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審判番号(事件番号) データベース 権利
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関連ワード 技術的思想 /  新規性 /  頒布された刊行物 /  進歩性(29条2項) /  公知技術 /  技術的範囲 /  出願公開 /  特許の有効性 /  先行技術 /  発明の詳細な説明 /  出願分割 /  分割出願 /  権利の濫用(権利濫用) /  出願経過 /  技術的意義 /  特許発明 /  実施 /  権原 /  間接侵害 /  構成要件 /  差止請求(差止) /  侵害 /  実施料 /  請求の範囲 /  減縮 /  変更 /  要旨変更 /  審決確定(審決が確定) / 
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事件 平成 11年 (ワ) 12876号 不当利得金返還請求事件
原告 アース製薬株式会社右代表者代表取締役 【A】 右訴訟代理人弁護士 吉原省三
同 小松勉右補佐人弁理士 【B】
被告 大日本除蟲菊株式会社右代表者代表取締役 【C】 右訴訟代理人弁護士 赤尾直人右補佐人弁理士 【D】
同 【E】
裁判所 大阪地方裁判所
判決言渡日 2000/12/19
権利種別 特許権
訴訟類型 民事訴訟
主文 一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
請求
被告は、原告に対し、金一億三一〇〇万円及びこれに対する平成一一年一二月一〇日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
事案の概要
一 基礎となる事実(いずれも争いがないか弁論の全趣旨により認められる。なお、以下、書証の掲記は甲1などと略称し、枝番号のすべてを含む場合はその記載を省略する。) 1 原告の特許権 原告は、次の特許権(以下「本件特許権」といい、その特許を「本件特許」という。)を有している。
(一) 発明の名称 加熱蒸散殺虫方法 (二) 出願日 昭和五九年一月三一日(特願平三ー一〇七一四〇号) 特願昭五九ー一六七六〇号の分割 (三) 公告日 平成五年九月一〇日(特公平五ー六三四四一号) (四) 登録日 平成一〇年三月一三日 (五) 特許番号 第二一三五三〇八号 (六) 特許請求の範囲 本件特許権に係る特許出願の願書に添付した明細書(以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲(請求項1)の記載は、本判決添付の特許公報中の平成九年八月二六日付手続補正中の該当欄記載のとおりである(以下、この特許発明を「本件発明」という。)。
2 出願経過 本件発明は、平成三年五月一三日に特願昭五九ー一六七六〇号の特許出願(以下「原出願」という。)からの分割出願によって出願され、出願公告前の同年六月一一日に第一回手続補正(以下「本件補正」という。)がなされ、出願公告後の平成六年九月五日及び平成九年八月二六日の補正を経て、登録されたものである。
3 本件発明の構成要件の分説 本件発明の構成要件は、次のとおり分説するのが相当である。
A 殺虫液中に吸液芯の一部を浸漬して該芯に殺虫液を吸液させると共に、
該芯の上部を間接加熱して吸液された殺虫液を蒸散させる加熱蒸散殺虫方法において、
B 殺虫液に含まれる殺虫剤としてピレスロイド系殺虫剤を用い、
C 殺虫液に含まれる溶媒として脂肪族系の溶剤を含み且つ以下に記載の発熱体及び吸液芯の表面温度で蒸散するものを用い、
D 前記吸液芯として以下に記載の発熱体及び吸液芯の表面温度での使用が可能であるものを用い、
E 表面温度が七〇〜一五〇℃の発熱体にて F 上記芯の上部を表面温度が六〇〜一三五℃となる温度に間接加熱する G ことを特徴とする加熱蒸散殺虫方法。
4 被告の行為 (一) 被告は、別紙目録記載の、@加熱蒸散殺虫用器具及び薬剤ボトルのセット(以下「被告セット」という。)と、A同器具に用いる加熱蒸散殺虫薬剤ボトル(以下「被告ボトル」といい、被告セットと被告ボトルを併せて「被告製品」という。)を過去において製造、販売した。
(二) 被告セット及び被告ボトルは、いずれも加熱蒸散殺虫のためのものであって、それらを用いた殺虫方法(以下「被告方法」という。)は、次の構成のものである。
a 薬剤ボトルBの吸液芯13は、その下部が殺虫液中に浸漬されており、
その上部を器具Aの発熱体1で間接加熱して、吸液された殺虫液を蒸散させる。
b 殺虫液に含まれる殺虫剤の主成分はフラメトリンであり、これはピレスロイド系殺虫剤である。
c 殺虫液に含まれる溶媒としてケロシン(灯油)を用いており、これは脂肪族系の溶剤であって、以下に記載の発熱体1及び吸液芯13の表面温度で蒸散する。
d 吸液芯13は以下に記載する発熱体1及び吸液芯13の表面温度での使用が可能である。
e 使用時における金属リング2の表面温度は、平均して一三五℃である。
f 使用時における吸液芯13の表面温度は、平均して約一二〇℃である。
g 発熱体(発熱素子)1の表面温度は平均一六〇℃である。
h 以上を特徴とする加熱蒸散殺虫方法である。
二 原告の請求 本件は、原告が、被告に対し、被告セット及び被告ボトルは本件発明の実施にのみ使用する物であるから、それらの製造、販売は本件特許権を侵害するとみなされる(間接侵害)として、特許権侵害を理由とする不当利得返還請求をした事案である。
三 争点 1 被告方法は本件発明の発熱体の温度範囲の要件(構成要件E)を充足するか。
2 被告製品は、本件発明の基本的技術に立脚しているか。
3 被告セットは、本件発明の実施にのみ使用するものか。
4 被告ボトルは、本件発明の実施にのみ使用するものか。
5 権利濫用の抗弁 (一) 本件特許権の登録には無効事由があることが明白か。
(1) 本件発明は新規性を有しないか。
(2) 本件発明は未完成又は開示不十分か。
(二) 被告製品は公知技術の範囲にあるから本件特許権の行使が権利濫用となるか。
6 不当利得額
争点に関する当事者の主張
一 争点1(発熱体の温度範囲)について 【被告の主張】 1 本件明細書においては、公知の各種吸液芯を利用した吸上式加熱蒸散型殺虫装置を使用できる旨の記載があり、その例として、@自ら発熱を行う素材(及び加熱用部材)と吸液芯との間に空隙が存する加熱方式(狭義の間接加熱)のほか、
A自ら発熱を行う素材と吸液芯との間にフェルト、細毛繊維等の熱伝達物質を介在させて加熱する方式(広義の間接加熱)が示されている。したがって、本件発明における「間接加熱」とは、右@及びAの両者を含むと解すべきところ、Aの場合においても「間接加熱」といえるためには、「発熱体の表面」は、「発熱素子自体の表面」の意味に解釈しなければならない(仮に熱伝達物質を含めて「発熱体」と解するならば、発熱体と吸液芯が直接接触することになり、発熱体の表面温度と吸液芯の温度との間に差異があることを前提とする本件明細書の記載に適合しない。)。
2 被告方法において発熱素子の表面温度は平均約一六〇℃であるから、被告方法は、本件発明の構成要件Eを満たさない。
【原告の主張】 1 本件発明のいう「発熱体」がいかなるものであるかは本件明細書と図面に基づいて判断されるべきものである。
そこで本件明細書を見ると、「発熱体」については、第1図の説明として、「その上側面部を間接的に加熱するための中空円板状発熱体4、該発熱体4を支持するための支持部5及び支持脚6を有する発熱体支持台7とから成っており、
上記発熱体4は、これに通電して発熱させるためのコード(図示せず)を有している。」と記載されている(【0018】)とともに、「また上記装置に利用される発熱体としては、通常通電により発熱する発熱体が汎用されているが、これに限定されることなく、例えば空気酸化発熱材、白金触媒等を利用した発熱材等の公知のいかなる発熱体であってもかまわない。」(【0020】)と記載されている。
したがって、本件発明においては、吸液芯に対向してこれを間接加熱する部材全体を「発熱体」と称しているのであり、このことは、本件発明において「発熱体」の目的が、吸液芯を間接加熱することにあることからも当然である。
2 被告方法においては、発熱体(発熱素子)1の熱が樹脂ケース3を経て金属リング2に伝導され、外部に放熱して吸液芯13を加熱するようになっている。したがって、被告セットにおいては、金属リング2を含め樹脂ケースで一つにまとめられた部材が本件発明にいう「発熱体」に相当し、発熱体(発熱素子)1はその中の一部品にすぎない。
3 なお、「間接加熱」の意義については、本件明細書の「従来技術とその問題点」の項において、被告が広義の間接加熱と呼ぶ方式の先行技術が記載され(【0003】)、それが「吸液芯上部より加熱蒸散させるべくした」と記載されているのに対し、本件発明においては、「該芯の上部を間接加熱」したことを特徴とするものであると記載されている(【0006】)。
このように、本件明細書では、「加熱」と「間接加熱」を区別しており、
本件発明において「間接加熱」とは、接触による熱の直接伝導ではなく、「発熱体」と吸液芯との間に空間を介して加熱することを意味していると解すべきである。
二 争点2(基本的技術思想への立脚の有無)について 【被告の主張】 仮に本件発明における「発熱体」の意義を争点1に関する原告の主張のように解するとしても、被告製品は、本件発明の基本的技術思想に立脚していない。
本件発明は、発熱体表面及び吸液芯表面を一定の温度範囲に設定することによって、@吸液芯の目づまり等を回避し、長期にわたる持続的殺虫効果を奏するとともに、A殺虫剤総揮散量及び有効揮散率の向上を計るとの作用効果を発揮する点に基本的技術思想が存在する。しかし、吸液芯方式の殺虫用器具の場合には、発熱体表面及び吸液芯表面を一定の温度に設定することは、当たり前の技術的事項である。したがって、本件発明が、新規性及び進歩性を維持するためには、単に各表面温度の範囲を設定するだけではなく、当該表面温度範囲内にある場合には、当該範囲外である場合よりも、前記@及びAの点において、優れた作用効果を発揮するものでなければならない。
したがって、被告製品が、本件発明の基本的技術思想に立脚しているといえるためには、被告製品においても、本件発明の温度範囲内において、前記@、Aの点において同様に優れた作用効果を発揮していることが不可欠である。
ところが、乙5の試験結果によれば、被告製品の発熱素子を改良して、金属リングの表面温度、吸液芯上部の表面温度をそれぞれ本件発明の各表面温度範囲にある八〇℃及び六五℃に設定した場合、極めて低い有効揮散率しか測定され得ず、
ましてや殺虫効力試験に至っては、密室中における蚊の五〇%が転倒(ノックダウン)するに至る時間(いわゆるKT50値)を測定しても、測定自体を無意味とするほど桁違いに大きな数値(時間)を予測させるにすぎない。このように、乙5の結果は、被告製品においては、本件発明の温度範囲内であっても、温度条件如何によっては、到底前記@、Aの作用効果を達成できないことを明瞭に証明している。
したがって、被告製品は、本件発明の基本的技術思想に立脚していない。
【原告の主張】 被告製品は、前記被告方法の温度条件によって所定の有効揮散率を呈し、かつ良好な殺虫効力を得るに至っている。そして、被告方法が本件発明の構成を有することは、前記の発熱体に相当するものが何であるかの点を除いては実質的に争いがなく、かつ本件発明の作用効果を有することも争いがないのであるから、その効果は被告製品の有する構成によってもたらされたものと解するのが普通である。そしてそれは、温度条件のコントロールによる効果にほかならないのである。
したがって、被告製品が本件発明の基本的技術思想に基づいていることは、
疑いのないところである。
三 争点3(被告セットの間接侵害性)について 【被告の主張】 被告セットのうち、殺虫用器具は、これが廃棄されない限り、長期にわたって使用可能であるのに対し、被告ボトルは消耗品であって、内部の薬剤が蒸散によって費消された場合には取り替えられることが予定されている。このような場合、
被告セットが、本件発明の方法の実施にのみ使用されるというためには、被告ボトルを費消した後に、被告セットの殺虫用器具と他の薬液ボトルとを組み合わせて使用する場合にも、本件発明の方法を使用していることが必要となる。
しかし、被告セットの殺虫用器具は、ケロシンを溶剤としている被告ボトルとの組み合わせだけでなく、フラメトリンを有効成分とし、水を溶剤とし、ブチルジグリコールを双方の間に介在する界面活性剤とする殺虫液を収容した薬液ボトル(以下「別件ボトル」という。)との組み合わせも可能であり、現に被告においては、平成六年一〇月以降、本件殺虫用器具と別件薬液ボトルとのセット及び別件薬液ボトルの製造販売を行っている。そして、後者の場合には、本件発明の技術的範囲に属しない。
したがって、被告セットは、本件発明の実施にのみ使用する物とはいえない。
【原告の主張】 別件ボトルが本件発明の間接侵害を構成するものであるか否かはおくとして、本件において原告が間接侵害であると主張しているのは、「加熱蒸散用器具及び薬剤ボトルのセット」であり、殺虫用器具単体の販売行為について、間接侵害であるとして不当利得返還請求を求めているわけではない。そして、右の「加熱蒸散殺虫用器具及び薬剤ボトルのセット」は、明らかに本件発明の実施にのみ使用する物である。
間接侵害の成否について、その物が他の用途に用いることができるかどうかの判断時期は、その行為(本件では製造販売)が行なわれたときである。そしてその後に他の用途に用いられるようになったとしても、既に行なわれた行為が間接侵害ではなくなったというものではない。その場合、間接侵害が行なわれたという事実は変らないのである。
また、仮に他の用途があったとしても、侵害者がその発明の実施に用いることを指導して販売したときは、間接侵害が成立する。本件において、被告が本件殺虫用器具と本件薬液ボトルを同じ箱に入れ、セットとして販売したことは、本件薬液ボトルを本件殺虫用器具に装着して使用することを指導し、本件発明の実施をさせるために販売したことに他ならない。したがって、仮に本件殺虫用器具について他の用途があったとしても、本件薬液ボトルとセットとして製造販売した行為について、間接侵害の成立を免かれるものではない。
したがって、被告セットは、本件発明の実施にのみ使用する物である。
四 争点4(被告ボトルの間接侵害性) 【被告の主張】 争点1に関する原告の主張の意味での「間接加熱」においては、吸液芯を介した薬液の輝散状況は様々な要因によって左右され、吸液芯及び発熱体の各表面温度のみによって規律されるわけではない。したがって、被告ボトルを使用して適切な蒸散効果を得ようとする場合、必ず本件発明が定める発熱体表面温度で加熱することが必要となるわけではなく、発熱体と吸液芯との距離等を適宜設定することによって、本件発明が定める範囲外の発熱体表面温度で加熱をしても、適切な蒸散効果を得ることができる。
したがって、被告ボトルは、本件発明の方法の実施にのみ使用する物ではない。
【原告の主張】 被告の主張は、本件発明とは異なる温度範囲で使用することができる抽象的な可能性がある旨を述べているにすぎず、具体的な加熱温度や殺虫器具の存在を主張しているわけではない。このような場合、被告の主張は間接侵害の成立を否定する理由とはならない。
五 争点5(一)(新規性の欠缺による明白な無効事由)について 【被告の主張】 1 本件発明の特許出願の分割違法による主張 本件発明は、原出願からの分割出願によって特許出願されたものであるが、本件発明の分割出願当初明細書(乙9の一一頁まで)の特許請求の範囲に記載された発明は、原出願の右出願分割に対応する手続補正に係る明細書(乙18の1)の特許請求の範囲記載の発明及び原出願の最終的な明細書の特許請求の範囲に記載された発明(乙18の2)と同一であるから、本件発明の分割出願は不適法であることが明らかである。
したがって、本件発明の特許出願は、分割出願の日である平成三年五月一三日になされたものとみなされる。
2 本件補正が要旨変更であることに基づく主張 本件発明の分割出願当初明細書においては、吸液芯の目づまり回避効果は、殺虫剤の有機溶剤中に特定の化合物を配合することによって発揮されており、
その加熱温度範囲は、「従来のこの種装置の利用法と同様」であって、殺虫液組成物が「蒸散し得る適当な温度に吸液芯を加熱すればよい」と記載されるにとどまり、発熱体及び吸液芯の表面温度をコントロールすることによって、殺虫剤揮散量及び有効揮散率の向上を得るなどとする技術的事項は全く開示されていなかった。
現に、分割出願当初明細書では、実施例において、吸液芯表面及び発熱体表面の温度と殺虫剤総揮散量及び有効揮散率との関係について、何ら検討されているわけではなく、せいぜい比較例において、「吸液芯(1)の上側面部を温度一三五℃に加熱し、該加熱による組成物試料中の殺虫剤の蒸散試験を行った。」と記載されているにすぎない。
このように、分割出願当初明細書では、目づまり回避効果は、殺虫剤の有機溶剤中に特許請求の範囲記載の化合物を配合することによって発揮されており、
前記各温度範囲は、「従来のこの種装置の利用法と同様」であって、特許請求の範囲記載の化合物を含む殺虫液組成物が、「蒸散し得る適当な温度」である旨の記載があるにとどまり、本件発明の温度範囲自体が、目づまりの程度を左右することは、何ら開示されていなかった。
ところが、本件補正(乙9の一二頁以下)によって、第3表において、分割出願当初明細書に記載されていないデータを設定した上で、吸液芯及び発熱体の表面温度を特定の温度範囲に設定することにより、目づまり回避という作用効果を奏する旨が加えられた。これは明らかに当初明細書から当業者が化学上ないし技術上の常識として了解できる範囲を超えた要旨変更に該当する。
したがって、本件発明は、特許出願当時に施行されていた特許法40条に基づき、本件補正の手続補正書を提出した平成三年六月一一日に出願されたものとみなされる。
3 ところで、1及び2によって本件発明の特許出願の日とみなされる日以前である昭和六〇年八月二三日に出願公開された原出願の公開特許公報(乙8)においては、本件発明の構成のすべてが記載されている。
すなわち、本件発明は、BHT(3,5-ジ-t-ブチル-4-ヒドロキシトルエン)等の化合物の添加の有無にかかわらず、吸液芯表面及び発熱体表面の各温度範囲を設定することを構成要件としている以上、@右化合物を添加した場合の構成と、A右化合物を添加していない場合の構成との双方を包摂していることに帰するが、@の構成については、原出願の公開特許公報中にすべて記載されているから、本件発明が新規性を欠如することは明白である。
したがって、本件特許には明白な無効事由があるから、本件特許権の行使は権利濫用に当たる。
【原告の主張】 1 被告主張の分割出願の違法については争う。
2 本件発明の目的、構成及び効果は、すべて分割出願当初明細書に記載されている。
被告は、各表面温度範囲を特定の範囲にすることにより目づまり防止効果及び揮散持続効果が奏されることは分割出願当初明細書に記載されていないと主張するが、同明細書記載の目的は、吸上式加熱蒸散型殺虫装置を利用した場合における目づまり防止及び揮散持続にあるのであるから、吸上式加熱蒸散型殺虫装置における各表面温度範囲を特定の範囲とすることが好ましいとの同明細書の記載(【0019】)が、同じ作用効果(目づまり防止及び揮散持続効果)を目的とするものであることは当然である。
次に、構成については、分割出願当初明細書に発熱体表面温度範囲と吸液芯表面温度範囲は明記されており、BHT等の化合物を配合しない発明も具体的に記載されている(第1表 比較例1〜14)。
また、効果については、分割出願当初明細書においては、それらの化合物を配合した発明について論じているが、それらの化合物を配合しない発明が揮散持続効果を奏しないと明記しているものではない。また、効果についての具体的実験データの記載がなければ、特許にならないというものではない。しかも、それらの化合物を配合しない発明が揮散持続効果を奏することについては、本件明細書の第3表記載のとおり、本件明細書に記載されている実施態様に絞ったデータが最終的には明らかにされている(わが国に限らずほとんどの国において、明細書に追加記載できるか否かは別として、明細書に明記された要件をサポートする実験データを追加提示することが認められている。)。
そもそも分割出願当初明細書に開示されていた発明は、特定の化合物を加えて特定の温度範囲で間接加熱をすることにより、長期にわたり殺虫効果を持続させ得るようにするというものである。そして、分割出願当初明細書の特許請求の範囲に特定した発明は、このうち特定の化合物を加えるという点についてのものであり、それ故に比較例としては、化合物を加えない組成のものを掲げているのである。これに対し、本件発明は加熱温度の範囲について特許請求の範囲に記載すべく補正したものである。
したがって被告の要旨変更の主張は、理由のないものである。
3 被告は、原出願の公開特許公報との対比において全部公知を主張しているが、右公報の記載と本件発明の分割出願当初明細書の記載はほぼ同一であるから、
被告の主張に従うと、本件発明は分割出願当初明細書に全部開示されているということになり、要旨変更ではないことになる。このように、被告の主張は自己矛盾であり、成り立ち得ないものである。
4 特許権の行使が権利濫用とされるのは、当該特許に無効理由が存在することが明らかであるときであり、無効理由の有無について争いのあるときに、すべて権利濫用となるものではない。本件の場合、被告が本争点で主張する無効理由は、
要旨変更新規性進歩性の欠如である。そして、これらの無効理由は、被告の提出した証拠によっても「明らか」とはいえない。したがって、被告の権利濫用の主張は、理由のないものである。
六 争点5(二)(未完成・開示不十分による無効事由)について 【被告の主張】 本件発明は、発熱体及び吸液芯の各温度を一定の範囲に設定することによって殺虫剤の総揮散量及び有効揮散率の向上を図るものであるが、たとえ吸液芯表面及び発熱体表面の各温度が特定の値に設定されたとしても、発熱体の加熱温度及び吸液芯と発熱体との距離、発熱体表面(加熱部材表面)の長さ、外気取り入れ口の大きさ、位置、及び殺虫用器具の内部構造、発熱体及び吸液芯の各表面温度によって必然的に相違する。ところが、本件明細書においては、右の事項について明らかにするところがない。
したがって、本件発明は、目的を達成することができない未完成発明であるか、又は、本件明細書には、目的を達成するために必要な技術的事項が開示されていない開示不十分の場合のいずれかに該当することになり、無効事由を有することが明白である。よって、本件特許権の行使は権利濫用に当たる。
【原告の主張】 被告の主張は争う。
本件発明の構成は明瞭であり、本件明細書の発明の詳細な説明における開示も十分であり、出願当時の特許法36条4項の要件に欠けるところはない。
この点は、基本的には特許請求の範囲にどの程度まで記載すればよいかということであり、当業者が見て理解し得る程度に記載すればよいわけである。そして、本件の場合は、発熱体の表面温度とこれに対向する吸液芯の表面温度が記載されていれば、発熱体表面と吸液芯表面の間隔は自ずから一定の範囲に定まることになる。そして、加熱用部材表面の長さ等の点は、この温度条件が満たされる範囲において適宜定められればよい。
そして、巨大や極小の殺虫器具はなく、「加熱蒸散殺虫方法」といえば、これに用いられる器具として当業者には一定の通念がある。
したがって、当業者としては本件発明を十分理解することができるはずであり、本件発明が未完成であるとか、開示不十分であるということはない。
なお、被告主張の無効事由は、被告の提出した証拠によっても「明らか」とはいえない。したがって、被告の権利濫用の主張は、理由のないものである。
七 争点5(三)(被告製品が公知技術の範囲内にあることによる権利濫用) 【被告の主張】 被告方法における温度範囲は、本件発明の出願前の公知文献である乙3(実公昭三六ー一二四五九号実用新案公報)及び乙6(特開昭五五ー五七五〇二号公開特許公報)から当業者が任意に選択できる程度のものにすぎないから、被告製品に対する本件特許権の行使は、明らかに特許法の正当な保護の範囲を逸脱しており、
権利の濫用に当たる。
【原告の主張】 争う。
八 争点6(不当利得額)について 【原告の主張】 被告は、平成五年九月一〇日から平成六年一二月末日までの間、被告製品の製造、販売をしたことにより、二六億二七〇〇万円の売上げを得たが、これに対する実施料率は五パーセントが相当であるから、原告が被告に対して請求し得る不当利得返還請求額は、一億三一〇〇万円となる。
【被告の主張】 争う。
争点に対する当裁判所の判断
一 争点5(一)(1)(新規性欠如の明白な無効理由が存することに基づく権利濫用)について 1 被告は、@本件補正は要旨変更であるから、本件特許の出願日は本件補正の手続補正書が提出された平成三年六月一一日に繰り下がるところ、A本件発明は、右出願日より前に国内で刊行された乙8(原出願に係る特開昭六〇ー一六一九〇二号公開特許公報)によって新規性を喪失しているから、明白な無効事由があると主張している。
特許の無効審決が確定する以前であっても、特許権侵害訴訟を審理する裁判所は、特許に無効理由が存在することが明らかであるか否かについて判断することができると解すべきであり、審理の結果、当該特許に無効理由が存在することが明らかであるときは、その特許権に基づく差止め、損害賠償等の請求は、特段の事情がない限り、権利の濫用に当たり許されないと解するのが相当である(最高裁判所第三小法廷平成一二年四月一一日判決・民集五四巻四号一三六八頁参照)。
そこで、以下、被告の前記主張について検討する。
2 本件補正の適否(本件発明の出願日)について (一) 本件補正は本件発明の特許出願の出願公告決定の謄本送達前に行われたものであるが、本件補正が適法になされたといえるためには、同補正が、願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてなされたことを要する(本件発明の特許出願時の特許法40条41条53条)。
そこで、以下、本件発明が、分割出願当初明細書に記載された事項の範囲内のものであるか否かについて検討する。
(二) 本件発明について 甲2及び3によれば、現在の本件明細書(平成九年八月二六日付手続補正後のもの)には、次の記載があることが認められる。
(1) 特許請求の範囲 前記「基礎となる事実」に記載のとおり。
(2) 従来技術の問題点について 従来の「吸上式加熱蒸散型殺虫装置は、実際にこれを用いた場合、いずれも吸液芯の加熱によって殺虫剤液を構成する溶剤が速やかに揮散し、該芯内部で殺虫剤液が次第に濃縮され、樹脂化したり、芯材が燻焼したりして、目づまりを起し引続く殺虫液の吸上げ及び蒸散を不能とし、長期に亘る持続効果は発揮できず、しかも殺虫効果の経時的低下を避け得ず、更に有効揮散率が低く残存率が高いものであった。このような吸上芯利用による加熱蒸散方法に見られる各種の弊害の生ずる原因としては、芯の種類及び溶剤の種類は勿論のこと、殺虫剤の種類、濃度、加熱条件の多数が考えられ、上記弊害を解消することは困難であると考えられた。」(【0004】) (3) 目的について 「本発明は吸上式加熱蒸散型殺虫装置を利用して、吸液芯の目づまり等を回避し、長期に亘る持続的殺虫効果を奏し得、しかも殺虫剤総揮散量及び有効揮散率の向上を計り得る改良された加熱蒸散殺虫方法を提供することを目的とする。」(【0005】) (4) 作用効果について 「本発明方法によれば、吸液芯の目づまりを惹起せず、該芯の長寿命化を可能とすると共に、これに基づいて殺虫剤の蒸散性(揮散量及び有効揮散率)を顕著に向上でき、長期間に亘って優れた殺虫効果を持続発揮させ得る。」(【0008】) (5) 殺虫方法について 「上記吸液芯用殺虫液組成物を上記装置に適用して殺虫を行う本発明方法は、上記組成物が吸液芯より蒸散し得る適当な温度に吸液芯を加熱することにより実施される。該加熱温度は、殺虫剤の種類等に応じて適宜に決定され、特に限定されないが、通常約七〇〜一五〇℃、好ましくは一三五〜一四五℃の範囲の発熱体表面温度とされ、これは吸液芯表面温度約六〇〜一三五℃、好ましくは約一二〇〜一三〇℃に相当する。」(【0021】) (6) 実施例について ア 第1表について 第1表には、実施例として、殺虫剤、化合物及び溶剤の種類等を変化させた七八の例が挙げられている。そのうち実施例1ないし20について見ると、
殺虫剤の重量パーセントは、実施例2、4、6のみが八%で、その余は四%となっており、また、実施例1ないし14はBHT等の化合物が配合されていないが、実施例15ないし20では配合されている。
イ 第2表について (ア) 「上記実施例1〜20で調整した本発明に用いられる組成物の夫々五〇?を、第1図に示す容器3に入れ、表面温度一四五℃の発熱体4に通電して吸液芯1の上側面部を温度一三五℃に加熱し、該加熱による組成物試料中の殺虫剤の蒸散試験を行なった。」(【0031】) (イ) 「組成物試料の加熱開始より一〇時間後、一〇〇時間後、二〇〇時間後、三〇〇時間後及び四〇〇時間後の一時間当りの殺虫剤揮散量mg/hrを求めた結果を下記第2表に示す。」(【0033】) (ウ) 第2表は、本件明細書【0034】記載のとおりのものであるが、そこでは、@一〇時間後の殺虫剤揮散量は、殺虫剤配合割合の大きい実施例2、4及び6のみが六・五七以上を示しているが、他の実施例ではいずれも三・〇〇ないし三・七一の水準にあること、A二〇〇時間経過後では、BHT等の化合物を配合した実施例15ないし20では、三・四九ないし三・六八の水準を示しているのに対し、その余の実施例では、一・一七ないし二・六六という水準となっていること、B四〇〇時間経過後では、BHT等の化合物を配合した実施例15ないし20では、三・〇八ないし三・三六の水準を示しているのに対し、その余の実施例では、
〇ないし〇・四六という水準となっていること、が読み取れる。
(エ) 「上記第2表より、上記組成物を利用する時には、殺虫剤輝散量を顕著に向上でき、しかもこの向上された輝散量を、加熱開始より二〇〇時間後及び四〇〇時間後も殆ど低下させることなく持続発現させ得ることが明白である。」(【0035】) ウ 第3表について (ア) 「殺虫液組成物として殺虫剤ブラレトリンの1wt%を有機溶剤BDに溶解して調製した組成物を用い、…実施例1と同様にして、第1図に示した装置と同様の装置の容器3内に上記組成物五〇?を入れ、発熱体4に通電し、発熱体の表面温度と吸液芯の表面温度とが所定温度となるように種々変化させて吸液芯1を加熱し、該加熱による組成物中の殺虫剤の蒸散試験を行ない、該加熱開始より一〇、一〇〇及び二〇〇時間後の一時間当りの殺虫剤揮散量(mg/hr)を求めた。」(【0036】) (イ) 「得られた結果を、上記試験において採用した発熱体の表面温度(℃)及び吸液芯の表面温度(℃)と共に、第3表に示す。」(【0037】) (ウ) 第3表は、本件明細書【0038】記載のものであるが、そこでは、@比較1ないし6では、一〇時間後の殺虫剤揮散量が〇・七一ないし〇・九五であり、一〇〇時間後では〇・六四ないし〇・八三であり、二〇〇時間後では〇・六〇ないし〇・七八であったこと、A比較7ないし9では、一〇時間後の殺虫剤揮散量が一・四九ないし一・六三であり、一〇〇時間後では〇・八一ないし〇・九三であり、二〇〇時間後では〇・五〇ないし〇・六〇であったこと、B本件発明の方法に基づいて行った実験例(A1及びA2)では、一〇時間後の殺虫剤揮散量が一・〇七ないし一・一五であり、一〇〇時間後では一・一一ないし一・一九であり、二〇〇時間後では一・〇七ないし一・一四であったこと、が読み取れる。
(エ) 「上記比較1〜6に示すように、吸液芯の表面温度は満足するが発熱体温度が本発明範囲を外れる場合、殺虫剤揮散量が少なすぎて有効濃度に達しないばかりか、該揮散量にバラツキの生じることが判る。また、発熱体温度は満足するが吸液芯表面温度が本発明範囲を外れる場合、比較7〜9に示すように一〇時間までの間は殺虫剤揮散量が多すぎ、逆に一〇〇時間までの間は殺虫剤揮散量が少なすぎ、二〇〇時間までの間はほとんど揮散していないことが判る。之等に対して、発熱体温度及び吸液芯表面温度の両者を満足する本発明の場合、素晴らしい効果が得られることが明らかである。」(【0039】)。
エ 第2表記載の実施例2、9及び10並びに第3表記載の比較1、7、
A1及びA2の試験結果をグラフ化すると、別紙「本件明細書の試験結果表」記載のとおりとなる。
(三) 本件発明の分割出願当初の明細書の記載について 乙9によれば、本件発明の分割出願当初の明細書には、次の記載があったと認められる。
(1) 特許請求の範囲 「殺虫剤の有機溶剤溶液中に、3,5-ジ-t-ブチル-4-ヒドロキシトルエン…(略)…から選ばれた少なくとも一種の化合物を配合したことを特徴とする吸液芯用殺虫液組成物」 (2) 従来技術の問題点について 従来の「吸上式加熱蒸散型殺虫装置は、実際にこれを用いた場合、いずれも吸液芯の加熱によって殺虫剤液を構成する溶剤が速やかに揮散し、該芯内部で殺虫剤液が次第に濃縮され、樹脂化したり、芯材が燻焼したりして、目づまりを起し引続く殺虫液の吸上げ及び蒸散を不能とし、長期に亘る持続効果は発揮できず、しかも殺虫効果の経時的低下を避け得ず、更に有効揮散率が低く残存率が高いものであった。このような吸上芯利用による加熱蒸散方法に見られる各種の弊害の生ずる原因としては、芯の種類及び溶剤の種類は勿論のこと、殺虫剤の種類、濃度、加熱条件等の多数が考えられ、上記弊害を解消することは困難であると考えられた。」(【0004】) (3) 目的について 「本発明は吸上式加熱蒸散型殺虫装置に適した吸液芯用殺虫液組成物を提供することを目的とする。殊に、本発明は上記装置に利用して、吸液芯の目づまり等を回避し、長期に亘る持続的殺虫効果を奏し得、しかも殺虫剤総輝散量及び有効輝散率の向上を計り得る改良された殺虫液組成物を提供することを目的とする。」(【0005】) (4) 作用効果について 「本発明の吸液芯用殺虫液組成物は、これを吸上式加熱蒸散型殺虫装置に利用することによって、吸液芯の目づまりを惹起せず、該芯の長寿命化を可能とすると共に、これに基づいて殺虫剤の蒸散性(揮散量及び有効揮散率)を顕著に向上でき、長期間に亘って優れた殺虫効果を持続発揮させ得る。」(【0007】) (5) 殺虫方法について 「本発明組成物を上記装置に適用して殺虫を行う方法は、従来のこの種装置の利用法と同様でよく、本発明組成物が吸液芯より蒸散し得る適当な温度範囲に吸液芯を加熱すればよい。該加熱温度は、殺虫剤の種類等に応じて適宜に決定され、特に限定されないが、通常約七〇〜一五〇℃、好ましくは一三五〜一四五℃の範囲の発熱体表面温度とされ、これは吸液芯表面温度約六〇〜一三五℃、好ましくは約一二〇〜一三〇℃に相当する。」(【0019】) (6) 実施例について ア 第1表について 第1表には、殺虫剤、BHT等の化合物及び溶剤を、それらの種類等を変化させて混合した六四の実施例と、殺虫剤及び溶剤のみを、それらの種類等を変化させて混合した一四の比較例が挙げられている。それらの実施例及び比較例においては、殺虫剤の重量%は、四、六及び八%のいずれかとされている。
イ 第2表について (ア) 「上記実施例1〜64で調製した本発明組成物及び比較例1〜14で得た比較組成物の夫々五〇?を、第1図に示す容器3に入れ、発熱体4に通電して吸液芯1の上側面部を温度一三五℃に加熱し、該加熱による組成物試料中の殺虫剤の蒸散試験を行なった。」(【0029】) (イ) 「組成物試料の加熱開始より一〇時間後、一〇〇時間後、二〇〇時間後、三〇〇時間後及び四〇〇時間後の一時間当りの殺虫剤揮散量mg/hrを求めた結果を下記第2表に示す。」(【0031】) (ウ) 第2表は、乙9の【0032】ないし【0034】記載のとおりのものであるが、そこでは、次のことを読み取ることができる。
@ 実施例のうち殺虫剤が八重量%含まれているもの(実施例9、10、26ないし29、34、35、38、39、44、45、53、54、59ないし63)では、殺虫剤揮散量は、一〇時間後から四〇〇時間後まで、概ね六・五ないし七・五の範囲で推移している。
A 実施例のうち殺虫剤が六重量%含まれているもの(実施例7、
8、20ないし25、51、52、57、58、64)では、殺虫剤揮散量は、一〇時間後から四〇〇時間後まで、概ね五ないし五・五で推移している(ただし実施例64だけは例外である。)。
B 実施例のうち殺虫剤が四重量%含まれているもの(@A以外の実施例)では、殺虫剤揮散量は、一〇時間後から四〇〇時間後まで、概ね三・五前後で推移している。
C 比較例のうち殺虫剤が八重量%含まれているもの(比較例2、
4、6)では、殺虫剤揮散量は、一〇時間後では六・五七ないし六・八二であったものが、二〇〇時間後には二・二九ないし二・五五となり、四〇〇時間後には〇になっている。
D 比較例のうち殺虫剤が四重量%含まれているもの(C以外の比較例)では、殺虫剤揮散量は、一〇時間後では三・〇〇ないし三・五六であったものが、二〇〇時間後には一・一七ないし二・六六となり、四〇〇時間後には〇ないし〇・四六になっている。
(エ) 「上記第2表より、本発明組成物を利用する時には、殺虫剤輝散量を顕著に向上でき、しかもこの向上された輝散量を、加熱開始より四〇〇時間後も殆ど低下させることなく持続発現させ得ることが明白である。」(【0035】) (オ) 第2表記載の実施例10、15及び20並びに比較例1及び4の試験結果をグラフ化すると、別紙「分割出願当初明細書の試験結果表」記載のとおりとなる。
(四) 以上に基づき検討する。
(1) 前記(三)の分割出願当初明細書の記載からすれば、同明細書における特許請求の範囲の記載に係る発明は、殺虫剤の有機溶剤中に、BHT等の特定の化合物を配合することによって、四〇〇時間程度といった一定期間、吸液芯の目づまりを回避して殺虫剤の蒸散性を安定持続させる効果を実現する点を特徴とする発明であったと認められる。
これに対し、前記(二)の現在の本件明細書の記載を見ると、第2表において、四〇〇時間経過時点で揮散量がほぼ〇となるようなものでも、二〇〇時間経過時点で一定の揮散量を示すものは、本件発明の実施例(実施例1ないし14)とされていること、及び、新たに追加された実施例と比較例(第3表)は二〇〇時間経過までのものであることからすれば、現在の本件発明は、吸液芯方式の加熱蒸散殺虫方法において、一定の条件の殺虫剤と殺虫液溶媒と吸液芯を用いた場合に、
発熱体と吸液芯の表面温度を一定の範囲で組み合わせることによって、BHT等の化合物の添加の有無にかかわらず、二〇〇時間程度といった一定期間、吸液芯の目づまりを回避して殺虫剤の蒸散性を安定持続させる効果を実現する点を特徴とする発明であると認められる。
右事実によれば、本件発明の願書に最初に添付された明細書の特許請求の範囲に記載された発明と、現在の明細書の特許請求の範囲に記載された発明とでは、技術的事項が異なったものになっているといえる。
(2) そこで次に、現在の本件発明が、分割出願当初明細書に記載された事項の範囲内のものであるか否かについて検討する。
なお、本件発明の特許出願当時の特許法41条が、「出願公告すべき旨の決定の謄本の送達前に、願書に最初に添附した明細書又は図面に記載した事項の範囲内において特許請求の範囲を減少し又は変更する補正は、明細書の要旨を変更しないものとみなす。」と規定していたのは、右範囲内の事項であれば、たとえ特許請求の範囲として記載されていなくとも、出願人が出願時に発明していたことが明らかであるからである。したがって、「明細書又は図面に記載した事項」といえるためには、単にその構成が示されているというだけでは不十分であって、当該構成から導かれる技術的思想が開示、示唆されていなければならないと解される。
そこで、分割出願当初明細書において、加熱温度について記載されているのは、前記(三)(2)、(5)及び(6)の記載のみであるから、これらの記載中に前記のような現在の本件発明の要旨たる技術的事項が記載されているか否かを検討する。
ア まず、前記(三)(2)の記載について見ると、そこでは、吸液芯利用による加熱蒸散方法に従来見られた弊害の生ずる原因の一つとして加熱条件が挙げられているにとどまり、現在の本件発明が記載されているとはいえない。
イ 次に、前記(三)(5)の記載について見ると、確かに、ここには、
「本発明組成物を上記装置に適用して殺虫を行う方法」について、「約七〇〜一五〇℃…の範囲の発熱体表面温度」と「吸液芯表面温度約六〇〜一三五℃」で加熱するとの記載がある。この記載によれば、BHT等の化合物を配合した吸液芯用殺虫液組成物を右の温度範囲で加熱すること自体は当初明細書に記載されていたと認められ、前記(三)(3)及び(4)の記載に照らせば、その場合には吸液芯の目づまり等を回避し、長期にわたる持続的殺虫効果を奏し得るものであると理解することができる。
しかし、前記(三)(5)の温度範囲の記載は、「本発明組成物を上記装置に適用して殺虫を行う方法は、従来のこの種装置の利用法と同様でよく、本発明組成物が吸液芯より蒸散し得る適当な温度範囲に吸液芯を加熱すればよい」との記載に続くもので、「殺虫剤の種類等に応じて適宜に決定され、特に限定されない」中での「通常」の温度範囲として記載されているにとどまるから、特にこの温度範囲で加熱することによって、BHT等の化合物を添加しない場合においても、
吸液芯が目づまり等を起こすことなく殺虫剤の蒸散性を安定持続させる作用効果を奏する旨が記載され、示唆されているとはいえない。
ウ 次に、前記(三)(6)の記載について見ると、まず、実施例及び比較例の加熱条件として、「吸液芯1の上側面部を温度一三五℃に加熱し」とのみ記載され、発熱体の表面温度については明示されていない。しかし、前記(三)(5)のとおり、当初明細書における吸液芯用殺虫液組成物を吸上式加熱蒸散型殺虫装置に適用して殺虫を行う場合の加熱温度は、「通常約七〇〜一五〇℃…の範囲の発熱体表面温度」と「吸液芯表面温度約六〇〜一三五℃」とされているのであるから、これからすれば、実施例における発熱体の表面温度は七〇〜一五〇℃の範囲内で加熱されたと理解することができ、また前記(三)(6)イ(ア)の記載によれば、実施例と比較例とは加熱条件を同一にして試験を行ったものと理解されるから、比較例についても右と同様の加熱条件で試験が行われたと理解することができる。
そうすると、分割出願当初明細書の第2表においては、BHT等の化合物を添加した場合(実施例)と添加しない場合(比較例)のそれぞれについて、吸液芯表面温度が一三五℃、発熱体表面温度が約七〇〜一五〇℃の範囲内で加熱した場合の殺虫剤揮散量の推移が示されているということになる。
しかしながら、第2表から読み取れる内容は、前記(三)(6)イ(ウ)のとおりであって、概していえば、殺虫剤の含有量が同量の場合に、実施例の揮散量を比較例の揮散量と比較すると、一〇時間経過後の揮散量はほぼ同じ水準にあるが、二〇〇時間経過後以降には顕著な差異が生じ、四〇〇時間経過後で見れば、実施例では揮散量が当初の水準からあまり低下していないのに対し、比較例ではほとんど零になっていることが示されているものである。
そして、このような第2表の記載からは、BHT等の化合物が添加された実施例のみならず、それらの化合物が添加されていない比較例においても、「表面温度が七〇〜一五〇℃の発熱体にて、上記芯の上部を表面温度が六〇〜一三五℃となる温度に間接加熱する」ことによって、吸液芯の目づまりを回避して殺虫剤の蒸散性を安定持続させる効果を実現する作用効果を奏することは、何ら示唆されていないというべきである。
確かに分割出願当初明細書の実施例においても、比較例においても、二〇〇時間経過後の揮散量が一を上回っていることは第2表に示されており、
現在の本件明細書の実施例は、当初明細書の比較例と実施例の一部を実施例として位置付けし直したものである。しかし、分割出願当初明細書の実施例では、一〇時間後の揮散量と比べて二〇〇時間後の揮散量があまり変化がない(むしろ若干上回っている)のに対し、比較例においては顕著に低下しており、第2表にはそのことしか示されていないのであるから、同明細書の他の箇所に何らの示唆がないにもかかわらず、第2表の実施例及び比較例において二〇〇時間経過後の輝散量が一を上回っていることをもって、BHT等の化合物を添加しない比較例の場合にも、「表面温度が七〇〜一五〇℃の発熱体にて、上記芯の上部を表面温度が六〇〜一三五℃となる温度に間接加熱する」ことによって二〇〇時間経過後の揮散量が一定水準に維持できるとの技術的思想が、当業者に認識可能な程度に記載されていたとはいえない。そのような認識は、本件補正(乙9の一二頁以下)で第3表が追加され、右以外の温度範囲における試験例との差異を示した裏付けが示されることによって初めて可能となったものというべきである(しかも第3表の比較例及びA1、A2は、いずれも殺虫剤の含有量が1重量%の試験例であるから、当初明細書の実施例又は比較例との厳密な比較試験結果を示したものでもない。)。
エ この点について原告は、現在の本件発明の発熱体表面温度と吸液芯表面温度の範囲は分割出願当初明細書に記載されているところ、明細書に記載された事項をサポートする実験データを追加提示することが認められているから、本件補正ではそれが補正という形で明細書への記載が認められただけのことであると主張する。
しかし、前記のとおり、分割出願当初明細書において示されていた温度範囲は、BHT等の化合物を添加した殺虫液組成物が所期の効果を奏するためのものとして記載されており、それらの化合物を添加しない場合であっても、右温度範囲が、吸液芯の目づまりを回避して殺虫剤の蒸散性を安定持続させる効果を実現する技術的意義を有することについては、何ら記載・示唆されていない。そしてまた、そうである以上、第3表の追加は、原告の主張するような、単に明細書に記載された事項をサポートする実験データということはできず、分割出願当初明細書に記載されていなかった新たな技術的事項を明らかにする実験データを追加したものというべきである。
オ 以上によれば、現在の本件発明は、BHT等の化合物を添加することなく、発熱体と吸液芯の表面温度を一定の範囲で組み合わせる場合をも特許請求の範囲に含む点において、明らかに分割出願当初明細書に記載した技術的事項の範囲を超えるものであると認められる。
(五) そして、甲2、3及び乙9によれば、分割出願当初明細書の特許請求の範囲に記載された発明が、現在のような加熱温度を特徴とするものに補正され、本件明細書の発明の詳細な説明の記載が前記(三)のようなものに補正されたのは、本件補正による明細書の全文補正によってであると認められ、本件補正後に二度にわたって行われた手続補正は、いずれも特許請求の範囲の記載を減縮し、又は明細書の発明の詳細な説明の記載の誤記や不明瞭な部分を訂正するものにすぎないものと認められるから、本件補正は、分割出願当初明細書の要旨を変更するものであったと認められる。
したがって、本件発明の特許出願時の特許法40条により、本件発明の特許出願は、本件補正の手続補正書を提出した平成三年六月一一日になされたものとみなされることになる。
3 本件特許の有効性について (一) 乙8によれば、原出願の特開昭六〇ー一六一九〇二号公開特許公報が昭和六〇年八月二三日に発行されたものと認められ、この記載内容は、前記のような本件発明の分割出願当初明細書(乙9)とほぼ同一であると認められる。
そして、右公開特許公報(乙8)に掲載された明細書及び図面には、
次のような内容の発明の構成が開示されているものと認められる。
「殺虫液中に吸液芯の一部を浸漬して該芯に殺虫液を吸液させると共に、該芯の上部を間接加熱して吸液された殺虫液を蒸散させる加熱蒸散殺虫方法において、殺虫液に含まれる殺虫剤としてピレスロイド系殺虫剤を用い、殺虫液に含まれる溶媒として脂肪族系の溶剤を含み且つ以下に記載の発熱体及び吸液芯の表面温度で蒸散するものを用い、殺虫液にBHT等の化合物を配合し、前記吸液芯として以下に記載の発熱体及び吸液芯の表面温度での使用が可能であるものを用い、表面温度が七〇〜一五〇℃の発熱体にて上記芯の上部を表面温度が六〇〜一三五℃となる温度に間接加熱することを特徴とする加熱蒸散殺虫方法」 (二) 他方、本件発明は、前記「基礎となる事実」記載の構成を有するものであり、乙8に開示された発明と比較すると、「殺虫液にBHT等の化合物を配合し」の構成を欠く以外は同一であり、右構成を欠くことによって、殺虫液にBHT等の化合物を配合する場合と配合しない場合とを包含する発明となっていると認められる。
したがって、本件発明は、殺虫液にBHT等の化合物を配合する場合を包含する限りにおいて、本件発明の特許出願をした時とみなされる時より前に日本国内において頒布された刊行物である乙8に記載された発明であると認められ、
本件特許には、特許出願をした時とみなされる本件補正当時の特許法123条1項1号29条1項3号に基づく無効理由が存することが明らかである。
4 まとめ 以上によれば、本件特許には無効理由があることが明白であり、無効審判請求がなされた場合には無効審決の確定により本件特許が無効とされることが確実に予見されるものというべきである。しかるところ、弁論の全趣旨によれば、本件特許に対しては無効審判請求がなされていることが認められるが、特許権者である原告から訂正請求がされているというような事情は認められず、他に特段の事情が存することについての主張立証もないから、本件における原告による本件特許権に基づく不当利得返還請求は、権利の濫用として許されないものというべきである。
結論
以上によれば、その余について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないから、主文のとおり判決する。
(平成一二年一〇月六日口頭弁論終結)
裁判長裁判官 小松一雄
裁判官 高松宏之
裁判官 安永武央
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