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関連審決 異議1998-70036
この判例には、下記の判例・審決が関連していると思われます。
審判番号(事件番号) データベース 権利
平成13ワ17772特許権持分確認等請求事件 判例 特許
平成10ワ16832補償金請求事件 平成12ワ5572補償金請求事件 判例 特許
平成15ネ4867「窒素磁石」に係る発明の対価請求控訴事件 判例 特許
平成12ワ3563特許権に基づく損害賠償請求事件 判例 特許
平成13受1256補償金請求事件 判例 特許
関連ワード 特許を受ける権利 /  承継 /  発明者 /  考案者 /  職務発明 /  自由発明 /  業務範囲 /  予約承継 /  相当の対価(相当な対価) /  協議 /  黙示の合意 /  共同発明 /  先行技術 /  共有 /  債務不履行 /  善意 /  ライセンス /  特許発明 /  実施 /  侵害 /  共同発明者 /  同意 /  実施権 /  専用実施権 /  通常実施権 /  実施許諾(実施の許諾) /  設定登録 /  移転登録 /  対価 /  請求の範囲 /  釈明 /  公序良俗 /  異議申立 / 
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事件 平成 13年 (ワ) 17772号 特許権持分確認等請求事件
原告N
訴訟代理人弁護士升永英俊
訴訟復代理人弁護士上山浩
同 荒井裕樹
同 江口雄一郎
被告日亜化学工業株式会社
訴訟代理人弁護士品川澄雄
同 吉利靖雄
同 内田敏彦
同 宮原正志
裁判所 東京地方裁判所
判決言渡日 2002/09/19
権利種別 特許権
訴訟類型 民事訴訟
主文 別紙特許権目録記載の特許権に係る発明についての特許を受ける権利が被告に承継された旨の被告の主張は,理由がある。
事実及び理由
全容
第1原告の請求1主位的請求(1)被告は,原告に対し,別紙特許権目録記載の特許権につき,持分1000分の1の移転登録手続をせよ。
(2)被告は,原告に対し,1億円及びこれに対する平成13年8月23日(訴訟提起の日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2予備的請求(その1)(1)被告は,原告に対し,別紙特許権目録記載の特許権につき,持分1000分の1の移転登録手続をせよ。
(2)被告は,原告に対し,1億円及びこれに対する平成13年8月23日(訴訟提起の日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3予備的請求(その2)被告は,原告に対し,20億円及びこれに対する平成13年8月23日(訴訟提起の日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要1訴えの要旨原告は,被告会社の元従業員であり,被告会社在職中に別紙特許権目録記載の特許権に係る発明をした(以下,同目録記載の特許権を「本件特許権」といい,同特許権に係る発明を「本件発明」という。。)原告は,本件発明についての特許を受ける権利は,本件発明の完成と同時に発明者である原告に原始的に帰属し,その後,現在に至るまで被告に承継されていないと主張して,被告に対し,主位的に,一部請求として本件特許権の一部(共有持分)の移転登録を求めるとともに,被告が本件特許権を過去に使用して得た利益につき不当利得の返還の一部として,1億円及び遅延損害金の支払を求めている(前記第1の1 。)原告は,予備的に,仮に本件発明についての特許を受ける権利職務発明として被告に承継されている場合には,特許法35条3項に基づき,発明の相当対価の一部請求として,本件特許権の一部(共有持分)の移転登録並びに1億円及び遅延損害金の支払を求めるとしている(前記第1の2 。)また,仮に,特許法35条3項に基づく対価請求として,特許権の一部(共有持分)の移転登録を求めることが許されない場合には,同項に基づき,発明の相当対価の一部請求として,20億円及び遅延損害金の支払を求めるとしている(前記第1の3 。)2前提となる事実(1)被告は,蛍光体や電子工業製品の部品・素材の製造販売及び研究開発等を目的とする株式会社である。
原告は,被告会社の元従業員であり,現在,カリフォルニア大学サンタバーバラ校の教授である。原告は,昭和54年3月,徳島大学工学部修士課程を卒業後,被告会社に入社し,平成11年末に退社するまで,被告会社で半導体発光素子等の研究・開発に従事した。
(2)原告は,平成2年9月ころ,窒素化合物半導体結晶膜の成長方法に関する発明である,本件発明を発明した。
被告会社は,同年10月25日,本件発明につき原告を発明者,被告会社を出願人として特許出願をし,平成9年4月18日,被告会社を特許権者として設定登録(特許第2628404号)を受けた。その後,本件特許権については,特許異議(平成10年異議第70036号)の手続において,訂正請求がされ,明細書の「特許請求の範囲」の記載等が訂正された。本件発明の内容は,本判決末尾添付の特許公報(甲1)及び平成10年異議第70036号異議決定(乙1)に記載されているとおりである。
第3主位的請求に関する当事者の主張1被告の主張本件発明についての特許を受ける権利は,次のとおり,特許法35条の規定により,原告から被告会社に承継されている。
(1)職務発明該当性本件発明は,被告会社の業務範囲に属し,原告が被告会社における職務に属する行為として発明したものである。
(2)昭和60年改正社規第17号の適用被告会社には,昭和56年に取締役会で制定され,昭和60年,平成8年,平成12年及び平成13年に改正された社規第17号が存在する。制定当時の社規第17号(乙6)は,名称を「業務改善提案制度」と称し,その内容は専ら業務改善提案のみに係るものであった。社規第17号は,昭和60年の改正により名称が「発明・考案及び業務改善提案規定」となったが(乙7の1。以下,昭和60年改正後の同社規を「昭和60年改正社規第17号」という,そこでは,従業員が発明・考案を行った時は,その案を所属長を経て特 。)許担当部門に提出し(第5条 ,特許担当部門は,発明・考案の受付及び出願 )手続の点検と弁護士・弁理士への委嘱を行う(第6条)ものとされ,従業員が行った発明・考案に対しては,別途「付則-1 (乙7の2)で定めた基準に 」より,出願時に1万円,権利成立時に1万円の褒賞金を支給する(第10条)ものとされている。本件発明についての特許を受ける権利は,この昭和60年改正社規第17号の適用を受けるものである。
(3)従業員と被告会社との間の停止条件付き譲渡契約被告会社においては,上記社規の昭和60年改正以前から,従業員と被告会社との間に,従業員が発明をした場合に当該発明についての特許を受ける権利は発明の完成と同時に被告に移転するとの暗黙の了解(法律的には停止条件付き譲渡契約)が成立しており,かかる了解の下に,従業員のした職務発明につき被告会社が出願名義人となって出願手続を行ってきた。昭和60年改正社規第17号の発明・考案に関する前記各規定は,このような慣行を踏まえて発明・考案についての取扱手続を明文化したものである。
被告会社の特許担当部門が最初に作成した発明・考案の社内届出用紙であり,昭和60年改正社規第17号の下でも使用されていた「技術保全依頼書 (乙12等参照)には,譲渡証書は組み込まれていない。上記のような黙 」示の停止条件付き譲渡契約が存在する以上,発明・考案がされた後に発明者が改めて個別の譲渡行為を行う必要はないからである。
このように,被告会社においては,昭和60年改正社規第17号の施行前から,従業員と被告会社との間に,従業員が発明を完成したときはその発明に関する特許を受ける権利は,発明の完成と同時に被告会社に移転する旨の黙示の停止条件付き譲渡契約が成立し,昭和60年改正社規第17号の施行後も存続していたものであるが,このような黙示的停止条件付き譲渡契約は,昭和60年改正社規第17号の施行後は,同社規の規定にも依拠するものとなっていた。
被告会社においては,このような黙示の契約の存在を前提に,昭和47年から平成元年11月末までの間に,約170件もの職務発明又は考案が,個別の譲渡証書の作成なしに,被告会社に移転したものとして被告会社により出願された。
本件発明を完成した当時,原告は,従業員と被告会社との間に上記のような黙示的停止条件付き譲渡契約が存在することを十分認識しながら,本件発明の特許出願に要する書類を作成して被告会社に提出したものである。
したがって,本件発明についての特許を受ける権利も,これら多数の職務発明及び考案と同様に,上記黙示の譲渡契約に基づいて被告会社に移転したものである。
(4)本件発明についての原告による権利譲渡また,原告は,本件発明の特許出願に際して作成された社内届出用紙である「特許・実用新案登録出願依頼書 (乙2の1)の表紙裏側の譲渡証書 」に,署名している。譲渡証書の書式は,本判決末尾添付の別紙「譲渡証書」のとおりである。
被告会社においては,上記(3)で述べたとおり,従業員と被告会社との間に黙示の停止条件付き譲渡契約が存在しており,個別の譲渡行為がなくて, , も 発明の完成と同時に被告会社は特許を受ける権利承継するのであるから権利承継のための譲渡証書はそもそも必要でない。上記特許・実用新案登録出願依頼書の表紙裏側の譲渡証書は,特許出願がされた後に特許庁から譲渡証書の提出を要求された場合に備えて,出願実務上の便宜上の理由から定型印刷されているものである(乙32,33参照 。)しかしながら,上記のとおり,原告は本件発明の出願に際して,譲渡証書に署名しているのであるから,仮に権利の移転に個別の譲渡行為が必要であるとの見解に立ったとしても,本件においては,本件発明についての特許を受ける権利につき,原告から被告会社への譲渡行為が存在するということができる。
2原告の反論(1)職務発明該当性の主張について原告は,被告会社において研究開発業務に従事していたが,平成2年ころ,被告会社のA社長から,文書による業務命令により,青色発光ダイオードの研究を中止して,GaAs/GaAlAs系HEMT( High Electron Mobility Transistor高電子移動度トランジスタ)を研究するように命ぜられた。原告は,解雇を覚悟の上で,この業務命令を無視して青色発光ダイオードの研究を継続したものである。したがって,業務命令に反してされた研究から生み出された本件発明は,被告会社の業務範囲外であり原告の職務外のものであるから,いわゆる 自由発明 に該当するものであって そもそも職務発明に該当しない な 「」, (お,仮に,本件発明が職務発明に該当するとしても,上記の事情は,特許法35条3項,4項の相当対価の算定の際の,使用者の貢献度の認定に当たり十分考慮されるべきである。。)(2)従業員と被告会社との間の停止条件付き譲渡契約の主張について被告は,被告会社においては,昭和60年改正社規第17号(乙7の1)施行の前後を通じて,従業員と被告会社との間に,従業員が発明を完成した場合に発明の完成と同時に当該発明についての特許を受ける権利が被告会社に移転する旨の暗黙の了解(法律的には停止条件付き譲渡契約)が成立していた旨を主張する。
アしかしながら,本件発明がされた当時,原告を含む被告会社従業員も,被告会社も,双方とも,特許法35条の規定に関して,その前提となる法的状態を誤解していた。すなわち,被告会社在職当時,他の従業員と同様に原告も,職務発明についての特許を受ける権利が原始的に会社ではなく従業員発明者に帰属することを知らなかった。また,被告会社特許部所属の従業員であるBの証人尋問の結果等に照らしても明らかなとおり,当時,被告会社も,同様の誤解をして,特許を受ける権利は当然に被告会社に帰属するものと考えており,特許法上,特許を受ける権利がいったん発明者である従業員に帰属した上で会社に承継されることを理解していなかった。
このように,被告会社も,原告を含む従業員も,そもそも特許を受ける権利が被告会社に原始的に帰属すると考えていたのであるから,被告会社と従業員ないし原告との間において,職務発明特許を受ける権利を被告会社に譲渡する旨の意思の合致が存在したはずがない。そのことは,原告が提出した民事法の研究者作成に係る各意見書(甲40,44〔C法政大名誉教授 ,〕〔〕,〔〕,〔〕) 甲41 D北大教授甲42 E神戸大名誉教授甲43 F学習院大教授によっても,裏付けられている。
イ被告主張に係る上記譲渡契約は,法律的には,特許を受ける権利予約承継する旨の黙示の契約と解すべきである。しかるところ,使用者が従業員発明者特許を受ける権利予約承継するためものとして特許法35条2項の定める「契約 「勤務規則 「その他の定」とは,労働基準法15条1項によ 」」り,いずれも明示のものに限られ,黙示の合意は認められないと解すべきである。加えて,特許法35条が弱者である従業員(労働者)保護の思想の下に設けられた規定であることに照らせば,この点からも,特許法35条2項の「契約 「勤務規則 「その他の定」とはいずれも明示のものに限られ,従業員発明 」」者の特許を受ける権利の無償の予約承継の合意がよほど明白であるような例外的な特殊事情のある場合を除き,黙示の予約承継契約を有効と認める余地はないというべきである。
すなわち,労働基準法15条は,使用者は労働契約の締結に際し,労働者に対して賃金,労働時間その他の労働条件を明示しなければならない旨を規定し,労働基準法施行規則5条1項1号ないし11号に明示されるべき労働条件が列挙されている。研究・開発に携わる労働者にとっては,職務発明についての特許を受ける権利の帰属は,極めて重要な労働条件の1つであり,労働基準法15条1項に従って,労働者に明示されなければならない。
また,職務発明についての特許を受ける権利は,発明者である従業, , 員に原始的に帰属するのが原則であり 特許権等を使用者に帰属させる契約は明示の契約あるいは使用者に譲渡する旨の黙示の合意が明白な場合に限られるべきである。このことは,特許法35条自体が,弱者である従業員保護の思想の下に作られていることからも当然である。
本件において被告の主張する,職務発明についての特許を受ける権利の停止条件付き譲渡契約なるものは,とりもなおさず上記の予約承継の黙示,,「 , の契約であるところ その内容は職務発明についての特許を受ける権利は, ( 。) 発明の完成と同時に わずか合計2万円の褒賞金 これは対価には当たらないの支払を伴うだけで,無償で,従業員から被告会社に譲渡される」というものであって,これが黙示であるというならば,労働基準法15条1項の労働条件明示の原則に反し,労働者の権利を害するので,使用者と労働者の間での効力を否定されざるを得ない。
東京高裁平成6年7月20日判決(知的裁集26巻2号717頁。
甲33)も,特許法35条の趣旨にかんがみれば 「従業者等の明示の意思が ,表示されている場合あるいは黙示の意思を推認できる明白な事情が認定できる場合は別として,そうでない場合に,特許を受ける権利又は特許権を会社に帰属させる結果を招来させることが従業者等の合理的意思に合致すると軽々に推認することはできず,特に使用者等の側において職務発明は無償かつ当然に会社に帰属するものであるとの意思が明白な場合にまで,黙示の合意の成立を認めることはできないものというべきである 」と判示して,黙示の契約の認定 。
に慎重な態度を示している。本件は,上記のとおり,使用者である被告会社の側において職務発明は無償かつ当然に会社に帰属するものであるとの意思が明白な場合に当たるから,上記高裁判決の示す基準に照らしても,黙示の合意の成立を認めることのできない事案というべきである。
ウ上記のとおり,労働基準法15条1項は使用者に労働条件の明示を義務付けているが,研究・開発に携わる労働者にとっては,職務発明についての特許を受ける権利の帰属は,極めて重要な労働条件の1つであり,労働基準法15条1項に従って,労働者に明示されなければならない。
しかるに,被告の主張する職務発明についての特許を受ける権利の停止条件付譲渡契約は,労働条件の明示を義務付けた強行規定である労働基準法15条に違反するものであるから,無効である。
(3)本件発明についての原告による権利譲渡の主張について被告は,本件においては,原告による個別の譲渡行為として,本件発明についての特許を受ける権利を被告会社へ譲渡する行為が存在すると主張する。
アしかしながら,本件発明のされた当時,原告は,本件発明についての特許を受ける権利が原始的に原告に帰属しているとの認識を欠いていたものであるから,これを被告会社に譲渡する旨の意思表示をするはずがなく,被告会社においても,同様に本件発明の特許を受ける権利が原告に帰属するとの認識を欠いていたから,原告からその譲渡を受ける旨の意思表示をするはずがない。これを要するに,本件においては,譲渡契約の成立要件である申込み及び承諾のいずれも存在しないから,原告と被告会社との間で本件発明の特許を受ける権利を譲渡する旨の合意が成立した余地はない。このことは,民事法の研究者作成に係る前記の各意見書(甲40〜44)によっても,裏付けられている。
本件発明の特許出願に際しては,被告会社の社内で用いられていた「特許・実用新案登録出願依頼書 (乙2の1)の表紙裏側に定型印刷された 」「」 ,, 譲渡証書 欄に原告の鉛筆書きの署名がされているが 押印はされておらず日付欄や発明・考案の名称欄はすべて空欄である。被告会社は,従業員が職務上なした発明は当然原始的に被告会社に帰属すると誤解し,その結果,わざわざ譲渡契約までして職務発明特許を受ける権利の譲渡を受ける必要はないと考えていたもので,上記書類(乙2の1)の「譲渡証書」欄は,万一,特許庁からの問合せがあった場合に備えてのものであり,それ以上の意味を有するものではなかった。このように特許法35条1項,29条の趣旨を誤解していた,() 。 被告会社にとって 上記書類 乙2の1 が譲渡契約であり得るものではない他方,原告も,特許法35条1項,29条の規定を知らなかったことから,本件発明の特許を受ける権利が自己に帰属すると考えておらず,したがって,上記書類(乙2の1)が本件発明の特許を受ける権利の譲渡契約であるという考えを,持ち得るはずもなかった。また,上記のような譲渡証書(乙2の1)の外形に照らしても,同証書を,同発明の特許を受ける権利を譲渡する意思を表示した文書とみることは,到底できない。
イ加えて,契約成立のためには,単に契約の内容について意思が合致しているだけでは足りず,当事者双方に「確定的な契約締結意思」がなければならない。特に,特許を受ける権利ないし特許権は,不動産と同等若しくはそれ以上に高価な財産権であるから,その譲渡契約には,当事者双方に確定的な契約締結意思がなければならない(甲41〔D意見書 ,甲43〔F意見書〕 〕参照 。)本件においては,かかる確定的契約締結意思の存在が認められないから,特許を受ける権利の譲渡契約の成立は認められない。
ウ仮に上記譲渡証書が,本件発明の特許を受ける権利に関する原告の譲渡意思を表示するものであったとしても,被告会社は,原告が同証書に鉛筆で署名した行為が契約締結としての署名でないことを知っていたので,民法93条但書(心裡留保)により,当該譲渡契約は無効である。
すなわち,原告は,本件発明をした当時,本件発明には少なくとも1億円の価値があると考えていたから,これを対価零円(プラス合計2万円の褒賞金)で被告会社に譲渡する内心の意思はなかった。他方,被告会社におい「 」()「」 ても 特許・実用新案登録出願依頼書乙2の1 の表紙裏側の 譲渡証書欄は,契約書ではなく,万一,特許庁から提出を求められた場合のために予め備えておくべき書類であるとの認識しか有していなかった。
したがって,原告は,本件発明の特許を受ける権利を譲渡する意思() 「」 , で上記書類 乙2の1 の 譲渡証書 欄に鉛筆で名前を書いたわけではなく被告会社においても,そのことを知っていたのであるから,民法93条但書により,上記書類(乙2の1)の原告の意思表示は,無効である。
, , エ本件発明ないしその特許出願の当時 原告及び被告会社の双方とも本件発明についての特許を受ける権利は被告会社に原始的に帰属しているものと誤解しており,同権利が原始的に原告に帰属しているとの認識を欠いていたものであるから,本件発明の特許を受ける権利の譲渡契約は,原告被告双方の共通錯誤により,無効である。
, , , 仮に 共通錯誤に該当しないとしても 原告には動機の錯誤がありしかもその錯誤は主として被告の不正確な法知識によって惹起されたものであるから,少なくとも原告による承諾の意思表示については,錯誤により無効である(甲40〔C意見書 ,甲41〔D意見書〕参照 。 〕 )オ特許法35条は,発明に関して労使関係に介入して従業員を保護する規定であり,職務発明に係る特許を受ける権利を従業員から譲受するに際しては,会社に対して「相当の対価」の支払義務を課す強行規定である。
本件発明の特許を受ける権利の譲渡契約は,巨額の経済的価値を産み出す本件発明の対価を実質的に零円とするものであるから,強行規定である,, , 特許法35条に違反し また この点が原告に明示されていたものでないから労働基準法15条1項に違反するものとして無効である(甲30〔G千葉大教授意見書 ,甲40,44〔C意見書 ,甲42〔E意見書〕参照 。 〕 〕 )カ本件発明の特許を受ける権利の譲渡契約は,少なくとも1億円の経済的価値のある本件発明を実質的に対価零円で譲り受けるものであり,目的物の価値と支払われる対価とが著しく均衡を欠くものであるから 民法90条 公,(序良俗違反)により,無効である。
キ原告は,本件訴訟において,予備的請求として,本件発明についての特許を受ける権利を譲渡した対価として,20億円及び遅延損害金の支払を求めている(前記第1の3 。)訴状の送達によって被告に対して20億円支払の履行が催告され,民法412条3項の適用により被告は履行遅滞に陥っていたところ,原告は,平成14年6月6日の第6回口頭弁論期日において平成14年4月26日付け原告準備書面(13)を陳述したことにより,譲渡契約を解除したので,上記特許を受ける権利(ひいては特許権)は原告に帰属する。
3被告の再反論(1)前記1(3)において述べたとおり,被告会社においては,従業員と被告会社との間に黙示の停止条件付き譲渡契約が存在しており,個別の譲渡行為がなくても,発明の完成と同時に被告会社は特許を受ける権利承継するのであるから,権利承継のための譲渡証書はそもそも必要でない。
また,仮に,権利の移転には個別の譲渡行為が必要であるとの見解に立つとしても,@原告は,本件特許発明の出願に際して作成された社内届出用紙である「特許・実用新案登録出願依頼書 (乙2の1)の表紙裏側の譲渡証 」書に,鉛筆書きとはいえ,自ら署名したこと,A原告は,同依頼書と一体に扱われる「明細書作成用紙 (乙2の2)に自筆で明細書の草稿を記入した上, 」特許部に持参したこと,B原告は,昭和60年改正社規第17号付則の規定どおりの褒賞金(特許出願時に1万円,設定登録時に1万円の合計2万円)を受領したばかりか,本件訴訟を提起するまで10年以上もの間,本件発明の特許を受ける権利の帰属につき1度たりとも異議を述べたことはないことなどの事実関係に照らせば,上記譲渡証書の署名が鉛筆書きのものであるとの一事をもって,特許を受ける権利を譲渡する意思がなかったとする原告の主張は,意思解釈の一般論を無視した暴論であり,到底認めることができない。
(2)また,原告は,民事法の研究者作成に係る複数の意見書(甲40〜44)を証拠として提出し,これらを根拠として,原告被告間で特許を受ける権利についての黙示の譲渡契約が成立したとみることはできない旨主張する。
しかしながら,上記各意見書は,いずれも,法律論の前提となる事実,。,, 関係の認識において誤っており 採用できないものである すなわち 原告は平成14年1月21日付け文書提出命令申立書添付の陳述書において 「乙2,の1の時代も,乙24の書式の時代になってからも,‥‥‥B氏は,私のところにやって来て 『依頼書とその裏の譲渡証にサインと判子を押して』と言っ ,て来た。私は,いつも『いやじゃ!『なんで1万円くれるだけで,特許を会 』,社に譲り渡さなあかんのじゃ!』とB氏にハッキリ言った「B氏の泣きそ。」,,,『 』,『, うな顔をみて 私はサインと印鑑でいいんやな と言って友情のために判を押してやろう。だけど,会社に特許権を譲渡したくないので,譲渡証として効力を生じないシャチハタを押そう。どうせ無効やから』と思って,譲渡証に汚い字でサインし,敢えて朱肉の付いている普通の判でなく,朱肉の付いていないシャチハタを押した 」などと陳述し,わずか1〜2万円の対価で被告 。
会社に特許権を譲渡することは不本意なので,譲渡証の効力を無効にするために,敢えて鉛筆でサインをした,あるいは朱肉付きの印鑑ではなくシャチハタ印で押印した旨を繰り返し述べている。そのことは,とりもなおさず,原告が,譲渡証が文字通り権利の譲渡を証する書面である旨を明確に認識していたことを物語る。したがって,事実認定の問題として,原告が譲渡証書の意義を知らなかった,あるいは理解していなかったということはあり得ないのであり,そのあり得ない事実を前提に法律的意見を述べている上記各意見書は,誤った結論に至っているのである。
なお,付言するに,上記各意見書の作成者たちは,上記陳述書における記載を承知の上で,この点は原告の単なる誤解であると善意に受け取っているのかも知れない。しかし,本件訴訟の経緯全体をみれば,原告の主張の変遷が,単なる誤解等に基づくものではなく,意図的になされた虚偽のものであることは,明白である。すなわち,平成14年1月22日の第3回口頭弁論期日において,裁判所から原告に対し,民法93条但書に基づく主張をするのであれば同年2月5日までにその旨を記載した準備書面を提出するようにとの釈明がなされるや(同口頭弁論調書 ,原告は,それまでの「被告会社に特許権を )譲渡するのは不本意なので,譲渡証の効力を無効にするために,敢えて鉛筆でサインをした,あるいは朱肉付きの印鑑ではなくシャチハタ印で押印した」旨の供述を翻然と撤回し 「原告は,出願依頼書の表紙裏側に印刷してある譲渡 ,証は,特許庁への出願手続上必要な書類であると思っており,これによって,自己の発明の特許を受ける権利を被告会社に譲渡する効果を持つ契約書であるとの認識がなかった。権利を譲渡する意思がないからこそ,鉛筆書きで署名した」旨主張するに至った(平成14年1月31日付け原告準備書面(7)2頁 。)しかし,譲渡証の効力を無効にするために敢えて鉛筆でサインしたという原告が,なぜその一方で,譲渡証が契約書であることの認識がなかったなどと主張できるのか。一読すれば明らかなとおり,原告の主張は完全に論理破綻してい, ,,, るのであり 訴訟の具体的経過に照らせば 原告が 裁判所の上記釈明によりこのままでは民法93条本文の適用を免れないと気付き,さりとて同条但書適用の基礎となる事情もないことから,翻然とそれまでの供述を曲げ,虚偽の事実を主張し始めたことは,明らかである。
(3)上述のとおり,原告の準備書面及び原告提出に係る各意見書は,誤った事実関係を前提に法律論を展開しており,その法律論の当否を論ずるまでもなく,結論において誤ったものである。法律解釈は裁判所の専権事項でもあり,被告としては,逐一反論するまでもないと考えているが,上記準備書面及び各意見書の中には,あまりにも独自の見解であって裁判実務に合致しない点も散見されるので,以下,若干の点につき指摘しておく。
まず,原告が引用する東京高裁平成6年7月20日判決(知的裁集26巻2号717頁。甲33)についてであるが,判決文を直接参照すれば分かるとおり,同判決は 「使用者等の側において職務発明は無償かつ当然に会社 ,に帰属するものであるとの意思が明白」と認定される場合であっても,それだけで直ちに黙示の合意の成立を否定しているわけではなく,次に 「黙示の意,思を推認できる明白な事情が認定できる」かどうかの検討に入り,当該事例に, , おいては 上記の認定につき消極の方向に働く合計5つの事情を認定した上で。, 黙示の合意の成立を認めることはできないとの結論を導いている したがって原告及び甲41を除く前記各意見書の作成者たちが,上記判決を 「使用者等,の側において職務発明は無償かつ当然に会社に帰属するものであるとの意思が明白」な場合であれば,直ちに黙示の合意の成立が否定される旨の判断をした裁判例であるかのように引用しているのは,明白な誤りである。
, ( ) また 東京地裁平成9年1月30日判決 判例時報1612号92頁等の多数の裁判例が示すとおり,裁判実務一般においては,黙示の意思表示という概念が認められており,その一方で,意思表示を認定する際には,表示行為は必ずしも一義的・画一的に確定できないものとして扱われており,甲41の意見書が言うような「確定的契約意思」は要求されていない。上記の観点から検討しても,上記各意見書は,裁判実務に反する独自の見解に基づくものといわざるを得ない。
さらに,甲40及び41の各意見書には 「 すべての職務発明・職務 ,『考案は従業員から提出があった時点で会社のものとな(る,つまり会社が原)』始的に権利を取得すると理解しており (甲40。4頁「被告・日亜は 『従 」),,業員は会社の金を使って職務上発明するのだから,その発明から生まれる特許権は,当然,原始的に使用者(日亜)に帰属する』と考えていた可能性があるようである」との各記載があるが,被告会社特許部長であるHの陳述書(乙32)においては 「全ての職務発明・職務考案は従業員から提出があった時点 ,で会社のものとなり,担当部署の責任者と協議してこれを出願するかノウハウとするかなどを決定し (同陳述書3頁「当社では,昭和60年よりも前か 」),ら従業員が職務で行った発明・考案は会社に明細書の素案を提出した時点で会社のものになると技術者の誰もが思っておりましたし,昭和60年に改正された社規第17号『発明・考案及び業務改善提案規定』もそのことを踏まえて発明・考案の取扱いを定めていたわけです (前同4頁)と記載されており,被 」告会社が,特許を受ける権利等が当然に同社に原始的に帰属すると認識していたわけではないことが,証拠上明らかである。したがって,上記各意見書の記述は,証拠に照らし,誤った認識というべきものである。
第4当裁判所の判断1特許法35条の趣旨等について特許法35条1項は 「使用者,法人,国又は地方公共団体(以下「使 ,用者等」という )は,従業者,法人の役員,国家公務員又は地方公務員(以 。
「」。) ,, 下 従業者等 というがその性質上当該使用者等の業務範囲に属し かつその発明をするに至った行為がその使用者等における従業者等の現在又は過去(「」。) , の職務に属する発明 以下 職務発明 というについて特許を受けたとき又は職務発明について特許を受ける権利承継した者がその発明について特許を受けたときは,その特許権について通常実施権を有する 」と規定し,職務。
発明についても,特許を受ける権利は,発明者である従業者等に帰属し,従業者等が職務発明について特許を受けたときは,使用者等は,通常実施権を取得。,,「 , するものとしている そして 同条2項は従業者等がした発明についてはその発明が職務発明である場合を除き,あらかじめ使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させ又は使用者等のため専用実施権を設定することを定めた契約,勤務規則その他の定の条項は,無効とする 」と規定し,従業者。
等のした職務発明以外の発明,すなわちいわゆる「自由発明」については,使用者等が特許を受ける権利承継すること, , 等をあらかじめ定めた契約 勤務規則その他の定めは無効であるとしているがこれは,反面において,職務発明については,使用者等が特許を受ける権利承継すること等をあらかじめ定めた契約,勤務規則その他の定めも有効であることを,明らかにしたものである。その一方で,同条3項は 「従業者等は,,契約,勤務規則その他の定により,職務発明について使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させ,又は使用者等のため専用実施権を設定したときは,相当の対価の支払を受ける権利を有する 」と規定し,これを受けて, 。
同条4項は 「前項の対価の額は,その発明により使用者等が受けるべき利益 ,の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して定めなければならない 」と規定している。。
これらの規定の内容に照らせば,特許法は,職務発明について,特許を受ける権利発明者である従業者等に当然帰属するものとして,従業者等の権利を確保しながら,一方において,使用者等の職務発明成立についての寄与を考慮して,職務発明について従業者等が特許を受けたときには,使用者等は,当該特許権について通常実施権を有することとして(特許法35条1項 ,両)者の利害を調整している。そして,これを超えて,契約,勤務規則その他の定めにより,従業者等が,職務発明について使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させ,又は使用者等のため専用実施権を設定したとき(同条2項)については,従業者等は相当の対価の支払を受ける権利を有する旨を定めて(同条3項,4項 ,従業者等の保護を図っている。 )上記のような特許法35条の立法趣旨に照らせば,同条3項,4項の規定する「相当の対価」の額については,最終的には,司法機関である裁判所により,同条4項に規定された概括的な基準の下で,個別の事案における具体的事情を総合考慮して定められるものと解するのが相当である。そして,上述の点に照らせば,従業者等がこのようにして定められる「相当の対価」の支払を受ける権利を有する点について定めた同条3項,4項は,強行規定と解すべきものである。すなわち,契約や勤務規則等の定めにおいて,職務発明についての特許を受ける権利を使用者等に承継させた対価として従業者等が受けるべき金額についての条項を設けたとしても,従業者等は,当該条項に基づいて算出された額に拘束されることなく 上記のような特許法の規定の趣旨に従った 相 , 「当の対価」を請求することができるものである。
2特許法35条3項所定の「契約,勤務規則その他の定」について特許法35条3項は,あらかじめ職務発明についての特許を受ける権利を使用者等に承継させることを定めることのできるものとして 「契約,勤務,規則その他の定」を挙げているものであるが,特許法35条の趣旨を上述のように解すると,ここでいう「契約,勤務規則その他の定」は,必ずしも労働契約や就業規則に限定されるものではなく,使用者が定める職務発明規程等もこれに含まれるものであり,そのような社内規程等は従業員の同意を得ないまま使用者等において定めたものであっても,従業員がこれを知り得るような合理的な方法で明示されていれば,足りるものと解される。けだし 「契約,勤務,規則その他の定」という文言からは,労働基準法の対象となる労働契約や就業規則以外のものであってもこれに含まれ得ることが明らかであり,また,前記のとおり特許法35条3項,4項の規定を強行規定と解する以上,このように解しても従業者等の保護に欠けることにはならないからである。
また,職務発明の権利承継等に関して明示の契約,勤務規則等が存在しない場合であっても,一定の期間継続して,職務発明について,特許を受ける権利が使用者等に帰属するものとして,使用者等を出願人として特許出願をする取扱いが繰り返され,従業者等においても,異を唱えることなくこのような取扱いを前提とした行動をしているような場合には,同条にいう「契約」に該当するものとして,従業者等との間での黙示の合意の成立を認め得るものと解される。この場合,前記のとおり特許法35条3項,4項の規定を強行規定と解する以上,黙示の合意の成立は,使用者等において上記のような取扱いが継続された期間,その間の出願件数,当該取扱いに対する従業者等の対応等の事情を総合して認定すれば足りるものである(なお,この点について,このような合意の成立を認め得るための要件を特に加重して,限定的な場合にのみ黙示の合意の成立を認め得るものと解するといった見解は,採用できない。。)3本件発明の職務発明該当性について前記の「前提となる事実」欄(前記第2の2参照)に記載したとおり,被告会社は,蛍光体や電子工業製品の部品・素材の製造販売及び研究開発等を目的とする会社であり,原告は,被告会社で半導体発光素子等の研究・開発に従事していたものである。そして,本件発明は,平成2年9月ころ,原告が被告会社の従業員として在職中にしたものであり,窒素化合物半導体結晶膜の成長方法に関する発明である。以上によれば,本件発明は,被告会社の業務範囲に属し,その従業員である原告の職務に属する行為として行われたものであるから,特許法35条にいう職務発明に該当する。
原告は,本件発明は,被告会社社長の青色発光ダイオードの研究を中止して高電子移動度トランジスタの研究をするようにとの業務命令に反して,原告が行ったものであるから,職務発明に該当しないと主張する。
たしかに,原告の陳述書(甲2。48頁)には,平成2年当時,被告会社のA社長が,青色発光ダイオード開発のためにはセレン化亜鉛が成功の見込みが高く,窒化ガリウムでは成功の見込みが少ないとの外部からの情報に従って,原告に対して,青色発光ダイオードの研究を中止して高電子移動度トランジスタの研究をするようにとの業務命令を発したとの記載がある。しかしながら,原告は,原告の被告会社における勤務時間中に,被告会社の施設内において,被告会社の設備を用い,また,被告会社従業員である補助者の労力等をも用いて,本件発明を発明したのであるから,原告主張のような事情が存在するとしても,本件発明を職務発明に該当するものと認定する妨げとなるものではない。原告主張の事情は,特許法35条3項,4項所定の相当対価の額の算定の際に,被告会社の貢献度の認定に当たって考慮されるべき事情にすぎないというべきである。
4被告会社の昭和60年改正社規第17号について(1)証拠(乙6ないし9,乙32,33,46,48,証人B)及び弁論の全趣旨を総合すれば,次の事実が認められる。
ア被告会社には,昭和56年に取締役会で制定され,昭和60年,平成8年,平成12年及び平成13年に改正された社規第17号が存在する。
イ昭和56年制定当時の同社規(乙6)は,名称を「業務改善提案制度」とするもので,品質,作業工程,作業方法及び事務能率等の改善に資する提案に対して,一定の基準の下で表彰する旨を定めるなど,その内容は専ら業, 。 務改善提案に係るものであり 特許出願等に関する規定は置かれていなかったウ同社規は,昭和60年の改正により名称を「発明・考案及び業務改」(。「 」)。 善提案規定 とすることとなった 乙7の1昭和60年改正社規第17号昭和60年改正社規第17号には,次のような条項が置かれている。
第1条(目的)従業員が行なう発明・考案及び業務改善の取扱いについて定め,創意工夫の意欲を高め,社業の向上に資する。
第2条(発明・提案の内容)発明・考案,改善提案の内容は,次の通りとする。
1.発明・考案は,その性質上会社の職務範囲とする。
2 (省略).第3条(資格)従業員は,すべてこの規定により発明・考案及び改善提案を行なうことができる。
第4条(職制の義務)部課長は常に部署の業務内容を把握し,発明・改善及び特許問題等の発掘に努め適切な対策と指導を行い,特許,実用新案に関する権利の侵害を防ぐため,公報の閲覧等を行い必要な対策を講ずる。
第5条(提出方法)提出方法は次の通りとする。
1.発明・考案を行なった時は,その案を所属長を経て特許担当部門に提出する。
2 (省略).第6条(業務分担)担当部門は,次の業務を行う。
1.特許担当部門@発明・考案の受付及び出願手続の点検と弁護士・弁理士への委嘱A特許委員の選任及び委員会の招集B表彰手続及び決定事項の報告Cその他特許に関する必要事項2 (省略).第7条(委員会)発明・考案及び改善提案の推進と効果の拡大を図るため,各委員会を置き,委員会は原則として毎月1回以上開催し,次の業務を行う。
1.特許委員会@特許出願及び技術保全に関する審議A異議申立及び特許係争に関する審議B特許情報管理及び啓発に関する審議C特許・考案の内容評価2 (省略).3 (省略).第8条,第9条(省略)第10条(表彰及び褒賞)従業員が行った発明・考案及び改善提案に対し,別に定める基準(付則-1)により表彰及び褒賞金を支給する。
そして,第10条を受けて定められた社規第17号付則-1には,次の条項が置かれている。
T(省略)U発明・考案関係1.審査及び表彰基準発明・考案の評価は,下記事項に基づき特許委員会が審査を行い,上長の承認を受け表彰する。賞金はその都度決定する。
@特許出願件数A権利取得状況B内容の検討2.褒賞金支給基準@特許出願1件につき10,000円A権利成立1件につき10,000円B認証1件につき5,000円C実用新案出願1件につき5,000円D実用新案成立1件につき5,000円エ昭和60年改正社規第17号は,昭和60年6月10日から施行されたところ,その施行後の平成2年9月ころに,本件発明がされた。
オ被告会社の社規第17号は,その後の平成8年の改正により,職務発明の権利の被告会社への承継を明示的に記載した条項を置くに至った。すなわち,同改正後の社規第17号(乙9の1)においては 「発明・考案は,そ,の性質上会社の業務範囲とする。但し,従業員の職務に属する行為による職務, 。, 発明・考案に該当するものについては 会社は従業員より予約承継する また従業員の職務に属しない行為であって会社の業務範囲に属するものについては,会社は従業員より会社に譲渡することを含め優先的に協議を受ける(第。」2条(1))と定められている。
カ被告会社においては,昭和60年以前から現在に至るまで,従業員により多数の発明及び考案がされているが,これらすべてにつき,被告会社名義で出願・登録がされており,従業員においてもそのような状況を認識してい, , たが 本件発明に関して原告から本件訴訟が提起されたのを唯一の例外としてそれ以外には権利の帰属につき従業員や退職した元従業員から異議が申し立てられた例はない。
(2)上記の認定事実によれば,昭和60年改正社規第17号は 「発明・,考案は,その性質上会社の職務範囲とする (第2条)として,職務発明に関 」する特許法35条1項の規定を明確に意識した条項を置いた上で,従業員が発明・考案を行った時は,発明者等はその案を所属長を経て特許担当部門に提出するものとし,それ以降の特許出願ないし実用新案登録出願の手続は,出願手続の点検及び弁護士・弁理士への委嘱等の作業を特許担当部門が行い,同部門の選任・召集する特許委員会が,特許出願及び技術保全,異議申立及び特許係争,並びに,特許情報管理及び啓発に関する各審議を行うとともに,特許・考案の内容評価をするものと定めている。そして,付則-1においては,特許出願・実用新案登録出願及びこれらの設定登録に際して従業員に支払われる褒賞金の額が,定められている。これらの条項の内容に照らせば,昭和60年改正社規第17号は,従業員のした職務発明及び職務考案については,特許を受ける権利ないし実用新案登録を受ける権利が被告会社に承継されることを前提として,それ以後の出願手続及び権利の管理等はすべて被告会社が行う一方で,発明者及び考案者に対しては,上記の基準に従って褒賞金を支払う旨を定めたものと解するのが相当である。
そして,証拠(乙48)及び弁論の全趣旨によれば,昭和60年改正社規第17号については,施行時である昭和60年当時,その内容を記載した印刷物が作成され,被告会社の社規のひとつとして各部課に配布されて他の社規と共に閲覧可能な状態で備え付けられ,その内容を従業員が認識し得る状態に置かれていたものと認められる。
そうすると 昭和60年改正社規第17号は 特許法35条にいう 勤 , ,「務規則その他の定」に該当するものということができる。本件発明は,同社規, , が施行された後にされた職務発明であるから 同社規の条項が適用された結果本件発明についての特許を受ける権利は,被告会社に承継されたものというべきである。
5従業員と被告会社との間の黙示の契約についてまた,前記認定事実によれば,被告会社においては,昭和60年以前から,従業員による発明・考案については,被告会社名義で出願・登録がされており,従業員もそのような状況を認識していたものであるが,このような被告会社の取扱いは,昭和60年改正社規第17号により社規として明文化されて昭和60年6月から施行され,従業員においても同社規の内容を認識している状況の下において,従前と同様に被告会社名義での出願・登録がされる状況が継続されており,従業員の間からそのような取扱いに対して異議が述べられることもなかった。これらの事情を総合すれば,遅くとも平成2年に本件発明がされる前までには,従業員と被告会社との間で,職務発明については特許を受ける権利が被告会社に承継される旨の黙示の合意(停止条件付き譲渡契約)が成立していたと認めるのが相当である。したがって,このような黙示の合意に基づいても,本件発明についての特許を受ける権利は,被告会社に承継されたものと認めることができる。
6原告による本件発明に係る権利譲渡について加えて,本件発明については,以下に詳述するとおり,原告と被告会社の間で,特許を受ける権利を原告から被告会社に譲渡する契約が成立したと認めることができる。
(1)前記の「前提となる事実」欄(前記第2の2)に記載した事実及び前記4において認定した事実に証拠(乙2の1及び2,乙7ないし33,乙40ないし43,乙47ないし49,証人B及び原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば,本件発明のされる前における状況として,次の各事実が認められる。
ア被告会社においては,昭和60年以前から,従業員による発明・考案については,被告会社名義で出願・登録がされていた。
イ昭和60年6月10日から施行された昭和60年改正社規第17号及びその付則には,従業員のした発明ないし考案については被告会社が特許出願ないし実用新案登録出願の手続及び権利の管理を行うこと,及び,従業員に対しては出願時及び権利の成立時に褒賞金が支払われることを定める条項が置かれていた。昭和60年改正社規第17号及びその付則は,各部課に配布されて他の社規と共に閲覧可能な状態で備え付けられ,あるいは新たに採用された従業員各人に配布されるなどしており,原告を含む従業員において,その内容を知り得る状況にあった。
ウ被告会社においては,特許出願及び実用新案登録出願に際し,遅くとも昭和61年ころから「技術保全依頼書」と題する定型用紙(乙13の1等参照。以下「保全依頼書」という )が用いられていたが,同用紙は,1枚の 。
, ,,, 用紙に 出願を依頼する者の所属・氏名 記入年月日 保全する技術のテーマ当該技術の内容,先行技術・関連技術の有無を記入する欄があるほか,実施状況,発明の価値,保全の緊急な必要性の有無等を選択式で記入する簡略な書式のものである。なお,同用紙には,権利の譲渡に関連する記載事項欄は設けられていない。
その当時における被告会社における特許出願の形態は,発明者が特許室に備えてある上記保全依頼書に記入し,それに基づいて同室の出願担当者が願書及びこれに添付する明細書等を作成するというものであった。
エ平成元年ころ,被告会社特許室は,発明の概略につき発明者にできる限り詳しく記載してもらい,特許出願業務を円滑にすることを目的として,従来の保全依頼書に加え 「明細書作成用紙 (乙2の2)を作成し,平成2年 ,」初めころには,同用紙が同室に備え置かれた。同用紙には,発明(考案)の名称,特許(実用新案登録)請求の範囲,発明(考案)の詳細な説明等を記入する欄が設けられており,出願の際に願書に添付する明細書としてそのまま利用できるような書式となっている。
オしたがって,その当時の被告会社における特許出願の一般的な形態は,発明者である従業員が特許室に備えてある保全依頼書(平成2年初めころまで ,あるいは保全依頼書及び明細書作成用紙(同年初めころから同年9月 )ころまで)を特許室に取りに来て,これらの用紙に記入の上,特許室に提出するというものであった。
カ以上から分かるとおり,被告会社においては,@昭和60年改正以前の社規第17号が存在するだけで,社内で用いる出願関係の定型用紙は特に存在しなかった期間(上記ア参照 ,A昭和60年改正社規第17号が存在す )るものの,上記のような定型用紙は特に存在しなかった期間(上記イ参照 ,)B昭和60年改正社規第17号が存在し,かつ,保全依頼書が用いられていた期間(上記ウ参照 ,及び,C昭和60年改正社規第17号が存在し,かつ, )保全依頼書及び明細書作成用紙が用いられていた期間(上記エ,オ参照)がそれぞれ存在するところ,これらすべての期間を通じて多数の職務発明の特許出願がされたが,被告会社への権利の承継に関する記載のある書面は作成されていなかった。それにもかかわらず,本件発明が完成する平成2年9月ころまでの間に,権利の承継ないし帰属について,原告を含めて従業員や退職した元従業員から異議が述べられたことは一度もなかった。
キ原告においても,被告会社における上記アないしカ記載のような特許等の出願に関する状況を認識していた。
,, , (2)また 前掲各証拠等によれば 本件発明のされた当時の状況として次の各事実が認められる。
ク平成2年9月ころ,被告会社特許室は,保全依頼書に替わる定型書式の「特許・実用新案登録出願依頼書 (乙2の1。以下「出願依頼書」とい 」う )を作成し,同室に備え置くこととした。出願依頼書の表紙裏側には 「譲 。 ,渡証書」と題された書式が印刷されている。同書式の内容は,本判決末尾添付の別紙「譲渡証書」のとおりであるが,標題として冒頭部に「譲渡証書」と印刷され,記入年月日の欄に続いて,不動文字で「譲受人徳島県阿南市上中町」,, 491番地100日亜化学工業株式会社代表者A殿 と印刷され 次いで「譲渡人」と印刷された欄には,不動文字による「住所徳島県阿南市上中町491番地100日亜化学工業株式会社本社工場内 との印刷に続いて氏 」,「名 「印」と印刷され,発明者考案者である従業員が氏名を署名し,印章を 」押捺するための空欄が設けられている。そして,同書面の下部には,不動文字で「下記の発明又は考案について,特許又は実用新案登録を受ける権利の持分の全部を日亜化学工業株式会社に譲渡したことに相違ありません 」と印刷さ。
れ,次いで「記発明・考案の名称」と印刷され,発明者考案者が発明・考案の名称を記入するための空欄が設けられている。
ケしたがって,その当時の被告会社における特許出願業務の一般的な形態は,発明者が特許室に備えてある前記保全依頼書及び明細書作成用紙(平成2年初めころから同年9月ころまで ,あるいは,上記出願依頼書及び明細 )書作成用紙(同年9月以後)を特許室に取りに来て,これらの用紙に記入の上特許室に提出するというものであった。
コ本件発明の特許出願に際しては,出願に先立って出願依頼書(乙2の1)及び明細書作成用紙(乙2の2)が作成されているが,本件発明のされた時期がちょうど社内の出願定型用紙を切り替えた時期(上記ク参照)と重なっていたことから,本件発明に関して出願依頼書及び明細書作成用紙を用いて文書が作成されたのは,上記の2つの用紙を用いて特許出願事務を行う取扱いが始まって間もないころのことであった。
サ本件発明について原告から提出された出願依頼書(乙2の1)を見ると,表紙表側の日付チェック欄の「特許室受」欄には「H29/18」と記入され 「発明・考案の名称」欄には「MOCV-D成長装置と成長方法」 ,と記入され 「発明・考案者」の欄には「N」と鉛筆書きで署名され 「発明・ , ,考案の概要」の欄には「基板に並行又は傾斜して反応ガスを吹き付けて結晶成長させる」と記入されている。表紙裏側の「譲渡証書」においては 「譲渡人,欄」の「氏名」に「N」と鉛筆書きで署名されており,押印欄に印章は押捺されていない。これらの記載のうち,表紙表側の「発明・考案者」欄及び表紙裏側の譲渡証書の「譲渡人氏名」欄の鉛筆書きの「N」の署名は,いずれも原告自身により自署されたものである。また,本件発明については,原告から明細書作成用紙を用いて作成された11頁にわたる詳細かつ長文の明細書の草稿が提出されているところ,そこに記載された内容は,表紙上部欄外に「’90/9/17」と記載されている部分を除き,すべて発明者である原告自身が自ら記載したものである。
(3)さらに,前掲各証拠等によれば,本件発明がされた後における状況として,次の各事実が認められる。
シ本件発明については,上記出願依頼書(乙2の1)及び明細書作成(), , 用紙を用いた明細書草稿 乙2の2 に基づいて 被告会社内の手続が行われ平成2年10月25日に,原告を発明者,被告会社を出願人として特許出願がされ,平成9年4月18日に被告会社を特許権者として設定登録がされた。
ス本件発明の特許出願の後も原告は多数の発明をし,これらについても出願依頼書を用いて被告会社内の出願事務が行われたが,その中で作成された出願依頼書の中には,表紙裏側の「譲渡証書」の譲渡人欄に,原告がボールペン又は万年筆で署名した上でスタンプ印(いわゆるシャチハタ・ネーム)を押印したもの(乙24ないし27,30及び31 ,原告が署名した上でスタ )ンプ印を押印しているが,共同発明者である他の従業員は署名しているだけで押印していないもの(乙28,29。なお,乙28,29では,表紙の所属長欄には,原告が所属長としての立場でスタンプ印を押印している )などが混。
在している。これらによれば,出願依頼書及びその表紙裏側の譲渡証書における署名・押印については,必ずしも決まった形式が要求されていたわけではないと認められる。
セ本件発明の前後を問わず,本件発明を含む原告の発明に係る多数の特許が,被告会社を出願人として特許出願され,被告会社名義で設定登録されており,出願費用はもちろんのこと,設定登録された後の更新料等の維持費用もすべて被告会社により負担されていたが,原告もそのことを知っていた。
ソ原告は,本件発明を含むこれらすべての発明につき,昭和60年改正社規第17号の付則-1の定める基準に従って,特許出願時に1万円,設定登録時に1万円(合計2万円)の褒賞金を受け取っている。
タ原告は,これらの発明につき第三者に実施許諾をする場合には,被告会社が特許権者として,第三者との間でライセンス契約を締結することになる旨の認識を有していた。
チ原告は,本件発明の特許出願後,本件訴訟が提起された平成13年8月に至るまでの10年以上もの間,被告会社に対して,本件特許権の帰属につき何ら異議を述べていなかった。
, ,, ツかえって 本件訴訟提起の1年余り前の平成12年6月に 原告は被告会社在職当時最も親しかった同僚であるB宛ての電子メールにおいてそ,「の場合は俺の特許を戻してくれたんらいいんや。それやったら日亜いっさい俺に金くれんでいいから。それが弁護士の言い分や 」と告げ,被告会社特許部 。
長であるH宛ての電子メールにおいて 「単にわたしが日亜で発明した特許の ,代償がほぼゼロですから特許法35条3,4項に沿ってそれ相当の対価を要求しているだけです。この特許法35条3,4項を守ることが日本のサラリーマンの地位向上です。GaN系LEDとLDの市場性と特許がまだ20年近く有効であり,この特許のおかげで日亜が利益をあげていることを真剣に検討してください 」と告げるなど,本件発明の特許を受ける権利が被告会社に帰属し 。
たことを前提にした言動をしている(乙49 。)(4)上記のアないしツ記載の事実関係の下においては,@被告会社においては,昭和60年改正社規第17号が施行される前から,従業員のした発明・考案については,被告会社名義で出願・登録がされており,原告もまたそのような状況を認識していたこと,A従前の被告会社の取扱いを明文化した内容である昭和60年改正社規第17号が昭和60年6月から施行され,原告も同社規の内容を認識していたこと,B昭和60年以前から本件発明に至るまでの間,原告のした発明については,被告会社名義で出願・登録がされていたが,原告はそのような取扱いに対して異議を述べていないこと,C本件発明については,出願に先立って,原告から出願依頼書(乙2の1)及び明細書作成用紙を用いた明細書草稿(乙2の2)が提出されているが,出願依頼書の表紙裏側の「譲渡証書」には,不動文字で「下記の発明又は考案について,特許又は実用新案登録を受ける権利の持分の全部を日亜化学工業株式会社に譲渡したことに相違ありません 」と印刷されているところ,原告は自ら,その譲渡人欄に 。
「N」と鉛筆書きで自署していること,D原告は自ら,本件発明についての上記明細書草稿を作成していること,E本件発明が被告会社名義で出願・登録されたことを認識していながら,原告は,異議を述べていないこと,F原告は,本件発明について,昭和60年改正社規第17号の付則-1の定める基準に従って,褒賞金を受け取っていること,を指摘することができる。
これらの事情,殊に上記Cの出願依頼書の「譲渡証書」に原告が署名した点に照らせば,本件発明の特許を受ける権利については,原告と被告会社との間で,原告が被告会社にこれを譲渡する旨の契約が成立したものと認定するのが,相当である。したがって,このような原告と被告会社との間の個別の譲渡契約に基づいても,本件発明についての特許を受ける権利は,被告会社に承継されたものと認めることができる。
7原告の主張について(1)従業員と被告会社との間の黙示の契約の成立について,原告は,被告会社も,原告を含む従業員も,そもそも特許を受ける権利が被告会社に原始的に帰属すると考えていたのであるから,被告会社と従業員ないし原告との間において,職務発明特許を受ける権利を被告会社に譲渡する旨の意思の合致が存在したはずがない,と主張する。
しかしながら,本件においては,前記認定のとおり,昭和60年改正社規第17号において,職務発明に関する特許法35条1項の規定を明確に意識した条項が置かれているほか,発明者考案者に褒賞金を支払うこととされており また 平成2年9月ころに導入された出願依頼書には 表紙裏側に 譲 ,, ,「渡証書」が設けられ,そこには,発明者考案者から被告会社に対して権利を譲渡する旨の文言が印刷されているものであって,これらの事情に照らせば,被告会社においては,職務発明についての特許を受ける権利がまず原始的に発明者である従業員に帰属することを認識していたものと認められる(被告会社特許部長Hの陳述書(乙32)には 「当社では,昭和60年よりも前から従 ,業員が職務で行った発明・考案は会社に明細書の素案を提出した時点で会社のものになると技術者の誰もが思っておりましたし,昭和60年に改正された社規第17号『発明・考案及び業務改善提案規定』もそのことを踏まえて発明・考案の取扱いを定めていたわけですとの記載 4頁 があり B証人も発 。」(),,「明者が技術保全依頼書と明細書を特許室に持ってきたときには,もう既にこれで会社に譲渡されたものと思っておりました(同証人調書10頁)と証言し 。」ていることからも,上記のとおり認定することができる。証拠上,被告会社が会社全体として原告の主張するような認識を有していたとまでは認められない。他方,従業員の側においても,昭和60年改正社規第17号の内容を認 。)識しながら,同社規の定める褒賞金を受け取っており,平成2年に前記の「譲渡証書」が導入された後も職務発明に関する被告会社への対応は従前と変わりがなかったものであって,これらに照らせば,従業員においても,職務発明については,被告会社への書類の提出により権利が被告会社に承継されるものと認識していたと認められる。以上のとおり,原告の主張は,採用できない。
,, 「」, また そもそも 特許法35条2項の定める 契約 であるためには職務発明についての特許を受ける権利若しくは特許権を使用者等に帰属させるという点で,従業者等と使用者等との間で意思の合致があれば足りるものであって,両者において,その前提として特許を受ける権利が原始的に従業者等に帰属することを共通して認識した上で,更にこれを従業者等から使用者等に移転するという認識をも共通して有することを要するものではない。けだし,特許法35条2項ないし4項は,権利を使用者等に帰属させた場合に,従業者等に相当の対価の支払を受ける権利を保障することによって,両者の間の利害を調整することを内容とする規定であり 「相当の対価」の額は,裁判所によっ ,て客観的に決定されるものであるから,そこでは,権利を最終的に使用者等に帰属させることが決まってさえいればよいのであり,当事者が権利の移転経緯を認識していることは重要でないからである。また,一般に,権利の移転を内容とする契約においては,最終的な権利の移転先についての合意が成立していれば足りるものであって,契約時における権利の帰属についての認識は,契約の成立のための要件ではないというべきであり,このことは,民法が他人の物の売買において,売買の目的物の所有権の帰属についての認識が真実と異なる場合であっても,売買契約の成立を認めていることに照らしても(民法560条ないし564条参照 ,明らかである。したがって,この点に照らしても, )原告の主張は採用できない。
(2)また,従業員と被告会社との間の黙示の契約の成立について,原告は,特許法35条2項所定の「契約,勤務規則その他の定」とは,労働基準法15条1項により明示のものに限られ,黙示の合意は認められず,特許法35条が弱者である従業員(労働者)保護の思想の下に設けられた規定であることに照らしても,同様に解すべきであるから,黙示の契約を有効と認める余地はない,と主張する。
しかしながら,既に述べたように(前記2参照 ,特許法35条所定)の「契約,勤務規則その他の定」には,労働基準法の対象となる労働契約以外のものも含まれるものであるから,同条所定の「契約」について労働基準法が直ちに適用されるものではないし,特許法35条3項,4項の規定を強行規定と解する以上,黙示の契約を認め得るものとしても,従業者等の保護に欠けることにはならない。したがって,既に述べたとおり,本件における前記認定事実の下においては,従業員と被告会社との間の黙示の契約の成立を認めることができる。原告の主張は,採用できない。
(3)本件発明についての原告による権利譲渡について,原告は,本件発明のされた当時,本件発明についての特許を受ける権利が原始的に原告に帰属しているとの認識を欠いていたから,これを被告会社に譲渡する旨の意思表示をするはずがなく,被告会社においても,同様に本件発明の特許を受ける権利が原告に帰属するとの認識を欠いていたから,原告からその譲渡を受ける旨の意思表示をするはずがないと主張する。
しかしながら,前記認定のとおり,本件発明の特許出願に先立って原告から被告会社特許室に提出された出願依頼書(乙2の1)の表紙裏側の「譲渡証書」には,不動文字で「下記の発明又は考案について,特許又は実用新案登録を受ける権利の持分の全部を日亜化学工業株式会社に譲渡したことに相違ありません 」と印刷されているところ,原告は自ら,その譲渡人欄に「N」 。
と鉛筆書きで自署しているものであり,原告と被告会社との間で,本件発明の特許を受ける権利を原告から被告会社に譲渡する旨の意思表示の合致があったことを,明確に認定することができる。原告の本人尋問における供述(原告本人調書30頁ないし33頁)を見ても,原告は本件発明についての書類であることを認識した上で出願依頼書(乙2の1)の表紙裏側の「譲渡証書」に署名していると認められるものであり,前記認定のように,原告が,本件発明の前後を通じて,職務発明に関する被告会社の取扱いに異を唱えることなく,少なからぬ数の発明について特許出願のための社内手続を履行しており,本件発明が設定登録された後も,本件発明の特許を受ける権利が被告会社に帰属したことを前提にした言動をしていることなどに照らしても,原告の譲渡意思は明白というべきである。
また,前記(1)において説示したとおり,そもそも,特許法35条2項の定める「契約」であるためには,職務発明についての特許を受ける権利若しくは特許権を使用者等に帰属させるという点で,従業者等と使用者等との間で意思の合致があれば足りるものであって,両者において,その前提として特許を受ける権利が原始的に従業者等に帰属することを共通して認識した上で,更にこれを従業者等から使用者等に移転するという認識をも共通して有することを要するものではないから,この点に照らしても,原告の主張は採用できない。
さらに,原告は,被告会社は,出願依頼書の「譲渡証書」欄を,特許庁からの問合せがあった場合に備えての形式上の書類と考えていたから,これにより譲渡契約が成立するはずがなく,また,署名が鉛筆書きでされ,押印もされていない外形から見ても,原告が譲渡意思を持って同書類を作成したものでないことは明白であるとも,主張している。しかし,被告会社が昭和60年に社規第17号を改正し,さらに出願依頼書に「譲渡証書」欄を設けるに至った前記認定のような経緯等に照らせば,被告会社において譲渡証書を単なる形式上のものと考えていたということはできない。また,原告についても,そもそも譲渡契約は一定の方式で行うことを要件とする法律行為(要式行為)ではなく,また,譲渡証書における譲渡人の署名・押印欄については,他にも署名だけで押印を欠いた例が見られるなど(乙28,29 ,必ずしも決まった形 )式が要求されていなかったと認められるから,原告の自署が鉛筆書きであり押印もされていないことは,原告が署名された書類の文言に従った意思表示を行ったとの認定の妨げになるものではない。
また,特許を受ける権利の譲渡契約が成立するためには,契約の内容についての意思の合致を超えて,当事者双方に「確定的な契約締結意思」がなければならないとの原告の主張については,その意味するところは必ずしも明らかでないが,一般的に契約成立のために要する意思表示の合致を超えて,譲渡契約成立のための要件を加重するものであるならば,民法の規定の解釈を離れた独自の見解であって,採用できない。以上のとおり,原告の主張は,いずれも採用できない。
(4)原告は,仮に,出願依頼書(乙2の1)の表紙裏側の譲渡証書が,本件発明の特許を受ける権利に関する原告の譲渡意思を表示するものであったとしても,原告は内心は権利を譲渡するつもりがなく,譲渡証書に署名しても契約の効力を生じないと考えてこれに鉛筆で署名したものであり,被告会社はそのことを知っていたから,民法93条但書の適用(心裡留保)により,当該譲渡契約は無効である旨を主張する。
しかしながら,前記(3)において説示したとおり,本件においては,原告が,本件発明についての特許を受ける権利を被告会社に譲渡する意思で譲渡証書に署名したものと明確に認定することができるから,表意者である原告が契約としての効果を生じないと考えて意思表示をしたということはできない。したがって,本件においては,そもそも,民法93条適用の前提を欠く。
また,仮に,原告が内心は対価零円で権利を譲渡するつもりがなく,契約としての効果を生じさせないつもりであえて鉛筆書きで譲渡証書に署名したとしても,本件においては,被告会社は原告のそのような内心を知りようもなく,また,出願関係書類には他にも署名だけで押印されていない例が見られるなど,譲渡証書における署名・押印について必ずしも決まった形式が要求されていなかったことに照らしても,相手方である被告会社が,表意者である原告の真意を知っていたか,又は知ることができたとは到底認められないというべきである。いずれにしても,原告の主張は失当である。
(5)原告は,原告及び被告会社の双方とも,本件発明についての特許を受ける権利は被告会社に原始的に帰属しているものと誤解しており,同権利が原告に帰属しているとの認識を欠いていたから,同権利の譲渡契約は,原告被告双方の共通錯誤により無効であり,仮に共通錯誤に該当しないとしても,原告には動機の錯誤があり,しかもその錯誤は主として被告の不正確な法知識によって惹起されたものであるから,少なくとも原告による承諾の意思表示は錯誤により無効である,と主張する。
しかし,前記(1)において説示したとおり,被告会社においては職務発明についての特許を受ける権利が原始的に発明者である従業員に帰属することを認識していたものと認められるところ,殊に,本件発明については,既に前記(3)において述べたとおり,出願依頼書(乙2の1)の表紙裏側の「譲渡証書」には,不動文字で「下記の発明又は考案について,特許又は実用新案登録を受ける権利の持分の全部を日亜化学工業株式会社に譲渡したことに相違ありません 」と印刷されており,その譲渡人欄に原告が氏名を自署しているの 。
であるから,被告会社及び原告の双方とも,本件発明の特許を受ける権利が原告に帰属することを前提として,これを被告会社に譲渡する意思で上記譲渡証書を作成したものというべきである。したがって,原告の錯誤の主張は,その前提を欠くものである。
また,前記(1),(3)において説示したとおり,一般に,権利の移転を内容とする契約においては,最終的な権利の移転先についての合意が成立していれば足りるものであって,契約時における権利の帰属についての認識は,契約の成立のための要件ではないから,仮に契約時にこの点についての誤信があったとしても,錯誤の問題を生じないというべきであり,このことは,民法が他人の物の売買において,売買の目的物の所有権の帰属についての認識が真実と異なる場合であっても,売買契約の成立を認め,売主の担保責任の規定による処理を行うこととして(民法560条ないし564条参照 ,錯誤の問題を)生じないとしていることに照らしても明らかである。
したがって,いずれにしても,原告の錯誤の主張は,失当である。
(6)さらに,原告は,譲渡の対象である本件発明の経済的価値は少なく, , とも1億円であるのに対し それに対して支払われた対価は実質零円であって著しく均衡を欠くから,本件発明の特許を受ける権利の譲渡契約は,強行規定である特許法35条に違反し,その点が原告に明示されていなかった点において労働基準法15条1項にも違反するものであるから無効であり,また,民法90条(公序良俗違反)によっても無効であると主張する。
しかしながら,既に述べたように(前記1参照 ,特許を受ける権利)「」(,) 又は特許権を譲渡したことに対する 相当の対価特許法35条3項 4項については,最終的に,司法機関である裁判所により,同条4項に規定された基準の下で客観的に定められるべきものであって,契約や勤務規則等の定めにおいて対価として従業者等が受けるべき金額を一定金額に制限する条項を設けたとしても,強行規定である特許法35条3項,4項に違反するものとして無効であり,従業者等は,当該条項に基づいて算出された額に拘束されることなく,上記のような特許法の規定の趣旨に従った「相当の対価」を請求することができるものである。したがって,特許法35条所定の「契約,勤務規則その他の定」に該当する契約等に相当対価に関する条項が置かれており,当該条項の内容が同条3項,4項の趣旨に反するものであったとしても,従業者等は,, , 対価の不足額を請求することができるにとどまり 条項の不当性を理由として当該契約等による特許を受ける権利等の使用者等への承継の効果を争うことはできないと解するのが相当である。また,前記(2)において述べたとおり,特許法35条所定の「契約,勤務規則その他の定」には,労働基準法の対象となる労働契約以外のものも含まれるものであるから,同条所定の「契約」について労働基準法が直ちに適用されるものではないし,特許法35条3項,4項の規定を強行規定と解する以上,労働基準法15条1項の定める明示の要件がそのまま妥当するものでもない。
本件発明についての特許を受ける権利を譲渡したことに対する対価が実質零円であることを前提とする原告の上記各主張は,そもそも,その前提において誤っているものであるが,その点をおいても,上記に説示した点に照らし,いずれも採用できない。
(7)なお,原告は,本件訴訟において予備的請求として相当対価の一部として20億円の支払を請求していること(前記第1の3)に関連して,訴状の送達により20億円の支払の履行が催告され,被告が履行遅滞に陥っている, , ところ 口頭弁論期日における準備書面の陳述により譲渡契約を解除したので本件発明の特許を受ける権利(ひいては特許権)は原告に帰属する旨を主張している。
しかしながら,職務発明について使用者等が特許を受ける権利ないし特許権を承継することができるのは,契約のみならず勤務規則その他の定めに基づく場合でも認められるものであって,使用者等のこのような地位は特許法。, 35条により使用者等に与えられた法定の権利というべきである したがって仮にそれが契約に基づくものであった場合にも,同条の効果としてこれらの権利が使用者等に承継された後においては,もはや発明者たる従業者等は同条3項,4項の規定により相当対価の支払を求めることができるのみであって,債務不履行による契約解除等を理由として権利の承継の効果を覆すことは,特許法の予定しないこととして許されないと解するのが相当である。したがって,原告の上記主張は,それ自体失当というべきである。
また,本件においては,上記のとおり,原告は予備的請求として20億円の支払を求めているところ,被告に対して主位的請求に係る請求を維持している間は,予備的請求に係る請求権の履行を確定的に求めているということはできず,民法412条3項にいう遅滞の要件としての「請求」がされたということはできない。したがって,この点からも,原告の上記主張は,失当である。
8結論以上のとおり,本件においては,本件発明は職務発明に該当すると認められるところ,被告会社の昭和60年改正社規第17号が特許法35条にいう「勤務規則その他の定」に該当するものとして存在したほか,遅くとも本件発明がされる前までには,従業員と被告会社との間で,職務発明については被告会社が特許を受ける権利承継する旨の黙示の合意が成立していたと認めら,, ,, れ また 本件発明の特許を受ける権利については 原告と被告会社との間でこれを被告会社に譲渡する旨の個別の譲渡契約も成立していたと認められる。
したがって,本件発明についての特許を受ける権利は,特許法35条の規定の効果として,発明者である原告から被告会社に承継されたものというべきであるから,この旨をいう被告の主張は,理由がある。
そうすると,本件においては,本件発明についての特許を受ける権利が被告会社に承継されていないことを前提として,本件特許権の持分の移転登録と1億円及び遅延損害金の支払を求める主位的請求(前記第1の1)は,理由がないこととなるので,引き続いて,本件発明についての特許を受ける権利が被告会社に承継され,本件特許権が有効に被告会社に帰属していることを前提として 特許法35条3項 4項に基づいて相当対価を請求する予備的請求 前 ,, (記第1の2,3)についての審理を行うべきものである。
よって,主文のとおり,中間判決する。
裁判長裁判官 三村量一
裁判官 村越啓悦
裁判官 青木孝之