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関連審決 審判1995-14475
この判例には、下記の判例・審決が関連していると思われます。
審判番号(事件番号) データベース 権利
平成15行ケ104特許取消決定取消請求事件 判例 特許
平成13行ケ358特許取消決定取消請求事件 判例 特許
平成17行ケ10114審決取消(特許)請求事件 判例 特許
平成17行ケ10458特許取消決定取消請求参加事件 判例 特許
平成17行ケ10139審決取消請求事件 判例 特許
関連ワード 特許を受ける権利 /  発明者 /  物の発明 /  新規性 /  頒布された刊行物 /  進歩性(29条2項) /  周知技術 /  試行錯誤 /  技術常識 /  先行技術 /  化学構造 /  優先権 /  名義変更 /  優先日 /  参酌 /  置換 /  容易に想到(容易想到性) /  実施 /  拒絶査定 /  拒絶理由通知 /  請求の範囲 /  変更 /  釈明 / 
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事件 平成 14年 (行ケ) 258号 審決取消請求事件
原告 アプライド・リサーチ・システムズ・エイアールエス・ホールディング・ナムローゼ・フェンノートシャップ
同訴訟代理人弁護士 鈴木修
同 深井俊至
同 弁理士 富田博行
被告 特許庁長官今井康夫
同指定代理人 佐伯裕子
同 眞壽田 順啓
同 涌井幸一
同 一色 由美子
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2003/11/28
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
請求
特許庁が平成7年審判第14475号事件について平成13年12月10日にした審決を取り消す。
事案の概要
1 争いのない事実 (1) 訴外インテグレーテッド・ジェネティックス・インコーポレーテッドは、
1983(昭和58)年11月2日(以下「本願優先日」という。)に米国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和59年10月31日にした特許出願(特願昭59-504232号)を分割して、平成5年6月30日、発明の名称を「ヘテロポリマー系蛋白質」とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願をした(特願平5-162620号)が、平成7年3月28日付けで拒絶査定を受けたので、同年7月3日、これに対する不服の審判請求をするとともに、
同年7月20日付手続補正書により手続補正をした。
特許庁は、上記審判請求を平成7年審判第14475号事件として審理した上、平成9年5月30日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決(以下「1次審決」という。)をし、その謄本は、同年8月4日、原告に送達された(なお、上記訴外人は、平成7年9月16日、上記出願に関する特許を受ける権利を原告に譲渡し、同年10月3日に名義変更届を提出した。)。
原告は、同年11月28日、1次審決の取消請求の訴えを提起し、東京高等裁判所は、同請求を平成9年(行ケ)第302号審決取消請求事件として審理した上、平成12年2月17日、「特許庁が平成7年審判第14475号事件について平成9年5月30日にした審決を取り消す。」との判決をし、平成12年2月22日に「判決21頁2行目の『進歩性』を『新規性』と更正する。」との更正決定がなされて、同判決は確定した。
その後、特許庁において再び審理がなされ、原告は、平成12年9月25日付けで拒絶理由通知を受けたので、平成13年1月9日付手続補正書により手続補正(以下「本件補正」という。)をした。しかし、同年12月10日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決(以下「本件審決」という。)があり、その謄本は、平成14年1月21日、原告に送達された。
(2) 本件補正により補正された請求項1記載の本願発明の要旨は、本件審決に記載された以下のとおりである。
【請求項1】他のホルモンを含まず、翻訳後に修飾されており、そして生物学的に活性なhCGである、組換えヒトタンパク質ホルモン。
(3) 本件審決は、別紙審決書写し記載のとおり、本願発明1が、本願優先日前の技術を勘案すれば、同日前に頒布された刊行物である「Nature Vol.281,p.351-356」及び「Nature Vol.286,p.684-687」(甲8及び9、以下「引用例1」及び「引用例2」という。)に記載された各発明(以下「引用発明1」及び「引用発明2」という。)に基づいて、当業者が容易に想到し得る範囲を逸脱するものではないと認められるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとした。
2 原告主張の本件審決の取消事由の要点 本件審決は、本願発明の進歩性の判断において、本願優先日当時、hCGの生物活性が糖鎖に由来するであろうとの技術認識がないため、宿主細胞として哺乳類動物細胞が選択され得ないにもかかわらず、これを容易に選択できたものと誤認する(取消事由1)とともに、hCGの合成に困難性があったことを看過した(取消事由2、3)ものであるから、違法として取り消されるべきである。
(1) 宿主細胞の選択の誤認(取消事由1)について 本件審決が、(天然の)「hCGがαサブユニット及びβサブユニットからなる糖鎖で修飾された糖タンパク質であることも周知の事柄であった」(2頁下から5〜4行)と認定したことは認めるが、「本件優先日前には既にSV40含有ベクターを用いてマウスもしくはサル由来の哺乳動物細胞宿主のゲノム中にヒト由来生理活性タンパク質の遺伝子を導入することで、糖鎖も天然の修飾程度に極めて近く、生理活性も有する組換え体が得られた成功例が多数報告されていた時期である」(2頁下から3行〜3頁1行)と認定したことは、本願優先日当時の技術水準(以下「優先日技術水準」という。)の認識を誤ったものである。
そして、この誤った技術水準の認識を前提として、本件審決が、「ヒト由来の糖鎖で修飾された糖タンパク質ホルモンであるhCGを天然と同等の生理活性を有する組換え体で得ようとすれば、糖鎖が付加できない細菌宿主ではなく、ヒトにできるだけ近い宿主細胞である哺乳動物細胞を選択することは当業者がむしろ当然に選択する事柄であったといえる」(3頁1〜5行)と判断したことも、誤りである。 ア まず、本件審決は、文献も全く示さず「成功例が多数報告されていた」と認定をしており、違法な認定である。
この点について、被告は、「蛋白質 核酸 酵素 臨時増刊 組換え遺伝子の細胞への導入と発現」第28巻第14号中の論文「細胞に導入された組換え遺伝子の発現」(共立出版株式会社昭和58年12月5日発行、乙3、以下「乙3論文」という。)を提出し、参照文献が134にのぼることを主張するが、文献番号1〜98は、細菌及び酵母を宿主とした例であり、哺乳類宿主は、文献番号99〜127の20数件のみであり、「多数報告されていた」ということはできない。
また、本願発明のhCGは、αサブユニット及びβサブユニットからなるヘテロダイマータンパク質であり、そして両サブユニットがそれぞれ糖鎖で修飾(以下「グリコシル化」ともいう。)がなされたものであるところ、被告は、本願発明に必須の「ヘテロダイマー」及び「糖鎖修飾」の両者の要件を満たすタンパク質に関する先行技術文献をひとつも提示していない。乙3論文の参照文献106、
108に記載されたヒトβインターフェロン(以下「ヒトIFN-β」という。)及び文献127に記載されたヒトインターロイキン2(以下「ヒトIL-2」という。)は、モノマーのタンパク質であり、同論文の表2に例示された文献に記載されたタンパク質も、全部モノマーである。つまり、「ヘテロダイマー」及び「糖鎖修飾」の両者の要件を満たす外来タンパク質の発現の成功例の報告はないのである。
イ 次に、当分野の目的は、医薬の開発であるから、「天然物のhCGと同じ生物活性を有する組換え体を得ること」が目的であって、「天然物のhCGと同じ(糖鎖修飾の点についてまで同じ)組換え体を得ること」は、目的とされていなかった。
しかも、本件審決の上記認定は、「天然物のhCGと同じ糖鎖修飾がなければ天然物のhCGが有する目的とした生物活性が生じない」ということを前提とするものであるが、そのような前提は周知技術として認められない。むしろ、本願優先日当時、糖鎖修飾と生物活性の関係は十分解明されていなかったといえる。
ウ さらに、「ヘテロダイマー」及び「糖鎖修飾」がされるタンパク質の組換え発現に際しての宿主の選択において、糖鎖が生物活性に影響しないことが明らかであるか又はその可能性が考えられる場合には、むしろサブユニットの会合を干渉する可能性のある糖鎖を付加しない宿主、常識的には大腸菌を選択するはずである。
なぜなら、「ヘテロダイマー」とは、2つの異なるサブユニット分子が会合して構成されて一つの機能を担う分子であるから、両サブユニットの糖鎖修飾のパターンが天然形態と同じにならなければ、サブユニットの会合が困難となることが、容易に推察される一方、哺乳類宿主細胞などを利用して糖鎖は付加しても、
天然形態とは異なるパターンになる可能性が考えられるからである。本願優先日後の発表(甲34)であるが、αサブユニットの糖鎖はダイマー形成に影響することが示されている。
そして、糖鎖を除去したhCGであっても、排卵阻害の生物活性を有することが示されており(甲13)、また、糖鎖は、受容体への結合活性及び免疫活性について重要でなく、cAMP蓄積の刺激に重要であったことが示されており(甲14)、さらに、インターフェロンβ1(IFN-β 1)を細菌細胞中で発現させ、組換え生成物が糖鎖を付加されていないにもかかわらず、抗ウイルス活性を示している(甲15、以下、明記しない限り枝番号の書証を含む。)のであるから、
hCGやIFN-β1などの糖タンパク質において、糖鎖に影響されない生物活性の存在が本願優先日前に明らかであった。
被告は、hCGの糖鎖の生物活性への影響について論じている(乙8、
甲13、14)が、そもそも、「hCG生物活性の多くが夾雑物によった」(乙1)のであるから、糖鎖に必須な活性と必須でない活性との関係を明らかにしない限り、この議論は前提を欠くことになる。仮に、被告の主張する生物活性が、夾雑物によるものでなくhCG由来であるとしても、上記のような受容体結合活性が糖鎖に影響されない活性であるとの事実が否定されなければ、糖鎖を付加する理由はなく、大腸菌を宿主として選択する動機は否定されない。
そうすると、hCGを天然と同等の生物活性を有する組換え体で得ようとする場合に、当業者が、糖鎖が付加できない細菌宿主ではなく、哺乳動物細胞を当然に選択するなどということはできないのである。むしろ、当業者は、本願優先日前に宿主細胞として最も広く用いられており、扱いやすく、その遺伝子工学上の性質がよく理解されていた大腸菌等の原核細胞宿主を選択するのが自然である。実際に、天然物に代わるものを組換え体で得ようとした場合には、圧倒的に大腸菌等の哺乳動物細胞以外の細胞を宿主とした例が報告されているのである(乙3論文)。
エ また、ヒトIL-2は、サル宿主(COS)細胞中でグリコシル化(糖鎖修飾)されなかった(乙4、甲22訳文)のであるから、同じ哺乳類どうしであっても、宿主細胞によっては、異種哺乳類遺伝子に糖鎖を付加しない例や、糖鎖は付加しても天然形態とは異なるパターンになる可能性が考えられた。そして、本願優先日当時、真核タンパク質が宿主細胞中で組換え発現される場合に、タンパク質がグリコシル化されるの否かについて一般論を教示する証拠はない。
そうすると、本願優先日当時、糖鎖構造の複雑性及び宿主の違いによるパターン変化の可能性からすれば、糖鎖修飾に関して生物活性を付与する修飾が得られると予測することも、天然型と同じ構造をとると予測することも、困難であったことは明確であり、哺乳動物細胞を宿主として当然のように選択して、天然のhCGと同じ糖鎖を有するものを組換え体により製造することができるとは、到底考えられない。
本願優先日の十数年後にさえ、hCGのβサブユニットを大腸菌宿主において発現させて、βサブユニットの折り畳みとαサブユニットとの機能性集合体形成を研究した論文(甲35)が公表されている事実からみても、本願優先日当時に、成功の予測が高い大腸菌宿主を選択していた可能性を否定できない。
オ 以上のとおり、哺乳類宿主それぞれによりもたらされる糖鎖修飾の結果が予測の域を超えるという当時の技術水準においては、hCGの発現に際し糖鎖パターンを推定することは容易でなく、宿主を適切に選択して実際に発現させるという多大な試行錯誤を要したといえる。
したがって、本願発明のhCGの宿主の決定は困難であり、本願発明の完成は容易でなかったと考えられる。
(2) hCGの合成の困難性(取消事由2)について 本件審決が、「両遺伝子を同一の宿主細胞ゲノム中に導入しようとすることは両遺伝子を等量発現させようとしていることからみても極めて自然な発想であって特別のものではなく」(3頁12〜14行)と判断したことは、根拠がなく誤りである。
ア 本件審決は、上記判断の根拠として、「封入体を作りやすくサイズも小さい大腸菌ですら2つの遺伝子を等量発現させてダイマーとしたい場合にはまず同一の宿主内で発現させることが発想され成功している」(3頁14〜18行)ことを挙げるが、大腸菌宿主は糖鎖修飾ができないので、糖鎖を修飾する本願発明の進歩性の判断と同一に論じられない。
イ hCGがαサブユニットとβサブユニットとからなるヘテロダイマーであることは確かであるが、組換え発現に際して、αサブユニットとβサブユニットが等量(1:1)発現されるような構成しか採らなかったであろうとは断言できない。本願発明の発明者らによる本願優先日以降の実験記録(甲17、以下「出願後実験記録」という。)によれば、hCGのαサブユニットとβサブユニットを同一プロモーター下に配置して発現させた場合にも、ダイマーを形成しない遊離のβサブユニットが、遊離のαサブユニットに比べて約9倍大量に存在した事実が認められる。なお、結果の非予測性については、出願(優先)日以降に得られた実験データも参酌されるべきである。
なお、本件審決が本願明細書に記載がないと指摘する(3頁20〜21行)本願発明の実施例として、本願発明の発明者らが本願優先日前に行った実験のデータを記載した「実験ノート」(甲36〜38、一部その説明資料を含む。以下「本件実験ノート」という。)を提出する。
ウ 以上のとおり、ヘテロダイマータンパク質の発現は、同一プロモーター下に1:1で遺伝子を挿入しても、予測どおりの結果が得られないから、ヘテロダイマータンパク質である本願発明のhCGの発現の結果は、予測困難であって、本願発明の完成が困難であったことは明らかである。
(3) hCGの合成の困難性(取消事由3)について 本件審決が、「組換えhCGに係る本件発明は、本件優先日前の技術水準を勘案すれば、刊行物1及び2の記載に基づき当業者が容易に想到し得る範囲を逸脱するものではないと認められる。」(4頁15〜17行)と判断したことも、誤りである。
ア 共に糖鎖修飾がなされたヘテロダイマータンパク質の異種宿主細胞内での発現において、何らかの又は全ての生物活性を有するhCGを得る上で、ペプチド主鎖の正確な発現、糖鎖修飾、シアル酸化、ジスルフィド結合、タンパク質の折り畳み及びダイマーの集合等が理想的に生じるようにベクターの種類、遺伝子発現プロモーターの種類、宿主の種類等の正しい選択及びこれらの正しい組み合わせを得るまでに遭遇した困難は、容易に回避できたものではなく、本願発明のhCGを現実に生産することは、困難なことであった。
本件審決は、原告の審判手続における平成9年2月10日付意見書(乙7、以下「乙7意見書」という。)の記載を引用した後、「遺伝子の単離こそが技術的なブレークスルーであって、遺伝子がクローニングさえすれば、その後の哺乳動物細胞宿主を用いて生物活性を有する組換え体を得る工程自体はその生物活性を確認する具体的な実施例の記載も不必要なほどに本件優先日当時の常套手段であったと考えていたことが窺われる。」(4頁6〜14行)と認定しているが、原告は、そのような意見を述べていないし、そのように認定する根拠もない。
乙7意見書における陳述は、本願発明が実施可能であることを釈明したにすぎず、実施可能性に関する拒絶理由に対する出願人の発言を、本願発明の進歩性を否定する趣旨であると理解すべきではない。
イ 仮に、哺乳類遺伝子を発現させる場合に哺乳類宿主を選択することを認めたとしても、必ずしもどのタンパク質でも成功するとはいえず、成功率が極めて低かったことが明らかであり、試行錯誤を繰返さなければならない以上、本願発明の完成は容易でなかった。すなわち、本願優先日当時、哺乳類遺伝子の異種哺乳類宿主における発現は、「当業者なら成功する」という技術水準ではなかったのである。
乙3論文においても、前述したように、文献番号1〜98は細菌及び酵母を宿主とした例であり、哺乳類宿主は、文献番号99〜127の20数件のみであり、全世界で2、3年間にわずか20数件だけしか成功例が存在しなかったのである。同論文中の文献106(甲15の2)でも、失敗して当たり前の程度の成功率とされている。
ウ 本件審決の判断によれば、ヘテロダイマーでしかも糖タンパク質という極めて特殊な2つの要件を具備するタンパク質であっても、遺伝子が得られれば誰でも発現可能であったはずである。それにもかかわらず、hCGや類縁のホルモンタンパク質以外の発現の公知例は提示できていないし、また、hCGのαサブユニット遺伝子及びβサブユニット遺伝子を共に発表した研究グループも、本願発明のようなhCGの発現にすぐに成功してはいない。
つまり、モノマー生理活性糖タンパク質組換え体の異種哺乳類細胞における発現の成功例があったとしても、ヘテロダイマー糖タンパク質の発現に多数の試行錯誤が必要であったから、引用例1及び2の著者らは、本願発明の優先日出願までの3年の間発現に成功しなかったのである。
被告が、ヘテロダイマー糖タンパク質がモノマー生理活性糖タンパク質と同じく予測どおりに発現できることを認識できるに足りる証拠を提示しない以上、ヘテロダイマー糖タンパク質の異種哺乳類細胞における発現が容易であるとか、結果が予測できたとか断言することはできず、引用例1及び2を組み合わせることにより本願発明が容易に完成できたとはいえないのである。
エ 欧州・米国では、本願発明の対応特許出願について、各サブユニット遺伝子の単離を記載した引用例1及び2を意識しながら特許が認められている(甲18、19)。
したがって、当業者が引用例1及び2と当時の周知技術に基づき、本願発明を容易に想到することができたとの本件審決の判断は、欧米の特許出願審査において否定されているのである。
3 被告の反論の要点 本件審決の認定・判断は正当であり、原告主張の取消事由はいずれも理由がない。
(1) 取消事由1について ア 本願優先日よりも前の研究成果に基づき、それ以前のhCGについて得られた知見が集大成されて解説された総説である乙3論文は、宿主-ベクターの組合せを利用して、2、3年の間に多数の報告がなされたことを記載するとともに、
種々の有用物質を動物培養細胞に用いて糖鎖を有するタンパク質を生産する試みを「表2.」に多数例示している。
また、本願優先日前には、古くから知られていたCHO細胞、CV-1細胞などのSV40含有ベクターを用いた哺乳動物細胞宿主による発現系(以下「哺乳動物細胞宿主・SV40含有ベクター発現系」という。)を用いて、糖鎖を有するタンパク質をコードする遺伝子を発現させることで、グリコシル化され、分泌されている発現産物が得られることとともに、特に抗原糖タンパク質において、
その機能的な活性も保持するように折り畳まれた発現産物が得られたことも多数報告されている(乙10〜14)。
このように、本願優先日前には、ヒト由来生理活性糖タンパク質が遺伝子組換え技術のターゲットとなっており、哺乳動物細胞宿主・ベクター系が盛んに研究開発され、本願優先日前の時期には、その研究成果としての「糖鎖で修飾された組換えヒト由来生理活性糖タンパク質」に関する報告が次々になされた時期であり、しかも、その際のベクターとして、SV40含有ベクターは最もありふれたものであった。
なお、原告自身も、生理活性糖タンパク質をSV40を用いた哺乳動物細胞宿主・SV40含有ベクター発現系を用いることで、適切な糖鎖で修飾された組換え体を得ることができることが本願優先日前の技術水準であったことを、自認しているのである(乙7意見書)。
したがって、本件審決の認定した優先日技術水準に誤りはない。
イ 本願優先日前には、前記のとおり、医薬品製剤を目的とするヒト由来生理活性糖タンパク質が遺伝子組換え技術のターゲットとなっていたが、これらはヒト体内に投与する物質であることから、天然物とできる限り同じ(糖鎖で修飾された)組換え体として得ようとするのは当然である。したがって、本願優先日前に「天然の糖鎖構造にできるだけ類似した糖鎖修飾された組換えhCG」を得ようという動機付けが存在していた。
そして、人体に投与する「医薬品」を目的として組換えhCGを得ようとする場合、その糖鎖が、全体分子量の30%以上も占め(乙8)、生物活性と関わる可能性があることが知られている(甲13、14、乙9)以上、骨格となるタンパク質部分のみならず、まわりの糖鎖部分もできる限り天然の糖鎖と同一にしようとすることは、当業者として当然の発想である。
さらに、上記優先日技術水準を踏まえれば、組換えhCGを得ようとする場合の第1選択肢となる宿主が、糖鎖修飾の機構を持たない大腸菌などの原核細胞宿主ではなく、また、真核細胞のうちでも酵母などではなく、できるだけ進化上もヒトに近い哺乳動物細胞宿主であることは論を待たない。
しかも、本願優先日前には、前示のとおり、哺乳動物細胞宿主・SV40含有ベクター発現系を用いて、糖鎖を有する糖タンパク質をコードする遺伝子を発現させることで、グリコシル化され、分泌される発現産物が得られたことともに、特に抗原糖タンパク質において、その機能的な活性も保持するように折り畳まれた発現産物が得られたことも多数報告されていたのであるから、当業者にとっては、哺乳動物細胞宿主・SV40含有ベクター発現系における糖タンパク質遺伝子の発現産物が、糖鎖が付与され活性も保持された立体構造に折り畳まれることが十分に期待される事柄であったといえる。
したがって、「ヒト由来の糖鎖で修飾された糖タンパク質ホルモンであるhCGを天然と同等の生理活性を有する組換え体で得ようとすれば、糖鎖が付加できない細菌宿主ではなく、ヒトにできるだけ近い宿主細胞である哺乳動物細胞を選択することは当業者がむしろ当然に選択する事柄であったといえる」と判断できるのである。
なお、原告の指摘する糖鎖の修飾が行われなかったヒトIL-2(乙4、甲22訳文)については、Jurkut細胞由来の天然のヒトIL-2自体が、N-型糖鎖を有しておらず、その理由がヒトIL-2遺伝子中にN-グリコシル化部位が存在していないためである。したがって、このような事例によって、天然の細胞内で糖鎖修飾されているタンパク質に対して、天然と同様の糖鎖修飾が起こるであろうとの当業者の期待が揺らぐものではない。
(2) 取消事由2について ア ヒト由来生理活性糖タンパク質遺伝子を哺乳動物細胞で発現させようとすれば、当該タンパク質をコードする遺伝子の全てを同一ベクターに挿入し、単一の宿主で発現させるのが常法であるから、hCGの発現に際し、αサブユニット及びβサブユニット遺伝子の両者を1:1の割合で含むベクターを構築して同一の宿主内に導入しようとすることに、困難性を見出すことはできない。
また、本願優先日前には、天然のhCGのαサブユニット及びβサブユニットは、小胞体内において、ごく初期の段階で結合されて成熟タンパク質の構造に折り畳まれ、その後、小胞体→ゴルジ体→細胞外という通常の分泌経路に従って移動しながら、その間に各種オリゴ糖鎖の付加・プロセッシングがなされ、最終的に細胞外へ分泌されるまでには完全な糖鎖修飾が行われる、という生合成経路をとっていることが周知であった(乙15〜17)。
αサブユニット及びβサブユニットが、糖鎖修飾された後に細胞外で結合するわけではないから、両サブユニットを別々に発現させてから結合しようという発想はそもそもあり得ず、両遺伝子を同一ベクター内に1:1の割合で組み込み、同一の哺乳動物細胞宿主中で発現させようとすることが最も自然な発想である。
イ 本願優先日から2年後の出願後実験記録(甲17)も、その結果が予測どおりであったことを示すものにすぎず、何ら「予測できない効果」が奏されたことにはならない。また、原告の主張する「組換えhCG」の産生と同時に不完全物質である「βサブユニット」も副産物として産生されてしまうことについては、その点がいかに予測できなかったとしても、「組換えhCG」自体の効果ではない。
(3) 取消事由3について ア 本願明細書に記載される本願発明の組換えhCG発現過程は、本願優先日前に先人の研究開発の結果の優れた宿主・ベクター系、及び優れた組換え手法であることが既に確立している技術を、単に利用し適用したにすぎない。そして、その過程において、本願発明の完成までに生じた可能性のある予期しなかった障害の存在も、その解決のための工夫の存在も窺わせるものはない。
また、本願明細書には、組換えhCGの発現について、単に「ヘテロダイマーを生産する」(段落【0076】)と記載されるにすぎず、実施例においては、実際に用いられた具体的な宿主・ベクター系は明記されておらず、上記「ヘテロダイマーを生産する」という記述の根拠となる具体的なアッセイ法も、具体的な実験データも、また、糖鎖組成、発現産物の分子量など物理化学的データも示されていない。
このような本願明細書の記載からみて、原告は、組換えhCGについての実験系を組む場合に、先人達が提供した成功率の高い優れたツールであり、得られるべき結果も十分に予測される宿主・ベクター系を利用したから、発現産物がどのような活性を有するどのような化学物質であるかを確かめることなく、生物活性がある組換えhCGが発現したことを疑わなかったものと推測される。
原告自身も、乙7意見書において、本願明細書に発現及び糖鎖・活性の確認に関する実施例を当初の明細書に含めなかった理由を、「hCGをコードする遺伝子そのものを単離した時点で完成している。」、「その遺伝子の発現及び糖鎖・活性確認に特別な困難は要さなかったと認識される」と断言し、本願優先日当時、いかに高水準の組換えの「技術常識」を有していたかを主張していた。
イ 原告は、乙3論文中の哺乳動物細胞発現系において、「2〜3年でたった20数件の成功例」であること及び同論文中の文献106の記載を根拠に、本願優先日前の哺乳動物細胞宿主発現系の技術的レベルを、失敗して当然の水準であるかのように主張する。
しかし、例えば、糖タンパク質遺伝子のグリコシル化や機能性保持について積極的に述べている文献だけでも複数存在し(乙10〜14)、これら文献中においても、成功した実例を参照文献として末尾に多数記載している。しかも、乙3論文中の文献106(甲15の2)の論文受入日は、本願優先日から約2年も前の時期であり、本願優先日前の2、3年という期間は、哺乳動物細胞発現系における遺伝子組換え技術の分野において、日進月歩のめざましい技術的進歩があった時期であるから、当該文献中の従来技術の記載が、当該論文作成時点での技術水準を正確に記述したものであったとしても、それから2年も経た後の本願優先日当時の技術水準を反映したものとはいえない。
ウ 前記のとおり、本願優先日当時、周知の天然hCGのヒトの体内の細胞内での生合成経路をも踏まえて、引用例1及び2に記載されたhCGのα及びβサブユニットそれぞれの分泌、糖鎖修飾に関わる全ORFを含む両遺伝子を、ヒトと同じ哺乳動物細胞宿主内で発現させれば、ヒト体内の細胞内と同様の生合成経路に従って、組換えhCGが、天然と同様のヘテロダイマー構造体に折り畳まれ、何らかの糖鎖修飾された状態で培養上清中に分泌されて取得できるだろうと予測することは、当業者にとって自然なことであり、その際に、hCGがヘテロダイマーであることは何らの阻害要因とはならない。 本件実験ノート(甲36〜38)の記載からも、本願発明の発明者らが、大腸菌を含めた他の形質転換宿主を検討して本願明細書記載の哺乳動物細胞宿主に到達した様子もなく、また、手元のベクターに特に改良を加えることなく、ルーチン的に順調に実験が進行している様子が窺われ、何らかの製法上の困難性に遭遇したことを示す記載は見当たらない。そして、取得したとするα、β-ヘテロダイマーに対して、糖鎖の量や組成だけでなく糖鎖の存在を確認する実験も行われた形跡がない。
このようなhCG遺伝子を取得してからの予測どおりの簡単な発現実験の過程をも勘案すれば、遺伝子組換えによって本願発明の組換えhCGを得ることが困難であったということはできない。
当裁判所の判断
1 宿主細胞の選択の誤認(取消事由1)について (1) 原告は、本願発明の宿主細胞の選択の容易性の前提となる優先日技術水準について、本件審決が、「本件優先日前には既にSV40含有ベクターを用いてマウスもしくはサル由来の哺乳動物細胞宿主のゲノム中にヒト由来生理活性タンパク質の遺伝子を導入することで、糖鎖も天然の修飾程度に極めて近く、生理活性も有する組換え体が得られた成功例が多数報告されていた時期である」と認定したことが誤りであると主張するので、以下検討する。
ア 乙3論文(題名「細胞に導入された組換え遺伝子の発現」)は、その発行日が昭和58年(1983年)12月5日(同年11月25日印刷)であり、本願優先日(同年11月2日)の直後であるが、本願優先日前の研究成果に基づいて、それ以前の「細胞に導入された組換え遺伝子の発現」に関する知見が集大成されて解説されたものであり、本願優先日前の一般的な遺伝子組換えの技術水準を適切に紹介した論文であると認められる。
同論文の「IV.発現能力をもつ組換え遺伝子の実例」には、「現在までに報告されている組換え遺伝子の細胞内(主に大腸菌、酵母菌および動物培養細胞)における発現例を列記することにする。それらの代表的な実験例は表2(…)にまとめられている。」(1488頁左欄)と記載され、「3.動物培養細胞に導入した場合」(1494頁右欄〜1496頁左欄)の項には、「これらの宿主-ベクターの組合せを利用してここ2〜3年の間に多数の報告がなされたが、これらはおおむね次の3つに大別できる。…第3は、種々の有用物質を動物培養細胞を用いて生産する試みで、インターフェロン106〜108)やB型肝炎ウイルス表面抗原125、126)などの報告がある。」(1496頁左欄)と記載され、これらの報告の実例が、「表2. 発現能力をもつ組換え遺伝子の実例(C)-動物培養細胞に導入した場合-」(1495頁)に示されており、動物培養細胞を用いて組換え遺伝子の発現を行った多数の報告がなされていたものと認められる。
さらに、同論文が掲載された「蛋白質 核酸 酵素 臨時増刊 組換え遺伝子の細胞への導入と発現」第28巻第14号(乙3)の「編集後記」では、
「1981年に…「遺伝子操作」と題する「蛋白質 核酸 酵素」臨時創刊号が出版されてからわずか2年間しか経過していないが、その間に蓄積されたこの分野の研究実績はすでに尨大であって」(1654頁)と記載されおり、昭和56年から58年にかけて、遺伝子組換え技術の分野で顕著な技術的進歩があったものと認められる。
イ 乙3論文の「表2」の実例の1つである参照文献127(「Nature Vol.302 (24 March 1983)p.305〜310」、乙4、甲22も訳文、以下「乙4文献」という。)には、糖鎖を有するヒト由来生理活性タンパク質であるヒトIL-2の「cDNAをサルウィルス40(SV40)プロモーター配列に結合させ、培養したサルCOS細胞を形質転換するため用いられたとき、ヒトIL-2に特徴的な生物学的活性を有するポリペプチドが生産された。」(305頁の要約の項、乙4訳文1頁)、「第5図に示されるように、このIL-2活性の用量作用曲線は、
天然IL-2のものと匹敵する。…COS細胞で産生されたIL-2の分子量が〜15,000であることを示しており、…Jurkat細胞で生成された真のヒトIL-2と見分けがつかなかった…。したがって、…cDNA配列によりコードされているタンパク質は、ヒトIL-2の公知特性の多くを示している。」(307頁右欄最終段落、同訳文1頁)と記載される一方、ヒトIL-2の一般的分析として、
「ジャーカット細胞由来のIL-2はインビボにおいてグリコシル化されない。この観察に一致して、ヒトIL-2の推定配列中には可能性のあるN-グリコシル化部位…が不在である。しかしながら、N-グリコシル化以外の修飾、例えばO-グリコシル化及びシアル酸化の存在は排除できない。」(307頁左欄、甲22訳文1頁)と記載され、第4図に、発現用に構築されたプラスミドDNAが示されている。
上記の前半の記載及び第4図によれば、ヒト由来生理活性糖タンパク質であるヒトIL-2を、SV40プロモーターに結合させて哺乳動物細胞であるCOS細胞で発現させると、天然IL-2と同程度の生物活性を有し、その分子量から見て一定のグリコシル化がされていると推認される組換えIL-2が得られたことが開示されていると認められる。他方、後半(甲22訳文)の記載によれば、ジャーカット細胞由来の天然のヒトIL-2は、生体内実験で、そのアミノ酸配列中にN-グリコシル化部位が存在していないため、N-グリコシル化されないが、その他の修飾がなされることは排除できないことが示されていると認められる。
ウ クローンしたインターフェロン遺伝子を含有するハムスター細胞によるヒトインターフェロンの産生に関する文献である「Nucleic Acids Research Vol.11,No.3,pp687-706(March 1983)」(乙10、以下「乙10文献」という。)には、「マウスジヒドロ葉酸還元酵素(dhfr)およびウイルスプロモーターのコントロール下にてヒトインターフェロン(IFN-α 5あるいはIFN-γ)コーディング配列を含有するハイブリッドプラスミドを、dhfr-チャイニーズハムスター卵巣(CHO)細胞中にトランスフェクトした。…CHO細胞由来のヒトIFN-γはグリコシル化されたことが示唆される。」(687頁「ABSTRACT」、訳文1頁)、「IFN-β(10-12)とIFN-γ(13-15)はグリコシル化されると考えられているのに対し、すべてではないとしても大半のヒトαIFNはグリコシル化されていない(4)。個々のIFNを大量生産することを目的として、これらコーディング配列を適切なプラスミド中に挿入し、
微生物中に発現させた。…正確にグリコシル化した真核生物由来タンパクは細菌内にて生産されるとは考えられないので、炭水化物群がIFNあるいはその他何らかのタンパクの生物学的活性に関するすべてのスペクトルに必要とされる場合は、別の生産システムを取り入れることが必要となろう。この問題に対する我々のアプローチは、真核細胞にてクローンした遺伝子を発現することであった。というのは、
得られたタンパクがグリコシル化され、かつ分泌されると考えることができるだけの理由が存在していたためである。…我々は、SV40初期プロモーターのコントロール下にて…コーディング配列を挿入した。…得られたヒトIFN-γはグリコシル化されたと考えられるが、IFN-αはそうではなかった。」(687頁「INTRODUCTION」、訳文1〜2頁)と記載されている。
これらの記載によれば、当該実験開始時点において、SV40の1部を含むベクターを構築し、哺乳動物細胞であるCHO細胞を用いて各種インターフェロン(IFN)を発現させた結果、天然でも糖タンパク質ではないIFN-αの組換え体はグリコシル化されなかったのに対し、天然で糖タンパク質であるIFN-γの組換え体はグリコシル化されており、CHO細胞等の哺乳動物細胞宿主を用いれば、糖タンパク質遺伝子の発現産物がグリコシル化され分泌されることが、既に知られていた事柄であることが示されていると認められる。
エ インフルエンザウイルスの赤血球凝集素の糖蛋白抗原(HA)遺伝子の発現を観察している文献である「Nature Vol.300 p.598-603(Dec.1982)」(乙11)には、「野生型遺伝子は、サルウイルス40(SV40)-HA組換えベクターから完全にグルコシル化されたタンパク中に高性能で発現することが示されており、抗原性の面と生物学的な面から活性を有する形状で感染細胞表面に示されている。」(598頁要約部分、訳文1頁)と記載されている。
この記載によれば、野生型遺伝子が、サルウイルス40(SV40)-HA組換えベクターから完全にグルコシル化されたタンパク質中に高性能で発現し、抗原性及び生物学的な活性を有することが示されていると認められる。
オ 同じくHA遺伝子を用いて、哺乳動物宿主細胞での発現を観察している文献である「Proc.Natl.Acad.Sci. USA Vol.78, No.9, p.5488-5492(Sep.1981)」(乙12)には、「A型インフルエンザウイルスの赤血球凝集素(…)についてコードしたクローン全長DNA配列を、SV40の生存可能な欠失突然変異体の後期領域に挿入し、早期SV40突然変異体(tsA28)ヘルパーの存在下にてハイブリッドDNAを増殖させた。…霊長類動物細胞へのハイブリッドウイルスの感染により、インフルエンザウイルスの赤血球凝集素と分子サイズが同等であるポリペプチドの産生を認めた。放射性の糖が取り込まれることから、ポリペプチドのグリコシル化が示された。赤血球の凝集から示されるように、推定上の赤血球凝集素には機能的活性が示された。」(5488頁「ABSTRACT」、訳文1頁)と記載されている。
この記載によれば、HAをコードした全長DNAをSV40の生存可能な欠失突然変異体に挿入し、霊長類動物細胞に感染させることで、HAと分子サイズが同等で、グリコシル化され、同等の機能的活性を示す組換え体が得られたことが示されていると認められる。
カ 同じくHA遺伝子の発現を観察している文献である「Nature Vol.293,p.620-625(Oct.1981)」(乙13)には、HA遺伝子を「SV40の初期遺伝子あるいは後期遺伝子のいずれかを置換することにより、感染細胞内において大量の赤血球凝集素を発現する組換えウイルスを構成した。…これは実際のインフルエンザウイルス赤血球凝集素と同一の分子量であり、細胞表面に蓄積されて赤血球吸収作用を発揮する。」(620頁要約、訳文1頁)と記載されている。
この記載によれば、感染細胞内において、実際のHAと同一分子量で、
機能も保持されている組換え体が得られたことが認められる。
キ B型肝炎ウイルス(HBV)の表面抗原遺伝子を用いて、哺乳動物宿主細胞での発現を観察した文献である「Proc.Natl.Acad.Sci.USA Vol.78, No.4, p.2606-2610(Apr.1981)」(乙14)には、「B型肝炎ウイルスの、DNAフラグメントを運搬するサルウイルス40(SV40)組換え体を構築した。この組換え体を感染させたサル腎細胞を培養したところ、B型肝炎ウイルス表面抗原が産生された。抗原は、物理的特性、抗原の構成、およびポリペプチド成分がB型肝炎患者の血清中にて発見された粒子と同一である、22nm粒子として培地中に排泄された。」(2606頁「ABSTRACT」、訳文1頁)、「HBV表面抗原遺伝子は大腸菌でも、138,000ダルトンのHBsAg-β-ガラクトシダーゼ融合ポリペプチドの1部分が既に発現物として得られている(33)。驚くには当たらないが、
この融合抗原はグリコシル化されておらず、粒子化されておらず、また細菌宿主外には排出されない。このように、哺乳動物細胞発現系では、最終的な遺伝子産物が修飾され、複雑な生物学的構造に折り畳まれたというこれらの実例からみて、多分、原核細胞における発現系を効果的に補う性質を備えているようである。」(2609頁右欄〜2610頁左欄、訳文1頁)と記載されている。
これらの記載によれば、HBVの表面抗原組換え体は、哺乳動物細胞宿主・SV40含有ベクター発現系で発現されると、抗原性が保持され、その物理的特性、抗原の構成及びポリペプチド成分も、B型肝炎患者血清中粒子と同一であると確認されるものであり、原核細胞宿主で発現された場合には起こらないとされる、グリコシル化及び複雑な生物学的構造の折り畳みが起こることが示されていると認められる。
ク 霊長類動物細胞におけるDNAの仲介する形質転換の高収率性に関する文献である「Science Vol.221, p.551-553(Aug.1983)」(乙18)には、「我々は、優位な選択可能マーカーを運搬する哺乳類ベクターの存在下にて、霊長類動物の細胞における、DNAの仲介する安定した「形質転換」に関する体系的な研究を実施した。我々の結果から、霊長類動物の細胞は、遺伝子転移受容株としてネズミ細胞と同等あるいは相対的に優れているといえることが示唆される。」(551頁右欄、訳文1頁)と記載されている。
この記載によれば、霊長類動物の細胞は、遺伝子転移受容株として相対的に優れており、これらを用いて、安定的な形質転換を行うことが示されていると認められ、当業者が、一般的な動物宿主細胞・哺乳類宿主細胞に関する研究成果を踏まえて、更に宿主細胞を霊長類動物細胞にまで進展させた研究開発を行っていることが理解される。
(2) 以上の各文献等の内容及び公開時期から認められるように、本願優先日前2〜3年間は、ヒト由来生理活性糖タンパク質の遺伝子組換え技術に焦点が当てられ、サルなどの哺乳動物細胞宿主・SV40含有ベクター発現系を用いた研究開発が活発になされており、それらの研究成果として、糖鎖で修飾されるとともに、ヒト由来生理活性タンパク質と同等の生理活性を有する、組換えヒト由来生理活性糖タンパク質が得られた旨の報告が多数行われ、当該分野における技術開発が顕著であったものと認められる。
ア このことは、原告自身も十分認識していたものと推認される。すなわち、原告による乙7意見書においても、「本願発明に用いたSV40による発現系は、本願優先日以前の1979年〜1982年に公表された文献6-9に記載された系であり、…SV40が一般的な発現ベクターであることが記載されています。」(乙7第2頁)、「当業者であれば、SV40を用いた旨の記載のみで発現されたタンパク質には糖鎖が付加されている(翻訳後修飾されている)ことは容易に認識するはずであります。」(同3頁)と述べており、本願優先日前に、ヒト由来生理活性糖タンパク質を哺乳動物細胞宿主・SV40含有ベクター発現系で発現させることが複数の文献で公表されていたこと、この発現系を用いることにより適切な糖鎖で修飾された組換え体を得ることができたこと及びこのSV40が一般的なベクターであったことを自認していたものと認められる。
したがって、本件審決が、「本願優先日前には既にSV40含有ベクターを用いてマウスもしくはサル由来の哺乳動物細胞宿主のゲノム中にヒト由来生理活性タンパク質の遺伝子を導入することで」、糖鎖修飾がなされ、「生理活性も有する組換え体が得られた成功例が多数報告されていた時期である」と優先日技術水準を認定した点に、誤りはない。
イ 原告は、本件審決が、文献も全く示さず「成功例が多数報告されていた」と認定したことが違法であり、この点について被告が提出した乙3論文中の文献番号1〜98も、細菌及び酵母を宿主とした例であり、哺乳類宿主は、同論文中の文献番号99〜127の20数件のみであるから、多数報告されていたとはいえないと主張する。
しかしながら、まず、出願(優先日)前の一般的な技術水準は、当業者であれば、当然把握しているものと解されるから、審決においてその認定をするに当たり必ずしも文献を示す必要がないことはいうまでもない。仮に、その認定内容に問題があるとすれば、当該審決の取消訴訟において、被告が具体的証拠を示してその当否を検討すればよいのであり、審決に当該技術水準に関する文献が示されていないことをもって違法とする原告の主張は、それ自体失当なものといわなければならない。
また、乙3論文が哺乳類宿主細胞の実例を29件示したことは、その限度においても相当数な事例であると認められる上、前記認定のとおり、本願優先日前2〜3年間において、ヒト由来生理活性糖タンパク質遺伝子について、サルなどの哺乳動物細胞宿主・SV40含有ベクター発現系が盛んに研究開発され、それらの研究成果として、糖鎖で修飾され、ヒト由来生理活性タンパク質と同等の生理活性を有するものが得られた旨の報告が多数行われており、顕著な技術開発があったものと認められるから、この点に関する原告の上記主張も、到底、採用することができない。
ウ さらに、原告は、本願発明に必須の「ヘテロダイマー」及び「糖鎖修飾」の両者の要件を満たす外来タンパク質の発現の成功例の報告はないと主張する。
しかし、本件審決は、本願優先日前、SV40含有ベクターを用いて哺乳動物細胞宿主の中にヒト由来生理活性タンパク質の遺伝子を導入することで、糖鎖修飾がなされ、生理活性も有する組換え体が得られた成功例が多数報告されていたと認定したのであり、この認定は、前示のとおり正当なものであって、「ヘテロダイマー」及び「糖鎖修飾」の両者の要件を満たす外来タンパク質の発現の成功例の有無により左右されるものではない(なお、このような成功例がないからといって、本願発明が進歩性を有するものでないことは、後記説示のとおりであるから、
原告の上記主張も採用することができない。)。
(3) 次に、原告は、本件審決が、優先日技術水準の認識を誤ったことを前提として、「ヒト由来の糖鎖で修飾された糖タンパク質ホルモンであるhCGを天然と同等の生理活性を有する組換え体で得ようとすれば、糖鎖が付加できない細菌宿主ではなく、ヒトにできるだけ近い宿主細胞である哺乳動物細胞を選択することは当業者がむしろ当然に選択する事柄であったといえる」と判断したことも誤りであると主張する。
しかしながら、 本件審決が認定した優先日技術水準に誤りがないことは前記のとおりであるから、原告の上記主張は、その前提を欠くこととなり理由がない。ただし、原告は、宿主細胞として哺乳動物細胞を選択することが困難であった旨をより詳細に主張するので、以下検討することとする。
ア 原告は、本願発明の目的が医薬の開発であるから、「天然物のhCGと同じ生物活性を有する組換え体を得ること」が目的であって、「天然物のhCGと同じ(糖鎖修飾の点についてまで同じ)組換え体を得ること」は、目的とされておらず、また、本件審決の上記認定は、「天然物のhCGと同じ糖鎖修飾がなければ天然物のhCGが有する目的とした生物活性が生じない」ということを前提とするものであるが、そのような前提は周知技術として認められず、むしろ、本願優先日当時、糖鎖修飾と生物活性の関係は十分解明されていなかったと主張する。
確かに、天然のhCGの糖鎖の構造は複雑であって、本願優先日当時、
未解明な部分もあったと認められるが(乙1、2)、上記優先日技術水準の認定のとおり、サルなどの哺乳動物細胞宿主・SV40含有ベクター発現系が研究開発された成果として、糖鎖で修飾されるとともに、ヒト由来生理活性タンパク質と同等の生理活性を有する、組換え糖タンパク質が得られた旨の報告が行われていたと認められる。
そして、hCGの糖鎖とその生理活性との関係に関して、「The Journal of Biological Chemistry, Vol.258, No.1, pp.67-74(1983.1)」(乙8、以下「乙8文献」という。)には、「サブユニットの一方または両方が脱グリコシル化するとホルモンの生物学的活性が劇的に低下することが示された。…脱グリコシル化hCGは上記ホルモン反応の強力なhCG活性阻害剤であることも見いだされた。これら研究はさらに、炭水化物がホルモン活性の発現には必要とされるが、サブユニットの会合…に関係していないことを示した。」(67頁要約、
訳文1〜2頁)、「サブユニットの一方または両方を脱グリコシル化すると、ホルモンの生物活性が劇的に低下する。天然のホルモンと異なり、脱グリコシル化hCGはラット黄体細胞中でのcAMPやプロゲステロンの産生といったインビトロでの細胞反応を刺激しない」(71頁左欄、訳文2〜3頁)と記載されており、これらの記載によれば、本願優先日前の研究において、天然hCGは、脱グリコシル化する(糖鎖を取り除く)ことでhCGのホルモン活性が劇的に失われてしまうこと、他方、サブユニットの会合には糖鎖が関係していないことが、それぞれ公表されていたものと認められる。また、後記認定のように、甲13及び14文献も、糖鎖を失ったhCGが、hCG本来のホルモン作用を引き起こすことが困難となる旨を実験報告として開示しており、hCGの糖鎖がそのホルモン活性と関わりがあることを推認させるものである(以下、乙8文献と併せて「乙8文献等」という。)。
このように、本願優先日当時、糖鎖で修飾され、ヒト由来生理活性タンパク質と同等の生理活性を有する、組換えヒト由来生理活性糖タンパク質が得られた旨の多数の報告が行われるとともに、乙8文献等に開示されるように、hCGの糖鎖がその生理活性と関りがある旨の研究報告がなされていたのであるから、生理的な活性を有するhCGの組換え体を得ようとする当業者が、宿主として哺乳動物細胞を選択し、糖鎖で修飾された組換え糖タンパク質を得ようとすることは、極めて自然な手法であると認められる。
そもそも、本件審決は、上記のとおり、優先日技術水準を前提として、
当業者が、天然と同等の生理活性を有する組換え体を得ようとすれば、糖鎖を修飾することが可能であり、生理活性を有するヒト生理活性糖タンパク質の組換え体の発現を期待することができる哺乳動物細胞宿主を選択することが当然の事柄であると判断したのであって、同判断が、天然物のhCGと同じ糖鎖修飾がなければ天然物のhCGが有する生物活性が生じないことを前提としたわけではないし、また、
本願発明の目的が、天然物のhCGと同じ(糖鎖修飾の点についてまで同じ)組換え体を得るものであると認定するものでもない。
したがって、原告の上記主張は、本件審決を曲解して非難するものであって、失当といわなければならない。
イ 原告は、ヘテロダイマー及び糖鎖修飾されるタンパク質の組換え発現に際しての宿主の選択において、糖鎖が生物活性に影響しないことが明らかであるか又はその可能性が考えられる場合には、ヘテロダイマーのαサブユニット及びβサブユニットの会合を干渉する可能性のある糖鎖を付加しない宿主、常識的には大腸菌を選択するはずであると主張する。
しかしながら、前記認定のとおり、本願優先日当時、糖鎖で修飾され、
ヒト由来生理活性タンパク質と同等の生理活性を有する、組換えヒト由来生理活性糖タンパク質が得られた旨の多数の報告が行われるとともに、hCGの糖鎖がその生理活性と関りがある旨の研究報告(乙8文献等)がなされていたのであるから、
糖鎖が生物活性に影響しないことが明らかであるか又はその可能性が考えられるとの前提は誤りである。
また、原告の上記主張は、哺乳類宿主細胞などを用いて糖鎖修飾を行った場合には、天然と同様の糖鎖を得ることが困難であり、かつ、そのような糖鎖修飾の後にサブユニットの会合が行われることを前提とするものであるが、前示のとおり、天然のhCGの糖鎖構造は、完全には解明されておらず、糖鎖構造とサブユニットの会合との関係も、完全には解明されていなかったものと推測されるから、
上記のように断定することはできない(むしろ、後記認定のとおり、サブユニットどうしは、小胞体内において初期の段階で結合され、その後細胞外に排出されるまでの間に糖鎖修飾がなされるものと予測される。)。しかも、優先日技術水準において、糖鎖修飾があることによりαサブユニット及びβサブユニットの会合が阻害されるとの知見を示す証拠はない(なお、本願優先日後、7年以上を経て発表された論文(甲34、1990年12月発行)において、αサブユニットの糖鎖がダイマー形成に影響することが示されたとしても、上記の認定は左右されない。)。かえって、乙8文献には、前記認定のとおり、糖鎖がサブユニットの会合に関係していないことが示されていたのであるから、当業者は、hCGの生理活性と関りがあると考えられていた糖鎖が、他方で、αサブユニット及びβサブユニットの会合を阻害するとの認識を有していたものとは認められない。
そうすると、前記優先日技術水準に基づいて、天然のhCGと同様の生理的な活性を有する組換えhCGを得ようとする当業者が、天然のhCGと同様に糖鎖修飾された組換えhCGを得ようとすることは、極めて当然のことであり、その場合に、糖鎖を修飾することができない大腸菌等の原核細胞を、組換えhCGの発現のための宿主として選択する余地はないものといわなければならない。なお、
当業者の客観的認識に関する上記の認定は、原告が当該分野の専門家とする学者の意見書(甲39)により左右されるものではない。
したがって、いずれにしても原告の上記主張を採用することはできない。
ウ 原告は、糖鎖を除去したhCGであっても、排卵阻害の生物活性を有することが示され(甲13)、糖鎖が、受容体への結合活性及び免疫活性について重要でなく、cAMP蓄積の刺激に重要であったことが示され(甲14)、さらに、
インターフェロンβ1(IFN-β1)を細菌細胞中で発現させ、組換え生成物が糖鎖を付加されていないにもかかわらず、抗ウイルス活性を示している(甲15)のであるから、hCGやIFN-β1などの糖タンパク質において、糖鎖に影響されない生物活性の存在が本願優先日前に明らかであり、このような事実が否定されなければ、大腸菌を宿主として選択する動機は否定されないと主張する。
この点に関し、「Contraception 1983 May;27(5):515-20」(甲13、
以下「甲13文献」という。)には、化学的に脱グリコシル化したhCG調製物(DG-hCG)について、「DG-hCGは排卵を阻害することができた。これらの結果は、DG-hCGがラットの生体内においてそのホルモン拮抗活性を及ぼし得ることを示す。」(訳文1頁)と、「THE JOURNAL OF BIOLOGICAL CHEMISTRY Vol.257, No.12, pp.7109-7115(1982.6)」(甲14、以下「甲14文献」という。)には、脱グリコシル化したhCGについて、「受容体結合及び免疫活性は完全に保持されたのに対して、当該ホルモンがラット小腸細胞において環状AMP蓄積をインビトロにおいて刺激する能力は完全に破壊された」(7109頁左欄要約、訳文1頁)と、「Journal of INTERFERON RESEARCH Vol.3, No.1, Pp.97-111(1983)」(甲15の1の1、以下「甲15文献」という。)には、「ヒト繊維芽細胞インターフェロン、INF-β1と略す、を成熟ポリペプチドをコードするクローン化cDNAの直接発現により大腸菌内で生産させた。…細菌のINF-β1は、培養物の中で成長したDaudi細胞の増殖を阻害することにおいて等しく活性であった。細菌のINF-β1は、ナチュラルキラー細胞の活性及び抗体依存性細胞毒性をインビトロにおいて増強することもできた。」(97頁要約、訳文1〜2頁)と、それぞれ記載されている。
これらの記載によれば、脱グリコシル化したhCGは、天然hCGのホルモン作用である排卵作用を阻害する性質を有することが認められ、また、受容体結合活性及び免疫活性は完全に保持されたのに対して、環状AMP蓄積ができないことも認められ、さらに、細菌細胞中で発現させられ糖鎖を付加されていないIFN-β1(上記訳文中では「INF-β 1」とされている。)は、抗ウイルス活性を示していることも認められる。
しかしながら、脱グリコシル化したhCGが上記の特性(活性)を有することは、以下のとおり、本願発明が目的とするhCG本来のホルモン作用を有すること、つまり、hCGとしての生物学的な活性を有することとは、別異の事柄である。
すなわち、本願発明における「生物学的に活性なhCG」の「生物学的に活性」について、特許請求の範囲に具体的な規定はなく、本願明細書(甲1、
2、6)においても明確な定義はないが、「このタンパク質はホルモン、最適にはhCG…などの性ホルモン…のような分泌タンパク質である。」(段落【0005】)、「本発明によって作られるhCGは、例えばヒトの生殖に関係する多数のよく知られた医療用途を有している。」(段落【0079】)と記載されており、
これらの記載によれば、本願発明の組換えhCGは、天然のhCGの有する上記性ホルモン活性を利用するような用途を意図するものと認められる。したがって、本願発明が、天然のhCGによる性ホルモン製剤と同等の作用効果を有しない、あるいは、その働きを阻害するような「ホルモン阻害作用」のみを有する、組換えhCGの産出を意図したものでないことは当然である。
また、hCGの総説である「蛋白質 核酸 酵素 臨時増刊 タンパク質研究の新しい視点-化学的研究を中心にして-」第27巻第12号中の論文「胎盤性性腺刺激ホルモン」(共立出版株式会社昭和57年9月5日発行、乙1、以下「乙1論文」という。)には、hCGの定義及び生物学的作用について、「ヒト胎盤性性腺刺激ホルモン(…hCG)は妊娠期間中に胎盤の脈絡膜絨毛栄養膜細胞(…)で生産される糖タンパク質ホルモンである1)。hCGは脳下垂体起源のヒト黄体形成ホルモン(…hLH…)と化学構造の上で、きわめてよく似ているだけでなく、両ホルモンともに卵巣及び睾丸に対する生物学的作用もよく似ている2)。hLHは正常な月経周期を保つように働くのに対して、hCGは受胎したときに月経周期の開始を妨げるように作用する。妊娠の初期におけるhCGのおもな役割は、黄体が衰えるのを防ぎ、子宮内膜を保持するのに必要なエストロゲンとプロゲスチンの分泌を続けさせるように黄体に促進的に作用することである3)。一般的に両ホルモンとも同じレセプターの部位で作用すると考えられている4,5)。」(1715頁左欄)と記載されており、hCGには、上記で定義される性腺刺激ホルモンの活性(以下「hCG活性」という。)を有することが必須であると認められる。
以上のことからすると、本願発明における「生物学的に活性」とは、
「ヒト胎盤性性腺刺激ホルモン」と称されるhCG本来の上記「hCG活性」を意味するものと解するのが相当であり、本願発明の「生物学的に活性なhCG」とは、少なくとも「hCG活性」を有する組換えhCGであると認められる。
そうすると、甲13及び14文献において、脱グリコシル化したhCGが、排卵作用を阻害する性質を有すること及び環状AMP蓄積をできないこと、あるいは、ホルモン作用と関わりなく受容体への結合活性等を有することは、いずれも本願発明の目的とする「hCG活性」に含まれるものではなく、むしろ、本願発明の「hCG活性」を阻害する性質を有するものといわなければならない(なお、
脱グリコシル化したhCGは、天然hCGと競合して受容体に結合した後に、自身は何の「情報」も伝達することができないため、細胞にhCGのホルモン作用を引き起こすことができず、結果として、天然hCGのホルモン作用を阻害したものと推測される。また、当該hCGが、受容体結合活性及び免疫活性を保持しても、環状AMP蓄積ができないことは、情報伝達物質の産生ができないために、hCGのホルモン作用を引き起こす情報伝達能力を失ったことを意味するものと認められる。)。そして、甲13及び14文献は、糖鎖を失ったhCGが、hCG本来のホルモン作用を引き起こすことが困難となる旨を開示しているのであるから、前示の乙8文献と同様に、hCGの糖鎖がそのホルモン活性に関わりがあることを示すものといえる。
なお、甲15文献におけるIFN-β1は、hCGと同様のヒト由来生理活性糖タンパク質ではあるが、hCGのような性ホルモンとは全く異なる物質であるから、IFN-β1が糖鎖を付加されていない状態で抗ウイルス活性を有するとしても、この研究結果が、hCG本来のホルモン作用と糖鎖との関係に影響を及ぼすものでないことは明らかである。
以上のとおり、糖鎖を除去したhCGやIFN-β1が、上記の「ホルモン阻害活性」等を有するとしても、当業者が、本願発明の目的とする「hCG活性」を得ようとする場合には、組換え生成物に糖鎖を付加することを意図することは当然であるから、糖鎖を付加することが困難な大腸菌を宿主細胞として選択する余地はなく、原告の上記主張は採用することができない。
そしてまた、当業者が、本願発明の「hCG活性」を得るためには、糖鎖を付加することが重要であるとの認識を有する以上、原告の主張するように、本願優先日前、大腸菌等の原核細胞が宿主細胞として最も広く用いられており、その遺伝子工学上の性質がよく理解されていたとしても、宿主細胞として選択される余地がないことは明らかである。
なお、原告は、乙1論文に基づいて、「hCG生物活性の多くが夾雑物によった」と主張する。しかし、同文献の「VV.おわりに」には、「hCGは高い糖含量のために、きわめて精製の困難なホルモンの代表であるが、最近の技術的進歩により高純度の製品が得られるようになった。ところがhCG本来の生物活性として数えられていたうちのいくつかの活性が精製が進むに従って、実際は來雑物からもたらされていたものであることが明らかにされて興味ある問題を提供するようになった。…前二者と同様に、ゲル炉過で酵素活性は…來雑物に由来するものと判定された。このような生物学的活性を有するものが來雑物として含まれている市販のhCG標品を臨床研究に供することおよび投与による臨床的影響の評価に対して今後深い考慮をはらわねばならないだろう。」(1722頁右欄)と記載されており、酵素活性が夾雑物に由来することを示しただけであって、本願発明の目的とする「hCG活性」が夾雑物に由来すると記載するものでないことが明らかであるから、原告の上記主張も採用することができない。
エ 原告は、乙4文献において、ヒトIL-2が、サル宿主(COS)細胞中でグリコシル化(糖鎖修飾)されなかった(甲22訳文)のであるから、糖鎖修飾に関して生物活性を付与する修飾が得られると予測することも、天然型と同じ構造をとると予測することも、困難であり、哺乳動物細胞を宿主として当然のように選択して、天然のhCGと同じ糖鎖を有するものを組換え体により製造することができるとは考えられないと主張する。
しかしながら、乙4文献中の原告指摘する記載(甲22訳文該当箇所)は、ヒトIL-2をサル宿主(COS)細胞中で発現させる実験を前提とするものとは証拠上認められず、前記認定のとおり、単に、ジャーカット細胞由来のヒトIL-2が、インビボ(生体内実験、その具体的内容は不明である。)において、N-型糖鎖を有することがなく、これは、そのアミノ酸配列中にN-グリコシル化部位が存在していないためである旨が示されているにすぎないから、原告上記主張は、その前提において誤りがある。
したがって、乙4文献の事例によって、天然の細胞内で糖鎖修飾されているタンパク質に対して天然と同様の活性を有する程度の糖鎖修飾が起こるであろうとの予測が困難となるものではないから、哺乳動物細胞を宿主細胞として選択する動機が失われるわけではなく、原告の上記主張も採用することができない。
2 hCGの合成の困難性(取消事由2)について 原告は、本件審決が、「両遺伝子を同一の宿主細胞ゲノム中に導入しようとすることは両遺伝子を等量発現させようとしていることからみても極めて自然な発想であって特別のものではなく」と判断したことは根拠がなく誤りであると主張するので、以下検討する。
(1) 原告は、本件審決が、上記判断の根拠として、「封入体を作りやすくサイズも小さい大腸菌ですら2つの遺伝子を等量発現させてダイマーとしたい場合にはまず同一の宿主内で発現させることが発想され成功している。」と指摘したことについて、大腸菌宿主は糖鎖修飾ができないので、糖鎖を修飾する本願発明の進歩性の判断と同一に論じられないと主張する。
しかしながら、本件審決における上記記載は、2つの遺伝子を等量発現させようとする場合に同一宿主内で発現させる手法が自然な選択であることを説示したものであり、その同一宿主細胞の例として大腸菌を示したにすぎない。そして、
上記の説示は、等量発現させようとする2つの組換え遺伝子を別々の宿主細胞に導入すべき特段の事情について主張立証がない以上、極めて常識的な指摘であり、原告の上記主張を採用する余地はない。
なお、物の発明である本願発明の構成自体、2つの遺伝子を発現させようとする場合に同一宿主内で発現させることを特定するものではなく、本願明細書においても、それぞれのユニットを別々の細胞で生産して同時培養し、その後培地中で会合させてヘテロダイマーを形成することも開示されている(段落【0081】)。
(2) 原告は、組換え発現に際して、αサブユニットとβサブユニットが等量(1:1)発現されるような構成しか採らないとは断言できないと主張し、また、
出願後実験記録(甲17)に基づいて、hCGのαサブユニットとβサブユニットを同一プロモーター下に配置して発現させた場合に、ダイマーを形成しない遊離のβサブユニットが、遊離のαサブユニットに比べて約9倍大量に存在した事実があるから、ヘテロダイマータンパク質の発現は、同一プロモーター下に1:1で遺伝子を挿入しても、予測どおりの結果が得られないことが明らかであると主張する。
しかしながら、hCGは、αサブユニット及びβサブユニットが等量の比率で構成されているヘテロダイマーである(当事者間に争いがない。)以上、その組換え発現に際して、まず、両ユニットが等量(1:1)発現されるような構成を採用することは当然である。
また、本願優先日前において、天然hCGの生合成経路の解明は相当程度進んでおり、αサブユニット及びβサブユニットをコードする遺伝子を同一の哺乳動物細胞宿主で発現させれば、それぞれのサブユニット遺伝子が、小胞体内において、ごく初期の段階で結合されるとともに成熟タンパク質の構造に折り畳まれ、ゴルジ体及び細胞外に排出されるまでの間に何らかの糖鎖修飾がなされた形で培養上清中に分泌されるであろうことは、十分に予測されることであったと認められる(乙15〜17)。したがって、当業者が、生物学的に活性な組換えhCGの発現を期待して、αサブユニット及びβサブユニットをコードする遺伝子を同一の宿主細胞ゲノム中に導入しようとすることは、自然な発想であるといわなければならない。
原告の提出する出願後実験記録(甲17)にも、「我々は、ヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)のα及びβの両ポリペプチドサブユニットをコードするDNAを、ウイルスのVP2及びVP1それぞれのコーディング配列に代えるようにして、単一のシミアンウイルス40(SV40)発現ベクターへ挿入した。このウイルス及び適当なヘルパーウイルスを感染させたサル細胞はダイマーのhCGを生成し、この系において生成されたhCGは、ゲル濾過上の標準hCG標品とクロマトグラフィー上同一であり、そしてマウス子宮重量アッセイにおいて生物学上活性であったことが示された。」(3644頁「ABSTRACT」、訳文1頁)と記載され、
本願優先日から2年後においても、αサブユニット及びβサブユニットをコードする遺伝子を同一の哺乳動物細胞宿主で発現させれば、組換えhCGが糖鎖修飾がなされた形で培養上清中に分泌されるという予測どおりの結果が得られたことが示されており、予測できないような効果は全く開示されていない。なお、同実験記録において、組換えhCGの産生と同時に過剰なβサブユニットが観察された(3646頁左欄〜3647頁左欄、訳文2頁)としても、本願発明の目的とした「組換えhCG」が産出されている以上、このような不完全なサブユニットが一定量産出されたことは、本願発明の目的とする有用な効果とは無関係であり、また、このことによって、組換えhCGを同一の哺乳動物細胞宿主で発現させて糖鎖修飾させようとする当業者の試みが左右されるものでもない。
いずれにしても、原告の上記主張を採用することはできない。
3 hCGの合成の困難性(取消事由3)について 原告は、本件審決が、「組換えhCGに係る本願発明は、本願優先日前の技術水準を勘案すれば、刊行物1及び2の記載に基づき当業者が容易に想到し得る範囲を逸脱するものではないと認められる。」と判断したことも誤りであると主張するので、以下検討する。
(1) 原告は、糖鎖修飾がなされたヘテロダイマータンパク質の異種宿主細胞内での発現において、生物活性を有するhCGを得る上で、ペプチド主鎖の正確な発現、糖鎖修飾、シアル酸化、ジスルフィド結合、タンパク質の折り畳み及びダイマーの集合等が理想的に生じるようにベクターの種類、遺伝子発現プロモーターの種類、宿主の種類等の正しい選択及びこれらの正しい組み合わせを得るまでに遭遇した困難は容易に回避できたものではなく、本願発明のhCGを現実に生産することは、困難なことであったと主張する。
しかしながら、本願発明の構成及び本願明細書の記載において、本願発明のhCGの発現のために、ベクターの種類、プロモーターの種類、宿主の種類等の選択及びこれらの組み合わせについて、前記優先日技術水準とは異なる独自に工夫した点は認められず、どのような困難をいかなる手法により解決したのかは、全く明らかにされていない。
すなわち、本願明細書及び図面の実施例においては、宿主細胞として「サルまたはマウス」(段落【0006】)を用い(実際の実験で用いられた細胞はどちらであるかは明細書中には明記されていない。)、pBR322とSV40とを組み合わせて使用し、これらと目的遺伝子との切断・接着と大腸菌内における増殖とを繰り返し、最終的に得られた環状DNAを、宿主細胞である哺乳動物細胞に導入して形質転換させたことが記載されているのみである。
そして、宿主細胞である哺乳動物細胞は、上記のとおりヒト生理活性糖タンパク質の発現に際し慣用されているものと認められ、「pBR322とSV40を組み合わせたベクター」も、例えば、乙4及び5文献に示されるように、組換えヒトIL-2及びヒトIFN-βを生産する場合に慣用のものと認められる。同様に、「当初、大腸菌により目的遺伝子を増殖させてから、これを取り出し、哺乳動物細胞に移植する」ことも常套の手段であったものと認められる(乙4、5)。
また、本願明細書には、「大腸菌の形質転換後に目的の構造を有するプラスミドpαβSVVP1を単離する。このプラスミドはhCGのαおよびβサブユニットの両方をコードするDNAを含み、従って宿主哺乳動物細胞内で両サブユニットを発現することができ、こうして生物学的に機能性のグリコシル化ヘテロダイマーhCGが生産される。(グリコシル化は翻訳後に起こる)。」(段落【0046】)と記載されており、ここで「従って」の前後の表現から明らかなとおり、
「hCGのαおよびβサブユニットの両方をコードするDNA」を含むプラスミドを作製すれば、当然のこととして、「宿主哺乳動物細胞内で両サブユニットを発現すること」ができるばかりでなく、「グリコシル化は翻訳後に起こる」ものとされており、その過程において特段の工夫がなされたものとは認められない。
上記事実は、原告が本願発明はhCGのα及びβサブユニット遺伝子そのものを単離した時点で完成したものと認識していたこと(乙7)からも首肯し得る。
さらに、仮に、「本件実験ノート」(甲36〜38)に記載されたとおりの実験が本願優先日前に行われたとしても、同実験ノートの記載上、本願発明の発明者らが、大腸菌を含めた他の形質転換宿主を種々検討した結果、最終的に本願明細書記載の哺乳動物細胞宿主に到達したものとは認められず、遺伝子組換え技術上の常套的な手法に従って順調に実験が進行している様子が窺われ、本願発明のhCGの発現のための組換えベクターの作製等についても、困難性があったとは認められない。
したがって、原告の上記主張は採用することができない。
以上の説示に照らして、本願優先日当時、哺乳類遺伝子の異種哺乳類宿主における発現が「当業者なら成功する」という技術水準ではなかったとする原告の主張が採用できないことも明らかである。
なお、原告は、上記の発現に関し、乙3論文中の文献106(甲15の2)において、「失敗して当たり前の程度の成功率とされている。」と記載されている旨を主張するが、当該記載に関する訳文は提出されておらず、検討することができない(仮に、訳文が提出されたとしても、当該文献自体、受入日が本願優先日から約2年も前の1981年10月及び12月であって、当該文献中の従来技術の記載が、本願優先日当時の技術水準を正確に反映したものとは言い難いと思われる。)。
(2) 原告は、モノマー生理活性糖タンパク質組換え体の異種哺乳類細胞における発現の成功例があったとしても、ヘテロダイマー糖タンパク質の発現に多数の試行錯誤が必要であったため、被告が、hCGや類縁のホルモンタンパク質以外の発現の公知例は提示できず、また、引用例1及び2の著者らは、3年もの間、hCGの発現に成功しなかったのであり、このことは本願発明が容易に完成できないことを示すと主張する。
しかしながら、ヘテロダイマー糖タンパク質を発現した文献が呈示されないことや、引用例1及2の著者らが直ちにhCGを発現しなかったことは、必ずしもhCGの発現の困難性を示すものではない。仮に、原告が主張するように、本願発明の組換えhCGの発現に多数の試行錯誤が必要であり、何らかの困難性があったのであれば、上記のような間接的な事実ではなく、具体的に困難性を有する事実(及びその解決手法)を摘示すべきであるが、本願明細書等にそのような事実を確認するに足る記載がないことは前示のとおりであり、本願発明の組換えhCGの発現に際して、hCGがヘテロダイマー糖タンパク質であることが阻害要因となるような具体的指摘はない。
したがって、当業者は、既に単離されたαサブユニット及びβサブユニット遺伝子の全塩基配列である引用発明1及び2に基づいて、本願発明を容易に想到することができたものであり、原告の上記主張も採用することができない。
なお、原告は、欧州・米国において、本願発明の対応特許出願に関し、各サブユニット遺伝子の単離を記載した引用例1及び2を意識しながら特許が認められている(甲18、19)ことは、本願発明の進歩性を示すものであると主張するが、欧州・米国の特許(商標)庁の出願審査において、本件審決と同様の審理検討がなされたか否かは明らかでなく、また、その結論により、上記の認定判断が左右されるものでもないから、原告の上記主張を採用する余地はない。
4 結論 以上のとおり、本願発明は、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないものであり、これと同旨の本件審決の結論には誤りがなく、その他本件審決にこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。
よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 北山元章
裁判官 青柳馨
裁判官 清水節