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関連審決 異議1999-74467 審判1997-11553
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審判番号(事件番号) データベース 権利
平成21ワ3529特許権侵害差止請求事件 判例 特許
平成17ワ21408特許権侵害差止等請求事件 判例 特許
平成12ワ12728特許権侵害差止請求事件 判例 特許
平成11ワ11856損害賠償請求事件 判例 特許
平成13ワ1105特許権侵害差止等請求事件 判例 特許
関連ワード 発明者 /  自然法則 /  技術的思想 /  創作性(創作) /  新規性 /  29条1項3号 /  容易に実施 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  周知技術 /  公知技術 /  上位概念 /  技術的範囲 /  出願公開 /  実施可能要件 /  試行錯誤 /  技術常識 /  先行技術 /  発明の詳細な説明 /  択一的 /  存続期間 /  対象製品 /  参酌 /  技術的意義 /  置き換え /  容易に想到(容易想到性) /  特許発明 /  実施 /  加工 /  構成要件 /  構成要件充足性 /  差止請求(差止) /  侵害 /  不法行為(民法709条) /  同意 /  混同 /  拒絶査定不服審判 /  拒絶査定 /  拒絶理由通知 /  請求の範囲 /  減縮 /  拡張 /  変更 /  要旨変更 /  異議申立 / 
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事件 平成 20年 (ワ) 8086号 特許権侵害差止等請求事件
東京都千代田区<以下略>
原告古 河電気工業株式会社
同 訴訟代理人弁護 士片山英二
同 北原潤一
同 黒田薫
同 訴訟代理人弁理 士山崎京介
同 補佐人弁理 士黒川恵横浜市<以下略>
被告日本オプネクスト株式会社
同 訴訟代理人弁護 士古城春実
同 堀籠佳典
同 石井健
同 仁瓶善太郎
同 玉城光博
同 補佐人弁理 士中村守
裁判所 東京地方裁判所
判決言渡日 2010/02/24
権利種別 特許権
訴訟類型 民事訴訟
主文 1原告の請求を棄却する。
2訴訟費用は,原告の負担とする。
事実及び理由
全容
第1請求被告は,原告に対し,金3億円及びこれに対する平成20年4月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2第2事案の概要本件は,量子井戸半導体レーザ素子についての特許権を有する原告が,被告に対し,被告が製造・販売する量子井戸半導体レーザー素子(発光レーザモジュールの構成部材であるものを含む。)は,原告の特許発明技術的範囲に属し,原告の特許権を侵害しているとして,民法709条及び特許法102条3項に基づき,損害賠償金47億9500万円の一部請求として金3億円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成20年4月2日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
1争いのない事実等(争いのない事実以外は証拠等を末尾に記載する。)(1)当事者ア原告は,半導体光デバイス,光関連部品等の製造・販売を含む,各種の事業を営む株式会社である。
イ被告は,光通信関連部品及び半導体素子等の製造・販売等を業とする株式会社である。
□原告の特許権ア原告は,次の特許権(以下「本件特許権」という。)を有していた(以下,下記の特許請求の範囲の請求項1に係る発明を「本件発明」と,本件発明に係る特許を「本件特許」と,本件特許権に係る明細書を「本件明細書」といい,本件特許の特許公報を,末尾に添付する。)。なお,本件特許権の存続期間は,平成20年11月11日の経過により,満了している(弁論の全趣旨)。
特 許 番 号特許第2898643号発明の名称量子井戸半導体レーザ素子出願日昭和63年11月11日出 願 番 号特願昭63-285549登録日平成11年3月12日3特許請求の範囲【請求項1】InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-V族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,量子井戸層はその格子定数がInPの格子定数よりも大きい膜厚2.5nm〜30nmのGaInAsP(0イ本件発明の構成要件を分説すると,次のとおりである(以下,分説した構成要件を,それぞれ「構成要件A」等という。)。
AInP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-V族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,B量子井戸層はその格子定数がInPの格子定数よりも大きい膜厚2.5nm〜30nmのGaInAsP(0(3)本件特許に係る特許出願(以下「本件特許出願」という。)の経過は,次のとおりである(甲1,2,乙2の1ないし15)ア事実経過特許出願昭和63年11月11日(特願昭63-285549)出願公開平成2年5月18日(特開平2-130988)拒絶理由通知(第1回)平成8年8月1日付け拒絶理由通知4手続補正(第1回)平成8年11月5日付け手続補正書及び同日付け意見書拒絶理由通知(第2回)平成8年12月17日付け拒絶理由通知拒絶査定平成9年4月21日拒絶査定不服審判請求平成9年7月10日(平成9年審判第11553号)手続補正(第2回)平成9年8月11日付け手続補正書審判請求理由補充平成9年9月22日付け審判請求理由補充書前置報告平成10年6月25日(拒絶相当)拒絶理由通知(第3回)平成10年12月11日付け拒絶理由通知手続補正(第3回)平成10年12月11日付け手続補正書及び同日付け意見書審決平成10年12月24日(原査定取消し)登録平成11年3月12日特許異議申立て平成11年12月2日(平成11年異議第74467号)異議の決定平成12年2月24日(特許を維持する。)イ本件特許出願の願書に最初に添付した明細書及び図面(以下「本件当初明細書」という。)は,別紙本件当初明細書記載のとおりである。
ウ手続補正(第1回)(以下「第1回補正」という。)の内容(乙2の4)第1回補正の内容は,以下のとおりである。
(ア)特許請求の範囲を,次のとおり,改めた。
「(1)InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-?族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,組成C の量子井戸層の格子定数a(C ),InPの格子定数a(InP)W W5および組成C のバリア層の格子定数a(C )が,a(C )a(InP)で x11-x1y11-y1あるGaInAsP(0≦x1,y1≦1)であり,バリア層 x11-x1y11-y1は, GaInAsP(0≦x2,y2≦1)であることを特徴 x21-x2y21-y2とする請求項1記載の量子井戸半導体レーザ素子。
(3)〜(5)(略)」(イ)本件当初明細書11頁2ないし5行(第2の実施例の記載)の「バリア層(21)が歪のない,InPより小さい格子定数をもつGaInAsP化合物であり,量子井戸層(20)は歪のない,InPより大きい格子定数をもつものである。」とあるのを,「バリア層(21)がInPより小さい格子定数をもつGaInAsP化合物であり,量子井戸層(20)はInPより大きい格子定数をもつものである。」と改めた。
エ手続補正(第2回)(以下「第2回補正」という。)の内容(乙2の9)第2回補正においては,明細書の全部を別紙第2回補正明細書記載のとおりに改めた。
オ手続補正(第3回)(以下「第3回補正」という。)の内容(乙2の13)第3回補正においては,特許請求の範囲中「0≦x1,y1≦1」,「0≦x2,y2≦1」とあるのを,それぞれ「0(4)被告は,量子井戸半導体レーザ素子及びこれを構成部材として含む発光レーザモジュールを製造・販売している(以下,被告が製造・販売する量子井戸半導体レーザ素子及び被告が製造・販売する発光レーザモジュールの構成6部材である量子井戸半導体レーザ素子を「被告レーザ素子」という。)。
(5)平成5年法律第26号附則2条2項により本件特許権について適用され得る同法による改正前の特許法40条(以下「旧特許法40条」という。)は,次のとおり,規定していた。
(明細書等の補正と要旨変更)第40条願書に添附した明細書又は図面について出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達前にした補正がこれらの要旨を変更するものと特許権の設定の登録があつた後に認められたときは,その特許出願は,その補正について手続補正書を提出した時にしたものとみなす。
2争点(1)被告レーザ素子は,本件発明の技術的範囲に含まれるか(特に,構成要件Cの充足性)。
(2)本件特許は,特許無効審判により無効にされるべきものか。
ア明細書の要旨変更の有無イ明細書の要旨変更による出願日繰下げを前提とする新規性及び進歩性の欠如ウ現実の出願日を基準とする進歩性の欠如エ特許法36条違反(3)原告の損害の有無及びその額第3争点についての当事者の主張1争点(1)(被告レーザ素子は,本件発明の技術的範囲に含まれるか)について(原告の主張)(1)被告が製造・販売するレーザ素子ア被告は,遅くとも平成13年2月から,別紙物件目録1記載の物件(以下「本件対象製品1」といい,本件対象製品1の構成を有する量子井戸半導体レーザ素子を「本件対象レーザ素子」という。)及び本件対象レーザ7素子を主要な構成部材とする同目録2記載の物件(以下「本件対象製品2」といい,本件対象製品1及び本件対象製品2を併せて「本件対象各製品」という。)を製造・販売している。
イ本件対象各製品に該当するものとしては,例えば,被告が製造・販売する発光レーザモジュールの型番LE7602-L(甲3,4。以下「LE7602」という。),TRF7052BN-GA000(甲15。以下「TRF7052」という。),HL1513CP(甲27。以下「HL1513」という。),HL1594CP-W(甲28。以下「HL1594」という。)がある。
(2)被告レーザ素子の構成要件充足性構成要件Aについて被告レーザ素子は,InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-?族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子であり,構成要件Aを充足する。
構成要件Bについて被告レーザ素子中の量子井戸層の格子定数は,InPの格子定数よりもx11-x1y1 大きい(甲4)。また,当該量子井戸層の組成は,GaInAsP(01-y1したがって,被告レーザ素子は,構成要件Bを充足する。
構成要件Cについて後記のとおり,被告レーザ素子中のバリア層の格子定数は,InPの格子定数よりも小さい。また,当該バリア層の組成は,GaInAsx21-x2P(0構成要件Cを充足する。
構成要件Dについて被告レーザ素子は,1.55μm用レーザ素子である。
8(3)構成要件Cの解釈についてア特許発明技術的範囲は,特許請求の範囲の記載に基づいて定められ,その記載から離れてこれを定めることはできない。特許請求の範囲の語義等の明確化のために,発明の詳細な説明参酌が許されることもあるが,本件発明の構成要件は,組成や膜厚,格子定数の大小によって特定されており,その技術的意義は,一義的かつ明確である。
したがって,本件発明の技術的範囲を定めるに当たって,発明の詳細な説明参酌することを要しない。
イ活性層の平均的な格子定数をInPの格子定数と等しくする旨の本件当初明細書の記載は,転位の発生を防ぐメカニズムのベストモードを引き合いに出して説明するものである。原告は,本件発明をこれに限定しない趣旨で,〔課題を解決するため手段〕欄や特許請求の範囲の記載をしており,本件当初明細書には,本件発明の構成要素が,その目的・構成・効果の関連の下で,全体を貫いて,完結した一つの技術思想として,明確に記載されている。
そして,本件当初明細書の〔作用〕欄の記載は,「高性能である量子井戸半導体レーザが得られる」という本件発明の効果を得るための一態様として,転位の発生そのものを防止するためのベストモードを記載したにすぎない。
また,本件当初明細書の第2の実施例も,「活性層は,nが数百の量子井戸層およびバリア層数まで,歪の誘起する転位を生じることなく成長させることができる。」という点で,当初の発明の「高性能」との効果を更に高めるものであり,第2の実施例は,格子定数関係式?(バリア層の格子定数実施例であって,格子定数関係式?に係る発明の要旨であるということはできない。
9したがって,本件当初明細書における格子定数関係式?は,「活性層全体としての平均的な格子定数がInPの格子定数に等し」いとの条件を要旨とするものではなく,これに対応する本件発明の構成要件Cも,「活性層の平均格子定数=InPの格子定数」という事項を内在的に含んでいるものではないから,これを内在的に条件としているとの被告の主張は,理由がない。
ウ被告は,量子井戸層の格子定数をInPより大きくした歪量子井戸構造について,バリア層の格子定数をInPより小さくすれば,臨界膜厚曲線から遠ざかることは自明の理であり,また,本件発明がこのようなものも含むとすれば,それは,特開昭61-242088公報(乙12。以下「乙12公報」という。)に記載されていたと主張する。
しかしながら,被告が主張するとおり,これが自明であるとすれば,このことを記載し,又はこのことを示唆する先行文献があるはずであるにもかかわらず,被告は,何ら先行文献を提示しておらず,被告の主張は,後知恵にすぎない。
また,乙12公報に記載された発明(以下「乙12発明」という。)は,格子整合と同視できるものであるところ,本件当初明細書に記載されていた,バリア層の格子定数をInPの格子定数と等しくするという発明は,バリア層の格子定数に,InPの格子定数に対して格子整合と同視することができる程度のマイナスが存在することを否定するものではない。そして,本件発明は,バリア層の格子定数をInPの格子定数と等しくするという発明を補正により排除しているから,本件発明が乙12公報に記載されているとの被告の主張は,理由がない。
(4)被告レーザ素子のバリア層の格子定数についてア原告による測定方法の正確性(ア)原告が採用したナノビーム電子線回折法(以下「F-NBD」とい10う。)は,約100nm径の電子線ビームをInP領域,量子井戸層及びバリア層という広範囲に同時に照射し,その結果得られた,周期性を有する様々な要素に起因した回折スポットを複合成情報として解析し,量子井戸層及びバリア層の格子間距離を測定する方法であり,誤差が小さい。
(イ)多重散乱の影響についてaF-NBDは,回折スポットの数を少なくし,多重散乱による影響が極めて低くなる条件を実験的に見い出した上,当該条件下で測定することを特徴としている。実験的にも,測定結果に対する多重散乱による影響がほとんどないことを確認済みである(甲29)。
また,F-NBDにおける回折強度を,多重散乱理論を用いて試算した結果からも,F-NBDが採用する測定条件下では,多重散乱の影響が少ないことが分かった(甲45)。被告は,この試算結果を批判するが,いずれも理由がないものである(甲52)。
仮に,多重散乱による影響がわずかにあったとしても,回折スポットの強度に対して微小に影響するものであって,回折スポットの位置に影響するものではない(甲29)から,多重散乱は,回折スポットの位置を横軸に,その強度を縦軸に示す測定プロファイルの形状に対しては,ほとんど影響を与えない。
bそして,F-NBDは,測定プロファイルのどのピークがどの層からの回折波であるかを同定することができ(甲47,48),そのピーク形状を見れば,シミュレーションによらずとも,活性層の格子間距離とInPの格子間距離の大小関係を即座に判断することができる(甲29)から,多重散乱による影響がわずかにあったとしても,少なくとも,格子間距離の大小関係の測定結果には,全く影響はない。
そして,被告レーザ素子の測定プロファイルには,InP層の格子間11距離を示すピーク位置の右側(格子間距離がInPより小さいマイナスの歪層があることを示す。)及び左側(格子間距離がInPより大きいプラスの歪層があることを示す。)にピーク位置が現れている。
被告は,包絡線のピークという考え方自体,動力学的回折理論を適用すべき場合には,適用できない考え方であると主張するが,原告は,運動学的回折理論による計算強度と多重散乱を含めた強度計算の比較により,運動学的回折理論の適用が正当化されることを確認している(甲65)から,被告の批判は当たらない。
(ウ)フィッティング処理についてa前述のように,F-NBDにおいては,多重散乱の影響がほとんどないことから,運動学的回折理論を前提としたフィッティングが可能である。
そして,F-NBDにおいて使用したシミュレーションモデルは,「歪多重量子井戸レーザダイオードのTEM分析」と題する論文(乙17)に記載されたシミュレーションモデルをベースとして,結果にそれほど影響を及ぼさない範囲で近似を行い,かつ,必要な補正を加えたものである。
なお,シミュレーションモデルとしては,位相項を乗じる式が正確ではあるが,位相項の結果への影響はわずかであるため,位相項を乗じない近似を行っている。念のため,原告において,位相項を乗じる式を採用してフィッティングを行ったが,原告の採用したシミュレーションモデルを使用した場合と同様に,X線回折法(以下「XRD」という。)による測定結果とよく一致し,かつ,被告レーザ素子がいずれも本件発明の構成要件を充足することを確認した(甲31)。
b被告は,固定値でなければならないものが,変動パラメータとして扱われている等として,原告によるフィッティングの方法が不適切で12あると主張する。
しかしながら,原告の行っているフィッティングによる定量化は,格子間距離の大小関係が分かる程度の精度があるかを調べるためのものであって,厳密な定量化自体が目的ではないから,固定値とすべきものを変動パラメータとして取り扱っている等の事情があっても,フィッティングの目的を達成する上では,何の支障もない。
(エ)試料の薄片化による影響について測定試料を薄片化することによる変形・変質が,F-NBDによる測定結果にほとんど影響を与えないことは,XRDによる測定結果との比較対比によって,実験的に確認済みである(甲12,29)。また,F-NBDで使用するような試料厚では,歪の開放による影響が非常に少ないことを裏付ける論文も存在する(甲32)。
(オ)界面付近のInP領域の歪による影響についてa被告は,界面付近のInP領域の歪による影響の存在を主張するが,被告の主張は,あくまで可能性のレベルを超えていない。
これに対し,原告は,活性層の側壁付近のInP領域に電子線を照射しても,歪があれば出現する回折波のサテライトピークが生じていないことを実験的に確認する(甲48)とともに,M-NBD(後記イ参照)によって,HL1594のレーザ素子を測定したところ,側壁領域のInPの格子間距離の差は,最大でも0.00117nmであって,基板のInPの格子間距離と同等の値であることを確認した(甲60)。
したがって,活性層の側壁付近に歪が生じているとはいえないから,被告の主張は理由がない。
b仮に,被告が主張するように,界面付近のInPに0.3%の歪が生じているとして,測定プロファイルのInPのピーク位置をその分13だけ右側にシフトさせたとしても,依然として,シフトさせたInPのピークの右側にピークが存在しており,InPのピークとバリア層のピークの位置関係は,変わらない。
したがって,界面付近のInPに歪みが生じているとしても,バリア層の格子間距離は,InPの格子間距離より小さいことに,変わりはない。
(カ)その他の被告の主張について被告は,バリア層の信号強度の方が大きくなければならないと主張するが,回折パターンの長さに起因する励起ずれ等により,信号強度が照射領域に占める各層の割合と厳密には合わないことがあっても不思議はない。
また,被告は,ピーク間の距離が違うにもかかわらず,格子定数が同程度の差しかないことを指摘する。しかしながら,ピーク群A,Cは,それぞれ一つの大きな強度A’,C’として捉え,そのピーク位置を認識する必要があるところ,そのピーク位置は,大まかな近似によってもほぼ対称であって,測定された格子間距離の値と比べても,不自然ではない。
なお,これは,理論的に作成することができる包絡線を大まかな近似として作成したものであるから,これに対する被告の批判は,当たらない。
イ被告による測定方法の問題点被告の依頼を受けた財団法人材料科学技術振興財団(以下「MST」という。)が採用したナノビーム電子線回折法(以下「M-NBD」という。)は,直径約10nmの照射線を用いているが,被告レーザ素子の量子井戸層の膜厚が約8nmで,バリア層も同程度であることからすると,いずれの層に照射した場合にも,測定対象でない上下の層の格子間距離の14情報が,必然的に混入する。
加えて,電子ビームの径は,物質内部を透過する間に広がることが知られており,試料内部を200nm透過する間に,10nm程度は広がることから,M-NBDのビーム径が10nmであることや量子井戸層及びバリア層がいずれも10nm以下であることを考慮すると,電子ビームの照射領域に占める量子井戸層及びバリア層の面積は,ほぼ同程度になる(甲41)。
そして,バリア層に由来するピークと量子井戸層に由来するピークの位置は近いことから,ほぼ同じ大きさのピークの重なり合いが生じ,結果的には,合成されたピーク位置が,量子井戸層とバリア層のピークの中間位置に近くなる。これは,回折スポット位置がずれることにより,量子井戸層及びバリア層の各格子間距離も,両者の平均値になりやすいことを示すものである(甲62)。このことは,M-NBDを実施したMST自身も,認めるところである(甲64)このように,M-NBDは,各回折スポットの位置及び強度が,2種類の情報に由来しているにもかかわらず,それらを峻別することなく,いずれか一つの格子間距離に由来するものとして扱っている。
そのため,量子井戸層の格子間距離にはバリア層由来の小さな値が混入して真値より小さく,バリア層の格子間距離には量子井戸層由来の大きな値が混入して真値より大きく測定され,誤差が大きく,正確な格子間距離が測定できない(甲12,41,61,62参照)。
そして,回折スポットの位置がずれるということは,回折スポット間の距離を測定することによって格子間距離を求めているM-NBDにとって,致命的な問題である。
また,測定値が量子井戸層とバリア層の平均値になるということは,被告によるM-NBDによる被告レーザ素子の測定結果(LE7602につ15き乙1の1,HL1513につき乙21の1,HL1594につき乙22の1)自体,被告レーザ素子のバリア層がマイナス歪であり,その格子間距離がInPの格子間距離より小さいことを示している。
ウXRDとの対比(ア)同一の測定試料について,各種結晶性材料の格子間距離を誤差なく求める方法として最も実績があるXRDとF-NBD,XRDとM-NBDの各測定結果を比較した結果,?F-NBDの方がM-NBDより測定誤差が小さいこと,?M-NBDは,量子井戸層の格子間距離はより小さく,バリア層の格子間距離はより大きく測定されていること等から,F-NBDの方が正確であるといえる(甲12)。
(イ)被告は,XRDによる測定に用いた試料とF-NBDによる測定に用いた試料が同一ではないと主張する。
しかしながら,原告は,検証に用いる試料を,結晶成長後にフォトルミネセンス法によりウエハ内の発光波長分布を調査して,均質性を確認しているとともに,XRDによっても,均質性を有することを確認した。
また,試料の形状が異なる点については,比較検証の目的上,当然のことであって,批判されるいわれはない。
(ウ)また,被告は,原告が行ったXRDの測定結果は信頼できないと主張する。
しかしながら,XRDによる多層膜の解析は,通常行われている方法であること,原告が行ったXRDの測定結果が他の測定機関によるXRDの測定結果ともほぼ同様であること(甲36,37),フィッティングにも問題はないこと等から,原告が行ったXRDの測定結果は,信頼することができる。
エ被告は,F-NBDの測定プロファイルのピーク位置の重なりの可能性を指摘するが,F-NBDにより,InP領域のみに照射線を当てて測定16し,次に活性層領域のみに照射線を当てて測定したところ,バリア層のピークは中央の最大ピークの位置には生じていないことが判明した(甲14)。したがって,ピークが重なり合うことで,右側の複数ピークの真の中央部が隠れて見えなくなっている可能性があるとの被告の主張は,理由がない。
(5)設計思想についての被告の主張についてア被告は,被告レーザ素子の設計思想や本件発明の課題解決の要否に基づく主張をしている。
しかしながら,構成要件を充足するか否かは,被告レーザ素子が本件発明の技術的範囲に属するか否かによって定まる。そして,特許発明技術的範囲は,特許請求の範囲の記載に基づいて定められる(特許法70条1項)から,被告レーザ素子の設計思想や課題解決の要否とは無関係である。
また,被告が主張する設計思想は,原告の検証結果から信じ難い。
イ(ア)仮に,本件発明の課題解決手段を必要とするか否かによって,本件発明の技術的範囲に属するか否かの判断が左右されるとしても,被告レーザ素子が本件発明の課題解決手段を必要としていることは,明らかである。
すなわち,被告レーザ素子が,設計値において臨界膜厚を下回っていたとしても,予測困難な欠陥の発生や動作温度による影響を考慮して,歪補償構造を取り入れて転位が起こる可能性を減らすという意味で,本件発明の技術的思想を使うことは,必要かつ有用である。
(イ)被告は,これを本件発明の不当な拡張解釈であると主張する。
しかしながら,「転位の発生を防ぐ」という技術思想は,「転位の発生によりレーザ特性が劣化するという問題」がある点にかんがみてなされた本件発明の一態様にすぎず,本件発明の効果も,「転位の発生を防ぐ」ことではなく,「高性能である量子井戸半導体レーザが得られる」17ことである。そして,歪を緩和して,転位の発生を緩和するという発明は,本件当初明細書に記載されていたことから,何ら不当な拡張解釈には当たらない。
(被告の主張)(1)被告が製造・販売するレーザ素子LE7602,TRF7052(ただし,レーザ素子は,外部から購入したものである。),HL1513,HL1594が,被告の製品であることは,認める。
(2)被告レーザ素子の構成及び構成要件充足性についてアLE7602に搭載されたレーザ素子について(ア)当該レーザ素子が,InP基板上に形成された量子井戸層からなるx11-x1y11-y1 活性層を含むこと,量子井戸層の組成がGaInAsP(0x21-x2y21-y2 (イ)当該レーザ素子のバリア層の組成がGaInAsP(0(ウ)当該レーザ素子が,1.55μm用のレーザ構造であることは認める。
イTRF7052,HL1513及びHL1594についてTRF7052,HL1513及びHL1594に搭載されたレーザ素子が,構成要件AないしDを充足することは,いずれも否認する。
(3)構成要件Cの解釈構成要件Cは,活性層全体としての平均的な格子定数がInPの格子定数に等しいという条件を満たす程度に,バリア層の格子定数がInPの格子定18数よりも小さいことを意味すると解釈すべきである。
ア本件当初明細書には,?バリア層の格子定数とInPの格子定数とが等しい場合と,?バリア層の格子定数がInPの格子定数より小さい場合の二つの態様が規定され,?の態様については,「活性層全体としての平均的な格子定数をInPの格子定数に等しくする。」と明確に記載されていたが,補正により,?の態様が削除され,?の態様だけが残った。
そして,本件発明が,本件当初明細書に記載された事項の範囲を超えないとすれば,?の態様の発明であるはずの本件発明の構成要件Cは,内在的に「活性層全体としての平均的な格子定数がInPの格子定数に等しい」との条件を含んでいるものと解さざるを得ず,そうでないとすれば,明細書の要旨の変更により出願日が繰り下がり,無効とされるべきものである。
仮に,原告が主張するとおり,本件発明が,最初から,バリア層発明の詳細な説明に記載することは極めて容易であったはずである。
それにもかかわらず,本件当初明細書には,そのことは記載されていない。
また,本件当初明細書における,活性層全体の平均格子定数をInPの格子定数と等しくすることでnを数百層まで増やすことができるとの記載は,量子井戸層の歪量とバリア層の歪量とがちょうど打ち消し合うように,バリア層に反対の歪を入れれば,nを増やしても,Matthewsの臨界膜厚曲線との隔たりは変わらないという考えに基づくものであって,バリア層にマイナス歪を入れることによって,臨界膜厚曲線から少しでも遠ざけるという考えとは,全く別のものである。したがって,原告の主張は,本件当初明細書にも本件明細書にも存在しない「歪補償」という用語を用い,「歪補償」に「歪の緩和」の意味を持ち込むことによって,技術概念のすり替19えを図るものである。
また,前記?の態様は,実施例のみならず,本件当初明細書の作用欄に記載され,まさしく,本件発明そのものの作用として説明されているから,これを単なるベストモードの説明だということはできない。
イ原告は,本件発明の技術的範囲を定めるに当たって,発明の詳細な説明参酌する必要はないと主張する。
しかしながら,発明とは,目的,構成及び作用・効果が一体となった技術思想であり,発明の実体が何であるかは,発明の詳細な説明欄に記載された発明の目的,構成,作用・効果と実施例によって初めて正確に理解することができる。
ウまた,仮に,原告が主張するとおり,本件発明が,量子井戸層の格子定数がInPの格子定数より大きい(量子井戸層の歪がプラス)場合に,バリア層の格子定数を(たとえわずかでも)InPより小さくしたものであるとすれば,量子井戸層の格子定数をInPより大きく(プラス歪)した歪量子井戸構造について,バリア層の格子定数をInPより小さく(マイナス歪)すれば,臨界膜厚曲線から遠ざかるのは,自明の理であって,本件出願当時広く知られていたMatthewsの臨界膜厚曲線から,当業者にとって自明の事項を後記乙8刊行物を含む歪量子井戸の公知技術に適用しただけの発明ということになる。
また,仮に,原告の主張のとおり,格子定数がバリア層新規性を有しないこととなる。
原告は,乙12発明は,格子整合と同視できるものであって,補正によって排除されていると主張する。そうであるとすれば,格子定数を厳密に20制御することは不可能であるから,0.2〜0.3%程度の歪が入ったものは,原告がいうところの「格子整合と同視できる範囲」に含まれるというべきであって,格子整合と同視できる範囲が排除されているというのであれば,被告レーザ素子も,この排除された範囲のものというべきである。
(4)被告レーザ素子のバリア層の格子定数について被告レーザ素子は,量子井戸層はわずかな正の歪を有するのに対し,バリア層は,以下に述べるとおり,実質的に歪のない層となっており,「バリア層の格子定数がInPの格子定数より小さい」という要件を充たしておらず,ましてや,「活性層全体としての平均的な格子定数がInPの格子定数に等しい」という条件も満たしていない。
したがって,被告レーザ素子は,本件発明の構成要件Cを充足していない。
ア被告レーザ素子の設計思想(ア)被告レーザ素子は,量子井戸層に圧縮歪を加えたが,バリア層は無歪としており,バリア層の格子定数をInP基板の格子定数より小さくして,バリア層に量子井戸層とは逆の引張歪を持たせるという設計思想に基づいて作られたものではない。
(イ)原告は,「歪補償」を本件発明の基本思想であるとする。歪補償とは,バリア層に量子井戸層と逆の歪を導入することによって活性層全体としての歪量(平均歪量)をゼロにすることを意味する(原告は,歪の発生を緩和することを含む趣旨で用いているようである。)。そして,歪補償が必要となるのは,量子井戸層の歪量と活性層の周期nにおいて,量子井戸層の膜厚又は活性層総体としての歪量が臨界膜圧(転位が発生する条件。量子井戸層の格子定数・膜厚,バリア層の格子定数・膜厚,層の繰返数nの相関によって決まる。)を超える場合である。
これに対し,被告レーザ素子の活性層は,膜厚,歪量及び積層数とも歪による転位が生じるような値よりも相当低いところにとどめており,21転位の発生によるレーザ特性の劣化という本件発明の課題が発生しない領域で,量子井戸を構成している。
したがって,正逆の歪により歪を補償するという本件発明の技術思想とは,全く無縁であり,また,バリア層の格子定数をInPの格子定数より小さくすることによる効果を奏する余地もない。
よって,被告レーザ素子が本件発明を実施したものと解する余地はなく,本件発明の技術的範囲に属さない。
(ウ)原告は,臨界膜圧を下回っていたとしても,歪補償構造を取り入れて転位が起こる可能性を減らすという意味で,本件発明の技術的思想を使うことは,必要かつ有用であると主張する。
しかしながら,本件当初明細書の〔作用〕欄に記載された本件発明の内容は,転位の発生を防止するという技術思想であるところ,このような原告の主張は,これを転位の発生の緩和,すなわち,転位の発生の可能性を低くすることにすり替えるものであって,本件発明の不当な拡張解釈である。
イM-NBDによる測定結果の正確性(ア)M-NBDによる被告レーザー素子の格子面間隔の分析結果(乙1)によれば,InPに対する量子井戸層,バリア層の縦方向成分の変化量は,量子井戸層で+0.002(+0.2%),バリア層で+0.001(+0.1%)であり,測定誤差±0.001(±0.1%)を考慮しても,バリア層において格子面間隔の-方向への変化量は確認できず,バリア層は無歪であるから,「バリア層の格子定数(イ)原告は,M-NBDによる測定結果には,ビーム径と膜厚との関係及び試料内部を透過する間にビーム径が拡がることにより,隣接する層の情報が混入しており,不正確であると主張する。
22しかしながら,原告がビーム径の拡がりと主張するものは,回折に寄与しない電子(非弾性散乱電子)の飛跡であって,回折スポットの形成とは無関係であり,回折スポットの形成に寄与する電子の拡がりは,MSTの解析条件に基づき計算すると0.05nm程度であって,ほとんど無視できる程度である(乙30)。そして,原告の主張どおりにビーム径が拡がっているとすると,回折スポットの間隔は,実際に測定された距離の6倍以上に拡がってしまい,実際の観測結果とも矛盾する。
また,電子線の照射範囲の一部に上下層が含まれたとしても,そのことが測定結果に与える影響は少なく,バリア層と量子井戸層のピークの中間位置に合成波のピークが出現するわけではない(乙15,16,34)から,InPとバリア層の格子間距離の大小関係が逆転して観察されることはない。
ウF-NBDの問題点(ア)フィッティングの問題点a原告のF-NBDによる電子線の照射領域は,量子井戸層よりバリア層の方が広いから,バリア層の信号強度の方が大きくなければならないはずであるにもかかわらず,原告の調査報告書(2)(甲4。以下「甲4報告書」という。)の図6では,量子井戸層の信号の方が強くなっている。また,同図では,InPのものとされるピークBと量子井戸層のものとされるピークAとの距離の方が,ピークBとバリア層のものとされるピークCとの距離より大きいにもかかわらず,甲4報告書の図7では,格子定数は,InPの格子定数値を基準に,プラス・マイナスほぼ同程度となっている。これらのことは,F-NBDの測定原理又は測定のフィッティングに誤りがあることを疑わせる。
原告は,ピーク群A及びCは,それぞれ一つの大きな強度A’及びC’として捉え,そのピーク位置を認識する必要があると主張するが,23A’及びC’の捉え方やそのピーク位置の認識の仕方自体,何の基準も示されておらず,正当性,客観性は全くない。また,そもそも,包絡線のピークという考え方は,運動学的回折理論の考え方であり,多重散乱の効果を無視できず,動力学的回折理論によるべき場合には,適用できない考え方である(乙47の1)。
bそして,F-NBDのようにフィッティングによって格子間距離を求めるためには,フィッティングが正しく行われていることが必要条件であるが,原告によるフィッティングは,それに用いた数式に誤りがあること,用いたとするパラメータも,本来,固定値でなければならないものが,変動パラメータとして扱われていること等,フィッティングの方法自体が不適切である(乙39)。
したがって,それにより得られた数値(測定値)には,根拠がない。
(イ)多重散乱の影響aそもそも,厚さ100nmを超える試料について,回折プロファイルに基づき格子間距離の情報を得るには,電子線が試料を透過する際に多重散乱され,その結果,回折プロファイルも多重散乱の影響を大きく受けることから,運動学的回折理論ではなく,多重散乱の影響を考慮に入れる動力学的回折理論に基づく必要がある。
しかしながら,多重散乱を正確にシミュレートするのは,計算が膨大になり,試料の厚さや各領域の膜厚等を厳格に測定する必要があるが,これは,ほとんどの場合,不可能である。したがって,被告レーザ素子のように,多層膜構造(バリア層8層,量子井戸層7層)で,しかも試料が厚いものを対象に,広い領域に電子線を照射する方法では,動力学的回折理論に基づいて正確な回折プロファイルを計算することは,実際上不可能である。
ところが,F-NBDによる測定結果を示す証拠(甲12,1324等)においては,多重散乱を考慮したことを示す記載はなく,試料の厚さも100〜200nmと非常に幅を持った数値で表現されていること等からすれば,多重散乱による影響を考慮したとは考えられないので,F-NBDには,致命的な欠陥がある。
bまた,運動学的回折理論の観点からしても,原告が用いたシミュレーションモデルには,数式の誤りや,InP領域の情報をどのようにシミュレーションモデルに取り込んだのかが不明である等の問題がある。なお,フィッティングの方法自体が不適切であることは,前記のとおりである。
原告は,数式の誤り(位相項の有無)は,結果に大きな影響を及ぼさないと主張するが,位相項は,二つの波が強め合うか弱め合うかに影響を与える事項であり,ピークの強度に強い影響を与えるものである。
c原告は,F-NBDは,多重散乱の影響が少ない条件下で測定しており,多重散乱理論を用いて試算した結果からも,多重散乱の影響が少ないことが分かったと主張する。
しかしながら,原告が主張する条件(二波励起条件)が成り立つということ自体,裏付けがなく(乙31の1),仮に,当該条件が成り立つとしても,運動学的解析が動力学的解析に近似するということはできない(乙30の1)等,F-NBDは多重散乱の影響が少ないということはできない。
また,原告が主張する試算結果(甲45)も,実際に用いたF-NBDとは異なる単純化した条件で行われたものにすぎない等の問題があり,これをもって,多重散乱の影響は少なく,運動学的近似が成り立つということはできない。
(ウ)試料の薄片化の影響25F-NBDを実施するためには,試料を薄片化する必要があるが,薄片化に伴い,?薄片化するためにFIB(収束イオンビーム)加工をすることによるダメージ層の形成及び試料表面層の組成変化が生じること,?試料の弾性変形により格子間距離も変化すること,?透過型電子顕微鏡(TEM)観察時の電子線照射に伴う試料表面の組成揺らぎが生じること,?歪の解放により,圧縮歪が加えられていた量子井戸層のみならず,無歪であるバリア層にも縦方向の格子間距離の減少が生じることからすれば,その測定結果は,薄片化による変化が生じた後の試料の測定にすぎず,信頼するに足りない。
(エ)活性層との界面付近のInP領域の歪による影響a量子井戸層に圧縮歪が入れられ,バリア層は無歪の場合には,多重量子井戸構造の平均格子定数はInPよりも大きくなるので,多重量子井戸構造との界面付近のInP領域には歪が存在する(乙33の1,44)。
そして,F-NBDは,約100nmのビーム径の電子線をInP領域と量子井戸層及びバリア層の積層部へ同時に照射するものであるから,電子線が照射されるInP領域は,多重量子井戸構造の側壁付近の,歪の影響を受けたバルクのInPの領域であるか,少なくともこれを含んだ領域となる。また,F-NBDの実測プロファイルにおいて,InPのピークを同定できるという原告の主張を前提にしても,同定できるInPのピークは,歪の影響を受けたバルクのInPということになる(乙44)。
のみならず,仮に,この側壁付近の領域のInPが多重量子井戸構造の側壁に格子整合しているとすると,同領域のInPは,量子井戸層とバリア層の平均格子定数に一致するように歪んでいることとなるから,側壁付近のInPをリファレンスとすれば,リファレンスの格26子定数は,必然的に,量子井戸層の格子定数とバリア層の格子定数の間に位置することとなる。
実際に,HL1513のレーザ素子について調査したところ,透過型電子顕微鏡(TEM)の暗視野像において,側壁付近に歪の影響と思われる部分が写っているとともに(乙33の1,45の1),M-NBDによる測定結果においても,側壁から10nmの位置のInPで,0.3%程度の歪があることが確認された(乙46の1)。
なお,原告は,別の型番の製品のレーザ素子について,0.00117nm(正確にいえば,0.2%)の歪があることをもって,基板のInPの格子間距離と同等と主張する。しかしながら,原告の主張は,その根拠が不明であるのみならず,原告,被告の双方が主張する被告レーザ素子のバリア層の歪量等に照らして,0.2%の歪は,F-NBDの信頼性を失わせるのに十分な値であるから,理由がない。
b他方,量子井戸層・バリア層にそれぞれ圧縮歪・引張歪が入れられ,多重量子井戸構造の平均格子定数がInPの格子定数に等しい場合には,その界面全体に蓄積される歪は存在しないかもしれない。しかしながら,その場合でも,ミクロの視点で見ると,多重量子井戸構造とInP領域の界面付近では,母層のInP自体に長周期の歪が入り,サテライトピークを生じる可能性がある(乙25の1)。
したがって,このサテライトピークを無視して,InPのピークを同定することはできない。
cこのほか,F-NBDで測定されるInP埋込層は,製造プロセスにおける様々な応力が加わっており,その結果,全体的又は局所的な歪の影響を受けたものとなっていると考えられることや,平均格子定数がInPの格子定数よりも大きい活性層がInPの中に埋め込まれている場合には,界面付近を中心に,活性層やInPの格子は,静水27圧的な応力を受けて変形し,歪が生ずること(乙52の1)ことから,その影響も考慮する必要がある。
dしたがって,F-NBDは,多重量子井戸構造の側壁付近の歪の入ったInPをリファレンスとしている点において,量子井戸層・バリア層の絶対的な格子間距離の測定方法としてはもとより,InPの格子定数とバリア層及び量子井戸層の格子定数との大小関係を比較する測定方法としても,致命的な欠陥を有している。
(オ)被告レーザ素子が本件特許の権利範囲に属するといえるためには,その格子定数を求める必要があるところ,F-NBDによって得られるものは,積層方向における格子間距離に関する情報である。そして,F-NBDにおける電子線の照射範囲内のInPと活性層のほとんどは,静水圧的応力等により,三次元的に不均一に歪んでおり,格子の面内方向(x,y方向)と積層方向(z方向)のそれぞれにつき歪量が独立した値をとることができることから(乙52の1),積層方向における格子間距離から格子定数を逆算することは,不可能である。
(カ)F-NBDは,原告独自の装置を用いた特殊なものであって,学会においても認知されておらず,正当な測定方法として認められたものではない。
(キ)a複数領域から同時に回折パターンを得るF-NBDでは,ピークが重複する可能性があり,原告がバリア層のものと主張する甲4報告書の図6の右側の複数ピークの真の中央部が隠れて見えなくなっている可能性があり,最大ピークより右側の位置にバリア層のピークが出ているということもできない。
原告は,バリア層のピークが中央の最大ピーク位置には生じていないと主張するが,F-NBDは,多重散乱の影響を考慮していないという欠陥がある以上,その主張には,理由がない。
28bそもそも,多重散乱効果の大きい試料において,運動学的解析により回折波の強度からピーク群やピーク群の位置を論じたり,どのピークがどの層に由来するかを対応付けたりすること自体,誤りである。
また,原告は,測定プロファイルのピーク形状をみることにより,格子間距離の大小を判断することができると主張する。しかしながら,「ピークの形状」ということ自体,包絡線の描き方が不明であり,その強度やピーク位置の求め方が不明である等の問題があることから,ピーク形状をみることで,格子間距離の大小関係を判断することはできない。
したがって,F-NBDにおいては,「InPのピーク」(これ自体,歪の影響を受けていることは,前記のとおりである。)の左右のピーク群の存在によって,格子間距離の大小が分かるとする原告の主張は,誤っている。
c加えて,前記のとおり,三次元的に不均一に歪んでいる場合には,積層方向における格子間距離から格子定数を逆算することは,不可能であるから,格子間距離の大小を比較したとしても,それによって格子定数の大小関係を導くことはできない。
エXRDとの比較について(ア)原告は,F-NBDの測定結果とXRDの測定結果とが一致していることをもって,F-NBDの測定結果が信頼できると主張する。しかしながら,原告がXRDに用いた試料とF-NBDに用いた試料は,同じエピウエハであっても別々の場所から採取したものであり,同じエピウエハでも場所による違い(面内分布)があることから,測定精度が問題となる場面では,同一の試料とはいえない。そもそも,XRDは非破壊検査であるから,二つの試料を作成する必要はないにもかかわらず,異なる部位から試料を採取しているのは,不可解である。
29また,F-NBDに用いた試料は,InP埋込層を形成し,薄片化した試料であって,前述した薄片化による格子間距離の変化に加えて,基板のInPではなく,後から溝に成長させたInP埋込層である点で,これが基板のInPと同じであるという保証はなく,同一の試料とはいえない。
M-NBDに用いた試料も,1枚のエピウエハの別の部位から採取したものであり,かつ,薄片化処理がされているから,XRDに用いた試料と同一の試料とはいえない。
このように,同一とはいえない試料を用いた測定結果を比較し,各測定方法の正確性等を論じることは,本件のような極めて精度が高い格子間距離の測定が求められる場合においては,比較の方法として不適切である。また,同一といえない試料を測定したにもかかわらず,その測定結果が一致するということは,F-NBDの測定精度に問題があることを示している。
(イ)一般に,XRDは,単層膜については比較的高い定量性をもった格子間距離の決定法であるが,多層膜を測定する場合には,フィッティングパラメータが各層の組成,膜厚となって,膨大になり,積層方向に組成分布がある場合の影響も避けられず,フィッティング精度について,十分な注意が必要である。
しかしがながら,原告の行ったXRDによる測定は,?シミュレーションモデルの内容が明らかにされておらず,適切なモデルが用いられたか,不明であること,?シミュレーションモデルに入力した既知のパラメータが不明であること,?最小二乗法によりフィッティングを行う際の近似誤差の計算式に誤りがあり,原告が行ったフィッティングの適切性について検証を行ったところ,実測プロファイルとシミュレーションプロファイルがよく一致していることは確認できなかったこと等,フィ30ッティングに問題があることが疑われることから,その正確性には,疑問がある。
(ウ)M-NBDにより取得される回折像は,一つの領域からの信号を基本とし,M-NBDは,その回折スポット間の距離を測定することによって格子間距離を求めるものであって,フィッティングに内在する誤差を含まないものである。そして,多重散乱は,出現するピーク位置には大きな影響を与えないから,M-NBDにおいては,多重散乱の効果を考慮する必要はない。また,上下の層が電子線の照射範囲に含まれたとしても,出現するピーク位置には大きな影響を与えないから,InPとバリア層の格子間距離の大小関係が逆転することはない。
さらに,M-NBDによる測定結果とXRDによる測定結果との比較に用いた試料が同一ではないことは,F-NBDについて述べたことと同様である。
(エ)以上のことに加えて,前記のとおり,F-NBDによる測定値自体根拠がないことから,XRDによる測定結果との誤差を対比して,F-NBDの方が正確であると主張すること自体,意味がない。また,F-NBDについて原告の行った比較は,三つの試料のみであり,それだけの測定をもって最大誤差というのは,誤差論として意味がなく,原告が主張する最大誤差も,プラスとマイナスが逆向きに生じた誤差を考慮していない。
そして,M-NBDについて原告が主張する誤差は,わずか一つの試料についての数字にすぎず,誤差論として,意味がない。
2争点(2)-ア(明細書の要旨変更の有無)について(被告の主張)(1)主張の要旨本件特許は,昭和63年11月11日に特許出願され,3回にわたる明細31書の補正を経て特許されたものであるが,第2回補正は,本件当初明細書に記載した事項の範囲内の補正ではなく,明細書の要旨を変更するものである。
それゆえ,本件特許出願の出願日は,旧特許法40条の規定により,第2回補正の手続補正書が提出された平成9年8月11日まで繰り下がる。
主張の詳細は,以下のとおりである。
(2)本件当初明細書の記載についてア本件当初明細書は,「量子井戸半導体レーザ素子の特性は,量子井戸が歪のある構造であり,その格子定数をバリア層の格子定数より大きくすることにより向上する。」(3頁12〜15行)として,従来技術としての歪量子井戸半導体レーザ素子に触れた上で,歪量子井戸半導体レーザ素子において,「1.3μm以上の長い波長で発振する高性能な歪層量子井戸半導体レーザ素子を提供すること」(5頁17〜19行)を発明の目的として挙げている。そして,GaAs基板上にクラッド層(バリア層)と歪を有する厚さ40ÅのGaInAs量子井戸層を積層したものを0.630.37従来技術の例として挙げ,このGaInAs/GaAs系の従来技術で1.3μmより長い波長の発振を得る組成にしようとすると,「量子井戸層に臨界値以上の大きな歪が生じ,それに伴う転位の発生によりレーザ特性が劣化するという問題」(5頁11〜14行)があることを解決すべき課題として挙げている。そして,この課題を解決する手段を説明するために三つの実施例を記載し,それら三つの実施例に即して,請求項1ないし5の発明を記載している。
その請求項1の記載は,次のとおりである。
「InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-?族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,組成C の量W子井戸層の格子定数a(C ),InPの格子定数a(InP)および組成 WC のバリア層の格子定数a(C )が,a(C )=a(InP)そして,本件当初明細書の〔課題を解決するための手段〕欄の記載は,請求項1の記載の引き写しにすぎないから,技術思想の詳細な説明として重要なのは,〔作用〕欄の説明であるところ,本件当初明細書の〔作用〕欄には,臨界値以上の大きな歪が生ずることに伴う転位の発生という問題を解決するための手段として,?量子井戸層の格子定数をバリア層の格子定数より大きくし,次に,??バリア層の格子定数をInPの格子定数と等しくすることにより,InP基板上のバリア層の歪みを防ぐか,又は,?バリア層の格子定数その上で,その実施例として,第1の実施例は?の方のもの,第2の実施例は?の方のもの,第3の実施例は?の方のものを記載している。
ウ以上のとおり,本件当初明細書は,請求項1において,?a(C )=a(InP)択一的に記載し,格子定数関係式?に係る発明は,「歪のない,InPより小さい格子定数をもつ」バリア層と,「歪のない,InPより大きい格子定数をもつ」量子井戸層からなり,「平均の格子定数がInPに格子整合する活性層を有」するという前提条件の下で成立する発明として記載され,それが,第2の実施例によりサポートされていたのである。
(3)第1回補正これに対して,平成8年8月1日付けで拒絶理由通知(第1回)がされ(乙2の3),これ対する平成8年11月5日付けの第1回補正により,格子定数関係式?を特許請求の範囲の記載から削除し,また,第2の実施例中の「歪のない,InP」との記載から「歪のない」との部分が削除された。
これは,当該補正時までに新たに獲得された知見を反映させたものであり,そのことは,本件当初明細書には技術概念の片鱗さえ示されていなかった「歪の緩和」(量子井戸層に加えた圧縮歪をバリア層の引張歪で緩和させる構成)なる概念が提示されていることに表れている。
(4)第2回補正第1回補正後に第2回拒絶理由通知を受け,拒絶査定を受けたが,原告は,拒絶査定不服審判を請求し,その手続中,平成9年8月11日付け補正書において,明細書全文を補正した(第2回補正。乙2の9)。
ア活性層全体の平均格子定数(ア)第2回補正により第1の実施例における「活性層(17)の平均格子定数はInPより大きく,InPとは格子整合になっていない。」との記載及び第2の実施例における「平均の格子定数がInPに格子整合する活性層(17)を有し」との記載を削除した結果,補正後の実施例における活性層の平均格子定数に関する記載としては,「活性層17の平均格子34定数は,量子井戸層20とバリア層21の厚みと組成を調整することによってInPの格子定数に等しくすることができる。」との記載のみが残ることとなった。
しかしながら,この記載は,第2の実施例において前提条件とされていた「平均の格子定数がInPに格子整合する活性層(17)を有」するようにするための解決方法を説明していたものであって,この前提条件を抜きにして,単に,量子井戸層(20)とバリア層(21)の厚みと組成を調整することによって,平均の格子定数をInPの格子定数に等しくしたければすることができるという内容を述べていたものではない。このことは,本件当初明細書の〔作用〕欄に,「a(C )しかも,補正後の当該記載の直前には,「バリア層21の組成は,バンドギャップが量子井戸層のバンドギャップより大きく,かつ,格子定数がInPの格子定数よりも大きくなる(注:「小さくなる」の誤記)組成を選択する。すなわち,図2において斜線が入っていない領域で,等バンドギャップ線Cよりも右側の組成から選択する。」という,本件当初明細書の記載からは導き出すことのできない,新たな事項が書き加えられている。
前記のような記載の削除と付加をした後の「活性層17の平均格子定数は,量子井戸層20とバリア層21の厚みと組成を調整することによってInPの格子定数に等しくすることができる」との記載は,「平均の格子定数がInPに格子整合する活性層(17)を有し」という前提条件35を抜きに,単に,量子井戸層とバリア層の厚みと組成を調整することによって,活性層の平均格子定数をInPの格子定数に等しくしてもよいとする解釈を可能とする内容に変更されたのである。
(イ)さらに,これと相まって,第1の実施例における「量子井戸の数nは小さい整数,例えばn=3に定める。」という活性層の歪量が上限値を超えないための前提条件である重要な指標の記載を削除して,代わりに「例えば量子井戸層の層数nを3とした場合,・・・」を挿入した。
こうして,第1の実施例から,nを大きくできないとする前提が削除され,「n=3」は,単なる例示的記載とされてしまった。
(ウ)このような実施例及び作用・効果の記載の変更は,本件当初明細書に記載されていた発明の実体を変更するものであり,明らかな要旨変更である。
イ新たな実施例の創出第2回補正においては,互いに相容れない「活性層の平均格子定数はInPとは格子整合になっていない」との第1の実施例についての記載と,「平均の格子定数がInPに格子整合する活性層を有し」との第2の実施例についての記載を削除し,残った部分をつなぎ合わせて,一つの実施例とした。この補正後の実施例は,本件当初明細書の第2の実施例の前提条件であった活性層の平均格子定数がInPに格子整合するという条件を外したものになっている。これは,本来,活性層の平均格子定数とInPとの格子整合の有無という前提条件を異にする二つの実施例を,表現上の操作だけで組み合わせて一つの実施例にするものであり,新たな実施例を創出するものである。
そして,この実施例は,格子定数関係式?を実質的内容とする第2回補正後の請求項1をサポートすべき唯一の実施例であるところ,このように重要な意義を有する実施例についての記載内容を実質的に変更する補正は,36発明の技術的範囲変更をもたらすものであり,明細書の要旨を変更するものである。
ウバリア層の組成の選択範囲の拡大(ア)第2回補正により,バリア層の組成は,本件当初明細書の第2図の等格子定数線である実線L上にあること,すなわち,InPの格子定数に等しいことを意味する本件当初明細書の記載を削除し,「バリア層の組成は,バンドギャップが量子井戸層のバンドギャップよりも大きく,かつ,格子定数がInPの格子定数よりも大きくなる(注:「小さくなる」の誤記)組成を選択する。即ち,図2において斜線が入っていない領域で,等バンドギャップ曲線Cよりも右側(注:「左側」の誤記)の組成から選択する。」との記載を付加している。これにより,本件当初明細書の第2図のL線上の範囲のみならず,それより左斜め上方の領域で,等バンドギャップ曲線Cよりも左側の組成をすべて含み得る記載となっている。
これは,明らかにバリア層の組成の選択の範囲を拡大しており,その意味がL線上を含まないとすれば,全くの変更となる。
(イ)また,本件当初明細書の第2の実施例が,バリア層の格子定数をInPの格子定数よりも小さくする場合には,活性層の平均格子定数がInPの格子定数と等しくなるようにバリア層の組成を選択すべきものとされていたことからすれば,バリア層の組成は,前記の領域すべてではなく,この条件を満たし得るような組成領域のみが,本件当初明細書に開示されていたといえる。
(ウ)したがって,前記の付加された記載は,本件当初明細書のどこからも導き出せない新たな事項であり,本件当初明細書には記載されていなかった新たな技術的事項の追加に当たる。
エ新たな作用効果の追加37(ア)第2回補正により,本件当初明細書の〔作用〕欄の記載(前記のとおり,転位の発生によるレーザ特性の劣化という課題の解決手段を裏付けるものとして,?バリア層の格子定数をInPの格子定数と等しくすること又は?バリア層の格子定数このことは,本件当初明細書には,〔従来の技術〕欄において,望ましい特性が願望として列挙されているだけで,本件発明から所望の効果が得られることは,記載されていない。仮に,そのような効果を本件当初明細書から読み取るとしても,それは,?バリア層の格子定数をInPの格子定数と等しくしたもの,又は,?バリア層の格子定数(イ)また,〔課題を解決するための手段〕欄に書き加えられた「歪による転位の発生が緩和された」という事項は,第2回補正により初めて導入された技術概念であり,これが,本件当初明細書に記載されていた,バリア層の格子定数=InPの格子定数とするか,活性層全体の平均格子定数=InPの格子定数とする手段のみならず,単に,格子定数がInP基板より大きい所定膜厚以内の量子井戸層と,格子定数がInPよ38り小さいバリア層を交互に積層するという手段まで含む意味であるとすれば,それは,本件当初明細書に記載されていなかった新たな技術概念に基づく異質・新規な作用・効果であり,発明そのものの変更である。
オ以上のすべての点において,第2回補正は,本件当初明細書に記載されていた事項の範囲を超える補正であり,明細書の要旨を変更するものである。
したがって,本件特許出願の出願日は,旧特許法40条により,第2回補正の補正書が提出された平成9年8月11日に繰り下がる。
(5)原告の主張についてア原告は,特許請求の範囲は,拡張されていないと主張する。
しかしながら,明細書の要旨変更の有無を判断する基準は,当初明細書にどのような技術的事項が開示されていたかであって,特許請求の範囲に,形式的に何が記載されていたかではない。発明は,目的,構成,効果を一体としてみた1個の技術的思想として把握されるべきものであるから,明細書中に記載された目的,効果の補正は,発明の実体の変更をもたらす可能性があり,特許請求の範囲変更がなくても,発明の詳細な説明実施例の補正によって発明の実体が変われば,要旨変更となる。
そして,前記のとおり,第2回補正によって,発明が実質的に変更されたことは,明らかである。
イ原告は,本件特許の特許請求の範囲の記載事項は,本件当初明細書に記載されていると主張する。
しかしながら,本件当初明細書の〔課題を解決するための手段〕欄の記載は,特許請求の範囲に記載した事項をそのまま課題解決手段として記載しているにすぎない。むしろ,〔作用〕欄の発明の作用・効果についての記載を読めば,「a(C )また,原告は,特許出願人や特許庁の審査官等が,本件当初明細書と同一内容の本件特許に係る公開特許公報(乙2の2。特開平2-130988。以下「本件公開公報」という。)に「バリア層に引張歪を加え,歪を補償する」ことが記載されていると理解していると主張するが,「願書に最初に添附した明細書又は図面に記載した事項」を判断する際の基準となるのは,本件特許出願の出願日における当業者の認識であるから,本件特許出願から何年も経過し,歪量子井戸半導体レーザ素子に関する技術的知見が飛躍的に増大し,蓄積した時点における当業者の理解を挙げても,不適切である。
ウ原告は,実施例の補正によっても,権利範囲は変化しないと主張する。
しかしながら,実施例は,通常,発明の思想を最もよく具現化したものであることは事実であり,実施例が変われば,発明思想の変更をまず疑ってかかるべきことも当然である。
そして,本件当初明細書に一体性をもった技術思想として唯一開示されていたのは,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくすることであり,そのための条件としての「a(C )(原告の主張)(1)特許請求の範囲は,拡張されていないこと。
本件発明と本件当初明細書の請求項1とを比較すれば,?当初は限定のなかった量子井戸層の膜厚を,2.5nm〜30nmに限定している,?当初40は限定のなかった量子井戸層とバリア層の組成を,GaInAsP x11-x1y1(0減縮であり,文言上も,解釈上も,拡張されたと考え得る補正は,皆無である。
(2)特許請求の範囲の記載事項は,本件当初明細書に記載されていること。
ア本件発明の「量子井戸層はその格子定数がInPの格子定数よりも大きい」との構成要件は,本件当初明細書の〔課題を解決するための手段〕欄に記載された格子定数関係式?(a(C )構成要件は,格子定数関係式?中の「a(C )構成要件は,本件当初明細書に記載されていた。
イ本件当初明細書に記載された発明は,従来の歪量子井戸半導体レーザ素子では,1.3μm又はこれよりも長い波長の発振をGaIn Asの1-xx活性層より得るためには格子定数が大きくなり,量子井戸層に臨界値以上の大きな歪が生じ,それに伴う転位の発生によりレーザ特性が劣化するという問題があることにかんがみ,〔課題を解決するための手段〕及び〔発明の効果〕の各欄に記載されているように,a(C )=a(InP)41ウ特許出願人や特許庁の審査官等も,本件公開公報には「バリア層に引張歪を加え,歪を補償する」ことが記載されていると理解して,後願や特許異議の申立て,拒絶理由通知等において,これを引用発明として記載している。このことから,当業者は,本件公開公報から,「活性層の平均格子定数=InPの格子定数」が必須の前提要件であるとは理解せず,格子定数を「a(C )エ被告は,〔課題を解決するための手段〕欄の記載は,特許請求の範囲に記載した事項をそのまま課題を解決する手段として記載しているにすぎず,むしろ,〔作用〕欄の発明の作用・効果についての記載を読めば,格子定数関係式?が,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくすることを前提としたものであったことは明らかであると主張する。
しかしながら,課題を解決する手段として記載された発明を権利範囲として請求することは,特許請求の範囲の記載要件に合致するとともに,出願人の一般的な理解として,極めて自然かつ妥当なことである。また,本件当初明細書に貫いて記載されたバリア層,InP層,量子井戸層における格子定数の大小関係のみからなる技術思想にかんがみれば,〔作用〕欄の記載は,本件発明の技術思想の一態様を示すものにすぎないことは,当業者にとって明らかである。
(3)実施例の補正によっても,権利範囲は変化していないこと。
実施例は,あくまで明細書全体を貫かれて完結した技術思想の実施例の一つにすぎない。また,原告は,出願過程において,活性層の平均格子定数=InPの格子定数ということを審査対象とする旨の主張をしたことはなく,特許請求の範囲を「a(C )実施例の補正により,権利範囲が活性層の平均格子定数=InPの格子定数の場合に限定されるか否かは変化せず,42明細書の要旨変更が生じる理由はない。
(4)被告が明細書の要旨変更と主張する各根拠についてア活性層全体の平均格子定数に関する被告の主張について(ア)特許請求の範囲に記載された発明は,明細書のどこかにサポートされていれば足り,実施例という形でサポートされている必要はない。そして,格子定数関係式?及び?は,いずれも単に格子定数の大小を規定しただけで,当業者であれば,それ自体で,その意味を理解することができるから,あえて実施例として記載されている必要はない。
(イ)また,本件当初明細書の第2の実施例は,「活性層は,nが数百の量子井戸層およびバリア層数まで,歪の誘起する転位を生じることなく成長させることができる。」という点で,「高性能」という本件発明の効果を更に高めるものであり,格子定数関係式?の単なる実施例であって,これが格子定数関係式?に係る発明の要旨であるということはできない。
したがって,第2の実施例に記載された事項をもって,本件発明を限定的に解釈することはできない。
(ウ)さらに,本件当初明細書の第1の実施例についても,元々,「例えばn=3に定める。」として,「n=3」は,単なる例示的記載であったのであるから,例示的記載にされてしまったとする被告の認識は,明らかに誤りである。
したがって,このような誤解に基づき明細書の要旨変更であるとする被告の主張には,理由がない。
イ新たな実施例の創出であるとの被告の主張について(ア)本件特許の第2回補正後の実施例は,本件当初明細書の特許請求の範囲に含まれるものであり,かつ,本件当初明細書に記載された実施例と基板や組成等の前提部分で共通する。このような第2回補正後の実施43例が本件発明の一例として含まれることは,本件当初明細書から明らかであり,実質的に本件当初明細書に記載されていたも同然であるから,第2回補正を新たな実施例の創出とする被告の認識は,失当である。
(イ)また,発明の技術的範囲は,特許請求の範囲に記載された発明に基づいて定められるのが原則であるから,第2回補正における実施例の補正が発明の技術的範囲変更をもたらすとの被告の主張は,失当である。
ウバリア層の組成の選択範囲に関する被告の主張についてバリア層とは井戸層よりもバンドギャップが大きい層のことであるから,「バリア層21の組成は,バンドギャップが量子井戸層のバンドギャップよりも大きく,かつ,格子定数がInPの格子定数よりも大きくなる(注:「小さくなる」の誤記)組成を選択する。」との第2回補正後の記載は,格子定数関係式?から,直接かつ一義的に導き出せるものである。
そして,このような組成を本件明細書の図2上に書き写した場合に,バンドギャップ線Cの左側かつ等格子定数線Lの上側の領域,すなわち,「斜線が入っていない領域で,等バンドギャップ線Cよりも右側(注:「左側」の誤記)の組成」となることも,一義的な事項である。
したがって,第2回補正におけるバリア層の組成の選択範囲に関する記載の追加が,本件当初明細書には記載されていなかった新たな技術事項の追加に当たるとの被告の主張には,理由がない。
エ新たな作用効果の追加であるとの被告の主張について(ア)被告が指摘する,?バリア層の格子定数をInPと格子整合させ,かつ,転位が起きない程度に量子井戸層の厚み(n数)を小さくしたものと,?活性層全体の平均格子定数をInPと格子整合させたものとは,量子井戸層に圧縮歪を持たせたこと及び転位の発生に対する考慮がなされていることの2点で共通する。そして,本件当初明細書の記載から,この?及び?の構成を有するものが,閾値電流が低い,変調周波数が高44い,波長チャーピングが小さいという効果を有することは明らかである。
他方で,格子定数関係式?のうち,「a(InP)したがって,これと同一の構成である本件発明も,本件当初明細書記載の閾値電流が低い,変調周波数が高い,波長チャーピングが小さいという効果を有することは明らかである。
(イ)また,「歪による転位の発生が緩和された」という事項についても,本件当初明細書には,「転位の発生を防ぐことができる。」という,ほとんど同意義の記載がある。
確かに,本件当初明細書では,活性層の平均格子定数=InPの格子定数の場合を理想的な形態と位置付けている。しかしながら,ある側面(例えば,転位の発生の防止という観点)から理想的な状態(例えば,活性層の平均格子定数=InPの格子定数の場合)の効果を記載することで,これに至らない場合(例えば,a(C )したがって,「緩和」という語自体が本件当初明細書に記載されていなかったからといって,異質かつ新規な作用効果とはいえず,発明そのものの変更とはいえない。
オ以上のとおり,被告が明細書の要旨変更と主張する根拠は,いずれも理由がなく,第2回補正は,本件当初明細書に記載されていた事項の範囲を超えるものではないから,明細書の要旨を変更するものではないことは,明らかである。
453争点□-イ(明細書の要旨変更による出願日繰下げを前提とする新規性及び進歩性の欠如)について(被告の主張)(1)本件特許出願の出願日は,旧特許法40条により,第2回補正の補正書が提出された平成9年8月11日に繰り下がる。
(2)本件発明の要旨本件発明の要旨は,本件明細書の特許請求の範囲の請求項1に記載されているとおりであり,以下のように分説することができる。
AInP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-V族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,B量子井戸層はその格子定数がInPの格子定数よりも大きい膜厚2.5nm〜30nmのGaInAsP(0(3)本件公開公報に基づく新規性又は進歩性の欠如本件発明の要旨は,本件当初明細書に記載されており((2)のB及びCに規定する格子定数の関係は,量子井戸層とバリア層の平均格子定数がInPの格子定数に等しい場合を包含する。),本件公開公報は,本件当初明細書と同一内容であって,本件発明は,繰下出願日前に公開された本件公開公報に記載された発明と同一であるか,少なくとも,その記載に基づき,当業者が容易になし得た発明である。
したがって,本件特許は,特許法29条1項3号又は同条2項に違反して特許されたものであって,無効とされるべきものである。
(4)Dana Vargaほか「低閾値,高量子効率で高速な歪み補償型多重量子井戸レーザ」(“LOW THRESHOLD, HIGH QUANTUM EFFICIENCY, HIGH SPEED STRAIN46COMPENSATED MULTI QUANTUM WELL LASERS”)IPRM'94 WP22 pp.473-475 (1994年3月27日発行)(乙7。以下「乙7刊行物」といい,同刊行物に記載された発明を「乙7発明」という。)に基づく新規性又は進歩性の欠如ア乙7刊行物は,1994年3月27日発行の書物に掲載された論文である。
乙7刊行物には,?InP基板上に,4層又は8層の量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-?族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,?量子井戸層は,1%の圧縮歪を有し,膜圧が7nm,1.57μmに対応するバンドギャップを有する4元のGaInAsP層とし,?バリア層は0.9%の引張歪を有し,膜厚が8nm,1.3μmに対応するバンドギャップを有する4元のGaInAsP層とした,?1.55μm用量子井戸半導体レーザ素子が示されている。
なお,量子井戸層は1%の圧縮歪を有することとされていることから,量子井戸層の格子定数が基板のInPの格子定数より大きいことは自明であり,また,バリア層は0.9%の引張歪を有するとされていることから,バリア層の格子定数が基板のInPの格子定数より小さいことも自明である。
そして,本件発明と乙7発明とを対比すると,両者は一致しており,相違点はない。
イ乙7刊行物において実際に作成された半導体レーザは1.55μm用であるが,4元GaInAsPにおいて波長と格子定数を独立に変化させ得ることはよく知られた事項であり,量子井戸層,バリア層ともGaInAsPで,1.3μm帯で発光する量子井戸半導体レーザは,1985年代に実現されている(乙9)から,乙7刊行物の記載に基づき,InP基板上に,量子井戸層とバリア層とで反対の歪の入ったGaInAsPの歪量子井戸構造を持つ1.3μm帯の量子井戸半導体レーザ素子を実現するこ47とは,当業者にとって,極めて容易であった。
また,乙7刊行物において実際に作製されたデバイスは,量子井戸層とバリア層の全体としての正味の歪量が0のものとされている。しかしながら,同刊行物には,「正味歪み量を減少させるために,圧縮歪みの井戸と引っ張り歪みのバリアを有する構造を成長させる方法がある。」旨の記載に示されるように,バリア層に量子井戸層とは逆の引張歪を与えることによって正味の歪量を減少させる考え方が明示されているから,乙7発明が,正味歪量が0の場合に限られないことは,明らかである。
ウ以上のとおり,本件発明は,少なくとも,1.55μm用の量子井戸半導体レーザ素子に関しては,乙7発明と同一であり,新規性を欠く(特許法29条1項3号)。また,1.3μm〜1.55μmの波長帯について検討しても,当業者が,繰下出願日当時の技術水準で,乙7発明に基づき,容易に発明をすることができた発明であり,進歩性を欠く(特許法29条2項)。
したがって,本件特許は,特許無効審判により無効にされるべきものである。
(原告の主張)前記のとおり,第2回補正は,明細書の要旨を変更するものではなく,旧特許法40条の規定によって,本件特許出願が,第2回補正時にしたものとみなされることはない。
そして,本件公開公報(平成2年5月18日公開)及び乙7刊行物(1994年(平成6年)3月27日公開)は,いずれも,第2回補正が明細書の要旨を変更するものであって,本件特許出願が第2回補正がされた平成9月8月11日にしたものとみなされることを前提として,本件発明の新規性又は進歩性の欠如を基礎付ける公知資料たり得るものであるから,その前提を欠くものである。
48したがって,これらを公知資料とする無効の主張は,理由がない。
4争点(2)-ウ(現実の出願日を基準とする進歩性の欠如)について(被告の主張)(1)本件発明の効果本件特許出願当時,発振波長1.3μm帯の量子井戸半導体レーザがInP基板,GaInAsP量子井戸層という組合せで実現されており,また,量子井戸層の膜厚2.5〜30nmという範囲も,当時,約4〜30nm程度のものが一般的であったから,格別のものではない。そして,「光通信素子工学」(昭和61年12月15日3版発行。乙10)及び「半導体超格子入門」(昭和62年11月10日初版発行。乙11)の記載から,?-?族化合物半導体のGaInAsPは,本件特許出願当時,光通信に重要な1.3〜1.55μm帯の波長が得られる半導体レーザの代表的な結晶材料として知られており,これに適合する基板としては,InPとGaAsが代表的なものであった。
したがって,本件特許出願当時の技術水準を前提に考えると,本件発明の実質的内容は,量子井戸層に歪を入れた場合に生ずる転位の問題に対処すべく,歪量子井戸レーザ素子における量子井戸層及びバリア層の格子定数と基板InPの格子定数との大小関係を規定した点にしかない。また,発明の効果についても,従来技術で得られる効果を除けば,歪による転位の発生を緩和することしかない。
(2)各公知刊行物の記載アQuillec et al. 「InP基板上のIn GaAs/In GaAsx1-x y1-yx1ひずみ超格子の成長と評価」(“Growth and characterization of In GaAs/In Ga As strained-layer superlattice on InP substrate”)J.App-xy1-yl. Phys. 59(7), 1April,1986,pp.2447-2450(乙6。以下「乙6刊行物」という。)49乙6刊行物は,1986年公刊の論文である。
乙6刊行物の記載によれば,乙6刊行物には,歪超格子におけるミスフィット転位の問題を解決する手段として,量子井戸層とバリア層とで互いに反対方向の歪(歪超格子では,量子井戸層の格子定数を基板の格子定数よりも大きくして圧縮歪を与えることから,当然,バリア層の格子定数は,基板の格子定数より小さくなければならない。)を入れて,歪超格子全体の平衡的な格子定数(平均格子定数と同義である。以下同じ。)が,基板の格子定数と等しくなるようにするという考えが示されている。また,InP基板上に,歪超格子全体の平衡的な格子定数が基板の格子定数と等しくなるように組成と厚さを選んで,InGaAs/InGaAsの歪超格子を成長させた実際のサンプル(量子井戸層の膜厚約8.6nm,バリア層の膜厚約8.7nm)において,その効果を確認したことが示されている。
したがって,乙6刊行物には,InP基板上に,膜厚約8.6nmのInGaAs量子井戸層及び膜厚約8.7nmのInGaAsバリア層を形成したSLS(歪超格子,すなわち,歪量子井戸半導体構造)において,量子井戸層を圧縮歪,バリア層を引張歪として,歪超格子の全体の格子定数をInPの格子定数と等しくすることにより,SLS(歪超格子)の厚さを大きくした場合に転位が発生するという問題を克服できる発明(以下「乙6発明」という。)が示されている。
イイアン・マーガットロイドほか「歪超格子1.3μmGaInAsP/InPMQWレーザのしきい値電流の低減化についての計算」第49回応用物理学会学術講演会講演予稿集5P-ZC-12(1988年10月)(乙8。以下「乙8刊行物」という。)乙8刊行物は,1988年10月4日から7日にかけて開催された第49回応用物理学会学術講演会の講演予稿集第3分冊に掲載された研究報告50である。
乙8刊行物の記載によれば,乙8刊行物には,基板がInP,量子井戸層が圧縮歪(+1.1%)を有する膜厚10nmのGaInAsPである1.3μmの波長帯の多重量子井戸半導体レーザが記載されている。
なお,乙8刊行物には,バリア層については,明示されていないが,技術常識に照らして,InP又はGaInAsPのいずれかであることは,明らかである。
したがって,乙8刊行物には,基板がInPで,量子井戸層は圧縮歪(+1.1%)を有する厚さ10nmのGaInAsPであり,バリア層がInP又はGaInAsPである,1.3μm波長帯の多重量子井戸半導体レーザの発明(以下「乙8発明」という。)が記載されている。
ウDutta et al. 「長波長InGaAsP(波長λ〜1.3μm)改良多重量子井戸レーザ」(“Long wavelength InGaAsP(λ〜1.3μm)modifiedmultiquantum well laser”) Appl. Phys. Lett.,46(11)1 June, 1985,pp.1036-1038(乙9。以下「乙9刊行物」という。)乙9刊行物は,1985年に刊行された論文である。
乙9刊行物の記載によれば,乙9刊行物には,InP基板上に,厚さ30nmの量子井戸層及びバリア層をGaInAsPで形成した1.3μm用多重量子井戸半導体レーザの発明(以下「乙9発明」という。)が記載されており,以前に作成したInPをバリア層としたものよりも,閾値電流の低減効果があったと報告されている。
(3)乙6発明に基づく容易想到性ア本件発明と乙6発明との相違点本件発明と乙6発明とを対比すれば,「InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-?族化合物半導体層を有する量子井戸構造であって,量子井戸層はその格子定数がInPの格子定数よりも大き51い膜厚8.6nmの?-?族化合物半導体であり,バリア層はその格子定数がInPの格子定数より小さい?-?族化合物半導体」である点において一致する。
なお,乙6刊行物には,レーザ素子についての直接的記載はないが,歪超格子について,「最近の多数の刊行物に見られるように,レーザ,電界効果トランジスタ,および光センサのようなデバイスに向けて関心を集めている。」と記載されていることから,その歪量子井戸構造の適用対象として,歪量子井戸レーザ素子を当然に予定していることは,当業者にとって自明である。したがって,歪量子井戸半導体レーザ素子は,実質的に乙6刊行物に記載されているというべきである。
そうすると,相違点は,次の2点となる。
相違点1:本件発明は,量子井戸層及びバリア層がGaInAsPであるのに対し,乙6発明では,InGaAsである点相違点2:本件発明は,波長が1.3〜1.55μm用であるのに対し,乙6発明は,波長が1.65〜2.1μmである点イ相違点についての容易想到性量子井戸半導体レーザにおいて,その発振波長は,量子井戸層の組成が固有の値として持つバンドギャップに大きく支配されるから,量子井戸層の組成と発振波長とは密接な関係にあるが,分けて説明する。
(ア)相違点1について乙6刊行物では,歪超格子全体の格子定数を基板の格子定数と等しくした場合の効果を確認するという実験的検証の観点から,サンプルの作製が容易な3元InGaAsが用いられている(4元結晶では,Ga/In比率とAs/P比率の両方の調整が必要だが,3元結晶ではGa/In比率のみを変えるだけで,InP基板との格子ミスマッチを制御することができる。)が,InGaAsとGaInAsPとは,極めて親52近性の高い組成であるから,光通信において重要な1.3〜1.55μmの発振波長を考えたときに,乙6発明の組成を変化させて,4元GaInAsPとすることは,当業者が容易に想到することである。
そして,本件発明の組成及び発振波長は,当業者であれば周知の組成・バンドギャップ・波長の相関図(乙10参照)において,乙6刊行物に記載された量子井戸層とバリア層の組成につき簡単な投影操作を行うことによって,得られるものである。
また,本件発明の出願当初においては,本件当初明細書の請求項2で,量子井戸層の組成がGaInAsP(0≦x1,y1≦1),x11-x1y11-y1バリア層の組成がGaInAsP(0≦x2,y2≦1)とさ x21-x2y21-y2れており,この組成式において,y1=1,y2=1である場合がInGaAsに他ならず,4元のGaInAsPと3元のInGaAsの両方を含む記載態様となっており,両者を区別していなかった。このy1=1,y2=1である場合,すなわち,3元のInGaAsの記載は,第3回補正時に削除されたが,それは,審査官の指摘により削除されただけで,技術的に意味のある理由は示されていないから,出願人の認識においてすら,4元と3元との間に区別はなく,両者は,単なる延長線上又は同列の組成として扱われていた。
加えて,乙6刊行物は,実際にサンプルを作製し,超格子全体の格子定数と基板の格子定数とを等しくしたものとそうでないものとを比較し,前者がミスフィット転位を生じさせない有効な手段であることを実証しているから,乙6刊行物に記載された手段を,これと同系材料のGaInAsPの超格子において採用しようとすることは,当業者にとって,ごく自然な考えであり,これを実現することに,何らの困難はない。
(イ)相違点2について本件発明に係る発振波長1.3〜1.55μmは,よく知られた光通53信用の波長帯であり,また,GaInAsPは,この波長帯を得られる代表的材料として,本件特許出願当時,周知であった(例えば,乙4,9,12)。そうであれば,当業者が,乙6発明におけるInGaAsに代えて,GaInAsPを用いて,波長1.3〜1.55μmの発振を得ることに想到することは,何の困難もない。
そもそも,量子井戸半導体レーザの発光波長が量子井戸層のバンドギャップに対応すること及びバンドギャップが半導体結晶の組成によって決まることは,周知のことであり,両者の関係は,当業者であれば周知の相関図がある。
また,量子井戸層に積極的に歪を入れることでバンド構造が変化し,レーザ発振に必要な閾値電流が低下することは,Electron.Lett. 22[5](1986)pp.249-250(乙3。以下「Adams論文」という。)により,本件特許出願時には,既に多くの研究者,当業者の知るところとなっていた。
これを前提に,歪超格子におけるミスフィット転位の問題を解決する手段として,バリア層に量子井戸層と逆の引張歪を入れて,超格子全体としての格子定数を基板の格子定数と等しくすることを提唱する乙6刊行物に接した当業者が,1.3〜1.55μmの波長帯用の代表的な組成系として知られたGaInAsPを用いて,同波長帯を実現することに困難はない。
(ウ)効果の予測可能性本件発明の特有の効果は,「歪による転位の発生が緩和され」ることのみと考えられるところ,この効果は,量子井戸層に圧縮歪を導入した量子井戸半導体レーザにおいて,バリア層の格子定数を基板の格子定数よりも小さくすることによって得られる効果であるとされている。
しかしながら,量子井戸層に圧縮歪を導入した半導体量子井戸レーザ54において,バリア層の格子定数を基板の格子定数より小さくすることの効果は,乙6刊行物に記載されているから,乙6刊行物から当業者が当然に予測することができる効果の域を出ない。
(エ)したがって,本件発明は,乙6発明と本件出願時の技術常識及び周知技術に基づき,容易に発明することができたものである。
ウ原告の主張について(ア)原告は,乙6刊行物は,結晶学的見地からInGaAsに交互の歪を入れて積層できた旨を報告したものにすぎず,レーザとして機能させる際の具体的手段及び期待される特性についての記載はないと主張する。
しかしながら,当時,InGaAs等の化合物半導体は,レーザ等への応用を目指して,その量子井戸効果や物性が盛んに研究されていた。
また,乙6刊行物が半導体レーザでの使用を用途として想定していたことは,歪量子井戸レーザを参考文献(参考文献番号6及び7)として挙げていることにも示されている。
なお,本件明細書は,歪量子井戸構造における量子井戸層の圧縮歪とバリア層の引張歪につき,実際に結晶成長させた実物を作ってその効果まで検証している乙6刊行物等とは異なり,実作も正確な理論計算も伴わないアイデアを発明として提示しているにすぎず,出願時において,発明者が,実際の量子井戸構造のレーザ素子で,量子井戸層に圧縮歪を入れることの利点と,バリア層に引張歪を入れることの利点が両立できることを確認したことをうかがわせる記載も,それらのことを何らかのシミュレーションによって確認したことを示す記載もない。その意味では,本件特許出願自体が,アイデアのみを発明として記載したペーパー発明の出願ともいえる。このことは,本件明細書の効果の記載が極めて漠然としていることや,出願人である原告自身においても,本件特許出願後2000年代に至るまで,原告のいう「歪補償構造」又は「歪の緩55和」なる構造を採用した半導体レーザ素子を実際に製作していたことをうかがわせる事実すら確認ができないことにも表れている。
(イ)原告は,乙6刊行物中の「a =a(InP)=(L a +L a )=1122/(L +L )」との記載について,乙6刊行物には「L はバリア層の12 1厚さ,L は量子井戸層の厚さ」との記載はないと主張する。 2しかしながら,a について説明した文章と前記式を併せてみれば,前=記式中のL 及びL が層の厚さを表していることは,当業者にとって明 1 2白である。
また,乙6刊行物の図4の透過スペクトルは,量子井戸効果に起因する典型的なピークAとBを示しており,L がバリア層,L が量子井戸1 2層として機能していることは,明らかである。
(ウ)原告は,MOCVD法が未成熟であったため,InP基板上にGaInAsP系の量子井戸を成長させることは困難であったから,乙6刊行物において,3元系を採用していることは,むしろ当時の技術水準からすれば,限界であると主張し,3元系と4元系との違いを主張する。
しかしながら,これは,実際に物を作ることができるかという議論と技術思想としての発明とを混同した議論であって,前記のとおり,本件発明も,そのような技術状況の中で,理論的可能性の一つを提示したにとどまる。仮に,原告が主張するように,本件特許が出願された昭和63年当時,自由に材料系を探求する発想や,歪状態を積極的に活用する発想を持つこと自体が困難であるほどGaInAsPの結晶成長技術が未熟であったとすれば,量子井戸層に圧縮歪,バリア層に引張歪を入れた半導体レーザ素子の量子井戸構造をどのように結晶成長させ,それによりどのような効果を得るかにつき何ら記載していない本件明細書は,明細書の記載不備の最たるものというべきである。
また,前記のとおり,本件当初明細書では,量子井戸層,バリア層と56も,3元系のInGaAsを排除しておらず,発明としてはGaInAsPとInGaAsを同列のものと把握しており,材料ごとに区別された発明思想は,本件当初明細書には全く記載されていないから,4元系の材料を用いることをもって,進歩性を主張することはできない。
(4)乙8発明に基づく容易想到性ア乙8発明と本件発明とは,「InP基板上に量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-?族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,量子井戸層はその格子定数がバリア層の格子定数より大きい膜厚10nmのGaInAsPである1.3μm用量子井戸半導体レーザ素子」である点において一致し,次の点において相違する。
相違点:バリア層について,本件発明は,InPより格子定数が小さいGaInAsPであるのに対し,乙8発明は,バリア層の組成について明示されておらず,バリア層の格子定数が不明である点イ相違点についての容易想到性(ア)バリア層の組成について従来,多くの量子井戸半導体レーザにおいて,GaInAsP(量子井戸層)とGaInAsP(バリア層)の組合せが用いられており(例えば,1.55μm帯につき乙9刊行物,1.3μm帯につきSasai等),歪多重量子井戸に限って,バリア層がGaInAsPであってはならない理由はないから,量子井戸層をGaInAsPとしたときに,バリア層をGaInAsPにすることは,当業者の通常の思考が自然に赴くところである。
とりわけ,乙9刊行物には,バリア層をInPからGaInAsPに代え,GaInAsPの量子井戸層と同系組成とすることによって,閾値電流の低下効果があったことが記載されている。
したがって,バリア層にGaInAsPを採用することは,当業者にとって極めて容易である。
57(イ)バリア層の格子定数について乙8刊行物に開示されている量子井戸レーザは,厚さが10nmと厚く,1.1%という大きな圧縮歪をもつ量子井戸層が,10層も積層されており,半導体レーザの活性層に非常に大きな歪量が入り,転位が発生する領域のものといってよいから,乙8刊行物には,転位の発生を防止するという技術課題が示されている。
そして,量子井戸層に圧縮歪を入れた場合に生じ得るミスマッチ転位等の問題を解決する手段として,バリア層に反対方向の歪を入れることが乙6刊行物に記載されている。このミスマッチ転位の問題は,3元のInGaAsであろうと4元のGaInAsPであろうと解決しなければならない共通の課題であるから,乙6刊行物に記載された課題解決手段を,乙8発明に適用することは,当業者の自然な思考である。
(ウ)したがって,乙8発明のバリア層を乙9刊行物に記載されたGaInAsPに代え,乙6刊行物に記載された技術的事項を適用することは,当業者が容易に想到し得たというべきである。
視点を変えれば,乙6発明を基本に,組成と波長帯についての本件発明との違いにつき,同じ歪多重量子井戸に関する技術で技術分野が共通し,共通の解決課題を有している乙8発明を組み合わせ,また,量子井戸層がGaInAsPである場合にバリア層を同系のGaInAsPとすることは,乙9刊行物の示唆を待つまでもなく容易であるから,乙6発明に乙8発明及び乙9発明を併せて本件発明に至ることは,当業者が容易になし得ることである。
(5)乙9発明に基づく容易想到性ア乙9発明と本件発明とは,「InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-?族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーx11-x1y11- ザ素子において,量子井戸層は膜厚30nmのGaInAsP58であり,バリア層はGaInAsPであることを特徴とす y1 x21-x2y21-y2る,1.3μm用量子井戸半導体レーザ素子」である点で一致し,次の点において相違する。
相違点:本件発明は,量子井戸層の格子定数がInPの格子定数より大きい歪量子井戸であり,バリア層の格子定数がInPの格子定数より小さいのに対し,乙9発明は,量子井戸層とバリア層の格子定数及び歪についての記載がない点イ本件特許出願当時,量子井戸層の格子定数を基板の格子定数より大きくした歪量子井戸構造は,既によく知られていた。すなわち,Adams 論文を契機に歪量子井戸半導体レーザが主流となったことを考えれば,乙9発明において,量子井戸層に圧縮歪を入れて発光効率の向上を図ることは,当業者が容易に想到し得る(例えば,乙8)。
また,バリア層を引張歪とすることについては,ミスフィット転位の問題を解決する方法として,乙6刊行物に記載されている。
したがって,乙9発明において,量子井戸層を圧縮歪とし,歪の導入によって生じる問題については,乙6刊行物の教示に基づきバリア層を引張歪のある組成として,その解決を図ることは,当業者が何らの困難なく想到し得たことである。
(原告の主張)(1)乙6発明に基づく容易想到性についてア乙6刊行物は,結晶学的見地から,InGaAsに交互の歪を入れて積層することができたことを示すにすぎず,レーザとして機能させるためにどのように構成すればよいのか,その際にどのような特性になるかは,全く示唆がない。
また,乙6発明で採用する材料は,InGaAsであるところ,本件特許出願当時の状況は,成長技術の制約から,InGaAsの結晶学的知見59からの報告を,成長が困難なGaInAsPのレーザに自由に展開して発想できるというものではなかった(甲19参照)。このことは,GaInAsPレーザの量子井戸層に歪を取り入れた報告でさえ,本件特許出願の1か月前である昭和63年10月に,本件発明の発明者であるマーガットロイド等によって行われたのが初めてであることからも裏付けられる。
イ被告の主張は,乙6発明に誤認があり,本件発明とこの誤認された乙6発明とを対比することにより,本来,相違点とされるべき事項を一致点としている。したがって,乙6発明と本件発明との相違点は,被告が主張する相違点1及び2のみではない。
(ア)被告は,乙6刊行物の「a =a(InP)=(L a +L a )/=1122(L +L )」との記載について,「L はバリア層の厚さ,L は量子 12 1 2井戸層の厚さ」と説明するが,乙6刊行物には,バリア層や量子井戸層との記載はない。したがって,このような説明を前提として,乙6刊行物に「量子井戸層を圧縮歪,バリア層を引張歪として,歪超格子の全体の格子定数をInPの格子定数と等しくすること」が記載されているとの主張や,これを前提とする本件発明と乙6発明との一致点の主張は,いずれも理由がない。
そして,乙6刊行物には,InGaAs材料のSLSの結晶性評価のための一般的手法であるPL法(フォトルミネセンス法)による測定結果としての波長が記載されているにすぎないから,本件発明における波長「1.3〜1.55μm用」と乙6刊行物に記載される「1.65〜2.1μm」の波長とは,意味が全く異なり,この測定結果をもって,レーザ発振することが開示されたものではない。
また,乙6刊行物に記載された歪超格子は,機能,用途が検討されたものではなく,単なる積層状態を示すものであって,どのような効果を狙って,どのような用途の素子のどの部分に,どのような前提条件を整60えて,この積層状態を導入すればよいかについては,乙6刊行物には,記載も示唆もない。
すなわち,乙6刊行物には,InGaAsからなる光電子デバイス用の歪超格子であって,各層の組成と厚さは,SLS全体として考えたときのa の平衡値が基板の平衡値とバッファ層の平衡値と等しくなるよう=に選んだときのa は,次のように歪エネルギーを最小化することにより=計算することができることが記載されているだけである。
a =a(InP)=(L a +L a )/(L +L )=1122 12(イ)被告は,乙6刊行物には,歪量子井戸半導体レーザ素子が,実質的に開示されていると主張する。
しかしながら,乙6刊行物には,単に,レーザや電界効果トランジスタ,受光素子などに利用し得る旨が記載されているだけであり,乙6刊行物に記載されたInGaAs歪超格子は,レーザのみを意図したものではなく,電界効果トランジスタ,受光素子等,半導体デバイス一般における使用を意図したものである。このような広範な適用対象からレーザを選択し,しかも,乙6刊行物に記載された組成とは異なる材料に置き換えることは可能なのか,可能とするためにはどのような条件が必要なのか,どのような効果が期待できるのかは,全く不明である。
したがって,被告が主張するように,乙6刊行物が,歪量子井戸構造の適用対象として,歪量子井戸レーザ素子を当然に予定しているなどと安易にいうことができないことは,明らかである。
(ウ)以上のことから,本件発明と乙6発明とを正確に対比すると,本件発明と乙6発明とは,基板をInPとする点で一致するだけで,下記の事項すべてが相違点である。
「量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-?族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,量子井戸層はその格子定61x1 数がInPの格子定数よりも大きい膜厚2.5nm〜30nmのGaInAsP(0容易に想到することであると主張する。
しかしながら,本件特許出願時においては,MOCVD法が未成熟であったため,InP基板上にGaInAsP系の量子井戸を成長させることは,無歪の量子井戸でさえ容易ではなく,自由に材料系を探求する発想を持つことさえ困難であったのであるから,乙6刊行物において3元系を採用していることは,むしろ当時の技術水準からすれば,限界であったといえる。そして,発明とは,技術的思想創作であって,手段の充実があって初めて,新たな発想が生まれる状況となるから,製造技術の水準と技術思想としての発明の容易性とは,リンクしている。
したがって,被告の前記主張は,当時の技術常識を無視するものである。
(イ)また,被告は,本件発明の組成及び発振波長は,組成・バンドギャップ・波長の相関図において,乙6刊行物に記載された量子井戸層とバリア層の組成につき,簡単な投影操作を行うことによって得られるものであると主張するが,このような主張も,本件特許出願当時の技術常識を無視するものである。
(ウ)さらに,被告は,本件当初明細書では,発明として,GaInAsPとInGaAsを同列のものと把握しており,4元系の材料を用いる62ことをもって,進歩性を主張することはできないと主張する。
しかしながら,本件当初明細書では,量子井戸層及びバリア層について,材料ごとに区別されない構成が特許請求の範囲第1項に記載され,GaInAsPの4元系が同第2項に記載されており,GaInAsPの4元系が格別のものとして取り扱われているのであって,GaInAsPとInGaAsを同列のものと把握しているものではない。
また,仮に,本件発明の発明者がGaInAsPとInGaAsを同列のものと把握していたとしても,本件特許出願当時,格子定数がInPよりも小さいGaInAsP層を用いたレーザを開示する文献は存在しなかったのであって,両者を同列に把握すること自体が進歩的なのである。
エ乙6発明との相違点2について被告は,当業者が,乙6発明におけるInGaAsに代えて,GaInAsPを用いて,波長1.3〜1.55μmの発振を得ることに想到することは,何の困難もないと主張する。
しかしながら,本件特許出願当時,MOCVD法が未成熟であり,自由に材料系を探求する発想を持つことさえ困難であったのであって,このような被告の主張は,当時の技術常識を無視するもので,理由がない。被告が,容易想到であることの根拠とする証拠(乙4,12)は,むしろ,当時のGaInAsP系材料技術の未熟さや,InGaAs系の知見をGaInAsP量子井戸レーザに組み合わせることの困難さを示している。
オ効果の予測可能性について被告は,量子井戸層に圧縮歪を導入した半導体量子井戸レーザにおいて,バリア層の格子定数を基板の格子定数より小さくすることの効果は,乙6刊行物に記載されているから,乙6刊行物から当業者が当然に予測することができる効果の域を出ないと主張する。
63しかしながら,前記のとおり,乙6刊行物には,GaInAsPという組成についても,また,量子井戸層及びバリア層を備えたレーザ素子についても,全く記載されておらず,歪量子井戸において,量子井戸層に歪をもたせたときに生じ得る転位の発生という問題の解決策は,乙6刊行物には記載されていない。
また,前記のとおり,本件特許出願当時,InP/GaInAsP系の量子井戸の成長は,無歪の量子井戸でさえ容易ではなかったから,InGaAsの三元系しか開示されていない乙6刊行物をもって,GaInAsPの四元系の量子井戸層に歪をもたせたときに生じる転位の発生という課題の解決策が示されているとの被告の主張は,技術的な経緯を無視するものである。
(2)乙8発明に基づく容易想到性についてア乙8発明又は乙9発明を出発点として本件発明を考えると,乙8刊行物及び乙9刊行物に記載されたレーザのバリア層に引張歪を入れた場合に,レーザとしてどのようになるかは,乙6刊行物の開示にかかわらず,本件特許出願時には,全く開示されておらず,レーザとして未知の構成である圧縮歪を入れた量子井戸層と引張歪を入れたバリア層の組合せが,圧縮歪量子井戸の効果を維持したまま転位だけを抑制するか否かは,本件特許出願前には誰も報告していなかった。また,発振波長の変動や,量子効果の変動が,レーザ特性に予想しない影響を与える懸念もあった。
本件発明の内容は,現に本件特許出願が公開されるまで開示されることはなかったのであるから,乙8刊行物及び乙9刊行物のバリア層に引張歪を入れる効果が容易に予想できたとする被告の主張は,後知恵にすぎず,理由がない。
イバリア層の組成について本件特許出願時においては,MOCVD法が未成熟であったため,In64P/GaInAsP系の量子井戸の成長は,無歪の量子井戸でさえ容易ではなく,また,それゆえに,自由に材料系を探求する発想を持つことさえ困難であったから,乙8発明に記載された多重量子井戸半導体レーザにおいて,「量子井戸層をGaInAsPとしたときに,バリア層をGaInAsPとすることは,当業者の通常の思考が自然に赴くところ」という被告の主張は,本件特許出願時の技術常識を無視するものであって,理由がない。
ウバリア層の格子定数について乙6刊行物は,InGaAs材料の歪超格子に関する論文であり,結晶学的見地からInGaAsに交互の歪を入れて積層できた旨を報告するものであって,量子井戸層に圧縮歪を入れた場合に生じ得るミスマッチ転位等の問題を解決する手段として,バリア層に反対方向の歪(引張歪)を入れることは記載されていないから,乙6刊行物に記載された課題解決手段を,乙8発明に適用したところで,本件発明が当業者に容易に想到できるものではない。
そして,前記のとおり,InP/GaInAsP系の量子井戸の成長は容易ではなかったことから,InGaAsの三元系しか開示されていない乙6刊行物をもって,GaInAsPの四元系の量子井戸層に歪をもたせるときに生じる転位の発生という課題を解決することが公知であったということはできない。
また,半導体レーザの活性層として用いる歪量子井戸において,バリア層に量子井戸層と逆方向の歪(引張歪)を導入すれば,単に歪量子井戸層内の歪が緩和され,転位の発生を防ぐことができるという効果が生じるのみにはとどまらず,発振波長の変動や量子効果の変動等の影響も生じるため,全体として本件発明の目的が達成されるか否かは,現実に半導体レーザを作成してその評価を行うという試行錯誤を経なければ,明らかにする65ことはできなかった。
したがって,乙8発明におけるレーザとして未知の構成である圧縮歪を入れた量子井戸層と引張歪を入れたバリア層の組合せが,圧縮歪量子井戸の効果を維持したまま転位だけを抑制するということは,本件発明によって初めて開示されたものであって,乙6発明を乙8発明に適用することが当業者の自然な思考であるとの被告の主張は,当業者の試行錯誤による発明の創作活動を無視するものであって,理由がない。
(3)乙9発明に基づく容易想到性について前記のとおり,乙6刊行物には,量子井戸層に圧縮歪を入れた場合に生じ得るミスマッチ転位等の問題を解決する手段として,バリア層に反対方向の歪(引張歪)を入れることは記載されていないから,乙6発明を,乙9発明に適用しても,当業者が本件発明を容易に想到することはできない。
また,量子井戸層に歪を導入することによって生じる問題については,乙6刊行物を初めとして,いずれの刊行物にも記載されていなかったから,量子井戸層に歪を導入することによって生じる問題を解決するという課題が示されていない状態で,乙9発明に乙6発明を組み合わせることは,当業者といえども容易に想到することはできない。
5争点(2)-エ(特許法36条違反)について(被告の主張)(1)特許請求の範囲の記載要件違反ア本件発明を特徴付ける唯一のものは,「量子井戸層に臨界値以上の大きな歪が生じ,それに伴う転位の発生によりレーザ特性が劣化するという問題」の解決手段であるところ,本件明細書における歪に関連する記載としては,「各量子井戸層の厚みには上限値があり,その値は歪の誘起する転位の発生によって決まり,組成Tに対しては20〜30nmである。」(記載?),「活性層の平均格子定数は,量子井戸層とバリア層の厚みと66組成を調整することによって,InPの格子定数に等しくすることができる。」(記載?),「活性層は,nが数百の量子井戸層およびバリア層数まで,歪の誘起する転位を生じることなく成長させることが可能である。」(記載?)との記載がある。
このうち,記載?は,本件当初明細書では,第1の実施例(バリア層の格子定数をInPの格子定数と等しくした構成)について記載されていたものであり,「量子井戸の数nは,小さい整数,例えばn=3に定める。」こととされていた。
また,記載?及び?は,本件当初明細書の第2の実施例(活性層全体の平均格子定数をInPの格子定数に等しくした構成)について記載されていたものであり,とりわけ記載?の事項は,活性層の平均格子定数をInPの格子定数に等しくする場合の固有の効果として記載されていたものである。
本件明細書が本件当初明細書の要旨を変更したものでないとすれば,唯一の開示内容である実施例に関する記載?は,この記載において前提とされていた「活性層の平均格子定数がInPの格子定数に等しい」という条件を満たした発明の効果であって,記載?は,必要に応じて「することができる」という任意のものではなく,転位の発生が緩和された高性能レーザを波長帯1.3〜1.55μmにおいて得るための解決手段を構成する必須の構成を記載したものと考えなければならない。
しかしながら,本件明細書は,「活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくすること」を要件として記載していない。
また,活性層について,各層の膜厚を上限値内,層数を小さいnにとどめる構成を内容とする発明は除外されたにもかかわらず,本件明細書の特許請求の範囲は,そのことを反映しないまま,除外された構成まで含み得る記載となっている。
67したがって,本件明細書の特許請求の範囲の記載は,「活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくすること」の記載を欠いている点及び除外された構成を含ませないための限定を欠いている点において,発明の詳細な説明欄に記載された発明の必須の構成を特許請求の範囲に記載しなければならないことを規定した,平成2年法律第30号による改正前の特許法36条4項2号(以下,同改正前の特許法36条を「旧特許法36条」という。)に違反し,無効理由を有する。
イ原告は,前記記載?及び?は一例にすぎないと主張するが,本件明細書には,格子定数関係式?を具体的に説明している箇所は,その記載しかないにもかかわらず,特許請求の範囲には,単にa(C )発明の詳細な説明又は図面に支持されていない範囲を含Wむ発明が記載されている。
(2)発明の詳細な説明の記載不備(実施可能要件違反)ア活性層の平均格子定数がInPの格子定数に等しくない場合については,量子井戸層及びバリア層の各膜厚,歪量並びに量子井戸層とバリア層の層数の選択が,「歪による転位の発生が緩和」されるための重要な要件となるはずであり,その前提として,各層の歪量をどの程度にして,何層積み上げると,転位が発生し始める臨界的な膜厚に達するのかという記載が不可欠である。
しかしながら,本件明細書には,この点についての説明はなく,わずかに,1.3μm用の量子井戸半導体レーザにおいて,量子井戸層の組成を第2図に図示された組成Tとした場合には,膜厚の上限値が20〜30nmであるという例が示されているのみであり(層数nは不明であるが,例としてn=3が挙げられている。),1.55μmに関しては,実施例中には1.55μmという文言すら出てこない。
イ本件明細書は,第2図に基づいて,本件発明に係る量子井戸層とバリア68層の組成範囲を説明していることから,これに基づき検討すると,?バリア層の組成範囲は,格子定数がInPの格子定数より小さく,また,量子井戸層のバンドギャップより大きくなければならないから,等格子定数線L及び等バンドギャップ線Cの左上方の領域であり,?量子井戸層の組成範囲は,格子定数がInPの格子定数より大きく,また,波長が1.3μm〜1.55μmとされているから,波長に対応する等バンドギャップ線上,又はこれより右下方でなければならないから,等格子定数線L及び等バンドギャップ線Cの右下方の領域でなければならない。
しかしながら,歪による転位の発生を緩和するようなバリア層は,量子井戸層(特に,歪量及び歪の影響をも考慮に入れたバンドギャップ)との関係が重要なファクターとなるところ,本件明細書には波長1.3μm以外の場合について,全く記載されていない。また,バリア層については,特許請求の範囲から導き出される組成範囲のすべてにおいて,歪による転位の発生を緩和するという作用効果が得られるはずはないことは,明らかである。
それでは,バリア層の組成の許容範囲はどこまでかというと,波長1.3μm,量子井戸層の組成をT,膜厚を20〜30nmとした場合についてすら明確な指針を与えていないから,異なる波長,異なる膜厚,異なる積層数の場合に,量子井戸層にどの程度の歪を与え,バリア層につきInPの格子定数よりどの程度小さい格子定数の組成とし,組成と層厚をどのように調整すれば,歪による転位を生じさせることなく活性層を成長させるのかについての教示は皆無である。ましてや,本件明細書に記載されている「活性層は,nが数百の量子井戸層およびバリア層数まで,歪の誘起する転位を生じることなく成長させることが可能である。」との効果に至っては,いかにしてそれが達成可能なのか,見当もつかない。
さらに,出願後の補正により本件明細書に加えられた「歪による転位の69発生が緩和された」との記載自体,技術的に何を意味するのかが不明である。
ウしたがって,本件明細書の発明の詳細な説明は,歪による転位の発生が緩和され,歪の誘起する転位を生ずることなく,多層の量子井戸層及びバリア層を成長させることができる効果を有するとされている本件発明を,当業者が容易に実施することができる程度に記載したものとはいえず,旧特許法36条3項に違反し,無効理由を有する。
(原告の主張)(1)特許請求の範囲の記載要件違反についてア被告は,本件明細書の特許請求の範囲の記載は,「活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくすること」の記載を欠くと主張する。
しかしながら,前記のように,本件明細書には,「活性層全体としての平均的な格子定数をInPの格子定数に等しくする」発明のみが目的,構成,効果を開示した発明として記載されているわけではなく,被告が指摘する記載?及び?は,あくまでも一例である。そして,特許請求の範囲が,何を先行技術との峻別の根拠とするかの意思表示でもあることにかんがみれば,この意思表示を無視又は軽視して,単なる例示から必須の構成を深読みすることは,著しく衡平を欠くといわざるを得ない。
イまた,被告は,除外された構成を含ませないための限定を欠いていると主張する。
しかしながら,本件明細書の特許請求の範囲は,実施例以外でサポートされており,ある実施例を削除したからといって,その実施例がもっていた構成すべてを特許請求の範囲から除外しなければならない理由はない。
ウ被告は旧特許法36条4項2号の規定を「発明の詳細な説明欄に記載された発明の必須の構成を特許請求の範囲に記載しなければならない」と説70明し,本件明細書がこれに違反すると主張する。
しかしながら,例えば,実施例等,発明の詳細な説明には,説明の都合等で,必ずしも特許を受けようとはしない構成が必須となる場合があり,被告の説明によれば,このような構成も特許請求の範囲に記載しなければならないかのように理解されるが,この説明は,明らかに虚偽である。
そして,本件特許の出願人は,正に「特許を受けようとする発明の構成に欠くことのできない事項のみ」を特許請求の範囲に記載したのであり,旧特許法36条4項2号の規定に違反したとする理由はない。
(2)発明の詳細な説明の記載不備(実施可能要件違反)について前述したとおり,本件発明は,「量子井戸層はその格子定数がInPの格x11-x1y11- 子定数よりも大きい膜厚2.5nm〜30nmのGaInAsP(0実施することで,転位の問題が改善されることを理解している。このことは,本件特許の審査経過及び後続出願において,本件公開公報を先行技術文献として挙げた拒絶理由通知等とそれに応じた意見書等からも明らかである。
したがって,本件明細書は,当業者に理解可能であり,十分に実施も可能なものである。
6争点(3)(損害の有無及び額)について(原告の主張)(1)平成13年2月から平成20年1月までの7年間の本件対象各製品の販売額は,959億円(年間約137億円)を下らない。
(2)被告による本件発明の実施に対して原告が受けるべき金銭の額は,少なくとも,本件対象各製品の販売額の5%である47億9500万円を下らない71(特許法102条3項)。
(3)原告は,被告に対し,内金3億円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成20年4月2日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(被告の主張)否認又は争う。
第4争点に対する判断事案の性質にかんがみ,争点(2)-ア(明細書の要旨変更の有無)及び争点(2)-イ(要旨変更による出願日繰下げを前提とする新規性及び進歩性の欠如)から判断する。
1争点(2)-ア(明細書の要旨変更の有無)について(1)明細書の要旨変更についてア旧特許法40条は,「願書に添附した明細書又は図面について出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達前にした補正がこれらの要旨を変更するものと特許権の設定の登録があつた後に認められたときは,その特許出願は,その補正について手続補正書を提出した時にしたものとみなす。」と規定するところ,同条にいう「明細書又は図面」の「要旨」(以下,単に「明細書の要旨」という。)とは,特許請求の範囲に記載された技術的事項をいうものと解される。そして,発明とは,「自然法則を利用した技術的思想創作」であること(特許法2条1項参照)及び平成5年法律第26号による改正前の特許法41条が「出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達前に,願書に最初に添附した明細書又は図面に記載した事項の範囲内において特許請求の範囲を増加し減少し又は変更する補正は,明細書の要旨を変更しないものとみなす。」と定めていることに照らして,その技術的事項の解釈に当たっては,明細書における発明の詳細な説明欄の記載や図面を総合的に考慮すべきである。また,明細書の要旨が変更されているかど72うかを判断するに当たっては,特許請求の範囲の記載の文言上の形式的な対比のみに限定されず,実質的に見て,補正後の特許請求の範囲に記載された技術的事項が,当初明細書に記載された技術的事項の範囲内といえるか否かによって判断すべきものと解される。
イそして,本件当初明細書の請求項1において,格子定数関係式?(a(C )=a(InP)ウ被告は,明細書の要旨変更の理由として,多数の事項を主張するが,その主張の骨子は,本件当初明細書に記載された発明のうち,格子定数関係式?に係る発明は,「平均の格子定数がInPに格子整合する活性層を有する」という前提条件の下で成立する発明として記載されていたところ,第2回補正により,「平均の格子定数がInPに格子整合する活性層を有する」という前提条件が外されたことは,明細書の要旨変更に該当するということにあると解される。
(2)本件当初明細書の要旨(本件当初明細書に記載された技術的事項)前記のような被告の主張の骨子にかんがみ,本件当初明細書に記載された格子定数関係式?に係る発明が,「平均の格子定数がInPに格子整合する活性層を有する」ことを前提条件とするものかについて,検討する。
ア本件当初明細書の記載内容本件当初明細書の記載内容は,別紙本件当初明細書記載のとおりであるが,格子定数関係式?に係る発明及び活性層の格子定数に関する記載は,次のとおりである。
(ア)〔特許請求の範囲〕欄「(1)InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-?族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,組成73C の量子井戸層の格子定数a(C ),InPの格子定数a(InP) W Wおよび組成C のバリア層の格子定数a(C )が,a(C )=a(In B B BP)(2)量子井戸層は,a(GaInAsP)>a(InP)でx11-x1y11-y1あるGaInAsP(0≦x1,y1≦1)であり,バリア層 x11-x1y11-y1はGaInAsP(0≦x2,y2≦1)であることを特徴とx21-x2y21-y2する請求項1記載の量子井戸半導体レーザ素子。」(イ)〔従来技術〕欄「量子井戸半導体レーザ素子の特性は,量子井戸が歪のある構造であり,その格子定数をバリア層の格子定数より大きくすることにより向上する。(略)なお,量子井戸層の歪の大きさと層の厚さは,歪により転位が誘起されないように,ある臨界値以内になければならない。」(ウ)〔発明が解決しようとする課題〕欄「しかしながら,従来の歪層量子井戸半導体レーザ素子では,光ファイバ通信において重要な波長1.3μmまたは1.55μmの発振を得ることができない。1.3μmまたはこれよりも長い波長の発振をGaIn Asの活性層より得るためには,エネルギーバンドギャップの1-xx大きさから,X≧0.5のIn組成でなければならない。しかしながら,このような高いXのGaIn Asでは格子定数が大きくなり,第41-xx図(a)に示した従来の歪層量子井戸レーザの量子井戸層(4)に適用せんとすると量子井戸層に臨界値以上の大きな歪が生じ,それに伴う転位の発生によりレーザ特性が劣化するという問題がある。」(エ)〔課題を解決するための手段〕欄「本発明は以上のような点にかんがみななされた(注:「なされた」の誤記)もので,その目的とするところは,1.3μm以上の長い波長74で発振する高性能な歪層量子井戸半導体レーザ素子を提供することにあり,その要旨は,InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む???族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,組成C の量子井戸層の格子定数a(C ),InPの格子定数W Wa(InP)および組成C のバリア層の格子定数a(C )の間に,a B B(C )=a(InP)実施例〕欄a第1の実施例「光閉じ込め層(18)はInPと同じ格子定数を有し,その組成はn型InPバッファ層(12)から活性層(17)のバリア層(21)の組成に厚さ75方向に徐々に変わり,アンドープか,またはバッファ層(12)から活性層(17)にかけて徐々に減少するようにn型にドープされる。光閉じ込め層(18)の組成は,第2図のInGaAsPのダイヤグラムにおいて,5.85Åの等格子定数線(実線)L上に常にあり,最終組成,すなわち活性層(17)に接する部分の組成は,発振波長1.3μmより大きなエネルギーバンドギャップを有し,第2図上においては,1.3μmのバンドギャップに相当する等バンドギャップ線(点線)Cと実線Lとの交点Pよりも左側のL線上の組成となっている。なお,LはInPとGaInAsを結んでいる。(略)活性層(17)は各層0.530.47の厚さ25Å〜300Åである(n-1)層のバリア層(21)で交互に隔てられた各層の厚さ25Å〜300Åであるn層の量子井戸層(20)から構成されている。この場合には,活性層(17)の両側面は量子井戸層(20)になるが,(n+1)層のバリア層(21)を配して,活性層(17)の両側面をバリア層(21)にしてもよい。バリア層(21)の組成は,光閉じ込め層(18),(19)のバリア層(21)に接する部分の組成に相当し,GaInAsPとする。量子井戸層(20)の組成は,第2図x21-x2y21-y2における発振波長1.3μmに相当する等バンドギャップ線C上にあり,かつ,格子定数がバリア層(21)よりも大きいPT間のTに近い組成,GaInAsPとする。量子井戸の数nは小さい整x11-x1y11-y1数,例えばn=3に定める。各量子井戸層(20)の厚みには上限値があり,その値は歪の誘起する転位の発生によって決まり,組成Tに対しては200〜300Åである。n=3に対応する発振波長は1.3μmから若干ずれた値になる。その原因は,歪によりバンドギャップが狭くなることによる長波長化と,電子の量子閉込めによる短波長化の影響を受けるからである。発振波長を厳密に1.3μmに一致させるには,上記の歪によるバンドギャップ縮小の効果と量子閉じ込め効果76によるバンドギャップ拡大の効果とを勘案して組成を第2図のT点から多少ずらして調整することにする。なお,第1図(b)は第1図(a)の構造に対応するバンドギャップの伝導帯側を示し,第2図の斜線部分は格子定数がa(GaInAsP)>a(Inx11-x1y11-y1P)を満たす領域である。本実施例では,活性層(17)の平均格子定数はInPより大きく,InPとは格子整合になっていない。したがって,各量子層の厚さが上限値を越えず,小さいnに対して歪の誘起する転位が生じないとしても,nが大きくなると転位が起り,活性層(17)全体にわたる歪が発生することに注意する必要がある。」b第2の実施例「本発明の第2の実施例は,平均の格子定数がInPに格子整合する活性層(17)を有し,その他については前記実施例を示す第1図(a)と同じものである。この場合の活性層(17)は,バリア層(21)が歪のない,InPより小さい格子定数をもつGaInAsP化合物であり,量子井戸層(20)は歪のない,InPより大きい格子定数をもつものである。活性層(17)の平均格子定数は,量子井戸層(20)とバリア層(21)の厚みと組成を調整することによってInPの格子定数に等しくすることができる。活性層は,nが数百の量子井戸層およびバリア層数まで,歪の誘起する転位を生じることなく成長させることができる。」(キ)〔発明の効果〕欄「以上説明したように本発明によれば,量子井戸層の格子定数a(C),InPの格子定数a(InP)およびバリア層の格子定数a(CW)の間に,a(C )=a(InP)請求の範囲の(1)や,〔課題を解決するための手段〕欄には,格子定数関係式?が記載され,これらには,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくするとの限定はない。
(イ)しかしながら,格子定数関係式?に係る発明につき,本件当初明細書の〔作用〕欄には,「なお,a(C )実施例は,第2の実施例のみであると認められるところ,これには,「平均の格子定数がInPに格子整合する活性層(17)を有」すること,「活性層(17)の平均格子定数は,量子井戸層(20)とバリア層(21)の厚みと組成を調整することによってInPの格子定数と等しくすることができる」ことが記載されている。
他方で,格子定数関係式?に係る発明について,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくすることを前提としない場合の構成及び作用に関する記載はなく,実施例の記載もない。また,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくすることを前提としない格子定数関係式?に係る発明を採用した場合に,歪を緩和するという作用効果が生ずることをうかがわせる記載はないのみならず,そもそも,転位の発生の防止という本件発明の課題との関係において,具体的にどのような効果が生ずるかについての記載もない。
(ウ)また,証拠(乙6)によれば,本件特許出願前である1986年(昭和61年)に公刊されたと認められる乙6刊行物には,ミスマッチ転位の発生を防ぐ方法として,「a=a (注:歪超格子層(SLS)es=78の平衡的な格子定数=基板の格子定数)となるようにInP上に成長したInGaAs/InGaAsSLSを提案する」こと,x11-x1 x21-x2「In GaAs/In GaAsひずみ超格子は,適切な組成と厚x1-x y1-yさが選択されれば,InP基板に格子整合して結晶成長できる」こと,InPの基板上にInGaAs/InGaAsSLSx11-x1 x21-x2(各層の厚さL とL )を成長させる際に,「各層の組成と厚さは,S 12LS全体として考えた時のa の平衡値が基板の平衡値とバッファ層の平=衡値と等しくなるように選んだ。a は,次のようにSLSのひずみエネ=1 ルギーを最小化することにより計算できる。a =a(InP)=(L=a +L a )/(L +L )」ことが記載されている。 122 12他方で,本件各証拠に照らしても,本件特許出願当時,歪超格子において,InP基板に格子整合させずに,単に格子定数関係式?に係る発明を採用することにより,歪を緩和して,転位の発生を防止することを記載した刊行物が存在したとは認められない。
(エ)このような本件特許出願当時の技術水準に照らして,本件当初明細書の〔作用〕欄の記載及び第2の実施例の記載(特に,「平均の格子定数がInPに格子整合する活性層(17)を有」すること,「活性層(17)の平均格子定数は,量子井戸層(20)とバリア層(21)の厚みと組成を調整することによってInPの格子定数に等しくすることができる」との記載)に接した当業者は,これらの記載につき,乙6刊行物に記載された知見(歪超格子の平均的な格子定数,すなわち,全体的な平衡値を,適切な組成と厚さを選択することにより,InP基板に格子整合させ,歪エネルギーを最小化すること)を,量子井戸半導体レーザ素子に適用したものと理解するものと認められる。
(オ)以上のことからすれば,本件当初明細書の記載に接した当業者は,格子定数関係式?に係る発明が,活性層の平均格子定数をInPの格子79定数と等しくすることを前提とした発明であると理解するものと認められる。
したがって,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくすることを前提としない,格子定数関係式?に係る発明は,本件当初明細書には記載されていなかったものと認められる。
(3)第2回補正後の明細書の要旨(第2回補正後の明細書に記載された技術的事項)ア第2回補正後の明細書の記載第2回補正の内容は,別紙第2回補正明細書記載のとおりであるが,格子定数関係式?に係る発明及び活性層の格子定数に関する記載であって,本件当初明細書から変更された主な部分は,次のとおりである。
(ア)特許請求の範囲「(1)InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-?族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,量子井戸層はその格子定数がInPの格子定数よりも大きい膜厚2.5nm〜30nmのGaInAsP(0≦x1,y1≦1)であり,x11-x1y11-y1x21-バリア層はその格子定数がInPの格子定数よりも小さいGaInAsP(0≦x2,y2≦1)であることを特徴とする量子井戸半x2y21-y2導体レーザ素子。」(イ)〔課題を解決するための手段〕欄「本発明は以上のような点に鑑みてなされたもので,その目的とするところは,光通信において重要な波長帯である1.3μm〜1.55μmの長波長帯で発信する高性能な歪量子井戸半導体レーザ素子を提供することにあり,その要旨は,InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-?族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,量子井戸層はその格子定数がInPの格子定数より80も大きい膜厚2.5nm〜30nmのGaInAsP(0 x11-x1y11-y1≦x1,y1≦1)であり,バリア層はその格子定数がInPの格子定数よりも小さいGaInAsP(0≦x2,y2≦1)であることx21-x2y21-y2を特徴とする量子井戸半導体レーザ素子である。
即ち,量子井戸層として,格子定数がInP基板の格子定数よりも大きいGaInAsP(0≦x1,y1≦1)を選択するとともx11-x1y11-y1にその膜圧を2.5nm〜30nmに設定し,バリア層として,格子定数がInP基板の格子定数よりも大きく,そのバンドギャップが量子井x11-x1y11-y1 x21- 戸層を構成するGaInAsPよりも大きいGaInAsP(0≦x2,y2≦1)を選択することにより,光通信におx2y21-y2いて重要な波長帯である1.3〜1.55μmにおいて,量子井戸層の膜厚を低閾値電流,低チャーピングなどの効果が得られ,かつ,実用上使用可能な程度の低注入電流にて反転分布が生じるように量子井戸層中に圧縮歪が印加されており,更に,歪による転位の発生が緩和された高性能レーザを,実現することが可能となるのである。」(ウ)〔実施例〕欄「光閉じ込め層18はInPと同じ格子定数を有し,その組成はn型InPバッファ層12から活性層17のバリア層21の組成に厚さ方向に徐々に変わり,アンドープか,またはバッファ層12から活性層17にかけて徐々に減少するようにn型にドープされる。光閉じ込め層18の組成は第2図のInGaAsPのダイヤグラムにおいて,0.585nmの等格子定数線(実線)L上に常にあり,最終組成,即ち活性層17に接する部分の組成は,発振波長1.3μmより大きなエネルギーバンドギャップを有し,第2図上においては1.3μmのバンドギャップに相当する等バンドギャップ線(点線)C線と実線Lとの交点Pよりも0.530. 左側のL線上の組成となっている。なお,LはInPとGaIn81Asを結んでいる。 47(略)活性層17は各層の厚さ2.5〜30nmである(n-1)層のバリア層21で交互に隔てられた各層の厚さ2.5〜30nmのn層の量子井戸層20から構成されている。この場合には活性層17の両側面は量子井戸層20になるが,(n+1)層のバリア層21を配して,活性層17の両側面をバリア層21にしてもよい。
量子井戸層20の組成は,第2図における発振波長1.3μmに相当する等バンドギャップ線C線上にあり,かつ,格子定数がバリア層21よりも大きいPT間のTに近い組成,GaInAsPとすX11-X1Y11-Y1る。
各量子井戸層20の厚みには上限値があり,その値は歪の誘起する転位の発生によって決まり,組成Tに対しては20〜30nmである。
例えば量子井戸層の層数nを3とした場合,本実施例のレーザの発振波長は1.3μmから若干ずれた値になる。その原因は歪によりバンドギャップが狭くなることによる長波長化と,電子の量子閉じ込めによる短波長化の影響を受けるからである。
(略)バリア層21の組成は,バンドギャップが量子井戸層のバンドギャップよりも大きく,かつ,格子定数がInPの格子定数よりも大きくなる組成を選択する。即ち,図2において斜線が入っていない領域で,等バンドギャップ線Cよりも右側の組成から選択する。
活性層17の平均格子定数は,量子井戸層20とバリア層21の厚みと組成を調整することによってInPの格子定数に等しくすることができる。
活性層は,nが数百の量子井戸層およびバリア層数まで,歪の誘起す82る転位を生じることなく成長させることが可能である。」イ第2回補正後の明細書に記載された技術的事項(ア)格子定数関係式?に係る発明は,第1回補正により特許請求の範囲から削除されており(前記第2,1(3)ウ参照),第2回補正は,それを前提に行われたものである。
そして,格子定数関係式?に関する発明について,本件当初明細書の記載と第2回補正後の明細書の記載を対比すれば,第2回補正後の明細書においては,本件当初明細書の〔作用〕欄の全文が削除され,格子定数関係式?を採用する場合には,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくする旨の本件当初明細書の記載は,削除されている。他方で,第2回補正後の明細書においては,〔課題を解決するための手段〕欄に「歪による転位の発生が緩和された高性能レーザを,実現することが可能」である旨の記載が追加されているが,「歪による転位の発生が緩和」される旨の記載は,本件当初当初明細書にはなかったものである。
また,実施例についても,本件当初明細書には三つの実施例が記載され,格子定数関係式?に係る発明の実施例は,第2の実施例のみであっって,そこでは,活性層の平均の格子定数がInPに格子整合するものを記載していたのに対し,第2回補正後の明細書においては,実施例は一つだけ記載されており,格子定数に関しては,「量子井戸層20の組成は,第2図における発振波長1.3μmに相当する等バンドギャップ線C線上にあり,かつ,格子定数がバリア層21よりも大きいPT間のTに近い組成,GaInAsPとする。」及び「バリア層X11-X1Y11-Y121の組成は,バンドギャップが量子井戸層のバンドギャップよりも大きく,かつ,格子定数がInPの格子定数よりも大きくなる(注:「小さくなる」の誤記)組成を選択する。」との記載はあるものの,活性層の平均格子定数をInPに格子整合させる旨の記載はなく,単に「活性83層17の平均格子定数は,量子井戸層20とバリア層21の厚みと組成を調整することによってInPの格子定数に等しくすることができる。」との記載があるのみである。
(イ)以上のような第2回補正後の明細書の記載内容からすれば,第2回補正後の明細書に記載された格子定数関係式?に係る発明は,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくすることを前提としておらず,単に,量子井戸層の格子定数をInPの格子定数より大きくし,バリア層の格子定数をInPの格子定数よりも小さいものとする(格子定数関係式?のみを充たせば足りる。)というものであるものと認められる(なお,このこと自体には,当事者間に争いがないものと認められる。)。
(4)検討ア以上のことからすれば,第2回補正は,本件当初明細書には記載されていなかった,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくせずに,量子井戸層の格子定数をInPの格子定数より大きくし,バリア層の格子定数をInPの格子定数よりも小さいものとすることにより,歪による転位の発生を緩和するという技術的事項を新たに追加するものであるから,本件当初明細書の要旨を変更するものと認められる。
イ原告の主張について(ア)原告は,本件発明と本件当初明細書の請求項1とを対比すると,特許請求の範囲は,純粋に減縮されており,拡張されてはいないと主張する。
しかしながら,明細書の要旨が変更されているかどうかを判断するに当たっては,特許請求の範囲の記載の文言上の形式的な対比のみに限定されず,実質的に見て,補正後の特許請求の範囲に記載された技術的事項が,当初明細書に記載された技術的事項の範囲内といえるか否かによ84って判断すべきものと解されることは,(1)ア記載のとおりであるから,原告の前記主張は,理由がない。
(イ)また,原告は,本件当初明細書の〔作用〕欄や〔実施例〕欄における活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくする旨の記載は,単なる例示にすぎず,本件当初明細書全体を貫いて,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくせずに,量子井戸層の格子定数をInPの格子定数より大きくし,バリア層の格子定数をInPの格子定数よりも小さいものとすることで,歪を緩和するとの技術思想が記載されているから,第2回補正は,本件当初明細書の要旨を変更するものではないと主張する。
しかしながら,前記(2)イのとおり,本件当初明細書には,格子定数関係式?に係る発明につき,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくする場合の記載があるのみであって,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくせずに,格子定数関係式?を採用した場合に,転位の発生の防止という本件発明の課題に関して,どのような効果が生じるかは,歪の緩和ということを含めて,何ら記載はないことや,本件特許出願当時の技術水準に照らして,本件当初明細書の記載に接した当業者は,格子定数関係式?に係る発明が,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくすることを前提とした発明であると理解するものと認められる。
したがって,本件当初明細書の〔作用〕欄及び〔実施例〕欄の記載が,単なる例示にすぎないということはできないとともに,本件当初明細書には,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくすることを前提とせずに,量子井戸層の格子定数をInPの格子定数より大きくし,バリア層の格子定数をInPの格子定数よりも小さいものとすることで,歪を緩和するとの技術思想が記載されていたということもできないから,85原告の前記主張は,理由がない。
(ウ)さらに,原告は,本件当初明細書に,活性層の平均格子定数をInPの格子定数と等しくすることを前提とせずに,量子井戸層の格子定数をInPの格子定数より大きくし,バリア層の格子定数をInPの格子定数よりも小さいものとする発明が記載されていたことの根拠として,他の特許出願人や特許庁の審査官等が,本件当初明細書と同一内容の本件公開公報には,「バリア層に引張歪を加え,歪を補償する」ことが記載されていると理解していると主張する。
確かに,証拠(甲20ないし24(枝番号を含む。))及び弁論の全趣旨によれば,本件公開公報より後に出願された特許出願(特願平5-136359(平成5年6月8日出願))並びに同様の特許出願に対する特許庁審査官の拒絶理由通知等(特願平3-220613(平成3年8月30日出願)に対する拒絶理由通知及び出願人の意見書,特願平3-196339(平成3年8月6日出願)に対する拒絶理由通知及び出願人の意見書)及び特許異議の申立手続(特許第3204969号(平成2年10月17日出願)に対する異議申立手続,特公平7-118571(平成5年2月12日出願)に対する異議申立手続)においては,本件公開公報には,活性層の平均格子定数を問題とすることなく,量子井戸層とは逆の引張歪をバリア層に加えることで,歪を補償することが記載されていると理解されているものと認められる。
しかしながら,当初明細書に記載された技術的事項がいかなるものであるかは,当該特許が出願された当時の当業者の認識を前提に解釈すべきであるところ,前記の特許出願等に記載された当業者の認識は,いずれもこれらの各特許出願時(最も早いものでも平成3年の出願(特許異議の対象となった特許(甲22の1)については,平成2年の出願)であって,本件特許出願時から約3年が経過している。)における当業者86の認識を示すものであって,本件特許出願時における当業者の認識を示すものではない。
したがって,原告の前記主張は,理由がない。
(5)結論以上のとおり,第2回補正は,本件当初明細書の要旨を変更するものと認められ,また,証拠(乙2の9)によれば,第2回補正の手続補正書は,平成9年8月11日に提出されたと認められることから,本件特許出願は,旧特許法40条により,平成9年8月11日にされたものとみなされる。
2争点(2)-イ(要旨変更による出願日繰下げを前提とする新規性及び進歩性の欠如)について(1)本件発明の要旨発明の要旨の認定は,特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することかできないとか,あるいは,一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかである等の特段の事情がない限り,特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである(最高裁昭和62年(行ツ)第3号平成3年3月8日第二小法廷判決・民集45巻3号123頁参照)。
そして,特許請求の範囲の記載及び本件明細書の記載に照らして,本件発明につき,このような特段の事情があるとは認められないから,本件発明の要旨は,前記第2,1(2)アの特許請求の範囲(下記に再掲する。)に記載されたとおりであると認められる。
記「InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-V族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,量子井戸層はその格子定数がInPの格子定数よりも大きい膜厚2.5nm〜30nmのGaInAsP(0新規性又は進歩性の欠如についてア1で認定したとおり,本件特許出願は,第2回補正の手続補正書が提出された平成9年8月11日にしたものとみなされることから,平成2年5月18日に特許出願公開がされた本件公開公報(乙2の2)は,平成11年法律第41号附則第2条12項により本件発明に適用される同法による改正前の特許法29条1項3号(以下「旧特許法29条1項3号」という。)の「刊行物」に該当することとなる。
そして,本件公開公報の記載内容は,本件当初明細書と同一である(乙2の1及び2)ところ,前記1(2)の本件当初明細書の記載及びその要旨に照らして,本件公開公報には,「InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-V族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,量子井戸層はその格子定数がInPの格子定数よりもx11-x1 大きい膜厚25Å〜300Å(2.5nm〜30nm)のGaInAsP(0≦x1,y1≦1)であり,バリア層はその格子定数がIny11-y1Pの格子定数よりも小さいGaInAsP(0≦x2,y2≦ x21-x2y21-y21)であって,活性層全体の平均格子定数がInPの格子定数と等しいことを特徴とする1.3μm以上の波長用の量子井戸半導体レーザ素子。」との発明が記載されていると認められる。
イそして,本件発明と本件公開公報に記載された発明とを対比すれば,本件発明は,まず,格子定数につき,本件公開公報に記載された発明の「活性層全体の平均格子定数がInPの格子定数と等しい」という構成が削除されている点が異なるが,これは,当該構成を削除することによって,単に,量子井戸層の格子定数がInPより大きく,バリア層の格子定数がI88nPの格子定数より小さければ足りるとしたものであって,本件公開公報に記載された発明を上位概念化するものである。また,量子井戸層の組成につきx1=0,y1=1,バリア層の組成につきx2=0,y2=1をそれぞれ除外した点及び波長の上限を1.55μmとした点においても異なるが,これらの点については,単に本件公開公報に記載された発明を減縮するものであって,これらにより新たな技術的意義が付加されるものとは認められないから,本件公開公報に記載された発明の構成に包含されるものであると認められる。
したがって,本件発明と本件公開公報に記載された発明とは,「InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む?-V族化合物半導体層を有する量子井戸半導体レーザ素子において,量子井戸層はその格子定数がInPの格子定数よりも大きい膜厚25Å〜300Å(2.5nm〜30nm)のGaInAsP(0そうすると,本件発明は,旧特許法29条1項3号に該当するものとして,特許無効審判により無効にされるべきものと認められる。
(3)結論よって,特許法104条の3第1項の規定により,原告は,被告に対し,本件特許権につき権利を行使することはできない。
3以上のことから,原告の請求は,その余の点を判断するまでもなく理由がないから,これを棄却することとして,主文のとおり,判決する。
89
追加
90(別紙)物件目録1下記の構成を有する量子井戸半導体レーザ素子記InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む1.55μm用量子井戸半導体レーザ素子であって,量子井戸層の組成は,GaInAsPx11-x1y1(0?40kmTDM品について:NLK3C8EBUB,NLK3C8EAUB?40kmES品について:KELD3C8EBUE?80kmTDM品について:NLK3C8FBUB,NLK3C8FBUC,NLK3C8FBUANLK3C8FAUB?80kmWDM品について:NLK3C8FBUB-Oxx,NLK3C8FBUC-Oxx,NLK3C8FBUA-Oxx記InP基板上に,量子井戸層とバリア層からなる活性層を含む1.55μm用量子井戸半導体レーザ素子であって,量子井戸層の組成は,GaInAsx11-x1P(0
裁判長裁判官 清水節
裁判官 坂本三郎
裁判官 岩崎慎