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関連審決 無効2000-35453
この判例には、下記の判例・審決が関連していると思われます。
審判番号(事件番号) データベース 権利
平成16ワ8682損害賠償請求事件 判例 特許
平成14ワ3043特許権侵害差止請求事件 判例 特許
平成15ワ23943特許権侵害差止等請求事件 判例 特許
平成13ワ3764特許権侵害差止等請求事件 判例 特許
昭和60ワ4297特許権に基づく侵害差止等請求事件 判例 特許
関連ワード 有用性 /  容易に実施 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  技術的範囲 /  出願公開 /  発明の詳細な説明 /  発明の概要 /  明細書の記載要件 /  優先権 /  薬事法 /  権利の濫用(権利濫用) /  優先日 /  対象製品 /  出願経過 /  参酌 /  文言解釈 /  技術的意義 /  置き換え /  置換 /  同一の作用効果 /  特許発明 /  実施 /  交換 /  構成要件 /  構成要件充足性 /  正当な理由 /  差止請求(差止) /  侵害 /  独占排他権 /  拒絶理由通知 /  請求の範囲 /  減縮 /  変更 / 
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事件 平成 12年 (ワ) 7221号 特許権侵害差止請求事件
原告 ミネソタ・マイニング・アンド・マニュファクチャリング・カンパニー
訴訟代理人弁護士 片山英二
同 北原潤一
補佐人弁理士 小林純子
被告 大正薬品工業株式会社
訴訟代理人弁護士 吉原省三
同 小松勉
補佐人弁理士 朝日奈 宗太
同 佐木啓二
裁判所 大阪地方裁判所
判決言渡日 2001/10/30
権利種別 特許権
訴訟類型 民事訴訟
主文 1 被告は別紙物件目録記載の製剤を輸入し、販売してはならない。
2 被告はその占有する別紙物件目録記載の製剤を廃棄せよ。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
請求
主文同旨
事案の概要
本件は、後記特許権の特許権者である原告が、被告が輸入、販売を計画している別紙物件目録記載の製剤が、原告の特許発明技術的範囲に属するとして、被告に対し、同製剤の輸入、販売の差止め及びその廃棄を求めた事案である。
1 前提事実(当事者間に争いがない。) (1) 本件特許権 ア 原告は、次の特許権(以下「本件特許権」といい、特許請求の範囲請求項1記載の発明を「本件発明@」、請求項5記載の発明を「本件発明A」、請求項9記載の発明を「本件発明B」、請求項10記載の発明を「本件発明C」、請求項11記載の発明を「本件発明D」、前記各発明を併せて「本件発明」といい、その特許出願に係る願書に添付した明細書を「本件明細書」という。)。
特許番号 第2769925号 発明の名称 ベクロメタゾン17,21ジプロピオネートを含んで成るエアロゾル製剤 出 願 日 平成3年10月9日(特願平4-501819号) 登 録 日 平成10年4月17日 優先権主張 1990年(平成2年)10月18日アメリカ合衆国出願に基づく 特許請求の範囲 [請求項1] 「治療的に有効量のベクロメタゾン17,21ジプロピオネート;1,1,1,2-テトラフルオロエタン、1,1,1,2,3,3,3-ヘプタフルオロプロパン及びそれらの混合物より成る群から選ばれるハイドロフルオロカーボンを含んで成る噴射剤;並びにこの噴射剤の中にこのベクロメタゾン17,21ジプロピオネートを溶解せしめるのに有効な量のエタノール;を含んで成るエアロゾル製剤であって、実質的に全てのベクロメタゾン17,21ジプロピオネートがこの製剤において溶けており、且つ、この製剤に任意の界面活性剤が0.0005重量%以上含まれていないことを特徴とする、肺、頬又は鼻への投与のためのエアロゾル製剤。」 [請求項5] 「前記エタノールが2〜10重量%の量において存在している、請求項1に記載の溶液状エアロゾル製剤。」 [請求項9] 「0.05〜0.5重量%の量のベクロメタゾン17,21ジプロピオネート、2〜12重量%の量のエタノール及び88〜98重量%の量の前記噴射剤を含んで成る、請求項1に記載の溶液状エアロゾル製剤。」 [請求項10] 「0.05〜0.45重量%の量のベクロメタゾン17,21ジプロピオネート、2〜10重量%の量のエタノール及び90〜98重量%の量の前記噴射剤を含んで成る、請求項1に記載の溶液状エアロゾル製剤。」 [請求項11] 「0.05〜0.35重量%の量のベクロメタゾン17,21ジプロピオネート、2〜8重量%の量のエタノール及び1,1,1,2-テトラフルオロエタンより本質的に成る、請求項1に記載の溶液状エアロゾル製剤。」 イ 原告は、現在特許庁に係属中の無効審判事件(無効2000-35453)において、平成13年5月28日付けで、特許請求の範囲を含む本件明細書の訂正請求を行った。特許請求の範囲の訂正内容は次のとおりである。
[請求項1] 「治療的に有効量のベクロメタゾン17,21ジプロピオネート;1,1,1,2-テトラフルオロエタン、1,1,1,2,3,3,3-ヘプタフルオロプロパン及びそれらの混合物より成る群から選ばれるハイドロフルオロカーボンを含んで成る噴射剤;並びにこの噴射剤の中にこのベクロメタゾン17,21ジプロピオネートを溶解せしめるのに有効な量のエタノール;を含んで成るエアロゾル製剤であって、実質的に全てのベクロメタゾン17,21ジプロピオネートがこの製剤において溶けており、前記エタノールが2〜12重量%の量において存在し、
且つ、この製剤に任意の界面活性剤が0.0005重量%以上含まれていないことを特徴とする、肺、頬又は鼻への投与のためのエアロゾル製剤。」 また、訂正前の請求項4が削除され、これに伴い、訂正前の請求項5、9、10、11が1つずつ繰り上がって請求項4、8、9、10とされた。
(2) 構成要件 ア 本件発明@は、次の構成要件に分説することができる。
A 以下を含んで成るエアロゾル製剤であること。
(a) 治療的に有効量のベクロメタゾン17,21ジプロピオネート (b) 1,1,1,2-テトラフルオロエタン、1,1,1,2,3,3,3-ヘプタフルオロプロパン及びそれらの混合物より成る群から選ばれるハイドロフルオロカーボンを含んで成る噴射剤 (c) この噴射剤の中にこのベクロメタゾン17,21ジプロピオネートを溶解せしめるのに有効な量のエタノール B 実質的に全てのベクロメタゾン17,21ジプロピオネートがこの製剤において溶けていること。
C この製剤に任意の界面活性剤が0.0005重量%以上含まれていないこと。
D 肺、頬又は鼻への投与のためのエアロゾル製剤であること。
イ 本件発明A〜Dの構成について (ア) 本件発明Aは、本件発明@におけるエタノールの量を「2〜10重量%」という範囲に限定したものである。
(イ) 本件発明Bは、本件発明@におけるベクロメタゾン17,21ジプロピオネート(以下「BDP」ともいう。)の量を「0.05〜0.5重量%」、エタノールの量を「2〜12重量%」、噴射剤の量を「88〜98重量%」という特定の範囲にそれぞれ限定したものである。
(ウ) 本件発明Cは、本件発明@におけるBDPの量を「0.05〜0.45重量%」、エタノールの量を「2〜10重量%」、噴射剤の量を「90〜98重量%」という特定の範囲にそれぞれ限定したものである。
(エ) 本件発明Dは、本件発明@におけるBDPの量を「0.05〜0.35重量%」、エタノールの量を「2〜8重量%」という特定の範囲に限定したのみならず、噴射剤を「1,1,1,2-テトラフルオロエタン」(以下「HFC-134a」ともいう。)という特定のものに限定したものである。
(3) 被告製剤 被告は、アイルランドのノートン・ウォーターフォード・リミテッド(以下「ノートン社」という。)より別紙物件目録記載の製剤(以下「被告製剤」という。)を輸入し、我が国で販売するため、平成12年3月に薬事法に基づく輸入承認を取得し、同年7月7日に健康保険法の規定に基づく薬価基準収載を経た。
新規に薬価基準収載をした会社は、正当な理由がある場合を除き、収載の日から3か月以内に医療機関に対して当該医薬品の供給を開始することとされている。
(4) 被告製剤の構成 ア 被告製剤の構成は、次のとおりである。
A′ 以下を含んで成るエアゾル製剤である。
(a)' 有効成分として、日局プロピオン酸ベクロメタゾンを含有している。
(b)' 噴射剤として、HFC-134aを含有している。
(c)' エタノールを含有しており、その量は(a)'の有効成分を溶解せしめるのに足りる量である。
B′ 前記(a)' の有効成分の全てが、A′の製剤に溶けている。
C′ 界面活性剤は含まれていない。
D′ 気管支喘息治療剤である。
被告製剤は本件発明@の構成要件A、Bを充足する。
イ 被告製剤の組成は次のとおりである。
被告製剤1グラム中(括弧内は重量%) プロピオン酸ベクロメタゾン 0.641mg(0.0641%) エタノール 26.816mg(2.6816%) HFC-134a 972.543mg(97.2543%) 被告製剤は、本件発明A〜Dで特定された組成の範囲内にある(前記訂正請求に係る請求項1のエタノールの含量範囲内でもある。)。
2 争点 (1) 被告製剤は、本件発明の技術的範囲に属するか。
構成要件充足性 (ア) 構成要件C充足性 (イ) 構成要件D充足性 イ 仮に、被告製剤が本件発明の構成要件を充たしていても、被告製剤は本件発明の作用効果を有しないため、本件発明の技術的範囲に属しないといえるか。
(ア) 作用効果不奏功の抗弁について (イ) 非常に所望される高い化学的安定性 (ウ) 有意に高い吸入率 (2) 本件特許には明らかな無効理由が存在するか。
争点に関する当事者の主張
1 争点(1)(被告製剤は、本件発明の技術的範囲に属するか)について (1) 同ア(構成要件充足性)について ア 同(ア)(構成要件C充足性)について 【原告の主張】 本件発明の構成要件Cにいう「任意の界面活性剤が0.0005重量%以上含まれていない」は、通常の国語の解釈として、界面活性剤が全く含まれていない場合を当然に含むものである。また、本件明細書(本判決別紙添付の特許公報)6欄6〜7行の「好ましい製剤は界面活性剤を全く含まない。」との記載によれば、構成要件Cは界面活性剤を全く含まない製剤を包含し、被告製剤は構成要件Cを充足する。
【被告の主張】 本件発明の構成要件Cにいう「この製剤に任意の界面活性剤が0.0005重量%以上含まれていないこと」とは、界面活性剤が含まれていることを前提として、その量が0.0005重量%以上でないというものである。請求項1の記載は、当初、「この製剤に界面活性剤が実質的に含まれていないことを特徴とする」というものであったが、平成9年2月26日付け拒絶理由通知(乙7)で「特許請求の範囲の記載が不明瞭である」と指摘され、補正書(乙8)により現在の構成要件Cの記載となった。したがって、補正後の請求項1の文言は界面活性剤が含まれていることが前提となっており、界面活性剤が全く含まれていない被告製剤は本件発明の構成要件Cを充足しない。
イ 同(イ)(構成要件D充足性)について 【原告の主張】 被告は、被告製剤は気管支喘息治療剤であって肺へ薬剤を投与するものでないから、本件発明の構成要件Dを充足しないと主張する。
しかしながら、各種医学用語辞典(甲6・ステッドマン医学大辞典第4版991〜992頁、甲7・南山堂医学大辞典第18版1625頁)の記載から明らかなように、気管支は肺という臓器の一部である。
また、本件明細書には、「薬理作用が及ぼされる肺の気道に達することのできる活性成分」(4欄20〜21行)との記載があり、請求項13には、請求項1記載の肺への投与のためのエアロゾル製剤を気管支喘息の治療のために用いることが開示されている。気管支喘息のための治療剤が「肺への投与のためのエアロゾル製剤」に当たることはこの点からも明らかであり、被告製剤は構成要件Dを充足する。
【被告の主張】 被告製剤は気管支喘息治療剤であり、肺ではなく気管支に薬剤を投与するものであるから、構成要件Dを充足しない。
(2) 同イ(作用効果不奏効)について ア 同(ア)(作用効果不奏功の抗弁)について 【被告の主張】 発明は、本来新規であって有用性のあるものでなければならない。有用性とは何らかの役に立つことであるから、発明というためには何らかの効果が必要である。本件発明の出願時の特許出願に適用される特許法(以下「平成2年法」という。)36条4項は、「(明細書の)発明の詳細な説明には、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に、その発明の目的、構成及び効果を記載しなければならない。」と定められていた。すなわち、特許発明には、特許請求の範囲に記載された構成により得られる効果が必ずあるのであり、発明において構成と効果は不可分である。そして、その効果は明細書の発明の詳細な説明の項に記載されているはずである(平成2年法36条5項)。したがって、特許請求の範囲の記載からすれば、形式的にはその範囲内に包含されるものでも、その発明の効果(明細書の発明の詳細な説明の項に記載されている効果及び出願経過において出願人が主張した効果)を奏しないものは、
技術的範囲に属しないことになる。
本件発明の作用効果は、@界面活性剤を実質的に含まないことにより、
従来の界面活性剤を含むBDP製剤より化学的安定性に優れている、A市販のBDP製剤よりも有意に高い吸入率を提供するとの2点であるが、被告製剤は、これらの作用効果を有しないから、本件発明の技術的範囲に属しない。
【原告の主張】 被告は、特許請求の範囲文言解釈から離れて、単に被告製剤が本件発明の作用効果を奏しないことを根拠に、被告製剤が本件発明の技術的範囲に属しないと主張する。しかし、特許法70条1項、2項によれば、明細書の特許請求の範囲以外の部分の記載や図面などを考慮できるのは、あくまで、特許請求の範囲に記載された用語の意味を解釈する場合に限られるのであり、用語の意味の解釈を離れて、特許請求の範囲以外の明細書の記載等から特許発明技術的範囲を確定することは特許法70条に反する。したがって、被告の作用効果不奏功の抗弁は主張自体失当である。
イ 同(イ)(化学的安定性)について 【被告の主張】 本件発明の作用効果の一つは、「界面活性剤を実質的に含まないこと」により安定性に優れていることであるが、被告製剤はこの作用効果を奏しない。
(ア) MTLレポート(乙1添付甲12、乙16) MTLレポートは、ノートン社が英国王立製薬協会のメディシンズ・テスティング・ラボラトリー(以下「MTL」という。)に依頼した比較試験の結果を報告したレポートであり、これによれば、被告製剤の組成において界面活性剤の有無は、製剤の安定性について実質的に何らの影響を及ぼさない。
MTLレポートの検体は、被告製剤と対べて、溶剤であるエタノールに対する比率で2倍、材料全体に対する比率で約5倍、BDPの割合が多い。本件の場合BDPの割合が多いほど分解物の量が多く、これに界面活性剤を添加した場合の分解作用の差も大きく出るはずであるから、BDPの濃度がより高いMTLレポートの試験結果において安定性の相違が見られないということは、BDPの濃度がより低い被告製剤においては、界面活性剤の有無による安定性の相違がよりないことを意味している。
(イ) MTL追加レポート(乙19の2、乙24) 原告は、被告製剤(BDP/エタノール=0.0239)は、MTLレポートの検体(BDP/エタノール=0.0421)と比べてBDPの周囲にエタノールが約2倍存在し、当初のBDP量に対する生成分解物量の比率が高いので、MTLレポートによって、界面活性剤が被告製剤の安定性にもたらす影響がないという結論を導くことはできない旨主張する。
しかし、ノートン社において、エタノール25%含有でBDP/エタノール比0.0036の検体を、従来技術である特開平2-200627号公開特許公報(甲1添付乙1)の実施例10〜12に準じて作成し、MTLに委託して安定性試験を行ったところ(乙19の2、乙24)、次の結果となった。
この実験によれば、40℃中保存の総不純物量は、エタノール8%含有検体(BDP/エタノール=0.0421)では、いずれも保存経過に伴って僅かに増加の傾向が認められたが、ソルビタンを除いて、界面活性剤の添加の有無による差は認められなかった。また、エタノール25%含有検体(BDP/エタノール=0.0036)においても同様の増加傾向が認められたが、コントロール(界面活性剤0)とオレイン酸含有検体間に差は認められなかった。
25℃保存の総不純物量は、エタノール8%含有検体では、いずれの検体も保存経過に伴って極く僅かな増加が認められたが、界面活性剤の添加の有無による差は認められなかった。一方、エタノール25%含有検体においては、いずれの検体についても増加傾向は認められず、むしろ界面活性剤(オレイン酸0.1%)含有の検体の方が安定という結果となった。さらに、エタノール25%含有と8%含有の両検体群を比較すると、実験実施日こそ異なるが、エタノールを多く含有する検体の方が安定であった。
この実験によると、被告製剤(BDP/エタノール=0.0239)よりも、BDP/エタノール比が7倍小さく、エタノールの多い25%含有検体(BDP/エタノール=0.0036)の方が安定であるから、被告製剤の安定性は、エタノール25%含有検体とエタノール8%含有検体の中間にある。
(ウ) 原告提出のAの宣誓供述書(甲12、以下「A・レポート」という。)は、原告の社員が作成したもので公正に欠ける。
この実験は、「添付2:分析データ」におけるバイアル1とバイアル2の総不純物量の値(TPI)がほとんど一致しており、信頼性に欠ける。
この実験は、構造式が同定された既知の不純物のピーク及び液体クロマトグラフィーで検出される不純物のピークの数が被告の実験よりも少ない。これは、検出感度が低いため本来とらえられるべき不純物が見逃されていることを意味し、分析技術上高度なレポートとはいえない。
この実験は、界面活性剤の量と不純物の生成との間に相関性がない。
また、25%エタノール含有6処方(G〜L)では、界面活性剤の添加により安定性が低下したのは2処方(I、K)だけで、他の処方に差は認められない。
以上によれば、A・レポートによっても、界面活性剤を添加することでBDPの安定性が低下したということはできない。
【原告の主張】 被告は、「界面活性剤を実質的に含まないことにより安定性に優れる」というのが本件発明の効果であるところ、被告製品は安定ではあるが、その安定性は界面活性剤を含まないことにより達成されたものではない、と主張する。しかし、特許発明の作用効果と被告製品の作用効果は客観的に比較すべきであって、被告製品が本件発明の作用効果たる化学的安定性を有していないことが証明されていない以上、被告の主張する作用効果不奏功の抗弁には理由がない。
(ア) MTLレポート(乙1添付甲12) a MTLレポートは、被告製剤の安定性試験結果を示すものではないから、被告製剤が本件発明の作用効果を有しないという被告の主張の裏付けにはなり得ない。MTLレポートの実験も、サンプル数が少なく定量値のバラツキが大きい、試験期間経過後のBDP含量の減少率に比べて不純物の検出率が低く物質収支が合っていない、などの欠陥があり信頼性に欠ける。
b 被告は、BDPの濃度がより高いMTLレポートの試験において安定性の相違が見られないということは、BDPの濃度がより低い被告製剤においては、界面活性剤の有無による安定性の相違がよりないことを示していると主張する。しかし、被告製剤のBDP/エタノール比は、MTLレポートの検体のそれの約1/2であり、被告製剤は、MTLレポートの検体よりもBDPの周囲にエタノールが2倍多く存在している。BDPの分解は、BDPの分子とエタノールの分子の接触により起こり、論理的には、BDPの周囲にエタノールが約2倍多く存在する被告製剤の方が、MTLレポートの検体に比べてBDPの単位量当たりの分解物がより多く生成するので、当初のBDP量に対する生成分解物量の比率は高くなる。被告の主張は科学常識を無視している。
(イ) 被告は、MTL追加レポート(乙19、乙24)に基づき、エタノール25%含有検体の方がエタノール8%含有検体よりも安定であることが立証されたかのように主張する。
しかし、被告がエタノール25%含有の実験とエタノール8%含有の実験を行った時期は異なり、両者の実験条件が同一であることの裏付けもないから、両実験の値を比較することは無意味である(H13.4.9原告(四)p2)。また、MTL追加レポート(乙24)の実験がMTLレポート(乙1添付甲12)の実験よりも2年以上遅れて開始されたことによれば、両実験で使用されたBDP原薬のロットは異なり、そこに含まれる不純物の種類、量等も異なると理解するのが自然である。ロットの異なるBDP原薬を含有するHFC-BDP製剤について異なる条件下で実施した安定性試験結果を比較することに意味はなく、これに基づく主張は考慮に値しない。
(ウ) A・レポート(甲12) a 原告の研究者であるA博士が1998年に実施した実験によれば、
「オレイン酸、レシチン(LipoidS100と同義)、又はトリオレイン酸ソルビタン(Span85と同義)」といった界面活性剤の存在は、HFC-134a/エタノール溶液製剤中のBDPの化学的安定性を低下させるとの結論が導かれる。界面活性剤を含まないHFC-BDP製剤は界面活性剤を含むHFC-BDP製剤に比べて安定性が高く、これは被告製剤の安定性についても同様である。
b A・レポートは、オレイン酸存在下ではエポキシド体の生成が抑制されるなど原告に不利な結果も報告しており、公正な内容を持つ技術報告書である。
また、バイアル1と2のTPIがほとんど一致していることは、実験が厳密に行われたことの証左であり、定量限界として0.04%を設定したのはデータの信頼性を担保するためである。
界面活性剤の添加量を0.5%にした場合にITPI(%)(不純物%の増加率)が減少したのは、10%エタノール処方のオレイン酸(6か月)と、25%エタノール処方のLipoid S100(3、6か月)のみである。25%エタノール含有6処方(G〜L)は、処方Lを除き全てにおいて差が認められている。
ウ 同(ウ)(吸入率)について 【被告の主張】 被告製剤は、従来品で、界面活性剤としてオレイン酸を含有するベコタイド50インヘラー(以下「ベコタイド」という。)と吸入率において同等であり、界面活性剤を全く含まないことにより有意に高い吸入率を提供するという作用効果を奏しない。
(ア) 平成12年8月17日付け被告実験報告書「ベクラゾン50インヘラーの粒子径に関する実験」(乙1添付甲13、(以下「粒子径比較レポート」という。)によると、被告製剤は、吸入率においても、界面活性剤を添加したものと有意の差は認められない。
粒子径比較レポートは、ベコタイドと被告製剤の粒子径の分布をカスケードインパクターに捕捉されるBDPの量によって比較したものである。これによると、被告製剤の方が右寄り(ステージ7の方向)のカーブとなり、カスケードインパクターの下段による吸収量が多いが、グラフの波型を比較すると両者はほとんど一致している。
粒子径の分布は、オリフィスの口径と形状に依存し(乙13の378頁右欄参照)、粒子径の大きさと界面活性剤の有無には関係がなく、関係があるとすれば、どのような分布を示すかであるが、この点について、ベコタイドと被告製剤に有意の差は認められない。
(イ) 吸入率計算方法について 本件発明の作用効果に関して「吸入率」という場合、出願経過において原告が提出した平成9年8月12日付け上申書(乙6)でいう吸入率、「(即ち、アクチュエーターから放出される薬剤のうち、肺に吸引されるのに適するサイズの薬剤の比率)」をいい、これは、放出された薬剤の全量を100とした場合に患部に到達する量が何%であるかの比率をいう。
吸入率計算の分母には定量噴霧式吸入剤(MDI)からの一投薬量に相当する一噴射中の全量が用いられるべきであり、分子には、インビボ(人体)において気管支及び肺胞に付着して薬効を発揮すると考えられる粒子径5μm〜0.5μmの範囲の粒子を完全に捕集できる範囲として、アンダーセンカスケードインパクターのステージ3〜6を選択し、5μm及び0.5μmの範囲の粒子を含む拡大範囲として、ステージ2〜7を選択することが妥当である。
カスケードインパクターによる微粒子吸入率の計算法において、ステージ3〜6ないし2〜7を選択した場合の吸入率(各ステージに捕捉された薬剤の全量に対する百分比)は、次のとおりである。 ステージ3〜6及びステージ2〜7において、ベクラゾン(被告製剤)は、ベコタイド及び本件発明のうちエタノール12%のものとほぼ同様の吸入率を示している。これによれば、被告製剤とベコタイドは吸入率において同等であり、本件発明も似た結果である。
一方、本件発明のうちエタノール2%のものが高吸入率を示しているが、この原因はMDI缶内圧が僅かに異なることで噴射・飛散力に差が生じたものと推測される。いずれにしても、本件発明(エタノール12%)の吸入率はベコタイドと同等であり、本件特許発明有用性は認められない。そして、本件発明(エタノール2%)のみに効果が認められるとしても、それは成分配合比によるものではなく、スプレー缶に付随するバルブ等の影響、特にオリフィス口径に依存している。
【原告の主張】 被告製剤は、市販のBDP製品よりも有意に高い吸入率を有する。
(ア) 粒子径比較レポート(乙1添付甲13) a 被告製剤(ベクラゾン)とベコタイドには、粒子径分布に顕著な相違がある。ベコタイドにおいて、BDPはステージ3(3.3〜4.7μm)及びステージ4(2.1〜3.3μm)という比較的大きな粒子径の範囲に多く存在するのに対し、被告製剤においてはステージ5(1.1〜2.1μm)以下の小さな粒子径の範囲に多く分布している。被告製剤とベコタイドの間には吸入率及び粒子径分布に明確な差があり、被告製剤は、ベコタイドと比べて有効成分が微細な気道や肺胞に効率良く到達し、吸入率が有意に高い。
被告は、グラフの波形を比較すると両者はほとんど一致していると主張するが、薬効発現には粒子径の小さいBDPの多いことが重要であり、粒子径の分布を無視して、グラフの波形がほとんど一致しているから同等であるとはいえない。被告製剤とベコタイドの粒子径分布は、2μmを境として反対側にピークを持つ正反対のプロフィールを描いており、このピーク位置の大幅なズレが薬効発現に大きな影響を及ぼす。
b 被告は、オリフィス口径が吸入率に及ぼす影響について主張するが、オリフィスの口径が同じでも製剤処方の組成が変わると粒子径分布も大きく変わり、オリフィスの口径の選択に特段の工夫をしなくとも、本件発明の構成、特に請求項5、9、10、11のように請求項1に比べてエタノールの含有量をさらに限定した構成は、CFC-BDP懸濁製剤であるベコタイドよりも吸入率が有意に高い。
BDP、エタノール及びHFC-134aからなる溶液製剤の場合、オリフィス口径0.254mmと0.3mmの製剤の吸入率はほとんど同じである(甲13)。オリフィス口径0.3mmよりも僅かに大きい口径0.33mmを有する被告製剤の吸入率は、オリフィス口径0.3mmの製剤とほとんど同じと考えるのが妥当である。
(イ) 吸入率計算方法について a 本件明細書には、本件明細書における吸入率の計算方法が、アンダーセンカスケードインパクターの「ステージ3〜7で捕集されたBDP量」を「アダプターの次のインダクションポートからステージ7で捕集されたBDP量」で除した値を百分率で表すものであることが記載されているに等しい。
本件明細書4欄19〜21行に、「吸入率(即ち、薬理作用が及ぼされる肺の気道に達することのできる活性成分のパーセンテージ)」との定義があり、本件特許出願の審査手続中に平成9年8月12日付けで提出された上申書(乙6)の1頁下から5〜4行には、より明確な定義として、「吸入率(即ち、アクチュエーターから放出される薬剤のうち、肺へと吸引されるのに適するサイズの薬剤の比率)」との記載がある。
また、本件明細書の7欄19〜20行には「実施例1-7の製剤により提供される吸入率をAnderson MKUカスケードインパクターを用いて決定し、」との記載があるが、アンダーセンMKUカスケードインパクターの各ステージで捕集される粒子径は本件特許の優先日前に公知であり、「0.5〜5μmの粒子径のものが、気道または肺胞に沈着滞留するとされている」ことは、上記優先日当時の技術水準であった。
これらによれば、本件特許における吸入率計算の分子は、0.5〜5μmの範囲に最も近いステージ3(3.3〜4.7μm)からステージ7(0.43〜0.65μm)で捕集されたBDP量となり、分母は、「アクチュエーターから放出される薬剤」、すなわち、アダプターの次段階であるインダクションポートからステージ7の間で捕集されたBDP量(米国で一般的に用いられている"ex-actuator"と呼ばれる1回噴射量)となる。
b 被告は、吸入率の算定において、分子をステージ2〜7で捕集されたBDP量とするが、ステージ2(4.7μm〜7.0μm)で捕集される粒子は咽喉に沈着し、肺に到達しないから、このステージで捕集されたBDP量を分子に含めて吸入率を算出するのは不合理である。
粒子径レポート(乙1添付甲13)に基づき、本件明細書及び被告の計算方法に従って被告製剤とベコタイドの吸入率を計算すると、いずれの計算方法によっても、被告製剤は、ベコタイドよりも10%以上高い吸入率を示し、本件発明の作用効果を有している。
「原告法」:分母にアダプターに付着するBDP量を含めない計算方法 「被告法」:分母にアダプターに付着するBDP量を含める計算方法 2 争点(2)(本件特許には明らかな無効理由が存在するか)について 【被告の主張】 (1) 本件発明は、出願当時の技術水準を考慮すると、引用例1、2又はその組合せから当業者が容易に発明することができたものであるから、進歩性(特許法29条2項)がないことが明らかである。
ア 本件発明は、
@ミネルバニューモロジカ14(1975年)34〜45頁(以下「ミネルバニューモロジカ」という。乙1添付甲2)、
Aザ セオリー アンド プラクティス オブ インダストリアル ファーマシー第3版(1986年)589頁、597〜599頁及び603〜604頁(乙1添付甲3)、
Bアエロゾール-メークリヒカイテン ウント プロブレム アイナー ダーラインフングスフォルム(1979年)153〜161頁(乙1添付甲4)、
C米国特許第330125号明細書(乙1添付甲5)、
D全訂 医薬品要覧(昭和61年9月10日5刷発行)292頁(乙1添付甲9) の公知資料のもとでは、特開平2-200627号公開特許公報(引用例1、乙1添付甲1、以下「ピュアヴァル特許」という。)記載の発明から当業者が容易に発明し得た。
ピュアヴァル特許と本件発明との相違点は、前者では界面活性剤を用いているというだけである。また、前記@のミネルバニューモロジカに開示されているエアゾル製剤は、噴射剤としてクロロフルオロカーボン(CFC)を用いている点を除けば本件発明と同一の構成であり、界面活性剤を用いていない。
イ 本件発明は、
@特開平2-200627号公報(乙1添付甲1)、
Aファーマシューティカル テクノロジー1990年3月号26〜33頁(乙1添付甲6)、
Bヘキスト ツウム エルザッツ フォン FCKW(1990年9月発行)1〜3頁(乙1添付甲7)、
Cフォルマツオティシェ ツアイツンクNo.9、135(1990年3月1日)30〜31頁(乙1添付甲8)、
D全訂 医薬品要覧(乙1添付甲9) の公知資料のもとでは、ミネルバニューモロジカ(引用例2)記載の発明から当業者が容易に発明し得た。
(2) 本件発明の本質は、BDPを有効成分とする溶液状エアロゾル製剤において、噴射剤として悪玉フロン(CFC)に代えて善玉フロン(HFC)を用いたものに等しく、その余の発明的工夫は一切ない。フロンを使用する技術分野において、従来技術における悪玉フロンを善玉フロンに置き換えることが地球的規模での緊急課題とされている現況下では、本件発明のように、従来技術の悪玉フロンを善玉フロンで置き換えたにすぎないものに独占排他権を認めるべきではない。
【原告の主張】 (1) ピュアヴァル特許の実施例10〜12は「BDP0.09重量%、界面活性剤0.11重量%、エタノール25.00重量%およびHFC-134a74.80重量%からなる溶液エアロゾル製剤」を開示する。しかし、ピュアヴァル特許の明細書には、@非常に所望される化学的安定性及びA有意に高い吸入率を有することを示す記載はなく、かえって、溶液製剤を含むエアロゾル製剤一般において界面活性剤を使用することを教示している。
本件特許の優先日(1990年10月18日)当時、当業者間では、懸濁製剤でも溶液製剤でも、バルブの滑りをよくするためや製剤の安定化のために界面活性剤を添加するのが一般的であり(甲18〜21、乙1添付甲1)、当時の当業者がピュアヴァル特許の実施例から本件発明の@Aの効果を予測して何かと組合せ、あるいは何かに応用しようという動機を持つ可能性は極めて低かった。
(2) ミネルバニューモロジカは、「BDP0.07重量%、無水エタノール7.94重量%、溶剤CFC-113 15.74重量%、および噴射剤CFC-12/CFC-114(30.5重量%/45.75重量%)からなるクレニルスプレー」(以下「クレニルスプレー」という。)を開示しているが、クレニルスプレーが@非常に所望される化学的安定性及びA有意に高い吸入率を有することを示す記載はなく、クレニルスプレーに上記効果があったことの可能性さえ、当業者には不明である。
しかも、本件特許の優先日当時市販されていたBDPを有効成分とするMDIは、全て、当該有効成分、CFC-11とCFC-12との混合物からなる噴射剤及び界面活性剤からなる懸濁製剤であり、当時の当業者には、懸濁製剤の方が溶液製剤よりも安定性及び吸入率の点で優れているとの認識があった(甲20、22)。このため、本件特許の優先日当時の当業者が、ミネルバから、クレニルスプレーの構成を何かと組み合わせ、応用しようとする動機付けを得る可能性は極めて低かった。
また、本件特許の優先日当時、HFC-134aは、CFC-12の代替品候補として検討されていたにすぎず、オゾン層破壊を防止するために、HFC-134aと特定フロンを組み合わせて噴射剤として使用することが可能かどうかが検討されていた(甲19、21、24)。したがって、仮に当業者がクレニルスプレーの処方に着目したとしても、CFC-12をHFC-134aに置き換える処方を想到し得るにすぎず、HFC-134aとは著しく物理化学的性質が異なるCFC-114やCFC-113、特に、溶剤として使用されていたCFC-113をHFC-134aに置換しようとは考えない。
仮にそのような置換を想定し得たとしても、HFC-134aとCFC-113は著しく物理化学的性質が異なる(CFC-113の蒸気圧はHFC-134aの1/14である)から、実用に耐え得るMDI製剤は得られないと考えるのが自然であり、本件発明の@Aの顕著な効果を予測することは不可能であったというべきである。
(3) 本件特許については、特許請求の範囲減縮を内容とする訂正請求がなされており、仮に現在の本件特許に明白な無効理由があったとしても、いわゆるキルビー特許事件の最高裁判所平成12年4月11日判決にいう「特段の事情」があるから、原告の本訴請求が権利の濫用に該当するとはいえない。
当裁判所の判断
1 争点(1)(被告製剤は、本件発明の技術的範囲に属するか)について (1) 同ア(構成要件充足性)について ア 同(ア)(構成要件C充足性)について (ア) 本件明細書の特許請求の範囲【請求項1】には、「この製剤に任意の界面活性剤が0.0005重量%以上含まれていないことを特徴とする」と記載されている。また、発明の詳細な説明には、「本発明の製剤は界面活性剤を実質的に含まない。本明細書及び請求の範囲において用いる『実質的に含まない』とは、
この製剤がその総重量に基づいて0.0005重量%(0.005重量%とあるのは誤記と認める。)以上の界面活性剤を含まないことを意味する。好ましい製剤は界面活性剤を全く含まない。」(別紙特許公報6欄3〜7行)との記載がある。
これらの記載を参酌すると、本件発明の構成要件Cにいう「この製剤に任意の界面活性剤が0.0005重量%以上含まれていないこと」とは、界面活性剤が全く含まれていない場合を含むものと解するのが相当であり、全く界面活性剤を含まない被告製剤は、本件発明の構成要件Cを充足する。
(イ) 被告は、本件発明の構成要件Cは、「この製剤に界面活性剤が実質的に含まれていないことを特徴とする」との文言を、拒絶理由通知を受けて、平成9年12月26日付け意見書に代わる手続補正書(乙8)において補正したものであるから、界面活性剤を含むことを前提としていると主張する。
しかし、証拠(甲5、乙7、8)及び弁論の全趣旨によれば、前記拒絶理由通知書を受けての平成9年12月26日付け意見書に代わる手続補正書では構成要件Cの部分は補正の対象となっておらず、既に特許請求の範囲請求項1は登録時のものになっていたことに加え、「好ましい製剤は界面活性剤を全く含まない」という前記発明の詳細な説明の記載も上記補正によって加えられたものではないことが認められるから、被告の主張は根拠を欠き、被告主張のように、補正後の請求項1の文言が界面活性剤が含まれていることを前提としているとみることはできない。
イ 同(イ)(構成要件D充足性)について 本件明細書の特許請求の範囲【請求項1】には、「肺、頬又は鼻への投与のためのエアロゾル製剤」と記載されている。また、発明の詳細な説明には、
「ベクロメタゾン17,21ジプロピオネートの溶液製剤は…吸入率(即ち、薬理作用が及ぼされる肺の気道に達することのできる活性成分のパーセンテージ)を高めることができる」との記載(4欄17〜21行)、「本発明の薬品溶液状エアロゾル製剤は肺、頬又は鼻への投与に適切である」との記載(5欄15〜16行)があり、これらの記載によれば、「肺への投与のためのエアロゾル製剤」とは、肺の気道に活性成分が到達することにより薬理作用を及ぼすエアロゾル製剤を意味するものと解される。
被告製剤は、気管支喘息治療薬である(構成D′)エアロゾル製剤であるところ、証拠(乙1添付甲13)によれば、「吸気により気道や肺胞に沈着することにより効力を発揮する製剤」であることが認められるから、前記の「肺への投与のためのエアロゾル製剤」に当たるものといえる。
したがって、被告製剤は、本件発明の構成要件Dを充足する。
(2) 同イ(仮に、被告製剤が本件発明の構成要件を充たしていても、被告製剤は本件発明の作用効果を有しないため、本件発明の技術的範囲に属しないといえるか)について ア 同(ア)(作用効果不奏功の抗弁)について 被告は、仮に被告製剤が本件発明の構成要件を充足しているとしても、
被告製剤は、@界面活性剤を実質的に含まないことにより、従来の界面活性剤を含むBDP製剤より化学的安定性に優れている、A市販のBDP製剤よりも有意に高い吸入率を提供する、という本件明細書の発明の詳細な説明に記載された作用効果を有しないから、本件発明の技術的範囲に属しないと主張するので、以下検討する。
(ア) 特許法36条3項は、特許出願の願書に添付する明細書には「発明の詳細な説明」及び「特許請求の範囲」を記載しなければならないものとし、同法70条1項は「特許発明技術的範囲は願書に添附した明細書の特許請求の範囲の記載に基いて定めなければならない。」としているところ、同法36条6項(平成2年法では36条5項)は、明細書の特許請求の範囲の記載は「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」という要件に適合するものでなければならないとしている。そして、本件発明の特許出願時における特許出願に対して適用される平成2年法は、36条4項で、明細書の「発明の詳細な説明には、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に、その発明の目的、構成及び効果を記載しなければならない。」と定め、特許出願が36条4項に規定する要件を満たしていないときは、その特許出願は拒絶されるとともに(49条3号)、特許がこの要件を満たしていない特許出願に対してされたものであることは特許の無効理由とされていたものである(123条1項3号)。したがって、平成2年法の下でされた特許出願に係る特許発明において、特許請求の範囲の記載が一義的に明確でない場合には、明細書の発明の詳細な説明中の効果の記載も参酌されるべきであり、また、特許請求の範囲に記載された構成が発明の詳細な説明に記載された効果を奏しないものまで含む場合には、特許の無効理由を内包することになるのであるから、特許請求の範囲は、明細書に記載された効果を奏する範囲に限定して解釈されるべきである。
ところで、明細書の記載要件を定めた平成2年法36条4項の規定は、平成6年法律第116号による改正で、「前項第3号の発明の詳細な説明は、
通商産業省令で定めるところにより、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に、記載しなければならない。」とされ、発明の効果は明細書に記載を必ずしも要しないことになった。しかし、同改正後の特許法の下でも、明細書に効果の記載があれば、その記載は特許請求の範囲の記載の解釈に当たって参酌されるべきであるとともに(70条2項参照)、対象物件の構成が特許請求の範囲に記載された発明の構成要件を充足していても、発明の詳細な説明に記載された効果を奏しない場合には、対象物件が特許発明技術的範囲に属するとすることはできないものというべきである。けだし、特許発明は、従来技術と異なる新規な構成を採用したことにより、各構成要件が有機的に結合して特有の作用を奏し、従来技術にない特有の効果をもたらすところに実質的価値があり、そのゆえにこそ特許されるのであるから、対象製品が明細書に記載された効果を奏しない場合にも特許発明技術的範囲に属するとすることは、特許発明の有する実質的な価値を超えて特許権を保護することになり、相当ではないからである(このことは、平成2年法の下でも同様である。なお、前記改正後の特許法の下でも、明細書の発明の詳細な説明に記載した作用効果を特許発明が奏しない場合には、36条4項の規定する「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に、記載しなければならない」との要件を満たしていないか、又は、36条6項1号の規定する「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」との要件を満たさない特許出願に対して特許されたものとして特許の無効理由があることになり(123条1項4号)、あるいは、引用例との比較で進歩性を欠くものとして無効とされる(同条1項2号、29条2項)ことがあり得ると解される。)。
前記のとおり、特許発明技術的範囲は特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならないものであるから、たとえ対象物件が特許発明と同様の作用効果を奏するとしても、その構成が特許請求の範囲の記載と異なれば、特許発明技術的範囲に属するとすることはできず、その意味では、作用効果に基づいて特許発明技術的範囲を定めてはならない。しかし、特許請求の範囲の記載の技術的意義を解釈するに当たって作用効果を参酌することはもとより、対象物件が特許請求の範囲に記載された構成と同じであっても当該特許発明の作用効果を奏しない場合に対象物件が特許発明技術的範囲に属しないとすることも、特許請求の範囲をその文言上の意味するところから作用効果を奏する範囲に限定して解釈するものにほかならないから、特許法70条1項の規定に反するものではない。なお、対象物件が特許請求の範囲に記載された構成要件を充足しながら、なおかつ特許発明の作用効果を奏しないためにその技術的範囲に属しないとされる場合には、対象物件が特許発明の作用効果を奏しないことの立証責任は、前記のとおり、特許発明においては新規な構成と作用効果に関連性があり、新規な構成があるものとして特許された発明と同一の構成を対象物件が備える以上、同一の作用効果を奏するものと推定されるというべきであるから、これを争う特許権侵害訴訟の被告にあるものと解するのが相当である。
被告製剤が本件発明の構成要件を充足することは前示のとおりであるから、以下、本件発明の作用効果を確定した上で、被告製剤がそのような作用効果を奏しないものかどうかを検討することとする。
(イ) 本件明細書の発明の詳細な説明には、次の記載がある(甲2)。
a 発明の背景の項に、
「ベクロメタゾン17,21ジプロピオネートは、クロロフルオロハイドロカーボン噴射剤におけるベクロメタゾン17,21ジプロピオネートのクロロフルオロハイドロカーボン溶媒化合物の懸濁物を含んで成るエアロゾル製品として市販されている。」(別紙特許公報4欄10〜14行)、
「ベクロメタゾン17,21ジプロピオネートの溶液製剤は製剤の製造を簡潔にすることができ、且つ、吸入率(即ち、薬理作用が及ぼされる肺の気道に達することのできる活性成分のパーセンテージ)を高めることができる。」(同4欄17〜21行)、
「ヨーロッパ特許公開番号0372777号はCFCを含まないことがあり、医薬品、1,1,1,2-テトラフルオロエタン、界面活性剤、及び1,1,1,2-テトラフルオロエタンより高い極性を有する少なくとも一種の化合物を含んで成る自噴射性エアロゾル製剤を開示している。実施例10-12はベクロメタゾン17,21ジプロピオネート(0.005g)、界面活性剤(0.006g)、(実施例10〜12においてそれぞれソルビタントリオレエート、オレイン酸及びレシチン)、エタノール(1.350g)及び1,1,1,2-テトラフルオロエタン(4.040g)を含んで成る溶液製剤を開示する。」(同4欄36〜46行) との記載がある。
b 発明の概要の項に、「本発明の一定の好ましい製剤は非常に所望される化学的安定性を示し、そして市販のベクロメタゾン17,21ジプロピオネート製品よりも有意に高い吸入率を提供する。」との記載(同5欄9〜12行)がある。
c 発明の詳細な説明の項に、「好ましい製剤は界面活性剤を全く含まない。有意な量の界面活性剤の存在はベクロメタゾン17,21ジプロピオネートの溶液製剤の場合において所望されないと考えられており、その理由は界面活性剤、例えばオレイン酸及びレシチンは、活性成分がHFC-134aとエタノールの混合物の中に溶けているときに、その化学的分解を促進しがちであるからである。」(同6欄6〜13行)との記載がある。
これらの記載によれば、本件明細書の発明の詳細な説明に記載された作用効果とは、@非常に所望される高い化学的安定性を有し、従来のHFC-134a溶液製剤であるヨーロッパ特許公開番号0372777号(乙1添付甲1と同じ、ピュアヴァル特許)の実施例10〜12(BDP0.005g、界面活性剤0.006g、エタノール1.350g、HFC-134a4.040g)と比べて化学的安定性が高いこと、及びA市販の「クロロフルオロハイドロカーボン噴射剤におけるベクロメタゾン17,21ジプロピオネートのクロロフルオロハイドカーボン溶媒化合物の懸濁物を含んで成るエアロゾル製剤」(以下「CFC懸濁製剤」という。)よりも吸入率が有意に高いことの2点であると解するのが相当である。
したがって、被告製剤が本件発明の@Aの作用効果を奏するものか否かについて検討する。
イ 化学的安定性について まず、被告製剤と同一組成の溶液製剤(BDP0.0641%、エタノール2.6816%、HFC-134a97.2543%)に高い化学的安定性があるかどうか検討する。
(ア) 被告の実験 a MTLレポート(乙1添付甲12の1・2、乙16) この実験は、英国の試験機関メディシンズ テスティング ラボラトリー(MTL)が、1998年7月、ノートン社の依頼を受けて行ったBDP-HFA定量吸入剤処方の化学的安定性を測るための分析実験である。
(a) 測定対象 下表の処方のエアロゾル製剤 (b) 測定方法 25℃/60%RH(相対湿度)又は40℃/75%RHの保存条件で保存した場合の合計不純物パーセントを液体クロマトグラフィーによる検査により調べた。
(c) 結果 表1のとおり 表1 ※ 下段の()内の数値は、初期と比較して増大した総不純物%(当裁判所の計算による)であり、網掛部分は、界面活性剤0の検体と比較して総不純物の増大量が大きいものである。
※HPでは網掛けを省略(以下、すべての網掛部分について同様) MTLレポートでは、不純物ごとにピークを同定し、各不純物の量を測定しているが、BDP-106A(界面活性剤0)とBDP-108A(オレイン酸0.1%)について、不純物2であるベクロメタゾン17プロピオネート(乙10、以下「17BMP」という。)の%不純物値は次のとおりである。
(d) 考察 BDP0.34%、界面活性剤0.1%、エタノール8%の製剤においては、ソルビタンを添加したものの8例中8例、リポイドを添加したものの8例中6例について、3か月後又は6か月後の総不純物の増加量が界面活性剤を含まない検体の増加量より多く、ソルビタン、リポイドについては、界面活性剤の添加により安定性が低下する傾向が認められる。
オレイン酸については、実験例の半数である4例に安定性の低下が見られるが、4例は界面活性剤の影響が不明である。他方、オレイン酸を添加した製剤は、40℃75%RHの保存状態下で、17BMPの量が、界面活性剤を含まない製剤と比べて約50%増大している。17BMPは、BDP中のC-21エステル部分の加水分解及びエステル交換により生成され、酸による触媒作用を受ける可能性があり(甲12、5頁)、オレイン酸の添加が不純物量の増加に何らかの影響を与えていることは否定できない。
b MTL追加レポート(乙19の2、乙24) MTLが、2000年10月から2001年4月にかけて、ノートン社の依頼を受けて行った実験である。
(a) 測定対象 下表の処方のエアロゾル製剤 (b) 測定方法 25℃/60%RH又は40℃/75%RHの保存条件で3か月又は6か月保存した場合の合計不純物パーセントを不純物の析出状況についての液体クロマトグラフィーによる検査により調べた。
(c) 結果 表2のとおり 表2 ※ 下段の()内の数値は、初期と比較して増大した総不純物%であり、網掛部分は界面活性剤0の検体と比較して総不純物の増大量が大きいものである。
(d) 考察 BDP0.09%、エタノール25%含有の製剤8例のうち、
0.1%のオレイン酸を添加することにより安定性が低下した(不純物が増大した)のは3例であり、5例についてはオレイン酸含有製剤の方が安定である。
c MTLレポートとMTL追加レポートの比較 MTLレポートとMTL追加レポートは、前記a、bのとおり、実験時期に約2年の隔たりがある。しかし、弁論の全趣旨によれば、MTL追加レポートの実験条件は、MTLレポートの実験条件と保存試料の調整条件及び保存条件において同一と認められるから、原告が主張するように、両実験の結果を比較することに意味がないとはいえない。
両実験の結果を比較すると、次の推論が導かれる。
(a) いずれもオレイン酸0.1%を含有するBDP-160とBDP-108Aの総不純物増加量を比較すると、次表のとおり、8例中3例の総不純物増加量が同一であり、4例(網掛)においてBDP-160の総不純物増加量がより大きく(安定性が低下している)、1例(文字囲)がBDP-160の総不純物の増加量が小さい。
これによれば、被告の実験では、エタノール8%製剤(BDP/エタノール比=0.0421)であるBDP-108Aと、エタノール25%製剤(BDP/エタノール比=0.0036)であるBDP-160の安定性にそれほど差がないが、
どちらかといえば、エタノール濃度が低くBDP/エタノール比の高い(BDPの周りにエタノールが少ない)BDP-108Aの方が安定性が高い傾向を示している。
(b) 本件発明の構成に含まれるBDP-106Aと、ピュアヴァル特許の実施例11(BDP0.09%、オレイン酸0.11%、エタノール25%)に準じる処方のBDP-160を比較すると、8例中6件でBDP-106Aの総不純物の増加量が低い。したがって、被告の実験において、本件発明の構成に含まれる製剤は、ピュアヴァル特許の実施例11に準じた処方の製剤と比較して化学的安定性が高い。
(イ) 原告の実験 A・レポート(甲12)は、原告の研究者A博士が1998年に行ったHFC-BDP製剤中のBDPの化学的安定性に対する界面活性剤の影響をエタノール濃度の影響と共に調べた実験についての技術報告書である。
a 測定対象 下表のとおり、BDP、HFC-134a、エタノールを含有する製剤A〜Lを調製する。A及びGは界面活性剤を含まず、B〜F、H〜Lは従来の界面活性剤(オレイン酸、スパン85〔トリオレイン酸ソルビタン〕、リポイドS100〔レシチン〕)を含む。A〜Fは10%のエタノールを含み、G〜Lは25%のエタノールを含む。製剤H、J及びKは、ピュアヴァル特許の実施例10〜12に従って得られる。
b 測定方法 製剤A〜Lを倒置して40℃/75%の相対湿度(RH)で保存した。製剤中のBDPの化学的安定性を、3か月後及び6か月後の合計不純物パーセント(TPI)の増分(ITPI:所定期間保存後のTPIとTPIの初期値との差)によって定量する。
c 結果 表3及び表4のとおり 表3 10%のエタノールを含む例A〜FのTPI%及びITPI%(カッコ内) 表4 25%のエタノールを含む例G〜LのTPI%及びITPI%(カッコ内) d 考察 (a) 界面活性剤を伴う処方のうち、製剤L(リポイドS100 0.5%)を除く製剤B〜F、H〜Kは、合計不純物パーセント(TPI)の増分(ITPI:所定期間保存後のTPIとTPIの初期値との差)が、界面活性剤を含まない製剤(B〜Fに対してはA、H〜Kに対してはG)よりも高い。
(b) 製剤BとC、製剤KとLの間には、3か月後には界面活性剤の量と不純物の生成量の間に相関関係が見られるが、6か月後では界面活性剤0.5%を含むC、Lの方が界面活性剤0.1%を含むB、Kより不純物の増分が低い。しかし、その他の組合せ(EとF、HとI、DとJ)では、3か月、6か月とも界面活性剤の濃度と不純物の生成量の間に相関関係が見られる。
(c) 本件発明に係る製剤Aとピュアヴァル特許の実施例10〜12に従って作られた製剤J、H、Kとを比較すると、製剤Aの3か月後及び6か月後のITPIは、製剤J、H、Kと比べて顕著に低い。
(d) エタノール25%製剤である製剤Gの不純物増加率は、3か月後に製剤H、Iの不純物増加率の78.3%又は58.1%にまで低下し(0.18/0.23=0.783, 0.18/0.31=0.581)、6か月後に製剤H、Iの不純物増加率の76.5%又は51.2%にまで低下する(0.65/0.85=0.765, 0.65/1.27=0.512)。これに対し、エタノール10%製剤である製剤Aの不純物増加率は、6か月後に製剤B、Cの不純物増加率の19.8%又は21.8%にまで低下する(0.19/0.96=0.198, 0.19/0.87=0.218)。
このように、エタノール10重量%の製剤の方が、エタノール25重量%の製剤に比べて、界面活性剤を除いた場合の化学的安定性の向上が顕著である。
(ウ) 原告の実験と被告の実験の比較 a 前記(ア)、(イ)によれば、原告の実験と被告の実験の結果は、次のような傾向を示しているといえる。
(a) 本件発明の構成に含まれる製剤は、被告の実験におけるBDP-106A(BDP0.34%、エタノール8%、HFC-134a91.6%)、原告の実験における製剤A(BDP0.1%、エタノール10%、HFC-134a89.9%)のように、ピュアヴァル特許の実施例10〜12又はこれに準じる処方と比較して化学的安定性が高いものが存在する。
(b) エタノール25%含有の製剤は、エタノール10%又は8%含有の製剤と比較して、界面活性剤を除いた場合の不純物の増大量が低く、エタノール含有量が上がると化学的安定性が低下する傾向が見られる。
(c) 界面活性剤(オレイン酸、レシチン又はトリオレイン酸ソルビタン)が、HFA-BDP溶液製剤中のBDPの分解に何らかの影響を与え、化学的安定性を低下させる方向に働いている例がある。実験例全体の過半数(原告の実験では20例中18例、被告の実験でも32例中21例)において、界面活性剤を添加した製剤の総不純物の増大量が界面活性剤0のものより増大している。
b ただし、オレイン酸については、被告の実験では、エタノール8%、
エタノール25%検体のいずれについても、オレイン酸の添加による化学的安定性の低下が不明な例が半数程度存在するのに対し、原告の実験では、オレイン酸を添加したものすべてに安定性の低下がみられる。原告の実験と被告の実験結果は一致しない。
しかし、被告の実験においても、オレイン酸がBDPのエステル加水分解において触媒となり、BDPの分解に積極的な影響を及ぼすことは認められる。
c 被告は、MTLレポートによると、被告製剤(BDP0.0641%、エタノール2.6816%、HFC-134a97.254%)において、界面活性剤の有無は製剤の安定性に実質的に影響を及ぼさないと主張する。
しかしながら、被告製剤は、原告の実験に用いられた製剤とも、被告の実験に用いられた製剤とも、BDPの濃度及びエタノールの濃度が異なる。HFC-BPD製剤中のBDPの分解は、エステル加水分解と塩化水素の脱離という二つの経路により行われる(甲12)。総分解物の増加量(分解速度)が単純にBDP又はエタノールの量に比例するとはいえない。被告の実験の結果をそのままBDP及びエタノールの量の異なる製剤に及ぼすことはできない。
しかも、前記aのとおり、原告の実験においても被告の実験においても、エタノール濃度の増加による安定性の低下が見られる。被告の実験によっても、エタノール約2%の被告製剤について、界面活性剤を含まないことによる化学的安定性の向上がないという結論を導くことはできない。
d なお、被告は、被告の実験によれば、BDP/エタノール比が小さく、BDPの周りにエタノールの多い製剤の方がより安定であるから、BDP/エタノール比0.0421のMTLレポートにおいて安定性に相違がないということは、BDP/エタノール比0.0239の被告製剤においては界面活性剤の有無による安定性の違いがよりないことを意味していると主張する。
しかしながら、前記(ア)、cによれば、エタノール8%でBDP/エタノール比0.0421のBDP-108Aの方が、エタノール25%でBDP/エタノール比0.0037のBDP-160と比較して、化学的安定性が高い傾向にあるから、被告の前記主張はその前提を欠くものであり、前記(ア)、a、(d)によれば、MTLレポートの実験においても、界面活性剤の添加により安定性に違いがないとまではいえない。
(エ) 以上によれば、被告製剤について、本件明細書の発明の詳細な説明に記載された作用効果のうち、化学的安定性の向上という効果がないとはいえない。
ウ 同(ウ)(有意に高い吸入率)について 次に、被告製剤が、従来の製品であるCFC懸濁製剤よりも吸入率が有意に高いという作用効果を有するかどうかについて検討する。
(ア) 本件発明にいう「吸入率」について a 本件明細書の発明の詳細な説明には、吸入率について、「吸入率(即ち、薬理作用が及ぼされる肺の気道に達することのできる活性成分のパーセンテージ)」(別紙特許公報4欄19〜21行)との記載があり、本件特許出願経過の中で、出願人である原告が平成9年8月12日付けで特許庁審査官に提出した上申書(乙6)には、「吸入率(即ち、アクチュエーターから放出される薬剤のうち、肺へと吸引されるのに適するサイズの薬剤の比率)」との記載がある。
また、本件明細書の発明の詳細な説明には、「実施例1-7の製剤により提供される吸入率を、Anderson MKUカスケードインバーター(インパクターの誤記と認める。)を用いて決定し、」(同7欄19〜20行)との記載があり、
証拠(甲13)によれば、アンダーセンカスケードインパクターにおいて、「アクチュエータから放出される薬剤」とは、アダプターを除くインダクションポートからステージ7又はフィルタまでで捕集された薬剤をいうことが認められる。
他方、証拠(乙1添付甲11、乙13、23)によれば、定量噴霧式吸入剤から放出される粒子中、気道に沈着するのに最適な粒子径は2〜5μmであり、肺胞に到達し作用し得るのは粒子径1〜2μmあるいはそれ以下であるが、
0.5μm以下の粒子は肺胞にまで到達するが沈着せず、呼吸により排出されることが認められるから、吸入率計算式の分子となる「肺へと吸引されるのに適するサイズの薬剤」とは、粒子径0.5〜5μmの粒子をいうものと解するのが相当である。そして、アンダーセンカスケードインパクターの各ステージで捉えられる粒子径の範囲のうち、0.5〜5.0μmの粒子径範囲に相当する(最も乖離する部分が少ない)のはステージ3〜7(0.43〜4.7μm)である。
これらの記載によれば、本件発明の発明の詳細な説明において用いられた吸入率計算式は、
ステージ3〜7の捕集量 吸入率=─────────────────────── インダクションポート以降のBDP捕集量 で表されると解するのが相当である。このことは、原告が1990年に行われた本件特許の実施例1〜7の実験において、アンダーセンカスケードインパクターのインダクションポート〜ステージ7で収集された量に対するステージ3〜7で収集された量の割合を吸入率としたことからも裏付けられる(甲13、証拠B)。
b 被告は、吸入率の計算にあたり、分母を一噴射量の全量、分子をステージ3〜6又はステージ2〜7で捕集されたBDP量とするべきであると主張する。
しかし、明細書の発明の詳細な説明に記載された作用効果の有無は、原則として、明細書の記載に基づく方法により算定されるべきである。吸入率計算において、分母をアクチュエータから放出される噴射量とする方法(ex-actuator)は、日本及び欧州で一般的であるバルブから放出される噴射量を1回噴射量とする方法(ex-valve)とは異なるが米国では一般的であり、測定方法として誤りとはいえない。また、ステージ2(MKTでは4.7〜7.0μm、MKUでは4.7〜5.8μm)で捕集される薬剤は、粒子径4.7〜5.0μmのものが気道に沈着するにすぎず、約5/6(MKT)ないし8/11(MKU)の範囲(5.0〜7.8μm)で捕集されるものは粒子径が大きすぎて気道に到達しないのであるから、これを吸入率計算に含めることは妥当でない。これに対し、ステージ7(0.43〜0.65μm)で捕集される薬剤は、その約2/3の範囲(0.5〜0.65μm)のものが肺胞に付着するから、吸入率の計算からこれを除外することは妥当でない。
(イ) 粒子径レポート(乙1添付甲13) この実験は、被告の研究者であるBらが、平成10年8月11日から平成11年12月20日にかけて、ベクラゾンについて、ベコタイドを対照薬として、アンダーセンカスケードインパクター(MKTモデル)を用いて両剤の粒子径を比較した実験である。
a 試験方法 試料を5秒間振り混ぜ、1回噴射して捨てる。この操作を5回繰り返す。
試料をセットし、5秒おきに5秒間振り混ぜて1回噴射する。この操作を噴射回数が30回となるまで繰り返す。
最終噴射後5秒以上待ってから、吸引ポンプを停止し、アダプター、インジェクションポート、各コレクションプレート及びバックアップフィルタをデシケータで乾燥後、それぞれのプロピオン酸ベクロメタゾン量を液体クロマトグラフ法により定量した。
測定した各プロピオン酸ベクロメタゾン量を噴射回数で除し、1回噴射量の分布量(μg)を計算した。
b 試験結果 (ウ) 粒子径レポートの数値に基づき、被告製剤とベコタイドの吸入率を計算すると、次のとおりである。
*1 ex-actuator(原告) 分母をインジェクションポートーからステージ7の間で捕集されたBDP量とする計算法 *2 ex-valve(被告) 分母を定量噴霧式吸入剤の1投薬量に相当する1噴射中の全量とする計算法 これによれば、本件明細書に記載された吸入率計算方法(分子:ステージ3〜7、分母:ex-acutator)による場合には、被告製剤(ベクラゾン)はベコタイドよりも約16%高い吸入率を示し、分母として一噴射量を用いた場合でも、
被告製剤はベコタイドより約10%高い吸入率を示すことが認められる。
また、ベコタイドは、平均値のピークがステージ3及び4(2.1〜4.7μm)にあるのに対し、ベクラゾンのピークは、ステージ5及び6(0.65〜2.1μm)にある。前記(ア)のとおり、定量噴霧式吸入剤から放出される薬剤のうち、2μm〜5μmの粒子が気道に到達して沈着し、0.5〜2μmの粒子が肺胞に沈着して作用することによれば、ベコタイドは肺胞に沈着する成分が少なく、ベクラゾンは肺胞に沈着する成分が多いというべきである。最高の溶質交換は肺胞レベルで行われる(乙1添付甲11)ことからすると、両者の薬効には違いがあるといえる。
(エ) 被告は、粒子径の分布及び吸入率は、オリフィスの口径及び形状に依存していると主張する。
一般的に、粒子径分布はオリフィスの口径及びその形状に依存し、その径が小さい程粒子径は小さくなる傾向にある(乙13)。しかし、溶液製剤の場合、定量噴霧式吸入器から噴霧された薬剤の粒子径分布は、非揮発性成分、オリフィス、噴射剤、共溶媒、定量バルブという種々の条件の組合せにより調整が可能であるとの知見が発表されており(甲16、17)、粒子径の分布及び吸入が専らオリフィスの口径及び形状に依存しているとはいえない。
粒子径レポート(乙1添付甲13)は、被告製剤及びベコタイドについて同一の器具を用いてその粒子径分布を測定した実験であり、粒子径レポートの結果が示す上記吸入率の差異には、オリフィスの口径及び形状は何ら影響を及ぼしていないから、被告の主張は理由がない。
(オ) したがって、被告製剤(ベクラゾン)が従来のCFC懸濁製剤よりも吸入率が有意に高いという作用効果を有しないとは認められず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
エ 以上によれば、被告製剤は、本件明細書の発明の詳細な説明に記載された作用効果がないとはいえないから、被告製剤が本件発明の作用効果を奏しないことを理由に本件発明の技術的範囲に属しないとすることはできない。
(3) 以上によれば、被告製剤は、本件発明@ないしDの構成要件をすべて充足し、その技術的範囲に属するものというべきである。
2 争点(2)(本件特許には明らかな無効理由が存在するか)について (1) 引用例1(ピュアヴァル特許の実施例10〜12)について ア 証拠(乙1添付甲1)によれば、次の事実が認められる。すなわち、ピュアヴァル特許は、平成2年8月8日出願公開された。この発明は、特許請求の範囲を「医薬、1,1,1,2-テトラフルオロエタン、界面活性剤、及び1,1,1,2-テトラフルオロエタンより極性が高い少なくとも1種の化合物を含むエアゾール製剤」とするものであり、その実施例10〜12は、BDP0.005g、
界面活性剤(実施例10ではスパン85、実施例11ではオレイン酸、実施例12ではリポイドS100)0.006g、エタノール1.350g、P134a(HFC-134a)4.040gを調製した溶液製剤(組成比で表すと、BDP0.09%、界面活性剤0.11%、エタノール25.00%及びHFC-134a74.80%)である。
これによれば、引用例1には、界面活性剤を含む点を除き、本件発明の構成が記載されているといえる。
イ しかし、ピュアヴァル特許の明細書の発明の詳細な説明には、
「プロペラント134a(HFC-134a)に、プロペラント134aより極性の高い化合物を添加することにより、プロペラント134a単独中に溶解する場合に比べてより多量の界面活性剤が溶解し得る混合物が得られる。溶解した多量の界面活性剤の存在により、安定で均一な医薬粒子の懸濁液が調製できる。溶解した界面活性剤の多量の存在はまた特定の医薬の安定な溶液製剤を得ることに役立っている。」(8欄6〜13行) 「本発明のエアゾール製剤は、製剤を安定化させるためまたバルブ部材を滑りやすくするため、界面活性剤を含む。」(14欄13〜15行) 「界面活性剤は一般に製剤の総重量にたいして5重量%を超えない量で存在する。これらは、通常界面活性剤:医薬が1:100〜10:1の重量比で存在するが、製剤中の医薬濃度が非常に低い場合は界面活性剤はこの重量比を超えてもよい。」(16欄17行〜17欄1行) との記載があり、これによれば、ピュアヴァル特許において界面活性剤は必須の構成であり、かかる構成は、懸濁製剤、溶液製剤のいずれの場合も製剤の安定化のためには多量の界面活性剤を必要とするとの当時の知見に基づくものと解される。
ウ 本件発明の作用効果の一つは、前記1、(2)、ア、(イ)のとおり、非常に所望される高い化学的安定性を有し、従来のHFC-134a溶液製剤であるピュアヴァル特許の実施例10〜12と比べて化学的安定性が高いことにある。前記イのピュアヴァル特許の明細書の記載に加え、証拠(甲18〜21)によれば、本件特許の優先権主張日である1990年(平成2年)10月18日当時、定量噴霧式吸入剤は、溶液製剤でも懸濁製剤でも、一般的に界面活性剤を含むものと考えられており、同日以後出願されたBDP/HFA-134a溶液製剤に関する特許発明に係る明細書にも、界面活性剤を使用する処方が記載されていることが認められる(乙1添付甲3には、エアゾール製剤には溶液系と懸濁分散系があること、懸濁分散系では、粒子がオリフィスを通過するときの潤滑剤として界面活性剤が添加されてきたことが記載されているが、溶液製剤において界面活性剤が不要であるとの記載はない。)。
これらの事実によれば、本件発明がピュアヴァル特許の構成から界面活性剤を除去し、これにより製剤の化学的安定性という効果をもたらしたことは、他に特段の事情のない限り、当時の技術水準においても予想外のことに属したものとみるのが相当であり、優先日時点の当業者が、ピュアヴァル特許(引用例1)の記載に基づいて、界面活性剤を排除する構成を容易に実施することができたものと認めることはできない。
(2) 引用例2(クレニルスプレー)について ア ミネルバニューモロジカ(乙1添付甲2)は、1975年にイタリア国で発表された刊行物であり、「ベクロメタゾン17,21ジプロピオネート0.010g、無水エタノール1.191g、フレオン113の2.361g、フレオン12/114(40:60)の11.438g」の組成(組成比で表すと、BDP0.07重量%、無水エタノール7.94%、CFC-113 15.74重量%、CFC-12/CFC-114(30.5重量%、45.75重量%)となる。)から成るクレニルスプレーを開示している。
クレニルスプレーは、BDP及びエタノールを成分とし、界面活性剤を含まないエアロゾル製剤という限度で本件発明と構成が一致する。しかし、クレニルスプレーは、噴射剤に主として用いられるCFC-12/CFC-114のほか、CFC-113を成分とするところ、CFC-113は、沸点が47.57℃であり、常温では液体の状態であるから(甲11)、補助噴射剤又は溶剤としての用途があるとしても、噴射剤として単独で使用されることはない。このように、クレニルスプレーは、@噴射剤として特定フロンであるCFC-12/CFC-11を含むこと、及び、ACFC-113を溶剤又は補助噴射剤として含むことの2点において、本件発明と構成を異にしている。
イ 証拠(乙1添付甲6、乙1添付甲7)によれば、1990年3月ないし9月時点において、定量噴霧式吸入剤に使用される噴射剤について、HFA-134aがCFC-12の好適な代替品として検討されていたことが認められる。他方、エアゾール製品の原液の溶剤成分又は補助噴射剤に使用されるCFC-113の代替品としては、HCFC-123、HCFC-141b、HCFC-225ca、HCFC-225cb及びペンタフルオロプロピルアルコール(5FP)等が候補として挙げられていたが、1991年7月時点でも未だ実用化の段階に入っていなかったことが認められる(甲11)。そして、HFC-134aとCFC-113が沸点、蒸気圧等の熱力学的性質を著しく異にしている(甲11、図2-2フロン類の蒸気圧曲線)ことを考慮すると、本件発明の優先権主張日当時の技術水準において、クレニルスプレー(引用例2)の構成に接した当業者が、特定フロンである噴射剤CFC-12/CFC-11、溶剤又は補助噴射剤CFC-113の全量を代替フロンであるHFC-134aに変更する構成を想到することが容易であったとはいえない。そのような製剤が特定フロンを用いた製剤と少なくとも同等の化学的安定性、吸入率という効果を奏するものであることが自明であったともいえない。
(3) そうすると、本件特許に進歩性欠如(特許法29条2項)という無効理由が存在することが明らかであるとはいえない。
4 以上によれば、被告が被告製剤を輸入、販売する行為は、本件特許権を侵害することになるところ、被告は、将来において被告製剤を輸入、販売するおそれがあるといえるから、原告はその予防を請求することができるものというべきである。よって、原告の請求は理由があるから、主文のとおり判決する(仮執行宣言を付することは相当でないから、付さないこととする。)。
裁判長裁判官 小松一雄
裁判官 阿多麻子
裁判官 前田郁勝
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