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関連審決 審判1977-2852
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審判番号(事件番号) データベース 権利
平成5ワ11876 判例 特許
平成11ワ8434特許権侵害差止請求事件 判例 特許
昭和54ネ825 判例 特許
平成2ワ12094 判例 特許
平成15ネ1223特許権侵害差止請求控訴事件 判例 特許
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事件 昭和 54年 (行ケ) 107号
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裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 1981/11/05
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
本件について、上告のための附加期間を九〇日と定める。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
原告訴訟代理人は、「特許庁が昭和五四年二月二六日に、同庁昭和五二年審判第二八五二号事件についてした審決を取消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、被告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決を求めた。
原告の請求の原因及び主張
一 特許庁における手続の経緯 原告は、昭和四二年一一月七日登録にかかる特許第四八四〇五九号「新規ペニシリン及びその塩の製造法」なる特許権(昭和三八年一一月二日出願、昭和四一年五月三〇日出願公告ー以下この特許発明を「本件発明」という。)を有するところ、
被告は昭和五二年三月八日右特許の無効審判を請求し(昭和五二年審判第二八五二号)、特許庁は昭和五四年二月二六日、右特許を、これに含まれる全三個の各発明について無効とする旨の審決をし、右謄本は同年三月一二日原告に送達され、なお出訴期間として三か月が附加された。
二 本件特許発明の要旨(一) 6ーアミノペニシラン酸又はその塩と、
一般式<12257-001>(式中のXはアミノ基又はアミノ基に変えることができる基である。)で表わされるカルボン酸の反応性誘導体と反応させることを特徴とする、
一般式<12257-002>で表わされる新規ペニシリン及びその塩の製造法。
(二) 6ーアミノペニシラン酸又はその塩と、
一般式<12257-003>(式中X1は水素原子又はベンジル基又はベンジルオキシカルボニル基、X2は保護されないアミノ基、又はトリチル基あるいは一般式RO・COーで示される基(Rはアルキル、ベンジル、置換ベンジル、フエニル又は置換フエニル基)で保護されたアミノ基である。但しX1が水素原子の場合X2は保護されないアミノ基ではない。)で表わされるカルボン酸の反応性誘導体と反応させこれらの保護基を後で接触水素添加により脱離することを特徴とする、
一般式<12257-004>で表わされる新規ペニシリン及びその塩の製造法。
(三)一般式 <12257-005>(式中X1は水素原子又はベンジル基又はベンジルオキシカルボニル基、X2は保護されないアミノ基、又はトリチル基あるいは一般式RO・COーで示される基(Rはアルキル、ベンジル置換ベンジル、フエニル又は置換フエニル基)で保護されたアミノ基である。)で表わされるカルボン酸とクロル炭酸エステルとを反応させて混合無水酸を得、次にこれと6ーアミノペニシラン酸又はその塩と反応させ、保護基があれば後でこれらを接触水素添加により脱離することを特徴とする、
<12257-006>一般式<12257-007>で表わされる新規ペニシリン及びその塩の製造法。
三 審決理由の要旨(一) 本件発明の要旨は前項記載のとおりである。
(二) 昭和三六年九月一三日に出願公告された特公昭三六ー一六二七七号公報(以下この発明を「引用例」という。)には、次の内容の発明が記載されていることが認められる。
「保護されたアミノ基を有するカルボン酸又はその塩と6ーアミノペニシラン酸とを反応させ、しかるのち保護基をペニシリン核の破壊を回避するに足る温和な条件下に除去することを特徴とする一般式<12257-008>(式中Xは二〇個までの炭素原子を含むアミノ置換アシル基であり、その炭素鎖は更にアミノ基により置換し得、また一部は脂環式、芳香族又は複素環式系として存在し得る。)を有するペニシリン誘導体及びその非毒性塩の製造法。」(三) 包含関係 前記二記載(一)ないし(三)の発明(以下順に「本件第一発明」、「本件第二発明」及び「本件第三発明」という。)について、引用例との包含関係を検討する。
(1) 本件第一発明原料物質について 原料物質の一方が、本件第一発明も引用例も、ともに6ーアミノペニシラン酸の場合を含み共通するので、この点両者は同一である。
原料物質の他方が、本件第一発明では、
<12257-009>(式中のXはアミノ基又はアミノ基に変えることができる基である。)の一般式で表わされる「カルボン酸の反応性誘導体」であるのに対し、引用例では「保護されたアミノ基を有するカルボン酸又はその塩」であり、このカルボン酸成分は目的物質における「X」の定義に徴し「二〇個までの炭素原子を含むアミノ置換アシル基」を含み「その炭素鎖は……一部は……芳香族……系として存在しうる」ものであるところ、両者のカルボン酸成分に与えられた意味内容に照らせば、
本件第一発明におけるカルボン酸成分(Xがアミノ基に変えることができる基である場合)と引用例におけるそれとは概念上、下位と上位の関係にあるから、本件第一発明における原料物質のカルボン酸成分が引用例におけるそれに概念上包含されることは文言上明らかである。
しかも、引用例には、カルボン酸成分に関し具体的に記載されており、これを化学構造式で表示すると次のとおりになり、
<12257-010><12257-011><12257-012><12257-013> これらを本件第一発明におけるカルボン酸成分と対比すると、(イ)は同じくフエニル核にヒドロキシ基を有し、メチレン基が一個多いだけの、いわゆる同族体であり、(ロ)はフエニル核におけるヒドロキシ基置換の有無の点でしか相違せず、
また、(ハ)及び(ニ)はフエニル核における置換基の種類の点でしか相違せず、
従つて、引用例における、ここに掲記のカルボン酸成分はいずれも、本件第一発明における前記一般式に含まれるカルボン酸成分と、化学構造上、近縁類似の関係にあるのであつて、このことを考慮すると、実質的にみても、本件第一発明における原料物質のカルボン酸成分は引用例におけるそれに概念上包含されるということができる。
目的物質について 本件第一発明の目的物質は前記認定どおりの一般式を有する「ペニシリン及びその塩」であり、引用例のそれは前記認定どおりの一般式を有する「ペニシリン誘導体及びその非毒性塩」であるところ、ペニシリン化合物自体についてみると、両者の目的物質は、原料物質のカルボン酸成分に由来する部分構造のみにおいて異なることが化学構造式に徴し明らかである。しかるところ、本件第一発明におけるカルボン酸成分が引用例におけるそれに概念上包含されることは前記説示のとおりであるから、これに照応して、本件第一発明における目的物質も引用例におけるそれに概念上包含されることになる。
反応様式について 本件第一発明も引用例も、二つの原料物質を反応させるだけであつて、反応条件に格別の規定がないのであるから、両者は反応様式において同一である。
以上説示のとおりであつて、本件第一発明は、原料物質、目的物質及び反応様式において、同一の点を除き、すべて引用例に概念上包含されるから、その余の点に触れるまでもなく、化学方法全体として本件第一発明は引用例に概念上包含されるとしなければならない。
(2) 本件第二及び第三発明 原料物質の一方について、本件特許三個の各発明はいずれも6ーアミノペニシラン酸である点で同一であるところ、本件第二及び第三発明における原料物質の一方がそれぞれ引用例のそれと同一であることは、本件第一発明についてと同様、明らかである。
原料物質の他方(カルボン酸成分)について、本件第二及び第三発明におけるカルボン酸成分は、各一般式中X1が水素原子、X2が保護されたアミノ基を意味する場合については、本件第一発明におけるカルボン酸成分と共通し、この点同一であるところ、本件第二及び第三発明における原料物質の他方がそれぞれ引用例におけるそれに概念上包含されることは、本件第一発明についての前記説示から明らかである。
目的物質について、本件特許三個の各発明はいずれもペニシリン化合物である点で同一であるところ、本件第二及び第三発明における目的物質がそれぞれ引用例におけるそれに概念上包含されることは、本件第一発明についての前記説示から明らかである。
本件第二及び第三発明は、それぞれ引用例と反応様式において実質上同一であるということができる。
そうすると、本件第二及び第三発明は、原料物質、目的物質及び反応様式において、同一の点を除き、すべて引用例にそれぞれ概念上包含されるから、その余の点に触れるまでもなく、化学方法全体として本件第二及び第三発明は、それぞれ引用例の発明に概念上包含されるとしなければならない。
なお、被請求人(原告)は、本件発明における原料物質のカルボン酸成分自体が引用例に開示されておらず、ひいては、その目的物質自体が引用例に開示されておらず新規である旨主張するが、包含関係が問題となるのはそれ自体の開示のないことが、そもそもの前提であるから、主張の点は包含関係についての前記判断に何らの影響を及ぼすものではない。
(四) 効果(1) 本件特許明細書には、本件発明の目的物質が「グラム陰性菌に対する活性に関し、特に望ましい性質を有する」とあり(本件特許公報第一頁右欄中段)、これにつきCD50の表が掲記されている(特許公報第三頁右欄下段)。この表によれば、各二種のグラム陰性菌に対する抗菌活性の生体内試験において、標準物質であるアンピシリン(特許公報第三頁右欄下段の6ー〔D(-)―a―アミノフエニルアセトアミド〕ーペニシラン酸はこのものの化合物名であり、D(-)―a―アミノベンジルペニシリンとも呼ばれる。)と比較して、本件発明の目的物質のうち、dl―パラ―ヒドロキシ体((±)―p―ヒドロキシ体に同じ、「例4」の生成物)及びdl―メタ―ヒドロキシ体((±)―m―ヒドロキシ体に同じ、「例5」の生成物)のいずれもが、各二種の菌に対し数値小、つまり抗菌活性大である旨の試験結果が示されている。
ところで、本件発明の目的物質に関し、本件特許明細書には「本発明により得られる化合物は、その側鎖に一個の非対称炭素原子を含むので、二種の光学的異性体が存在する。本発明はdl―混合体と共にこれらのエピマーの製法をも包含するものである。」(特許公報第二頁左欄下三行ないし右欄初行)とあり、これによると、本件発明の目的物質に属する化合物は、オルト、メタ、パラ各三個のヒドロキシ体にそれぞれd体、l体二種の光学異性体(この場合エピマーと同義)があつて計六種、それに各三個のヒドロキシ体に一種のdl体(ラセミ体又はラセミ混合物に同じ)があつて、都合九種存在すると解されるが、前記CD50の表においては、被験物がこのうちラセミ混合物であるdl―メターヒドロキシ体及びdl―パラ―ヒドロキシ体の二種に限られており、また、対象のグラム陰性菌も各二種に限られているから、この試験結果から直ちに、本件発明の目的物質がグラム陰性菌に対する抗菌活性においてすぐれていると即断することはできない。
(2) そこで、進んで考察することとする。
(イ) 特公昭四六ー四一五五七号公報(これは本件特許と同じ出願人による後の特許出願にかかる特許公報である。)によれば、そこにはMIC(最少抑止濃度)の「第一表」(第二頁上段)が掲記され、この「第一表」によると次の事実を認定することができる。
すなわち、各五種のグラム陰性菌に対する抗菌活性の生体外試験(試験管内試験に同じ)において、標準物質であるアンピシリン(「第一表」第一段目の化合物)と比較して、d―メタ―ヒドロキシ体((+)―m―OH体に同じ、「第一表」第三段目の化合物)が各五種の菌全部に対し、l―メタ―ヒドロキシ体((-)―m―OH体に同じ、「第一表」第四段目の化合物)が各二種の菌に対し、そして、d―パラ―ヒドロキシ体((+)―p―OH体に同じ、「第一表」第六段目の化合物)が各三種の菌に対し(一種の菌に対し数値が欠落している。)、それぞれ数値大、つまり抗菌活性小となつており、この試験結果に徴すると、本件発明の目的物質のうち、d―メタ―ヒドロキシ体及びd―パラ―ヒドロキシ体のいずれもはアンピシリンよりも抗菌活性においてすぐれていないことが認められ、他にこれを左右するに足る証拠はない。
《ちなみに、l―パラ―ヒドロキシ体((-)―p―OH体に同じ、「第一表」第五段目の化合物)は一種の菌にだけ抗菌活性小となつているにすぎない。》(ロ) d―メタ―ドロキシ体及びl―メタ―ヒドロキシ体がアンピシリンよりも抗菌活性においてすぐれていないことは前記認定のとおりであるところ、dl体、
つまりラセミ体とはd体とl体との等量混合物のことであるから、dl―メタ―ヒドロキシ体がアンピシリンよりも抗菌活性においてすぐれていないことは理論上明らかである(このことは、次の証拠により認定することもできる。)。
甲第六号証の二ー本件訴訟における甲第一二号証 被請求人(原告)は、本件特許明細書のCD50の試験が生体内試験であるのに対し甲第二号証(前記特公昭四六ー四一五五七号公報ー本件訴訟における甲第九号証)や甲第六号証の二(本件訴訟における甲第一二号証)におけるMICの試験が生体外試験である点を指摘するが、人間用医薬の薬効を確認するのに生体外試験が用いられるのは、経験則上、生体外試験の結果から人体治験のそれが類推できるからであり、いわば反証のなり限り、生体外試験をもつて人体治験に代わるものとして扱つているのであり、同様のことは生体内試験(動物試験に同じ)についてもいえることであつて、一概にどちらかの試験結果を優先すべき理由がないのであるから、生体外であるMICの試験の結果に沿う認定がなされたからといつて、直ちにそのことを不当視するいわれはない。
(ハ) 甲第六号証の一(メノツテイ供述書ー本件訴訟における甲第一一号証)によれば、そこにはMICの表が掲記され、この表によると、各六種のグラム陰性菌に対する抗菌活性の生体外試験において、標準物質であるアンピシリン(D―a―アミノベンジルペニシリンに同じ、表中第一段目の化合物)と比較して、dl―オルトーヒドロキシ体(D+L―O―OH体に同じ、表中最下段の化合物)が各六種の菌全部に対し数値大、つまり抗菌活性小となつており、この試験結果に徴すると、本件発明の目的物質のうちdl―オルトーヒドロキシ体はアンピシリンよりも抗菌活性においてすぐれていないことが認められ、他にこれを左右するに足る証拠はない。
前掲甲第二号証(本件訴訟における甲第九号証)によれば、そこには、「三対のエピマーのうち二種類、すなわちヒドロキシ置換基の位置がm―又はp―のエピマーはグラム陰性菌に対して特に薬効が大きいという利点があることが記載されている」(第一頁右欄第二七行ないし第三一行)とあるのが認められ、これによると、
オルト、メタ及びパラのうちメタ又はパラのヒドロキシ体の光学異性体(この場合エピマーと同義)が特に薬効大というのであるから、残りのオルト―ヒドロキシ体の光学異性体、つまりd―オルト―ヒドロキシ体及びl―オルト―ヒドロキシ体は、抗菌活性においてメタ―ヒドロキシ体の光学異性体、つまりd―メタ―ヒドロキシ体及びl―メタ―ヒドロキシ体よりもすぐれていないことがうかがわれ、他方、d―メタ―ヒドロキシ体及びl―メタ―ヒドロキシ体がアンピシリンよりもすぐれていないことは前記(四)の(2)の(イ)で認定したとおりであるから、d―オルト―ヒドロキシ体及びl―オルト―ヒドロキシ体のいずれもは抗菌活性においてアンピシリンよりもすぐれていないと推論することができる。
しかも、本件特許明細書をみても、d体、l体及びdl体を含めオルト―ヒドロキシ体の抗菌活性について具体的に記載するところがないのであるから、オルト―ヒドロキシ体はd体、l体及びdl体を含め、グラム陰性菌に対する抗菌活性においてアンピシリンよりもすぐれていないとしなければならず、他にこれをくつがえすに足る資料はない。
(ニ) 加えて、前掲甲第二号証(本件訴訟における甲第九号証)によれば、そこには平均血清中濃度及び尿中排泄量の「第二表」が掲記され、この「第二表」によると、人体吸収性の経時的な人体内試験において、標準物質であるアンピシリンと比較して、l―メタ―ヒドロキシ体((-)―m―ヒドロキシ体に同じ、「第二表」ペニシリン「A」)が、六時間経過時の場合を除き他の四回全部の経過時における平均血清中濃度、及び、六時間経過後における尿中排泄量の各数値小、つまり人体吸収性小となつており、この試験結果に徴すると、本件発明の目的物質のうちl―メタ―ヒドロキシ体はアンピシリンよりも人体吸収性においてすぐれていないことが認められ、他にこれを左右するに足る証拠はない。
(3) 以上において認定判断したところを総合すると、本件発明の目的物質に属する九種の化合物のうち、l―パラ―ヒドロキシ体はともかく、残りの八種まで、
すなわちメタ―ヒドロキシのd体、l体、dl体及びパラ―ヒドロキシのd体、dl体並びに、オルト―ヒドロキシのd体、l体、dl体のいずれもが、グラム陰性菌に対する抗菌活性においてアンピシリンよりもすぐれておらず、加えて、l―メタ―ヒドロキシ体が人体吸収性においてアンピシリンよりもすぐれていないのであるから、本件発明の目的物質は、全体として、薬効、端的にはグラム陰性菌に対する抗菌活性においてアンピシリンよりもすぐれていないものといわねばならない。
引用例には、引用例発明の目的物質が「抗菌性薬剤として……一般に人間を含む家畜動物の治療薬、特にグラム陽性及びグラム陰性バクテリヤにより惹起される伝染病治療薬、として極めて有用である。」(第一頁左欄下八行ないし下四行)旨記載されているのが認められ、これによると、引用例の発明の目的物質がグラム陰性菌に対する抗菌剤として有用であることがわかる。
アンピシリンは、化合物として引用例に開示され、グラム陰性菌に対する有用な抗菌剤として引用例の発明の目的物質に属するものの一つであるから、アンピシリンの薬効をもつて引用例の発明の目的物質のそれであるとみることができる。
そうすると、前記説示のとおり、本件発明の目的物質が薬効においてアンピシリンよりもすぐれていないことは、とりもなおさず、本件発明における目的物質のそれよりもすぐれていないことを意味し、ひいては、本件発明、すなわち、本件特許三個の各発明の効果が引用例の発明のそれよりもすぐれていないということになる。
(4) 被請求人(原告)は、引用例にはアンピシリンが開示されておらず、また、引用例の発明の目的物質の中で最も薬効のすぐれたアンピシリンを、しかも、
それのみを標準物質として用いることが不当である旨主張するけれども、この主張は採用することができない。
すなわち、引用例の発明における目的物質の一般式中にアンピシリンが含まれることは、被請求人(原告)も認めるように(第二答弁書第三六頁第二、三行)、明らかなところである。そして、引用例では、その目的物質としてa―アミノベンジルペニシリン(このもののD(-)型がアンピシリンである。)が明示され(第一頁右欄下三行及び第四頁右欄「例11」)、しかも、その目的物質中の基X1、ひいては目的物質に関し「少くとも一の非対称炭素原子を含みD―及びL―型で存在する。尚本法ではD―及びL―型並びにDL―混合物を含むものとする。」(第一頁右欄第一九行及び第二頁左欄第一一行ないし第一三行)とあつて、引用例において目的物質のD型光学異性体につき言及がされているのであるから、実質上、アンピシリンは引用例に開示されているというべきである(ちなみに、被請求人は、第二答弁書第四〇頁第五行で、アンピシリンが引用例である「甲第一号証ー本件訴訟における甲第三号証ーに含ま」れるという。)。かくして、引用例に開示され公知になつたアンピシリンは、周知のように、その後ペニシリン化合物の薬効判断に当つて適切な標準物質として広く用いられてきたのであつて、現に乙第二号証(本件訴訟における甲第一四号証)の比較試験でも用いられており(第五頁左欄第二四行ないし第二七行)、さらに、本件特許明細書のCD50の表や、甲第二号証(本件訴訟における甲第九号証)の「第一表」と「第二表」において、何よりも被請求人(原告)自身によつて用いられ、しかも、このうち本件特許明細書ではアンピシリンのみが標準物質として用いられているのであるから、アンピシリンが引用例において最も薬効のすぐれたものであるかどうかにかかわりなく、引用例との対比において本件発明の目的物質の薬効を判断するに当つて、引用例の目的物質の中からアンピシリンを選び、このアンピシリンを、かつ、それのみを標準物質として用いたからといつて、そのことを不当視すべき筋合いはないといわねばならない。
そして、この判断は、乙第一号証(本件訴訟における甲第一三号証)によつて、
アンピシリンを標準物質として用いていない一事例が認められても、そのことにより左右されるものではない。
(五) 以上において説示したとおり、本件第一ないし第三発明は、いずれも引用例に概念上包含され、かつ、各発明の効果はいずれも引用例のそれよりもすぐれていないのであるから、右各発明は、それぞれ、引用例に記載された発明と同一であるといわねばならない。
以上の次第で、本件特許は、三個の各発明について、特許法第29条第1項の規定に違反してされたものであり、同法第123条第1項第1号に該当する。
四 審決を取消すべき事由(一) 本件発明の性質 審決の誤りを指摘する前に、本件発明の性質について簡単に説明しておきたい。
本件発明はペニシリン誘導体に関するものである。
ペニシリンの薬効については今更喋々するまでもない。それは第二次大戦後の医薬の歴史を変えたものといつてもよい。しかし、最初のペニシリン(今「ペニシリンG」と呼ばれる。)は優れた医薬ではあつたが、効力の範囲(抗菌スペクトラムという。)が他の抗生物質に比べて必ずしも広くないとか、また消化管からの吸収が困難なため経口投与ができず注射によるしかないなどという問題があつた。そこで世界の医薬界はペニシリンを改良し、右のような欠点のないものを作り出そうとした。
この問題を解決するのに大きく貢献したのが原告の研究陣である。すなわち、それまでペニシリンは培養により作られており、改良の試みといつても培養液に薬品を加えてみる程度で限度があつたが、一九五七年原告研究陣は6ーアミノペニシラン酸というペニシリンの基本的構造部分を持つ次のような物質を単離した。
<12257-014>この式でいうと左端にあるアミノ基は反応性に富み、種々の基をこれに結合することができる。従つてこれにより、これまでにないペニシリン系化合物をほとんど無限に創造する可能性が生まれたのである。
ちなみにペニシリンGの構造式は<12257-015>であり、これはフエニル酢酸<12257-016>と右の6ーアミノペニシラン酸と結合させた(H2Oが脱離する)構造に一致する。いわゆる合成ペニシリンとはこのフエニル酢酸のかわりに種々のカルボン酸RーCOOHを用い、これを6ーアミノペニシラン酸と結合させたものであり、一般式で書けば<12257-017>となる。異つたRを有するカルボン酸を選ぶ(あるいは今までに知られていなければ、合成する)ことは比較的容易であるから、その後の研究はいかにして望ましいRの構造を発見するかという方向に向けられたのである。
原告は引続き自ら見出したこの方法により多くのペニシリン誘導体を作り、培養法では得られない種々の有用な性質を持つペニシリンを生み、これを世に送つた。
被告も含め、世界中の研究者等もまた、この原告発明の基本方法に従い、新規有用なペニシリンの合成に腐心した。
原告はこれら一連の研究につき多くの特許を有しているが、引用例も本件特許もいずれもその一つである。
引用特許はその優先権主張日が一九五八年一〇月六日であることからわかるように、右の基本方法の発見から間もなく、右一般式のRの部分にアミノ基(―NH2)を含ましめるとグラム陽性菌、グラム陰性菌を含む広範な菌に対する好ましい抗菌活性が得られるとの発見に基づき特許出願されたものである。ペニシリン誘導体の合成方法発見後まだ日の浅い頃の特許であるため、その特許請求の範囲は随分大まかで広い。その中に含まれる具体的な化合物の数は数万か数十万か、列挙することは不可能であり、まず無数といつてよいであろう。従つて、当然のことながら、目的物質の薬効について具体的なことはいうことができない。
本件特許は右引用特許に約四年遅れて一九六二年一一月二日にイギリス国において最初に出願されたものであり、特にグラム陰性菌に対して優れた活性を有する具体的な一群のペニシリン誘導体に関するものである。この特許は引用例とは異なり、特定の九種類の化合物のみを含み、従つてまた、その薬効も具体的に認識し得るものである。後日、その化合物中に卓越した薬効を有するもの(アモキシシリン)のあることが判明し、この物は恐らく現在までに知られたペニシリン系医薬のうちで最も優れたものとして、現に販売されている。
(二) 審決の持つ意味 審決は、本件発明は引用例の発明に含まれるがゆえに同一であり、それによつて公知であると判断した。
引用例におけるXの定義は炭素原子の数とアミノ基の存在のみを限定したものであつて、その二〇個の炭素原子がどう配列されようと、アミノ基がそのいずれに結合しようと、また炭素とアミノ基のほかに何があろうと一切問題にしない。こういう不特定、広汎なものと、特定の構造を有する基とが同一であるというのはいささか乱暴であると思うけれども、とにかく審決はそう判断したのである。
引用例が規定する二〇個までの炭素原子を含むアミノ置換アシル基という範囲がどれほどの数の具体的構造を含むかは到底計算し難い。事実上無数といつてよいであろう。有機化学において知られたほとんど総ての化合物の骨格型をその中に含み得るというに等しい。これらをまとめる枠はたゞアミノ基の存在ということだけである。前記のとおり、炭素の結合形態がどうであつてもよく、アミノ基がどこについてもよいのであるから、構造の型すらもきまらない。6―アミノペニシラン酸発見後間もなくのことであつたから一発明として特許になつたのであろうが、その中に何が含まれるか甚だ漠然としていることを免れない。目的とする抗菌活性の強さを山の高さにたとえるなら、数多くの個々の山を含む可能性のある山岳地帯を発見したということになろう。どこにどれほどの個々の山が存在するかは未知であり、
後の発見に委ねられた(あるいは、石油のあるべき地層の種類をいい、どこに現実に石油が発見されるかは後人に委ねたと考えることもできよう)。
アンピシリンは比較的早期に発見された山の一つである。しかし、引用例の枠中に発見された山はもちろんこれに止まらない。例えば6―アミノペニシラン酸に結合されるべき側鎖の酸((一)で述べたRーCOOH)として、
<12257-018>を用いるもの(特公昭四二ー二六〇三六号、甲第一三号証)、
<12257-019>を用いるもの(特公昭四六ー一二七三〇号、甲第一四号証)、
<12257-020>を用いるもの(特公昭四二ー二〇三一五号、甲第一五号証)、
<12257-021>を用いるもの(特公昭四七ー四一七三号、甲第一六号証)、などがある。ちなみに、甲第一五号証の特許は原告のものであるが、甲第一三、一四号証は本件被告、
すなわち無効審判請求人の出願に係るものであり、甲第一六号証はその関係会社のものである。
引用例に含まれる化合物中より具体的な構造に規定した発明につき特許が与えられ得ることは右の例に見るように当然のことと考えられていたのである。
しかるに、審決はその種の発明の一つである本件発明を(しかも自らもそういう特許を多く持つ被告の請求に基づいて)無効とした。従つて、この審決の影響するところ、単に一本件特許のみにとゞまらず、かかる同種特許、更には同じ考えに基づいて出願され、特許されたこれまでの多くの特許に及ぶのである。すなわち、審決の論理は医薬の分野における特許慣行自体をくつがえすものであつて、その意味するところは重大である。
(三) 審決の誤りの要約 最初に審決の誤りを簡単に列記する。
(1) 審決は無効判断の根拠条項として特許法第29条第1項第3号を根拠とした。すなわち、本件発明は、特許出願前(本件では優先権主張の基礎となつた第一国の出願前)日本国内において頒布された刊行物に記載された発明であると認定し、発明の新規性を否定したのである。
而して審決は特許法第29条第1項第3号に該当する基礎事実として、
(イ) 本件発明は概念上引用例の発明に包含される(ロ) 本件発明の目的物質の抗菌活性は引用例のそれよりも優れていないとの二点を認定し、これのみに基づいてその結論をひき出したのである(審決第一六丁裏第一ないし第七行)。
してみると審決は、引用例に概念上包含される発明は、その効果が引用例の効果より優れているときにのみ別発明になるが、そうでなければ引用例と同一であり、
公知であるとの理論を採用していると解される。原告はまず、この基準に基づく新規性の判断が違法であると主張する。
(2) 引用例との効果の比較に当り、引用例を代表するものとしてアンピシリンを選び、たゞそれとの優劣のみに基づいて効果を判断したのは全く誤りである。かつこの際、本件発明の目的物質についてはグループとして見ず、これに含まれる一々の化合物と対比したのも正しくない。
また効果の比較の物差として、審決が採用したもの(生体外試験)は誤つている。
(3) 本件発明は方法自体にも特徴を有する。
次にそのおのおのの理由について説明する。
(四) 概念上の包含と新規性(1) 引用例の特許請求の範囲の記載は本件発明と甚しく違う。また、引用例のどこにも本件発明の原料、反応方法、目的物質が具体的に記載されているわけではない。その点は審決も認めているのである。しかるに審決は(イ) 本件発明は概念上引用例の発明に包含される。
(ロ) 本件発明の目的物質の抗菌活性(すなわち、本件発明の効果)は引用例のそれより優れていない。
との二点を理由として、本件発明は引用例により公知となつたと判断した(第一六丁裏第一ないし第七行)。
すなわち、審決の前提は、概念的包含関係+優れた効果の不存在→公知発明ということであるが、何故そうであるかについては何の説明もない。あたかもそれが動かし難い公理であるかのようである。
原告は、そもそもかかる前提の合理性を疑う。大体、効果の有無が新規性の一つの判断基準になるということは原告には理解のできないことである。しかしそのことは後に論ずることとし、この命題の本件への適用について考えるに、審決は本件発明に引用例に優る効果のあることを認めなかつたのであるから、いずれにせよ効果の点は関係がなく(右の式において効果のところは零であるから)、本件発明が公知である理由は、ただそれが引用例に概念的に含まれる点にのみあることは明らかである。
前述のように、引用例の特許請求の範囲の記載は甚だ広汎であるから、本件発明がその中に概念的に含まれることは否定しない。しかし、発明が公知であるとするには、それだけで充分であろうか。
(2) まず、特許の一般論として、そのような見解は到底成立たない。観念上は先行発明中に含まれていてもその中の種々特殊有用な態様について別の発明は成立しうる。例えば機械特許によくある「……において、……を特徴とする装置」などという形式のものはほとんどそうであるといつてよい。では化学の発明における目的物に限つて、先行発明の一般式の中に含まれる化合物は全て公知になつたと見做すべきであろうか。
原告はそうは思わない。公知になつたものは式だけである。式を書くことは容易である。何の裏付けもなしに、今直ちにどのような式でも書くことができる。式が公知になつたからといつて、その中に含まれるが、具体的開示のなかつた、性質も不明の厖大な化合物が全て公知になるはずがない。
本件における引用例のように、ただアミノ基がありさえすればよく、あとは二〇個以内の炭素原子がどのように組合わさつてもよいという先行「概念」の故に、その中に概念的には入る無数の化合物がすべて公知となるというのはあまりにも非常識である。
また、そのような見解は、いわゆる選択発明という慣行とも矛盾するであろう。
すなわち、選択発明というものは(そのような観念を特に立てる必要があるかどうかは別として)先行特許発明の概念中に入るものについて成立するとされている。
ところで、特許法第29条第1項により、公知の発明には特許性がないのであつて、例外などは認められていない。もし単に公知の技術文献に掲げられた一般式に包含されているが故にその中の全ての化合物が公知となるなら、選択発明というものは成立の余地がない。それだけでは公知とならないからこそ、選択発明といわれるものが認められるのである。
選択発明の一つの要件として、一般に先行技術文献中に具体的に開示がないこと、ということが挙げられている。しかし、全体として公知であるならば、このようなことを云々するのは無駄である。一般式に含まれているだけでは公知でない、
具体的に開示されたもののみが公知であるということを暗黙の前提にしていればこそ、このような条件が意味を持つのである。
(3) 引用例は簡単にいえば合成ペニシリンの側鎖にアミノ基を有するものを用いるということを式を以て表現したものであつて、その範囲は甚だ広い。しかし現実の特許庁の実務が少数の具体例に基づいて相当抽象的な請求の範囲を容認する以上は、広い特許範囲を得ることに利益を見出し(侵害訴訟において広く均等論を認めない場合は特に)、そのような特許権を取得しようとすることは発明者として自然な行為である。特許請求の範囲発明者に対しどこまで他人の無断実施行為を禁止する権限を与えるかという見地から作成され、そのようなものとして審査されるのである。しかし、翻つて特許明細書が公知文献として読まれるとき、そこに記載された公知技術の範囲がかかる禁止権の範囲と一致しなければならないという理由は特許法上どこにも見出すことができない。むしろ特許庁の実務が右のようなものであることこそ、特許明細書の公知文献としての価値判断に際し考慮さるべきことである。
このような特許実務を前提とする限り、新しい分野を最初に開拓した技術は、その具体的態様においては未だ幼稚ないし非実用的なものであつても、特許請求の範囲としては広汎な概念を採用することはほとんど必然の成行であり、その後の技術の進歩は、これを請求の範囲の表現からみれば、広い上位概念からより具体的な下位概念へ推移して行くことに示されるということもできよう。
(4) 進歩性に関する特許法第29条第2項の規定は昭和三四年の改正の際新設された。それ以前においても新規性進歩性との別は意識されてはいたが、法文上は区別されてはいなかつた。しかし、現行法においては新規性進歩性を項を分けて規定し、それぞれ独立の特許性の要件となつているのであるから、発明を認容し、あるいは斥けるに当つては、そのいずれに該当するかを明らかにしなければならないことはいうまでもない。そして、現行法上発明の公知とは、そのとおりの発明が知られ、あるいは刊行物に記載されていたことでなければならないのである(表現の一致を要するという意味ではもちろんない。)。同一性を厳格に解することが論理を明確にする。
同一性を越える発明は第二項によつて拒絶しあるいは無効にすればよいのであるから、なんら不都合を生じない。
公知例中に上位概念の発明が記載されているということは、それが検討の対象としている発明と同一でない限り、進歩性の有無の判断に際して斟酌さるべきことである。
(5) 本件は化学方法の発明に関する事件であり、新規なペニシリンを提供するところにその眼目がある。その目的物は化学式をもつて規定されている。本件発明に包含される化合物は九種類に限られ、これはいずれも本件特許の出願当時新規物資であつた。もちろん引用例には記載されていない。発明が具体的に化学式で特徴づけられる場合には同一性の問題は簡単である。公知例に記載された化合物と化学式が同一なら同一発明、違えば別発明である。原告は特許法の構造は正にそうでなければならないと信ずるものである。新規化合物に関する発明が新規性の欠如によつて特許性を否定されることはあり得ない。あるとすれば進歩性の欠如か又は他の理由によつてである。
本件のごとく、公知例に示された上位概念なるものが甚だ抽象的であつて、有機化学の教科書のどの頁に記載されている化合物を選んでも、アミノ基さえつければそれに含まれるというような場合に、単なる包含関係から発明の同一をいうのは、
どう考えても特許法の体系に反している。
(6) 実は審決もまた、その点を意識していないわけではないようである。というのは、その中に次のような記載があるからである。
「なお、被請求人は、本件発明における原料物質のカルボン酸成分自体が引用例に開示されておらず、ひいては、その目的物質自体が引用例に開示されておらず新規である旨主張するが、包含関係が問題となるのはそれ自体の開示のないことが、そもそもの前提であるから、主張の点は包含関係についての前記判断になんらの影響を及ぼすものではない。」(第八の二丁表第八行ないし第九丁表第六行)。
この趣旨は判然としないが、「包含関係が問題になる場合」というものを審判官が設定し、本件はそれに当たるといつていることは確かである。(多分、選択発明のことをいつているのであろう)。そして、その場合には、引用例には原料物質も目的物質も開示がないのは当然だと述べているのである。何故当然なのかはわからないが、いずれにせよ、この文章は本件発明の原料物質と目的物質とが新規であることを認めているものと解される。
(7) ところで、審決自体の論理では、包含関係があれば即公知だというのではない。更に公知例との効果を比較し、当該発明に公知例に優る効果のない場合に初めて両者は同一だというのである。効果のない場合、そのことは同一性の有無に積極的な働きを持ち得ないのであるから、結局こういう論理もやはり包含関係をもつて同一性を判断していることになることは前述した。しかし、そもそも同一性を判断するのに効果を検討する意味があるであろうか。
先行発明に比し優れたところはないが、とにかく別ではあるというもののあること、むしろ世の中にはそういうものの多いことは誰もが知るとおりである。逆に同一のものは元来必然的に同一の効果を奏するのであつて、別の効果を奏するということはあり得ない。
そして原告には、二つのものは同一か、そうでないかであつて、そのいずれでもないという場合は考えられない。
概念的包含関係をもつて同一であると見るならば、それ以上効果のことは論ずるまでもない。効果の記載の有無にかかわらず、効果は同一のはずだからである。これに反し、それでは同一にするに足りないというのであれば、効果の有無というものは、同一ではないのにかかわらずなおかつ特許性を否定すべきかどうかという次元のこととなり、進歩性の問題に帰着する。その場合、効果のないことが判明したからといつて、もともと同一でないものが遡つて同一になるという理屈はあり得ない。
公知例との効果の差の有無が新規性に影響するという場合もあるであろう。それは公知例と当該発明とが同一かどうか紛らわしく、決定しかねるため、効果を検討することにより同一性判断の補助にしようという場合であつて、本件のような場合ではない。
(8) そもそも審決のような持つて廻つた法律構成をとる必要はないのである。
引用例中の上位概念は発明の新規性進歩性認定の要素として考慮すれば足りる。
上位概念下位概念の間にまつたく距離がないと思えば特許法第29条第1項を適用すれば良く、距離があると思えば引用例中の具体例と合せて、それから本件発明を推考することが容易だつたかどうかを検討すればよいのである。而してその際、
効果の点ももちろん進歩性判断の一つの基準にはなることである。
(9) なお、審決は引用例中に本件発明の目的物資と構造的に類似した化合物が記載されていることを指摘する(第五丁表第一二行ないし同丁裏下から四行)。そして「引用例の発明における、ここに掲記のカルボン酸成分はいずれも、本件第一発明における前記一般式に含まれるカルボン酸成分と、化学構造上、近縁類似の関係にあるのであつて、このことを考慮すると、実質的にみても、本件第一発明における原料物資のカルボン酸成分は引用例の発明におけるそれに概念上包含されるということができる。」という。
わざわざこのことを記載したのであるから、審決は右の点も発明の同一性に関連性があると考えたのであろう。しかし、「実質的にみても概念上包含される」とはどういうことを意図した表現なのかわからない。(概念上とはそもそも形式的ということであるから、こういう表現は自己撞着ではあるまいか)。また、前後の文脈を読んでも、このことの故に本件発明が引用例に記載されていると看做されるということまで述べる意図ではないらしい。とすれば、認定された事実は公知例中、本件発明の化合物に似た構造の化合物名が記載されているということだけである。そのことから生ずる法律上の意味は、公知例の化合物から本件発明の化合物を容易に考え得たかどうかという争点を生ずるということだけのことである。どれほど「近縁」であろうとも、発明の新規性を否定する根拠にはならない。(実質的にという用語は、本件に例を求めるなら、「保護されたアミノ基」と「アミノ基に変えることができる基」は表現は異なるが実質的に同一かどうかというようなときに用いるものである。こういう場合なら「実質的に同一」は、特許法上「同一」と同じ効果を生ずるから、そういう認定をする意味がある。)。
(10) ついでながら、先行発明の一般式中に概念上含まれる物であつても、それ故に新規性を失うものではないとした判決例に東京高裁昭和三八年一〇月三一日の判決(行裁例集第一四巻第一〇号第一八四四頁)及び同昭和四五年九月一八日の判決(無体財産権関係民事行政裁判例集第二巻第二号第四五七頁)がある。いずれも旧特許法時代の判決であり、新規性進歩性との区別がはつきりしていない。しかし最初の事件において被告特許庁側は審決において「……は、引用例によつて当業者が容易になし得るところであり、その着想においてなんら新規とみられる点がない」と判断し、なお訴訟においても「当業者が直ちに推測し得る化合物」(第一八五一頁第七行)、「当業者ならば当然考えるはずである」(同頁第九行)、「当業者が容易になし得る」(同頁第一二行)と主張しているところから見て、新規性を否定したのではなく、進歩性を争つたのであることは疑いを容れない。
また、右の第二の事件においては、特許庁が同一発明を主張したのに対し、裁判所は「被告は、この点に関し、発明の異同は構成要件の異同に基づいて判断すべきものであるが、構成要件からいえば、本願発明が引用発明に包含されることは明らかであり、作用効果から両発明の異同を論ずることは無意味である旨主張する。(原告註ーこの考えは明らかに同一発明ということを前提にしている)。もとより発明の異同はその構成要件に基づいて判断すべきものであることは、いうまでもないが、
本件発明と引用発明とは、その構成要件上、引用発明が上位概念で示される化合物を有効成分とする殺草性組成物を、本件発明が下位概念で示される化合物で示される化合物を有効成分とする殺草、殺菌、殺ダニ性組成物を、それぞれ特定している点で区別の存することは、前記のとおりであるから、両者はこれを別発明とみるのを相当とし、被告の右主張は理由がないものというほかはない。」と判示している(前記判例集第四六四頁第三ないし第九行)。これに加えて、「引用発明の明細書は、具体的にはこの化合物を記載しておらず、……であるから、本件発明の化合物は引用発明の明細書の記載から予測することのできないものである」という判断(第四六三頁終りから五ないし一行)からして、後願の下位概念の化合物に新規性のあることは当然と見ていると解される。
(11) 要するにある化学方法の発明がその原料物質、目的物質につき具体的な化学式によつて特定されているときは、それと同一の化合物が公知例に記載されているのでなければ公知発明との同一ということはあり得ない。他の事情はことごとく発明の進歩性に関係があるのみである。ところが審決は、本件発明は公知例に概念上包含される、そして本件発明の効果は引用例よりすぐれていないということから、本件発明は引用例と同一であり、それにより公知になつていると認定し、特許法第29条第1項第3号を根拠として本件特許を無効であると判断したものであるから、既にこの点において誤りであり取消しを免れない。
(12) ちなみに、審決の認定した事実は、次に論ずる効果の点を合せても、なお本件発明の容易推考性を基礎づける事実としても十分ではない。審決取消訴訟の審理範囲は審決の判断した無効理由に限られ、かつその無効理由は該当法条項ごとに法律上別個と解されている(最高裁大法廷昭和五一年三月一〇日判決、民集第三〇巻第二号第七九頁)から、本来ここまでいう必要はないのであるが、審決が実は特許法第29条第2項の要件を認定しながら、たまたま同条第一項第三号を適用したのではないかという誤解を避けるために敢て付言しておきたい。
すなわち、進歩性の主題は第一に発明の構成の難易であるから、引用例の記載からどのようにして本件発明の具体的目的物、すなわち<12257-022>が想到されるのかがまず第一に問題になるのである(審判事件答弁書、甲第四号証第九頁ないし第一八頁参照)。しかし、本件の審決にはその点の判断が全く示されていない。審決はその点については概念的包含で事足れりとし、あたかもこの物質自体を推考し得るのは容易であるかの如き前提で、専らアンピシリンとの薬効の比較のみを論じている。
従つて、本件は正に原告主張のように進歩性の問題であることが認識された場合、
審決中の認定事実をもつてそのまま特許法第29条第2項該当の有無を論ずるわけにはいかないのである。
(五) 本件発明の効果次に、本件発明が引用例より優れた効果を有しないとする審決の認定も誤りである。
(1) 審決は本件発明に包含される九種の化合物それぞれの抗菌活性をアンピシリンのそれと比較している。しかし、まず問われるべきは何故にアンピシリンと比べるかである。審決が述べる根拠は、
「アンピシリンは、化合物として引用例に開示され、グラム陰性菌に対する有用な抗菌剤として引用例の発明の目的物質に属するものの一つであるから、アンピシリンの薬効をもつて引用例の発明の目的物質のそれであるとみることができる。」ということである(第一四丁裏第七行ないし第一一行)。ここに二つの問題点がある。すなわち、アンピシリンが化合物として引用例に開示されていたか、及び、引用例の目的物質の一つの効果をもつて引用例そのものの効果とみなす根拠があるか、ということである。
(2) 先ず、最初の点についていうと、審決は右に引用した個所ではアンピシリンが引用例に開示されていたとし、また審決書第一五丁裏第三、四行にも「かくして引用例に開示され公知になつたアンピシリン」と述べているが、アンピシリンは決して引用例には開示されていない。審決も、右の二つの引用個所の間の説明部分では「実質上、アンピシリンは引用例に開示されているというべきである」と述べているに過ぎない(第一五丁表終りから二行ないし同丁裏第一行)。開示されていると扱つてもいいという解釈は任意であるが(その誤りは次に説明する)、それをもつて他の行文において「開示されている」とするのはすりかえである。
さて審決が、アンピシリンは引用例に開示されているとみてもいいとする根拠は、
1. 引用例の目的物質の一般式にアンピシリン(D(-)―a―アミノベンジルペニシリン)が含まれ、
2. DL―a―アミノベンジルペニシリンが引用例の実施例に記載され、
3. 引用特許明細書中に「本法ではDー及びLー型並びにDLー混合物を含むものとする」と記載されているからであるというのである(第一五丁表第六行以下)。しかし、これらはいずれも具体的な開示ではない。恐らく審決は、これらのことからアンピシリンは容易に考えつくことができるという趣旨であろうが、それでは不十分である。
既に述べたが、審決は引用例が特許公報であるために混乱を来しているようである。引用例自体の特許性を審査する場合でなく、これを後願の発明に対する公知文献として読むときは、それは例えば学術雑誌における発表と同じく一つの技術文献であり、現実に確認され、報告された事実だけが問題なのである。
引用例の一般式中にアンピシリンが含まれることは、前述のように一般式が甚だ広汎なのであるから驚くにはあたらず、それをもつて「開示されている」ことの根拠になし得ないことはいうまでもない。
なるほど、引用例にはDL―a―アミノベンジルペニシリンが具体的に記載されている。そして明細書の中にはこの発明がDL型の他に、D型、L型を含むという意図の表明もある。しかし、単独のD、Lそれぞれの異性体については、何のデータも示されていない。だから原告が、当時光学異性体のことを念頭に置いていたことはわかるが、他の技術者にとつて、これが光学異性体についての報告でないことは明白である。特許に限ることではないが、科学者はしばしばまだ完成されていない研究テーマについて語ることがあるが、そういう議論はスペキユレーシヨンと呼ばれ、発明発見とは考えられない。
アンピシリンは引用例に具体的に開示されていなかつたばかりでなく、引用例の出願時にはまだ存在しなかつた化合物である。一九五八年当時、引用例の出願人である原告はまだ単独の光学異性体につき検討を加える段階に達していなかつた。アンピシリンが初めて製造され、非常に優れた抗菌活性を有することが確認されたのは一九六〇年頃になつてである。アンピシリン自体につきイギリスにおいては引用例とは別に特許出願され、英国特許第九〇二七〇三号が与えられた。
審決はまた、「被請求人は第二答弁書第四〇頁下五行でアンピシリンが引用例である『甲第一号証の権利に含ま』れるという」と記載し、それが何かの意味を持つかのように暗示する。しかし、アンピシリンが引用特許の権利範囲に含まれるということと、アンピシリンが引用例によつて公知となつたか否かは別の問題である。
たとえ権利範囲に含まれるとしても、現実には未だ作られていない物の薬効を比較対照すべき根拠はない。特許の権利範囲とは、幾つかの具体例に基づいていわば任意に線を引き、自己の領界を設定したにひとしい。その中にどのようなものが潜められているか、線引きの時にはわからないのである。それだからこそ、本書面の初めに指摘したように、その境界内でその後発見されたものについても特許が与えられるのである。先行特許の権利範囲内での、すなわちその潜められた可能性の内の最良の物と比較せよということは、殊にその先行特許が本件引用例のように無数の特定化合物を含む場合には、比較を永久に不可能とする。いや、そもそも本件発明の目的物質自体、その権利範囲内にあつたといえるであろうから、自らを自らと比較せよということにもなりかねない。すなわち、引用例中に権利としては含まれるかも知れないが、未だ開示されていなかつた物と比較すべき根拠は全くない。
(3) なお、審決はアンピシリンが「その後ペニシリン化合物の薬効判断の標準物質として広く用いられてきたのであつて」、原告自身本件特許明細書でこれを標準物質として用いていることを、アンピシリンの薬効と本件発明の効果とを比較することの根拠として挙げる。これはまつたく理由にならない。
本件発明における薬効の記載は、ペニシリンGとの比較でもよかつたし、テトラサイクリンその他の異種の医薬との比較でもよかつたのである。たまたまアンピシリンが手近にあり、本件発明までに開発された最も優れたペニシリンであつたから、それとの比較データを掲げたに過ぎない。この比較は、商業的な意味においては重要であろう。しかし、かかる比較があるからといつてアンピシリンが引用例の発明に開示されているということを示す何の客観的資料にもならないことはいうまでもない。
(4) 更に、アンピシリンの引用例中における開示の有無とは別に、どうして審決はアンピシリンという一つの化合物をもつて引用例を代表させるのであろうか。
審決は「アンピシリンは、化合物として引用例に開示され、……目的物質に属するものの一つであるから、アンピシリンの薬効をもつて引用例の発明の目的物質のそれであるとみることができる。
そうすると、前記説示のとおり、本件発明の目的物質が薬効においてアンピシリンよりもすぐれていないことは、とりもなおさず、本件発明における目的物質の薬効が引用例の発明における目的物質のそれよりもすぐれていないことを意味し、ひいては、本件発明……の効果が引用例の発明のそれよりもすぐれていないことになる。」と述べる(第一四丁裏第七行ないし下から二行。傍点原告)。
すなわち、審決はアンピシリンとの比較をなすことにより、単なる一つの化合物との比較をしているつもりではなく、引用例の発明そのものと比較しているつもりなのである。
しかし、アンピシリンは、本件発明に含まれる化合物の一つであるアモキシシリンが現われるまで、引用例の一般式中に含まれるペニシリン誘導体のうちで最も薬効があるとされていたものである。逆にいえば、引用例中に含まれるほとんどすべての化合物がアンピシリンほどの薬効を持つていない。前に述べた山岳地帯の比喩でいえば、アンピシリンは知られた最高峯なのである。
二つのグループのある属性を比較するとき、その最高値をもつてすべきであるとする公理はない。特に反対の事情のない限り、平均値をもつて比較すべきことが当然である(もつとも、引用例に概念上含まれるものはいわば無限であるので、明細書自体に開示された化合物の平均値とすべきである。)。審決は引用例についてはその知られた最高のものを選びながら、本件発明についてはそうしていない。審決の論理をもつてすれば、全く同様に、本件発明については、アモキシシリンをもつて代表させることもできたはずである。
(5) 更にまた、仮にアンピシリンが引用例を代表するものであつたとしても、
必ずそれより優れた効果がなければ発明とならないという審決の見解は納得できない。
引用例によつて区割された山岳地帯のうちにあつて、アンピシリンは一きわ高い峯である。その地帯の中にアンピシリンにも匹敵するほどの他の峯があること、つまり、アンピシリンとほぼ同等の薬効のある化合物のあることが発見されれば、それはむしろ大成功と評価されるべきことではあるまいか。原告には、そのことから特許に値しないとの判断がどうして出て来るのかわからない。同等の薬効のある異なる化合物をいくつか持つているということは、社会にとつて意義のあることである。ある種の菌にはそのうちのある物が特によく利くかも知れないし、耐性菌に効果があるかも知れない。あるいは全く別個の見地から、新しい物の方が原料が安価かも知れないし、製造方法が簡単であるかも知れない。選択の余地は多いほど良いのである。
実際にまた、ペニシリン誘導体に関する特許は数多いが、それらのうち、その目的物が真にアンピシリンに優る薬効を有しているものが果してあるであろうか。ほとんどすべては、異つた化合物であり、かつ、アンピシリンとの比較はさておき、
一応見るべき薬効があるという理由をもつて特許されているのである。
(6) また、引用例と本件発明を比較する場合、本件発明の目的化合物を一つ一つ取出し、そのすべてが引用例(アンピシリンによつて代表される。)より優れた効果を持つていなければならないというのは、正しい比較の方法であろうか。
このようなやり方は、一つの特許は、その代表例、又は平均値ではなく、すべての実施の態様が、その最高のものに等しい効果を持つていなければならない、という見解を前提としている。(前述のように、審決は「全体として」ということにより何を意図したのかわからない。しかし、結果としてはこういうことである。)。
しかし、現在の日本の(あるいは世界各国の)特許はそのような前提に基づいて特許されているのであろうか。
原告はそうは思わない。代表的な例が優れた効果を持ち、他の物は一応の効果があればよいというのが慣行であると思う。さもなければ、あらゆる化学特許は、その一般式中に含まれる無数の化合物をすべて現実に合成し、その効果を確認しなければ特許はとれないはずであるが、実際にはそうしていないからである。
(7) 次に、抗菌活性の試験データに関する審決の見方も誤つている。
本件発明に含まれる化合物のうち、DL―パラ―ヒドロキシ化合物及びDL―メタ―ヒドロキシ化合物の薬効がアンピシリンより優れていることは本件特許明細書に説明がある。しかし、審決はこのデータを採用せず、甲第九号証(審判事件甲第二号証)及び甲第一二号証(審判事件甲第六号証の二)のMICの表により、双方共アンピシリンより優れていないと結論した(第一〇丁表第一〇行ないし第一一丁裏第一行)。
しかし、甲第一九号証(審判事件乙第一八号証)で説明しているように(訳文第一一頁)、生体外のMICの結果は薬効判定の出発点にはなるが、生体内試験の結果と必然的に結びつくものではない。反証なき限りは生体外試験を人体試験に代るものとして扱う(第一二丁表第六行以下)というのはよいが、本件では現に反証として生体内試験結果が存在しており、両者を比較すれば生体内試験をより重視するのが常識である。生体内試験結果があるにもかかわらず、これを無視して敢て生体外試験結果を採用した審決のやり方は当を得ていない。
そして、DL―パラ―ヒドロキシ化合物及びDL―メタ―ヒドロキシ化合物については、本件特許出願後も実験が繰返された。その生体内活性はアンピシリンのそれとほゞ同等である(甲第一九号証訳文第一五頁)。そして細菌に対する殺菌速度を調べると(訳文第一六頁)、DL―パラ―ヒドロキシ化合物もDL―メタ―ヒドロキシ化合物もアンピシリンよりも速い殺菌作用を有していることが判明したのである(訳文第一六頁の(@)、(A)、第一八頁)。すなわちDL―パラ―ヒドロキシ化合物もDL―メタ―ヒドロキシ化合物もアンピシリンより優れた薬効を有する。(かつまた、これは商業上、既にアンピシリンがあるのに新たな医薬として出す意味があるかどうかという問題であつて、公知例との効果を比べるのであれば、
相手はDL―a―アミノベンジルペニシリンでなければならないことは前述のとおりである。その場合は本件発明の目的物の薬効の方が更に増大する。)。
無効審判において無効事由の存在することの立証責任は審判請求人にある。審判請求人の薬効に関する主張は、原告の研究者自身の報告に基づくか(甲第九号証及び甲第一二号証)、原告の研究結果を請求人の弁護士達がまとめたものに過ぎない(甲第一〇号証及び甲第一一号証)。これに対し、原告の研究者自身が甲第一九号証において、その然らざることを説明しているのである。審判官が請求人の主張を採用したことは不可解という外はない。
オルト―ヒドロキシ化合物についていうと、この物が一般的にパラ及びメタ化合物よりも薬効が劣つていることは事実である。しかし、甲第一九号証で説明されているとおり(訳文第一九、二〇頁)、少くともサルモネラーテイフイムリウムについての皮下投与(注射)試験に関しては、引用例に開示された化合物のうち最高の薬効を示すDL―a―アミノベンジルペニシリンよりよい結果が出ている(甲第一〇号証訳文第五頁、添付書類1の生体内CD50試験の欄の上から五段目の35という数値と八段目の27という数値)。医薬というものは何か一つの菌について良く利けばそれだけで十分価値がある。そして、少い試験データにおいて一つの菌にはかなり利いたということは、まだ可能性としては他の菌にも利くかも知れないのであつて、オルト化合物もまた貴重な医薬である。いかにパラ、メタ化合物が優れているからといつて、これを以て価値なしとすることはできない。これもまた、山岳地帯における一つの高峯であることには違いないのである。
オルト化合物の製造が実施不能というような場合ならばともかく、効果が同一発明中の他の物に比して相対的に劣るからといつて、それ故に本件発明が全体として無効になるということは考えられない。我が国の特許制度はそのようにはできていない。
もしそういう見解が貫かれるならば、恐らく化学特許のうち、残存するものは幾許もなくなるであろう。
(六) 本件発明における方法としての特徴 審決は反応方法に関して、引用例と本件発明は実質的に同一でないとの原告の主張を理由を示さずにしりぞけた。
この点に関する原告の主張は、審判手続での第二答弁書(甲第八号証)第一〇頁以下に述べたとおりであるが、要約すれば、フエニル性ヒドロキシ基を有するカルボン酸と6―アミノペニシラン酸の反応は、本件特許出願前に、引用例はもちろんどこにも記載されていなかつたし、反応し易いフエニル性ヒドロキシ基をアシル化反応に際してどのように取り扱うべきか(保護を要するか否か、どういう保護方法を採用するのが適切か)を決定するにはそれ相当の実験を要するということである。
本件第二発明と第三発明には適切な保護基とその脱離方法が、第二発明には意外にもヒドロキシ基そのままでカルボン酸誘導体との反応に供しうることがそれぞれ示されている。いずれも新規な反応であるが、とりわけ第一発明はその意外性において方法自体特許に値する価値があると原告は考えている。
(七) 結論 以上審決に現われている誤りを指摘した。細かくいえば更に説明すべきこともあろうが、本件は特許法第29条第1項第3号のみを適用し、かつ、その適用の根拠を欠く事件であるから、法律上明白に誤つており、速やかに取消さるべきであると信ずるものである。
被告の答弁及び主張
一 原告の請求の原因及び主張のうち一ないし三の事実は認め、四の主張は争う。
二 いわゆる選択発明の特許性について(一) 原告が四の(四)「概念上の包括と新規性」の項に述べるところに反論するに先立ち、まず、いわゆる選択発明の特許性について被告の見解を述べることとする。それは、本件における最大の争点がいわゆる選択発明の特許性をどう考えるかにあると信じるからである。
(1) 化学物質の製造法の発明は、(以下に述べるところは、現行法下における化学物質自体の特許性についてもあてはまるが、ここでは本件の事案に即して製造法に限つて述べることとする。)。
通常、原料物質であるAとBとを特定の条件下で反応させて目的物質Cを得る方法という形式で表現される。このばあい、A、B、Cががそれぞれ化学物質の上位概念で規定され、それぞれが、a1、a2、a3……、b1、b2、b3……、c1、c2、c3……という特定の化学物質を包括的に表現していることがしばしばである(たとえば引用例においては、このAは「保護されたアミノ基を有するカルボン酸又はその塩」と表現されているが、この概念には実に多種多様な化合物が包含されている。)。
(2) もし、AとBとを反応させてCを得るという方法が公知であるばあい、反応条件に特許性を有する特徴がないかぎり、a1とb1とを反応させてc1を得るという方法も、当然新規性を有しないので、本来特許性を有しないはずである。
AとBとを反応させてCをうる方法を開示している公知文献がわが国における特許発明明細書であるばあいには、a1とb1とを反応させてc1をうる方法について特許が許可されれば二重特許になり、同一方法について特許期間の延長という不都合を生じ、公知文献がその他の学術文献等であるばあいには、本来パブリツク・ドメインに属していた技術をa1とb1とを反応させてc1を得たという方法の発明者(またはその承継人)に専有させることになるという不都合を生じるからである。
(3) ところが化学方法の発明のばあいには、こうした単純な論理を貫徹すると、かえつて、真の発明を保護しない結果となり、特許制度の趣旨に反するばあいがある。それは、上位概念で表現された化合物A、B、C……がきわめて多種多様な化合物を具体的には包含しうるし、また、化学反応の結果を予測することは一般的にいつてきわめて困難とされているので、AとBとを反応させてCを得ることが知られているばあいであつても、a1とb1とを反応させてc1を得てみたら、そこに、実に意外な結果を生じていた、ということがありうるからである。
(4) このばあい、結果の意外性をもたらした理由は、大別して二つあるものと考えられる。AとBとを反応させてCを得る方法を開示した文献の技術内容に、真実はa1とb1とを反応させてc1を得るという技術が含まれていなかつたばあいがそのひとつである。極端なばあいを想定すれば、a1とb1との反応の結果c1が生成されなかつたということもあろうし、またc1がAとBとの反応によりえられるCであれば当然有しているはずの特性をc1が有していなかつたということもあろう。もしAとBとを反応させてCを得るという方法を開示した公知文献が特許明細書であつたとすれば、その概念上包含される発明のうち、a1とb1とを反応させることに関しては、実施不能もしくは発明未完成であつた、と考えその特許発明技術的範囲にはもともとa1とb1とを反応させることを含んでいなかつた、
と考えることとなる。
(5) 意外性をもたらす理由の他のひとつはAとBとを反応させてCを得る方法を開示した公知文献が、a1とb1とを反応させることについても、それが特許文献であれば発明として完成していた、それが学術文献であれば技術として完成していた、従つて、当然に実施も可能でありAとBとの反応によるCの特性を有するが、c1はその公知文献が示していた特性からみると顕著にすぐれた特性を有していたり、あるいは、別の特性をもかね具えていたりすることが見出されたような場合である。AとBとを反応させてCを得るといつても、その公知文献はA、B、Cに概念上包含される多種多様な化合物のすべてについて調査し尽していない場合があるから、多種多様な化合物の中から特定のa1、b1を見つけだし、その結果、
公知文献が予想しなかつたすぐれた特性を有するc1が後日になつて見出されることも決してふしぎではない。
(6) 前記(4)のばあい、AとBとを反応させてCを得る方法が公知であつても、a1とb1とを反応させてc1を得る(もしくはdを得る)方法に特許が与えられても、不都合は生じないと考えられる。何となれば、元来、その公知文献は、
それが特許発明明細書であつても、また、学術文献であつても、a1とb1とを反応させる方法に関しては、発明として、また、技術として、完成していなかつた、
とみられるからであり、したがつて、少くとも理論的には、二重特許等の問題を生じないからである。
(7) しかし、前記(5)のばあいは、a1とb1と反応させてc1を得る方法も公知文献に完成された発明として、また技術として開示されていたのであるから、a1とb1とを反応させてc1を得る方法に特許を与えることには大いに問題がある。何となれば、公知文献が特許明細書であつた場合、a1とb1の反応によりc1をうる方法はその公知文献をなす特許発明の保護をうけていたにもかかわらず、重ねて別の特許の保護をもうけることとなり、また公知文献が学術文献であるばあいでも、それまで、パブリツク・ドメインに属していた技術について特定人に対する特許による専有権が与えられることとなるからである。
しかも、A、B、Cに概念的に包含される多種多様な化合物の中から特定のa1、b1を見出し、これによりそれまで知られてないものと比べ、格段にすぐれたc1を作り出したことも評価しなければならない。もしこうした努力や貢献を特許法上無視するならば、発明の奨励、産業の発達という特許法の目的と反することになるであろう。選択発明という概念が提案され、選択発明に対する特許性が議論されるに至つた背景は、ほぼ上記したところにあるといつてよい。
(8) 従つて、選択発明に対する特許が与えられるのは、公知文献がわが国の特許明細書である場合は通常二重特許をあえて許可することを意味し、公知文献がその他の文献である場合はパブリツク・ドメインに属する技術について特定人に専有権を与えることを意味するのであるから、こうした一見して不都合な結果をあえておかしてもなお特許を与えることが真に特許制度の趣旨、目的に合致するとみられるような例外的な場合なのである。
こうした考え方に立つて、わが国特許庁でも、また、海外諸国でも選択発明に特許性を認めるに至つているが、その場合、二つの基準に照らして判断することが通常である。
その第一は、選択の困難性であり、第二は、選択による顕著な効果である。
もし、選択された化合物が公知文献に具体的に開示されていたとすれば、そうした化合物を選択し、その結果を知ることは、単なる実験、単なる作業にすぎないから、いかにすぐれた結果を確認したところで、そうした選択には保護に値する発明はありえない。もし、上位概念で表現された化合物が僅か五種や十種内外の化合物きり包含していないのであれば、やはりこれら五種、十種の化合物の一々についてその結果を確認することも単なる実験、単なる作業に止まり、発明とはいえない。
逆に、選択された化合物が公知文献に開示されていないということは、選択発明の特許性を判断する場合の前提をなすわけである。
第二に、選択の結果、公知文献の開示していた方法ではえられなかつた顕著な効果がえられるのでなければ、そもそも選択発明に対し特許を与える理由がないことも前記したところから当然であろう。
(9) 前記の説明においてAとBとの反応によるCの製法が公知文献により開示されているばあいを想定して記述してきたが、AとBとの反応によるCの製法が先願の発明であり、a1とb1との反応によるc1の製法が後願の発明であるばあいも、問題は全く同じである。何となれば、この場合も、二つの出願の双方を許可すれば二重特許の問題を生じ、後願を必ず拒絶するものとすれば後願の発明の努力、
貢献を場合により無視する不合理を招き得るからである。
この点について特許庁は、その編にかかる産業別審査基準有機化合物3・21(12)で発明の同一性について「上位概念で表現された先願発明に対し下位概念で表現された後願発明は、後者が前者の明細書に具体的に開示されていない場合でも、後者により奏せられる技術的効果が、前者により奏せられた技術的効果と質的に全く異なつたものか、あるいは、量的に著しくすぐれたものであることが明確に認められない限り、同一発明とする」とし、また同審基準医薬3・24で「上位概念で表現された発明と下位概念で表現された発明との同一性。」について「上位概念で表現された発明と前記上位概念に含まれる下位概念で表現された発明は原則として同一発明として扱う。ただし先願の発明が上位概念で表現されており、後願の発明が下位概念で表現されている場合で、しかも先願の発明において先願の発明の例と比較した場合発明の効果上顕著な差異がある場合(ただし後願発明の効果がすぐれている場合)に限り別発明を構成するものとして扱う。」としているのも、前記の意味で合理的であり、特許庁の実務慣行も被告の前記したのと同じ考え方に立つものと考えられる。
(10) 一方、広く知られているとおり、選択発明の特許性に言及したものとして東京高裁の次の二つの判決があげられることが普通である。
その一は、昭和三四年行(ナ)第一三号昭和三八年一〇月三一日判決(行政事件裁判例集第一四巻第一〇号第一八四四頁以下所掲)であるが、この判決は、「引用発明の発明者が具体的に右化合物(被告代理人注。出願にかかる発明の化合物)を発見したものと認められず、またこれが右引用特許公報によつて公表されたものとも解されない」こと、ならびに引用例の化合物の作用効果は「殺虫作用、殺齧歯類作用及び殺菌作用を包含する一般的有害生物抑制作用を有する」のに対し、出願発明のそれは「他のクロール―4―ニトロフエニル化合物に勝るとも劣らない強い殺虫作用を有するばかりでなく、温血動物に対する毒性作用が著しく僅少である」ので、「温血動物に対する毒性の低下の要請への解決は、……それ自体独立した重要な技術的課題を構成する」との認定に基づき、引用例の発明が特定の「一般式を有する有機燐酸エステルの製法」であり、出願の発明は、「特定の構造を有する化合物を含有することを特徴とする、特定の効果を有する殺虫剤であつて、発明の範ちゆうを異にするものであるから、これを特許としても二重特許となるおそれがない」と判断した上で、本件出願の発明の殺虫剤が含有する化合物は前述のように引用特許明細書に一般式で示された上位概念のうちに包含されるものではあるけれども、該明細書のうちには具体的に明記せられず、かつ本件発明の殺虫剤は、該明細書の全然言及しなかつた独立の技術的課題を解決した別個の発明と解すべきものであるから、本件発明が含有する化合物を引用特許発明の製法による場合、両者の間には特許法七十2条にいう利用関係が成立するとしても、同一発明に対する二重特許のおそれがあるものとは、この点からもいわれない」と説示したものである。
従つて、この判決は、被告の上記した見解に沿うものであることはまことに明らかである。
その第二、は昭和三五年行(ナ)第一四二号昭和四五年九月一八日判決(無体財産権関係民事・行政裁判例集第二巻第二号第四五七頁以下所掲)であつて、引用発明が「殺草性促成物」であるのに対し、出願の発明は、除草効果だけでなく、「殺虫、殺菌及び殺ダニの効果をも兼ね備える」ものであり、出願の発明の「有害物抑制組成物は、引用発明の明細書のうちに一般式で示された上位概念に包含される化合物を有効成分とすることを特徴とするものであるけれども、引用発明の明細書は、具体的にはこの化合物を記載しておらず(かえつて、この化合物を好ましくないものとして排除する趣旨が窺われ、)かつ、前記の一般式において特定の位置における特定の基及び元素の組合せを選択することによつて殺草性に加うるに、殺虫、殺菌等の特徴ある性質を有することについて何ら言及するところがないのであるから、本件発明の化合物は、引用発明の明細書の記載から予測することのできないものであるというべきであり、このような特徴ある性質に基づいて、本件発明は、引用発明の予測しえなかつた新たな用途を開拓し、その使用範囲の拡大を図ることを目的とするものであるから、その技術的思想において、引用発明とは別個のものがあるといわなければならない」と判示したものである。
従つて、この判決もまた、被告の上記した見解に沿うものであるということができる。
すなわち、これら二つの判決の判旨は、いずれも、出願に係る発明の化合物が上位概念で表現される引例の化合物中に包含されるものであることを前提として、引例には出願発明の化合物の開示がないこと、出願発明は引例の発明の達成していなかつた別異の効果を達成したものであることの二点に基づいて、出願の発明を引例の発明とは同一発明ではないと判断したものである。なお、これらの判決を前掲の「有機化合物」の発明の同一性の審査基準に照して考えると、これらの判決は技術的効果の「質的」なちがいを引例発明と出願発明の間に認めたものと解される。
(二) そこで、原告の「(四)、概念の包含と新規性」の項の主張に対する被告の見解を述べることとする。
(1) まず、(1)の項で、原告は、審決の前提は「概念的包含関係+優れた効果の不存在→公知発明」ということであるが、「原告は、そもそもかかる前提の合理性を疑う。大体、効果の有無が新規性の一つの判断基準になるということは原告には理解のできないことである」というのである。
しかし、選択発明の特許性を判断する場合、こうした前提を採ることの合理性は、(一)項で詳述したとおりである。
(2) 次に(2)の項で原告は、「観念上は先行発明に含まれていてもその中の種々特殊有用な態様について別の発明は成立しうる。例えば、機械特許によくある『……おいて、……を特徴とする装置』などという形式のものはほとんどそうであるといつてよい。では化学の発明における目的物に限つて、先行発明の一般式の中に含まれる化合物は全て公知になつたと見做すべきであろうか」、という。
右の原告の主張はたとえば機械の特許発明の改良と化学発明における選択発明との本質的な性格の違いを看過している。原告の例示を少し正確にいえば、機械装置の発明においては、「A+Bにおいて、Cを備えたことを特徴とする装置」というような表現形式で発明が表現され、A+Bの構成で得られるXという技術的効果に加え、Cを備えたことによりX+Yという技術的効果が達成される。これに反し、
化学分野における選択発明のばあいは、前述のとおり、AとBとを反応させてCを得るという方法において、上位概念であるA、B、Cはそれぞれ下位概念としての化合物であるa1、a2、a3……、b1、b2、b3……、c1、c2、c3……を包含する。それ故、選択された方法はa1とb1とを反応させてc1を得るということであつて、これはAとBとを反応させてCを得るという上位概念による実現中に完全に包含され、前記例示した機械装置の発明におけるCという構成要素の付加がないのであり、通常はCによりもたらされるプラスYという効果を欠いているのである。
また、原告は、「式を書くことは容易である、何の裏付けもなしにどのような式でも書くことができる。式が公知になつたからといつて、その中に含まれるが、具体的開示のなかつた、性質も不明の厖大な化合物が全く公知になるはずがない」というけれども、公知文献が「何の裏付けもなしに」一般式で上位概念により化合物を示しているのであれば、発明として、あるいは技術として未完成ないし実施不能の部分をその公知文献が含んでいたというだけのことで、公知文献が具体的に開示していない化合物はすべて公知ではないというのであれば、上位概念で化合物を表現することが特許文献としても、技術学術文献としても、すべて無意味に帰するであろう。上位概念で化合物を表現することは、(何の裏付けもなしに書いたのであれば格別そうでないかぎり)、その概念に包含される多種多様な化合物にもその発明あるいは技術があてはまりうるであろう、という学問的常識ないし裏付けの下になされているのである。(にもかかわらず、化学の分野では、選択発明の特許性を論じざるをえない事情があることは前述したとおりであるが)。
更にまた、審決の見解は「いわゆる選択発明という慣行とも矛盾する」と原告はいうけれども、何ら矛盾しないことは(一)項に述べたとおりであり、また、原告は「本件の引用例たる刊行物がたまたま特許公報であつたために混乱を生じているように思われる」ともいうけれども、引例が特許文献であつても、技術文献であつても、選択発明の特許性は全く同様に考えざるをえないことは、やはり、(一)項で述べたとおりである。
(3) (3)の項で原告は、「現実の特許庁の実務が少数の具体例に基づいて相当抽象的な請求の範囲を容認する以上は、広い特許範囲を得ることに利益を見出し……、そのような特許権を取得しようとすることは発明者として自然な行為である。特許請求の範囲発明者に対しどこまで他人の無断実施行為を禁止する権限を与えるかという見地から作成され、そのようなものとして審査される」、と述べている。
しかし、特許庁の実務が上位概念で発明を表現することを容認しているのは、発明者や出願人の広い範囲で特許の独占権を享受したいという欲望を容認しているからではない。上位概念で表現された発明が発明の詳細な説明の項における開示で支持されていると認めるからなのである。いいかえれば、上位概念に包含される下位概念の化合物について具体例に示されたと同様の結果がえられるという経験則を前提にしているからなのである。
さらに進んで原告は「翻つて特許明細書が公知文献として読まれるとき、そこに記載された公知技術の範囲がかかる禁止権の範囲と一致しなければならないという理由は特許法上どこにも見出すことができない」、と述べている。しかし、被告は公知刊行物の特許明細書の開示した技術の範囲とその特許に基づく禁止権の範囲が一致しなければならない、などと主張したことはない。AとBとを反応させてCをうるという上位概念で表現された方法の発明について特許が成立している場合、それぞれに含まれる下位概念で表現されるaとbとを反応させてcをうるという方法の発明について特許が許可される場合は、二重特許、すなわち禁止権の重復が生じる、ということを指摘しているのである。
(4) (4)の項において原告は、「現行法上発明の公知とはそのとおりの発明が知られ、あるいは刊行物に記載されていたことでなければならない」、「同一性を厳格に解することが論理を明確にする。同一性を越える発明は二項によつて拒絶しあるいは無効にすればよい」という。その限度で原告の主張するところに誤りはない。ただ、上位概念である発明とこれに包含される下位概念で表現される発明は、後者が前者の一部をなす以上、前者と後者とが異なるとみることはできないし、特許法上は両者を同一と判断せざるをえないのである。引例明細書に上位概念で表現されていても、その中の具体的に開示された化合物だけが引例の開示した化合物であるとする原告の考えは誤つている。それ故、選択発明の特許性は、第29条第1項第3号新規性の問題であつて、同条第二項の進歩性の問題ではない。
(5) (5)の項で、原告は本件発明の目的化合物が新規物質であるから、「新規化合物に関する発明が新規性の欠如によつて特許性を否定されることはあり得ない」というけれども、引用例に開示されている化合物であれば、そもそも選択発明の特許性の問題は生じないこと前述のとおりであるから、原告の主張は理由がない。
(6) (6)の項で原告は、この点に関する原審決の説示を引用し、これを非難しているけれども、原告の主張は、結局のところ、選択発明の特許性に関する基本的な誤解に基づくものといわざるをえない。
(7) (7)の項で原告は、審決が包含関係があれば即公知という論理によらず、優れた効果のない場合に初めて同一という判断をしたとして、審決を非難しているが、これまた、原告の選択発明の特許性に関する基本的理解の欠如を示しており、選択発明の特許性の判断にあたり、効果の判断が必須であることは(一)項に述べたとおりである。
(8) 原告の(8)の項の主張も原告が選択発明の特質を無視する誤りを冒していることによることは、上述したところから明らかである。
(9) (9)の項において原告は、審決が「本件第一発明における前記一般式に含まれるカルボン酸成分と、化学構造上、近縁類似の関係にある」ものが引用例の中に開示されていることを考慮すると、「実質的にみても、本件第一発明における原料物質のカルボン酸成分は引用例の発明におけるそれに概念上包含されるということができる」と認定したことを非難し、「実質的にみても概念上包含される」とはどういうことを意図した表現なのかわからない」といい、また、どれほど「近縁」であろうとも、「発明の新規性を否定する根拠にはならない」と述べている。
何故、審決が「近縁」関係にある化合物が引用例中に開示されていることに言及したか、といえば、ひとつには、こうした「近縁」関係にある化合物が開示されている以上、引用例の発明の技術的範囲には本件第一発明におけるカルボン酸成分を用いる場合を包含すると判断され、従つて、引用例における発明未完成ないし、実施不能部分について本件第一発明がなされたとは判断できないので、引用例との関係において本件発明を特許することは単に形式的にみたばあいだけでなく、実質的にみたばあいでも、二重特許の問題が生じうるからである。(それに加えて、近縁関係にある化合物が公知文献中に開示されていた場合は、選択された化合物の選択の難易性の判断にも影響があると考えられるが、審決はその点は考慮していないようにみられる。)ここで審決が「概念上」といつたのは、上位概念下位概念との関係における概念からみて、という意味であり、そうした概念上の判断としても、
両概念の単なる形式的な比較だけでなく、実質的な比較を行なつたことを説示しているもので、その意味するところは、決して理解できないものではなく、その判断が逆に選択発明の特許性を考えるにさいし考慮すべき合理性を有することは前記したとおりである。
(10) (10)の項において原告は、東京高裁昭和三八年一〇月三一日判決と同昭和四五年九月一八日判決に言及しているが、これら二つの判決の趣旨ならびにこれらが被告の主張に沿うものであることは(一)(10)項で前記したとおりである。
これらの判決はいずれも「旧特許法時代の判決であり、新規性進歩性との区別がはつきりしていない」ことは原告のいうとおりであり、選択発明の特許性の判断は進歩性の判断であつて、新規性の判断ではないとする原告の主張を支持するものとは考えられない。
(11) 原告の(11)、(12)項の主張は、それまでの主張の結びであるので、その誤りも被告が前記したところから明らかである。
三 本件発明の効果に関する原告の主張について 次に原告は、「本件発明が引用発明より優れた効果を有しないとする審決の認定も誤りである」として、いくつかの理由をあげているが、それらはいずれも理由がない。以下に原告の主張に即して、逐一、反論する。
(一) 原告は(五)の(1)の項で、まず、「審決は本件特許に包含される九種の化合物それぞれの抗菌活性をアンピシリンのそれと比較した」が、「先ず問われるべきは何故アンピシリンと比べるか」であるといい、アンピシリンを比較の対象としてとりあげることには、
「アンピシリンが化合物として引用例に開示されていたか、及び、引用例の目的物質の一つの効果をもつて引用例そのものの効果とみなす根拠があるか」、という二つの問題点があるという。
(二) 原告は、(2)の項で、「審決がアンピシリンは引用例に開示されていると見てもいいとする根拠は、
1. 引用例の目的物質の一般式にアンピシリン(D(-)―a―アミノベンジルペニシリン)が含まれ、
2. DL―a―アミノベンジルペニシリンが引用例の実施例に記載され、
3. 引用特許明細書中に「本法ではD―及びL―型並びにDL―混合物を含むものとする」と記載されているからであるというけれども、これらはいずれも具体的な開示ではない」という。
しかし、前記2.、3.をあわせ読めば、ここにアンピシリンの具体的開示がないと解することがどうして可能であるか、被告は理解に苦しむ。原告は、「なるほど、引用例にはDL―a―アミノベンジルペニシリンが具体的に記載されている。
……しかし、単独のD、Lそれぞれの異性体については、何のデータも示されていない」といい、「明細書の中にはこの発明がDL型の他にD型、L型を含むという意図の表明もある」が「科学者はしばしばまだ完成されていない研究テーマについて語ることがあるが、そういう議論はスペキユレーシヨンと呼ばれ、発明発見とは考えられない」と述べている。しかし、D、Lそれぞれの異性体について開示があつたというためにはこれらの異性体についてのデータが示されることを要するとすべき何の根拠もない。
また、原告は「アンピシリン………引用例の出願時にはまだ存在しなかつた化合物であり」、「アンピシリンが初めて製造され、非常に優れた抗菌活性を有することが確認されたのは一九六〇年頃になつてである」という。しかし、ある物が開示されたかどうかは、その物が現実に製造されたかどうかとは関係ないし、ましてやその物の抗菌活性がいつになつて確認されたかとはまつたく関係がない。特許法上ある技術が開示されたかどうかとは、その技術が技術思想として当業者に自明に実施しうる程度まで具体的に公表されたかどうかであつて、その技術が現実に実施されていたかどうかは問うところではない。もしそうでないとすれば、ある技術思想が特許文献や学術文献に公表されていても直ちにこれらの文献をもつてその技術思想の開示があつたとみることが許されないこととなり、従つて、その都度その技術思想が現実にいつ実施されたかを調べなければならないこととなる。このことからみても、アンピシリンが引用例の出願時に存在していたかどうかが、本件特許の有効性の判断と関係ないことは明らかである。
また原告は、審決が「被請求人は第二答弁書第四〇頁下五行でアンピシリンが引用例である『甲第一号証の権利に含ま』れるという」と記載し、「それが何かの意味を持つかのように暗示する」けれども、「アンピシリンが引用特許の権利範囲に含まれるということと、アンピシリンが引用例によつて公知となつたか否かは別の問題である」という。しかし、二の(一)項で述べたとおり、選択発明の特許性を考える場合、公知文献が特許明細書であれば、二重特許の問題を考えざるをえないのであり選択発明に対する特許とは先行特許の技術的範囲に属する発明に対しあえてかさねて特許を許可するものである以上、先行特許発明技術的範囲に属する最良の技術と選択された技術とを比較するのがむしろ当然というべきである。そういう意味で、アンピシリンが引用例の権利に包含されるものと原告自身が理解していることは、アンピシリンを比較の対象とすべきか否かについて重大な意味を有するのである。(なお、「特許の権利範囲とは、幾つかの具体例に基いていわば任意に線を引き、自己の領界を設定したにひとしい。その中にどのようなものが潜められているか、線引きの時にはわからない」と原告は述べており、また、引用例の明細書中のD型L型を含むという記載は単なる「意図の表明」で発明発見とはいえないスペキユレーシヨンであるとの趣旨を述べている。そうであれば、引用例は特許請求範囲にかかる発明が、まだ、完成していないのに、単にスペキユレーシヨンで権利を求めたということを意味するであろう。引用例が原告自身の特許であることを考えると、こうした原告の発言は、原告会社自身の特許出願の姿勢について疑問を生じさせるものである。)。
(三) 次の原告は、原告自身が本件特許明細書中アンピシリンを比較の対象として選んだが、これは「ペニシリンGとの比較でもよかつたし、テトラサイクリンその他の異種の医薬との比較でもよかつた」と述べている。
しかし、選択発明について特許が許され得るのは、先行特許発明に概念上包含されながらも、なおかつ、先行特許発明の達成し得なかつた顕著な効果を達成するからであり、このためには先行特許発明の最善の実施形態と比較すべきことも前述したとおりである。
従つて、本件発明の特許性を考える場合、ペニシリンG等との比較が許されないことは当然であり、比較の対象はアンピシリンでなければならない(なお、アンピシリンは引用例の目的化合物中では、本件発明の目的化合物と化学構造的にもきわめて類似した、すなわち、OH基の有無の点だけにしか違いがない化合物であるから、その点からも、アンピシリンを比較の対象として選ぶことは発明者、科学者として、ごく自然であり、当り前のことである。)。
(四) 原告は、(4)の項において「開示の有無とは別に」、「アンピシリンという一つの化合物をもつて引用例を代表させる」理由がないとの趣旨を述べ、「二つのグループのある属性を比較するとき、その最高値をもつてすべきとする公理はない」とも述べている。
引用例と比較して顕著な効果を有するかどうかを判断するにあたり、引用例中最良の薬効を有するアンピシリンと比較するのが当然であることは前述したとおりである。
つけ加えていえば、原告は、本件発明において何が特許されているか、引用例において何が特許されているかを見誤つているようである。すなわち、本件発明については六種の化合物(原告は九種の化合物と述べているが、dl混合物は実際は物理的混合物にすぎないから、化合物としては六種とかぞえるのが正しいが、混合物を加えれば九種ということになる。
)の製法が一発明として特許されたのであり、一発明として特許されてはいるが、
その内容はそれぞれ可分な六種の化合物の各別の製法の集合体である。もし、その中の一種の化合物が引用例の化合物と比し、その薬効において劣つていれば、(本件発明のばあい、その他の構成要件には新規な特徴はないから)発明は全体として効果が劣つているということになり、全体として特許は無効とされることとなる。
これを避けるためには、その一種の化合物の製法を訂正審判により削除し、特許請求範囲を減縮すれば足りる。同じことが引用例の発明についてもあてはまるのであつて、引用例の発明も一発明として特許されてはいるが、その内容はそれぞれ可分な多種類の化合物の製法の集合体なのである。本件発明も、引用例の発明も、それぞれ可分な複数個の化合物の製法の発明であり、それぞれグループとしての属性を有するようなものではない。それ故、「二つのグループのある属性を比較するとき、その最高値をもつてすべきであるとする公理はない」と原告はいうけれども、
そもそも、本件発明の目的化合物を、また、引用例の発明の目的化合物を、グループとして考えること自体が間違つている。
(五) 原告は(5)の項で「仮にアンピシリンが引用例を代表するものであつたとしても、必ずそれより優れた効果がなければ発明とならないという審決の見解には同意できない」と述べている。
しかし、この原告の主張は選択発明の特許性に関する原告の基本的理解の不足から生じた誤りで、引用例の目的化合物の最善のものであり、また、化学構造上も近縁関係にあるアンピシリンと比較を行なうべきことの合理性は前述したとおりである。
(六) また原告は、「引用例と本件特許発明を比較する場合、本件発明の目的化合物を一つ一つとり出し、そのすべてが引用例(アンピシリンによつて代表される)より優れた効果を持つていなければならないというのは、正しい比較の方法であろうか、」とも述べている。
こうした審決の比較の方法が正しいこと、これを避けたいと思うのであれば、特許請求範囲を減縮すれば足り、他方、六種ないし九種の化合物のグループとしての薬効の平均値などというものは実際問題として測定しうるものでない。
(七) 原告はまた(7)の項において、「抗菌活性の試験データに関する見方も誤つている」と主張する。
その第一は、DL―パラ―ヒドロキシ化合物及びDL―メタ―ヒドロキシ化合物の生体内活性についてのデータを採用しなかつたことをあげているが、審決は、この生体的活性CD50の試験では「対象の菌が各二種と少なく試験範囲が限られており、他方、甲第二号証(本件訴訟における甲第九号証)の『第1表』の試験及び甲第六号証の二(本件訴訟における甲第一二号証)における試験では各五種の菌と、いずれも対象の菌の種類が本件特許明細書の試験におけるよりも多く、それだけ試験範囲が広いのであつて、加うるに、甲第二号証及び甲第六号証の二の試験結果が本件特許明細書のそれよりも時期的に後に得られたこと」を考慮して「CD50試験結果は、前記反対の認定判断をくつがえすに足りるものとは」認められないとしたもので、その判断は合理的である。つけ加えていえば、原告のいう生体的活性がすぐれているというのも、おおむね二倍(ないし1/2倍)の範囲内の数値であつて、この実験に用いられるバクテリアが本来変化しやすく、投薬量や試料の濃度に広いギヤツプがあるので、意義ある程度の差異とはみられないこと、審判請求書で被告が述べたとおりである。
また原告は、「審判請求人の薬効に関する主張は、原告の研究者自身の報告に基づくか……原告の研究結果を請求人の弁護士達がまとめたものに過ぎない」というけれども、この種の実験結果については、実験条件のちがいや方法の上手下手等により違つた数値がえられがちなものであり、そのため、数値のくいちがいをどう評価するかが争いになりやすい。この種の争いを避けるため、原告が争いようのない原告自身のえた数値に基づき被告は議論を進めているものであり、原告の非難は全くいわれがない。
最後に、原告は「オルト・ヒドロキシ化合物についていうとこの物が一般的にパラ及びメタ化合物よりも薬効が劣つていることは事実である」と認めた上で、「しかし、……少くともサルモネラ―テイフイムリウムについての皮下投与(注射)試験に関しては、引用例に開示された化合物のうち最高の薬効を示すDL―a―アミノベンジルペニシリンよりもよい結果が出ている」とし、甲第一〇号証の付表への35対27という数値をあげている。しかし、アンピシリンでなく、DL―a―アミノベンジルペニシリンと比較することが誤りであり、かつ、35対27という数値は前述したとおりの生体的活性試験の有する必然的な結果のばらつきからみて、
何ら有意の差ではない。そもそも本件発明の目的化合物中オルト・ヒドロキシ化合物は、原告が指摘する唯一の数値を除けば、あらゆる点で、最少抑止濃度(MIC)をとつてもCD50をとつても、アンピシリンはもちろん、DL―a―アミノベンジルペニシリンと比較してさえ、試験されたすべてのバクテリアに対し、大いに活性が劣つているのであり、到底引用例の一般式に包含される化合物中の「グラム陰性菌に対する活性に関し、特に望ましい性質を有する」ものとして本件特許明細書にうたわれたような性質を有するものではない。こうした化合物を目的化合物として包含することだけをとらえても、本件発明の目的化合物が「全体として」その薬効に関し引用例のそれよりもすぐれていないと判断しうるものであり、また訂正審判により特許請求範囲が減縮されない限り、そう判断して本件特許を無効とすべきことは前述したとおりである。
理 由一 原告の請求の原因及び主張のうち一ないし三の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで本件審決にこれを取消すべき違法の点があるかどうかについて考える。
(一) 本件第一ないし第三発明が化学方法(原料物質、反応様式、目的物質)全体として、概念上引用例の発明に包含されること、すなわち、本件第一ないし第三発明と引用例の発明とは概念上下位と上位の関係にあることは審決(成立について争いのない甲第一号証)のいうとおりであり、原告もこのことを認めている。
(二) 原告は、審決が、(イ) 本件発明は概念上引用例の発明に包含される、
(ロ) 本件発明の目的物質の効果は引用例のそれよりも優れていない、との二点を理由として、本件発明は引用例の発明と同一であるとした点を非難し、先ず、引用例の特許請求の範囲の記載は甚だ広汎であり、その中に含まれる具体的な化合物の数はほとんど無数といつてよく、引用例によりその化学式が公知になつたからといつて、その中に含まれはするが、具体的開示のない、性質も不明の厖大な化合物が全て公知になるはずがなく、本件発明に包含される九種類の化合物は引用例には記載されていないから、本件発明が概念的には引用例の発明に包含されても、引用例とは異なる新規な発明とすべきであり、これを特許法第29条第1項3号により引用例の発明と同一であると判断した審決は誤つている旨主張する。
しかしながら、特許出願に係る発明が、先行の公知となつた特許明細書に記載された発明に包含されるときは、その出願発明がいわゆる選択発明として特許され得る場合を除き、特許法第29条第1項第1号又は第三号により、特許を受けることができないものと解するを相当とする。けだし、特許出願に係る発明の構成要件が、既知の文献又は特許明細書に記載された発明にその下位概念として全部包摂されるときは、原則として同一発明として特許を受けることができないというべきであるが、しかし、先行発明には具体的には開示されていない選択肢を選び出し、これを結合することにより先行発明では豫期できなかつた特段の効果を奏する発明に特許を与えることは、発明を奨励し、産業の発達に寄与することを目的とする特許法の精神に合致するから、形式的に二重特許になる場合であつても、右のような選択発明に特許を与えることを否定すべき理由はないからである。
従つて、本件発明は引用例に包含されるとし、本件発明の効果を引用例のそれと比較したうえで、本件発明は選択発明になるかどうかを判断した審決の考えには誤りはない。
右に関連して、原告は、審決は(イ) 本件発明は概念上引用例の発明に包含される、(ロ) 本件発明の効果は引用例のそれよりも優れていない、との二点を理由として、本件発明は引用例により、公知となつたと判断した(審決書第一六丁裏第一ないし第七行)が、引用例により公知になつたのは式だけであり、式が公知になつたからといつて、その中に含まれるが、具体的開示のなかつた、性質も不明の厖大な化合物が全て公知になるはずがない旨主張するが、しかし、審決は、右(イ)、(ロ)の理由により本件発明が引用例により公知となつたと判断したものではなく、右(イ)、(ロ)の理由により、本件発明には選択発明として特許を与えるべきものではなく、結局本件発明は引用例の発明と同一であるといわねばならないとしたものであることは審決全体の趣旨から明らかであるから、原告の前記主張は理由がない。
原告は、また、特許権の禁止権の範囲と、公知文献としてのその特許明細書に記載された公知技術の範囲とは一致するものではなく、特許請求の範囲が抽象的で広範囲の場合には前者の方が後者よりも広く、発明者としては禁止権の範囲の広いものを得ることに利益を見出すとの趣旨の主張をするが、しかし、特許権の禁止権の範囲と、公知文献としてのその特許明細書に記載された公知技術の範囲は、特許請求の範囲に記載された事項に関しては(特許明細書には往々にして特許請求されない技術的事項についても記載されていることがあるが、この場合は別として)一致すべきものである。ただ、他人の選択発明に対して、特許権の禁止権が及ぶかどうかの問題はありうるが、これは利用発明の問題であつて、本件とは関係がない。原告の主張は理由がない。
原告は、さらに、本件発明が引用例と同一であるならば、効果は必然的に同一であるはずであり、それ以上本件発明の効果を論ずることはできない旨主張するが、
しかし、先行発明の下位概念に属するものでありながら、上位概念に属する発明からは期待することのできなかつた効果を生ずるものに特許を与えようとするのが選択発明の問題であるから、本件発明が右のような効果を生ずるものであるかどうかを論ずるのは当然のことである。原告の主張は理由がない。
(三) 原告は、審決はアンピシリン(D(-)―a―アミノベンジルペニシリン)が化合物として引用例に開示されているとし、本件発明に包含される九種の化合物それぞれの抗菌活性をアンピシリンのそれと比較しているが、引用例にはDL―a―アミノベンジルペニシリンは具体的に記載されているけれども、単独のD、
Lそれぞれの異性体については何のデータも示されていないから、アンピシリンは引用例に具体的に開示されていなかつたばかりでなく、引用例の出願時には存在しなかつたものであり、アンピシリンが初めて製造され、優れた抗菌活性を有することが確認されたのは一九六〇年頃になつてである旨主張する。
しかしながら、引用例(成立について争いのない甲第三号証)には、a―アミノベンジルペニシリンが具体的に開示され(第一頁右欄下から三、二行、第四頁例一一)―この光学的異性体の一であるDL―a―アミノベンジルペニシリンが引用例に具体的に開示されていることは、前記のように、原告もこれを認めるところであるー、さらに、光学異性体が存在する場合には「D―及びL―型並びにDL―混合物を含む……」との記載(第二頁左欄第一五、一六行)があるところからすると、
引用例にはD(-)―a―アミノベンジルペニシリン(アンピシリン)についても具体的に開示されているものとみることができる。けだし、特許法は、特許請求の範囲に包含される全ての化合物について、一々実施例を示して具体的に開示すべきことを求めているわけではないから、単独のD、Lそれぞれの異性体について具体的なデータが示されていないからといつて、D―型、L―型のa―アミノベンジルペニシリンについて開示がないものとすることはできないからである。また、アンピシリンが初めて製造され、優れた抗菌活性を有することが確認されたのが、仮に、原告の主張するように、一九六〇年頃になつてからであるとしても、そのこととD(-)―a―アミノベンジルペニシリン(アンピシリン)が引用例に開示されていたかどうかとは関係のないことである。
(四) 原告は、引用例に含まれる化合物の薬効と本件発明に含まれる化合物の薬効とを比較する場合、その各グループに属する最高の薬効をもつものを対象とすべきであるという理由はなく、特に反対の事情のない限り、薬効の平均値をもつてすべきが当然であり、審決の論理をもつてすれば、引用例の化合物中最高の薬効をもつアンピシリンと本件発明に係る化合物中最高の薬効をもつアモキシシリンとを比較すべきであつた旨主張する。
しかしながら、引用例に含まれる化合物は、原告も自認するとおり、ほとんど無数といつてよいほどのものであり、その薬効の平均値を見出すことはおよそ不可能であるといわなければならず、また、特許請求の範囲に含まれる化合物は、明細書中の実施例中に具体的に開示された化合物に限られるものとすることもできないから、明細書に開示された具体的な化合物の平均値たる薬効をもつて比較の対象とすべきであるとすることもできない。
審決は、本件発明の目的物質に属する九種の化合物のうち、l―パラヒドロキシ体はともかく、残りの八種のいずれもが、グラム陰性菌に対する抗菌活性においてアンピシリンよりも優れていないから、本件発明の目的物質の薬効は、全体として、引用例の目的物質のそれよりもすぐれていないものと判断(審決書第九丁表第八行ないし第一二丁第二行)したのであつて、審決の右判断は審決の挙示する各証拠(本件甲第九号証、第一一号証、第一二号証)によつても、これを是認することができる。
右に関連して、原告は、また、本件明細書にはDL―パラ―ヒドロキシ化合物及びDL―メタ―ヒドロキシ化合物の薬効がアンピシリンより優れていることの記載があるにもかかわらず、審決はこのデータを採用せず、甲第九号証、第一二号証に記載された生体外試験により、双方共アンピシリンより優れていないと結論したが、生体外試験の結果は生体内試験の結果と必然的に結びつくものではなく、反証なき限りは生体外試験を生体内試験に代るものとして扱うというのはいいが、本件では原告が反証として生体内試験の結果(甲第一九号証―審判事件における乙第一八号証)を提出しており、比較に際しては生体内試験を重視するのが常識であるのに、審決はこれを無視して生体外試験結果を採用したものであつて、当を得ず、かつ、DL―パラ―ヒドロキシ化合物及びDL―メタ―ヒドロキシ化合物の生体内活性はアンピシリンのそれとほぼ同等であるが、細菌に対する殺菌速度においてアンピシリンよりも優れている旨主張する。
しかしながら、成立について争いのない甲第一九号証には、本件発明に含まれる四種の化合物の二種の菌に対する、同じく本件発明に含まれる一種の化合物の一種の菌に対する、それぞれの有効性の生体内試験の結果が示されているのみであるから、審決が本件特許明細書に記載されている生体内試験の結果について判断したのと同様、それ試験結果から直ちに本件発明の目的物質が抗菌活性において優れているものとすることはできず、審決が対象の菌の多い甲第九号証、第一二号証に記載の生体外試験の結果を採用して結局本件発明に係る化合物の薬効はアンピシリンよりも優れていないとした点に誤りはない。原告の主張は、理由がない。
原告は、さらに、本件発明に係る化合物中に、引用例中の最高峰ともいうべきアンピシリンの薬効とほぼ同等の薬効をもつ化合物が含まれるならば、それ自体で本件発明は特許性あるものとすべきである旨主張する。
しかし、本件発明は、原告が主張するような薬効をもつ化合物のみに関する発明ではないから、本件発明の効果は全体として引用例のそれに比して特段のものではないとした審決の判断には誤りはない。
(五) 原告は、フエニル性ヒドロキシ基を有するカルボン酸と6―アミノペニシラン酸の反応は本件特許出願前に引用例には勿論のこと、どこにも記載されていなかつたし、また、フエニル性ヒドロキシ基が反応し易い基であることから、引用例の方法が本件発明にそのまま適用できるとは予想できない意外性を有する旨の主張をする。
しかしながら、引用例第一頁右欄下から九行及び第六頁右欄第二四行には、6―アミノペニシラン酸と反応させるのに使用するカルボン酸の具体例としてチロシン<12257-023>が開示されており、一方、本件発明で用いるカルボン酸は式<12257-024>で表わされる化合物であるから、いずれもフエニル性ヒドロキシ基をもつカルボン酸であり、その構造自体も極めて類似していることが明らかである。そうすると、
引用例にはフエニル性ヒドロキシ基が何の影響も受けることなく、それを含有するカルボン酸(チロシン)と6―アミノペニシラン酸との反応が進行することが開示されていると解することができる。原告の主張は理由がない。
三 以上のとおりであつて、本件第一ないし第三発明は引用例に概念上包含され、
かつ、その効果は引用例の効果よりも優れていないから、本件各発明は引用例に記載された発明と同一であり、本件特許は右三個の発明について特許法第29条第1項の規定に違反してされたもので無効であると判断した審決に違法の点はないから、その取消を求める原告の請求を棄却し、訴訟費用は敗訴の当事者である原告の負担とし、上告についての附加期間を九〇日と定めるのを相当と認めて、主文のとおり判決する。
裁判官 杉本良吉
裁判官 高林克巳
裁判官 舟橋定之