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関連審決 不服2005-19656
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審判番号(事件番号) データベース 権利
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平成19行ケ10361審決取消請求事件 判例 特許
関連ワード 物の発明 /  容易に実施 /  周知技術 /  技術的範囲 /  実施可能要件 /  試行錯誤 /  技術常識 /  発明の詳細な説明 /  パリ条約 /  優先権 /  模倣 /  参酌 /  置換 /  実施 /  拒絶査定不服審判 /  拒絶査定 /  拒絶審決 /  前置審査 /  拒絶理由通知 /  請求の範囲 /  拡張 / 
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事件 平成 20年 (行ケ) 10272号 審決取消請求事件
原告ノバルティスバクシンズ アンドダイアグノスティッ クス,インコーポレーテッド (審決上の表示カイロン コーポレイション)
同訴訟代理人弁理士山本秀策
同 ?谷剛志
同 長谷部真久
被告特許庁長官
同 指定代理 人上條肇
同 北村明弘
同 鵜飼健
同 小林和男
裁判所 知的財産高等裁判所
判決言渡日 2009/09/02
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
請求
特許庁が不服2005-19656号事件について平成20年3月13日にした審決を取り消す。
事案の概要
1 特許庁における手続の経緯原告は,1990年(平成2年)3月15日,国際特許出願をし(特願平2-505094号。パリ条約による優先権主張1989年(平成元年)3月17日,同年4月20日,同年5月18日,いずれもアメリカ合衆国。),その一部を平成8年9月6日に新たな特許出願をし(特願平8-237015号),更にその一部につき平成10年4月6日,新たな特許出願をした(特願平10-93767号。以下「本願」という。)。そして,原告は,本願出願後,平成11年6月3日付け手続補正書(甲5の3),平成14年8月22日付け手続補正書(甲5の7)及び平成16年2月20日付け手続補正書(甲5の11)を提出した。しかし,原告は,平成17年7月8日付けの拒絶査定を受けたので(甲5の13),同年10月11日,これに対する審判請求(不服2005-19656号事件)をすると共に,同日付け手続補正書(甲5の15)を提出した。
特許庁は,平成20年3月13日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし(以下「本件審決」という場合がある。付加期間90日),その謄本は,同年同月26日に原告に送達された。
2 特許請求の範囲平成17年10月11日付け手続補正書(甲5の15)による補正後の本願の請求項1は,下記のとおりである(請求項の数は11である。)。
「【請求項1】少なくとも8個のアミノ酸の連続する配列からなるポリペプチド中の部位に免疫学的に結合する,抗C型肝炎ウイルス(HCV)抗体であって,ここで,該部位は,HCVに対する抗体によって結合され得,そして該少なくとも8個のアミノ酸の連続する配列は,以下のアミノ酸配列:【化1】(判決注:1位のMetから457位のAlaまでの457アミノ酸からなる配列。具体的配列はここでは省略);もしくは【化2】(判決注:2880位のProから2955位のLysまでの76アミノ酸からなる配列。
具体的配列はここでは省略)中に1または数個の欠失,挿入,または置換を有するアミノ酸配列から得られる,抗体。」(以下この発明を「本願発明」という。)3 審決の内容別紙審決書の写しのとおりである。要するに,本願に係る明細書(甲4,5の15。以下「本願明細書」という。)の発明の詳細な説明に,当業者が容易に実施することができる程度に記載されておらず,本願について,平成2年法律第30号による改正前の特許法(以下「旧特許法」という。)36条3項に規定する要件を満たしていないから,特許を受けることができないとするものである。
争点に関する原告の主張
審決には,以下のとおりの誤りがあるから,取り消されるべきである。
1 取消事由1(本願発明の認定の誤り)審決は,本願発明の「HCVに対する抗体」(C型肝炎ウイルスに対する抗体)が「本件の特定HCV変異体(本件HCV)に対する抗体」及び「その他の天然に存在し得るHCV変異体に対する抗体」を包含すると認定したが,誤りである。
本願明細書には,「HCVに対する抗体」について定義がないことから,他の記載を参酌すると,「HCVに対する抗体」とは,【化1】〜【化2】に示されるアミノ酸配列を有するポリペプチドを含むC型肝炎ウイルスに対する抗体,すなわち本件HCVに対する抗体のみを意味し,「その他の変異HCVに対する抗体」を意味するものではないことは明らかである。
2 取消事由2(実施可能要件違反の判断の誤り)(1)本願明細書に実施形態を網羅的に実施することの記載を要するとの判断の誤り旧特許法36条3項に規定する,いわゆる実施可能要件は,本願発明を使用し,製造することができることを記載すれば足りるのであって(甲19),「網羅的に得ること」を記載することを要するものではないと解すべきである。バイオテクノロジー関連発明の審査では,すべての実施形態を「網羅的に得る」ことを要求することは著しく不合理であり,出願人に酷な結果をもたらし,ひいては発明を奨励するという特許法の趣旨に反する。したがって,本願発明が実施可能か否かは,本来任意に選択された一個の部分(本件では抗体)が実施可能,すなわち生産及び使用をすることができるように本願明細書に記載されているか否かによって判断されるべきであるから,その実施形態を「網羅的」に得ることが必要であるとした審決の判断には誤りがある。
(2) 技術常識に反する判断の誤り本願発明は,下記のとおりの本願優先権主張日の技術常識に基づけば実施可能であるから,審決の判断は誤りである。
ア本願優先権主張日当時,ペップスキャン技術(網羅的なペプチド合成と抗原抗体反応によって対象となるポリペプチド・タンパク質中の抗原性の部位を特定できるもの)は周知技術ないし技術常識であり(甲3,9ないし16,23),本願明細書にも段落【0115】において記載されているところ,ペップスキャン技術によれば,本願発明の基本となる変異のない配列(以下「元配列」という場合がある。)については,過度の試行錯誤をすることなく対象となるポリペプチド・タンパク質中の抗原性の部位を特定することができる。そして,本願発明が「本件HCVに対する抗体」に結合されることが前提であることを考慮すると,本願発明を実施するためには,本件特定のHCVに対する抗体への結合能を担保する,ペップスキャンで抗原性の部位が同定されたポリペプチドにおいて,1または数個の変異(置換,挿入,欠失)を行なって結合性を保持するか否かを確認し,喪失したものを排除していけば足りる。
イ変異実験においては,設計された配列を有するペプチドを合成する。8マー程度の長さであれば,甲3記載の合成手法によって容易に製造することができる。そして,数十箇所程度において,保存的置換(判決注:ポリペプチド,タンパク質を構成するアミノ酸の一部のものが,物理化学的に類似した他のアミノ酸に置き換わることを意味するものと解される。甲20によれば,多くて3種類)の実験を行なった場合の実験個数は,甲3において,抗原性の部位は5アミノ酸程度であるから,仮に5マーが50箇所あったとしても,1000種類程度にとどまる。欠失をさせる場合は,5マーが50箇所あったとしてその各々を欠失することになるから250種類,挿入については事実上置換と同様に考慮することができ,1000種類程度を考慮すれば足りる。そして,1個の置換で抗原性を喪失する例がほとんどであるから,1個の置換,挿入,欠失の結果,なお抗原性を保持している例は半数以下と見積もられる。
抗原性を保持するものについて2個目の変異を導入することになるが,その場合にも抗原性を保持する例はまれであり,ほとんど存在しない。2個目でも抗原性を保持したものについては,さらに3個目,4個目の変異を導入する必要があるが,その数は非常に限定的であり無視できる回数である。
なお,抗原性のない部位が変異によって抗原性を獲得することは実際にあり得ないし,仮にあったとしても,抗原性を獲得した配列は,本件HCVに対する抗体が結合するとして網羅的に同定されたポリペプチドと同一の配列となるから,到達する経路における相違(「本件HCVに対する抗体」が結合する配列から出発するか,又は無関係な配列から出発するかの相違)にすぎないから,このような抗原性のない部位が抗原性を獲得することを考慮する必要はない。
したがって,本願発明は,ペップスキャン技術,タンパク質技術における法則性等を考慮すると,仮に網羅的に個々のペプチドを入手することが必要であったとしても,当業者に過度の実験を要することなく実施することができ,その実験数は2万6320種類で足りる。
3取消事由3(新たな拒絶理由につき拒絶理由通知をしなかったことによる手続的瑕疵)審判合議体は,第2回審尋(甲5の19)になってはじめて「C型肝炎ウイルスに対する抗体」が「本件の特定HCV変異体に対する抗体」と「その他の天然に存在し得るHCV変異体に対してのみ結合し得る,特異的抗体」の両方を包含するとの解釈を示し,この解釈に基づいて新たな実施可能要件違反の拒絶理由を告知した。この場合の拒絶理由は新たな拒絶理由であるから,拒絶理由通知をして原告に補正の機会を与えるべきであるにもかかわらず,審尋としたことは,特許法159条,50条に違背するものであり,手続上の瑕疵がある。
4取消事由4(第2回審尋に対する第2回回答書添付の補正案についての判断の誤り及びそれに伴う手続的瑕疵)原告は,第2回審尋において示された拒絶理由に対して,平成20年2月19日付け回答書において補正案(甲5の20)を提出し,「HCVに対する抗体」は「本件HCVに対する抗体」を意味することを明らかにした。これに対し,審決は,上記補正案の内容は,本願明細書に記載された範囲内で行なわれるものではないから,不適法であると判断したが,誤りである。本願明細書の記載及び技術常識を総合すれば,上記補正案は新たな技術的事項を導入するものではなく,明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてなされた補正であることは明らかである。
被告の反論
原告が主張する取消事由には理由がなく,審決に違法はない。
1 取消事由1(本願発明の認定の誤り)に対し本願発明に係る特許請求の範囲には,「HCV」とのみ記載され,「変異HCV」を排除する対立概念として記載されているわけではない。そして,本願明細書の【0029】には,HCVのようなゲノムがRNAで構成されているウイルスは偶発変異率が高いので,HCV種の中には「毒性」又は「無毒性」であり得る多くのウイルス株があることが説明され,そして,「「HCV」という用語は,本願で用いる場合,その病原株がNANBHを発病させるウイルス種及び弱毒化されたウイルス株または後者由来の欠損干渉粒子を意味する。」と記載されている。また,一般にHCVのゲノムが変異し,そのアミノ酸配列が変異した場合には,当該HCVの抗原性も変異し,その結果,当該変異したHCVにのみ結合する抗体が生じ得ることは十分に想定できるが,本願明細書に,HCV変異体ポリペプチドを,特定のHCV変異体に免疫学的に結合する抗体にのみ結び付けるような記載はない。さらに,原告は,審査の過程において,本願発明の「HCV」を「本件HCV」に限定していなかった。
以上によれば,本願で用いる「HCV」という用語には,HCV変異体が含まれることは明らかであり,本願明細書にそのゲノムの具体的配列が記載されている特定のHCV変異体に限定しているものではない。
原告の主張は失当である。
2 取消事由2(実施可能要件違反の判断の誤り)に対し(1)本願明細書に実施形態を網羅的に実施することの記載を要するとの判断の誤りに対し本願発明が実施可能であるか否かは,本願発明に包含されるあらゆる選択肢が実施できるように本願明細書に記載されているか否かによって判断されるべきである。
すなわち,明細書,図面において具体的に記載された実施の形態から明細書の他の記載及び技術常識に基づいて発明に明確に包含される技術的範囲の全域にわたって当業者が容易にそれを得られるような技術を開示しているか,又は開示するまでもなく当業者が容易にそれを得られるような科学的根拠が出願時に知られていた場合に限り,網羅的に得られたことが記載されていなくても,当業者が容易にその実施をすることができる。
しかし,本願発明の抗体については,【化1】〜【化2】のアミノ酸配列中に1または数個の欠失,挿入,または置換を有するアミノ酸配列から得られる,少なくとも8個のアミノ酸の連続する配列であればいかなる配列であっても当該配列からなるポリペプチド中の抗原性部位に免疫学的に結合するHCV抗体が必ず存在するなどという技術常識が存しない以上は,当該少なくとも8個のアミノ酸の連続する配列からなるポリペプチド中の抗原性部位がHCV抗体に結合するか否かは,当該配列を有するポリペプチドの1つずつについてHCV抗体との免疫反応性を調べて検証する他はなく,そのような逐一の検証を経なければ,当該部位に結合するHCV抗体が具体的にいかなるHCV抗体であるかも分からない。
そうすると,本願発明のHCV抗体のすべてが本願明細書の記載及び出願当時の技術常識に基づいて容易に得られるということはできない。
(2) 技術常識に反する判断の誤りに対しア原告は,周知技術ないし技術常識であるペップスキャン法によれば,本願発明を網羅的に実施できると主張する。しかし,ペップスキャン法は,抗体とペプチドの結合の有無を順次判別するためのツールでしかなく,当業者に膨大な化合物からなる選択肢を絞り込むための具体的な指針・目安を与えるものにはなり得ない。したがって,ペップスキャン技術が周知技術ないし技術常識であっても,当業者は本願明細書の記載及び周知技術から本願発明を容易に実施することはできない。
イ原告は,本願発明の「HCVに対する抗体」が「本件HCVに対する抗体」に特定されるとの前提で抗原性の部位は28箇所と見積もられると主張する。
しかし,「HCVに対する抗体」は,連続エピトープに対するものだけではなく,不連続エピトープに対するものもあり得るから,原告の主張する方法では,本願明細書に具体的配列が記載された特定のHCV変異体に対する抗体に結合する部位ですら網羅的な決定を行なうことはできない。
そして,本願発明に係る「HCVに対する抗体によって結合され得」る部位は,本願明細書に具体的配列が記載された特定のHCV変異体に対する抗体によって結合され得る部位に限られず,アミノ酸配列が異なる他のHCV変異体に対し産生される新たなHCV抗体によって結合され得る部位も含まれるのであり,そのような新たな部位は,HCVの原形株の情報をもとにした合成ポリペプチド抗原を用いて,ペップスキャン法によって「抗原性がある」とされる部位とは必ずしも同一ではない。
ウ原告は,保存的置換の実験を行なった場合の実験個数は抗原性の部位は5アミノ酸程度にとどまるから,仮に5マーが50箇所でも1000種程度にとどまると主張する。しかし,本願発明に係る請求項1は「置換」について「保存的」な特定のアミノ酸の組合せに限定されず,当然「欠失」又は「挿入」の場合も含まれるから,実験個数が1000種類程度にとどまることはあり得ない。
また,乙2,3によれば,元来抗原性を持っていない部位が変異によって抗原性を獲得することがあり得る。すなわち,乙2にはHCVエピトープにおける株間の多様性があることが記載されており,「HCVエピトープ」は,HCVにおいて抗原性を持っている部位であって,株間で異なっており,ある株では抗原性を持っていても別の株では配列が異なるから,抗原性を持っておらずエピトープとはならないものがあることを意味する。そして,乙3によれば,N末端から数えたアミノ酸の一次構造上の位置として同じではあるが,そのアミノ酸の配列が変異した別のHCV株に由来する別の配列となることによって抗体が生じることが記載されている。
したがって,元の抗原性部位が変化したり,新たな抗原性部位が生成したりすることがあるから,必要な実験数が2万6320種類で足りるとの原告の主張はその前提において誤りである。
3取消事由3(新たな拒絶理由につき拒絶理由通知をしなかったことによる手続的瑕疵)に対し(1)拒絶査定における拒絶理由と,第2回審尋及び審決に示した拒絶理由とを対比すると,両者において拒絶理由とされた条文の根拠は同一である。第2回審尋及び審決は,本願発明に含まれる様々な抗体を「本件HCVに対する抗体」及び「その他の天然に存在しうるHCV変異体に対する特異的抗体」に大別し,拒絶査定時よりさらに詳細に例を挙げることにより,本願発明に含まれる様々な抗体が本願明細書の発明の詳細な説明に当業者が容易に実施することができる程度に記載されていないと判断した。したがって,拒絶査定における拒絶理由と第2回審尋及び審決における拒絶理由とは異なるものではない。仮に,拒絶理由が異なると解釈される点があるとしても,実質的に通知されていたものであるか,審査手続において既に通知した拒絶理由の内容から容易に予想されるものであるから,改めて拒絶理由を通知することにより出願人に対し意見書の提出又は補正の機会を与えることを要しない。原告の主張は失当である。
(2)被告は,審査段階における拒絶理由通知において,本願発明の抗体には本件HCVに結合しない抗体が含まれることを指摘しており,原告もこれを認めていたのであるから,第2回審尋における拒絶理由は新たな拒絶理由ではない。原告の主張は失当である。
4取消事由4(第2回審尋に対する第2回回答書添付の補正案についての判断の誤り及びそれに伴う手続的瑕疵)に対し(1)原告は,平成17年10月11日付け拒絶査定不服審判の請求の日から30日以内に第2回回答書に記載の補正案に係る手続補正書を提出しなかったのであるから,補正の機会を逸したものであって,その後に補正の提案をしても特許法の予定する補正手続ではない以上,審判合議体がこれを審理の対象とする義務はない。
また,特許庁からの審尋に対する回答書において,特許請求の範囲の補正案を示したからといって,補正の機会を与えるべき法的義務があったということもできない。
(2)本願明細書には,補正案の請求項1で規定された特定のポリペプチドについては記載されておらず,上記補正案は,当業者によって本願明細書のすべての記載を総合することによって導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入したものであることは明らかである。審決の判断に誤りはない。
当裁判所の判断
当裁判所は,原告主張の取消事由3(新たな拒絶理由につき拒絶理由通知をしなかったことによる手続的瑕疵)の一部には理由があるものの,原告主張の手続的瑕疵は審決の結論に影響を及ぼすものとはいえず,その余の取消事由には理由がなく,原告の請求には理由がないものと判断する。以下理由を述べる。
1 取消事由1(本願発明の認定の誤り)について(1) 本願明細書の記載本願明細書(甲4,5の15)には,以下の記載がある。
ア「【発明の実施の形態】I.定義「C型肝炎ウイルス(hepatitisCvirus)」という用語は,非A非B型肝炎(NANBH)の従来知られていなかった病原因子に対して,この分野の研究者が保留していた用語である。従って,本願で用いる場合,「C型肝炎ウイルス」(HCV)という用語はNANBHの病原因子を意味し,またこのNANBHは,以前にはNANBVおよび/またはBB-NANBVと呼ばれていたものである。本願では,HCV,NANBV,およびBB-NANBVという用語を互換性のある語として使用する。この用語法を拡張して,以前はNANB肝炎(NANBH)と呼んでいたHCVによって発病する疾患をC型肝炎と呼ぶ。本願では,NANBHとC型肝炎という用語を互換性のある語として使用してもよい。」(段落【0028】)イ「「HCV」という用語は,本願で用いる場合,その病原株がNANBHを発病させるウイルス種,および弱毒化されたウイルス株または後者由来の欠損干渉粒子を意味する。後に述べるように,HCVゲノムは,RNAで構成されている。RNAを含有するウイルスの偶発変異率が比較的高いということが知られており,すなわち組込まれたヌクレオチドあたり10〜10のオーダーであると報告されている〔フィールズとナイプ(-3 -4Fields&Knipe)1986年〕。それ故,後に述べるHCV種の中には,毒性または無毒性であり得る多くのウイルス株がある。本願記載の組成物と方法とによって,種々のHCV株または単離体の増殖,同定,検出,および単離を行うことができる。さらに本開示内容によれば,各種ウイルス株に対する診断薬およびワクチンを調製することができ,またHCVの複製を阻害する薬剤のような薬理学的用途の抗ウイルス剤をスクリーニングする手法に有用な組成物および方法が得られる。」(段落【0029】)ウ「本願が提供する情報は,HCVの原形株またはHCV単離体〔以後,CDC/HCV1(HCV1とも呼ばれる)と呼ぶ〕に由来するものであり,ウイルス分離学者がこの種に属する他のウイルス株を同定するのに充分なものである。本願が提供する情報によれば,HCVがフラビ様ウイルス(Flavi-likevirus)であることが確認できる。」(段落【0030】)(2) 本願発明の「C型肝炎ウイルスに対する抗体」の意義前記(1)の記載及び弁論の全趣旨を総合すれば,本願発明は,従来,病原因子が明らかでなく,A型肝炎やB型肝炎と区別して認識されていたにとどまる非A非B型肝炎の原因ウイルスの一つの株を発見,同定して,そのゲノムRNAのcDNA配列を解析し,対応する推定アミノ酸配列の情報を【化1】〜【化2】として提供するとともに,かかる原因ウイルスに対して,A型,B型に続くC型の肝炎ウイルス(HCV)という概念を提唱し,この中にはゲノムが偶発変異した多くの株が存在するであろうことを開示したものと理解することができる。
そして,前記(1)の記載によれば,「C型肝炎ウイルス」について,?@「HCV」と同義であること,?ANANBH,すなわち非A非B型肝炎を発病させるウイルス種,および弱毒化されたウイルス株または後者由来の欠損干渉粒子を意味すること,?B上記の肝炎の原因ウイルスであって,そのゲノムが偶発変異した多くの株を包括的に意味するものであると認められる。
したがって,本願発明にいう「C型肝炎ウイルスに対する抗体」とは,C型肝炎ウイルスの原因ウイルスであって,そのゲノムが偶発変異した多くの株に対する抗体を包括的に意味するものと解され,これと同旨の審決の認定に誤りはない。
(3) 原告の主張に対し原告は,本願明細書の段落【0020】,【0023】,【0025】,【0038】,【0064】,【0136】,【0203】,【0204】の記載から,本願発明の「C型肝炎ウイルスに対する抗体」とは,【化1】〜【化2】に示されるアミノ酸配列を有するポリペプチドを含むC型肝炎ウイルスに対する抗体を指すと解すべきであると主張する。
しかし,原告の主張は失当である。すなわち,【0038】の「変異HCV」,【0064】の「変異配列」,【0136】の「部位特異的変異誘発法」はいずれも一般的な説明のための用語であり,「C型肝炎ウイルスに対する抗体」の解釈に影響を及ぼすものではないし,段落【0020】,【0023】,【0025】,【0203】,【0204】の「HCVに対する抗体」,「HCV抗体」,「HCV抗原に対する抗体」の記載は,特定の株に対する抗体を意味するものと解されるが,かかる記載をもって上記「C型肝炎ウイルスに対する抗体」の解釈に影響を及ぼすものではない。
原告の主張は,理由がない。
2 取消事由2(実施可能要件違反の判断の誤り)について(1)本願明細書に実施形態を網羅的に実施することの記載を要するとの判断の誤りア原告は,旧特許法36条3項所定の実施可能要件の判断に当たり,本願発明が実施可能か否かは,本来任意に選択された一個の部分(本件では抗体)が生産及び使用をすることができるように本願明細書に記載されていることで足りると解すべきであるにもかかわらず,審決が「網羅的」に得ることが必要であるとした点には,誤りがあると主張する。
旧特許法36条3項は,「・・・発明の詳細な説明には,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に,その発明の目的,構成及び効果を記載しなければならない。」と規定する。特許権は,公開することの代償として,物の発明であれば,特許請求の範囲に記載された「その物」について,実施する権利を専有することができる制度であることに照らすならば,公開の裏付けとなる明細書の記載の程度は,「その物」の全体について実施できる程度に記載されていなければならないのは当然であって,「その物」の一部についてのみ実施できる程度に記載されれば足りると解すべきではない。したがって,原告の上記主張はその前提において失当である。
イ原告は,バイオテクノロジー関連の分野では,実施可能要件は,すべての実施形態を網羅的に得ることを要求していないのが現状であり,それを要求することは,出願人に酷な結果をもたらし,ひいては発明を奨励するという特許法の趣旨に反し,著しく不合理であると主張する。
確かに,バイオテクノロジー関連の分野では,発明の詳細な説明において,「欠失,挿入または置換」されたすべての実施態様が具体的に記載されていなくても,特許請求の範囲において,特定のアミノ酸配列を示し,さらに同配列中の「1又は数個が欠失,挿入または置換」等がされた場合をも包含する形式での記載が許容される場合がある。
新規かつ有用な活性のある遺伝子に関連した技術分野において,当該分野のすぐれた発明等を奨励する観点,及び,仮にそのような記載が許容されなかった場合に第三者の模倣を阻止できず,独占権としての実効性を確保できない不都合を回避する観点から,特許請求の範囲に,特定のアミノ酸配列等を示した上で,同配列中の「1又は数個が欠失,挿入または置換」等がされた場合をも包含する記載が許容される場合があってしかるべきであるといえよう。しかし,そのような形式で特許請求の範囲の記載が許される場合であっても,そのことが,当然に発明の詳細な説明の記載については,一部の実施のみの開示によって,実施可能要件を充足するものと解すべきことを意味するものではない。すなわち,特許請求の範囲に,新規かつ有用な活性のあるポリペプチドを構成するアミノ酸の配列が包括的に記載(配列の一部の改変を許容する形式で記載)されている場合において,元のポリペプチドと同様の活性を有する改変されたポリペプチドを容易に得ることができるといえる事情が認められるときは,いわゆる実施可能要件を充足するものと解して差し支えないというべきであるが,これに対し,上記のような形式で記載された特許請求の範囲に属する技術の全体を実施することに,当業者に期待し得る程度を越える試行錯誤や創意工夫を強いる事情のある場合には,いわゆる実施可能要件を充足しないというべきである。
本件では,特許請求の範囲の記載は,本願発明に係る抗体を得るためのポリペプチドのアミノ酸配列数が,わずかに「少なくとも8個」であり,かつ,同配列中の「1個または数個のアミノ酸が欠失,挿入または置換」を含めたものとされているが,発明の詳細な説明には,そのようなわずかな配列数で特定されたポリペプチドを基礎として,これと同様の活性を有するポリペプチドを得るための改変を含む態様が,当業者にとって,容易に実施できる程度に開示されているとはいえない。したがって,原告の上記主張は採用することができない。
(2) 原告の主張に対しこの点,原告は,?@本願優先権主張日当時,ペップスキャン技術は周知技術であるところ,本願発明の元配列については,ペップスキャン技術によって,抗原性の部位を容易に同定し得,これに基づいて,本願発明の抗原性のペプチドを容易に網羅的に決定できる,?A本願発明を実施するには,上記ペップスキャン技術によって同定されたペプチドにおいて,1又は数個の変異(欠失,挿入,置換)を行って結合性を保持するかどうか,を確認し,喪失したものを排除していけば足りるので,当業者は容易にその実験を実施できる,?Bその際,保存的置換の選択を考慮するならば,さらに容易に実験を実施できるから,当業者に過度の負担を求めるものではないと主張する。
しかし,原告の上記主張は,以下のとおり,失当である。すなわち,本件において,特許請求の範囲は,特定のアミノ酸配列を示した上で,同配列中の「1又は数個が欠失,挿入または置換」等がされた場合をも包含する旨の記載がされている。特許請求の範囲に含まれるアミノ酸配列は,?@元配列において見いだされた抗原性の部位のみを変異させる方法で尽くされるものではなく,?A元配列のエピトープ以外の部位を変異させる方法で抗原性を獲得する方法も含まれると解される。
本願明細書に,元配列において見いだされた抗原性の部位のみを変異させる技術に限定されることが記載されているわけではなく,また,上記部位以外の部位を変異させても本願発明のエピトープを得ることができないことが技術常識であるとは認められない。また,本願明細書には,「置換」について,保存的置換に限られる旨の記載はなく,保存的置換が,当業者の技術常識であるとも認められない(原告は,甲20,33から保存的置換技術常識であると主張するが,いずれも本願発明における「置換」が保存的置換を指すとの証拠たり得ない。)。原告の上記主張は,採用することはできない。
3取消事由3(新たな拒絶理由につき拒絶理由通知をしなかったことによる手続的瑕疵)について(1) 審判手続の経緯前記第2,1記載の手続の経緯及び証拠(甲5の1ないし20)によれば,審判手続の経緯として,以下の事実が認められる。
ア原告は,平成10年4月6日,本願について特許出願をしたが(特願平10-93767号),その後,平成11年6月3日付け手続補正書(甲5の3)及び平成14年8月22日付け手続補正書(甲5の7)を提出した。このうち,平成14年8月22日付け手続補正書による補正後の請求項1は次のとおりであった。
「【請求項1】少なくとも8個のアミノ酸の連続する配列からなるポリペプチド中の部位に免疫学的に結合する,抗C型肝炎ウイルス(HCV)抗体であって,ここで,該部位は,HCVに対する抗体によって結合され得,そして該少なくとも8個のアミノ酸の連続する配列は,以下のアミノ酸配列(略)と,少なくとも80%の相同性を有するHCV単離株のアミノ酸配列から得られ,ただし,該抗体は,以下のアミノ酸配列(略)から得られる少なくとも8個のアミノ酸の連続する配列からなるポリペプチド中に存在する,HCVに対する抗体によって結合され得る部位に免疫学的に結合しない,抗体。」イこれに対し,審査官は,本願明細書の記載が旧特許法36条3項ないし5項に規定する要件を満たしていないとして平成15年8月18日付け拒絶理由通知を行なった(甲5の10)。このうち,旧特許法36条3項違反に関しては,HCV由来の変異した抗原性ポリペプチド及びそれから抗HCV抗体に結合され得る抗原性部分断片を取得することが困難で過度の実験ないし試行錯誤を要することを理由としていた。
ウそこで,原告は平成16年2月20日付け手続補正書(甲5の11)を提出した。上記補正後の請求項1は次のとおりであった。
「【請求項1】少なくとも8個のアミノ酸の連続する配列からなるポリペプチド中の部位に免疫学的に結合する,抗C型肝炎ウイルス(HCV)抗体であって,ここで,該部位は,HCVに対する抗体によって結合され得,そして該少なくとも8個のアミノ酸の連続する配列は,以下のアミノ酸配列(略)と,少なくとも80%の単離株の(判決注:「単離株の」は,「同一性を有するHCV単離株の」の誤記であると思料する。)アミノ酸配列から得られ,ただし,該抗体は,以下のアミノ酸配列(略)から得られる少なくとも8個のアミノ酸の連続する配列からなるポリペプチド中に存在する,HCVに対する抗体によって結合され得る部位に免疫学的に結合しない,抗体。」これに対し,平成17年7月8日付けで,以下の理由で拒絶査定がされた(甲5の13)。すなわち,旧特許法36条3項違反に関して,本願明細書に具体的に記載された塩基配列に基づいて新たにHCV変異体に関連する塩基配列を決定し,そこからエピトープを同定するまでのすべてを本願明細書の記載に基づいて行なうことは当業者に過度の負担を強いるものであることを理由としていた。
エ原告は,平成17年10月11日,これに対する審判請求(不服2005-19656号事件)をすると共に,同日付け手続補正書(甲5の15)を提出し,これより本願発明は前記第2,2記載のとおりとなった。
前置審査の手続が行われ,平成18年3月29日付け前置報告書(甲5の16)にも,旧特許法36条3項違反の理由として,請求項1記載のポリペプチドがHCVに対する抗体によって結合され得るものとなる蓋然性は極めて低く,それを見い出すためには,当業者に期待しうる程度を越える試行錯誤を強いるものであることが記載されている。
オ審判官は,平成18年9月27日付けで原告に対して書面による審尋(第1回審尋)を行ない(甲5の16),前記前置報告書の内容について意見を求めたところ,原告は,平成19年3月28日付け回答書(甲5の17)を提出し,補正案を提示した。補正案の内容は,下記のとおりであった。
「【請求項1】少なくとも8個のアミノ酸の連続する配列からなるポリペプチド中の部位に免疫学的に結合する,抗C型肝炎ウイルス(HCV)抗体であって,ここで,該部位は,HCVに対する抗体によって結合され得,そして該少なくとも8個のアミノ酸の連続する配列は,以下のアミノ酸配列(略)中に1個の欠失,挿入,または置換を有するアミノ酸配列から得られる,抗体。」カ審判官は,平成19年8月17日,書面による審尋(第2回審尋)を行ない,本願発明について,そこでいう「C型肝炎ウイルス(HCV)に対する抗体」は「本件の特定HCV変異体に対する抗体」と「その他の天然に存在し得るHCVに変異体に対する特異的抗体」が含まれるとして,いずれの抗体も網羅的に得るのは困難であることを理由に旧特許法36条3項違反であるとした(甲5の19)。
キこれに対し,原告は,平成20年2月19日付け回答書(甲5の20)を提出し,補正案を提出した。補正案の内容は,下記のとおりである。
「【請求項1】8個のアミノ酸の連続する配列からなるポリペプチド中の部位に免疫学的に結合する,以下のアミノ酸配列(略)に結合する,抗C型肝炎ウイルス(HCV)抗体であって,ここで,該部位は,以下のアミノ酸配列(略)に結合する,HCVに対する抗体によって結合され得,そして該8個のアミノ酸の連続する配列は,以下のアミノ酸配列(略)中に1個の置換を有するアミノ酸配列から得られる,抗体。」ク 特許庁は,平成20年3月13日,本件審決をした。
(2) 判断ア特許法50条,159条2項によれば,審判官は,拒絶審決をするときは,特許出願人に対し拒絶の理由を通知し,相当の期間を指定して意見書を提出する機会を与えることを要する。ところで,審判官が,「C型肝炎ウイルス(HCV)に対する抗体」に「本件の特定HCV変異体に対する抗体」と「その他の天然に存在し得るHCV変異体に対する特異的抗体」が含まれ,それぞれについて実施可能要件を欠くとの判断を示したのは,第2回審尋がはじめてであり,とりわけ,「C型肝炎ウイルス(HCV)に対する抗体」に「その他の天然に存在し得るHCV変異体に対する特異的抗体」が含まれるとの解釈を前提として,実施可能要件を欠くとの判断を示したのは,第2回審尋がはじめてであるから,その事項については,新たな拒絶理由に該当するというべきである。そうすると,審判官は,上記理由については原告に対して補正の機会を与えるために改めて拒絶理由通知を行なうべきであり,それを怠った本件の審判手続には,手続上の瑕疵がある。
イ上記の瑕疵が,審決の結論に影響を及ぼすか否かを検討する。以下のとおり,「C型肝炎ウイルス(HCV)に対する抗体」に,「その他の天然に存在し得るHCV変異体に対する特異的抗体」が含まれるとの解釈を前提にしない場合であっても,実施可能要件を欠くことは明白であるから,上記手続の瑕疵は,審決の結論に影響するものではない。
すなわち,弁論の全趣旨によれば,上記の場合であっても,?@本願発明では,8アミノ酸からなるペプチドにおける8個のうち1個のアミノ酸のみを置換する場合,ペップスキャンの対象となるペプチドの数は7万2000通りとなり,該ペプチドの調製とアッセイは3〜4か月程度を要すること,?A本願発明では「少なくとも8個のアミノ酸」とあり,エピトープが8個以上のアミノ酸で構成されている場合が想定できること,?B元配列に対する抗体と反応するエピトープが必ずしも存在するとはいえないこと,?Cどのようなアミノ酸配列からなる部位にどのような抗原性があるかを合理的に推論することができないこと(元来抗原性を持っていない部位が変異によって新たな抗原性を獲得することは十分にあり得る。)等の事情を考慮すると,エピトープを探索するために,膨大な回数のペップスキャンを行なうことが必要となり,当該作業は当事者に期待し得る程度を越える過度の試行錯誤を伴うというべきであって,実施可能ということはできない。なお,原告は,第2回審尋に対して補正案を提出しているが,その内容も上記?@,?B,?Cと同様の理由から実施可能要件を欠く。したがって,原告の主張は理由がない。
4取消事由4(第2回審尋に対する第2回回答書添付の補正案についての判断の誤り及びそれに伴う手続的瑕疵)について原告は,審決が,第2回回答書添付の補正案について十分に検討しておらず,手続的瑕疵があると主張する。しかし,審尋に対する回答書において出願人から示された補正案について,審判合議体が審理すべき義務はないから,上記補正案が新規事項に該当するとの審決の判断の当否について検討するまでもなく,原告の主張は理由がない。
5 結論以上のとおり,原告の主張には理由がなく,審決を取り消すべき違法は認められない。
したがって,原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 飯村敏明
裁判官 中平健
裁判官 上田洋幸