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関連審決 不服2006-27319
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審判番号(事件番号) データベース 権利
平成22行ケ10109審決取消請求事件 判例 特許
平成19行ケ10304審決取消請求事件 判例 特許
平成18行ケ10509審決取消請求事件 判例 特許
平成21行ケ10434審決取消請求事件 判例 特許
平成21行ケ10134審決取消請求事件 判例 特許
関連ワード 発明者 /  外国の特許 /  技術的思想 /  有用性 /  創作性(創作) /  製造方法 /  技術的範囲 /  技術常識 /  発明の詳細な説明 /  化学構造 /  パリ条約 /  優先権 /  薬事法 /  技術的意義 /  特許発明 /  実施 /  業として /  発明の範囲 /  拒絶査定 /  請求の範囲 /  拡張 /  TRIPS協定 /  国際出願 / 
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事件 平成 21年 (行ケ) 10033号 審決取消請求事件
原告ベーリンガーインゲルハイムファルマ ゲゼルシャフトミットベシュレンクテル ハフツング ウント コンパニー コマンディトゲゼルシャフト
訴訟代理人弁護 士辻居幸一
同 高石秀樹
同 小和田敦子
訴訟復代理人弁護 士佐竹勝一
訴訟代理人弁理 士箱田篤
同 田代玄
訴訟復代理人弁理 士新谷雅史
被告特許庁長官
指定代理人塚中哲雄
同 穴吹智子
同 北村明弘
同 小林和男
裁判所 知的財産高等裁判所
判決言渡日 2010/01/28
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 1特許庁が不服2006−27319号事件について平成20年9月29日にした審決を取り消す。
2訴訟費用は,被告の負担とする。
事実及び理由
請求
主文と同旨
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯原告は,発明の名称を「性的障害の治療におけるフリバンセリンの使用」とする発明について,平成14年10月4日(パリ条約による優先権主張平成13年10月20日,欧州)を国際出願日とする特許出願(特願2003-537639号。以下「本願」という。)をしたが,平成18年9月4日に拒絶査定がされ,これに対し,同年12月4日,不服の審判(不服2006-27319号事件)を請求した。
特許庁は,平成20年9月29日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決(以下「審決」という。付加期間90日)をし,その謄本は,同年10月14日に原告に送達された。
2 特許請求の範囲本願に係る平成17年12月26日付け手続補正書(甲4)により補正された明細書(甲3,4。以下「本願明細書」という。)の特許請求の範囲の請求項1の記載は,次のとおりである(以下,この請求項1に係る発明を「本願発明」という。)。
「場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩形態にあってもよいフリバンセリンの,性欲障害治療用薬剤を製造するための使用。」3 審決の理由別紙審決書写しのとおりである。その要旨は,(1)医薬についての用途発明においては,一般に,有効成分の物質名,化学構造だけからその有用性を予測することは困難であり,発明の詳細な説明に有効量,投与方法,製剤化のための事項がある程度記載されている場合であっても,それだけでは当業者が当該医薬が実際にその用途において有用性があるか否かを知ることができないから,特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載されたものであるというためには,発明の詳細な説明において,薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載がされることにより,その用途の有用性が裏付けられていることが必要である。
(2)本願明細書の発明の詳細な説明には,フリバンセリンの本願発明の医薬用途における有用性を裏付ける記載はない。
(3)したがって,本願発明に係る特許請求の範囲の記載は,特許法(以下「法」という。)36条6項1号に規定する「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」との要件を満たさない。
とするものである。
当事者の主張
1 審決の取消事由に係る原告の主張審決には,以下のとおり,(1)法36条6項1号所定の「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」の解釈の誤り,(2)本願の特許請求の範囲の記載が法36条6項1号所定の要件を満たさないとした判断の誤りがある。
(1) 法36条6項1号所定の要件についての解釈の誤りについてア審決は,法36条6項1号所定の「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」との要件について,医薬についての用途発明では,「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすること」が必要であるとしている。
しかし,法36条6項1号所定の要件規定についての審決の解釈は,以下のとおり失当である。
知財高裁平成17年(行ケ)第10042号平成17年11月11日特別部判決(以下,「知財高裁大合議部判決」という場合がある。)は,「特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべき」である旨判示した。しかし,同判決は,法36条6項1号(平成6年法律第116号による改正前の特許法36条5項1号)適合性について,発明の技術分野ごとに異なる判断基準を設定することを許容したものではない。
審決は,医薬についての用途発明において,法36条6項1号を充足するためには,「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすること」が必要であるとしているが,このような記載を要件とすることは,知財高裁大合議部判決が示した「発明の課題が解決できることを当業者において認識できるように記載すること」との判断基準(要件)と異なる判断基準(要件)を設定することになり,同判決の趣旨から逸脱する。
確かに,医薬についての用途発明において,用途の有用性を示すことは必要であるが,その用途の有用性を裏付けるために,「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載」が常に必要ではなく,当業者が用途の有用性を確認することができる程度の記載がされれば足りるというべきである。
医薬品が,薬理データに裏付けられた薬理作用を有しているか否かは,薬事法の販売承認の際に判断されれば足りるのであって,願書に最初に添付した明細書(以下「出願当初明細書」という。)に記載されている必要はなく,その記載がない限り,発明として保護しないとする見解は合理性を欠く。
以上のとおり,「医薬についての用途発明」の特許性を判断するに当たり,法36条6項1号所定の要件として,「薬理データ又はそれと同視すべき程度」の記載を要するとした審決の判断は,同条6項1号所定の要件の解釈を誤ったものである。
イ審決の法36条6項1号所定の要件に関する解釈は,以下のとおりの理由から,特許制度の国際的調和に反する。
米国特許商標庁及び欧州特許庁では,医薬の用途発明は,出願当初明細書において,当該用途に対する有用性を具体的に確認した旨の記載が存在すれば足り,「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載」を要求しない。
本願発明の対応米国特許出願及び対応欧州特許出願は,いずれも特許査定がされている(甲5,6)。しかるに,我が国のみが特許出願時の明細書の発明の詳細な説明において「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載」を要求するのは,国際的調和に反するもので,妥当を欠く。
また,日本のみが特許出願時の明細書の発明の詳細な説明において「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載」を要求するのはTRIPS協定29条1項,27条1項に違反する。
ウ 審決の法36条6項1号所定の要件に関する解釈は,以下のとおりの理由から,特許法の目的に違反する。
発明の保護及び利用を図ることにより,発明を奨励し,もって産業の発達に寄与するという特許法の目的に照らすならば,ある者(発明者)が,最初に「(新たな)用途」を見いだしたにもかかわらず,その者が,その有用性を具体的に確認するためのデータ収集に手間取っている間に,他の者が速やかにデータ収集を行った場合,他の者を特許権者として保護することは適当でない。
特に,本願発明の「性欲強化」という効果については,本件特許の優先権主張日以前には,動物実験や試験管実験等による評価方法が確立されていなかったから,有効成分と効果との関係を評価するためには臨床試験が必要であった。臨床試験を行うためには,医師及び被験者に成分を説明するため,秘密漏えいの可能性を払拭することが困難である。したがって,臨床試験を行う前に特許出願を直ちに行うことが必要となり,これを認める合理性が存在する。
エ審決は,法36条6項1号の要件の内容について,同法4項1号と同一であると解釈した誤りがある。
36条4項1号は,発明の詳細な説明の記載は,当業者が,「その実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであること」を要件としている。そして,特許庁の実務(審査基準)においても,法36条4項1号との関係では,明細書に,どの化合物を,どのような薬理試験系において適用し,どのような結果が得られたのか,そして,その薬理試験系が請求項に係る医薬発明の医薬用途とどのような関連性があるかを明らかにすべきことを求めている。
しかし,本件における審決の理由は,法36条6項1号に規定する「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」との要件を満たさない,というものであるから,審決は,同法6項1号の要件の内容を同法4項1号と同一であると解釈した点で誤りがある。
(2)本願の特許請求の範囲の記載が,法36条6項1号の要件を満たさないとした認定の誤りについて本願の特許請求の範囲の記載は,以下のとおり,法36条6項1号の要件を満たす。
ア 本願明細書の発明の詳細な説明には,以下のとおり,当業者であれば,当該発明の課題(性欲強化)を解決できると認識できる程度の記載がある。
(ア)本願明細書には,「フリバンセリンは,5-HT 及び5-HT-レ1A 2セプターに対する結合性を示す。従って,それは,種々の疾患,例えば,うつ病,精神分裂症及び不安などの治療に対して,将来有望な治療剤である。性的不全に悩む男性及び女性の患者の研究において,場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩の形態にあってもよいフリバンセリンが,性欲強化特性を示すことが分かった。」(甲3,段落【0003】)と記載され,性的不全に悩む男性及び女性の患者の研究において,フリバンセリンが性欲強化特性を示すことを発明者が確認した旨が記載されている。
また,本願明細書の段落【0008】ないし【0013】には,うつ病の治療を目的として研究されていたフリバンセリンの投与態様について,「タブレット」,「被覆タブレット」,「カプセル」,「アンプル溶液」及び「坐薬」について具体的な投与方法が記載されている。
(イ) 本願発明が対象とする性欲強化特性は,人間の精神的要素の改善に関するものであるから,性欲強化を図ることができたか否かは,フリバンセリンを投与した患者の外見から判断することができず,フリバンセリンを投与した患者の問診(つまりアンケート)によるほかない(甲7,24〜27)。性的欲求の動物実験や試験管実験等による評価方法は,本願の優先権主張日以前には確立されていなかった(2004年に発表された甲10の論文に記載されているとおり,動物実験等による性的欲求の評価モデルが確立されたのは,この当時である。なお,甲21〜23,31も同旨である。)。性欲を評価するためのアンケートの様式としては,例えば,1997年にアリゾナ大学が作成したASEX指標(甲7)等が知られていた(甲18・C医学博士意見書参照)。
したがって,「フリバンセリンが,性欲強化特性を示すことが分かった」(甲3及び4,段落【0003】)との記載は,当業者にとっては,フリバンセリンを投与された患者を対象にアンケートを行った結果,フリバンセリンに,このような特性を有することが分かった旨の意味であると理解することができる(甲18・C医学博士意見書参照)。
この点について,被告は,新たな動物実験による評価方法を開発して,それによる評価をして新しい医薬の出願をしたという実例もあるから(乙6),アンケート結果により本願発明の効果を確認したものであると,当業者において,理解することはできない旨主張する。しかし,乙6は,女性の性的興奮の障害(骨盤や性器などの人間の性的活動に関わる器官に関する疾患)についてのものであって,本願発明のような性的欲求低下障害という人間の性的な欲求に関する疾患に係るものではなく,性的欲求低下については本願発明の優先権主張日時点において,動物実験による性的欲求の評価モデルが確立されていなかったから,被告の主張は失当である。
(ウ)本願発明の発明者は,うつ病の治療を目的とする研究に従事していたが,うつ病の処方薬は副作用として性的機能障害を呈することがあったため(甲9),フリバンセリンのうつ病の臨床試験において,患者が性的機能障害を呈するかどうか確認するため,うつ病患者のフリバンセリン投与前後のアンケート結果を分析したところ,うつ病の処方薬のうちフリバンセリンは,性欲強化特性を示すことを確認し,フリバンセリン類を有効成分とする性欲障害治療用薬剤を発明した。
すなわち,大うつ病性障害(MDD)の主要評価項目であるHAMD(ハミルトンうつ病評価尺度)の結果によれば,フリバンセリンよりもパロキセチンの方がうつ状態の改善には高い効果を示している(甲33の2)。一方,ASEXのアンケートの結果(甲33の1,スライド9頁)は,うつ状態の改善に高い効果を示すパロキセチンよりも,フリバンセリンのほうが著しい性欲強化特性を示している。ASEXのアンケートの結果によれば,フリバンセリンが,うつ病の改善という効果の副次的効果によってではなく,独自の性欲強化特性を示していることが分かる。
(エ) 以上のとおり,本願明細書の発明の詳細な説明には,本願発明の物質がフリバンセリンという特定の化合物であり,この特定の化合物が「性欲強化特性」を示すものであり,しかも,この特定の化合物をどのように投与するかについても記載されており,当業者は,患者にフリバンセリンを投与した後のアンケート結果から見いだされた効果が本願明細書に記載されていると理解することができ,当業者において当該発明の課題(性欲強化)を解決できると認識できる程度の記載があるといえるから,本願発明の特許請求の範囲の記載は,法36条6項1号の要件を満たす。
(オ) なお,原告は,平成19年2月21日付け手続補正書(甲1)及び平成18年8月7日付け意見書(甲2)において実験データを提出した。
これらは本願明細書に記載された本願発明の用途に対する有用性の裏づけについて,多くの被験者を対象とする研究によって補強したものである。
イ 仮に,法36条6項1号の要件の内容を,法36条4項1号と同一と解釈したとしても,本願明細書の発明の詳細な説明の記載は,法36条6項1号の要件を満たしている。
すなわち,?「フリバンセリン」は1997年にINNリストに掲載されており(甲8),化合物は特定され,その製造方法を開示する欧州特許出願EP-A-526434に記載され(甲3,段落【0001】),?本願明細書の「性的不全に悩む男性及び女性の患者の研究において・・・フリバンセリンが,性欲強化特性を示すことが分かった」(甲3及び4,段落【0003】)との記載について,当業者であれば,患者にフリバンセリンを投与した後のアンケート結果から見いだされた効果であり,アンケートによって試験が行われたと理解でき,?同アンケートに基づいて,「フリバンセリンが,性欲強化特性を示すことが分かった」旨が記載され,同アンケートと用途との間に関連性があることは自明であり,その要件を満たしていると解される。
2 被告の反論(1) 法36条6項1号所定の要件についての解釈の誤りに対しア原告は,法36条6項1号所定の「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」との要件について,医薬用途発明においては,「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすること」が必要であるとした審決の解釈は,誤りであると主張する。
しかし,原告の主張は,次のとおり理由がない。
すなわち,医薬用途発明の課題は,疾病の治療あるいは予防という用途との関係で有用な物質を選択して,提供することである。医薬として役立つ生理活性(薬理効果)を有するか否かは,当該物質の生理活性(薬理効果)についてスクリーニングを行い,薬理データを分析して,医薬として有用な物質を選び出すことによって進められる(乙1)。医薬用途発明においては,有効成分の物質名,化学構造だけからその有用性を予測することは困難であり,発明の詳細な説明に有効量,投与方法,製剤化のための事項がある程度記載されている場合であっても,それだけでは当業者が当該医薬が実際にその用途において有用性があるか否かを知ることができない。したがって,特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載されたものであるというためには,発明の詳細な説明に,「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載」をすることによって,その用途の有用性が裏付けられている必要がある。
知財高裁大合議部判決は,「特許請求の範囲に発明として記載して特許を受けるためには,明細書の発明の詳細な説明に,当該発明の課題が解決できることを当業者において認識できるように記載しなければならないというべきである。」と判示している。そして,医薬用途発明についての前記の特性に照らすならば,医薬品用途発明について,法36条6項1号所定の要件を「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載」がされることと解釈することは,知財高裁大合議部判決と矛盾するものではない。
イ原告は,法36条6項1号について,「特許出願時の明細書の発明の詳細な説明に,薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載」が必要であると解釈することは,特許制度の国際的調和に反し,また,TRIPS協定29条1項,27条1項に違反すると主張する。
しかし,原告の前記主張は,理由がない。すなわち,米国特許商標庁及び欧州特許庁において,本願発明の対応発明に対して,特許を付与するとの判断がされたとしても,外国の特許庁におけるそのような判断が,法36条6項1号の要件について,「特許出願時の明細書の発明の詳細な説明に,薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載」が必要であるとする解釈の当否に影響を与えるものとはいえない。
また,TRIPS協定29条1項は,加盟国が特許出願人に対し要求する開示について定めた規定であり,TRIPS協定27条1項は,一定の規定に従うことを条件として,技術分野等について差別することなく,特許が与えられるべきであり,また特許権が享受されるべきであることを定める規定であるから,TRIPS協定の上記各規定が,法36条6項1号において,「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載」を要求する旨解釈することを妨げることにはならない。
ウ原告は,仮に,「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載」を要求することになると,ある者(発明者)が,最初に「(新たな)用途」を見いだし,その有用性を具体的に確認しようとして,データ収集に手間取っている間に,他の者が速やかにデータ収集を行った場合には,他者を特許権者として保護することになり,発明の保護及び利用を図ることにより,発明を奨励し,もって産業の発達に寄与するという特許法の目的に反すると主張する。
しかし,原告の前記主張は,理由がない。
すなわち,法36条6項1号の要件として,フリバンセリンの性欲障害治療薬としての有用性が,薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすることにより裏付けられている必要があるが,本件においては,本願明細書の発明の詳細な説明には,本願発明の発明者実施したという性欲障害に関するアンケートはもとより,本願発明がフリバンセリンのうつ病の臨床試験においてされたものであることも記載されていないから,法36条6項1号の要件を満たしていない。
原告の主張によれば,本願発明の発明者は,うつ病の治療を目的とする研究に従事していたが,うつ病の処方薬は副作用として性的機能障害を呈することがあったため(甲9),フリバンセリンのうつ病の臨床試験において,患者が性的機能障害を呈するかどうかを確認するため,うつ病患者のフリバンセリン投与前後のアンケート結果を分析したところ,驚くべきことに,予測できない結果として,うつ病の処方薬のうちフリバンセリンは,性欲強化特性を示すことを確認し,フリバンセリン類を有効成分とする性欲障害治療用薬剤を発明するに至ったとされている。
仮に,発明者がそのような認識を得たのであれば,本願明細書において,前記フリバンセリンのうつ病の臨床試験において,発明者が,フリバンセリンが性欲障害治療用薬剤として有用であると判断した根拠となる具体的な事実,すなわち,前記のフリバンセリンのうつ病の臨床試験の内容,そこで行ったアンケートの内容と結果,及びその分析手法等について,当業者がフリバンセリンが性欲障害治療用薬剤として有用であると認識できる程度に記載することにより,「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載」をし,フリバンセリンの性欲障害治療用薬剤としての有用性を裏付ける記載をすることができたはずであるにもかかわらず,その点の記載がない。したがって,本件では,法36条6項1号における要件を満たしていない。
エ 原告は,審決は,法36条6項1号における要件について,同条4項1号の適合性の要件と同一内容のものとして解釈した点において誤りがある旨主張する。また,原告は,特許庁の運用(審査基準)においても,同条4項1号の適合性の要件と同一の判断基準が用いられている旨指摘する。
しかし,原告の前記主張は,理由がない。すなわち,本願明細書の特許請求の範囲の記載が,同条6項1号の要件を満たしているか否かは,同規定に照らして判断されるべきであり,その判断に誤りはない。また,審査基準は,特許出願が特許法の規定する特許要件を満たしているか否かの特許庁の判断の公平性,合理性を担保するのに資する目的で作成された判断基準であって,法規範ではないから,審判において,審査基準と矛盾する判断をしたか否かにより,本件審決に違法を来すことはない。
なお,現在の審査基準(第?部第3章「医薬発明」1.1.1「特許法第36条第6項第1号」の項。乙2)においては,同条6項1号の要件を満たさない例として,「?請求項においては成分Aを有効成分として含有する制吐剤が特許請求されているが,発明の詳細な説明には,成分Aが制吐作用を有することを裏付ける薬理試験方法,薬理データ等についての記載がなく,しかも,成分Aが制吐剤として有効であることが出願時の技術常識からも推認できない場合」という薬理試験方法や薬理データ等の記載がない事例が挙げられている。
(2)本願の特許請求の範囲の記載が,法36条6項1号の要件を満たさないとした認定の誤りに対しア原告は,本願明細書の発明の詳細な説明には,当業者が当該発明の課題(性欲強化)を解決できると認識できる程度の記載があると主張する。すなわち,原告は,本願明細書の段落【0003】の記載に接した当業者は,患者にフリバンセリンを投与した後のアンケート結果から見いだされた効果が本願明細書に記載されているものと理解することができる。そうすると,当業者において当該発明の課題(性欲強化)を解決できると認識できる程度の記載があるといえるから,本願発明の発明の詳細な説明の記載は,法36条6項1号所定の要件を満たしていると,主張する。
しかし,原告の前記主張は,次のとおり理由がない。
(ア)本願発明が,性欲障害治療用薬剤を提供するとの課題を解決することができることを当業者において認識できるように記載しているといえるためには,本願発明が性欲障害治療用薬剤を提供するとの課題を解決することができる旨の記載があれば良いというものではなく,性欲障害治療用薬剤を提供するとの課題を解決することができることを,当業者が,客観的な事実に基づいて技術的に理解できるだけの記載のあることが必要である。
本願明細書には,「性的不全に悩む男性及び女性の患者の研究において,場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩の形態にあってもよいフリバンセリンが,性欲強化特性を示すことが分かった。」(甲3及び4,段落【0003】)と記載されているが,どのような研究を行い,どのような研究成果が得られたか,この研究において行った試験方法や得られた試験データ等の具体的な説明は何ら記載されていない。
新しい医薬の発明について特許出願をするに当たり,医薬としての有用性を評価するための評価方法は特定の評価方法に限定されるものではないから,本願発明の発明者が新たな予測性の高い動物実験による評価手法を開発し,その実験結果に基づいてフリバンセリンの性欲強化特性を認識したとも考えられるし(例えば乙6の出願事例を参照),既存の動物実験による結果を詳しく新たな視点から分析し直してフリバンセリンの性欲強化特性を認識したとも考えられる。したがって,当業者であれば,明細書の記載から,患者に対してフリバンセリンを投与した後のアンケート結果により認識した知見が記載されていると理解することができたとまではいえない。なお,本願発明の優先権主張日前においては,甲21,31,22,23及び10に示すとおりHSDDの薬物治療の指標となる確立した動物モデルが存在しなかったという原告の主張も理由がない。
原告は,大うつ病性障害(MDD)の主要評価項目であるHAMD(ハミルトンうつ病評価尺度)の結果によれば,フリバンセリンよりもパロキセチンの方がうつ状態の改善には高い効果を示していると主張する。しかし,甲33の1のスライドのいずれにも,フリバンセリンとパロキセチンのHAMD(ハミルトンうつ病評価尺度)の結果が示されているわけでなく,また,大うつ病性障害(MDD)の主要評価項目であるHAMD(ハミルトンうつ病評価尺度)に関するスライドであるスライド6(甲33の1)に引用されている甲28ないし30には,フリバンセリンと対比したパロキセチンのうつ状態の改善効果に関する記載は見あたらない。
したがって,「ASEXのアンケートの結果(甲33の1のスライド9頁)は,うつ状態の改善に高い効果を示すパロキセチンよりも,フリバンセリンのほうが著しい性欲強化特性を示しているので,ASEXのアンケートの結果から,フリバンセリンが,うつ病の改善という効果の副次的効果ではなく,独自の性欲強化特性を示していることが分かる。」との原告の主張には,理由がない。
(イ)仮に,原告の主張するように,本願の優先権主張日当時には,性欲強化を図ることができたか否かは,フリバンセリンを投与した患者の問診(つまりアンケート)による他なく,当業者であれば,本願発明が,フリバンセリンを投与した患者の問診(つまりアンケート)に基づきされたと理解し得るものであるとしても,本願明細書の発明の詳細な説明の記載からは,どのような患者に対して,どのような治療,どのような問診(アンケート)を実施し,どのような結果を得たのか,性的不全がどの程度改善されるのかは,当業者にとって明らかではないから,当業者は性欲障害治療薬として有用であるといえる程度の性欲強化特性が示されたと認識することはできない。
確かに,本願明細書の発明の詳細な説明には,「タブレット」等の製剤例が記載されているが,これらの製剤を投与した薬理試験については何ら記載されていない。
(ウ)原告は,平成19年2月21日付け手続補正書(甲1)及び平成18年8月7日付け意見書(甲2)において実験データを提出し,これらによって,本願明細書に記載された本願発明の用途に対する有用性の裏付けがされたと主張する。しかし,出願後において,薬理試験データに相当する臨床研究の結果を提出して,医薬についての用途発明の裏付けを充足することは,発明の公開を前提に特許を付与するという特許制度の趣旨に反し許されず,原告の主張は失当である。
イ 原告は,仮に,法36条6項1号の要件が,同条4項1号の要件と同一であるとの解釈を前提としたとしても,本願明細書の発明の詳細な説明の記載は,その要件を満たすと主張する。
しかし,原告の前記主張は理由がない。すなわち,本願明細書の発明の詳細な説明には,薬理試験系が記載されていないから,?どのような薬理試験系において適用し,?どのような結果が得られたのかは明らかでなく,?その薬理試験系が請求項に係る医薬発明の医薬用途とどのような関連性があるのかは明らかでない。したがって,法36条6項1号の要件が,同条4項1号の要件と同一であるとの解釈を前提とした場合に,その要件を充足するとの原告の主張も,理由がない。
当裁判所の判断
当裁判所は,審決が,法36条6項1号所定の「特許請求の範囲の記載は,・・・特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」との要件を満たすためには,医薬の用途発明では「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をする」ことが必要であると同項を解釈し,本願の特許請求の範囲は,同項1号の要件を満たさないとした点には,誤りがあると判断する。
その理由は,以下のとおりである。
1 法36条4項1号と同条6項1号の関係について(1) 法36条4項1号と6項1号の各規定の趣旨法36条は,特許出願をする際に提出する願書に記載すべき事項について要件を定めているが,このうち,願書に添付する明細書の「発明の詳細な説明」に係る記載に関しては法36条4項1号が,願書に添付する「特許請求の範囲」に係る記載に関しては同条6項1号等が,それぞれ記載すべき要件を峻別して規定している。
すなわち,法36条4項1号は,「発明の詳細な説明」の記載については,「発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他のその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が発明の技術上の意義を理解するために必要な事項」(特許法施行規則24条の2)により「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものである」ことを,その要件として定めている。同規定の趣旨は,特許制度は,発明を公開した者に対して,技術を公開した代償として一定の期間の独占権を付与する制度であるが,仮に,特許を受けようとする者が,第三者に対して,発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他の発明の技術上の意義を理解するために必要な事項を開示することなく,また,発明を実施するための明確でかつ十分な事項を開示することなく,独占権の付与を受けることになるのであれば,有用な技術的思想創作である発明を公開した代償として独占権が与えられるという特許制度の目的を失わせることになりかねず,そのような趣旨から,特許明細書の「発明の詳細な説明」に,上記事項を記載するよう求めたものである。
これに対して,法36条6項1号は,「特許請求の範囲」の記載について,「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」を要件としている。同号は,特許権者は,業として特許発明実施をする権利を専有すると規定され,特許発明技術的範囲は,願書に添付した「特許請求の範囲の記載」に基づいて定めなければならないと規定されていること(法68条,70条1項)を実効ならしめるために設けられた規定である。仮に,「特許請求の範囲」の記載が,「発明の詳細な説明」に記載・開示された技術的事項の範囲を超えるような場合に,そのような広範な技術的範囲にまで独占権を付与することになれば,当該技術を公開した範囲で,公開の代償として独占権を付与するという特許制度の目的を逸脱するため,そのような特許請求の範囲の記載を許容しないものとした。例えば,「発明の詳細な説明」における「実施例」等の記載から,狭い,限定的な技術的事項のみが開示されていると解されるにもかかわらず,「特許請求の範囲」に,その技術的事項を超えた,広範な技術的範囲を含む記載がされているような場合には,同号に違反するものとして許されない。
このように,法36条6項1号の規定は,「特許請求の範囲」の記載について,「発明の詳細な説明」の記載とを対比して,広すぎる独占権の付与をを排除する趣旨で設けられたものである。
(2) 法36条6項1号への適合性判断について「特許請求の範囲の記載」が法36条6項1号に適合するか否か,すなわち「特許請求の範囲の記載」が「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものである」か否かを判断するに当たっては,その前提として「発明の詳細な説明」がどのような技術的事項を開示しているかを把握することが必要となる。そして,法36条6項1号の規定は,「特許請求の範囲」の記載に関してその要件を定めた規定であること,及び,発明の詳細な説明において開示された技術的事項と対比して広すぎる独占権の付与を排除するために設けられた規定であることに照らすならば,同号の要件の適合性を判断する前提としての「発明の詳細な説明」の開示内容の理解の在り方は,上記の点を判断するのに必要かつ合理的な方法によるべきである。他方,「発明の詳細な説明」の記載に関しては,法36条4項1号が,独立して「発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他の・・・技術上の意義を理解するために必要な事項」及び「(発明の)実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載した」との要件を定めているので,同項所定の要件への適合性を欠く場合は,そのこと自体で,その出願は拒絶理由を有し,又は,独立の無効理由(特許法123条1項4号)となる筋合いである。そうであるところ,法36条6項1号の規定の解釈に当たり,「発明の詳細な説明において開示された技術的事項と対比して広すぎる独占権の付与を排除する」という同号の趣旨から離れて,法36条4項1号の要件適合性を判断するのと全く同様の手法によって解釈,判断することは,同一事項を二重に判断することになりかねない。仮に,発明の詳細な説明の記載が法36条4項1号所定の要件を欠く場合に,常に同条6項1号の要件を欠くという関係に立つような解釈を許容するとしたならば,同条4項1号の規定を,同条6項1号のほかに別個独立の特許要件として設けた存在意義が失われることになる。
したがって,法36条6項1号の規定の解釈に当たっては,特許請求の範囲の記載が,発明の詳細な説明の記載の範囲と対比して,前者の範囲が後者の範囲を超えているか否かを必要かつ合目的的な解釈手法によって判断すれば足り,例えば,特許請求の範囲が特異な形式で記載されているため,法36条6項1号の判断の前提として,「発明の詳細な説明」を上記のような手法により解釈しない限り,特許制度の趣旨に著しく反するなど特段の事情のある場合はさておき,そのような事情がない限りは,同条4項1号の要件適合性を判断するのと全く同様の手法によって解釈,判断することは許されないというべきである。
以下,本件について,上記の観点から検討する。
2 審決の理由について審決は,以下の(1),(2)のとおり述べて,本願に係る発明の詳細な説明において,「フリバンセリン類の性欲障害治療用薬剤としての有用性を裏付ける薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載がない」ことを根拠として,本願は,法36条6項1号の要件を満たさないと判断した(下線は,当裁判所が付した。)。すなわち,(1)「医薬についての用途発明においては,一般に,有効成分の物質名,化学構造だけからその有用性を予測することは困難であり,発明の詳細な説明に有効量,投与方法,製剤化のための事項がある程度記載されている場合であっても,それだけでは当業者が当該医薬が実際にその用途において有用性があるか否かを知ることができないから,特許を受けようとする発明が,発明の詳細な説明に記載したものであるというためには,発明の詳細な説明において,薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすることにより,その用途の有用性が裏付けられている必要があり,発明の詳細な説明にそれがなされていないならば,特許請求の範囲の記載は,法36条6項1号に規定する要件を満たさないものであるといわなければならない。」(審決書2頁22行〜31行)(2)「これを本願明細書についてみると,本願の請求項1に係る発明は,「場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩形態にあってもよいフリバンセリンの,性欲障害治療用薬剤を製造するための使用」であるが,請求項1には,場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩形態にあってもよいフリバンセリン(以下,『フリバンセリン類』ともいう。)を性欲障害治療用薬剤を製造するためにどのように『使用』するのかはなんら特定されていない。
一方,本願の発明の詳細な説明には,本願発明について,『性的不全に悩む男性及び女性の患者の研究において,場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩の形態にあってもよいフリバンセリンが,性欲強化特性を示すことが分かった。従って,本発明は,場合により薬理学的に酸付加塩の形態にあってもよいフリバンセリンの,性欲障害治療用薬剤を製造するための使用に関する。』(本願明細書段落【0003】)と説明されている。
そうすると,本願発明は,フリバンセリン類が性欲強化特性という新たな薬理効果を有することを見いだし,この発見に基づいてなされた性欲障害治療用薬剤という医薬用途発明に関するものと認められるから,本願発明が,本願明細書の発明の詳細な説明に記載されているものであるというためには,発明の詳細な説明において,フリバンセリン類の性欲障害治療用薬剤としての有用性を裏付ける薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすることにより,その用途の有用性が裏付けられている必要がある。
そこで,本願明細書の記載を検討すると,フリバンセリン類の性欲障害治療剤としての有用性を裏付ける薬理データといえるものは,本願明細書の発明の詳細な説明に何ら記載されていない。」(審決書2頁32行〜3頁20行)「本願明細書の発明の詳細な説明の(a)〜(f)の記載は,・・・フリバンセリン類が性欲障害治療用薬剤として有用であることを裏付ける薬理データと同視すべき程度の記載とはいえない。したがって,本願明細書の発明の詳細な説明には,本願発明の医薬としての有用性を裏付ける薬理データも薬理データと同視すべき程度の記載もなされていない。・・・以上のとおり,本願は,特許法第36条第6項第1号に規定する要件を満たしていない。」(審決書5頁23行〜6頁7行)3 審決の理由の当否について(1)審決は,本願について,「特許請求の範囲」の記載と「発明の詳細な説明」の記載の範囲を対比して,前者の範囲が後者の範囲を超えているか否かを判断したのではなく,要するに,特許明細書の「発明の詳細な説明」には,フリバンセリン類の性欲障害治療用薬剤としての「有用性を裏付ける薬理データ又はそれと同視すべき程度」の記載がされていないことのみを理由として,法36条6項1号所定の要件を満たしていないとするものである。
しかし,「発明の詳細な説明」に「有用性を裏付ける薬理データ又はそれと同視すべき程度」の記載がされていない限り,法36条6項1号所定の要件を満たさないことを肯定するに足りる論拠は述べられていないというべきである。
ア審決は,その理由中において,「医薬についての用途発明においては,一般に,有効成分の物質名,化学構造だけからその有用性を予測することは困難であり,発明の詳細な説明に有効量,投与方法,製剤化のための事項がある程度記載されている場合であっても,それだけでは当業者が当該医薬が実際にその用途において有用性があるか否かを知ることができないから,特許を受けようとする発明が,発明の詳細な説明に記載したものであるというためには,発明の詳細な説明において,薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすることにより,その用途の有用性が裏付けられている必要があ(る)」(審決書2頁22行〜29行)と述べている。同部分は,法36条4項1号の要件充足性を判断する前提との関係では,同号の趣旨に照らし,妥当する場合があることは否定できない。
すなわち,法36条4項1号は,特許を受けることによって独占権を得るためには,第三者に対し,発明が解決しようとする課題,解決手段,その他の発明の技術上の意義を理解するために必要な情報を開示し,発明を実施するための明確でかつ十分な情報を提供することが必要であるとの観点から,これに必要と認められる事項を「発明の詳細な説明」に記載すべき旨を課した規定である。そして,一般に,医薬品の用途発明が認められる我が国の特許法の下においては,「発明の詳細な説明」の記載に,用途の有用性を客観的に検証する過程が明らかにされることが,多くの場合に妥当すると解すべきであって,検証過程を明らかにするためには,医薬品と用途との関連性を示したデータによることが,最も有効,適切かつ合理的な方法であるといえるから,そのようなデータが記載されていないときには,その発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されていないとされる場合は多いといえるであろう。
しかし,審決が,法36条6項1号の要件充足性との関係で,「発明の詳細な説明において,薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすることにより,その用途の有用性が裏付けられている必要があ(る)」と述べている部分は,特段の事情のない限り,薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすることが,必要不可欠な条件(要件)ということはできない。法36条6項1号は,前記のとおり,「特許請求の範囲」と「発明の詳細な説明」とを対比して,「特許請求の範囲」の記載が「発明の詳細な説明」に記載された技術的事項の範囲を超えるような広範な範囲にまで独占権を付与することを防止する趣旨で設けられた規定である。そうすると,「発明の詳細な説明」の記載内容に関する解釈の手法は,同規定の趣旨に照らして,「特許請求の範囲」が「発明の詳細な説明」に記載された技術的事項の範囲のものであるか否かを判断するのに,必要かつ合目的的な解釈手法によるべきであって,特段の事情のない限りは,「発明の詳細な説明」において実施例等で記載・開示された技術的事項を形式的に理解することで足りるというべきである。
したがって,審決が,発明の詳細な説明に「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすることにより,その用途の有用性が裏付けられている」ように記載されていない限り,特許請求の範囲の記載は,法36条6項1号に規定する要件を満たさないとした部分は,常に妥当するものではなく,そのことのみを理由として,法36条6項1号に反するとした判断は,特段の事情があればさておき,このような特段の事情がない限りは,理由不備があるというべきである。
イそして,審決は,理由中において,発明の詳細な説明の具体的な記載の検討をし,「本願明細書の発明の詳細な説明には,本願発明の医薬としての有用性を裏付ける薬理データも薬理データと同視すべき程度の記載もなされていない。」として,本願は,法36条6項1号所定の要件を満たさないと結論付けた。
しかし,審決は,発明の詳細な説明の記載によって理解される技術的事項の範囲を,特許請求の範囲との対比において,検討したのではなく,「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載」があるか否かのみを検討して,そのような記載がないことを理由として,法36条6項1号の要件充足性がないとしたものであって,本願の特許請求の範囲の記載が,どのような理由により,発明の詳細な説明で記載された技術的事項の範囲を超えているかの具体的な検討をすることなく,同条6項1号所定の要件を満たさないとした点において,理由不備の違法があるというべきである。また,本件においては,「特許請求の範囲」が特異な形式で記載され,法36条6項1号の要件を充足しないと解さない限り,産業の発展を阻害するおそれが生じるなど特段の事情は存在しない。
ウ被告は,知財高裁大合議部判決が,特性値を表す複数の技術的な変数(パラメータ)を用いた一定の数式により示される範囲をもって特定した物を含む発明に係る「特許請求の範囲の記載」に関して,平成6年法律第116号による改正前の特許法36条5項1号(現行法36条6項1号)の規定に適合しないとした判決の理由を,医薬用途発明に適用するならば,発明の詳細な説明に「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載」をすることが,法36条6項1号の適合性を充足するための要件になると主張する。
しかし,被告の主張は,以下のとおり,採用できない。
すなわち,知財高裁大合議部判決は,前記のとおり,特性値を表す複数の技術的な変数(パラメータ)を用いた一定の数式により示される範囲をもって特定した物を含む発明に係る「特許請求の範囲の記載」が,平成6年法律第116号による改正前の特許法36条5項1号所定(現行法36条6項1号)の要件に適合するか否かについて,同争点に対して判示した事案である。同判決は,判決理由中の第6の1(4)において,「発明の詳細な説明に記載された発明と特許請求の範囲に記載された発明との対比」との項目を設けて,「発明の詳細な説明の記載」で示された実施例と比較例とを検討した上で,「当該数式が示す範囲内であれば,所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に,具体例を開示して記載しているとはいえ」ないと判示し,さらに,同判決理由中の第6の1(5)において,「特許請求の範囲に記載された発明の範囲まで,発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できるとはいえないのに,・・・その内容を特許請求の範囲に記載された発明の範囲まで拡張ないし一般化し,明細書のサポート要件に適合させることは,発明の公開を前提に特許を付与するという特許制度の趣旨に反し許されない」と判示した。
以上のとおり,知財高裁大合議部判決の判示は,?「特許請求の範囲」が,複数のパラメータで特定された記載であり,その解釈が争点となっていること,?「特許請求の範囲」の記載が「発明の詳細な説明」の記載による開示内容と対比し,「発明の詳細な説明」に記載,開示された技術内容を超えているかどうかが争点とされた事案においてされたものである。
これに対し,本件は,?「特許請求の範囲」が特異な形式で記載されたがために,その技術的範囲についての解釈に疑義があると審決において判断された事案ではなく,また,?「特許請求の範囲」の記載と「発明の詳細な説明」の記載とを対比して,前者の範囲が後者の範囲を超えていると審決において判断された事案でもない。知財高裁大合議部判決と本件とは,上記各点において,その前提を異にする。したがって,被告が,知財高裁大合議部判決の判示内容を医薬用途発明に適用すれば,発明の詳細な説明に「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載」をすることが,法36条6項1号の適合性を充足するための要件になると主張する点は,本件において,同様に適用されるための前提を欠く。
したがって,知財高裁大合議部判決の判示を論拠として,医薬品の用途発明である本件について,発明の詳細の記載に薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載がないから,法36条6項1号の要件を満たさないとすべきであるとの被告の主張は,採用の限りでない。
エ以上検討したとおり,審決は,法36条6項1号の要件を満たすためには,常に「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載がないこと」が必要であるとの前提に立って,本願では,「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載がないこと」のみを理由に,同条6項1号の要件を充足しないとしたものであって,審決の判断には,理由不備の違法がある。
(2)以上のとおり,審決の判断には,法36条6項1号についての誤った前提に基づいて,その要件を満たさないとした点において理由不備の違法がある。のみならず,具体的な事案に照らしても,以下のとおり,法36条6項1号に適合しないとした審決の判断には誤りがある。
ア 「特許請求の範囲」と「発明の詳細な説明」の各記載本願発明の特許請求の範囲には,「場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩形態にあってもよいフリバンセリンの,性欲障害治療用薬剤を製造するための使用。」と記載されている。
他方,本願明細書(甲3,4)の発明の詳細な説明には,以下のとおりの記載がある。
「【0001】本発明は,性欲障害治療用薬剤を製造するためのフリバンセリンの使用に関する。・・・【0003】フリバンセリンは,5-HT 及び5-HT-レセプターに対す1A 2る結合性を示す。従って,それは,種々の疾患,例えば,うつ病,精神分裂症及び不安などの治療に対して,将来有望な治療剤である。性的不全に悩む男性及び女性の患者の研究において,場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩の形態にあってもよいフリバンセリンが,性欲強化特性を示すことが分かった。従って,本発明は,場合により薬理学的に酸付加塩の形態にあってもよいフリバンセリンの,性欲障害治療用薬剤を製造するための使用に関する。好ましい実施態様においては,本発明は,・・・フリバンセリンの,性的欲求低下障害(Hypoactive Sexual Desire Disorder),性欲の喪失(loss),性欲の不足(lack),性欲の低下(decrease),性欲の抑制(inhibit),リビドーの喪失,リビドーの混乱(disturbance)及び不感症(frigidity)からなる群より選ばれる疾患治療用薬剤を製造するための使用に関する。より好ましい本発明は,・・・フリバンセリンの,性的欲求低下障害,性欲の喪失,性欲の不足,性欲の低下及び性欲の抑制からなる群より選ばれる疾患治療用薬剤を製造するための使用に関する。
特に好ましくは・・・フリバンセリンの,性的欲求低下障害及び性欲の喪失からなる群より選ばれる疾患治療用薬剤を製造するための使用に関する。
【0004】フリバンセリンの観察される効果は,男性及び女性において達成され得る。しかしながら,本発明の更なる態様によれば,・・・フリバンセリンの,女性の性的不全治療用薬剤を製造するための使用が好ましい。フリバンセリンの有益な効果は,混乱(disturbance)が一生存続するか又は獲得されたか否かにかかわらず,また,病因(・・・)から独立して観察され得る。フリバンセリンは,場合によりその薬理学的に許容可能な酸付加塩の形態で使用することができる。適切な酸付加塩としては,例えば,・・・塩酸塩及び臭化水素酸塩,特に塩酸塩が好ましい。
【0005】場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩の形態で使用することができるフリバンセリンは,固体,液体又はスプレー形態の従来の医薬製品に導入することができる。その組成物は,例えば,経口投与,直腸投与,非経口投与又は点鼻に適する形態であってもよく:好ましい形態としては,例えば,カプセル,タブレット,被覆タブレット,アンプル,座薬及び鼻スプレーが挙げられる。活性成分は,医薬組成物中に従来から使用されている賦形剤又はキャリヤー,例えば,タルク,・・・ポリソルベート80中に導入することができる。組成物は,有利には,投与単位中に配合され,各投与単位は,活性成分の単回投与量を供給するように適合化される。1日あたりに適切な投与量範囲は,好ましくは,1.0〜300mgであり,より好ましくは2〜200mgである。各投与単位は,便宜的に,0.01〜100mg,好ましくは,0.1〜50mgを含んでいてもよい。
【0006】適切なタブレットは,・・・同様に,タブレットのコーティングは,おそらくは,タブレットについて上述した賦形剤を用いて,遅延放出を達成するために多くの層又は複数の層からなっていてもよい。
【0007】本発明によれば,活性物質を含むシロップ又はエリキシル又はそれらの組み合せが,更に,甘味料,・・・又は防腐剤,例えば,p-ヒドロキシベンゾエートを含んでいてもよい。注入溶液は,通常の方法で,例えば,防腐剤,・・・の添加により製造することができ,また,注入バイアル又はアンプル中に移送することができる。1又はそれより多くの活性物質又は活性物質の組み合せを含むカプセルは,例えば,・・・それらをゼラチンカプセルにパックすることにより製造することができる。
適切な坐薬は,例えば,・・・それらの誘導体との混合により製造することができる。以下の実施例により,本発明を説明するが,これらは本発明を制限するものではない。」また,本願明細書の発明の詳細な説明の段落【0008】ないし【0013】には,医薬配合物の実施例として,A)フリバンセリン塩酸塩100mg含有タブレット,B)フリバンセリン塩酸塩80mg含有タブレット,C)フリバンセリン塩酸塩5mg含有被覆タブレット,D)フリバンセリン塩酸塩150mg含有カプセル,E)フリバンセリン塩酸塩50mg含有アンプル溶液,F)フリバンセリン塩酸塩50mg含有座薬の6つの製剤について,各製剤の構成成分,タブレット当たりの成分量及び製造方法に関する記載がある。
イ 判断上記によれば,本願発明における「特許請求の範囲」は,「発明の詳細な説明」の記載内容を超えた技術的範囲を記載しているものとはいえない。
すなわち,本願明細書の「発明の詳細な説明」には,?性的不全に悩む男性及び女性の患者の研究において,場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩の形態にあってもよいフリバンセリンが,性欲強化特性を示すこと,?性的欲求低下障害(Hypoactive Sexual Desire Disorder),性欲の喪失(loss),性欲の不足(lack),性欲の低下(decrease),性欲の抑制(inhibit),リビドーの喪失,リビドーの混乱(disturbance)及び不感症(frigidity)からなる群より選ばれる疾患治療用薬剤を製造するために使用されること,?フリバンセリンの有益な効果は,病因から独立して観察され得ること,?女性の性的不全治療用薬剤を製造するための使用が好ましいこと,?適切な酸付加塩の例示として,塩酸塩及び臭化水素酸塩を挙げ,特に塩酸塩が好ましいこと,?医薬配合物の実施例として,タブレット(2つ),有被覆タブレット,カプセル,アンプル溶液,座薬の6つの製剤について,各製剤の構成成分,成分量及び製造方法等が記載されている。
そうすると,本願発明の特許請求の範囲の「場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩形態にあってもよいフリバンセリンの,性欲障害治療用薬剤を製造するための使用。」との記載に係る技術的事項は,上記発明の詳細な説明に記載,開示された事項を超えるものではないと解される。
なるほど,本願明細書の発明の詳細な説明においては,「フリバンセリンが,性欲強化特性を有する」等の技術的事項が確かであること等の論証過程に関する具体的な記載はされていない。
しかし,発明の詳細な説明に記載された技術的事項が確かであること等の論証過程に解する具体的な記載を欠くとの点については,専ら,法36条4項1号の趣旨に照らして,その要件の充足を判断すれば足りるのであって,法36条6項1号所定の要件の充足の有無の前提として判断すべきでないことは,前記説示のとおりである(なお,発明の詳細な説明に記載された技術的事項が確かであるか否か等に関する具体的な論証過程が開示されていない場合において,法36条4項1号所定の要件を充足しているか否かの判断をするに際しても,たとえ具体的な記載がなくとも,出願時において,当業者が,発明の解決課題,解決手段等技術的意義を理解し,発明を実施できるか否かにつき,一切の事情を総合考慮して,結論を導くべき筋合いである。)。
4 結論以上のとおり,審決には,本願に係る特許請求の範囲の記載は,法36条6項1号の要件を満たしていないとした点に,理由不備の違法がある。原告主張の取消事由は理由があり,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 飯村敏明
裁判官 大須賀滋
裁判官 齊木教朗