関連審決 | 不服2001-16931 |
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関連ワード | 進歩性(29条2項) / 容易に発明 / 相違点の認定 / 相違点の判断 / 発明の詳細な説明 / 優先権 / 着想 / 優先日 / 容易に想到(容易想到性) / 実施 / 請求の範囲 / 変更 / |
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事件 |
平成
15年
(行ケ)
2号
審決取消請求事件
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原告 ヒューレット・パッカード・カンパニー 訴訟代理人弁理士 古谷 聡 同 溝部孝彦 同 西山清春 被告 特許庁長官小川洋 指定代理人 番場得造 同 砂川克 同 立川功 同 大野克人 同 伊藤三男 |
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裁判所 | 東京高等裁判所 |
判決言渡日 | 2004/10/13 |
権利種別 | 特許権 |
訴訟類型 | 行政訴訟 |
主文 |
原告の請求を棄却する。 訴訟費用は原告の負担とする。 この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。 |
事実及び理由 | |
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請求
特許庁が不服2001-16931号事件について平成14年8月20日にした審決を取り消す。 |
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当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は,平成4年4月30日,発明の名称を「非印字パルスを用いて感熱式インク・ジェット及び感熱式印字ヘッドの温度を制御する装置」とする特許出願(特願平4-111284号,優先権主張1991年〔平成3年〕5月1日〔以下「本件優先日」という。〕・アメリカ合衆国)をしたが,平成13年6月14日に拒絶の査定を受けたので,同年9月21日,これに対する不服の審判の請求をした。 特許庁は,同請求を不服2001-16931号事件として審理した結果,平成14年8月20日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は,同年9月3日,原告に送達された。 2 本件特許出願の願書に添付した明細書(平成11年4月27日付け,平成13年3月1日付け及び同年9月21日付け各手続補正書による補正後のもの。以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲の【請求項8】記載の発明(以下「本願発明」という。)の要旨 放出されるインク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性に基づいた,感熱式インクジェット印字ヘッドの温度のリアルタイム開ループ制御を行うための装置であって,この装置が,印字サイクル中,印字命令が存在するかどうかを判定するために複数の印字データを解釈するデータインタプリタと,前記印字命令に応答して,放出成分と加熱成分からなる発射エネルギーで発射抵抗を駆動する印字パルスを生成するための手段と,前記発射抵抗が前記印字パルスで駆動される際に,前記発射エネルギーの前記放出成分を有するインク滴を放出すると共に,前記発射エネルギーの前記加熱成分で前記印字ヘッドを加熱するための手段と,前記印字サイクル中に印字命令の存在しないことに応答して,前記発射エネルギーの前記加熱成分で前記印字ヘッドを加熱する1つ以上の開ループ非印字パルスを生成するための手段とからなる装置。 3 審決の理由 審決は,別添審決謄本写し記載のとおり,本願発明は,特開平3-15556号公報(甲6,以下「引用例」という。)に記載された発明(以下「引用発明」という。)に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとした。 |
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原告主張の審決取消事由
1 審決は,本願発明と引用発明との相違点の認定判断を誤った(取消理由)結果,本願発明は,引用発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるとの誤った結論に至ったものであるから,違法として取り消されるべきである。 2 取消事由(相違点の認定判断の誤り) (1) 審決は,本願発明と引用発明との相違点として,「印字ヘッドの温度のリアルタイム開ループ制御を行うための装置が,前者では,放出されるインク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性に基づいたものであって,印字ヘッドを加熱する1つ以上の非印字パルスのエネルギーを,発射エネルギーのうちの加熱成分,すなわち,放出されるインク滴が有するエネルギー(放出成分)を引いた残りのエネルギーであるとしているのに対して,後者では,その点が明確でない点」(審決謄本7頁第2段落,以下「相違点」という。)を認定したが,誤りである。 引用例(甲6)には,「電気熱変換体に対してインク吐出がなされない程度の駆動信号を供給することにより加熱を行わせる」(6頁左下欄最終段落),「パルス幅設定信号ENBのパルス幅は,予備加熱時はインク液吐出に至らない時間内であり(例えば約0.5〜5μs),吐出駆動時(記録時)のパルス幅(例えば約3〜10μs)より短い」(9頁左上欄第2段落)と記載されているが,これは,要するに,予備加熱時には,インク吐出に至らない一定の範囲内のエネルギーを供給することを開示しているにすぎない。 一方,本願発明においては「発射エネルギーの加熱成分」のように,そのエネルギーの大きさが,発射エネルギーと放出成分とが決まれば一義的に定まるものとして特に限定した表現を採用している。これは,本件明細書(甲2)の段落【0026】において,非印字パルスの加熱成分(印字ヘッドにより吸収されるエネルギー)の測定を含む印字ヘッドのエネルギー伝達特性の測定が具体的に記載されていることを背景としたものである。本願発明は,上記のような加熱成分により印字ヘッドを加熱することによって,ある発射抵抗に印加される加熱エネルギーを,印字パルス(発射エネルギーを有する。)が印加されたか,非印字パルス(発射エネルギーのうちの加熱成分のエネルギーを有する。)が印加されたかに関係なく,さらに,印字データの内容,すなわち記録データにも関係なく(本件明細書の段落【0024】参照),同じとすることが可能である。 これに対し,引用例は,発射エネルギーと放出成分のエネルギーから一義的に決定されるエネルギーを印加すること,並びに,そうしたエネルギーの印加により印字パルスの印加時と非印字パルスの印加時とで印字ヘッドに印加されるエネルギーを同一とすることについては,何ら開示も示唆もしていない。 したがって,引用発明において,相違点に係る本願発明の構成が「明確でない」とする審決の認定は誤りであり,実質的に開示も示唆もされていないというべきである。 (2) 審決は,相違点について,引用例(甲6)の「記録データと予備加熱データとを交互に入力し,液吐出と予備加熱とを交互に行うことにより,吐出駆動がなされなかったため吐出不良が生じうる吐出口に対応した電気熱変換素子にも予備加熱データにより通電を行うことができる。従って,全液路の温度が均一となり,良好な記録状態を得ることができるようになった」(9頁右下欄最終段落〜10頁左上欄第1段落)との記載から,「記録中の予備加熱において,そのパルスのエネルギーを発射エネルギーのうちの吐出されるインク滴が伝達されて有するエネルギーを引いた残りのエネルギーすなわち加熱成分とすることは,当業者が容易に想起できること」(審決謄本7頁下から第3段落)であり,「そうすれば当然に,記録中の予備加熱(印字ヘッドの温度のリアルタイム開ループ制御)は,吐出(放出)されるインク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性に基づいたものとなる」(同下から第2段落)と判断したが,誤りである。 ア 本願発明における「加熱成分」とは,本件明細書(甲2,3,5)の特許請求の範囲の【請求項8】の「放出されるインク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性に基づいた」との記載並びに発明の詳細な説明の段落【0009】,【0024】及び【0026】の記載から明らかなとおり,インク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性から決定される成分であって,発射エネルギーから放出成分を除いた成分に等しい。すなわち,本願発明のリアルタイム開ループ制御を行うためには,上記段落【0024】に記載されているとおり,放出されるインク滴に伝達される印字パルスのエネルギーの比率(])等の当該エネルギーの伝達特性を知っておく必要があるが,引用例(甲6)には,「放出されるインク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性」を用いることについてはもとより,伝達特性自体についても何ら記載されていない。また,伝達特性を知るためには,上記段落【0026】に記載されているとおり,印字パルス及び非印字パルスにより伝送されるエネルギーによる印字ヘッドの熱平衡状態における温度の測定等が必要であるが,引用例にはそのような測定手段は全く開示されていない。 これに対し,審決は,要するに,印字パルスのエネルギー(発射エネルギー)を放出成分と加熱成分に分けた場合に,全液路の温度を均一にするために,その加熱成分で電気熱変換素子を予備加熱することは当業者が容易に想到可能であり,このような予備加熱は,結果として,インク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性に基づいたものとなるとするものであると解される。 しかしながら,印字ヘッドの温度は,本件明細書の段落【0003】及び【0023】に記載されているとおり,プリンタ出力(印字パルス数)の変動だけではなく,周囲温度の変化やプリンタ始動時の熱遷移によっても変動する。したがって,引用発明において,被告が指摘する「記録データに対して予備加熱データを変えながら,全液路の温度が均一になるようにする」手段によって,全液路の温度を均一にするための予備加熱データを当業者が見いだすことが仮に可能であったとしても,そのような予備加熱データは,プリンタ出力そのもの以外の要因,例えば周囲温度等による影響をも必然的に含んだものとして決定されるものである。これに対し,本願発明の発射エネルギーとは,発射される印字パルスに供給されるエネルギーである(本件明細書の段落【0009】)から,その供給エネルギーが一定であれば,それから,放出されるインク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性に基づいて決まる放出成分を引いたものである加熱成分も一定である。そうすると,発射エネルギーの加熱成分は,発射エネルギー,すなわち,プリンタの印字出力のためにヘッドに印加されるエネルギーのみによって変動を受けるものであり,これは,「開ループシステムは,周囲温度の変化及び始動中に発生する熱遷移等の別の要因に起因する印字ヘッドの温度変動について補償を行うことはできない」(本件明細書の段落【0025】)との記載からも明らかである。この意味で,本願発明における「発射エネルギーの加熱成分」とは,特別に限定された要件として解釈されるべきである。 なお,この点について,確かに,引用例(甲6)には,「予め定められた一定のパルス幅を設定する」(8頁左下欄最終段落)ことが記載されているが,引用発明に限らず,印字ヘッドの温度を均一に制御する装置一般において,あえて周囲温度の変化の影響を考慮せずに制御を行うことは,むしろ不自然であって,当業者が通常想定する範囲のことではないこと等からすると,引用発明における「予め定められた一定のパルス幅」とは,周囲温度に応答させてその都度パルス幅が変更されるものではないものの,引用発明の課題を解決可能な程度に,周囲温度の変化をあらかじめ見込んで設定された一定のパルス幅であると解すべきである。 そうすると,被告が指摘する上記手段によって見いだされるような予備加熱データは,印字ヘッドに供給されるエネルギー自体の変動のみを受ける本願発明の「加熱成分」とは明確に異なるものであり,エネルギーの値として偶然一致することはあったとしても,本願発明の加熱成分の概念に含まれる関係にあるのではない。引用例には,「インク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性に基づいて,非印字パルスが,発射エネルギーのうちの加熱成分を有する」ようにする手段については,開示も示唆もされていないというべきであるから,審決の上記判断は誤りである。 イ 引用発明が解決しようとする課題は,引用例(甲6)の「発明が解決しようとする課題」(5頁左上欄最終段落〜6頁左上欄下から第2段落)に記載されているとおり,要するに,良好な記録のために効果的な予備加熱を行うことであると解され,この点においては,本願発明が解決しようとする課題と同様であると認められる。 しかしながら,引用発明の着想の契機は,従来技術のインクジェット記録法におけるインクの粘度の変化による印刷品位の劣化(例えば,引用例の5頁右上欄第2段落)を防止することにあったと解されるのに対し,本願発明の着想の契機は,本件明細書(甲2,3)の段落【0003】〜【0006】に記載されているとおり,インク滴のサイズの変化による印字品質の劣化という従来技術の問題を解消することにあった。ここで,インクの粘度の変化は,インク滴のサイズの変化をもたらす一つの要因にすぎず,インク滴のサイズの変化と同一ではない(本件明細書の段落【0003】参照)から,両者の契機となった問題点は明確に異なるということができる。 引用発明においては,予備加熱時の印加エネルギーをインク吐出がされない程度のものとしており,一方,本願発明においては,発射エネルギーのうちの加熱成分と限定しているが,この相違は,上記のように発明の着想の契機をそもそも異にすることによるものである。すなわち,引用発明の着想において,従来技術の問題点を解決する際には,予備加熱時のエネルギーを本願発明のように加熱エネルギーそのものとすることがそもそも想起され得なかったものであり,このように,本願発明と引用発明とではそれぞれの発明の契機となった従来技術の問題点が異なり,また,その結果として,それぞれの問題点を解決するための作用効果が異なるのである。 さらに,効果に関していえば,本願発明は,上記問題を解決するために,印字命令が存在しない場合には,加熱成分のエネルギーで印字ヘッドを加熱するようにしたのであるから,印字命令が存在した場合と存在しなかった場合とで印字ヘッドの加熱効果を同一にすることが可能になるという,引用発明に比べて顕著な効果を有する。 以上によれば,審決の上記判断は,本願発明が,エネルギー伝達特性と非印字パルスのエネルギーとを直接関連付けることにより,その対象とした従来技術の問題点を解決するために,独自の顕著な効果を実現したものであることを何ら考慮することなく,引用例に記載された効果的な記載,すなわち結果のみを知得した見地から安易にされたものであって,誤りというべきである。 |
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被告の反論
1 審決の認定判断は正当であり,原告の取消事由の主張は理由がない。 2 取消事由(相違点の認定判断の誤り)について (1) 原告は,引用例(甲6)は,発射エネルギーと放出成分のエネルギーから一義的に決定されるエネルギーを印加すること,並びに,そうしたエネルギーの印加により印字パルスの印加時と非印字パルスの印加時とで印字ヘッドに印加されるエネルギーを同一とすることについては,何ら開示も示唆もしていないとして,引用発明において,相違点に係る本願発明の構成が「明確でない」とする審決の認定は誤りであり,実質的に開示も示唆もされていないというべきである旨主張する。 しかしながら,後記(2)のとおり,引用例には,上記構成を実施する手段が示唆されているということができるから,原告の上記主張は失当である。 (2) 原告は,@引用例(甲6)には,「インク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性に基づいて,非印字パルスが,発射エネルギーのうちの加熱成分を有する」ようにする手段については開示も示唆もされていない,A本願発明と引用発明とではそれぞれの発明の契機となった従来技術の問題点が異なり,その結果として,それぞれの問題点を解決するための作用効果が異なる上,本願発明は引用発明に比べて顕著な効果を有するなどとして,審決の相違点に関する判断は誤りである旨主張するが,いずれも失当である。 ア 本願発明の「発射エネルギーの加熱成分」とは,本件明細書(甲2,3)の「印字ヘッドは更に,Xが,放出されるインク滴に伝達される印字パルスのエネルギーの比率であり,(100-X)が,印字ヘッドによって吸収される印字パルスのエネルギーの比率であるような公知のエネルギー伝達特性を有している。 開ループ・パルス生成器は,エネルギーEp(X/100)を帯びたインク滴を放出し,且つ残りのエネルギーEp〔(100-X)/100〕で印字ヘッドを加熱するために発射抵抗に供給されるエネルギーEpを有する印字パルスか,又は印字ヘッドを加熱するだけの総エネルギーEp〔(100-X)/100〕を有する1つ又は2つ以上の開ループ非印字パルスを生成する」(段落【0009】)という記載からみて,発射エネルギーから,放出されるインク滴に伝達されるエネルギー(放出成分)を引いた残りの印字ヘッドの加熱に関与するエネルギーであると解される。 一方,引用例(甲6)には,「記録データと予備加熱データとを交互に入力し,液吐出と予備加熱とを交互に行うことにより,吐出駆動がなされなかったため吐出不良が生じうる吐出口に対応した電気熱変換素子にも予備加熱データにより通電を行うことができる。従って,全液路の温度が均一となり,良好な記録状態を得ることができるようになった」(9頁右下欄最終段落〜10頁左上欄第1段落)との記載があり,この記載は,各電気熱変換素子(発射抵抗)がある部分の印字ヘッドの温度を,液吐出と予備加熱の違いによらず,全液路の温度を均一にすれば良好な記録状態を得ることができることを教示しているから,当業者が,引用例に記載された,記録データに対して予備加熱データを任意に変えることが可能なインクジェット記録装置を用いて,記録データに対して予備加熱データを変えながら,全液路の温度が均一になるようにすることは,その比率を直接測定しているか否かは別として,何ら困難なことではない。 そして,引用発明も,印字ヘッドに備えられた複数の電気熱変換素子(発射抵抗)を,印字命令に応答して,記録データ(発射エネルギー)で選択的に駆動させることによりインク滴を放出させるものであるから,引用発明においても,電気熱変換素子(発射抵抗)が記録データ(発射エネルギー)で駆動される際に,前記記録データ(発射エネルギー)は,まず,電気熱変換素子(発射抵抗)によって熱エネルギーに変換され,該熱エネルギーがインクの温度を上昇させ,インクを気化させることにより,熱エネルギーと運動エネルギーを持つインク滴を放出させると共に,当該熱変換素子(発射抵抗)の周りのインク及び印字ヘッド自体を加熱することになることは明らかなことであるから,全液路の温度を均一にするためには,インク滴を放出させない液路に与えられる予備加熱データは,インク滴を放出させる液路に与えられる記録データ(発射エネルギー)のうちの,当該熱変換素子の周りのインク及び印字ヘッドの加熱に関与する成分,すなわち,記録データ(発射エネルギー)から,放出するインク滴が有する(伝達される)成分を引いた残りのものに等しくしなければならないこと,逆に,そうでなければ,全液路の温度が均一にならないことは,当業者でなくとも自明なことである。 そうすると,引用例には,予備加熱データを,記録データのうちの放出するインク滴に伝達される成分(放出成分)を引いた残りの印字ヘッドの加熱に関与する成分とすることが示唆されており,結局,その直接的表現こそないが,本願発明の「放出されるインク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性に基づいた,感熱式インクジェット印字ヘッドの温度のリアルタイム開ループ制御を行うための装置」,「放出成分と加熱成分からなる発射エネルギーで発射抵抗を駆動する印字パルス」及び「加熱成分で印字ヘッドを加熱する非印字パルス」との構成は,いずれも実質的に示唆されているということができる。 なお,原告は,本願発明の「加熱成分」が,インク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性をあらかじめ測定し,この測定された伝達特性から決定されるものであると主張しているものとも解されるが,そうとすれば,当該主張は特許請求の範囲の記載に基づかない主張であって,失当である。すなわち,本願発明を規定する本件明細書(甲5)の特許請求の範囲の【請求項8】は,「発射エネルギーの加熱成分」について,放出されるインク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性に基づいた印字ヘッドの温度制御を行う装置であること,放出成分と加熱成分とからなる発射エネルギーであること,発射エネルギーの加熱成分で印字ヘッドを加熱することを規定するにとどまり,本願発明の「加熱成分」が,インク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性をあらかじめ測定し,この測定された伝達特性から決定されるものであると規定しているものということはできない。 イ 原告は,引用発明の着想の契機は,インクの吐出の不良を改善することにあるのに対して,本願発明の着想の契機はインク滴のサイズの変化による印字品質の劣化という問題の解消であるので,両者の契機となった問題点が相違している旨主張するが,本件優先日当時,感熱式インクジェット記録装置において,インク滴のサイズ変化による印字品質の劣化という問題は,例えば,特開昭63-134252号公報(乙1,以下「乙1公報」という。)に見られるように,よく知られていたことであるから,引用例(甲6)の,「特に,多数の吐出口がライン状に配列された記録ヘッドによる液体噴射記録装置では,記録データの統計的性質によってはほとんど記録に使用されない吐出口があり,このため吐出インターバルが非常に長くなるというように,吐出駆動にバラツキがある。したがって,吐出回数が少ない,ないしは吐出間隔が長い場合の液路内のインクは,湿度や温度などの雰囲気の条件によって乾燥による粘度上昇が生じ,吐出口からのインク吐出が不安定になったり,また吐出不能になったりする虞れがあった。そこで,低温時等におけるインク粘度の増加に対しても良好な吐出状態を得るためにインクの温度を所定の範囲内に維持できるようにするべく,吐出信号を印加しない時にも電気熱変換体にインクが吐出されないレベルで通電を行い,インクを加熱しておく方法(予備加熱と称す)が種々考えられている」(5頁右上欄第2段落〜左下欄第1段落)等の記載から見て,引用発明がインク滴のサイズ変化による印字品質の劣化という問題を認識していたことは明らかであって,両者の契機となった問題点が相違しているということはできない。 また,原告は,両発明は,それぞれの問題点を解決するための作用効果が異なるとも主張するが,仮に,原告が主張するように本願発明の着想の契機が引用発明のものと相違するとしても,着想が相違するからといって作用効果が異なるものでもない。 さらに,原告は,効果に関して,本願発明は,印字命令が存在した場合と存在しなかった場合とで印字ヘッドの加熱効果を同一にすることが可能になるという,引用発明に比べて顕著な効果を有する旨主張するが,引用発明においても,全液路の温度を均一にすること,すなわち,記録データにより加熱される場合と予備加熱データにより加熱される場合とで印字ヘッドの加熱効果を同一にすることが記載されており,両者間で作用効果が異なるものではない。 |
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当裁判所の判断
1 取消事由(相違点の認定判断の誤り)について (1) 審決は,本願発明と引用発明との相違点として,「印字ヘッドの温度のリアルタイム開ループ制御を行うための装置が,前者では,放出されるインク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性に基づいたものであって,印字ヘッドを加熱する1つ以上の非印字パルスのエネルギーを,発射エネルギーのうちの加熱成分,すなわち,放出されるインク滴が有するエネルギー(放出成分)を引いた残りのエネルギーであるとしているのに対して,後者では,その点が明確でない点」(審決謄本7頁第2段落)を認定した上,相違点について,引用例(甲6)の「記録データと予備加熱データとを交互に入力し,液吐出と予備加熱とを交互に行うことにより,吐出駆動がなされなかったため吐出不良が生じうる吐出口に対応した電気熱変換素子にも予備加熱データにより通電を行うことができる。従って,全液路の温度が均一となり,良好な記録状態を得ることができるようになった」(9頁右下欄最終段落〜10頁左上欄第1段落)との記載から,「記録中の予備加熱において,そのパルスのエネルギーを発射エネルギーのうちの吐出されるインク滴が伝達されて有するエネルギーを引いた残りのエネルギーすなわち加熱成分とすることは,当業者が容易に想起できること」(審決謄本7頁下から第3段落)であり,「そうすれば当然に,記録中の予備加熱(印字ヘッドの温度のリアルタイム開ループ制御)は,吐出(放出)されるインク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性に基づいたものとなる」(同下から第2段落)と判断した。 これに対し,原告は,引用発明において,相違点に係る本願発明の構成が「明確でない」とする審決の認定は誤りであり,実質的に開示も示唆もされていないというべきである旨主張するとともに,相違点に関する審決の上記判断は誤りである旨主張する。 原告の取消事由の主張のうち,相違点の認定の誤りをいう主張(上記第3の2(1))については,審決の相違点に関する判断に誤りがなければ,結局,失当に帰することが,主張の内容自体から明らかであるので,以下では,まず,相違点の判断の誤りの有無について検討する。 (2) 本件明細書(甲2,3)には,本願発明の「発射エネルギーの加熱成分」に関し,以下のような記載がある。 ア 「印字ヘッドは更に,Xが,放出されるインク滴に伝達される印字パルスのエネルギーの比率であり,(100-X)が,印字ヘッドによって吸収される印字パルスのエネルギーの比率であるような公知のエネルギー伝達特性を有している。開ループ・パルス生成器は,エネルギーEp(X/100)を帯びたインク滴を放出し,且つ残りのエネルギーEp〔(100-X)/100〕で印字ヘッドを加熱するために発射抵抗に供給されるエネルギーEpを有する印字パルスか,又は印字ヘッドを加熱するだけの総エネルギーEp〔(100-x)/100〕を有する1つ又は2つ以上の開ループ非印字パルスを生成する。データ・インタプリタは,印字データを解読して,パルス生成器に対し,印字データが印字命令を含んでいる場合は印字パルスを伝送するように命令し,又データが印字命令を含んでいない場合には,印字パルスの代わりに1つ又は2つ以上の開ループ非印字パルスを伝送するように命令して,それによって印字データの内容に係わらず印字ヘッドが同一量のパワーを散逸するようにする」(段落【0009】) イ 「放出されるインク滴に伝達される印字パルスのエネルギーの比率(X),及び印字ヘッドによって吸収される印字パルスのエネルギーの比率(100-X)等のエネルギー伝達特性が判っている場合,図3に示す開ループ・システム60を利用して,印字データ62の内容に係わらず印字ヘッドへの一定の熱流を保持することができる。図4は,開ループ・システム60が発射抵抗68の両端に印加するパルスのタイミングチャート80を示すものである。各間隔中で,開ループ・パルス生成器66は,印字パルス82,あるいは1つ又は2つ以上の開ループ非印字パルス84を,発射抵抗68の両端に印加する。データ・インタプリタ64は印字データ62を読み出す。その印字データが印字間隔86中に印字命令を含んでいる場合,データ・インタプリタ64は開ループ・パルス生成器66に対して印字パルス82を生成するように命令する。その印字データが印字間隔86中に印字命令を含んでいない場合には,データ・インタプリタ64は開ループ・パルス生成器66に対して1つ又は2つ以上の開ループ非印字パルス84を生成するように命令する」(段落【0024】) ウ 「図3に示したのと同様の装置は,放出されるインク滴に伝達されるエネルギー量及びインク滴を放出する際に印字ヘッドにより吸収されるエネルギー量等の印字ヘッドのエネルギー伝達特性を測定することができる。この測定は以下のステップを有する。第1に,この測定に関与する各発射抵抗(2以上の任意数の発射抵抗が使用可能である)毎に,プリンタコントローラが,印字間隔86につき1つの印字命令を含む印字データ62をデータ・インタプリタ64に伝送する。データ・インタプリタ64は,開ループ・パルス生成器に信号を送ることによって応答して,エネルギーEpを有する1つの印字パルスを印字間隔毎に発射抵抗へと伝送する。印字ヘッドが『熱平衡』(すなわち印字ヘッド温度の安定化)に達すると,発射抵抗と同じ基板に位置する温度センサが印字ヘッドの熱平衡温度を測定する。 第2に,プリンタのコントローラは,いずれの印字間隔にも印字命令を有していない印字データ62をデータ・インタプリタ64に伝送する。データ・インタプリタ64は,開ループ・パルス生成器66に対して非印字パルスを発射抵抗に伝送するように命令する。1つの印字間隔で非印字パルスにより搬送されるエネルギーは,第1段階で測定された同一の熱平衡温度で印字ヘッドの温度が安定化するまで調整される。第3に,印字ヘッドを熱平衡温度で安定化させた非印字パルスにより1つの印字間隔で伝達されたエネルギー量が測定される。第4に,このエネルギーを1つの印字パルスのエネルギーから減算して,一滴の放出インク滴により伝達されたエネルギー量を得る。非印字パルスにより伝達されるエネルギーは,インク滴を放出する際に印字ヘッドにより吸収されるエネルギーと等しい」(段落【0026】) 上記各記載によれば,本願発明について,@本願発明の「感熱式インクジェット印字ヘッドの温度のリアルタイム開ループ制御を行うための装置」においては,「印字パルス」と「非印字パルス」が生成されること,A上記「印字パルス」は,インク滴を放出するとともに,残りのエネルギーで印字ヘッドを加熱するだけのエネルギー量を有したパルスであり,上記「非印字パルス」は,印字ヘッドを加熱するだけのエネルギー量を有したパルスであること,Bパルス生成器は,印字データが印字命令を含んでいるときには「印字パルス」を発生し,印字命令を含んでいないときには「非印字パルス」を発生し,これにより,印字ヘッドが一定温度に保たれること,C印字パルスと非印字パルスのエネルギー量は,まず,印字パルスを連続して供給して,印字ヘッドが熱平衡状態になった時の温度を測定し,次に,非印字パルスを連続して供給し,ヘッドが印字パルスの場合と同じ温度で熱平衡状態となるように調整し,この結果,ヘッドを熱平衡状態にするだけの非印字パルスのエネルギー量が決定されるという手順で,実験(測定)によって定められることが理解される。 そうすると,本願発明においては,非印字パルスは,インク滴を放出するだけのエネルギーは持たないが,印字ヘッドを適切な熱平衡状態に維持するのに必要なエネルギー量として設定された値であると認められる。 (3) 他方,引用例(甲6)には,以下のような記載がある。 ア 「インク吐出に利用される熱エネルギを発生する電気熱変換体を複数有する記録ヘッドと,該記録ヘッドの前記複数の電気熱変換体を記録データに応じた駆動信号を供給して駆動することにより前記インク吐出を行わせる吐出駆動手段と,該吐出駆動手段による所定単位量の駆動後に前記電気熱変換体に対してインク吐出がなされない程度の駆動信号を供給することにより加熱を行わせる加熱駆動手段とを具えたことを特徴とするインクジェット記録装置」(特許請求の範囲17項) イ 「本発明によれば,記録手段(インクジェット記録ヘッド)にインク吐出用データを供給して所定量の記録を行った後に,予備加熱のためにインクを吐出可能な値未満の電力量を規定するデータを入力させることにより,吐出を行わない液路に対しても予備加熱を適切なタイミングで行うことができる」(7頁右上欄第2段落) ウ 「パルス幅設定信号ENBのパルス幅は,予備加熱時はインク液吐出に至らない時間内であり(例えば約0.5〜5μs),吐出駆動時(記録時)のパルス幅(例えば約3〜10μs)より短い」(9頁左上欄第2段落) エ 「以上説明したように,本実施例によれば,記録データと予備加熱データとを交互に入力し,液吐出と予備加熱とを交互に行うことにより,吐出駆動がなされなかったため吐出不良が生じうる吐出口に対応した電気熱変換素子にも予備加熱データにより通電を行うことができる。従って,全液路の温度が均一となり,良好な記録状態を得ることができるようになった」(9頁右下欄最終段落〜10頁左上欄第1段落) 上記各記載によれば,引用発明について,@記録ヘッドには,「インク吐出用データ」と「予備加熱のためのデータ」が供給されること,A「インク吐出用データ」はインクを吐出するのに必要なエネルギーを有するデータであり,「予備加熱のためのデータ」はインク吐出がされない程度の駆動信号によってヘッドの加熱を行わせるデータであること,B記録データと予備加熱データとを交互に入力し,液吐出と予備加熱とを交互に行うことによりヘッドの全液路の温度を均一に保つこと,C「インク吐出用データ」と「予備加熱のためのデータ」の決定方法については明細書に具体的な記述はないことが理解される。 (4) 原告は,本願発明のリアルタイム開ループ制御を行うためには,放出されるインク滴に伝達される印字パルスのエネルギーの比率(])等の当該エネルギーの伝達特性を知っておく必要があるが,引用例(甲6)には,「放出されるインク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性」を用いることについてはもちろん,伝達特性自体についても何ら記載されていないし,また,伝達特性を知るためには,印字パルス及び非印字パルスにより伝送されるエネルギーによる印字ヘッドの熱平衡状態における温度の測定等が必要であるが,引用例にはそのような測定手段は全く開示されていない旨主張する。 しかしながら,上記(2)及び(3)で検討したところから明らかなとおり,本願発明における「印字パルス」及び引用例における「インク吐出用データ」は,共に,インク滴を吐出するのに十分なエネルギーを持った信号であり,本願発明における「非印字パルス」及び引用例における「予備加熱のためのデータ」はインクの吐出はされないが,ヘッドを予備加熱することができる程度のエネルギーを持ったデータであり,さらに,ヘッドを予備加熱することの目的は,いずれもヘッドの液路温度を一定に維持して,安定した印字ないし記録を可能とすることである。すなわち,両発明は,インクジェット記録ヘッドの温度を一定に維持するという共通の目的を有し,これを達成する構成も,インクを実際に吐出させるエネルギー量の印字データで印字を行うと共に,印字に関与しない流路には,所定のタイミングで予備加熱のみを目的とするエネルギー量を与えるという点で共通する。 確かに,原告が主張するとおり,引用例には,インク滴に伝達されるエネルギー等の伝達特性や,予備加熱のエネルギー量の決定方法についての具体的な記載はない。しかし,引用発明における予備加熱データは,インク滴を放出させず,かつ,インクヘッドを熱平衡状態に維持するだけのエネルギー量でなければならないものであって,そのようなエネルギー量はヘッドの形状,体積,外気温等によって変わるものであることは当然であるから,あるヘッドに適した予備加熱データは,例えば,本件明細書(甲2,3)の段落【0026】(上記(2)ウ)に記載されるような実験によって特定されるべきことも,当業者にとって自明のことというべきである。 他方,上記のとおり,本願発明と引用発明とは,インクジェット記録ヘッドの温度を一定に維持するという共通の目的を達成するため,インクを実際に吐出させるエネルギー量の印字データで印字を行うと共に,印字に関与しない流路には,所定のタイミングで予備加熱のみを目的とするエネルギー量を与えるものであるという点で共通すると認められるところ,上記実験によって最適な予備加熱のためのデータ(非印字パルス)のエネルギー量を定めれば,そのようにして定められたエネルギー量は,結果として,「放出されるインク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性」に基づいたものとなることも当然というべきである。 そうすると,引用例に具体的な記載がなくとも,引用発明における予備加熱データは,インク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性に基づいたものであることは当業者にとって自明であり,また,そのような伝達特性を知るための測定手段も当業者にとって自明のことというべきであるから,原告の上記主張は採用することができない。 (5) また,原告は,印字ヘッドの温度は,プリンタ出力(印字パルス数)の変動だけではなく,周囲温度の変化やプリンタ始動時の熱遷移によっても変動するから,引用発明において,全液路の温度を均一にするための予備加熱データを当業者が見いだすことが仮に可能であったとしても,そのような予備加熱データは,プリンタ出力そのもの以外の要因による影響をも必然的に含んだものとして決定されるものであるのに対し,本願発明における「発射エネルギーの加熱成分」は,発射エネルギー,すなわち,プリンタの印字出力のためにヘッドに印加されるエネルギーのみによって変動を受けるものであって,この意味で,本願発明における「発射エネルギーの加熱成分」とは,特別に限定された要件として解釈されるべきである旨主張する。原告の上記主張は,本願発明においては,いったん「発射エネルギーの加熱成分」の値を決定すれば,印字中のヘッドの温度制御は,周囲温度等の変化による実際のヘッドの温度の変化とは無関係に,すなわち,温度検出のフィードバック制御によらない,完全な開ループで行われていることが特徴的であり,この点は,引用発明から容易に想到できるものではない旨主張するものであると解される。 そこで検討すると,引用例(甲6)には以下の記載がある。 ア 「またTHはヘッド基板に設けられた環境温度検出素子であり,ヘッド温度,外部温度等のすべてあるいはいずれかの温度情報をタイミング生成回路9へ入力する。そこで本実施例では,起動時の予備加熱を環境温度に応じて行うことができる」(8頁右上欄第1段落) イ 「まず記録装置の電源がONされると,前述した通りゲート回路10を介して予備加熱データ生成回路11から予備加熱データをシフトレジスタ4に転送する(ステップS1)。一方,環境温度検出素子THからの温度情報がタイミング生成回路9へ入力されて,それに応じたパルス幅設定用信号ENBが記録ヘッド1の駆動用IC3に供給される(ステップS2)。したがって,環境温度に応じた全液路の予備加熱が起動時に行われる(ステップS3)。」(8頁右上欄第3段落) ウ 「一方,記録データS1の転送がNライン行われ(N≧1),そのNライン分の記録が終了すると,ゲート回路10を介して予備加熱データ生成回路11から予備加熱データをシフトレジスタ4に転送する(ステップS7,S8)。そして,タイミング生成回路9から所定のパルス幅設定用信号ENBが記録ヘッド1の駆動用IC3に供給されて,記録中の予備加熱が行われる(ステップS9,S10)。なおここで,記録中の予備加熱は,予め定められた一定のパルス幅を設定するのに限定されずに,起動時(電源ON時)の予備加熱と同様に環境温度に応じたパルス幅を設定してもよい。しかしいずれにしても,起動時の予備加熱のパルス幅よりも短いパルス幅である。また,記録中の予備加熱は,記録データの反転データを用いて行ってもよい」(8頁左下欄第2段落〜右下欄第1段落) 以上の記載及び引用例の第2図(B)によれば,引用発明は,起動時(電源ON時)の予備加熱と印字中の予備加熱の方法を区別するものとし,起動時の予備加熱においては環境温度を検出したフィードバック制御を行うことを想定する(第2図(B)のS2で環境温度が実線で入力されている。)一方,印字中の予備加熱においては,上記ウの「記録中の予備加熱は,予め定められた一定のパルス幅を設定するのに限定されずに,起動時(電源ON時)の予備加熱と同様に環境温度に応じたパルス幅を設定してもよい」との記載及び第2図(B)においてパルス幅を設定するS9に関して環境温度が点線で入力されているように,環境温度を加味しない一定のパルス幅を使用すること,すなわち,開ループ制御を行うことを前提とし,ヘッドの温度をフィードバックする閉ループ制御は必要に応じて行うことが想定されているものと認めるのが相当である。 そうすると,引用例においても,印字中の予備加熱データを,周囲温度等の変化と直接関係のないものとして開ループ制御により決定することが開示されていると認められ,開ループであれば,周囲温度の変化に伴う影響を補償することはできないから,その意味において,本願発明と何ら異なるところはない。そして,引用例では,起動時(電源ON時)には環境温度を考慮した閉ループの温度制御を行っているが,このような閉ループ制御を行わないこととして,すべてを開ループ制御とすることも,温度管理のばらつきにある程度目をつぶれば当然に可能であり,そのようにすることに進歩性があるとは到底いうことができない。 この点について,原告は,引用発明における「予め定められた一定のパルス幅」とは,周囲温度に応答させてその都度パルス幅が変更されるものではないものの,引用発明の課題を解決可能な程度に,周囲温度の変化をあらかじめ見込んで設定された一定のパルス幅であると解すべきであると主張する。しかしながら,本願発明においても,引用発明においても,あらかじめ実験等によって最適な予備加熱のためのデータ(非印字パルス)のエネルギー量を定めれば,そのようにして定められたエネルギー量は,結果として,「放出されるインク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性」に基づいたものとなることは,上記(4)のとおりであって,これは,上記「予め定められた一定のパルス幅」についても同様というべきである。 以上によれば,原告の上記主張は採用の限りではない。 (6) さらに,原告は,引用発明の着想の契機は,インクの粘度の変化による印刷品位の劣化を防止することにあったと解されるのに対し,本願発明の着想の契機は,インク滴のサイズの変化による印字品質の劣化を解消することにあり,両者の契機となった問題点は明確に異なるとした上,両者はそれぞれの問題点を解決するための作用効果が異なり,本願発明は,印字命令が存在した場合と存在しなかった場合とで印字ヘッドの加熱効果を同一にすることが可能になるという,引用発明に比べて顕著な効果を有する旨主張する。 しかしながら,ヘッドが低温であれば,インクの粘度が低下し,所定の加熱エネルギーを加えても十分なインク吐出量が得られず,その結果として,液滴が小さくなることは当然であるから,そもそも,両者の違いは,同一の事象の原因と結果にすぎないという面があり,発想の契機となった問題点として,明確に異なるというほどの差異は認められない。このことは,乙1公報に,「本発明は,インクジェットプリンタに関するものである」(1頁右下欄第1段落),「従来この種の装置は,低温時の動作において,インクの粘性等の原因により,ドット径の縮小や吐出方向のずれ等で記録品質が常温時と比較し劣化するため,ヘッド周囲の温度を検出して安定なインクの吐出が可能になる温度まで記録動作を禁止している。そして,その禁止期間に,記録ヘッドを有するヘッドユニットに具備された抵抗器や,トランジスタ等の発熱手段を用いてヘッド周囲の温度を上昇せしめている」(同第2段落)と記載されていることを考え併せれば,一層明らかである。 また,仮に,両発明の発想の契機に多少の差異があったとしても,両者は,いずれも感熱式インクジェット印字ヘッドに関し,良好な印字ないし記録のために効果的な予備加熱を行うことを目的とするという点で一致することは,原告も自認するところである上,両発明の構成において,当業者が容易に想到することができないような差異が認められないことは,上記(4)及び(5)で判示したとおりであるから,その奏する作用効果において,原告主張のような顕著な差異が認められないことも当然である。なお,原告が主張する作用効果上の差異の具体的な内容は,上記(4)及び(5)で検討した構成上の差異の裏返しにすぎないものであると認められるから,その点でも原告の上記主張は失当というべきである。 したがって,原告の上記主張は採用の限りではない。 (7) 以上によれば,審決の相違点の判断に誤りはなく,そうとすれば,審決が,本願発明と引用発明との相違点として「印字ヘッドの温度のリアルタイム開ループ制御を行うための装置が,前者では,放出されるインク滴に伝達されるエネルギーの伝達特性に基づいたものであって,印字ヘッドを加熱する1つ以上の非印字パルスのエネルギーを,発射エネルギーのうちの加熱成分,すなわち,放出されるインク滴が有するエネルギー(放出成分)を引いた残りのエネルギーであるとしているのに対して,後者では,その点が明確でない点」を認定したことにも,原告主張の誤りはないことに帰するから,原告の取消事由の主張は理由がない。 2 以上のとおり,原告主張の取消事由は理由がなく,他に審決を取り消すべき瑕疵は見当たらない。 よって,原告の請求は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。 |
裁判長裁判官 | 篠原勝美 |
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裁判官 | 古城春実 |
裁判官 | 早田尚貴 |