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事件 平成 22年 (行ケ) 10348号 審決取消請求事件
裁判所のデータが存在しません。
裁判所 知的財産高等裁判所 
判決言渡日 2011/09/15
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
判例全文
判例全文
平成23年9月15日判決言渡 同日原本受領 裁判所書記官

平成22年(行ケ)第10348号 審決取消請求事件

口頭弁論終結日 平成23年8月25日

判 決

原 告 オリエンタル技研工業株式会社

同訴訟代理人弁理士 須 賀 総 夫

被 告 東 ソ ー 株 式 会 社

同訴訟代理人弁護士 鎌 田 隆

柴 由 美 子

同訴訟復代理人弁理士 和 田 利 美

主 文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1 請求

特許庁が無効2009−800015号事件について平成22年10月6日にし

た審決を取り消す。

第2 事案の概要

本件は,原告が,下記1のとおりの手続において,被告の下記2の本件発明に係

る特許に対する原告の特許無効審判の請求について,特許庁が同請求は成り立たな

いとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は下記3のとおり)には,

下記4のとおりの取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。

1 特許庁における手続の経緯

(1) 被告は,平成7年12月1日,発明の名称を「飛灰中の重金属の固定化方

法及び重金属固定化処理剤」とする特許出願(特願平7−313845,国内優先

権主張日:平成6年12月2日(特願平6−299684))をし,平成15年1

1
月24日,設定の登録(特許第3391173号)を受けた。以下,この特許を

「本件特許」といい,本件特許に係る明細書(甲17)を「本件明細書」という。

(2) 原告は,平成21年1月29日,請求項1ないし10に係る本件特許(以

下,請求項1ないし10に記載の各発明を請求項の番号に応じて「本件発明1」な

いし「本件発明10」といい,これらを併せて「本件発明」という。)について,

特許無効審判を請求し,無効2009−800015号事件として係属した。

(3) 特許庁は,平成22年10月6日,「本件審判の請求は,成り立たない。」

旨の本件審決をし,その謄本は,同月15日,原告に送達された。

2 本件発明の要旨

本件審決が判断の対象とした本件発明の要旨は,次のとおりである。

【請求項1】飛灰に水と,ピペラジン−N−カルボジチオ酸もしくはピペラジン−

N,N′−ビスカルボジチオ酸のいずれか一方もしくはこれらの混合物又はこれら

の塩を添加し,混練することを特徴とする飛灰中の重金属の固定化方法

【請求項2】ピペラジン−N−カルボジチオ酸塩もしくはピペラジン−N,N′−

ビスカルボジチオ酸塩が,アルカリ金属,アルカリ土類金属塩又はアンモニウム塩

であることを特徴とする請求項1に記載の方法

【請求項3】ピペラジン−N,N′−ビスカルボジチオ酸塩がピペラジン−N,

N′−ビスカルボジチオ酸ナトリウムであることを特徴とする請求項2に記載の方



【請求項4】ピペラジン−N,N′−ビスカルボジチオ酸塩がピペラジン−N,

N′−ビスカルボジチオ酸カリウムであることを特徴とする請求項2に記載の方法

【請求項5】重金属が,鉛,水銀,クロム,カドミウム,亜鉛及び銅からなる群よ

り選ばれる1種以上であることを特徴とする請求項1乃至請求項4のいずれかに記

載の方法

【請求項6】ピペラジン−N−カルボジチオ酸もしくはピペラジン−N,N′−ビ

スカルボジチオ酸のいずれか一方もしくはこれらの混合物又はこれらの塩からなる

2
飛灰中の重金属固定化処理剤

【請求項7】ピペラジン−N−カルボジチオ酸塩もしくはピペラジン−N,N′−

ビスカルボジチオ酸塩が,アルカリ金属,アルカリ土類金属塩又はアンモニウム塩

であることを特徴とする請求項6に記載の飛灰中の重金属固定化処理剤

【請求項8】ピペラジン−N,N′−ビスカルボジチオ酸塩がピペラジン−N,

N′−ビスカルボジチオ酸ナトリウムであることを特徴とする請求項7に記載の飛

灰中の重金属固定化処理剤

【請求項9】ピペラジン−N,N′−ビスカルボジチオ酸塩がピペラジン−N,

N′−ビスカルボジチオ酸カリウムであることを特徴とする請求項7に記載の飛灰

中の重金属固定化処理剤

【請求項10】重金属が,鉛,水銀,クロム,カドミウム,亜鉛及び銅からなる群

より選ばれる1種以上であることを特徴とする請求項6乃至請求項9のいずれかに

記載の飛灰中の重金属固定化処理剤

3 本件審決の理由の要旨

(1) 本件審決の理由は,要するに,@本件明細書の発明の詳細な説明が当業者

実施可能な程度に明確かつ十分に記載されており,A本件発明が,下記アの引用

例1に記載された発明(以下「引用発明1」という。)に下記イないしエの引用例

2ないし4に記載された事項を適用し,又はB下記エの引用例4に記載された発明

(以下「引用発明4」という。)に下記アないしウの引用例1ないし3に記載され

た事項を適用しても,当業者が容易に発明をすることができたものではないから,

本件特許を無効にすることができないというものである。

ア 引用例1:米国特許第5092931号明細書(甲1。平成4年(1992

年)3月3日公開)

イ 引用例2:J. inorg. nucl. Chem. 1974,36,3709頁〜3712

頁(甲2,13。昭和49年刊行)

ウ 引用例3:INDIAN J. CHEM., VOL. 19A, MARCH 1980,265頁〜2

3
67頁(甲3,14。昭和55年3月刊行)

エ 引用例4:特開平6−79254号公報(甲4。平成6年3月22日公開)

(2) なお,本件審決が認定した引用発明1並びに本件発明1と引用発明1との

一致点,相違点1及び2は,次のとおりである。

ア 引用発明1:ジチオカルバミン酸基を有する高分子化合物からなるキレート

剤を,水とともに飛灰に添加して混練するか,又はジチオカルバミン酸塩を有する

低分子化合物からなるキレート剤,ポリビニルアルコール等の高分子化合物及び水

を飛灰に添加して混練するかのいずれかにより,焼却炉から排出される排ガスから

捕集した飛灰に含まれる有害な重金属を不溶化するための方法

イ 一致点:飛灰に水と,ジチオカルバミン酸基を有するキレート剤を添加し,

混練することを特徴とする飛灰中の重金属の固定化方法

ウ 相違点1:本件発明1は,ジチオカルバミン酸基を有するキレート剤が,

「ピペラジン−N−カルボジチオ酸もしくはピペラジン−N,N′−ビスカルボジ

チオ酸のいずれか一方もしくはこれらの混合物又はこれらの塩」であるのに対し,

引用発明1は,ジチオカルバミン酸基を有するキレート剤が「ジチオカルバミン酸

基を有する高分子化合物からなるキレート剤」又は「ジチオカルバミン酸基を有す

る低分子化合物からなるキレート剤」である点

エ 相違点2:本件発明1の飛灰中の重金属の固定化方法は,飛灰に水と,ピペ

ラジン−N−カルボジチオ酸若しくはピペラジン−N,N′−ビスカルボジチオ酸

のいずれか一方若しくはこれらの混合物又はこれらの塩を添加するのに対し,引用

発明1の飛灰に含まれる有害な重金属を不溶化するための方法は,ジチオカルバミ

ン酸基を有する高分子化合物からなるキレート剤を,水とともに飛灰に添加するか,

又はジチオカルバミン酸基を有する低分子化合物からなるキレート剤,ポリビニル

アルコール等の高分子化合物及び水を飛灰に添加する点

(3) また,本件審決が認定した引用発明4並びに本件発明1と引用発明4との

一致点及び相違点3は,次のとおりである。

4
ア 引用発明4:焼却炉で発生した重金属を含む飛灰に,水とキレート化剤であ

るトリス(ジチオカルボキシ)ジエチレントリアミン,又は,N 1 ,N 2 −ビス

(ジチオカルボキシ)ジエチレントリアミン,若しくはそれらの塩の少なくとも一

種を加え,混練することにより,飛灰中の重金属を水に対し不溶性にする方法

イ 一致点:飛灰に水と,ジチオカルバミン酸基を有するキレート化剤を添加し,

混練することを特徴とする飛灰中の重金属の固定化方法

ウ 相違点3:本件発明1は,ジチオカルバミン酸基を有するキレート化剤が

「ピペラジン−N−カルボジチオ酸もしくはピペラジン−N,N′−ビスカルボジ

チオ酸のいずれか一方もしくはこれらの混合物又はこれらの塩」であるのに対し,

引用発明4は,ジチオカルバミン酸基を有するキレート化剤が「トリス(ジチオカ

ルボキシ)ジエチレントリアミン,又は,N 1 ,N 2 −ビス(ジチオカルボキシ)

ジエチレントリアミン,若しくはそれらの塩の少なくとも一種」である点

4 取消事由

(1) 実施可能要件についての判断の誤り(取消事由1)

(2) 引用発明1に基づく本件発明1の容易想到性に係る判断の誤り(取消事由

2)

ア 相違点1についての判断の誤り

イ 相違点2についての判断の誤り

ウ 本件発明1の作用効果についての判断の誤り

(3) 引用発明4に基づく本件発明1の容易想到性に係る判断の誤り(取消事由

3)

相違点3についての判断の誤り

第3 当事者の主張

1 取消事由1(実施可能要件についての判断の誤り)について

〔原告の主張〕

(1) 本件審決は,@本件発明が,発明の詳細な説明に当該用途の有用性を裏付

5
ける程度に,当該発明の目的,構成及び効果が記載されているといえる,A被告提

出の事実実験公正証書(甲12)が公益法人において実施した実験(以下「甲12

実験」という。)の内容を公正証書としたものであるから公正であり,原告が提出

した本件明細書の追試の結果(甲5)の方が高い客観性を有するとまではいえない,

B甲12実験の条件として,本件明細書の「重量部」の記載が合成に使用する試薬

等について,その重量当たりの配合比を規定するものであり,合成実験に用いる反

応容器の大きさに応じて,そのままの数値をグラム単位で理解しても,その数値を

それぞれ整数倍するなどしても構わないことが自明である,Cジチオカルバミン酸

又はその塩の合成に関してチオ炭酸カリウムを含まない黄色透明な水溶液を得るた

めには,緩やかな攪拌速度を選択して界面で徐々に反応を進めるべきであるから,

甲12実験の攪拌速度が化学の常識に反する反応条件を用いているとまではいえな

い,D甲12の「漏斗のコックを手で適宜調整し,3時間59分かけて全量の二硫

化炭素を滴下した」との記載から,二硫化炭素の滴下に当たり,一定の間隔で一定

量を滴下するのではなく,反応の進み具合に応じて時間当たりの滴下量(滴下速

度)を実験者がコック操作で調節することを読み取ることができるから,実験者が,

フラスコ内の反応中の溶液の状態を確認しながら注意深く二硫化炭素の滴下を行う

必要があるところ,原告が提出した甲12実験の追試の結果(甲6)で赤橙色透明

の液体が得られたのは当該追試で二硫化炭素の滴下操作が適切に行われなかったも

のと推測される,Eピペラジン−N−カルボジチオ酸(以下「本件化合物1」とい

う。)若しくはピペラジン−N,N′−ビスカルボジチオ酸(以下「本件化合物

2」という。)又はその塩が化学構造が特定された化合物であり,その合成方法も

当業者に知られたものであるとともに,合成方法の違いにより得られた化合物の物

性が変わるものではないから,本件明細書の発明の詳細な説明は,当業者が実施

能な程度に明確かつ十分に記載されている旨を説示する(以下,これらを「1@の

判断」ないし「1Eの判断」という。。


(2) しかしながら,1@の判断についてみると,原告は,本件明細書の実施

6
の記載に従って発明を実施しても本件明細書に記載された硫化水素が発生しないと

の効果が得られない旨を主張しているのである。

1Aの判断についてみると,公正証書の形式的な通用力と,実質的な公正さとは,

別の問題である。むしろ,甲12は,被告と縁の深い団体で,被告の従業員が実施

し,技術を知らない公証人が実験者の報告をそのまま信じて公正証書にしたもので

あるにすぎない一方,甲5は,純粋に第三者的な公立の研究機関に委託した実験の

結果であるから,完全に公正なものであり,甲12に比べれば,公正さにおいて勝

っている。

1Bの判断についてみると,甲12実験は,本件明細書の「重量部」を単純に

「g」に置き換えておらず,これを半分にして実施しているが,このような実験ス

ケールの変更は,しばしば結果の変更を招くものであって,本件明細書の記載のと

おりに実施したことにはならなくなる。

1Cの判断についてみると,ジチオカルバミン酸又はその塩の合成に関して,緩

やかな攪拌速度を選択して界面で徐々に反応を進めるべきであるという知見は,本

件明細書に記載がなく,当業者に知られていたわけではないから,本件審決の判断

は,後追いの論理である。そして,本件明細書に記載されていた「指針」なるもの

は,「黄色透明溶液を得た」というだけであり,どのようにしてそれを得るのかが

示されていなければ,当業者が発明を実施し得る程度に記載されていたとはいえな

い。

1Dの判断についてみると,まず,甲12の記載は,3時間59分で全量の二硫

化炭素を滴下したということだけであり,この記載から,「反応の進み具合に応じ

て時間当たりの滴下量を調節する」という認識を引き出すことはできない。次に,

1Dの判断に従うと,合成反応の進行を監視して名人芸的なコントロールを加えな

ければ所望の「黄色透明の溶液」が得られないが,そのようなことは本件明細書に

記載されておらず,本件明細書に接した当業者は,そのような厳しい条件を守らな

いと合成例2が実施できないとは到底考えつかないし,工業的規模の反応装置にお

7
いては,実際上,不可能な操作である。

1Eの判断についてみると,上記のとおり,被告が主張する「黄色透明の溶液」

という指標を実現するには,通常よりも遅い攪拌を行わなければならないばかりで

なく,二硫化炭素の滴下に当たり,反応の進み具合に応じて時間当たりの滴下量

(滴下速度)を調節する必要があることになるが,これらのことが本件明細書に開

示されていないし,具体的にどのような滴下速度の調節を行えばよいのかについて

も,記載も示唆もない。

むしろ,甲5が示すように,本件明細書の「合成例2」に記載のように実験を実

施しても,得られる水溶液は,赤橙色透明であって,被告が「指標」とする黄色透

明のものにはならず,本件明細書の記載に反して,当該水溶液からは硫化水素ガス

の発生が避けられないのである。

(3) 実験条件によって所望の結果が得られたり得られなかったりするのであれ

ば,どのような条件を選択すべきかの指針を教示しなければ明細書の記載としては

「明確かつ十分」とはいえない。また,被告は,ピペラジンジチオカルバミン酸塩

の合成方法が周知である旨を主張するが,本件特許出願前の合成方法に関する文献

(甲18,19)は,いずれも,本件審決が正当とした異常に緩やかな攪拌速度

(本件明細書には記載がない。)について何ら触れていないし,本件明細書の合成

例2の配合比率では,二硫化炭素が過剰であり,不合理不適切なものであって,チ

オ炭酸塩の生成という副反応が起こるが,チオ炭酸塩の副生については,本件特許

出願当時において公知ではなかった。甲12実験は,未反応の二硫化炭素を除去す

るために長時間の留去作業を要するが,これは,発明の工業的実施の例としてはま

ことに不適切である。

(4) したがって,ピペラジンカルボジチオ酸塩の合成方法の原理は,既知であ

るが,副生成物(硫化水素の発生原因であるチオ炭酸塩)の生成を抑制しないと発

明が実施できないのであるから,本件明細書は,どのようにしてそれを実現するか

を教示すべきことは,当然である。また,合成例2は,過剰な二硫化炭素を用いた

8
不適切な開示であり,一般的な合成方法とは異なる異常に低い攪拌速度を採用しな

ければ副生成物の生成が抑制できないという特殊な事情があった。しかるに,本件

明細書は,これらについて開示しておらず,本件明細書に接した当業者が甲12に

記載のような結果を得ることは至難の業であり,本件明細書の記載に従っても本件

発明は実施できないから,本件明細書は,記載不備の違法がある。

〔被告の主張〕

(1) 本件発明の本件化合物1(ピペラジン−N−カルボジチオ酸)若しくは本

件化合物2(ピペラジン−N,N′−ビスカルボジチオ酸)のいずれか一方若しく

はこれらの混合物又はこれらの塩(以下「本件各化合物」という。)は,化学構造

が特定された公知の化合物であり,その合成方法も,当業者に周知であるから,本

件発明は,当業者にとって容易に実施可能である。しかも,本件明細書は,その合

成例が具体的に記載されており,本件優先権主張日当時の当業者の周知技法又は技

術常識によって容易に理解可能かつ再現可能であるばかりか(本件明細書【001

6】〜【0018】。甲12,乙2,4),本件明細書は,本件発明が本件明細書の

実施例によって何ら制限を受けるものではない旨を明記している(【0015】 。


また,本件発明は,そもそも副生成物(硫化水素の発生原因であるチオ炭酸塩)を

生じさせずに本件各化合物を合成する方法の開示を目的とした発明ではないし,実

際,上記周知技法等を踏まえて本件明細書を適切に追試すれば,甲12に記載のと

おり,副生成物も自ずと抑制できるが(甲12,乙2),そのことから本件発明が

副生成物を生じさせないことを目的とした発明として理解すべきものではない。し

たがって,本件では,副生成物との関係で実施可能要件が問題となる余地はない。

なお,甲18は,攪拌速度を記載していないが,それによっても黄色の溶液が得

られているから,攪拌速度は,実験実施者の技術常識に任されているといえるし,

甲19も,激しい攪拌の後,再結晶させることで不純物を除去している。そもそも,

攪拌速度は,原料の物性,配合比及び反応の進み方等を勘案した上で,実験装置の

細部条件にあわせて適宜設定される事項であることは,実験化学の常識であるから,

9
この点が明細書に記載されていないからといって,記載不備とはならない。

(2) 1Aの判断についてみると,甲5の実験結果こそ,実験者が問題とされる

技術分野に詳しくない者であり,かつ,原告が特に指定した実験条件に従ってされ

たものであるから,到底公正とはいえない。

1Bの判断についてみると,原告は,スケールの変更が実験の結果にどのように

影響するかを何ら主張していない。本件明細書に記載の重量部とは,重量当たりの

配合比を規定しているから,これをそのままグラム単位に置き換えなければならな

い理由はない。

1Cの判断についてみると,合成例2の原料の配合比及び原料の物性を的確に認

識すれば,緩やかな攪拌速度を選択して界面で徐々に反応を進めるべきであること

は,当業者が容易に理解することである。甲12実験は,これらの点を踏まえ,当

業者の技術常識(乙4参照)に従って目的とする化合物を合成したものであり,こ

れは,その後に実施された実験(乙2)でも再現されている。他方,甲5の実験の

攪拌条件は,合成例2で過剰に存在する二硫化炭素を利用して副反応を積極的に進

行させようという意図によるものである。

1Dの判断についてみると,甲12実験は,攪拌回転数を低下させれば副反応を

抑制できるという要点を踏まえたもので,名人芸的なコントロールは不要であり,

むしろ,甲6の実験は,実施者が本件の技術にあまり詳しくない者であり,当該要

点が分かっていながらこれを採用していないものである。

1Eの判断についてみると,原告は,本件明細書の合成例2について実験条件等

の当業者の技術常識が記載されていないことを奇貨として追試の仕方によっては副

生成物を生成することがあることをあげつらうものである(甲5,6)にすぎない。

(3) 以上のとおり,実施可能性に関する本件審決の判断の誤りはない。

2 取消事由2(引用発明1に基づく本件発明1の容易想到性に係る判断の誤

り)について

〔原告の主張〕

10
(1) 相違点1についての判断の誤りについて

ア 本件審決は,引用例1にはジチオカルバミン酸基を有する低分子化合物から

なるキレート剤として,ジエチルジチオカルバミン酸ナトリウムだけが記載されて

いるところ,@引用例2には本件各化合物については記載されておらず,ピペラジ

ンと基本骨格が類似する原料アミンからのカルボジチオアートであるピペリジンカ

ルボジチオアート,チオモルフォリン−4−カルボジチオアート,N−メチルピペ

ラジン−4−カルボジチオアートが記載されているだけであり,引用例2に記載の

N−メチルピペラジン−4−カルボジチオアートが,ピペラジンの一方のNに対す

るHがメチル基で置換されている点でピペラジン−N−カルボジチアートと異なる

化合物であるので,これら2種のカルボジチオアートがともにピペラジン骨格を有

しているからといって,キレート剤としての作用までが実質上同一であるとは直ち

にいえないから,引用発明1のジチオカルバミン酸基を有する低分子化合物からな

るキレート剤として本件各化合物を用いることを動機付けることはできない,A引

用例3に記載のピペラジンジチオカルバマート(T)(本件化合物1に相当する。)

及びピペラジンビスジチオカルバマート(U)(本件化合物2に相当する。)の錯体

がかなり安定で,200と300℃との間で分解し,常用の有機溶媒と水に不溶で

反磁性であるが,引用例3には,これらを水とともに飛灰に添加して,飛灰中の重

金属を不溶化することを示唆する記載が見当たらず,本件明細書に記載の「安定性

試験」で示された効果も窺い知るることができないから,引用発明1のジチオカル

バミン酸基を有する低分子化合物からなるキレート剤としてピペラジンジチオカル

バマート(T)及びピペラジンビスジチオカルバマート(U)を用いることを動機

付けることはできない旨を説示する(以下,これらを「2@の判断」及び「2Aの

判断」という。。


イ しかしながら,2@の判断についてみると,本件審決は,引用例2のN−メ

チルピペラジン−4−カルボジチオアートと本件発明1の本件化合物1の塩との構

造上の微差,すなわちピペラジンの一方のNに対する−Hが,メチル基−CH 3 で

11
置換されているか否かという点を誇大に取り上げ,進歩性新規性と同一視するも

のであって,化学常識及び特許法上の経験則を無視した暴論である。

一般に,有機化合物においてその一部の−Hが−CH 3 で置換されている場合に,

その置換が化合物の化学的性質にどの程度の影響を与えるであろうかという問題は,

化合物全体の大きさと構造とによって判断される。本件についてみると,2個のN

原子を対極の位置に構成成分として有する6員環の化合物であるピペラジンにおい

て,その一方のNにカルボジチオ酸基が置換基として存在し,それがキレート剤と

して作用する場合,他方のNに結合しているものが−Hであるか−CH 3 であるか

という差異が,対極の位置にあるNに結合しているカルボジチオ酸基の作用に対し

て与える影響は極めて小さく,したがって,N−メチルピペラジン−4−カルボジ

チオアートと本件化合物1の塩とが実質上同じ挙動をするであろうということは,

当業者であれば容易にかなりの確信を持っていえることである。

したがって,このような化学構造の類推容易性を前提にすれば,引用発明1は,

重金属処理のためのキレート剤として本件発明に係る化合物を用いることを動機付

けている。

ウ 2Bの判断についてみると,引用例3は,ピペラジンジチオカルバマート

(T)(本件化合物1)及びピペラジンビスジチオカルバマート(U)(本件化合物

2)がキレート形成能のある化合物であり,貴金属類と錯体を形成し,それらの錯

塩が水に不溶で安定であることを開示している。そして,これは,多量の水が存在

する系で生成した錯体を形成するものであるばかりか,貴金属の錯体が形成される

以上,重金属との錯体も形成されるであろうことは,当業者が高い蓋然性を以て期

待することであるから,引用例3は,引用発明1の「ジチオカルバミン酸基を有す

る低分子化合物からなるキレート剤」として引用例3に記載の化合物が有用である

ことを教示するものであり,引用発明1にこれらを組み合わせる動機付けが十分に

ある。

すなわち,本件審決は,本件発明1の進歩性評価において引用例3が有する意義

12
を看過し,誤った結論に至ったものである。

(2) 相違点2についての判断の誤りについて

ア 本件審決は,引用発明1が高分子のキレート剤を単独で使用するか,又はキ

レート剤と高分子化合物とを併用することを意図するものであり,引用例1の記載

からは,飛灰に含まれる有害な重金属を不溶化するための方法で添加する薬剤とし

て,低分子化合物からなるキレート剤を単独で用いることは想定されいないところ,

引用例4の記載から,重金属を含む飛灰に水とジチオカルバミン酸基を有する低分

子化合物からなるキレート剤を加えて混練することにより,飛灰中の重金属とキレ

ート化剤とが反応して,水に不溶性のキレート化合物を生成し,飛灰からの重金属

の溶出を防止することが開示されているからといって,引用発明1において,高分

子化合物を併用することなく,低分子化合物からなるキレート剤を単独で添加する

ことを動機付けることができない旨を説示する。

イ しかしながら,引用発明1は,低分子化合物からなるキレート剤を使用する

場合には高分子化合物を併用するという構成を採用したものであるところ,引用例

4は,ジチオカルバミン酸基を有する低分子化合物からなるキレート化剤を用いて

飛灰中の重金属を固定化処理することが可能であるということを教示しているので

あるから,キレート剤として引用例4と同じくジチオカルバミン酸基を有する低分

子化合物を使用する引用発明1に対して,引用発明4を適用することにより,高分

子化合物の併用を省略するという技術思想が教示されるものである。引用例4の教

示を引用発明1に適用することを妨げる要因は,見当たらない。むしろ,高分子物

質の使用をやめることができれば,材料の節減,工程の簡素化及び処理コストの低

減という大きなメリットが得られるのであるから,当業者は,常にその可能性を追

求するのが当然である。

このように,相違点2は,引用例4の教示を引用発明1に適用することにより,

当業者が容易に克服することができたものである。しかるところ,本件審決は,引

用例1と引用例4との組合せの可能性を理由なく排除しており,この点の判断を誤

13
っている。

(3) 本件発明1の作用効果についての判断の誤りについて

ア 本件審決は,被告が硫化水素ガスが発生しないとする根拠である甲12実験

の結果を採用している。

イ しかしながら,前記のとおり,原告提出の甲5及び6によれば,本件明細書

に記載の結果は得られない。したがって,本件審決の作用効果についての判断は,

誤りである。

(4) 小括

以上のとおり,相違点1は,引用例2及び(又は)引用例3により克服され,相

違点2は,引用例4の教示により,当業者が容易に乗り越えることができる。そし

て,本件発明1が硫化水素を発生しないという効果は,根拠が明らかでないから,

これらに反する本件審決は,少なくとも審理を尽くしておらず,理由不備である。

〔被告の主張〕

(1) 引用例記載の発明ないし技術について

引用発明1は,高分子化合物を必須の有効成分として用いることを構成要件とす

る飛灰中の重金属固定化処理剤に関する発明であって,本件発明の構成要件である

本件各化合物の開示がない。引用例2も,飛灰中の重金属固定化処理剤とは無縁な

技術分野に関するもので,やはり本件各化合物の開示がない。さらに,引用例3は,

本件各化合物を記載しているものの,飛灰中の重金属固定化処理とは無関係の技術

分野に関するものであって,引用例4は,飛灰中の重金属固定化処理に関する発明

であるが,本件各化合物を開示していない。しかも,これらの発明は,いずれも本

件発明の有する飛灰中の重金属の高い固定化処理能や,硫化水素の発生を抑止し得

るという作用効果について記載も示唆もない。

したがって,引用発明1に基づく原告の進歩性に関する主張は,もともと無理な

主張である。

(2) 相違点1についての判断の誤りについて

14
ア 引用例2は,飛灰中の重金属固定化処理とはおよそ無縁な技術分野に関する

学術論文にすぎず,本件各化合物について記載がない。また,引用例2に記載のN

−メチルピペラジン-4−カルボジチオアートが飛灰処理において好適に使用でき

るか否かは,現時点でも不明であり,そのピペラジン−N−カルボジチオ酸塩との

構造上の差異が微差であるとは到底いえない。さらに,引用例2のいう「安定性」

と本件明細書の「安定性」とでは意義が異なるし,引用例2は,飛灰中の重金属固

定化処理とは無縁の技術分野の学術論文であるため,そこに記載のキレート剤等か

ら硫化水素等が発生するか否かについては問題意識がない。

したがって,引用例2の記載事項から,引用発明1のジチオカルバミン酸基を有

する低分子化合物からなるキレート剤として,本件各化合物を用いることを動機付

けることはできない。

イ 引用例3は,もともと安定であってイオンとして溶出しにくいいくつかの白

金族金属との錯体を合成し,その物性を分析的に研究したことに関する学術論文で

あって,飛灰処理で問題となるような,イオンとして溶出しやすく毒性の高い重金

属との錯体の合成及びその物性評価に関する記載がないばかりか,当該研究で用い

たキレート剤等について,分解により硫化水素等が発生するか否かについては問題

意識がない。

したがって,引用例3の記載事項から,引用発明1のジチオカルバミン酸基を有

する低分子化合物からなるキレート剤として,引用例3記載のピペラジンジチオカ

ルバマート(T)及びピペラジンビスジチオカルバマート(U)を用いることを動

機付けることはできない。

(3) 相違点2についての判断の誤りについて

引用発明1は,飛灰に含まれる有害な重金属を不溶化するために高分子化合物の

併用を省略して低分子化合物からなるキレート剤を単独で用いることを全く想定し

ていないから,引用発明4が先行技術として公知であるからといって,引用発明1

において必須の構成要件である高分子化合物との併用を省略できるものではない。

15
したがって,引用例4の記載から,引用発明1について高分子化合物の併用を省

略することを動機付けることはできない。

(4) 本件発明1の作用効果についての判断の誤りについて

原告の主張は,本件明細書の合成例2の追試の仕方により副生成物が多量に生成

されるような実験条件を設定することができるということであって,本件発明の構

成が奏する作用効果を否定するものではない。

3 取消事由3(引用発明4に基づく本件発明1の容易想到性に係る判断の誤

り)について

〔原告の主張〕

(1) 本件審決は,引用発明4が,トリス(ジチオカルボキシ)ジエチレントリ

アミン又はN 1 ,N 2 −ビス(ジチオカルボキシ)ジエチレントリアミン若しくは

それらの塩以外のキレート化剤を重金属に含む飛灰に加えることを想定していない

から,ジチオカルバミン酸基を有するキレート化剤として共通するからといって,

引用発明4において,引用例4に記載の化合物に代えて,引用例1に記載されたジ

チオカルバミン酸基を有する低分子化合物からなるキレート剤を選択することを動

機付けることはできないし,引用例2に記載されたジチオカルバマートであるピペ

リジンカルボジチオアート,チオモルフォリン−4−カルボジチオアート又はN−

メチルピペラジン−4−カルボジチオアートを選択することを動機付けることはで

きないし,さらに,引用例3に記載されたピペラジンジチオカルバマート(T)又

はピペラジンビスジチオカルバマート(U)を選択することを動機付けることはで

きない旨を説示した。

(2) しかしながら,引用発明4は,ジチオカルバミン酸基を有するキレート化

剤を単独で,すなわち引用発明1とは異なって高分子化合物の併用をすることなく,

重金属を含む飛灰に加えてその重金属を固定化する発明であり,引用例3は,そこ

に記載のピペラジンジチオカルバマート(T)又はピペラジンビスジチオカルバマ

ート(U)がキレート剤として作用し重金属と水不溶性の安定な錯化合物を形成す

16
ることを開示しているものであるから,引用発明4のキレート剤であるトリス(ジ

チオカルボキシ)ジエチレントリアミン又はN 1 ,N 2 −ビス(ジチオカルボキ

シ)ジエチレントリアミン若しくはそれらの塩に代えて,引用例3に記載のピペラ

ジンジチオカルバマート(T)又はピペラジンビスジチオカルバマート(U)を使

用することは,十分に動機付けられるはずである。そうだとするならば,引用発明

4に基づき,引用例1ないし3の記載を参酌することで,相違点3に係る発明特定

事項を想到することは,当業者にとって格別困難なことではない。

したがって,本件審決は,この点の判断を誤っている。

〔被告の主張〕

(1) 引用発明4は,飛灰中の重金属を不溶化するために,キレート剤としてト

リス(ジチオカルボキシ)ジエチレントリアミン又はN 1 ,N 2 −ビス(ジチオカ

ルボキシ)ジエチレントリアミン若しくはそれらの塩を選択したものであり,引用

例4には,それ以外のジチオカルバミン酸基を有するキレート化剤については想定

しておらず記載も示唆もないし,飛灰処理においてキレート剤の分解による硫化水

素等の発生を抑制するという技術思想の記載も示唆もない。

したがって,引用例4に接した当業者が,引用発明4のキレート化剤を強いて選

択せず,それとは別のジチオカルバミン酸基を有するキレート化剤の採用をあえて

推考するのは到底無理である。

(2) 引用例4には,混練時にpH調整を行わなくてもよい旨の記載があるもの

の,pH調整をしない実施例では鉛の溶出量が多くて実用レベルに達しておらず,

pH調整をした実施例でも,大量のキレート剤を要する上に,本件発明に比較して

も鉛の溶出量がはるかに多いものである。そのため,引用例4に接した当業者は,

引用発明1のように高分子化合物を併用しないから十分な重金属固定化能が得られ

ないという方向に考えるのが自然である。

(3) 引用例3に記載のピペラジンジチオカルバマート(T)又はピペラジンビ

スジチオカルバマート(U)は,白金族金属との錯体を形成し,その結晶の物性を

17
分析するという学術研究に用いられたものであり,飛灰中の有害な重金属を対象と

したものではないから,引用発明4とは,対象とする技術分野がかけ離れている。

したがって,引用発明4に接した当業者が,それとは無縁の引用例3を参照するこ

とには,無理がある。しかも,引用例3に記載の化合物は,単なる水を用いた条件

下で金属錯体による難溶性物質を形成し得るかどうか明らかでなく,引用発明4に

組み合わせる契機ないし動機付けがない。

(4) 以上のとおり,引用発明4のトリス(ジチオカルボキシ)ジエチレントリ

アミン又はN 1 ,N 2 −ビス(ジチオカルボキシ)ジエチレントリアミン若しくは

それらの塩に代えて引用例3に記載のピペラジンジチオカルバマート(T)又はピ

ペラジンビスジチオカルバマート(U)を使用することに動機付けはなく,また,

引用発明4とはやはり技術分野が異なる引用例2や,ピペラジンカルボジチオ酸又

はその塩の開示がないばかりか高分子化合物を必須の構成要件とする引用例1につ

いても,これらを引用発明4に組み合わせる契機や動機付けはなく,また,本件発

明の構成及び作用効果に結びつく要因が存在しない。

よって,引用発明4に基づき,引用例1ないし3を参照しても,本件発明の相違

点3に係る構成は,容易に想到し得ない。

第4 当裁判所の判断

1 取消事由1(実施可能要件についての判断の誤り)について

(1) 実施可能要件について

本件特許は,平成7年12月1日出願に係るものであるから,平成14年法律第

24号附則2条1項により同法による改正前の特許法(以下「法」という。)36

条4項が適用されるところ,同項には,「発明の詳細な説明は,…その発明の属す

る技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に

明確かつ十分に,記載しなければならない。」と規定している。

特許制度は,発明を公開する代償として,一定期間発明者に当該発明の実施につ

き独占的な権利を付与するものであるから,明細書には,当該発明の技術的内容を

18
一般に開示する内容を記載しなければならない。法36条4項が上記のとおり規定

する趣旨は,明細書の発明の詳細な説明に,当業者が容易にその実施をすることが

できる程度に発明の構成等が記載されていない場合には,発明が公開されていない

ことに帰し,発明者に対して特許法の規定する独占的権利を付与する前提を欠くこ

とになるからであると解される。

そして,方法の発明における発明の実施とは,その方法の使用をすることをいい

(特許法2条3項2号),物の発明における発明の実施とは,その物を生産,使用

等をすることをいうから(同項1号),方法の発明については,明細書にその方法

を使用できるような記載が,物の発明については,その物を製造する方法について

の具体的な記載が,それぞれ必要があるが,そのような記載がなくても明細書及び

図面の記載並びに出願当時の技術常識に基づき当業者がその方法を使用し,又はそ

の物を製造することができるのであれば,上記の実施可能要件を満たすということ

ができる。

これを本件発明についてみると,本件発明1ないし5は,方法の発明であり,本

件発明6ないし10は,物の発明であるが,本件発明は,いずれもその特許請求の

範囲(前記第2の2)に記載のとおり,本件各化合物(ピペラジン−N−カルボジ

チオ酸(本件化合物1)若しくはピペラジン−N,N′−ビスカルボジチオ酸(本

件化合物2)のいずれか一方若しくはこれらの混合物又はこれらの塩)が飛灰中の

重金属を固定化できるということをその技術思想としている。

したがって,本件発明が実施可能であるというためには,@本件明細書の発明の

詳細な説明に本件発明を構成する本件各化合物を製造する方法についての具体的な

記載があるか,あるいはそのような記載がなくても,本件明細書の記載及び本件出

願日当時の技術常識に基づき当業者が本件各化合物を製造することができる必要が

あるほか,A本件明細書の発明の詳細な説明に本件各化合物が飛灰中の重金属の固

定化剤として使用できること及びその方法を使用できるような記載があるか,ある

いはそのような記載がなくても,本件明細書の記載及び本件出願日当時の技術常識

19
に基づき当業者が本件各化合物を飛灰中の重金属の固定化剤として使用できる必要

があるというべきである。

(2) 本件明細書の記載について

以上の観点から本件明細書の発明の詳細な説明を見ると,そこには,本件発明に

ついておおむね次の記載がある。

ア 本件発明は,都市ゴミや産業廃棄物等の焼却プラントから排出される飛灰を

処理するに際し,飛灰中に含有される鉛,水銀,クロム,カドミウム,亜鉛及び銅

等の有害な重金属をより簡便に固定化し不溶出化することを可能にする方法に関す

るものである(【0001】。


イ 前記飛灰は,電気集塵機(EP)やバグフィルター(BF)で捕集されたの

ち埋め立てられ又は海洋投棄されているが,有害な重金属の溶出には環境汚染の可

能性があるため,例えば引用発明4の薬剤添加法などの処理を施してから廃棄する

ことが義務付けられている(【0002】 。しかし,飛灰処理に関しては,特に高


アルカリ性飛灰の重金属溶出量が多くなることなどが知られているため,従来の薬

剤では,その使用量を大幅に増加するか,塩化第二鉄等のpH調整剤等を併用せざ

るを得ず,処理薬剤費が増大し,また処理方法が複雑化する等の問題があった。さ

らに,引用発明4等で使用されるジチオカルバミン酸は,原料とするアミンによっ

ては,pH調整剤との混練又は熱により分解するために,混練処理手順及び方法に

十二分に配慮する必要があった(【0003】 。


ウ 本件発明の目的は,飛灰中に含まれる重金属を安定性の高いキレート剤を用

いることにより簡便に固定化できる方法を提供することであり(【0004】 ,本


件発明の発明者らは,ピペラジンカルボジチオ酸又はその塩(本件各化合物)が,

重金属に対するキレート能力が高く,高アルカリ性飛灰においても少量の添加量で

重金属を固定化でき,かつ,熱的に安定であることを見いだした(【0005】 。


すなわち,本件発明は,飛灰に水とピペラジンカルボジチオ酸又はその塩(本件各

化合物)を添加し,混練することを特徴とする飛灰中の重金属の固定化方法である

20
(【0006】。


エ 次に,実施例によりさらに詳細に本件発明を説明する。ただし,本件発明は,

下記実施例によってなんら制限を受けるものではない(【0015】 。


(ア) 合成例1(ピペラジン−N,N′−ビスカルボジチオ酸ナトリウム)の合



ガラス製容器中に窒素雰囲気下,ピペラジン172重量部,NaOH167重量

部,水1512重量部を入れ,この混合溶液中に攪拌しながら45℃で二硫化炭素

292部を4時間かけて滴下した。滴下終了後,同温度にて約2時間熟成を行った。

反応液に窒素を吹き込み未反応の二硫化炭素を留去したところ,黄色透明の液体を

得た(化合物No.1。【0016】。


(イ) 合成例2(ピペラジン−N,N′−ビスカルボジチオ酸カリウム)の合成

ガラス製容器中に窒素雰囲気下,ピペラジン112重量部,KOH48.5%水

溶液316重量部,水395重量部を入れ,この混合溶液中に攪拌しながら40℃

で二硫化炭素316部を4時間かけて滴下した。滴下終了後,同温度にて約2時間

熟成を行った。反応液に窒素を吹き込み未反応の二硫化炭素を留去したところ,黄

色透明の液体を得た(化合物No.2。【0018】。


(ウ) 安定性試験

化合物No.1及びNo.2並びにエチレンジアミン−N,N′−ビスカルボジ

チオ酸ナトリウム(化合物No.3)及びジエチレントリアミン−N,N′,

N′′−トリスカルボジチオ酸ナトリウム(化合物No.4)の水溶液を65℃に

加温し,あるいはpH調整剤として塩化第二鉄(38%水溶液)を20重量%添加

して硫化水素ガスの発生について調べたところ,化合物No.1及びNo.2では

いずれも硫化水素が発生しなかったが,化合物No.3及びNo.4ではいずれも

硫化水素が発生した(【0021】【0022】。


(エ) 重金属固定化能試験

鉛等を含むBF灰100重量部に水30重量部を加え,化合物No.1を0.5

21
部(実施例1。【0023】)若しくは0.74部(実施例2。【0026】)又は化

合物No.2を0.4部(実施例3。【0027】)若しくは0.8部(実施例4。

【0028】)を添加・混練し,環境庁告示第13号試験に従い溶出試験を行った

ところ,鉛の溶出結果は,それぞれ0.07ppm(実施例1),0.05ppm 以下

実施例2),0.06ppm(実施例3)及び0.01ppm 以下(実施例4)であっ

た(【0024】。


他方,化合物No.1を使用しない以外は実施例1と同様にした場合(比較例1。

【0029】,化合物No.1の代わりにエチレンジアミン−N,N′−ビスカル


ボジチオ酸ナトリウム(化合物No.3)を0.8部(比較例2)及び1.2部

(比較例3)となるように添加する以外は実施例1と同様にした場合(【003

0】)並びに化合物No.1の代わりにジエチレントリアミン−N,N′,N′′

−トリスカルボジチオ酸ナトリウム(化合物No.4)を0.76部(比較例4)

及び1.15部(比較例5)となるように添加する以外は実施例1と同様にした場

合(【0031】)の鉛の溶出結果は,それぞれ29.0ppm(比較例1),25.5

ppm(比較例2),24.9ppm(比較例3),5.91ppm(比較例4)及び1.3

5ppm(比較例5)であった(【0024】 。


オ 本件発明の方法によれば,ピペラジンカルボジチオ酸又はその塩(本件各化

合物)は,重金属固定化能が高く,かつ,熱的にも安定であることから,重金属溶

出量の多い高アルカリ性飛灰においても,少量の添加で効果を発揮し経済的である

とともに,他の助剤の使用に際して安全かつ簡便な処理方法にて実施できるので工

業的にも非常に有用である(【0032】。


(3) 本件発明の実施可能性について

ア 前記(1)@についてみると,以上によれば,本件明細書の発明の詳細な説明

には本件各化合物の製造方法についての一般的な記載はなく,実施例中に,合成例

1(化合物No.1)及び2(化合物No.2)として,本件化合物2の塩の製造

例が記載されているにとどまる。

22
他方,引用例3(昭和55年3月刊行)には,ピペラジンジチオカルバメート及

びピペラジンビスジチオカルバメートのナトリウム塩が公知の方法で合成された旨

の記載があり,また,甲19(昭和54年刊行)にもピペラジンジチオカルバミン

酸ナトリウムを合成した旨の記載があることからすると,本件各化合物は,本件出

願日当時において公知の化合物であり,その製造方法も,周知の事項であったもの

と認められる(原告も,この点を争っていない。。


したがって,本件明細書の発明の詳細な説明の記載の有無にかかわらず,当業者

は,本件出願日当時において,本件各化合物を製造することができたものと認めら

れる。

イ 次に,前記(1)Aについてみると,本件明細書の発明の詳細な説明には,本

件各化合物が,重金属に対するキレート能力が高く,高アルカリ性飛灰においても

少量の添加量で重金属を固定化できる知見の裏付けとして,前記(2)エ(エ)に認定

のとおり,BF灰(バグフィルターで捕集された灰)に,水と本件化合物2の塩を

0.4ないし0.8重量%加え,混練したものから重金属の溶出が抑制されている

ことが記載されている(重金属固定化能試験)。したがって,本件明細書の発明の

詳細な説明には,本件各化合物が飛灰中の重金属の固定化剤として使用できること

及びその方法を使用できるような記載があるということができる。

ウ 以上によれば,当業者は,本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び本件出

願日当時の技術常識から本件各化合物を入手して,飛灰中の重金属の固定化に使用

できるということができるので,本件明細書の発明の詳細な説明は,当業者がその

実施をすることができる程度に十分に記載されているものということができる。

よって,本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,法36条4項に違反せず,こ

れと結論を同じくする本件審決に誤りはない。

(4) 原告の主張について

ア 以上に対して,原告は,副生成物の生成を抑制しないと硫化水素が発生して

本件発明が実施できないから,一般的な合成方法とは異なる異常に低い攪拌速度を

23
採用して副生成物の生成を抑制する旨を記載していない本件明細書によっては,本

件発明が実施不可能である旨を主張する。

しかしながら,本件発明の特許請求の範囲の記載は,本件各化合物が飛灰中の重

金属の固定化剤として使用できる旨を方法又は物の発明として特定しており,本件

発明は,本件各化合物の製造に当たって硫化水素を発生させる副生成物の生成を抑

制することをその技術的範囲とするものではない。したがって,本件明細書の発明

の詳細な説明に副生成物の生成が抑制された本件各化合物の製造方法が記載されて

いないからといって,特許請求の範囲に記載された本件発明が実施できなくなると

いうものではなく,法36条4項に違反するということはできない。

なお,本件明細書の発明の詳細な説明によれば,前記(2)エ(ウ)に認定のとおり,

本件発明は,飛灰中の重金属を固定化する際にpH調整剤と混練し又は加熱を行う

という条件下でも分解せずに安定である,すなわち有害な硫化水素を発生させない

ことも,その技術的課題としているといえる(安定性試験)。しかし,上記技術的

課題を解決するという作用効果は,他の先行発明との関係で本件発明の容易想到性

を検討するに当たり考慮され得る要素であるにとどまるというべきである。

よって,原告の上記主張は,それ自体失当であり,採用できない。

イ また,原告は,前記アの主張を前提として,被告による甲12実験が本件明

細書とは実験スケールを変更しているばかりか,本件明細書に記載がない異常に低

い攪拌速度を採用しており,また,二硫化炭素の滴下には名人芸的なコントロール

を要するところ,本件明細書にはこの点について記載がないから,本件明細書によ

っては本件発明が実施不可能である旨を主張する。

原告の上記主張は,前記のとおり,その前提において失当ではあるが,事案に鑑

み念のために検討すると,確かに,本件明細書には,合成例1及び2について,い

ずれも攪拌及び二硫化炭素の滴下の時間が4時間と記載されているが(前記(2)エ

(ア)及び(イ)),攪拌速度及び二硫化炭素の滴下方法については記載がない。

しかしながら,例えば合成例2と同様の方法でジチオカルバミン酸誘導体を製造

24
する方法について記載した他の複数の文献(引用例4,甲18,乙4)は,いずれ

も攪拌速度及び二硫化炭素の滴下の詳細について記載がないから,当業者であれば,

これらの条件の詳細が記載されていなくとも本件各化合物を製造することができる

ものと認められる。

また,本件明細書に記載の「重量部」は,原料の配合比を規定したものであるか

ら,その比に従って使用する原料の量を半分として再現実験を行うことは,何ら不

合理ではない。そして,甲12実験の再現実験(甲6)においても,二硫化炭素の

滴下及び攪拌に当たって特異な条件が与えられたり操作がされた旨の記載は見当た

らないばかりか,合成例2は,合成例1に比較して二硫化炭素が過剰に存在する配

合比であるから,副反応により目的とする本件化合物2の収量が低下するおそれが

あり,これを抑制するために,攪拌速度を低下させることで緩やかに反応を進行さ

せることは,当業者が技術常識を考慮して容易に見いだすことが可能なことである。

したがって,甲12実験における攪拌速度及び二硫化炭素の滴下に不合理な点はな

い。

よって,原告の上記主張も採用できない。

2 取消事由2(引用発明1に基づく本件発明1の容易想到性に係る判断の誤

り)について

(1) 引用例1の記載について

引用発明1は,前記第2の3(2)アに記載のとおりであるが,引用例1には,引

用発明1についておおむね次の記載がある。

ア 引用発明1は,焼却炉から排出される排ガスから捕集された飛灰中に含まれ

る有害な重金属を,不溶性にする方法に関するものである。

イ 廃棄物の焼却によって発生する排ガスから捕集した飛灰は,亜鉛,鉛及びカ

ドミウムのような有害な重金属類を含有しているところ,引用発明1の方法は,高

分子量の化合物からなるキレート剤を水とともに飛灰に添加するか,またはキレー

ト剤,高分子化合物及び水を飛灰に添加して,混合物を混練することで重金属類を

25
水不溶性のキレート化合物に転化するものである。このキレート化合物は,高分子

化合物のネットワークの中に捕捉されて粗粒化が引き起こされるので,これらの重

金属類を容易かつ経済的に不溶性にし,長期間にわたって安定に保つことができる。

ウ 引用発明1で使用するキレート剤は,例えば,水可溶性の低分子量又は高分

子量の化合物であって,ジチオカルバメート基を含む少なくとも1個のキレート形

成基を有し,飛灰に含まれている重金属類を水不溶性のキレート化合物に転化させ

るものである。

エ ジチオカルバメート基を有し,さまざまな平均分子量を有する複数種類のキ

レート剤を飛灰に含有される重金属類の量に対して0.5当量となる量を,水とと

もに飛灰に添加して複数種類の混練塊を形成すると,平均分子量が1万以上である

高分子の化合物からなるキレート剤を使用した場合には,溶出する鉛の量が顕著に

減少した。

また,ジエチルジチオカルバミン酸ナトリウム及びアミルザンセート塩をそれぞ

れ飛灰に含まれる重金属類の量に対して0.5当量となる量を添加して形成した混

練塊並びにジエチルジチオカルバミン酸ナトリウムを飛灰に含まれる重金属類の量

に対して1当量となる量を添加して形成した混練塊などについて,溶出する重金属

類の量を測定したところ,前者の混練塊からの重金属類(特に亜鉛)の溶出量は,

後者に比べて顕著に減少した。

オ 以上のほかに,引用例1には,高分子のキレート剤であって,ジチオカルバ

ミン酸基がポリエチレンに結合したものや,ジエチルジチオカルバミン酸ナトリウ

ムからなる低分子量のキレート剤の溶液及びポリビニルアルコールからなる高分子

化合物の溶液などを,水及び飛灰に混練した場合の実施例が記載されている。

(2) 相違点1の容易想到性について

ア 相違点1は,前記第2の3(2)ウに記載のとおりであるが,本件発明1の相

違点1に係る構成の容易想到性について検討すると,まず,引用発明1は,前記

(1)ウに認定のとおり,ジチオカルバメート基等のキレート形成基が重金属と反応

26
するという原理に基づくものであり,引用例1には,前記(1)エ及びオに認定のと

おり,本件各化合物に関する具体的な記載がなく,飛灰中の重金属を水不溶性のキ

レート化合物に転化するジチオカルバミン酸基を有する低分子量の化合物として,

ジエチルジチオカルバミン酸のほかには具体的な化合物名が特定されていない。

しかしながら,ジチオカルバミン酸基を有する低分子量の化合物には多種多様な

ものが含まれるから,このような化合物からなるキレート剤であっても,それが廃

棄物等の焼却により発生する飛灰を水やpH調整剤と混練するという環境下で,そ

こに含まれるやはり多様な物質(例えば,引用例1の表1の1欄参照)の中で鉛等

の重金属と錯体を形成し,これを固定化するものであるか否かは,それ自体直ちに

予測ができるものではない。また,引用例1に具体的に記載されているジエチルジ

チオカルバミン酸は,鎖状のアミンにジチオカルバミン酸が結合した化合物であり,

環状アミンにジチオカルバミン酸基が結合した本件化合物1及び2とは化学構造

異なる。したがって,引用例1にジエチルジチオカルバミン酸の記載があるからと

いって,これと化学構造を異にする本件化合物1及び2が飛灰中の重金属を固定化

できることを示唆することにはならない。

したがって,引用例1には,ジチオカルバミン酸基を有する低分子量の化合物の

中から,飛灰中の重金属固定化剤として本件各化合物を想起させるに足りる記載又

は示唆があるとはいえず,本件発明1の相違点1に係る構成を採用するに足りる動

機付けがないというほかない。

イ 引用例2は,ピペリジンカルボジチオアート,チオモルフォリン−4−カル

ボジチオアート及びN−メチルピペラジン−4−カルボジチオアートの鉄,銅,カ

ドミウム及び水銀等の金属錯体を合成し,磁気的及び分光学的な定性分析を行うこ

とにより,それらの構造を同定することに関する学術論文であって,そこには,N

−メチルピペラジン,ピペリジン又はチオモルフォリンの窒素原子にジチオカルバ

ミン酸基が結合した物質がキレート剤として銅,カドミウム及び水銀等の金属と金

属錯体を形成することが記載されている。

27
しかしながら,引用例2は,上記のような金属錯体の構造の同定に関する学術論

文であって飛灰中の重金属の固定化とは技術分野を異にするものであり,引用例2

には,そこに記載の化合物又は本件各化合物が廃棄物等の焼却により生じる飛灰を

水やpH調整剤と混練するという環境下で,そこに含まれる多様な物質の中で鉛等

の重金属と錯体を形成し,これを固定化するということについては何らの記載も示

唆もない。

したがって,引用例2には,これを他の引用例と組み合わせるなどすることで,

引用発明1に本件発明1の相違点1に係る構成を採用させるに足りる動機付けがな

い。

ウ 引用例3は,ルテニウム,ロジウム及び白金のピペラジンジチオカルバメー

ト(T)の錯体並びにルテニウム,ロジウム,白金及びパラジウムのピペラジンビ

スジチオカルバメート(U)の錯体を合成し,その物性評価を行ったことなどに関

する学術論文であり,ピペラジンジチオカルバメート(T)及びピペラジンビスジ

チオカルバメート(U)がそれぞれ二座配位子及び四座配位子として働くこと,す

なわちキレート剤であることが記載されている。

そして,引用例3に記載のピペラジンジチオカルバメート(T)及びピペラジン

ビスジチオカルバメート(U)は,それぞれ本件発明における本件化合物1及び2

に相当するから,引用発明1の相違点1に係る構成を引用例3に記載の各化合物に

置換すれば,本件発明1の相違点1に係る構成に至ることになる。

しかしながら,引用例3は,上記のような錯体の物性評価等に関する学術論文で

あって飛灰中の重金属の固定化とは技術分野を異にするものであり,引用例3には,

本件化合物1及び2のようなジチオカルバミン酸基を有するキレート剤が白金属元

素と錯体を形成することを明らかにしているものの,それが廃棄物等の焼却により

生じる飛灰を水やpH調整剤と混練するという環境下で,そこに含まれる多様な物

質の中で鉛等の重金属と錯体を形成し,これを固定化するものであることについて

は何らの記載も示唆もない。

28
したがって,引用例3には,本件化合物1及び2のキレート剤が飛灰中の重金属

固定化剤として利用できることについて記載や示唆がなく,引用発明1と引用例3

の記載を組み合わせて本件発明1の相違点1に係る構成を想起させるに足りる動機

付けがないというほかない。

エ 引用発明4は,前記第2の3(3)アに記載のとおりであり,引用例4には,

トリス(ジチオカルボキシ)ジエチレントリアミンのナトリウム塩及びN 1 ,N 2

−ビス(ジチオカルボキシ)ジエチレントリアミンのナトリウム塩が飛灰中の鉛を

固定化することが記載されている。

しかしながら,引用例4に記載の上記各化合物は,いずれも引用例1に記載のジ

エチルジチオカルバミン酸と同様,鎖状のアミンにジチオカルバミン酸が結合した

化合物であり,環状アミンにジチオカルバミン酸基が結合した本件化合物1及び2

とは化学構造が異なる。したがって,本件発明と技術分野を同じくする引用例4に

上記各化合物の記載があるからといって,そのことは,これと化学構造を異にする

本件化合物1及び2が飛灰中の重金属を固定化できることを示唆することにはなら

ない。

したがって,引用例4には,これを他の引用例と組み合わせるなどすることで,

引用発明1に本件発明1の相違点1に係る構成を採用させるに足りる動機付けがな

い。

オ 以上のとおり,引用例1ないし4には,いずれも,引用発明1の相違点1に

係る構成を引用例3に記載の本件化合物1及び2と置換するなどして本件発明1の

相違点1に係る構成を採用するに足りる動機付けがなく,したがって,当業者は,

引用発明1に基づき本件発明1の相違点1に係る構成を採用することを容易に想到

することができたとはいえない。

カ 以上に対して,原告は,引用例2に記載のN−メチルピペラジン−4−カル

ボジチオアートと本件化合物1とが化学構造において類似することから,両者が同

様の性質を有するので,本件発明1の相違点1に係る構成を容易に想到することが

29
できた旨を主張する。

しかしながら,前記イに認定のとおり,引用例2は,飛灰中の重金属の固定化と

は技術分野を異にするものであり,引用例2に記載の化合物が廃棄物等の焼却によ

り生じる飛灰を水やpH調整剤と混練するという環境下で,そこに含まれる多様な

物質の中で鉛等の重金属と錯体を形成し,これを固定化するものであることについ

ては何らの記載も示唆もない。

したがって,引用例2に記載の化合物と本件化合物1とが化学構造において類似

するからといって,当業者が引用例2の記載により本件発明1の相違点1に係る構

成を容易に想到することができたとはいえない。

よって,原告の上記主張は,採用できない。

(3) 相違点2の容易想到性について

ア 相違点2は,前記第2の3(2)エに記載のとおりであるが,引用発明1の相

違点2に係る構成のうち,「ジチオカルバミン酸基を有する高分子化合物からなる

キレート剤」及び「ジチオカルバミン酸基を有する低分子化合物からなるキレート

剤」との部分は,いずれも,引用発明1の相違点1に係る構成と重複しており,当

業者がこの構成を容易に想到することができたとはいえないことは,前記(2)カに

認定のとおりである。

したがって,本件発明1の相違点2に係る構成には,それ自体,容易に想到する

ことができたとはいえない部分が含まれている。また,本件発明1の特許請求の範

囲の記載が,本件発明1の構成として,飛灰に水と本件各化合物を添加し,混練す

ることを「特徴とする」としているにとどまることに照らすと,引用発明1の相違

点2に係る構成以外の部分のうち,ジチオカルバミン酸基を有する高分子化合物か

らなるキレート剤を水とともに飛灰に添加するとの部分はさておき,ジチオカルバ

ミン酸基を有する低分子化合物からなるキレート剤及び水を「ポリビニルアルコー

ル等の高分子化合物」とともに飛灰に添加するとの部分は,これと対比すべき構成

が本件発明1には見当たらない。

30
イ そこで,引用発明1の相違点2に係る構成のうち,ジチオカルバミン酸基を

有する低分子化合物からなるキレート剤及び水を,「ポリビニルアルコール等の高

分子化合物」とともに飛灰に添加するとの部分を除外することの容易想到性につい

ても検討すると,前記(1)イ及びエに認定のとおり,引用発明1は,飛灰中の重金

属と結合したキレート化合物が,そのままではサイズが微細であって水中に溶出す

る可能性があることから,これを高分子化合物のネットワーク中に捕捉することで

水中への溶出を防ぐものであり,溶出する鉛の量を顕著に減少させるために添加さ

れる高分子化合物は,平均分子量が1万以上であることが求められている。

このように,引用発明1においては,飛灰中の重金属を確実に捕捉し不溶化する

ために,高分子化合物を添加することが必須の構成とされているものといえるから,

引用発明1の相違点2に係る構成のうちから「ポリビニルアルコール等の高分子化

合物」を添加する部分を除外することについては阻害事由があり,当業者は,当該

部分を除外することを容易に想到することができないというほかない。

ウ 以上に対して,原告は,引用発明1において高分子化合物の使用をやめるこ

とには大きなメリットがあるばかりか,引用例4は,ジチオカルバミン酸基を有す

る低分子化合物からなるキレート剤であれば高分子化合物を添加しなくても飛灰中

の重金属を固定化することが可能であることを教示しているから,当業者が前記構

成に係る部分の省略を容易に想到できた旨を主張する。

しかしながら,引用発明1において高分子化合物の添加をやめれば,引用発明1

の目的を達成できなくなるのであるから,当業者がそのようなことを想起すると考

えることはできない。しかも,引用例4に記載の各化合物が高分子化合物の添加な

しに飛灰中の重金属を不溶化できるとしても,これらは,いずれも本件各化合物と

は異なる化合物であるから,引用例4の記載から,当業者が上記構成に係る部分の

省略を容易に想到できたとはいえない。

よって,原告の上記主張は,採用できない。

(4) 小括

31
以上のとおり,当業者は,引用発明1に基づき本件発明1を容易に想到すること

ができたとはいえず,これに反する原告の主張は,いずれも採用できない。

そして,本件発明2ないし10についても,同様の理由により引用発明1に基づ

き当業者が容易に想到できたとはいえないから,これと同旨の本件審決の判断に誤

りはない。

3 取消事由3(引用発明4に基づく本件発明1の容易想到性に係る判断の誤

り)について

(1) 引用例4の記載について

相違点3は,前記第2の3(3)ウに記載のとおりであるが,本件発明1の相違点

3に係る構成の容易想到性について検討すると,引用発明4は,前記第2の3(3)

アに記載のとおりであり,引用例4には,トリス(ジチオカルボキシ)ジエチレン

トリアミンのナトリウム塩及びN 1 ,N 2 −ビス(ジチオカルボキシ)ジエチレン

トリアミンのナトリウム塩が飛灰中の鉛を固定化することが記載されている。

(2) 相違点3の容易想到性について

しかしながら,前記2(2)エに認定のとおり,引用例4に記載の上記各化合物は,

いずれも鎖状のアミンにジチオカルバミン酸が結合した化合物であり,環状アミン

にジチオカルバミン酸基が結合した本件化合物1及び2とは化学構造が異なる。し

たがって,引用例4に上記各化合物の記載があるからといって,これと化学構造

異にする本件化合物1及び2が飛灰中の重金属を固定化できることを示唆すること

にはならない。

また,前記2(2)アに認定のとおり,引用例1には,ジチオカルバミン酸基を有

する低分子量の化合物の中から,飛灰中の重金属固定化剤として本件各化合物を想

起させるに足りる記載又は示唆があるとはいえず,前記2(2)イに認定のとおり,

引用例2には,そこに記載の化合物又は本件各化合物が廃棄物等の焼却により生じ

る飛灰を水やpH調整剤と混練するという環境下で,そこに含まれる多様な物質の

中で鉛等の重金属と錯体を形成し,これを固定化するものであることについては何

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らの記載も示唆もない。

さらに,前記2(2)ウに認定のとおり,引用例3に記載のピペラジンジチオカル

バメート(T)及びピペラジンビスジチオカルバメート(U)は,それぞれ本件発

明における本件化合物1及び2に相当し,引用例3は,本件化合物1及び2のよう

なジチオカルバミン酸基を有するキレート剤が白金属元素と錯体を形成することを

明らかにしているものの,それが廃棄物等の焼却により生じる飛灰を水やpH調整

剤と混練するという環境下で,そこに含まれる多様な物質の中で鉛等の重金属と錯

体を形成し,これを固定化するものであることについては何らの記載も示唆もない。

したがって,引用例3には,本件化合物1及び2のキレート剤が飛灰中の重金属固

定化剤として利用できることについてまで記載や示唆がなく,引用発明4と引用例

3の記載を組み合わせて本件発明1の相違点3に係る構成を想起させるに足りる動

機付けがないというほかない。

(3) 小括

以上のとおり,引用例1ないし4には,いずれも,引用発明4の相違点3に係る

構成を引用例3に記載の本件化合物1及び2に相当する前記化合物と置換するなど

して本件発明1の相違点3に係る構成を採用するに足りる動機付けがなく,したが

って,当業者は,引用発明4に基づき本件発明1の相違点3に係る構成を採用する

ことを容易に想到することができたとはいえない。これに反する原告の主張は,い

ずれも採用できない。

そして,本件発明2ないし10についても,同様の理由により引用発明4に基づ

き当業者が容易に想到できたとはいえないから,これと同旨の本件審決の判断に誤

りはない。

4 結論

以上の次第であるから,原告の請求は棄却されるべきものである。

知的財産高等裁判所第4部



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裁判長裁判官 滝 澤 孝 臣




裁判官 部 眞 規 子




裁判官 井 上 泰 人




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