(平成15年12月改正前の旧特許・実用新案審査基

準に従ってなされていた。)に照らせば,本件拒絶理由通知等において,

本件公開公報に記載された発明を解釈するに当たり,「当該刊行物の頒布

時」,すなわち本件公開公報の頒布時を基準時としていたのであり,この

当時の技術常識参酌することはできても,本件後続特許出願当時におけ

技術常識参酌することはしなかったはずである。

また,本件拒絶理由通知等において,技術常識参酌に関する記載が一

切なく,当該拒絶理由通知が,本件公開公報に記載された発明を認定する

に当たり,本件公開公報の頒布時における技術常識を「参酌」していなか

ったことが窺われる。

このように,本件拒絶理由通知等に記載された当業者の認識は,本件公

開公報に記載された事項のみから認定されたものといえるから,本件特許

出願時を基準とした場合の本件公開公報に記載された事項の解釈と何ら

変わりはなく,本件拒絶理由通知等に記載された当業者の認識が,本件特

許出願当時のものと同じであることを否定できない。

カ なお,本件は,「技術的裏付けのない広い発明を特許請求の範囲に記載

し」た場合ではない。本件当初明細書を総合的に読めば,バリア層の格子

定数をInPより小さくすることにより,歪による転位の誘起という課題




を解決できることが記載されている。

実施例の記載を総合すれば,第1の実施例から第2の実施例に至る間,

バリア層を順次小さくして,活性層全体としての格子不整合を次第に解消

する,という効果が記載されていることが理解できる。

キ 被控訴人は,本件特許出願当時(昭和63年11月11日)は半導体レ

ーザの各層を格子整合させることが「常識」であったから,格子定数関係

式@,Aも格子整合を前提とするものであったと主張するかのようであ

る。しかし,出願前の技術常識が格子整合を前提としていたことは,本件

発明の進歩性を基礎付けるものでありこそすれ,本件当初明細書に記載さ

れた技術的事項を限定解釈する根拠となり得ないことは明らかである。

ク なお,第1の実施例は格子定数関係式@にかかる発明のみに対応する実

施例であるから,第1の実施例が削除されたことによって格子定数関係式

Aにかかる発明の技術的範囲が限定されることはあり得ない。

ケ また,量子井戸層の歪と層数が臨界膜厚を超えない場合であっても,信

頼性の向上という観点から,臨界膜厚からより遠ざかるような設計値を選

択することが望ましく,本件発明を適用することが有意義であることは,

当業者からみれば明らかである。

(2) 争点B(乙6・8・9・12刊行物による進歩性の欠如等)について

ア 本件発明と乙6発明とは,被控訴人が主張する相違点1,2に加えて,

少なくとも,次の各相違点を有するものである。

相違点3:本件発明は,量子井戸半導体レーザ素子をその対象としている

のに対し,乙6発明は,その対象自体が特定されない歪超格子に

関する点

相違点4:本件発明は,量子井戸層の格子定数がInPの格子定数よりも

大きく,バリア層の格子定数がInPの格子定数よりも小さいこ

と,すなわち「歪補償」を構成要件としているのに対し,乙6発




明では,そのような構成を有していない点

そして,後述のとおり,上記相違点1ないし4については,乙6発明に

基づいて本件発明に想到するための動機付けとなるものがなく,また,相

違点1,3,4については,乙6発明に基づいて本件発明に想到するには

阻害要因ともいえるべき事項が存在するから,乙6発明に基づいて当業者

が本件発明に容易に想到することはない。

イ 乙6発明との相違点3,4について

本件特許出願当時(昭和63年11月11日)の教科書(米津宏雄「光

通信素子工学」工学図書株式会社,乙10,以下「乙10刊行物」という。)

の記載から,レーザ素子(特にInGaAsP系レーザ素子)の技術分野

においては,基板の格子定数と活性層等各層の格子定数とを一致させるこ

とを必須の条件とすることが本件特許出願当時の技術水準であったこと

がわかる。

また,本件特許出願当時のレーザ素子の技術分野において,「歪補償レ

ーザ」はまだ開発されていなかった。

そして,乙6刊行物は,InGaAs材料の歪超格子に関する論文であ

り,結晶学的見地からInGaAsに交互の歪を入れて積層できた旨を報

告するにすぎず,レーザ素子の技術分野に関する論文ではない。レーザ素

子の技術分野において,基板の格子定数と活性層の格子定数とを一致させ

ることを必須の条件とする技術水準がある中で,乙6刊行物には,あえて,

当該技術水準に反する構造を採ることを動機付けるような記載はない。

以上からすれば,レーザ素子に関し,乙6発明に基づいて,本件発明の

ように,あえて,基板の格子定数と活性層の格子定数とが一致しない構成

を選択し,量子井戸層に圧縮歪を加えた上,バリア層にまで歪(引張歪)

を加えるなどという着想を得ること自体,極めて困難であったといわざる

を得ない。




また,乙11(小長井誠「半導体超格子入門」培風館・昭和62年11

月10日初版発行,以下「乙11刊行物」という。)には,InGaAs

P系の混晶の形成において,V族元素を2つ含むため組成制御が難しく,

GaAlAs/GaAs系に比べると,精密な制御を必要とする多重量子

井戸レーザ等の開発が進んでいないことが記載されている。

乙11刊行物の上記記載は,GaInAsの3元系から,GaInAs

Pの4元系への材料の変更について,阻害要因ともいえる事項を示すもの

であり,乙6発明を出発点とし,その材料としてGaInAsPの採用に

想到することは極めて困難であったというべきである。

そして,乙11刊行物には,精密な組成制御を要する多重量子井戸レー

ザの開発は進んでおらず,ようやく単純なDHレーザが試作段階に入った

ことが記載されており,そのことが「実用化間近い」と表現されているに

すぎない。

このほか,甲76(「V−V族半導体結晶」)によれば,本件特許出願

当時,InGaAsP系において,引張歪を加える方向に不安定領域が存

在することが知られていたことが分かり,GaInAsPを出発点として

も,歪補償構造に着想することには,上記の阻害要因ともいえる事項を克

服する強い動機付けが必要であるというべきである。

ウ な お , 乙 6 1 ( 「 Electronic properties of strained-layer

superlattices」 訳文「歪超格子の電子的性質」,J. Vac. Sci. Technol.

B1(2), P379, Apr.-June 1983,昭和58年刊)に記載されているのは,

歪超格子の界面に並行な面での格子定数a||を一定にしたまま,バンドギ

ャップ等の電子的性質を独立に変化させる理論的可能性があることを,計

算によって示したものにすぎず,いかなる4元材料がどのような自由度を

持って設計できるかについて何の示唆もない。

3元系の歪超格子において理論的計算を示したにすぎない乙61は,い




かなる意味においても,本件発明の進歩性を否定する根拠となるものでは

ない。

このほか,乙59(J.Y.Marzin「Strained Superlattices」と題する論

文,”Heterojunctions and Semiconductor Superlattice, 訳文「ヘテロ

接合と半導体超格子」,pp.161-176,昭和60年刊)は,3元系の歪超格

子に関する理論的,概念的知見を示したものにすぎず,ここに4元系レー

ザへの応用を示唆する記載はない。

エ 乙8発明に基づく容易想到性について

被控訴人は,乙6刊行物を4元系の量子井戸半導体レーザ素子に適用す

ることが容易であった理由として,@歪超格子(SLS)は,当時の用語

法からすれば,多重量子井戸(MQW)とほぼ同義であったこと,A乙6

刊行物の図4は,量子井戸が形成されていることを示すこと,B乙6刊行

物に「最近の多数の刊行物に見られるように,レーザ,電界効果トランジ

スタ,および光センサのようなデバイスに向けて関心を集めている」との

記載があり,また,参考文献7として歪量子井戸半導体レーザについての

文献を引用していること,C乙6刊行物において,歪超格子の平均格子定

数を基板に合わせることが,歪エネルギーを最小化する一般的な原理とし

て説明されていることなどを挙げる。

しかし,上記@ないしBは,SLSに関する結晶学的知見が,レーザや

その他の様々なデバイスへ応用される可能性を示すのみであり,乙6刊行

物の開示する構造を4元系の歪量子井戸半導体レーザに適用することが

容易であったことを示すものではない。また,上記Cも,一般的,理論的

な原理でしかないために,異なる材料系や異なるデバイスに適用した場合

にそれがどのような効果をもたらすかは容易に予測できないし,当業者は

これを直ちに理解するから,本件発明の乙8発明に基づく容易想到性を根

拠付けるものではない。




なお,乙6刊行物は,歪超格子において,二つの層の平均格子定数を基

板の格子定数と一致させることのみを開示しているところ,本件発明は,

活性層の平均格子定数をInPの格子定数に等しくすることを前提とす

るものではなく,被控訴人の主張するような技術常識(活性層の平均格子

定数を基板の格子定数に一致させること)を前提にすれば,乙6発明に基

づいて「平均格子定数を基板の格子定数に等しくしない」発明に至る動機

付けは存在しないと解され,本件発明は乙8発明に基づいて容易に想到

きたとはいえない。

オ 乙12発明に基づく新規性容易想到性について

被控訴人は,乙12公報の実施例には,発振波長が1.3μmで4元系

の量子井戸半導体レーザが開示されており,井戸層,バリア層及び基板の

格子定数の大小関係がa(CB)<a(InP)<a(CW)を満たすと主

張する。

しかし,乙12公報に記載されたバリア層の組成が正しいとすると,乙

12公報の記載自体に矛盾が生じる。すなわち,バリア層(緩衝層)の格

子不整合率及び禁止帯幅が,いずれも乙12公報記載の値より大きくな

る。

そして,乙12公報において,禁止帯幅については「特許請求の範囲

に記載があり,格子整合率については「発明の詳細な説明」に記載がある

のに対し,組成について特に着目した記載はなく,乙12の発明者におい

て,活性層各層の組成を正確に求める必要はなかったものと推認される。

したがって,乙12公報におけるバリア層の組成は,実際よりも格子定

数が小さくなるような,誤った値が記載されているものと推認される。

また,乙12公報は,「単一量子井戸型半導体レーザ」と対比される「多

重量子井戸型半導体レーザ」に緩衝層を設けることで,クラッド層と井戸

層のヘテロ界面において生じる構成元素の拡散を緩和する発明を開示し




たものであることが理解され,実施例において,緩衝層は「もちろん」I

nPに格子整合させると記載されており,明細書中に井戸層やバリア層の

格子定数や「歪」に言及した記載はないため,乙12公報に接した当業者

は,井戸層やバリア層は当然InPに格子整合させるものと理解する。

このように,乙12公報に開示されているのは,井戸層に歪のない量子

井戸半導体レーザであるから,本件発明の構成要件を充足しないことは明

らかである。

したがって,本件発明は乙12公報に記載されたものではなく,乙12

発明に基づいて容易に想到できたともいえない。

2 当審における被控訴人の主張

(1) 争点A(要旨変更の有無等)について

第1の実施例に示されるものは,「平均格子定数」とは関係なく,専らバ

リア層に着目して,「バリア層の格子定数」をInPの格子定数に「一致」

させるという技術思想であるのに対し,第2の実施例は,全体としてみた活

性層の「平均格子定数」を問題にする技術思想であるから,両者は,それぞ

れ独立したものである。また,前者は,バリア層をInPの格子定数に一致

させることを要件としている点で「平均格子定数」がInPの格子定数と等

しいもの(第2の実施例)とは相容れず,反対に,後者は「平均格子定数」

がInPの格子定数と等しいことを要求している点において,平均格子定数

がInPの格子定数と等しくなり得ないもの(第1の実施例)とは相容れな

い。

以上からすれば,第1の実施例と第2の実施例の間に技術的思想の連続性

があることを前提として,両者の「間」に位置する発明を論じる余地がない

ことは明らかである。

(2) 争点B(乙6・8・9・12刊行物による進歩性の欠如等)について

ア 乙8発明のバリア層はInGaAsPであると考えられるが,仮にこの




点が不明であるとしても,活性層とバリア層とでなるべく同じ材料を使う

べきことは常識的な事項であり,現に乙6発明自体がこのような構成であ

るから,バリア層にもInGaAsPを使用することは単なる設計的事項

である。

イ 相違点3,4について

控訴人が主張する相違点3及び4であるが,控訴人は,要するに,乙6

刊行物にはレーザについての直接の言及がなく,井戸層,バリア層の記載

がない旨主張するものである。

しかし,歪超格子をInGaAsP系レーザに適用できることは,単な

る設計事項という程度にすぎず,乙8刊行物などに記載の4元系レーザを

乙6発明に適用すれば,必然的に井戸層,バリア層が設けられ,その結果,

相違点3及び4が導かれるのであるから,このような点を相違点として挙

げるまでもなく,仮に相違点であるとしても,設計的事項の範囲を超える

ものでもない。

ちなみに,本件当初明細書の作用欄の記載及び第2の実施例の記載が,

乙6刊行物に記載された知見を量子井戸半導体レーザ素子に適用したも

のと理解されることは,原判決が正しく認定しているとおりであり,原判

決も乙6刊行物の開示事項をレーザに適用できることは当然のこととし

て認定している。

ウ 控訴人は,本件特許出願当時の技術水準は,活性層と基板の格子定数を

一致させるものであったとして,動機付けの欠如を主張する。

しかし,本件特許出願当時,量子井戸層に圧縮歪を入れた歪量子井戸構

造のレーザは周知であったから,控訴人の主張はその前提において誤りで

ある上,乙6刊行物自体が歪量子井戸レーザに関する文献を参考文献6,

7として挙げているとおり,乙6刊行物自体にレーザに適用する動機付け

が記載されている。




エ 控訴人は,阻害事由の存在を主張するが,そもそも本件明細書は,4元

系のレーザを作る具体的な手段さえ開示していないのであるから,本件発

明は,このような構造を採用することが本件特許出願当時何の困難性もな

いことを前提としているといわざるを得ない。また,事実としても,In

GaAsP系レーザは現実に製造されていた。

以上を措くとしても,4元系を採用することで,組成に2つの変数を設

けられ,これにより,バンドギャップエネルギーと格子定数という2つの

要求を同時に満たせるようになることは,まさに本件特許出願当時の技術

常識に属する事項であった。そのために,4元系,とりわけInGaAs

Pは通信用の最有力候補として誰もが実用化を目指し研究していたので

ある。そうすると,当業者であれば,4元系を採用しようと考えることは

当然であり,現実にも積極的な研究がされていたのであるから,成膜技術

が難しいということは,何らInGaAsPの材料を採用することの阻害

事由とはならない。

オ 控訴人は,バリア層のみを取り出して,これに引張歪を入れると結晶性

に悪影響が生じる旨主張する。

確かに,「バリア層に引張歪を入れる」点だけをみれば,これを採用す

る動機付けはないかもしれない(もっとも,そうであれば,本件発明は意

味不明な構成からなる発明として記載不備である。)が,本件発明は,控

訴人の説明によっても,少なくとも井戸層とバリア層の歪の関係からバリ

ア層に引張歪を入れているのであって,バリア層に引張歪を入れるという

だけで何らかの技術的意義があるという発明ではない。しかるところ,

「井戸層とバリア層」の関係に着目し,その平均格子定数を基板と一致さ

せることで歪エネルギーを最小化できることは公知ないし周知の技術的

事項なのであるから,このような技術的意義に着目して,バリア層に引張

歪を入れることには何の阻害事由もない。そして,少なくとも,この構成




が本件発明の典型的な実施態様(控訴人によればベストモード)であると

いうのであるから,本件発明は進歩性を欠如する。

カ 本件発明と乙8発明の相違点「バリア層の組成」について

バリア層の組成については,乙8刊行物の標題に「GaInAsP/I

nP MQWレーザ」とだけ記載され,バリア層について特段の記載がな

いことからすると,バリア層は井戸層と同じGaInAsPを採用したも

のと考えることが合理的であり,InPの基板が実質的に記載されてい

る。

仮に,「GaInAsP/InP」との記載における「InP」がバリ

ア層の組成を表したものであるとしても,乙9刊行物の記載等からすれ

ば,井戸層とバリア層に同じ混晶材料を採用することは常套手段であっ

た。

キ 本件発明と乙8発明の相違点「バリア層の格子定数」について

そもそもバリア層の格子定数をInPよりも小さくすることの技術的

意義を明らかにした記載が本件明細書に存在せず,何のためにバリア層の

格子定数をInPよりも小さくしているのかが不明であり,そのような技

術的意義の不明なバリア層の格子定数に関する事項は,当業者が任意に選

択し得る事項というほかない。

また,本件明細書(本件当初明細書を含む。)は,乙8刊行物で4元系

の歪量子井戸について理論計算に基づく結果を公表した本件発明者が,活

性層の歪量から技術者であれば誰しも当然に予測する歪による転位の問

題について,乙6刊行物に示された活性層の平均格子定数をInPの格子

定数と等しくして活性層内の歪を防ぐという考えを適用し,これをそのま

ま明細書に記載したものだと考えても全く不思議はない内容である。

なお,「歪超格子」の語は,本件特許出願当時,「歪量子井戸」とほと

んど区別されることなく,同じものを指して使われており,結晶学的知見




を含めて,歪超格子に関する技術的知見が歪量子井戸に適用できることは

常識であった。また,歪量子井戸はレーザへの応用を目指して盛んに研究

が行われており,当業者であれば,当然レーザへの応用を前提に文献を読

むものである。

以上からすれば,本件発明は,乙8発明のバリア層を乙9刊行物に記載

されたInGaAsPに代え,乙6刊行物に記載された技術的事項を適用

することにより,当業者が容易に想到し得たというべきである。

ク な お , 乙 6 1 論 文 ( 「 Electronic properties of strained-layer

superlattices」 訳文「歪超格子の電子的性質」,J. Vac. Sci. Technol.

B1(2), P379, Apr.-June 1983,昭和58年刊)には,3元系GaAsP

とInGaAsの歪超格子について,井戸層が圧縮歪,バリア層が引張歪

となっている具体的検討結果が示されており,また,歪超格子はa||(平

均格子定数と実質上同義)を一定とする条件下で層の組成と厚さを変えて

電気的性質(バンドギャップ)と格子定数とを独立に設計することができ,

さらに,材料を4元系(InGaAsP)にすることで設計に更なる自由

度が得られる旨までが記載されている。

そうすると,乙9刊行物の4元InGaAsPの多重量子井戸レーザに

基づいて,これに上記の乙61論文に開示された各技術事項を組み合わせ

て,井戸層に圧縮歪,バリア層に引張歪の入った歪量子井戸に想到するこ

とは,当業者が容易になし得たことというべきである。

ケ 乙12発明に基づく新規性ないし進歩性欠如

乙12公報(特開昭61−242088号公報)には,InP基板上に,

量子井戸層とバリア層からなる活性層を含むV−V族化合物半導体を有

する量子井戸半導体レーザにおいて,量子井戸層はIn0.73Ga0.27A

s0.59P0.41であり,バリア層がIn0.88Ga0.12As0.23P0.77で

ある,1.3μm用量子井戸半導体レーザ素子が記載されている。




ここで,乙12公報には,井戸層の組成とバリア層の組成の開示がある

ので,本件明細書第2図からこの組成における格子定数を計算すると,井

戸層が5.85668Å,バリア層が5.84523Åとなる。本件明細

書第2図では,InPの格子定数が5.85Åとされているから,乙12

発明は,「a(CB)<a(InP)<a(CW)」を充足しているといえ

る。

そして,乙12発明と本件発明とは,本件発明が基板として「InP基

板」を採用するのに対し,乙12発明ではこの点が明記されていない点(相

違点1),及び,本件発明の井戸層の膜厚が「2.5nm〜30nm」で

あるのに対し,乙12発明ではこの点が明記されていない点(相違点2)

で形式上相違する。

しかし,相違点1に関しては,乙12公報の「半導体材料にInGaA

sP/InP系を使うものとして説明する。」(2頁右上欄3,4行)と

の記載から,当業者にとって乙12発明がInP基板を前提としているこ

とは自明であり,InP基板上に形成したInGaAsP量子井戸レーザ

が実質的に記載されている。なお,乙12発明は,基板上に積層するクラ

ッド層としてInPを使用しているところ,基板とクラッド層とは格子整

合させることが常識であり,また,1.3μmの通信用レーザの基板とし

てはInPかGaAsを使うことが知られていた(乙11刊行物の23頁

表2.4参照)から,基板としてInP以外のものを考える余地はない。

また,相違点2に関しては,井戸層の膜厚が「2.5nm〜30nm」

などというのは量子井戸構造であることと同義であるところ,乙12発明

は「多重量子井戸型半導体レーザ」であるから,井戸層の膜厚がこの範囲

になることも自明である(乙12公報には,「これらの量子井戸型レーザ

の作成は薄い厚み(300Å以下)の井戸層を形成する必要がある。」と

の記載がある。)。




したがって,本件発明と乙12発明との間に相違点はなく,本件発明は

乙12発明と同一(新規性欠如)であるか,少なくとも乙12発明に上記

した技術常識を加味することで容易に想到し得たものとして,明らかに進

歩性を欠如する。

なお,仮に,乙12公報に開示された基板,井戸層,活性層の格子定数

の関係をほぼ一致していると考え,この点を相違点として考えるとして

も,要するに歪量子井戸構造であることを規定するにすぎない「a(In

P)<a(CW)」が技術常識であることは明らかであるし,また,「a

(CB)<a(InP)」はそれ自体技術的意味を有しない単なる設計的

事項といわざるを得ないから,やはり本件発明は進歩性を欠如する。

第4 当裁判所の判断

当裁判所は,争点B(進歩性欠如の有無)に関し,昭和63年11月11日

に出願された本件特許は,後記乙8刊行物に基づく発明(乙8発明),乙6刊

行物に基づく発明(乙6発明)及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明

ることができたと解されるから,特許権者たる控訴人は相手方たる被控訴人に

対し本件特許権を行使することができない,と判断する。その理由は,以下に

述べるとおりである。

1 本件発明の意義

(1) 本件明細書(特許公報,甲2)には次の記載がある。

ア 特許請求の範囲

【請求項1】InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含

むV−X族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,

量子井戸層はその格子定数がInPの格子定数よりも大きい膜厚2.5n

m〜30nmのGax1In1−x1Asy1P1−y1(0<x1,y1<1)で

あり,バリア層はその格子定数がInPの格子定数よりも小さいGax2I

n1−x2Asy2P1−y2(0<x2,y2<1)であることを特徴とする1.




3〜1.55μm用量子井戸半導体レーザ素子。

発明の詳細な説明

・〔産業上の利用分野〕

「本発明は光通信及び光情報処理の光源として使われる量子井戸構造

を用いた半導体レーザに関する。」(1頁左欄12〜13行)

・〔従来の技術〕

「・・・量子井戸半導体レーザ素子の特性は,量子井戸の格子定数をバ

リア層の格子定数より大きくし,量子井戸に歪を導入することにより向

上する。

その理由は,価電子帯の重い正孔は有効質量が薄膜層に水平な方向で

軽くなった状態で価電子帯の基底量子準位を形成することになるから

である。その結果,量子井戸層内では電子と重い正孔との間の光学遷移

が促進される。電子と重い正孔とはほぼ等しい有効質量をもち,重い正

孔の有効質量が小さくなるためにレーザ発振に必要な反転分布の形成

が容易となるからである。なお,量子井戸層の歪の大きさと層の厚さは,

歪により転位が誘起されないように,ある臨界薄膜値以内になければな

らない。」(1頁右欄12行〜2頁左欄9行)

・〔発明が解決しようとする課題〕

「しかしながら従来の歪量子井戸半導体レーザ素子では,光ファイバ通

信において,重要な波長である1.3μm乃至1.55μmの発振を得

ることができない。1.3μmまたはこれより長い波長の発振をGa1−

x InxAsの活性層より得るためには,エネルギーバンドギャップの大

きさから,X≧0.5のIn組成でなければならない。しかしながらこ

のような高いXのGa1−xInxAsでは格子定数が大きくなり,第4図

(a)に示した従来の歪量子井戸レーザの量子井戸層(4)に適用せんとす

る量子井戸層に臨界値以上の大きな歪が生じ,それに伴う転位の発生に




よりレーザ特性が劣化するという問題がある。」(2頁左欄26〜36

行)

・〔課題を解決するための手段〕

「本発明は以上のような点に鑑みてなされたもので,その目的とすると

ころは,光通信において重要な波長帯である1.3μm〜1.55μm

の長波長帯で発振する高性能な歪量子井戸半導体レーザ素子を提供す

ることにあり,その要旨は,InP基板上に,量子井戸層とバリア層か

らなる活性層を含むV―X族化合物半導体層を有する量子井戸半導体

レーザ素子において,量子井戸層はその格子定数がInPの格子定数よ

りも大きい膜厚2.5nm〜30nmのGax1In1−x1Asy1P1−y1

(0<x1,y1<1)であり,バリア層はその格子定数がInPの格

子定数よりも小さいGax2In1−x2Asy2P1−y2(0<x2,y2<

1)であることを特徴とする1.3〜1.55μm用量子井戸半導体レ

ーザ素子である。

即ち,量子井戸層として,格子定数がInP基板格子定数よりも大き

いGax1In1−x1Asy1P1−y1(0<x1,y1<1)を選択すると

ともにその膜圧を2.5nmから30nmに設定し,バリア層として,

格子定数がInP基板の格子定数よりも小さく,そのバンドギャップが

量子井戸層を構成するGa x1 In 1−x1 As y1 P 1−y1 よりも大きくG

ax2In1−x2Asy2P1−y2(0<x2,y2<1)を選択することに

より,光通信において重要な波長帯である1.3〜1.55μmにおい

て,量子井戸層の薄厚を低閾値電流,低チャーピングなどの効果が得ら

れ,かつ,実用上使用可能な程度の低注入電流にて反転分布が生じるよ

うに量子井戸層中に圧縮歪が印加されており,さらに,歪による転位の

発生が緩和された高性能レーザを,実現することが可能となるのであ

る。」(2頁左欄38行〜右欄13行)




・〔実施例〕
「・・・光閉じ込め層18はInPと同じ格子定数を有し,その組成は

n型InPバッファ層12から活性層17のバリア層21の組成に厚

さ方向に徐々に変わる,アンドープか,またはバッファ層12から活性

層17にかけて徐々に減少するようにn型ドープされる。光閉じ込め層

18の組成は第2図のInGaAsPのダイヤグラムにおいて,5.8

5Åの等格子定数線(実線)L上に常にあり,最終組成,即ち活性層1

7に接する部分の組成は,発振波長1.3μmより大きなエネルギーバ

ンドギャップを有し,第2図においては1.3μmのバンドギャップに

相当する等バンドギャップ線(点線)C線と実線L線との交点Pよりも

左側のL線上の組成となっている。なお,LはInPとGa0.53In0.

47 Asを結んでいる。

(略)

活性層17は各層の厚さ2.5〜30nmである(n−1)層のバリ

ア層21で交互に隔てられた各層の厚さ2.5〜30nmのn層の量子

井戸層20から構成されている。この場合には活性層17の両側面は量

子井戸層20になるが,(n+1)層のバリア層21を配して,活性層

17の両側面をバリア層21にしてもよい。

量子井戸層20の組成は,第2図における発振波長1.3μmに相当

する等バンドギャップ線C線上にあり,かつ,格子定数がバリア層21

よりも大きいPT間のTに近い組成,GaX1In1−X1AsY1P1−Y1と

する。

各量子井戸層20の厚みには上限値があり,その値は歪の誘起する転

位の発生によって決まり,組成Tに対しは20〜30nmである。

例えば量子井戸層の層数nを3とした場合,本実施例のレーザの発振

波長は1.3μmから若干ずれた値となる。その原因は歪によりバンド





ギャップが狭くなることによる長波長化と,電子の量子閉じ込めによる

短波長化の影響を受けるからである。

(略)

バリア層21の組成は,バンドギャップが量子井戸層のバンドギャッ

プよりも大きく,かつ,格子定数がInPの格子定数よりも小さくなる

組成を選択する。即ち,図2において斜線が入っていない領域で,等バ

ンドギャップ線Cよりも右側の組成から選択する。

活性層17の平均格子定数は,量子井戸層20とバリア層21の厚み

と組成を調整することによって,InPの格子定数に等しくすることが

できる。

活性層は,nが数百の量子井戸層およびバリア層数まで,歪の誘起す

る転位を生じることなく成長させることが可能である。このような構成

の量子井戸半導体レーザ素子は,垂直キャビティをもつ面発光レーザを

実現するのに適している。」(2頁右欄27行〜3頁右欄4行)

・〔発明の効果〕

「以上説明したように,本発明によれば,1.3〜1.55μmの帯発

振波長を有し,高性能である量子井戸半導体レーザが得られるという優

れた効果がある。」(3頁右欄6行〜8行)





【第2図】




(2) 以上の記載によれば,上記明細書に記載された本件発明は,「量子井戸層

に臨界値以上の大きな歪が生じ,それに伴う転位の発生によりレーザ特性が

劣化する」という従来からの問題を解決して,光通信において重要な波長帯

である1.3μm〜1.55μmの長波長帯で発振する高性能な歪量子井戸

半導体レーザ素子を提供することを目的とする発明であり,その目的を達成

するため,格子定数関係式A(「a(CB)<a(InP)<a(CW)」,

原判決33頁2行目参照)に記載された構成を採用することにより,上記目

的に加え,「活性層は,nが数百の量子井戸層およびバリア層数まで,歪の

誘起する転位を生じることなく成長させることが可能」との効果を奏すると

されている。

2 引用発明等の内容

(1) 乙8発明

乙8刊行物(イアン マーガットロイドほか論文「歪超格子1.3μm G





aInAsP/InP MQWレーザのしきい値電流の低減化についての

計算」第49回応用物理学会学術講演会講演予稿集 5P-ZC-12(1988年

[昭和63年]10月))には,以下の記載がある。

・「歪超格子1.3μm GaInAsP/InP MQWレーザのしきい

値電流の低減化についての計算

古河電工(株) 横浜研究所 イアン・マーガットロイド 牧野俊彦 粕

川秋彦[判決注,イアン・マーガットロイドと牧野俊彦は本件特許の発明

者と同一人]

歪MQW活性層を有する1.3μmGaInAsP半導体レーザの利得

スペクトルと閾値電流のモデルに対して詳細な数値計算を行った。バリア

層の格子定数よりバルクとしてみたときの格子定数が大きい混晶である

量子井戸内に生じる2軸性の圧縮は,価電子帯の有効質量を減少させるの

で,非輻射オージェ再結合定数を大幅に減少させるだけでなく,光学利得

を増加させ,閾値電流を減少させる。利得は,有限のポテンシャル障壁を

有する量子井戸と,有限のバンド内緩和時間,tin=1×10−13s,を伴

うk・p選択則に従う電子遷移とを仮定して計算した。無歪のMQWレー

ザ(分離閉じ込め構造無し)の閾値電流Jns と比較して,不整合△a/a が0.

011と0.04の歪MQWレーザの計算による閾値電流の最小値は,そ

れぞれ0.32*Jns と0.30*Jns であった。さらに,歪MQWレーザ

は,無歪のMQWレーザに比べて,より高速の最大変調周波数が期待され

る。」





(2) 乙6発明

乙 6 刊 行 物 ( Quillec et al. 「 Growth and characterization of

InxGa1-xAs/InyGa1-yAs strained-layer superlattice on InP substrate」,

J.Appl. Phys. 59(7), 1 April,1986,pp.2447-2450,訳文 「InP基板

上のInxGa1−xAs/InyGa1−yAsひずみ超格子の成長と評価」)

には,以下の記載がある。

・「InxGa1−xAs/InyGa1−yAsひずみ超格子は,適切な組成と

厚さが選択されれば,InP基板に格子整合して結晶成長できる。このよ

うな構造は,分子線エピタキシー法によって形成した。この材料でカバー

される波長範囲は,1.65μmから2μm超にいたる。構造的な(二結




晶X線回折)評価および光学的な(吸収)特性評価を実施し,定量的に解

釈して,本構造の優れた特性を明らかにした。」(訳文1頁5行〜9行)

・「I.はじめに

Esaki and Tsu による早期予測を経て,GaAs/GaAsxP1−x結晶

系において半導体超格子が初めて実現がされたことが1974年に

Matthews and Blakeslee により公表された。この半導体超格子はまた,最

初のひずみ超格子(SLS)でもあった。この半導体超格子は,化学気相

堆積法によりエピタキシャル成長したものであった。その後のSLS成長

により適した結晶成長技術の進展によって,1982年に本テーマが再び

誕生することとなった。これらの研究においては分子線エピタキシー法

(MBE)と有機金属化学気相堆積法が用いられ,結晶系はInGaAs

/GaAsとGaAsP/GaAsであった。最近の多数の刊行物に見ら

れるように,レーザ,電界効果トランジスタ,および光センサのようなデ

バイスに向けて,関心を集めている。

半導体超格子を形成する各層は薄いため,これらの格子ミスマッチは,

転位によってではなく弾性ひずみによって完全に吸収され得る。従って,

表面に平行な方向に於ける格子定数a||は,SLSを通して同一である。

しかしながら,もしSLSが単独で存在する時の平衡的な格子定数ae||と

基板の格子定数as とが異なる場合には,SLS全体と基板との間の格子ミ

スマッチがSLSの臨界厚さを超える時に,ミスマッチ転位(判決注:正

しくは「ミスフィット転位」と解される。)を発生させる可能性がある。

この問題は三つの方法で克服できる。(i)SLSの限界厚さ以下に留ま

るように超格子の周期数を十分に少なく保つことによる方法,(ii)中間の

バッファ層を通してミスマッチを吸収することによる方法,および(iii)

ae||=asとなるような結晶系を選択することによる方法,である。解決策

(i)は,弾性限界内に留めるために超格子の周期数は少数に限定される。




解決策(ii)は,バッファ層内での高濃度な転位の発生につながり,熱的な

劣化の原因となる恐れがある。解決策(iii)は,可能ならば好ましいもの

であり,Timmons et al.はこのような条件において,MOCVD法を用い

てGaAs上に良質なGaAsP/InGaAs SLSを成長させる

ことに既に成功している。

本論文において,我々は新しい例,つまりae||=asとなるようにInP

上に成長したIn x1Ga 1−x1 As/Inx2 Ga 1−x2 As SLSを提

案する。この結晶系は,1.65〜2.1μmの波長範囲にある光電子デ

バイスに適している。交互に繰り返されたひずみ系InGaAs層を用い

て広いエネルギー・ギャップの範囲をカバーすることは,既に Osbourn に

よ り 提 案 さ れ て い る 。 S L S の も う 一 つ の 適 用 例 は , Matthews and

Blakeslee によって以前に提案された貫通転位バリアのようなものであ

る。交互に繰り返されたひずみ層は,連続した層内の貫通転位を阻止する

ための手段として有効なはずである。」(訳文1頁10行〜2頁16行)

・「弾性限界においては,表面に平行方向の格子定数は,構造全体を通して

一定であって,基板の格子定数と等しく保たれる。各層の組成と厚さは,

SLS全体として考えた時のa||の平衡値が基板の平衡値とバッファ層の

平衡値に等しくなるように選んだ。a||は,次のようにSLSのひずみエ

ネルギーを最小化することにより計算できる。

a||=a(InP)=(L1a1+L2a2)/(L1+L2)」(訳文3頁

1行〜6行)

(3) 乙9発明

乙9刊行物(Dutta et al.
「Long wavelength InGaAsP
(λ〜1.3μm)modified

multiquantum well laser」,訳文「長波長InGaAsP(波長λ〜1.

3μm)改良多重量子井戸レーザ」,Appl. Phys. Lett.,46(11) 1 June,

1985, pp.1036-1038)には,以下の記載がある。




・【アブストラクト】

「多重量子井戸(MQW)活性層を有するInGaAsP(波長λ〜1.

3μm)二重チャネルプレーナ埋め込みヘテロ構造レーザの試作と動作特

性について報告する。このMQW構造は組成波長λg〜1.3μmのIn

GaAsP活性井戸層と組成波長λg〜1.03μmのInGaAsPバ

リア層を有する。」(訳文1頁8行〜11行)

・「我々は,先に,InPバリア層を有するInGaAsP MQWレーザ

(図1(a))の試作を報告した。ここで述べるMQWレーザの活性領域は

InGaAsP(λg〜1.03μm)のバリア層を有するものである(図

1(b))。MQW活性領域において均一なキャリア注入を実現するには,

バリア層のバンドギャップの最適化が必要なことが以前から指摘されて

いた。文献10の簡易解析によれば,バリアと井戸の幅が同じ場合に,バ

リア−活性井戸間のエネルギーギャップ不連続値△Egが<〜0.29e

Vであることが,均一注入には必要と思われる。InGaAsP(λg〜

1.3μm)活性層井戸とInPバリアとでは△Eg〜0.35eVであ

る(図1(a))のに対し,InGaAsP(λg〜1.3μm)活性層井戸

とInGaAsP(λg〜1.03μm)バリアとでは△Eg〜0.24e

Vである(図1(b))。このため,図1(b)の構造ではキャリア注入がより

均一となることが期待される。」(訳文2頁4行〜13行)

・「DCPBH MQWレーザは2回のエピタキシャル成長により作製する。

MQW構造は,ほぼ平衡の液相(LPE)成長によってn−InP基板上

に成長する。その成長温度は〜630℃である。活性層(λg〜1.3μ

mInGaAsP),バリア層(λg〜1.03μmInGaAsP)の

双方ともにアンドープである。活性層とバリア層の厚さは〜300Åであ

る。第1回のLPE成長で,N−InPバッファ層,MQW活性領域(図

1(b)),およびP−InPクラッド層を成長させる。活性領域はSiO2




をマスクに用いたエッチングで形成した2つの溝により幅を定める。次

に,4層(P−InP,N−InP,P−InP,P−InGaAsP)

を第2回の液相成長により連続成長させる。最後の四元混晶は電極接触層

となる。その後,ウェーハは標準的な金属形成,フォトリソグラフィによ

って処理し,長さ250−μmのレーザチップを作る。そのDCPBHレ

ーザの製法は文献8に詳しく述べてある。DCPBHレーザの模式断面図

を図1(c)に示す。」(訳文2頁17行〜下3行)

(4) その他の文献

ア 乙10刊行物(米津宏雄「光通信素子工学−発光・受光素子−」工学図

書株式会社刊,昭和61年12月15日第3版発行)

上記刊行物には,その79頁に,In1−xGaxAsyP1−yのバンド・

ギャップと格子定数の関係における,等格子定数線(点線)と等バンド・

ギャップ線(実線)を示す図として,次の図2.24(a)が記載されてい

るほか,以下の記載がある。

「図2.24(a)から明らかなように,一定のEg(等バンド・ギャップ線)

を与える一連の組成比x,yと一定の格子定数a(等格子定数線)を与え

る一連の組成比(x,y)とがある。したがって,バンド・ギャップと格

子定数を所望の値に一致させるために,エピタキシャル成長過程で厳密な

組成制御が必要となる(比格子定数差)│a(InGaAsP)−a(I

nP)│/a(InP)<10−3が必要)。」(78頁18行〜22行)





【図2.24】




(79頁)

イ 乙11刊行物(小長井誠著「半導体超格子入門」,培風館,昭和62年

11月10日初版発行)

上記刊行物には,以下の記載がある。

・「・・・超格子とは,各層厚が薄くサブバンドが形成されるものを指し

ていたが(狭い意味での超格子),その後,量子井戸や2次元電子ガス

を形成するヘテロ構造など,超薄膜積層構造を総称して,超格子と表現

するのが一般的になった・・・」(序文2枚目5行〜8行)

・「これに対し4元混晶では,格子定数とバンドギャップを独立に変化さ

せることが可能である。」(22頁下7行〜下6行)

・「また,表2.4は主な4元混晶と,それらに格子整合のとれる基板材

料,およびそれらを光デバイス用材料とした場合の特徴を示したもので




ある。この表からわかるように,開発の進んでいる混晶系はごく少数で

ある。」(22頁下4行〜下1行)

・「『4元混晶の種類 In1−xGaxAs1−yPy』,『格子整合のとれ

る基板材料 InP,GaAs』,『特徴 1〜1.5μm帯レーザ,

実用化間近い』」(23頁,表2.4「15種類の4元混晶と,それら

に格子整合のとれる基板材料,およびそれを光デバイス用材料としてみ

た場合の特徴」)

・「InGaAsP系の混晶は,今まで主に液相成長(LPE)法や気相

成長法で形成されてきた。MBE法においては,V族元素を2つ含むた

め組成制御が難しい。そのためGaAlAs/GaAs系に比べると,

精密な制御を必要とする多重量子井戸レーザ(MQWレーザ)等の開発

は進んでいない。しかし,最近ガスソースを用いるなどして,MBE法

によるInGaAsPの形成が試みられ,DHレーザが試作されてい

る。」(29頁下4行〜30頁2行)

ウ 乙12刊行物(特開昭61−242088公報,発明の名称「半導体レ

ーザ装置」,公開日 昭和61年10月28日)

上記刊行物には,以下の記載がある。

・「実施

第1図は本発明の量子井戸型半導体レーザの一実施例を示すバンド

図である。説明を容易にするため半導体材料にInGaAsP/InP

系を使うものとして説明する。1はP型InPクラッド層,2はアンド

ープ禁止帯幅εgが0.95eVのIn0.73Ga0.27As0.59P0.4

1 井戸層,3はアンドープIn0.88Ga0.12As0.23P0.77(εg=

1.15eV)バリア層,4はn型InPクラッド層である。本実施

と第3図の従来例の多重量子井戸型半導体レーザと異なる点は,アンド

ープIn0. Ga0.12As0. P0. 緩衝層5を設けている点にある。
88 23 77





ここで緩衝層5の組成をバリア層3と同じにしているが,これは液相成

長法で成長する場合,溶液を共用できるためで,また気相成長法で行な

う場合も,成長条件を共用できるためであり,特別バリア層3と組成を

必ずしもそろえる必要はない。」(2頁左上欄下1行〜右上欄下5行)

・第1図(本発明の一実施例における多重量子井戸型半導体レーザを示す

バンド図)




3 検討

(1) 乙8発明と本件発明

ア 乙8刊行物上の「歪MQW活性層を有する1.3μmGaInAsP半

導体レーザ」との記載のうち,「MQW」が多重量子井戸(Multi Quantum

Well)を意味することは明らかであるから,「半導体レーザ」とは,多重

量子井戸半導体レーザを意味することになる。

また,「1.3μm」との記載がレーザの発振波長を意味することは明

らかであるから,「半導体レーザ」は1.3μm用である。

そして,「MQW活性層」が量子井戸層とバリア層とからなることは明

らかであり,半導体レーザの発振波長は1.3μmであるから,「GaI

nAsP」が量子井戸層の材料であることは明らかである。

さらに,量子井戸層の材料である「GaInAsP」は,V−V族化合

物半導体層であるから,「半導体レーザ」が量子井戸層とバリア層からな




る活性層を含むV−V族化合物半導体層を有することは明らかである。

このほか,乙8刊行物上の「歪超格子1.3μm GaInAsP/I

nP MQWレーザ」との記載の「InP」とは,バリア層又は基板を意

味するものと解されるところ,乙11刊行物は,In1−xGaxAs1−yP

y と格子整合のとれる基板として「InP,GaAs」を挙げている。そ

して,GaAs基板では,乙8刊行物における無歪のMQWレーザの発振

波長を1.3μmとすることは不可能である(乙10刊行物の図2.24

(a)参照)から,「半導体レーザ」は,InP基板を用いているものと解

するのが合理的である。

イ なお,この点をさらに詳説すると,GaAs基板上に無歪MQWを形成

するということは,量子井戸層(GaInAsP)の格子定数をGaAs

基板の格子定数と整合させることを意味し,無歪MQWの量子井戸層(G

aInAsP)を,乙10刊行物の図2.24(a)のGaAs格子整合線

上の組成とすれば,GaAs基板と格子整合することとなる。

また,同図において,EgはGaInAsPのバンドギャップ,λgはバ

ンドギャップに対応する波長を表している。

ここで,無歪MQWレーザの発振波長を1.3μmとしようとしても,

波長1.3μmに対応する(Eg=約0.95eVの)等バンドギャップ

線がGaAs格子整合線とは交差しないことは自明である(例えば,乙1

0刊行物の図2.24(a)において,Eg=0.8eV〜1.0eVの中間

より上辺りに,他の等バンドギャップ線とほぼ対応する形で等バンドギャ

ップ線を記入しても,これは,GaAs格子整合線とは全く交差しない。

下図参照。)から,無歪MQWレーザを波長1.3μmで発振させること

が不可能であることは明らかといえる。





ウ そして,乙8刊行物上の「量子井戸内に生じる2軸性の圧縮」及び「不

整合△a/a が0.011」との記載から,乙8発明における量子井戸層が

1.1%の圧縮歪を有することが明らかである。

このほか,乙8刊行物の図外に記載されている「井戸幅=100Å」と

は,量子井戸層の膜厚であることが明らかである。

エ 以上からすれば,乙8刊行物には,「InP基板上に,量子井戸層とバ

リア層からなる活性層を含むV−V族化合物半導体層を有する多重量子

井戸半導体レーザにおいて,量子井戸層は圧縮歪(1.1%)を有する膜

厚10nm(100Å)のGaInAsPである1.3μm用多重量子井

戸半導体レーザ。」が記載されているといえる。

そして,本件発明と乙8発明を対比すると,乙8発明の「多重量子井戸




半導体レーザ」,「GaInAsP」は,それぞれ本件発明の「量子井戸

半導体レーザ素子」,「Gax1In1−x1Asy1P1−y1(0<x1,y1

<1)」に相当する。

また,乙8発明の量子井戸層は圧縮歪を有するから,量子井戸層の格子

定数は,InP基板の格子定数よりも大きいことは自明であり,乙8発明

の「量子井戸層は圧縮歪(1.1%)を有する」ことは,本件発明の「量

子井戸層はその格子定数がInPの格子定数よりも大きい」ことに相当す

る。

そうすると,本件発明と乙8発明は,「InP基板上に,量子井戸層と

バリア層からなる活性層を含むV−V族化合物半導体層を有する量子井

戸半導体レーザ素子において,量子井戸層はその格子定数がInPの格子

定数よりも大きい膜厚10nmのGax1In1−x1Asy1P1−y1(0<x

1,y1<1)であることを特徴とする1.3μm用量子井戸半導体レー

ザ素子」である点で一致するが,「本件発明は,バリア層はその格子定数

がInPの格子定数よりも小さいGax2In1−x2Asy2P1−y2(0<x

2,y2<1)であるのに対して,乙8発明は,バリア層の組成が不明で

あり,また,バリア層の格子定数とInPの格子定数との大小関係も不明

である点」で相違するといえる。

(2) 前記のとおり,乙6刊行物には,SLS(歪超格子)全体と基板との間の

格子ミスマッチが歪超格子の臨界厚さを超える場合にミスフィット転位が

発生する可能性があることに加え,この問題を,歪超格子の平均格子定数と

基板の格子定数とを等しくすることによって解決することが記載されてい

る(具体的には,好ましい解決策(iii)として,「平衡的な格子定数ae||=基

板の格子定数as」とすることが記載されている。)ほか,「レーザ,電界

効果トランジスタ,および光センサのようなデバイスに向けて,関心を集め

ている。」として,レーザへの適用が示唆されている(ちなみに,本件特許




の審査段階における平成8年12月17日付け拒絶理由通知書(乙2の6)

や,平成11年12月2日付け特許異議申立書(甲25の1)において,乙

6刊行物は引用文献の1つとして挙げられており,平成10年6月25日付

け前置報告書(乙2の11)では,乙6刊行物のほか乙8刊行物も引用文献

として挙げられている。)。

このほか,前記のとおり,乙11刊行物に「量子井戸や2次元電子ガスを

形成するヘテロ構造など,超薄膜積層構造を総称して,超格子と表現するの

が一般的になった」と記載されており,量子井戸と超格子とは実質的に違い

はないといえる。

(3) 以上からすれば,乙8発明の量子井戸半導体レーザ素子においても,歪量

子井戸層の数が増えるにつれて,ミスフィット転位が発生し得ることは明ら

かであり,この問題を解決するために,活性層の平均格子定数とInP基板

の格子定数とを等しくしようとすることは,当業者がごく自然に想到し得る

方法といえる。

また,前記のとおり,乙11刊行物には,「4元混晶では,格子定数とバ

ンドギャップを独立に変化させることが可能」である旨,「InGaAsP」

からなる4元混晶は,「1〜1.5μm帯レーザ」として「実用化間近い」

旨,「InGaAsP系の混晶は,・・・精密な制御を必要とする多重量子

井戸レーザ(MQWレーザ)等の開発は進んでいない。しかし,最近ガスソ

ースを用いるなどして,MBE法によるInGaAsPの形成が試みられ,

DHレーザが試作されている。」旨の各記載があり,これらの記載から,G

aInAsPからなる4元混晶では,格子定数とバンドギャップを独立に変

化させることが可能であって,GaInAsPを多重量子井戸レーザの活性

層として用いる際の具体的な製造方法が示唆されているといえる。

なお,前記のとおり,乙10刊行物にも,InGaAsPにおいて,バン

ドギャップと格子定数を独立に変化させることが可能であることを示す図




2.24(a)が記載されており,この点は周知技術であったといえる。

このほか,前記のとおり,乙9刊行物及び乙12刊行物には,いずれも歪

量子井戸に関する発明ではないものの,それぞれ多重量子井戸半導体レーザ

の量子井戸層とバリア層にGaInAsPを用いること,及びGaInAs

Pを液相成長法や気相成長法で形成することが記載されており,これらはい

ずれも周知技術であったといえる。

(4) 小括

以上によれば,乙8発明を前提として,乙6発明及び上記周知技術に基づ

いて,格子定数とバンドギャップを独立に変化させることが可能なGaIn

AsPを量子井戸層のみならずバリア層にも用いるとともに,歪量子井戸に

おける転位の問題を解決するために,活性層の平均格子定数をInPの格子

定数と等しくすることは,当業者であれば容易に想到し得たことといえる。

そして,乙8発明の量子井戸層は,圧縮歪を有しているから,「InP基

板の格子定数<量子井戸層の格子定数」という関係となっていることは明ら

かであるところ,活性層の平均格子定数をInP基板の格子定数と等しくす

るためには,「バリア層の格子定数<InP基板の格子定数」という関係に

する必要があることもまた自明である。

そうすると,本件発明と乙8発明の相違点である「本件発明は,バリア層

はその格子定数がInPの格子定数よりも小さいGax2In1−x2Asy2P

1−y2 (0<x2,y2 <1)であるのに対して,乙8発明は,バリア層の

組成が不明であり,また,バリア層の格子定数とInPの格子定数との大小

関係も不明である点」については,乙6発明及び周知技術に基づいて容易想

到であったものと認められる。

(5) 控訴人の主張に対する判断

ア 控訴人は,本件特許出願時,MOCVD法が未成熟であったため,In

P/GaInAsP系の量子井戸の成長は,無歪の量子井戸でさえ容易で




はなく,乙8刊行物に記載された多重量子井戸半導体レーザにおいて,量

子井戸層をGaInAsPとしたときにバリア層をGaInAsPとす

ることに想到するのは容易ではなかった旨主張する。

しかし,前記のとおり,バリア層にGaInAsPを用いることは周知

技術であったといえるから,控訴人の上記主張は理由がない。

イ 控訴人は,半導体レーザの活性層として用いる歪量子井戸において,バ

リア層に量子井戸層と逆方向の歪を導入すれば,単に歪量子井戸層内の歪

が緩和され,転位の発生を防ぐことができるという効果が生じるにとどま

らず,他の影響も生じるため,全体として本件発明の目的が達成されるか

否かは,現実に半導体レーザを作成してその評価を行うという試行錯誤

経なければ明らかにすることはできなかった旨主張する。

しかし,前記のとおり,乙6刊行物の記載からすれば,乙8発明の量子

井戸半導体レーザ素子においても発生し得る歪量子井戸における転位の

問題につき,活性層の平均格子定数とInP基板の格子定数とを等しくす

ることによって解決することは,当業者にとって明らかな事項であり,仮

に若干の試行錯誤が必要であるとしても,容易想到性の判断に影響を与え

るものではない。

ウ 控訴人は,乙6刊行物は,InGaAs材料の歪超格子に関する論文で

あり,結晶学的見地からInGaAsに交互の歪を入れて積層できた旨を

報告するものであって,レーザ素子の技術分野に関する論文ではなく,量

子井戸層に圧縮歪を入れた場合に生じ得る転位等の問題を解決する手段

として,バリア層に反対方向の歪を入れることは記載されていない旨主張

する。

しかし,前記のとおり,乙11刊行物に「量子井戸や2次元電子ガスを

形成するヘテロ構造など,超薄膜積層構造を総称して,超格子と表現する

のが一般的になった」と記載されているように,量子井戸と超格子とは実




質的に違いはないといえることに加え,乙6刊行物では,レーザへの適用

が示唆されているものであるから,控訴人の上記主張は理由がない。

エ 控訴人は,本件特許出願当時,レーザ素子の技術分野において,基板の

格子定数と活性層等各層の格子定数とを一致させることを必須の条件と

するのが技術水準であったため,あえて基板の格子定数と活性層の格子定

数が一致しない構成を選択するのは困難であった旨主張する。

しかし,乙6刊行物に記載されているとおり,超格子の平均格子定数と

InP基板の格子定数を等しくすることで転位の問題を解決することは

周知であったといえるところ,前記のとおり,乙8発明の量子井戸層は圧

縮歪を有しているから,「InP基板の格子定数<量子井戸層の格子定

数」という関係となっていることは明らかであって,活性層の平均格子定

数をInP基板の格子定数と等しくするためには,「バリア層の格子定数

<InP基板の格子定数」という関係にする必要があることも明らかであ

る。

オ さらに,控訴人は,本件発明は,活性層の平均格子定数をInPの格子

定数に等しくすることを前提とするものではないとも主張するが,本件発

明が,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくするものを除外

していないことは明らかであって,控訴人の上記主張は理由がない。

4 結論

以上によれば,昭和63年11月11日に出願された本件特許は乙8発明等

に基づいて当業者が容易に発明することができたから特許無効審判により無効

とされるべきものと認められることになるので,特許権者たる控訴人は相手方

たる被控訴人に対し,特許法104条の3の適用により本件特許権を行使する

ことはできず,特許権侵害を理由とする損害賠償請求たる本訴請求は,その余

の争点について判断するまでもなく,理由がない。

そうすると,平成9年8月11日付けでなされた本件第2回補正は平成5年




法律第26号による改正前の特許法40条にいう「要旨の変更」に該当するか

ら本件特許の出願日は補正時たる平成9年8月11日まで繰り下がり,平成2

年5月18日になされた本件公開公報により新規性を失ったから,特許法29

条1項3号の適用により本件特許は特許無効審判により無効とされるべきもの

で本件請求は理由がないとした原判決は,無効とされるべきものとする点で,

結論において相当であるから,控訴人のなした本件控訴は,その余について判

断するまでもなく,理由がない。

よって,本件控訴を棄却することとして,主文のとおり判決する。

知的財産高等裁判所 第1部



裁判長裁判官 中 野 哲 弘




裁判官 東 海 林 保




裁判官 矢 口 俊 哉