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審判番号(事件番号) データベース 権利
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平成19行ケ10429審決取消請求事件 判例 特許
関連ワード 発明者 /  物の発明 /  製造方法 /  29条1項3号 /  頒布された刊行物 /  容易に実施 /  物質発明 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  上位概念 /  出願公開 /  実施可能要件 /  技術常識 /  発明の詳細な説明 /  参酌 /  置き換え /  不存在 /  実施 /  設定登録 /  拒絶査定不服審判 /  拒絶査定 /  訂正の目的 /  請求の範囲 /  合理的な理由 /  異議申立 / 
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事件 平成 17年 (行ケ) 10205号 審決取消請求事件
原告 イナルコエス.ピー.エー.
訴訟代理人弁護士 矢花公平
訴訟代理人弁理士 平木祐輔
同 大屋憲一
同 田中夏夫
被告 森永乳業株式会社
訴訟代理人弁護士 美勢克彦
訴訟代理人弁理士 西澤利夫
裁判所 知的財産高等裁判所
判決言渡日 2006/02/16
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 1 特許庁が無効2003−35028号事件について平成16年3月2日にした審決を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告 主文と同旨 2 被告 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 被告は,発明の名称を「結晶ラクチュロース三水和物とその製造法」とする特許第2848721号の特許(平成3年8月9日特許出願(以下「本件出願」という。),平成10年11月6日設定登録。以下「本件特許」という。請求項の数は3である。)の特許権者である。その後,原告から平成11年7月19日付けで特許異議の申立て(平成11年異議第72748号)がされたところ,同申立てについての審理において被告から平成12年1月17日付けで訂正請求がされ(以下,この訂正請求に係る訂正を「本件訂正」といい,同訂正後の明細書を「本件明細書」という。),同年6月6日付けで「訂正を認める。本件特許の請求項1ないし3に係る特許を維持する」旨の異議決定がされた。
原告は,平成15年1月30日,本件特許の請求項1ないし3に係る特許を無効にすることについて審判を請求した。
特許庁は,この請求を無効2003-35028号事件として審理し,その結果,平成16年3月2日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は,同月12日に原告に送達された。
2 特許請求の範囲 本件明細書の特許請求の範囲の記載は,次のとおりである。
【請求項1】C12 H22 O11 ・3H 2Oの分子式を有する結晶ラクチュロース三水和物。
【請求項2】次の理化学的性質を有する請求項1記載の結晶ラクチュロース三水和物, 1)元素分析 炭素:水素:酸素のモル比率が12:28:14であること, 2)分子量 氷点降下法で測定した分子量が396ダルトンであること, 3)水分 カールフィッシャー法で測定した水分含量が13.6%(重量)であること, 4)融解開始点 キャピラーリー式で測定した融点開始点が58〜60℃であること,および 5)比旋光度 変旋光を示すが,平衡時1%(重量)水溶液を20℃で測定した比旋光度が-43.1±0.3°であること。 【請求項3】固形分中無水ラクチュロース換算でラクチュロースを70〜90%(重量)の割合で含有するラクチュロース・シロップを,このシロップに含まれている乳糖の水中糖比,および全固形分含量がそれぞれ10%(重量)以下および65〜75%(重量)の範囲に濃縮し,濃縮したシロップを2〜20℃の温度に冷却し,ラクチュロース三水和物を種晶添加し,攪拌して結晶ラクチュロース三水和物を生成させたのち,この三水和物を分離することを特徴とする結晶ラクチュロース三水和物の製造法。 (以下,請求項1ないし3に係る各発明を,請求項に対応して「本件発明1」などという。なお,下線部は,本件訂正による訂正箇所である。請求項2の1)には,「モルヒ率」と記載されているが,「モル比率」の誤記と認める。) 3 審決の概要 別紙審決書写しのとおりである。要するに,審判手続において,原告(請求人)が,本件発明1ないし3は,特許法29条1項3号(平成11年法律第41号による改正前のもの。以下,同改正前の29条の規定を「旧29条」という。),特許法29条2項に違反して特許されたものであり,また,特許法36条4項又は5項及び6項(平成6年法律第116号による改正前のもの。以下,同改正前の36条の規定を「旧36条」という。)に規定する要件を満たしていない特許出願に対して特許されたものであるから,無効とすべきものである旨を主張したのに対して,審決は,本件発明1ないし3は,本件出願前に頒布された刊行物の記載に基づいて当業者が容易に発明できたものとはいえず,本件明細書の記載に不備があるということもできないから,本件発明1ないし3に係る特許を無効とすることはできないとするものである。
原告主張の審決取消事由の概要
原告は,概要,次のとおり,審決が本件明細書に特許法旧36条4項又は5項及び6項の規定に違反する不備がないと判断したことは誤りであり(取消事由),その結果,本件発明1ないし3に係る特許を無効とすることはできないとの誤った結論に至ったものであると主張している。なお,原告は,審決の判断のうち,本件発明1ないし3が特許法旧29条1項3号,29条2項に違反して特許されたものとはいえないとの部分については,特に争っておらず,取消事由を主張していない。
1 本件明細書には,ラクチュロース三水和物の製造法の再現に必須であるラクチュロース三水和物をどのようにして初めて得るかについての情報が欠けている。
(1) 審決は,本件明細書の段落【0012】の記載によれば,三水和物を析出させるための多くの情報が明らかにされているとして,「このような条件を満足する処理を行えば,ラクチュロース三水和物が生成することは,‥‥‥明らかなことである。」(審決書6頁15行〜21行)とするが,誤りである。
化学物質発明においては,発明の詳細な説明に,化学物質の製造方法が少なくとも一つ記載されていなければならず,その製造方法は,原料物質,製造条件及び場合によっては製造装置等必要な事項と共に当業者が容易に実施できる程度に記載されていなければならない(甲9〔特許庁「物質特許制度及び多項制に関する運用基準」昭和50年発行〕)。
本件明細書の実施例には,新規物質であるラクチュロース三水和物を製造するのに,当該新規物質を種晶として用いる方法が記載されており,原料物質となる結晶ラクチュロース三水和物が,既に得られたことを前提としているが,原料結晶ラクチュロース三水和物をどのようにして最初に製造するかについての具体的な情報は,本件明細書には存在しない。
ラクチュロース三水和物の製法が示唆されていると審決のいう本件明細書の段落【0012】は,本件訂正の結果,種晶として添加するラクチュロースはラクチュロース三水和物に限定され,ラクチュロース無水物を種晶としてラクチュロース三水和物を製造するための方法は削除された(甲3,乙18)。この訂正の目的は,結晶ラクチュロースを種晶として濃縮ラクチュロース溶液からの結晶化による結晶ラクチュロースの調製法を記載する公知文献(甲12〔欧州特許出願公開第318630号明細書〕)との相違を明確にするためであった。また,被告は,異議意見書(甲10)において「ラクチュロース三水和物は,ラクチュロース三水和物の結晶核が存在しないと容易には結晶しない性質を有しております。」,「本件特許権者らは,種々の実験を行い,特定の条件下で比較的長時間をかけて結晶化を行うことにより,初めて結晶ラクチュロース三水和物を取得することに成功し」たと主張しており,これは,訂正後の段落【0012】に記載された条件に従ってラクチュロース無水物から結晶ラクチュロース三水和物が容易に得られるものではないことを明らかにしている。訂正後の段落【0012】によれば,公知の市販されているラクチュロース無水物結晶が種晶として使用できることが示唆されているとの審決の解釈も誤りである。
(2) 審決は,「請求人は,「結晶化の種は,それ自身とは異なるものではない,同じ形において結晶化を促進することが通常期待されます。」‥‥‥とも主張するが,かかる主張は甲第9号証(判決注:本訴における甲4)の実験1においてラクチュロース無水物からラクチュロース三水和物を得たという請求人自身の実験結果に矛盾するものである。」(審決書8頁5行〜9行)としているが,誤りである。
特定の製品の種晶は,同じ結晶形にある同じ製品の結晶化を促進することが技術常識であり,異なる結晶形の特定の製品の種晶が異なる製品の結晶化を促進すること,すなわち,不規則な形のラクチュロース無水物を種晶として菱形のラクチュロース三水和物の結晶化を促進させることは,技術常識に反する。
甲4(P1教授の第2宣誓供述書)において,ラクチュロース無水物から特定の実験条件で少量のラクチュロース三水和物が生成されたという事実は,当業者が同じ形の種晶で同じ形の結晶の結晶化を促進することを期待するか否かとは無関係である。
(3) 被告は,当業者が,ラクチュロース三水和物に最も近く,市販されているラクチュロース無水物を種晶として使用することは当然であると主張するが,ラクチュロース三水和物とラクチュロース無水物とは化学・物理学的特徴において大きく異なり,これら2つの化合物の間に類似点は存在しない。このような両者の間の相違を知る当業者が,ラクチュロース三水和物以外の種晶を記載していない本件明細書を読んだ場合,直ちにラクチュロース無水物を代わりの種晶として採用し得ると考える合理的な理由は存在しない。
(4) 一般に結晶の種付けは,自然発生的な結晶化が困難あるいは不可能な場合に採用され,この場合,同じ物質の結晶を種晶として使用すべきことを当業者は了知している(甲22〔Enciclopedia Della Tecnica E Della Meccanica, 362-363〕,甲23〔Enciclopedia Della Scienza E Della Tecnica, 642-643〕)。甲24(J. Colloid Interface Sci., 186, 102-109(1997))は,異核形成(タイプAの異なる種晶を使用してタイプBの結晶を得ること)は複雑な現象であり,現実の結晶化の可能性は,関係する2つの結晶の表面特性(格子不整),結晶化の自由エネルギー,核と結晶化媒体の間の界面張力,結晶性沈殿物と異種固体基質との間の接触角,沈殿の誘導時間などの多くの要素の相互作用に依存することを示している。ラクチュロース無水物を用いて溶液の過飽和及び種付けをし,これとは異なるラクチュロース三水和物を得ようとする場合に,どのようにして,無水物を水に溶解させ,三水和物を結晶化させて回収するのかは,自明とはいえない。ラクチュロースに加えて多様な不純物及び全糖類の4分の1を占める他の糖類を含有する濃縮した未精製のシロップからラクチュロース三水和物を選択的に沈殿させなければならない場合,三水和物種晶を異種の種晶で置き換えることは,当業者が異種物質の沈殿をおそれて躊躇することである。本件明細書は,ラクチュロース三水和物の結晶構造には触れていないから,ラクチュロース無水物が種晶の候補となり得るかどうかについて評価する手段を当業者に提供するものではない。
2 本件明細書の実施例を基礎にして,本件出願時に入手可能であったラクチュロース無水物を種晶に使用してラクチュロース三水和物を得ようと試みても成功することはできず,種晶として使用されるラクチュロース三水和物の不存在下においてラクチュロース三水和物を得るための正しい条件を見いだすことには,過度の負担を要する。
(1) 審決は,被告の提出に係る実験成績証明書である甲5,6(審決における乙1,乙4)に記載の実験において使用された種晶について,「いずれの種晶の製品もCALBIOCHEM社によりラクチュロース無水物として市販されているものである」ことを前提に,甲5,6を採用して,「市販のラクチュロース無水物を種晶として用いて実施例1とほぼ同一の条件で実施すれば,ラクチュロース三水和物の結晶が得られるものと認めることができる。」(審決書7頁21行〜23行)とするが,誤りである。
甲5,6に記載された実験において使用されたCALBIOCHEM社のラクチュロース無水物は,本件出願当時入手可能でなかった99%純粋なラクチュロース無水物である。CALBIOCHEM社は,1997年にグリコバイオロジー・ラインの試薬(ラクチュロース無水物が属する)の販売を開始したものである(甲16の1〜3)。
また,本件出願時において純粋なラクチュロース無水物の結晶は,アルコール類(メタノール,エタノール等)で処理した水性シロップの選択的晶析によって得られていた。水/エタノールから結晶化されたラクチュロース無水物は,α-フラン形並びにβ-ピラン及びβ-フラン形の混合物であるのに対し,CALBIOCHEM社のラクチュロース無水物は,ほとんど100%β-フラン形で存在する。したがって,甲5,6の実験で使用されたラクチュロース無水物は,本件出願当時に入手可能であったラクチュロース無水物の結晶とは化学的に異なるもので,本件出願時には入手できなかったものである。原告は,被告の上記実験を繰り返し,結晶化が起こらないことを確認している(甲8)。
本件明細書の実施例1の条件に正確に従い,かつ,水/エタノールからの沈降によって得られたラクチュロース無水物を種晶として使用すると,ラクチュロース三水和物の結晶はできない(甲14の1〜5〔P1教授の第4宣誓供述書〕)。
(2) 審決は,甲4記載の「実験1」について「「実験1」で採用された条件は,例え,境界にあるとしても,突飛もない条件であるということはできず,むしろ,上記段落【0012】の記載は,ラクチュロース三水和物を析出させるために必要な各種の実質的な条件を示唆しているといえるのであり,かかる記載等に基づいて「実験1」の条件を選択することは当業者にとって過度の負担であるということはできない。」(審決書6頁33行〜38行)とするが,誤りである。
本件特許に対する特許異議の申立てについての審理手続において提出された引用例(甲12)の実施例について,異議決定は,「甲第1号証(判決注:本件訴訟における甲12)の引用実施例には,種晶の具体的な形状,種晶の懸濁状態,攪拌条件等の細部については具体的に記載されていないことから,該実施例に対して多数の追試が想定されるのであり,これを考慮すると,その想定される多数の追試の中から,三水和物を生成しうる特別の条件を選択して三水和物の結晶が得られるとしても,その引用実施例で既に三水和物結晶が得られていたとまではいうことができない」と判断したのであり,この判断に従えば,本件特許の実施例にも種晶の具体的な形状,種晶の懸濁状態,攪拌条件等の細部については具体的に記載されていないから,甲4の「実験1」の条件を選択することは,当業者にとって過度の負担と判断されるべきである。
本件明細書の段落【0012】の記載によれば,全固形分含量の境界値である65%の場合には収率が低いと予想され,好ましい種晶ではないラクチュロース無水物が種晶として使用されると収率がさらに低下することが予想される。また,実施例1,2では,「攪拌しながら7日間を要して5℃まで徐々に冷却して,三水和物の結晶を生成させ」ていることから,本件発明の効率は冷却速度に厳格に依存する。したがって,甲4の「実験1」は,本件明細書が実施可能であると教示している条件とは一致しない,3つの好ましくないパラメータ,すなわち,種晶としてのラクチュロース無水物の選択,許容される最低限の全固形分含量,混合物の急冷を組み合わせたものである。このような条件は,成功への期待を最低レベルにするものであって,当業者が最後に試みる条件である。
被告の反論の概要
審決の認定判断に誤りはなく,審決を取り消すべき理由はない。
1 本件明細書には,ラクチュロース無水物を種晶としてラクチュロース三水和物を得ることが記載されている。
(1) 本件出願前には,ラクチュロースといえば,ラクチュロース無水物しか存在しなかった(本件明細書(甲3)の段落【0001】【0007】【0009】,乙14〔Milk Science, Vol.50, No.2, 39-47(2001)〕,乙9〔Merck社の1990/91カタログ〕)から,単に「ラクチュロース」といえばラクチュロース無水物のことしか意味しない。したがって,本件明細書(甲3)の段落【0012】の「‥‥‥ラクチュロースを種晶添加し,攪拌して結晶を析出させる。」の記載を読んだ当業者は,文字どおり,ラクチュロース無水物を種晶添加すると理解するのであり,この記載は,ラクチュロース無水物を種晶としてラクチュロース三水和物が得られることを明記している。上記記載に続く,「種晶添加(シーディング)するラクチュロースは,三水和物を使用する」との記載は,工業的に,短時間,確実,大量にラクチュロース三水和物を得るには,実施例記載のとおり,ラクチュロース三水和物を種晶として使用するという意味である。仮にそうでなくとも,本件明細書(甲3)の段落【0001】の定義規定,段落【0012】全体の記載に照らして,段落【0012】の上記の「ラクチュロースを種晶添加し,」との記載における「ラクチュロース」を,ラクチュロース三水和物とラクチュロース無水物を包含する上位概念と解するのであり,ラクチュロース三水和物のみを意味すると解さないことは明白である。
(2) 仮に,本件明細書の段落【0012】の上記の「ラクチュロースを種晶添加し,」との記載における「ラクチュロース」をラクチュロース三水和物と読んだとしても,また,実施例にラクチュロース三水和物を種晶として使用することが記載されていても,種晶として使用するラクチュロース三水和物がないのであれば,当業者は,従来唯一知られているラクチュロース無水物を種晶として使用することは当然である。
(3) ある物質を溶液から結晶として析出させるためには,過飽和溶液の状態である必要があり,過飽和溶液の状態にあれば,過飽和度の程度,結晶化時間,種晶の有無等の影響を受けるが,結晶として析出し得る。本件明細書の実施例1〜3には,ラクチュロース三水和物を過飽和にする条件が記載されているのであり,ラクチュロース三水和物を析出するための諸条件が余すところなく記載されていることは,当業者が直ちに認識する。しかも,本件明細書の実施例1〜3における析出条件は,従来公知のラクチュロース無水物を得るための発明(乙33〔特開平2-200693号公報〕,乙34〔特開平1-153692号公報〕,乙35〔特開昭61-104800号公報〕)における条件と異なるから,本件明細書を見た当業者は,実施例に記載された溶液中にラクチュロース無水物を種晶として添加しても,ラクチュロース無水物は結晶として析出せずラクチュロース三水和物が析出すると予想し,実施例1〜3記載の溶液は,結晶として析出するきっかけさえあればラクチュロース三水和物が析出することを直ちに認識する(乙20,乙36陳述書)。ラクチュロース三水和物を有しない当業者が,ラクチュロース分子として等しく,得られる結晶において異物ともならないラクチュロース無水物を種晶として添加することは当然の帰結である。なお,乙21(Bulletin of the International Dairy Federation, 289, 43-53, 1993)のラクチュロース無水物とラクチュロース三水和物の溶解度を示す図からは,20℃以下ではラクチュロース三水和物の溶解度が低く結晶化するが,ラクチュロース無水物は溶解度が高いので結晶化しない,あるいは溶解していることが分かる(乙20,乙23) (4) 種晶には目的物質と同じ物質を使用することが多いが,同じ物質でなくとも既に過飽和状態にある溶液が種晶として添加された物質をきっかけとして結晶化することは,当業者に広く知られている(乙2〔報告書〕,乙11〔大木道則他編「化学大辞典」東京化学同人,1989年10月20日,1352頁〕,乙12〔小野周他編「ソビエト科学アカデミア版 物理学事典」明治図書出版,1982年5月,192-193頁〕,乙13〔A dictionary of Chemical Terms,(1920)p.54〕)。ラクチュロース三水和物を種晶としてラクチュロース三水和物を得るとの記載に接した当業者が,ラクチュロース三水和物を有しない場合にそのまま実施不能になることはあり得ない。
原告は,ラクチュロース無水物とラクチュロース三水和物とは「結晶形」が相違するから,当業者は,ラクチュロース三水和物に代えてラクチュロース無水物を種晶として使用しないと主張するが,当業者は新規物であるラクチュロース三水和物の結晶形など分からないし,種晶となり得るか否かは外観のみからでは分からない。
現に,原告は,特許異議手続,無効審判手続の過程では,種晶としてラクチュロース無水物を使用している甲12において,ラクチュロース三水和物が得られていると主張していたのである。
2 本件明細書の記載に基づいて実際にラクチュロース無水物を種晶として使用しても,ラクチュロース三水和物が得られることは,追試実験(被告による甲5,6,原告による甲4)からも裏付けられる。
(1) 原告は,甲5,6で使用したラクチュロース無水物は本件出願時に市販されていなかったと主張するが,この点を問題にすることは,無効審判手続における争点を超えるものであるばかりでなく,甲5,6で使用したラクチュロース無水物は本件出願当時から現在に至るまで,Merck KGaA(メルク社)が一貫して製造し,販売してきた試薬である(乙7〜10)から,原告の主張は誤りである。
また,原告は,甲14により,@本件出願当時販売されていたラクチュロース無水物は,水/エタノールからの結晶化により得られるものであるが,水/エタノールからの結晶化により得られるラクチュロース無水物を種晶として使用しても,ラクチュロース三水和物は析出しない,A水/エタノールからの結晶化により得られたラクチュロース無水物はフラン形とピラン形の混合物であるのに対して,現在販売されているMERCK社CALBIOCHEMブランドのラクチュロース無水物は実質的に100%βフラン形であるなどとも,主張する。しかし,本件発明1ないし3の発明者自身も,ラクチュロース三水和物をラクチュロース無水物を種晶として得たのであり,その際には,市販されていたMERCK社のラクチュロース無水物を種晶とする実験も,エタノール溶液より調製したラクチュロース無水物を種晶とする実験も行い,いずれの場合にもラクチュロース三水和物が得られることを確認しているのである(乙17陳述書)。したがって,甲14記載の実験結果は事実とは思えない。
また,Across社が製造販売するラクチュロース無水物を種晶として本件明細書の実施例2を追試しても,やはりラクチュロース三水和物が得られる(乙22宣誓書)。
(2) 甲4記載の「実験1」は,本件明細書の開示の範囲内であり,「実験1」の条件は,当業者が過度の負担なく選択し得るものである(乙15陳述書)。
原告は,本件明細書の段落【0012】の記載によれば,全固形分含量の境界値である65%の場合には収率が低いと予想され,好ましい種晶ではないラクチュロース無水物を種晶として使用すると収率がさらに低下することが予想されると主張し,本件発明の効率は冷却速度に厳格に依存するとも主張するが,審決は収率など論じていないし,また,本件明細書には,境界値における収率が低い等とは記載されておらず,冷却後種晶添加後に「徐冷して大きな結晶を析出させるのが望ましい」ことが記載されているにすぎないから,原告の主張は失当である。速やかにラクチュロース三水和物を得るために,可及的低い温度で過飽和状態とした上で,ラクチュロース無水物の種晶を添加する甲4記載の実験1は,本件明細書の段落【0012】の記載に基づいて正に当業者が選択する条件というべきである。
当裁判所の判断
1 原告主張の取消事由について (1) 原告は,審決には本件明細書の記載に特許法旧36条4項又は5項及び6項の規定に違反する不備はないと誤って判断した違法がある旨をいうが,その主張する内容は,審決が「本件明細書の記載によっては,ラクチュロース三水和物は得られないから,当業者は本件発明1ないし3を容易に実施することができない。」との原告(審判請求人)の主張を退けたことを非難するものであるから,特許法旧36条4項違反についての審決の判断を誤りを主張するものと解するのが相当である。
(2) 特許法旧36条4項は,「発明の詳細な説明には,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に,その発明の目的,構成及び効果を記載しなければならない。」と規定している(なお,現行の特許法においては,36条4項1号が明細書の発明の詳細な説明の記載について「経済産業省令で定めるところにより,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであること」との要件に適合するものでなければならないことを規定しており,旧36条4項とほぼ同様の内容が規定されているということができる。以下,「実施可能要件」ということがある。)。
特許制度は,発明を公開する代償として,一定期間発明者に当該発明の実施につき独占的な権利を付与するものであるから,明細書には,当該発明の技術的内容を一般に開示する内容を記載しなければならないというべきである。特許法旧36条4項ないし現行特許法36条4項1号が上記のとおり規定するのは,明細書の発明の詳細な説明に,当業者が容易にその実施をできる程度に発明の構成等が記載されていない場合には,発明が公開されていないことに帰し,発明者に対して特許法の規定する独占的権利を付与する前提を欠くことになるからである。
特許法旧36条4項ないし現行特許法36条4項1号が上記のような趣旨の規定であることに照らせば,特許出願が実施可能要件を満たすものであることは,特許出願に際して出願人が立証すべきものであることは明らかであるところ,拒絶査定不服審判,無効審判や,これらの審判の審決に対する取消訴訟等においても,出願人ないし特許権者がその主張立証責任を負担するものと解するのが相当である。
そして,物の発明については,その物をどのように作るかについての具体的な記載がなくても明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識に基づき当業者がその物を製造できる特段の事情のある場合を除き,発明の詳細な説明にその物の製造方法が具体的に記載されていなければ,実施可能要件を満たすものとはいえない。物を製造する方法についても,同様である。
(3) そこで,上記の観点に立って,以下,本件について検討する。
本件明細書の発明の詳細な説明には,実施例1〜3として,ラクチュロース三水和物を種晶としてラクチュロース三水和物を製造する方法が具体的に記載されているから,種晶となるべきラクチュロース三水和物を製造することができれば,当業者は,これを用いて実施例1〜3に記載された手法によりラクチュロース三水和物を製造することができ,「ラクチュロース三水和物」に係る本件発明1,2及び「ラクチュロース三水和物の製造法」に係る本件発明3を容易に実施することができると認められる。しかし,最初に,種晶となるべきラクチュロース三水和物をどのようにして製造するのかについて,発明の詳細な説明には,具体的な記載は存在しない。
被告は,本件出願前には,ラクチュロースといえば,ラクチュロース無水物しか存在しなかったから,本件明細書の段落【0012】の「濃縮ラクチュロース・シロップを2〜20℃の温度に冷却し,ラクチュロースを種晶添加し,攪拌して結晶を析出させる」との記載は,ラクチュロース無水物を種晶としてラクチュロース三水和物が得られることを明記したものであると主張する。しかしながら,本件明細書(甲3)の段落【0012】には,被告の指摘する記載に続いて「結晶を析出させるには,可及的に低い温度が望ましく,しかも徐冷して大きな結晶を析出させるのが望ましい。種晶添加(シーディング)するラクチュロースは,三水和物を使用する。」と記載されている。すなわち,段落【0012】においては,「ラクチュロースを種晶添加し」との記載に続いて「種晶添加(シーディング)するラクチュロースは,三水和物を使用する」と記載され,種晶添加するラクチュロースの種類が限定されているのであるから,「ラクチュロースを種晶添加し」の「ラクチュロース」は「三水和物」を意味するものと認められる。したがって,本件出願時に「ラクチュロース」として「無水物」しか知られていなかったとしても,被告の挙げる本件明細書の段落【0012】の記載をもって,ラクチュロース無水物を種晶としてラクチュロース三水和物が得られることが記載されていると認めることはできない。
したがって,本件明細書の記載及び本件出願時の技術常識に基づき,当業者が種晶となるべきラクチュロース三水和物を容易に製造できる特段の事情が存在しない限り,本件出願は,実施可能要件を満たすものということができない。
(4) 被告は,仮に本件明細書の段落【0012】の「‥‥‥ラクチュロースを種晶添加し,攪拌して結晶を析出させる。」における「ラクチュロース」をラクチュロース三水和物と読んだとしても,また,実施例にラクチュロース三水和物を種晶として使用することが記載されていても,種晶として使用するラクチュロース三水和物を得る方法が与えられていないのであれば,当業者としては,従来唯一知られているラクチュロース無水物を種晶として使用することが当然であると主張する。
しかしながら,ラクチュロース結晶として唯一知られていたのが無水物であったというだけの理由で,当業者にとって,ラクチュロース無水物を種晶として使用することが当然のことであったということはできない。また,仮に,当業者がラクチュロース無水物を種晶として使用することを試みるとしても,そうすることにより,ラクチュロース三水和物を当然に製造できるとはいえない。
(5)(ア) 被告は,本件明細書の実施例1〜3には,ラクチュロース三水和物を過飽和にする条件,ラクチュロース三水和物を析出するための諸条件が余すところなく記載されており,その条件は,従来公知のラクチュロース無水物を得るための発明(乙33〜35)における条件と異なるから,本件明細書を見た当業者は,実施例に記載された溶液中にラクチュロース無水物を種晶として添加しても,ラクチュロース無水物ではなく,ラクチュロース三水和物が結晶として析出すると予想し,実施例1〜3記載の溶液からは,結晶として析出するきっかけさえあれば,ラクチュロース三水和物が析出することを直ちに認識すると主張し,この点に関する証拠として,乙20,乙36(いずれも陳述書)を提出する。
従来公知のラクチュロース無水物を得るための発明の一つである乙34(異議申立手続において提示された文献2(甲12)の対応日本出願の公開公報)の実施例と本件の実施例との製造条件の違いとして被告が挙げるのは,以下の5点である(乙36陳述書3〜4頁)。
@ 結晶化液固形分中ラクチュロース純度:乙34では96.3〜98.7%の高純度に調整した精製ラクチュロース液を使用するのに対し,本件では73.5〜88.5%とより低い純度のラクチュロース液を使用している。
A 結晶化時間:乙34では,24〜36時間と比較的短い時間の攪拌結晶化であるのに対し,本件では,168〜240時間と長時間を要している。
B 結晶物の乾燥温度:乙34では「35〜40℃を越えない温度」と加温を示唆した温度で,加熱により乾燥する装置である空気オーブンを用いて行われたのに対し,本件では,加温しない25〜30℃の室温で,特に乾燥当初は蒸発潜熱のために逆に冷却される真空乾燥機あるいは流動乾燥機を用いた乾燥である。
C 仕込み時のラクチュロース量に対する回収物収率:乙34では,「収率54.5〜68.5%」の高収率が得られたのに対して,本件では,17.6〜25.4%と比較的低い収率である。
D 回収物中ラクチュロース含量:乙34では,ラクチュロース無水物に相当する純度98%以上の高含量が得られたのに対し,本件では84.9〜85.8%とより低い含量のラクチュロース三水和物の特性値が得られた。
(イ) そこで,これら被告の主張する上記の各相違について検討するに,まず,被告主張の@の点については,本件明細書には「通常,ラクチュロース・シロップは,水分の他,45〜55%のラクチュロース,2〜8%のガラクトース,2〜5%の乳糖,および2〜8%のその他糖類を含んでおり,固形分中のラクチュロース純度は70〜90%である。この発明の方法においては,この通常のラクチュロース・シロップを何ら精製することなく,そのまま出発物質として使用することができる。なお,固形分中のラクチュロース濃度が70%未満の場合,ラクチュロース以外の物質が結晶し易くなり,三水和物の分離が困難となり,望ましくない。」(甲3。段落【0011】)と記載されており,この記載によれば,本件発明におけるラクチュロース純度の上限値90%は,原料として使用するラクチュロース・シロップを精製してラクチュロース純度を高くする必要がないという意味を有するにすぎないと認められるから,本件明細書の実施例におけるラクチュロース純度が乙34の実施例におけるラクチュロース純度より低いことが,析出する結晶の種類に関係するものと解することはできない。
次に,被告主張のAの点については,本件明細書には「濃縮ラクチュロース・シロップを2〜20℃の温度に冷却し,ラクチュロースを種晶添加し,攪拌して結晶を析出させる。結晶を析出させるには,可及的に低い温度が望ましく,しかも徐冷して大きな結晶を析出させるのが望ましい。」(甲3。段落【0012】)と記載されており,この記載によれば,本件明細書の実施例において長い時間を要して徐々に冷却する点は,析出する結晶を大きくするために必要な条件にすぎないと認められ,析出する結晶の種類に関係するものということはできない。
被告主張のBの点については,本件明細書には,「加温した場合,三水和物が溶解して結合し,塊となって乾燥が困難となる。従って,例えば流動乾燥,真空乾燥等により室温で乾燥し,三水和物を得る。」(甲3。段落【0013】)と記載され,その実施例においては,真空乾燥機,流動造粒乾燥機を用いて25℃,30℃で乾燥が行われている。他方,乙34には「空気オーブンで35〜40℃を超過しない温度で乾燥され」(3頁右下欄2〜3行)と記載されており,この記載は,乾燥温度の上限が40℃であることを意味しており,加温を示唆するものとはいえない。したがって,乾燥温度に実質的な相違はないものと認められる。
被告主張のC,Dの点については,収率や回収物中のラクチュロース含量は,結晶の種類が同じであっても結晶化条件が異なれば当然に異なると解されるから,これらの相違が析出した結晶の種類の相違を意味するとは認められない。
上記のとおり,被告が主張する@〜Dの点は,析出する結晶の種類に関係するものとは認められず,本件明細書の実施例に記載された@〜Dに係る条件が,ラクチュロース三水和物を得るための特異的条件であると解することはできない。
(ウ) 加えて,本件特許に対する特許異議の申立てについての審理手続において,被告(特許権者)は,特許異議意見書(甲10)を提出し,「本特許権者は,本意見書と同日付けで提出いたしました訂正請求書によりまして,結晶ラクチュロースの製造法を望ましい態様に訂正し,文献1または文献2(判決注:甲12。乙34の対応欧州出願の公開明細書)記載の発明との相違点を一層明瞭化いたしました。すなわち,‥‥‥訂正後の請求項3の発明は,ア)固形物中無水ラクチュロース換算でラクチュロースを70〜90%(重量)の割合で含有するラクチュロース・シロップを原料として用い,イ)このシロップに含まれている乳糖の水中糖比,および全固形分含量がそれぞれ10%(重量)以下および65〜75%(重量)の範囲に濃縮し,ウ)濃縮したシロップを2〜20℃の温度に冷却し,エ)ラクチュロース三水和物を種晶添加し,オ)攪拌して結晶ラクチュロース三水和物を生成させたのち,この三水和物を分離する,ことを特徴とする結晶ラクチュロース三水和物の製造法であります。そこで,このような構成からなる訂正後の本件請求項3に係る発明と,文献1または文献2記載の方法とを対比いたしますと,これらの文献は訂正後の請求項3における前記構成ア),イ)およびエ)については一切開示していないことから,両者は構成上明らかに異なる発明であることが十分にご理解いただけるものと確信いたします。」(甲10の4〜5頁)と述べているところ,上記特許異議意見書におけるア)の点は,上記(イ)において被告の挙げる@についての説示において述べたように,本件明細書の実施例で用いられたラクチュロース純度が析出する結晶の種類に関係するものと解することはできず,イ)の点については,乙34との相違点ではない(この点は,被告も争わない点であるが,念のために判断を示すと,次のとおりである。すなわち,乙34の実施例2には,「ラクツロース50重量%,ラクトース0.7重量%,ガラクトース0.9重量%,他の糖類0.3重量%,水100%に対する埋合せ分の組成を持つラクツロース溶液1000kgは,真空下ラクツロース濃度68%に対し濃縮される。」旨の記載があるところ,上記濃縮後の全固形分濃度は,68+(0.7+0.9+0.3)×68/50=70.6%となる。また,乳糖(ラクトース)の水中糖比は,0.7/(0.7+29.4)×100=2.3%となる。したがって,乙34の全固形分濃度,乳糖の水中糖比は,本件発明3のものと相違しない。)。そうすると,結局,本件明細書の実施例における条件と乙34の実施例における条件とは,エ)の点,すなわち,ラクチュロース三水和物を種晶として添加するか否かの点に違いがあるものというべきである。
したがって,上記の点からも,本件明細書の実施例における条件と従来公知のラクチュロース無水物を得るための条件とが上記(イ)において被告の挙げる@〜Dの点で異なるとして,本件明細書を見た当業者が,実施例に記載された溶液中にラクチュロース無水物を種晶として添加した場合に,ラクチュロース無水物は結晶として析出せず,ラクチュロース三水和物が析出すると予想することができるという被告の主張は,採用できない。
(6) また,被告は,乙21のラクチュロース無水物とラクチュロース三水和物の溶解度を示す図から,20℃以下ではラクチュロース三水和物の溶解度が低く結晶化するが,ラクチュロース無水物は溶解度が高いので結晶化しない,あるいは溶解していることが分かるとも主張するが,乙21は,本件出願後に発行された文献であり,本件出願時の技術常識を示すものではないから,この文献の記載内容を参酌することはできない(なお,乙21の溶解度曲線を根拠に,無水物を種晶とした場合でも三水和物のみの過飽和領域から無水物ではなく三水和物が生じるとすると,濃縮後にラクチュロースを68〜70%含有し13〜15℃に冷却されている乙34の実施例においても三水和物が生ずることとなり,乙34では三水和物が得られないとする被告の主張と矛盾することとなる。)。
(7) 被告は,同じ物質でなくとも既に過飽和状態にある溶液が種晶として添加された物質をきっかけとして結晶化することは,当業者に広く知られており,ラクチュロース三水和物を種晶としてラクチュロース三水和物を得るとの記載に接した当業者が,ラクチュロース三水和物を有しない場合にそのまま実施不能になることは有り得ないと主張し,これに関する証拠(乙2,乙11〜13)を提出する。しかしながら,乙2には「異質種上での結晶成長は極めてよく知られた現象である(例えば,砂粒子が種として働くDHVの粒状反応体を参考にされたい)」(4.の3段落)と記載され,乙11には「種晶‥‥‥溶質と同一成分の微小小片結晶で,この結晶は溶液の一部をとり濃縮して作成したものを用いる。ときには構造や結晶形の似ているもので代用することもある。」と記載され,乙12には「結晶の核発生‥‥‥同じ物質の小結晶か,他の物質でも類似の結晶構造を持ったものが種となりうる」と記載され,乙13には「結晶化の核 結晶を形成するであろう溶液中に置かれる小さな固形の粒子。溶解している物質の結晶,それと異種同形である他の物質の結晶,ほこりの粒等が核として役立つ。」と記載されているものであって,これらの記載によれば,目的物質と同じ物質でなくとも種晶として使用できる場合のあることが認められるものの,ラクチュロース三水和物がラクチュロース三水和物以外の種晶を使用して製造できることまでを認めることはできない。
(8) 被告は,本件明細書の記載に基づいて実際にラクチュロース無水物を種晶として使用しても,ラクチュロース三水和物が得られることは,追試実験(被告による甲5,6,原告による甲4)からも裏付けられると主張する。
しかしながら,上記のとおり,本件出願時の技術常識を考慮しても,本件明細書の記載から,当業者が種晶としてラクチュロース無水物を使用してラクチュロース三水和物を製造する方法を知り得るものと認めることはできないのであるから,被告の挙げる追試実験の結果を本件明細書の記載を補完するものとして参酌することはできない。
(9) 以上検討したところによれば,被告の主張はいずれも採用できず,本件明細書の記載及び本件出願時の技術常識に基づいて,当業者が種晶として使用するラクチュロース三水和物を容易に製造できる特段の事情が存在すると認めることはできないから,本件明細書の発明の詳細な説明の記載には,特許法旧36条4項に違反する不備があるというべきである。
2 結論 以上によれば,本件明細書に特許法旧36条4項に違反する不備がないとした審決の判断は誤りであり,この誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから,審決は取消しを免れない。
よって,原告の本訴請求は,理由があるからこれを認容することとし,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 三村量一
裁判官 嶋末和秀
裁判官 沖中康人