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関連審決 無効2011-800018
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事件 平成 29年 (行ケ) 10003号 審決取消請求事件

原告X
同訴訟代理人弁護士 名越秀夫 高橋隆二 佐野辰巳
被告 アルコンリサーチ リミテッド
被告 協和発酵キリン株式会社
上記両名訴訟代理人弁護士 三村量一 東崎賢治 伊藤真愛
同 弁理士 南条雅裕 瀬田あや子
裁判所 知的財産高等裁判所
判決言渡日 2017/11/21
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 1 特許庁が無効2011−800018号事件について平成28年12月1日にした審決を取り消す。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 被告アルコン リサーチ リミテッドのため,この判決に対す1る上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
請求
主文同旨
事案の概要
1 特許庁における手続の経緯等 ? 本件特許 被告らは,平成8年5月3日,発明の名称を「アレルギー性眼疾患を処置するためのドキセピン誘導体を含有する局所的眼科用処方物」とする特許出願をし(優先権主張:平成7年6月6日,米国),平成12年5月19日,設定の登録を受けた(特許第3068858号。請求項の数12。甲81。以下,この特許を「本件特許」という。)。
? 第1次審決 ア 原告は,平成23年2月3日,本件特許について特許無効審判を請求し,無効2011-800018号事件として係属した。
イ 被告らは,平成23年5月23日付けで,本件特許の特許請求の範囲を訂正する旨の訂正請求(以下「第1次訂正」という。)をした。
ウ 特許庁は,平成23年12月16日,第1次訂正を認めるとともに,請求項1ないし12に係る発明についての特許を無効とする旨の審決(以下「第1次審決」という。)をした(甲82)。
エ 被告らは,平成24年4月24日,第1次審決の取消しを求める訴訟(当庁平成24年(行ケ)第10145号)を提起した後,同年6月29日付けで,本件特許の特許請求の範囲の訂正を内容とする訂正審判請求をした。
オ 知的財産高等裁判所は,平成24年7月11日,平成23年法律第63号による改正前の特許法181条2項に基づき,第1次審決を取り消す旨の決定をした。
? 第2次審決 2 ア 特許庁は,前記?オの決定を受けて,無効2011-800018号事件の審理を再開した。被告らは,平成24年8月10日付けで,本件特許の特許請求の範囲について,請求項2ないし4及び6ないし12の削除を含む訂正請求(以下「第2次訂正」という。)をした。
イ 特許庁は,平成25年1月22日,第2次訂正を認めるとともに,請求項1及び5について,本件審判の請求は成り立たない旨の審決(以下「第2次審決」という。)をした(甲83)。
ウ 原告は,平成25年3月1日,第2次審決の取消しを求める訴訟(当庁平成25年(行ケ)第10058号)を提起した。
エ 知的財産高等裁判所は,平成26年7月30日,第2次審決を取り消す旨の判決(以下「前訴判決」という。)をし,同判決は,平成28年1月12日,上告不受理の決定により確定した(甲84)。
? 本件審決 ア 特許庁は,前訴判決を受けて,無効2011-800018号事件の審理を再開した。被告らは,平成28年2月1日付けで,本件特許の特許請求の範囲について,訂正請求(以下「本件訂正」という。)をした。
イ 特許庁は,平成28年12月1日,本件訂正を認めるとともに,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決(以下「本件審決」という。)をし,その謄本は,同月9日,原告に送達された。
ウ 原告は,平成29年1月6日,本件審決の取消しを求める本件訴訟を提起した。
2 特許請求の範囲の記載 本件訂正後の本件特許の特許請求の範囲請求項1及び5の記載は,次のとおりである。以下,請求項1に係る発明を「本件発明1」といい,請求項5に係る発明を「本件発明2」といい,併せて「本件各発明」という。また,本件訂正後の明細書(甲205)を「本件明細書」という。
3 【請求項1】ヒトにおけるアレルギー性眼疾患を処置するための局所投与可能な,点眼剤として調製された眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤であって,治療的有効量の11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸またはその薬学的に受容可能な塩を含有する,ヒト結膜肥満細胞安定化剤。
【請求項5】ヒトにおけるアレルギー性眼疾患を処置するための局所投与可能な,点眼剤として調製された眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤であって,治療的有効量の11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸またはその薬学的に受容可能な塩を含有し,前記11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸が,(Z)-11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸であり,(E)-11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸を実質的に含まない,ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出を66.7%以上阻害する,ヒト結膜肥満細胞安定化剤。
3 本件審決の理由の要旨 ? 本件審決の理由は,別紙審決書(写し)記載のとおりである。要するに,本件各発明は,@下記アの引用例1に記載された発明(以下「引用発明1」という。 , )下記イの引用例2に記載された発明(以下「引用発明2」という。)及び本件特許の優先日当時の技術常識からみて,当業者が容易に発明することができたものではない,A下記ウの引用例3に記載された発明(以下「引用発明3」という。)並びに引用発明1,引用発明2及び本件特許の優先日当時の技術常識からみて,当業者が容易に発明をすることができたものではないから,特許法29条2項の規定に違反して特許されたものではない,などというものである。
ア 引用例1:亀井千晃ほか「モルモットの実験的アレルギー性結膜炎に対する抗アレルギー薬の影響」あたらしい眼科Vol.11,No.4(1994)60 4 3〜605頁(甲1) イ 引用例2:特開昭63-10784号公報(甲4) ウ 引用例3:特開昭62-45557号公報(甲3) ? 本件審決は,本件各発明と引用発明1との相違点を,次のとおり認定したものと解される。なお,本件審決は,引用発明1及び本件各発明と引用発明1との一致点について,具体的に記載していない。
ア 本件発明1と引用発明1との相違点 (ア) 相違点1 アレルギー性眼疾患について,本件発明1では「ヒトにおける」と特定されているのに対し,引用発明1ではそのような特定がない点。
(イ) 相違点2 眼科用組成物(剤)について,本件発明1では「眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤」と特定されているのに対し,引用発明1ではそのような特定がない点。
(ウ) 相違点3 本件発明1では「点眼剤として調製された」ことが特定されているのに対し,引用発明1ではそのような特定がない点。
イ 本件発明2と引用発明1との相違点 (ア) 相違点1ないし3と同じ。
(イ) 相違点4 本件発明2は,ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出を66.7%以上阻害するのに対し,引用発明1は,そのような特定がない点。
? 本件審決は,本件各発明と引用発明3との相違点を,次のとおり認定したものと解される。なお,本件審決は,引用発明3及び本件各発明と引用発明3との一致点について,具体的に記載していない。
ア 本件発明1と引用発明3との相違点 (ア) 相違点5 5 本件発明1は,オキセピン誘導体が「11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸」(以下「化合物A」ということがある。)に限定されているのに対し,引用発明3では,化合物Aを含む上位概念で表現されており,引用発明3の実施例では「11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロベンズ[b,e]オキセピン-2-カルボン酸」が例示されている点。
(イ) 相違点6 本件発明1では「眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤」と特定されているのに対し,引用発明3ではそのような特定がない点。
(ウ) 相違点7 本件発明1では「点眼剤として調製された」と特定されているのに対し,引用発明3では「眼科用液剤」としか特定されていない点。
イ 本件発明2と引用発明3との相違点 (ア) 相違点6及び7と同じ。
(イ) 相違点8 本件発明2は,オキセピン誘導体が化合物AのZ体(シス異性体)に限定されているのに対し,引用発明3では,化合物Aを含む上位概念で表現されており,引用発明3の実施例では「11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロベンズ[b,e]オキセピン-2-カルボン酸」が例示されている点。
(ウ) 相違点9 本件発明2は,ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出を66.7%以上阻害するのに対し,引用発明3は,そのような特定がない点。
4 確定した前訴判決について ? 第2次審決及び前訴判決が審理の対象とした特許請求の範囲の記載は,次のとおりである(甲84)。以下,これらの発明を併せて「第2次訂正後の各発明」という。
6 【請求項1】ヒトにおけるアレルギー性眼疾患を処置するための局所投与可能な,点眼剤として調製された眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤であって,治療的有効量の11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸またはその薬学的に受容可能な塩を含有する,ヒト結膜肥満細胞安定化剤。(本件訂正後の請求項1の記載と同じ。)【請求項2】ヒトにおけるアレルギー性眼疾患を処置するための局所投与可能な眼科用組成物であって,治療的有効量の11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸またはその薬学的に受容可能な塩を含有し,前記11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸が,(Z)-11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸であり,(E)-11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸を実質的に含まない,ヒト結膜肥満細胞安定化効果を奏する組成物。(第2次訂正により,請求項5が請求項2に繰り上げられた。本件訂正後の請求項5の記載と相違するのは,「点眼剤として調製された眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤」を「眼科用組成物」とする点,「ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出を66.7%以上阻害する」がない点,「ヒト結膜肥満細胞安定化剤」を「ヒト結膜肥満細胞安定化効果を奏する組成物」とする点である。) ? 第2次審決及び前訴判決は,引用発明1及び第2次訂正後の各発明との相違点を具体的に認定していないが,相違点4及び相違点9を除き,前記3?と同旨を前提としているものと解される。
? 第2次審決の理由の要旨 第2次審決は,第2次訂正を認めた上,第2次訂正後の各発明における「ヒト結膜肥満細胞安定化」という発明特定事項は,引用例1及び引用例2に記載のものから動機付けられたものとはいえないとして,引用例1を主引用例とする進歩性欠如 7 の原告主張の無効理由は理由がないとし,特許無効審判請求は成り立たないとした。
? 前訴判決の理由の要旨 前訴判決は,第2次審決を取り消したものであり,その理由は,概要,以下のとおりである。
引用例1及び引用例2に接した当業者は,引用例1記載のアレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679(化合物Aのシス異性体の塩酸塩)を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みる際に,KW-4679についてヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用(ヒト結膜肥満細胞安定化作用)を有することを確認し,ヒト結膜肥満安定化剤の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められる。したがって,第2次審決の上記判断は,誤りである。
5 取消事由 ? 引用発明1に基づく進歩性判断の誤り(取消事由1) 本件各発明の顕著な効果の判断の誤り ? 引用発明3に基づく進歩性判断の誤り(取消事由2) ア 相違点5の容易想到性の判断の誤り イ 相違点6の容易想到性の判断の誤り
当事者の主張
1 取消事由1(引用発明1に基づく進歩性判断の誤り)について 〔原告の主張〕 ? 本件明細書に記載された本件発明1の効果の解釈の誤り 本件審決は,本件明細書に記載された発明の効果について,「化合物Aでは用量300μMで29.6%,600μMで47.5%,1000μMで66.7%,2000μMで92.6%のように,2000μMという高用量(高濃度)に至るまで用量依存的にヒスタミン放出阻害率が上昇し,クロモリンナトリウムやネドクロミルナトリウムのようにヒスタミン放出阻害率の最大値に達した後,さらなる用 8 量上昇に伴い,ヒスタミン放出阻害率が低下する現象が生じていない」,「そうすると,「66.7%」及び「92.6%」という同阻害率は,用量(濃度)依存的に連続して上昇する値のうちの一部であると解すべきであり,同阻害率が2000μMの用量(濃度)で100%近い92.6%まで上昇しているのであるから,用量(濃度)が2000μMよりもさらに増加すれば100%の同阻害率を達成できることは自明である」と認定し,用量(濃度)が2000μMを超えるときの発明の効果も本件明細書に記載されているに等しいものと判断した。
しかし,本件明細書の表1には,化合物Aについて,用量が30μMから2000μMまでのデータしか示されておらず,本件明細書には,2000μMを超える用量(濃度)のときの発明の効果は記載されていない。また,本件特許の優先日前には,本件明細書の表1に記載されているネドクロシルナトリウム(判決注:「ネドクロミルナトリウム」の誤記と認める。)や,ケトチフェンのような,阻害率が最大値に達した用量(濃度)より高用量(濃度)にすると,阻害率がかえって低下する事例が知られていたから,本件特許の優先日当時において,表1を見た当業者は,化合物Aの用量(濃度)を2000μMより高用量(濃度)にしたときに,阻害率がさらに上昇するか,逆に低下するかを予測することはできなかった。
したがって,本件明細書には,「ヒスタミン放出阻害率の最大値に達した後,さらなる用量上昇に伴い,ヒスタミン放出阻害率が低下する現象が生じていない」という発明の効果は記載されていない。それにもかかわらず,上記効果を前提にして本件発明1に顕著な効果があることを認定している点で,本件審決には誤りがある。
? 本件発明1の効果の顕著性の判断の誤り ア 平成27年10月1日以降に利用されている特許・実用新案審査基準によれば,進歩性が肯定される方向に働く要素として「引用発明と比較した有利な効果」が挙げられ,上記有利な効果として,「引用発明の有する効果と異質な効果」 「際 と立って優れた効果」の二つを挙げている。
前訴判決は,引用例1及び引用例2に接した当業者は,KW-4679について 9 ヒト結膜の肥満細胞からヒスタミンの遊離抑制作用(ヒト結膜肥満細胞安定化作用)を有することを確認し,ヒト結膜肥満細胞安定化剤の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められると判断しており,引用発明1からヒト結膜肥満細胞安定化の用途を容易に想到することができたのであるから,ヒト結膜肥満細胞安定化という効果に関して,本件発明1は,引用発明1の有する効果と異質な効果があるわけではない。したがって,残る争点は,本件発明1の有する効果が引用発明1の有する効果と比べて際立って優れた効果といえるか,という効果の量的な問題だけである。
この点について,本件審決は,甲39に基づいて,「ケトチフェンでは,ヒト結膜肥満細胞に対して最大値のヒスタミン放出阻害率を奏する濃度(100μM程度)の3倍程度の濃度で,ヒスタミン放出阻害率が急激に低下してヒスタミンの深刻な遊離を引き起こすのに対し,AL-4943A(化合物Aのシス異性体)は,ヒト結膜肥満細胞に対して最大値のヒスタミン放出阻害率を奏する濃度(2000μM)の数倍高い濃度である10000μMに至っても,最大値のヒスタミン放出阻害率が低下せずに維持されている」と認定し,同認定に基づいて,AL-4943Aは最大値のヒスタミン放出阻害率を奏する濃度の範囲がケトチフェンより非常に広いという実験結果を,当業者が予測できたとはいえないと判断した。
しかし,前記?のとおり,本件明細書には,化合物Aの用量(濃度)が30〜2000μMまでの実験結果しか示されておらず,2000μMを超える濃度でヒスタミン放出阻害率がどのような挙動を示すかを予測させる記載はない。
本件審決は,甲39に記載されている事項を本件明細書の記載と混同して,本件発明1の効果を判断しており,本件発明1の効果の顕著性の判断に誤りがある。
イ 発明の構成が容易に想到できた場合において,顕著な効果を有することを理由として進歩性が肯定されるためには,当該発明の全範囲において顕著な効果を有することが必要である。
しかし,本件明細書の表1によれば,化合物Aが約0.001w/v%である3 10 0μMのときのヒスタミン放出阻害率はマイナス3.9%であるため,かえってヒスタミンの遊離を促進しており,ヒト結膜肥満細胞の安定化が低下している。
このように,本件発明1は,ヒスタミン放出阻害率の評価において全く効果を有さない範囲を含んでいるから,本件発明1の全範囲が顕著な効果を有することはあり得ず,本件発明1は進歩性を有さない。
? 本件発明2の効果の判断の誤り 本件審決は,ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出率を66.7%以上阻害することを当業者が予測することは非常に困難であるから,本件発明2を得ることは,容易に想到できないと判断した。
しかし,引用例1には,結膜からのヒスタミン遊離抑制について,ケトチフェンとKW-4679が同列に記載されている。このため,ケトチフェンと同程度にKW-4679がヒスタミン遊離抑制効果を有することは,当業者が予測し得るものであったところ,本件特許の優先日前に頒布された甲32には,0.05%ケトチフェン点眼液のヒスタミン遊離抑制率は,抗原によるアレルギー反応誘発5分後では平均67.5%,誘発10分後では平均67.2%,という記載がある。
また,ケトチフェン以外にも,本件特許の優先日前に頒布された甲20,34及び37には,ペミロラストカリウム点眼液,クロモグリグ酸ナトリウム点眼液及び塩酸プロカテラール点眼液が,抗原によるアレルギー反応誘発5分後又は10分後において70%から90%程度のヒスタミン遊離抑制率を示したという記載があることから,ヒスタミン遊離抑制率が70%前後であるという効果は,本件特許の優先日当時ありふれたものであったといえる。
このように,約67%のヒスタミン遊離抑制効果を有することは,引用例1の記載内容及び本件特許の優先日当時の技術水準から,当業者が予想できた効果の範囲内のものであり,顕著な効果ということはできない。
〔被告らの主張〕 ? 本件明細書に記載された本件発明1の効果の解釈に誤りはないこと 11 本件審決が認定するとおり,本件明細書の表1には,化合物Aが,30μMから2000μMまでの範囲内において,クロモリンナトリウムやネドクロミルナトリウムのようにヒスタミン放出阻害率の最大値に達した後,さらなる用量上昇に伴い,ヒスタミン放出阻害率が低下する現象は生じていないことが記載されている。本件審決は,その上で,化合物Aによるヒト結膜肥満細胞に対するヒスタミン放出阻害率は,2000μMという高用量(高濃度)に至るまで用量依存的に上昇し,非常に高いヒスタミン放出阻害率を有すると判断したものである。
本件明細書の表1には,クロモリンナトリウムやネドクロミルナトリウムといった,本件特許の優先日当時,肥満細胞安定化剤として周知の代表的な化合物が,それぞれ約10%や約28%の最大の阻害率を示した後は用量上昇に伴いヒスタミン放出阻害率が低下しているのに対し,化合物Aについては,300μMにおいて,ネドクロミルナトリウムの最大の阻害率を超える29.6%の阻害率を記録した後も,600μMで47.5%,1000μMで66.7%,2000μMで92.6%の阻害率を記録し,理論上の最大値付近まで上昇していることが記載されている。このように,本件明細書の実施例においては,必要かつ十分な実験が行われており,本件審決が,化合物Aによるヒト結膜肥満細胞に対するヒスタミン放出阻害率は,2000μMという高用量(高濃度)に至るまで用量依存的に上昇し,非常に高いヒスタミン放出阻害率を有すると認定したことに,何らの違法もない。原告の主張する2000μMを超える濃度範囲についての認定は,原告が甲32及び甲39を根拠とする主張をしたことに鑑みて,付加的に言及したものにすぎない。
? 本件発明1の効果の判断に誤りはないこと ア 発明の構成に至る動機付けがあったと判断される場合であっても,当該発明が,当該発明の構成のものとして当業者が予測した効果と比較して顕著な効果を奏するものであれば,進歩性が肯定されると解すべきである。
前記?のとおり,本件発明1のヒト結膜肥満細胞安定化剤は,本件特許の優先日当時,ヒト結膜肥満細胞安定化作用を有するものとして分類されていた化合物のう 12 ちの代表的なものであるクロモリンナトリウム及びネドクロミルナトリウムと比較しても,圧倒的に優れた,点眼薬の薬効として十分に高い水準において,ヒト結膜肥満細胞を安定化する効果を奏する。
他方,引用例1には,抗原体反応による結膜からのヒスタミン遊離に対する各薬物の効果を検討したところ,KW-4679(化合物Aのシス異性体の塩酸塩)は無効であったとの記載がある。したがって,たとえ本件発明1に至る動機付けがあり,本件発明1の構成が容易に想到可能であったとしても,引用例1から,化合物Aのヒト結膜肥満細胞の安定化として当業者が予測したであろう効果は,せいぜい,「引用例1のとおりヒト結膜肥満細胞安定化を全くしないであろうが,もしかしたら,5%や10%であれ多少なりとも安定化をするかもしれない」という程度のものにすぎない。また,後記2のとおり,引用例2は,いかなる動物種におけるいかなる組織における肥満細胞についても,その安定化を実証していない。
以上のとおり,本件発明1の効果は,化合物Aのヒトの結膜肥満細胞安定化として当業者が予測した効果を格段に上回るものであるから,本件発明1が当業者の予測を超える格段に顕著な効果を奏するものであることは明らかである。
本件審決の判断に誤りはない。なお,本件審決は,化合物Aが2000μMという高濃度に至るまで用量依存的にヒスタミン放出阻害率が上昇し,また,化合物Aの最大の阻害率がクロモリンナトリウムやネドクロミルナトリウムの最大の阻害率をはるかに凌駕する92.6%を示したことをもって,格別顕著な効果であることを既に認定しているのであり,甲39を参酌するまでもなく,本件発明が当業者の予測を超える顕著な効果を奏することを認定している。したがって,原告の主張するような,甲39を参酌した本件発明の効果の認定がなくとも,本件発明の効果の顕著性が認められることに変わりはない。
イ 医薬用途発明においては,当業者は,通常,濃度(用量)を適宜調節して,所望の効果を奏する濃度(用量)において発明を実施することができ,それが想定されているからこそ,医薬用途発明の技術的範囲は,特段,濃度(用量)について 13 の限定を含めていなくとも,黙示的に,所望の効果を奏する濃度(用量)に限定され,無効理由の判断においても,そのような限定が付されたものとして判断される。
本件発明1においても,当業者は,濃度(用量)を適宜調節して,顕著な効果を奏する濃度(用量)において発明を実施することができるのであるから,特許請求の範囲において濃度又は用量の限定がないことが,顕著な効果を否定する理由となるものではない。
? 本件発明2の効果の判断に誤りはないこと ア 甲20,32,34及び37(以下「甲20等」と総称することがある。)に記載された実験は,インビボ試験(実際のヒトの眼球への投与実験)であり,本件発明2が前提とする実験条件とは全く異なるため,本件発明2の比較対象となり得ない。また,甲20等においては,本件発明2の化合物との比較はなされておらず,異なる化合物について,異なる実験条件の下で行った実験の結果を比較することは無意味である。
さらに,甲20等に記載された化合物のうち幾つかについては,本件発明2が前提とする実験条件と同一の実験条件において,かつ,本件発明2の化合物と比較して測定した実験結果が記載された文献(乙1)があり,同文献には,本件発明2の化合物がそれらの化合物よりも顕著に高いヒト結膜肥満細胞安定化効果を示すことが記載されている。
加えて,甲20等に記載のインビボ試験においては,実際のヒトの眼球に試験化合物が投与されるが,実際のヒトの眼球は複雑であり,ヒト結膜肥満細胞以外の種々の細胞も存在し,様々な夾雑物も存在し,ごく微量の涙液中のヒスタミンを採取する必要があるため,一般に正確な定量・評価・比較が非常に困難である。また,甲20等は,全て同じ著者らによるものであるが,ほとんどヒト結膜肥満細胞安定化を示さないことが本件明細書において明らかにされた化合物(クロモリンナトリウム)を含め,どの試験化合物についても同様に高いヒスタミン遊離抑制率が示されており,実験条件・実験手法の妥当性に疑問が残る。
14 したがって,甲20等に記載された実験結果に基づいて本件発明2の顕著な効果を否定することはできない。
イ 本件発明2は,本件発明1の実施態様の一つであり,実質的には,本件発明1と比較して,「ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出を66.7%以上阻害する」との加重の発明特定事項を有するものといえる。そして,前記?のとおり,そのような加重発明特定事項を有さない本件発明1が,顕著な効果を有するものとして進歩性が肯定されるのであるから,本件発明2は,加重発明特定事項について検討を加えるまでもなく,顕著な効果を有するものとして,進歩性が肯定される。
2 取消事由2(引用発明3に基づく進歩性判断の誤り)について 〔原告の主張〕 ? 相違点5の容易想到性の判断の誤り ア 本件審決は,相違点5について,引用例3には,化合物Aを用いた実験結果が記載されておらず,引用例3のマーカッシュ形式の式(T)で示される化合物あるいはそれらの塩の中から化合物Aを選択して用いる動機付けが記載されているとはいえないと判断した。
しかし,引用例2に,化合物番号20(化合物A)が化合物番号3(引用例3の実施例記載の化合物)よりも抗アレルギー作用が同等ないしやや優れていることが記載されていることから,当業者において,引用例2に記載された技術的事項を参酌して,引用例3の上位概念で記載された化合物の中から化合物Aを選択してみることの動機付けがあるといえる。したがって,当業者は,引用例2を参酌して,引用例3に基づいて相違点5の構成を容易に想到することができたものである。
イ また,本件審決は,引用例3には肥満細胞安定化効果について具体的に記載されていないと判断した。
しかし,引用例3には,「本化合物は,マスト細胞からのオータコイド(すなわちヒスタミン,セロトニン等)の放出を阻害し,そしてヒスタミンの抗原-誘導産生を直接阻害するものと信じられている」との推測が記載されている。また,前訴 15 判決が認定したとおり,本件特許の優先日当時に知られていた技術常識では,ラット,モルモットの動物結膜炎モデルにおける薬剤の応答性に関する実験結果とヒトの結膜炎における薬剤の応答性に関する実験結果が同様の傾向を示す場合があることや,ラット,モルモットのある組織の肥満細胞の実験結果とヒトの結膜における肥満細胞の実験結果が同様の傾向を示す場合があることを否定することはできないのであるから,上記推測に基づいて実験で効果を確認してみることは,当業者が容易に想到することができたものである。
ウ 以上のとおり,本件審決における相違点5の容易想到性の判断には誤りがある。
? 相違点6の容易想到性の判断の誤り 本件審決は,ヒト結膜肥満細胞を安定化する作用を有すると予測することはできないことを根拠として,相違点6は容易に想到できないと判断した。
しかし,前記?イのとおり,引用例3に記載された推測及び本件特許の優先日当時の技術常識から,当業者であれば,実験によりヒト結膜肥満細胞を安定化する作用を確認してみることを容易に想到することができたものである。
したがって,本件審決における相違点6の容易想到性の判断には誤りがある。
〔被告らの主張〕 引用例2及び引用例3は,何ら実証することなく,単に一般論として,様々な動物種における様々な組織における肥満細胞を十把一絡げにして肥満細胞の安定化について記載するにすぎず,その実施例も,肥満細胞の安定化を示す実験ではなく,ヒト結膜肥満細胞とも全く関係しない。
したがって,相違点5及び6について,引用例2及び引用例3の記載に基づき,実験によりヒト結膜肥満細胞を安定化する効果を確認してみることは容易に想到することができたとの原告の主張は,理由がない。
当裁判所の判断
1 本件各発明について 16 ? 本件各発明に係る特許請求の範囲請求項1及び請求項5の記載は,前記第2の2のとおりであるところ,本件明細書には,おおむね,以下の記載がある(下記記載中に引用する表1については,別紙本件明細書図表目録を参照。)。
ア 発明の分野 本発明は,アレルギー性結膜炎,春季カタル,春季角結膜炎,巨大乳頭結膜炎などのアレルギー性眼疾患を処置するために用いられる局所的眼科用処方物に関する。
さらに詳しくは,本発明は11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸のアレルギー性眼疾患を処置するためおよび/または予防するための治療上および予防上の局所使用に関する。(3頁3行〜9行) イ 関連技術の説明 米国特許第4,871,865号および第4,923,892号(…「Burroughs Wellcome特許」)において教示されるように,11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-カルボン酸および11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2(E)-アクリル酸を含むドキセピンのあるカルボン酸誘導体は,抗ヒスタミン活性および抗喘息活性を有する。これらの2つの特許は,ドキセピンのカルボン酸誘導体を,抗ヒスタミン作用を有する肥満細胞安定剤として分類する。…Burroughs Wellcome特許は両方とも,開示される様々な薬学的処方物が獣医学的使用およびヒトへの医学的使用の両者に有効であることを請求しているが,どちらの特許もドキセピンのカルボン酸誘導体がヒトにおいて活性を有することを示す例を含んでいない。…しかし,齧歯類に存在する肥満細胞のタイプが,ヒトの肥満細胞のタイプとは異なることは,現在十分に確立されている。…さらに,肥満細胞の集団は,表現型,生化学的特性,機能的および薬理学的応答,および個体発生において異なる同じ種内に存在する。
種間および種内の両者の肥満細胞で認められるこれらの差異は,肥満細胞の不均一 17 性と呼ばれる。…異なる肥満細胞は薬理学的薬剤に異なる応答を示すため,抗アレルギー剤(「肥満細胞安定剤」)として請求される化合物が,特定の肥満細胞集団における臨床上の有用性を有するかどうかは明らかでない。肥満細胞が同種の集団であり,それゆえにラット肥満細胞における実験で認められた抗アレルギー薬の効果がヒトの細胞における効果を予測するという仮定は,間違っていることが知られている。…(3頁10行〜4頁20行) ウ 結膜肥満細胞活性を有する薬物を含有する局所的眼科用処方物は,2〜4時間毎に1回適用する代わりに,12〜24時間毎に1回適用する必要があり得るのみである。実際にはヒトの結膜肥満細胞安定化活性を有しない,報告されている抗アレルギー薬の眼科用の使用の1つの不利な点は,増大した投薬頻度である。結膜肥満細胞活性を有しない薬物を含有する眼科用処方物の効果は主としてプラセボ効果から生じるため,代表的には,結膜肥満細胞活性を示す薬物よりも頻繁な投薬が必要とされる。…必要とされるものは,アレルギー性眼疾患を処置するための標的細胞であるヒト結膜から得られる肥満細胞に対して安定化活性を示す,局所的に投与可能な薬物化合物である。…(5頁10行〜6頁6行) エ 発明の要旨 本発明は,局所的眼科用処方物を眼に投与する工程により特徴づけられる,アレルギー性眼疾患を処置する方法を提供する。ここでこの局所的眼科用処方物は,治療的有効量の11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸(化合物A),またはその薬学的に受容可能な塩を含有する。この処方物は,化合物Aのシス異性体(Z-11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸),化合物Aのトランス異性体(E-11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸),または化合物Aのシス異性体及びトランス異性体の両者の組み合わせを含有し得,そして他の点で特定しない限り,「11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒド 18 ロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸」または「化合物A」は,シス異性体,トランス異性体又は両者の混合物を意味する。…化合物Aは,ヒト結膜肥満細胞安定化活性を有し,いくつかの場合において,1日1回または2回の数少ない頻度で適用され得る。化合物Aはまた,その肥満細胞安定化活性の他に,顕著な抗ヒスタミン活性を有する。従って,予防効果の他に,化合物Aはまた治療効果も有する。
(6頁7行〜29行) オ 発明の詳細な説明 化合物Aは,公知の化合物であり,化合物Aのシスおよびトランス異性体の両者は,米国特許第5,116,863号…に開示される方法により得ることができる。
…ヒト結膜から得られた肥満細胞(アレルギー性結膜炎の処置に有用であると請求されている局所的眼科用薬物調製物に対する標的細胞)における,報告されている抗アレルギー性の肥満細胞安定剤の阻害効果を,以下の実験方法に従って試験した。
器官/組織提供者から得られたヒト結膜組織の重量を測定し,…5000個の肥満細胞を含む細胞懸濁液をTGCMを入れたチューブに加え,抗ヒトIgEを用いてチャレンジした。…結果を以下の表1に報告する。表1が明らかに示すように,抗アレルギー薬であるクロモグリク酸二ナトリウムおよびネドクロミルナトリウムは,ヒト結膜肥満細胞脱顆粒を有意に阻害することができなかった。対照的に,化合物A(シス異性体)は,肥満細胞脱顆粒の濃度依存的な阻害を引き起こした。(7頁1行〜9頁7行) カ 化合物Aは,溶液,懸濁液またはゲルなどの従来の局所的眼科用処方物によって眼に投与され得る。化合物Aの局所的な眼科用投与のための好ましい処方物は,溶液である。溶液は点眼剤として投与される。本発明の局所的眼科用処方物中での化合物Aの好ましい形態は,シス異性体である。本発明の点眼剤を調製する一般的な方法を,以下に記載する。化合物Aおよび等張剤を滅菌精製水に加え,必要ならば,保存剤,緩衝剤,安定剤,粘性のビヒクルなどを溶液に加え,そこに溶解させる。化合物Aの濃度は,滅菌精製水に基づいて,0.0001から5w/v%,好ま 19 しくは0.001から0.2w/v%であり,そして最も好ましくは約0.1w/v%である。溶解後,pHを,眼科学的医薬としての使用に許容される範囲内,好ましくは4.5から8の範囲内に,pH調製剤を用いて調製する。…上記方法によって生産された点眼剤は,代表的には,1度に1から数滴の量を,1日2,3回,眼に適用することだけを必要とする。しかし,より重篤な場合には,点眼薬は1日数回適用され得る。代表的な点眼量は約30μlである。(13頁1行〜14頁13行) ? 前記?によれば,本件各発明の特徴は,以下のとおりであると認められる。
ア 本件各発明は,化合物Aのアレルギー性眼疾患を処置するため及び/又は予防するための治療上及び予防上の局所使用に関する。(前記?ア) イ 化合物Aは,ヒト結膜肥満細胞安定化活性を有し,いくつかの場合において,1日1回又は2回の数少ない頻度で適用され得る。(前記?エ) ウ ヒト結膜から得られた肥満細胞における抗アレルギー性の肥満細胞安定剤の阻害効果について試験したところ,化合物A(シス異性体)は,肥満細胞脱顆粒の濃度依存的な阻害を引き起こした。(表1)(前記?オ) エ 本件各発明の点眼剤を調製する一般的な方法は,化合物A及び等張剤を滅菌精製水に加え,必要ならば,保存剤,緩衝剤,安定剤,粘性のビヒクルなどを溶液に加え,そこに溶解させる。化合物Aの濃度は,滅菌精製水に基づいて,0.0001から5w/v%,好ましくは0.001から0.2w/v%であり,最も好ましくは約0.1w/v%である。溶解後,pHを,眼科学的医薬としての使用に許容される範囲内,好ましくは4.5から8の範囲内に,pH調製剤を用いて調製される。(前記?カ) 2 引用発明1について ? 引用例1(甲1)には,おおむね次の記載がある。
ア 抗原誘発およびヒスタミン誘発結膜炎に対する各種抗アレルギー薬の影響を,モルモットを用いて検討した。その結果,chlorpheniramine,ketotifenおよびKW-4679の点眼は,抗原誘発結膜炎よりもヒスタミ 20 ン誘発結膜炎に対してより強力な抑制効果を示した。(603頁中段の要約) イ はじめに アレルギー性結膜炎の治療には,chlorpheniramineやketotifenなどの抗ヒスタミン作用を有する薬物が広く用いられている。(603頁左欄1〜4行) ウ 実験方法 2.結膜炎症状の定量化 結膜炎の程度は,つぎのように定めた. Score1:軽度の充血を示すもの. Score2:強度の充血を示すもの. Score3:充血に軽度〜中等度の浮腫が加わったもの. Score4:著明な浮腫が生じたもの. 3.結膜からのヒスタミン遊離 抗原点眼15分後に結膜を切除し,重量を測定した後,生理食塩液で洗浄した。
その後,…ホモジナイズし,…遠心し,その上清を凍結保存した。その後,…解凍遠心分離し,上清のヒスタミン含量をHPLC(高速液体クロマトグラフィー)で定量した。
4.涙液中ヒスタミン含量の測定 抗原点眼15分後に,生理食塩液を点眼した後回収し,…遠心分離し,上清のヒスタミン含量をHPLCで測定した。
(604頁左欄1行〜右欄2行) エ 実験成績 1.抗原誘発結膜炎に対する効果 感作モルモットの結膜に抗原液(20mg/ml)を点眼して誘発したアレルギー性結膜炎に対する各種抗アレルギー薬の影響を図1に示した。…KW-4679は10および100ng/μlの濃度で有意な抑制作用を示した。… 21 2.抗原誘発およびヒスタミン誘発結膜炎に対する効果 表1に抗原およびヒスタミン誘発結膜炎に対する各種抗アレルギー薬の効果を,IC? ? 値で示した。chlorpheniramine,ketotifenおよびKW-4679は,ヒスタミン誘発結膜炎を抗原誘発結膜炎よりもより強く抑制した。… 3.結膜からのヒスタミン遊離に対する作用 結果は,図2に示したごとく,…chlorpheniramine,ketotifenおよびKW-4679の効果は有意ではなかった。
4.涙液中のヒスタミン含量に対する効果 抗原点眼前のモルモット涙液中のヒスタミン含量は1.7±0.4ng/mlであったが,抗原点眼後,ヒスタミン含量は約5倍に増加した(8.6±0.8ng/ml)。levocabastineおよびamlexanoxを抗原適用15分前に点眼しておいた場合,抗原抗体反応による涙液中のヒスタミン含有量の増加は,有意に抑制された。chlorpheniramine,ketotifenおよびKW-4679は,有意な効果を示さなかった。
(604頁右欄3行〜605頁左欄19行) オ 以上の知見より,chlorpheniramine,ketotifenおよびKW-4679は主としてこれらの薬物が有する抗ヒスタミン作用により抗原抗体反応による結膜炎を抑制したのではないかと考えられる。(605頁左欄26行〜29行) カ 一方,levocabastineおよびamlexanoxは抗原抗体反応による結膜からのヒスタミン遊離を抑制するのではないかと考えられる。そこで,抗原抗体反応による結膜からのヒスタミン遊離に対する各薬物の効果を検討したところ,両薬物は有意な抑制効果を示した。chlorpheniramine,ketotifenおよびKW-4679は無効であった。(605頁左欄29行〜34行) 22 ? 引用例1記載の発明 前記?によれば,引用例1には,アレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤が記載されていることが認められる。なお,KW-4679は,「Z-11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸」の塩酸塩(化合物AのZ体(シス異性体)の塩酸塩)である(甲2の1・2)。よって,引用例1記載のKW-4679は,本件発明1の「11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸」(化合物A)の「薬学的に受容可能な塩」に相当するとともに,本件発明2の「(Z)-「11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸」(化合物Aのシス異性体)に相当するものである。
以上のとおり,引用例1には,アレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679(化合物Aのシス異性体の塩酸塩)を含有する点眼剤が記載されていることが認められる。
3 取消事由1(引用発明1に基づく進歩性判断の誤り)について ? 本件各発明と引用例1記載の発明との対比 引用例1記載の発明は,前記2?のとおりであることから,同発明と本件各発明とは,前記第2の3?記載のとおりの相違点1ないし4を有するものと認められ,この点は当事者間に争いがない。
? 確定した前訴判決の判断 前訴判決(甲84) 「取消事由3 は, (甲1を主引例とする進歩性の判断の誤り)」と題する項目において,本件特許の優先日当時における技術常識について後記アのとおり認定し,それを踏まえて,後記イのとおり,引用例1及び引用例2に接した当業者は,KW-4679を「ヒト結膜肥満細胞安定化剤」の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められ,引用例1を主引例とする進歩性欠如の原告主張の無効理由は理由がないとした第2次審決の判断は,誤りであると判 23 断した。
ア 本件特許の優先日当時の技術常識 (ア) ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発に係る技術常識 抗アレルギー薬は,その作用機序によって,肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどの各種の化学伝達物質に対する拮抗作用を有する薬剤,それらの化学伝達物質の肥満細胞からの遊離抑制作用を有する薬剤の二つに大別され,ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発においても,この二つの作用を確認することが一般的に行われていた。
ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発において,ヒトのアレルギー性結膜炎に類似するモデルとしてラット,モルモットの動物結膜炎モデルが作成され,点眼効果等の薬剤の効果判定に用いられていた。
本件特許の優先日当時販売されていたヒトにおける抗アレルギー点眼剤の添付文書(「薬効・薬理」欄)には,各有効成分がラット,モルモットの動物結膜炎モデルにおいて結膜炎抑制作用を示したことや,ラットの腹腔肥満細胞等からのヒスタミンなどの化学伝達物質の遊離抑制作用を示したことが記載されていた。
(83頁18行〜84頁15行) (イ) 肥満細胞の不均一性 本件特許の優先日当時,薬剤による肥満細胞に対するヒスタミン遊離抑制作用は,肥満細胞の種又は組織が異なれば異なる場合があり,ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結果から他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を必ずしも予測することができないというのが技術常識であった。
しかし,ラット,モルモットの動物結膜炎モデルにおける薬剤の応答性に関する実験結果とヒトの結膜炎における薬剤の応答性に関する実験結果が同様の傾向を示す場合があることや,ラット,モルモットのある組織の肥満細胞の実験結果とヒトの結膜における肥満細胞の実験結果が同様の傾向を示す場合があることを否定することはできず,肥満細胞の不均一性は,ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結 24 果から他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を必ずしも予測することができないというのにとどまる。
(85頁25行〜86頁7行,87頁5行〜13行) イ 第2次訂正後の各発明の容易想到性 (ア) 引用例1には,アレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679(化合物Aのシス異性体の塩酸塩)を含有する点眼剤が記載され,また,モルモットに抗原誘発及びヒスタミン誘発したアレルギー性結膜炎に対する各種抗アレルギー薬の影響を検討した結果,KW-4679の点眼は,10及び100ng/μlの濃度で,抗原誘発したアレルギー性結膜炎症に有意な抑制作用を示したこと,及び抗原誘発結膜炎よりもヒスタミン誘発結膜炎に対してより強力な抑制効果を示したことが記載されている。
そして,本件特許の優先日当時,ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発において,ヒトのアレルギー性結膜炎に類似するモデルとしてラット,モルモットの動物結膜炎モデルが作製され,点眼効果等の薬剤の効果判定に用いられていたこと,本件特許の優先日当時販売されていたヒトにおける抗アレルギー点眼剤の添付文書(「薬効・薬理」欄)には,各有効成分がラット,モルモットの動物結膜炎モデルにおいて結膜炎抑制作用を示したことや,ラットの腹腔肥満細胞等からのヒスタミン等の化学伝達物質の遊離抑制作用を示したことが記載されていたことからすると,引用例1に接した当業者は,引用例1には,KW-4679が「ヒト」の結膜肥満細胞に対してどのように作用するかについての記載はないものの,引用例1記載のアレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みる動機付けがあるものと認められる。
(88頁7行〜89頁2行) (イ) そして,本件特許の優先日当時,ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発において,当該薬剤における肥満細胞から産生・遊離されるヒス 25 タミンなどの各種の化学伝達物質(ケミカルメディエーター)に対する拮抗作用とそれらの化学伝達物質の肥満細胞からの遊離抑制作用の二つの作用を確認することが一般的に行われていたことから,当業者は引用例1記載のKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みるに際し,KW-4679が上記二つの作用を有するかどうかの確認を当然に検討するものといえる。(89頁3行〜11行) (ウ) 加えて,引用例2には,化合物20(化合物A)を含む一般式で表される化合物(T)のPCA抑制作用について,皮膚肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーターの遊離の抑制作用に基づくものと考えられるとの記載がある。
この記載は,ヒスタミン遊離抑制作用を確認した実験に基づく記載ではないものの,化合物(T)の薬理作用の一つとして肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーターの遊離抑制作用があることの仮説を述べるものであり,その仮説を検証するために,化合物Aについて肥満細胞からのヒスタミンなどの遊離抑制作用があるかどうかを確認する動機付けとなるものといえる。(89頁12行〜23行) (エ) 前記(イ)の事情に加えて,本件特許の優先日当時,薬剤による肥満細胞に対するヒスタミン遊離抑制作用は,肥満細胞の種又は組織が異なれば異なる場合があり,ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結果から他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を必ずしも予測できないというのが技術常識であったことに鑑みると,引用例1に,モルモットの動物結膜炎モデルにおける実験においてKW-4679がヒスタミン遊離抑制作用を有さなかったことが記載されていることは,KW-4679がヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有するかどうかを確認する動機付けを否定する事由にはならない。(90頁17行〜91頁8行) (オ) 以上によれば,引用例1及び引用例2に接した当業者は,引用例1記載のアレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みる動機付けがあり,そ 26 の適用を試みる際に,KW-4679が,ヒト結膜の肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどに対する拮抗作用を有することを確認するとともに,ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有することを確認する動機付けがあるというべきであるから,KW-4679についてヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用(ヒト結膜肥満細胞安定化作用)を有することを確認し,ヒト結膜肥満安定化剤の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められる。
したがって,第2次訂正後の各発明における「ヒト結膜肥満細胞安定化」という発明特定事項は,引用例1及び引用例2に記載のものからは動機付けられたものとはいえないとして,引用例1を主引例とする進歩性欠如の原告主張の無効理由は理由がないとした第2次審決の判断は,誤りである。
(91頁9行〜23行) ? 本件審決の判断 本件審決は,確定した前訴判決の拘束力(行政事件訴訟法33条1項)により,相違点1及び相違点2については,いずれも引用例1及び引用例2に接した当業者が容易に想到することができたものであるとされ,相違点3については,単なる設計事項にすぎないとしつつ,化合物Aは「ヒト結膜肥満細胞」に対して優れた安定化効果(高いヒスタミン放出阻害率)を有すること,また,AL-4943A(化合物Aのシス異性体)は最大値のヒスタミン放出阻害率を奏する濃度の範囲が非常に広いことは,いずれも引用例1,引用例3及び本件特許の優先日当時の技術常識から当業者が予測し得ない格別顕著な効果であり,進歩性を判断するにあたり,引用発明1と比較した有利な効果として参酌すべきものであるとして,本件各発明は当業者が容易に発明できたものとはいえないと判断したものである。
? 本件各発明の効果について ア 発明の容易想到性は,主引用発明に副引用発明を適用する動機付けや阻害要因の有無のほか,当該発明における予測し難い顕著な効果の有無等も考慮して判断 27 されるべきものである。そして,当該発明の効果を考慮するに当たっては,その効果が明細書に記載されていること,又は,その効果は明細書に記載されていないが,明細書又は図面の記載から当業者がその効果を推論できることが必要である。本件明細書には,本件各発明の効果に関し,以下の点が開示されている。
(ア) 化合物Aは,ヒト結膜肥満細胞安定化活性を有し,いくつかの場合において,1日1回又は2回の数少ない頻度で適用され得る。化合物Aはまた,その肥満細胞安定化活性の他に,顕著な抗ヒスタミン活性を有する。従って,予防効果の他に,化合物Aはまた治療効果も有する。(6頁26行〜29行) (イ) ヒト結膜から得られた肥満細胞…における,報告されている抗アレルギー性の肥満細胞安定剤の阻害効果を,以下の実験方法に従って試験した。…表1が明らかに示すように,抗アレルギー薬であるクロモグリク酸二ナトリウムおよびネドクロミルナトリウムは,ヒト結膜肥満細胞脱顆粒を有意に阻害することができなかった。対照的に,化合物A(シス異性体)は,肥満細胞脱顆粒の濃度依存的な阻害を引き起こした。(7頁13行〜9頁7行,表1) (ウ) 本発明の点眼剤を調製する一般的な方法を,以下に記載する。…化合物Aの濃度は,滅菌精製水に基づいて,0.0001から5w/v%,好ましくは0.001から0.2w/v%であり,そして最も好ましくは約0.1w/v%である。
溶解後,pHを,眼科学的医薬としての使用に許容される範囲内,好ましくは4.5から8の範囲内に,pH調製剤を用いて調製する。…上記方法によって生産された点眼剤は,代表的には,1度に1から数滴の量を,1日2,3回,眼に適用することだけを必要とする。しかし,より重篤な場合には,点眼薬は1日数回適用され得る。代表的な点眼量は約30μlである。(13頁5行〜14頁13行) イ これらの記載によれば,本件明細書に接した当業者は,本件明細書に記載された実験(結膜肥満細胞を培養した細胞集団に薬剤を投じて同細胞からのヒスタミン遊離抑制率を測定する実験)において,化合物A(シス異性体)のヒト結膜組織肥満細胞からのヒスタミン放出の阻害率は,300μMで29.6%,600μM 28 で47.5%,1000μMで66.7%,2000μMで92.6%を記録し,30μMから2000μMまでの濃度範囲内において濃度の増加とともに上昇し,1000μMでは66.7%という高いヒスタミン放出阻害効果を示し,その2倍の濃度である2000μMでも同92.6%という高率を維持していたこと,これに対し,抗アレルギー薬として知られるクロモグリク酸二ナトリウム及びネドクロミルナトリウムが,2000μMまでの濃度範囲でヒト結膜組織肥満細胞からのヒスタミン放出を有意に阻害することができなかったことを認識するものというべきである。
他方,本件明細書には,2000μMを超える濃度における化合物Aのヒスタミン放出阻害率を測定した実験結果等,2000μMを超える濃度においても化合物Aが広い範囲で高いヒスタミン放出阻害効果を有することについて説明した記載や,これを示唆する記載は存在せず,本件特許の優先日当時の技術水準に鑑みても,本件明細書の記載から,当業者において上記効果を推論できたことを認めるに足りる証拠はない。したがって,本件発明1の顕著な効果の有無を判断する際に,2000μMを超える濃度における化合物Aのヒスタミン放出阻害効果を本件発明1の効果として参酌することはできない。なお,本件特許の優先日後に頒布された甲39には,本件明細書に記載された上記実験と同様の実験方法により,AL-4943A(化合物Aのシス異性体)の濃度(用量)が2000μM程度に至っても用量依存的に上昇し,10000μMまで濃度が上昇しても90%程度の阻害率を示したことが記載されているが,当業者において,本件明細書から2000μMを超えて濃度依存的な阻害を引き起こすものと推論できない以上,本件発明1の顕著な効果の有無を判断する際に,その内容を参酌することはできない。
ウ 本件発明1の効果について 確定した前訴判決によれば,引用例1及び引用例2に接した当業者は,引用例1記載のアレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679(化合物Aのシス異性体の塩酸塩)を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として 29 適用することを試みる際に,KW-4679についてヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用(ヒト結膜肥満細胞安定化作用)を有することを確認し,ヒト結膜肥満安定化剤の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められ,この点は当事者間に争いがない。そうすると,化合物Aがヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有すること自体は,当業者にとって予測し難い顕著なものであるということはできない。
また,引用例1及び引用例2には,化合物Aがヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有するか否か及び同作用を有する場合にどの程度の効果を示すのかということについて,明示的な記載はされていないものの,甲20等には,本件特許の優先日前にスギ花粉症患者11例ないし30例に対して,化合物A以外の化合物について,抗原による眼誘発試験(スギ抗原液を点眼することによるアレルギー反応誘発試験)を行い,点眼液の点眼後5分後及び10分後の涙液中のヒスタミン遊離抑制率を測定した結果,@0.0003%塩酸プロカテロール点眼液では,誘発5分後で平均79.0%及び誘発10分後で平均82.5%,同0.001%点眼液では,誘発5分後で平均81.6%及び誘発10分後で89.5%,同0.003%点眼液では,誘発5分後で平均81.7%及び誘発10分後で90.7%を(甲20),A0.05%ケトチフェン点眼液では,誘発5分後で平均67.5%及び誘発10分後で平均67.2%を(甲32),B2%クロモグリク酸二ナトリウム点眼液では,誘発5分後で平均73.8%及び誘発10分後で平均67.5%を(甲34),C0.25%ペミロラストカリウム点眼液では,誘発5分後で平均71.8%及び誘発10分後で平均61.3%,同0.1%点眼液では,誘発5分後で平均69.6%及び誘発10分後で平均69.0%を(甲37),それぞれ記録した旨が開示されている。
そうすると,当業者の本件特許の優先日における技術水準として,化合物Aのほかに,所定濃度を点眼することにより約70%ないし90%程度の高いヒスタミン放出阻害率を示す化合物が複数存在すること,その中には2.5倍から10倍程度 30 の濃度範囲にわたって高いヒスタミン放出阻害効果を維持する化合物も存在することが認められる。
以上のとおり,本件特許の優先日において,化合物A以外に,ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出に対する高い抑制効果を示す化合物が存在することが知られていたことなどの諸事情を考慮すると,本件明細書に記載された,本件発明1に係る化合物Aを含むヒト結膜肥満細胞安定化剤のヒスタミン遊離抑制効果が,当業者にとって当時の技術水準を参酌した上で予測することができる範囲を超えた顕著なものであるということはできない。なお,本件発明1の顕著な効果の有無を判断する際に,甲39の内容を参酌することができないことについては,前記イのとおりであるが,仮にその内容を参酌したとしても,上記のとおり,本件特許の優先日において,化合物A以外に,高いヒスタミン放出阻害率を示す化合物が複数存在し,その中には2.5倍から10倍程度の濃度範囲にわたって高いヒスタミン放出阻害効果を維持する化合物も存在したことを考慮すると,甲39に記載された,本件発明1に係る化合物Aを含むヒト結膜肥満細胞安定化剤のヒスタミン遊離抑制効果が,当業者にとって当時の技術水準を参酌した上で予測することができる範囲を超えた顕著なものであるということもできない。
したがって,本件発明1の効果は,当業者において,引用発明1及び引用発明2から容易に想到する本件発明1の構成を前提として,予測し難い顕著なものであるということはできず,本件審決における本件発明1の効果に係る判断には誤りがある。
エ 本件発明2について 本件発明2は,本件発明1について,化合物Aがさらに「ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出を66.7%以上阻害する」という発明特定事項を付加するものである。
そして,「ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出を66.7%以上阻害する」点は,前記ウと同じ理由により,引用発明1及び引用発明2から容易に想到する本件 31 発明2の構成を前提として,予測し難い顕著なものであるということはできないことから,本件審決における本件発明2の効果に係る判断にも誤りがある。
? 被告らの主張について ア 被告らは,引用例1には,抗原体反応による結膜からのヒスタミン遊離に対する各薬物の効果を検討したところ,KW-4679(化合物Aのシス異性体の塩酸塩)は無効であったとの記載があるため,引用例1から,化合物Aのヒト結膜肥満細胞の安定化として当業者が予測したであろう効果は,せいぜい,「引用例1のとおりヒト結膜肥満細胞安定化を全くしないであろうが,もしかしたら,5%や10%であれ多少なりとも安定化をするかもしれない」という程度のものにすぎない旨主張する。
しかし,確定した前訴判決は,本件特許の優先日当時,薬剤による肥満細胞に対するヒスタミン遊離抑制作用は,肥満細胞の種又は組織が異なれば異なる場合があり,ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結果から他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を必ずしも予測できないというのが技術常識であった旨認定しており,証拠(甲7,10,13〜18,23,41,42,101〜103,127〜129)によれば,本件特許の優先日当時,上記技術常識が存在したものと認められる。また,前訴判決は,引用例1に,モルモットの動物結膜炎モデルにおける実験においてKW-4679がヒスタミン遊離抑制作用を有さなかったことが記載されていることは,KW-4679がヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有するかどうかを確認する動機付けを否定する事由にはならないとした上で,ヒト結膜肥満安定化剤の用途に適用することを容易に想到することができたと判断したものである。上記のような技術常識に鑑みると,引用例1に,モルモットの動物結膜炎モデルにおける実験においてKW-4679がヒスタミン遊離抑制作用を有さなかったことが記載されていることのみをもって,本件特許の優先日において,当業者が,本件各発明に係る化合物Aにヒスタミン放出阻害効果が全くないと予測したと認めることはできず,仮に同効果があったとしてもその阻害 32 率がせいぜい5%や10%であると予測したと認めることもできない。被告らの主張は,確定した前訴判決の前記認定判断と相反するものである。
イ 被告らは,甲20等に記載された実験はインビボ試験であり,本件発明2が前提とする実験条件とは全く異なるため,本件発明2の比較対象となり得ない,甲20等に記載された化合物のうち幾つかについては,本件発明2が前提とする実験条件と同一の実験条件において,かつ,本件発明2の化合物と比較して測定した実験結果が記載された乙1には,本件発明2の化合物がそれらの化合物よりも顕著に高いヒト結膜肥満細胞安定化効果を示すことが記載されている,甲20等に記載のインビボ試験においては,一般に正確な定量・評価・比較が非常に困難であり,実験条件・実験手法の妥当性にも疑問が残るなどとして,甲20等に記載された実験結果に基づいて本件発明2の顕著な効果を否定することはできない旨主張し,大野重明医師の意見書(乙3)中には,これに沿う部分がある。
しかし,甲20等に記載された実験方法は,実際のヒト(スギ花粉症患者)の眼に薬剤を投与するもの(インビボ実験)であり,本件明細書や乙1に記載されたヒト結膜肥満細胞を培養した細胞集団に薬剤を投与するもの(インビトロ実験)とは実験方法が全く異なるものであるから,特定の化合物におけるヒスタミン遊離抑制率について両実験の実験結果に一致しない点があるとしても,それをもって直ちに,甲20等の実験結果がおよそ信用性に欠けるものであり,本件特許の優先日における技術水準を認定するに当たり参酌し得ないものということはできない。
また,甲20等に記載された実験方法は上記のとおりであり,ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制率を測定するものとして,特段不合理な点はない。被告らの主張は,甲20等に記載された実験方法,実験結果等のどの部分に技術的な問題があるのか具体的に指摘するものではなく,客観的裏付けを欠くものであって,採用できない。
? 小括 よって,取消事由1は理由がある。
33 4 結論 以上のとおりであるから,その余の点について判断するまでもなく,本件審決を取り消すこととし,主文のとおり判決する。
なお,本件審判の審理について付言する。
特許無効審判事件についての審決の取消訴訟において審決取消しの判決が確定したときは,審判官は特許法181条2項の規定に従い当該審判事件について更に審理,審決をするが,再度の審理,審決には,行政事件訴訟法33条1項の規定により,取消判決の拘束力が及ぶ。そして,この拘束力は,判決主文が導き出されるのに必要な事実認定及び法律判断にわたるものであるから,審判官は取消判決の認定判断に抵触する認定判断をすることは許されない。したがって,再度の審判手続において,審判官は,取消判決の拘束力の及ぶ判決理由中の認定判断につきこれを誤りであるとして従前と同様の主張を繰り返すこと,あるいは上記主張を裏付けるための新たな立証をすることを許すべきではない。また,特定の引用例から当該発明を特許出願前に当業者が容易に発明することができたとの理由により,容易に発明することができたとはいえないとする審決の認定判断を誤りであるとしてこれが取り消されて確定した場合には,再度の審判手続に当該判決の拘束力が及ぶ結果,審判官は同一の引用例から当該発明を特許出願前に当業者が容易に発明することができたとはいえないと認定判断することは許されない(最高裁昭和63年(行ツ)第10号平成4年4月28日第三小法廷判決・民集46巻4号245頁参照)。
前訴判決は,「取消事由3(甲1を主引例とする進歩性の判断の誤り)」と題する項目において,引用例1及び引用例2に接した当業者は,KW-4679についてヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用(ヒト結膜肥満細胞安定化作用)を有することを確認し,ヒト結膜肥満安定化剤の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められるとして,引用例1を主引用例とする進歩性欠如の無効理由は理由がないとした第2次審決を取り消したものである。特に,第2次審決及び前訴判決が審理の対象とした第2次訂正後の発明1は,本件審決が 34 審理の対象とした本件発明1と同一であり,引用例も同一であるにもかかわらず,本件審決は,本件発明1は引用例1及び引用例2に基づき当業者が容易に発明できたものとはいえないとして,本件各発明の進歩性を認めたものである。
発明の容易想到性については,主引用発明に副引用発明を適用する動機付けや阻害要因の有無のほか,当該発明における予測し難い顕著な効果の有無等も考慮して判断されるべきものであり,当事者は,第2次審判及びその審決取消訴訟において,特定の引用例に基づく容易想到性を肯定する事実の主張立証も,これを否定する事実の主張立証も,行うことができたものである。これを主張立証することなく前訴判決を確定させた後,再び開始された本件審判手続に至って,当事者に,前訴と同一の引用例である引用例1及び引用例2から,前訴と同一で訂正されていない本件発明1を,当業者が容易に発明することができなかったとの主張立証を許すことは,特許庁と裁判所の間で事件が際限なく往復することになりかねず,訴訟経済に反するもので,行政事件訴訟法33条1項の規定の趣旨に照らし,問題があったといわざるを得ない。
裁判長裁判官 部眞規子
裁判官 山門優
裁判官 片瀬亮