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関連審決 不服2002-12383
関連ワード 製造方法 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  技術常識 /  置換 /  容易に想到(容易想到性) /  実施 /  拒絶査定 /  請求の範囲 / 
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事件 平成 15年 (行ケ) 498号 審決取消請求事件
原告 住友化学株式会社(旧商号住友化学工業株式会社)
訴訟代理人弁理士 辻邦夫,辻良子
被告 特許庁長官小川洋
指定代理人 城所宏,中西一友,高橋泰史,大橋信彦,井出英一郎
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2004/11/08
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 特許庁が不服2002−12383号事件について平成15年9月29日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
原告の求めた裁判
主文と同旨の判決
事案の概要
本件は,特許出願をした原告が,拒絶査定を受けたので,上記査定に対する審判を請求したところ,審判は成り立たない旨の審決があったため,同審決の取消しを求めた事案である。
1 特許庁における手続の経緯 (1) 原告は,平成6年12月22日,発明の名称を「3-5族化合物半導体結晶の製造方法」とする特許出願をした。
(2) 原告は,平成14年5月17日に拒絶査定を受けたので,同年7月4日,拒絶査定に対する審判を請求した(不服2002-12383号事件)。
(3) 特許庁は,平成15年9月29日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,同年10月14日,その謄本を原告に送達した。
2 特許請求の範囲の記載(平成15年7月23日付手続補正書(甲2の4)による補正後のもの)【請求項1】反応管内で,原料として分子中に少なくともGaを有する3族有機金属化合物と分子中にNを有する化合物とを用いてこれを同時に供給し,3族元素として少なくともGa,5族元素として少なくともNを含有する3-5族化合物半導体結晶を,該3-5族化合物半導体結晶とは異なる材料の基板上に成長させるに当たり,該化合物半導体結晶の成長開始前に,ハロゲン化水素からなる群から選ばれた少なくとも1種のガスを導入し,反応管内壁を気相エッチングすることにより該内壁の堆積物を除去することを特徴とする3-5族化合物半導体結晶の結晶性と表面モルフォロジーとを改善する方法。
【請求項2】反応管内で,後記の3-5族化合物半導体結晶とは異なる材料の基板上に,バッファー層を成長させ,その上に原料として,分子中に少なくともGaを有する3族有機金属化合物と分子中にNを有する化合物とを用いてこれを同時に供給し,3族元素として少なくともGa,5族元素として少なくともNを含有する3-5族化合物半導体結晶を成長させるに当たり,該バッファー層の成長開始前に,ハロゲン化水素からなる群から選ばれた少なくとも1種のガスを導入し,反応管内壁を気相エッチングすることにより該内壁の堆積物を除去することを特徴とする3-5族化合物半導体結晶の結晶性と表面モルフォロジーとを改善する方法。
【請求項3】バッファー層が,GaZAl1-ZN(式中,0≦Z≦1)またはZnOから選ばれたものからなることを特徴とする請求項2記載の方法。
【請求項4】反応管内壁に加えてさらに基板を気相エッチングすることを特徴とする請求項1〜3いずれかに記載の方法。
【請求項5】3-5族化合物半導体がGaN,GaXAl 1-XN(式中,0【請求項6】ハロゲン化水素からなる群から選ばれた少なくとも1種のガスが,塩化水素であることを特徴とする請求項1〜5いずれかに記載の方法。
【請求項7】サセプタ上が1000〜1200℃になるように加熱して実施することを特徴とする請求項1〜6いずれかに記載の方法。
3 審決の理由 審決の理由は,以下のとおりであるが,要するに,請求項1に記載された発明(以下「本願発明1」という。)は,後記の刊行物1,2記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり,請求項2ないし7に記載された発明について検討するまでもなく,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない,というものである。
(1) 審決が引用した刊行物 刊行物1:特開平4-297023号公報(本訴甲4) 刊行物2:特開昭59-65427号公報(本訴甲5) (2) 引用刊行物記載の発明 ア 刊行物1には, (ア)「【請求項2】基板の上に,一般式がGaXAl 1-XN(但しXは0【請求項3】窒化ガリウム系化合物半導体の上に,一般式がGaXAl 1-XN(但しXは0請求の範囲) (イ) 「本発明はサファイア等の基板上に,窒化ガリウム系化合物半導体の結晶を成長させる方法に関し,特に結晶性の優れた窒化ガリウム系半導体化合物のエピタキシャル層の成長方法に関する。」(【0001】,産業上の利用分野) (ウ) 「また,MOCVD法を用いてサファイア基板上に直接成長された,例えばGaN層の表面は,6角ピラミッド状,ないしは6角柱状の成長パターンとなって無数の凹凸ができ,その表面モフォロジーが極めて悪くなる欠点がある。表面に無数の凹凸がある表面モフォロジーの極めて悪い半導体の結晶層を使用して青色発光デバイスを作ることは,非常に歩留が悪く,ほとんど不可能であった。このような問題を解決するために,窒化ガリウム系化合物半導体の結晶を成長させる前に,基板上にAlNのバッファ層を成長させる方法が提案されている{Appl. Phys. Lett 48,(1986).353,(アプライド フィズィックス レターズ 48巻,1986年,353頁,および特開平2-229476号公報}。この方法は,サファイア基板上に,成長温度400〜900℃の低温で,膜厚が100〜500オングストロームのAlNのバッファ層を設けるものである。この方法はバッファ層であるAlN層上にGaNを成長させることによって,GaN半導体層の結晶性および表面モフォロジーを改善できる特徴がある。」(【0004】〜【0005】) (エ) 「図8に示す装置を用いて窒化ガリウム系化合物半導体の結晶成長を行った。[実施例1]下記の工程でサファイア基板にGaNのエピタキシャル層を4μmの膜厚で成長させた。
@ 洗浄された2インチφのサファイア基板をサセプター2の上に載せる。
A ステンレス製の反応容器1内の空気を,排気ポンプ6で排気した後,さらに内部をH2で置換する。
B その後,H2ガスを反応ガス噴射管4と,反応容器1上部の副噴射管5とから,反応容器1内に供給しながら,サセプター2をヒータ3によって1060℃まで加熱する。
C この状態を10分間保持し,サファイア基板表面の酸化膜を除去する。
D 次にサセプター2の温度を500℃まで下げて,温度が安定するまで静置する。
E 続いて副噴射管5からH2とN 2の混合ガスを供給し,反応ガス噴射管4からアンモニアガスとH2ガスの混合ガスを供給する。副噴射管5から供給するH 2ガスとN 2ガスの流量はそれぞれ10リットル/分,反応ガス噴射管4から供給するアンモニアガスの流量は4リットル/分,H2ガスの流量は1リットル/分とし,この状態でサセプター2の温度が500℃に安定するまで待つ。
F その後,バッファー層を形成するため,反応ガス噴射管4からアンモニアガスとH2ガスに加えて,TMG(トリメチルガリウム)ガスを2.7×10-5モル/分で1分間流す。
G 次にTMGガスのみを止めて,バッファ層の成長を止める。ここで膜厚0.02μmのバッファ層が形成できた。さらに他のガスは流しながらサセプター2の温度を1000℃まで上昇させる。
H サセプター2の温度が1020℃まで上昇した後,反応ガス噴射管4からアンモニアガスとH2ガスに加えて,TMGガスを5.4×10-5モル/分の流量で60分間供給して,GaNエピタキシャル層を,4.0μmの膜厚で成長させる。この間,副噴射管5から常にH2とN 2ガスを前述の条件で供給し続け,反応ガスで反応容器内が汚染されないようにしている。またサセプター2は均一に結晶が成長するように,モータ7で5rpmで回転させる。なお当然のことではあるが,ガスを供給している間,排気ポンプ6の配管と分岐した排気管8から,供給しているガスを外部へ放出している。上記のようにしてサファイア基板上に,膜厚0.02μmのGaNバッファ層,その上に4μmのGaNエピタキシャル層を成長させた。」(【0023】) (オ) 「[実施例5]Fのバッファ層を形成する工程において,実施例2と同様の条件で,Ga0.5Al 0.5Nのバッファ層を0.02μmの膜厚で形成し,Hにおいて,反応ガス噴射管4からアンモニアガスとH2ガスに加えて,TMAガスを2.7×10-5モル/分,TMGガスを2.7×10-5モル/分の流量で60分間供給して,Ga 0.5Al 0.5Nエピタキシャル層を4.0μmの膜厚で成長させる他は,実施例1と同様にして,サファイア基板上に,膜厚0.02μmのGa0.5Al 0.5Nバッファ層と,その上に4μmのGa0.5Al 0.5Nエピタキシャル層を成長させた。」(【0031】)が,それぞれ記載されている。
イ 刊行物2(特開昭59-65427号公報)には, (ア) 「コールドウォール型の成長装置では,原料ガスの分解そのものは加熱された基板部分のみで生ずるが,生成したV-X族化合物や,V族元素は,拡散および反応容器内のガスの流れによって運ばれ,反応容器内壁一面に付着する。これら付着物は…中略…基板設置時あるいは成長中に付着物の微少な粉末が基板上に落下すると表面状態を悪くする。…中略…このため通常は各成長ごとに反応容器を成長装置から取り外して洗浄することが行われるが,これは単に煩雑で時間を要するばかりでなく,反応容器内壁や基板設置台などが水分,空気にさらされるため成長結晶の品質に悪影響を与える。」(1頁右下欄19行〜2頁左上欄15行) (イ) 「本発明は,…中略…,反応容器を取り外すことなく内壁の付着物を完全に気相エッチングによって取り除くことが可能となる気相成長装置を…中略…得ることを目的とする。」(2頁右上欄16行〜20行) (ウ) 「この付着物(7)を取り除くには,基板取出口(2)より基板を取出した後,反応管加熱用発熱体(9)(10)を図に示した位置に置き,これを基板加熱に用いたのと同じ高周波コイル(8)で加熱しつつ反応管内に塩化水素ガスを流せばよい…中略…反応管内壁全体を清浄にするには,発熱体(9)(10)の一部が高周波コイル(8)からはずれるような位置におけばよい。」(2頁右下欄5行〜17行及び第1図) (エ) 「また,反応管を毎回取り外して王水などで洗浄して付着物を取り除いた場合に比べ,GaAlAsのフォトルミネセンス強度は著しく強くなり,反応管内の汚染が防止されていることが示された」(2頁右下欄18行〜3頁左上欄1行)が,それぞれ記載されている。
(3) 対比・判断 窒化ガリウム系化合物半導体が,3-5族化合物半導体として周知であることを前提に,上記(2)ア(ア)〜(オ)を総合すれば, 刊行物1には,「『@ サファイア基板をサセプター2の上に載せる工程。
A 反応容器1内の空気を,排気ポンプ6で排気した後,さらに内部をH2で置換する工程。
B その後,H2ガスを反応容器1内に供給しながら,サセプター2をヒータ3によって加熱する工程。
C 該状態を一定時間保持し,上記基板表面の酸化膜を除去する工程。
D 次にサセプター2の温度を下げて,温度が安定するまで静置する工程。
E 続いて反応容器1内にH2とN 2の混合ガスとアンモニアガスとH 2ガスの混合ガスを供給しサセプター2の温度が安定するまで待つ工程。
F バッファー層を形成するため,アンモニアガスとH2ガスに加えて,TMG(トリメチルガリウム)ガスを流す工程。
G 次にTMGガスのみを止めて,バッファ層の成長を止める工程。』によって,サファイア基板上に,GaNのバッファ層を成長させ,3-5族化合物の結晶性および表面モフォロジーを改善させる方法」の発明(以下「刊行物1記載の発明」という)が記載されているといえる。
本願発明1と刊行物1記載の発明とを対比すると, 刊行物1記載の発明の「反応容器」,「TMG(トリメチルガリウム)ガス」,「アンモニアガス」,「アンモニアガスとH2ガスに加えて,TMG(トリメチルガリウム)ガスを流す工程」,「3-5族化合物の結晶性および表面モフォロジーを改善させる」は,本願発明1の「反応管」,「分子中に少なくともGaを有する3族有機金属化合物」,「分子中にNを有する化合物」,「同時に供給」,「3-5族化合物半導体結晶の結晶性と表面モルフォロジーとを改善する」に相当するから,両者は,「反応管内で,原料として分子中に少なくともGaを有する3族有機金属化合物と分子中にNを有する化合物とを用いてこれを同時に供給し,3族元素として少なくともGa,5族元素として少なくともNを含有する3-5族化合物半導体結晶を,該3-5族化合物半導体結晶とは異なる材料の基板上に成長させることを特徴とする3-5族化合物半導体結晶の結晶性と表面モルフォロジーとを改善する方法。」で一致し,以下の点で相違している。
相違点:本願発明1が,化合物半導体結晶の成長開始前に「ハロゲン化水素からなる群から選ばれた少なくとも1種のガスを導入し,反応管内壁を気相エッチングすることにより該内壁の堆積物を除去する」のに対し,刊行物1記載の発明では,その点がない点。
以下,相違点について検討する 上記(2)イ(ア)〜(エ)によれば,刊行物2には,「反応容器内壁一面に付着したV-X族化合物の微少な粉末が基板上に落下すると表面状態を悪くするので,加熱しつつ反応管内に塩化水素ガスを流すことにより完全に気相エッチングによって取り除く」旨記されており,前記「塩化水素ガス」は,「ハロゲン化水素からなる群から選ばれた少なくとも1種のガス」である点,及び,刊行物2記載の発明も,刊行物1記載の発明もともに3-5族化合物半導体結晶の成長方法である点は,当該記載より明らかである。
してみれば,刊行物1記載の発明である「3-5族化合物半導体結晶の結晶性と表面モルフォロジーとを改善する方法」に刊行物2に記載の「V-X族化合物の微少な粉末を加熱しつつ反応管内に塩化水素ガスを流すことにより完全に気相エッチングによって取り除く」発明を適用して本願発明1を構成することに格別な阻害要件も認められないから,当業者が適宜なし得たことである。
そして,本願発明1の構成による格別な効果も認められない。
(4) まとめ 上記のとおりであるから,本願発明1は,刊行物1,2記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められる。
(5) むすび 以上のとおりであるから,本願の請求項2〜7に係る発明について検討するまでもなく,本願発明1は,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
当事者の主張
1 原告主張の審決取消事由 (1) 取消事由1(刊行物1記載の発明に刊行物2に記載の発明の適用容易性についての判断の誤り) 審決は,「刊行物1記載の発明である「3-5族化合物半導体結晶の結晶性と表面モルフォロジーとを改善する方法」に刊行物2に記載の「V-X族化合物の微少な粉末を加熱しつつ反応管内に塩化水素ガスを流すことにより完全に気相エッチングによって取り除く」発明を適用して本願発明1を構成することに格別な阻害要件も認められないから,当業者が適宜なし得たことである。」と判断したが,以下のとおり,誤りである。
ア 刊行物2には,MOCVD法によってGaAsあるいはGaAlAsの半導体(ガリウムヒ素系化合物半導体)結晶を気相成長させるときに,反応管内壁に,GaAs,GaAlAs及びAs等からなる付着物が付着すること,この付着物は,反応管加熱用発熱体を高周波コイルで加熱しつつ反応管内に塩化水素ガスを流す操作(HClガスによるエッチング)によって,取り除くことができることが記載されている。そして,HClガスによるエッチングによって付着物を取り除く操作は,反応管内壁に付着したガリウムヒ素系化合物等を塩化水素と反応させて化学的に分解し,分解物をキャリアガスとともに反応管から排気するものであって,付着物の酸による化学的な分解(酸分解)を本質とする。
イ これに対し,刊行物1に記載されたMOCVD法による窒化ガリウム半導体結晶の気相成長法では,コールドウォール型反応容器の内壁に,原料ガス(TMG(トリメチルガリウム)ガスとアンモニアガス)の分解に伴って生成する窒化ガリウム(GaN)が付着堆積するが,甲7,8によると,窒化ガリウムは無機酸に対し極めて安定的であるとされており,このことは本願発明1の特許出願当時における当業者の常識であった。
刊行物2記載の発明は,上記のように,酸分解を本質とするものであるから,これを適用するに当たっては,対象となる物質が酸に対し反応性を有することが不可欠であり,酸に対し不活性であるということは,刊行物2記載の発明を適用することの阻害要因となる。
ウ したがって,刊行物1,2記載の発明が共にV-X族化合物半導体結晶の成長方法であるとしても,技術常識上酸に不活性であるとされている窒化ガリウムを対象とする刊行物1記載の発明に,酸分解を本質とする刊行物2記載の発明を適用することは,当事者が容易に想到できるものではない。
(2) 取消事由2(顕著な作用効果の看過) 審決は,「本願発明1の構成による格別な効果も認められない。」とするが,誤りである。
本願発明1は,その構成によって,内壁の堆積物を除去し,生産性,製品物性の安定性を損なわず,再現性よく結晶性及び表面モルフォロジーの優れたエピタキシャル結晶層を得ることができるという顕著な技術的効果を奏するものであるが,この技術的効果は,刊行物1及び2に記載された従来技術によって奏される効果ではなく,また,これらから予期することができた効果でもない。
2 被告の反論 (1) 取消事由1(刊行物1記載の発明に刊行物2に記載の発明の適用容易性についての判断の誤り)に対して ア 刊行物2には,V-X族化合物半導体結晶についての具体的な例示(例えばGaN)はないが,本願出願前,V-X族化合物の気相成長において,V族元素として少なくともGa,X族元素としてNを有するV-X族化合物半導体結晶は周知であったから,刊行物2にも,実質的に,V族元素として少なくともGa,X族元素としてNを有するV-X族化合物が記載されているということができる。
そして,刊行物2は,従来技術に相当する記載として,V-X族化合物の気相成長の際に,反応容器内壁の付着物を反応容器を取り外すことなく完全に取り除くには,付着物の付いた反応容器全体を加熱し,エッチング性のガス,例えば塩化水素ガスを流せばよいことを示しているから,V族元素として少なくともGa,X族元素としてNを有するV-X族化合物の気相成長の際にも,塩化水素ガスを流せばよいことを示唆しているのである。
イ また,窒化ガリウムが無機酸に対し極めて安定的であるということは,本願発明の特許出願当時における当業者の常識ではなく,むしろ,当該技術分野においては,酸の状態,すなわち,熱の加わり方,液体か気体かなどによって,溶解性,分解性等の反応が変わることが知られており,これが当時の技術常識であった。
そして,甲7,8は,液体状態における窒化ガリウムの酸に対する反応について言及するにとどまり,気体状態における酸に対する反応についてまでは言及していないところ,例えば,特開平1-94624号公報(乙9)には,ハロゲン化水素の一つであるHF(フッ化水素)が液体状態と気体状態とでその性質を大きく異にすることが示されている。さらに,特開昭50-42785号公報(乙7)には,窒化ガリウムがリン酸でエッチングされることが記載され,特開平1-278025号公報(乙8)には,AlXGa 1-XN(0≦X≦1)半導体に関するエッチングの従来技術の一つとして,「リン酸と硫酸の混合比1:2〜1:5の混合液を用いて,温度180℃〜250℃においてウェットエッチングする方法」があることが記載され,また,特開昭61-56474号公報(乙10)や特開平5-206088号公報(乙11)には,窒化ガリウムが,塩化水素ガスを含む気体雰囲気中での熱処理により,あるいはHCl,HBrの加熱反応によるガスエッチングにより分解除去されるものであることが記載されているから,窒化ガリウムが酸に対し不活性であるとしても,このことが刊行物2記載の発明を適用することの阻害要因となるものではない。
ウ したがって,刊行物1記載の発明に刊行物2記載の発明を適用することは,当事者が容易に想到できたものである。
(2) 取消事由2(顕著な作用効果の看過)に対して 窒化ガリウム系化合物半導体結晶の気相成長法において,再現性よく結晶性及び表面モルフォロジーの優れたエピタキシャル結晶層を得ることができるという効果自体,刊行物1に記載されているし,反応管内壁の堆積物を除去し,生産性,製品物性の安定性を損なわず,再現性よく結晶性及び表面モルフォロジーの優れたエピタキシャル結晶層を得ることができるという効果も,刊行物2を含め本願出願前によく知られていた技術常識から,当業者が予測することができたのであるから,本願発明1の効果は,刊行物1,2及び本願出願前の技術常識から予測できる程度のもので,格別なものではない。
当裁判所の判断
1 取消事由1(刊行物1記載の発明に刊行物2に記載の発明の適用容易性についての判断の誤り)について (1) 刊行物1記載の発明について 刊行物1記載の発明は, 「『@ サファイア基板をサセプター2の上に載せる工程。
A 反応容器1内の空気を,排気ポンプ6で排気した後,さらに内部をH2で置換する工程。
B その後,H2ガスを反応容器1内に供給しながら,サセプター2をヒータ3によって加熱する工程。
C 該状態を一定時間保持し,上記基板表面の酸化膜を除去する工程。
D 次にサセプター2の温度を下げて,温度が安定するまで静置する工程。
E 続いて反応容器1内にH2とN 2の混合ガスとアンモニアガスとH 2ガスの混合ガスを供給しサセプター2の温度が安定するまで待つ工程。
F バッファー層を形成するため,アンモニアガスとH2ガスに加えて,TMG(トリメチルガリウム)ガスを流す工程。
G 次にTMGガスのみを止めて,バッファ層の成長を止める工程。
H サセプター2の温度が1020℃まで上昇した後,反応ガス噴射管4からアンモニアガスとH2ガスに加えて,TMGガスを5.4×10-5モル/分の流量で60分間供給して,GaNエピタキシャル層を,4.0μmの膜厚で成長させる工程。』によって,サファイア基板上に,GaNのバッファ層を成長させ,3-5族化合物の結晶性および表面モフォロジーを改善させる方法」である(当事者間に争いがない。)。
そして,刊行物1記載の発明と本願発明1とを対比すると,両者は,「反応管内で,原料として分子中に少なくともGaを有する3族有機金属化合物と分子中にNを有する化合物とを用いてこれを同時に供給し,3族元素として少なくともGa,5族元素として少なくともNを含有する3-5族化合物半導体結晶を,該3-5族化合物半導体結晶とは異なる材料の基板上に成長させることを特徴とする3-5族化合物半導体結晶の結晶性と表面モルフォロジーとを改善する方法」で一致し,「本願発明1が,化合物半導体結晶の成長開始前に「ハロゲン化水素からなる群から選ばれた少なくとも1種のガスを導入し,反応管内壁を気相エッチングすることにより該内壁の堆積物を除去する」のに対し,刊行物1記載の発明では,その点がない点」で相違する(当事者間に争いがない。)。
(2) 刊行物2記載の発明について 刊行物2(甲5)には,次の記載がある。
「Ga,Al,InなどのV属元素とP,As,SbなどのX族元素よりなるV-X族化合物半導体は高速動作素子,光素子用材料として極めて重要である。これらの材料の気相成長方法の一つであるV属元素のアルキル化合物と,X族元素の水素化合物もしくはアルキル化合物を用いるいわゆるMOCVD法(・・・)はその液晶組成,成長速度などの制御性の良さや,量産性に優れている等の特長があり,極めて有力な気相成長方法である。」(1頁左下欄19行ないし右下欄8行) 「コールドウォール型の成長装置では,原料ガスの分解そのものは加熱された基板部分のみで生ずるが,生成したV-X族化合物や,V族元素は,拡散および反応容器内のガスの流れによって運ばれ,反応容器内壁一面に付着する。これら付着物は多量に付くと,再蒸発や反応容器の熱的条件を変化させることにより組成や成長速度の変動を引起こす。また基板設置時あるいは成長中に付着物の微少な粉末が基板上に落下すると表面状態を悪くする。」(1頁右下欄19行ないし2頁左上欄8行) 「反応容器内壁の付着物を反応容器を取り外すことなく完全に取り除くには,付着物の付いた反応容器全体を加熱し,エッチング性のガス,例えば塩化水素ガスを流せばよい。」(2頁左上欄16行ないし19行) 「本発明は,・・・反応容器を取り外すことなく内壁の付着物を完全に気相エッチングによって取り除くことが可能となる気相成長装置を極めて簡単,安価な方法により得ることを目的とする。」(2頁右上欄16行ないし20行) 「以下実施例を用いて本発明を詳細に説明する。第1図は本発明の一実施例であり,トリメチルガリウム(TMGa),トリメチルアルミニウム(TMAl)とアルシン(AsH3)を用いたGaAsおよびGaAlAsのMOCVD装置の一例の断面図である。・・・原料ガス導入口(3)からTMGaとTMAlおよびAsH3がキャリアガスと共に送られ,高周波コイル(8)によって基板は加熱され,熱分解反応によりGaAsあるいはGaAlAsが基板上に析出する。この時,すでに述べたように反応管内壁にはGaAs,GaAlAs,As等からなる付着物(7)が付着する。
次にこの付着物(7)を取り除くには,基板取出口(2)より基板を取出した後,反応管加熱用発熱体(9)(10)を図に示した位置に置き,これを基板加熱に用いたのと同じ高周波コイル(8)で加熱しつつ反応管内に塩化水素ガスを流せばよい。」(2頁左下欄8行ないし右下欄9行) 以上の記載によると,刊行物2には,「V-X族化合物であるGaAs又はGaAlAsの半導体結晶(ガリウムヒ素系化合物半導体)の成長方法において,反応容器内に塩化水素ガスを流し,反応容器内壁を気相エッチングすることにより該内壁に付着したGaAs,GaAlAs,As等からなる付着物を取り除くこと」が記載されていると認められる。
(3) そこで,刊行物1記載の発明に刊行物2に記載されていると認められる上記の発明を適用することが容易であるか否かについて検討する。
ア 審決は,「刊行物2には,「反応容器内壁一面に付着したV-X族化合物の微少な粉末が基板上に落下すると表面状態を悪くするので,加熱しつつ反応管内に塩化水素ガスを流すことにより完全に気相エッチングによって取り除く」旨記されており,前記「塩化水素ガス」は,「ハロゲン化水素からなる群から選ばれた少なくとも1種のガス」である点,及び,刊行物2記載の発明も,刊行物1記載の発明もともに3-5族化合物半導体結晶の成長方法である点は,当該記載より明らかである。」として,刊行物1記載の発明に刊行物2に記載されていると認められる発明を適用して本願発明1を構成することに格別な阻害要件も認められないとする。
イ ところで,刊行物1に記載されたV-X族化合物半導体結晶は,V族元素として少なくともGa,X族元素として少なくともNを含有するV-X族化合物半導体結晶,すなわち窒化ガリウム系化合物半導体結晶であるのに対し,刊行物2に記載されたV-X族化合物半導体結晶は,ガリウムヒ素系化合物であるGaAs又はGaAlAsの半導体結晶であって,刊行物2には窒化ガリウム系化合物半導体結晶についての記載はない。
V族元素(B,Ga,Al,In)とX族元素(N,P,As,Sb等)を含有する化合物であるV-X族化合物からなる半導体化合物には,多種の化合物が知られているところ(このことは,例えば,株式会社サイエンスフォーラム発行の「最新化合物半導体ハンドブック」(甲9)110頁左欄第4段落,右欄表-2,共立出版株式会社発行の「薄膜作製ハンドブック」(乙2)270頁表2.5上欄の各記載から明らかである。),化学物質の性質(質的な性質,量的な性質,物理的な性質,化学的な性質など)は,一般的に,元素の種類が違えば同族の元素単体であっても異なることが多く,化合物となった場合にはさらに同じ族でも異なっていることが多いのであって,このことは広く知られているところである。
そして,窒化ガリウム系化合物とガリウムヒ素系化合物の酸に対する反応についてみるのに,ガリウムヒ素系化合物については,刊行物2に,前記(2)のとおり,「V-X族化合物であるGaAs又はGaAlAsの半導体結晶(ガリウムヒ素系化合物半導体)の成長方法において,反応容器内に塩化水素ガスを流し,反応容器内壁を気相エッチングすることにより該内壁に付着したGaAs,GaAlAs,As等からなる付着物を取り除くこと」が記載されているのに対し,窒化ガリウム系化合物については,例えば,共立出版発行の「化学大辞典5」縮刷版(甲7)の窒化ガリウムの項に「酸にはきわめて安定で,濃硫酸と熱時ゆっくり反応するだけである」と記載され,CHEMICAL ABSTRACTS SERVICE発行の「CHEMICAL ABSTRACTS Vol.71, No10, 1969.9.8」(甲8)に「GaNは,concd. H2SO 4,HClあるいはHNO 3の作用をほとんど受けない」と記載されているから,これらの記載によれば,両者は酸に対する反応が相違することがうかがわれる。
ウ 審決は,上記アのとおり,「刊行物2記載の発明も,刊行物1記載の発明もともに3-5族化合物半導体結晶の成長方法である」として,刊行物1記載の発明に刊行物2に記載された発明を適用して本願発明1を構成することに格別な阻害要件も認められないとしたが,その際,窒化ガリウム系化合物とガリウムヒ素系化合物の酸に対する反応の相違について,何ら検討していないし,本訴においても,この相違を架橋するに足りる技術的要因を認めるべき主要,立証はない。すなわち,刊行物2のガリウムヒ素系化合物を例示とするV-X族化合物に関する知見を一般化して窒化ガリウム系化合物に適用することができるというような技術常識があることは格別うかがえないから,刊行物2記載の発明も,刊行物1記載の発明も,共にV-X族化合物半導体結晶の成長方法であるということのみを根拠として,刊行物1記載の発明に刊行物2に記載の発明を適用することの容易性について判断した審決は,当該技術分野における一般的な技術常識に基づくものであるとはいえず,したがって,審決の判断には誤りがあるといわざるを得ない。
(4) 被告の主張について ア 被告は,本願出願前,V-X族化合物の気相成長において,窒化ガリウム系化合物半導体結晶は周知であったから,刊行物2にも,実質的に,窒化ガリウム系化合物が記載されているということができるし,また,刊行物2は,窒化ガリウム系化合物の気相成長の際にも,塩化水素ガスを流せばよいことを示唆していると主張する。
確かに,刊行物2にはV-X族化合物半導体結晶の成長方法が記載されており,また,窒化ガリウム系化合物は,V-X族化合物の一つである(このことは,原告も争わない。)。しかし,前記のとおり,化学物質の性質は,元素の種類が違えば同族の元素単体であっても異なることが多く,化合物となった場合にはさらに同じ族でも異なっていることが多いのであって,現に窒化ガリウム系化合物とガリウムヒ素系化合物とでは,酸に対する反応が相違することが認められるのである。そして,刊行物2のガリウムヒ素系化合物を例示とするV-X族化合物に関する知見を一般化して窒化ガリウム系化合物に適用することができるというような技術常識があることは格別うかがえないから,窒化ガリウム系化合物も,ガリウムヒ素系化合物も共にV-X族化合物であるとしても,刊行物2に,窒化ガリウム系化合物について実質的に記載されているということはできず,また,刊行物2が,窒化ガリウム系化合物の気相成長の際,反応容器内壁の付着物を取り除くためには塩化水素ガスを流せばよいことを示唆しているということもできない。被告の上記主張は採用することができない。
イ また,被告は,甲7,8は,気体状態における窒化ガリウムの酸に対する反応についてまでは言及していないし,乙7ないし11の記載によれば,窒化ガリウムが酸に対し不活性であるとしても,このことが刊行物2記載の発明を適用することの阻害要因となるものではないと主張する。
しかし,甲7,甲8が液体状態における窒化ガリウムの酸に関する知見であり,また,例えば,乙9によれば,HF(フッ化水素)が液体状態と気体状態とでその性質を大きく異にすることが認められるとしても,このことから,窒化ガリウムが,気体状態において酸に反応すると認めることはできない。そして,気体状態において,ガリウムヒ素系化合物と窒化ガリウム系化合物とが酸に対し同様の性質をもつものであり,かつ,このことが当業者の技術常識であると認めるに足りる証拠はないし,被告が本訴において提出した乙7ないし11によっても,本願出願当時において,刊行物2に記載された技術を刊行物1記載の発明に阻害要因がなく適用できることを裏付けるような技術常識の存在を認めることはできない。
そうであれば,V-X族化合物の溶解性,分解性等の反応が,酸の状態,すなわち,熱の加わり方,液体か気体かなどによって,変わるものであるとしても,窒化ガリウムが酸に対し不活性であるということは,通常,刊行物1の発明に刊行物2記載の発明を適用することの阻害要因となるといわなければならない。
したがって,被告の上記主張は採用することができない。
2 以上によれば,刊行物1記載の発明に刊行物2記載の発明を適用することの容易性についての審決の判断には誤りがあり,かつ,この誤りは審決の結論に影響を及ぼすものであると認められるから,原告の主張する取消事由1は理由がある。
したがって,その余の取消事由について判断するまでもなく,審決は取り消されるべきである。
裁判長裁判官 塚原朋一
裁判官 塩月秀平
裁判官 野輝久