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関連審決 異議1998-74185
関連ワード 進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  一致点の認定 /  作用の共通性 /  技術常識 /  発明の利用 /  容易に想到(容易想到性) /  実施 /  設定登録 /  訂正の許否 /  請求の範囲 /  独立特許要件 /  訂正明細書 /  取消決定 /  異議申立 / 
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事件 平成 12年 (行ケ) 195号 特許取消決定取消請求事件
原告 松下精工株式会社
原告 三井農林株式会社
両名訴訟代理人弁理士 清水善廣
同 阿部伸一
同 辻田幸史
被告 特許庁長官及川耕造
指定代理人 沼澤幸雄
同 野田直人
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2002/05/28
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告ら (1) 特許庁が平成10年異議第74185号事件について平成12年4月11日にした異議の決定を取り消す。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告 主文と同旨
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告らは,発明の名称を「抗ウィルスフィルタおよびウィルス除去装置および熱交素子および加湿器」とする特許第2719088号の特許(平成5年3月29日特許出願,平成9年11月14日設定登録,以下「本件特許」といい,その発明を「本件発明」という。)の特許権者である。
本件特許に対し,請求項1ないし7つき,特許異議の申立てがあり,特許庁は,この申立てを,平成10年異議第74185号事件として審理した。原告らは,この審理の過程で,平成11年1月12日,訂正請求をし,平成12年3月3日付けで訂正請求の手続補正書を提出した。特許庁は,審理の結果,平成12年4月11日,「特許第2719088号の請求項1ないし7に係る特許を取り消す。」との決定をし,同年5月13日にその謄本を原告らに送達した。
2 平成12年3月3日付け手続補正による特許請求の範囲 【請求項1】 空気中に浮遊している水分と粉塵を捕集するHEPAフィルタ,高性能フィルタ,中性能フィルタ,又はエレクトレットフィルタのようなウイルス捕集フィルタからなり,茶の水溶性抽出成分を有効成分とするウイルス不活化剤を前記ウイルス捕集フィルタに含浸して乾燥させた抗ウイルスフィルタ(以下「訂正発明1」という。)。 【請求項2】 空気中に浮遊している水分と粉塵を捕集するHEPAフィルタ,高性能フィルタ,中性能フィルタ,又はエレクトレットフイルタのようなウイルス捕集フィルタからなり,茶の水溶性抽出成分を有効成分とするウイルス不活化剤を前記ウイルス捕集フィルタ素材に練り込んで乾燥させた抗ウイルスフィルタ。 【請求項3】 茶の水溶性抽出成分である茶ポリフェノールをウイルス不活化剤とする請求項1または請求項2記載の抗ウイルスフィルタ。 【請求項4】 茶の水溶性抽出成分である茶ポリフェノールがエピガロカテキンガレート,エピカテキンガレート,エピガロカテキン,エピカテキン,(+)カテキンおよびこれらの属性体,遊離型テアフラビン,テアフラビンモノガレートA,テアフラビンモノガレートB並びにテアフラビンジガレートの中から選ばれた少なくとも1種の物質をウイルス不活化剤とする請求項1または請求項2記載の抗ウイルスフィルタ。 【請求項5】 請求項1または請求項2または請求項3または請求項4記載の抗ウイルスフィルタの上流側に荷電部を設けたウイルス除去装置。 【請求項6】 熱交素子に,茶の水溶性抽出成分を有効成分とするウイルス不活化剤,または茶ポリフェノールがエピガロカテキンガレート,エピカテキンガレート,エピガロカテキン,エピカテキン,(+)カテキンおよびこれらの属性体,遊離型テアフラビン,テアフラビンモノガレートA,テアフラビンモノガレートB並びにテアフラビンジガレートの中から選ばれた少なくとも1種の物質からなるウイルス不活化剤を含浸または練り込んで乾燥させた熱交素子。
3 登録時の特許請求の範囲 【請求項1】 茶の水溶性抽出成分を有効成分とするウイルス不活化剤をフィルタに含浸した抗ウィルスフィルタ(以下「本件発明1」という。)。 【請求項2】 茶の抽出成分を有効成分とするウィルス不活化剤をフィルタ素材に練り込んだ抗ウィルスフィルタ(以下「本件発明2」という。)。 【請求項3】 茶の抽出成分である茶ポリフェノールをウィルス不活化剤とする請求項1または請求項2記載の抗ウィルスフィルタ(以下「本件発明3」という。)。 【請求項4】 茶ポリフェノールがエピガロカキテンガレート,エピカテキンガレート,エピガロカキテン,エピカキテン,(+)カテキンおよびこれらの属性体,遊離型テアフラビン,テアフラビンモノガレートA,テアフラビンモノガレートB並びにテアフラビンガレートの中から選ばれた少なくとも1種の物質をウィルス不活化剤とする請求項1または請求項2記載の抗ウィルスフィルタ(以下「本件発明4」という。)。
【請求項5】 請求項1または請求項2または請求項3または請求項4記載のウィルス不活化剤を含浸または練り込んだ前記抗ウィルスフィルタの上流側に荷電部を設けたウィルス除去装置(以下「本件発明5」という。)。 【請求項6】 熱交素子に請求項1または請求項2または請求項3または請求項4記載の抗ウィルス不活化剤を含浸または練り込んだ熱交素子(以下「本件発明6」という。)。
【請求項7】 加湿水に請求項1または請求項2または請求項3または請求項4記載のウィルス不活化剤を混入した加湿機(以下「本件発明7」という。)。
4 決定の理由 決定は,別紙決定書の写しのとおり,まず,訂正の許否につき,訂正発明1は,実願昭57-164453号(実開昭59-70719号)のマイクロフィルム(以下「引用例1」という。),「ポピュラー・サイエンス お茶の科学」(山西貞著・株式会社裳華房1992年6月10日発行)185頁(以下「引用例2」という。)及び特開平3-101623号公報(以下「引用例3」という。)に記載された各発明に基づいて当業者が容易に発明し得たものであって,特許法29条2項の規定に該当し,したがって,特許出願の際独立して特許を受けることができないものであるから,平成6年法律第116号附則6条1項,特許法120条の4第3項の規定により準用する平成6年法律第116号による改正前の特許法126条3項の規定により訂正は認められないとし,その上で,本件発明1は,引用例1ないし3に記載された各発明に基づいて,本件発明2ないし4は,引用例1ないし3,並びに,「繊維工学」Vol.40 No3(1987)140頁(以下「引用例4」という。)及び特開平1-99656号公報に記載された各発明に基づいて,本件発明5は,引用例1ないし4,6,及び,特開平1-184355号公報に記載された各発明に基づいて,本件発明6は,引用例1ないし4,6,及び,特開昭56-16097号公報に記載された各発明に基づいて,本件発明7は,引用例1ないし4,6,及び,特開昭62-298366号公報(以下「引用例8」という。)に記載された各発明に基づいて,いずれも当業者が容易に想到し得たものであるから,これらに係る特許は,特許法29条2項の規定に違反してなされたものであり,平成6年法律第116号附則14条の規定で適用される同7年政令205号4条2項により適用される特許法114条2項により取り消されるべきものである,と認定判断した。
原告ら主張の決定取消事由の要点
決定の理由中,「1,手続きの経緯」は認める。「2,訂正の適否」の「ア,独立特許要件」中,「ア-1,訂正発明」及び「ア-2,引用刊行物」は認め,「ア-3,対比・判断」は争う。同「イ,まとめ」の判断も争う。「3,特許異議申立てについて」の「ア-1,本件発明」及び「ア-2,引用刊行物」は認め,「ア-3,対比・判断」は争う。「4,むすび」は争う。
決定は,引用例1に記載された発明を誤認したため,同発明と訂正発明1との一致点を誤認し,その結果,相違点を看過し(取消事由1),訂正発明1の進歩性の判断を誤り(取消事由2),また,本件発明1ないし7について,進歩性を備えないと誤って判断した(取消事由3)ものであって,請求項1ないし7のいずれについても違法であるから,すべて取り消されるべきである。
1 取消事由1(引用例1に記載された発明と訂正発明1との一致点の認定(相違点の看過))について (1) 決定は,引用例1の記載内容について,「引用例1記載のフィルタは,茶等の葉部からの抽出分又は留分に含まれる「フラバノール」が含浸されているが,「フラバノール」は「カテキン」を含んでおり(例えば,「化学大辞典7」・・・「フラバノール」の項),「カテキン」は水に易溶である(例えば,「化学大辞典2」・・・「カテキン」の項)から,引用例1記載のフィルタも茶葉の水溶性成分を有効成分とするものであると云える。」(決定書5頁29行〜37行)と認定するとともに,「引用例1には「・・・茶の水溶性抽出成分を有効成分とするフラバノールを前記フィルタに含浸して乾燥させたフィルタ。」の発明が記載されていると云える。」(5頁38行〜6頁2行),と認定するが,いずれも誤りである(以下,引用例1に記載された「茶の抽出成分を有効成分とするフラバノールを前記フィルタに含浸して乾燥させたフィルタ。」を「引用発明1」という。)。
引用例1には,フィルタの含浸成分について,「椿科植物抽出分又は留分とは,茶,山茶花,椿,サカキ,ヒサカキ,月桂樹などの主として葉部からの抽出分又は留分を言い,フラバノール,フラボノール類,その他多種の有機化合物を含むものである。特に留分が効果が大きい。」(甲第4号証5頁4行〜8行,及び,昭和58年3月25日付け手続補正書2頁1行)と記載されており,そこでは,フラバノールは椿科植物抽出分又は留分に含まれる一成分として記載されているだけである。
フラバノールは,「化学大辞典7」の「フラバノール」の項(甲第5号証)から明らかなように,カテキンを含む3-オキシフラバンのほか,カテキンを含まない4-オキシフラバンを含めた化合物群の総称である。決定自身,上記認定において,「「フラバノール」は「カテキン」を含んでおり」と認めているように,フラバノールとカテキンは同義ではない。また,「化学大辞典2」の「カテキン」の項(甲第6号証)から明らかなように,カテキンは,3-オキシフラバンのポリオキシ誘導体の総称であり,様々な化合物がこの中に含まれるのである。そして,化合物の水への溶解度は化合物ごとに異なり,易溶な化合物もあれば難溶不溶な化合物もあることは自明の事項である。したがって,前記化学大辞典にカテキンが水に易溶であるとの記載があったとしても,当該記載から,少なくとも,引用発明1の茶の抽出成分であるフラバノールが一様に水に易溶であるということを導き出すことはできず,また,フラバノールを茶葉の水溶性成分を有効成分とするものであるとすることもできない。
被告は,フラバノール中の,天然に分布する3-オキシフラバンのポリオキシ誘導体は,カテキンと同義であり,水溶性であると主張するが,天然に分布する3-オキシフラバンのポリオキシ誘導体においても,3位と5位と7位に酸素原子含有基を有する化合物のみがカテキンであり,それ以外のものは,カテキンに含まれず,したがって,天然に分布する3-オキシフラバンのポリオキシ誘導体のすべてが水溶性であるということはできない。また,被告は,引用例1記載のフラバノールは,天然に分布するフラバノールのうち,椿科植物由来のフラバノールであり,その実質的な内容は,カテキンである,と主張する。しかし,天然に分布するフラバノールのうち,椿科植物由来のフラバノールには,甲16号証の化合物番号1870,1871,2304ないし2311のように,カテキンと称されていない化合物が多数存在するのであり,被告の同主張も失当である。
したがって,引用発明1のフィルタが茶葉の水溶性成分を有効成分とするものであるとの決定の認定には論理の飛躍があり,明らかに不当なものである。なお,「引用例1に記載のエアークリーナー,エアーコンディショナー等は空気を対象としているが,一般に空気は水分をも含んでいるから,引用例1記載のエアークリーナー,エアーコンディショナー等に装着されるフィルタは粉塵だけでなく水分をも捕集するものと云える。」(決定書5頁25行〜28行)との決定の認定自体は争わない。
(2) 引用例1には,そのフィルタに含浸させている成分,すなわち,椿科植物抽出分や留分について,「椿科植物抽出分又は留分とは,茶,山茶花,椿,サカキ,ヒサカキ,月桂樹などの主として葉部からの抽出分又は留分を言い,フラバノール,フラボノール類,その他多種の有機化合物を含むものである。」(5頁4行〜8行)と記載されている。この記載から明らかなように,引用発明1においてフィルタに含浸させている椿科植物抽出分や留分は,多種雑多の有機化合物の混合物からなるものである。引用例1には,このように多種雑多の有機化合物の混合物からなる椿科植物抽出分や留分から水溶性抽出成分のみを選択的に分離し,これをフィルタに選択的に含浸させるという技術思想は,記載されておらず,これを示唆するものもない。椿科植物抽出分や留分が多種雑多の有機化合物の混合物からなるものである限り,その調製手段によってはその中に「水溶性抽出成分」が含まれる可能性があることは,事実である。しかし,椿科植物抽出分や留分の中には,水に溶けない成分,揮発性の成分,難揮発性の成分,昇華性の成分など「水溶性抽出成分」以外の様々な成分が含まれていることは,自明の理である。
したがって,引用例1記載のフィルタは,単にその調製手段によっては椿科植物の水溶性成分を有効成分の一つとして含む可能性があるというだけであり,水溶性成分を選択する思想に立脚したものではない。また,フィルタに含浸させた椿科植物抽出分や留分中に水溶性成分がどの程度含まれるのかも全くもって定かでない。にもかかわらず,決定は,当該フィルタの有効成分を茶葉の水溶性成分そのものであるかのように,「引用例1(甲第4号証)記載のフィルタも茶葉の水溶性成分を有効成分とするものであると云える。」(決定書5頁36行〜37行)と認定しており,この認定は明らかに不当なものである。
(3) 以上のとおり,決定がした引用例1の記載事項の認定には誤りがある。
したがって,引用例1記載事項の上記誤認を前提としてなされた,決定の,「両者(判決注・訂正発明1及び引用発明1)は「・・・茶の水溶性抽出成分を有効成分とするフラバノールを前記フィルタに含浸して乾燥させたフィルタ。」で一致(する)」(6頁5行〜7行)との認定は誤りである。決定は,このように,引用発明1を誤認したため,引用発明1と訂正発明1との一致点とならないものを一致点と誤認したものであり,結果として,両者の相違点を看過したことになるのである。
2 取消事由2(訂正発明1の進歩性の判断の誤り)について 決定の,「引用例2,3から明らかなように,引用例1発明の「フラバノール」に含まれる「カテキン成分」がウイルス不活化に有効な成分であることは周知の事項であるから,引用例1発明の「フラバノール」がウィルス不活化剤として機能することも当業者にとって自明である。したがって,引用例1発明の「フィルタ」を「抗ウイルスフィルタ」の用途に供することも当業者が容易に想到し得ることである。」(決定書6頁29〜34行)との判断は,誤りである。
(1) 引用例2及び引用例3から明らかな事項は,水溶液中や培地中等の水の存在下という特定の条件の下において,ある種のカテキンがウイルスの不活化に有効な成分であることということと,このカテキンが本件発明の利用分野とは全く異なる分野である人体へのウイルス感染を予防するということにすぎない。
これらの事項が周知の事項であったとしても,上述のとおり,フラバノールとカテキンとは同義ではなく,カテキンを含んだ化合物群の総称(換言すれば,カテキン以外の化合物をも含んだ化合物群の総称)であるフラバノールが一様にウイルス不活化剤として機能すると断定することはできない。フラバノールという化合物群に含まれるカテキン以外の化合物がウイルスに対してどのような作用を有するのかは不明であるからである。
したがって,フラバノールに含まれるある種のカテキンが上記のような特定の条件の下においてウイルス不活化作用を有するという事実のみをもって,フラバノールがウイルス不活化剤として機能することが当業者にとって自明であると判断することには,誤りがある。
ましてや,引用発明1のフィルタに含浸させている椿科植物抽出分又は留分は,フラバノールを含む多種多様の有機化合物から構成されるものであるので,同発明の椿科植物抽出分又は留分を含浸させているフィルタがウイルス不活化剤として機能するかどうかは,当業者といえども予測することのできないことである。
したがって,決定が,引用発明1のフィルタを抗ウイルスフィルタの用途に供することを当業者が容易に想到し得ることであると判断したことは,誤りである。
(2) 引用例2及び3から明らかな事項は,上述のように,ある種のカテキンが特定の条件の下で,すなわち,水溶液中や培地中等の水の存在の下で,ウイルス不活化作用を発揮するという属性を有することと,このカテキンが本件発明の利用分野とは全く異なる分野である人体へのウイルス感染を予防するということにすぎない。ウイルス不活化作用などの生物学的作用については,構成に基づく作用効果の予測性が困難であることは,当業者の知るところであるから,本件発明(訂正発明1を含む。)のように,茶の水溶性抽出成分を含浸して乾燥させたフィルタについて,フィルタ自体に水分が存在しない環境の下において,カテキンがウイルス不活化作用を発揮するかどうかは,当業者といえども引用例2及び3から予測することはできない。
本件発明の出願当時においては,茶の抽出成分であるカテキンの水溶液中における抗ウイルス効果やその作用機序については徐々に解明されつつあったものの,空気中のウイルスを不活化するということについては,それを実現する技術はおろか,そのような課題自体,存在するに至っていなかったのである。原告らは,本件発明の明細書にも記載したとおりの,種々の実験を行うことにより,空気中に浮遊しているウイルスを捕集し,捕集したウイルスを不活化することのできる最適なフィルタを見いだしたものである。
(3) 被告は,引用発明1のフィルタが,水分を含む大気中で,水溶液中におけると同様に抗ウイルス性を発揮することは,当業者であれば容易に予測できた効能というべきである,と主張する。しかしながら,引用例2に記載された,緑茶や紅茶のような水溶液中に溶解して存在する「カテキン」と,本件発明における,フィルタに含浸して乾燥させた抗ウイルス性フィルタに含まれる「カテキン」とは存在環境が全く異なる。水溶液中に溶解した「カテキン」がウイルス不活化作用を発揮する作用機序と,乾燥下に存在する「カテキン」がウイルス不活化作用を発揮する作用機序とを同一視することができないことは明らかである。被告は大気中の水分の存在を持ち出し,水分を介しての作用の共通性を主張しているが,本件発明のフィルタ自体には水分が存在しないのである。本件発明においては,「カテキン」が大気中の水分により液体としての水に溶解して緑茶や紅茶に溶解したような状態になる,ということはあり得ないのである。にもかかわらず,水分が存在する点で共通するという理屈をもって,本件発明のフィルタも抗ウイルス性を発揮することは当業者であれば容易に予測することができたとする被告の主張は,明らかに失当である。水溶液中の液体としての水に溶解した「カテキン」が水溶液中でウイルス不活化作用を発揮することと,乾燥状態にある「茶の水溶性抽出成分」が大気中の水分を介してウイルス不活化作用を発揮することは全く異なるので,水溶液中の「カテキン」が水溶液中でウイルス不活化作用を発揮することが知られていても,そのことから,本件発明の「フィルタ」がウイルス不活化作用を発揮することを予測することはできない。決定においては,本件出願前に知られていた事項である,水溶液中の液体としての水に溶解した「カテキン」が水溶液中でウイルス不活化作用を発揮するということから,乾燥状態にある「茶の水溶性抽出成分」が大気中の水分を介してウイルス不活化作用を発揮するということを本件出願当時の技術水準に基づいて当業者が導き出す(予測する)ことができるとする,論理づけが示されていない。
(4) 被告は,引用例2の記載に基づき,「茶カテキン類」は,その効能として,緑茶のうがいでウイルスを不活化させる効能に加え,緑茶や紅茶の煎汁や茶ドリンク等水分の存在下で抗菌作用を発揮する効能も既に知られていたのである,と主張する。しかし,ウイルスは細菌のように自己の細胞分裂によって増殖する微生物ではなく,核酸成分としてDNAまたはRNAをもち,生細胞に寄生して増殖する構造体であり,細菌とは全く別種の生物であること,したがって,抗菌作用と抗ウイルス作用とは全く異なる作用であることは,周知の事項である。そうだとすれば,「カテキン類」が水分の存在下で抗菌作用を発揮する効能を有することが知られていたとしても,抗菌作用と同様に抗ウイルス作用を発揮する効能を有することを予測することができるはずはなく,上記の被告の主張は何らの意味も有しない。
(5) 以上のとおり,決定は,訂正発明1の進歩性の判断を誤ったものである。
3 取消事由3(本件発明1ないし7の進歩性の判断の誤り)について (1) 本件発明1について 決定は,本件発明1について,「引用例1〜3に記載された発明に基づいて当業者が容易に想到し得るものである。」(決定書10頁3行〜4行)と判断したが,この判断は,上述した引用例1の記載事項についての誤った認定を前提としているものであるので不当である。
(2) 本件発明2ないし4について 決定は,本件発明2ないし4について,「引用例1〜4,6に記載された発明に基づいて当業者が容易に想到し得るものである。」(10頁10行〜29行)と判断したが,この判断は,上述した引用例1の記載事項についての誤った認定を前提としているものであるので不当である。
(3) 本件発明5について 決定は,「請求項5に係る発明は,・・・引用例1〜6に記載された発明に基づいて当業者が容易に想到し得るものである。」(10頁31行〜36行)と判断したが,この判断は,引用例1の記載事項についての誤った認定を前提としているものであるので不当である。
(4) 本件発明6について 決定は,「請求項6に係る発明は,・・・引用例1〜4,6,7に記載された発明に基づいて当業者が容易に想到し得るものである。」(10頁38行〜11頁4行)と判断したが,この判断は,引用例1の記載事項についての誤った認定を前提としているものであるので不当である。
(5) 本件発明7について 決定は,「請求項7に係る発明は,・・・引用例1〜4,6,8に記載された発明に基づいて当業者が容易に想到し得るものである。」(11頁6行〜10行)と判断したが,この判断もまた,引用例1の記載事項についての誤った認定を前提としているものであるので不当である。
被告の反論の要点
1 取消事由1(引用発明1と訂正発明1との一致点の誤認(相違点の看過))について (1) 引用例1には,「椿科植物抽出分又は留分とは,茶,山茶花,椿,サカキ,ヒサカキ,月桂樹などの主として葉部からの抽出分又は留分を言い,フラバノール,フラボノール類,その他多種の有機化合物を含むものである。」(甲第4号証5頁4行〜8行),「これを茶葉粉末からの抽出分の希釈液にデイッピング後引き上げて乾燥し,フィルターとして組み込んだ。」(11頁5行〜8行)と記載されている。
この記載から,引用発明1のフィルターは「フラバノール」を含むものであることが,明らかである。また,この「フラバノール」は,自然界の茶葉等からの抽出分であるから,正に,「自然に分布するフラバノール」である。
「フラバノール」について,化学大辞典7・957頁以下(甲第5号証)には,「狭義には3-オキシフラバンおよびそのポリオキシ誘導体をさすが,広義にはフラバンのオキシ誘導体の総称。・・・〔1〕3-,3-オキシフラバン・・・このもの自体は知られていない。このポリオキシ誘導体をカテキン類と総称し,天然に広く分布する。→カテキン」と記載されており,これによれば,「フラバノール」とは,狭義には「3-オキシフラバンおよびそのポリオキシ誘導体」を指す用語であるとされているが,3-オキシフラバン自体は知られていないから,現実には,「3-オキシフラバンのポリオキシ誘導体」を指すことになることが,明らかである。しかも,この「フラバノール」は,「カテキン類と総称し,天然に広く分布する。」というものである。
そうすると,引用例1記載の「フラバノール」は,「天然に分布するフラバノール」であるから,「天然に広く分布するフラバノール」すなわちそれを「3-オキシフラバンのポリオキシ誘導体すなわち総称カテキン類」であるといって何ら差し支えはない。
(2) 原告らは,引用例1の「フラバノール」がカテキンと同義でない理由として,フラバノールには,カテキンを含まない4-オキシフラバンに属する化合物が存在することを挙げる。しかし,原告らが指摘する「4-オキシフラバン」等は,椿科植物に由来するフラバノールではない。また,原告らは,3-オキシフラバンのポリオキシ誘導体において,3位と5位と7位に酸素原子含有基を有する化合物のみがカテキンであり,それ以外のものは,カテキンに含まれないと主張するが,原告らがカテキンではないと指摘するこれらの化合物も椿科に由来するフラバノールではない。したがって,椿科に由来するものである限り,フラバノールは,すべてカテキンなのである。
(3) 「カテキン」の性質について,化学大辞典2(甲第6号証)には,「カテキン・・・ 性質 水に易溶:アセトン.エタノール.酢酸エチルに可溶」と記載されている。
この記載から明らかなように,「カテキン」の性質は「水に易溶」である。
したがって,決定が,引用例1記載のフィルターにおける有効成分が茶葉の抽出成分であるフラバノールすなわちカテキンであり,かつ,水溶性であるとした点に何ら誤りはなく,決定の引用発明1と訂正発明1との一致点及び相違点に関する認定に誤りはない。
(4) 原告らは,多種雑多の有機化合物の混合物からなる椿科植物抽出分や留分から水溶性抽出成分のみを選択的に分離し,これをフィルタに含浸させるという技術思想は引用例1には記載も示唆もない,と主張する。しかし,引用発明1のフィルタの有効成分の含浸については,引用例1に「含浸は,この抽出分又は留分を原液のまま又は適当な溶媒で希釈して,多孔性物質(1)や通気性包装材(2)に浸漬,スプレー,塗布等することにより行われる。」(5頁9行〜12行)と記載されている。そして,「椿科植物抽出分又は留分」についても,上記(1)で述べたとおり,この抽出分又は留分には必ず水溶性のフラバノール(カテキン類)が含まれているのであるから,このような抽出分又は留分が原液のまま又は適当な溶媒で希釈して含浸された引用発明1のフィルタも,「茶の水溶性抽出成分を有効成分とする」ものであることにおいて,訂正発明1と変わりはない。
2 取消事由2(訂正発明1の進歩性の判断の誤り)について (1) カテキンのウイルス不活化剤としての効能について,引用例2には,次のとおり記載されている。
「インフルエンザウイルスに対する抗菌力:冬の風邪の主役はインフルエンザウィルスで,直径0.1μmほどの大きさである。細胞につくと細胞内に入り,無数に増殖し,さらに他の細胞に入って殖え続け,風邪の症状を起こす。たとえば,鼻や喉についたウィルスはそのまま気管,気管支へと殖えつづけ,炎症を起こし,咳や痰が出るようになる。このようなインフルエンザウィルスの感染を予防するのに,緑茶や紅茶でのうがいが有効である。この有効成分はカテキン類,特にEGCgが有効で極めて低濃度でもウイルスは不活性化される。」(185頁5行〜13行) 引用例2のこの記載から明らかなように,カテキンがウイルスの不活化に効果的であることは本件発明の出願前周知の事項であるから,このカテキンを含む引用発明1のフィルターもウイルス不活化剤として機能することは,当業者にとって自明の事項である。
また,「茶のカテキン類」の効能について,引用例2には,次のとおり記載されている。
「(i)消化器病原菌に対する抗菌力:ボツリヌス菌は肉製品,魚介製品に付着して,嫌気状態で繁殖し,強い耐熱性の毒素を産生するので,重い食中毒をひき起こすことでよく知られている。ボツリヌス菌の芽胞は,茶煎汁や茶ドリンク中で経時的に死滅する・・・。赤痢菌,チフス菌,コレラ菌などの伝染病原菌に対しても緑茶,紅茶の煎汁が抗菌活性をもつことが証明されている・・・抗菌作用があるばかりでなく産生された毒素の働きも,茶のカテキン類により抑えられる。」(184頁7行〜185頁2行) したがって,「茶のカテキン類」は,その効能として,緑茶のうがいでウイルスを不活化させる効能に加え,緑茶や紅茶の煎汁や茶ドリンク等の水分の存在下で抗菌作用を発揮する効能も既に知られていたのである。
(2) 原告らは,本件発明(訂正発明1を含む。)のように,茶の水溶性抽出成分を含浸して乾燥させたフィルタについて,フィルタ自体に水分が存在しない環境の下において,カテキンがウイルス不活化作用を発揮するかどうかは,当業者といえども引用例2及び3から予測することはできない,と主張する。しかし,引用発明1のフィルターは,エアークリーナーに装着されて,水分が存在する大気中で使用されるものであるから,カテキンの効能として水分の存在下でウイルス不活化作用を発揮することが,引用例2及び3にみられるように周知の事項である以上,引用発明1のフィルターも,水分を含む大気中で,同様に抗ウイルス性を発揮することは,当業者であれば容易に予測することができた効能であるというべきである。
原告らは,引用例2に記載された,緑茶や紅茶のような水溶液中に溶解して存在する「カテキン」と,本件発明における,フィルタに含浸して乾燥させた抗ウイルス性フィルタに含まれる「カテキン」とは存在環境が全く異なる,と主張する。
しかし,決定は,「水分の存在」については,「引用例1に記載のエアークリーナー,エアーコンディショナー等は空気を対象としているが,一般に空気は水分をも含んでいるから,・・・水分をも捕集するものと云える。」(決定書5頁24行〜27行)と判断し,また,「抗ウイルス性」については,「引用例2,3から明らかなように,・・・「カテキン成分」がウイルスの不活性化に有効な成分であることは周知の事項であるから,引用例1発明の「フラバノール」がウイルス不活化剤として機能することも当業者にとって自明である。」(決定書6頁29行〜32行)と判断しているのである。このように,決定では,水分の捕集に言及することによって「水分の存在」を指摘しており,また,このような「水分の存在下」では,引用例2及び3の記載から「カテキン成分」がウイルス不活化剤として機能することも自明であると言及しているのであるから,「水分を介することの抗ウイルス作用」について判断していることは明らかである。また,引用例3にも,「本発明のインフルエンザウィルス感染予防剤を飴などの食品,うがい薬,トローチなどの薬剤にする場合は,上記した主成分である茶ポリフェノールおよび茶を直接または水,アルコール等に溶解させて混合すればよい。」(3頁右上欄1行〜5行)との記載がある。この記載によれば,「飴」,「トローチ」では「茶ポリフェノール」や「カテキン類」が乾燥状態で存在しているのであり,これらが唾液(水分)の存在下で「抗ウイルス作用」が発揮されるのであるから,「茶ポリフェノール」や「カテキン類」が水分下(唾液の存在)でその「抗ウイルス作用」が発揮されることは,身近な「飴」等の食品でも周知の事項というべきである。
3 取消事由4(本件発明1ないし7の進歩性の判断の誤り)について 原告らの主張は,決定が引用例1の記載事項についての認定を誤っていることを根拠とするものである。しかし,前記のとおり,決定には,原告ら主張の誤りはない。
当裁判所の判断
1 取消事由1(引用発明1と訂正発明1との一致点の誤認(相違点の看過))について 原告らは,決定が,訂正発明1と引用発明1は,「茶の水溶性抽出成分を有効成分とするフラバノールを前記フィルタに含浸して乾燥させたフィルタで一致」(決定書6頁5行〜7行)する,と認定したことが誤りである,と主張する。
(1) 甲第3号証(平成12年3月3日付け本件手続補正書(訂正請求書))によれば,同訂正請求に係る本件訂正明細書には次の記載があることが認められる。
@「【従来の技術】近年,ウイルスの中でもかぜの病原ウイルスであるインフルエンザウイルスは空気感染あるいは飛沫感染によって流行をもたらしており,このウイルスを除去し,不活化する抗ウイルスフィルタ・・・が要望されている。」(段落【0002】) A「従来,ウイルスを不活化する方法としては,紫外線があるが,紫外線は人体に対しても有害であるため,人が生活している空間では使用することが困難である。また,ウイルスの大きさは0.1μm程度と非常に小さいが,単独で空気中を浮遊しているとは考えにくく,水分や粉塵などに溶け込んでいたり,付着しながら浮遊していると考えられている。したがって,・・・フィルタでもウイルスを捕集することは可能である。空気中のウイルスは,フィルタで捕集し,空気中のウイルス濃度を減少させることができる。」(段落【0003】) B「【発明が解決しようとする課題】このような従来の方法では,紫外線のように人体に対して有害であるため,通常の居住空間では用いることが困難であるという課題があった。また,フィルタによる捕集は可能であるが,フィルタ上に捕集されたウイルスは特に大きな熱的変化などがないかぎり,活性力を持っており,生きた細胞などがある場合には増殖する可能性があり,フィルタへの送風のON時にウイルスが再飛散する可能性があるという課題があった。」(段落【0005】,下線付加) C「本発明は,上記課題を解決するもので,製造が簡単な抗ウイルスフィルタを提供することを第1の目的とする。
第2の目的は,集塵性能の劣化を防止し,安価な抗ウイルスフィルタを提供することである。
第3の目的は,茶の抽出成分から茶ポリフェノールを分離精製し,より効果的なウイルス不活化剤によりフィルタに捕集されたウイルスを不活化する抗ウイルスフィルタを提供することである。」(段落【0007】ないし【0009】) D「【課題を解決するための手段】本発明の第1の目的を達成するための第1の手段は,茶の水溶性抽出成分を有効成分とするウイルス不活化剤をフィルタに含浸したものである。
また,第2の目的を達成するための第2の手段は,茶の抽出成分を有効成分とするウイルス不活化剤をフィルタ素材に練り込んだものである。
また,第3の目的を達成するための第3の手段は,茶の抽出成分である茶ポリフェノールをウイルス不活化剤としたものである。」(段落【0014】ないし【0016】) 上記認定の本件訂正明細書の各記載によれば,訂正発明1は,従来使用されているフィルタは,「ウイルスを捕集することは可能である(上記A)」ものの,「フィルタ上に捕集されたウイルスは・・・活性力を持っており,・・・フィルタへの送風のON時にウイルスが再飛散する可能性がある(上記B)」との問題があるとの認識に基づき,この問題を解決するため,「茶の水溶性抽出成分を有効成分とするウイルス不活化剤を・・・フィルタに含浸して乾燥」(訂正後の請求項1)させるとの構成を採用したものであることが認められる。
訂正発明1の「抗ウイルスフィルタ」は,従来の方法では「通常の居住空間では用いることが困難である(上記B)」との問題点を解決しようとするものであることから,その用途は,特別な環境下で使用されるものに限定されるのではなく,「通常の居住空間」での使用が含まれるものと認められる。
(2) 甲第4号証によれば,引用例1には次の記載があることが認められる。
@「考案の名称 フィルター」 A「実用新案登録請求の範囲」「内部が多孔性物質1,外皮が通気性包装材2よりなり,かつこれらの多孔性物質1及び通気性包装材2の少なくとも一方に椿科植物抽出分又は留分を含浸させてある含浸多重構造体からなるフィルター」 B「考案の詳細な説明」 「本考案は,主としてエアークリーナー,エアーコンディショナー等ファンを有する機器に装着するのに好適なフィルターに関するものである。」(1頁10行〜14行) 「フィルターをエアークリーナー,エアーコンディショナー等に装着することにより,ほこり,ちり,微粒子はもとよりエアー中の臭気は効果的に除去され,しかもエアー中の細菌や・・・などの有害物質も除去できるというすぐれた効果が奏される。」(2頁13行〜20行) 「椿科植物抽出分又は留分とは,茶,山茶花,椿,サカキ,ヒサカキ,月桂樹などの主として葉部からの抽出分又は留分を言い,フラバノール,フラボノール類,その他多種の有機化合物を含むものである。」(5頁4行〜8行,下線付加) 「実施例1 ・・・層状の多孔性物質(1)を・・・ポリプロピレン繊維製不織布(2)でくるみ・・・多重構造体を得た。
この多重構造体を,茶葉粉末からの留分をエタノールで希釈した10%液中に短時間ディッピングし,ついで引き上げて熱風乾燥した。かくして得られた含浸多重構造体3個を・・・エアークリーナーにフィルターとして組み込み」(6頁15行〜7頁8行) 「実施例5 ・・・不織布を・・・茶葉粉末からの抽出分の希釈液にディッピング後引き上げて乾燥し,フィルターとして組み込んだ。」(11頁2〜8行,下線付加) 上記認定の引用例1の各記載によれば,同引用例には,「茶葉粉末からの抽出分」,すなわち,「茶の抽出成分であるフラバノール」を含浸させ乾燥させたフィルタ,が記載されていることが明らかである。
なお,甲第4号証の9頁記載の第1表,第11頁記載の第2表によれば,各実施例で得られたフィルターは,優れた抗菌性を示すことが記載されていることが認められる。
(3) 決定は,訂正発明1と引用発明1は,「茶の水溶性抽出成分を有効成分とするフラバノールを前記フィルタに含浸して乾燥させたフィルタで一致」(決定書6頁5行〜7行)すると認定しているので,その当否,すなわち,引用例1に記載された茶の抽出成分であるフラバノールが「水溶性」であるか否かについて,次に,検討する。
(ア) 甲第5号証によれば,化学大辞典7・957頁以下(甲第5号証)には,「フラバノール」について,「狭義には3-オキシフラバンおよびそのポリオキシ誘導体をさすが,広義にはフラバンのオキシ誘導体の総称。・・・[1]3-,3-オキシフラバン・・・このもの自体は知られていない。このポリオキシ誘導体をカテキン類と総称し,天然に広く分布する。→カテキン [2]4-,4-オキシフラバン・・・」と記載されていることが認められ,これによれば,「フラバノール」とは,狭義には,「3-オキシフラバンおよびそのポリオキシ誘導体」をさすとされているが,3-オキシフラバン自体は知られていないから,「3-オキシフラバンのポリオキシ誘導体」すなわち「カテキン類」をさし,かつ,この「カテキン類」は,「天然に広く分布する」ものであることが認められる。
(イ) 甲第7号証によれば,引用例2には,茶に含まれるカテキン(タンニン)には,ボツリヌス菌,赤痢菌,チフス菌,コレラ菌その他の細菌類に対する「抗菌作用」,「インフルエンザウイルスに対する不活性化作用」,「消臭(脱臭)」,「抗突然変異,抗腫瘍作用」,「抗酸化作用を営む」(182頁9行〜15行,184頁6行〜185頁14行,210頁1行〜211頁末行)等の種々の作用があること,「お茶をお茶たらしめている,あるいはお茶の屋台骨ともいえるものはカテキン類(茶のタンニン)である」(14頁5行〜6行)こと,茶葉に含まれる主要なカテキンは,エピカテキン(EC),エピカテキンガレート(ECg),エピガロカテキン(EGC)及びエピガロカテキンガレート(EGCg)の4種であること(15頁下1行〜16頁2行,15頁図2・5),これら4種のカテキンは,いずれも40℃ないし80℃の湯(すなわち温水)に茶葉を浸漬すると溶出すること(150頁の図14・4及びその説明)等が記載されていることが認められる。
(ウ) 甲第8号証によれば,引用例3には,「茶の成分である茶ポリフェノールを有効成分とする・・・インフルエンザウィルス感染予防剤」(特許請求の範囲(2))に関する発明が開示され,茶ポリフェノールの主成分は,「カテキン類」(2頁右上欄15行〜3頁左上欄10行)等であり,茶ポリフェノールは,「水,アルコール等に溶解」(3頁右上欄4行〜5行,下線付加)して使用されること,等が記載されていることが認められる。
(エ) 甲第9号証によれば,引用例4には,「天然植物エキス系消臭剤」に関する技術解説が記載され,「ツバキ科植物,例えば茶樹,山茶花,椿等に消臭効果を有する成分が存在すること」(132頁右欄下1行〜133頁左欄1行),「茶の主として葉部を減圧下で加熱する」,すなわち「乾留」することにより「純度の高い有効成分を取り出す」ことができること(133頁左欄6行〜8行及び図2),緑茶中の可溶成分は「カテキン」,「カフェイン」等であり,その中で,カテキンの含有量は,「14.52%」(134頁表2「上級茶」の欄)ないし「14.59%」(同「中級茶」の欄)と最も多いこと,茶に含まれる「消臭成分は主としてフェノール基を有するポリフェノール」(134頁左欄2行〜3行)であると推定されること(なお,カテキンがポリフェノールの主成分であることについては,甲第8号証から明らかである。),天然植物エキス系消臭剤の「フレッシュライマツ(商品名)」は,「茶の枝葉を減圧下にて乾留し,留分1部にプロピレングリコール4部及び蒸留水20部を加え溶解したもの」(136頁右欄10行〜13行,下線付加),であり,「緑茶にはポリフェノール成分が多く,防菌効果による相乗効果も期待でき」(140頁左欄8行〜9行),「脱臭フィルタ」(140頁右欄6行〜7行)を含む多岐にわたる用途に使用できること,がそれぞれ記載されていることが認められる。
(オ) 甲第13号証によれば,引用例8には,「ツバキ科植物から抽出その他の手段により分離した消臭成分」(2頁左下欄12行〜13行)を含む加湿消臭装置が開示され,「ツバキ科植物としては・・・特に茶葉が,取得の容易さの点および消臭効果の点で好ましい」(2頁左下欄17行〜20行)こと,実施例で使用した消臭剤溶液は,「茶の乾燥葉粉末を減圧下に乾留したときの沸点180〜200℃/20mmHgの留分の1%水溶液を用いた。」(3頁左上欄10行〜12行,下線付加)こと等が記載されていることが認め得られる。
(カ) 甲第6号証によれば,化学大辞典2の「カテキン」の項には,カテキンは「水に易溶:アセトン,エタノール,酢酸エチルに可溶:エーテルに難溶:炭化水素,クロロホルム,ベンゼンに不溶」(下線付加)と記載されていることが認められる。
(キ) 上記認定の各文献の各記載によれば,茶には,抗菌・抗ウイルス・消臭等の種々の作用を示すポリフェノール成分が含まれ,その主たる成分はカテキンであること,カテキン類は,茶を水で抽出あるいは乾留することにより取得することができ,水又は湯(温水)に容易に溶解すること,したがって,茶から抽出されるカテキンが「水溶性である」ことは,本件発明の出願の時点において既に技術常識となっていたものと認められる。
一方,茶に,カテキンと同様の作用を示す「非水溶性」の成分が含まれることは,本件全証拠によってもこれを認めることはできない。
そうすると,引用発明1のフィルタに含浸された茶からの抽出分であるフラバノールは,カテキンであり,かつ,「水溶性」の抽出分であって「非水溶性」のものではあり得ないことは,上記技術常識に照らして明らかである。したがって,決定が,引用例1に「茶の水溶性抽出成分を有効成分とするフラバノールを前記フィルタに含浸して乾燥させたフィルタ」が記載されていると認定したことに何ら誤りはない。
(4) 原告らは,「フラバノールは,「化学大辞典7」の「フラバノール」の項(甲第5号証)から明らかなように,カテキンを含む3-オキシフラバンのほか,カテキンを含まない4-オキシフラバンを含めた化合物群の総称である。・・・カテキンは,3-オキシフラバンのポリオキシ誘導体の総称であり,様々な化合物がこの中に含まれるのである。そして,化合物の水への溶解度は化合物ごとに異なり,易溶な化合物もあれば難溶不溶な化合物もあることは自明の事項である。したがって,前記化学大辞典にカテキンが水に易溶であるとの記載があったとしても,当該記載から,少なくとも,引用例1記載の茶の抽出成分であるフラバノールが一様に水に易溶であるということを導き出すことはできない。・・・天然に分布する3-オキシフラバンのポリオキシ誘導体においても,3位と5位と7位に酸素原子含有基を有する化合物のみがカテキンであり,それ以外のものは,カテキンには含まれず,したがって,天然に分布する3-オキシフラバンのポリオキシ誘導体のすべてが水溶性であるということはできない。・・・天然に分布するフラバノールのうち,椿科植物由来のフラバノールには,甲16号証の化合物番号1870,1871,2304ないし2311のように,カテキンと称されていない化合物が多数存在する」,と主張する。
しかしながら,フラバノールには,3-オキシフラバンと4-オキシフラバンがあり,4-オキシフラバンはもちろん,3-オキシフラバンのポリオキシ誘導体において,カテキンとは称されないものが含まれることが原告主張のとおりであるとしても,引用例1に記載された「茶の抽出分であるフラバノール」がカテキンであること,及び,茶から抽出したカテキンが,水溶性のものであることは,上記に認定したころから明らかであって,決定はこのカテキンを「茶の水溶性抽出成分を有効成分とするフラバノール」(決定書6頁1行)と表現したものであり,決定の引用例1の認定に誤りはない。
原告らは,引用発明1のフィルタに含浸させている椿科植物抽出分や留分は,多種雑多の有機化合物の混合物からなるものであるので,多種雑多の有機化合物の混合物からなる椿科植物抽出分や留分から水溶性抽出成分のみを選択的に分離し,これをフィルタに選択的に含浸させるという技術思想は引用例1には記載も示唆もない,と主張する。しかしながら,仮に,引用例1に記載された椿科植物抽出分の中に,水溶性成分以外の様々な成分が含まれているとしても,引用発明1の「椿科植物」から「茶」を選択すれば,茶の抽出分としては,「お茶をお茶たらしめている,あるいは,お茶の屋台骨ともいえるもの」であるカテキンを選択したことになるのであり,これが水溶性成分であることは上記に認定したところから明らかである。したがって,原告らの同主張も失当である。
以上のとおりであるから,決定が引用例1の認定を誤ったために,訂正発明1と引用発明1の一致点の認定を誤り,結果として両発明の相違点を看過した,とする原告らの主張は,採用することができない。
2 取消事由2(訂正発明1の進歩性の判断の誤り)について (1) 引用例1に,「茶の抽出成分」であるフラバノールを「有効成分」として含浸させ乾燥させたフィルタが優れた抗菌性を示すことが記載されており,このフラバノールが天然のものであり,カテキンを意味するものであることは,前記認定のとおりである。
また,引用例2に,茶の抽出成分であるカテキンが,「抗菌」,「抗ウイルス」,「消臭」等の種々の作用を示すことが記載されていること,及び,引用例3に,茶の抽出成分であるカテキンが,インフルエンザウイルスの感染を予防すること,すなわち,インフルエンザウイルスの活性を抑制する旨が記載されており,これらが本件発明の出願時における技術常識であったことも,前記認定のとおりである。
そうすると,引用例1に記載されたフィルタが,「抗菌」だけでなく,「抗ウイルス」作用を含めた,抗菌以外の作用を示す可能性があることに当業者が想到することは容易であり,この点に格別の困難があるものということはできない。
(2) 原告らは,ある種のカテキンがウイルスの不活化に有効な成分であるとしても,カテキン類を含んだ化合物群の総称であるフラバノールが一様にウイルス不活化剤として機能すると断定することはできない,また,引用発明1のフィルタに含浸させている椿科植物抽出分又は留分は,フラバノールを含む多種多様の有機化合物から構成されるものであるので,同発明の椿科植物抽出分又は留分を含浸させているフィルタがウイルス不活化剤として機能するかどうかは当業者といえども予測することはできない,と主張する。しかし,引用例1に示されている椿科植物中から茶を選択すれば,その抽出成分であるカテキンがウイルス不活化作用を営むことは前記のとおりであるから,カテキンを含浸させたフィルタがウイルス不活化作用を営む可能性があることを当業者が予測することが困難とはいえないことは,前記のとおりである。したがって,原告らの上記主張は採用することができない。
原告らは,引用例2及び3から明らかな事項は,ある種のカテキンが水の存在下という特定の条件の下において,ウイルスの不活化作用を発揮するという属性を有することと,人体へのウイルス感染を予防するということであるにすぎないから,引用発明1のようなフィルタ自体に水分が存在しない環境の下で,カテキンがウイルス不活化作用を発揮するかどうかは当業者といえども予測し得ず,したがって,引用発明1のフィルタを抗ウイルスフィルタの用途に供し,空気中のウイルスの不活化に使用することを当業者が容易に想到し得るものではない,また,原告らは,本件発明の明細書にも記載したとおりの,種々の実験を行うことにより,空気中に浮遊しているウイルスを捕集し,捕集したウイルスを不活化することのできる最適なフィルタを見出したものである,と主張する。
しかしながら,カテキンがウイルス不活化作用を営む機序が本件発明の出願時において明らかとされていたことは,本件全証拠によっても認めることができない。
本件発明の明細書においてこの点について何らかの解明がなされている,というわけでもない(甲第2,第3号証から明らかである。)。このように,カテキンが水の存在下でのみウイルス不活化作用を営み,乾燥した状態では同作用を営まない,あるいは,営みにくいということが,科学的に確認されている技術事項であるわけでもなく,これが当業者において周知の技術事項であるわけでもない以上,引用発明1のフィルタが,抗菌作用に加え,抗ウイルス作用を示す可能性があることに当業者が容易に想到し得ることの妨げとなる事情が存在する,ということはできない。
また,訂正発明1の「茶の水溶性抽出成分を有効成分とするウイルス不活化剤を前記ウイルス捕集フィルタに含浸して乾燥させた抗ウイルスフィルタ」(訂正発明1の請求項1)は,引用発明1のフィルタである「茶の葉部からの抽出分又は留分であるフラバノールを含浸させてある含浸多重構造体からなるフィルター」と,その構成において特段の差異があるわけではなく,単に,訂正発明1のフィルタは,引用発明1における上記フィルタにおいて,抗ウイルスフィルタとの用途を付加しただけのものであるにすぎない。そして,本件発明の明細書において,乾燥した状態における,カテキンのウイルス不活化作用の機序について何らかの解明がなされたわけでもないことは前記のとおりである。また,両者のフィルタは,いずれも,「エアークリーナー」,「エアーコンディショナー」等の機器に装着されるものであり,これらの機器は,いずれも「通常の居住空間」で使用されるものであるから,訂正発明1のフィルタが,引用発明1の上記フィルタと比べ,その構成において特段に異なるものでもない以上,格別の作用効果を奏するものと認めることもできない。したがって,訂正発明1の抗ウイルスフィルタが,引用発明1の上記フィルタと比べ,その構成における特段の差異ないしは特段の工夫もなく,抗ウイルスフィルタとして,格別の作用効果を奏するものと認めることもできない以上,訂正発明1のフィルタに含浸され,乾燥された茶の水溶性抽出成分が,乾燥したフィルタ上において,どのような機序でウイルス不活化作用を営むかについて考慮する必要はない。
引用例1記載のフィルタが,抗菌作用に加え,抗ウイルス作用を示す可能性があることに当業者が容易に想到し得ることは,前記説示のとおりであり,原告らの前記主張はいずれも失当である。
以上によれば,訂正発明1は,引用例1ないし3に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明することができたものであるとの決定の判断に誤りはない。
3 取消事由3(本件発明1ないし7の進歩性の判断の誤り)について 本件発明1ないし7の進歩性に関する原告らの主張はいずれも,決定の引用発明1の認定が誤りであることを前提とするものである。しかし,引用発明1の認定が誤りではなく,この前提が成立しないことは,前示のとおりである。
したがって,本件発明の進歩性についての決定の判断について,原告ら主張の違法はない。
4 結論 以上に検討したところによれば,原告らの主張する取消事由には理由がなく,その他,決定には,これを取り消すべき瑕疵は見当たらない。そこで,原告らの請求を棄却することとし,訴訟費用の負担について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 山下和明
裁判官 設樂隆一
裁判官 高瀬順久