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関連審決 異議1998-70706
関連ワード 進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  相違点の認定 /  優先権 /  優先日 /  参酌 /  容易に想到(容易想到性) /  実施 /  設定登録 /  請求の範囲 /  変更 /  取消決定 / 
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事件 平成 12年 (行ケ) 284号 特許取消決定取消請求事件
原告 ムール,ウント,ベンデルカーゲー
訴訟代理人弁護士 加藤義明
訴訟代理人弁理士 久野琢也
同 アインゼル・フェリックス−ラインハルト
被告 特許庁長官及川耕造
指定代理人 鈴木法明
同 粟津憲一
同 大野覚美
同 大橋良三
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2001/09/20
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告 (1) 特許庁が平成10年異議第70706号事件について平成12年3月21日にした決定を取り消す。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告 主文1,2項と同旨
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は,発明の名称を「車輪懸架装置及びそのための圧縮コイルばね」とする特許第2642163号の特許(1987年12月8日及び同年12月22日ドイツ連邦共和国においてなされた出願に基づく優先権を主張して,昭和63年9月22日特許出願,平成9年5月2日設定登録,以下「本件特許」という。)の特許権者である。
本件特許につき,特許異議の申立てがあり,その申立ては,平成10年異議第70706号事件として審理された。特許庁は,平成12年3月21日に「特許第2642163号の請求項1ないし8に係る特許を取り消す。」との決定をし,同年4月10日にその謄本を原告に送達した。
2 特許請求の範囲 (1) 請求項1(以下,この発明を「本件発明1」という。) 一方において車体にかつ他方において車輪に接続された緩衝ストラットが設けられており,この緩衝ストラットが,圧縮コイルばね(支持ばね)及び緩衝器を有し,かつ横リンクが設けられていて,圧縮コイルばねが無負荷状態において曲率半径が一定でなく湾曲したばね中心線を有する車輪懸架装置において,前記,圧縮コイルばね(3)のばね中心線(7)が無負荷状態においてほぼS字形に延びていることを特徴とする車輪懸架装置。
(2) 請求項2(以下,この発明を「本件発明2」という。) ばね中心線(7)が,1つの平面内だけで湾曲している請求項1記載の車輪懸架装置。
(3) 請求項3(以下,この発明を「本件発明3」という。) 圧縮コイルばね(3)が,負荷をかけた状態で特に中央動作範囲においてほぼ円筒形になっている請求項1または2記載の車輪懸架装置。
(4) 請求項4(以下,この発明を「本件発明4」という。) 圧縮コイルばね(3)が,収縮及び伸長のすべての動作範囲において巻回の接触を生じない請求項1〜3の1つに記載の車輪懸架装置。
(5) 請求項5(以下,この発明を「本件発明5」という。) 一方において車体にかつ他方において車輪に接続された緩衝ストラットが設けられており,この緩衝ストラットが,圧縮コイルばね(支持ばね)及び緩衝器を有し,かつ横リンクが設けられていて,圧縮コイルばねが無負荷状態において曲率半径が一定でなく湾曲したばね中心線を有する車輪懸架装置用の圧縮コイルばねにおいて,無負荷状態においてほぼS字形に延びているばね中心線(7)を有することを特徴とする圧縮コイルばね。
(6) 請求項6(以下,この発明を「本件発明6」という。) ばね中心線(7)が,1つの平面内だけで湾曲している請求項5記載の圧縮コイルばね。
(7) 請求項7(以下,この発明を「本件発明7」という。) 負荷をかけた状態で特に中央動作範囲においてほぼ円筒形になっている請求項5または6記載の圧縮コイルばね。
(8) 請求項8(以下,この発明を「本件発明8」という。) 収縮及び伸長のすべての動作範囲において巻回の接触を生じない請求項5〜7の1つに記載の圧縮コイルばね。
3 決定の理由 別紙決定書の写しのとおり,本件発明1ないし本件発明8は,いずれも,実願昭50-66613号(実開昭51-146615号)のマイクロフィルム(以下「刊行物1」という。)に記載された発明(考案)に基づいて当業者が容易に発明し得たものであるから,これらに係る特許は,特許法29条2項の規定に違反してなされたものであり,平成6年法律第116号附則14条の規定で適用される同7年政令205号4条2項により適用される特許法114条2項により取り消されるべきものである,と認定判断した。
原告主張の決定取消事由の要点
決定の理由中,1 本件発明(決定書2頁3行〜35行),2 引用刊行物記載の発明(決定書2頁36行〜3頁15行),3 対比・判断の(1)の前段(本件発明1と刊行物1記載の発明との一致点・相違点の認定,決定書3頁16行〜27行)は認める。その余の部分は否認する。
決定は,本件発明1と刊行物1記載の発明との相違点についての判断を誤り,本件発明1は,刊行物1に記載された発明に基いて当業者が容易に発明をすることができたものである,との誤った結論を導き,さらには,この誤りを原因として,本件発明2ないし本件発明8についても,刊行物1に記載された発明に基いて当業者が容易に発明をすることができたものである,との誤った結論を導いたものであるから,本件発明1ないし8のいずれについても,違法として取り消されるべきである。
1 本件発明1は,刊行物1記載の発明から容易に想到し得るものではない。
(1) 刊行物1に,自由状態においてばね中心が湾曲するようにしたコイルスプリングを,ばね中心が直線状になるようにして車体4と受皿5に取り付けて,コイルスプリングを弾性変形させ,これによって外筒2に路面反力による曲げモーメントW・aを打ち消す力を与えるという発明(以下「引用発明2」という。)と,これに加えて,同じく外筒2に路面反力による曲げモーメントW・aを打ち消す力を与える発明として,自由状態において直線状に延在する円筒状の汎用コイルスプリング3を略S字形に弾性変形させて,コイルスプリング3の上端は水平面に対して角度θa傾けて車体4に取り付け,下端は上端と略平行するように角度θb傾けた受皿5を介して外筒2に取り付けることで,外筒2に横力Fと曲げモーメントMを作用させ,この横力Fと曲げモーメントMに基づいて,路面反力による曲げモーメントW・aを相殺させるという発明(以下「引用発明1」という。)も記載されていることは事実である(別紙第1図ないし第3図参照)。
決定は,これを基に,引用発明2における自由状態におけるばね形状を,引用発明1に従ってS字形とすることは,当業者が容易に想到し得ると判断したものである(決定書3頁17〜32行参照)。
(2) 引用発明1において,コイルスプリングがS字形に弾性変形させられた状態にあるのは,自由状態においては直線状に延在する円筒状のコイルスプリングの上端が水平面に対して角度θa傾けて車体4に取り付けられ,同じくその下端が上端と略平行するように角度θb傾けた受皿5を介して外筒2に取り付けられた結果として,偶然生じたことにすぎない。すなわち,引用発明1においては,コイルスプリングの取付けが,S字形の弾性変形を維持するべく特定の傾斜角度に限定されているのである。これに対し,引用発明2においては,コイルスプリングが自由状態で湾曲形状をしているのであるから,その特定形状を呈するための前提条件が本質的に異なっており,そのための力学的条件が引用発明1とは異なっているのである。したがって,引用発明1のコイルスプリングが,その両端が傾斜して取り付けられた結果として,偶然S字形に弾性変形させられた状態にあるからといって,引用発明2のコイルスプリングの自由状態における湾曲が,ほぼS字形に延びているものを含んでいると予測できるような合理的な根拠はない。
しかも,刊行物1には,引用発明2におけるコイルスプリングの自由状態における湾曲の形状については何ら記載されておらず,また,自由状態において湾曲したコイルスプリングをいかにして直線状になるように車体と受皿に取り付けるかについても何ら記載されていない。したがって,引用発明2は,発明として未完成のものといわざるを得ず,未完成である引用発明2によっては,コイルスプリングの自由状態における湾曲形状をS字形とする示唆も,S字形のコイルスプリングを直線状に取り付けるための具体的方法も,自由状態においてS字形のコイルスプリングを直線状に取り付けることによって曲げモーメントを打ち消すような弾性力が得られるという力学的根拠も,導き出されることはないのである。
(3) 被告は,コイルスプリングの弾性変形による力は,その自由状態と取付状態の形状の差に基づくものであるから,取付状態を直線とする引用発明2において,自由状態の湾曲形状として「S字形」を採用することは,刊行物1の記載から,当業者が容易に想到し得た事項である旨主張する。
しかし,被告の主張が正当であるためには,コイルスプリングの自由状態における形状が直線状であるか,S字形を含む湾曲状であるかとは無関係に,すなわちコイルスプリングの自由状態における形状がいかなるものであろうとも,@変形前後の形状の差のみによって,弾性変形に起因する力の大きさ及びその作用方向を解析的に予測することができるか否か,A変形前後の形状の差を実際にS字形にすることができるか否か,B仮に変形前後の形状の差をS字形にすることができた場合に,常に,横方向の力を同様に除去することができるか否かについて,少なくとも本件出願の優先日前に,力学的な解明がなされていて,当業者にとって通常の技術的知識として習得されていなければならないものというべきである。ところが,そのような証拠はない。したがって,被告の主張は根拠のないものというほかない。引用発明2から,コイルスプリングの自由状態における形状がS字形を含む湾曲状である場合にも,変形前後の形状の差をS字形とすることができて,しかも,その際の弾性変形によって生じた力により,引用発明1と同様に,曲げモーメントを打ち消し,横方向の力を除去することができる,という技術思想を把握することはできない。
2 本件発明2ないし同8は,引用発明2及び同1から容易に想到しうるとする決定の判断は,本件発明1についての上記誤った判断を前提とするものであり,その前提において既に誤っている。
被告の反論の要点
1 本件発明1は,引用発明2及び同1から容易に想到し得るものであり,決定の認定・判断に誤りはない。
(1) 刊行物1の第1図には,コイルスプリング3が,その中心がS字形をなすものとして,図示されている。このS字形の意味は,コイルスプリング3の上半部をばね中心に対し直角に外側へ湾曲させ,下半部を内側へ湾曲させて,その弾性変形の力により曲げモーメントを打ち消すというものである。そして,コイルスプリング3の弾性変形による力は,自由状態における形状と変形された後の形状との差により発生するものであって,自由状態における形状が直線状であるか湾曲状であるかに起因するものではないから,刊行物1からは,横方向の力を除去するための弾性変形として,変形前後の形状の差を「直線形」と「S字形」との差とすることを独立した技術思想として,把握することが可能である。すなわち,曲げモーメントを打ち消すことの根拠は,自由状態と取付状態の形状の差が「直線形」と「S字形」との差であることにあり,その自由状態の形状にあるわけではないのである。
(2) 刊行物1には,引用発明2につき,自由状態においてばね中心線を湾曲させるとの記載はあるが,自由状態におけるコイルスプリングの形状をS字形とするとの記載はない。しかし,上記(1)で述べたことを前提にした場合,同刊行物には,引用発明2について,「自由状態においてばね中心を湾曲させたコイルスプリングを,ばね中心が直線状になるようにして車体4と受け皿5に取付け」(甲第6号証5頁2行〜5行)ることによる弾性変形により,「路面反力による曲げモーメントを打消す力を与える」(同5頁6行〜7行)との記載があり,また,引用発明1について,「上半部はばね中心に対し直角に外側へ湾曲させ,下半部は内側へ湾曲させて弾性変形させ」(同2頁15行〜17行)と記載されているのであるから,引用発明2において,弾性変形を得るために,上半部はばね中心に対し直角に外側へ湾曲させて直線状となし,下半部は,内側へ湾曲させて直線状となすことを得る,自由状態でのS字形の湾曲形状を採用することが,刊行物1に示唆されていることは,明らかというべきである。
以上のとおり,コイルスプリングの弾性変形による力は,その自由状態と取付状態の形状の差に基づくものであって,自由状態の形状に基づくものではなく,したがって,取付状態を直線とする引用発明2において,自由状態の湾曲形状として「S字形」を採用することは,刊行物1の記載から,当業者が容易に想到し得た事項である。
2 本件発明2ないし8についての原告の主張は,決定における本件発明1についての進歩性の判断が誤りであることを前提とするものである。
しかし,上記のとおり,決定における本件発明1についての進歩性の判断に誤りはないから,本件発明2ないし同8についての原告の主張も失当である。
当裁判所の判断
1 本件発明1と引用発明2との相違点についての判断について (1) 本件発明1と引用発明2とを対比すると,両者は,一方において車体にかつ他方において車輪に接続された緩衝ストラットが設けられており,この緩衝ストラットが,コイルスプリング(引用発明2における用語。本件発明1では,圧縮コイルばねに該当する。以下,〈〉内は本件発明1で使用されている名称を示す。)及び緩衝支柱〈緩衝器〉を有し,かつロアーアーム〈横リンク〉が設けられていて,コイルスプリング〈圧縮コイルばね〉が自由状態〈無負荷状態〉において,湾曲したばね中心を有する車輪懸架装置である点で一致し,本件発明1では,圧縮コイルばねのばね中心線が自由状態(無負荷状態)においてほぼS字形に延びているのに対し,引用発明2では,「自由状態において湾曲」とのみ記載されている点で相違することは,当事者間に争いがない。
決定は,上記相違点について,「刊行物1の第1図に示されたコイルスプリングはS字形になっており,またS字形にした目的も本件発明(判決注:本件発明1)と同じ緩衝器に生じる横方向の力を除去することであるから,自由状態での湾曲形状を本件発明のようにS字形にすることは当業者ならば容易に想到し得ることである」と判断した(甲第1号証3頁28行〜31行)。
(2) 甲第6号証によれば,引用発明1について,刊行物1には, 「外筒2に路面反力による曲げモーメントを打消す力を与えるために,図示例は自由状態において点線示のように円筒状の汎用コイルスプリングを,上半部はばね中心に対し直角に外側へ湾曲させ,下半部は内側へ湾曲させて弾性変形させ,そのコイルスプリング3の上端は水平面に対し角度θa傾けて車体4に取付け,下端は上端と略平行するように角度θb傾けた受皿5を介して外筒2に取付けたもので,これにより外筒2に矢印方向に横力F(せん断力)と曲げモーメントMが作用する。」(甲第6号証2頁12行〜3頁2行) 「第2図は横力F・曲げモーメントMとストラットサイドホース(車体荷重によるもの)との関係を示す原理図で, P1:緩衝支柱上端に作用する横方向反力 Q1:ブッシュ10よりピストンロッド7に作用する横力 Q2:アウターシェルよりピストン11に作用する横力 W:路面反力 a:路面における車輪軸線と球継手とのオフセット量 とすれば・・・ となる。・・・F・l4-M=W・a(判決注:上記式からみて,「F・l 4+M=W・a」の誤記と認める。)の条件を満足するとき,本案ストラッド型懸架装置は横力Qを零にすることができる。又緩衝支柱に路面反力により作用する曲げモーメントを効果的に減少させることができる。」(同号証3頁3行〜4頁11行) 「なおコイルスプリング3を弾性変形させる手段としては,図示例の他予じめ自由状態においてばね中心を湾曲させたコイルスプリングを,ばね中心が直線状になるようにして車体4と受皿5に取付けてもよい。このようにコイルスプリング3を弾性変形させるのは,外筒2に路面反力による曲げモーメントを打消す力を与えるためであるから,この条件が得られるのであれば,コイルスプリング3の上下端は図示例のように傾斜させず水平にして車体と受皿に取付けてもよいものである。」(同号証5頁1行〜11行) との各記載があることが認められる。なお,上記式中,「l4」は,第2図からみて,ロアーアーム6と横力Fの作用点との距離と認められる。
これらの記載によると,引用発明1では,円筒状の汎用コイルスプリングを弾性変形させた状態で車体と外筒2に取り付けることにより,横力Fと曲げモーメントMを生ぜしめ,「F・l4+M=W・a」の関係を満たすことで,路面反力による曲げモーメントを打ち消すとされているものと認められる。そして,W及びaはコイルスプリングの変形とは無関係の大きさであることから,F及びMの大きさ並びにFの作用点を選択することにより,上記関係式を満たすというのが,引用発明1の技術思想と認められる。
なお,ここでいうF及びMの大きさ並びにFの作用点は,コイルスプリングが自由状態の形状からどのように変形したか,すなわち,変形前後のコイルスプリングの形状の差によって定まることは当然の理である。
(3) また,刊行物1において,引用発明1を「予じめ自由状態においてばね中心を湾曲させたコイルスプリングを,ばね中心が直線状になるようにして車体4と受皿5に取り付け」たもの(すなわち,引用発明2)に変更した場合においても,自由状態と取付状態でのコイルスプリングの形状差から生じる横力Fと曲げモーメントMの作用により,「F・l4+M=W・a」の関係を満たすように,コイルスプリングは弾性変形されるものとされていることは,上掲の各記載を中心とする同刊行物(甲第6号証)の記載全体に照らし,明らかである。そして,前述のとおり,横力Fと曲げモーメントMの大きさや作用点は,変形前後のコイルスプリングの形状の差によって定まるのであるから,引用発明2において引用発明1と同一の横力Fと曲げモーメントMを得ようとすれば,自由状態でのコイルスプリングの形状を,引用発明1の取付状態と同一形状とし,これに変形を加え,引用発明1の自由状態と同一形状である円筒形状として取り付けることが,最も自然で合理的な発想であることは明らかである。
刊行物1に,引用発明2について,コイルスプリングの自由状態における湾曲形状が,具体的なものとしては記載されていないことは事実である。しかし,引用発明2は,引用発明1の開示を踏まえたうえで,その変形例として記載されているのであるから,引用発明2を実施するに当たっても,前提となる引用発明1の開示を参酌することは当然である。
なお,原告は,引用発明1において,コイルスプリングの上端及び下端の取付角度について特定の傾斜に限定されている旨主張するが,引用発明1においては,原告主張のとおりその角度が特定のものに限定されているとしても,そのことが,引用発明2において自由状態でS字形のコイルスプリングを採用することの障害となる理由は見当たらない。
(4) 原告は,「コイルスプリングの弾性変形による力は,その自由状態と取付状態の形状の差に基づくものであるから,取付状態を直線とする引用発明2において,自由状態の湾曲形状として「S字形」を採用することは,刊行物1の記載から,当業者が容易に想到し得た事項である」と判断するためには,原告主張の@ないしBの3条件が,力学的に解明されていて,当業者にとって,通常の技術的知識として習得されていなければならないと主張する。
原告のいう@とは,「変形前後の形状の差のみによって,弾性変形に起因する力の大きさ及びその作用方向を解析的に予測することができるか否か」である。しかし,刊行物1において,弾性変形に起因する力が変形前後の形状の差によって定まるものとされていることは前示のとおりであり,当業者がこれに従った発想をすることを困難にする事情は,本件全証拠によっても認めることができない。
原告のいうAとは,「変形前後の形状の差を実際にS字形にすることができるか否か」である。
本件特許に対応するドイツ国特許に対してのドイツ国での特許無効事件において作成されたヘニング バレントビッツ作成の鑑定書(甲第9号証,以下「鑑定書」という。)には,「技術的には,この追加条件(判決注:S字形のコイルスプリングを負荷状態においてほぼ円筒形にすること。)は,確かに実現するのは比較的困難である。つまり,円筒形のばねは当業者に簡単に与えられるものではなく,その実現は,当業者にとって特別な技術上の挑戦を意味している。」(甲第9号証訳文18頁10〜13行)との記載がある。
しかし,甲第5号証によれば,本件発明1は,そもそも,車輪懸架装置における圧縮コイルばねについて,無負荷状態(刊行物1の「自由状態」と同義である。)においてS字形のコイルばねを,負荷状態において円筒形とすることにより,緩衝器のピストン棒に生じる横方向の力を大幅に除去できるようにした技術思想の発明であり,上記S字形のコイルばねを円筒形に変形させる際に発生し得る何らかの実務的に困難な問題を解決することを課題とする発明ではない。このことは,本件明細書において,無負荷状態でS字形の圧縮コイルばねを,負荷をかけた状態でほぼ円筒形にすることを実現するための具体的手段や,その際に生じる問題やその解決手段について何ら記載されていないことから明らかである。そして,本件明細書にそのような記載がないことからすれば,本件出願は,横力Fと曲げモーメントMにより,路面反力に起因する曲げモーメントを打ち消すことができる程度に,自由状態でS字形のコイルスプリングを円筒形に変形することは,特段詳細に説明するまでもなく,当業者が容易に実現できる技術事項であることを前提としてなされたものということがいえるのである。このような形で出願した者が,進歩性に関する議論において,上記自ら前提としたところに反する主張をすることは,著しく信義に反することであり,本来,許されることではないというべきである。
のみならず,弾性変形においては,変形のために加える力と変形による形状差とが比例関係にあることは明らかであり,引用発明1に示される取付状態のS字形のコイルスプリングは,円筒形のコイルスプリングに適宜の力が加えられていることによりS字形状に変形しているのであるから,その力を解除すれば当然に円筒形状に復帰するものである。そして,上記のような力を解除することは,取付状態を基点として考えてみれば,取付状態で加えられている力と同大の力を逆方向に加えることと同視できるのである。そうである以上,自由状態において引用発明1の取付状態に示されるS字形状をなすコイルスプリングに対して,引用発明1の取付状態において加えられている力と同大・逆方向の力を加えれば,そのコイルスプリングが円筒形状に変形するであろうことは,刊行物1に接した当業者であれば,容易に予測できることである。確かに,極端に変形したS字形状のコイルスプリングをすべて円筒形状に変形することが困難であることは容易に推測することができる。しかし,ここで問題とすべきは,引用発明1において示されているようなS字形状コイルスプリングを円筒形状に変形することができるか否かなのである。
原告のいうBとは,「変形前後の形状の差をS字形にすることができた場合に,常に,横方向の力を同様に除去することができるか否か」である。しかし,刊行物1において,横方向の力を除去するに必要なことはF・l4+M=W・aを満たすことであるとされていることは,前記説示のとおりであり,これに従う限り,横力Fと曲げモーメントMが引用発明1と同様となることは明らかである。その場合F・l4+M=W・aを満たすことも明らかである。そして,当業者が刊行物1にこのように示されたところに従った発想をすることを困難にする事情は,本件全証拠によっても認めることができない。
なお,引用発明2を未完成な発明とする原告の主張が採用できないものであることは,上述したところから明らかというべきである。
原告の主張は採用できない。
(5) 鑑定書には「実用新案(判決注:引用発明2)における湾曲したばね特性曲線についての指摘は,単純に湾曲したばねによっても実現できるであろう。単純に湾曲したばねからは,当業者といえども,係争特許の設計思想に自然に到達することはない。」(甲第9号証訳文13頁1〜4行)との記載もあるが,引用発明2が「単純に湾曲したばね(コイルスプリング)」を包含することは事実としても,決定は「刊行物1には,『自由状態において湾曲』とのみ記載されている」(決定書3頁26〜27行)と認定したのであるから,引用発明2が「単純に湾曲したばね(コイルスプリング)」を包含することは決定も否定していないのである。決定は,「単純に湾曲したばね(コイルスプリング)」のみからS字形のコイルスプリングを導いたのではなく,自由状態において湾曲したコイルスプリング(引用発明2)と取付状態でS字形に弾性変形したコイルスプリング(引用発明1)の組み合わせによって,自由状態でS字形のコイルスプリングを導いたのであるから,鑑定書の記載は,本件発明1の進歩性を肯定させる力を有するものではない。
(6) 以上によれば,引用発明1のコイルスプリングは,S字形になっており,またS字形にした目的も本件発明1と同じ緩衝器に生じる横方向の力を除去することであるから,引用発明2におけるコイルスプリングの自由状態での湾曲形状を本件発明1のようにS字形にすることは当業者ならば容易に想到し得ることであるとの決定の判断(決定書3頁28〜31行参照)に誤りはなく,原告主張の取消事由には理由がない。
2 本件発明2ないし同8についての原告の主張は,本件発明1についての決定の判断が誤っていることを前提とするものであるから,上記のとおり,本件発明1についての決定の判断に誤りがない以上,本件発明2ないし同8についての原告の主張も理由がないことが明らかである。
3 結論 以上に検討したところによれば,原告の主張する取消事由には理由がなく,その他,決定には,これを取り消すべき瑕疵が見当たらない。そこで,原告の請求を棄却することとし,訴訟費用の負担並びに上告及び上告受理の申立てのための付加期間の付与について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条,96条2項を適用して,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 山下和明
裁判官 設樂隆一
裁判官 阿部正幸