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事件 平成 18年 (ネ) 10075号 特許権侵害差止請求控訴事件
控訴人バクスター株式会社
訴訟代理人弁護士山上和則,末吉亙,宮原正志,渡邊肇,三好豊,野口祐子, 高橋元弘,藤川義人
訴訟代理人弁理士山本秀策,森下夏樹, ?谷剛志
補佐人弁理士長谷部真久
被控訴人アボット・ラボラトリーズ
被控訴人セントラル硝子株式会社
両名訴訟代理人弁護士岡田春夫,小池眞一,森博之,中西淳,長谷川裕,木村 美樹,川中陽子
両名訴訟復代理人弁護士鈴木潤
両名補佐人弁理士小野誠,大崎勝真
裁判所 知的財産高等裁判所
判決言渡日 2009/04/23
権利種別 特許権
訴訟類型 民事訴訟
主文 1原判決を取り消す。
2被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
3訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人らの負担とする。
4被控訴人アボット・ラボラトリーズにつき,この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
全容
第1控訴の趣旨主文1ないし3項と同旨第2事案の概要控訴人及び被控訴人らは,いずれも,医薬品の製造,販売等を業とする法人である。
本件は,発明の名称を「フルオロエーテル組成物及び,ルイス酸の存在下におけるその組成物の分解抑制法」とする後記本件特許に係る特許権を共有する被控訴人らが,原判決別紙物件目録記載の製品(以下「控訴人製品」という。)の生産方法(後記控訴人方法)は後記本件特許発明技術的範囲に属すると主張して,特許法2条3項3号,68条本文,100条1項の規定に基づき,控訴人製品の輸入及び販売の準備をしている控訴人に対して,控訴人製品の輸入,販売及び販売の申出の差止めを求める事案である。
原審における本件の争点は,?@控訴人方法の後記構成c及びeがそれぞれ本件特許発明の後記構成要件C及びEを充足するか,?A控訴人方法の後記構成dが本件特許発明の後記構成要件D(容器の内壁をルイス酸抑制剤で被覆する工程)を充足するか,?B本件特許が,いわゆるサポート要件を満たしていない特許出願に対してされたものとして特許無効審判により無効にされるべきものと認められるか,?C本件特許が,いわゆる実施可能要件を満たしていない特許出願に対してされたものとして特許無効審判により無効にされるべきものと認められるか,?D本件特許が,いわゆる明確性の要件を満たしていない特許出願に対してされたものとして特許無効審判により無効にされるべきものと認められるか,?E本件特許が,所定の要件を満たしていない補正をした特許出願に対してされたものとして特許無効審判により無効にされるべきものと認められるか,である。
原判決は,本件特許発明物を生産する方法の発明に該当する(なお,この点は,原審において,当事者間に争いがなかった。)とした上,上記?@及び?Aについて,控訴人方法の上記各構成がそれぞれ本件特許発明の上記各構成要件を充足するものと認め,他方,上記?Bないし?Eについて,いずれも,本件特許が特許無効審判により無効にされるべきものとは認められないと判断し,結局,被控訴人らの請求はいずれも理由があるものとしてこれを認容した。
そこで,控訴人は,本件控訴に及び,当審において,?F本件特許発明物を生産する方法の発明に該当すること(上記差止請求の可否)を争うとともに,本件特許発明は,?G新規性を欠く発明,?H進歩性を欠く発明又は?I未完成の発明であるから,本件特許は特許法29条の規定に違反してされたものとして特許無効審判により無効にされるべきものと認められるとの各抗弁を追加提出するなどした。
当裁判所は,上記?Aについて,控訴人方法の構成dが本件特許発明構成要件Dを充足するものとは認められないと判断し,その余の点について判断するまでもなく,被控訴人らの請求はいずれも理由がないものとして,原判決を取り消した上,被控訴人らの請求をいずれも棄却するものであり,その理由は以下のとおりである。
1前提事実本件における前提事実は,次のとおり削除訂正するほかは,原判決の「第2事案の概要」の「1前提事実」に摘示のとおりであるから,これを,ここに引用する。
(1)原判決2頁25行目から3頁8行目までを次のとおり改める。
「ア被控訴人らは,次の特許(以下「本件特許」といい,本件特許に係る明細書(甲13)を「本件明細書」という。)に係る特許権(以下「本件特許権」という。)を共有している(甲13)。
(ア)特許番号:第3664648号(イ)発明の名称:「フルオロエーテル組成物及び,ルイス酸の存在下におけるその組成物の分解抑制法」(ウ)特許出願日:平成12年11月16日(平成14年法律第24号による改正前の特許法44条1項の規定に基づく新たな特許出願)(エ)特許出願番号:特願2000-349024号(オ)もとの特許出願日:平成10年1月23日(国際出願)(カ)もとの特許出願番号:特願平10-532168号(キ)パリ条約に基づく優先権主張:1997(平成9)年1月27日,米国(ク)設定登録日:平成17年4月8日」(2)原判決4頁4行目から9行目までを削る。
2争点及び当事者の主張争点及び当事者の主張は,次のとおり加除訂正し,後記「第3当審における当事者の主張」を付加するほかは,原判決の「第2事案の概要」の「2争点」及び「第3争点に関する当事者の主張」に摘示のとおりであるから,これを,ここに引用する。
(1)原判決7頁19行目末尾の次に「について」を加える。
(2)原判決8頁5行目の「甲6」を「甲6の1」と,11行目の「22の1」を「21の1」とそれぞれ改める。
(3)原判決15頁17行目の「また,本発明の麻酔薬組成物は」を削る。
(4)原判決16頁25行目から26行目にかけての「19及び20頁)並びに米国イリノイ州北部地方裁判所」を「20項)及びイリノイ北地区東部連邦地方裁判所における関連訴訟」と改める。
(5)原判決19頁18行目の「甲42の4」を「甲42の2」と改める。
(6)原判決21頁4行目の「甲25」を「甲25の1」と,6行目の「米国関連訴訟」を「本件米国関連訴訟」とそれぞれ改める。
(7)原判決22頁4行目から5行目にかけての「B016166」の次に「頁」を加える。
(8)原判決23頁26行目の「the」から24頁1行目の「inhibitor」までを「the epoxy phenolic liner is, in practice, not an effective inhibitor」と改める。
(9)原判決24頁12行目の「・2」を削り,22行目の「36頁5行」を「36頁5行ないし11行」と改める。
(10)原判決25頁5行目の「300ppm以下」を「300ppm未満」と,6行目の「甲37(2)」を「甲37(乙11につき,被控訴人らが提出した訳文である。以下同じ。)の(2)」と,26行目の「ルイス酸」を「ルイス酸抑制剤」とそれぞれ改める。
(11)原判決26頁24行目から25行目にかけての「化合物であっても」の次に「,その反応性は」を加える。
(12)原判決30頁7行目の「甲25」を「甲25の1」と,18行目及び20行目から21行目にかけての各「ルイス酸抑制剤」をいずれも「ルイス酸」とそれぞれ改める。
(13)原判決31頁20行目の「4-ヒドロキシ-メチルペンタノン」を「4-ヒドロキシ-4-メチルペンタノン」と改める。
(14)原判決32頁4行目の「15項」を「14項」と改める。
(15)原判決34頁3行目の「塩素または」を「塩酸又は」と改める。
(16)原判決35頁21行目の「。」を「,」と改める。
(17)原判決36頁2行目の「特許法70条2項」を「改正前特許法70条2項」と改める。
(18)原判決39頁18行目の「親出願」を「本件特許発明に係るもとの特許出願(以下「本件原出願」という。)」と改める。
(19)原判決41頁18行目から19行目にかけての「ルイス酸抑制剤を」を「ルイス酸抑制剤で」と改める。
(20)原判決42頁17行目の「使用できる」を「使用することができる」と,18行目の「ボトル・アンプル・試験管・ビーカー」を「,ボトル,アンプル,試験管,ビーカー」とそれぞれ改める。
(21)原判決43頁9行目の「平成14年改正特許法」から10行目の「平成14年改正前特許法36条4項」までを「改正前特許法36条4項」と,11行目の「特許法123条1項4号」を「改正前特許法123条1項4号」と,18行目の「定義された」を「記載された」と,20行目の「反応速度」を「反応」とそれぞれ改める。
(22)原判決44頁5行目の「本件親出願の出願当初明細書」を「本件原出願の願書に最初に添付した明細書(乙37(外国語特許出願に係る明細書等の翻訳文)。
以下「本件原出願当初明細書」という。)」と改める。
(23)原判決47頁1行目及び13行目の各「反応速度」をいずれも「反応」と,12行目の「早い」を「大きい」とそれぞれ改める。
(24)原判決48頁17行目の「119℃」の次に「でオートクレーブする」を加える。
(25)原判決51頁16行目の「平成14年改正特許法」から17行目から18行目にかけての「平成14年改正前特許法17条の2第3項」までを「改正前特許法17条の2第3項」と,同行目の「特許法123条1項1号」を「改正前特許法123条1項1号」と,20行目の「本件明細書」を「本件分割出願当初明細書」とそれぞれ改める。
(26)原判決52頁4行目,6行目から7行目にかけて,15行目及び18行目の各「本件明細書」をいずれも「本件分割出願当初明細書」と,23行目の「本件出願当初のクレーム及び明細書」を「本件分割出願当初明細書(特許請求の範囲の記載を含む。)」とそれぞれ改める。
(27)原判決53頁1行目の「本件補正後のクレーム」を「本件各補正後の本件特許発明」と改め,2行目の「本件特許発明の範囲に」を削り,4行目の「本件明細書」を「本件分割出願当初明細書」と,13行目の「特許法123条1項1号」を「改正前特許法123条1項1号」とそれぞれ改める。
(28)原判決55頁4行目から5行目にかけての「本件特許発明の範囲」を「本件各補正後の本件特許発明技術的範囲」と,8行目及び22行目の各「本件明細書」をいずれも「本件分割出願当初明細書」と,8行目から9行目にかけての「ルイス酸抑制剤」を「セボフルランを含まないルイス酸抑制剤」とそれぞれ改め,10行目から11行目にかけての「,かかる拡張36条1項1号違反とはならない適法なものであるから」及び12行目から19行目までをいずれも削る。
第3当審における当事者の主張1当審における新たな争点(1)控訴人方法の構成d(以下,控訴人方法の各構成を,単に「構成d」などということがある。)が本件特許発明構成要件D(以下,本件特許発明の各構成要件を,単に「構成要件D」などということがある。)を充足するか。
構成要件Dの「被覆」が,「洗浄」,「すすぎ洗い」及び「回転機に約2時間かけること」に限定されるか(争点2-6)。
構成要件Dの「容器」が,セボフルランを充填する時点において,内壁に付着しているルイス酸をルイス酸抑制剤の被覆により中和する必要のある容器に限定されるか(争点2-7)。
(2)本件特許発明物を生産する方法の発明に該当するか(争点7)。
(3)本件特許が特許無効審判により無効にされるべきものと認められるか。
ア本件特許が特許法29条1項各号の規定に違反してされたといえるか(争点8)。
イ本件特許が特許法29条2項の規定に違反してされたといえるか(争点9)。
ウ本件特許が特許法29条1項柱書の規定に違反してされたといえるか(争点10)。
2当事者の主張(1)争点2-3(構成dの「エポキシフェノリックレジンのラッカー」がルイス酸抑制効果を有するか)について(被控訴人らの主張)アルイス酸の抑制の程度について控訴人は,「構成要件Dの『該容器の該内壁を空軌道を有するルイス酸の当該空軌道に電子を供与するルイス酸抑制剤で被覆する工程』とは,本件特許発明が医薬品グレードのセボフルランを貯蔵する方法に係る発明である点にかんがみれば,セボフルランの通常の保管状態及び保管期間において,医薬品として販売することのできる程度にまでセボフルランの分解を抑制し得るルイス酸抑制剤を容器内壁に被覆する工程を意味する」と主張する。
しかしながら,本件特許発明は,容器を「ルイス酸抑制剤で被覆」する点において,従来技術にはみられない特許性のある特徴が認められたものであり,本件特許発明の目的は,セボフルランが通常使用される環境において,容器内壁に存在し得るルイス酸による分解を限度として,当該分解が抑制されたセボフルランを実現することにある。つまり,本件特許発明は,セボフルラン中に混入するルイス酸による当該セボフルランの分解を抑制することまでをも目的とするものではないし,その効果としても,「医薬品として販売することのできる程度にまでセボフルランの分解を抑制し得る」ことまでを求めるものではない。
かかる本件特許発明の目的・効果からすれば,本件特許発明については,容器内壁に存在し得るルイス酸との中和反応が起こりさえすれば十分であるから,控訴人の上記主張は失当である。
イセボフルランの配置後の分解の抑制について控訴人は,「本件特許発明の効果は,?@容器内壁にルイス酸が存在する場合のみならず,?A貯蔵期間や貯蔵条件によって容器内壁にルイス酸が発生する場合に起こり得るセボフルランのルイス酸による分解を抑制することにある(甲33(被控訴人セントラル硝子の常務執行役員A(以下『A』という。)の陳述書(2))1〜2頁)」,「したがって,構成要件Dのルイス酸抑制剤は,セボフルランを容器内に配置した後に容器内に発生するルイス酸によるセボフルランの分解をも抑制することができる必要がある」などと主張する。
しかしながら,本件特許発明の目的は,セボフルランが通常使用される環境において,容器内壁に存在し得るルイス酸による分解を限度として,当該分解が抑制されたセボフルランを実現することにあり,この目的のためには,ルイス酸抑制剤で容器を被覆することで足りる。すなわち,本件特許発明においては,「被覆」する時点で,ルイス酸抑制剤と容器内壁のルイス酸が接触して中和反応が生じることが重要であり(甲40(Aの陳述書(4))参照),「被覆」した後に,当該被覆が覆い被された状態で固化し,そのまま残存するかどうかは,本件特許発明との関係では付加的な事項にすぎない。
この点に関し,控訴人は,本件明細書の段落【0030】の記載を挙げるが,同記載は,組成物の調製法に関するものであって,本件特許発明に関するものではないから,同記載をもって,本件特許発明において,被覆後においても,本件特許発明の本質的効果(容器内壁をルイス酸抑制剤で被覆することによって,容器内壁に存在し得るルイス酸によるセボフルランの分解を抑制すること)を奏することが求められるということはできない。
また,控訴人は,甲33(Aの陳述書(2))の記載を挙げるが,同記載は,本件特許発明の予防的効果(どのようなルイス酸がどのような状況に置かれた場合にセボフルランの分解が促進されるのかについて事前に完全に予測することは難しい面もあることから,想定し得るいかなる場合においてもあらかじめ対応するため,たとえ,ルイス酸性の弱いルイス酸(ルイス酸となり得る物質)であっても,予防的にこれを抑制しておくこと。換言すれば,ルイス酸抑制剤で容器内壁を被覆することにより,ルイス酸となり得る物質が,貯蔵期間や貯蔵条件によってセボフルランを分解し得るルイス酸となることを未然に予防的に抑制すること)を説明したものにすぎない。
以上のとおり,構成要件Dのルイス酸抑制剤が,被覆後にもルイス酸抑制効果を奏することまで求められるものでないことは明らかであるから,控訴人の上記主張は理由がない。
ウ被覆の後セボフルランが配置される前のルイス酸について控訴人は,「構成要件Dのルイス酸抑制剤は,容器内壁に被覆した時点で容器内壁に既に存在していたルイス酸を中和するだけでなく,セボフルランを充填するまでの間又は充填する際に容器内壁に新たに付着するルイス酸をも中和することのできるものでなければならない」,「構成dは,容器内壁に塗布したエポキシフェノリックレジン(以下『EPR』ということがある。)によっても,その後のセボフルランの充填に至るまでの間に容器内壁に新たに付着するルイス酸を抑制することはできないのであるから,構成要件Dを充足しない」などと主張する。
しかしながら,本件特許発明は,構成要件Dの被覆工程直後にセボフルランを充填すると限定されるものではなく,最終製品たるセボフルラン製剤を生産する容器をルイス酸抑制剤で被覆すれば,本件特許発明の本質的効果は生じ得る(とりわけ,容器の製造工程において,容器表面にルイス酸が付着する可能性が十分にある以上,容器の製造工程において容器を被覆することによるルイス酸抑制効果は十分にあり得る。)。
また,上記のとおり,本件特許発明は,ルイス酸抑制剤の被覆によってルイス酸抑制効果を奏することが重要であって,被覆後に当該被覆が覆い被された状態で固化し,そのまま残存するかどうかは,本件特許発明との関係では付加的工程にすぎない。
したがって,仮に,被覆後の固化したEPRがルイス酸抑制効果を奏しないとしても,そのことをもって,構成dが構成要件Dを充足しないということはできない。
よって,控訴人の上記主張は失当である。
エEPRの被膜による物理的遮断効果について(ア)控訴人は,「構成dのEPRは,固体化した被膜となり,容器内壁とセボフルランとを物理的に遮断するものである」として,「EPRの被覆前に存在していたルイス酸によるセボフルランの分解の抑制は,化学的なルイス酸の中和反応により実現されるのではなく,上記物理的遮断により実現されるものであ(る)」と主張する。
(イ)しかしながら,EPRのラッカー(以下「EPRラッカー」ということがある。)は,これを容器内壁に塗布する際には,流動性のあるものであるから,固体となったEPRのみを前提とする控訴人の上記主張は,その前提を欠くものといわざるを得ない。
(ウ)また,EPRを含む樹脂は,C-C-C結合,C-O-C結合等から成る長鎖の分子によって構成されているところ,この分子鎖は緩やかに絡み合い,伸縮するため,分子鎖間に隙間が存在する。水,溶媒,ガス等の物質は,分子レベルでは樹脂の分子鎖の隙間に入り込めるほど小さいため,隙間に入り込み,移動する。
そのため,樹脂がガスや液の透過性を有することは,当業者の技術常識である(甲57)。そして,透過を完全に防ぐためには,樹脂膜に300μm以上の厚さが必要であるといわれている(甲58)ところ,構成dのEPRの被膜(以下「EPR被膜」という。)は,その厚さが最大でも12μmにすぎず(甲59),透過を防ぐには不十分である。したがって,構成dにおいては,充填したセボフルランがEPR被膜を透過することにより,容器内壁に存在し得るルイス酸と反応することが十分に考えられるものである。
しかるに,甲76の実験成績証明書のとおり,活性化したガラス瓶の内壁にEPRラッカーを塗布してEPR被膜を形成した上,セボフルランの分解実験を行ったところ,40℃の高温下で6週間にわたってセボフルランの分解が抑制されたのであるから,セボフルランの分解の抑制は,控訴人が主張する「物理的遮断」によって実現されるのではなく,化学的なルイス酸の中和反応により実現されるものであるというべきである。
(エ)なお,EPR被膜が損傷を受けた場合,控訴人が主張する物理的遮断によって,ルイス酸によるセボフルランの分解を抑制することができないことは明らかである。
(控訴人の主張)アルイス酸の抑制の程度について構成要件Dの「該容器の該内壁を空軌道を有するルイス酸の当該空軌道に電子を供与するルイス酸抑制剤で被覆する工程」とは,本件特許発明が医薬品グレードのセボフルランを貯蔵する方法に係る発明である点にかんがみれば,セボフルランの通常の保管状態及び保管期間において,医薬品として販売することのできる程度にまでセボフルランの分解を抑制し得るルイス酸抑制剤を容器内壁に被覆する工程を意味する。したがって,仮に,構成dのEPRがルイス塩基としての性質を有し,何らかのルイス酸を中和し得るとしても,EPRが,セボフルランの通常の保管状態及び保管期間において,医薬品として販売することのできる程度にまでセボフルランの分解が抑制され安定している状態を達成していなければ,構成dが構成要件Dを充足するとはいえない。
しかしながら,被控訴人らが提出する甲31証明書及び甲32証明書に記載されたセボフルランは,「医薬品として販売することのできる程度にまで分解が抑制され安定している状態」にはない。医薬品として販売するためには,通常の保存状態における総分解生成物が,英米においては300ppm以下,日本においてはそれ以下であると考えられる(甲5)ところ,上記各証明書に記載された実験においては,総分解生成物がこれらの基準をはるかに上回っている。
その他,構成dのEPRが,医薬品として販売することのできる程度にまでセボフルランの分解を抑制し得るルイス酸抑制剤であることについての立証はない。
イセボフルランの配置後の分解の抑制について本件特許発明の効果は,?@容器内壁にルイス酸が存在する場合のみならず,?A貯蔵期間や貯蔵条件によって容器内壁にルイス酸が発生する場合に起こり得るセボフルランのルイス酸による分解を抑制することにある(甲33(Aの陳述書(2))1〜2頁)。このことは,本件明細書(段落【0030】)に,すべてのルイス酸抑制剤を乾燥により除去しないと記載されていることからも明らかである。
したがって,構成要件Dのルイス酸抑制剤は,セボフルランを容器内に配置した後に容器内に発生するルイス酸によるセボフルランの分解をも抑制することができる必要がある。これを控訴人方法についてみれば,EPRが固化し,セボフルランが充填された後であっても,EPRがルイス酸抑制剤として作用しない限りは,本件特許発明の作用効果が奏されるとはいえない。
ところで,構成dのEPRは,固体であるから,その分子がルイス酸と接触する回数は極めて少なく,ルイス酸との反応が起こらない。また,接触点の数からみても,本件明細書には,ルイス酸として,いずれも固体のもの(例えば,ガラス,活性アルミナ)が記載され,被控訴人らが主張するルイス酸(さび等)も固体であるところ,一般に,物質は,固体同士であると,二,三の点でしか接触することがない(なお,固体の粒子が球状であれば,その接触点は1点である。)から,ルイス酸とルイス酸抑制剤の双方が固体である場合には,理論的にみてほとんど反応は起こらない(乙28,35の1,38の1,39の1参照)。
そうすると,固化した後(セボフルランの配置後)のEPRは,ルイス酸を抑制することができないのであるから,構成要件Dの「ルイス酸抑制剤」に該当しない。
ウ被覆の後セボフルランが配置される前のルイス酸について本件特許発明の目的は,セボフルランの製造,輸送,貯蔵工程等,セボフルランがさらされる環境下において存在し得るルイス酸によるセボフルランの分解を抑制することにある。
しかるに,ルイス酸抑制剤で容器内壁を被覆することによって,容器内壁に存在するルイス酸を中和させたとしても,セボフルランの製造,輸送,貯蔵工程等において,当該容器を一定期間ルイス酸にさらされる状況に放置した場合には,ルイス酸が容器内壁に新たに付着する可能性があることは十分想定されるところ,そのようなルイス酸の新たな付着後にセボフルランを容器内部に配置した場合に,セボフルランの分解を抑制することができないのであれば,結果として本件特許発明の目的を達成することができない。したがって,構成要件Dのルイス酸抑制剤は,容器内壁に被覆した時点で容器内壁に既に存在していたルイス酸を中和するだけでなく,セボフルランを充填するまでの間又は充填する際に容器内壁に新たに付着するルイス酸をも中和することのできるものでなければならない。
これを控訴人製品についてみるに,控訴人製品において使用されるアルミ容器は,フランスで製造された後(既にEPRが容器内壁に塗布されて完全に固化し,溶媒等も完全に除去された後である。),プエルトリコにあるセボフルラン製造工場に輸送され,そこで当該容器の内部にセボフルランが充填され,蓋が閉められて,製品として出荷されるものであり,EPRを容器内壁にいったん塗布してからセボフルランを充填するまでの長時間の間に,容器内壁にルイス酸が新たに付着する可能性がある。しかし,上記イのとおり,固化したEPRは,固体のルイス酸を中和し得ないのであるから,新たに付着したルイス酸によるセボフルランの分解を防止することができず,構成用件Dのルイス酸抑制剤としての機能を有しない。
したがって,構成dは,容器内壁に塗布したEPRによっても,その後のセボフルランの充填に至るまでの間に容器内壁に新たに付着するルイス酸を抑制することはできないのであるから,構成要件Dを充足しない。
エEPR被膜による物理的遮断効果について本件特許発明の本質及びその作用効果に照らせば,構成要件Dの「ルイス酸抑制剤」は,ルイス酸によるセボフルランの分解の防止に直接貢献するような中和反応を生ぜしめるものでなければならない。したがって,ルイス酸抑制剤とルイス酸との中和反応とは無関係に,ルイス酸によるセボフルランの分解の防止が達成されるのであれば,課題(ルイス酸によるセボフルランの分解)が別の技術的思想に基づき解決されたにすぎないから,そのような場合のルイス酸抑制剤は,構成要件Dの「ルイス酸抑制剤」に該当しないことになる。
これを構成dについてみるに,構成dのEPRは,固体化した被膜となり,容器内壁とセボフルランとを物理的に遮断するものである。
したがって,EPRの被覆前に存在していたルイス酸及び被覆後に容器内壁から発生するルイス酸によるセボフルランの分解の抑制は,化学的なルイス酸の中和反応により実現されるのではなく,上記物理的遮断により実現されるものであり,EPRの被覆後に容器に付着するルイス酸によるセボフルランの分解は,固体化したEPR被膜によっては抑制することができない。すなわち,構成dにおいては,固体化したEPRが容器内壁に存在するルイス酸を物理的に遮断することにより,ルイス酸抑制剤とルイス酸との中和反応とは無関係に,ルイス酸によるセボフルランの分解が抑制されるものである。
そうすると,構成dの「エポキシフェノリックレジン」は,構成要件Dの「ルイス酸抑制剤」に該当しない。
(2)争点2-6(構成要件Dの「被覆」が,「洗浄」,「すすぎ洗い」及び「回転機に約2時間かけること」に限定されるか)について(被控訴人らの主張)ア分割要件と限定解釈について被控訴人らは,特許出願の分割が許される範囲についての一般的解釈をいう控訴人の後記主張(控訴人の主張ア)を争うものではない。
構成要件Dの「被覆」の解釈について控訴人は,「本件原出願当初明細書の記載は,11頁10〜14行及び24頁下から4行〜25頁10行のみであるところ,これらの記載によれば,『被覆』の内容は,『洗浄』,『すすぎ洗い』及び『回転機に約2時間掛ける(こと)』のみである」,「これら以外の態様が構成要件Dの『被覆』に含まれると解釈することは,新規事項の追加として,改正前特許法44条1項に規定する分割要件に違反し,許されない」などと主張する。
しかしながら,本件原出願当初明細書中には,控訴人が指摘する箇所に加え,12頁13行〜13頁4行及び15頁9行〜17頁末行(実施例3)に「被覆」に関する記載があるように,「被覆」に関する多様な記載がある。
そして,本件特許発明における「被覆」の意義は,上記のとおりの本件原出願当初明細書の記載及び当業者の技術常識に基づき,「容器表面に存在し得るルイス酸を中和してその働きを抑制するという作用を奏し得る程度に,容器表面を水等のルイス酸抑制剤で覆い被せること」であると合理的に解釈できるのであるから,構成要件Dの「被覆」に,実施例等に具体的に記載されている態様以外の態様のものを含むものと解釈したとしても,何ら新規事項の追加に当たるものではなく,したがって,分割要件に違反するものでもない。
控訴人の上記主張は,本件原出願当初明細書全体の記載内容を顧みることなく,「被覆」の意義を,単に,実施例等に具体的に挙げられている態様にのみ限定して解釈すべきであるなどとするものであって,失当であるといわざるを得ない。
(控訴人の主張)ア分割要件と限定解釈について本件特許権は,特許出願の分割に係るものであるところ,特許出願の分割は,補正と類似した機能を持つものであるから,特許出願の分割をすることができる範囲についても,もとの特許出願について補正をすることができる範囲に限られると解釈すべきであり,そうすると,特許出願の分割が可能な範囲は,もとの特許出願の願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内に限定されると解するのが相当である。
したがって,本件特許発明の構成について,本件原出願当初明細書に記載されていない事項を含むような解釈をすることは許されないというべきである。
構成要件Dの「被覆」の解釈について本件特許発明の「被覆」に関する本件原出願当初明細書の記載は,11頁10〜14行及び24頁下から4行〜25頁10行のみであるところ,これらの記載によれば,「被覆」の内容は,「洗浄」,「すすぎ洗い」及び「回転機に約2時間掛ける(こと)」のみである。そして,上記アによれば,これら以外の態様が構成要件Dの「被覆」に含まれると解釈することは,新規事項の追加として,改正前特許法44条1項に規定する分割要件に違反し,許されない。
ウ控訴人方法について控訴人方法においては,EPRで「洗浄」したり,「すすぎ洗い」したり,「回転機に約2時間掛けること」を行ったりしていない。
したがって,構成dは,構成要件Dを充足しない。
(3)争点2-7(構成要件Dの「容器」が,セボフルランを充填する時点において,内壁に付着しているルイス酸をルイス酸抑制剤の被覆により中和する必要のある容器に限定されるか)について(被控訴人らの主張)ア控訴人は,「本件特許発明は,どこにでも存在するルイス酸が特殊な条件下で容器内壁に付着した場合に,かかるルイス酸によるセボフルランの分解を抑制し,医薬品として販売することのできる程度に安定したセボフルランを実現するものということになる」,「そうすると,構成要件Dの『容器』とは,空気中等のどこにでも存在するルイス酸にさらされ,ルイス酸が付着する可能性のある容器,すなわち,セボフルランを充填する時点において,内壁にルイス酸が付着している可能性があるためルイス酸抑制剤を被覆して中和する必要のある『容器』を意味すると理解すべきである」などと主張する。
しかしながら,本件特許発明に係る特許請求の範囲の請求項1(以下,単に「請求項1」ということがある。)は,「該容器の該内壁を・・・ルイス酸抑制剤で被覆する」と規定するのみであり(構成要件D),ルイス酸抑制剤の量については規定していないし,本件特許発明は,容器内壁をルイス酸抑制剤で被覆し,それにより,容器内壁表面に存在し得るルイス酸によるセボフルランの分解を抑制する効果を奏することのみをもって,従来技術にはみられない特許性が認められたものであって,セボフルランを安定化する程度として,「医薬品として販売することのできる程度」にまで分解が抑制されることまでを求められるものではない。すなわち,本件特許発明の具体的目的は,セボフルランが通常使用される環境において,容器内壁に存在し得るルイス酸による分解を限度として,当該分解が抑制されたセボフルランを実現することにあるというべきである。
したがって,控訴人の上記主張は,その前提を欠くものとして失当である。
イ控訴人は,「控訴人方法におけるEPRを塗布する前の容器と塗布した後の容器を比較すると,塗布した後の容器により規定される内部空間は,内壁にEPRが塗布され固化する結果,塗布する前の容器の内部空間よりも,その範囲が若干狭くなっており,両者は,内部空間を異にする異なる容器である。したがって,仮に,構成dの容器(『EPRを塗布する前の容器』)が構成要件Dの『容器』に該当するとすれば,構成eには,構成要件Eの『該容器によって規定される該内部空間』が存在しないことになり,構成eは,構成要件Eを充足しないことになる」と主張する。
しかしながら,上記のとおり,本件特許発明の目的は,容器内壁に存在し得るルイス酸による分解が抑制されたセボフルランを実現することにあり,容器内壁をルイス酸抑制剤で被覆することによりこの目的を達成するものである。
また,本件明細書に記載された本件特許発明の好適な実施例である実施例7においては,水飽和セボフルランを回転機に約2時間かけて,容器内壁にルイス酸抑制剤たる水を被覆することにより,水の被膜が形成された容器からいったん当該水飽和セボフルランを排液し,その後新たにセボフルランを充填している。
さらに,控訴人方法のEPRは,アルミニウムボトル内壁に薄く均一に塗布されており,その膜厚は,最大12μmにすぎない(甲59参照)ところ,本件特許発明の好適な実施例である実施例7においても,構成要件Dの被覆工程により容器内壁表面に水の薄い被膜が形成され,その結果,構成要件Dの被覆工程を経た後の容器によって規定される内部空間は,被覆前のものと比較して極めてわずかに狭くなっている。
以上からすると,本件特許発明は,構成要件Dにおいて,容器内壁をルイス酸抑制剤によって被覆した後,構成要件Eにおいて,当該被覆した容器にセボフルランを充填する場合を含むことは明らかであり,したがって,構成要件Dの被覆工程を経た「容器」が構成要件Eの「容器」に当たること及び構成要件Dの被覆工程を経た後の「該容器によって規定される内部空間」が構成要件Eの「該容器によって規定される内部空間」に当たることも明らかである。
よって,控訴人の上記主張は理由がない。
(控訴人の主張)ア被控訴人らの主張によれば,容器内壁に付着するルイス酸は,空気中のちりやさび,製品製造,充填のライン,製品の輸送等に使用される容器に自然に存在するものであるから,本件特許発明は,このようにどこにでも存在するルイス酸が特殊な条件下で容器内壁に付着した場合に,かかるルイス酸によるセボフルランの分解を抑制し,医薬品として販売することのできる程度に安定したセボフルランを実現するものということになる。
そうすると,構成要件Dの「容器」とは,空気中等のどこにでも存在するルイス酸にさらされ,ルイス酸が付着する可能性のある容器,すなわち,セボフルランを充填する時点において,内壁にルイス酸が付着している可能性があるためルイス酸抑制剤を被覆して中和する必要のある「容器」を意味すると理解すべきである。
これを控訴人方法についてみるに,構成dの容器は,前記のとおり,フランスからプエルトリコに輸入され,同所でセボフルランが充填されるものであるため,容器が完成した後,セボフルランが実際に充填されるまでには,ふたが閉じられないまま,長時間が経過しており,セボフルランが充填される時点では,当該容器の内壁に新たなルイス酸が付着し,しかもそのルイス酸が中和されていない可能性が存在する。したがって,控訴人方法においては,セボフルランを充填する時点でルイス酸抑制剤を被覆して中和する必要がある「容器」(構成要件Dの「容器」に相当するもの)とは,EPRにより内壁が塗布された容器なのであり,EPRを塗布する前の容器ではない。
以上によれば,構成dにおいては,構成要件Dの「容器」に相当するものが存在しないことになるから,構成dは,構成要件Dを充足しない。
イなお,構成要件B,D及びEの「容器」並びに構成要件B及びEの「該容器により(該容器によって)規定される該内部空間」は,それぞれ同一のものが予定されているところ,控訴人方法におけるEPRを塗布する前の容器と塗布した後の容器を比較すると,塗布した後の容器により規定される内部空間は,内壁にEPRが塗布され固化する結果,塗布する前の容器の内部空間よりも,その範囲が若干狭くなっており,両者は,内部空間を異にする異なる容器である。したがって,仮に,構成dの容器(「EPRを塗布する前の容器」)が構成要件Dの「容器」に該当するとすれば,構成eには,構成要件Eの「該容器によって規定される該内部空間」が存在しないことになり,構成eは,構成要件Eを充足しないことになる。
(4)争点3ないし5(本件特許が特許法36条6項1号,改正前特許法36条4項又は特許法36条1項2号に規定する要件を満たしていない特許出願に対してされたといえるか)について(控訴人の主張)以下のとおり,?@請求項1の記載は,特許法36条6項1号に規定するいわゆるサポート要件を満たしておらず,また,?A本件明細書の発明の詳細な説明(以下,争点3ないし5において,単に「発明の詳細な説明」というときは,本件明細書の段落【0001】〜【0058】の記載を指す。)は,改正前特許法36条4項に規定するいわゆる実施可能要件を満たしておらず,さらに,?B請求項1の記載は,特許法36条6項2号に規定するいわゆる明確性の要件を満たしていないというべきである。
ア本件特許発明の目的について本件特許発明の目的は,医薬品として販売することのできる程度に分解が抑制され,安定している状態にあるセボフルランを実現することである(発明の詳細な説明の段落【0003】,【0009】,【0010】,【0017】,【0027】等参照。なお,「医薬品として販売することのできる程度に分解が抑制され,安定している状態にあるセボフルラン」の例として,控訴人が日本で行った医薬品輸入承認においては,セボフルランの総不純物量(総分解生成物)が125ppmとなっている(甲5)。)。したがって,本件特許発明実施であるというためには,容器内壁に被覆されたルイス酸抑制剤が,容器内壁に存在するルイス酸の空軌道と相互作用することにより,医薬品として販売するのに十分な程度にまでセボフルランの分解が抑制される必要がある。
イ当業者の技術水準について麻酔剤としてのセボフルランは,本件特許に係る優先日(以下「本件優先日」という。)前から,世界中で販売されるなどしていたものである(甲10,乙32参照)。また,ルイス酸となり得る物質には,様々な種類のものがあり,これらは,どこにでも存在して,セボフルランの容器に混入し得るものであり(甲18ないし20の各1参照),世界的に販売されているセボフルラン用の容器内壁は,あまねくルイス酸となりうる物質にさらされているといえる。さらに,実際に販売された製品には,わずか8ppmの水しか含まれていないものも存在する(乙35及び36の各1参照)。しかしながら,本件優先日前にセボフルランの分解が生じたと報告された事例は,全世界において1例(本件優先日後のものを合わせても合計2例)しか知られておらず,被控訴人セントラル硝子も含め,本件優先日当時の当業者は,セボフルランが日常的に接し得るルイス酸となり得る物質に対して通常は極めて安定したものであると認識していた(乙33の1参照。なお,このことは,化学的見地からも裏付けられている(乙27,28,34参照)。)。したがって,本件優先日当時の当業者は,日常のセボフルランの取扱下における分解の原因,すなわち,どのような種類・強さのルイス酸がどのような条件下でセボフルランに混入した場合にセボフルランの分解が生じるのかという点についての知識を全く持ち合わせていなかった。そしてまた,本件優先日当時の当業者にとって,セボフルラン用の容器内壁にルイス酸抑制剤を被覆した場合であっても,ルイス酸抑制剤が容器内壁に付着するルイス酸と中和したためセボフルランの分解が防止されたのか,セボフルランが単に分解しなかっただけなのかを判別することはおよそ不可能であった。
ウルイス酸抑制剤の種類及び量の決定について(ア)上記ア及びイによれば,本件特許発明のルイス酸抑制剤は,「どこにでも存在する不特定のルイス酸をすべからく抑制し,『医薬品として販売することのできる程度に分解が抑制され,安定している状態にあるセボフルラン』を実現すること」のできるものでなければならないことになる。
(イ)aところで,ルイス酸・ルイス塩基は,経験上,硬いルイス酸・塩基,軟らかいルイス酸・塩基,中間的なルイス酸・塩基に分類され,硬いルイス酸は硬いルイス塩基とより反応しやすく,軟らかいルイス酸は軟らかいルイス塩基とより反応しやすいことが知られている。そして,その反応の程度は,例えば,軟らかいルイス酸であるHgを例にとった場合,反応の相性のよいI と,反応の相性の悪2+ -いF とでは,反応量に,実に100億倍の違いがある。このような硬さの概念は,-結合の作り方によってある程度の推測ができるとしても,その他に,錯形成に際して起こり得る酸及び塩基の置換基の再配列,酸及び塩基上にある置換基間の立体的な反発,溶液中の反応の場合には溶媒との競合等の付随的な寄与が反応の結果に著しい影響を持ち得る。したがって,ルイス酸及びルイス塩基における硬さの概念を用いる場合にも,反応の結果に影響を及ぼす可能性を持つ他の要因に常に十分な注意を払わなければならないとされている(乙19)。
このように,ルイス酸とルイス塩基の反応は,その組合せや種類によって全く異なっており,かつ,その反応の結果に影響を及ぼす要因は他に沢山存在するから,反応の程度は,理論的に導かれるものではなく経験的に実験を行うことによって初めて導かれる性質のものである(乙19,23参照)。
そうすると,反応量が極めて少ないルイス酸とルイス酸抑制剤を組み合わせて本件特許発明実施すれば,場合によっては,ルイス酸がルイス酸抑制剤よりも先にセボフルランと反応してしまい,セボフルランの分解を抑制するという作用効果を達成できない場合があることが容易に想定される。
bまた,物質の中には,条件や組合せにより,ルイス酸にもルイス塩基にもなる物質が存在することが知られている。そして,そのような場合,その物質が「ルイス酸」となるか「ルイス塩基」となるかは,反応する相手によって決まることである(乙18,19参照。例えば,被控訴人らが最も好適なルイス酸抑制剤として発明の詳細な説明に掲げる水でさえ,ルイス酸としてもルイス塩基としても作用するとされている。)。
cさらに,乙24には,ルイス酸を酸化アルミニウムとし,ルイス酸抑制剤をピリジンとした場合,フルオロアルキルエーテル((CF H) O。発明の詳細な22説明の段落【0019】に記載された化学構造式?Tに相当するフルオロエーテル化合物であり,セボフルランと同様に考えられる。)の分解を抑制することができないとの記載があるところ,これは,ルイス酸抑制剤に該当し得る化合物のすべてが,必ずしもセボフルランの分解を抑制することができるとは限らないことを示している。
d以上に加え,上記イの当業者の技術水準も併せ考慮すると,当業者は,仮に,抑制の対象となるルイス酸が特定されたとしても,当該ルイス酸を抑制し得る種類のルイス塩基(ルイス酸抑制剤)の選択について,容易に理解することができないというべきである。
(ウ)発明の詳細な説明には,いかなる場合にいかなる量のルイス酸抑制剤を加えれば本件特許発明の作用効果が得られ,いかなる量では得られないのかについての基準が全く記載されていない。
他方で,発明の詳細な説明実施例3(以下,争点3ないし5において,単に「実施例3」,「実施例」などというときは,発明の詳細な説明に記載された実施例を指す。)には,この実験の条件下では,少なくとも303ppmを超える濃度の水を用いなければ十分な作用効果を奏しないことが明記されているのであるし,実施例6においても,約20ppmの水(ルイス酸抑制剤)を含有する分解していないセボフルランで再度数回すすぎ洗い(被覆)した場合(対照Sevoグループ)であっても,十分な作用効果を奏していないことが記載されているのであるから,発明の詳細な説明には,一定量に満たないルイス酸抑制剤を用いた場合には効果を発揮しない場合があることを自認する旨の記載があるといえる。
以上に加え,上記イの当業者の技術水準も併せ考慮すると,当業者は,いかなる場合にいかなる量のルイス酸抑制剤を加えれば上記アの本件特許発明の目的(作用効果)が達成され,いかなる量では達成されないのかについて,容易に理解することができないというべきである。
(被控訴人らの主張)ア本件特許発明の目的について控訴人は,「本件特許発明の目的は,医薬品として販売することのできる程度に分解が抑制され,安定している状態にあるセボフルランを実現することである」と主張する。
しかしながら,本件特許発明は,本件原出願の請求項1に係る特許発明(麻酔薬組成物の発明。以下「本件麻酔薬組成物発明」という。)と異なり,セボフルランの容器表面にルイス酸抑制剤を被覆することによって,容器内壁表面に存在し得るルイス酸によるセボフルランの分解を抑制することを特徴とする発明である。すなわち,本件麻酔薬組成物発明においては,ルイス酸抑制剤である水の「有効な安定化量」として,「少なくとも0.015%(重量/重量)」との規定が存するため,同発明におけるセボフルランが「医薬品として販売することのできる程度に分解が抑制され,安定化している」といい得るのに対し,本件特許発明においては,「容器をルイス酸抑制剤で被覆する」と規定するのみであり,ルイス酸抑制剤の量については規定が存しない。このことは,本件特許発明において,セボフルランが「安定化している」程度にまで,換言すれば,「医薬品として販売することのできる程度」にまでセボフルランの分解が抑制されることが求められていないことを端的に示しているものであるといえる。なお,発明の詳細な説明の段落【0010】及び【0017】の記載にいう「安定な麻酔薬組成物」が本件麻酔薬組成物発明にいう麻酔薬組成物(控訴人が主張する「医薬品として販売することのできる程度に分解が抑制され,安定化している状態にあるセボフルラン」に相当する。)であることは明らかである。
そして,本件特許発明の効果が,セボフルランが通常使用される環境において求められるものであることをも併せ考慮すると,本件特許発明の目的は,セボフルランが通常使用される環境において,容器内壁に存在し得るルイス酸による分解を限度として,当該分解が抑制されたセボフルランを実現することにあるというべきである。
したがって,これと異なる控訴人の上記主張は失当である。
イ当業者の技術水準について(ア)控訴人は,「本件優先日当時の当業者は,日常のセボフルランの取扱下における分解の原因,すなわち,どのような種類・強さのルイス酸がどのような条件下でセボフルランに混入した場合にセボフルランの分解が生じるのかという点についての知識を全く持ち合わせていなかった」と主張する。
確かに,本件優先日当時,セボフルランがルイス酸によって分解されるという事実は知られておらず,当時の当業者の「認識」としては,セボフルランはルイス酸に対して安定していると考えられていたものである。しかしながら,当該認識が客観的に誤りであったことは,後記のとおりである。
(イ)控訴人は,「本件優先日前にセボフルランの分解が生じたと報告された事例は,全世界において1例(本件優先日後のものを合わせても合計2例)しか知られて(いない)」と主張するが,これまでにルイス酸による分解に起因してリコールされたセボフルラン製品は,多数のロットにわたっていることが報告されている(甲74の1及び2)。
(ウ)控訴人は,被控訴人セントラル硝子を含めた本件優先日当時の当業者の上記認識を示す証拠として,乙33の1(Aの書簡)及び乙34(被控訴人セントラル硝子出願に係る公開特許公報)を挙げるが,Aは,乙33の1において,場合によってはセボフルランは分解し得ることを指摘しているのであるし,乙34において,セボフルランをルイス酸と接触させているのは,あくまでセボフルラン製造の途中段階においてであって,その後の洗浄等の精製により分解物の除去が可能であるから,乙34を根拠に,被控訴人セントラル硝子が上記のとおり認識していたとはいえない。
(エ)控訴人は,「ルイス酸となり得る物質には,様々な種類のものがあり,これらは,どこにでも存在して,セボフルランの容器に混入し得るものであり(甲18ないし20の各1参照),世界的に販売されているセボフルラン用の容器内壁は,あまねくルイス酸となりうる物質にさらされているといえる」と主張する。
確かに,ルイス酸は,どこにでも存在し得るものではあるが,セボフルランを分解するに足る有意な量のルイス酸が常にセボフルラン用の容器に混入するわけではないし,それが常にセボフルランを分解するに足る悪条件にさらされるわけでもない。すなわち,実際にルイス酸によってセボフルランが分解されるのは,分解に足る有意量のルイス酸の存在下においてかかる悪条件にさらされた場合に限られる。
このように,セボフルランやセボフルラン用容器は,常にルイス酸による分解の危険にさらされているわけではなく,むしろ,実際には,有意量のルイス酸の存在下において,セボフルランやセボフルラン用容器が当該悪条件にさらされることはほとんど起こらない(したがって,現実にルイス酸によるセボフルランの分解が生じた例が少ないとしても,何ら不自然なことではないし,そのことをもって,セボフルランが日常的に接し得るようなルイス酸に対して安定であると結論付けられるものでもない。)。
なお,控訴人が挙げる甲18の1(Bの証言調書)においても,同教授は,セボフルランがルイス酸にされされる可能性を指摘するにすぎない。
(オ)控訴人は,「(セボフルランが日常的に接し得るルイス酸となり得る物質に対して通常は極めて安定したものである)ことは,化学的見地からも裏付けられている(乙27,28,34参照)」と主張する。
確かに,乙27の鑑定意見書には,「α-フルオロエーテルが極めて強力なルイス酸でなければ通常は分解されない」との記載があるが,同鑑定意見書は,その引用論文からは「加熱及び強酸処理を行わなかった常態での酸化ジルコニウムは,超臨界二酸化炭素の存在という極めて特殊な反応条件下における糖構造中に存在する特殊なフルオロエーテル部分の置換反応に対しては触媒活性を示さなかった」といえるにすぎないにもかかわらず,反応条件の特殊性等を考慮せず,また,特段の実験を行うこともせずに,「-C-O-C-F-」の化学構造を有する点でのみ共通することを根拠として,α-フルオロエーテルの反応に一般化したものであって(なお,この点につき,甲71及び72参照),十分な合理的根拠に基づくものではないし,さらに,セボフルランは,同引用論文に記載された特殊なフルオロエーテルとは,その全体構造を大きく異にするものであり,加えて,本件特許発明が対象とするセボフルランが通常使用される環境は,同引用論文に記載された反応環境と大きく異なるものであるから,同鑑定意見書の上記記載内容を採用することはできない(実際,セボフルランは,例えば,鉄さびによっても分解されるものである(甲71,73参照)。)。
また,乙28の鑑定意見書には,酸化アルミニウムを大気中に放置したりすると活性度が低下して平衡状態に達することが示されているが,平衡状態においても活性度が0になるわけではなく,所定の活性度を保っていることも記載されているのであるし,また,同鑑定意見書に記載されているように立体構造の変化によってルイス酸が不活性化するわけでもない(甲71参照)から,同鑑定意見書の記載を根拠に,セボフルランがルイス酸となり得る物質に対して極めて安定しているということはできない。
さらに,乙34が控訴人の上記主張の根拠とならないことは,前記のとおりである。
(カ)控訴人は,「本件優先日当時の当業者とって,セボフルラン用の容器内壁にルイス酸抑制剤を被覆した場合であっても,ルイス酸抑制剤が容器内壁に付着するルイス酸と中和したためセボフルランの分解が防止されたのか,セボフルランが単に分解しなかっただけなのかを判別することはおよそ不可能であった」と主張する。
控訴人の上記主張は,「日常のセボフルランの取扱下」における分解を問題としていることに照らし,通常のセボフルランの取扱環境下において,セボフルランが分解しなかったことが被覆の効果によるのか,単にルイス酸に対してセボフルランが安定であるという性質によるのかのいずれであるかにつき,当業者が判断することができないとの趣旨であると解される。
しかしながら,そもそも,上記のとおり,通常のセボフルランの取扱環境下において,セボフルラン用容器が有意量のルイス酸に現実にさらされること自体,それほど頻繁に起こることではなく,かかる「普通」の状態のセボフルラン用容器に入れられたセボフルランは,被覆の有無に関わらず安定であり分解しないのは当然であるから,このようなセボフルラン用容器に入れられたセボフルランについての分解や被覆の効果について検討すること自体,少なくとも本件特許発明に関する限り,全く意味のないことである(本件特許発明は,あくまで,「普通」の状態とは異なり,予期せぬ何らかの理由によりセボフルラン用容器に有意量のルイス酸が存在し,これが悪条件下においてセボフルランと接触してしまった場合に起こり得るルイス酸によるセボフルランの分解を抑制するためのものであるから,本件特許発明における被覆の効果を検討するに際しても,実施例に記載されているように,セボフルラン用容器に有意量のルイス酸が存在している状況において,ルイス酸とセボフルランとが接触してしまった場合を想定して行うのが当然である。そして,そのような実験においては,被覆によるルイス酸抑制効果の有無を容易に判別することができる。)。
ウルイス酸抑制剤の種類及び量の決定について(ア)控訴人は,「本件特許発明のルイス酸抑制剤は,『どこにでも存在する不特定のルイス酸をすべからく抑制・・・すること』のできるものでなければならない」と主張する。
しかしながら,本件特許発明の目的は,セボフルランの製造,輸送,貯蔵工程等,セボフルランがさらされる環境下で起こり得るルイス酸によるセボフルランの分解を抑制することであるから,本件特許発明におけるルイス酸とは,実際上,抑制対象となるべきルイス酸,すなわち,セボフルランの製造,輸送,貯蔵工程等,セボフルランがさらされる環境下において存在し得るルイス酸であることは明らかである。
(イ)a控訴人は,乙19を根拠に,「軟らかいルイス酸であるHgを例にと2+った場合,反応の相性のよいI と,反応の相性の悪いF とでは,反応量に,実に- -100億倍の違いがある」と主張する。
しかしながら,乙19の図5.12のグラフを正確に理解すれば,反応の相性のよいI と反応の相性の悪いF との間においてすら,反応量の差は2倍にも満たな- -いといえる(甲62参照)のであり,むしろ,同グラフは,空軌道を有するルイス酸に対して当該空軌道に電子を供与するルイス塩基を加えれば,多少の程度の差はある(なお,甲63参照)にしても,中和反応が起こること自体は当業者にとっての常識であることを裏付けているというべきであるから,控訴人の上記主張は,乙19の記載を曲解するものとして失当である。
b控訴人は,「反応量が極めて少ないルイス酸とルイス酸抑制剤を組み合わせて本件特許発明実施すれば,場合によっては,ルイス酸がルイス酸抑制剤よりも先にセボフルランと反応してしまい,セボフルランの分解を抑制するという作用効果を達成できない場合があることが容易に想定される」と主張する。
しかしながら,発明の詳細な説明には,ルイス酸抑制剤単体で容器表面を中和する構成が記載されているのであるから,本件特許発明は,ルイス酸抑制剤単体で容器表面を被覆する態様を当然に包含するものであるところ,そのようにルイス酸抑制剤単体で容器表面を被覆する場合においては,セボフルランとルイス酸抑制剤とが共存することはあり得ないのであるから,ルイス酸とセボフルランとの反応速度及びルイス酸とルイス酸抑制剤との反応速度の差が問題となることはなく,「ルイス酸がルイス酸抑制剤よりも先にセボフルランと反応してしまい,セボフルランの分解を抑制するという作用効果を達成できない場合」は生じない。
c控訴人は,「物質の中には,条件や組合せにより,ルイス酸にもルイス塩基にもなる物質が存在することが知られている。そして,そのような場合,その物質が『ルイス酸』となるか『ルイス塩基』となるかは,反応する相手によって決まることである(乙18,19参照。例えば,被控訴人らが最も好適なルイス酸抑制剤として発明の詳細な説明に掲げる水でさえ,ルイス酸としてもルイス塩基としても作用するとされている。)」と主張する。
しかしながら,甲14(化学大辞典「HSAB」の項)は,化合物における状態や反応の相手との組合せについて何ら条件をつけることなく,多様な物質を「ルイス酸」と「ルイス塩基」とに分類している。このように,大抵の物質は,「ルイス酸」であるのか,「ルイス塩基」であるのかにつき,物質自体の構造から決定し得るものであるとするのが当業者の技術常識である。したがって,本件特許発明におけるルイス酸抑制剤であるか否かは,物質自体の構造を基に,当業者がその技術常識に照らし容易に判断することのできるものである。
控訴人が指摘する水についても,乙18には,H を供与するときはルイス酸と+して働くとの記載があるが,この記載をより詳細にみれば,当該記載は,水自体がルイス酸として作用するとの趣旨ではなく,化合物分子中のHがH として離れた+際に,このH がルイス酸として作用するとの趣旨にすぎないものある。したがっ+て,水が,化合物自体としては,その構造から明らかなとおり,「ルイス塩基」に該当する(甲14参照)ことは,当業者に明らかである。
なお,発明の詳細な説明の段落【0026】に例示されたルイス酸抑制剤(ブチル化ヒドロキシトルエン(1,6-ビス(1,1-ジメチル-エチル)-4-メチルフェノール),メチルパラベン(4-ヒドロキシ安息香酸メチルエステル),プロピルパラベン(4-ヒドロキシ安息香酸プロピルエステル),プロポホール(2,6-ジイソプロピルフェノール)及びチモール(5-メチル-2-(1-メチルエチル)フェノール))がルイス塩基に該当するものであることも,当業者には明らかである。
d控訴人は,「乙24には,ルイス酸を酸化アルミニウムとし,ルイス酸抑制剤をピリジンとした場合,フルオロアルキルエーテル((CF H) O)の分解を22抑制することができないとの記載がある」と主張する。
しかしながら,乙24においては,(CF H) Oといったセボフルランとは構22造が明確に相違する化合物のみを用い,これがアルミナ表面において熱分解される際に起こる反応のみを対象として検討した結果,表面アルミナ中のルイス酸部位であるAlは,当該熱分解に関与しておらず,当該熱分解は,ルイス酸とは異なる3+部位が関与して起こっていることが確認されたにすぎないのであるから,控訴人が主張する「ピリジンによっては抑制されなかった分解」も,ルイス酸とは異なる部位が関与して起こる熱分解であって,本件特許発明の抑制対象たるルイス酸による分解とは異なるものである。
したがって,乙24の記載は,ピリジンを含むルイス酸抑制剤が,ルイス酸によるセボフルランの分解を抑制することができるとの本件特許発明の原理を何ら否定するものではない(甲64参照)。
(ウ)a控訴人は,「発明の詳細な説明には,いかなる場合にいかなる量のルイス酸抑制剤を加えれば本件特許発明の作用効果が得られ,いかなる量では得られないのかについての基準が全く記載されていない」,「発明の詳細な説明には,一定量に満たないルイス酸抑制剤を用いた場合には効果を発揮しない場合があることを自認する旨の記載があるといえる」などと主張する。
しかしながら,本件特許発明は,量的な効果を示す「組成物」自体の発明ではなく,特定の物質で「被覆」する工程に係る方法の発明であって,かつ,本件特許発明の中核も,ルイス酸抑制剤が容器内壁に存在するルイス酸の空軌道と相互作用することによってルイス酸の潜在的な反応部位を遮断する工程自体にあるのであるから,ルイス酸抑制剤の量等は,本件特許発明の中核に関係がなく,本件特許発明にとって必須でない事項であって,当業者が適宜決定し得る設計的事項にすぎない。
b控訴人は,本件特許発明の作用効果を十分に奏しない例として,実施例3及び6を挙げる。
しかしながら,実施例3は,ルイス酸の影響を通常の貯蔵状態よりも短時間で観測するべく行った,いわゆる一種の苛酷試験であって,通常のセボフルランの貯蔵状態ではあり得ない119℃という極めて高い温度で試験を行っている。したがって,実施例3は,本件特許発明の被覆の効果を何ら否定するものではない。
また,実施例6で比較しているのは,ボトル中に充填されるセボフルランに添加する水の量の差によるセボフルランの分解に対する抑制効果であって,「被覆」に関しては,すべてのボトルについて同一の操作を行っているのであるから,実施例6における結果の比較により「被覆」の効果を論じることは,何らの技術的意味もない。
なお,本件特許発明の被覆による効果は,実施例7において明確に示されているところである。
(5)争点7(本件特許発明物を生産する方法の発明に該当するか)について(被控訴人らの主張)ア発明が物を生産する方法の発明又は単純な方法の発明のいずれに該当するかは,願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて判定すべきものである(最高裁第二小法廷平成11年7月16日判決・民集53巻6号957頁。以下「平成11年最高裁判決」という。)。また,物を生産する方法とは,その方法を遂行した結果生じた物が使用販売の対象となり得るものであり,単純方法とは,生産物を伴わず,操作を受ける目的物に変化を生ぜしめることを目的としない方法をいうと解すべきである(乙16)。
これを請求項1についてみるに,本件特許発明は,構成要件B及びCにおいて,容器と一定量のセボフルランを供給・調達し,構成要件Dにおいて,調達された容器の内壁をルイス酸抑制剤で被覆し,構成要件Eにおいて,被覆された容器に一定量のセボフルランを充填した結果,貯蔵に適したセボフルラン製剤が生産されるものである。すなわち,請求項1の各工程を遂行した結果,セボフルラン製剤を安定化させ貯蔵することに適しており,容器も含めて全体として使用販売の対象となり得る「物」が生産されることは明らかである。よって,本件特許発明が,特許請求の範囲の記載に基づき,物を生産する方法の発明であることは明らかである。
イ(ア)控訴人は,「平成11年最高裁判決に従って本件特許発明をみるに,構成要件Aには,『セボフルランの貯蔵方法であって』と記載されているから,本件特許発明は,単なる貯蔵方法の発明であ(る)」と主張する。
確かに,請求項1の前提部分には,「一定量のセボフルランの貯蔵方法」との記載がある。
しかしながら,上記のとおり,物を生産する方法の発明であるか否かは,名称のいかんにかかわらず,当該発明を遂行した結果生じた物が使用販売の対象となり得るか否かにより判断すべきであるところ,本件特許発明は,請求項1記載の各工程を経た結果,容器も含めて全体としてセボフルラン製剤が生じ,その容器も含めた全体としてのセボフルラン製剤が使用販売の対象となり得るのであるから,控訴人が上記のとおり主張する記載のみをもって,本件特許発明物を生産する方法の発明でないとはいえない。
(イ)控訴人は,「本件特許発明は,請求項1の記載から明らかなとおり,セボフルランの『貯蔵方法』の発明にすぎず,譲渡又は輸入の対象となり得るような独立した物を生産することを予定していない」と主張する。
しかしながら,請求項1に「最終製品」を製造する方法が記載されていることは,本件明細書に「適当な量の本組成物をその容器から分注し,当産業分野で使用するのにより好適なサイズの容器,例えば250ml入りガラス製ボトル等の容器に入れて包装することができる」との記載(段落【0033】),すなわち,患者に用いられる最終製品を製造する小分け製造に関する記載があることからも明らかであるから,請求項1にいう「容器」とは,「最終製品」を充填する容器を意味し,したがって,本件特許発明が,「容器の内壁をルイス酸抑制剤で被覆する工程」(構成要件D)を経た「容器」に「セボフルラン」を充填することによって,患者に用いられる「最終製品」たる小分け製造品を製造する方法の発明であることは明らかである。
(ウ)控訴人は,「本件特許発明実施によっても,セボフルランには何らの変化も生じさせない」と主張する。
しかしながら,本件特許発明の本質は,容器内壁にルイス酸抑制剤を被覆することによって,容器内壁のルイス酸をルイス酸抑制剤で中和し,もって,充填した容器内のセボフルランのルイス酸による分解を抑制することにあるところ,本件特許発明は,「容器の内壁をルイス酸抑制剤で被覆する工程」(構成要件D)を含み,このような工程を経た容器を含めて一体としての最終製品を製造する方法を特許請求の範囲とするものである。したがって,本件特許発明は,請求項1の記載から,容器内のセボフルランのルイス酸による分解を抑制するため,容器内壁をルイス酸抑制剤で被覆することによって,容器内壁に変化を生ぜしめることを目的とするものといえる(このことは,本件明細書の段落【0058】の記載によっても裏付けられている。)。
ウ(ア)控訴人は,原審においては,当初の認否の段階から,本件特許発明物を生産する方法の発明であることを争っていなかったものである。
仮に,本件特許発明が単純方法の発明又は物を生産する方法の発明のいずれに該当するかが法的評価または当てはめの問題である(主要事実でない)としても,原審における控訴人の上記応訴態度に加え,これに基づき原審の審理が一貫して進んできたとからすると,控訴審においてこれを初めて争うのは,明らかに時機を失しており,時機に後れた攻撃防御方法といえるし,信義則上も許されるべきものではない。
なお,請求項1に記載されている小分け製造を遂行した結果,生じた物が使用販売の対象となる「最終製品」のセボフルラン製剤であるとの事実については,控訴審においてもなお,自白が成立しているものである。
(イ)控訴人は,「発明が単純方法の発明又は物を生産する方法の発明のいずれに該当するかについては,新たな証拠の提出というものが予定されていないから,本件特許発明物を生産する方法の発明であることを,控訴審において初めて争ったとしても,訴訟の完結を遅延させるものではない」と主張する。
しかしながら,控訴人は,「本件特許発明は,譲渡又は輸入の対象となり得るような独立した物を生産することを予定していない」,「本件特許発明実施によっても,セボフルランには何らの変化も生じさせない」などと主張しているのであり,かかる新たな事実主張によって訴訟の完結を遅延させることは明らかである。
(控訴人の主張)ア(ア)平成11年最高裁判決に従って本件特許発明をみるに,構成要件Aには,「セボフルランの貯蔵方法であって」と記載されているから,本件特許発明は,単なる貯蔵方法の発明であって,物を生産する方法の発明ではない。
(イ)また,物を生産する方法の発明であるというためには,?@譲渡又は輸入の対象となり得るような独立性のある物であること(大阪地裁平成16年4月27日判決参照),?A目的物に変化を生じせしめるものであること(東京高裁平成17年2月24日判決,東京地裁平成15年11月26日判決参照)を要すると解するのが相当である。
これを本件特許発明についてみるに,同発明は,請求項1の記載から明らかなとおり,セボフルランの「貯蔵方法」の発明にすぎず,譲渡又は輸入の対象となり得るような独立した物を生産することを予定していないことは明らかである。
また,本件特許発明は,セボフルランの分解を抑制することを目的とする貯蔵方法の発明であるから,本件特許発明の目的物が「セボフルラン」であることは明らかである。そして,本件特許発明実施によっても,セボフルランには何らの変化も生じさせない(むしろ,セボフルランに何らの変化も生じさせないように貯蔵することこそが,本件特許発明の目指すところである。)。
したがって,上記2つの要件からみても,本件特許発明が単純方法の発明であることに疑いを容れる余地はない。
イ(ア)控訴人は,原審において,本件特許発明物を生産する方法の発明であることをあえて争わなかったものであるが,発明が単純な方法の発明又は物を生産する方法の発明のいずれに該当するかは,法的評価又は当てはめの問題であって,自白の対象となる事実ではない。
(イ)被控訴人らは,「本件特許発明物を生産する方法の発明であることを,控訴審において初めて争うのは,明らかに時機を失しており,時機に後れた攻撃防御方法といえる」と主張する。
しかしながら,発明が単純方法の発明又は物を生産する方法の発明のいずれに該当するかは,平成11年最高裁判決のとおり,「願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて判定」されるものであり,新たな証拠の提出というものが予定されていないから,本件特許発明物を生産する方法の発明であることを,控訴審において初めて争ったとしても,訴訟の完結を遅延させるものではないことは明らかであり,時機に後れた攻撃防御方法には当たらない。
(6)争点8(本件特許が特許法29条1項各号の規定に違反してされたといえるか)について(控訴人の主張)ア特許法29条1項1号又は2号について(ア)原判決によれば,請求項1にいう「被覆」とは,「おおいかぶせる」ことを意味しているとされ,この点は,被控訴人らも認めるところである(ただし,控訴人がこの点を認めるものではない。)。また,請求項1にいう「容器」とは,本件明細書の段落【0030】によれば,物品を保持するために使用することができるガラス,プラスチック,スチール又は他の材料でできた入れ物を意味し,その具体例として,ボトル,アンプル,試験管及びビーカーが挙げられている。さらに,請求項1にいう「ルイス酸抑制剤」の例として,本件明細書(段落【0026】及び各実施例)には水が挙げられている。
(イ)そして,本件優先日前から,水でガラス容器を洗浄した後に当該容器にセボフルランが充填されていたことは,証拠による証明を要しない事実であるし,仮に,セボフルランを小分けにして販売する容器の場合には,水洗い以外の方法で容器を洗浄することがあったとしても,本件明細書(段落【0030】)に記載された試験管やビーカーが水洗いされないことは考えられない。
現に,被控訴人アボットが米国保健社会福祉省の食品医薬品局に提出した資料(乙51)には,1996(平成8)年12月4日の段階で,アルゼンチン,コロンビア及びアメリカにおいて,セボフルラン用容器を蒸留水(DH2O)で洗浄しており,日本においては,丸石製薬株式会社(以下「丸石製薬」という。)が水道水(TapH2O)で洗浄しているとの記載がある。
なお,被控訴人セントラル硝子は,セボフルランを輸送するための大型の容器であるタイコンを,セボフルランを充填する前に,高圧のセボフルランで洗浄していた(乙52,53)ところ,これらのセボフルランに一定量の水分が含まれていたことは明らかである(乙54)。
(ウ)以上からすると,本件優先日前から,試験管やビーカーに水を覆いかぶせた後にセボフルランを充填するという本件特許発明が,あまたの実験室において日常的に実施されていたものであることは明らかである(あえて証拠を提示するまでもないが,医薬品に用いる容器の洗浄に関しては,医薬品業界で長年行われてきた内容を記載した乙43参照)。
したがって,本件特許発明は,本件優先日前に公然知られた発明又は公然実施をされた発明に該当し,新規性を欠くものである。
イ特許法29条1項3号について(ア)特開平5-57182号公報(乙20。以下「引用例」という。)の実施例1及び2には,次の発明(以下「引用発明」という。)が記載されている。
「?@バイアル瓶を準備し,?Aセボフルラン20μlを準備し,?B当該バイアル瓶にイオン交換水4ml(20重量%)または6ml(30重量%)を入れ,よくかき混ぜ,?C当該バイアル瓶にセボフルラン20μlを添加し,?D当該バイアル瓶内においてセボフルラン20μlを少なくとも24時間貯蔵する方法。」(イ)本件特許発明と引用発明との対比構成要件Aは引用発明の構成?Dと同一であり,構成要件Bは引用発明の構成?@と同一ないしこれを含んだ構成であり,構成要件Cは引用発明の構成?Aと同一であり,構成要件Dは引用発明の構成?Bを含んだ構成であり,構成要件Eは引用発明の構成?Cと同一である。
(ウ)以上からすると,本件特許発明は,引用例に記載された発明に該当し,新規性を欠くものである。
(被控訴人らの主張)ア特許法29条1項1号又は2号について(ア)控訴人は,「本件優先日前から,水でガラス容器を洗浄した後に当該容器にセボフルランが充填されていたことは,証拠による証明を要しない事実であるし,仮に,セボフルランを小分けにして販売する容器の場合には,水洗い以外の方法で容器を洗浄することがあったとしても,本件明細書(段落【0030】)に記載された試験管やビーカーが水洗いされないことは考えられない」,「本件優先日前から,試験管やビーカーに水を覆いかぶせた後にセボフルランを充填するという本件特許発明が,あまたの実験室において日常的に実施されていたものであることは明らかである(あえて証拠を提示するまでもないが,医薬品に用いる容器の洗浄に関しては,医薬品業界で長年行われてきた内容を記載した乙43参照)」などと主張する。
しかしながら,乙43に記載されているのは,医薬品製造一般における水の使用に関する概括的な事項にとどまるものであって,セボフルランに関し,具体的に記載した箇所は全く見当たらない。むしろ,本件優先日前においては,水がセボフルランを加水分解するという懸念があったこと(甲78参照),容器を洗浄する方法としては,水で洗浄する方法以外にも,例えば,圧縮空気を吹き付けることによって洗浄する方法があることなどを考えれば,セボフルランの容器の洗浄においては,水洗以外の方法を採用する方が望ましいことであったとすらいえる。実際,被控訴人アボットは,圧縮空気を吹き付ける方法により容器の洗浄を行ってきたものである(甲79)し,控訴人も,空気又は窒素ガスを強く吹き付けることによって容器をクリーニングしている。
また,請求項1には,「最終製品」を製造する方法が記載されており,このことは,本件明細書の段落【0033】の記載からも裏付けられるところ,本件特許発明における「容器」とは,「最終製品」を充填する容器を意味し,試験管やビーカーは含まれない。
以上からすると,控訴人の上記主張は失当である。
(イ)控訴人は,「現に,被控訴人アボットが米国保健社会福祉省の食品医薬品局に提出した資料(乙51)には,1996(平成8)年12月4日の段階で,アルゼンチン,コロンビア及びアメリカにおいて,セボフルラン用容器を蒸留水(DH2O)で洗浄しており,日本においては,丸石製薬が水道水(TapH2O)で洗浄しているとの記載がある」とも主張するが,被控訴人ら及び丸石製薬は,互いにセボフルラン製剤全般について契約上の守秘義務を有する関係にあり,セボフルラン製剤に関する情報が3社以外の外部に明らかにされることはなかったし,被控訴人アボット及び丸石製薬は,GMP規定に基づいて工場の秘密管理を徹底しており,被控訴人アボット及び丸石製薬におけるセボフルランの小分け製造工程全般について,セボフルラン容器を水で洗浄することを含め,不特定多数人に知られ得る状態に置くことはなく,容器を水で洗浄することを含むセボフルラン製剤の製造方法について外部に漏らすことは当然あり得なかった(甲88,89参照)のであるから,被控訴人アボット及び丸石製薬がセボフルラン容器を水で洗浄していることにつき,これを,公然知られた発明とも,公然実施をされた発明ともいうことはできない。
なお,丸石製薬は,洗浄操作において,単にセボフルラン容器を水洗いするのみではなく,その後に,当該水洗いした容器を熱風ブローを用いて高温で乾燥している(乙51)ところ,このように高温で乾燥した場合には,水洗いにより,いったん容器表面のルイス酸が中和されたとしても,高温乾燥によって水が完全に除去されてしまい,当該ルイス酸が再活性化する(甲90)のであるから,このような水洗い及び乾燥という一連の不可分な操作は,本件特許発明の本質的な効果を奏するものではなく,本件特許発明の「被覆」に該当するものでもない。
(ウ)控訴人は,「被控訴人セントラル硝子は,セボフルランを輸送するための大型の容器であるタイコンを,セボフルランを充填する前に,高圧のセボフルランで洗浄していたところ,これらのセボフルランに一定量の水分が含まれていたことは明らかである」と主張する。
しかしながら,本件特許発明の「容器」とは,最終製品たるセボフルラン製剤の容器であるから,控訴人の上記主張は,「容器」を広く解釈する点で失当である。
また,仮に,本件特許発明の「容器」が小分け製造前のセボフルラン製剤を貯蔵する容器を含むと解釈したとしても,洗浄に用いられたセボフルランの水分量は高々数十ppmと微量であり,このような微量の水分しか含んでいないセボフルランでタイコンを数回すすぎ洗いした程度では,本件特許発明の「被覆」に該当するものといえないことは明らかである。さらに,控訴人が主張するタイコンの洗浄は,あくまで被控訴人セントラル硝子の内部において行われていたことであって,上記のとおり,公知の発明にも,公然実施された発明にも当たらない。
イ特許法29条1項3号について控訴人は,「構成要件Dは引用発明の構成?Bを含んだ構成であ(る)」と主張する。
しかしながら,引用発明は,「粉末状,顆粒状もしくは成形状の吸収剤」に係るものであって(引用例の段落【0007】),水分の添加は,あくまで「所望の二酸化炭素吸収能力を賦与せしめる目的」のために行われるものであり(同段落【0010】),その添加量の上限も,「成形品等の形状を保持する必要性」を考慮した上で決定されるものである(同段落)から,引用発明における吸収剤は,水分を添加した後も固体状のものであるというべきである。現に,引用例の実施例1及び2においても,多量(21g)の粉末状の水酸化マグネシウムに対して,少量(20重量%ないし30重量%)のイオン交換水を添加しているにすぎず,これらをかき混ぜて得られたものは粉末状のものであるから,このようなものが「水」に相当しないことは明らかである(甲61参照)。
また,本件特許発明における「被覆」とは,「おおいかぶせること」であるところ,バイアル瓶中で粉末状の水酸化マグネシウムをよくかき混ぜたからといって,当該バイアル瓶の内壁を「おおいかぶせる」ような状態にはならないことは明らかである(甲61参照)。
したがって,控訴人の上記主張は理由がない。
(7)争点9(本件特許が特許法29条2項の規定に違反してされたといえるか)について(控訴人の主張)ア引用発明に基づく主張について(判決注:下記(ア)によれば,控訴人の主張の実質は,新規性の欠如をいうものと解されるが,控訴人の主張に従い,進歩性の欠如をいうものとして摘示することとする。)(ア)本件特許発明と引用発明との対比仮に,本件特許発明が引用発明と同一のものでないとしても,両発明は,次のaの点で一致し,bの点で相違する。
a一致点「一定量のセボフルランの貯蔵方法であって,該方法は,内部空間を規定する容器であって,かつ該容器により規定される該内部空間に隣接する内壁を有する容器を供する工程,一定量のセボフルランを供する工程,該一定量のセボフルランを該容器によって規定される該内部空間内に配置する工程を含んでなることを特徴とする方法。」b相違点本件特許発明は,「該容器の該内壁を空軌道を有するルイス酸の当該空軌道に電子を供与するルイス酸抑制剤で被覆する工程」を有するのに対し,引用発明は,「容器の内壁を水で被覆する工程」を有する点。
(イ)相違点についての容易想到性a特定のフルオロエーテルが,1種類又はそれ以上のルイス酸が存在するとフッ化水素酸等の潜在的に毒性を有する化学物質を含む幾つかの産物に分解することは,本件優先日当時の技術的課題であった(本件明細書の段落【0003】参照)。
そうすると,上記技術的課題を解決するための手段がルイス酸の反応を抑制することであり,当該反応を抑制するためにルイス塩基を使用すればよいことは,例えば,1970(昭和45)年9月7日から同月11日にかけて英国(スコットランド)ペイズリー工科大学において開催された「Symposium on "Lubricant Test Devicesand Their Relation to Service Conditions」と称する国際シンポジウムの予稿集に掲載された M. Binaghi らによる「PERFLUOROPOLYETHERS: THEIR PHYSICAL PROPERTIESAND BEHAVIOUR AT HIGH AND LOW TEMPERATURES」と題する論文(乙21)にも記載されているとおり,本件優先日当時の当業者の技術常識であったといえる。
bそうすると,ルイス塩基を使用してルイス酸の反応を抑制するための具体的手段として,引用発明の「容器の内壁を水で被覆する工程」を,本件特許発明の「該容器の該内壁を空軌道を有するルイス酸の当該空軌道に電子を供与するルイス酸抑制剤で被覆する工程」に置換することは,本件優先日当時の当業者が容易に想到し得たものであるといえる。
c以上からすると,本件特許発明は,引用発明及び上記技術常識に基づいて,本件優先日当時の当業者が容易に発明をすることができたものである。
イ従来のアルミニウム容器の発明に基づく主張について(ア)医薬品用のアルミニウム容器は,本件優先日前から存在していたものである。
(イ)a上記アのとおり,特定のフルオロエーテルが,1種類又はそれ以上のルイス酸が存在するとフッ化水素酸等の潜在的に毒性を有する化学物質を含む幾つかの産物に分解することは,本件優先日当時の技術的課題であり,上記技術的課題を解決するための手段がルイス酸の反応を抑制することであり,当該反応を抑制するためにルイス塩基を使用すればよいことは,本件優先日当時の当業者の技術常識であった。
bそして,医薬品用の容器の内面をエポキシ樹脂で塗装する技術は,特開平4-100871号公報(乙22の1),特開平5-295319号公報(乙22の2),特開昭62-158662号公報(乙22の3),特公平5-12221号公報(乙22の4)等に記載された周知技術であったところ,これらの文献に開示されているエポキシ樹脂は,C=O基,C-OH基又はC-O-C基を有しているのであるから,原判決の認定・判断に従えば,これらのエポキシ樹脂が,いずれもルイス塩基であり,ルイス酸抑制効果を有することは,本件優先日当時の当業者にとって自明の事項であったといえる。
cそうすると,本件優先日当時の当業者であれば,ルイス酸によるセボフルランの分解を抑制して安定的にセボフルランを貯蔵するため,上記(ア)のアルミニウム容器の内壁を,C=O基,C-OH基又はC-O-C基を含むエポキシ樹脂で塗装するとの構成に容易に想到することができたというべきである。
(ウ)以上のとおり,本件特許発明は,本件優先日前から存在していた医薬品用のアルミニウム容器の発明,上記技術常識及び上記周知技術に基づいて,本件優先日当時の当業者が容易に発明をすることができたものである。
(被控訴人らの主張)ア引用発明に基づく主張について控訴人は,「特定のフルオロエーテルが,1種類又はそれ以上のルイス酸が存在するとフッ化水素酸等の潜在的に毒性を有する化学物質を含む幾つかの産物に分解することは,本件優先日当時の技術的課題であった(本件明細書の段落【0003】参照)」,「上記技術的課題を解決するための手段がルイス酸の反応を抑制することであり,当該反応を抑制するためにルイス塩基を使用すればよいことは,本件優先日当時の当業者の技術常識であった」などとして,「本件特許発明は,引用発明及び上記技術常識に基づいて,本件優先日当時の当業者が容易に発明をすることができた」と主張する。
確かに,ルイス酸の反応を抑制するためにルイス塩基を使用することが,本件優先日当時の当業者の技術常識であったことは,被控訴人らも,これを争うものではないが,本件特許発明の課題である「ルイス酸によるセボフルランの分解」は,本件特許発明の過程において初めて解明されたものであるから,「特定のフルオロエーテルが,1種類又はそれ以上のルイス酸が存在するとフッ化水素酸等の潜在的に毒性を有する化学物質を含む幾つかの産物に分解することは,本件優先日当時の技術的課題であった」との控訴人の上記主張は誤りである。
したがって,当該課題を全く知らなかった当業者が本件特許発明の構成に容易に想到し得たということはできないから,「本件特許発明は,引用発明及び上記技術常識に基づいて,本件優先日当時の当業者が容易に発明をすることができた」との控訴人の上記主張は理由がない。
イ従来のアルミニウム容器の発明に基づく主張について控訴人は,「特定のフルオロエーテルが,1種類又はそれ以上のルイス酸が存在するとフッ化水素酸等の潜在的に毒性を有する化学物質を含む幾つかの産物に分解することは,本件優先日当時の技術的課題であ(った)」などとして,「本件特許発明は,本件優先日前から存在していた医薬品用のアルミニウム容器の発明,上記技術常識及び上記周知技術に基づいて,本件優先日当時の当業者が容易に発明をすることができた」と主張する。
しかしながら,「特定のフルオロエーテルが,1種類又はそれ以上のルイス酸が存在するとフッ化水素酸等の潜在的に毒性を有する化学物質を含む幾つかの産物に分解することは,本件優先日当時の技術的課題であ(った)」との控訴人の上記主張が誤りであることは,上記アのとおりである。
加えて,控訴人が挙げる乙21の1ないし21の4に,セボフルランについての具体的記載が全くないことをも併せ考慮すると,「本件特許発明は,本件優先日前から存在していた医薬品用のアルミニウム容器の発明,上記技術常識及び上記周知技術に基づいて,本件優先日当時の当業者が容易に発明をすることができた」との控訴人の上記主張が失当であることは明らかである。
(8)争点10(本件特許が特許法29条1項柱書の規定に違反してされたといえるか)について(控訴人の主張)ア特許を受けることができる発明は,その思想全体にわたって完成されていることが必要であり,そうでない場合は,特許法29条1項柱書の規定に該当しない発明として,特許を受けることができないと解するのが相当である。
イこれを本件特許発明についてみるに,以下のとおり,本件優先日当時,本件特許発明は,水とガラス製容器とを組み合わせて使用する場合についてのみ完成していたというべきであり,その他の部分については,未完成であったことが明白である。
(ア)前記(4)のとおり,本件特許発明のうち,水とガラス製容器とを組み合わせて使用する場合を除く部分のほとんどは,いわゆるサポート要件を欠き,また,当業者が実施することのできないものである。
(イ)本件明細書には,水とガラス製容器とを組み合わせて使用する場合についての記載しかないのであるから,本件特許発明は,本件優先日当時,水とガラス製容器とを組み合わせて使用する場合について完成していたとしても,水以外のルイス酸抑制剤とガラス製容器以外の容器とを組み合わせて使用する場合についてまで完成していたということはできない。
(ウ)被控訴人らは,特許庁に対し,平成16年6月30日付け拒絶理由通知(甲28)に対する同年10月6日付け意見書(甲29)の参考資料として,甲24の実験成績証明書2通を提出し,タイプ?V褐色ガラス製ボトルという意味不明な容器を用いて,水(0.678mmol)以外は添加量すら不明の物質(フェノール類49種,アルコール類21種,エーテル類8種,エポキシ類1種,アルデヒド類5種,ケトン類6種,アミン類2種,イミド類2種,チオール類3種)を適宜加えた上,種々の実験をしたところ,各物質がセボフルランの分解を抑制する効果を有していた旨主張し,さらに,平成17年2月23日にも,これと同様の実験をピリジンについて行った結果である乙26の実験成績証明書を提出した(甲64)が,上記各実験成績証明書に記載されたいずれの実験データも,本件優先日当時の当業者の技術常識であったとはいえず,また,本件明細書にも,上記各物質が,ルイス酸抑制剤としてセボフルランの分解を抑制することについての記載は全くないし,段落【0007】の化学反応式からも,そのことが明らかであるとはいえない。
ウ以上のとおり,本件特許発明は,本件優先日当時,そのすべてについて完成していたということはできないから,特許法29条1項柱書の規定に該当しない発明として,特許を受けることができない。
(被控訴人らの主張)ア控訴人は,「本件優先日当時,本件特許発明は,水とガラス製容器とを組み合わせて使用する場合についてのみ完成していたというべきであり,その他の部分については,未完成であったことが明白である」と主張する。
しかしながら,本件明細書には,「ルイス酸の空軌道にルイス酸抑制剤が電子対を供与しルイス酸とルイス酸抑制剤との間に共有結合を形成することにより,ルイス酸の働きを抑制する」との本件特許発明の原理を明示する記載(段落【0026】及び【0029】)があるのであるから,当該記載によれば,本件明細書に例示されているブチル化ヒドロキシトルエン等の化合物であっても,ルイス酸の空軌道にルイス酸抑制剤が電子対を供与しルイス酸とルイス酸抑制剤との間に共有結合を形成する物質(ルイス塩基)として,その性質を水と同じくしており,したがって,セボフルランのルイス酸による分解を防止し得ることは,当業者であれば容易に認識することができるというべきである。
また,本件明細書には,水及びブチル化ヒドロキシトルエン等の5種のフェノール類しか具体的には例示されてはいないものの,これら以外にも,甲14(化学大辞典)に明記されているとおり,ROH,R O,RNH ,RSH(「R」は,ア2 2ルキル基又はアリール基を示す。)等の様々な種類の物質が,ルイス塩基として当業者に知られていたものである。
そうすると,そもそも本件明細書においては,上記のとおり本件特許発明の原理が明確に開示されているとともに,当該原理が水を用いた実施例によって実証されており,加えて,ルイス酸の空軌道にルイス酸抑制剤が電子対を供与しルイス酸とルイス酸抑制剤との間に共有結合を形成する物質として,本件明細書には水及びブチル化ヒドロキシトルエン等の5種のフェノール類が例示されているほか,これら以外にも,上記のような多種多様な物質が周知であったのであるから,これらの開示内容及び当業者に周知の事項に基づき,水以外のルイス塩基一般についても,「ルイス酸の空軌道に電子対を供与しルイス酸との間に共有結合を形成することにより,ルイス酸の働きを抑制する」との効果を奏すること,すなわち,ルイス酸抑制剤として機能することは,当業者であれば容易に認識し得ることである。
また,本件特許発明の本質は,セボフルランの保存容器内壁にルイス酸抑制剤を被覆することによって,容器内壁表面に存在するルイス酸を中和し,もって,セボフルランの分解を抑制することにある一方,容器内壁表面には,ガラスに限らず各種のルイス酸が存在し得ることが当業者には容易に想定できるのであるから,本件明細書に明示されている本件特許発明の本質及び当業者の技術常識に照らせば,ガラス製容器以外の容器についても,本件特許発明の上記効果を奏することは明らかである。
したがって,本件特許発明が,本件優先日当時,水とガラス製容器とを組み合わせて使用する場合以外の場合も含め,全体として完成していたことは明らかであるから,控訴人の上記主張は理由がない。
イ控訴人は,「本件特許発明のうち,水とガラス製容器とを組み合わせて使用する場合を除く部分のほとんどは,いわゆるサポート要件を欠き,また,当業者が実施することのできないものである」と主張するが,控訴人の上記主張が失当であることは,前記(4)のとおりである。
ウ控訴人は,「本件明細書には,水とガラス製容器とを組み合わせて使用する場合についての記載しかない」と主張する。
確かに,本件明細書には,具体的な実施例として,水とガラス製容器とを組み合わせた例しか記載されていない。
しかしながら,本件明細書の記載全体をみれば,上記アのとおり,水以外のルイス酸抑制剤についての記載がある(段落【0026】及び【0028】)のであるし,また,段落【0030】には,ガラス製容器以外の容器についての記載がある。
したがって,本件明細書に,水とガラス製容器とを組み合わせて使用する場合以外の場合についての記載があることは明らかであるから,控訴人の上記主張は理由がない。
エ控訴人は,「甲24及び乙26の各実験成績証明書に記載されたいずれの実験データも,本件優先日当時の当業者の技術常識であったとはいえ(ない)」と主張する。
しかしながら,甲24中の「実験成績証明書1」及び乙26の「実験成績証明書3」における各実験は,本件明細書の実施例1の記載及び当業者の技術常識に基づいて行われたものであり,甲24中の「実験成績証明書2」における実験は,本件明細書の実施例7の記載及び当業者の技術常識に基づいて行われたものであるから,控訴人の上記主張は失当である。
第4当裁判所の判断本件特許発明の内容等にかんがみ,争点2-3から判断する。
1争点2-3(構成dの「エポキシフェノリックレジンのラッカー」がルイス酸抑制効果を有するか)について(1)構成要件Dの「ルイス酸抑制剤」の技術的意義についてア本件明細書(甲13)には,次の各記載がある(なお,本件明細書の段落【0010】及び【0011】の記載は,「発明の要約」との表題が付されているものの,特許法70条3項の規定にいう「願書に添付した要約書の記載」ではない(乙6の1ないし6の4参照)。)。
(ア)「発明の技術分野本発明は,一般に,ルイス酸の存在下においても分解しない,安定した麻酔用フルオロエーテル組成物に関する。また,本発明は,ルイス酸の存在下におけるフルオロエーテルの分解抑制法についても開示する。」(段落【0001】)(イ)「発明の背景フルオロエーテル化合物は麻酔薬として広く用いられている。麻酔薬として使用されているフルオロエーテル化合物の例は,セボフルラン(フルオロメチル-2,2,2-トリフルオロ-1-(トリフルオロメチル)エチルエーテル)・・・を含む。
フルオロエーテルは優れた麻酔薬であるが,幾つかのフルオロエーテルでは安定性に問題があることが判明した。より詳細には,特定のフルオロエーテルは,1種類もしくはそれ以上のルイス酸が存在すると,フッ化水素酸等の潜在的に毒性を有する化学物質を含む幾つかの産物に分解することが明らかになった。フッ化水素酸は経口摂取及び吸入すると毒性を呈し,皮膚や粘膜を強度に腐食する。従って,医療分野では,フルオロエーテルのフッ化水素酸等の化学物質への分解に対する関心が高まっている。
フルオロエーテルの分解はガラス製の容器中で起こることが分かった。ガラス製容器中でのフルオロエーテルの分解は容器中に存在する微量のルイス酸によって活性化されるものと考えられる。ルイス酸のソースはガラスの天然成分である酸化アルミニウムであり得る。ガラス壁が何らかの原因で変質または腐食すると酸化アルミニウムが露出し,容器の内容物と接触するようになる。すると,ルイス酸がフルオロエーテルを攻撃し,フルオロエーテルを分解する。
例えば,フルオロエーテルであるセボフルランが無水条件下でガラス容器中の1種類もしくはそれ以上のルイス酸と接触すると,ルイス酸はセボフルランをフッ化水素酸と幾つかの分解産物に分解し始める。セボフルランの分解産物は,ヘキサフルオロイソプロピルアルコール,メチレングリコールビスヘキサフルオロイソプロピルエーテル,ジメチレングリコールビスヘキサフルオロイソプロピルエーテル,及びメチレングリコールフルオロメチルヘキサフルオロイソプロピルエーテルである。セボフルランの分解により生じたフッ化水素酸が更にガラス表面への攻撃を進行させ,ガラス表面に更に多くのルイス酸を露出させる。この結果,セボフルランの分解が一層促進される。」(段落【0002】〜【0005】)(ウ)「従って,当分野においては,ルイス酸の存在下においても分解しないフルオロエーテル化合物を含有する安定した麻酔薬組成物が求められている。」(段落【0009】)(エ)「発明の要約本発明は,そこに有効な安定化量のルイス酸抑制剤が付加されたアルファフルオロエーテル部分を有するフルオロエーテル化合物を含有する安定な麻酔薬組成物に関する。好適なフルオロエーテル化合物はセボフルランであり,また,好適なルイス酸抑制剤は水である。本組成物は,ルイス酸抑制剤をフルオロエーテル化合物に加えることにより,またはフルオロエーテル化合物をルイス酸抑制剤に加えることにより,あるいは容器をルイス酸抑制剤で洗浄した後,フルオロエーテル化合物を加えることにより調製することができる。
また,本発明は,アルファフルオロエーテル部分を有するフルオロエーテル化合物の安定化法も含む。本方法は,有効な安定化量のルイス酸抑制剤をフルオロエーテル化合物に加えることにより,ルイス酸による該フルオロエーテル化合物の分解を防止することを含む。好適なフルオロエーテル化合物はセボフルランであり,また,好適なルイス酸抑制剤は水である。」(段落【0010】,【0011】)(オ)「発明の詳細な説明本発明はルイス酸の存在下においても分解しない,安定な麻酔薬組成物を提供する。また,本発明は,該麻酔薬組成物の調製法についても開示する。
本発明の麻酔薬組成物は少なくとも1つの無水フルオロエーテル化合物を含んでいる。本明細書で用いる『無水』という用語は,そのフルオロエーテル化合物に含まれている水の量が約50ppm未満であることを意味している。本組成物に使用されるフルオロエーテル化合物は次の化学構造式?Tに相当するものである。」(段落【0017】,【0018】)(カ)「化学構造式?Tを有するフルオロエーテル化合物は,アルファフルオロエーテル部分-C-O-C-F-を含んでいる。ルイス酸はこの部分を攻撃し,それによりフルオロエーテルの分解が起こり,様々な分解産物や毒性化学物質がもたらされる。
本発明で使用できる化学構造式?Tの無水フルオロエーテル化合物の例は,セボフルラン・・・である。本発明で使用するのに好適なフルオロエーテル化合物はセボフルランである。」(段落【0022】,【0023】)(キ)「本発明の組成物は,合計で約98%w/wから約100%w/wの化学構造式?Tを有するフルオロエーテル化合物を含んでいる。好適には,本組成物は少なくとも99.0%w/wの該フルオロエーテル化合物を含んでいる。
また,本発明の麻酔薬組成物は生理学的に許容可能なルイス酸抑制剤も含んでいる。本明細書で用いる『ルイス酸抑制剤』という用語は,ルイス酸の空軌道と相互作用し,それによりその酸の潜在的な反応部位を遮断するあらゆる化合物を表している。生理学的に許容可能なあらゆるルイス酸抑制剤を本発明の組成物に使用することができる。本発明で使用できるルイス酸抑制剤の例は,水,ブチル化ヒドロキシトルエン(1,6-ビス(1,1-ジメチル-エチル)-4-メチルフェノール),メチルパラベン(4-ヒドロキシ安息香酸メチルエステル),プロピルパラベン(4-ヒドロキシ安息香酸プロピルエステル),プロポホール(2,6-ジイソプロピルフェノール),及びチモール(5-メチル-2-(1-メチルエチル)フェノール)を含む。
本発明の組成物は有効な安定化量のルイス酸抑制剤を含んでいる。本組成物に使用できるルイス酸抑制剤の有効な安定化量は,約0.0150%w/w(水当量)からフルオロエーテル化合物中におけるルイス酸抑制剤の約飽和レベルまでであると考えられる。本明細書で用いる『飽和レベル』という用語は,フルオロエーテル化合物中におけるルイス酸抑制剤の最大溶解レベルを意味している。・・・例えば,フルオロエーテル化合物がセボフルランで,且つルイス酸抑制剤が水の場合,本組成物を安定化するために使用される水の量は,約0.0150%w/wから0.14%w/w(飽和レベル)であると考えられる。しかし,一旦本組成物がルイス酸に晒されると,本組成物とルイス酸抑制剤の望ましくない分解反応を防止するため,ルイス酸抑制剤がルイス酸と反応するので,本組成物中のルイス酸抑制剤量は減少し得ることに留意すべきである。
本発明の組成物で使用するのに好適なルイス酸抑制剤は水である。・・・先述の如く,本組成物に付加できる水の有効量は,約0.0150%w/wから約0.14%w/wであり,好適には約0.0400%w/wから約0.0800%w/wであると考えられる。他のルイス酸抑制剤の場合は,水のモル量に基づくモル当量を使用すべきである。
フルオロエーテル化合物がルイス酸に晒されると,本組成物中に存在する生理学的に許容可能なルイス酸抑制剤がルイス酸の空軌道に電子を供与し,該抑制剤と該酸との間に共有結合を形成する。これにより,ルイス酸はフルオロエーテルのアルファフルオロエーテル部分との反応が妨げられ,フルオロエーテルの分解が防止される。
本発明の組成物は様々な方法で調製することができる。ある局面では,先ずガラス製ボトル等の容器をルイス酸抑制剤で洗浄またはすすぎ洗いした後,その容器にフルオロエーテル化合物が充填される。任意に,洗浄またはすすぎ洗いした後,その容器を部分的に乾燥させてもよい。
フルオロエーテルを容器に付加した後,その容器を密封する。本明細書で用いる『部分的に乾燥』という用語は,乾燥された容器または容器内に化合物の残留物が残るような不完全な乾燥プロセスを表している。また,本明細書で用いる『容器』という用語は,物品を保持するために使用することができるガラス,プラスチック,スチール,または他の材料でできた入れ物を意味している。容器の例は,ボトル,アンプル,試験管,ビーカー等を含む。
別の局面では,フルオロエーテル化合物を容器に充填する前に,乾燥した容器にルイス酸抑制剤を加える。ルイス酸抑制剤を加えた後,その容器にフルオロエーテル化合物が付加される。
代替的に,既にフルオロエーテル化合物を含有している容器にルイス酸抑制剤を直接加えてもよい。
更に別な局面では,フルオロエーテル化合物が充填されている容器にルイス酸抑制剤を湿潤条件下で加えてもよい。例えば,水分が容器内に蓄積するだけの充分な時間の間,容器を湿潤チャンバー内に置くことにより,フルオロエーテル化合物が充填された容器に水を加えることができる。
ルイス酸抑制剤は製造プロセスのあらゆる適切なポイントで本組成物に加えることができ,例えば,500リットル入り出荷容器等の出荷容器に充填する前の最終製造ステップで加えることもできる。適当な量の本組成物をその容器から分注し,当産業分野で使用するのにより好適なサイズの容器,例えば250mL入りガラス製ボトル等の容器に入れて包装することができる。更に,適量のルイス酸抑制剤を含有する少量の本組成物を用いて容器を洗浄またはすすぎ洗いし,容器に残っている可能性のあるルイス酸を中和することができる。ルイス酸を中和したら容器を空にし,その容器に付加量のフルオロエーテル化合物を加え,容器を密封してもよい。」(段落【0025】〜【0033】)(ク)「実施例1:ルイス酸としての活性アルミナタイプ?Vのガラスは主に二酸化珪素,酸化カルシウム,酸化ナトリウム,及び酸化アルミニウムからなっている。酸化アルミニウムは既知のルイス酸である。ガラスマトリックスは常態ではセボフルランに不活性である。しかし,特定の条件(無水,酸性)下では,ガラス表面が攻撃され,または変質し,セボフルランを酸化アルミニウム等の活性ルイス酸部位に晒すことがある。」(段落【0035】)(ケ)「実施例7:活性化されたタイプ?V褐色ガラス製ボトル内でのセボフルランの分解に関する追加試験実施例6の試験Sevoグループの5本のボトルからセボフルランをデカントした。各ボトルを新鮮なセボフルランで充分にすすぎ洗いした。次いで,各ボトルに約125mLの水飽和セボフルランを入れた。その後,その5本のボトルを回転機に約2時間掛け,活性化されたガラス表面に水を被覆できるようにした。次いで,各ボトルから水飽和セボフルランを排液し,400(添加)ppmの水を含有する100mLのセボフルランで置換した。50℃で18時間,36時間,及び178時間加熱した後,すべてのサンプルをガスクロマトグラフィーで分析した。ビスヘキサフルオロイソプロピルエーテル(P2)と総分解産物について測定した。その結果が以下の表7に示されている。」(段落【0056】)(コ)「表7の結果は,活性化されたガラス表面を加熱する前に水飽和セボフルランで処理することにより,セボフルランの分解が大いに抑制されたことを示している。」(段落【0058】)イ(ア)上記アの各記載によれば,麻酔薬として広く用いられるセボフルラン(フルオロエーテル化合物)は,容器内壁に存在するルイス酸(酸化アルミニウム等。以下「容器由来ルイス酸」ということがある。)と接触すると,容器由来ルイス酸がセボフルラン中のアルファフルオロエーテル部分を攻撃することにより,皮膚や粘膜に有害なフッ化水素酸を含む分解産物に分解される(以下,単に「セボフルランの分解」などというときは,当該分解を指す。)との問題があったところ,本件特許発明は,安定したセボフルランの貯蔵方法を提供するため,ルイス酸の空軌道に電子を供与してルイス酸との間に共有結合を形成することによりルイス酸と上記アルファフルオロエーテル部分との反応を妨げるような性質を有する物質(本件明細書にいう「ルイス酸抑制剤」)で容器内壁を被覆して,当該物質により容器由来ルイス酸の潜在的な反応部位を遮断し(以下「容器由来ルイス酸を中和する」などということがある。),もって,容器由来ルイス酸によるセボフルランの分解を防止することを目的とするものであるといえる。
したがって,本件特許発明にいう「ルイス酸抑制剤」とは,上記性質を有する物質であって,容器由来ルイス酸を中和し,もって,容器由来ルイス酸によるセボフルランの分解を防止するとの作用効果をもたらすものであると認められる。
このように,本件特許発明においては,ルイス酸抑制剤により容器由来ルイス酸を中和することを手段として,容器由来ルイス酸によるセボフルランの分解の防止との作用効果を実現するものであるから,容器由来ルイス酸によるセボフルランの分解の防止が容器由来ルイス酸の中和と関係なく実現される場合には,ルイス酸抑制剤が,容器由来ルイス酸によるセボフルランの分解を防止するとの作用効果をもたらすとはいえず,そのような場合におけるルイス酸抑制剤は,本件特許発明にいう「ルイス酸抑制剤」に該当しないものと解するのが相当である。換言すれば,本件特許発明にいう「ルイス酸抑制剤」に該当するためには,当該ルイス酸抑制剤による容器由来ルイス酸の中和と容器由来ルイス酸によるセボフルランの分解の防止との間に,当業者の認識を踏まえた因果関係が認められることを要すると解すべきである。
そして,本件特許発明の上記目的及び上記アの本件明細書の各記載によれば,本件特許発明は,ルイス酸抑制剤による容器内壁の被覆後,容器内壁とセボフルランとが接触することを当然の前提にしているものと解される。したがって,容器由来ルイス酸とセボフルランとが接触するものと認められない場合,例えば,物理的な要因により,セボフルランの通常の貯蔵条件下及び貯蔵期間内における容器内壁とセボフルランとの接触が完全に又は著しく妨げられる場合(そのような接触があるとの立証がない場合)には,容器由来ルイス酸とセボフルランとの接触があるものとは認め難く,それ故,容器由来ルイス酸によるセボフルランの分解の防止とルイス酸抑制剤による容器由来ルイス酸の中和との間に,当業者の認識を踏まえた因果関係があると認めることはできないものと解するのが相当である。
(イ)この点に関し,被控訴人らは,「本件特許発明においては,『被覆』する時点で,ルイス酸抑制剤と容器内壁のルイス酸が接触して中和反応が生じることが重要であり,『被覆』した後に,当該被覆が覆い被された状態で固化し,そのまま残存するかどうかは,本件特許発明との関係では付加的な事項にすぎない」と主張するが,容器由来ルイス酸の中和の目的が容器由来ルイス酸によるセボフルランの分解の防止であることは,上記説示のとおりであり,また,被控訴人らも認めるところであるから,被控訴人らの上記主張が,容器由来ルイス酸によるセボフルランの分解の防止が容器由来ルイス酸の中和と無関係に,すなわち,容器由来のルイス酸とセボフルランとの接触が生じなくてもよい旨をいうものとすれば,本件特許発明の上記目的,作用効果等に照らし失当であることは明らかである。
(2)構成dの「エポキシフェノリックレジン」及びその「ラッカー」についてア証拠(検甲1の2,検甲4,検乙1)及び弁論の全趣旨によれば,構成dの「エポキシフェノリックレジン」及びその「ラッカー」は,構成bのアルミニウム製容器(以下「控訴人容器」という。)の内壁に塗布される際には液状のEPRラッカーであり,塗布後,控訴人容器にセボフルランを配置する時点においては固化したEPR被膜となっているものと認められる。
イEPR被膜の透過性について上記アのとおり,EPR被膜は,EPRラッカーを塗布して固化させることにより形成されるものであるところ,証拠(乙28(第2の6))及び弁論の全趣旨によれば,このようにして形成されたEPR被膜は,少なくとも巨視的なレベルにおいては,液体であるセボフルランに対する物理的な障壁となるものと認められる。
他方,分子レベルにおいては,EPR被膜を構成する高分子鎖の間隙を低分子物質が透過すること自体を否定することはできない(甲57)が,セボフルランの通常の貯蔵条件下及び貯蔵期間内において,セボフルランがEPR被膜をどの程度透過し,控訴人容器の内壁と接触するのかを明らかにする確たる証拠はない(なお,甲91(実験成績証明書)には,控訴人製品において使用されているEPRを用いて作製した約1gの被膜片を,25℃(○)及び40℃(○)の条件下で,63pA Bpmの水分を含有するセボフルランに20時間浸漬した後,被膜片を防塵紙の上に取り出し,付着した液を吸い取った上で(?@),被覆片の重量を測定し,その後,25℃の条件下で,被膜片を防塵紙上に60分間放置した後(?A)並びに更にその後デシケータ内で1時間減圧乾燥した後(?B)及び3時間減圧乾燥した後(?C)に,それぞれ,被膜片の重量を測定したところ,○の条件下では,?@ないし?Cの時点にAおける被膜片の重量の増加割合が,それぞれ,0.51%,0.28%,0.10%及び0.01%,○の条件下では,それぞれ,0.92%,0.31%,0.0B6%,0.00%であったとの実験結果が記載されているが,上記実験条件とセボフルランの通常の貯蔵条件及び貯蔵期間との相違や,被膜片の重量の増加割合が極めて僅少な割合に止まっていることなどを勘案すると,この実験結果をもって,セボフルランの通常の貯蔵条件下及び貯蔵期間内において,有意な量のセボフルランがEPR被膜を透過して控訴人容器の内壁と接触することの確たる根拠とすることができないことは,明らかである。)。
被控訴人らは,「EPR被膜が損傷を受けた場合,控訴人が主張する物理的遮断によって,ルイス酸によるセボフルランの分解を抑制することができない」とも主張するが,控訴人方法として特定された各構成(当事者間に争いがない。)は,構成dの「エポキシフェノリックレジンのラッカーで被覆」された結果形成されたEPR被膜が,後に損傷を受けることを含んでいないのであるから,被控訴人らの上記主張は,その前提を欠くものとして失当である。
以上からすると,容器内壁にEPR被膜を有する容器の場合,セボフルランの通常の貯蔵条件下及び貯蔵期間内において,容器内壁とセボフルランとの接触があるものと認めることはできない。
(3)上記(1)及び(2)によれば,構成dにおいては,EPRにルイス酸抑制剤としての作用効果があると仮定してみても,ルイス酸抑制剤による容器由来ルイス酸の中和と容器由来ルイス酸によるセボフルランの分解の防止との間に,当業者の認識を踏まえた因果関係があると認めることはできないから,構成dの「エポキシフェノリックレジンのラッカー」が構成要件Dの「ルイス酸抑制剤」に該当するということはできない。
その他,構成dの「エポキシフェノリックレジンのラッカー」が構成要件Dの「ルイス酸抑制剤」に該当するものと認めるに足りる証拠はない。
2争点2(構成dが構成要件Dを充足するか)についての結論争点2-3についての判断は上記1のとおりであるから,その余の点について判断するまでもなく,構成dは,構成要件Dを充足しないことになる。
3被控訴人らの請求についての結論以上のとおりであるから,その余の各争点について判断するまでもなく,被控訴人らの請求は,いずれも理由がない。
第5結論よって,当裁判所の上記判断と異なる原判決は不当であるから,原判決を取り消した上,被控訴人らの請求をいずれも棄却することとして,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 田中信義
裁判官 浅井憲
裁判官 杜下弘記