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関連審決 審判1996-13793
関連ワード 創作性(創作) /  新規性 /  容易に実施 /  進歩性(29条2項) /  公知技術 /  先願主義 /  上位概念 /  下位概念 /  技術的範囲 /  出願公開 /  先行技術 /  発明の詳細な説明 /  遡及 /  発明の利用 /  補償金請求権 /  出願審査請求 /  分割出願 /  警告 /  悪意 /  抵触 /  権利の濫用(権利濫用) /  対象製品 /  出願経過 /  参酌 /  技術的意義 /  均等 /  禁反言 /  特許発明 /  実施 /  加工 /  構成要件 /  構成要件充足性 /  業として /  差止請求(差止) /  侵害 /  過失推定(過失の推定) /  損害額 /  販売利益 /  不法行為(民法709条) /  設定登録 /  拒絶理由通知 /  請求の範囲 /  減縮 /  変更 /  異議申立 / 
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事件 平成 8年 (ワ) 1597号 特許権に基づく差止等請求事件
原告 ローム株式会社右代表者代表取締役 【A】 右訴訟代理人弁護士 村林隆一
同 今中利昭
同 吉村洋
同 浦田和栄
同 松本司
同 辻川正人
同 岩坪哲
同 田辺保雄
同 南聡
同 冨田浩也
同 酒井紀子
同 深堀知子右補佐人弁理士 【B】
被告 アオイ電子株式会社右代表者代表取締役 【C】 右訴訟代理人弁護士 伊原友己右補佐人弁理士 【D】
裁判所 京都地方裁判所
判決言渡日 1999/09/09
権利種別 特許権
訴訟類型 民事訴訟
主文 一 被告は、別紙一ないし八記載のサーマルヘッドを製造し、販売し、販売のために展示してはならない。
二 被告は前項のサーマルヘッドを廃棄せよ。
三 被告は原告に対し、金二億三〇三〇万円及びうち金一億九一〇七万五〇〇〇円に対する平成八年六月二三日から、うち金九五七万九〇〇〇円に対する平成九年四月一日から、うち金二九六四万六〇〇〇円に対する平成一〇年四月一日から各支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 原告のその余の請求を棄却する。
五 訴訟費用はこれを六分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。
六 この判決の原告勝訴部分は仮に執行することができる。
事実及び理由
請求
一 主文一、二項同旨 二 被告は原告に対し、金二〇億〇五五四万六五三一円及びうち金六億八〇五六万三〇一一円に対する平成八年六月二三日から、うち金五億二六八五万〇六〇一円に対する平成九年四月一日から、うち金七億九八一三万二九一九円に対する平成一〇年四月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
事案の概要
一 基礎的事実等 以下の事実は、当事者間に争いのない事実、文中記載の証拠及び弁論の全趣旨によって認定した事実で、争点判断の基礎となるものである。
1 原告の権利 (一) 原告は、左記の特許権(以下「本件特許権」といい、その発明を「本件特許発明」という。)を有している。
発明の名称 サーマルヘッド 出 願 日 昭和六二年七月三一日〔特願平三-二九〇一二〇号(特願昭六二-一九三四六四号の分割)〕 出願公開日 平成六年一二月一三日(特開平六-三四〇一〇四号) 出願公告日 平成七年三月二二日(特公平七-〇二五一七八号) 登 録 日 平成七年一二月二〇日 登録番号 二〇〇〇六一九号 特許請求の範囲 「ヘッド基板の上面に、発熱抵抗体と、該発熱抵抗体に対するコモンリードとを、略平行に延びるように形成したサーマルヘッドにおいて、前記コモンリードを、下層の金による配線パターンと、上層の金と同程度か或いはそれより小さいシート抵抗の金属による配線パターンとの二層構造にし、上層の配線パターンにおける幅方向の一部を、前記ヘッド基板の上面のうち下層の配線パターンが形成されていない領域に形成したことを特徴とするサーマルヘッド。」〔別添特許明細書(甲二、以下「本件明細書」という。)参照〕。
(二) 本件特許発明構成要件(以下「構成要件A」等という。)は、以下のとおり分説するのが相当である。
A ヘッド基板の上面に、発熱抵抗体と、該発熱抵抗体に対するコモンリードとを、略平行に延びるように形成したサーマルヘッドにおいて、
B 前記コモンリードを、下層の金による配線パターンと、上層の金と同程度かあるいはそれより小さいシート抵抗の金属(以下「低抵抗金属」ということもある。)による配線パターンとの二層構造にし、
C 上層の配線パターンにおける幅方向の一部を、前記ヘッド基板の上面のうち下層の配線パターンが形成されていない領域に形成した D ことを特徴とするサーマルヘッド (三) 本件特許発明は、右の構成を採ることによって、左記の作用効果(以下「作用効果a」等という。)を奏する(甲二)。
a コモンリードとして、上層の低抵抗金属による配線パターンの一部を、下層の金による配線パターンの形成されていない領域に形成したことによって、金以外の低抵抗領域が形成され、コモンリード全体の抵抗値を低下させることができる。これにより上層の配線パターンの膜厚を薄くすることができ、印刷・焼き付け回数の低減及び材料コストの低減を図ることができる(本件明細書5欄7行〜15行)。
b 更に、上層の配線パターンは一部が基板表面に直接接触するため、ペーストに含まれるガラス成分と基板表面との結合が強固となり、密着力が向上する。このため、用紙との接触による配線パターンの剥がれを防止することができる(同欄15行〜19行)。
2 原出願にかかる発明と本件特許発明出願経過 本件特許発明の出願については、原出願となる特許発明の出願があり、本件特許発明はその分割出願にかかるものであるが、その経過は、以下のとおりである。
(一) 原出願(出願日・昭和六二年七月三一日)にかかる発明の当初の特許請求の範囲は、「基板上でコモンリードと個別リードとの間に発熱抵抗体を形成したサーマルヘッドにおいて、コモンリードの一部を二層構造にし、下層を金による配線パターン、上層を低抵抗金属による配線パターンで構成するとともに、上層の配線パターンの一部を下層の配線パターンの形成されていない領域に形成したことを特徴とするサーマルヘッド。」というものである(乙一五=公開特許公報)。
(二) 原告は、平成三年三月一四日付で出願審査請求を行い、同年七月一〇日、早期審査に関する事情説明書(乙一六)を提出した。右事情説明書の中で、特許請求の範囲を「ヘッド基板の上面に、発熱抵抗体と、該発熱抵抗体に対するコモンリードとを、略平行に延びるように形成したサーマルヘッドにおいて、前記発熱抵抗体と略平行に延びるコモンリードを、下層の金による配線パターンと、上層の銀による配線パターンとの二層構造にし、上層の配線パターンにおける幅方向の一部を、前記ヘッド基板の上面のうち前記下層の配線パターンが形成されていない領域にずらせて形成し、このずらせた非重なり部分における横幅寸法を、前記下層の配線パターンに対する重なり部分における横幅寸法よりも大きくしたことを特徴とするサーマルヘッド。」と補正する予定であることを述べている。
原告は、右事情説明書の中で、従来技術の問題として「サーマルヘッドにおいて、その発熱抵抗体の長手方向に沿って延びるコモンリードを、その長手方向に沿っての抵抗値を下げる目的で、下層の金による配線パターンと、上層の銀による配線パターンとの二層構造に構成する場合、下層の金による配線パターンに上層の銀による配線パターンを単に重ねただけの構成であると、その長手方向に沿っての抵抗値が金と銀との相互拡散等によりさほど低下しないと言う現象が発生するために、長手方向に沿っての抵抗値を低くするには、前記上層の銀による配線パターンにおける厚さを相当厚くしなければならず、従って、印刷・焼き付けの回数を増やさねばならないからコストが大幅にアップする」ことを挙げ、前記特許請求の範囲記載の構成(補正後)を採ることにより、「下層の金による配線パターンに対して上層の銀による配線パターンを、その全長にわたって電気的に接続でき、この状態で、前記上層の銀による配線パターンのうち広幅の非重なり部分が、導電性の良い状態、つまり、長手方向に沿っての抵抗値が低い状態でコモンリードの一部を構成することになるから、前記上層の銀による配線パターンの厚さを厚くすることなく、コモンリード全体における長手方向に沿っての抵抗値を大幅に低減できる。」という作用を奏し、その結果、本願発明によると、「a上層の銀による配線パターンにおける厚さを厚くすることなく、コモンリード全体における長手方向に沿っての抵抗値を大幅に低減できることができ、これにより、上層の銀による配線パターンを形成することに要する印刷・焼き付け回数の低減及び材料コストの低減を確実に図ることができるから、発熱抵抗体の全長にわたって印字濃度差の少ないサーマルヘッドを、安価に提供できる。 b上層の銀による配線パターンは、その幅方向の一部がヘッド基板の表面に直接接触するため、この銀ペーストに含まれるガラス成分と基板表面との結合が強固となり、密着力が向上する。このため、用紙との接触による配線パターンの剥がれを防止できて、耐久性を向上することができる。」との効果を奏するものとし、出願前公知の先行技術は、「コモンリードにおける長手方向に沿っての抵抗値を低くすることのために、前記コモンリードを、下層の配線パターンとその上層の配線パターンとの二層構造に構成することが記載されているものの、下層の金による配線パターンに、上層の銀による配線パターンを重ねる場合に、抵抗値がさほど低下しないと言う現象が発生することを防止するために、本願発明のように、『上層の配線パターンにおける幅方向の一部を、前記ヘッド基板の上面のうち前記下層の配線パターンが形成されていない領域にずらせて形成する。』こと、及び、『前記ずらせた非重なり部分における横幅寸法を、前記下層の配線パターンに対する重なり部分における横幅寸法よりも大きくする。』ことは、一切、記載されていないのであるから、本願発明の構成及び作用・効果を示唆するものではない」から、本願発明はこれら先行技術に対し進歩性を有する旨主張した。
(三) 原告は、平成三年一〇月三〇日付で、特許庁審査官から拒絶理由通知書(乙一七)を交付され(その理由は「特許請求の範等囲(「範囲等」の誤記と認める。裁判所注記)の記載が不明瞭である。」というものである。)、右同日、手続補正書(意見書に代る)(乙一八)を提出して、特許請求の範囲を前記記載のとおり減縮した。
(四) 特許庁審査官は、平成三年一一月八日、原出願につき出願公告の決定をした(乙一九、二〇)。
(五) 右公告決定に対しては、平成四年六月四日株式会社東芝から、同月五日三菱電機株式会社から、異議申立がされ(乙二一ないし二四)、原告は、平成五年二月一九日、特許請求の範囲を「ヘッド基板の上面に発熱抵抗体と、該発熱抵抗体に対するコモンリードとを、略平行に延びるように形成すると共に、前記コモンリードの両端への駆動電流の接続部を形成し、前記コモンリードを、下層の金による配線パターンと、上層に銀による配線パターンとの二層構造にして成るサーマルヘッドにおいて、前記発熱抵抗体と略平行に延びるコモンリードにおける上層の銀による配線パターンにおける幅方向の一部を、前記ヘッド基板の上面のうち前記コモンリードにおける下層の金による配線パターンが形成されていない領域にずらせて形成し、このずらせた非重なり部分における横幅寸法を、前記下層の配線パターンに対する重なり部分における横幅寸法よりも大きくしたことを特徴とするサーマルヘッド。」と減縮する(乙二五=手続補正書)一方、三菱電機株式会社に対する特許異議答弁書(乙二七)において、「本願発明のように、非重なり部分の横幅寸法を重なり部分の横幅寸法より大きくした場合には、前記した『a』の作用・効果(「上層の銀による配線パターン(9)における厚さを厚くすることなく、コモンリード(3)全体における長手方向に沿っての抵抗値を大幅に低減できることができ、これにより、上層の銀による配線パターン(9)を形成することに要する印刷・焼き付け回数の低減及び材料コストの低減を確実に図ることができるから、発熱抵抗体(2)の全長にわたって印字濃度差の少ないサーマルヘッドを、安価に提供できる」こと。裁判所注記)を奏するものであり、この作用・効果は、非重なり部分の横幅寸法と重なり部分の横幅寸法とをほぼ等しくした甲第一号証(乙二四添付の特開昭六一-二六〇六〇三号。裁判所注記)のものに比べて、格別顕著である」としている。
(六) 特許庁審査官は、平成七年六月三〇日、前記各特許異議の申立に理由がない旨の決定をした(乙二八、二九)。その理由は、いずれも、異議申立人の主張する公知技術には「本願発明の必須の要件である『コモンリードを、下層の金による配線パターンと、上層の銀による配線パターンとの二層構造にして成る』構成及び『コモンリードにおける上層の銀による配線パターンにおける幅方向の一部を、コモンリードにおける下層の金による配線パターンが形成されていない領域にずらして形成し、このずらせた非重なり部分における横幅寸法を、前記下層の配線パターンに対する重なり部分における横幅寸法よりも大きくした』」構成は記載されていないこと、分割後の原出願の発明は、右構成要件を具備することにより、
「上層の銀による配線パターンにおける厚さを厚くすることなく、コモンリード全体における長手方向に沿っての抵抗値を大幅に低減することができ、これにより、
上層の銀による配線パターンを形成するに要する印刷・焼き付け回数の低減及び材料コストの低減を図ることができるから、発熱抵抗体の全長にわたって印字濃度差の少ないサーマルヘッドを、安価に提供できる」という格別の効果を奏することを挙げている。そして、分割後の原出願は同日特許査定を受けた(乙三〇)。
(七) 原告は、平成三年一一月六日、本件特許発明分割出願をした(弁論の全趣旨)。
3 被告の行為 被告は、別紙一ないし八記載のサーマルヘッド(以下、順に「イ号物件」「ロ号物件」「ハ号物件」「ニ号物件」「ホ号物件」「ヘ号物件」「ト号物件」「チ号物件」といい、包括して「被告物件」という。なお、別紙一ないし八は、本件訴訟において、当事者が別紙(一)、(三)、(六)、(七)、(八)、(九)、(一〇)、(一一)と表示していたものと順次対応するものであり、別紙「被告製品の売上・利益一覧表」「被告製品年度別売上一覧表」の物件名の記載も右のとおり読み替えるものとする。)を製造した。被告がイ号物件、ハ号物件、ニ号物件及びチ号物件を販売したことについては争いがなく、被告がその余の被告物件を販売したか及び現在被告物件を販売しているかについては争いがある。
二 請求の概要 原告は、被告物件は本件特許発明技術的範囲に属し、被告は現在も被告物件を製造販売しており、被告の右行為は本件特許権(出願公告後の仮保護の権利を含む。)を侵害するとして、被告物件の製造、販売、販売のための展示の差止(停止ないし予防)、廃棄を求めるとともに、本件特許発明出願公開日である平成六年一二月一三日から出願公告日の前日である平成七年三月二一日までの補償金請求権として六〇〇万円、出願公告日である同月二二日以降の損害賠償請求権として一九億九九五四万六五三一円の合計二〇億〇五五四万六五三一円、右のうち補償金及び平成八年三月期分の損害六億七四五六万三〇一一円の合計六億八〇五六万三〇一一円に対する平成八年六月二三日から、平成九年三月期分の損害五億二六八五万〇六〇一円に対する平成九年四月一日から、平成一〇年三月期分の損害七億九八一三万二九一九円に対する平成一〇年四月一日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた。
三 (争点) 1 被告物件は本件特許発明技術的範囲に属するか。
2 本件特許権が明白な無効原因を有する等の理由で原告の請求は権利濫用となるか。
3 被告物件が製造販売された時期及び売上高 4 被告は、本件特許権の出願公開日である平成六年一二月一三日から出願公告日の前日である平成七年三月二一日までの間、出願公開がされた特許出願に係る発明であることを知って被告物件の製造・販売をしていたか。
5 被告に過失がないと認められるか。
6 被告が補償金支払義務を負う場合の補償金の額。被告が損害賠償責任を負う場合に、原告に賠償すべき損害の額。
争点に関する当事者の主張
一 争点1(被告物件は本件特許発明技術的範囲に属するか。) 【原告の主張】 1 被告物件は、いずれも次の特徴を有している。
(一) 構造上の特徴 (1) 基板2の上面に、発熱抵抗体4に対するコモンリード5、7を略平行に延びるように形成したサーマルヘッドであり、
(2) 右のコモンリードを、下層の金による配線パターン5と、上層の金とそれより小さい抵抗の銀配線パターン7との二重構造にし、
(3) 上層の配線パターンにおける幅方向の一部を、前記ヘッド基板の上面のうち下層の配線パターンが形成されていない領域に形成した (4) ことを特徴とするサーマルヘッドである。
(二) 効果 本件特許発明と同じである。
2 以下のとおり、被告物件は、本件特許発明技術的範囲に属する。
(一) 右構造上の特徴(1)は、構成要件Aと同一である。
(二) 右構造上の特徴(2)は、構成要件Bと同一である。
(三) 右構造上の特徴(3)は、構成要件Cと同一である。
(四) 右構造上の特徴(4)は、構成要件Dと同一である。
(五) その効果も同じである。
【被告の主張】 1 本件特許発明技術的範囲については、原出願にかかる発明(特に分割後の原出願の発明)及び本件特許発明出願経過に照らし限定して解釈されるべきであり、そうすると、被告物件は、いずれも本件特許発明技術的範囲に属しない。
(一) 原出願にかかる発明の出願経過 (1) 原出願にかかる発明の当初の特許請求の範囲では、「コモンリードの一部を二層構造に」するについて、その配線パターンの材質については「下層を金」で「上層を金と同程度かそれより小さいシート抵抗の金属」にするというだけで上層を銀に限定せず、二層構造の態様についても「上層の配線パターンの一部を下層の配線パターンの形成されていない領域に形成した」というだけでそれ以上の限定を付していない。
(2) しかるに、原告は、平成三年七月一〇日付の早期審査に関する事情説明書において、従前の特許請求の範囲を補正することを予定し、補正後の特許請求の範囲では、「コモンリードの一部を二層構造に」するについて、その上層の材質を「銀」に限定し、二層構造の態様について「幅方向の一部」について非重なり部分が存在し、「下層の配線パターンが形成されていない領域にずらせて形成し」、
「非重なり部分における横幅寸法を、前記下層の配線パターンに対する重なり部分における横幅寸法よりも大きく」すると限定する予定であることを明らかにし、同年一〇月三〇日付で手続補正書を提出して、右のとおり補正している。
(3) そして、原告は、右事情説明書における特許請求の範囲の補正理由及び分割後の原出願の出願公告決定に対する異議申立に対する答弁書において、非重なり部分の横幅寸法と重なり部分の横幅寸法がほぼ等しい程度では公知技術の範疇から脱却せず、非重なり部分の横幅寸法が重なり部分の横幅寸法より大きいという構成でなければ、分割後の原出願の発明の作用効果を奏しない旨断言している(前記第二の一2(二)、(五))。
(4) ところが、原告は、右減縮のわずか一週間後である平成三年一一月六日、これと裏腹に、別途、減縮で分割後の原出願の発明の特許請求の範囲から切り捨てたはずの広い特許請求の範囲分割出願した(このような分割出願がされたことは、分割後の原出願の発明を審査する審査官は関知し得ない。)。これが本件特許発明である。
(5) 分割後の原出願の発明の特許請求の範囲では、「コモンリードの一部を二層構造に」するについて、その上層の配線パターンの材質を「銀」に限定していたが、本件特許発明では上層の配線パターンの材質について「金と同程度かそれより小さいシート抵抗の金属」(銀も包含することになる。)として、原出願にかかる発明の当初の特許請求の範囲と同様に拡大されている。
また、分割後の原出願の発明の特許請求の範囲では、二層構造の態様について@「幅方向の一部」について非重なり部分が存在し、A「下層の配線パターンが形成されていない領域にずらせて形成し」、B「非重なり部分における横幅寸法を、前記下層の配線パターンに対する重なり部分における横幅寸法よりも大きく」すると限定していたのを、本件特許発明では、@のみ存続させ、ABを削除した。
以上により、本件特許発明の特許請求の範囲は、原出願にかかる発明の当初の特許請求の範囲に近いものとなった。
(二) 本件特許発明技術的範囲の解釈 (一)の経緯を経て、原出願にかかる特許権と本件特許権は、別個独立に独占的権利範囲を有するものとして並立することになった。しかし、両者の関係は、本件特許発明が分割後の原出願の発明を包含するかたちとなっている。かかる事態は、特許法の全く予定しないところであるが、このようなことになった以上、
両者の技術的範囲は、それぞれの出願経過参酌するなどして、合理的に調整して解釈されなければならない。
(1) 原告は、分割後の原出願の発明の出願経過において、「コモンリードの一部を二層構造に」するについて、下層を金による配線パターン、上層を銀による配線パターンと選択した限りにおいては、金と銀との相互拡散等の現象が生じることから、分割後の原出願の発明の特許請求の範囲のとおり限定した技術的構成によって初めて技術的課題を解決し、公知技術から脱却できると宣明し、また、審査官も、これを容れて、右構成によりはじめて所期の作用効果を奏し得るものとして、分割後の原出願の発明を特許すべきものとした以上、包袋禁反言の原則により、「コモンリードの一部を二層構造に」するについて、下層を金による配線パターン、上層を銀による配線パターンと選択したものに関し、侵害訴訟において、今さら右限定を不要のものと扱うことは許されない。
換言すれば、「コモンリードの一部を二層構造に」するについて、下層を金による配線パターン、上層を銀による配線パターンと選択したものに関しては、もっぱら分割後の原出願の発明の技術的範囲に属するもので、本件特許発明の対象外というべきである。
よって、被告物件は、いずれも本件特許発明技術的範囲に属しない。
(2) また、仮に、本件特許発明技術的範囲に、「コモンリードの一部を二層構造に」するについて、下層を金による配線パターン、上層を銀による配線パターンとしたものも含まれるとしても、分割後の原出願の審査手続において、分割後の原出願の発明の特許請求の範囲によって規定された構成要件をすべて充足しなければ公知技術の範疇から脱却しない旨原告が主張し、これが容れられて分割後の原出願に特許権が付与されたことは前記のとおりであるから、包袋禁反言の原則により、また、原出願にかかる特許権との整合的解釈の必要及び新規な創作部分に独占権を付与するという特許法の根本理念から、分割後の原出願の発明の構成を充足しない技術については、本件特許発明技術的範囲に属しない。
被告物件は、いずれも、分割後の原出願の発明の構成である「非重なり部分における横幅寸法を、前記下層の配線パターンに対する重なり部分における横幅寸法よりも大きく」することを充足しないから、本件特許発明技術的範囲に属しない。
2 イ号物件及びチ号物件は構成要件Bを充足しない。
構成要件Bは、構成要件Cの一層構造の部分以外の領域については下層の金による配線パターンと、上層の低抵抗金属による配線パターンとの二層構造であることが必須要件であるが、イ号物件及びチ号物件(以下「櫛歯状物件」という。)は、下層の櫛歯状の金による配線パターン(以下「櫛歯状部分」という。)と上層の銀による配線パターンが重なっている部分では二層構造であるものの、櫛歯状部分相互の間の領域においては銀による配線パターンのみの一層構造となっており、構成要件Bの「二層構造」を充足しない。
3 櫛歯状物件は構成要件Cを充足しない。
構成要件Cは、上層の配線パターンの「幅方向の一部」を下層の配線パターンが形成されていない領域に形成することが必要であるが、櫛歯状物件は、櫛歯状部分の間の領域について、上層の配線パターンの幅方向の「一部」ではなく、
「全部」において下層の配線パターンが形成されておらず、構成要件Cを充足しない。
櫛歯状物件が本件特許発明の効果を奏することは認めるが、これは、櫛歯状物件が、本件特許発明の構成とは全く異なる下層の配線パターンを櫛歯形状とする構成を採用したことによるものである。櫛歯の構成を採用したことによる作用効果は、本件発明よりも一層顕著であり、櫛歯状物件は、本件特許発明とは別発明である。
原告は、本件特許発明においては、低抵抗金属による上層の配線パターンの幅方向の「少なくとも一部」を、下層の金による配線パターンが存在しない領域に形成すれば足りる旨主張するが、特許請求の範囲の文言が一義的に明確でないような場合に、発明の詳細な説明等を参酌してこれを明らかにする必要がある場合があることは否定しないが、「幅方向の一部」なる客観的に明確な文言について、同様の参酌をして「幅方向の全部」も含むなどという拡大解釈をすることは許されない。
なお、原告は、本件特許発明実施例に、上層と下層の配線パターンをずらして積層するのではなく、各層の配線位置を同一にしつつ下層の金による配線パターンにスリット5eを形成し、スリット5eを覆うように上層の銀による配線パターン7aを形成したものが開示されている(本件明細書4欄39行〜46行)ことを足掛かりに本件特許発明技術的範囲について拡大解釈を行うが、このような実施例にしても、スリット部分においては幅方向の「一部」に下層の金による配線パターンと上層の低抵抗金属による配線パターンの非重なり部分があるのであるから、
右主張は失当である。
4 ロ号物件、ヘ号物件及びト号物件は構成要件Cを充足しない。
(一) 構成要件Cは、上層の配線パターンの「幅方向の一部」を下層の配線パターンが形成されていない領域に形成することが必要であるが、ロ号物件、ヘ号物件及びト号物件(以下「「印刷ずれ」物件」という。)については、下層の配線パターンが形成されていない領域とされるものは製造工程で不可避的に生ずる「印刷ずれ」によって生じたものであって、このようなものについては上層の配線パターンの「幅方向の一部」が下層の配線パターンが形成されていない領域に形成されていることにならず、構成要件Cを充足しない。
下層の金による配線パターンの製造工程が金という材質の特性から精密な加工が可能である「エッチング法」という技法によって行い得るのに対し、上層の銀による配線パターンの製造工程は精密度の劣る「印刷法」によって行われるので、このような印刷ずれが生じるのである。原告自身、本件明細書3欄34行以下において、「銀電極などの場合、サーマルヘッドの発熱部分の微細なパターンをエッチングにより形成することは困難である。」としている。
(二) 本件特許発明は、元来、下層と上層の配線パターンが全部の領域において重なっているものについては従来技術であるとした上で、幅方向の一部について重ならない領域を形成することによって課題を解決することを謳っているものである。その意味で、コモンリードにおいて単純に二層構造を採ることは公知技術であり、本件特許発明技術的範囲に属しない。
ところで、公知技術である単純な二層構造を採用してサーマルヘッドを製造する場合でも、上層の銀による配線パターンを基板上面に印刷形成するに際しては、微細な製品であるだけに、±〇・一o程度の印刷ずれが生じることは技術的に不可避である。
そして、このことは、原告を含む当業者には自明のことである。
原告が、それにもかかわらず、このような「印刷ずれ」物件まで本件特許発明技術的範囲に属する旨主張するのは、原告が出願時に際して前提とした公知技術にまで本件特許発明技術的範囲を押し広げるものであって全く容認できない。
(三) ±〇・一o程度の印刷ずれによって、コモンリードの抵抗値を下げたり、印刷コストが低減できたり、上層の配線パターンが基板に直接接触することによる密着力の強化が図れるなどという作用効果を奏することはおよそない。原告がそのような場合でも作用効果を奏するとする分析・試験報告書(甲一二)には、実験に使用された金ペーストの素材が特定されず、銀パターンの厚さの記載がなく、
また、実験結果(抵抗値の数値)が本件特許発明対象製品との関係でいかなる意義を有するのか示されていないという問題がある。
特許発明は、発明対象製品との関係で優れた作用効果を奏しなければならないはずであり、本件特許発明でいえば、何らかの抵抗値の低減があれば事足りるものではない。上層の銀による配線パターンと、下層の金による配線パターンの重なりのずれが幾ばくか存在し、コモンリードの抵抗値が多少低減しても、実際の製品特性(印字性能)に有意的な影響を及ぼさない(乙三六)。このような知見を前提に、原告は、分割後の原出願の発明において、上層に銀による配線パターンを設ける場合には、金パターンと最低二分の一以上ずらせる(「ずらせた非重なり部分における横幅寸法を、前記下層の配線パターンに対する重なり部分における横幅寸法よりも大きく」する)ことが作用効果を奏するために必要であるとしたものと考えられる。「印刷ずれ」物件のように「印刷ずれ」があるに過ぎないものについて右のような作用効果を奏することはおよそない。
(四) 原告は、「印刷ずれ」物件の非重なり部分が「印刷ずれ」によるのであれば、反対方向へ「印刷ずれ」したものも存在すべきであるところ、そのようなものはない旨主張するが、「印刷ずれ」は製品ごとに生ずるのではなく、一時期に製造された数量単位(ロット)ごとにほぼ同様のずれが生ずるのであり、原告収集にかかる被告製品が同一のロットに属していたから、反対方向への「印刷ずれ」がないというだけの話である。
5 原告自身の出願にかかる左記特許権(以下「後願特許権」といい、その発明を「後願特許発明」という。)の存在及びその出願経過参酌すると、櫛歯状物件は本件特許発明技術的範囲に属しない。
発明の名称 厚膜型サーマルヘッド 出 願 日 平成二年四月二五日〔特願平八-一九〇二一九号(特願平二-一〇九〇八九号の分割)〕 出願公開日 平成八年一二月一〇日(特開平八-三二四〇一三号) 登 録 日 平成一〇年八月一四日 登録番号 二八一五三三八号 特許請求の範囲(請求項1) 「基板上に帯状の発熱抵抗体を設け、この発熱抵抗体と前記基板エッジとの間に帯状の金による共通電極を設け、この共通電極の一部分に銀による膜(銀膜)を重ねてなるサーマルヘッドにおいて、前記共通電極と銀膜とは、共通電極から前記発熱抵抗体の長手方向に直交する方向に分岐する複数の分岐部で重なるように構成したことを特徴とする厚膜型サーマルヘッド。」(乙三七、以下「後願明細書」という。) (一) 後願特許権の存在は、原告自身が、櫛歯状部分を有するサーマルヘッドについては本件特許発明とは異なるものであり、それ自体が新規性進歩性を有する別個の発明として後願特許発明を出願し、特許庁もこれを認めて(後願特許権の特許公報には、原出願にかかる発明の公開特許公報が公知文献として掲げられている。)、特許査定をしたことを意味する。
同一出願人である原告が先願である本件特許発明とは別個のものとして後願特許発明につき特許出願した事実は、外形的に後願特許発明は本件特許発明技術的範囲に属しないと解されるような行動をとったことにほかならず、このような場合は、禁反言の法理によりこれと矛盾する主張をすることは許されない。
後願特許発明の内容を参酌することにより、本件特許発明について原告がどのような認識であったのかということにとどまらず、権利設定者である特許庁が、出願書類から客観的にどのような技術が出願されたと受け止めたか、そしてこれに対していかなる幅の権利を設定したのかということが明瞭となる。
(二) 後願特許発明は、先願である本件特許発明に対して選択発明の関係にある。
先願の上位概念の発明に包含されると思われる技術であっても、先願の発明の実施例に記載がない実施形式について特段の技術的意義が認められる場合には、その部分だけが別途選択発明として特許され得る。選択発明と、先願の上位概念の発明の構成をそっくり取り込んで、さらにこれに他の技術を付加した場合において、付加したことによる構成全体に特段の技術的意義を有するとして特許される「利用発明」とは、前者が先願の発明の実施形式の一態様であるのに対し、後者が先願の発明の構成に付加的構成が付け加わっているという点で異なる。
選択発明は、先願の発明に包含されるとしても、その実施形式によることは、先願の明細書では開示されておらず、また、先願出願時点の当業者にとっては、容易推考性がないことを理由として初めて特許されたものであるから、この部分の実施形式は、先願の発明の技術的範囲から抜け落ちていたものである(穴あき説)。そうすると、選択発明の技術的範囲に属するものは、先願の発明の技術的範囲に属しないことになる。
後願特許発明は、先願である本件特許発明の一つの実施形式、すなわち幅方向の一部において下層の金による配線パターンのないところに上層の銀による配線パターンを形成する一つのバリエーションであったとしても、このような実施形式(下層の金による配線パターンを櫛歯状にすること)は、格別の技術的意義があると認められ、本件特許発明の出願時点の当業者(原告も含めて)には容易に推考できないということで特許として成立した選択発明である。そうすると、櫛歯状物件は、後願特許発明技術的範囲に属するものであって、本件特許発明技術的範囲には属しない。
【被告主張に対する原告の反論】 1 原出願にかかる発明の参酌について ある出願について特許庁が拒絶理由を通知してきたときに、出願人が当該拒絶理由を克服するために補正等をしたことによって特許査定がされた場合に、包袋禁反言の原則により出願経過参酌されることはあり得るが、本件特許発明技術的範囲を解釈するについて、別個の出願である原出願にかかる発明の出願経過参酌する理由は全くない。本件特許発明技術的範囲は、あくまでも本件特許権の明細書と特許請求の範囲の記載に従って決定すべきである。
2 櫛歯状物件が構成要件Bを充足しないとの点について 構成要件Bは、コモンリードを下層の金による配線パターンと上層の低抵抗金属による配線パターンとの二層構造にすることを要件とするのみであって、上層の低抵抗金属による配線パターンが全面にわたり下層の金による配線パターンと二層構造であることを要件としていない。
3 櫛歯状物件が構成要件Cを充足しないとの点について (一) 被告は、構成要件Cは、上層の配線パターンの「幅方向の一部」を下層の配線パターンが形成されていない領域に形成することが必要であるが、櫛歯状物件は、櫛歯状部分の間の領域について、上層の配線パターンの幅方向の「一部」ではなく、「全部」において下層の配線パターンが形成されておらず、構成要件Cを充足しない旨主張する。
しかし、明細書の特許請求の範囲の文言の意味内容を解釈・確定するに当たっては、発明の詳細な説明の欄に記載された発明の目的、その目的達成の手段としてとられた技術的構成及びその作用効果をも参酌し、その文言により表された技術的意義を確定したうえで、客観的・合理的に解釈すべきであり、このような観点からは被告の主張は失当である。
(二) 本件特許発明は、従来のコモンリードを積層化したサーマルヘッドの場合、「上層の導体材料としてシート抵抗の小さい銅や銀を用いることが考えられるが、例えば金電極上に銀電極を形成した場合のシート抵抗は、基板上に同一厚みの銀単体の電極を形成した場合に比較してシート抵抗が高くなる。これは、金電極と銀電極の境界面にて、双方のペーストに含まれているガラス成分の反応などにより絶縁性の領域が形成されるためであると考えられる。したがって、上層の銀電極の厚みを相当厚くしなければならない。そのために印刷回数が増えるという問題があった。」(本件明細書3欄24行〜33行)ことに鑑み、「材料コスト、製造コストを低減し、しかも電圧降下による問題を解消したサーマルヘッドを提供する」(同欄38行〜40行)ための手段として、「コモンリードの一部を二層構造にし、下層を金による配線パターン、上層を金と同程度かあるいはそれより小さいシート抵抗の金属による配線パターンで構成するとともに、上層の配線パターンの一部を下層の配線パターンの形成されていない領域に形成し」(同欄44行〜49行)、そのことによって作用効果abをもたらすのである。
すなわち、本件明細書で開示されている技術思想は、サーマルヘッドにおいて、材料コスト・製造コストの低減及びシート抵抗の抑制という目的を達成するために、低抵抗金属による上層の配線パターンの幅方向の少なくとも一部を、下層の金による配線パターンが存在しない領域に形成するというに尽きている。コモンリードの一部分では上層と下層の配線パターンが重なり、他の部分においては幅方向の全部が下層の配線パターンと重ならないことによって前記目的を達するものを、ことさらに技術的範囲から排除するものではない。
なお、本件特許発明実施例には、上層と下層の配線パターンをずらして積層するのではなく、各層の配線位置を同一にしつつ下層の金による配線パターンにスリット5eを形成し、スリット5eを覆うように上層の銀による配線パターン7aを形成したものが開示されている(本件明細書4欄39行〜46行)ところ、右実施例はスリット(上層と下層の配線パターンの非重なり部分)と重なり部分を交互に並べる形状であり、櫛歯状物件もこれに当たる(単に、非重なり部分が右実施例よりも縦方向に伸びているだけである。)。
4 「印刷ずれ」物件は、構成要件Cを充足しないとの点について (一) 被告は、「印刷ずれ」物件については、上層の配線パターンの幅方向について下層の配線パターンが形成されていない領域とされるもの(被告もこれが〇・一o程度あることは認めている。)は製造工程で不可避的に生ずる「印刷ずれ」によって生じたものであって、このようなものについては上層の配線パターンの「幅方向の一部」が下層の配線パターンが形成されていない領域に形成されていることにならず、構成要件Cを充足しない旨主張する。
(二) そもそも本件特許発明において、上層の配線パターンの一部に下層の配線パターンが存在しない領域の広さには数値的な限定は一切ないから、約〇・一oの領域があれば構成要件Cを充足することは明らかである。
また、上層の配線パターンの寸法は約一oであることからすると、下層の配線パターンが形成されていない領域〇・一oというのは精密機器たるサーマルヘッドにおいて決して無視できない数値である。
(三) 「印刷ずれ」物件が作用効果aを奏することは、甲一二により、さらには被告提出の乙三三によっても明らかである。被告は、上層の銀による配線パターンと、下層の金による配線パターンの重なりのずれが幾ばくか存在することによって、コモンリードの抵抗値が多少低減しても、実際の製品特性(印字性能)に有意的な影響を及ぼさない(乙三六)旨主張するが、コモンリードの抵抗値の低減自体により、本件特許発明の作用効果を奏しているのである。発熱量の降下抑制、印字濃度のばらつきの解消は、本件明細書に記載された本件特許発明の効果を考察する上では、最終目標ではあるが、二次的なものである。
(四) 「印刷ずれ」物件の非重なり部分が「印刷ずれ」によるのであれば、
反対方向へ「印刷ずれ」したものも存在すべきであるところ、そのようなものはないから(検甲四三ないし四八)、「印刷ずれ」物件の非重なり部分は、意図的に形成されたものである。
5 後願特許発明の存在及びその出願経過参酌について (一) 発明が特許査定の確定、特許権の設定登録により権利として成立した以上は、もはや出願人の意図を離れた客観的存在となるのであり、その技術的範囲は客観的に確定すべきである。特許発明技術的範囲が後願の発明によって左右され得るとすると、侵害訴訟の口頭弁論終結時までに出願された後願の発明は、須く原告の発明の技術的範囲を確定するための訴訟資料になってしまい、侵害訴訟は永久に終結し得ないという不都合がある。
あるいは、被告は、後願特許発明が出願されたことから、原告は本件特許発明の出願当時、後願特許発明に示された実施態様が本件特許発明に含まれるとの認識を有していなかったとの主張をする趣旨かもしれないが(認識限度論)、そのような解釈は誤っている。
(二) 被告は、櫛歯状物件は、本件特許発明に対して選択発明の関係にある後願特許発明技術的範囲に属するものであって、本件特許発明技術的範囲に属しない旨主張する。
しかし、後願特許発明は、「上層の配線パターンにおける幅方向の一部を、前記ヘッド基板の上面のうち下層の配線パターンが形成されていない領域に形成」するという本件特許発明の構成をそっくりそのまま包含し、かつ、材料コスト、製造コストの低減、コモンリード全体の抵抗値の低下という本件特許発明の効果をことごとく奏するものであり、これに、「共通電極から分岐する分岐部と上層パターンの銀膜とを重ねるように構成する」という別の構成を付加したにすぎない。したがって、後願特許発明は、本件特許発明と利用関係に立つにすぎない。そうすると、後願特許発明も、ひいては後願特許発明技術的範囲に属する櫛歯状物件も、本件特許発明技術的範囲に属する。
なお、選択発明として特許性があるか否かの問題と、選択発明が先願の発明の技術的範囲に属するか否かの問題は別次元の問題であり、選択発明として特許されたから、先願の発明の技術的範囲に属しないという議論は成り立たない。
二 争点2(本件特許権が明白な無効原因を有する等の理由で原告の請求は権利濫用となるか。) 【被告の主張】 1 原出願にかかる発明及び本件特許発明出願経過は基礎的事実2のとおりである。
本件特許発明分割出願が適法である要件として、まず、原出願にかかる発明の特許請求の範囲にもともと二個の発明が存在し、それが当業者において正確に理解し、容易に実施できる程度に記載されていたことが必要である。しかし、分割後の原出願の明細書と本件明細書を対比する限り、到底そのようには理解できず、また、分割後の原出願にかかる発明と本件特許発明とがそれぞれが独立した権利範囲(独占権)を有することになる関係で、別個の技術的範囲を有しなければならないはずであるにもかかわらず、相互に重複した技術的範囲を有する状態になっていることからすると、本件特許発明分割出願手続自体が不適法であることは極めて明白であり、出願日遡及の利益は享受することができない。
その結果、以下の結論が導かれる。
(一) 本件特許権は、先願主義による後願排除効により無効とされるべきである。
(二) 原出願の公開公報(平成元年二月七日)によって、本件特許発明新規性は喪失し(分割出願日・平成三年一一月六日)、全部公知となり無効とされるべきである。
(三) 原告は、原出願にかかる発明の出願経過において、「コモンリードの一部を二層構造に」するについて、下層を金による配線パターン、上層を銀による配線パターンと選択した限りにおいては、金と銀との相互拡散等の現象が生じることから、幅方向の配線パターンの非重なり部分を重なり部分より大きくしなければ作用効果がなく、まさにその点において公知技術との差異がある旨を弁明していながら、本件特許発明については、下層の金による配線パターンと上層の銀による配線パターンの非重なり部分とされるものがありさえすればその程度を問わず(たとえ印刷ずれ程度の微細な非重なりであっても)技術的範囲に包含されるなどと矛盾した主張をするのであって、本件特許発明は明らかに発明性を欠如した技術事項までも取り込んだものであることになり、本件特許権は無効とされるべきである。
すなわち、本件特許権は特許されるべきものではなく、無効とされる蓋然性が極めて高い。このような無効となるべき特許権に基づいて権利を行使するのは権利の濫用として許されるべきではない。
2 加えて、分割後の原出願においては、公知技術との関係で、原告自ら特許請求の範囲減縮補正していることに鑑みれば、配線パターンの材質に金と銀とを選択した場合、非重なり部分が重なり部分より大きくなければ公知技術を権利範囲に包含することになり、新規性進歩性がなく、到底特許査定されなかったものであるから、かかる特許されなかったことが明らかな部分に属する被告物件について、本件特許権を行使するのは、明らかに権利の濫用であって許されない。
【原告の主張】 被告は、特許庁に対して無効審判請求をし(平成八年審判第一三七九三号)、その中で、特許法44条1項の「二以上の発明を包含する特許出願の一部を一又は二以上の新たな特許出願とすることができる」に規定する分割のための要件として、分割出願に係る発明と分割後の原出願にかかる発明とが同一でないことを要するが、本件特許発明は分割後の原出願の発明を包含するものであるから、この要件を充足しない旨主張した。しかし、特許庁は、「分割後の原出願の発明が、
『非重なり部分における横幅寸法を、前記下層の配線パターンに対する重なり部分における横幅寸法よりも大きくした』という構成に限定した点に技術的な意義があるものであるのに対し、本件発明は、かかる構成に限定したものではなく、しかも、その明細書には、かかる技術的な意義について何ら記載されていないのであるから、下層を金による配線パターン、上層を銀による配線パターンで構成する場合でも、『非重なり部分における横幅寸法を、前記下層の配線パターンに対する重なり部分における横幅寸法よりも大きくした』ものを、唯一の実施例とするものでないばかりでなく、実施例の一つとするものでもないから、分割後の原出願の発明と同一でない。」として、本件特許発明の出願は適法な分割出願であるとし、被告主張のその他の無効事由も排斥して、無効審判請求は成り立たないとした(甲一三)。
そして、被告がこれを不服として提起した審決取消訴訟も棄却されている(東京高等裁判所平成一一年五月二六日判決、平成一〇年(行ケ)第二九号審決取消請求事件。甲二五)。
三 争点3(被告物件が製造販売された時期及び売上高) 【原告の主張】 1 被告は、被告物件を現在に至るまで製造販売している。そのうち、ハ号物件及びニ号物件の本件特許発明出願公開日である平成六年一二月一三日から出願公告日の前日である平成七年三月二一日までの売上高は少なくとも二億円である。
被告物件の平成七年度、八年度、九年度の売上高は、別紙「被告製品の売上・利益一覧表」記載のとおりである。
2 被告は、ハ号物件の製造販売時期は平成八年九月まで、ニ号物件の販売時期は平成五年一二月までである旨主張するが、被告は現在もこれらの物件を製造販売している(ハ号物件につき甲三、検甲二二の1ないし5、二三の1ないし5、二四の1ないし3。ニ号物件につき甲四ないし六、検甲二五の1ないし5、二六の1ないし5、二七の1ないし3)。
【被告の主張】 1 イ号物件の製造販売期間は平成七年四月から平成九年九月までである。ロ号物件についてはサンプルとしての無償提供があっただけで成約はない。ハ号物件の製造販売期間は平成六年一月から平成八年九月までである。ニ号物件の製造販売期間は平成三年一二月から平成五年一二月までである(乙五一)。ホ号物件、ヘ号物件についてはサンプルとしての無償提供があっただけで成約はない。ト号物件については、平成八年八月ころ、製造販売したことがある(個数はわずかである。)。チ号物件については平成七年七月から平成九年八月まで製造販売した。
なお、櫛歯状物件の販売を中止したのは、もともと配線パターンが複雑な割に技術的なメリットがあまりないことが窺われ、平成九年夏ころから暫定的にその出荷を中止していたところ、外部試験データによる社内調査(乙三六)により、
下層の金による配線パターンと、上層の銀による配線パターンの非重なりの割合・程度いかんがもたらす抵抗値の低減などは、微々たるものにすぎず、何らの製品上の技術的な意義に結びつかないことが改めて確認できたためである。
2 原告は、被告がハ号物件及びニ号物件を現在も製造販売している旨主張する。しかし、検甲二三の4に撮影されているハ号物件の製品番号から、右ハ号物件が平成七年八月に被告が販売したものであることが、検甲二六の2に撮影されているニ号物件の製品番号から、右ニ号物件が平成四年九月に被告が販売したものであることがわかるので、原告の主張は理由がない。
3 被告物件の平成七年度、八年度、九年度の売上高は、別紙「被告製品年度別売上一覧表」記載のとおりである。
四 争点4(被告は、本件特許権の出願公開日である平成六年一二月一三日から出願公告日の前日である平成七年三月二一日までの間、出願公開がされた特許出願に係る発明であることを知って被告物件の製造・販売をしていたか。) 【原告の主張】 1 被告は、昭和四四年ころから、原告の子会社として原告の製品の製造の下請をしていた。
原告は、ハ号物件、ヘ号物件等の製造について、昭和六三年八月ころから被告に下請させていた。
2 したがって、被告は、本件特許発明の内容を知悉し、かつ、それが公開中であることを知って、業としてハ号物件、へ号物件等を製造販売していたことは明らかである。
【被告の主張】 1 原告は、昭和六三年六月二二日、原告保有の被告株式のすべてを被告代表者に一括譲渡し、被告が原告から独立する旨の合意が成立した(乙一)。
しかし、原告、被告間の従前の取引に関しては、原告の商品の調達等の都合もあり、急に途絶させるわけにもいかず、一定期間継続して行う旨の取決めがされた。
そして、サーマルヘッドに関しては、平成二年六月二一日をもって取引が終了し(乙二)、平成三年九月三〇日にはICに関する取引が終了し(乙三)、原告と被告との間の取引はすべて終了した。
2 被告の独立当時、イ号物件ないしニ号物件等はいずれも全く製造されておらず、原告からの下請の発注を受けたこともない。
3 被告は、本件特許発明の存在について、原告知的財産部所属の【E】作成の平成七年一〇月一〇日付「平成七年九月二八日のミーティングの件」と題する書面(乙四)において指摘を受けて初めて了知した。本件特許権の出願公開日である平成六年一二月一三日においてはもちろん、出願公告日である平成七年三月二二日においても全く知らなかった。
4 なお、本件特許権について正式に原告から知らされたのは、平成七年一一月二日付通知書(乙五)によってである。
五 争点5(被告に過失がないと認められるか。) 【被告の主張】 1 原告は、本件特許発明に対し選択発明の関係にある後願特許発明を出願し、特許権を得ている。
2 これは、原告自身が、後願特許発明を本件明細書では開示されていない実施形式であり、原告自身や被告を含めた当業者には容易に推考できないものであることを自認して出願し、また、特許庁もこれを認めて登録したものであるから、当業者である被告において、櫛歯状のものが本件特許発明技術的範囲に属しないと判断したことに何の過失もない。
【原告の主張】 1 特許法103条によって過失が推定される場合に、それを覆滅する事実とは、公報が発行されていない場合等、およそ特許公報に接する可能性がなく他者の権利との抵触の予見可能性が全くない場合をいう。
2 そのような場合でない限り、当業者は公報を見て権利侵害の可能性を調査する高度の調査義務を負い、客観的に(利用であると均等であるとを問わず)権利侵害が成立する場合には、技術的範囲の属否の判断に関する無過失の抗弁は認められない。
六 争点6(被告が補償金支払義務を負う場合の補償金の額。被告が損害賠償責任を負う場合に、原告に賠償すべき損害の額。) 【原告の主張】 1 被告は、ハ号物件及びニ号物件を平成六年一二月一三日から平成七年三月二一日まで合計二億円製造販売した。特許法等の一部を改正する法律(平成六年法律116条による改正前の特許法(以下「改正前特許法」という。)65条の3第1項による補償金としては、右の三パーセントの六〇〇万円が相当である。
2 被告が被告物件を製造販売したことによる平成七年度、八年度、九年度の利益は、別紙「被告製品の売上・利益一覧表」記載のとおりであり、右利益は特許法102条2項により原告の損害と推定される。
なお、特許法102条2項でいう利益は一般には純利益を意味するが、同項は、侵害製品を製造販売することによって侵害者が追加して得た利益を吐き出させる規定であるから、侵害者側が特許権侵害行為とは関係なく出捐を余儀なくされる経費(人件費、減価償却費)は控除されるべきでなく、販売費も侵害製品の販売に直接必要な部分が考慮され得るにすぎない。結局、侵害者の売上から控除されるのは、当該製品の仕入価格(労務費を除いた製造原価)と、直接要した販売費(具体的には運搬費程度)にすぎない。
また、損害額に関する権利者の立証責任を軽減する特許法102条2項の趣旨を没却しないため、原告が被告の上げた粗利益について一応の立証を行った場合には、純利益を算出するための減額要素については被告に主張立証責任を負わせるべきである。
3 被告は、原告が本件特許発明実施していないから特許法102条2項は適用されない旨主張するが、原告は、分割後の原出願の発明の実施品(乙三六、検乙五、六)のみならず、本件特許発明実施品(甲二一の@ないしC)も製造販売しているから、被告の主張は前提を欠く。
のみならず、特許法102条2項の適用を、権利者が特許権を実施している場合に限定する理由はない。
そもそも、同項は、権利者が特許権を実施していることを要件とするものではなく、特許権侵害により損害が発生していることを要件とする規定である。たとえ権利者が特許権を実施していても、侵害者との間で商品が競合しない場合には、特許権侵害による損害発生の具体的現実性がないから同項の適用がないが、権利者と侵害者が競合商品を販売しており、その結果、特許権侵害によって現実の営業上の影響が生ずる関係が認められる場合は同項の適用がある。
被告指摘の原告製品(乙三六、検乙五、六)はすべてファクシミリ用のサーマルプリントヘッドであり、被告物件と代替性のある競合品であるから、被告物件の製造販売により原告に損害が発生することは明らかである。
4 被告は、被告物件の全体価格(製品単価)を基準に本件特許権侵害に基づく損害額を算定することはできず、全体利益に対し顧客吸引力に対する当該特許発明の寄与率ないし利用率を考慮して損害を決めるべきである旨主張するが、被告物件のうち一部が特許権侵害品である場合であっても、侵害品を含む製品全体の販売利益をもって、権利者の損害の額と推定すべきである。
また、被告物件は、「印刷ずれ」物件を含め、コモンリード全体の抵抗値の低下という本件特許発明の作用効果を生じるものであるし、印字むらの解消にも一役買っている。したがって、被告物件において本件特許発明の寄与率(利用率)が低いとはいえない。
【被告の主張】 1 特許法102条2項は、権利者が当該発明を実施している場合の規定であって、実施していない場合には同条三項が適用される。
原告が製造販売しているのは、下層の金による配線パターンと上層の銀による配線パターンの非重なり部分が二分の一以上のものすなわち分割後の原出願の発明の実施品(乙三六、検乙五、六)のみであるから、本件特許権の侵害による損害賠償について特許法102条2項は適用されない。
2 仮に、本件に特許法102条2項が適用されるとしても、同項にいう利益は純利益をいう。
被告が被告物件を製造販売したことによる平成七年度、八年度、九年度の利益は、別紙「被告製品年度別売上一覧表」記載のとおりである。
3 被告物件において、本件特許発明で問題となるコモンリード部分(下層の金による配線パターンと上層の銀による配線パターンの重なりの状態)については、サーマルヘッドという製品の配線の一部分にすぎず、また、金による配線パターンと銀による配線パターンのずれの度合いも、非重なり部分のない従来技術と同視し得る程度のわずかなものであり、製品特性に全く影響を与えていない(乙三二ないし三六)。
つまり、被告製品においては、金による配線パターンと銀による配線パターンの非重なり部分の存在によって、抵抗値の低下が図られて製品の性能が確保されたり、コストの低減が図れたりする事実はない。本件特許発明は、被告物件全体の存立や価格にほとんど影響を与えておらず、質的にも量的にも被告物件の市場性や顧客吸引力に全く寄与していない。
よって、被告物件の全体価格(製品単価)を基準に本件特許権侵害に基づく損害額を算定することはできず、全体利益に対し顧客吸引力に対する当該特許発明の寄与率ないし利用率を考慮して損害を決めるべきである。
本件の場合、従来技術の存在、原告自身分割後の原出願の発明の出願経過において下層の金による配線パターンと上層の銀による配線パターンのわずかなずれでは作用効果を奏しない旨主張していること、銀による配線パターンの印刷の過程では印刷ずれが不可避的に発生すること等を考慮すれば、右寄与率、利用率は多くても全体利益の一〇パーセントを超えることはない。
争点に対する判断
一 争点1(被告物件は本件特許発明技術的範囲に属するか。)について 1 原出願の出願経過等の参酌について (一) 被告は、原出願にかかる発明(特に分割後の原出願の発明)及び本件特許発明出願経過等に照らし、被告物件は、いずれも本件特許発明技術的範囲に属しない旨主張する。
一般に特許発明技術的範囲は、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基いて定めるべきものであるが(特許法70条1項)、当該発明の出願経過(審決取消訴訟を含む。)において、出願人が、当該発明が公知技術抵触すると判断されることを避ける目的で当該発明の技術的範囲の解釈について限定的な陳述をし、それが特許庁や審決取消訴訟を担当する裁判所に容れられて、その結果特許権の設定登録に至った場合において、その後の侵害訴訟で、当該発明の技術的範囲が右限定的に主張したより広範なものであると主張することは、禁反言の原則に反し許されない(包袋禁反言の原則)と解される。
分割出願にかかる発明と分割後の原出願の発明は、別個独立のものであるから、右と同様に、分割出願にかかる発明の技術的範囲を確定するのに原出願の発明の出願経過参酌するのは原則として相当でない(原出願の発明の出願経過において述べられたことは、分割出願にかかる発明に関して述べられたものとはいえない。)。ただ、分割出願にかかる特許権の成立が原出願と密接な関係にある場合において、分割出願の際に既にもととなった原出願の願書に添付された明細書又は図面の意味内容が原出願の出願経過参酌により明らかになるような例外的な場合(この場合は、分割前の原出願の明細書の意味内容が確定されることにより、右明細書に記載されている分割出願にかかる発明の意味内容も分割出願の時に明らかになっていると評価することができる。)に限り、原出願にかかる発明の出願経過参酌することができるというべきである。
(二) 基礎的事実2に基づき検討するに、本件特許発明と分割後の原出願の発明は別個独立に審査手続を経ているので、両者に密接な関係があるとは必ずしもいえない。また、特許庁審査官が特許異議の申立に理由がない旨の決定をしたのは、分割出願の後である平成七年六月三〇日であるから、分割出願の際に既にもととなった原出願の願書に添付された明細書又は図面の意味内容が原出願の出願経過参酌により明らかになるという関係にはない。そうすると、本件特許発明技術的範囲の確定について分割後の原出願の発明の出願経過参酌するのは相当でないというべきである。
(三) 仮に本件特許発明技術的範囲の確定について分割後の原出願の発明の出願経過参酌するとしても、それによって本件特許発明技術的範囲を限定的に解釈することはできないというべきである。
そもそも包袋禁反言の原則は、前記のとおり、出願人が当該発明が公知技術抵触すると判断されることを避ける目的で当該発明の技術的範囲の解釈について限定的な陳述をした場合に適用されるものであるところ、原告の分割後の原出願の発明の出願経過における陳述は、特に分割後の原出願の発明の技術的範囲の解釈について限定的な陳述をするものではない(例えば、前記三菱電機株式会社に対する異議答弁書についてみると、「コモンリードにおける上層の銀による配線パターンにおける幅方向の一部を、コモンリードにおける下層の金による配線パターンが形成されていない領域にずらして形成し、このずらせた非重なり部分における横幅寸法を、前記下層の配線パターンに対する重なり部分における横幅寸法よりも大きくした」構成を採ったことによる顕著な作用効果を強調しているにすぎない。)。あるいは、被告は、原出願にかかる発明の当初の明細書に記載された特許請求の範囲と本件特許発明の特許請求の範囲が類似することから、原出願にかかる発明の当初の明細書に記載された発明を限定する関係にある分割後の原出願の発明及びこれについての出願経過の陳述は本件特許発明をも限定する旨主張するのかもしれないが、本件特許発明と分割後の原出願の発明が別個のものであることからすれば、そのように解すべき根拠に乏しい。
(四) 被告は、原出願にかかる発明の出願経過からして、下層を金による配線パターン、上層を銀による配線パターンと選択したものに関しては、「コモンリードの一部を二層構造に」するについて、分割後の原出願の発明の特許請求の範囲のとおり限定した技術的構成(非重なり部分の横幅寸法を重なり部分の横幅寸法より大きくする。)によるべきであり、包袋禁反言の原則により、「コモンリードの一部を二層構造に」するについて、侵害訴訟において、今さら右限定を不要のものと扱うことは許されない旨主張するが、原告の出願経過における陳述の意義についても誤解があるといわざるを得ない。
すなわち、原告の陳述は、早期審査に関する事情説明書(乙一六)においても、異議答弁書(乙二六、二七)においても、分割後の原出願の発明の構成を採ることで公知技術との関係で顕著な作用効果を奏することを強調する趣旨でされたものであって、右構成を採らなければ公知技術から脱却しないという趣旨ではないことは明らかである。また、原告が、特許庁審査官から、原出願にかかる発明の当初の特許請求の範囲の構成では原告主張の作用効果を奏しないと示唆されたことを認めるに足りる証拠もない(拒絶理由通知も、特許請求の範囲等が不明確であるというものである。)。
(五) したがって、原出願にかかる発明及び本件特許発明出願経過から、
被告物件が本件特許発明技術的範囲に属しないという被告の主張は採用できない。
2 櫛歯状物件の構成要件B充足について (一) 被告は、構成要件Bは、構成要件Cの一層構造の部分以外の領域については、二層構造であることが必須要件であるが、櫛歯状物件は、櫛歯状部分相互の間の領域においては銀による配線パターンのみの一層構造となっており、構成要件Bの「二層構造」を充足しないと主張する。
(二) ところで、サーマルヘッドにおいて、コモンリードを二層構造にすることについては、本件明細書において、「従来のサーマルヘッドにおいて、特にコモンリードの配線距離が長くなる場合に、コモンリードによる電圧降下が問題となる。すなわち図4に示したようにコモンリードの両端5b、5cを介して駆動電流を供給した場合、発熱抵抗体に印加される実際の電圧は中央部ほど低くなる。このため、中央部ほど発熱抵抗体の発熱量が低下し、記録結果に濃度差が生じることとなる。そこで、このような場合に従来は、コモンリード全体の抵抗値を下げるために、コモンリードに更に導体層を積層している。図6はそのようなサーマルヘッドの主要部の平面を表している。図において7a、7bはコモンリード5a、5bの上部に積層された導体層であり、積層部分のシート抵抗を低下させることによって電圧降下を低減している。」(本件明細書3欄3行〜16行)と指摘されているように、従来技術においても行われていたところである。
そして、本件明細書添付図6には、従来技術において金による配線パターンを下層に、銀による配線パターンを上層に積層したものの部分平面図が示されているが、面積的には銀による配線パターンの方が小さく、全面にわたって二層構造になっているわけではない(換言すれば、銀による配線パターンが形成されていない領域においては、下層の金による配線パターンのみが形成されていることになる。)。
以上を要するに、従来技術における積層ないし二層構造の意義は、上層の配線パターンを付加することにより、電流通路の断面積を広げ、それによってコモンリード全体の抵抗値を下げることにあるといえる。そして、上層の配線パターンの付加により電流通路の断面積が広げられている限り、上層の配線パターンと下層の配線パターンが全面にわたって二層構造である必要がないことは、右図6によっても明らかである。
(三) また、本件明細書添付図1ないし図3に示された本件特許発明実施例をみると、いずれも上層の配線パターンのみ形成され下層の配線パターンの形成されていない領域(本件特許発明構成要件C)があるのは当然として、下層の金による配線パターンが形成されているが上層の銀による配線パターンが形成されていない部分もあり(平面図視個別電極側部分)、上層の配線パターンと下層の配線パターンが全面にわたって二層構造になっているわけではない。結局、本件特許発明においても、二層構造をとる目的自体は従来技術と変わらないものであり、上層の配線パターンの付加により電流通路の断面積が広げられている限り、全体として本件特許発明構成要件Bにいう「二層構造」がとられているものと評価することができ、上層の配線パターンと下層の配線パターンが全面にわたって二層構造である必要はないと考えられる。そうすると、構成要件Bは、構成要件Cの一層構造の部分以外の領域については下層の金による配線パターンと、上層の銀による配線パターンとの二層構造であることが必須要件であるとの被告の主張はその前提を欠くものといわねばならない。
櫛歯状物件についてみると、櫛歯状部分の間の銀による配線パターンは、下層の配線パターン上に上層の配線パターンを積層することによって、櫛歯状部分の上の銀による配線パターンと一体連続に形成されたものであり、しかも、銀による配線パターンは、全体として、接続端子から各櫛歯状電極に至る電流通路を形成して、これによって電流通路の断面積を広げているのであるから、櫛歯状物件が本件特許発明構成要件Bを充足することは明らかである。
3 櫛歯状物件の構成要件C充足について (一) 被告は、構成要件Cは、上層の配線パターンの「幅方向の一部」を下層の配線パターンが形成されていない領域に形成することが必要であるが、櫛歯状物件は、櫛歯状部分の間の領域について、上層の配線パターンの幅方向の「一部」ではなく、「全部」において下層の配線パターンが形成されておらず、構成要件Cを充足しない旨主張する。
(二) まず、構成要件Cにおける「幅方向」の意義について検討するに、本件特許発明の特許請求の範囲においては、「上層の配線パターンにおける幅方向の一部」と記載されているが、上層の配線パターンにおける「幅方向」とは、どの方向のことであるのかについて格別記載されてはいない。しかし、本件発明が対象とするサーマルヘッドは、一般に細長い矩形板状であり、上層の配線パターンも細長い帯状のものであるから、帯状導体の短辺方向を「幅方向」と表現したものと考えられる。
(三) 次に、「幅方向の一部」の意味を解明するには、本件特許発明において構成要件Cの「上層の配線パターンにおける幅方向の一部を、前記ヘッド基板の上面のうち下層の配線パターンが形成されていない領域に形成した」という構成が採用された理由及びそれによる作用効果を検討することを要する。
本件明細書には、従来技術として、「従来のサーマルヘッドにおいて、
特にコモンリードの配線距離が長くなる場合に、コモンリードによる電圧降下が問題となる。すなわち、図4に示したようにコモンリードの両端5b、5cを介して駆動電流を供給した場合、発熱抵抗体に印加される実際の電圧は中央部ほど低くなる。このため、中央部ほど発熱抵抗体の発熱量が低下し、記録結果に濃度差が生じることとなる。そこで、このような場合に従来は、コモンリード全体の抵抗値を下げるために、コモンリードに更に導体層を積層している。」(3欄3行〜12行)ことが紹介され、しかしこのような従来技術には、「下地となる配線パターンは有機系の金ペーストの印刷・焼き付け及びエッチングによって形成されるが、その表面に同材料の金ペーストを用いて膜厚を厚くする場合、材料コストが増大する。そこで上層の導体材料としてシート抵抗の小さい銅や銀を用いることが考えられるが、
例えば金電極上に銀電極を形成した場合のシート抵抗は、基板上に同一厚みの銀単体の電極を形成した場合に比較してシート抵抗が高くなる。これは、金電極と銀電極の境界面にて、双方のペーストに含まれているガラス成分の反応などにより絶縁性の領域が形成されるためであると考えられる。したがって、上層の銀電極の厚みを相当厚くしなければならない。そのために印刷回数が増えるという問題があった。勿論コモンリード全体を金以外の電極材料により形成できればよいが、銀電極などの場合、サーマルヘッドの発熱部分の微細なパターンをエッチングにより形成することは困難である。特に銀では、マイグレーションが発生し、信頼性の面で実用にはならない。」(3欄20行〜37行)という問題があったことに鑑み、「材料コスト、製造コストを低減し、しかも電圧降下による問題を解消したサーマルヘッドを提供する」(同欄38行〜40行)ための手段として、「コモンリードの一部を二層構造にし、下層を金による配線パターン、上層を金と同程度かあるいはそれより小さいシート抵抗の金属による配線パターンで構成するとともに、上層の配線パターンの一部を下層の配線パターンの形成されていない領域に形成し」(同欄44行〜49行)た本件特許発明の構成が採られたものである。そして、この構成を採ったことにより、「コモンリードの一部に金以外の電極領域が形成される。上述のように上層電極層の膜厚が同一であっても、例えば金や銅単体の電極は金と銀の単純二層構造の電極よりシート抵抗が低いために、コモンリード全体の抵抗値が効率よく低下する。」(明細書4欄6行〜10行)という作用を奏し、作用効果abを奏する。
以上のとおり、本件明細書を精査すれば、本件特許発明は、従来技術において、電流通路の断面積を広げ、それによってコモンリード全体の抵抗値を下げる目的を達しようとする場合、@下層の金による配線パターンにさらに金ペーストを用いて膜厚を厚くすると材料コストが増大する、A下層の金による配線パターンと上層の低抵抗金属による配線パターンを単純に積層する(上層の低抵抗金属による配線パターンの全部が、下層の金による配線パターンが形成されている領域に形成されることになる)場合は、金電極と例えば銀電極の接する面積が大きいので、
その境界面での絶縁性領域の形成によって基板上に同一厚みの銀単体の電極を形成した場合に比較してシート抵抗が高くなる、Bかといってコモンリード全体を銀などの金以外の電極材料により形成することもできないことから、下層の金による配線パターンの上に上層の低抵抗金属による配線パターンを積層する二層構造をとることにし(構成要件Bの採用による@、Bの解決)、上層の配線パターンにおける幅方向の一部を、下層の配線パターンが形成されていない領域に形成することとした(構成要件Cの採用によるAの解決)ものと考えられる。すなわち、構成要件Cは、金電極と例えば銀電極が接する面積を可及的に小さくする目的を達するために採られたものであるから、全体として上層の配線パターンと下層の配線パターンの二層構造が形成されている場合に、「上層の配線パターンの幅方向に、下層の配線パターンが形成されていない部分を設ける」ことを「上層の配線パターンにおける幅方向の一部を、前記ヘッド基板の上面のうち下層の配線パターンが形成されていない領域に形成した」と表現したものであり、上層の配線パターンの幅方向の全部が下層の配線パターンの形成されていない領域に形成される場合を排除するものではないというべきである。
被告は、「幅方向の一部」なる客観的に明確な文言について、発明の詳細な説明等の参酌をして「幅方向の全部」も含むなどという拡大解釈をすることは許されない旨主張するが、仮に本件特許発明の特許請求の範囲が上層の配線パターンの幅方向の全部が下層の配線パターンの形成されていない領域に形成された場合を排除する趣旨で「幅方向の一部」という表現を用いたとすると、そのような場合本件特許発明の解決しようとした問題点を解決できず、本件特許発明の作用効果を奏することができないので、意識的に「幅方向の一部」に限定したということになるが、右のような場合でも、金電極と例えば銀電極が接する面積を小さくすることができ、本件特許発明の作用効果を奏することは明らかであるから、そのような意識的限定がされたと認めることはできず、被告の主張は採用できない。
(四) 櫛歯状物件は、下層の金による配線パターンの櫛歯状部分の幅方向の一部において上層の銀による配線パターンと積層されているから、全体として上層の配線パターンと下層の配線パターンの二層構造が形成されており、櫛歯状部分の間においては、幅方向の全部において下層の金による配線パターンが形成されていないとしても、前記(三)のとおり解釈された意味での本件特許発明構成要件Cを充足するというべきである。
4 「印刷ずれ」物件の構成要件C充足について (一) 被告は、構成要件Cは、上層の配線パターンの「幅方向の一部」を下層の配線パターンが形成されていない領域に形成することが必要であるが、「印刷ずれ」物件については、下層の配線パターンが形成されていない領域とされるもの(±〇・一o程度)は製造工程で不可避的に生ずる印刷ずれによって生じたものであって、このようなものについては、構成要件Cを充足しないし、本件特許発明の作用効果を奏することもないと主張する。
(二) まず、下層の金による配線パターンと上層の銀による配線パターンを単純に積層する従来技術の場合に、±〇・一o程度の印刷ずれが生じることが技術的に不可避といえるかについて検討する。
この点、昭和五八年二月一二日に発行されたニューロング精密工業株式会社の被告宛設計仕様書(ライトン樹脂上のスクリーン印刷に関するもの-乙一一)には、位置繰返精度±〇・〇一o、印刷精度±〇・〇二oとの記載があり、大日本スクリーン製造株式会社の昭和五九年一〇月一七日付(昭和六〇年二月一四日変更)大型自動露光機仕様書(乙一二)には位置合せ精度として同一基板による再現性(基板の形状、精度が良好なもの)±二〇μ以下、基準ピンの再現性±一〇μとの記載が、中沼アートスクリーン株式会社の「スクリーン製版精度の件」と題する書面(乙一三)には、ピッチ精度として±一〇μ、パターン幅精度として±五μとの記載がある。
他方、乙三二は、被告が製造しているサーマルプリントヘッドであって、金の配線パターン上に銀の配線パターンを形成したもので、ずれなし、金の配線パターンの上端より〇・二o、〇・四o、〇・六o上方にずらせて形成したもの(銀パターン印刷一回のものを順次試料1ないし4、同二回のものを順次試料5ないし8とし、各試料につきAからFの六検体を対象とする。)の各々について、銀の配線パターンの位置ずれ量(各試料の左端と右端のそれぞれにつき測定)を、徳島県立工業技術センターが測定した成績書(平成一〇年五月二七日付)であり、この測定に供されたサーマルプリントヘッドは、被告が通常の製造工程と同じ技術精度で製造したものと考えられるから、右測定結果は、被告製品における通常の印刷ずれの程度を示すものであるとみることができるところ、測定結果A「金パターンと銀パターンの非重なり部の寸法測定」をみると、上層の銀による配線パターンを下層の金による配線パターンの上端より意図的に所定距離をずらせて形成した場合(試料2〜4、6〜8)の実測値の平均値と設計値との差(印刷ずれ)が最大となるのは、上方では、試料6左端の〇・〇四九o、下方では、試料3右端の〇・〇四六oであり、検体別の最大値は、試料4検体Bの右端で+〇・〇七二oとなっている。しかし、銀の配線パターンを金の配線パターンの上に形成する場合(下層の金による配線パターンと上層の銀による配線パターンを単純に積層する従来技術)では、平均値で+〇・〇二二o(試料5左端)、検体別最大値でも〇・〇四三o(試料5検体Fの左端)の印刷ずれが生じるにすぎない。
さらに、甲一二は、原告の依頼により、株式会社松下テクノリサーチが金の配線パターン上に銀の配線パターンを形成した導体の電気抵抗測定に関する分析・試験報告書(平成九年九月二二日付)であるが、報告書2「測定資料の作成」の部分に、上層の銀による配線パターンを下層の金による配線パターンの上端より〇・一o及び〇・二oずらせて形成した試料B・C(各六検体)につき、金の配線パターン上端よりのずれを測定した実測値が示されているが、これによれば、実測値と目標値との差(印刷ずれ)が最大となるのは、上方向がC-2左端の〇・〇三八o、下方向がB-6右端の〇・〇三二oである。
以上を総合すると、乙一一、一二は本件特許発明出願より相当前の資料であること、乙一三のピッチ精度±一〇μ、パターン幅精度±五μとの記載も、最大限そのようなずれが生じ得るという趣旨であると考えられること、乙三二、甲一二のいずれの測定結果においても、銀の配線パターンを金の配線パターンの上に形成する従来技術の場合の印刷ずれは、平均値で〇・〇二o、最大でも±〇・〇五oを超えないことからすれば、従来技術の場合に、±〇・一o程度の印刷ずれが生じることが技術的に不可避であるとの被告主張は成り立たないものというべきである。
(三) 被告は、±〇・一o程度の印刷ずれによって、本件特許発明の作用効果を奏することはおよそない旨主張するので検討する。
甲一二によると、上層の銀による配線パターンと下層の金による配線パターンに〇・一oの非重なり部分を設けた試料(P-B)の抵抗値は、平均値で一・二七Ωであり、非重なり部分を設けない試料(P-A)の抵抗値の平均値一・四五Ωに比べると、約八七・六%であり、抵抗値は、約一二・四%低下したといえる。被告は、甲一二には、実験に使用された金ペーストの素材が特定されず、銀パターンの厚さの記載がなく、また、実験結果(抵抗値の数値)が本件特許発明対象製品との関係でいかなる意義を有するのか示されていないという問題がある旨主張するが、少なくとも参考にはなるものである。なお、甲一二には、銀の配線パターンの印刷回数が明記されていないが、後記乙三三の実験結果に照らし、一回印刷したものと推測される。
乙三三(依頼試験等成績書)は、乙三二の試料について、香川県工業技術センターが導体抵抗値を測定したもの(平成一〇年六月八日付)であるが、これによると、導体の両端間の抵抗値の平均値(平均値が最大となる〇-八点を基準とする。)は、@上層の銀による配線パターンと下層の金による配線パターンに非重なり部分を設けない試料では、一・四五八Ω(試料1-一回印刷)、〇・五五四Ω(試料5-二回印刷)、A非重なり部分を〇・二o設けた試料では、一・〇八五Ω(試料2-一回印刷)、〇・四七五Ω(試料6-二回印刷)、B非重なり部分を〇・四o設けた試料では、〇・九三〇Ω(試料3-一回印刷)、〇・四二六Ω(試料7-二回印刷)、C非重なり部分を〇・六o設けた試料では、〇・七九八Ω(試料4-一回印刷)、〇・三八七Ω(試料8-二回印刷)であり、この測定領域において、抵抗値は、別紙「乙33分析」記載のとおり非重なり部分の増加に応じて、ほぼ直線的に減少しているといえる。被告は、±〇・一o程度の印刷ずれによって、
本件特許発明の作用効果を奏することはおよそない旨主張しながら非重なり部分を〇・一o設けた試料についての抵抗値の実験結果を提出しないのであるが(非重なり部分がそれより大きいものでも本件特許発明の作用効果を奏しないという趣旨ではあろうが)、右のとおり抵抗値が非重なり部分の増加に応じてほぼ直線的に減少していることからすると、乙三二、三三と同様の試験で非重なり部分を〇・一o設けた場合の抵抗値は、試料1、2及び試料5、6の平均値にほぼ等しくなるものと考えられる。試料1、2及び試料5、6の平均値を計算すると、それぞれ、一・二七二Ω(一回印刷)、〇・五一五Ω(二回印刷)となる。これらの数値は、非重なり部分を設けない場合の抵抗値一・四五八Ω(一回印刷)、〇・五五四Ω(二回印刷)の約八七・二%(一回印刷)、九三・〇%(二回印刷)であり、非重なり部分を〇・一o設けると、抵抗値は、約一二・八%(一回印刷)、七・〇%(二回印刷)低下するといえる。
以上によれば、甲一二によっても、乙三三においても、非重なり部分を〇・一o設けると約一二%抵抗値が低下することが示されたが、この一二%という数値について検討するに、非重なり部分を設けない試料について、各試料の抵抗値と前記平均の抵抗値との最大の偏差を求め、平均の抵抗値に対する最大偏差のパーセンテージを計算すると、甲一二では、最大偏差はマイナス〇・〇六Ωであり、平均の抵抗値に対するパーセンテージは、約四・一%であり、乙一二では、最大偏差は、マイナス〇・〇五二Ωであり、平均の抵抗値に対するパーセンテージは、約三・六%である。これらの、約四・一%や約三・六%という数値は、配線パターンを印刷によって形成する過程において起こり得る最大の誤差と考えられ、甲一二、
乙三三のいずれにおいても五%を超えることはないものと思われる。
そうすると、非重なり部分を〇・一o設けることによる抵抗値低下率一二%という数値は、配線パターンの印刷過程で生じる誤差の二倍以上であり、単なる誤差ということはできない。すなわち、抵抗値低下率一二%という数値は、製造技術的に意味のある有意な数値であり、〇・一oの非重なり部分によっても、コモンリード全体の抵抗値を低下させるという本件発明の作用効果を奏するものといえる。
被告は、上層の銀による配線パターンと、下層の金による配線パターンの重なりのずれによりコモンリードの抵抗値が多少低減しても、実際の製品特性(印字性能)に有意的な影響を及ぼさないと主張し、これを示す調査報告書(乙三六)を提出しており、これによれば、コモンリードの抵抗値の低下が印加エネルギーを増大させるものの、実際の印字濃度に対する影響度はかならずしも大きくなく、抵抗値が最大の場合(上層と下層の重なりずれがない場合)でも被告の厚膜サーマルヘッドの仕様書(乙三四)に示された印字品質の濃度や濃度バラツキ規格を十分に満たしており、実用上の作用効果が大きいものではないことが窺われるが、
明細書に直接記載されている本件特許発明の作用効果は「コモンリード全体の抵抗値を低下させること」であるから、実用上の作用効果の大小は、被告物件の侵害性を否定する根拠となるものとはいいがたい。
(四) 前記(二)で検討したように、上層の配線パターンを印刷形成する過程で生じる「印刷ずれ」は、せいぜい±〇・〇五oであると考えられ、現に、被告は、非重なり部分のない製品の「印刷ずれ」を、二回印刷の場合でも、平均〇・〇二二oに抑える精度でサーマルプリントヘッドを製造しており(乙三二)、「印刷ずれ」物件における下層の金による配線パターンと上層の銀による配線パターンの非重なり部分が印刷ずれによるものとは想定しがたい。
被告は、原告の「印刷ずれ」物件の非重なり部分が印刷ずれによるのであれば、反対方向へ印刷ずれしたものも存在すべきであるところ、そのようなものはない旨の主張に対し、印刷ずれは製品ごとに生ずるのではなく、一時期に製造された数量単位(ロット)ごとにほぼ同様のずれが生ずるのであり、原告収集にかかる被告製品が同一のロットに属していたから、反対方向への印刷ずれがないというだけの話である旨反論するが、乙三二をみると、試料4、5、8については、同一絶縁基板での「印刷ずれ」は同一方向に生じているのに対し、試料1では、同一の絶縁基板に印刷されたA〜Fの6個の配線パターンの印刷ずれは、A〜Eがプラス方向に、Fの右端はマイナス方向に、試料2、6では、A〜Cの右端がプラス方向に、D〜Fの右端はマイナス方向に、試料3、7では、A〜Dの左端がマイナス方向に、E〜Fの左端はプラス方向にずれている。すなわち、乙三二では、八枚の絶縁基板で印刷ずれの方向が同じなのは、三枚であり、五枚は印刷ずれの方向が揃っていないということになる。このことは、一つの絶縁基板から多数個取りによって製造する場合でも印刷ずれの方向が必ずしも同一になるとはいえないことを示しており、被告の主張はただちに採用できない。
(五) 以上によれば、「印刷ずれ」物件は構成要件Cを充足するものというべきである。
5 後願特許権の参酌について (一) 被告は、後願特許権の存在及びその出願経過参酌すると、櫛歯状物件は本件特許発明技術的範囲に属しない旨主張する。
しかし、特許権は、設定登録によって客観的存在となり、その技術的範囲は、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて定めるべきものであり、ことに前記認定のように、本件明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明参酌により、その意味内容が明らかになる本件特許発明のような場合には、その後に成立した特許権の存在ないし出願経過によってその技術的範囲を限定するのは相当でない。
(二) 被告は、後願特許発明は、本件特許発明に対し選択発明の関係にあるところ、選択発明は、先願の発明に包含されるとしても、その実施形式によることは、先願の明細書では開示されておらず、また、先願出願時点の当業者にとっては、容易推考性がないことを理由として初めて特許されたものであるから、この部分の実施形式は、先願の発明の技術的範囲から抜け落ちていたのであり(穴あき説)、選択発明の技術的範囲に属するものは、先願の発明の技術的範囲に属しないことになる旨主張する。
ところで、選択発明とは、上位概念で構成された先願特許発明に対し、
その上位概念に含まれる下位概念であって、先願特許権の明細書に具体的に記載されていないものを構成要件として選択した発明をいい、選択発明であるからただちに先願特許発明技術的範囲に属しないとするいわゆる穴あき説は相当でなく、個別具体的に先願特許発明との利用関係の成否を判断すべきである。
そして、後願特許発明の請求項1の構成をみると、「前記共通電極と銀膜とは、共通電極から前記発熱抵抗体の長手方向に直交する方向に分岐する複数の分岐部で重なる」は、本件特許発明構成要件C「上層の配線パターンにおける幅方向の一部を、前記ヘッド基板の上面のうち下層の配線パターンが形成されていない領域に形成した」の下位概念に当たり、かつ、本件明細書には具体的には記載されていないので、後願特許発明は本件特許発明に対し選択発明の関係にあると解する余地はある。
しかし、後願特許発明の請求項1の作用効果「(1)共通電極から分岐する複数の分岐部に銀膜が重なる構造であるため、両者(金膜と銀膜)との重なり面積を効率的に減少させることが可能となる。(2)銀膜の膜厚を小さくし、銀(ペースト)の使用量を減らしてコストの低減を図ると共に、印字濃度を上げて印字品位の向上及び駆動時の省エネルギ化を図ることができる。(3)共通電極の分岐部が発熱抵抗体の長手方向に直交する方向、即ち感熱記録紙やプラテンが当たる方向に延びているので、感熱記録紙やプラテンのサーマルヘッドへの当たりを良好にできる。」(後願明細書(3)頁右欄19行〜29行)についてみると、(1)については、上層の配線パターンと下層の配線パターンの重なり面積が本件明細書において具体的に記載されていたものに比べ小さいにしてもそれは量的な差であって質的なものとはいえず、(2)についても、銀膜の膜厚を小さくすること、銀の使用量を減らすことは本件特許発明の作用効果であり、後願特許発明において質的に顕著な差が生じるとは考えがたく、印字濃度を上げること等は本件特許発明の作用効果そのものではないが本件明細書に記載されていた技術課題であり(3欄2行〜10行)、先願発明の上位概念から右目的を達するために下位概念を選択するのが比較的容易であるといえ、(3)にしても、従来技術で「銀膜15と発熱抵抗体17との高低差が大きくなり、発熱抵抗体17へのプラテン(図示せず)の当たりが弱くなり、」(後願明細書(2)頁左欄33行〜35行)という問題があったのを解決するものであるが、これは銀膜の厚さを薄くしたことの効果でもあって本件特許発明の発想と共通する部分があり、結局全体として後願特許発明は本件特許発明の利用発明に当たるというべきである(そして、右の検討によれば後願特許発明の請求項1は本件特許発明に比して顕著な効果を奏するといえるかどうかは疑わしく、その特許性に疑問があるといわざるを得ない。)。そうすると、櫛歯状物件が仮に後願特許発明技術的範囲に属するとしても、本件特許発明技術的範囲に属しないとはいえないというべきである。
6 争点1のまとめ 以上に検討してきたとおり、被告の主張(被告物件全体に対する原出願の出願経過等の参酌による本件特許発明技術的範囲の限定解釈、櫛歯状物件(イ号物件及びチ号物件)についての「二層構造」の評価、「幅方向の一部」の解釈及び後願の出願経過等の参酌による限定解釈、「印刷ずれ」物件(ロ号物件、ヘ号物件及びト号物件)に関する指摘)は全て理由がなく採用できない。そして、被告物件の構造上の特徴とその効果を本件特許発明のそれらと比較検討すると、被告物件は全て本件特許発明技術的範囲に属すると認めるのが相当である(ハ号物件、ニ号物件及びホ号物件については、構成要件充足性について争いがない。)。
二 争点2(本件特許権が明白な無効原因を有する等の理由で原告の請求は権利濫用となるか。)について 1 被告は、本件特許発明は、分割出願手続自体が極めて明白に不適法であり、出願日遡及の利益は享受することができないので、@本件特許権は、先願主義による後願排除効により無効とされるべきであり、A原出願の公開公報によって、
本件特許発明新規性は喪失し、全部公知となり無効とされるべきであるとし、また、B本件特許発明は明らかに発明性を欠如した技術事項までも取り込んだものであるから、本件特許権は無効とされるべきである旨主張し、本件特許権は特許されるべきものではなく、無効とされる蓋然性が極めて高いから、このような無効となるべき特許権に基づいて権利を行使するのは権利の濫用として許されるべきではないと主張する。
特許権が無効審判の手続のみによって無効とされるべきものであることからすると、侵害訴訟において特許権に無効事由があるとしてその権利行使を制限することは、その無効事由が極めて明白でない限りできないというべきである。以下、その観点で被告の主張する@ないしBの無効事由について検討する。
(一) 被告主張の無効事由@Aは、本件特許発明分割出願の手続が不適法であることを前提とするものであるところ、被告は、特許庁に対して無効審判請求をし(平成八年審判第一三七九三号)、その中で、特許法44条1項の「二以上の発明を包含する特許出願の一部を一又は二以上の新たな特許出願とすることができる」に規定する分割のための要件として、分割出願に係る発明と分割後の原出願にかかる発明とが同一でないことを要するが、本件特許発明は分割後の原出願の発明を包含するものであるから、この要件を充足しない旨主張したところ、特許庁は、
本件特許発明の出願は適法な分割出願であるとし、被告主張のその他の無効事由も排斥して、無効審判請求は成り立たないとし(甲一三)、被告がこれを不服として提起した審決取消訴訟も棄却されているのであって(東京高等裁判所平成一一年五月二六日判決、平成一〇年(行ケ)第二九号審決取消請求事件。甲二五)、弁論の全趣旨によれば被告が右判決に対し上告していることが認められるものの、本件特許発明に極めて明白な無効事由があるとは到底いえない(なお、右判決は、「本件発明と分割後の原出願の発明との対比において、上層の配線パターンが、分割後の原出願の発明は銀によるものに限定されるのに対し、本件発明は『金と同程度か或いはそれより小さいシート抵抗の金属』であればよく、実施例には銀によるもの以外に、銅によるものが記載されているほか、下層の配線パターンと上層の配線パターンとの相互関係について、分割後の原出願の発明は、上層の配線パターンの幅方向の一部を下層の配線パターンが形成されていない領域にずらせ、その非重なり部分における横幅寸法を、下層の配線パターンに対する重なり部分における横幅寸法よりも大きくする構成に限定し、かかる限定された構成に技術的意義を見い出しているのに対し、本件発明は、そのような限定を伴わないで、上層の配線パターンにおける幅方向の一部を、ヘッド基板の上面のうち下層の配線パターンが形成されていない領域に形成するという限度の構成に止めており、したがって、本件明細書には、特に「非重なり部分における横幅寸法を、下層の配線パターンに対する重なり部分における横幅寸法よりも大きくする」と限定することの技術的意義に関する記載はなく、さらに、本件明細書に記載された実施例に、そのような限定がなされた態様のものの記載はないのみならず、各層の配線位置を同一として、下層の金による配線パターンにスリットを形成し、このスリットを覆うように上層の配線パターンを形成させ、スリット部分が上層の電極単体となるようにした、分割後の原出願の発明に含まれない態様のものも記載されている。そして、そうであれば、本件発明の一態様として、分割後の原出願の発明と同一の構成となる場合であっても、それぞれの発明の基礎となる技術思想までが同一であると直ちにいうことはできない。」(二八頁11行〜三〇頁1行)と判示しており、右判断は十分合理性を有するものである。
(二) また、被告主張の無効事由Bについてみると、原告の陳述は、早期審査に関する事情説明書(乙一六)においても、異議答弁書(乙二六、二七)においても、分割後の原出願の発明の構成を採ることで公知技術との関係で顕著な作用効果を奏することを強調する趣旨でされたものであって、右構成を採らなければ公知技術から脱却しないという趣旨ではないことは先に判断(一1(四))したとおりであるから、その前提を欠き、採用できない。
2 被告は、分割後の原出願においては、公知技術との関係で、原告自ら特許請求の範囲減縮補正していることに鑑みれば、配線パターンの材質に金と銀とを選択した場合、非重なり部分が重なり部分より大きくなければ公知技術を権利範囲に包含することになり、新規性進歩性がなく、到底特許査定されなかったものであるから、かかる特許されなかったことが明らかな部分に属する被告物件について、本件特許権を行使するのは、明らかに権利の濫用であって許されない旨主張するが、右主張が成り立たないことも、先の判断(一1(四))に照らし明らかである。
三 争点3(被告物件が製造販売された時期及び売上高)について 1 証拠(乙六の1・2、七、八ないし一〇の各1・2、四八ないし五〇、五二ないし五四)に弁論の全趣旨を総合すれば、被告物件の製造販売期間等については、以下のとおり認められる。
イ号物件 平成七年四月から平成九年九月まで製造販売(約一九九万六七〇〇本) ロ号物件 平成八年一〇月から平成九年七月まで製造販売(七七〇本) ハ号物件 平成六年一月から平成九年一月まで製造販売(約二四万二〇〇〇本) ニ号物件 平成三年一二月から平成五年一二月まで製造販売 ホ号物件 平成八年一二月から平成九年一一月まで製造販売(一〇七本) ヘ号物件 サンプルとしての無償提供があっただけで成約はない。
ト号物件 平成七年一〇月から平成九年七月まで製造販売(約一万六〇〇〇本) チ号物件 平成八年二月から平成九年八月まで製造販売(約六万三八〇〇本) 右認定の事実によれば、被告は現在被告物件を製造販売していないことになるが、被告において、被告物件が本件特許発明技術的範囲に属することを争っていることからすると、被告物件の製造販売をするおそれはあるといえ、侵害予防請求としての被告物件の製造、販売、販売のための展示の差止請求は認められるべきである。被告は、櫛歯状物件について配線パターンが複雑な割に効果が低いので製造販売を中止した旨主張するが、右認定判断を左右するものではない。
2 証拠(乙三九ないし四四、四八ないし五〇、五二ないし五四)に弁論の全趣旨を総合すれば、被告物件の平成七年度、八年度、九年度の売上高は、別紙「被告製品年度別売上一覧表」記載のとおりであり、総額三七億八八九九万四〇〇〇円であることが認められる。
3 弁論の全趣旨によれば、ハ号物件の本件特許発明出願公開日である平成六年一二月一三日から出願公告日の前日である平成七年三月二一日までの売上高は少なくとも二億円であることが認められる。
四 争点4(被告は、本件特許権の出願公開日である平成六年一二月一三日から出願公告日の前日である平成七年三月二一日までの間、出願公開がされた特許出願に係る発明であることを知って被告物件の製造・販売をしていたか。)について 1 被告が、昭和四四年ころから、原告の子会社として原告の製品の製造の下請をしていたことについては、実質的に争いはない。
2 証拠(乙一ないし三)に弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、昭和六三年六月二二日、原告保有の被告株式のすべてを同年九月末日限り被告代表者に一括譲渡し、被告が原告から独立する旨の合意(覚書)が成立したこと、右合意の中で、
原告、被告間の従前の取引に関しては、一定期間継続して行う旨の取決めがされ(たとえば、ICについては覚書成立の日から三年、サーマルヘッドについては覚書成立の日から二年、原告が被告に発注するものとされた。)、被告は、原告の所有する特許権、実用新案権、その他の工業所有権、著作権を侵害しないものとし、
原告は右各権利を被告に開示するものとされたこと、サーマルヘッドに関しては、
平成二年六月二一日をもって取引が終了し、平成三年九月三〇日にはICに関する取引が終了し、原告と被告との間の取引はすべて終了したことが認められる。
3 原告は、ハ号物件、ヘ号物件等について、昭和六三年八月ころから被告に下請して製造させていた旨主張するが、これを裏付ける的確な証拠はない。
しかし、前記覚書において、被告は、原告の所有する特許権、実用新案権、その他の工業所有権、著作権を侵害しないものとされている以上、被告は、原告が相当多数の工業所有権を保有し、また出願するであろうことを認識しており、
原告の工業所有権等の出願情報に十分留意していたはずであり、本件特許権の出願公開日である平成六年一二月一三日から出願公告日の前日である平成七年三月二一日までの間、出願公開がされた特許出願に係る発明であることを知って被告物件の製造販売をしていたものと推認される。
被告は、本件特許発明の存在について、原告知的財産部所属の【E】作成の平成七年一〇月一〇日付「平成七年九月二八日のミーティングの件」と題する書面(乙四)において指摘を受けて初めて了知し、本件特許権の出願公開日である平成六年一二月一三日においてはもちろん、出願公告日である平成七年三月二二日においても全く知らなかった旨主張するが、ただちに採用できない。
前記覚書において、原告は右各権利を被告に開示するものとされていながら、被告が本件特許権について正式に原告から知らされたのが、被告主張のとおり平成七年一一月二日付通知書(乙五)によってであるとしても、右認定を左右するものではない。
五 争点5(被告に過失がないと認められるか。)について 1 被告は、原告は、本件特許発明に対し選択発明の関係にある後願特許発明を出願し、特許権を得ているところ、これは、原告自身が、後願特許発明を本件明細書では開示されていない実施形式であり、原告自身や被告を含めた当業者には容易に推考できないものであることを自認して出願し、また、特許庁もこれを認めて登録したものであるから、当業者である被告において、櫛歯状のものが本件特許発明技術的範囲に属しないと判断したことに何の過失もない旨主張する。
2 被告の右主張は、櫛歯状のものすなわち櫛歯状物件について、本件特許発明技術的範囲に属しないと信じるにつき相当の事由があるという趣旨と解されるが、業としての行為のみを侵害行為に該当するとしている特許法の規定からすると、技術的範囲の属否の判断については高度の注意義務が課されているというべきであり、被告の右主張にある程度の事情では過失の推定を覆滅するに足りない。
六 争点6(被告が補償金支払義務を負う場合の補償金の額。被告が損害賠償責任を負う場合に、原告に賠償すべき損害の額。)について 1 被告が、ハ号物件を平成六年一二月一三日から平成七年三月二一日まで少なくとも合計二億円相当分製造販売したことは前記三3認定のとおりであり、弁論の全趣旨によれば、改正前特許法65条の3第1項による補償金としては、右の三パーセントの六〇〇万円が相当であることが認められる。
なお、原告は、平成八年一一月一八日に被告に送達された同月一五日付訴えの変更申立書において、補償金請求をなしたものであり、右送達前に請求をしたと認めるに足りる証拠はないが、出願公開による補償金請求権は、特許法により創設された権利であって不法行為による損害賠償請求権そのものではないものの、警告ないし悪意を要件とし(改正前特許法65条の3第1項)故意責任に近い実質を有すること、不法行為に関する民法719条及び724条が準用されていること(同三項)に鑑みれば、出願公告のされた後には(同二項)遅滞に陥ると解するのが公平に適すると解すべきであるから、補償金請求権に対する出願公告のされた平成七年三月二二日の後である平成八年六月二三日以降支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の請求には理由があるというべきである。
2 原告が、特許法102条2項により、被告が侵害行為により得た利益を損害と主張するのに対し、被告は、同条項は権利者が当該発明を実施している場合の規定であって、実施していない場合には同条三項が適用されるところ、原告が製造販売しているのは、分割後の原出願の発明の実施品(乙三六、検乙五、六)のみであるから、本件特許権の侵害による損害賠償について特許法102条2項は適用されない旨主張する。
特許法102条2項は、損害額を推定するものであって損害の発生を推定するものではないから、同条項の適用を受けるためには、特許権者は特許発明実施していること、侵害者の実施により損害を被ったこと及び侵害者がその実施によって得た利益を主張立証すべきことになる。ただ、同条項は、侵害行為がなければ侵害者が右行為によって得た利益額を特許権者が特許権の実施によって得たはずであるという経験則に立脚するものであることから、「特許権者による特許権の実施」は、右経験則の適用の前提となる程度の具体的事実の存在をもって足り(特許権者による特許発明の類似品の製造販売、当該特許発明実施品を製造販売することが可能な施設の保有など)、厳密に当該特許発明そのものの実施に限定するべきものではない。
証拠(甲二一の@ないしC、乙三六、検乙五、六)及び弁論の全趣旨によれば、始期は不明であるが、原告は本件特許発明実施品や本件特許発明の類似品である原出願にかかる発明の実施品を製造販売しているとともに、原告主張の被告物件の製造販売期間を通じて本件特許発明の製造販売が可能な施設を保有していることが認められるから、本件において同条項を適用するのに支障はない。
3 次に、特許法102条2項でいう利益は、純利益を意味すると解するべきである。原告は、同項は、侵害製品を製造販売することによって侵害者が追加して得た利益を吐き出させる規定であるから、侵害者側が特許権侵害行為とは関係なく出捐を余儀なくされる経費(人件費、減価償却費)は控除されるべきでなく、販売費も侵害製品の販売に直接必要な部分が考慮され得るにすぎないと主張するが、本件においてこれらの経費が特許権侵害と関連性がないとただちにはいえない。
証拠(乙三九ないし五〇、五二ないし五四。なお、営業利益率を示す損益計算書(乙四五ないし四七)は、株主総会に提出されたものであって、信用性は極めて高い。)によれば、被告が被告物件を製造販売したことによる平成七年度、八年度、九年度の利益は、別紙「被告製品年度別売上一覧表」記載のとおり、順次、
一億八五〇七万五〇〇〇円、九五七万九〇〇〇円、二九六四万六〇〇〇円であり、
これが原告の損害と推定される。
4 被告は、被告物件において、本件特許発明で問題となるコモンリード部分(下層の金による配線パターンと上層の銀による配線パターンの重なりの状態)については、サーマルヘッドという製品の配線の一部分にすぎないから寄与率等を考慮すべきであると主張する。
一般的には、特許発明実施品の製品全体に対する寄与度、又は利用率を考慮して、全体利益の一部を損害額として推定すべきであるということはできるが、本件特許発明は「サーマルヘッドの部品」ではなく、「サーマルヘッド」についての発明であるから、特段の事情がない限り、サーマルヘッドである被告物件の販売による利益額をもって損害と推定するに妨げない。被告の主張が、特許発明のうち要旨に相当する部分の利益をもって特許権者の損害と推定すべきであるという趣旨とすれば、特許発明が一体として一つの技術思想を形成するものであることを無視するものであって、採用の限りでない。
被告が本件特許発明が被告物件に寄与することが小さいとして主張する事由のうち、原告自身分割後の原出願の発明の出願経過において下層の金による配線パターンと上層の銀による配線パターンのわずかなずれでは作用効果を奏しない旨主張していること、銀による配線パターンの印刷の過程では印刷ずれが不可避的に発生することについてはいずれも前提を欠き採用できないのは本件のこれまでの説示に照らし明らかであるし、被告物件においては、金による配線パターンと銀による配線パターンの非重なり部分の存在によって、抵抗値の低下が図られて製品の性能が確保されたり、コストの低減が図れたりする事実はないとの点についても、特に櫛歯状物件について、被告はもともと本件特許発明の効果を奏することを認めており(第三の一【被告の主張】3)、あまつさえ「櫛歯の構成を採用したことによる作用効果は、本件発明よりも一層顕著であ」る旨主張しながら、本件訴訟の途中になって前記のような主張を始めたにすぎないところからすると、少なくとも原告主張の損害発生期間までは、被告物件について本件特許発明の構成を有することが売上に寄与したと推認することに何の不自然もない。
七 結論 よって、原告の請求は、被告物件の製造、販売、販売のための展示の差止及びその廃棄を求め、かつ、六〇〇万円の補償金、平成七年度分一億八五〇七万五〇〇〇円、平成八年度分九五七万九〇〇〇円、平成九年度分二九六四万六〇〇〇円の各損害賠償とこれらに対するそれぞれの最終販売日後から各支払済みまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、
その余は理由がないから棄却することとする。
(口頭弁論終結の日 平成一一年六月一四日)
裁判長裁判官 井垣敏生
裁判官 本吉弘行
裁判官 鈴木紀子