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関連審決 異議2002-71234
関連ワード 発明者 /  方法の発明 /  容易に実施 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  技術常識 /  発明の詳細な説明 /  パリ条約 /  優先権 /  参酌 /  容易に想到(容易想到性) /  不存在 /  実施 /  設定登録 /  拒絶査定 /  請求の範囲 /  訂正明細書 /  取消決定 / 
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事件 平成 15年 (行ケ) 467号 特許取消決定取消請求事件
原告 マーテック・バイオサイエンスィズ・コーポレーション
訴訟代理人弁護士 大場正成,尾崎英男,嶋末和秀,飯塚暁夫,弁理士 平木祐 輔,大屋憲一,田中夏夫
被告 特許庁長官小川洋
指定代理人 種村慈樹,田中久直,一色由美子,大橋信彦,井出英一郎
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2004/10/06
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
原告の求めた裁判
「特許庁が異議2002-71234号事件について平成15年6月10日にした特許取消決定を取り消す。」との判決。
事案の概要
1 特許庁における手続の経緯 原告は,本件特許第3229268号「アラキドン酸を含む真菌油」の特許権者である。本件特許は,特願平4-504604号の一部を新たな特許出願としたもので,その出願日は平成4年1月22日(パリ条約による優先権主張・1991年1月24日,米国)であり,平成13年9月7日に特許の設定登録がされた。平成15年6月10日,「訂正を認める。本件特許の請求項1ないし9に係る特許を取り消す。」との決定があり,その謄本は同月30日,原告に送達された。
2 本件発明の要旨(上記訂正後のもの) 【請求項1】少なくとも30%のトリグリセリド形アラキドン酸(ARA)及びARAの量の1/5を超えない量のエイコサペンタエン酸(EPA)を含む,Mortierella alpina(モルティエレラ アルピナ)由来の未修飾の真菌油(fungal oil)を含む,調合乳組成物。
【請求項2】真菌油がARAの量の1/10を超えない量のEPAを含む,請求項1記載の調合乳組成物。
【請求項3】真菌油が実質的にEPAを含まない,請求項1又は2記載の調合乳組成物。
【請求項4】ヒトの母乳中のARA量に匹敵するARAを含む調合乳である,請求項1〜3のいずれかに記載の調合乳組成物。
【請求項5】少なくとも30%のトリグリセリド形ARA及びARAの量の1/5を超えない量のEPAを含む,M.alpina由来の真菌油を,ヒトの母乳中のARA量に相当するARA含有量を提供するのに十分な量で調合乳に加えることからなる,ARA含有トリグリセリドを調合乳に提供する方法。
【請求項6】少なくとも30%のトリグリセリド形ARAを含む,M.alpina由来の真菌油を含む,ヒトに付加的なARAを提供する医薬カプセルであって,該真菌油がヒトに付加的なARAを提供するのに有効な量存在する,医薬カプセル。
【請求項7】真菌油がARAの量の1/10を超えない量のEPAを含む,請求項6記載の医薬カプセル。
【請求項8】真菌油が実質的にEPAを含まない,請求項6又は7記載の医薬カプセル。
【請求項9】ヒトが妊婦又は授乳期の母親である,請求項6〜8のいずれかに記載の医薬カプセル。
(以下,この請求項1〜9に係る発明を「本件発明1」〜「本件発明9」といい,それらをまとめて単に「本件発明」という。また,訂正請求書に添付された全文訂正明細書(甲15)を「本件明細書」という。) 3 決定の理由の要点 (1) 訂正請求は,所定規定に適合するので,請求のとおり訂正を認める。
(2) 特許法36条4項,5項の規定違反についての判断 特許異議手続で通知した,特許法36条4項違反に係る取消理由は,本件請求項に係る「少なくとも30%のトリグリセライド形アラキドン酸(ARA)を含む未修飾の真菌油」を産生する真菌について記載されていないから,本件明細書の記載に基づいて当業者が本件請求項に係る発明を容易に実施することができないというものである。
よって検討するに,本件発明1は,「少なくとも30%のトリグリセリド形アラキドン酸(ARA)及びARAの量の1/5を超えない量のエイコサペンタエン酸(EPA)を含む,Mortierella alpina(モルティエレラ アルピナ)由来の未修飾の真菌油を含む,調合乳組成物。」であるところ,本件明細書には,真菌油に含まれるアラキドン酸量に関して,「この時点で,有機体は典型的に約5〜40%の複合脂質,すなわちその約10〜40%がARAであり,採取することのできる油を含有する。」(【0028】),「モルティエレラアルピナの場合,乾燥菌糸体100g当たり追加の10g〜30gのトリグリセリドを得ることができる。」(【0035】),「必要なARASCOの特定量はARA含有量に依存する。これは油中の脂肪酸の約10〜約50%と変えることができる。しかしながら,典型的にはARA含有量は約30%である。」(【0038】)との記載とともに,「表1」には,モルティエレラアルピナが生成する脂肪酸分布が示され,「実施例1」に,ピチウム インディオサムを培養したところ「合一したフラクションは約30〜35%のアラキドン酸を含有し,EPAが検出されない油を生成した。」こと,及び「実施例2」に,モルティエレラ アルピナ(ATCC #42430)を培養したところ「この油は約23%のアラキドン酸を含有する」ことについての記載がある。
しかし,本件明細書には,モルティエレラ アルピナに属する特定の真菌が「少なくとも30%のトリグリセリド形アラキドン酸」を含む真菌油を産生することについて具体的に記載されているところはなく,「表1」をみても,アラキドン酸に相当する,20:4の脂肪酸は,ただの「13.0」であり,また,実施例において30%以上生成されているのは,本件発明に係るモルティエレラ アルピナとは異なる菌種であるピチウム インディオサムの場合のみである。
してみれば,本件明細書には,本件の請求項に係る発明で特定するモルティエレラ アルピナに属する菌を培養することにより,少なくとも30%のトリグリセリド形アラキドン酸を含む真菌油を得ることについての具体的な開示はなく,当業者が本件請求項に係る発明を容易に実施することができないというべきである。
そうすると,本件の請求項に係る発明の特許は,特許法36条4項の規定に違反してされたものである。
(3) 特許法29条2項の規定違反についての判断 (3)-1 刊行物の記載内容 特許異議手続において取消理由に引用した刊行物2(「第一工業製薬株式会社社報」第466号,2〜7頁,平成2年7月。本訴甲3)には,「微生物によってつくられる高度不飽和脂肪酸」という表題の下に,(a)「乳児,老人では生合成系の不飽和化反応を司るΔ6及びΔ5不飽和化酵素の活性が低下するため,これらのPUFAは不足しがちとなる。・・・(略)・・・従って,これらのPUFAあるいはこれを含有する油脂を医薬品,機能性食品,飼料として利用するための研究開発も世界的規模で進められている。」(2頁右欄),(b)「2.2. アラキドン酸の生産 アラキドン酸を菌体の構成脂肪酸として含む微生物が存在することは知られていたが,生産性を含めて微生物による生産の可能性が示されたのは,土壌から新たに分離されたMortierella属Mortierella亜属の糸状菌によるものが最初である。筆者らは,これら分離菌の中で,アラキドン酸生産能が高く,菌株の安定性など工業化に適した株としてM.alpina 1S-4株を選んで,生産条件を検討した。・・・(略)・・・2〜4%濃度を保ちながら培養すると旺盛な生育を示し,4日間の培養で3〜4g/リットルのアラキドン酸生産が可能となった(菌体収量30g/リットル;脂質含量420mg/g乾燥菌体;アラキドン酸含量147mg/g乾燥菌体)。γ-リノレン酸の場合と比較すると,菌体収量が低いがアラキドン酸含量が高いことが特徴的であり,菌体中の全脂肪酸中のアラキドン酸含量は30〜70%に達する。(図3,表3)培養後の菌体は熱乾燥することで,長期間,酸化に対して安定であり,図4の工程によりアラキドン酸含量の高い微生物油脂の大量生産が可能となっている。」(4頁右欄〜5頁左欄),(c)「図3 Mortierella alpina 1S-4の菌糸中に蓄積した油滴油はほとんどがトリグリセリドとして蓄積され,菌体の油脂含量は40〜50%に達する。そのうちの30〜70%(脂肪酸組成比)がアラキドン酸で占められる。」(5頁左欄),(d)「2.3.ジホモ-γ-リノレン酸の生産 M.alpina 1S-4でアラキドン酸を生産させると0.6g/リットル程度のジホモ-γ-リノレン酸が副生する。」(5頁右欄),(e)「Mortierella属のカビは動物と同じくα-リノレン酸を自ら生成する能力がなく,従ってグルコースからn‐3経路を経てEPAを生成することはできない。筆者らは,(1)n‐6経路を経て生成したジホモ-γ-リノレン酸あるいはアラキドン酸をEPAに変換できないか,(2)n‐3経路の適当な前駆体PUFAを培地に加えてこれをEPAに変換できないか,について検討した。(1)については,培養温度を低温(6〜20℃)にすることでEPAが新たに生成蓄積することを発見した。・・・(略)・・・培養温度が低くなる程菌体中の総脂肪酸中に占めるEPAの割合が高くなること(M.alpina 1S-4では6℃で約15%)も判明した。・・・(略)・・・M.alpina 1S-4の場合,生成したEPAの約70%はリン脂質の構成脂肪酸として存在した。これは,28℃で生成するアラキドン酸の大部分がトリグリセリド中に含まれることと対照的であり,」(6頁左欄,右欄)と記載され,さらにその表3には,(f)M.alpina 1S-4が生産する油脂の脂肪酸組成の内,アラキドン酸の比率は,タイプ1の場合29.8%であり,タイプ2の場合67.4%であることが示されており,また図4には,(g)菌糸中の油脂をヘキサンで抽出してアラキドン酸を含む油を製造することが示されている。
同じく引用した刊行物3(「ビタミン」第62巻,8号(8月)1988,第439〜445頁。本訴甲4)には,(h)「7.高度不飽和脂肪酸:Mortierella alpina を,ゴマ油,あるいはアマニ油の添加培地で生育せしめ,ジホモ-γ-リノレイン酸,アラキドン酸,さらにエイコサペンタエン酸を得る。」(440頁右欄下から22〜19行),(i)「これらMortierella亜属糸状菌の多くは,菌体の脂質含量が高く,高度不飽和脂肪酸生産菌として優れた性質を有していた。特に土壌から分離したM.alpinaやM.elongataのアラキドン酸生産能が高く,グルコースを主炭素源として培養すると1g/リットル程度のアラキドン酸を生産し,菌体内全脂肪酸に占めるアラキドン酸含量も20〜50%に達した。・・・(略)・・・アラキドン酸の生産量は3〜4g/リットルにも達し,得られた菌体の脂質含量は,約500mg/g乾燥菌体,また脂質の全脂肪酸中のアラキドン酸量は約60%に達した。また菌体中では,アラキドン酸は約60%が中性脂質の構成分として,約30%がリン脂質の構成成分として存在することも明らかになっている。」(444頁左欄12〜27行),及び(j)「以上,アラキドン酸,ジホモ-γ-リノレン酸及びEPAの微生物による生産について述べた。これらの高度不飽和脂肪酸はプロスタグランジンの前駆体としても注目され,医薬品や食品添加物としての用途開発が進められている。」(445頁左欄16〜20行)と記載されている。
同じく引用した刊行物5(特開平1-196255号公報。本訴甲5)には,「高度不飽和脂肪酸成分添加人工乳」に関し,(k)「1.エイコサジエン酸,ビスホモ-γ-リノレン酸,アラキドン酸若しくはエイコサペンタエン酸,前記脂肪酸のエステル,前記脂肪酸を含有する油脂,前記油脂の加水分解物,又は前記油脂分解物のエステル化物をそれぞれ単独で又は混合して,又は,さらにそれらにγ-リノレン酸,該脂肪酸のエステル該脂肪酸を含有する油脂,該油脂の加水分解物,又は該油脂分解物のエステル化物を加えて,添加した人工乳。」(特許請求の範囲の項),(l)「本発明は粉末ミルク又は液体ミルク等の人工乳中に欠けている又は不足している微量脂肪酸成分を強化した人工乳に関する。」(1頁左下欄下から3〜1行),(m)「従って天然母乳と人工乳を比較した場合,人工乳にはγ-リノレン酸,エイコサジエン酸,ビスホモγ-リノレン酸,アラキドン酸,エイコサペンタエン酸等の微量脂肪酸が不足している。従って本発明においては,粉子等,人工乳の製造行程において又は製品に上記のごとき脂肪酸を添加することにより,天然母乳に近い微量脂肪酸組成を有する人工乳を得る。」(2頁左下欄下から2行〜同頁右下欄6行),(n)「乾燥製品に対してγ-リノレン酸0.02〜0.03%,エイコサジエン酸0.05〜0.08%,ビスホモγ-リノレン酸0.05〜0.08%,アラキドン酸0.2〜0.3%,エイコサペンタエン酸0.01〜0.03%を添加する。」(2頁右下欄下から5行〜1行),(o)「上記の不飽和脂肪酸の高い生産能を有するモルティエレラ属微生物を使用して,発酵法,酵素法等により添加物を調製することができる。例えば,モルティエレラ属微生物を培養し,その培養菌体を,所望により乾燥した後,有機溶剤で抽出し,この抽出物を蒸発乾固することにより得られる脂質は前記の不飽和脂肪酸を高比率で含んでおり,この脂質を本発明の原料脂質として使用することができる。」(3頁右上欄2〜10行)と記載されているとともに,ヒト母乳及び2種類の市販粉ミルクの脂肪酸組成を示す表には,(p)母乳のアラキドン酸量が0.3mg/ミリリットルであるのに対して,市販粉ミルクのアラキドン酸が痕跡(tr)程度であり,他方,母乳中のエイコサペンタエン酸が痕跡(tr)であるのに対して,粉乳中のエイコサペンタエン酸量が痕跡(tr)又は0であることが示されている。
(3)-2 本件発明1についての対比・判断 上記刊行物2の(a)ないし(g)の記載からみて,刊行物2には,モルティエレラ アルピナ 1S-4を培養するとアラキドン酸,ジホモ-γ-リノレイン酸,及びエイコサペンタエン酸を含む油脂が得られ,このうちアラキドン酸含量は菌体内全脂肪酸の20〜70%に達すること,アラキドン酸はその大部分がトリグリセリドとして菌体中に蓄積されること,培養後のモルティエレラ アルピナ 1S-4の菌糸をヘキサンで抽出してアラキドン酸含有油を製造すること,そしてこれらを未修飾で使用する(更に加水分解等の処理に付すことについて言及がない)こと,及びPUFA(高度不飽和脂肪酸)あるいはこれを含有する油脂を医薬品,機能性食品,飼料として利用するための研究開発が世界的規模で進められていることが記載されているものと認める。
本件発明1と刊行物2に記載された発明とを対比すると,両者は,少なくとも30%のトリグリセライド形アラキドン酸(ARA)を含むMortierella alpina由来の真菌油の利用技術である点で共通し,(イ)前者は,該真菌油を配合して調合乳組成物とするのに対して,後者には,該真菌油を調合乳組成物に利用することについて言及する記載がない点,(ロ)前者は,真菌油がアラキドン酸(ARA)の量の1/5を超えない量のエイコサペンタエン酸(EPA)を含むのに対して,後者では,真菌油がアラキドン酸含量に対してどの程度の割合でエイコサペンタエン酸を含むのか不明である点で,両者は相違する。
上記相違点について検討する。
相違点(イ)について 刊行物5にも記載されているように粉末ミルク等の人工乳に欠けている又は不足しているアラキドン酸等の微量脂肪酸成分を人工乳に添加することによって,天然母乳に近い微量脂肪酸組成を有する人工乳を製造するという技術思想は,本件特許の出願時当業者において周知であったと認められ,加えて,アラキドン酸等の微量脂肪酸成分を人工乳に添加して天然母乳に近い微量脂肪酸組成を有する人工乳を製造する場合,モルティエレラ属微生物が産生する不飽和脂肪酸を高比率で含む脂質を原料脂質として使用することが刊行物5に記載されていることからすれば,天然母乳に近い微量脂肪酸組成を有する人工乳を得る目的で,刊行物2に記載の少なくとも30%のトリグリセライド形アラキドン酸(ARA)を含むMortierella alpina(モルティエレラ アルピナ)1S‐4株由来の未修飾の真菌油を市販の調合乳等に配合して調合乳組成物を製造することは,当業者において容易に想到し得ることである。
相違点(ロ)について 本件明細書の【0013】に記載の「本発明の利点にはその製造のしやすさ,高純度及び検出できる量のEPAの不存在が含まれる。」,【0014】に記載の「本明細書において,『実質的に含まない』なる用語はEPAが油中のARA量の約1/5以下で存在することを意味する。」,【0016】に記載の「有意な量のEPAを生成しない種を使用するのが好ましい。このような好ましい種には・・・・・モルティエレラ アルピナが含まれる。」等を参酌すると,本件発明1で特定する「真菌油がアラキドン酸(ARA)の量の1/5を超えない量のエイコサペンタエン酸(EPA)を含む」は,真菌油がエイコサペンタエン酸を実質的に含まない態様を包含していることは明らかである。
そこで相違点(ロ)について検討するに,エイコサペンタエン酸は母乳中に痕跡(tr)しか含まれていないこと,及び人工乳中のエイコサペンタエン酸量は痕跡(tr)又は0であることが刊行物5に記載されており,かかる記載から,天然母乳に近い微量脂肪酸組成を有する人工乳を製造するに当たっては,エイコサペンタエン酸は添加する必要のない脂肪酸成分であるか,あるいは添加するとしても上記「痕跡」に相当する量でよいことは,当業者なら直ちに理解できることである。
そして,Mortierella alpina(モルティエレラ アルピナ)1S‐4株をある特定の条件下,具体的にはグルコース単独培地でかつ高温(20〜30℃)の条件下で培養することにより,アラキドン酸を高比率で含むがエイコサペンタエン酸を実質的に含まない真菌油を製造できることが刊行物2に記載されていることから,刊行物2に記載の少なくとも30%のトリグリセライド形アラキドン酸(ARA)を含むMortierella alpina(モルティエレラ アルピナ)1S‐4株由来の未修飾の真菌油を配合して調合乳組成物を製造するに当たり,使用する真菌油をエイコサペンタエン酸を実質的に含まないものとすることは当業者において容易になし得ることである。
また,本件発明1は,請求項1に記載の構成を採用したことにより,当業者の予測を越える格別の効果を奏するものではない。
したがって,本件発明1は,刊行物2及び刊行物5に記載された発明に基づき当業者が容易に発明をすることができたといえる。
(3)-3 本件発明2及び3についての対比・判断 本件発明2で特定する「真菌油がARAの量の1/10を超えない量のエイコサペンタエン酸(EPA)を含む」は,真菌油がエイコサペンタエン酸を実質的に含まない態様を包含することから,本件発明2及び3は,本件発明1についての判断と同じ理由により,刊行物2及び刊行物5に記載された発明に基づき当業者が容易に発明をすることができたといえる。
(3)-4 本件発明4及び5についての対比・判断 先にも記載したとおり,刊行物5には,粉末ミルク等の人工乳に欠けている又は不足しているアラキドン酸等の微量脂肪酸成分を人工乳に添加することによって,天然母乳に近い微量脂肪酸組成を有する人工乳を製造するという技術思想が開示され,かつヒト母乳に実際に含まれているアラキドン酸量が数値でもって具体的に記載されていることから,かかる記載に基づいて,ヒトの母乳中のARA量に匹敵するARAを含む調合乳とすることは,当業者が容易になし得ることであり,本件発明4は,本件発明1についての判断と同じ理由により,刊行物2及び刊行物5に記載された発明に基づき当業者が容易に発明をすることができたといえる。
また,本件発明5は,本件発明4の「調合乳組成物」という「もの」の発明を「方法」の発明で表現したものであるから,本件発明5は,本件発明4についての判断と同じ理由により,刊行物2及び刊行物5に記載された発明に基づき当業者が容易に発明をすることができたといえる。
(3)-5 本件発明6についての対比・判断 本件発明6と刊行物2に記載された発明とを対比するに,両者は,少なくとも30%のトリグリセライド形ARAを含む,M.alpina由来の真菌油の利用技術である点で共通し,前者は,該真菌油の用途を「該真菌油がヒトに付加的なARAを提供するのに有効な量存在する医薬カプセル」に限定しているのに対して,後者には,該真菌油を「該真菌油がヒトに付加的なARAを提供するのに有効な量存在する医薬カプセル」として使用することについて記載されていない点で,両者は相違する。
上記相違点について検討する。
微生物によってつくられる高度不飽和脂肪酸を含有する油脂を医薬品として利用するための研究開発が進められている旨刊行物2に記載されていること,及び微生物が生産するアラキドン酸,ジホモ-γ-リノレン酸及びEPAの高度不飽和脂肪酸はプロスタグランジンの前駆体としても注目され,医薬品としての用途開発が進められている旨刊行物3に記載されていることからすれば,刊行物2に記載の少なくとも30%のトリグリセライド形ARAを含むM.alpina由来の真菌油を医薬品としての用途に利用することは当業者ならば容易に想到し得ることであり,その際「医薬品」の剤形を,医薬としては極めて普通の形態である「カプセル」にすることは当業者にとって格別困難なことではない。
そうすると,本件発明6は,刊行物2,3及び刊行物5に記載された発明に基づき当業者が容易に発明をすることができたといえる。
(3)-6 本件発明7及び8についての対比・判断 「真菌油が実質的にEPAを含まない」ことに関しては,本件発明1における判断と同じ理由,及び「医薬カプセル」については,本件発明6における判断と同じ理由が,本件発明8についても当てはまるので,結局本件発明8は,刊行物2,3及び刊行物5に記載された発明に基づき当業者が容易に発明をすることができたといえる。
また,本件発明7は,「真菌油が実質的にEPAを含まない」場合も包含するのであるから,本件発明8と同様に,刊行物2,3及び刊行物5に記載された発明に基づき当業者が容易に発明をすることができたといえる。
(3)-7 本件発明9についての対比・判断 胎児や乳児の栄養要求を考慮して妊婦や授乳期の母親に栄養補給を行う必要があることは当業者の技術常識であることから,請求項6に記載の医薬カプセルの投与対象を妊婦又は授乳期の母親とすることは,当業者において何ら困難なことではない。
本件発明9は,刊行物2,3及び刊行物5に記載された発明に基づき当業者が容易に発明をすることができたといえる。
(4) 決定のむすび 以上のとおりであるから,本件請求項1ないし9に係る特許は,特許法29条2項の規定に違反してされたものであるから同法113条2号の規定に該当する,あるいは,同法36条4項の規定に違反してされたものであるから同法113条4号の規定に該当するから取り消されるべきものである。
原告主張の決定取消事由
1 取消事由1(明細書の記載不備に関する判断の誤り) (1) 決定は,「本件明細書には,本件の請求項に係る発明で特定するモルティエレラ アルピナに属する菌を培養することにより,少なくとも30%のトリグリセリド形アラキドン酸を含む真菌油を得ることについての具体的な開示はなく,当業者が本件請求項に係る発明を容易に実施することができないというべきである。」として,本件特許が特許法36条4項の規定に違反してなされたと判断しているが,誤りである。
(2) 本件明細書の実施例2の油のARA含有量は「約23%」であるが,これは本件優先権主張日当時入手し得たモルティエレラ アルピナ由来の真菌油のARA含有量の上限を示しているものではない。出願当初の特許請求の範囲の記載ではARA含有量は「少なくとも10%」であったが,拒絶査定に対する不服審判での手続補正によって「少なくとも30%」とした。この手続補正は,実施例2の「約23%」がARA含有量の上限を画する性質のものではないことから,審判において認められたものである。
本件明細書には,モルティエレラ アルピナが商業的に入手することができ,またRockville, Maryland のAmerican Type Culture Collectiveにモルティエレラ アルピナ受入番号42430で保管されていること(【0016】)が記載され,培養中のモルティエレラ アルピナのバイオマスに含有される油について「その約10〜40%がARAであり」(【0028】)と記載され,また,調合乳にARAを添加するために調合乳中に加えられるARA含有真菌油であるARASCOに含有されているARAの量について「油中の脂肪酸の約10〜約50%と変えることができる。しかしながら,典型的にはARA含有量は約30%である」(【0038】)と記載されている。
(3) 本件発明の実施可能性に関しては,少なくとも30%のトリグリセリド形ARAを含有する真菌油を生産するモルティエレラ アルピナ属の菌類は,優先権主張日当時,当業者が容易に入手できるものであり,本件明細書はこの前提で記載されている。
したがって,本件発明は優先権主張日当時から今日に至るまで,当業者に実施可能である。
2 取消事由2(本件発明1と刊行物2記載発明との相違点の看過) 決定は,本件発明1と刊行物2記載発明を対比して一致点と相違点を認定している。刊行物2は,微生物による長鎖PUFA,特にARAやEPAの生産について記載された文献であり,そこには,本件発明1が調合乳組成物に含まれるべきものとして選択した真菌油が記載されている。しかし,本件発明1の特徴はそのような真菌油自体の発明にあるのではなく,調合乳組成物に含有させるべき真菌油の選択にある。
すなわち,本件発明1はトリグリセリド形ARA含有量が少なくとも30%で,EPA含有量がARAの1/5を超えない,モルティエレラ アルピナ由来の未修飾の真菌油を調合乳に添加する点に特徴を有し,この選択は刊行物2には記載されていない。
決定は,本件発明1と刊行物2記載発明の相違点として,少なくとも30%のトリグリセリド形ARA及びARA含有量の1/5を超えない量のEPAを含む,モルティエレラ アルピナ由来の未修飾の真菌油を調合乳組成物に添加することが刊行物2に記載されていない点を相違点として認定していない。
決定は,上記の相違点を看過して,本件発明1の進歩性の判断を誤ったものである。
3 取消事由3(本件発明1と刊行物2記載発明の相違点(ロ)に関する進歩性判断の誤り) 決定は,EPAの含有量に関する相違点(ロ)の判断を誤っている。
刊行物5の記載は,EPAが添加する必要のない脂肪酸成分であるとか,添加するとしても「痕跡」に相当する量でよいというものではなく,そのように当業者が理解するものではない。
そもそも,刊行物5にはEPAが他のPUFAと共に,「高等動物に不可欠な脂肪酸であり」(1頁右下欄2〜6行)と,その重要性が記載され,幼児にとってEPAを含む高度不飽和脂肪酸を母体から吸収することが生命維持のために非常に重要な要素であるとの認識が述べられている(2頁左上欄1〜5行)。
刊行物5では「粉ミルク類にはGLA,EDA,DGLA,ARA,EPA等が不足している」(2頁右上欄3〜4行)と述べ,ヒト母乳と市販粉ミルクの脂肪酸組成を比較した上で,「従って天然母乳と人工乳を比較した場合,人工乳にはγ-リノレン酸,エイコサジエン酸,ビスホモγ-リノレン酸,アラキドン酸,エイコサペンタエン酸等の微量脂肪酸が不足している。従って本発明においては,粉子等,人工乳の製造工程において又は製品に上記のごとき脂肪酸を添加することにより,天然母乳に近い微量脂肪酸組成を有する人工乳を得る。」(2頁左下欄下から2行〜右下欄6行)と記載している。
さらに,実施例4で用いられているEPA含有量はARA含有量の1/2であり,実施例6では,EPA含有量はARA含有量の2倍である。
刊行物5の表の母乳中のEPAの含有量が痕跡程度であっても,そのことによって刊行物5がEPAを人工乳に添加する必要のない脂肪酸成分であると認識していないことは明らかである。
モルティエレラ アルピナ属の菌は,低温で培養するとARAと共にEPAを多く生成し,高温で培養するとARAに比べEPAの生産が少なくなることは本件明細書【0027】に記載され,刊行物2にも記載されている(5枚目左欄下から8行〜右欄5行)。しかし,刊行物2は,特にEPAの含有量の少ない真菌油に注目しているのではなく,むしろ刊行物2が,「2.4 EPAの生産」の箇所で,モルティエレラ アルピナ属の菌が低温ではARAだけでなくEPAをも生成蓄積すると述べていることからも,刊行物2は,EPAに注目していることが明らかである。
本件発明1のように,ARAを多く含みEPAを実質的に含まない真菌油を選択して調合乳組成物に含有させることは,EPAがARAの生体内合成を抑制するという,本件発明者の認識がなければ選択できないことである。
4 取消事由4(本件発明1と刊行物2記載発明の相違点(イ)に関する進歩性判断の誤り) (1) 決定が相違点(イ)の判断において引用する刊行物5は,ARAを含む微量脂肪酸成分(PUFA)を人工乳に添加しているが,これらの脂肪酸成分をどのような形で添加するかについては,何の選択も示しておらず,本件発明1の特徴である未修飾の真菌油を添加するという選択も,それを可能としているモルティエレラ アルピナ由来の真菌油の使用も,記載されていない。
刊行物5には,添加する脂肪酸の形態について,「前記の脂肪酸は種々の形態で添加することができる。例えば遊離の脂肪酸として添加することもでき,またそれらの塩,例えばナトリウム塩,カリウム塩等として加えることもできる。エステル,例えばメチルエステル又はエチルエステルとして添加することもできる。また,上記の脂肪酸を高比率で含有する脂質,例えばトリグリセライド,又はその加水分解物,あるいはこの加水分解物をエステル化,例えばメチルエステル化若しくはエチルエステル化したもの,等の形で使用することができる。」(3頁左上欄8〜18行)と記載されており,このうちトリグリセライドの部分だけが未修飾の油に相当するが,この記載は脂質が真菌油には限定されてはおらず,記載全体は,脂肪酸成分を添加する上で通常考えられるあらゆる形態を記載したものであり,何らの選択も示されていない。
決定は,「モルティエレラ属微生物が産生する不飽和脂肪酸を高比率で含む脂質を原料脂質として使用することが刊行物5に記載されている」と認定するが,刊行物5記載の発明は,原料脂質をそのまま未修飾の真菌油として使用することを選択したものではなく,モルティエレラ属微生物から得られた脂質を出発脂質として,これを加水分解して脂肪酸に分離し,遊離状態あるいは塩やエステルの形で,混合物のまま,あるいは成分別に分けて使用することができるとされているのであり(3頁右上欄2行〜左下欄2行参照),未修飾の真菌油を含ませるとする本件発明1の選択を示すものではない。
(2) 本件発明1が未修飾の真菌油を調合乳組成物に含ませることができたのは,ARA以外の,EPAを含む長鎖PUFA成分をほとんど含有しないモルティエレラ アルピナ由来の真菌油を用いたことによる。
これに対し,刊行物5は,モルティエレラ属微生物について言及しているが,実施例4で使用されている微生物はモルティエレラ エロンガタであり,モルティエレラ エロンガタ由来の真菌油には,長鎖PUFA成分としてDGLA,ARA,EPAが含有されている。したがって,モルティエレラ エロンガタ由来の真菌油は未修飾の形で調合乳組成物に含有させることはできない。なぜならば,そのようにすると,EPAや他の長鎖PUFAも混入してしまうからである。
(3) 以上,本件発明1で用いられる真菌油が刊行物2に記載されているとしても,少なくとも30%のトリグリセリド形ARA及びARA含有量の1/5を超えない量のEPAを含む,モルティエレラ アルピナ由来の未修飾の真菌油を調合乳組成物に用いることを選択した従前技術はない。本件発明1は,上記の構成を採用することにより,ARAの体内生産を抑制する作用を持つEPAが含有されず,ARAが母乳と同じトリグリセリドの形で添加される調合乳組成物を,低いコストで製造することを可能としたのである。したがって,刊行物2及び刊行物5記載の発明に基づいて,当業者が本件発明1の調合乳組成物を容易に想到し得るとする理由はない。
5 取消事由5(本件発明2〜5,7,8についての進歩性判断の誤り) (1) 本件発明2〜4はいずれも本件発明1に従属するものであるから,本件発明1に進歩性が認められる以上,本件発明2〜4についても進歩性が認められる。
(2) 本件発明5は,方法の発明で,本件発明1と同じARAとEPAの含有量に関する限定を含んでいる。真菌油が未修飾であることの明示的限定は含まれていないが,「真菌油」を加えることは,加水分解しない未修飾の真菌油を加えることと同じであるから,実質的に本件発明1と同じ限定がある。したがって,本件発明1と同じく進歩性が認められる。
(3) 本件発明7,8は,本件発明6に従属し,かつ,EPAに関する限定を含んだ医薬カプセルに関する発明である。本件発明1とは調合乳組成物ではなく医薬カプセルの発明である点で相違するが,本件発明1の特徴は医薬カプセルの発明においても成り立つ。したがって,本件発明1〜3に進歩性が認められるので,本件発明7,8にも進歩性が認められる。
当裁判所の判断
1 取消事由1(明細書の記載不備に関する判断の誤り)について (1) 決定は,モルティエレラ アルピナに属する菌を培養することにより,少なくとも30%のトリグリセリド形アラキドン酸を含む真菌油を得ることについて,本件明細書には記載がなく,当業者が本件発明1を容易に実施することができない点を明細書の記載不備の理由としている。
(2) 本件明細書(全文訂正明細書。甲15)には,モルティエレラ アルピナ等によるARA等を含む脂質の製造に関して以下のような記載がある。
@「予想外に,P.insidiosumはEPAの生成を伴うことなくARAを生成することがわかった。魚油の場合と同様に,食事での補給においてEPAのレベルが高いと,食事のリノレン酸(LOA)からARAを生成する能力が抑制される。したがって,ARA及びEPAの両方を生成する菌種を本発明の方法において利用することができるが,有意な量のEPAを生成しない種を使用するのが好ましい。このような好ましい種にはピチウムインシディオサム及びモルティエレラアルピナが含まれる。これらの種はいずれも商業的に入手することができ,またRockville,MarylandのAmerican Type Culture Collectiveにそれぞれ受入れ番号28251及び42430で保管されている。この開示全体を通して,特に断りがなければピチウムインシディオサムは,代表的な菌種である。」(【0016】), A「培養温度は変えることができる。しかしながら,ARA及びEPAの両方を生成する菌はより高温で培養されると,EPAを少なく,またARAを多く生成する傾向がある。例えば,モルティエレラアルピナは18℃以下で培養されると,EPAを生成し始める。したがって,ARAの優先的な生成をひき起こすようなレベルに温度を維持することが好ましい。好適な温度は典型的に約25℃〜約30℃である。」(【0027】), B「好ましくは,所望のバイオマス密度が達成されるまで培養は継続される。望ましいバイオマスは約25g/リットルの有機体である。このようなバイオマスは典型的に接種後48〜72時間内に達成される。この時点で,有機体は典型的に約5〜40%の複合脂質,すなわちその約10〜40%がARAであり,採取することのできる油を含有する。」(【0028】), C「ARASCOにより補足される調合乳中に存在するARAの量はヒトの母乳中のARA量にほぼ等しい。さらに,調合乳の総脂肪酸組成はARASCOの添加によって有意に変化されなかった。典型的には,調合乳1リットル当たり約50〜約1000mgのARASCOを使用することができる。必要なARASCOの特定量はARA含有量に依存する。これは油中の脂肪酸の約10〜約50%と変えることができる。しかしながら,典型的にはARA含有量は約30%である。ARA含有量が約30%である場合,特に好ましい補足量は調合乳1リットル当たり約600〜700mgのARASCOである。」(【0038】), D「〔実施例2〕モルティエレラアルピナ脂質の製造及び調合乳への添加 モルティエレラアルピナ(ATCC #42430)を1リットルの水道水及び20gのポテトデキストロース培地を含有する2リットルの振とうフラスコ中で増殖した。フラスコを一定のオービタル撹拌下に置き,7日間25℃に保持した。遠心分離による採取後,バイオマスを凍結乾燥して約8gの脂質に富んだ菌糸体を得た。実施例1のようにしてへキサンを用いて菌糸体を抽出して約2.4gの粗製油を得た。この油は約23%のアラキドン酸を含有し,市販の調合乳Similac(登録商標)に1000mg/リットルの濃度で滴加した。」(【0047】) (3) これらの記載においては,本件発明のモルティエレラ アルピナがピチウム インシディオサムとともに,ARAを産生する菌であり,実施例2では,モルティエレラ アルピナ(ATCC#42430)により約23%のARAを産生する方法が具体的に示されている。また,モルティエレラ アルピナ又はピチウム インシディオサムによるARA産生のための培養条件については,上記記載のほか,【0018】〜【0026】にも説明がある。さらに,上記記載Aには,高温(25〜30℃)で培養するとEPAを少なく,ARAを多く生成する傾向があることも記載されているから,モルティエレラ アルピナの適当な菌株(例えば実施例2のATCC #42430)を選び,明細書の以上のような記載内容を基にして,当業者が通常選択できる範囲の培養条件を設定して培養すれば,本件発明1のいう,少なくとも30%のARAを産生させることは可能であると認めることができる。ジム・ウィンによる宣誓供述書(甲7)に記載されているモルティエレラ アルピナ(ATCC32222)(本件優先権主張日以前にATCCに寄託され,現在も分譲可能であることが甲8,9から明らかである。)の培養による追試実験ではトリグリセリド画分として43.5%のARAを得ており,このことは,上記認定を裏付けるものである。
(4) よって,当業者は,本件明細書の記載に基づき本件発明1を実施することができるものと認められるから,本件明細書に記載不備があるとした決定の認定判断は誤りである。
2 取消事由2(本件発明1と刊行物2記載発明との相違点の看過)について 原告は,少なくとも30%のトリグリセリド形ARA及びARA含有量の1/5を超えない量のEPAを含む,モルティエレラ アルピナ由来の未修飾の真菌油を調合乳組成物に添加することが刊行物2に記載されていない点が,本件発明1と刊行物2記載発明との相違点として決定で認定されていないと主張する。
しかしながら,原告主張のこの相違点は,本件発明1と刊行物2記載の発明との間の相違点として決定が認定した(イ),(ロ)の2点以外にあるものと解することはできない。取消事由2については,以下に相違点(イ)と(ロ)に関してした決定の判断に誤りがあるか否かを検討すれば足りるというべきである。
3 取消事由3(本件発明1と刊行物2記載発明の相違点(ロ)に関する進歩性判断の誤り)について (1) 原告は,刊行物5の記載は,EPAが添加する必要のない脂肪酸成分であるとか,添加するとしても「痕跡」に相当する量でよいとの内容ではなく,そのように当業者が理解するものではないと主張する。
しかしながら,刊行物5(甲5)の特許請求の範囲に記載された発明は,「エイコサジエン酸,ビスホモ-γ-リノレン酸,アラキドン酸若しくはエイコサペンタエン酸・・・をそれぞれ単独で又は混合して・・・添加した人工乳」というものであり,また,その発明の詳細な説明には,これらの脂肪酸をそれぞれ単独で含有するミルクの実施例も記載され(実施例1〜3),そのうち,実施例2,3には,ARAを単独で含有する態様も具体的に記載されている。すなわち,刊行物5には,その特許請求の範囲に列挙された脂肪酸を組み合わせて添加するもののみならず,それらを単独で添加することも記載されている(3頁左上欄19行〜右上欄2行)。
刊行物5には,さらに,「本発明においては・・・人工乳の製造工程において又は製品に上記のごとき脂肪酸を添加することにより,天然母乳に近い微量脂肪酸組成を有する人工乳を得る。」(2頁右下欄3〜6行)と記載されており,刊行物5に記載された発明は基本的に天然の母乳に近い微量脂肪酸組成の人工乳を得ることを目的とするものである。そして,天然の母乳は,刊行物5に脂肪酸組成が示されており(2頁左下欄),ARAを0.3mg/ミリリットル程度含むのに対し,EPAは痕跡程度しか含まないものである(この脂肪酸組成の表ではγ-リノレン酸が0.03mg/ミリリットルで,数値の示されているものでは最も小さく,EPAの「tr」という表示はそれ以下の量であると解され,それは,ARAの1/10以下の量であることになる。)。
そうすると,刊行物5の記載から,「天然母乳に近い微量脂肪酸組成を有する人工乳を製造するに当たっては,エイコサペンタエン酸は添加する必要のない脂肪酸成分であるか,添加するとしても『痕跡』に相当する量でよいことは,当業者なら直ちに理解できることである。」とした決定の認定に誤りはない。
(2) 原告は,本件発明1のようにARAを多く含みEPAを実質的に含まない真菌油を選択して調合乳組成物に含有させることは,EPAがARAの生体内合成を抑制するという,本件発明者の認識がなければできないことであると主張する。
しかしながら,上記(1)に説示のとおり,天然母乳に近い微量脂肪酸組成を有する人工乳を製造するに当たっては,EPAは添加する必要のない脂肪酸成分であるか,添加するとしても「痕跡」に相当する量でよいことは,当業者なら直ちに理解できることであるから,従来の人工乳に不足するARAを天然母乳に含まれる程度の量補充する際に,同時にEPAを痕跡程度の量を超えて添加しなければならない必要性は特に認められない。
そもそも,本件明細書(甲15)の【0005】に「EPAは幼児の体内でのARA合成を抑制することが知られている」と記載されているところ,本件発明1において,EPAがARAの生体内合成を抑制するという認識がどのようにして出てきたのか,この記載以外に裏付けとなるべき発想を認めるべき証拠はないから,本件明細書のこの記載のとおりの認識が,本件優先権主張日当時存したものと認めざるを得ない。
このことを踏まえると,上記のように,刊行物5には,人工乳に添加する脂質としてモルティエレラ属微生物由来の真菌油を用いることも記載されているから,調合乳に添加するARA含有油として,刊行物2に記載されたARA含有真菌油のうち,EPAを実質的に含まないものを選択することは,刊行物5の記載から当業者が容易に想到し得たものというべきである。
よって,取消事由3は理由がない。
4 取消事由4(本件発明1と刊行物2記載発明の相違点(イ)に関する進歩性判断の誤り)について (1) 原告は,本件発明1は,少なくとも30%のトリグリセリド形ARA及びARA含有量の1/5を超えない量のEPAを含む,モルティエレラ アルピナ由来の未修飾の真菌油を調合乳組成物に用いるという構成を採用することにより,ARAの体内生産を抑制する作用を持つEPAが含有されず,ARAが母乳と同じトリグリセリドの形で添加される調合乳組成物を,低いコストで製造することを可能としたのであり,したがって,刊行物2及び5に基づいて,当業者が本件発明1の調合乳組成物を容易に想到し得るとする理由はない旨主張している。
少なくとも30%のトリグリセリド形ARAを含むモルティエレラ アルピナ由来の未修飾の真菌油が刊行物2に記載されていることは前説示のとおりであり,また,相違点(イ)は,未修飾の真菌油を調合乳組成物に利用する点に関するものであるが,刊行物5(甲5)には,天然母乳に含まれていて,それまでの調合乳に含まれていなかった微量の脂肪酸(PUFA)を種々の形態で添加することが記載されており(3頁左上欄8〜18行),使用することができる形態としてトリグリセリドの形の脂肪酸も具体的に示されているから,刊行物2(甲3)に記載されている,ほとんどがトリグリセリドとして蓄積される真菌油(5頁図3の説明)はそのまま化学変性することなく使用できることは,当業者が容易に想到し得たものというべきである。
(2) 原告は,刊行物5の実施例4で使用されているモルティエレラ エロンガタ由来の真菌油には,長鎖PUFA成分としてDGLA,ARA,EPAが含有されていることにより,未修飾の形で調合乳組成物に含有させると,EPAや他の長鎖PUFAも混入してしまうから,使用することはできないとも主張する。
しかしながら,本件発明1が,菌が生産した油中の各成分の分離についてまで規定するものとは解することはできない。したがって,本件発明1がモルティエレラ アルピナの生産した真菌油を成分調整(例えば,EPAの量の調整)することなく調合乳に添加することまで規定しているものということはできないので,原告の上記主張は,前提を欠くものであり,理由がない。
(3) 以上のとおり,相違点(イ)に関する決定の判断に,原告主張の誤りはなく,取消事由4は理由がない。
5 取消事由5(本件発明2〜5,7,8についての進歩性判断の誤り)について 前項までに説示したとおり,本件発明1に進歩性がないとした決定の判断に誤りがない以上,これがあるとの前提の下に主張する取消事由5も理由がない。
結論
以上のとおりであり,特許法36条4項に関する決定の判断は誤りであるが,同法29条2項の判断に関する原告主張の決定取消事由は理由がないので,本件請求項1〜9に係る特許を取り消すべきものとした決定の取消しを求める原告の請求は棄却されるべきである。
裁判長裁判官 塚原朋一
裁判官 塩月秀平
裁判官 野輝久