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事件 平成 24年 (行ケ) 10061号 審判請求書却下決定取消請求事件
裁判所のデータが存在しません。
裁判所 知的財産高等裁判所 
判決言渡日 2012/06/06
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
判例全文
判例全文
平成24年6月6日判決言渡 同日原本受領 裁判所書記官

平成24年(行ケ)第10061号 審判請求書却下決定取消請求事件

口頭弁論終結日 平成24年5月16日

判 決

原 告 ジ ヤンセン・フアーマシユーチカ・

ナームローゼ・フエンノートシヤツプ

同訴訟代理人弁護士 大 塚 一 郎

石 井 宏 治

千 葉 友 美

西 岡 志 貴

被 告 特 許 庁 長 官

同指定代理人 芦 葉 松 美

唐 木 以 知 良

守 屋 友 宏

主 文

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 こ の判決に対する上告及び上告受理の申立ての

ための付加期間を30日と定める。

事実及び理由

第1 請求

特許庁が不服2011−14228号事件について平成23年9月30日にした

決定を取り消す。

第2 事案の概要

本件は,原告が,下記1のとおりの手続において,本件出願に対する拒絶査定

服審判の請求について,特許庁長官により指定された審判長が,本件請求書を却下

1
するとした本件決定(その理由は下記2のとおり)には,下記3の取消事由がある

と主張して,その取消しを求める事案である。

1 特許庁における手続の経緯

原告は,平成17年6月16日,発明の名称を「てんかんおよび関連疾患を
(1)

治療するためのスルファメートおよびスルファミド誘導体」とする特許を出願した

が(特願2007−516789。甲1の1),平成23年2月21日付けで拒絶査

定(以下「本件拒絶査定」という。)を受けたので(甲1の2),同年7月4日,特

許業務法人 A 特許事務所(以下「本件事務所」という。)を代理人として,本件拒

絶査定に対する不服の審判(本件審判)を請求した(甲1の3)。

特許庁は,本件請求書を不服2011−14228号事件として受理し,特
(2)

許庁長官により指定された B 審判長(以下「本件審判長」という。)は,平成23

年7月19日,本件事務所に対し,手続補正指令書(以下「本件指令書」という。)

を発送した(甲1の4)。本件事務所は,同年8月18日,特許庁長官に対して手続

補正について期間の猶予を求める上申書(以下「本件上申書」という。)を提出した

が(甲1の5) 本件審判長は,
, 同年9月30日,本件請求書を却下する決定をし(本

件決定),その謄本は,同年10月24日,本件事務所に送達された(甲1の6,甲

11,乙1)。

2 本件決定の理由の要旨

本件決定の理由は,要するに,審判長が指定した期間内に原告が命令された補正

をしないので,特許法133条3項により本件請求書を却下する,というものであ

る。

3 取消事由

本件決定の違法性

信義誠実の原則違反(取消事由1)
(1)

平等原則違反(取消事由2)
(2)

手続上の違法(取消事由3)
(3)

2
本件決定に至る判断過程の違法(取消事由4)
(4)

第3 当事者の主張

1 取消事由1(信義誠実の原則違反)について

〔原告の主張〕

本件決定は,特許法133条3項に基づくものであるところ,同項によれば,
(1)

審判長には審判請求書を却下するか否かについての裁量権がある。

しかるところ,特許庁は,特許拒絶査定に対する拒絶査定不服審判請求の審
(2)

判請求書の「請求の理由」欄の記載及びその補正に関して,特許庁審判部における

事務処理マニュアルである「審判事務機械処理便覧」
(甲12)に基づき次のような

実務的運用を公然としており,これが確立された特許実務上の慣習として定着して

いた(甲2〜6,9〜12。枝番を含む。以下,特に断らない限り,同じ。。


すなわち,請求人は,請求書の「請求の理由」欄を記載するに当たり実験データ

を収集するために時間がかかるなどの事情がある場合には,当該欄に「詳細な理由

は追って補充する。」旨を記載し,審判長は,特許法133条1項に基づく指定期間

を30日と定めて補正を命じた後,請求人が手続補正書の提出期限の猶予を求める

上申書(応答)を提出すれば,指定期間が経過しても請求書の却下決定をせずに(上

記便覧中には,請求人からの応答の有無を3回確認するとの記載がある一方,応答

があった場合の処理手順の定めはないから,これは,応答があった場合には却下決

定の起案をしてはいけないという趣旨である。,当該手続補正書の提出があるまで


期間(おおむね3ないし5か月間)を猶予し,仮に却下決定をする場合には,請求

人又はその代理人に対して,事前に書面又は電話で,手続補正書が提出されていな

い旨を通知(却下処分前通知)し,あるいは審判請求を維持する意思があるか否か

を確認した上で,却下決定をしていた(以下「本件運用」という。 。


原告は,本件審判についても本件運用に基づいて処理されるものと信じるの
(3)

が極めて当然であり,そう信じることについて原告及び本件事務所には何らの落ち

度はない。

3
しかるに,特許庁は,自ら公然と行ってきた本件運用により,原告に対して本件

審判が本件運用に基づいて処理されるであろうという信頼を抱かせておきながら,

本件運用に反して,本件上申書の提出からわずか43日後に,却下処分前通知や意

思確認を一切行わずに本件決定をしたものである(甲1の6,甲11)。原告は,審

判手続において適正な手続を保障され,審判を受ける機会を不当に奪われない法律

上の利益を有しているのに,本件決定によっていわば不意打ち的に審判を受ける道

を閉ざされ,当該法律上の利益を奪われたものである。

したがって,本件決定は,原告の信頼を裏切り,かつ,原告が審判を受ける
(4)

機会を不当に奪ったものであって,信義誠実の原則に反して,違法である。

なお,条文の文言及び本件運用に加えて,特許庁の内部文書である「審判部
(5)

職員必携」
(甲16)には,指定期間経過後に提出された補正書を受理する旨が記載

されていることなどによれば,審判長が,補正命令に対する関係で特許法133条

3項に基づく却下をしなければならないとの解釈を前提としても,審判長には,当

該却下処分をどのタイミングで行うかについてはなお裁量権があるし,本件上申書

に実験データ等に関する詳細な記載がないことは,他の事件の場合と異なるところ

はない(甲2〜4)。

また,被告主張に係る拒絶査定不服審判における拒絶理由通知及び審尋に対する

指定期間の請求による延長は,特許法133条1項に基づく補正命令と論理的に関

係しないから比較できないし,在外者に対する当該延長は,運用上,最大6か月と

なる(甲13)から,比較するにしても前提に誤りがある。

〔被告の主張〕

特許法131条1項は,審判の請求人が請求の理由等を記載した請求書を特
(1)

許庁長官に提出しなければならない旨を規定し,同法133条1項は,審判長は請

求書が同法131条1項に違反しているときは,請求人に対し,相当の期間を指定

して,請求書について補正をすべきことを命じなければならない旨を規定している。

そして,特許法133条3項は,審判長は前2項の規定により審判事件に係る手

4
続について,その補正をすべきことを命じた者がこれらの規定により指定した期間

内にその補正をしないときは,決定をもってその手続を却下することができる旨を

規定している。そして,ここに「却下することができる」との規定は,平成8年法

律第68号による改正前の特許法133条2項が「却下しなければならない」と規

定したものを改めたものであるが,現行特許法133条1項に基づく補正命令に対

する処分と同条2項に基づく補正命令に対する「手続を無効とすることができる」

という処分とを併せて規定したために,
「却下することができる」となったものであ

り,同条1項に基づく補正命令に対応する関係では,従前と同様に,
「却下しなけれ

ばならない」ものと解されている(乙2)。

そして,手続補正指令書に対して上申書が提出されたとしても,それによって審

判請求書の瑕疵が治癒しないときに,永続的に処分を猶予し,いつまでも審判請求

書を却下しないなどということは,あり得ない。

これを本件についてみると,本件請求書には,実質的に請求の理由が記載さ
(2)

れていないから,特許法131条1項に違反するものであり,本件審判長は,同法

133条1項に基づき,本件指令書により,相当の期間を「この指令の発送の日か

ら30日以内」と指定して補正を命じたが,原告は,その期間内にもその後2か月

の期間を経過しても,補正をしなかった。

そこで,本件審判長は,@原告は,本件拒絶査定から本件審判の請求まで4か月

もの期間があったにもかかわらず,本件請求書に実質的な請求の理由を何ら記載し

ていないこと,A本件審判の請求時に実験データ等が入手できていなかったとして

も,原告は,本件請求書に実験データ等以外の部分に係る実質的な請求の理由を記

載することも可能であったのに,これを何ら記載していないこと,B原告は,本件

指令書が発送されてから約1か月の期間が経過してから提出された本件上申書に,

なぜ実験データ等がないと請求の理由を十分に記載できないのか,実験データ等が

どのようなものであって,どの程度の量なのか,といった実験データ等の概要を何

ら記載していないこと,C原告は,本件指令書により,その発送の日から30日以

5
内に手続の補正をしないときは,本件請求書が却下されることになる旨についてあ

らかじめ通知を受けていたこと,D本件拒絶査定から本件審判の請求まで4か月も

の期間があり,その後も,本件審判の請求から本件上申書の提出まで約1か月もの

期間があった一方,実験データ等の入手であれば処分を猶予する期間は,約2か月

で十分であること(本件拒絶査定からは,7か月以上の期間があったことになる。,


を考慮して,これ以上,業を同じくする第三者等の利益に重大な影響を及ぼしてま

で,行政サービスの一環として処分を猶予すべき格別の理由を見出せなかったから,

特許法133条3項に基づき,本件請求書を却下する処分(本件決定)をしたもの

である。

以上のとおり,本件決定は,適法に行われたものといえる。

なお,「審判事務機械処理便覧」(甲12)は,単に機械操作の流れを説明したも

のであり,本件については,せいぜい,本件上申書が提出されたことによって却下

処分前通知が発送されなかった点が当てはまる程度である。むしろ,却下処分は,

いたずらに猶予すべきではないから,手続補正指令に対して応答があったとしても,

それが単に処分の猶予を求めるにすぎないものである場合には,手続補正書が提出

されるまで永続的に処分を猶予するような運用は,行うべきではない。

特許庁には,原告主張に係る本件運用を確立させるような取決め等が存在し
(3)

ない。むしろ,確立かつ公表されている運用は,拒絶査定不服審判における拒絶理

由通知及び審尋に対する指定期間の請求による延長に関し,拒絶理由通知書等で示

された引用文献に記載された発明との対比実験データの取得を理由とする場合に,

延長する期間を最大で1か月とするものである(乙3,4)。

以上によれば,本件決定は,信義誠実の原則に反するものとはいえない。
(4)

2 取消事由2(平等原則違反)について

〔原告の主張〕

行政庁は,憲法14条1項に基づき,行政処分をするに当たり処分の相手方
(1)

を平等に取り扱わなければならないから,審判長も,特許法133条3項に基づく

6
決定をするに当たって,全ての審判請求を平等に扱わなければならない。そして,

特許拒絶査定に対する拒絶査定不服審判請求については本件運用が確立していたの

であるから,審判長は,全ての審判請求を本件運用に従って取り扱わなければなら

ない。

しかるところ,本件審判長は,本件請求書については本件運用と異なる取り
(2)

扱いをしたものであって,原告は,他の事件と比較して不利な取り扱いを受けたこ

とが明らかである。

すなわち,本件においては,本件上申書が提出され,却下決定をしてはならない

場合となったのに,本件決定がされている。

また,本件においては,原告が在外者であるにもかかわらず,本件上申書提出の

43日後に本件決定がされているが,これは,他の事件で手続補正書が提出される

までの猶予期間(116〜161日。甲2〜4)の2.42分の1ないし3.74

分の1の極めて短期間であるし,中には請求書の却下を約1年8か月間も猶予した

事例もある(甲9)。また,本件請求書については本件決定に先立って処分前の通知

や意思確認がされていないが,他の事件では,これらがされている(甲5,6)。

しかも,本件上申書に実験データ等に関する詳細な記載がないことは,他の事件

の場合と異なるところはなく,他の事件では,拒絶査定から請求の理由を記載した

手続補正書の提出まで約9か月ないし約12か月の猶予期間が与えられているから

(甲2〜4)本件請求書について上記のような不利な取り扱いを受けるべき合理的


理由は,存在しない。

よって,本件決定は,他の事件と比較して本件請求書だけを合理的な理由
(3)

く不利に取り扱うものであり,平等原則に違反する。

〔被告の主張〕

請求書の却下決定をどの程度猶予するかの判断は,事案ごとの事情を考慮した上

でされるものであるところ,本件決定は,前記のとおりされたものであって,他の

事案と比較して本件を不平等であるとする原告の主張は,それ自体失当である。

7
3 取消事由3(手続上の違法)について

〔原告の主張〕

前記のとおり,拒絶査定不服審判の請求人は,審判手続において適正な手続
(1)

を保障され,審判を受ける機会を不当に奪われない法律上の利益を有し,特に,請

求書の却下に至る手続においては,請求人の法律上の利益は,なおさら尊重されな

ければならない。したがって,特許庁は,請求書の却下に至る手続において,全て

の審判請求を公平に取り扱わなければならないのは当然であって,その恣意によっ

て特定の審判請求について不利な手続を行うことは,許されない。

本件運用によれば,審判長は,請求書を却下するに先立って,請求人に対し,
(2)

書面又は電話により,却下処分前通知や意思確認を行っている。したがって,審判

長は,本件決定に当たって,全ての請求に対する公平な手続として,これらの却下

処分前通知又は意思確認をしなければならないはずである。

しかるに,本件審判長は,本件決定に先立って,これらの却下処分前通知又は意

思確認をしていないから(甲1の6,甲11),本件審判の請求について,行うべき

手続上の措置を怠った手続上の違法がある。しかも,原告は,本件上申書を提出し,

手続補正書提出に向けて準備を行っていた(本件上申書に実験データ等に関する詳

細な記載がないことは,他の事件の場合と異なるところはない。甲2〜4)のであ

るから,請求人が補正命令に対して何らの応答もしなかった他の事件(甲5,6)

と比較して,原告の手続保障に配慮する必要性は,より高く,本件決定に至る手続

上の違法性も,著しい。さらに,これらの却下処分前通知又は意思確認がされてい

れば,A 特許事務所は,本件審判長に対して審判手続を維持する意思や手続補正書

の提出時期の見通し等を十分に伝えることができたはずであり(甲9) これにより


本件決定がされなかったであろうことは,明らかである。

よって,本件決定には,その手続において,本来行うべき却下処分前通知又
(3)

は意思確認を怠った違法があり,かつ,その違法が結果に重大な影響を及ぼしたこ

とが明らかである。

8
〔被告の主張〕

本件指令書には,その発送の日から30日以内に手続補正書を提出しなければ本

件請求書を却下することになる旨が明確に記載されていたのであるから,原告は,

手続補正書を提出しない場合の帰結を十分に予見できたはずであるのに,その指定

期間内に補正をせず,本件上申書にも実験データ等の概要を何ら記載していない。

そこで,本件決定は,実験データ等の入手であれば処分を猶予する期間が約2か

月で十分であり,これ以上に業を同じくする第三者等の利益に重大な影響を及ぼし

てまで処分を猶予すべき格別の理由を見出せなかったから,されたものである。

よって,本件決定に原告主張に係るような手続上の違法があるとはいえない。

4 取消事由4(本件決定に至る判断過程の違法)について

〔原告の主張〕

特 許法133条3項は,「却下することができる」と規定し,文言上,請求
(1)

書の却下を審判長の裁量に委ねており,実務上,補正の指定期間経過後であっても,

請求人の速やかに手続をする意思を確認できた場合には,審判長は,その裁量権を

行使することにより,一定の期間,却下決定を猶予する運用が行われてきた。

他方,特許法133条1項の「相当の期間」は,実務上,一律に補正指令書
(2)

の発送日から30日と指定されている(甲2の2,甲6の2,甲8)。しかし,補正

に必要な期間は,事案ごとに異なるから,30日以内に補正ができない事案がある

ことも,当然であって,同項が補正の期間を「30日」ではなく「相当の期間」と

規定しているのも,このことを前提としているのである。

したがって,一律に指定期間を30日と定める上記運用は,特許法133条1項

の趣旨に反するものである。そうでありながら,実務上,指定期間(相当の期間)

を一律に30日とする取扱いが適法とされてきたのは,同条3項に基づく却下決定

がされるまでの期間を,個々の事案に応じて補正に時間を要する事案については長

くすることにより,事実上,請求人に対して補正のための「相当の期間」を与える

という運用がされてきたからにほかならない。本件運用も,この趣旨に基づくもの

9
であることが明らかである。現に,他の事件では,上記裁量権に基づき,約1年8

月にわたり却下決定が猶予されている(甲9)。

以上のとおり,審判長は,特許法133条3項に基づく却下決定をするに当
(3)

たり,事案ごとの個別の事情にあわせて請求人が審判請求書の補正をするための「相

当の期間」が事実上確保されるよう,請求人に対し,速やかに手続をする意思があ

るのか否かを確認し,その意思が確認できた場合には,その事案において補正すべ

き事項,補正の難易及び各事案における個別の事情等を考慮して「相当の期間」を

判断し,その期間が経過した後に却下決定をしなければならない。

本件では,本件拒絶査定において具体的な試験データがないこと等が指摘さ
(4)

れており(甲1の2),本件上申書には,請求の理由を記載するのに必要な実験デー

タ等の入手等に手間取っている旨の記載がある(甲1の5)のであるから,本件審

判長は,原告が速やかに手続をする意思があるのか否かに加えて,請求の理由を補

充するために必要な実験データはどのようなものであるか,どの程度の量か,国内

にあるのか国外にあるのか,翻訳の必要はあるか,入手の見通しはいつか,などの

個別事情を確認した上でなければ,
「相当の期間」を判断することができなかったは

ずである。

しかるに,本件審判長は,業務が多忙であるというだけで本件事務所に対し
(5)

て一度も連絡をとらず(甲1の6,甲11),前記の個別事情を全く確認も考慮もせ

ず,さらに原告にその機会すら与えずに本件決定をしたものであるから,本件決定

は,考慮すべきことを一切考慮せず,考慮してはならないことを考慮してされたも

のであって,その判断過程に違法がある。

〔被告の主張〕

本件決定は,前記のとおりの事情を踏まえてされたものである。

原告は,本件拒絶査定から約5か月,本件審判の請求から約1か月もの期間が経

過した上で提出された本件上申書において,「実験データ等の入手に手間取ってい

る」と記載するのみで,実験データ等の概要を何ら記載しておらず,審判長に対し

10
て,どの程度処分を猶予すればよいのかについての判断材料を与えなかったのは,

原告自身である。

よって,本件決定の判断過程には,原告主張に係るような違法があったとはいえ

ない。

第4 当裁判所の判断

1 認定事実

当事者間に争いのない事実,証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認めら

れる。

原告は,平成17年6月16日,発明の名称を「てんかんおよび関連疾患を
(1)

治療するためのスルファメートおよびスルファミド誘導体」とする特許を出願した

が(特願2007−516789。甲1の1),平成23年2月21日付けで,次の

理由により本件拒絶査定を受けた(甲1の2)。

「本願明細書には,出願人が主張するような本願発明の式(T)の化合物が「低

い炭酸脱水素酵素阻害活性」を示すことを確認し得るような具体的な試験データ等

は何ら記載されていないし,
「有意に高いMES試験における活性」についても,…

本件発明の式(T)の化合物が如何ほどの有意に高い活性を示すのかを確認できる

ような比較試験データ等も何ら示されていない。

したがって,出願人の上記主張(判決注・本願発明の式(T)の化合物が「低い

炭酸脱水素酵素阻害活性」を示すこと)は採用できず,本願請求項1〜11に係る

発明は,引用文献1〜4に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をするこ

とができたものであるから,特許法第29条第2項の規定により特許を受けること

ができない。」

原告は,平成23年7月4日,本件事務所を代理人として,本件拒絶査定
(2)

対して本件審判を請求したが,その際,本件請求書の請求の理由欄には,
「詳細な理

由は追って補充する。」とのみ記載した(甲1の3)。

特許庁は,本件請求書を受理してこれに不服2011−14228号との事
(3)

11
件番号を付し,特許庁長官により指定された本件審判長は,平成23年7月19日,

特許法133条1項に基づき,本件事務所に対して本件指令書を発送したが,そこ

には次の記載があった(甲1の4)。

「この審判請求手続について,方式上の不備がありますので,この指令の発送の

日から30日以内に,下記事項を補正した手続補正書(方式)を提出しなければな

りません。

上記期間内に手続の補正をしないときは,特許法第133条第3項の規定により

審判請求書を却下することになります。



1.審判請求書の【請求の理由】の欄。

(注)請求の理由が正確に記載されていません。」

本件事務所は,平成23年8月18日,特許庁長官に対して本件上申書を提
(4)

出したが,そこには,「上申の内容」として次の記載があった(甲1の5)。

「本件請求人は,当該請求の理由を記載するのに必要な実験データ等の入手等に

手間取っているので,上記指定期間内には十分な請求の理由を記載できないと連絡

して参りました。

したがって,上記書面の提出期間について数ヶ月のご猶予を与えて戴きたく,こ

こに上申いたします。」

特 許庁内部では,「審判事務機械処理便覧」という文書により,特許出願に
(5)

対する拒絶査定不服審判請求について補正命令(特許法133条1項)を発した後,

請求人からこれに対する応答がなかった場合,このことを確認した事務担当者は,

審判長名の却下決定の文案を作成するが,これについて審判長による決裁(決定)

を受ける前に,却下処分前通知書の発送を確認することとされているほか,却下処

分前通知に先立って請求人からの上申書等が存在した場合には,却下処分前通知の

発送を留保することとされている(甲12)。

また,特許庁においては,特許出願に対する拒絶査定不服審判請求について補正

12
命令(特許法133条1項)を発する場合,手続補正のための相当の期間として3

0日を指定する運用が行われているが,請求人から当該指定期間内に補正について

の期間の猶予を求める上申書が提出された場合,審判長は,当該指定期間を経過し

ても直ちに請求書を却下する決定をするとは限らず,あるいはそのような上申書が

提出されなくても,特許庁からの郵便はがきによる却下処分前通知又は電話による

手続続行の意思の有無の確認を経てから,請求書を却下する決定をする運用が行わ

れている(甲2〜6,8,9)。

しかるところ,本件審判の担当審判書記官は,原告又は本件事務所に対して,
(6)

手続補正書が提出されていない旨の通知(却下処分前通知)を郵送し,あるいは電

話で手続続行の意思の有無を確認するなどしなかった。そして,本件審判長は,平

成23年9月30日,特許法133条3項に基づき,本件請求書を却下する決定を

し(本件決定),その謄本は,同年10月24日,本件事務所に送達された(甲1の

6,甲11,乙1)。

決定書に記載された本件決定の理由は,次のとおりである。

「本件審判請求書には理由が無いから,審判長は期間を指定してその補正を命じ

た。しかし,審判請求人は指定された期間内にこれを補正しないので特許法第13

3条3項の規定により,本件審判請求書を却下すべきものとする。

よって,結論のとおり決定する。」

2 本件決定の違法性について

特許法133条3項に基づく請求書の却下決定に関する裁量について
(1)

特許出願について拒絶をすべき旨の査定を受けた者は,その査定に不服があると

きは,拒絶査定不服審判を請求することで特許査定又は拒絶査定の取消しを求める

ことができ(特許法121条1項159条3項51条160条1項) その際,


請求の理由等を記載した請求書を特許庁長官に提出しなければならない(同法13

1条1項3号)ところ,審判長は,請求書がこの規定に違反しているときは,請求

人に対し,相当の期間を指定して,請求書について補正をすべきことを命じなけれ

13
ばならず(同法133条1項) 請求人が当該補正命令により指定した期間内に請求


書の補正をしないときは,決定をもってその請求書を却下することができるとされ

ている(同条3項)。そして,特許法は,審判長が上記決定をすべき時期については

何ら規定していないところ,上記補正命令に基づく補正が上記相当の期間内にされ

ない以上,あえて当該決定を遷延させることについて積極的な意義は見出し難い一

方で,当該補正が当該相当の期間経過後にされた場合,当該補正を却下して請求書

を却下する決定をしなければならない理由も見当たらない。したがって,審判長は,

請求書を却下する決定の要件が充足したとしても,直ちに当該決定をしなければな

らないものではないというべきである。

以上によれば,審判長は,特許法131条1項に違反する請求書について,同法

133条1項に基づく補正命令により指定した相当の期間内に補正がされなかった

場合,いかなる時期に同条3項に基づく当該請求書を却下する決定をするかについ

ての裁量権を有しており,当該決定は,具体的事情に照らしてその裁量権の逸脱又

は濫用があった場合に限り,違法と評価されるというべきである。

本件決定の時期と裁量権の逸脱又は濫用の有無について
(2)

ア これを本件についてみると,原告は,前記1(1)に認定のとおり,平成23年

2月21日付けで,本件出願に係る明細書に実験データ等が記載されていないこと

などから,本件出願に係る発明が引用文献に記載の発明に基づいて容易に発明をす

ることができたことを理由とする本件拒絶査定を受けており,この時点で,当該実

験データ等の入手が本件出願に係る発明について特許査定を受ける上で重要であり,

拒絶査定不服審判を請求した場合の争点となることを認識していたものと認められ

る。

原告代理人である本件事務所は,前記1(2)に認定のとおり,本件拒絶査定から約

4か月を経過した平成23年7月4日,本件審判を請求したが,本件請求書の請求

の理由欄には,詳細な理由は追って補充する。と記載するにとどまっているから,
「 」

本件請求書は,請求の理由の記載がないものとして特許法131条1項3号に違反

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するものというほかない。

これに対して,本件審判長は,前記1 (3)に認定のとおり,平成23年7月19日,

本件指令書を発送し,その発送から30日以内に本件請求書の請求の理由を補正す

るよう命令したが,本件事務所は,前記1(4)に認定のとおり,本件指令書が指定し

た期間の末日であり,本件拒絶査定から約6か月を経過した同年8月18日に至っ

て,
「実験データ等の入手等に手間取っている」ことを理由として,手続補正書の提

出期間について数か月の猶予を求める旨を記載した本件上申書を提出するにとどま

り,それ以上に,いかなる実験データ等をどのように入手するのかや,いかなる事

情が理由となって当該実験データ等の入手等に更に数か月の時間を要するのかにつ

いて,何ら具体的な説明をしていないし,上記以外に本件請求書の請求の理由の補

正について更なる期間の猶予を求める理由も説明していない。

イ 他方,特許庁内部では,前記1 (5)に認定のとおり,
「審判事務機械処理便覧」

という文書により,特許法133条3項に基づく請求書の却下決定に先立って,請

求人からの上申書等の有無や却下処分前通知書の発送を確認することとされている

ほか,請求人から,同条1項に基づく指定期間内に手続補正についての期間の猶予

を求める上申書が提出された場合,審判長は,当該指定期間を経過しても直ちに請

求書を却下する決定をするとは限らず,あるいはそのような上申書が提出されなく

ても,特許庁からの郵便はがきによる却下処分前通知又は電話による手続続行の意

思の有無の確認を経てから,請求書を却下する決定をする運用が行われている。

しかしながら,上記「審判事務機械処理便覧」という文書は,あくまでも事務担

当者の便益のために特許庁内部における事務処理の運用を書面化したものであるに

すぎず,特許法の委任を受けて請求人との関係を規律するものではないし,特許庁

内部におけるその余の上記運用も,いずれも特許法に根拠を有する手続ではなく,

実務上の運用として行われているにすぎないから,このような運用に従わない取扱

いがされたからといって,そのことは,原則として当不当の問題を生ずるにとどま

り,直ちに請求書の却下決定に関する時期についての裁量権の逸脱又は濫用となる

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ものではない。

そして,前記1 (6)に認定のとおり,本件審判の担当審判書記官が,原告又は本件

事務所に対し,手続補正書が提出されていない旨の通知(却下処分前通知)を郵送

し,あるいは電話で手続続行の意思の有無を確認するなどしなかったことは,それ

自体,拙速の感を免れず,上記「審判事務機械処理便覧」という文書の記載及び特

許庁内部におけるその余の上記運用との関係では相当性を欠くことが明らかであっ

たというほかない。しかしながら,本件決定に先立ってこれらの運用を経ていない

としても,前記アに認定の事実に照らせば,特許庁のそのような対応とは別に,原

告は,補正に必要な実験データを入手し得る時期,その入手等に要する具体的な時

間及びその時点において更に期間の猶予を求める必要があるのであればその理由を,

いずれも進んで説明すべきであったというべきであって,特許庁から確認などを求

められることがなかったからといって,その確認などを求められるまで補正を命じ

られた期間を徒過し得るわけではなく,そのことは,本件決定がその時期について

の裁量権を逸脱又は濫用したとするに足りるものではない。

ウ 以上によれば,原告は,本件拒絶査定により本件審判における争点を認識し

ており,当該争点についての立証について,本件審判の請求まで約4か月,本件指

令書により指定された補正のための指定期間の満了まで約6か月にわたる準備期間

を与えられていながら,その立証準備の状況等について何ら具体的に説明をせずに

当該指定期間を徒過していたのであるから,原告が外国法人であって,本件事務所

との間の意思疎通について内国人よりも時間と費用を要することや,本件決定に先

立って,郵便はがきによる却下処分前通知又は電話による手続続行の意思の有無の

確認といった特許庁内部で行われていた運用に従った取扱いがされていなかったこ

と,そして,そのことから,仮に,本件事務所において自ら補正の理由書を提出す

るまで本件請求書が却下されることはないと期待していたとすれば,本件審判長が

その期待を与えたことを考慮しても,本件審判長は,本件請求書を却下した時点に

おいて,当該決定を遷延させ,もって原告のために更に補正のための猶予期間を与

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える必要はなかったものというほかなく,本件拒絶査定から約7か月後であって当

該指定期間の満了から43日後にされた本件決定は,審判長が有する請求書の却下

決定をする時期についての裁量権を逸脱又は濫用したものとはいえない。

3 原告の主張について

取消事由1(信義誠実の原則違反)について
(1)

ア 原告は,拒絶査定不服審判の請求書の請求の理由欄の記載について,特許庁

が前記1(5)に認定した運用をしており,その際に用いられている「審判事務機械処

理便覧」という文書の記載が,請求人から上申書等の提出があれば却下決定をして

はならないという趣旨を含むものである旨を主張する。

イ しかしながら,特許庁内部では,審判事務機械処理便覧」
「 という文書により,

特許法133条3項に基づく請求書の却下決定に先立って,請求人からの上申書等

の有無や却下処分前通知書の発送を確認することとされているものの,当該文書は,

前記2(2)イに認定のとおり,あくまでも事務担当者の便益のために特許庁内部にお

ける事務処理の運用を書面化したものであるにすぎず,特許法の委任を受けて請求

人との関係を規律するものではない。したがって,上記文書は,請求人から上申書

等の提出があれば却下決定をしてはならないという趣旨を含むものとはいえない。

よって,原告の上記主張は,採用できない。

ウ 原告は,本件決定が,特許庁が公然と行ってきた運用により原告が抱いた信

頼を裏切るものであって,信義誠実の原則に反する旨を主張する。

しかしながら,前記2 (2)イに認定のとおり,特許庁による拒絶査定不服審判の請

求書の取扱いに関する運用は,いずれも特許法の委任を受けて請求人との関係を規

律する文書や同法に根拠を有する手続に基づくものではないから,仮にそのような

運用の積み重ねによって原告が本件請求書の取扱いについて何らかの期待を抱いた

としても,そのような期待は,特許法の規定を離れて特許庁による事実上の便益の

供与の上に安住するものであって,法律上保護に値するものではない。

よって,原告の上記主張は,前提を欠くものであって採用できない。

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取消事由2(平等原則違反)について
(2)

ア 原告は,本件請求書が他の事件と異なる取扱いを受けたことが平等原則に違

反する旨を主張する。

イ しかしながら,前記2(2)イに認定のとおり,特許庁による拒絶査定不服審判

の請求書の取扱いに関する運用は,いずれも特許法の委任を受けて請求人との関係

を規律する文書や同法に根拠を有する手続に基づくものではないから,このような

運用に従わない取扱いがされたからといって,そのことは,原則として当不当の問

題を生ずるにとどまり,直ちに請求書の却下決定に関する時期についての裁量権の

逸脱又は濫用となるものではない。そして,本件決定に先立ってこれらの運用を経

ていないとしても,そのことは,本件決定がその時期についての裁量権を逸脱又は

濫用したとするに足りるものではないから,本件決定について平等原則違反が問題

となる余地はない。

よって,原告の上記主張は,採用できない。

取消事由3(手続上の違法)について
(3)

ア 原告は,審判長が請求書の却下決定をするに先立って,請求人に却下処分前

通知又は意思確認の手続をする義務があったことを前提として,本件審判長がこれ

をせずに本件決定をした手続上の違法がある旨を主張する。

イ しかしながら,前記2(2)イに認定のとおり,却下処分前通知について記載し

た「審判事務機械処理便覧」という文書は,あくまでも事務担当者の便益のために

特許庁内部における事務処理の運用を書面化したものであるにすぎず,特許法の委

任を受けて請求人との関係を規律するものではないし,請求人に対する電話による

意思確認も,特許法に根拠を有する手続ではない。したがって,審判長は,請求書

の却下決定をするに先立って,請求人に対して却下処分前通知又は意思確認の手続

をする義務を負うものではない。

よって,原告の上記主張は,前提を欠くものであって採用できない。

取消事由4(本件決定に至る判断過程の違法)について
(4)

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ア 原告は,審判長が,特許法133条1項及び3項の趣旨から,請求書の補正

をするための相当の期間が事実上確保されるよう,請求人に対して意思確認等をす

べき義務があるのに,本件審判長がこれをせずに本件決定をしたという判断過程に

違法がある旨を主張する。

イ しかしながら,請求人は,拒絶査定不服審判を請求し,さらに特許法133

条1項に基づく補正命令によって,それに先立つ拒絶査定の判断を争う機会を与え

られているのであって,事案によっては具体的事情により当該補正命令により指定

された期間内の補正が困難な場合があり得ることは否定できないものの,このよう

な場合,請求人は,当該具体的事情を説明するなどの手段を容易にとることができ,

それによって請求書の却下決定がその決定時期についての裁量権を逸脱又は濫用し

たものと評価されるに至る場合もあり得るのであるから,同項所定の「相当の期間」

が実務上,30日と指定される運用がされているからといって,そのことから直ち

に,審判長が請求人に対して意思確認等をすべき義務を負うとは到底解することが

できない。

よって,原告の上記主張は,前提を欠くものであって採用できない。

4 結論

以上の次第であるから,原告の請求は棄却されるべきものである。

知的財産高等裁判所第4部



裁判長裁判官 滝 澤 孝 臣




裁判官 井 上 泰 人




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裁判官 荒 井 章 光




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