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事件 平成 23年 (行ケ) 10199号 審決取消請求事件
裁判所のデータが存在しません。
裁判所 知的財産高等裁判所 
判決言渡日 2012/05/16
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
判例全文
判例全文
平成24年5月16日判決言渡 同日原本受領 裁判所書記官

平成23年(行ケ)第10199号 審決取消請求事件

口頭弁論終結日 平成24年4月18日

判 決

当事者の表示 別紙当事者目録記載のとおり

主 文

1 原告らの請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

3 この判決に対する上告及び上告受理の申立ての

ための付加期間を30日と定める。

事実及び理由

第1 請求

特許庁が無効2010−800044号事件について平成23年2月16日にし

た審決中,「特許第3992929号の請求項1ないし3に係る発明についての特

許を無効とする。」との部分を取り消す。

第2 事案の概要

本件は,被告が,下記1のとおりの手続において,原告らの下記2の本件発明に

係る特許に対する被告の特許無効審判の請求について,特許庁が同請求のうち請求

項1ないし3に係る発明についての特許を無効とした別紙審決書(写し)の本件審

決(その理由の要旨は下記3のとおり)には,下記4のとおりの取消事由があると

主張して,その取消しを求める事案である。

1 特許庁における手続の経緯

(1) 原告らは,平成12年5月11日,発明の名称を「電気リン光に基づく高

効率有機発光装置」とする特許出願(特願2000−619011。パリ条約によ

優先権日:平成11年5月13日(米国))をし,平成19年8月3日,設定の

登録(特許第3992929号)を受けた(請求項の数は7)。以下,この特許を

1
「本件特許」といい,本件特許に係る明細書(甲45)を「本件明細書」という。

(2) 被告は,平成22年3月15日,本件特許に係る全ての請求項である請求

項1ないし7に係る発明についての特許無効審判を請求し,無効2010−800

044号事件として係属した。

(3) 特許庁は,平成23年2月16日,「特許第3992929号の請求項1な

いし3に係る発明についての特許を無効とする。特許第3992929号の請求項

4ないし7に係る発明についての審判請求は,成り立たない。」旨の本件審決をし,

その謄本は,同月25日,原告らに送達された。

2 本件発明の要旨

(1) 本件特許に係る請求項1ないし3に係る発明の要旨は,次のとおりである。

以下,順に「本件発明1」ないし「本件発明3」といい,これらを併せて「本件発

明」という。

【請求項1】陽極と,陰極と,発光層とを含み,前記発光層が前記陽極と陰極との

間に配置されており,前記発光層が,芳香族配位子を有するリン光性有機金属イリ

ジウム錯体を含む,有機発光デバイス

【請求項2】前記リン光性有機金属イリジウム錯体が,リン光性シクロメタル化イ

リジウム錯体である,請求項1記載の有機発光デバイス

【請求項3】前記発光層がホスト材料をさらに含有し,前記リン光性有機金属イリ

ジウム錯体が前記ホスト材料中にドーパントとして存在する,請求項1又は2に記

載の有機発光デバイス

(2) 本件訴訟では審理の対象となっていないが,本件特許に係る請求項4ない

し7に係る発明の要旨を参考までに掲げると,次のとおりである。

【請求項4】前記リン光性有機金属イリジウム錯体が,下記式:




2
【化1】




で示されるfac−トリス(2−フェニルピリジン)イリジウムである,請求項1

〜3のいずれか一項に記載の有機発光デバイス

【請求項5】前記リン光性有機金属イリジウム錯体が下記式:

【化2】




(上記式中,Rはアルキル基,又はアリール基である。)

で示される,請求項1〜3のいずれか一項に記載の有機発光デバイス

【請求項6】前記R基がアルキル基である,請求項5に記載の有機発光デバイス

【請求項7】前記R基がアリール基である,請求項5に記載の有機発光デバイス

3 本件審決の理由の要旨

(1) 本件審決の理由は,要するに,下記アの引用例1に記載の発明に下記イ及

びウの引用例2及び3に記載の発明を適用することにより,当業者が本件発明を容

易に想到することができたから,本件特許が特許法29条2項に違反してされたも

のであり,同法123条1項2号に該当する,というものである。

ア 引 用 例 1 : Electroluminescence from triplet metal-ligand charge-


transfer excited state of transition metal complexes(遷移金属錯体の三重項

金属−配位子電荷移動励起状態からのエレクトロルミネセンス)」MA, Y.ほか著,

Synthetic Metals94巻245ないし248頁(甲1。平成10年刊行)

3
イ 引 用 例 2 : Excited-State Properties of a Triply Ortho-Metalated


Iridium (V) Complex(三重にオルトメタル化したイリジウム(V)錯体の励起状

態特性)」KING, K.A.ほか著,Journal of the American Chemical Society107

巻1431ないし1432頁(甲2。昭和60年刊行)

ウ 引用例3:「Facial Tris Cyclometalated Rh3+ and Ir3+ Complexes: Their

Synthesis, Structure, and Optical Spectroscopic Properties(Facial トリス

シクロメタル化Rh 3+錯体およびIr 3+錯体:その合成,構造,光学分光特性)」

COLOMBO, M.G.ほか著,Inorganic Chemistry33巻545ないし550頁(甲3。

平成6年刊行)

(2) 本件審決が認定した引用例1に記載の発明(以下「引用発明」という。 ,


本件発明1と引用発明との一致点,本件発明1及び3と引用発明との相違点1,本

件発明2と引用発明との相違点2並びに本件発明3と引用発明との相違点3は,以

下のとおりである。

ア 引用発明:インジウム−錫酸化物(ITO)で覆ったガラス基板,アルミニ

ウム陰極,発光層とを含み,前記発光層が前記ガラス基板と前記陰極との間に配置

されており,前記発光層が,三重項金属−配位子電荷移動励起状態からのエレクト

ロルミネッセンス(EL)を示す性質を有する遷移金属錯体を含む,ELデバイス

イ 一致点:陽極と,陰極と,発光層を含み,前記発光層が前記陽極と前記陰極

との間に配置されており,前記発光層が,リン光性遷移金属錯体を含む,有機発光

デバイス

ウ 相違点1:遷移金属錯体が,本件発明1及び3においては,「芳香族配位子

を有するリン光性有機金属イリジウム錯体」であるのに対し,引用発明においては,

「三重項金属−配位子電荷移動励起状態からのエレクトロルミネッセンスを示す性

質を有する遷移金属錯体」である点

エ 相違点2:遷移金属錯体が,本件発明2においては,「芳香族配位子を有す

るリン光性有機金属イリジウム錯体」であって,「リン光性シクロメタル化イリジ

4
ウム錯体」であるのに対し,引用発明においては,「三重項金属−配位子電荷移動

励起状態からのエレクトロルミネッセンスを示す性質を有する遷移金属錯体」であ

る点

オ 相違点3:発光層が,本件発明3においては,「ホスト材料をさらに含有し,

前記リン光性有機金属イリジウム錯体が前記ホスト材料中にドーパントとして存在

する」のに対し,引用発明はそのような特定がない点

4 取消事由

本件発明の容易想到性に係る判断の誤り

(1) 引用発明,一致点並びに相違点1及び2の認定の誤り(取消事由1)

(2) 相違点1ないし3に係る判断の誤り(取消事由2)

(3) 作用効果の看過による判断の誤り(取消事由3)

第3 当事者の主張

1 取消事由1(引用発明,一致点並びに相違点1及び2の認定の誤り)につい



〔原告らの主張〕

(1) 本件審決は,引用発明について,「前記発光層が,三重項金属−配位子電荷

移動励起状態からのエレクトロルミネッセンス(EL)を示す性質を有する遷移金

属錯体を含む,ELデバイス」と認定した。

(2) しかしながら,引用例1に記載された唯一のエレクトロルミネッセンス

(ある化合物が電気エネルギー(電圧)の印加により発光すること。以下「EL」

ともいう。)デバイスは,発光層に「ある種のオスミウム(U)錯体,Os(C

N) 2 (PPh 3 ) 2 X(X=ビピリジン誘導体又はアントロリン誘導体)」のうち,

図1に記載された構造を有する4つの錯体(以下,引用例1の図1に記載された4

つのオスミウム錯体を併せて,「引用例1オスミウム錯体」ともいう。)を含むもの

であり,これを除く錯体を用いたELデバイスの名称,構造及び性能は,一切記載

されていない。そして,引用例1には,引用例1オスミウム錯体以外のELデバイ

5
スが記載されているに等しいとも認められない(甲50,52)。

(3) 本件審決は,引用例1には,@遷移金属錯体の三重項金属−配位子電荷移

動(以下「三重項MLCT」という。)励起状態からのELに関して記載されてい

ること,Aオスミウム(U)錯体,Os(CN) 2 (PPh 3) 2 X(X=ビピリジ

ン誘導体又はアントロリン誘導体)の三重項MLCT励起状態からの発光を例にし

た記載があること,B遷移金属錯体の三重項MLCT励起状態からのELの初観測

結果について報告する旨の記載があることから,引用発明について前記の認定をし

ている。

しかしながら,上記@は,引用例1の表題にすぎず,上記Bにいう遷移金属錯体

は,引用例1オスミウム錯体であることがその記載から明らかであり,さらに,上

記Aが「例にした」ものは,引用例1オスミウム錯体を例にしたことが明らかであ

って,それ以外の何らかの遷移金属錯体の「三重項MLCT励起状態からのELの

初観測結果について報告」しているものではない。

このように,引用例1は,遷移金属のうち特定の金属錯体である引用例1オスミ

ウム錯体を用いた有機発光デバイスからのELの初観察結果について報告するもの

にすぎず(甲50,52),このことを下位概念として,無条件に「三重項MLC

T励起状態からのEL」という上位概念を設定し,当該上位概念についての記載が

あるとみるに足りる根拠はないし,そのような上位概念化を進歩性判断の前提とし

てあらかじめ行ってしまうと,容易に進歩性が否定されることになり,不合理であ

る。

(4) このように,本件審決の前記認定は誤りであり,引用例1に記載の発明は,

次のとおり認定されるべきである。

「インジウム−錫酸化物(ITO)で覆ったガラス基板,アルミニウム陰極,発

光層とを含み,前記発光層が前記ガラス基板と前記陰極との間に配置されており,

前記発光層が,引用例1オスミウム錯体を含む,ELデバイス」

これに伴い,本件発明1と引用例1に記載の発明との相違点1は,次のとおり認

6
定されるべきである。

「発光層に含まれる物質が,本件発明1においては,「芳香族配位子を有するリ

ン光性有機金属イリジウム錯体」であるのに対し,引用例1に記載の発明において

は,「引用例1オスミウム錯体」である点,具体的には,引用例1オスミウム錯体

は,「芳香族配位子を有するイリジウム錯体」に該当せず,また「有機金属錯体」

に該当しない点」

さらに,本件発明2及び3と引用例1に記載の発明との相違点2は,次のとおり

認定されるべきである。

「発光層に含まれる物質が,本件発明2においては,「リン光性シクロメタル化

イリジウム錯体に該当する,芳香族配位子を有するリン光性有機金属イリジウム錯

体」,本件発明3においては,「芳香族配位子を有するリン光性有機金属イリジウム

錯体」又は「リン光性シクロメタル化イリジウム錯体に該当する,芳香族配位子を

有するリン光性有機金属イリジウム錯体」であるのに対し,引用例1に記載の発明

においては,「引用例1オスミウム錯体」である点,具体的には,引用例1オスミ

ウム錯体は,「芳香族配位子を有するイリジウム錯体」にも「リン光性シクロメタ

ル化イリジウム錯体」にも該当せず,また「有機金属錯体」にも該当しない点」

(5) 以上のとおり,本件審決は,引用例1に記載された発明の認定を誤った結

果,架空の発明を主たる引用発明とした上で,当業者がこれに基づき本件発明を容

易に発明することができたものと誤って判断しているから,特許法29条2項に違

反し違法であり,取り消されるべきである。

〔被告の主張〕

(1) 引用例1の表題は,「遷移金属錯体の三重項金属−配位子電荷移動励起状態

からのエレクトロルミネセンス」であり,要約の下のキーワードにも,「遷移金属

錯体」と記載されているほか,引用例1には,「既に知られている通り,遷移金属

錯体(Ru,Os,Ir等)は中心金属と配位子の間に強い相互作用があるため,

長い励起状態寿命及び励起波長に依存性のない量子収率により三重項状態の特性を

7
示す金属−配位子電荷移動(MLCT)励起状態を示す。」との記載や,「オスミウ

ム(U)錯体,Os(CN) 2 (PPh 3) 2 X(X=ビピリジン誘導体又はアント

ロリン誘導体)の三重項金属−配位子電荷移動(MLCT)励起状態からの発光」

を例にして,「本稿では遷移金属錯体の三重項MLCT励起状態からのELの初観

察結果について報告する。」との記載がある。

このように,引用例1には,三重項MLCT励起状態からのELを示す性質のオ

スミウム(U)錯体についての記載があるから,その上位概念として,三重項ML

CT励起状態からのELを示す性質の遷移金属錯体を含むELデバイスが記載され

ているといえる。

よって,本件審決による引用発明の認定に誤りはなく,相違点1及び2の認定に

も誤りはない。

(2) なお,原告らの援用する鑑定書(甲50〜52)は,その作成者がいずれ

も中立的な立場にないか,あるいは有機ELデバイスに関する研究開発には従事し

ていなかった可能性もあり(乙16〜20),客観性に乏しいばかりか,事実に誤

認があるなど,信用できない。

2 取消事由2(相違点1ないし3に係る判断の誤り)について

〔原告らの主張〕

(1) 本件審決は,引用例1にはRu,Os,Ir等の遷移金属錯体のうち,高

い三重項状態のフォトルミネッセンス(ある化合物が光照射により発光すること。

以下「PL」ともいう。)の量子効率(与えられた光エネルギーのうちPLにより

発光に用いられる割合のこと。以下「PL効率」という。)を有する材料を,EL

の外部量子効率(デバイスに与えられた電気エネルギーのうちELにより発光に用

いられる割合のこと。以下「EL効率」という。)を高め得る材料として採用でき

るとする示唆があり,引用例2には,fac−Ir(ppy) 3 が高い三重項状態

のPL効率を有するものと記載されており,引用例3にはfac−Ir(ppy)

3 が光照射により励起したときのPL特性として,一重項と三重項との間で項間交

8
差が起き,より低位の三重項MLCT最低励起状態を生じるので,効率的に発光を

生じるものとして記載されていることから,引用発明の三重項MLCT励起状態か

らのELを示す性質を有する遷移金属錯体として,芳香族配位子を有するリン光性

有機金属イリジウム錯体に包含されるfac−Ir(ppy) 3 ,fac−Ir

(thpy) 3 及びfac−Ir(4−CH 3 −ppy) 3 を採用することが,当業

者が容易に想到し得ることである旨を説示する。

(2) しかしながら,仮に本件審決による引用発明の認定を前提としても,引用

例1においてEL効率について言及された引用例1オスミウム錯体を発光材料とし

て用いた特定のELデバイスのEL効率は,わずか0.1%未満である。そして,

リン光性有機ELデバイスは,本件優先権主張日当時,実用化が困難と考えられて

おり,白金ポルフィリン誘導体(PtOEP)を発光層に用いたものが4%のEL

効率を達成したことが発表されていた(甲6)のみであった一方,蛍光性有機EL

デバイスは,ほぼ5%のEL効率を達成して実用化が始まっていたから,0.1%

未満のEL効率では,およそ実用的には使い物にならず,引用例1に接した当業者

は,引用例1オスミウム錯体がEL効率を高めたとは考えず,むしろ,劣悪な結果

をもたらすのみでELデバイスの材料に適しておらず,これを避けようと考えたは

ずである(甲50〜51)。

このように,引用例1は,その作成者による主観的な意見(「我々の研究結果は,

このような高い三重項状態のPL効率を有する材料を有機ELデバイスの発光層と

して用いることができることを示しており,そうすることによって材料の幅を広げ

EL効率を高める新たな手法を提示している。」との記載。以下「本件記載」とい

う。)にかかわらず,そこに示されている0.1%未満という客観的なデータによ

れば,そこに開示されている引用例1オスミウム錯体やこれと類似する性質を有す

る遷移金属錯体をEL効率を高め得る材料として採用しようと動機付けられること

などあり得ない(甲50,51)。

しかも,引用例1は,セル構造やドーパント錯体とその濃度をどのように変えれ

9
ばEL効率が向上するのかについて触れておらず,当業者は,その方法を知ること

ができないし,現に,そのようなことがされたとの報告もない。この点で,本件明

細書の【図2】は,本件優先権主張日後に公開されたものであるから,被告の立論

は,根拠を欠く。

むしろ,引用例2に記載のfac−Ir(ppy) 3 のPL効率は,0.4±0.

1であり,引用例1オスミウム錯体のそれ(0.33)とは有意の差がないところ,

引用例1は,そのような材料をELデバイスに用いたが,極めて低いEL効率(0.

1%未満)しか示されなかったことを明らかにしているものであるというべきであ

る(甲50,52)。

また,乙22は,蛍光発光デバイスに対するリン光発光デバイスの1つであるP

tOEPの優位性を明らかにしており,PtOEPの開発を動機付けても,イリジ

ウム錯体の開発を動機付けるものではない。

(3) したがって,引用例1に接した当業者は,「遷移金属錯体のうち,高い三重

項状態のPL効率を有する材料」を「EL効率を高め得る材料として採用するこ

と」について動機付けられることはなく,むしろ,そのような材料をELデバイス

に採用することを避けるから,引用例2及び3に記載のイリジウム錯体が「遷移金

属錯体のうち,高い三重項状態のPL効率を有する材料」に該当するとしても,こ

れらを引用例1に記載されたELデバイスの発明に基づいてこれに組み合わせて本

件発明を想到することが容易であったとはいえない。

(4) なお,原告らは,引用例1にホスト・ゲスト構造が開示されていることは

認めるが,相違点3が容易に想到できたとの本件審決の判断を争う。

(5) よって,この点の判断を誤る本件審決は,取り消されるべきである。

〔被告の主張〕

(1) 引用例1は,本件記載のほか,理論上,リン光性有機ELデバイスが蛍光

性有機ELデバイスの3倍の発光効率を有することが予想されることや,引用発明

1のEL効率(0.1%未満)がセル構造の最適化やドーパント錯体とその濃度を

10
適切に選ぶことにより更に向上可能であること(セル構造の最適化やドーパント濃

度によりEL効率が大きく変動することは,後記の甲6の記載や本件明細書の【図

2】から,当業者にはよく知られた現象であった。)など,リン光性有機ELデバ

イスの将来性について積極的な評価を記載しているから,引用例1には,遷移金属

錯体のうち,高い三重項状態のPL効率を有する材料を,EL効率を高め得る材料

として採用できることについて示唆がある。本件発明の発明者らも,同旨の主張を

したことがある(甲10)し,現に,高いPL効率を有する白金ポルフィリン誘導

体(PtOEP)をELデバイスに適用している(乙22)。

(2) 甲6は,PtOEPを発光層に用いたものが4%のEL効率を達成した旨

のほか,有機ELの分野では一重項と三重項との間の項間交差が効率的に起き,一

重項と三重項励起状態の双方が発光に寄与するリン光発光材料が好ましい旨を記載

している。また,甲6は,緑色のスペクトル領域で発光する他のリン光色素の有用

性を指摘しているところ,fac−Ir−(ppy) 3 は,緑色のリン光色素であ

る(引用例2及び3)。

(3) 甲12は,PtOEPをELデバイスとして採用しているが,ホスト材料

変更やセル構造の最適化により,蛍光性有機ELデバイスの理論限界(5%)を

超える5.6%の外部量子効率を達成しているばかりか,リン光を発光させる材料

やELデバイスのEL効率を向上させる具体的な手法が存在する旨を記載している。

そして,引用例1のELデバイスは,本件優先権主張日当時に知られていた,@ダ

ブルへテロ構造(甲6,12),A正孔注入材料(乙2),Bリン光寿命の長いホス

ト材料及び励起子ブロック層(甲12),CMgAg陰極(甲6,12,50,乙

2),DOXD−7又はAlq 3 の電子輸送材料(甲6,12,22)を採用する

ことで,EL効率を向上させる余地が大きかった。

(4) 他方で,蛍光性有機ELデバイスの発光効率は,平成9年当時,既に考え

られていた理論的限界に達してしまっていたことが報告されており(乙1),かつ,

甲6に記載の白金を中心金属とするポルフィリンのリン光を利用したデバイスの重

11
要性が指摘されていた(引用例1,甲6,12,乙2,22)から,当業者は,本

優先権主張日当時,EL効率を向上させるために,蛍光性有機ELデバイスでは

なく,むしろリン光性有機ELデバイスを研究開発する動機を持ち,PtOEPと

は別のリン光性発光物質を探索する動機を持つはずである。

(5) さらに,原告らは,甲6及び乙22について,有機発光デバイスの全ての

分野を劇的に先に進めることを可能にした基本的技術思想を提供した旨を評価して

いる(乙6)。

(6) したがって,引用例1に接した当業者は,仮にそこに記載のELデバイス

が原告ら主張に係る引用例1オスミウム錯体を発光層に含むものに限られていたと

しても,当該ELデバイスに高い三重項状態のPL効率を有する遷移金属錯体の適

用を試みるはずである。このように,引用例1には,そこに記載のELデバイスに,

引用例2及び3に記載された,高い三重項状態のPL効率を有する遷移金属錯体で

あり,かつ,一重項と三重項との間で項間交差が起きるという特性を有するリン光

発光材料であるfac−Ir(ppy) 3 を組み合わせる動機付けが十分にあり,

当業者は,引用発明1に基づき本件発明の構成を容易に想到し得る。

(7) さらに,引用例1には,ホスト・ゲスト構造が開示されている以上,本件

発明3の相違点3に係る構成は,当業者が容易に想到できたことである。

(8) よって,これと同旨の本件審決の判断に誤りはない。

3 取消事由3(作用効果の看過による判断の誤り)について

〔原告らの主張〕

(1) 本件審決は,本件明細書に記載のfac−Ir(ppy) 3 が8%という

EL効率を示していること(【0023】)から,本件発明1の実施例として顕著な

効果を示していることを認定しつつも,本件発明1全体について有利な効果の顕著

性があるというためには,引用例3に記載の関連物質であるfac−Ir(thp

y) 3 及びfac−Ir(4−CH 3 −ppy) 3 について当業者が予測するであろ

うある程度高いEL効率を超える効果(上記実施例と同様の効果)が,「芳香族配

12
位子」を有し,「直接の金属−炭素結合」を有する有機金属イリジウム錯体全体に

対しても示される必要があるとした上で,本件明細書が,上記fac−Ir(pp

y) 3 の効果を示すにとどまり,本件発明1全体についての効果を示していないと

説示したほか,原告らが審判段階で提示した甲33及び35についても,本件優先

権主張日当時の技術常識として参酌できない旨を説示する。

(2) しかしながら,当業者は,引用例3に記載のfac−Ir(thpy) 3

及びfac−Ir(4−CH 3 −ppy) 3 についてある程度高いEL効率を予測

できるとする根拠がない。

すなわち,引用例2に記載のfac−Ir(ppy) 3 のPL効率は,0.4±

0.1であり,引用例1に記載のオスミウム(U)錯体のPL効率は,0.33で

あるから,両者に有意の差はなく,また,引用例3にfac−Ir(ppy) 3 の

PL特性として,一重項と三重項との間で項間交差が起き,より低位の三重項ML

CT最低励起状態が生じる旨の記載があるからといって,この記載に接した当業者

がfac−Ir(ppy) 3 が引用例1オスミウム錯体と比較してより効率的にE

L発光を生じることが予測できたとする根拠にはならない。

(3) また,顕著な作用効果は,引用発明1(EL効率0.1%未満)との比較

で示される必要があり,本件優先権主張日当時の技術水準は,当該作用効果の予測

の可否を判断する際の考慮要素であるにすぎないところ,本件審決は,本件明細書

に記載の実施例で示された8%と同様の効果が「芳香族配位子」を有し,「直接の

金属−炭素結合」を有する有機金属イリジウム錯体全体に対しても示される必要が

あるとしており,本件審決の判断は,論理的に破綻している。

(4) さらに,本件明細書には,特にIr(ppy) 3 の短い寿命が「強いスピ

ン−軌道カップリング」を示唆しており,Ir(ppy) 3 が「一重項から三重項

状態へ強い項間交差」を有すると考えられること(【0027】)及び「純粋な有機

材料は,時として室温で強いリン光を示すためには不十分なスピン軌道カップリン

グしかもたない可能性がある」として,室温での強いリン光を示すためのスピン−

13
軌道カップリングの重要性が示唆されるとともに,「好ましい化合物は,芳香族リ

ガンドを有する遷移金属錯体」であり,それらの遷移金属錯体において「遷移金属

は一重項および三重項状態を混合することによって,項間交差を増大させ,三重項

励起状態の寿命を短くする」こと(【0029】)が記載されている。

ところで,「スピン−軌道カップリング」とは,電子のスピン(自転)から生じ

る磁気モーメントと電子の軌道運動(公転)による磁気モーメントとの相互作用で

あり,この相互作用によりスピン多重度の異なるエネルギー状態(例えば一重項励

起状態と三重項励起状態)の混合が生じ,一重項状態と三重項状態との間の禁制遷

移(項間交差)が緩和され得ることや,この相互作用が原子量が大きいほど強くな

り得ること(重原子効果)は,本件優先権主張日前にも知られており,かつ,イリ

ジウムは,重い金属原子(重原子)である。したがって,当業者は,本件明細書の

上記記載(【0027】【0029】)から,重原子たるイリジウムを中心金属とす

ることで,重原子効果である強いスピン軌道相互作用が生じ,この強いスピン−軌

道カップリング(【0027】)により,禁制遷移が緩和される結果,高いEL効率

(8%),短い測定寿命及び項間交差の増大をもたらすことや,一重項及び三重項

状態を混合することで項間交差の増大及び三重項励起状態の寿命を短くすることを

理解し,これらの効果が,Ir(ppy) 3 という特定の錯体を発光材料に用いた

有機ELデバイスに限られたものではなく,専ら重原子たるイリジウムを用いたこ

とに由来するものであり,本件明細書でも言及されているイリジウムを中心金属と

する他の錯体(有機金属につき【0021】,芳香族配位子につき【0029】)を

用いた場合にも同様に当てはまり得るものと合理的に認識又は推論することができ

る(甲16,18,26,46〜50,52)。

以上のとおり,本件明細書の記載を総合すれば,当業者は,本件発明1の優れた

効果が「強いスピン−軌道カップリング」によってもたらされるものであり,この

ことが芳香族配位子を有する有機金属イリジウム錯体を用いた本件発明1のELデ

バイス全般に当てはまるものと合理的に認識又は推論することができる。そして,

14
本件発明1の作用効果が,引用発明1のEL効率(0.1%未満)を顕著に上回る

ことは,本件明細書の記載全体から明らかであるから,本件発明1及びこれに一定

の限定を加えた本件発明2及び3は,いずれも作用効果の顕著性の点からも容易に

想到できたものとはいえず,これに反する本件審決は,取り消されるべきである。

(5) なお,前記のとおり,本件明細書には,本件発明全体にわたる効果を認識

又は推論することのできる記載があるから,その記載の範囲を超えない限り,本件

優先権主張日後に頒布された刊行物の記載を参照することにも何ら問題はない。そ

して,本件発明に顕著な作用効果があることは,甲24によっても裏付けられてい

る。

(6) そもそも,ある発明の構成の容易想到性(狭義の容易想到性)は,特許法

29条2項所定の容易想到性(広義の容易想到性)という規範的要件に該当すると

の評価を基礎付ける要素であり,作用効果の顕著性は,当該評価を阻害する要素で

あるところ,本件審決は,本件発明の相違点1及び2に係る構成について,これを

3種類の特定のイリジウム錯体で構成することを容易に想到できた旨を説示するに

とどまる。したがって,本件発明の作用効果の顕著性については,相違点1及び2

に係る構成のうち,「上記3種類のイリジウム錯体のそれぞれを発光物質として発

光層に含む有機発光デバイス」という実施態様についてのみ議論すれば足りる。そ

して,これらのイリジウム錯体のうち,fac−Ir(ppy) 3 について顕著な

作用効果(EL効率8%)が認められることは,本件審決の認めるとおりであり,

fac−Ir(thpy) 3 (同8.3%。甲54)及びfac−Ir(4−CH

3 −ppy) 3 (同7.6%。甲55)も,いずれも高いEL効率を達成している

(甲53)。

よって,仮に,上記3種類のイリジウム錯体についての相違点1及び2の構成が

容易であったとしても,当該錯体を発光層に用いた有機発光デバイスがそれぞれ顕

著な作用効果を示す以上,本件発明は,当業者が容易に想到することができなかっ

た(広義の容易想到性がない)というべきである。

15
〔被告の主張〕

(1) 引用例1は,そこに記載のオスミウム(U)錯体について,「このような高

い三重項状態のPL効率を有する材料を有機ELデバイスの発光層として用いるこ

とができることを示しており,そうすることによって材料の幅を広げEL効率を高

める新たな手法を提示している。 ,
」 「高い三重項状態発光(0.5を超えうる量子

収率)を示す有機金属錯体は,高効率ELデバイスを設計する可能性を生み出して

いる。」と記載しているから,引用例1には,高いPL効率を有する材料がEL効

率を高くすることができる旨が記載ないし示唆されているといえる。

そうすると,引用例2に記載のfac−Ir(ppy) 3 のPL効率(0.4±

0.1)が誤差により引用例1に記載のオスミウム(U)錯体のPL効率(0.3

3)を一部の範囲で下回るとしても,平均値を含む多くの範囲で0.33を超える

ため,当業者は,引用例2に記載のfac−Ir(ppy) 3 が,引用例1に記載

のオスミウム(U)錯体よりも高いPL効率が得られ,EL効率を高くできるであ

ろうと予測できる。

したがって,引用例2に記載のfac−Ir(ppy) 3 と引用例1に記載のオ

スミウム(U)錯体との間には有意な差があり,当業者は,前者をELデバイスに

用いたときに,後者よりはある程度高いEL効率となるであろうことまで予測でき

るといえる。

また,引用例3には,fac−Ir(ppy) 3 が三重項MLCT励起状態を生

じ,そこからリン光が観測されることや,イリジウム錯体の中でも金属と炭素の直

接結合の数が多いほど,最低励起状態のMLCT特性として優れた性質を有するも

のが得られることが記載ないし示唆されている。そして,引用例3に記載のfac

−Ir(ppy) 3 の金属と炭素の直接結合(有機金属)の数は,引用例1に記載

のオスミウム(U)錯体よりも多いから,これよりも最低励起状態のMLCT特性

として優れた性質を有することが読み取れる。

したがって,当業者は,優れた最低励起状態のMLCT特性を有する引用例3に

16
記載のfac−Ir(ppy) 3 をELデバイスに用いたときには,引用例1に記

載のオスミウム(U)錯体よりも,ある程度高いEL効率となるであろうことを予

測できるといえる。

(2) 有利な効果の顕著性の判断に当たり,引用発明だけではなく,当時の技術

水準も比較対象とすることは,本件審決を含む実務及び裁判例の示すところである。

そして,本件審決は,本件優先権主張日当時の技術水準によるEL効率を証拠(甲

6,12)に基づき5%と認定した上で,本件発明1全体について有利な効果の顕

著性の有無を検討しており,何ら論理的に破綻していない。

(3) 原告らは,本件訴訟において本件発明の効果が中心金属として重原子であ

るイリジウムを有することによる旨を主張するが,審判段階においては,本件発明

の効果が,「有機金属結合」すなわち金属−炭素直接結合(イリジウム−炭素直接

結合)による強いスピン−軌道カップリングと,強い三重項MLCT励起状態を有

することによる旨を一貫して主張していたのであって(乙6,11,13),本件

審決も,この主張に対して判断を下している。このような主張経過に鑑みると,原

告らの本件訴訟における上記主張は,禁反言に該当するものとして採用されるべき

ではない。

また,本件発明の効果は,EL効率を向上させ,短い三重項寿命を持つ有機発光

デバイスが得られたことにあるところ,本件明細書【0029】には,スピン軌道

カップリング関する記載があるものの,これは,イリジウム錯体のみではなく,オ

スミウムや白金も含む遷移金属錯体一般に関する記載であるから,オスミウムや白

金も,強いスピン軌道カップリングを有するといえるし,本件明細書には,Ir

(ppy) 3 以外のイリジウム錯体がどの程度のスピン軌道カップリングやEL効

率を有するのか,遷移金属錯体の中心金属としてイリジウムを選択した場合に,他

の遷移金属錯体と比較してどの程度のスピン軌道カップリングを有し,EL効率が

どの程度向上するのか,という記載又は示唆がない。そして,本件明細書【002

3】は,「短い三重項寿命」と「妥当な光ルミネッセント効率」との「偶然の調

17
和」がIr(ppy) 3 のEL効率8%という顕著な効果をもたらした旨を記載し

ているところ,本件明細書【0027】【0029】には三重項寿命が記載されて

いるものの,本件明細書には,Ir(ppy) 3 以外のイリジウム錯体がどの程度

の光ルミネッセント(PL)効率を有するのかという記載はなく,さらに,本件明

細書【0023】も,当該「偶然の調和」を実現するために三重項寿命とPL効率

がどの程度必要であって,どのように釣り合いが取れることによって8%のEL効

率が達成できているのか不明であり,Ir(ppy) 3 以外のイリジウム錯体にお

いてもEL効率が向上できることの理論的な裏付けはない。また,遷移金属錯体の

中心金属の種類とそのスピン軌道カップリング及びEL効率の関係については,い

ずれの証拠にも記載も示唆もない。

むしろ,スピン軌道の相互作用が強いことのみがEL効率の高さに関係するので

あれば,オスミウム,イリジウム及び白金の中では,最も重い白金の錯体を用いた

ELデバイスのEL効率が最も高くなるはずである。しかし,甲12(白金。5.

6%)では,本件明細書(イリジウム。8%)よりもEL効率が低い。このように,

「強いスピン−軌道カップリング」で高いEL効率を得るには,「偶然の調和」(本

件明細書【0023】)が必要である。

したがって,本件明細書及び本件優先権主張日当時の技術常識からは,遷移金属

錯体の中心金属としてイリジウムを選択した場合に,Ir(ppy) 3 と同様な顕

著な効果を有すると合理的に認識又は推論することができない。

さらに,引用例3によれば,fac−Ir(ppy) 3 と引用例3に記載のfa

c−Ir(thpy) 3 とでは,異なる最低励起状態から発光を生じているとされ

ている。このように発光過程が異なる以上,両者で同様の顕著な効果がみられると

はいえず,むしろ,本件審決も指摘するとおり,後者において前者と同様な一重項

と三重項との間の項間交差が起きたり,より低位の三重MLCT最低励起状態が得

られたりするとは限らない。

(4) 本件明細書の実施例には,Ir(ppy) 3 及びそれと構造的に類似した

18
化合物が記載されているのみである(【0030】【0031】)一方,原告らが援

用する甲24に記載の錯体の大半は,本件明細書には記載されていない。このよう

に,本件明細書に記載のない効果について優先権主張日後に頒布された刊行物を参

酌することはできない。

また,仮に,甲24を参酌できるとしても,そこには,引用例1に記載されたE

L効率(0.1%)よりも低いものや,当時の技術水準であるEL効率(5%)よ

りも低いものが数多く含まれている。しかも,本件優先権主張日後に原告らにより

出願された特許第4357781号(乙15)は,芳香族配位子を有するリン光性

有機金属イリジウム錯体を含む有機発光デバイスを開示しており,L 2 IrX錯体

が非常に弱い発光を与えるか,又は発光を全く示さない旨を記載している(【01

14】)から,仮に,本件優先権主張日後に頒布された刊行物の記載を参酌できる

としても,本件発明全体にわたって有利な効果の顕著性は認められない。

(5) 原告らは,作用効果の顕著性の判断対象がfac−Ir(ppy) 3 ,f

ac−Ir(thpy) 3 及びfac−Ir(4−CH 3 −ppy) 3 に限定されれ

ば足りる旨を主張する。

しかしながら,作用効果の顕著性が請求項に係る発明全体にわたって認められる

必要があるのは,当然であるところ,原告らは,これと同旨の本件審決の記載につ

いて自白しているばかりか,本件発明の請求項の記載は,上記の3種類のイリジウ

ム錯体に限られておらず,本件発明に含まれる錯体は,少なくとも甲24に記載の

156種類のものを含む。そして,甲24には,引用例1に記載のものよりもEL

効率や技術水準の低いものが含まれているばかりか,イリジウム錯体には,全く光

らないものもある(乙15,25)。

また,原告らが本件訴訟で主張するに至った重原子効果とスピン−軌道カップリ

ングの関係(本件明細書【0021】【0027】【0029】)だけでは,本件発

明1の全体にわたって有利な作用効果の顕著性を認めることができない。よって,

本件明細書の記載及び本件優先権主張日当時の技術常識からは,fac−Ir(p

19
py) 3 以外の全ての芳香族配位子を有する「リン光有機金属イリジウム錯体」が

fac−Ir(ppy)3と同様な作用効果の顕著性を示すとはいえない。

さらに,原告らが援用する甲54及び55は,甲24と同様,本件特許出願後の

刊行物であり,出願後に補充した実験結果等を参酌することは,許されないという

べきである。

第4 当裁判所の判断

1 本件明細書の記載について

本件発明の要旨は,前記第2の2(1)に記載のとおりであるが,本件明細書には,

本件発明について,おおむね次の記載がある。

(1) 本件特許に係る発明は,有機金属リン光性ドーパント化合物を含む発光層

を含んでなり,励起子阻止層を含む有機発光デバイスに関する(【0001】 。詳


細には,本件特許に係る発明は,数種類の有機層から構成されている有機発光デバ

イスであり,そのヘテロ構造を横切って電圧を印加した場合に冷光を発し(EL),

かつ,リン光性有機金属錯体の群から選択される発光性分子(リン光性シクロメタ

ル化イリジウム錯体から構成される。,有機発光デバイスの発光を最適化する構造


及びその構造の関連する分子に関するものである(【0002】【0021】。


(2) 有機発光デバイスは,陽極と陰極とを分離する少なくとも2つの薄い有機

層(正孔輸送層及び電子輸送層)から構成されており,陽極に加えた電位が陰極に

加えた電位よりも高いときには,陽極が正孔を正孔輸送層へ,陰極が電子を電子輸

送層にそれぞれ注入し,注入された正孔及び電子は,それぞれ反対に帯電した電極

に移動する。電子と正孔が同一分子上に局在していると,Frenkel 励起子が形成さ

れるが,この短寿命状態の再結合は,ある条件下では,優先的に発光機構を介して

起こる緩和を伴う,その導電電位から価電子帯へ降下する電子としてみることがで

きる。典型的な薄層有機デバイスの作動の機構のこの見方のもとでは,発光層は,

各電極からの移動性電荷キャリアー(電子及び正孔)を受け取るルミネッセンスゾ

ーンを含んでいる(【0005】。


20
有機発光デバイスからの発光は,典型的には蛍光又はリン光によるものであるが,

リン光は,その効率が高電流密度では急速に低下すること,導電性ホストからルミ

ネッセンスゲスト分子への三重項のエネルギー移動(リン光)が一重項のエネルギ

ー移動(蛍光)よりも遅いことといった問題がある。蛍光について生じる

Foerster 移動が理論的にはスピンの対称性保存の原理によって三重項(リン光)

については禁止されており,三重項については,エネルギー移動は,典型的には隣

接分子への励起子の拡散によって起こる(Dexter 移動)ため,ドナー及びアクセ

プター励起子波動関数の有意な重なりがエネルギー移動にとって重要である。もう

一つの問題は,典型的な一重項拡散距離と比較して三重項拡散距離が一般に長いた

め,リン光デバイスがそれらの電位に達するようにするには,デバイスの構造を三

重項特性に対して最適化する必要があるが,本件発明では,長い三重項拡散距離の

特性を利用してEL効率を向上させる(【0006】。


リン光の利点は,リン光デバイスの中で,部分的に三重項に基づく全ての励起子

が,ある種のEL材料におけるエネルギー移動及びルミネッセンスに関与し得るこ

とである。対照的に,蛍光デバイスでは,その中の一重項に基づく励起子のごく少

ない割合だけしか,蛍光ルミネッセンスを生じない(【0007】 。


(3) 基本的へテロ構造として,発光材料が電子輸送層又は正孔輸送層として機

能する材料と同じであり,これらの各層が発光層として機能するデバイス(単一へ

テロ構造)と,電子輸送層と正孔輸送層との間の別個の発光層に存在するデバイス

(二重へテロ構造)とがある(【0008】 。


本件特許に係る発明の層の一般的配置は,正孔輸送層,発光層及び電子輸送層で

あるが,正孔伝導性発光層については,発光層と電子輸送層との間に励起子阻止層

(発光層内における励起子の拡散を実質的に阻止してデバイス効率を高める層。ホ

ストの三重項状態と基底状態との間のエネルギー差と,少なくとも同じ大きさであ

ることが好ましい。)を有することができるし,電子伝導性発光層については,発

光層と正孔輸送層との間に励起子阻止層を有することができる。発光層は,正孔輸

21
送層と同じか(この場合,励起子阻止層は,陽極付近又は陽極にある。,あるいは


電子輸送層と同じである(この場合,励起子阻止層は,陰極付近又は陰極にあ

る。)ことがある(【0010】【0014】 。


発光層に含まれる発光性分子は,ヘテロ構造をとおして電圧を印加した場合に冷

光を発する(EL)のに適合しているものであって,リン光性有機金属錯体の群か

ら選択でき,更に,リン光性有機金属イリジウム又はオスミウム錯体の群から選択

でき,更に,リン光性シクロメタル化イリジウム又はオスミウム錯体の群から選択

できる。発光分子の具体例は,fac−Ir(ppy) 3 である(【0013】 。


発光層は,発光性分子自身から形成してもよいし,ホスト材料中にドーパントとし

て存在してもよい。発光性分子がホスト材料中にドーパントとして比較的低濃度で

存在する場合には,ホスト材料は,ドーパント材料へのエネルギー移動が高水準と

なるように選択され,更に,有機発光デバイスとって許容可能な電気特性を生み出

すことができる必要がある。ホスト材料は,例えば,4,4′−N,N′−ジカル

バゾール−ビフェニル(CBP)である(【0009】【0015】 。


電子は,電子輸送材料から形成される層を用いて発光性分子及び(又は)ホスト

材料を含んでなる発光層中に輸送される。電子輸送材料は,金属キノキソレート,

オキシダゾール及びトリアゾールの群から選択される電子輸送マトリックスである

ことができ,例えば,トリス−(8−ヒドロキシキノリン)アルミニウム(Alq

3 )である(【0016】。


励起子阻止層のための材料は,例えば,2,9−ジメチル−4,7−ジフェニル

−1,10−フェナントロリン(BCP)である(【0018】。


(4) 実施例において,短い三重項寿命と,妥当なPL効率の偶然の調和が,f

ac−Ir(ppy) 3 を基材とする有機発光デバイスに,ピーク量子効率(EL

効率)及びピーク電力効率がそれぞれ8%(28cd/A)及び約30lm/Wを

達成することを可能にしている。印加したバイアスが4.3Vでは,ルミネッセン

スは,100cd/m 2 に達し,量子効率(EL効率)及び電力効率は,それぞれ

22
7.5%(26cd/A)及び19lm/Wである(【0023】【0027】。上


記の実施例は,透明な導電性インジウムスズ酸化物をプレコーディングした清浄な

ガラス基板上に,4,4′−ビス(N−(1−ナフチル)−N−フェニル−アミ

ノ)ビフェニル(α−NPD)からなる正孔輸送層,ホスト材料であるCBP中に

6%のfac−Ir(ppy) 3 を有する発光層,BCPからなる励起子阻止層,

Alq 3 からなる電子輸送層,25:1のMg:Ag層からなる陰極を積層した有

機発光デバイスによるものである(以下「本件実施例」という。。本件特許に係る


発明の発明者らは,CBPとAlq 3 との間に挿入したBCPの薄い励起子阻止層

が,励起子をルミネッセントゾーン内に閉じこめてそれにより高効率を保つために

必要であることを発見した。CBPが正孔を容易に輸送することができ,発光層内

での励起子形成をさせるためにBCPが必要とされ得ることも示唆された(【00

24】。


fac−Ir(ppy) 3 に基づくいくつかの有機発光デバイスのEL効率を示

す【図2】によれば,本件実施例の発光層中のホスト材料をCBPからAlq 3 に

変更した有機発光デバイスのEL効率は,約0.18%であり,BCPからなる励

起子阻止層を有さない有機発光デバイスのEL効率は,約0.2%である(【00

25】【0026】【図2】。


(5) 本件実施例の発光と電力効率を電圧の関数としてプロットした【図3】に

よれば,CBP中のfac−Ir(ppy) 3 の過渡応答は,ごく短く,強いスピ

ン−軌道カップリングを示唆しており,過渡応答におけるfac−Ir(ppy)

3 蛍光の非存在と併せて,本件特許に係る発明の発明者らは,fac−Ir(pp

y) 3 が一重項から三重項状態へ強い項間交差を有すると考えている。したがって,

全ての発光は,長寿命の三重項状態から生じる(【0027】 。純粋な有機材料は,


時として室温で強いリン光を示すためには不十分なスピン−軌道カップリングしか

持たない可能性がある。純粋な有機リン光体の可能性を除外すべきではないが,好

ましい化合物は,芳香族リガンドを有する遷移金属錯体であることがある。遷移金

23
属は一重項及び三重項状態を混合することによって,項間交差を増大させ,三重項

励起状態の寿命を短くする(【0029】。


(6) 本件特許に係る発明は,本件実施例の発光性分子に限定されない。Ir

(ppy) 3 の有機成分を変更した3種類の分子における基本的Ir(ppy) 3

構造に対する修飾によって,発光特性を望ましい方法で変更することができる

(【0030】。


(7) 本件特許に係る発明の有機発光デバイスは,例えば,大型ディスプレイ,

輸送手段,コンピューター,テレビ,プリンター,大面積壁,劇場若しくはスタジ

アムのスクリーン,広告掲示板又はサインに組み込まれる有機発光デバイスに用い

ることができる(【0036】。


2 取消事由1(引用発明,一致点並びに相違点1及び2の認定の誤り)につい



(1) 引用例1の記載について

本件審決が認定した引用発明,本件発明1と引用発明との一致点,本件発明1及

び3と引用発明との相違点1並びに本件発明2と引用発明との相違点2は,前記第

2の3(2)アないしエに記載のとおりであるが,引用例1には,おおむね次の記載

がある。

ア 引用例1は,「遷移金属錯体の三重項金属−配位子電荷移動励起状態からの

エレクトロルミネセンス」と題する学術論文であって,「要約」の項には,「ある種

のオスミウム(U)錯体,Os(CN) 2 (PPh 3 ) 2X(X=ビピリジン誘導体

又はアントロリン誘導体)の三重項金属−配位子電荷移動(MLCT)励起状態か

らの発光は,ポリ(N−ビニルカルバゾール)(PVK)マトリクスに混入させる

ことによって向上する。インジウム−錫酸化物(ITO)で覆ったガラス/Os錯

体:PVK/2−(4−ビフェニル)−5−(4−tert−ブチル−フェニル)

1,3,4−オキサジアゾール(PBD)/Alという構造を有するセルを用いる

ことにより,8Vを超える直流バイアス電圧で,安定した均一な赤色のエレクトロ

24
ルミネセンスが観測される。」との記載がある。なお,図1には,上記ある種のオ

スミウム(U)錯体の化学構造式(4種類)が記載されている(引用例1オスミウ

ム錯体)ところ,当該化学構造式によれば,上記「要約」の項における「アントロ

リン」は,「フェナントロリン」の誤記であると認められる。

イ 一般に,光化学において一重項及び三重項励起状態は,どちらもスピン選択

の統計に基づくものの,有機分子からのELは,一重項励起状態によると考えられ

ている。これは,大多数の有機分子は,三重項励起状態からの発光量子収率が低く,

ELに寄与しないためである。しかし,強い三重項状態発光(0.5を超え得る量

子収率(PL効率))を示す有機金属錯体もあり,このことは,こうした材料を用

いることによって高効率ELデバイスを設計する可能性を生み出している。

ウ 既に知られているとおり,遷移金属錯体(ルテニウム,オスミウム,イリジ

ウム等)は,中心金属と配位子との間に強い相互作用があるため,長い励起状態寿

命及び励起波長に依存性のない量子収率(PL効率)により三重項状態の特性を示

すMLCT励起状態を示す。

エ スピン統計を考慮すると,一重項及び三重項状態の両方が同じEL効率を有

するなら,三重項励起状態からのEL収率は,3倍になることが予想される。

オ 引用例1は,遷移金属錯体の三重項MLCT励起状態からのELの初観察結

果について報告する。

カ 本研究で用いたオスミウム(U)錯体は,室温において高いPL効率(例え

ば,図1のオスミウム(U)錯体4の脱酸素クロロホルム溶液中における発光量子

収率(PL効率)は,0.33)を示す。

キ ITOで覆ったガラス基板,PVK層中に10重量%のオスミウム錯体がド

ープされた発光層,PBDからなる電子輸送層及びアルミニウム陰極で構成される

ELセル(図1にその構造が図解されている。)では,10VでELが観察された。

この構造のデバイスでは,電子輸送層を用いることで電子注入性を高めることがで

き,EL効率を向上させる。この構造のEL効率は,やや低い(0.1%未満)も

25
のの,セル構造の最適化を行うことで強度は向上する。さらには,ドープした錯体

の構造とその濃度によりPVK層の電荷輸送性が決定するので,EL効率の向上の

ためにはドーパント錯体とその濃度を適切に選ばなければならない。

上記デバイスのELスペクトルは,発光層(PVK膜にドープされたオスミウム

(U)錯体)のPLスペクトルとほぼ一致しており,このことから,発光がオスミ

ウム(U)錯体のMLCT状態に起因することは,確かである。

ク 以上のとおり,引用例1では,まず,オスミウム(U)錯体のPL特性等に

ついて調査した(前記カ)。次に,発光層としてオスミウム(U)錯体とPVKを

用いたELデバイスを用意したところ,オスミウム(U)錯体の三重項MLCT状

態からのELを観察した(前記キ)ことから「我々の研究結果は,このような高い

三重項状態のPL効率を有する材料を有機ELデバイスの発光層として用いること

ができることを示しており,そうすることによって材料の幅を広げEL効率を高め

る新たな手法を提示している。(本件記載)と結論付けている。


(2) 本件発明と引用例1に記載の発明との相違点について

ア 本件審決は,前記(1)アに記載のとおり,引用例1の表題が「遷移金属錯体

の三重項金属−配位子電荷移動励起状態からのエレクトロルミネセンス」というも

のであり,「要約」の項にオスミウム(U)錯体の三重項MLCT励起状態からの

発光について記載していることや,前記(1)オに記載のとおり,引用例1が遷移金

属錯体の三重項MLCT励起状態からのELの初観察結果について報告する旨を記

載していることなどから,前記第2の3(2)アに記載のとおり,引用例1に記載の

発明が,「前記発光層が,三重項金属−配位子電荷移動(MLCT)励起状態から

のエレクトロルミネッセンス(EL)を示す性質を有する遷移金属錯体を含む」も

の(引用発明)として認定した。

これに対して,原告らは,本件審決による引用発明の発光層に関する認定が,過

度に上位概念化されたものである旨を主張する。

イ そこで検討すると,遷移金属錯体には多種多様なものが存在する(甲24参

26
照)ところ,遷移金属錯体であれば必ず金属から配位子への電荷移動(MLCT)

を生じるとは限らず,したがって,遷移金属錯体が光又は電気エネルギーを吸収し

た場合に,必ず三重項MLCT励起状態が生成するものとはいえない。そして,引

用例1は,前記(1)ア及びカないしクに記載のとおり,遷移金属錯体のうちの特定

の4種類のオスミウム錯体(引用例1オスミウム錯体)すなわちオスミウム(U)

錯体,Os(CN) 2 (PPh 3 ) 2X(X=ビピリジン誘導体又はフェナントロリ

ン誘導体)がPVBにドープされたものから三重項MLCT励起状態に起因する発

光すなわちリン光が得られたとの実験結果を記載しているのみであり,それ以外の

多種多様な遷移金属錯体のうちのいずれからリン光が得られたかについては全く触

れていないばかりか,遷移金属錯体に共通する性質と三重項MLCT励起状態から

の発光(リン光)との間の関係について何らかの説明をしているものでもない。ま

た,本件優先権主張日当時において,いかなる遷移金属錯体が電気エネルギーを吸

収した場合に三重項MLCT励起状態を生じ,これに起因する発光すなわちリン光

を生じさせるかや,遷移金属錯体に共通する性質と三重項MLCT励起状態からの

発光(リン光)との間の関係が,当業者の技術常識として解明されていたと認める

に足りる証拠もないから,引用例1に記載の特定のオスミウム錯体(引用例1オス

ミウム錯体)から三重項MLCT励起状態に起因する発光すなわちリン光が得られ

たからといって,そのことから多種多様な遷移金属錯体のいずれが三重項MLCT

励起状態からのELを示す性質を有するものかを推論することはできなかったもの

というほかない。

したがって,引用例1に記載によれば,そこに記載の発明の発光層は,「前記発

光層が,オスミウム(U)錯体,Os(CN) 2 (PPh 3 ) 2X(X=ビピリジン

誘導体又はフェナントロリン誘導体)(引用例1オスミウム錯体)を含む(あるい

は,当該オスミウム(U)錯体がPVKにドープされたものである)」と認められ

るにとどまるというべきであって,この点について,「三重項金属−配位子電荷移

動(MLCT)励起状態からのエレクトロルミネッセンス(EL)を示す性質を有

27
する遷移金属錯体を含む」ものと認定した本件審決には,誤りがあるというほかな

い。

ウ 以上によれば,引用例1に記載の発明は,次のとおりのものであると認めら

れる。

「インジウム−錫酸化物(ITO)で覆ったガラス基板(陽極),アルミニウム

陰極及び発光層を含み,当該発光層が当該陽極と当該陰極との間に配置されており,

前記発光層が,オスミウム(U)錯体,Os(CN) 2 (PPh 3 ) 2 X(X=ビピ

リジン誘導体又はフェナントロリン誘導体)(引用例1オスミウム錯体)を含む

(あるいは,当該オスミウム(U)錯体がPVKにドープされたものである),有

機発光デバイス」

他方,本件発明は,前記第2の2(1)に記載のとおりであって,いずれも陽極,

陰極及び発光層を含み,当該発光層が当該陽極と当該陰極との間に配置されている

有機発光デバイスである点では上記認定に係る引用例1に記載の発明と一致する。

また,本件発明3は,本件発明1又は2の発光層がホスト材料を更に含有し,本件

発明1又は2のリン光性有機金属イリジウム錯体が当該ホスト材料中にドーパント

として存在するものであるが,引用例1に記載の発明は,前記2(1)ア及びキに記

載のとおり,オスミウム(U)錯体,Os(CN) 2(PPh3 ) 2 X(X=ビピリ

ジン誘導体又はフェナントロリン誘導体(引用例1オスミウム錯体)がPVKにド

ープされたものであるから,当該オスミウム錯体がPVKというホスト材料中にド

ーパントとして存在しているものであるということができ,この部分(いわゆるホ

スト・ゲスト構造)に関する限り,本件発明3と引用例1に記載の発明には実質的

な相違点が認められない。

したがって,本件発明と引用例1に記載の発明とで実質的に相違するのは,次の

点であると認められる(以下「本件相違点」という。。


「有機発光デバイスの発光層に含まれる物質が,本件発明では「芳香族配位子を

有するリン光性有機金属イリジウム錯体」であり,本件発明2ではさらに「リン光

28
性シクロメタル化イリジウム錯体」であるのに対して,引用例1に記載の発明では,

「オスミウム(U)錯体,Os(CN) 2 (PPh 3 ) 2X(X=ビピリジン誘導体

又はフェナントロリン誘導体)(引用例1オスミウム錯体)」である点」

3 取消事由2(相違点1ないし3に係る判断の誤り)及び3(作用効果の看過

による判断の誤り)について

本件審決は,前記2(2)に説示のとおり,引用例1に記載の発明,一致点及び相

違点の認定をいずれも誤るものであるが,事案に鑑み,引用例1に記載の発明との

対比における本件発明の容易想到性について進んで判断を示すこととする。

(1) 本件相違点の構成について

ア 技術的背景及び引用例1の記載について

(ア) 電気エネルギーを印加することによる冷光の発生(EL)には,蛍光とリ

ン光とがある(本件明細書【0006】(前記1(2)))が,このうち,蛍光のEL

効率は,本件優先権主張日当時,ほぼ5%に達していた一方,リン光は,理論上,

蛍光の3倍の発光が得られることが知られていた(引用例1(前記2(1)エ),甲

6)。そして,白金を中心金属とするポルフィリン誘導体(PtOEP)を発光層

に用いた有機発光デバイスは,本件優先権主張日当時,EL効率4%のリン光を記

録していたが(甲6),それ以外にリン光を生じる有機発光デバイスの発光層の発

光材料として利用可能な化合物は,必ずしも知られていなかった(引用例1(前記

2(1)オ),乙2)。さらに,引用例1には,ドーパント錯体とその濃度を適切に選

ぶなどすることで,EL効率の向上がさらに期待できる旨の記載がある(前記2

(1)キ)。

以上によれば,電気エネルギーの印加によりリン光(EL)を生じる化合物の発

見及びEL効率の向上は,本件優先権主張日当時,有機発光デバイスに関する技術

分野において,重要な課題であると認識されていたものと認められる。

(イ) 引用例1の著者は,以上のような技術的背景のもと,前記2(1)イに記載

のとおり,光を照射した場合に強い三重項励起状態からの発光(リン光)を生じる

29
(PL効率の高い)有機金属錯体がEL効率の高い有機発光デバイスの発光層とな

る可能性があるという仮説に基づき,前記2(1)カに記載のとおり,特定のオスミ

ウム(U)錯体が光を照射した場合に強いリン光を生じる(PL効率0.33)の

で,当該仮説を検証するための有機金属錯体の例として適していることを踏まえて,

前記2(1)キに記載のとおり,引用例1に記載の発明である有機発光デバイスに電

圧を印加することで三重項励起状態からの発光を示すことを具体的データとともに

示した上で,前記2(1)オ及びクに記載のとおり,当該仮説が正しいことを,初め

ての観察結果として報告しているものである。

また,引用例1には,前記2(1)ウに記載のとおり,遷移金属錯体の中でも,少

なくともルテニウム錯体,オスミウム錯体及びイリジウム錯体が,光の照射により

三重項励起状態を示す旨の記載がある。

したがって,引用例1には,光を照射した場合に強い三重項励起状態からの発光

(リン光)を生じる(PL効率の高い)有機金属錯体が,ELデバイスの発光層と

して,電気エネルギーを印加した場合に三重項励起状態からの発光(リン光。E

L)を生じる可能性についての教示があるといえるほか,イリジウム錯体には,光

の照射により強いリン光(PL)を生じる有機金属錯体に該当する種類の錯体が存

在することについての教示があるといえる。

(ウ) 以上によれば,引用例1に接した当業者は,ルテニウム錯体,オスミウム

錯体又はイリジウム錯体であって,光を照射した場合に強い三重項励起状態からの

発光(リン光。PL)を生じる有機金属錯体が,電圧を印加した場合に三重項励起

状態からの発光(リン光。EL)を生じる可能性を有しており,引用例1に具体的

に記載されたオスミウム(U)錯体,Os(CN) 2(PPh3 ) 2 X(X=ビピリ

ジン誘導体又はフェナントロリン誘導体)(引用例1オスミウム錯体)と同様に,

有機発光デバイスの発光層を構成する化合物として用いることができることを認識

するものといえる。

(2) 引用例2及び3の記載について

30
ア 引用例2は,「三重にオルトメタル化したイリジウム(V)錯体の励起状態

特性」と題する学術論文であるが,そこには,イリジウム錯体の1つであるfac

−Ir(ppy) 3 に光を照射した場合のPL効率は,0.4±0.1と観測され

たことが記載されている。

イ 引用例3は,「Facial トリスシクロメタル化Rh 3 + 錯体およびIr 3 + 錯

体:その合成,構造,光学分光特性」と題する学術論文であるが,そこには,芳香

族配位子を有するシクロメタル化したある種の遷移金属錯体は,光還元プロセスに

適した系であると考えられていることから,その例であるfac−Ir(ppy)

3 及びfac−Ir(thpy) 3 等の吸光及び発光スペクトル等を考察したとこ

ろ,これらのイリジウム錯体が,三重項MLCT遷移に起因する吸収スペクトルを

示し,光を照射した場合に,fac−Ir(ppy) 3 が三重項MLCT遷移の最

低励起状態から,fac−Ir(thpy) 3 が三重項π−π * 遷移の最低励起状

態から,それぞれ発光(PL)を示したことが記載されている。

(3) 本件相違点の容易想到性について

引用例1に接した当業者は,前記(1)に認定のとおり,ルテニウム錯体,オスミ

ウム錯体又はイリジウム錯体であって,光を照射した場合に強い三重項励起状態か

らの発光(リン光。PL)を生じる有機金属錯体が,電気エネルギーを印加した場

合に三重項励起状態からの発光(リン光。EL)を生じる可能性を有しており,引

用例1に具体的に記載されたオスミウム(U)錯体,Os(CN) 2 (PPh 3 ) 2

X(X=ビピリジン誘導体又はフェナントロリン誘導体)(引用例1オスミウム錯

体)と同様に,有機発光デバイスの発光層を構成する化合物として用いることがで

きることを認識するところ,引用例2及び3は,いずれも,引用例1と技術分野を

同じくするものである。しかも,前記(2)アに認定のとおり,引用例2には,イリ

ジウム錯体の1つであるfac−Ir(ppy) 3 に光を照射した場合のPL効率

が0.4±0.1である旨の記載があり,これは,引用例1に記載の発明で用いら

れたオスミウム錯体のPL効率(0.33。前記2(1)カ)とほぼ同等又はそれ以

31
上であるから,当該記載は,イリジウム錯体の1つであるfac−Ir(ppy)

3 に電気エネルギーを印加した場合のELの発生を期待させるに十分であるばかり

か,引用例3には,fac−Ir(ppy) 3 及びこれと化学構造が類似するfa

c−Ir(thpy) 3 に光を照射した場合に,いずれも発光(PL)を示したこ

とについての記載がある。

以上によれば,引用例1ないし3に接した当業者は,引用例1に記載された教示

に基づき,技術分野を同じくする文献である引用例2及び3の記載を組み合わせる

ことで,引用例1に記載の発明の本件相違点に係る構成に代わり,発光層に含まれ

る化合物としてイリジウム錯体の例であるfac−Ir(ppy) 3 又はfac−

Ir(thpy)3を採用することについて動機付けを有したものと認められる。

そして,これらのイリジウム錯体のうち,例えば,fac−Ir(thpy) 3

に着目すると,これは,「芳香族配位子を有するリン光性有機金属イリジウム錯体」

(本件発明1ないし3)であり,かつ,「リン光性シクロメタル化イリジウム錯体」

(本件発明2)に包含されるものであるから,当業者は,引用例1に記載された発

明に基づき,引用例2及び3の記載を参照することで,引用例1に記載の本件相違

点に係る構成に代わり,本件発明の本件相違点に係る構成に包含されるfac−I

r(thpy) 3 を採用することを容易に想到することができたものと認められる。

したがって,本件審決は,前記2(2)に認定のとおり,引用例1に記載の発明の

認定を誤り,これに伴って相違点の認定も誤っているものの,当該認定の誤りは,

本件発明の容易想到性に関する判断を左右するに足りるものではなく,本件審決に

よる本件発明の容易想到性に関する判断には,結論において誤りがないものである

といわなければならない。

(4) 本件相違点の構成の容易想到性に関する原告らの主張について

ア 以上に対して,原告らは,引用例1に記載の発明のEL効率がわずか0.

1%未満と極めて低いものであるから,引用例1に接した当業者が,そこに記載さ

れた有機金属錯体であって高い三重項励起状態でのPL効率を有する材料を有機発

32
光デバイスとして採用できるとする示唆はなく,むしろ,このようなEL効率の低

さという客観的なデータがあれば当該採用を避けるはずであって,引用例1の著者

による主観的な記載(本件記載)が,当該採用を動機付けるものではない旨を主張

する。

イ しかしながら,前記(1)ア(ア)に認定のとおり,本件優先権主張日当時,電

気エネルギーの印加によりリン光(EL)を生じる化合物の発見及びEL効率の向

上は,有機発光デバイスに関する技術分野において,重要な課題であると認識され

ていたのであるから,引用例1に記載の特定のオスミウム錯体(引用例1オスミウ

ム錯体)が電圧の印加によってリン光(EL)を生じたことは,それ自体,当該オ

スミウム錯体や,引用例1に記載のそれ以外の有機金属錯体により有機発光デバイ

スを構成することを十分に動機付けているというべきであって,そのEL効率が極

めて低いからといって,それが本件発明の本件相違点に係る構成(なかんずく,発

光層にfac−Ir(thpy) 3 を包含する有機発光デバイス)を採用するに当

たって阻害事由となるものではない。また,引用例1の著者による本件記載は,上

記のような技術的背景とも整合するものであって,誇張や独断的な意見を述べたも

のではないから,本件記載の有無は,上記動機付けに関する認定に影響を及ぼすも

のではない。

よって,原告らの前記主張は,採用できない。

ウ 原告らは,引用例2に記載のfac−Ir(ppy) 3 のPL効率が0.4

±0.1であり,引用例1に記載の特定のオスミウム錯体(引用例1オスミウム錯

体)のPL効率(0.33)と有意な差がないことから,引用例1が,そのような

材料を使用して電圧を印加しても極めて低いEL効率(0.1%未満)しか得られ

なかったことを示しているものである旨を主張する。

エ しかしながら,前記(1)ア(ウ)に認定のとおり,引用例1は,高いPL効率

を示すオスミウム錯体及びイリジウム錯体が電圧を印加した場合にリン光(EL)

を生じる可能性等について教示しており,かつ,引用例2の記載によれば,fac

33
−Ir(ppy) 3 のPL効率は,上記オスミウム錯体のPL効率とほぼ同等又は

それ以上であるから,当該記載は,イリジウム錯体の1つであるfac−Ir(p

py) 3 に電気エネルギーを印加した場合のELの発生を期待させるに十分である

ばかりか,引用例3には,fac−Ir(ppy) 3 及びこれと化学構造が類似す

るfac−Ir(thpy) 3 に光を照射した場合に,いずれも発光(PL)を示

したことについての記載があるから,引用例2及び3のこれらの記載は,fac−

Ir(thpy) 3 に電気エネルギーを印加した場合のELの発生を期待させるも

のであるというべきである。

よって,原告らの前記主張は,採用できない。

(5) 本件発明の作用効果に関する原告らの主張について

ア 原告らは,本件発明に顕著な作用効果がある旨を主張している一方,本件審

決は,本件明細書が特定のイリジウム錯体を用いた場合に8%というEL効率を示

すという作用効果を明らかにしているものの,本件発明1の全体について顕著な作

用効果を示していない旨を説示して,当業者が本件発明1を容易に想到することが

できたとの判断を維持している。

しかしながら,引用例1ないし3に接した当業者は,前記(3)に認定のとおり,

引用例1に記載された教示に基づき,技術分野を同じくする文献である引用例2及

び3の記載を組み合わせることで,引用例1に記載の本件相違点に係る構成に代わ

り,本件発明の本件相違点に係る構成に包含されるfac−Ir(thpy) 3 を

採用することを容易に想到することができたものであるから,容易想到性の評価に

当たって参酌される顕著な作用効果の有無についても,fac−Ir(thpy)

3 の作用効果について検討すれば足り,本件発明1のその余の部分について検討す

る必要はなく,この点で,本件審決の判断手法には問題があるといわざるを得ない。

イ そこで,本件発明の発光層に含まれるイリジウム錯体としてfac−Ir

(thpy) 3 を採用した場合に本件発明が有する作用効果について検討すると,

本件明細書には,そもそもこの場合の作用効果についての記載がない。

34
しかも,本件明細書によれば,前記1(4)に記載のとおり,発光層に「芳香族配

位子を有するリン光性有機金属イリジウム錯体」であるfac−Ir(ppy) 3

を採用した実施例(本件実施例)は,8%というEL効率を達成しているものの,

その発光層中のホスト材料をCBPからAlq 3 に変更した有機発光デバイスのE

L効率は,約0.18%であり,BCPからなる励起子阻止層を有さない有機発光

デバイスのEL効率は,約0.2%であるとされている。そして,これらのホスト

材料を変更し,あるいは励起子阻止層を有さない有機発光デバイスは,いずれも

「陽極と,陰極と,発光層とを含み,前記発光層が前記陽極と陰極との間に配置さ

れており,前記発光層が,芳香族配位子を有するリン光性有機金属イリジウム錯体

を含む,有機発光デバイス」(本件発明1) 「前記リン光性有機金属イリジウム錯


体が,リン光性シクロメタル化イリジウム錯体である,請求項1記載の有機発光デ

バイス」(本件発明2)又は「前記発光層がホスト材料をさらに含有し,前記リン

光性有機金属イリジウム錯体が前記ホスト材料中にドーパントとして存在する,請

求項1又は2に記載の有機発光デバイス」(本件発明3)であることに代わりはな

いから,本件発明は,その発光層に「芳香族配位子を有するリン光性有機金属イリ

ジウム錯体」を採用した場合であっても,これをドープさせるホスト材料の種類や

BCPからなる励起子阻止層を形成するか否かによってそのEL効率が大きく変化

するものであるといえる。しかも,本件優先権主張日当時,有機発光デバイスのE

L効率を向上させるためにはホスト材料をCBPとすべきであり,あるいはBCP

からなる励起子阻止層を形成すべきであるとの技術常識が存在したと認めるに足り

る証拠はない。

以上によれば,本件明細書に記載された本件発明の実施例(本件実施例)が達成

した8%というEL効率は,発光層のホスト材料としてCBPを採用し,かつ,B

CPからなる励起子阻止層を採用した場合に限って得られるものであって,発光層

に「芳香族配位子を有するリン光性有機金属イリジウム錯体」を採用したことによ

って当然に得られるものとは認められず,したがって,当該イリジウム錯体に含ま

35
れるfac−Ir(thpy) 3 を発光層に採用したとしても,そのことによって

上記の8%というEL効率が達成されるものとは認められない。

以上のとおり,本件発明のうち,特定の実施例(本件実施例)が顕著な作用効果

(8%というEL効率)を示しているとしても,当該作用効果は,本件発明の構成

に基づいて得られたものとは認められないから,本件明細書は,それ自体,本件発

明がその構成によって顕著な作用効果を有していることや,ましてfac−Ir

(thpy) 3 を発光層に採用した場合に顕著な作用効果を発揮することを明らか

にしているとはいい難い。

よって,本件発明の容易想到性の評価に当たって,本件実施例の有する作用効果

参酌することはできないというほかない。

ウ 以上に対して,原告らは,本件明細書の記載によれば,重原子であるイリジ

ウムを中心金属とすることにより強いスピン−軌道カップリングが生じて禁制遷移

が緩和される結果,本件実施例が高いEL効率をもたらしていることが理解できる

ため,fac−Ir(thpy) 3 を含むイリジウムを中心金属とする錯体につい

ても高いEL効率が生じることを当業者が合理的に認識又は推論できる旨を主張す

る。

しかしながら,本件実施例による8%とのEL効率は,前記イに認定のとおり,

発光層のホスト材料としてCBPを採用し,かつ,BCPからなる励起子阻止層を

採用した場合に限って得られるものであって,発光層に「芳香族配位子を有するリ

ン光性有機金属イリジウム錯体」を採用したことによって当然に得られるものとは

いえず,したがって,仮に本件実施例によるリン光の発光(EL)が強いスピン−

軌道カップリングにより生じているとしても,本件発明の構成を前提とすると,発

光層に含有される化合物にイリジウムを中心金属とするものを採用したからといっ

て,当然に高いEL効率が得られるというものではない。

よって,原告らの上記主張は,採用できない。

エ 原告らは,fac−Ir(thpy) 3 を用いた有機発光デバイスのEL効

36
率が8.3%であること(甲54)から,本件発明1ないし3には顕著な作用効果

がある旨を主張する。

そこで検討すると,甲54(特開2002−319491号公報)は,「発光素

子及び新規重合体子」という名称の発明に関する公開特許公報(平成12年8月2

4日優先権主張,平成13年8月3日出願,平成14年10月31日公開)であり,

そこには,インジウム−錫酸化物(ITO)で覆ったガラス基板に,銅フタロシア

ニン,TPDを積層し,発光層として1,3,5−トリス[3−(2−メチルフェ

ニル)−イミダゾ[4,5−b]ピリジン−2−イル]ベンゼン中に約6重量%のf

ac−Ir(thpy) 3 を含有するものを使用し,更にBCP,Alq 3 ,マグ

ネシウム:銀(10:1)及び銀を積層した有機発光デバイスが8.3%のEL効

率をもたらした旨の記載がある(【0240】【0241】【表1】 。


しかしながら,本件明細書は,前記イに認定のとおり,それ自体,本件発明がそ

の構成によって顕著な作用効果を有していることや,ましてfac−Ir(thp

y) 3 を発光層に採用した場合に顕著な作用効果を発揮することを明らかにしてい

るとはいい難いから,本件発明の作用効果の認定に当たって本件優先権主張日に遅

れる甲54の記載を参酌することはできない。しかも,仮に甲54の記載を参酌

きるとしても,甲54に記載の上記有機発光デバイスは,本件実施例と同じくBC

Pを励起子阻止層として用いているものであるところ,本件明細書の実施例では,

BCPを使用しなかった場合にはEL効率が大幅に低下しているから,甲54に記

載の当該有機発光デバイスにおいても,BCPを使用しない場合に高いEL効率を

維持できるとは限らず,甲54に記載の上記EL効率は,それ自体,発光層にfa

c−Ir(thpy) 3を用いたことによる効果であるとは即断できない。

よって,原告らの上記主張は,採用できない。

(6) 小括

以上によれば,本件審決は,引用例1に記載の発明の認定を誤り,これに伴って

相違点の認定も誤っているものの,当業者は,引用例1に記載された発明に基づき,

37
引用例2及び3の記載を参照することで,引用例1に記載の本件相違点に係る構成

に代わり,本件発明の本件相違点に係る構成に包含されるfac−Ir(thp

y) 3 を採用することを容易に想到することができたものであって,これに反する

原告らの主張は,発光材料として本件実施例が採用したfac−Ir(ppy) 3

について検討するまでもなく,いずれも採用できない。また,本件明細書は,発光

層にfac−Ir(thpy) 3 を採用した有機発光デバイスが顕著な作用効果を

発揮することを明らかにしているとはいい難いから,上記の引用例1に記載の発明

等の認定に誤りがあるからといって,当業者が本件発明を容易に想到することがで

きたとの本件審決の判断は,結論において誤りがないものであるといわなければな

らない。

4 結論

以上の次第であるから,原告らの請求は棄却されるべきである。

知的財産高等裁判所第4部



裁判長裁判官 滝 澤 孝 臣




裁判官 井 上 泰 人




裁判官 荒 井 章 光




38
別紙

当事者目録

原 告 ザ トラスティーズ オブ

プリンストン ユニバーシティ

原 告 ザ ユニバーシティー オブ

サザン カリフォルニア

上記両名訴訟代理人弁護士 片 山 英 二

北 原 潤 一

岩 間 智 女

梶 並 彰 一 郎

同 弁理士 小 林 純 子

黒 川 恵

被 告 株式会社半導体エネルギー研究所

同訴訟代理人弁理士 加 茂 裕 邦

吉 本 智 史

白 石 康 次 郎




39