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審判番号(事件番号) データベース 権利
平成16ワ8682損害賠償請求事件 判例 特許
平成20ネ10083損害賠償請求控訴事件 判例 特許
平成17ネ10109特許権侵害差止等請求控訴事件 判例 特許
平成17ネ10080特許権侵害排除等請求控訴事件 判例 特許
平成17ワ 785特許権侵害差止等請求事件 判例 特許
関連ワード 物の発明 /  方法の発明 /  製造方法 /  新規性 /  進歩性(29条2項) /  周知技術 /  技術常識 /  優先権 /  着想 /  援用権(援用) /  優先日 /  製造承認 /  容易に想到(容易想到性) /  業として実施 /  特許発明 /  実施 /  先使用権(先使用) /  構成要件 /  構成要件充足性 /  業として /  侵害 /  不法行為(民法709条) /  実施権 /  通常実施権 /  混同 /  事業の準備 /  誤記の訂正 /  変更 / 
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事件 平成 18年 (ネ) 10038号 損害賠償請求控訴事件
控訴人味の 素 株式会社
訴訟代理人弁護士増井和夫
同 橋口尚幸
被控訴人中 外製薬株式会社
訴訟代理人弁護士牧野利秋
同 福田親男
同 尾崎英男
同 那須健人
同 丸山隆
同弁理士江尻ひ ろ子
補佐人弁理 士深澤憲広
裁判所 知的財産高等裁判所
判決言渡日 2007/02/27
権利種別 特許権
訴訟類型 民事訴訟
主文 1本件控訴を棄却する。
2控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2被控訴人は,控訴人に対し,30億円及びこれに対する平成16年5月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は第1,2審とも被控訴人の負担とする。
事案の概要
前注:以下においては,原判決の略語をそのまま用いる。
1本件訴訟は,名称を「生理活性タンパク質の製造法」とする発明の本件特許権(特許第2576200号。優先権主張昭和63年3月9日,出願日昭和63年7月8日,登録日平成8年11月7日,特許決定公報[平成9年異議第73453号]発行平成14年10月25日,請求項1〜5)を有する控訴人(一審原告)が,被控訴人(一審被告)が被告方法1及び2を用いて遺伝子組換えのヒトエリスロポエチン(EPO)及び遺伝子組換えのヒト顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF)を製造・販売していることは本件特許権(請求項1)を侵害するとして,被控訴人に対し,民法709条に基づき,382億円の損害賠償金の一部請求として,損害賠償金30億円と遅延損害金の支払を求めた事案である。
2平成16年4月20日付けで訴状が提出された原審においては,@ 前記EPO及びG-CSFを製造販売している被控訴人の被告方法1及び2が本件発明(本件特許権の請求項1に係る発明。以下同じ)の構成要件を充足するか,A 被控訴人は先使用による通常実施権(特許法79条)を有するか,B 本件特許権の請求項1は特許無効審判により無効とされるべきものか(特許法104条の3)等が争点とされたが,平成18年3月22日に言い渡された原判決においては,被控訴人の先使用による通常実施権の抗弁(前記A)及び本件特許権の請求項1は特許法29条2項違反(進歩性の欠如)により無効とされるべきものであるとの抗弁(前記Bの一部)にいずれも理由があると認めて,控訴人の請求を棄却した。そこで控訴人は,これを不服として本件控訴を提起した。
3なお,本件訴訟が原審係属中である平成16年11月5日,本件特許権の請求項1ないし5につき被控訴人から特許無効審判請求(無効2004-80217号事件)がなされ,特許庁が平成17年9月7日本件特許の請求項1ないし5に係る発明についての特許を無効とする審決をしたことから,控訴人が原告となり,被控訴人を被告として同審決の取消しを求める訴訟が当庁に提起されて(平成17年(行ケ)第10732事件),本件訴訟と並行して審理が進められ,判決も同時になされることとなっている。
当事者の主張
1当事者双方の主張は,当審における主張として次のとおり付加するほか,原判決の第2(事案の概要)記載のとおりであるから,これを引用する。
2 控訴人の主張(1)争点(2)(先使用)に関し原判決が,被控訴人の先使用による通常実施権の抗弁の成立を認めたことは,以下のとおり誤りである。
ア 本件発明が医薬品の製造方法に関する発明であることを看過した誤り原判決は,本件発明及び被告方法に係る発明は,その発明に係る方法を使用して医薬品を製造することを発明の内容とするものではないから,当該発明の実施としての事業又は事業の準備に該当するか否かは,基本的には,EPO又はG-CSF等の生理活性タンパク質の製造自体が事業又は事業の準備として行われたか否かにより判断されるべきものである,とした。しかし,この見解は基本的な誤りを含んでおり,それが原判決の結論の誤りに大きく影響している。
本件発明は,医薬品の製造方法に関する発明である。一般に,医薬品の特許発明は,新規物質の発明である場合には物の発明として構成されるのであり,医薬品であることは請求項に記載されない。医薬品としての用途を記載するのは,物として新規性がないので用途発明として権利取得がなされる場合である。発明が請求項の記載上,医薬品の発明として明記されていないことは,当該発明が医薬品又は医薬品の製造方法の発明であることの認定と何ら矛盾しない。
また,EPOもG-CSFも医薬品として販売可能にならない限り,商品として製造されることはなかった。医薬品以外の用途は存在しない。したがって,医薬品として販売可能な状況に達するまでは,物の製造自体としても,業として実施には到達し得ないのである。
本件の問題点は,本件優先日(昭和63年3月9日)において,被控訴人のEPOとG-CSF各々の事業(明らかに医薬品の製造販売の事業である。)が,実施又は即時実施の意図が客観的に認識される態様に到達していたか否かにより判断される。被控訴人製品が医薬品であることを無視する判断はあり得ない。
本件発明は,生理活性タンパク質の種類を特定していないという点で,医薬品の製造に関する一般的方法であるとはいえる。しかし,一つの特許発明が多数の実施態様を包含することは,少しも珍しくはない。本件発明が個々の生理活性タンパク質について実施されるとき,それは,単一の医薬品(生理活性タンパク質)に関する発明の実施となるのであるから,単に請求項の記載が一般的であるからといって,医薬品に関する発明であることの本質が変わるはずはない。
イ 即時実施の意図についての認定判断の誤り特許法79条にいう「事業の準備」があったといい得るか否かは,即時実施の意図が客観的に認識される態様,程度において表明されているといえるか否かという基準で判断すべきものであるが,即時実施の意図が客観的に認識されるためには,第1に,製造販売すべき製品の内容が確定していることが当然の前提となり,第2に,工業的な実施の設備の存在が必要になる。しかるに,以下に述べるとおり,本件においては,いずれの要件も充足されていない。
(ア)製造販売すべき製品の内容は未確定であったこと本件発明は上記アのとおり医薬品の製造方法に係る発明であるところ,医薬品を工業的に製造販売することが可能になるには,所轄官庁から製造承認を受けることが必須条件である。したがって,事業の即時実施が可能となり,厳密な意味で事業者が事業の即時実施の意図を有することができるのは,製造承認を受けた時である。
被控訴人は,被告方法1及び2を利用した医薬品については,本件優先日(昭和63年3月9日)現在においては臨床試験の段階にとどまっており,製造承認を受けるには至っていなかった。医薬品の臨床試験における成功率は決して高いものではないから,臨床試験の段階では未だ試験研究が行われているにとどまり,製造承認を受けることができるか否かは不確実なものである。
この点につき,原判決は,被控訴人がEPO及びG-CSFの医薬品としての臨床試験を行う段階に至っていたことを理由に,医薬品として製造販売する意図を有し,かつ,その意図が客観的に認識され得る態様・程度において表明されている,と判断した。しかし,この判断は,医薬品の開発に対する根本的な誤認に基づく誤った判断である。臨床試験中の物質について,開発が完了し完成した医薬品という評価を与えることは明らかに誤っている。
原判決は,事業実施の段階と発明の完成の段階を混同している。ヒトに対する医薬品に関する発明であっても,特許を取得するためには動物実験のデータで足りる。しかし,事業として実施できる医薬品とは,ヒトに使用して安全性と有効性が確認されたものでなければならない。臨床試験前に開発が完了していることなどあり得ない。事業の即時実施の意図とは,主観的な実施の期待ではなく,客観的に実施可能な状態にあり,顧客の注文を待つだけ,あるいは製造設備を新設中で完成を待つだけといった,客観的な事実から認められる意図をいうのである。
(イ)工業的な実施の設備は存在しなかったこと本件では,治験薬の製造に利用された1600L培養タンクと本件優先日(昭和63年3月9日)後に新設された2500L培養タンクの意味づけが議論されている。これら設備に関する行為は,EPO又はG-CSFの医薬品としての製品の完成を伴ってのみ,先使用権の認定に資するものである。設備のみに関する先行行為があったとしても,即時実施し得る技術が存在しなければ,即時実施の意図の客観的な認識は生じ得ない。
ウ G-CSFの先使用権についての認定の誤り(ア)MCB作製の日付け原判決は,G-CSFのMCBの作製は本件優先日(昭和63年3月9日)前の昭和62年1月23日には行われていたと認定したが,以下の事情に照らすと,同日に作製されたMCBと被控訴人が実際の生産に使用したMCBとが同一であることは立証されていないから,原判決の認定した上記事実は,先使用の抗弁を基礎付けるものではない。
aプラスミドの名称の変更につき控訴人は,昭和62年1月23日に作製したプラスミドはpV2DR1であるとして製造確認申請を提出したが,本件優先日(昭和63年3月9日)後の平成元年12月27日に提出した製造承認申請では,プラスミドはpV3DR1であると記載した。原判決は,これは単なる誤記の訂正であると認定したが,被控訴人は,MCBの作製時とMWCBの作製時との2回にわたりcDNAの塩基配列を確認しているはずであるから,その時点で取り違えに当然気付くはずであって,製造承認申請の直前に至って誤記に気付いたという説明はいかにも不自然である。
bmRNA不安定化配列の除去につき被控訴人がG-CSFの実際の生産に用いたMCBの作製の経緯について述(甲8。野村仁「遺伝子工学による造血因子医薬品化の方法と実情についべた論文にて」造血因子 Vol.1, No.1, 37-43頁, 1990年2月。以下「野村論文」という。)は,3 非翻訳領域にmRNAの不安定化に関与する配列が存在することに´関する記載がある。しかるに,3 非翻訳領域にmRNAの不安定化に関与 ´する配列が存在することは,昭和61年(1986年)8月29日に刊行された(甲79。Gray Shaw et al. "A Conserved AU Sequence from theGray Shawらの論文3'Untranslated Region of GM-CSF mRNA Mediates Selective mRNA Degradation"によって初めて報告されたCell,Vol.46, 659-667。以下「Shaw論文」という。)ものであるから,野村論文の上記記載は,1986年6月14日にG-CSF遺伝子で CHO dhfr 細胞の形質転換を行ったとの被控訴人の主張と矛盾す-る。
c以上の点からすれば,被控訴人がG-CSFの実際の生産に用いたMCBと,被控訴人が本件優先日(昭和63年3月9日)前に作製したMCBとが同一であることには,重大な疑念が生ずる。
(イ)本件優先日における臨床試験の状況仮に,原判決の認定した開発過程を前提にしても,本件優先日(昭和63年3月9日)における開発状況から見て,やはり先使用権を認めることはできない。G-CSFに関する臨床試験は,本件優先日のわずか半年前である昭和62年9月24日に第1相の臨床試験が開始され,本件優先日の1か月前の昭和63年2月2日に第2相の臨床試験が開始されたという段階であった。この段階では,基礎的な有効性と安全性の確認が行われているにとどまり,医薬品としての製品の形が定まっていないのである。これでは,医薬品を即時販売できる状態に到達していないことは,明らかである。
(ウ)製造設備の観点原判決は,被控訴人において昭和62年7月27日に2500L培養タンクの新設に関する取締役会決議が行われたことによって,G-CSF生産設備の新設が確定したかのように認定しているが,誤りである。
すなわち,この時期には,いまだ第1回の治験薬の準備を行っていたのであって臨床試験に着手もしていないから,この段階で,臨床試験の成功を経て医薬品としての製造承認が得られるか否かは不確定である。
また,取締役会決議は投資の大枠を決定するためのものにすぎず,実際の設備増設の発注等を意味するものではない。
(2)争点(3)イ(本件発明の進歩性)に関し原判決は,引用例1(乙4),引用例2(乙5),引用例3(乙6),引用例4(乙44)を形質転換 CHO dhfr 細胞の浮遊培養に関連する公知文献とし-て検討し,いずれの文献も本件発明を記載しているものではないと判断した。しかるに原判決は,引用例1〜3に欠けている技術事項である,「浮遊攪拌培養を継代して行うことにより浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞を樹立」(構成要件B)の点が,引用例5(乙2)に開示されていると認定し,引用例5と引用例1〜3を組み合わせることにより,本件発明の進歩性を否定した。
しかし,原判決の上記判断は,以下のとおり誤りである。
ア 引用例5の解釈の誤り原判決は,引用例5(乙2)に開示された方法の認定を誤り,引用例5が,本件特許発明の特徴的構成である浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞の樹立を教示していると誤って認定したものである。
(中井準之助ほ(ア)引用例5(乙2)は,昭和51年(1976年)に出版された書籍であり,その当時,動物細胞の形質転換細か「組織培養」朝倉書店1976年刊)胞を取り扱う技術は存在しなかったため,形質転換細胞について浮遊培養に適した細胞株を樹立することについては何らの言及もない。また,遺伝子工学を用いたタンパク質の安定生産についても全く記載はない。
したがって,引用例5(乙2)の文中に,付着性の動物細胞を浮遊培養することについての記載があることをもって,本件発明における「浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞を樹立」する工程が開示されていると解釈することは,誤りである。
(イ)引用例5(乙2)が出版された昭和51年(1976年)当時,動物細胞の浮遊培養については知見が極めて少なく,著者はもっぱら自らの経験を記載せざるを得なかったのである。すなわち,引用例5には,動物細胞の浮遊培養が従来考えられているほど困難なものではない旨の記載があるが,その根拠としては,少数の文献を挙げた上,主としてHeLa S-3細胞に関する著者自身の経験に言及するにとどまっている。そうすると,これらの記載から,動物細胞を浮遊培養することが原則として可能であるとの技術常識が存在したかのごとく認定することは,誤りである。
このように,引用例5(乙2)の文中における動物細胞の浮遊培養についての記載は,多くの研究者の業績により確立された知見を集めたものではない。したがって,この点において,引用例5に記載された内容を,それが教科書的な書籍に記載されているという文献の体裁だけから「周知技術」として認定することはそもそも不適切である。
(ウ)a細胞の培養においては培地の選択が極めて重要である。引用例5(乙2)の培地の選択に関する記載によれば,引用例5の開示する浮遊培養の方法は,Ca(カルシウム)とMg(マグネシウム)を除いた培地を使用するというものである。
しかるに,カルシウムは動物細胞を構成する成分の一つであり,動物細胞の大量培養のための必須成分であるから,カルシウムを除いた培地において浮遊培養に成功したとしても,細胞の十分な増殖性を得ることができない以上,目的とするタンパク質の工業的な大量生産に利用することができない。
b引用例5(乙2)の記載によれば,引用例5が開示する浮遊化手段では,L細胞のような特殊な細胞を除き,時間の経過によって浮遊培養に特異ないろいろの利点が失われるほどに細胞塊が形成されるというのである。すなわち,引用例5に記載された方法では,単に一過性の浮遊性を示す細胞が得られたにとどまる。上記記載から推測されることは,引用例5に記載された浮遊化とは,安定した浮遊化の段階に到達したものではなかったか,あるいは,カルシウム等を除いた培地での浮遊培養は細胞の性質をあまり変更することなく浮遊状態を得るものであると考えられるから,逆に付着状態にも戻りやすいのであろう,ということである。
c上記a,bの点を正しく考慮すれば,引用例5(乙2)の記載から,付着性動物細胞を浮遊化することに本質的な困難がないかのごとく解釈するのは誤りである。
すなわち,上記aのとおり,カルシウム等を除いた培地を使用するという,実験室で単に浮遊培養の状態を得るための条件下であれば,浮遊化が可能になる場合が多いのかもしれないが,タンパク質生産を目的とするとき必要とされる量のカルシウム等を含む通常の培地において,しかも,容器に特段の付着防止処理も行わずに浮遊化を実現しようとすれば,それは,決して容易な作業ではない。しかも,上記bのとおり,引用例5(乙2)において「浮遊培養」と呼ぶ状態は,時間の経過によって細胞塊が形成され,浮遊培養の利点が失われる程度の不完全なものにすぎなかったのである。
このように,引用例5の記載は,実験室で細胞を取り扱う目的の限度で,特殊な培地を使用した上,長期間は浮遊状態が維持できない程度の不完全な浮遊化の手段を開示しているにとどまるのである。これは,本件発明が意図するタンパク質の大量生産のために形質転換細胞を浮遊攪拌培養に適合させる手段とは,次元の異なる手段にすぎない。
イ 引用例2の解釈の誤り(乙5。JoelHaynesetal."Constitutive,long-term原判決は,引用例2production of human interferons by hamster cells containing multiple copies of aにcloned interferon gene", Nucleic Acids Research,Vol.11,No.3,687-706,1983)は,浮遊培養下において,安定な増殖性と,単層培養での生産性に匹敵する高いタンパク質産生能を示すいくつかのクローンが得られたことが記載されていると認定し,さらに,浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞の樹立を直接示す記載であるとはいえないが,形質転換 CHO dhfr 細胞を用いた浮-遊培養における組換えヒトIFNの大量生産の可能性を強く示唆する記載であると認定した。しかし,このような認定は以下のとおり誤りである。
すなわち,引用例2(乙5)の全体を通じ,具体的な記載はすべて付着培養に関するものであり,浮遊培養については,その基本的な条件(培地の選択,培養装置の種類等)についてすら何の記載もないまま,浮遊培養でもIFN(インターフェロン)が得られたという結果が示されているだけである。そうすると,引用例2から知り得ることは,付着培養で増殖させたIFN産生能を有する形質転換 CHO dhfr 細胞を,何らかの手段で浮遊状態に-置き,IFNの産生能を調べたところ,浮遊状態でもIFNを産生したという事実だけである。浮遊培養をした時間は記載されていないのであるから,IFN産生が「安定に推移した」といっても,何日間そうであったのかは不明であり,浮遊状態に適合できない細胞が死滅するまでの1週間程度の期間中における安定性を意味していると解される。また,「安定に」とは,むしろ,変動がないこと,すなわちIFN産生量が時間とともに増大したのではないこと(細胞密度も増大を示さなかったこと)を示唆している。
付着性細胞を強制的に浮遊状態に置いても,細胞が直ちに死滅するわけではない。ただし,浮遊培養に適合しているわけではないから,通常は,1週間程度で死滅する。しかし,死滅するまでの間は,生きているのであるから,生命現象としてタンパク質を生産することができる。引用例2は,このような一過性の浮遊培養について記載したものにすぎない。
引用例2の記載をこのように解釈すべきことは,甲83陳述書(D,2004年11月17日),甲84鑑定書(E,平成17年11月6日)にも,専門家の見解として明らかにされている。
ところが,原判決は,全く根拠を示すことなく,浮遊培養下において安定な増殖性と単層培養での生産性に匹敵する高いタンパク質産生能を示すいくつかのクローンが得られたことが,引用例2に記載されていると認定した。上記のとおり,「安定な増殖性」との認定の根拠となる記載は引用例2に全く存在しないのであって,原判決の認定は誤りである。
ウ引用例1,3の解釈の誤り及び引用例1〜3と引用例5の組合せの容易性についての判断の誤り(ア)引用例1につき(乙4。MichaelA.Recnyetal."Structural原判決は,引用例1CharacterizationofNaturalHumanUrinaryandRecombinantDNA-derivedErythropoietin",TheJournalofBiologicalChemistry,Vol.262,No.35,の記載を引用し,引用例1には十分に浮遊攪拌培養に耐17156-17163, 1987)えられる形質転換細胞が得られたことが記載されていると認定し,さらに,この記載が,浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞の樹立を直接示す記載であるとはいえないが,形質転換 CHO dhfr 細胞を用いた浮遊培養に-おける組換えヒトEPOの大量生産の可能性を強く示唆する記載である,と評価した。
しかし,引用例1(乙4)には,増殖性を示したとも,タンパク質の生産性を示したとも記載されていない。浮遊培養として維持されたとは,浮遊条件で死滅せずに維持されたという以上の内容を示してはいない。また,浮遊培養として維持された期間は明らかでないし,この浮遊培養が,培地やタンク壁面の構成により容易になったものか,細胞本来の性質によったものか,浮遊状態で大きな細胞塊を形成していたか,といった点も一切不明である。このような内容の薄い開示に基づいて原判決が上記のような認定及び評価をしたことは,誤りである。
(イ)引用例3につき(乙6。P.Ferraraetal."Characterizationof原判決は,引用例3recombinant glycosylated human interleukin 2 produced by a recombinant plasmidについtransformed CHO cell line" FEBS LETTERS, Vol. 226, No. 1, 47-52, 1987)て,その記載は,形質転換 CHO dhfr 細胞を用いた浮遊培養における組換-えヒトIL-2の大量生産の可能性を強く示唆するものであると評価したが,このような評価は,浮遊攪拌培養による工業的生産が実施されるようになった現在の知識に影響された誤ったものである。
元来付着性の動物細胞であっても,培養条件が適当であれば,1週間程度の短期間は強制的に浮遊状態に維持してタンパク質を産生させ得ることが多く,形質転換 CHO dhfr 細胞においてもこのことは当てはまる。
-引用例3(乙6)も,形質転換 CHO dhfr 細胞の増殖性や浮遊培養の期間-について開示がない以上,このような短期間の強制的浮遊培養についての知見を示すにとどまるのであり,これを原判決のように評価することは誤りである。
(ウ)以上検討した引用例1〜3(乙4〜6)から知られる公知の事実とは,形質転換 CHO dhfr 細胞について,浮遊培養を行った場合,培養条件-が適切であれば,この細胞が直ちに死滅したり細胞塊を形成して浮遊培養困難となるような細胞ではないという事実のみである。このような事実と,浮遊攪拌培養によるタンパク質の大量生産が可能か否かは次元の異なる問題である。
付着培養により増殖した細胞を強制的に浮遊培養した場合には,浮遊状態で維持できたとしても,増殖性がないか極めて低い。そのため,1週間程度で死滅する。これに対し,本件発明では,浮遊培養で無理なく増殖する細胞を得るために,浮遊状態に置かれた付着性細胞の中で,生き残った細胞を選択して再度浮遊攪拌培養を行い,浮遊に適した細胞を選択するという過程を繰り返した。この過程により,最終的に浮遊攪拌培養により安定した十分な増殖性を有する細胞が得られるか否かは,予想できない。また,このような選択を繰り返して得た細胞は,当初の細胞とは付着性か浮遊性かという大きな変化(遺伝子の変異を伴う)を生じているのであるから,同時にタンパク質の生産性も変化している可能性があるが,本件発明では,浮遊攪拌培養に適合した細胞株を作製した後,20サイクルもの連続的な浮遊培養を実施し,細胞の増殖性とタンパク質の生産性が安定していることを確認した上で,本件発明の目的に適う生産細胞株を「樹立」したものである。
このように,本件発明は,増殖性とタンパク質生産性をともに安定して発揮する浮遊攪拌培養適合株を得たものであるが,引用例1〜3(乙4〜6)からは,そのような細胞株が得られるか否かを知ることも予測することもできなかった。
(エ)引用例1〜3と引用例5の組合せにつき原判決がこれら引用例の組合せの容易性を誤って肯定したのは,第1に,引用例5(乙2)に本件発明の構成要件Bの手段が開示されていると誤って理解したことによるものであり,第2に,引用例1〜3が,元来付着性の細胞がそのままで有し得る短期間の浮遊状態でのタンパク質生産を示したものにすぎないにもかかわらず,これを,浮遊攪拌培養に適合した細胞の増殖性及びタンパク質生産の安定性を示したものと誤認したことによるものである。
すなわち,まず,上述のように,引用例1〜3(乙4〜6)には,形質転換 CHO dhfr 細胞に安定した増殖性及びタンパク質生産性を確認した-との開示はない。また,本件発明の目的のためには,通常の培地が使用可能でなければならないが,引用例5(乙2)に開示された浮遊化の方法は,カルシウム等を除去した培地を使用する,細胞の増殖性やタンパク質生産性を考慮しない実験室用の方法であり,引用例5に開示された浮遊化の方法では時間の経過とともに細胞塊が形成されることを避け難く,浮遊化の利点が失われる。
原判決が基本的文献であるとする引用例5(乙2)の開示の実質は以上のとおりであり,形質転換 CHO dhfr 細胞に適用することによって,本-件発明のような細胞の増殖性とタンパク質生産の安定性を有する浮遊攪拌培養適合株が得られることを保証するような方法ではなかった。
エ 本件発明の困難性を示す証拠についての判断の誤り原判決は,甲20文献,28の1文献,28の2文献,46意見書,17文献,18文献に基づく,本件発明の困難性に関する控訴人の主張につき,いずれも本件発明を容易になし得たとの判断に影響しないとして排斥したが,以下のとおり誤りである。
(ア)甲20文献につき(H外「遺伝子導入を利用した物質生産」月刊組織培養,13(4),19-24甲20文献には,CHO細胞は接着依存性の細胞で浮遊化できない旨が,明確頁,1987)に記載されている。原判決は,当該記載について,実験データ等を示さず単に結論を記載しているにすぎないこと等を理由に,甲20文献は本件発明の容易想到性の判断に影響しないとしたが,誤りである。すなわち,元来付着性である細胞の浮遊化に成功した事例であればその条件を報告するのが当然であるが,不成功の事例であれば,詳細な記載はしないのが普通であるから,実験データ等が示されていないことは,「浮遊化できない」という結論の信頼性を減殺するものではない。
そして,甲20文献の著者が本件優先日(昭和63年3月9日)前においてインターフェロン研究の第一人者であったことも踏まえれば,甲20文献の「浮遊化できない」という明確な記載は,本件発明における成功の予測可能性を否定するものである。
(イ)甲46意見書につき甲46意見書 にも,本件出願当時に,細(I「意見書」,平成16年12月28日)胞培養技術の第一線にあった研究者の見解として,当時において付着性細胞を浮遊化させることは困難であった旨の見解が示されている。
(ウ)甲28の1文献につき(三井洋司監訳「動物細胞培養の実際」丸善株式会社,平成2年2甲28の1文献は,原著作が1986年(昭和61年)の教科書であり,浮遊培養月28日発行)法で細胞が増殖できるようになるかは細胞株(cell lines)によって大きく異なる旨の記載がある。
原判決は,甲28の1文献は本件発明を当業者が容易に想到できたとの判断に影響するものではないというが,動物細胞培養に関する知見が極めて限られていた1976年(昭和51年)の著作である引用例5(乙2)の記述と,その10年後における甲28の1文献の記述とのいずれをより信頼すべきかはいうまでもない。
さらに,甲28の1文献において具体的に示されている浮遊化の方法は,引用例5(乙2)と同じくカルシウム等を除いた培地を使用するものであるが,それでも,浮遊化が成功するかどうかは,細胞の種類によるというのが,引用例5より約10年後における専門家の見解なのである。カルシウム等を含有する通常の培地を用いて浮遊化させる場合には,甲28の1文献の説明よりも更に困難性があると認識されなければならない。
(エ)甲28の2文献につき(須山忠和「大規模装置を用いての動物細胞培養の実際」組織培養甲28の2文献には,単層培養の系に適合している細胞を浮遊培養の9(8), 291-295, 1983)系に移し,長期間維持することは通常とても困難であり,まれに成功しても細胞の増殖度はあまり良くない旨の記載がある。原判決は,当該記載はヒト由来細胞に関する記述であるから価値がないかのごとくにいうが,細胞の性質に関し,ヒトは哺乳動物に他ならないのであるから,原判決の見解は不当である。
(オ)甲17,18文献につき(「日経バイオテク」1986年5月5日号,日本経済新聞原判決は,甲17文献,甲18文献 におけるキ社)(「日経バイオビジネス」2001年9月号,日経BP社)リン-アムジェン社のローラーボトル法採用の事実も,引用例5(乙2)の手法を選択することの容易性を否定しないという。しかし,バイオテクノロジーの最先端を走っていたキリン-アムジェンが浮遊培養ではなく付着培養を選んだ事実は,東レ株式会社が付着培養の一態様であるマイクロキャリヤ法を選んだ事実と併せ,当業者に対し,付着性細胞の浮遊化適合が現実的でないとの強い示唆になるものであった。
(カ)甲6文献につき(尾野雅義「総論-G-CSFが生まれるま原判決は触れていないが,甲6文献には被控訴人が形質で」造血因子,第2巻第4号,17-21頁,1991年10月15日発行)転換 CHO dhfr 細胞を浮遊化させた経過が説明されており,その中に,浮-遊化は壁から細胞をはがした後根気よくサスペンジョンカルチャーを繰り返すという困難な作業であったこと,付着細胞の浮遊化適合が未完成技術であったことを示す記載がある。
被控訴人は公表されていなかった形質転換 CHO dhfr 細胞の浮遊化技術-を米国の Genetics Institute 社から導入し,導入した知識に基づいて上記浮遊化を行ったのであるが,それでも,その経過は上記のようにわざわざ記載するほど困難な作業だったのである。予備知識のない当業者であれば,途中で浮遊化できないと判断したであろう。
(キ)甲87文献につき2004年(平成16年)刊行の「Production of recombinant proteintherapeutics in cultivated mammalian cells」(「培養動物細胞における医療用組換えタンパク質の生産」。甲87。以下「甲87文献」という。)にも,本件優先日(昭和63年3月9日)当時に細胞培養技術の第一線にあった研究者の見解として,当時(1980年代)において付着性細胞を浮遊化させることは困難だった旨の見解が示されている。
(ク)以上のとおり,動物細胞に遺伝子工学が適用されるようになった1980年代及びその後の刊行物及び専門家見解によれば,形質転換 CHO dhfr 細-胞について,増殖性とタンパク質生産性に優れた安定した浮遊攪拌培養適合株が容易に得られることを予想する根拠は存在しなかった。特に,カルシウム非含有の,細胞の増殖性とタンパク質生産性を考慮せず浮遊化の容易性のみを意図した特殊な培地を使用する場合と異なり,通常の細胞の増殖性とタンパク質生産性を考慮した培地を用いて浮遊化を行う場合については,各刊行物においてその困難性が指摘されているのである。
(ケ)導入遺伝子の安定性につき前記甲20文献は,上記(ア)の点に加えて,形質転換動物細胞の浮遊化における遺伝子の不安定性を指摘している。原判決はこの点に関し,他の文献によれば浮遊化に際して導入遺伝子の安定性が維持されることを理解することができ,たとえこの点に疑問を持つことがあったとしても,結論を左右するものではないという。
しかし,本件優先日(昭和63年3月9日)前の公知文献において,形質転換動物細胞を,本件特許発明のように増殖性とタンパク質生産性につき,完全な安定性を有するように浮遊攪拌培養に適合させた報告は存在しなかったし,本件発明のような適合化を経て遺伝子の安定性を確認した文献も存在しなかったのである。逆に,本件優先日前において,動物細胞一般の問題として,浮遊化することによって遺伝子そのものある(P.B.CAPSTICK et al. "SOMEいは遺伝子の機能が変化することが,乙46文献FUNCTIONALAND MORPHOLOGICALALTERATIONSOCCURRING DURINGAND AFTERTHEADAPTATION OF BHK21 CLONE13 CELLS TO SUSPENSION CULTURE" Experimental CellResearch 44, 119-128)(P.B.CAPSTICK et al. "GROWTH OF CLONED STRAIN,乙47文献OF HAMSTER KIDNEY CELLS IN SUSPENDED CULTURES AND THEIR SUSCEPTIBILITY TO THE VIRUSOF FOOT-AND-MOUTHDISEASE" Nature,Vol.195,pp 1163-1164)(Tony,甲67文献Triglia et al. "Rapid Changes in Surface Antigen Expression by Blood Monocytes,Cultured in Suspension or Adherent to Plastic" Blood, Vol.65,No.4, pp. 921-928)(Stephen R.Farmer et al. "Altered Translatability of Messenger RNA from甲68文献Suspended Anchorage-Dependent Fibroblasts: Reversal upon Cell Attachment to aといった複数の公知文献に記載されていたSurface" Cell, Vol.15 ,627-637)のであるから,外来遺伝子の導入により不安定化された形質転換細胞では,このことが,より大きな問題になると考えるのが自然である。現に,D氏の陳述書(甲83。以下「甲83陳述書」という。)には,現実の経験として,ナマルバ細胞の場合につき,浮遊攪拌培養中に,タンパク質の生産性がまったく変わってしまったことが記載されているし,American Type Culture Collection のカタログ(甲88。以下「甲88カタログ」という。)には,浮遊培養に適合するものとして新たに選択された細胞株は,元の細胞が有していた性質を失ったり異なる性質を取得している可能性があると記載されているし,「Productionof recombinantproteins in serum-free media」(「無血清培地による組換えタンパク質の生産」。甲78。以下「甲78文献」という。)には,形質転換CHO細胞を付着培養から浮遊培養へ移行させる際にタンパク質の生産性が消失した例が示されている。
したがって,本件発明がなした,形質転換 CHO dhfr 細胞という特定の-形質転換動物細胞において,浮遊攪拌培養に適合させた場合に,導入遺伝子によるタンパク質生産能が損なわれないという事実の発見は,工業的な浮遊攪拌培養によるタンパク質の生産という目的において大きな価値を有するものであり,原判決の上記判断は誤りである。
3 被控訴人の主張(1)争点(2)(先使用)に関する主張についてア控訴人は,原判決には本件発明が医薬品の製造方法に関する発明であることを看過した誤りがあると主張するが,失当である。
すなわち,本件発明は,生理活性タンパク質の一般的な製法に関する発明であり,医薬品の発明ではない。したがって,本件において特許法79条にいう「事業の準備」があったといえるためには,生理活性タンパク質の製造が事業の準備として行なわれていれば足りる。また,本件発明が医薬品の製造方法に関する発明であると仮定したとしても,それは生理活性タンパク質という医薬品の有効成分(原薬)にかかわるものであるから,本件発明の内容に対応する被控訴人の準備行為(治験薬の製造,臨床試験,製造設備)を総合的に判断すれば,医薬品の事業としても,事業の準備による先使用権が成立することは,明らかである。
イ控訴人は,即時実施の意図についての原判決の認定判断には誤りがあると主張するが,以下のとおり失当である。
(ア)控訴人は,医薬品に関する発明について即時実施の意図を認定することができるのは,所轄官庁から製造承認を受けたときであると主張する。
しかし,上記アのとおり本件発明は医薬品の発明ではないのであるから,医薬品の発明であることを前提とする上記主張は,前提において誤りである。
また,本件発明が医薬品の製造方法に関する発明であると仮定したとしても,控訴人の主張は誤りである。すなわち,医薬品の製造承認は,医薬品としての安全性及び有効性を確認するための行政上の手続であり,事業として当該医薬品を販売するために製造承認申請をするのであるから,結果的に製造承認を受けられない場合があるとしても,即時実施の意図に何ら影響を与えるものではない。また,臨床試験に用いる治験薬は,薬剤としての有効成分は既に確立されており,臨床試験の結果によってこれを変更することは許されない。したがって,治験薬が製造された時点で事業の内容が確定しており,製造承認取得後に直ちに製品化して販売するだけの技術は有していることから,工業的に実施される技術も確立していたといえるのである。
(イ)控訴人は,設備投資と先使用権の成立との関係について,いかなる設備投資がなされていても,事業として実施する技術又は製品の内容が確定する前に先使用権が成立することはあり得ないとして,本件の被控訴人の製造設備についても,EPO,G-CSFが医薬品として完成してのみ,先使用権の認定に資すると主張している。しかし,事業の準備が成立するか否かは,あくまでも当事者間の公平の観点から,保護に値するだけの事業の準備が行なわれているかを実質的に判断する必要があり,事業として実施する製品の最終的な内容が確定していることが必ずしも必須の条件になるわけではない。そして本件の場合,EPOもG-CSFも治験薬を完成して臨床試験を行っている段階にあり,既に事業として実施する技術が完成していたのであるから,控訴人の主張は理由がない。
ウ控訴人は,G-CSFに関する先使用権については,原判決の事実認定に誤りがあると主張するが,以下のとおり失当である。
(ア)MCB作製の日付けaプラスミドの名称の変更につきcDNAの塩基配列の確認は製造承認申請の段階で行えばよいのであって,製造確認申請の段階ではこれを行う必要はない。被控訴人も,G-CSFのMCBについては,製造確認申請の段階では,サザンハイブリダイゼーション分析により,G-CSF遺伝子に大きな挿入や欠失等がないことを確認しているが,cDNAの塩基配列の解析までは行っていない。その後,製造承認申請の段階までに塩基配列の解析を行い,製造確認申請に記載したプラスミドの名称に誤記があることを発見してその修正を行ったものである。
事実関係は以上のとおりであり,控訴人の主張する不自然さはなく,原判決の認定に誤りはない。
bmRNA不安定化配列の除去につき控訴人の主張は,3 非翻訳領域にmRNAの不安定化に関与する配列が´あることを明らかにしたのはShaw論文(甲79)が初めてであることを前提とするものであるが,mRNAの不安定化に3 非翻訳領域が関係して´いること自体はShaw論文の発表以前から知られていたのであり,不安定化する塩基配列が特定されていなかったにとどまる。このことから,被控訴人は,G-CSFのMCBを作製するに当たり,なるべく3 非翻訳´領域を削除することにしてベクターを構築したのであり,野村論文(甲8)はこのことを述べたものである。
したがって,原判決が認定した事実関係に,何ら矛盾はない。
(イ)臨床試験の状況既に治験薬を完成し,臨床試験の段階に至っていた以上,事業の準備として,即時実施の意図が客観的に表明されていたといえるのである。
G-CSFについても,臨床試験が開始されていたのであるから,本件優先日時点で臨床試験が第1相試験を終えた段階であったとしても,事業の準備があったことには変わりがない。
(ウ)製造設備2500Lタンクの建設はG-CSFの生産設備として計画されたものであり,遅くとも,その建設計画が取締役会決議を経た時点でG-CSF事業の製造についての事業の準備があったといえることは明らかである。
(2)争点(3)イ(本件発明の進歩性)についてア 引用例5の解釈の誤りをいう主張に対し(ア)形質転換細胞を浮遊化させる方法が本願優先日(昭和63年3月9日)当時において知られていなかったとしても,従来から知られていた「付着細胞に対して継代培養を繰り返して浮遊培養に適した細胞を樹立する方法」を,付着性の形質転換細胞に対して適用してみて,うまく浮遊化されるかどうかを試みてみることは,極めて当たり前のことである。引用例5が発行された当時には動物細胞の形質転換技術が開発されていなかったのであるから,引用例5に形質転換細胞を浮遊化させる具体的な記載は存在しないのは当然である。そうであれば,本願優先日において,引用例5に記載された方法を適用してみるのも当然のことである。
(イ)培地の組成について,引用例5には,カルシウム等を含む培養液を使用する場合にも,付着性細胞の浮遊化が可能であることを示す文献が記載されている。また,引用例5の著者らがCHO細胞の浮遊培養のために使用したとして記載している培養液も,カルシウムを除いてはいるが血清を添加しており,この血清に含まれるカルシウムイオンはCHO細胞の増殖を十分可能にする量である。したがって,この点からも控訴人の主張は誤りである。
イ引用例2の解釈の誤りをいう主張に対し(ア)控訴人は,引用例2の記載は「一過性の浮遊培養」であると主張するが,本件優先日(昭和63年3月9日)当時の当該技術分野の技術水準において,控訴人が主張するような一過性の浮遊培養を行いその間にタンパク質の産生量を測定する,という技術自体が知られておらず,ましてや一般的なものであったことを示す証拠は何も存在しない。したがって,引用例2の結果が一過性の浮遊培養を示すものにすぎないことを前提とする控訴人の主張は,失当である。
また,仮に引用例2が控訴人のいう「一過性の浮遊培養」を行いその間にタンパク質の産生量を測定するという技術を用いていたとした場合,このような技術は引用例2の刊行当時(1983年)においてほとんど誰も知らない手法を用いて実験を行っていたことになるのであるから,当然にその手法が記載されていなければならないが,引用例2には手法について全く記載がない。したがって,引用例2においては,当時一般的であった手法(少なくとも控訴人が主張する手法ではない。)を用いて浮遊培養を行い,タンパク質の産生量を測定したと考えるのが自然である。
(イ)控訴人は,引用例2の記載に関する原判決の解釈が誤りである理由として,甲83陳述書,甲84鑑定書における専門家の見解を援用する。しかし,甲83陳述書のうち,引用例2に具体的な実験方法や材料の記載がないことを指摘する点については,むしろ,具体的な記載がないことは,周知の方法により特別な困難性もなく浮遊化が行われたことを意味しているというべきであるし,細胞の浮遊化は実際にやってみないとうまくいくのかどうかが分からなかったことを指摘する点については,そもそもおよそすべての文献は技術水準を構成し得ないという論拠に立つものであって,特許制度における技術水準の認定手法とは全く相容れないものである。また,甲84鑑定書は,引用例2が「一過性の浮遊培養」に関するものであるとの趣旨を述べるものであるが,当時の技術常識として「一過性の浮遊培養」が一般的であったことを論証していない以上,同鑑定書の内容には信用性がない。
(ウ)引用例2の記載,特にINTRODUCTION(緒言)とDISCUSSION(考察)の項の内容によれば,引用例2は,形質転換 CHO dhfr 細胞を浮遊培養し,-数か月という長期間にわたって細胞の増殖とタンパク質(IFN-γ)の安定した産生が維持されたとの実験結果に基づいて,CHO dhfr 細胞は浮遊-培養が行える点で有利であるという知見を導いたものである。したがって,原判決の引用例2の解釈に控訴人主張の誤りはない。
ウ 引用例1,3の解釈の誤り等をいう主張に対し控訴人は,これらの論文は「一過性の浮遊培養」においてタンパク質を生産させる方法を開示していると解釈されると主張するが,上記イ(ア)のとおり,本件優先日(昭和63年3月9日)当時の当該技術分野の技術水準において,控訴人のいう「一過性の浮遊培養」という技術自体が存在しなかったのであるから,控訴人が原判決の認定の誤りであるとして主張する内容は,すべて客観的根拠を伴わない主張であって失当である。
エ 本件発明の困難性を示す証拠についての判断の誤りをいう主張に対し(ア)甲20文献につき本件優先日(昭和63年3月9日)前に,既に形質転換 CHO dhfr 細胞の-浮遊化が行われ,浮遊培養に適応した細胞株が作製されていたことは,引用例1〜3等の文献に開示されていたのである。このような状況下において甲20文献を参照しても,その記載が,形質転換 CHO dhfr 細胞の浮-遊培養適合株が作製されていたことについての当時既に知られていた数多くの成功事例が否定される根拠とはなり得ない。
(イ)甲46意見書につき浮遊培養適合株の樹立の困難性を示すものとして控訴人が指摘する甲46意見書の記載は,引用例5において既に指摘されている問題点をいうものにすぎず,また,引用例5には,かかる問題点の解決策まで開示されているのである。したがって,甲46意見書における浮遊培養の困難性に関する記載は,本件優先日(昭和63年3月9日)前に既に解決されていた問題点であって,当該記載は浮遊細胞適合株の樹立の阻害要因ではない。
(ウ)甲28の1文献につき甲28の1文献には,細胞の浮遊培養への適合性は細胞の種類によって異なることが説明されているだけであり,しかも,CHO細胞について,浮遊培養ができないとの記載があるわけでもないから,甲28の1文献には,CHO dhfr 細胞について浮遊培養適合株を樹立することが困難である-ことを示す記載はない。
(エ)甲28の2文献につき甲28の2文献には,浮遊培養を浮遊化させることには困難性があるとの一般論が述べられているが,付着性細胞を浮遊化させるに際してある程度の困難性があることは,引用例5において既に周知であり,引用例5はそのような困難性を克服する解決策まで提示しているのである。したがって,控訴人が主張する困難性は,引用例5において既に想定されていた困難性にほかならず,形質転換 CHO dhfr 細胞の浮遊化に関する動-機付けを断念させるものではない。
(オ)甲17,18文献につき甲17,18には,同業他社であるキリン-アムジェン社が浮遊培養ではなくローラーボトル法によって培養を行った旨の記載があるが,それは,同社が医薬品の開発方針として,浮遊培養法による生産効率よりもローラーボトル法による開発期間の短縮を選択したことを意味するにすぎず,浮遊培養が困難であったことを意味するわけではない。
(カ)甲6文献につき浮遊細胞適合株の樹立の困難性を示すものとして控訴人が指摘する記載は,引用例5等によって既に当業者には当然のこととして知られていた,付着性細胞を浮遊化させるために根気よく浮遊化処理を繰り返すという処理を行ったことを示すにすぎない。当業者であればそのような根気の要る処理を要することを予備知識として持っていたのであるから,そのような処理を途中で放棄して浮遊化を断念することはあり得ない。
したがって,当該記載は浮遊細胞適合株の樹立の阻害要因ではない。
(キ)甲87文献につき浮遊培養適合株の樹立の困難性を示すものとして控訴人が指摘する甲87文献の記載は,引用例5において既に指摘されている問題点をいうものにすぎず,また,引用例5には,かかる問題点の解決策まで開示されているのである。したがって,甲87文献における浮遊培養の困難性に関する記載は,本件優先日(昭和63年3月9日)前に既に解決されていた問題点であって,当該記載は浮遊細胞適合株の樹立の阻害要因ではない。
(ク)導入遺伝子の安定性につき導入遺伝子の不安定性に言及する文献が複数存在したことを控訴人は指摘するが,引用例1〜3を始めとして多数の形質転換細胞の浮遊化の実例が報告されているのであるから,当業者が控訴人の指摘するこれらの文献を参照しても,形質転換細胞においては導入遺伝子の安定性に問題があると考えることはあり得ない。
当裁判所の判断
1当裁判所も,本件発明(本件特許権の請求項1)には特許法29条2項に違反する事由があり,同法123条1項2号に基づき特許無効審判により無効にされるべきものと認められるから,同法104条の3第1項により,特許権者たる控訴人は被控訴人に対し,その権利を行使することができないものと判断する。その理由は,次のとおり,当審における控訴人の主張に対する判断を付加するほか,原判決149頁4行目〜161頁下5行目の記載のとおりであるから,これを引用する。
そうすると,その余の争点である(1)の構成要件充足性の有無,(2)の先使用による通常実施権の有無,(3)アの新規性の有無,(3)ウの平成2年改正前特許法36条4項2号イ反省の有無について判断するまでもなく,控訴人の本訴請求は理由がない。
2 本件発明の進歩性の有無(争点(3)イ)(1)引用例5の解釈の誤りをいう控訴人の主張についてア控訴人は,引用例5 は遺伝子操作による細胞(中井準之助ほか「組織培養」)の形質転換技術が一般化する前の文献であって,形質転換細胞を対象とした浮遊培養については何の言及もなく,また,形質転換細胞によるタンパク質の安定生産についても全く記載はないから,引用例5の記載内容をもって,本件発明の進歩性を判断するに当たっての周知技術の認定に用いるのは誤りであると主張する。
しかし,原判決は,引用例5の記載を,元来付着性である動物細胞一般について浮遊培養を行う方法としていかなる方法が周知であったかを認定するために参照しているのである。そして,かかる方法を形質転換 CHOdhfr 細胞に対して適用することが容易であるか否かは,適用の困難性をい-う控訴人の主張に対する判断として,他の箇所において詳細に検討している したがって,引用例(原判決の154頁3行目以下の「(3)原告の主張について」)。
5に,形質転換細胞の浮遊培養の方法や,浮遊培養適合株として樹立された形質転換細胞のタンパク質生産性についての記載がないことは,引用例5の記載内容を,浮遊培養適合株の樹立に関する周知技術の認定に当たって参照することを妨げるものではない。
よって,控訴人の上記主張は採用することができない。
イ控訴人は,引用例5の執筆・出版当時,動物細胞の浮遊培養についての知見は極めて少なく,その記載は少数の文献と著者自身の限られた経験に基づいてなされたものにすぎないから,引用例5の記載事項をもって周知技術であると認定するのは誤りである,と主張する。
しかし,一般に,多くの研究者の業績により確立された知見を集めたものでなければ周知技術として認定できないというものではない。そして,引用例5は昭和51年に出版された書籍であるから,引用例5中の記述は,特段の事情がない限り本件優先日(昭和63年3月9日)前の動物細胞の組織培養技術についての技術常識であると解することができるのであって,これと同旨の原判決の認定(153頁の「エ」の項)は,これを是認することができる。
よって,控訴人の上記主張も採用することができない。
ウ控訴人は,引用例5に記載された浮遊培養の方法は,元来付着性の動物細胞を用いたタンパク質の工業的生産に応用できるものではないと主張するが,以下のとおり,採用することができない。
(ア)培地に関する主張につきa控訴人は,引用例5の下記記載を指摘し,引用例5に記載された浮遊培養の方法は,細胞の増殖のための必須成分であるカルシウムを除去した培地を使用するというものであるから,この方法を適用しても,安定した増殖性とタンパク質生産性を示す浮遊攪拌培養適合株は到底得られないと主張する。
記@「d.浮遊培養用培養液単層培養用の培養液を浮遊培養に使用すれば,細胞塊が形成されやすいばかりでなく培養液に添加した血清タンパクの凝集沈殿がおこり,細胞増殖に大きな支障を来たす。特に攪拌力の強大な振とう培養ではタンパク沈殿は絶対避けられない現象である。無血清培養液を使用できれば問題はないが,多くの細胞は血清添加によって増殖の促進と安定化が得られるので,血清の除外はあまり好ましくない。培養液を構成する基本塩類の中からCaあるいは同時にMgを2+ 2+除去することによりこの問題を解決し,少なくともspinner用の培養液として使用できるが,振とう培養用としては不十分である。」(71頁25〜32行)A「われわれの使用している浮遊培養用の培養液の組成は表2.9のとおりである。
EagleのBM培地をすこし改変し,CaとMgを除き,NaHSO を加え,グリシンとセリ4ンを補添したものである。10%ウシ血清と0.1%のPluronicF-68とを含む。」(72頁下11〜9行)bしかし,引用例5には,上記aの記載Aに続けて,次の記載Bがある。
B「またFe,Cu,ZnならびにCaを除き10%のウシ血清と5%の胎児ウシ血清を含むF-10に0.1%のPluronicF-68を加えた培養液を用いて,チャイニーズハムスター卵巣細胞(CHO)を振とう培養し,単層細胞と同様な増殖能を認めている」(72頁下7〜5行)また,インビトロジェン株式会社従業員から控訴人従業員宛ての2005年(平成17年)10月20日付けの電子メール 甲82。以下「甲82回答書」と(いう。)には,次の記載Cがある。
C「CHO細胞の浮遊培養用のメディウム(判決注:培地)のカルシウムイオン濃度について回答いたします。……カルシウムイオンがないと増殖できません。血清を必要とする培地では,FBS(判決注:胎児ウシ血清 fetal bovine serum)に含まれるカルシウムイオンで間に合うのですが,無血清培地ではカルシウムイオンを0.7〜0.8mM加える必要があるとのことでした。」引用例5の上記記載Bによれば,引用例5の著者は,CHO細胞を浮遊培養するに当たり培地からカルシウムを除去しているが,当該培地にはウシ血清及び胎児ウシ血清が添加されており,甲82回答書の上記記載Cによれば,これらの血清に含まれるカルシウムイオンで細胞の増殖には「間に合う」ことが認められる。したがって,引用例5に記載された浮遊培養の方法が,細胞の増殖のための必須成分であるカルシウムを除去した培地を使用するものであるということはできない。
さらに,引用例5には,上記記載Bに続けて,さらに,次の記載Dがある。
D「PluronicF-68の濃度は0.02%まで低下することができ,もし0.1%の濃度を使用すればCa,Mgを含む単層培養用培養液の血清沈殿を防止するので,必要に応じてはF-68の添加のみで浮遊培養に転用できる。」(72頁下5〜3行)上記記載Dは,PluronicF-68の濃度を適切に調節すれば培地からカルシウムを除去しなくてもよい場合があることを示唆するものであるということができる。
このように,引用例5は,浮遊培養の培地からカルシウムを除去することが必須であるとしているのではなく,血清に由来するカルシウムを含む培地や,PluronicF-68の濃度を高めてカルシウムを除去しない培地も開示している。そうすると,控訴人の上記aの主張の前提となってる,引用例5の開示する浮遊培養の方法はカルシウムを除去した培地を使用するものであるという見解は,それ自体,十分な根拠を有しないといわざるを得ない。
よって,控訴人の上記aの主張は,採用することができない。
c控訴人は,引用例5の上記bの記載Bについて,記載Bの組成の培養液では,ウシ血清及び胎児ウシ血清に由来するカルシウムイオン濃度は計算上0.521mMであるところ,「The Salt Requirements ofMammalian Cells in Tissue Culture」(「動物細胞培養における塩類の必要性」。甲90。以下「甲90文献」という。)によれば,カルシウムイオン濃度が0.5mMでは細胞の長期間の増殖性を得るのは困難であり,安定した増殖性を維持するには約1mM以上のカルシウムイオン濃度が必要であるから,引用例5の培地は,安定した増殖性の維持を可能にするものではないとも主張する。
しかし,控訴人の上記主張のうち,安定した増殖性を維持するには約1mM以上のカルシウムイオン濃度が必要であるとの部分は,マウス線維芽細胞(L細胞)に関する甲90文献の図7の説明に依拠するものであって,CHO細胞に関するものではない。また,甲90文献には,「Much smaller concentrations sufficed for the sustainedHeLa細胞に関して,2growth of the HeLa cells, which showed a maximum response at 0.1 - 0.2 mM CaCl(365頁5〜7行,訳文「ずっと少ない濃度でもHeLa細胞の持続的な増殖のためには十との記載があり,分であり,0.1〜0.2mMのCaCl で最大の反応性を示した」)2この記載も考慮すれば,安定した増殖のために必要なカルシウム濃度は細胞によって大きく異なるものであって,L細胞では1mM程度の濃度が必要であっても,HeLa細胞では0.1〜0.2mMの濃度でも十分であることが認められる。このように,L細胞とHeLa細胞において必要なカルシウム濃度には10倍もの差が存在することを考慮すれば,すべての細胞に関して増殖に必要とされるカルシウム濃度を一般化することはできず,CHO細胞において0.521mMのカルシウム濃度では細胞の長期間の増殖性を得られない,ということもできない。
よって,控訴人の上記主張も,採用することができない。
d控訴人は,「Amino Acid Metabolism in Mammalian Cell Culture」(「動物細胞培養でのアミノ酸代謝」。甲91。以下「甲91文献」とい@「Caは細胞塊形成を最小限に抑えるために除くか,著しく減う。)において,少させるべきである」(433頁の表1の説明文) Aと記載されている一方で,「表1にある28の必須代謝物に血清タンパク質を添加した培地が,単層培養においても浮遊培養においても,対数増殖期18時間から24時間の平均世代時間で,連続培養可と記載されてお能な多くの種類の細胞株の大量培養を可能にした」(436頁右欄)り,表1では塩化カルシウム(CaCl )濃度が1.8mMであるとされて2いるから,浮遊培養に適合させるためにカルシウムを除くということと,大量培養を可能にするためにカルシウムを含有させることとは両立しないと主張する。
しかし,甲91文献の表1(Table 1, 433頁)のCaCl の項には「1.82(0)†」との数値が記載され,表1の脚注によれば,「(0)†」とあるのは浮遊培養においては塩化カルシウム濃度をゼロにするとの趣旨であると認められる。そうすると,表1において,浮遊培養の場合には塩化カルシウム濃度は1.8mMではなくゼロとするのであって,記載Aによればそのような培地でも大量培養は可能であるということになる。
そして,甲91文献の上記各記載は細胞の種類を特定しないものであることをも考慮すれば,培地のカルシウム濃度に関して控訴人の指摘する甲91文献の上記各記載は,CHO細胞を浮遊培養の方法によって大量培養することを妨げるものとはいえない。
(イ)浮遊培養が可能であるのはL細胞等に限られるとの主張につきL細胞のように単細胞の状態で長期間浮遊培養でa控訴人は,引用例5の「きる例もあるが,細胞相互の凝集結合による細胞塊の形成は,浮遊培養では避け」等の記載によれば,引用例5が開られない現象である。(76頁23〜24行)示する浮遊化手段では,L細胞のような特殊な細胞を除き,細胞塊の形成が不可避であり,浮遊培養適合株の樹立は不可能であると主張する。
しかし,以下のとおり,控訴人のこの主張も採用することができない。
b控訴人の上記主張は,細胞塊の形成は浮遊培養適合株の樹立の失敗を意味するという前提に立つものであるが,かかる前提自体に十分な「大部分の樹立された細胞株は,も根拠がない。すなわち,前記甲87文献にしそれらの細胞を浮遊培養増殖に適応させるための特別な努力を行わなければ,付着依存性の性質を維持する。」(1396頁右欄下17〜6行 Suspensionculture〔浮遊培と記載されているように,樹立された細胞株であっても,浮養〕の項)遊性を維持するための努力を怠れば付着依存性の性質を維持するというのであるから,細胞塊の形成が,浮遊培養適合株として樹立されなかったことを意味するものではない。そうすると,引用例5の上記記載が,細胞塊の形成が避けられない現象であることを意味しているとしても,そのことによって,引用例5には,L細胞以外の細胞について浮遊培養適合株の樹立の例は記載されていない,ということになるものではない。
「細胞の凝集がひまた,細胞塊が形成されたとしても,引用例5には,どく大きな細胞塊(clump)を作る傾向にある時には,健全な細胞あるいは細胞塊をとの記作りにくい細胞だけを選択して培養を更新すべきである」(70頁7〜9行)載もあり,細胞塊が形成された場合の解決策が具体的に開示されているのであるから,細胞塊が形成されることが直ちに浮遊培養適合株の樹立の失敗を意味するものではない。
「われわれの研究室でも1959年以来HelaS-3細胞cそして,引用例5には,を主体とした浮遊培養を実施,培養の保存と維持ばかりでなく各種の生化学的あるいは分子生物学実験に使用して多大の効果をあげているので(Muellerら,1962;梶原,1965;梶原,1970),われわれの培養方法や条件あるいは注意事項を中心として,動物細胞の浮遊培養法について述べる。なお,われわれは本法で,L,H.Ep-2,BHK,ChineseHamsterOvary,ChineseHamsterLung,L-5178Y,われわれの研究室で胎児ラット肺から分離したML-2(上皮細胞),ML-3(繊維芽細胞)の諸細胞も単層培養と同様な増殖能を示すことを認めていと記載されているのである。また,「日経バイオる。」(69頁23〜29行)テクノロジー最新用語辞典87」(乙53。以下「乙53辞典」という。)[Chinese Hamster Ovary cell:にも,「チャイニーズ・ハムスター卵巣細胞CHO]「CHOは培養器の壁に付着し増殖するが,条件を調節すると浮遊培」の項に,との記載がある。
養も可能だ」このように,CHO細胞を浮遊培養によって増殖させることが,本願優先日前に刊行された書籍及び辞典に明記されているのである。このような事実も併せ考えれば,浮遊培養が可能であるのはL細胞等に限られる,あるいはCHO細胞については浮遊培養適合株の樹立が不可能である,といった認識が一般的であったということはできない。
(2)引用例2の解釈の誤りをいう控訴人の主張についてア控訴人は,原判決は引用例2(乙5・ハインズ論文)に,浮遊培養下において,安定な増殖性と,単層培養での生産性に匹敵する高いタンパク質産生能を示すいくつかのクローンが得られたことが記載されていると認定しているところ,かかる認定は誤りであると主張する。そして,その理由として,引用例2では浮遊攪拌培養における培養条件が明らかでないことや,細胞数やタンパク質産生量についての詳細な経時的データの開示がないこと等を指摘する。
確かに,引用例2に,細胞の増殖性やタンパク質産生の永続性を確認したことについての明確な記載がないことは控訴人の主張のとおりである。
「浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞の樹しかし,原判決は,引用例2について,立を直接示す記載であるとはいえないが,形質転換CHO dhfr 細胞を用いた浮遊培養におけ-とのる組換えヒトIFNの大量生産の可能性を強く示唆する記載である」(152頁5〜8行)評価を与えるにとどめているのであって,かかる評価が誤りであるとはいえない。
イ控訴人は,本件優先日(昭和63年3月9日)前に引用例2に接した当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)は,形質転換 CHO dhfr 細胞を浮遊培養してタンパク質を生産する可能性を教示し-た文献であると理解することはなかったと主張し,その根拠として,甲83陳述書(D),E教授の鑑定書(甲84。以下「甲84鑑定書」という。)に示された見解を援用する。これらの陳述書及び鑑定書は,それぞれ平成16年及び平成17年に作成されたものであって,最近の時点から本件優先日現在の当業者の理解を振り返ろうとするものである。
しかるに,これらの陳述書等と同様に,平成16年の時点から本件優先日現在の当業者の認識を振り返る乙48意見書(H)によれば,引用例2につ「参考資料5〔判決注:引用例2〕には,組換えCHOdhfr-を浮遊培養して組換えいて,インターフェロンを産生したことが明確に記載されております………仮に,1987年半ばに発行された参考資料1の記載から,『組換えCHOdhfr-細胞は浮遊化できない』と考えた研究者がいたとしても,1988年3月までに発行されていた組換えCHOdhfr-細胞の浮遊培養が記載されたこれらの報告を見れば,『組換えCHOdhfr-細胞は浮遊化できる』と認識したことでしょう。」(3頁最終段落〜4頁第1段落)「参考資料5に記載された組換え細胞,は浮遊培養されたことが明確に記載されていますから,浮遊培養で安定した組換えタンパク質の生産を維持し,しかも,浮遊培養で増殖し,継代されたことは明らかであると考えとの見解が表明されている。このような見解の存在をます」(4頁第3段落)も考慮すれば,控訴人の援用する甲83陳述書,甲84鑑定書に示された見解は,原判決の引用例2に対する評価に誤りがないことを左右するものではない。
ウ控訴人は,引用例2は「一過性の浮遊培養」を試みた結果を報告しているにすぎないから,形質転換 CHO dhfr 細胞の浮遊培養での安定な増殖性及-びタンパク質生産性が引用例2に開示されているということはできない,と主張する。控訴人のいう「一過性の浮遊培養」とは,付着性細胞を強制的に浮遊状態に置いた場合,浮遊培養に適合しているわけではないから通常は1週間程度で死滅するが,死滅するまでの間は生命現象としてタンパク質を生産することができる,という意味である。
確かに,引用例2には,形質転換 CHO dhfr 細胞を浮遊培養してタンパク-質産生量を計測するに当たり,細胞数及び細胞密度の測定結果は示されていないし,IFN-γの産生がどの程度の期間継続したかについてのデータも示されておらず,控訴人は,この点をとらえて,引用例2は「一過性の浮遊培養」を試みたものにすぎないと主張しているものである。しかし,細胞数及び細胞密度の測定結果や,IFN-γの産生の継続期間が示されていないことは,それが「一過性の浮遊培養」であったことを直ちに意味しているわけではない。むしろ,引用例2の記載の全体を検討すれば,引用例2形質転換 CHOdhfr 細胞を用いた浮遊培養におけるIFN大の記載は当業者に対して「-というのが原判決の評価なの量生産の可能性を強く示唆する」(152頁7〜8行目)であり,かかる評価に誤りがないことは,上記ア,イのとおりである。
したがって,控訴人の上記主張も,採用することはできない。
(3) 引用例1,3の評価の誤り等をいう控訴人の主張についてア控訴人は,原判決の引用例1,3に関する認定及び評価は誤りであると主張する。すなわち,これらの論文は形質転換 CHO dhfr 細胞について「一-過性の浮遊培養」を試みてタンパク質生産性を調べてみたという以上の意味を持たず,形質転換 CHO dhfr 細胞の浮遊培養による増殖や目的タンパク-質の安定的な産生についての具体的なデータの記載を欠き,そのような細胞の増殖やタンパク質の産生が確認されたかにみえる記載も実際には希望ないし予想の表明にとどまるものである,等というのである。
しかし,引用例2について上記(2)に述べたのと同様に,原判決は,引用例1,3の記載事項についても,それ自体が浮遊攪拌培養に適した形質転形質転換 CHO換細胞の樹立を直接示す記載ではないことを認識した上で,「dhfr 細胞を用いた浮遊培養における組換えヒトEPOの大量生産の可能性を強く示唆する」-(153頁6〜8行)形質転換 CHOdhfr 細胞を用いた浮遊培養における組換えヒトIL-2「-との評価を与えていの大量生産の可能性を強く示唆する」(152頁下2〜153頁1行)るのであって,かかる評価が誤りであるとはいえない。
イそして,原判決は,引用例1〜3の記載を総合して,これらの文献の記載事項から認定できる本件優先日(昭和63年3月9日)前の当業者の技術常識に照らすと,形質転換 CHO dhfr 細胞の浮遊培養適合株を樹立してこれ-を用いた大量かつ安定したタンパク質生産性を行おうとすることは,当業者にとって自然に想起し得ることであったと判断したものであり(153頁の「オ」の項),かかる判断は相当なものとして是認することができる。
(4)本件発明の困難性を示す証拠についての判断の誤りをいう控訴人の主張についてア 甲20文献につき控訴人は,甲20文献には形質転換 CHO dhfr 細胞が「浮遊化できない」と-明言する記載があり,著者のHはインターフェロン研究の第一人者として「本件発明に想到することを知られていたにもかかわらず,原判決が,同記載はと評価したのは不当であると主張阻害するに足るものではなく」(159頁下5行)する。
しかし,甲20文献の上記記載は,具体的な実験データや参照文献の裏付けを欠くものである。また,甲20文献と正反対の趣旨を述べるものとして,乙53辞典 には,「チャイニー(「日経バイオテクノロジー最新用語辞典87」)[Chinese Hamster Ovary cell: CHO]「CHOは培養ズ・ハムスター卵巣細胞 」の項にとの記載がある器の壁に付着し増殖するが,条件を調節すると浮遊培養も可能だ」「実際には………を欠損させたCHO細胞(なお,乙53辞典には上記記載の後にDHFRとの記載もあるから,乙53辞典にいう「CHO細胞」とは,CHOに形質導入する」dhfr 細胞のことを指していると解するのが自然である。)。そして,乙53-辞典は,その表題 及び体裁からし(「日経バイオテクノロジー最新用語辞典87」)て広く一般に市販されていた辞典であって,その内容は当業者に周知であったと認められる。
したがって,甲20文献の上記記載に対する原判決の評価が不当であるとはいえない。
イ 甲28の1文献につき控訴人は,甲28の1文献にも,形質転換 CHO dhfr 細胞の浮遊培養適合株-を樹立するに際しての特別な困難性を明らかにした記載が存在すると主張する。
「浮遊培養法で細胞が増殖できるようになるかは細しかし,甲28の1文献には,胞株(cell lines)によって大きく異なる。」(73頁)「浮遊培養法は大量培養化にたい,へん適している。いくつかの細胞,とくに血球系由来の細胞は浮遊細胞でよく増殖する。
その他にも順化や選択により浮遊培養が可能になる例がある。しかし,一方ヒト二倍体細との胞株(W1-38,MRC-5)は,浮遊させた状態では全く培養できない。」(72頁〜73頁)記載があるにとどまり,これらの記載によれば,「ヒト二倍体細胞株(W1-38, MRC-5)」については培養が不可能であるとの明確な結論が得られるだけで,他の細胞については特段の情報は得られないのである。したがって,形質転換 CHO dhfr 細胞が,「細胞株によって大きく異なる」浮遊培-養適合性としてどの程度のものを示すかを,甲28の1文献の記載からうかがい知ることはできない。よって,甲28の1文献に,形質転換 CHO dhfr 細-胞の浮遊培養適合株を樹立するに際しての特別な困難性を示す記載があるとはいえず,控訴人の主張は採用することができない。
ウ 甲6文献,甲28の2文献,甲87文献及び甲46意見書につき控訴人は,これらの文献は,形質転換 CHO dhfr 細胞の浮遊培養適合株を-樹立するに際しての特別な困難性を明らかにしており,原判決が,そのような困難性は,浮遊培養適合株の樹立に当たっての阻害要因とはならないと判断したのは誤りであると主張する。
「壁しかし,甲6文献において樹立に際しての困難性に言及する記載は,から細胞をはがした後,根気よくサスペンジョンカルチャーを繰り返し」(19頁左欄8〜9行) 「細胞の凝集がひどく大きな細た旨の記載であるが,これは,引用例5に胞塊(clump)を作る傾向にある時には,健全な細胞あるいは細胞塊を作りにくい細胞だけを選択して培養を更新すべきである。………この方法をくり返せば最終的には浮遊培養にとし適応した細胞だけが残り,その目的を達成することができる。」(70頁7行以下)て開示されている,健全な細胞だけを選択して培養を更新するという解決手段を適用したことを示すにすぎないから,樹立に特別の困難性があったということはできない。また,甲28の2文献,甲87文献及び甲46意見書における動物細胞の浮遊培養の困難性を指摘する記載についても,その解決手段は上記のとおり引用例5に開示されて当業者の技術常識となっていたと認められるから,特別の困難性に該当するということはできない。
したがって,控訴人の上記主張は,採用することができない。
エ 甲17,18文献につき甲17,18文献には,同業他社であるキリン-アムジェン社が浮遊培養ではなくローラーボトル法によって培養を行った旨の記載があり,控訴人は,この事実は,CHO dhfr 細胞の浮遊培養が困難と考えられていたことを-「容量の大きいタンク培養は効率がよい示すと主張する。しかし,甲18文献にはが,スケールアップに伴い,製造条件の再検討が必要になる。微量で効果を発揮する一方,生産スピードが求められる医薬品の製造(治験でも相当量の供給が必要になった)では,培地,攪拌,精製などで実験室レベルの条件をそのまま移行できるローラーボトルをシステムとして高度に自動化する方が得策と,キリンは判断した。アムジェン社もこの製と記載されており,こ造方法を採用したので,………」(109頁写真の下の解説文)の記載によれば,同社がローラーボトル法を採用したのは,実際の製造方法の検討において,浮遊培養法による生産効率よりもローラーボトル法による開発期間の短縮を選択したことを意味するものと認められ,浮遊培養が特段困難であったと考えられていたことを必ずしも意味しないというべきである。
オ 導入遺伝子の不安定化をいう主張につき控訴人は,前記甲20文献には形質転換動物細胞の浮遊化における遺伝子の不安定性を指摘する記載があり,甲83陳述書(D),甲88カタログには浮遊培養に馴化させる過程で形質転換細胞のタンパク質生産性が失われた旨の報告があることを指摘し,これらも,形質転換 CHO dhfr 細胞の浮遊培-養適合株を樹立しようとする着想を妨げる阻害要因となると主張する。
しかし,引用例1〜3を始めとして多数の形質転換細胞の浮遊化の実例が報告されているのであるから,当業者が控訴人の指摘するこれらの文献を参照して形質転換細胞においては導入遺伝子の安定性に問題があることを認識したとしても,そのことによって,浮遊培養適合株の樹立を断念することにはならないというべきである。
3 結論以上によれば,控訴人の本訴請求は理由がなく,これと結論を同じくする原判決は正当として是認することができる。
よって,本件控訴は理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 中野哲弘
裁判官 岡本岳
裁判官 上田卓哉