関連審決 | 無効2003-35449 無効2002-35399 |
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審判番号(事件番号) | データベース | 権利 |
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平成16ワ8682損害賠償請求事件 | 判例 | 特許 |
平成18ネ10038損害賠償請求控訴事件 | 判例 | 特許 |
平成18ネ10030特許権侵害差止等請求控訴事件 | 判例 | 特許 |
平成17ネ10040特許権侵害差止請求控訴事件 | 判例 | 特許 |
平成17ネ10005損害賠償等請求控訴事件 | 判例 | 特許 |
関連ワード | 承継 / 技術的思想 / 方法の発明 / 製造方法 / 新規性 / 守秘義務 / 秘密保持義務 / 共同研究 / 29条1項3号 / 頒布された刊行物 / 進歩性(29条2項) / 技術的範囲 / 出願公開 / 同一の発明 / 特許の有効性 / 技術常識 / 遡及 / パリ条約 / 優先権 / 分割出願 / 実質的に同一 / 着想 / 抵触 / 優先日 / 置換 / 同一の作用効果 / 不存在 / 実施 / 構成要件 / 構成要件充足性 / 差止請求(差止) / 侵害 / 設定登録 / 移転登録 / 請求の範囲 / 変更 / |
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事件 |
平成
17年
(ネ)
10004号
特許権侵害差止等請求控訴事件
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控訴人 日本バイオ・ラッド ラボラトリーズ株式会社 代表者代表取締役 訴訟代理人弁護士 鈴木 修 同 深井俊至 訴訟復代理人弁護士 下田憲雅 同 遠藤崇史 補佐人弁理士 伊藤 茂 同 江尻 ひろ子 同 深澤憲広 ピーイーコーポレイション(エヌワイ)訴訟承継人(吸収合併) 被控訴人 アプレラコーポレイション 代表者 訴訟代理人弁護士 木ア 孝 同 森岡 誠 補佐人弁理士 山本秀策 同 森下夏樹 |
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裁判所 | 知的財産高等裁判所 |
判決言渡日 | 2006/01/25 |
権利種別 | 特許権 |
訴訟類型 | 民事訴訟 |
主文 |
1 原判決中,控訴人の敗訴部分を取り消す。 2 前項の取消しに係る被控訴人の請求を棄却する。 3 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。 4 この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。 |
事実及び理由 | |
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控訴の趣旨
主文同旨 |
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事案の概要
1 本件は,発明の名称を「核酸増幅反応モニター装置」とする特許権(特許第3136129号。以下「本件特許権」又は「本件特許」という。)を承継取得したピーイーコーポレイション(エヌワイ)(1審原告。以下「ピーイー社」という。)が,控訴人(1審被告)による原判決別紙物件目録記載の装置(核酸増幅を解析するための装置。以下「被告製品」と総称する。)の輸入・販売が本件特許権の侵害に当たると主張して,控訴人に対し,被告製品の輸入・販売の差止め及び廃棄を求めた訴訟である。 2 平成15年4月14日になされた原判決は,ピーイー社の本訴請求中,輸入・販売の差止請求は被告製品の全部につき,廃棄請求は被告製品のうち解析コンピュータ及びカラープリンターを除く部分につき,それぞれその請求を認容し,その余を棄却したので,控訴人が敗訴部分の取消しを求めて本件控訴を提起した。 3 その後当審において,アプレラコーポレーションがピーイー社を吸収合併して本件を訴訟承継し,被控訴人となった。 4 なお,控訴人のいわゆる親会社であるバイオ-ラッド・ラボラトリーズ・インコーポレーテッド(以下「バイオ-ラッド社」という。)は,本件特許に関して特許庁に対し,@平成14年9月20日(第1次請求)及びA平成15年10月30日(第2次請求)に,それぞれ特許無効審判請求をしたところ,特許庁は,@平成15年12月25日に第1次請求につき請求不成立の審決(第1次審決)をし,A平成17年3月25日に第2次請求に基づき本件特許権を無効とする審決(第2次審決)をした。 そこで,上記@の第1次審決に対してはバイオ-ラッド社が(当庁平成17年(行ケ)第10065号,旧表示・東京高裁平成16年(行ケ)第190号),上記Aの第2次審決に対しては被控訴人アプレラコーポレーションが(当庁平成17年(行ケ)第10572号),それぞれ原告となって審決取消訴訟を提起し,本件訴訟と並行的に審理が進められている。 |
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当事者の主張
1 当事者双方の主張は,次のとおり訂正付加するほか,原判決第2の1ないし3に記載のとおりであるから,これを引用する。 なお,以下においては,原判決の略語表示は,当審においてもそのまま用いる(例えば,被告製品から解析用コンピュータ及びカラープリンタを除いた装置を「被告装置」という。)。 2 訂正 (1) 原判決2頁21行目から3頁17行目までを次のとおり改める。 「(1) 特許庁等における手続の経緯 ア 本店所在地がスイス・シーエイチー4070 バーゼル・グレンツアーヘルストラツセ 124であるエフ.ホフマン-ラ ロシュ アーゲー(F.HOFFMANN-LA ROCHE AKTIENGESELLSHAFT)(国籍・スイス連邦。以下「ロシュ社」という。)は,平成4年5月6日,パリ条約による優先権主張日を平成3年(1991年)5月2日(米国)(以下「本件優先日」という。)とし,名称を「核酸増幅反応モニター装置」とする発明について国際特許出願し,その後平成10年2月2日に至りその一部を新たな特許出願(特願平10-21236号)としたところ,これにつき平成12年12月1日,特許庁から特許第3136129号として設定登録(請求項1ないし7。本件特許権)を受けた。 その後,被控訴人と同じ場所に本店所在地を有するピーイー社(国籍・アメリカ合衆国)は,ロシュ社から本件特許権の移転を受け,平成13年5年17日(受付年月日 平成13年4月20日)その移転登録を受けた後,被控訴人に吸収合併されて,被控訴人が本件特許権を承継し,平成16年10月6日(受付年月日 平成16年9月21日)その移転登録を受けた。 イ 一方,控訴人の親会社であるバイオ-ラッド社(国籍・アメリカ合衆国)は,平成14年9月20日,本件特許につき無効審判請求(被請求人ピーイー社)をし,特許庁は,これを無効2002-35399号事件(第1次請求事件)として審理した上,平成15年12月25日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決(第1次審決)をした。同審決に対してはバイオ-ラッド社がその取消訴訟を提起し(当初の被告はピーイー社であったが,前記吸収合併により被控訴人がピーイー社を訴訟承継した。),当庁平成17年(行ケ)第10065号(旧表示・東京高裁平成16年(行ケ)第190号)事件として,係属中である。 また,その間の平成15年10月30日,バイオ-ラッド社は,本件特許につき更に無効審判請求(被請求人ピーイー社)をした。特許庁は,同請求を無効2003-35449号事件(第2次請求事件)として審理し,その係属中の平成16年6月24日,被請求人ピーイー社は,請求項3の訂正等を内容とする訂正請求をした(以下「本件訂正」という。)。その後,被控訴人は,前記のとおりピーイー社を吸収合併して第2次請求事件の被請求人の地位を承継した。 そして特許庁は,平成17年3月25日,「訂正を認める。特許第3136129号の請求項1〜7に係る発明についての特許を無効とする。」との審決(第2次審決)をした。同審決に対しては被控訴人がその取消訴訟を提起し,当庁平成17年(行ケ)第10572号事件として,係属中である。 (2) 発明の内容 ア 本件特許に係る発明の内容は,以下のとおりである。 (ア) 平成12年12月1日の設定登録時 原判決末尾添付の別紙特許公報(甲2)の特許請求の範囲(請求項1ないし7)のとおり。 (イ) 平成16年6月24日の本件訂正請求時(甲24。下線部が前記(ア)と異なる部分) 次の請求項1ないし7に記載されたとおりであり,これらの発明を,以下順次,「本件発明1ないし7」という(なお,本件訂正前の請求項(旧請求項)3に記載された発明を訂正前発明3という。)。 【請求項1】 複数の熱循環にわたって核酸増幅反応をモニターするための装置であって,1又は複数の核酸増幅反応混合物を収容するための支持体を有する熱循環器,及び前記1又は複数の核酸増幅反応混合物に光学的に連係される光学系を有し,ここで該光学系は,前記1又は複数の核酸増幅反応混合物を閉じたままで各反応混合物からの光シグナル測定するために作用し得る検出器を有し,これにより,複数の循環期間にわたって各光学シグナルの循環依存的変化を測定することが可能である,ことを特徴とする装置。 【請求項2】 単一の核酸増幅反応混合物のみを収容するようにされた,請求項1に記載の装置。 【請求項3】 複数の核酸増幅反応混合物を収容するようにされた,請求項1に記載の装置であって,増幅前 に存在 する 標的核酸量 の定量 のために使用 される ,装置 。 【請求項4】 前記検出器が蛍光発生シグナル検出するように作用する,請求項1〜3のいずれか1項に記載の装置。 【請求項5】 前記検出器が,各反応混合物からの光シグナルを集めるための1又は複数の光ファイバーリードを有する,請求項1〜4のいずれか1項に記載の装置。 【請求項6】 前記1又は複数の核酸増幅反応混合物を収容するための1又は複数の反応容器をさらに有する,請求項1〜5のいずれか1項に記載の装置。 【請求項7】 前記検出器が,各反応混合物からの光シグナルを集めるための1又は複数の光ファイバーリードを有し,そして各光ファイバーリードが,前記1又は複数の反応容器の各々の透明な又は半透明なキャップと光学的に連係するようにされている,請求項6に記載の装置。 イ 本件発明1を構成要件に分説すると,次のとおりとなる(以下,「構成要件A」等という。)。 A 複数の熱循環にわたって核酸増幅反応をモニターするための装置であって, B 1又は複数の核酸増幅反応混合物を収容するための支持体を有する熱循環器, C 及び前記1又は複数の核酸増幅反応混合物に光学的に連係される光学系を有し, D ここで該光学系は,前記1又は複数の核酸増幅反応混合物を閉じたままで各反応混合物からの光シグナル測定するために作用し得る検出器を有し, E これにより,複数の循環期間にわたって各光学シグナルの循環依存的変化を測定することが可能である, ことを特徴とする装置。 ウ 本件発明3を構成要件に分説すると,次のとおりとなる。 F 複数の核酸増幅反応混合物を収容するようにされた, 請求項1に記載の装置(A〜E) G であって,増幅前に存在する標的核酸量の定量のために使用される,装置。」 (2) 原判決第2の1(3)ないし3中の「本件発明」を「本件発明1」と,いずれも改める。 (3) 原判決5頁10行目の「(5)」を「(4)」と,14行目の「(6)」を「(5)」とそれぞれ改める。 (4) 原判決10頁4行目及び14頁12行目の「興味」を「ご興味」と,いずれも改める。 3 控訴人の主張 (1) 構成要件C,Dの不充足(争点(1)関係) 本件特許の明細書(原判決末尾添付の別紙特許公報(甲2)掲載のもの。以下「本件明細書」という。)の記載によれば,本件発明1における構成要件C,Dの「光学系」とは,光ファイバーを使用した光学系に限られるというべきである。しかるに,被告装置は,光学的な連携手段として光ファイバーとは異なるCCD(電荷結合素子 Charged Coupled Device)を備えており,本件発明1の構成要件C,Dを充足しないから(控訴人第1準備書面の第1,2),本件発明1の技術的範囲に含まれない。 したがって,被告装置は,被控訴人の本件特許権を侵害しないというべきである。 (2) 違法な分割出願(争点(2)イ関係) 本件特許出願は,原出願(特願平4-1548454号)からの分割出願であるところ,原出願に係る発明(原出願明細書(乙1)の請求項11に,請求項13,14及び18の限定内容を加えた発明。原判決4頁7行〜5頁9行)と本件発明1とは,それぞれ,形式的に「方法の発明」と「物(装置)の発明」としてカテゴリーが異なる発明の体裁をとっているものの,それ以外には,発明の目的,解決すべき課題,発明の構成,発明の作用効果において実質的に同一であり,両発明は実質的に同一発明であって,一発明一特許の原則に反し,特許法44条1項にいう「二以上の発明」という分割出願の要件を充たさない。 そうすると,本件特許の出願日は原出願の出願日に遡及せず,現実の出願日である平成10年2月2日が出願日となるが,原出願に係る発明は平成5年7月27日に出願公開されており(乙1),また,本件発明1の技術的範囲に含まれることの明らかな装置発明が特開平7-163397号公報(乙2)として平成7年6月27日に公開されているので,本件発明1は,上記各発明との関係で新規性又は進歩性がなく,特許を受けることができないものである。 (3) 特許法104条の3第1項に基づく権利行使の制限(当審における新たな主張) 本件発明1,3は,次に述べるとおり新規性又は進歩性が欠如し,かつ,前記のとおり特許庁が平成17年3月25日に本件発明1ないし7についての特許を無効とするとの審決(第2次審決)をし,特許無効審判により無効にされるべきものであるから,特許法(原判決言渡し後に施行された平成16年法律第120号による改正後のもの)104条の3第1項の規定により,特許権者たる被控訴人は,控訴人に対し,その権利を行使することができない。 ア 新規性の欠如 本件発明1,3は,本件優先日前である1991年(平成3年)4月18日から同月20日に開催された国際会議”Selection-natural and unnatural-in biotechnology”」(以下「本件ワークショップ」という。)において頒布された刊行物である「REPORT ON EVOLUTION RESEARCH,DEPARTMENT OF BIOCHEMICAL KINETICS MAX-PLANCK-INSTITUT FUR BIOPHYSIKALISCHE CHEMIE GOTTINGEN,1990」(乙26。以下「本件報告書」という。)に記載された発明と同一であるから,新規性がない。 (ア) 本件ワークショップにおける本件報告書の配布 a 本件ワークショップがドイツ国J市の「マックス・プランク生物物理化学研究所」(以下「マックス・プランク研究所」という。)で1991(平成3)年4月18日から20日に開催された。 そして,本件報告書は,本件ワークショップの期間中,その主催スタッフによって,参加者に対しその他の書類及び名札と共に配布された。 本件ワークショップには,マックス・プランク研究所の研究員のほか,BASF社,ロシュ社等の製薬業界の人々や,ハーバード大学等の研究者が参加しており(乙40),不特定人が参加した国際会議であった。また,本件報告書を本件ワークショップで配布した目的は,研究結果を本件ワークショップで発表し,研究結果について参加者と討論するためであり,本件報告書が参加者に手渡された際,主催者などから,参加者に対し,本件報告書の取扱いについてこれを秘密とする旨の明示又は黙示の指示は一切なかった(乙47)。 b 本件ワークショップにおいて本件報告書が配布された事実は,K博士の供述(乙27),L博士の供述(乙37,39,62),M博士の供述(乙47)及び証言(乙60の3,61),N博士の供述(乙69)から,明らかである。 L博士は,ノーベル賞を受賞するほどの高名な研究者であり,マックス・プランク研究所にける本件ワークショップの主催及び本件報告書の作成の責任者であり,また,K博士及びM博士は,著名な研究者であり,いずれもL博士の下,グループリーダーとして本件報告書に係る研究に従事し,本件報告書中の論文を執筆した。K博士及びM博士も本件特許及び本件訴訟に一切の利害関係を有していない。N博士は,マックス・プランク研究所に所属しない外部の者であり,本件ワークショップで講演を行った。 また,本件報告書が参加者に手渡された際,主催者などから,参加者に対し,本件報告書の取扱いについてこれを秘密にする旨の明示又は黙示の指示が一切なかったことは,BASF社及び本件ワークショップに出席していないCepheid社が欧州特許庁に本件報告書の抜粋を提出したこと(乙44,63の各1,2),ロシュ社が被控訴人に本件報告書の抜粋を渡したこと,被控訴人が本件報告書の少なくとも一部を所持していたこと,控訴人が本件報告書の写しを所持していたことからも明らかである。 c これに対し被控訴人が本件報告書の配布の事実を否定する根拠として挙げるO博士の供述(甲13,32),P博士の供述(甲14),L博士の秘書Q氏の回答(甲16)及び供述(甲36),R氏の供述(甲25),S氏の供述(甲26),T博士の供述(甲29),U博士の供述(甲31),V博士の供述(甲33),W博士の供述(甲34),X氏の供述(甲35),Y博士の供述(甲37),Z博士の供述(乙38,40),本件報告書が特定の図書館に所蔵されていないという事実(甲17〜19)等は,いずれも根拠となるものではない。 (イ) 頒布刊行物該当性 a 内部資料であっても,それが秘密保持義務を有さないいわゆる「不特定人」に配布する目的で複製され,頒布された文書は,その時点において秘密性は解かれ,特許法29条1項3号にいう「頒布された刊行物」に該当するというべきである(最高裁昭和55年7月4日第二小法廷判決・民集34巻4号570頁)。 したがって,何らの秘密保持義務を課されることなく,本件ワークショップの参加者に配布する目的で相当部数作成され,現に参加者に配布された本件報告書は,「頒布された刊行物」に該当することは明らかである。 b これに対し被控訴人は,「頒布された刊行物」というためには,公衆が閲覧しようと思えば容易に閲覧できる状態になければならない旨主張する。しかし,本件ワークショップの参加者に対し,積極的に配布された本件報告書は,「公衆に対し頒布により公開することを目的として複製された文書」そのものであり,「公衆からの要求をまってその都度原本から複写して交付されるもの」ではない。 したがって,「公衆の自由な閲覧に供され」るか否かの判断基準を適用するまでもなく,本件報告書は,「頒布された刊行物」に該当するというべきである。 (ウ) 本件発明1の新規性の欠如 本件発明1と本件報告書(乙26)記載の発明を対比すると,次のとおり,本件報告書記載の発明は本件発明1の構成要件をすべて充足しており,本件発明1には新規性がない。 a 構成要件A 本件報告書(乙26)では,「PCRを行うことができる装置」と「蛍光計」とを組み合わせて,「核酸濃度を,蛍光指示薬を用いてPCRのあいだ測定することができ」る装置を開示している(55頁16行〜24行)。 PCRとは,「反応は(i)DNA二本鎖の解離,(ii)オリゴヌクレオチドとのアニーリング,(iii)DNAポリメラーゼによる相補鎖合成,の3反応の繰返し(通常20〜30回)から成る」,すなわち,複数の熱循環を伴う核酸増幅反応の一態様である。 そして本件報告書の装置は,そのような特徴を有する「PCRのあいだ」,蛍光指示薬を用いて核酸増幅のオンラインモニタリングが可能であることが記載されている。 したがって,本件報告書の装置は,「複数の熱循環を伴う核酸増幅反応を,複数の熱循環を伴う核酸増幅反応のあいだ,オンラインでモニタリングする」ことを特徴とする装置であるから,本件発明1の構成要件Aを備える。 b 構成要件B 本件発明1の構成要件Bの「支持体」は,本件明細書(甲2)の記載(段落【0066】),請求項6を併せ考慮すると,「加熱ブロック」を意味するものである。 これに対し,本件報告書(乙26)には,「実験の各ステップのための複数ステーション」を構成として有し,さらに「全てのサーモスタット付きステーションは,高い熱容量を有する大きなアルミニウムブロックから構築され」,「それらは,加熱装置または冷却装置を備え」ており,それぞれのアルミニウムブロック上を,マルチウェル反応チャンバーを支持するサンプルキャリアを移送ユニットを用いて移動させることにより,「複数の核酸増幅反応(PCR)(Mullis et al., 1987)を同時に行うことができるように容易に改造することができる」(55頁16行〜18行)ことが記載されている。 すなわち,本件報告書の装置は,マルチウェル反応チャンバーを支持するサンプルキャリアをアルミニウムブロック上に載せて行う核酸増幅反応を可能とした熱循環器を開示しているのであり,これは構成要件Bにいう「1又は複数の核酸増幅反応混合物を収容するための支持体を有する熱循環器」に該当する。 c 構成要件C 本件報告書(乙26)の装置では,「マルチチャンネル蛍光計」を用いて測定を行っている。このマルチチャンネル蛍光計は,「励起光は,光ファイバーにより全てのサンプルに導かれ」(乙26の56頁5行〜6行),「蛍光放射は,独立した複数のファイバー(ウェーブガイド)により集められる。検出器部位では,それらファイバーは一緒にまとめられて,規則的なパターンが得られる。ペルティエ冷却型CCDカメラは,ファイバー末端から出射する光強度を測定する」(56頁13行〜15行)という構成を有する。 本件報告書(乙26)の装置は,このような光ファイバーを含む光学系の構成を採用することにより,「蛍光計により,核酸増幅のオンラインモニタリングが可能になる」(55頁20行〜21行)ものであるから,本件発明1の構成要件Cに該当する。 d 構成要件D 本件報告書(乙26)に,「薄い箔で中身が入ったマルチウェル反応チャンバーをシールすることにより,交差夾雑を防止する。この箔は非常に光透過性が高く,核酸の増加をマルチチャンネル蛍光計により観察することができる」(55頁1行〜4行)と記載されているとおり,本件報告書の装置では,マルチウェル反応チャンバーのそれぞれのサンプルは,開くことなく閉じたまま蛍光計で測定されていることが示されている。さらに,本件報告書の光学系は,前記cのとおりの特徴を有する。 したがって,本件報告書の装置は,構成要件Dにいう「核酸増幅反応混合物を閉じたままで各反応物からの光シグナル測定するために作用し得る検出器を有する光学系」を備える。 e 構成要件E 構成要件Eにいう「これにより,複数の循環期間にわたって各光学シグナルの循環依存的変化を測定することが可能である」とは,本件発明1の目的を示している構成要件A「複数の熱循環にわたって核酸増幅反応をモニターするための装置」との要件に対応した本件発明1の効果を示したものであり,両者は表裏一体をなすものである。 したがって,本件報告書(乙26)に開示された発明は,本件発明1の構成要件Eを備える。 (エ) 本件発明3の新規性の欠如 本件訂正前の請求項(旧請求項)3は,「複数の核酸増幅反応混合物を収容するようにされた,請求項1に記載の装置」というものであり,これは,本件報告書(乙26)の装置において「マルチウェル反応チャンバー」とそれを支持するアルミニウムブロック製の支持体及び「マルチチャンネル蛍光計」を使用していることと全く同じである。 一方,本件訂正後の請求項(新請求項)3(本件発明3)の構成要件Gは,単に装置を用いて得られた「データの用途」を特定しているにすぎず,「装置の用途」を提供するものではなく,本件発明3の装置自体の構成は,本件発明1の装置の構成と何ら変わるところはない。すなわち,本件報告書が開示する装置は,本件発明1の構成をすべて充たすものであり,増幅反応前に存在する標的核酸量を定量することができるという本件発明1と同一の作用効果を有することは明らかである。 したがって,請求項3についての本件訂正によっても,装置の構成に変更が加えられているわけではない以上,その本質は本件発明1の装置と全く異なるところはないから,本件発明3は新規性がない。 (オ) 発明の実施可能性 被控訴人は,本件報告書(乙26)の「II.3.4 大規模な平行進化の実験 H」の項(53頁9行〜55頁28行,訳文9頁15行〜13頁1行。 以下「H論文」という。)が,進化装置をPCRに応用する場合に用いた「蛍光指示薬」の種類及び蛍光指示薬を含む反応混合物の組成を一切開示していないため,本件報告書から本件発明と同一の発明を実施することができないから,本件報告書(刊行物)に本件発明1の技術的思想が記載(特許法29条1項3号)されているとはいえないと主張する。 しかし,本件発明1は,特許請求の範囲等その他明細書の記載から判断する限り,「装置」という「物」の発明であるから,「物の構成」が全て開示されていれば,発明の記載(特許法29条1項3号)がされているとみるべきである。 また,「蛍光指示薬」及びその具体的な物である「エチジウムブロマイド」は,そもそも本件発明1の「核酸増幅反応モニター装置」を構成する物ではない。 なお,当業者が本件報告書のH論文(55頁)に「蛍光指示薬」とのみ記載されていて,その「蛍光指示薬」の種類が明らかでないと判断した場合には,同一刊行物中のその他の記載を参照するのは当然のことであるところ,本件報告書の「II.3.3 IN VITROでの進化実験の制御と自動化 W」の項(51頁30行〜53頁8行,訳文7頁14行〜9頁14行。以下「W論文」という。)の52頁には蛍光指示薬としてエチジウムブロマイドを使用したことが明確に記載されている。そして,本件報告書は,一研究室の業績をまとめたもので,個々の節の記載が有機的に関連し,全体として一刊行物として開示されたものであるから,本件報告書には,具体的に使用された蛍光指示薬について,実施可能な程度に記載されているというべきである。また,本件優先日当時の技術常識として,DNAを定量する際の蛍光指示薬として「エチジウムブロマイド」が極めて一般的であったから,本件報告書を構成するH論文中の「蛍光指示薬」との上記記載のみからも,当業者は,これがエチジウムブロマイドを意味すると解することは自明であったというべきである。 (カ) まとめ 特許庁は,平成17年3月25日,本件特許に関する第2次審決において,本件特許の請求項1〜7に係る発明は,本件優先日前に頒布された刊行物である本件報告書(乙26)に記載された発明と同一であり,本件特許を無効とする判断をした(乙64)。また,欧州特許庁(EPO)は,平成16年12月8日,被控訴人が特許権者である本件特許に対応する欧州特許(欧州特許第0872562号。以下「被控訴人欧州特許」という。)に対する異議手続において,本件報告書は本件ワークショップの参加者に対し守秘義務が課されることなく配布されたことにより公衆に対し頒布されたことを認定した上で,被控訴人欧州特許に係る発明はいずれも本件報告書との関係で新規性を欠くとして,被控訴人欧州特許を取り消す旨の決定をした(乙59,60の1,2)。 以上のとおり,本件発明1,3には新規性がなく,特許法29条1項3号により特許を受けることができなかったものであるから,特許無効審判により無効となるべきものである。 イ 進歩性の欠如 (ア) 本件特許に係る本件優先日(平成3年5月2日)当時,次に述べる点は,既に公知であった。 a 生化学分野において,蛍光反応を利用したリアルタイム測定のための光学系(蛍光測定装置)(乙4〜8)及びポリメラーゼ連鎖反応(PCR)を行うための装置(乙3)は,いずれも公知であった。 b 加熱後にもポリメラーゼ活性を有している耐熱性ポリメラーゼ,Taqポリメラーゼが開発されており,各熱循環ごとに核酸ポリメラーゼを添加することなく,サーマルサイクラーを閉じたままで複数回の熱循環を繰り返し,PCRにより核酸増幅反応を行うことができることは公知であった(乙15)。 c PCR反応混合物中に予め標識を添加してPCR反応を行うという概念も公知であった。例えば,本件明細書(甲2)には,従来技術として,放射同位体により標識された増幅プライマーをPCR反応混合物中に添加して,同時的に増幅と標識とが可能である(段落【0007】)との記載がある。 d 乙24にはプライマーに蛍光性タグを導入することにより,PCR反応によるDNAの増幅を観測することが記載されており,PCR反応の当初より蛍光性タグを持ったプライマーを用いることにより,DNAの増幅を蛍光の増大により観測することも公知であった。 (イ) 一方,本件明細書(甲2)には,乙16(「DNA Synthesis」, W.H. FREEMAN AND COMPANY.1974年発行)及び乙17(「Journal of Molecular Biology 1973年78号」)の文献を引用して,「核酸ポリメラーゼに対する挿入試剤の阻害効果」が動機付けを阻害する要因であるかのような記載がある(段落【0019】)。 しかし,乙16には,エチジウムブロマイドが変異原性を有することの記載はあるものの,複製の進行自体を阻害するとの記載は一切なく,また,乙17には,エチジウムブロマイドがRNAポリメラーゼに対する阻害効果を有していることについての記載はあるものの,PCR法において使用する「DNAポリメラーゼ」に対する阻害効果に関する記載はなく,そもそもPCR法の原理,PCR法で使用される試薬,PCR法が行われる条件など全く念頭に置かれたものではないから,本件明細書の上記記載に接した当業者が,PCR反応混合物中にエチジウムブロマイドを添加するとPCR法を行う際にDNAの複製が阻害されるという認識を持つことはない。また,このような解決課題があるとしても,それを解決すべく研究するのは生化学者の領域であり,装置を製造・販売する業界の当業者の技術者にとっては,装置開発の阻害要因にはならない。しかも,本件明細書(甲2)には,そのような「阻害効果」の問題があったとしても,解決のための何らかの技術的努力を必要としたとの記載もなく,これは,取りも直さず,本件発明1においては,エチジウムブロマイドを添加することに何ら阻害効果が存在しなかったことを意味している。 (ウ) 被控訴人が主張しているような定量等の種々の効果は,まさしく生化学者が考え出したデータ処理方法(すなわち原出願に係る発明)によるものであり,当該装置としての技術的効果は,上記の如き本件優先日当時において公知の技術を組み合わせるという単純な着想的発明の結果にすぎない。 本件発明1は,装置として規定されてはいるが,装置としては極めて抽象的かつ未成熟なレベルのものであり,本件発明1の装置が,単にPCRを行うための装置とリアルタイム測定を行うための蛍光測定装置とを,その蛍光測定装置に付属する光ファイバーにより接続しただけのものであり,従来の技術と比較した場合に新規な特徴的な構成は何一つ存在しない。 (エ) 以上のとおり,本件優先日当時において公知のPCRを行うための装置と,リアルタイム測定を行うための光学系(蛍光測定装置)とを結びつけることは,装置を製造・販売する業界の当業者であれば当然に考えることであって容易想到であったから,本件発明1には進歩性がなく,特許法29条2項により特許を受けることができなかったものであり,特許無効審判により無効となるべきものである。 4 被控訴人の主張 (1) 本件発明3の構成要件充足性(当審における新たな主張) ア 被告装置は,以下のとおり本件訂正後の請求項3(本件発明3)の構成要件(A〜G)をすべて充足するから,本件発明3の技術的範囲に属する。 (ア) 構成要件A〜E 本件発明3の構成要件A〜Eは,請求項1(本件発明1)と同一であるから,被告装置は,これらを充足する。 (イ) 構成要件F 被告装置は,96個のウエルを持つサンプルプレートを有しており,複数の核酸増幅反応混合物を収容できるから,本件発明3の構成要件Fの「複数の核酸増幅反応混合物を収容するようにされた」を充足する。 (ウ) 構成要件G 被告装置は,「増幅前に存在する標的核酸量の定量のために使用され」るから,構成要件Gを充足する。 イ したがって,控訴人による被告装置を含む被告製品の輸入・販売は本件特許権の侵害に該当する。 (2) 控訴人の主張(1)に対し 「光学系」の語義からすれば,光ファイバーを用いたもののほか,CCDを用いて光を反射させて伝達する方法も「光学系」に当然に含まれる。 また,本件特許の出願経緯においても,「光学系」からCCDを用いた蛍光測定装置を除外したとの事情は一切存在しない。 したがって,本件発明1の構成要件C,Dの「光学系」が,光ファイバーを用いたものに限定されるものではない。 (3) 控訴人の主張(2)に対し 原出願に係る発明は,PCR反応前とPCR反応後の信号の差の有無を知ることにより,試料中に標的核酸があるかどうかを知ることを測定の原理としており,複数の熱循環にわたって測定を継続すべき必然性がない。これに対し本件発明1(請求項1)は,光学シグナルの循環依存的変化を分析することにより,核酸増幅反応をモニターするという測定原理に基づいているため,複数の熱循環にわたって測定を行うこととされている点で相違する。 また,原出願に係る発明は,核酸の測定をPCR反応前と反応後に行い,その対比により増加を確認することが,二重核酸の増加を監視する方法の大前提となっている。これに対し本件発明1は,複数の熱循環にわたって蛍光の循環依存的変化を観察することにより,PCR反応前の標的核酸量を定量することを可能にする点で相違する。 このように原出願に係る発明と本件発明1とは本質的に相違するから,両発明が実質的に同一発明であって本件特許出願が分割出願の要件を充たさないとの控訴人の主張は失当である。 (4) 控訴人の主張(3)に対し ア 新規性の存在 (ア) 本件報告書の配布の事実の不存在 本件報告書(乙26)の配布の事実を裏付ける客観的な証拠は一切存在しない。 また,本件報告書の配布に関する控訴人主張の供述証拠は,以下のとおり,いずれも信用することができない。 a L博士の供述の問題点 L博士は,本件報告書(乙26)が,本件ワークショップ参加者に利用可能になり,あるいは配布されたと供述(乙62等)する。 しかし,L博士の上記供述は,具体的な配布状況について一切触れておらず,また,その供述内容は,L博士の秘書であるQ氏が,L博士の指示に基づいて,本件報告書のコピーの提供を拒否していること(甲16,36)と矛盾する。 b M博士の供述の問題点 @ M博士は,本件特許に対応する被控訴人欧州特許の欧州特許庁(EPO)における異議手続の証人尋問で,本件ワークショップにおいて配布された文書には図や写真があることを前提とした証言を行っているが(乙61の10頁,訳文10頁),実際には本件報告書には,図や写真が一切存在しないという矛盾がある。 A M博士は,本件ワークショップにおいて,本件報告書のほか,プログラム,参加者リスト,名札が配布されたと供述するが,それらの提出は容易であるはずなのに一切提出がない。この点について,本件ワークショップに参加したO博士(甲32),V博士(甲33)及びY博士(甲37)並びにマックス・プランク研究所の秘書であったX氏(甲35)は,名札が本件ワークショップで配布されたことを否認している。 B M博士は,乙47においては,本件報告書(乙26)は参加者の机の上に名札とともに置かれたと供述しているのに対し,被控訴人欧州特許の異議手続の証人尋問では,本件報告書が受付で名札と共に配布されたと供述(乙61の2頁,訳文2頁)しており,本件報告書の配布状況についての供述の変遷がみられる。 C M博士は,被控訴人欧州特許の異議手続の証人尋問で,本件報告書(乙26)にはL博士の特許の詳細については含まれておらず,I博士には伝えてはならなかったと供述する(乙61の8頁,訳文8頁)。しかし,L博士は,乙62において,自身の特許の詳細が本件報告書に含まれていることを前提に,本件報告書を本件ワークショップにおいて初めて開示することにより,自己の特許の有効性を確保した旨の供述をしており,両博士の供述は矛盾している。 D O博士(甲13),P博士(甲14),Z博士(乙38,40)は,いずれもマックス・プランク研究所の研究者であり,本件報告書(乙26)の研究に関与していた者であるにもかかわらず,いずれも本件報告書が配布された事実を知らないと供述する。 c 本件ワークショップの参加者らの供述 R氏(「Nature」誌のジャーナリスト,甲25),S氏(ドイツの著名な科学系出版社の記者,甲26),T博士(ノーベル医学・生理学賞受賞者,甲29),U博士(コロラド大学教授・本件ワークショップの発表者,甲31),O博士(甲32),V博士(甲33),W博士(甲34)及びY博士(甲37)は,本件ワークショップの参加者であるにもかかわらず,いずれも本件報告書(乙26)を受け取っていないと供述する。また,マックス・プランク研究所の秘書であったX氏も本件報告書の配布の事実を否認している(甲35)。 上記参加者らの地位や職業から考えて,あえて虚偽の供述を行わなければならない理由はない。また,ジャーナリストについては,資料収集整理を職業柄当然にきちんと行うことが考えられること,研究者についても,自身の強く関心のある分野の資料についての整理をあいまいにすることは考えにくいことからして,上記参加者らの供述の信用性は十分に信用できる。 d 他の文献で本件報告書が一切触れられていないこと 仮に本件報告書(乙26)が本件ワークショップの参加者に配布されたのであれば,本件ワークショップの発表の要旨をまとめた冊子である乙40(「REPORT ON THE INTERNATIONAL WORKSHOP SELECTION -NATURAL AND UNNATURAL-IN BIOTECHNOLOGY,HELD FROM APRIL 18 TO 20, 1991 AT THE MAX-PLANCK-INSTITUT FUR BIOPHYSIKALISCHE CHEMIE GOTTINGEN-GERMANY」)において,何らかの形で本件報告書について触れられるはずであるが,そのような記載は一切ない。また,参加者あるいは発表者がその後に発表した論文・記事にも,本件報告書の存在は一切触れられていない。 (イ) 頒布刊行物に非該当 特許法29条1項3号の「頒布された刊行物」とは,公衆(不特定かつ複数人)において閲覧しようと思えば容易に閲覧できる状態におかれた刊行物をいう。 しかし,本件報告書(乙26)は,次に述べるとおり不特定かつ複数人が閲覧できる状況にはなかったから,「頒布された刊行物」に該当しない。 a ドイツ国内の主要な図書館(甲18,19)のみならず,マックス・プランク研究所附属図書館(甲17)でも,本件報告書を所蔵しておらず,平成12年の時点でもなお,L教授の秘書Q氏は,本件報告書(乙26)のコピー要求を拒否している(甲16)。 また,控訴人ですら,本件訴訟の提訴日である平成14年5月7日から2年半以上が経過した平成16年11月に至るまで本件報告書を証拠として提出することができなかったものである。 b 本件報告書(乙26)の各論文は,本件ワークショップの参加者だけでなく,各論文執筆者自身によっても,本件ワークショップ後に刊行された文献に一切引用あるいは紹介されていない。例えば,甲23は,本件報告書の執筆者の一人であるH博士が本件報告書の論文の内容をより詳細に説明したものであるが,本件報告書を一切引用していない。このことは,公衆が上記論文を検索・閲覧する可能性が全くなかったことを示すと同時に,本件報告書の各論文執筆者自身が乙26の各論文は公表すべきでないと考えていたことを示すものである。 c O博士(甲13,32)及びP博士(甲14)は,本件報告書(乙26)が機密であったと供述している。加えて,M博士の供述(乙61の訳文7頁)においてすら,本件ワークショップにおける本件報告書の配布には機密性があり,本件報告書が公表された書面でなかったことを認めている。 (ウ) 本件発明1の新規性 a 構成要件A,Eの開示の欠如 本件発明1は,構成要件A(複数の熱循環にわたって),E(循環依存的変化を測定すること)により,標的核酸からの光学シグナル(例えば,蛍光)がプラトー相に達するまでのサイクル数に基づいて,あるいは,反応混合物の光学シグナルが測定可能に増大を開始したサイクル数に基づいて,増幅反応前の混合物中に存在した標的核酸を容易に定量することが可能になるという,当業者にとって格別の効果が奏されるものである(本件明細書(甲2)の段落【0085】,【0103】)。 一方,本件報告書(乙26)のH論文において示された装置は,熱サイクルのない一定温度におけるRNA増幅による分子レベルでの生物進化の仕組みを解明する装置である。この装置においては,複数のステーションにおいて反応が行われ,その後,サンプルが移送ユニットにより1つの測定ポジションに移送されて蛍光測定が行われるものである(乙26の54頁)。H論文には,この装置をPCRに応用することにより,従来のPCR装置に比較して,@全てのウエルにおける温度経過が一定になることが保証され,大幅で急速な温度変化が可能とされる(50℃を超える温度の急激な変化を数秒以内で行うことできる)こと,A「核酸増幅のオンラインモニタリングが可能にな」り,「核酸濃度を蛍光指示薬を用いてPCRの間測定することができ」ることが,推測されているにすぎない(乙26の55頁,訳文12頁)。 そして,上記@は,平行進化装置が複数のサンプルについて同時に温度変化を行うことができるということから生じるメリットであって,本件発明1の構成要件A,Eとは関係がない。 また,上記Aの「PCRの間測定することができ」とは,PCR中に1回蛍光測定を行うことにより実験が予想通りに進み始めたことを確認できることを意味しているのであって,H論文においては,複数の循環期間にわたって各光学シグナルの循環依存的変化を測定することにより,初期核酸量の定量を行うことができることについては一切触れられていない。 したがって,本件報告書のH論文には構成要件A,Eを開示していない。また,本件報告書の他の論文にも,PCRの応用についての記載は一切ない。なお,H論文は,装置を応用できると述べているが,Hの定温RNA進化装置に構成要件A及びEを含ませるためにどのように改造すべきかの教示はない。 b 構成要件Dの開示の欠如 @ 本件報告書(乙26)では,マルチウェルのような多数の反応容器を同時に用いる装置が開示されているが,このことは直ちに反応容器を本件発明1の構成要件Dの「閉じたまま」で蛍光測定を行うことを意味するものではない。 すなわち,本件報告書の装置に関しては,多数の反応容器を同時に用いて行う測定方法として,一部の反応容器を開けて蛍光測定を行い,残りの反応容器ではPCRを継続することが示されている(例えば,本件明細書(甲2)の実施例W)。 そして,本件特許に係る本件優先日(平成3年5月2日)当時,PCRの蛍光測定は,反応終了後に容器を開けて行わなければならないという技術常識があったから,本件報告書の記載を見た当業者は,マルチウェル反応チャンバーの一部の反応容器のシールを開けてサンプルを測定ポジションに移動し,蛍光指示薬を添加して測定を行うものと理解したと解される。 このことは,H博士が,甲23において,反応終了後に容器のシールを開けて蛍光測定を行っていることからも明らかである。 このように,当業者にとっては,本件報告書に記載された反応容器が仮に透明であっても,蛍光測定を行う前にシールを開けて容器から反応混合物を取り出すことが慣用的な方法であった。 A また,本件報告書のH論文は,多数の核酸増幅反応を平行して行う装置を記載するものであるが(乙26の55頁16行〜18行),H論文に「全てのサンプルが反応ステーションに設けられた測定ポジションで測定される」との記載はない。 多数のサンプルあるいは大量のサンプルを同時に用いて長時間の実験を行う場合に,その実験途中に一部のサンプルを取り出して解析することにより,その実験途中の状態を分析することは,一般的に研究者が行う周知の実験手法であり,PCRの場合も例外ではない(甲8,12,39)。そして,このようにPCRの途中で一部のサンプルを取り出して分析を行うことは,「閉じたまま」蛍光測定を行うリアルタイムPCRが周知になった平成12年当時でさえも行われていた(甲39)。 そうすると,本件優先日(平成3年5月2日)当時,PCRについてはその反応終了後に蛍光測定を行うことが技術常識であり,PCR反応開始前に反応混合物に添加して反応容器を閉じたまま蛍光測定するための蛍光指示薬が知られていなかったのであるから,PCRの分野の当業者は,H論文にはPCR実験中に一部のサンプルを取り出して蛍光測定することが記載されているとしか理解できなかったというべきであり,H論文は,PCR反応を継続しながら核酸増幅反応混合物を「閉じたままで」反応混合物からの光シグナルを測定することの記載がない。 B したがって,本件報告書には,本件発明1の構成要件D(「閉じたままで」)が開示されていない。 c 実施可能性の欠如 @ 控訴人の主張は,本件報告書(乙26)のH論文の「蛍光指示薬」がエチジウムブロマイドであることを前提とするものであるが,H論文には,PCR反応の際に用いた蛍光指示薬の種類及び蛍光指示薬を含む反応混合物の組成が一切開示されていない。 そして,本件優先日(平成3年5月2日)当時,エチジウムブロマイドが「DNAの正常な複製や転写を妨げる」ものと理解されていたため(甲11),エチジウムブロマイドは,PCR反応後にのみ使用する蛍光指示薬として著名だったのであり,PCR反応前に添加できる蛍光指示薬であるとは理解されていなかった。 このような本件優先日当時の技術常識によれば,当業者は本件報告書の蛍光指示薬としてエチジウムブロマイドを理解できないのであり,本件報告書の発明に実施可能性がないから,本件報告書に本件発明1の技術的思想の記載(特許法29条1項3号)があるということはできない。 A これに対し控訴人は,本件報告書(乙26)のW論文中のエチジウムブロマイドについての記載に基づいて,H論文において反応中の蛍光測定に用いる蛍光指示薬がエチジウムブロマイドであると主張するが,W論文はH論文とは別個の独立した論文であり(乙26の各論文の大項目は「Individual Reports」),W論文の「エチジウムブロマイド」は明らかにH論文の「蛍光指示薬」と無関係である。 そもそも,W論文は,核酸増幅反応の終了後に容器を開けてエチジウムブロマイドを添加して,その後に蛍光測定を行うことを記載している(乙26の52頁,訳文8頁)のであるから,W論文を考慮しても,当業者があえてエチジウムブロマイドが増幅反応中の蛍光測定に適切な蛍光指示薬であると考えることはなかったというべきである。 (エ) 本件発明3の新規性 本件報告書(乙26)には,本件発明3の構成要件Gの「増幅前に存在する標的核酸量の定量」についての記載は一切ない。また,構成要件Gは,構成要件A,Eから直ちに導き出されるものではなく,核酸増幅の循環依存的変化を,増幅前に存在する標的核酸量の定量に用いることができることに想到しなければ実現されないのであるが,本件報告書には,これに関する記載は一切ない。 したがって,本件報告書に本件発明3の構成要件Gの開示がないことは明らかである。 (オ) まとめ 以上によれば,本件発明1,3は,本件報告書(甲26)に記載された発明と同一ではなく,新規性を有するから,特許法29条1項3号に該当しない。 イ 進歩性の存在 控訴人は,乙3ないし8,15,24等に基づいて,本件優先日当時においてPCRを行うための装置と,リアルタイム測定を行うための光学系(蛍光測定装置)とを結びつけることは容易想到であったから,本件発明1は進歩性を欠く旨主張する。 しかし,原判決の認定するとおり,控訴人の上記主張は,本件発明1が,複数の熱循環にわたる核酸増幅反応混合物の各光学シグナルの循環依存的変化を測定するものである点を無視しており失当である。 また,乙24はPCR反応後に蛍光測定を行うことを開示するものではあるが,本件発明1のようなPCR反応中の蛍光測定を行うことを何ら示唆するものではないから,乙24を考慮しても,本件発明1は進歩性を有するというべきである。 したがって,本件発明1は,特許法29条2項に該当しない。 |
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当裁判所の判断
1 当裁判所は,本件訴訟において被控訴人が控訴人に対して被告製品の輸入・販売の差止め及び廃棄を求める根拠とされている本件特許は,特許法29条1項3号に違反する事由(新規性の欠如)があり,特許無効審判により無効にされるべきものと認められるから,特許法104条の3第1項により,特許権者たる被控訴人は,控訴人に対し,その権利を行使することができないものと判断する。その理由は,以下のとおりである。 2 本件報告書の頒布刊行物該当性について (1) 事実認定 証拠(甲1ないし40,乙1ないし69(枝番のあるものは枝番を含む。))及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。 ア 本件報告書の作成時期 (ア) 本件報告書(乙26)は,本文が70頁の英語で書かれた文書であり,表紙には,「REPORT ON EVOLUTION RESEARCH,DEPARTMENT OF BIOCHEMICAL KINETICS MAX-PLANCK-INSTITUT FUR BIOPHYSIKALISCHE CHEMIE GOTTINGEN 1990」との記載(訳文「進化の研究についてのレポート」マックス・プランク生物物理化学研究所生化学動態研究部 ゲッティンゲン 1990」)があり,その中央には,ハイポキューブ(正方形の各辺にn次元的に正方形が接続している図形)のイラストが配されている。 また,表紙の次頁にL博士による巻頭言(乙26の訳文1頁)があり,巻頭言には,「このリポートは,ゲッティンゲンのマックス・プランク生物物理化学研究所,生化学動態研究部での分子自立形成に関して行われた研究を記載する。このリポートは,研究所メンバー全ての共同作業の産物である。」と記載され,巻頭言の末尾には,「ゲッティンゲン,1990年12月20日」との記載がある。 (イ) 1973年(昭和48年)から1994年(平成6年)までマックス・プランク研究所(生物物理化学研究所)の生化学動態研究部の一員であったM博士は,2004年(平成16年)12月7日,欧州特許庁における本件特許に対応する被控訴人欧州特許(欧州特許第0872562号)の異議手続の証人尋問において,本件報告書(乙26)は,1991年1月に開かれたマックス・プランク研究所の諮問委員会(Beirat)に進化バイオテクノロジーの計画を説明するために作成されたこと,諮問委員会は諸国の科学者から構成されているため,諮問委員会用の報告書は常に英語で作成される旨供述している(乙61の訳文2頁,10頁)。 (ウ) 上記認定事実によれば,本件報告書(乙26)は,1991年(平成3年)1月までに作成されたことが認められる。 イ 本件報告書の作成目的 (ア) L博士,M博士,K博士(1965年(昭和40年)からマックス・プランク研究所のL博士の研究チームで研究者として勤務),Z博士(1989年(平成元年)春から1991年(平成3年)夏までL博士の上記研究チームで共同研究者として勤務)は,それぞれ,宣誓供述書(乙27,37,38,47)において,本件報告書(乙26)は,生化学動態研究部のL博士の研究チームがL博士の指揮の下に行った研究の成果を記載した論文の集成であり,内部研究記録として作成され,内部用としてのみ使用された旨供述している。 また,M博士が,被控訴人欧州特許の異議手続の証人尋問で,本件報告書(乙26)がマックス・プランク研究所の諮問委員会用に作成された旨供述していることは,前記認定のとおりである。 (イ) 上記各供述によれば,本件報告書(乙26)は,当初,マックス・プランク研究所の内部資料として作成されたことが認められる。 ウ 本件ワークショップの開催 (ア) 乙40には,次のような記載がある。 @ 表紙 乙40の表紙には,「REPORT ON THE INTERNATIONAL WORKSHOP SELECTION -NATURAL AND UNNATURAL- IN BIOTECHNOLOGY, HELD FROM APRIL 18 TO 20, 1991 AT THE MAX-PLANCK-INSTITUT FUR BIOPHYSIKALISCHE CHEMIE GOTTINGEN-GERMANY」との記載があり,「国際会議」(THE INTERNATIONAL WORKSHOP)が,1991年(平成3年)4月18日から20日までの間,ドイツ国ゲッティンゲン市のマックス・プランク研究所において開催された旨記載されている。また,乙40の表紙には,本件報告書(乙26)の表紙に描かれているハイポキューブのイラスト(前記ア(ア))と同様のイラストが描かれている。 A まえがき L博士による「まえがき」(Foreword)には,以下のような記載がある。 「“Selection- Natural and Unnatural - in Biotechnology”という表題のもと,国際ワークショップが1991年4月19日および20日にゲッティンゲン/ドイツにおいて開催された。最新のトピックである“応用分子進化(Applied Molecular Evolution)”およびそのバイオテクノロジーにおける応用の展望について議論するため,ヨーロッパ各国および米国の約30人の科学者が,マックス・プランク生物物理化学研究所の同業者および製薬業界を代表する人々と一堂に会した。」,「国際レベルではこの種のものとしては初めての会議であり,大きな期待が持たれた。」,「この会議が組織されたのは,非常に急なことであった。招待状は,ついこの2月になってから発送した。」,「産業界からはBayer AG, BASF AG, Hoechst A G, およびHoffmann La Rocheという企業が追加の助成金を出してくれた。」,「ゲッティンゲン,1991年6月」(乙40の訳文1頁〜2頁)。 B 参加者リスト 乙40の31頁から38頁までに,招待された参加者のリスト(「LIST OF INVITED PARTICIPANTS」)という表題のもと,参加者の氏名及び所属が記載されており,L博士,M博士,K博士のほか,Z博士等マックス・プランク研究所の他のスタッフを含めた58名の参加者が記載されている。その中には,ヨーロッパ各国及びアメリカ合衆国内の大学・研究機関所属の研究者,ジャーナリスト,製薬会社に所属する者などが含まれており,本件特許の出願人であり,元の特許権者であるロシュ社に所属するU氏も参加者の一人である(乙40の本文36頁3段目)。 C 日程 乙40の39頁以下には,「PROGRAM OF THE MEETING」という表題のもと,1991年(平成3年)4月18日から同月20日までの会議の日程が記載されており,L博士が担当する時間の割当て等が示されている。 (イ) L博士,M博士及びK博士は,各宣誓供述書(乙27,37,38)において,ドイツ国ゲッテインゲン市のマックス・プランク研究所で1991年(平成3年)4月18日から同月20日まで,国際会議“Selection- Natural and Unnatural - in Biotechnology”(本件ワークショップ)が開催された旨供述している。 (ウ) 以上の認定事実によれば,1991年(平成3年)4月18日から同月20日までの間,ドイツ国ゲッティンゲン市のマックス・プランク研究所において,L博士が企画・主催した国際会議(本件ワークショップ)が開催されたこと,本件ワークショップには,主催者側と招待された者との合計58名が参加したことが認められる。 (2) 本件ワークショップにおける本件報告書の配布 ア(ア) M博士は,被控訴人欧州特許の異議手続の前記証人尋問において,本件報告書(乙26)が,本件ワークショップの受付で,参加者全員に対し,プログラム,参加者リスト,名札とともに配布された旨,本件ワークショップは,必ずしもマックス・プランク研究所の共同研究者全員がその研究を発表するわけではなく,外部の人々による講演を聴くことができるためのものであった旨,本件報告書の研究内容は講演においてではなく冊子(Buchlein)の形で提供することが本件ワークショップの企画者であるL博士によって決定された旨供述している(乙61の訳文2頁,3頁,5頁ないし8頁)。 また,M博士は,宣誓供述書(乙47)において,本件報告書(乙26)の表紙,序文,目次及び論文本文の1頁から70頁までが,本件ワークショップの参加者に配布された旨,本件ワークショップの期間中,主催者のスタッフによって,参加者の数に対応する部数の本件報告書が会議の机上に置かれ,参加者に対しその他の書類及び名札と共に手渡された旨供述している。 (イ) L博士の2000年(平成12年)12月20日付け宣誓供述書(乙37)及びK博士の宣誓供述書(乙27)には,本件報告書(乙26)が本件ワークショップの期間中に,初めて一般に公開された旨の各供述がある。 乙27,37及び弁論の全趣旨によれば,上記各宣誓供述書は,L博士自身の欧州特許第0583265号(「新規生体高分子の製造方法」。以下「L特許」という。)に対する欧州特許庁における異議手続において,L特許の優先日(1991年(平成3年)4月16日)以前に本件報告書(乙26)が公開されていたかどうかの争点に関して提出されたことが認められる。 (ウ) L博士は,別の供述書(乙39)において,本件報告書(乙26)が,1991年(平成3年)4月18日から同月20日に開かれた本件ワークショップの参加者に配布された旨供述している。 さらに,L博士は,被控訴人欧州特許の異議手続に提出する目的で作成された2004年(平成16年)9月19日付け宣誓供述書(乙62)において,本件報告書(乙26)は,最初は内部研究記録として意図され,それに相応して内密に取り扱われたが,その後,L博士自身の特許出願がされたことにより守秘の理由が存在しなくなったため,L博士の指示で,本件ワークショップの最初に招待者リストに挙げた参加者に配布された旨供述している。 (エ) 前記(1)の認定事実と上記(ア)ないし(ウ)を総合すれば,本件報告書(乙26)は,1991年(平成3年)4月18日から同月20日にドイツ国ゲッテインゲン市のマックス・プランク研究所で開催された本件ワークショップにおいて,各参加者に配布されたものと認められる。 イ これに対し被控訴人は,本件ワークショップにおいて本件報告書(乙26)が配布された事実を争うので,以下,被控訴人の主張について検討する。 (ア)a まず被控訴人は,本件ワークショップにおいて本件報告書が配布された旨のL博士の供述(乙62等)によっても,本件報告書の具体的配布状況が明らかになっていないため,上記供述は信用することができない旨指摘する。 しかし,@前記ア(ウ)のとおり,L博士は,2004年(平成16年)9月19日付け宣誓供述書(乙62)において,本件報告書(乙26)は,最初は内部研究記録として内密に取り扱われたが,その後,L博士自身の特許出願がされたことにより守秘の理由が存在しなくなったため,L博士の指示で,本件ワークショップの最初に参加者に配布された旨供述し,更に供述書(乙39)においても,本件報告書が本件ワークショップで参加者に配布されたことを明確に供述していること(なお,上記供述書(乙39)は,その上端に示されたファクシミリ送信記録から,2003年(平成15年)7月1日ころに,クライスラー特許事務所(DOMPATENT VON KREISLER KOELN)から送信されたものであり,送信された基の文書は,それ以前に同事務所とL博士との間で作成されたものと考えられる。),A前記ア(イ),(ウ)によれば,L博士の上記宣誓供述書(乙62)で指摘するL博士自身の特許は,L特許(欧州特許第0583265号)であり,その優先日が1991年(平成3年)4月16日であることが認められ,上記優先日は本件ワークショップの開催日(1991年(平成3年)4月18日から同月20日)より前の日付けであり,本件ワークショップで本件報告書を配布してもL特許の新規性等に抵触することにならないから,L博士が,当初内密に取り扱われていた本件報告書を本件ワークショップで配布することを指示するに至った経緯に不自然な点はみられないことに照らすと,被控訴人の上記主張は採用することができない。 b また,被控訴人は,本件ワークショップにおいて本件報告書(乙26)が配布された旨のL博士の供述は,L博士の秘書であるQ氏が,L博士の指示に基づいて,本件報告書のコピーの提供を拒否していること(甲16,36)と矛盾する旨主張する。 証拠(甲15,16,36)及び弁論の全趣旨によれば,L博士の秘書であるQ氏は,V弁理士からL博士に対する本件報告書のコピー提供の依頼に対し,L博士の指示により,本件報告書は,「マックス・プランク研究所の内部報告書であり,この形式では公開されていないことをお知らせ致します。」と2000年9月5日付けで回答(甲16)し,上記依頼に応じなかったことが認められる。 しかし,Q氏の上記回答は,本件報告書のコピーを作成して外部の者に配布するという形式での公開はしていないことを意味するにとどまり,本件ワークショップにおいて本件報告書が配布されたことと矛盾するということはできない。 したがって,被控訴人の上記主張も採用することができない。 (イ) 次に被控訴人は,被控訴人欧州特許の異議手続の証人尋問におけるM博士の供述(乙61)について,同博士が本件ワークショップにおいて配布された文書に図や写真があることを前提とした供述をしているが,実際には本件報告書には,図や写真が一切存在しないこと,同博士が本件ワークショップで本件報告書とともに配布された供述する名札等が提出されていないこと,本件報告書の配布状況について供述の変遷がみられること,同博士の上記供述にはL博士の供述と矛盾する部分があること,M博士の記憶と相反するO博士等の供述があること等を指摘して,M博士の上記供述の信用性に疑問がある旨主張する。 a しかし,被控訴人欧州特許の異議手続の証人尋問におけるM博士の供述(乙61)は,本件報告書(乙26)の配布の点において具体的かつ明確であり,その供述態度において特段不自然な点は認められず,また,部分的に記憶の誤り等があるとしても,本件ワークショップがM博士の証言時(2004年(平成16年)12月7日)の13年以上前に開催された点を考慮すれば,それによって,本件報告書の配布に関する同博士の供述の信用性を否定するということはできない。 b また,O博士の2000年(平成12年)12月19日付け宣誓供述書(甲13)には,同博士は,マックス・プランク研究所でL博士の協力者として働いていたが,本件報告書(乙26)はL博士の部門の内部書類として作成され,その作成の前後において,L博士から,本件報告書そのもの又はその書類中の情報を第三者(特にI博士又は同博士の協力者)が入手できるようにしてはならないと厳しく指示されていた旨,本件報告書が外部の人物に利用可能にされたことを知らない旨の供述があり,P博士の2000年(平成12年)12月18日付け宣誓供述書(甲14)及びZ博士の同年12月20日付け宣誓供述書(乙38)にも,これと同旨の供述がある。 しかし,上記各宣誓供述書(甲13,14,乙38)は,L特許に対する欧州特許庁における異議手続において,その優先日(1991年(平成3年)4月16日)以前に本件報告書(乙26)が公開されていたかどうかの争点に関して提出されたものであり(甲13,14,乙38,弁論の全趣旨),上記優先日までの本件報告書の取扱いに主眼が置かれ,本件ワークショップとの関連は念頭に置かれていないと解する余地がある。 そして,P博士は本件ワークショップの参加者リスト(乙40の31頁〜38頁)に掲載されておらず,本件ワークショップに参加していたことを認めるに足りる証拠はない。もっとも,O博士の氏名は,上記参加者リストに掲載されており,O博士の2005年(平成17年)9月7日付け宣誓供述書(甲32)には,同博士は,本件ワークショップのために,講堂の正面のロビーに展示された2つのポスターを準備し,本件ワークショップの多くの講演に出席したが,本件報告書が本件ワークショップの出席者又は他の外部の者に利用可能にされたことはないと記憶している旨の供述があるものの,O博士は,上記参加者リストに個別に氏名,所属等が掲載されている者とは異なり,マックス・プランク研究所所属のスタッフとして末尾に一括して記載されているにすぎないし,本件ワークショップの企画全体に具体的にどの程度関与していたのか明確ではない。また,Z博士の2005年(平成17年)10月11日付け宣誓供述書(甲40)には,同博士は,本件ワークショップの際に,本件報告書を秘密に保持するようにとのL博士の指示が変更されたことは知らない旨,L博士の指示に従って,本件報告書が本件ワークショップの出席者又は他の外部の者に利用可能にされた記憶はない旨の供述があるが,Z博士も上記参加者リストに個別に氏名,所属等が掲載されている者とは異なり,O博士と同様,マックス・プランク研究所所属のスタッフとして末尾に一括して記載されているにすぎず,本件ワークショップの企画全体に具体的にどの程度関与していたのか明確ではない。 以上の諸点に照らすと,O博士,P博士及びZ博士の上記各宣誓供述書(甲13,14,32,40,乙38)は,M博士の前記供述の信用性に疑問を生じさせるものであるとはいえない。 (ウ) 次に,本件ワークショップに参加したR氏(甲25),S氏(甲26),T博士(甲29),U博士(甲31),V博士(甲33),W博士(甲34),X氏(甲35)及びY博士(甲37)の各宣誓供述書中には,@本件報告書(乙26)は,本件ワークショップにおいて利用可能にされず,参加者に配布されなかったと信じる旨(甲25),A本件報告書のコピーを本件ワークショップ又はそれ以外の時において受け取った記憶がない旨(甲26),B本件ワークショップにおいて本件報告書のコピーを絶対に受け取っておらず,私の知る限りでは,本件報告書は,本件ワークショップで頒布されていない旨(甲29),C本件報告書が本件ワークショップで渡されたとは記憶していない旨(甲31),D本件報告書が,本件ワークショップの出席者に利用可能にされたという記憶を有さないし,その出席者に利用可能にされたとは思わない旨(甲33),E本件報告書が,本件ワークショップの出席者に利用可能になったとも配布されたとも記憶していない旨(甲34),F本件報告書が本件ワークショップにおいて配布されたという記憶を有しない旨(甲35),G本件報告書が本件ワークショップの参加者に利用可能にされたかは覚えていない旨(甲37)の供述がある。 しかし,上記各供述は,上記Bを除き,本件ワークショップにおける本件報告書の配布の有無について明確な表現を用いていないこと,上記Bには,本件報告書を絶対に受け取っていないと断言する根拠等について述べられていないこと,上記各宣誓供述書は,それぞれ2005年(平成17年)2月から同年9月にかけて作成されたものであり,その作成までに,本件ワークショップの開催日(1991年(平成3年)4月18日から同月20日)から約14年経過していることに照らすと,上記各供述は,本件ワークショップにおいて本件報告書が配布された旨のL博士及びM博士の前記各供述の信用性を左右するものではない。 (エ) さらに,被控訴人は,本件ワークショップの発表の要旨をまとめた冊子である乙40に,本件報告書について触れた記載が一切ないこと,参加者あるいは発表者がその後に発表した論文・記事にも,本件報告書の存在は一切触れられていない旨主張するが,被控訴人主張の事実があるからといって,本件ワークショップにおける本件報告書(乙26)の配布が否定されるということはできない。 (オ) 以上によれば,被控訴人が指摘する諸点は,本件ワークショップにおいて本件報告書(乙26)が配布されたとの前記認定を覆すに足りない。 (3) 頒布刊行物該当性 ア 前記認定のとおり,本件報告書(乙26)は,当初は,マックス・プランク研究所における内部資料として作成されたものであるが,1991年(平成3年)4月18日から同月20日までの間に開催された本件ワークショップにおいて,58名の参加者に配布されたものである。 そして,本件ワークショップの参加者は,招待された者であり,希望する者が自由に出席できる会議であったわけではないが,ヨーロッパ各国及びアメリカ合衆国内の大学・研究機関所属の研究者,ジャーナリスト,製薬会社に所属する者で構成された国際会議の実質を有しており,しかも,本件ワークショップの企画者・主催者であるL博士が,前述したL特許(優先日1991年(平成3年)4月16日)との関係で本件報告書の非開示厳守を指示した際に特に氏名を挙げたI博士(乙61)のほか乙40の本文34頁末尾),本件特許の出願人であり,元の特許権者であるロシュ社に所属するU氏も(乙40の本文36頁3段目),その中に含まれていたのである。 加えて,本件ワークショップにおいて前記のように配布された本件報告書は,当初は内部資料として作成されたものの,本件ワークショップの主催者であるL博士が,自らの特許であるL特許につき1991年(平成3年)4月16日に優先日を確保したことから,本件報告書を秘密にしておく必要性がなくなったと判断し,L博士の指示により,本件ワークショップにおける討論の質を上げるため,各参加者に守秘義務を課すことなく配布されたものであり(乙62,弁論の全趣旨),これを受領した被配布者も,本件報告書を含む資料の利用は自由であると受けとめた(乙61)のである。 イ ところで,特許法29条1項3号にいう「頒布された刊行物」とは,公衆に対し頒布により公開することを目的として複製された文書,図画その他これに類する情報伝達媒体であって,頒布されたものを指すと解される(最高裁昭和55年7月4日第二小法廷判決・民集34巻4号570頁,同昭和61年7月17日第一小法廷判決・民集40巻5号961頁参照)ところ,小冊子である本件報告書(乙26)は,前記アのとおり,ドイツ国ゲッテインゲン市で開催された国際会議の実質を有する本件ワークショップにおいて,生物物理化学を専攻する欧州又は米国の学者・研究者・ジャーナリスト・製薬会社担当者等の58名の出席者(その中には本件特許の出願人ないし元特許権者であるロシュ社の担当者も含まれている。)に対し,何らの守秘義務を課すことなく配布され,これを受領した者もその利用は自由であると受けとめていたというのであるから,本件報告書は,前記配布により,特許法29条1項3号にいう「外国において頒布された刊行物」に該当するに至ったと認めるのが相当である。 ウ 以上によれば,本件報告書(乙26)は,本件発明1,3の優先日(本件優先日)である平成3年5月2日前に外国において頒布された刊行物であると認めるのが相当である。 3 本件発明1の新規性について (1) 本件報告書の記載内容 ア 本件報告書(乙26)の「II.3.4 大規模な平行進化の実験 H」(LARGE SCALE PARALLEL EVOLUTION EXPERIMENTS, ANDREAS SCHOBER)の項(H論文)には,次のような記載があることが認められる。 @「進化装置の主要な特徴は: -実験の各ステップのための複数ステーション; -ステーション間でサンプルキャリアを移動させるための移送ユニット; -2つの独立したピペッティングロボットを含む液体供給システム(液体に接触するパーツは,交差夾雑を防止するため,使い捨てである); -交差夾雑を最小限にするために,中身が入ったマルチウェル反応プレートをシールするための収縮包装材; -実験後にさらに解析するために反応用液を保存するための凍結保存装置; -マルチチャンネル蛍光計により実験中に核酸濃度を測定するための測定ポジション; -急激な温度変化を行うための,いくつかのサーモスタット装置; -VMEデータバスに基づいてマスターコンピュータを介する,プロセスコントロールとリアルタイムデータ処理; -ステーションに付属するコンピュータの相互作用的駆動; である。」(54頁18行〜33行,訳文11頁6行〜20行)。 A「マルチチャンネル蛍光計の小規模テスト版は,Z博士により構築されたものであり,そしてスケールアップされるだろう。」(54頁34行〜35行,訳文11頁21行〜22行)。 B「全てのサーモスタット付きステーションは,高い熱容量を有する大きなアルミニウムブロックから構築される。それらは,加熱装置または冷却装置を備える。サンプルキャリアは,アルミニウムからできているが,しかし銀の熱伝導性の方がより高いため,銀に置換したものも計画されている。サンプルキャリアは,薄い(4μm)プラスチックでできた使い捨てマルチウェル反応チャンバーを支持する。薄い箔で中身が入ったマルチ反応ウェルチャンバーをシールすることにより,交差夾雑を防止する。この箔は非常に光透過性が高く,核酸の増加をマルチチャンネル蛍光計により観察することができる。サンプルキャリアは,アルミニウムブロックに一体的に組み込まれたバキュームシステムにより,アルミニウムブロック上に引きつけられる。したがって,急速な温度変化が行われるときに低い熱抵抗が保証される。アルミニウムブロックの温度は,大きな熱容量を有するため,ほとんど変化しない。この技術は,高速ポリメラーゼ連鎖反応を行うために構築されたプロトタイプではすでにうまく使用されている。」(54頁38行〜55頁10行,訳文11頁末行〜12頁11行)。 C「急速な温度変化をできるようにするこの進化装置は,複数の核酸増幅反応(PCR)(Mullis et al.,1987)を同時に行うことができるように容易に改造することができる。他のPCR装置とは対照的に,この装置では,全てのウエルにおける温度経過が一定になることが保証され,そして大幅で急速な温度変化が可能とされる:50℃を超える温度の急激な変化を数秒以内で行うことができる。さらに,蛍光計により,核酸増幅のオンラインモニタリングが可能になる。OおよびZにより行われた予備的実験では,核酸濃度を,蛍光指示薬を用いてPCRの間測定することができ,そのことにより増幅反応は妨害されない,ということが示された。マルチチャンネル蛍光計は,PCRによる特異的な核酸の存在を検出しあるいはその特異的な核酸の濃度を測定するために必要とされる努力を大幅に減少させるだろう。」(55頁16行〜26行,訳文12頁16行〜末行)。 イ また,本件報告書(乙26)中の「II.3.5 マルチチャンネル蛍光計 Z」(MULTICHANNEL FLURORIMETER,Z)の項(以下「Z論文」という。)には,「蛍光は,・・・高出力Ar+-レーザ-により励起される。励起光は,光ファイバーにより全てのサンプルに導かれる。」(56頁4行〜5行,訳文13頁14行〜末行),「蛍光放射は,独立した複数のファイバー(ウェーブガイド)により集められる。検出器部位では,それらファイバーは一緒にまとめられて,規則的なパターンが得られる。ペルティエ冷却型CCDカメラは,ファイバー末端から出射する光強度を測定する。」(56頁13行〜15行,訳文13頁22行〜末行)との記載がある。 ウ さらに,本件報告書(乙26)中の「II.3.3 IN VITROでの進化実験の制御と自動化 W」(CONTROLLED AND AUTOMATED EVOLUTION EXPERIMENTS IN VITRO,W)の項(W論文)には,には,「この機械において,RNA増加を,1チャンネルの高感度グラスファイバー蛍光計を使用してオンラインでモニターする(例えばZによるリポート)。蛍光計は特に,少量サンプル中の蛍光を,溶液にふれることなく測定し,したがって交差夾雑を回避するように構築した。RNA濃度の測定は,エチジウムブロマイドが核酸の二本鎖領域中に挿入された後における,エチジウムブロマイドの蛍光増強に基づく。」(52頁21〜26行,訳文8頁13〜17行),「連続的トランスファー機械により得られた経験は,進化実験を平行して行うことができる機械の構築をサポートする(例えばHによるリポート)。」(53頁6〜8行,訳文9頁12〜14行)との記載がある。 エ 本件報告書(乙26)は,「I.Intoroduction」,「II.Individual reports」で構成され,「II.Individual reports」は,「II.1.Evolutionary theory」,「II.2.Evolution experiments」,「II.3.Evolution biotechnology」,「II.4.References」のセクションに区分されている。H論文,Z論文及びW論文は,いずれも「II.3.Evolution biotechnology」(「II.3.進化バイオテクノロジー」)のセクション中の一部分を構成するものである。 (2) 本件発明1と本件報告書の対比 ア 構成要件A,E (ア) 前記(1)アCによれば,本件報告書(乙26)のH論文には,進化装置を改造することにより,複数の核酸増幅反応(PCR)を同時に行うことができること,蛍光計により,核酸増幅のオンラインモニタリングが可能になること,予備的実験により,核酸濃度を蛍光指示薬を用いてPCRの間測定することができ,そのことにより増幅反応は妨害されないということが示されたことが記載されている。 そして,@乙18によれば,PCRとは,DNA鎖の特定部位のみを繰返し複製する反応であって,1)DNA二本鎖の解離,2)オリゴヌクレオチドとのアニーリング,3)DNAポリメラーゼによる相補鎖合成,の3反応の繰り返しからなるものであることが認められること,A甲9には,「2.PCRの基本反応条件」として,「DNAの熱変性温度は93℃程度にとどめるのがよい」(36頁左欄21行〜22行),「アニーリングの温度設定は非特異的バンドの出現を抑える上で重要である。・・・55℃2分の条件を設定した。しかしいくつかの非特異的バンドが見られたので,65℃1分の条件にしたところ非特異的バンドは完全に消失した」(36頁左欄下から7行〜右欄4行),「Taqポリメラーゼの反応は70℃で60ヌクレオチド/秒/分子の速度で進行すると報告されているが,条件により異なる。72℃1分で1kbくらいが増幅されるのを目安とすればよいであろう」(36頁右欄7行〜10行)と記載されていることからすれば,PCRにおける上記1)〜3)の各反応は,温度変化を伴って繰り返されるものであると認められ,PCRは「複数の熱循環」を伴う「核酸増幅反応」であることが認められる。 (イ) 以上の認定事実によれば,本件報告書(乙26)には,複数の熱循環を伴う核酸増幅反応であるPCRの間,核酸増幅のオンラインモニタリングを行う装置が記載されていると認められるから,本件発明1にいう「複数の熱循環にわたって核酸増幅反応をモニターするための装置」(構成要件A)が記載されているものと認められる。 そうすると,本件報告書には,複数の熱循環を伴う核酸増幅反応であるPCRの間,蛍光指示薬を用いて核酸増幅のオンラインモニタリングを行うことが記載されているものと認められるから,複数の熱循環を伴うPCRの間蛍光指示薬からの光学シグナルの変化を測定すれば,必然的に複数の循環期間にわたる光学シグナルの循環依存的変化を測定することになり,本件報告書には本件発明1にいう「複数の循環期間にわたって各光学シグナルの循環依存的変化を測定することが可能である」(構成要件E)ことについても記載されているものと認められる。 (ウ) これに対し被控訴人は,本件報告書(乙26)のH論文には,熱サイクルのない一定温度におけるRNA増幅による分子レベルでの生物進化の仕組みを解明する装置をPCRに応用することにより,従来のPCR装置に比較して,@全てのウエルにおける温度経過が一定になることが保証され,大幅で急速な温度変化が可能とされる(50℃を超える温度の急激な変化を数秒以内で行うことできる)こと,A「核酸増幅のオンラインモニタリングが可能にな」り,「核酸濃度を蛍光指示薬を用いてPCRの間測定することができ」ることが,推測されているにすぎず,上記@は,平行進化装置が複数のサンプルについて同時に温度変化を行うことができるということから生じるメリットであって,本件発明1の構成要件A,Eとは関係がないし,また,上記Aは,PCR中に1回蛍光測定を行うことにより実験が予想通りに進み始めたことを確認できることを意味し,複数の循環期間にわたって各光学シグナルの循環依存的変化を測定することにより,初期核酸量の定量を行うことができることについては一切触れられていないなどとして,本件報告書に構成要件A及びEが開示されていない旨主張する。 しかし,先に説示したとおり,本件報告書には,蛍光計により,核酸増幅のオンラインモニタリングが可能になること,予備的実験により,核酸濃度を蛍光指示薬を用いてPCRの間測定することができ,そのことにより増幅反応は妨害されないということが示されたことが記載されているのであり,これらの記載は,複数の熱循環を伴う核酸増幅反応であるPCRの間,継続的に蛍光指示薬からの光シグナルの変化を測定することにより,核酸増幅のオンラインモニタリングを行ったことを意味すると解するのが相当である。 したがって,本件報告書の蛍光測定が,PCR中に1回だけ行って増幅が起きていることを確認するためのものであると解することはできず,被控訴人の上記主張は採用することができない。 イ 構成要件B 本件発明1の構成要件Bの「核酸増幅反応混合物を収容するための支持体」については,請求項1において具体的な記載がないこと,本件明細書(甲2)に「サーモサイクラーは,48個の反応チューブを保持し得る加熱ブロックを使用している」(段落【0066】)と記載されていること,本件発明6(請求項6)(「1又は複数の核酸増幅反応混合物を収容するための1又は複数の反応容器をさらに有する,請求項1〜5のいずれか1項に記載の装置」)は,本件発明1(請求項1)の装置に「反応容器」すなわち「反応チューブ」を構成要件として付加していることを総合すると,上記「加熱ブロック」(段落【0066】)が,構成要件Bの「核酸増幅反応混合物を収容するための支持体」に該当するものと解される。 一方,前記(1)アBによれば,本件報告書(乙26)のH論文には,「核酸増幅反応混合物」を直接収容するマルチウェル反応チャンバーをサンプルキャリアが支持し,このサンプルキャリアがアルミニウムブロック上に引きつけられることが記載されており,上記「アルミニウムブロック」は「核酸増幅反応混合物を収容するための支持体」に相当するものと認められる。 また,前記(1)アBによれば,全てのサーモスタット付きステーションが上記「アルミニウムブロック」から構築され,それらが加熱装置又は冷却装置を備えることが記載されており,上記「サーモスタット付きステーション」は「熱循環器」を備えているものと解される。 したがって,本件報告書には,「1又は複数の核酸増幅反応混合物を収容するための支持体を有する熱循環器」(構成要件B)が記載されているものと認められる。 ウ 構成要件C 本件明細書(甲2)に「好適な光学系は,光源からの励起光を反応チューブに導き,各チューブからの輻射光を測定する」(段落【0066】)と記載されている。 そして,本件報告書(乙26)のH論文には,マルチチャンネル蛍光計の小規模テスト版がZ博士により構築されたことが記載されているところ(前記(1)アA),Z論文には,励起光が光ファイバーにより全てのサンプルに導かれること,蛍光放射は,独立した複数のファイバー(ウェーブガイド)により集められ,ファイバー末端から出射する光強度をペルティエ冷却型CCDカメラによって測定することが記載されており(前記(1)イ),上記「光ファイバー」及び「CCDカメラ」は,それぞれ,励起光をサンプルに導くもの,蛍光放射を集めたファイバー末端からの光強度を測定するものであるから,サンプルすなわち「核酸増幅反応混合物」に光学的に連係された「光学系」を構成するものと認められる。 したがって,本件報告書には,「1又は複数の核酸増幅反応混合物に光学的に連係される光学系」(構成要件C)が記載されているものと認められる。 エ 構成要件D (ア) 前記(1)アの認定事実によれば,本件報告書(乙26)のH論文には,進化装置が,交差夾雑を最小限にするために,中身が入ったマルチウェル反応プレートをシールするための収縮包装材を含んでいること(前記(1)ア@),この収縮包装材は薄い箔であって非常に光透過性が高く,核酸の増加をマルチチャンネル蛍光計により観察することができること(同B),蛍光計により,核酸増幅のオンラインモニタリングが可能となること,予備的実験では,核酸濃度を,蛍光指示薬を用いてPCRの間測定することができ,そのことにより増幅反応は妨害されなかったこと(同C)が記載されている。 これらの記載を総合すると,本件報告書の装置においては,交差夾雑を最小限にするために,核酸増幅反応混合物の入ったマルチウェル反応プレートが収縮包装材でシールされているが,この収縮包装材は光透過性の高い薄い箔であることから,核酸増幅反応混合物の入ったマルチウェル反応プレートをシールしたまま,マルチチャンネル蛍光計によって,核酸増幅のオンラインモニタリングをすることができ,PCRの間核酸濃度を測定することが可能となることが認められる。 したがって,本件報告書には,本件発明1の「光学系は,1又は複数の核酸増幅反応混合物を閉じたままで各反応混合物からの光シグナル測定するために作用しうる検出器を有し」(構成要件D)が記載されているものと認められる。 (イ) これに対し被控訴人は,多数のサンプルあるいは大量のサンプルを同時に用いて長時間の実験を行う場合に,その実験途中に一部のサンプルを取り出して解析することにより,その実験の途中の状態を分析することは,一般的に研究者が行う周知の実験手法であり,本件特許に係る本件優先日(平成3年5月2日)当時,PCRの蛍光測定は,反応終了後に容器を開けて行わなければならないという技術常識があり,また,PCR反応開始前に反応混合物に添加して反応容器を閉じたまま蛍光測定するための蛍光指示薬が知られていなかったこと,本件報告書のH論文には,多数の核酸増幅反応を平行して行う装置の記載があるが(乙26の55頁16行〜18行),「全てのサンプルが反応ステーションに設けられた測定ポジションで測定される」との記載はないことなどからすれば,PCRの分野の当業者は,H論文にはPCR実験中に一部のサンプルを取り出して蛍光測定することが記載されていたとしか理解できなかったというべきであって,本件報告書には,PCR反応を継続しながら核酸増幅反応混合物を「閉じたままで」反応混合物からの光シグナルを測定することの記載がなく,構成要件Dが開示されていない旨主張する。 a しかし,前記(1)アのとおり,H論文には,蛍光計により,核酸増幅のオンラインモニタリングが可能となること,予備的実験では,核酸濃度を,蛍光指示薬を用いてPCRの間測定することができ,そのことにより増幅反応は妨害されなかったことが記載されているのであるから,被控訴人が主張するような技術常識があったとしても,H論文を読んだ当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)が,反応ステーションでの反応が終わった後,測定ポジションで測定される前に蛍光指示薬が添加され,その後に光透過性の高いシールを用いてオンラインで蛍光測定すると理解するものとは認め難い。 b また,H論文には,前記(1)ア@のとおり,「マルチチャンネル蛍光計により実験中に核酸濃度を測定するための測定ポジション」(原文は,"a measurement position to measure nucleic acid concentrations during the experiment by a multichannnel fluorimeter(cf. reported by Z")と記載されていることから,本件報告書(乙26)の装置には,一つのマルチチャンネル蛍光計によって実験中の核酸濃度を測定する測定ポジションが一つしかないことが認められる。 しかし,H論文の中で引用されているZ論文には(前記(1)アAのとおり,H論文には「マルチチャンネル蛍光計の小規模テスト版は,Zにより構築されたものであり」との記載がある。),マルチチャンネル蛍光計に関して,蛍光放射は,独立した複数のファイバー(ウェーブガイド)により集められ,検出器部位では,それらファイバーは一緒にまとめられて,ペルティエ冷却型CCDカメラによって,ファイバー末端から出射する光強度を測定すること(前記(1)イ)が記載されている。 そして,H論文には,サンプルが液体供給システムによりステーションから測定ポジションに移動することを示す記載は認められない。 そうすると,H論文における一つの測定ポジションにおいては,反応ステーション上のすべての反応サンプルからの蛍光放射が複数のファイバーに集められ,CCDカメラによって一度に蛍光測定されると解するのが相当であり,測定ポジションが一つしかないからといって,「一部のサンプルが液体供給システムにより測定ポジションに移され,反応ステーションでは残りのサンプルの反応を進めると同時に,測定ポジションにおいて蛍光測定を行うことができる」というように解釈をすべき理由はない。 したがって,被控訴人の上記主張は採用することができない。 オ 以上のとおり,本件報告書(乙26)には,本件発明1の構成要件AないしEがすべて開示されているものと認められる。 (3) 本件報告書記載の発明の実施可能性の有無 ア 被控訴人は,本件報告書(乙26)のH論文には,PCR反応の際に用いた蛍光指示薬の種類及び蛍光指示薬を含む反応混合物の組成が一切開示されておらず,また,本件優先日(平成3年5月2日)当時,エチジウムブロマイドが「DNAの正常な複製や転写を妨げる」ものと理解されていたため,エチジウムブロマイドは,PCR反応後にのみ使用する蛍光指示薬として著名だったのであり,PCR反応前に添加できる蛍光指示薬であるとは理解されていなかったのが技術常識であったことなどからすれば,当業者は本件報告書の蛍光指示薬としてエチジウムブロマイドを理解することができず,本件報告書の発明に実施可能性がないから,本件報告書に本件発明1の技術的思想の記載(特許法29条1項3号)があるということはできない旨主張する。 イ しかしながら,前記1(1)ウのとおり,W論文には,「連続的トランスファー機械により得られた経験は,進化実験を平行して行うことができる機械の構築をサポートする(例えばHによるリポート)。」との記載があり,このようにW論文により得られた経験がH論文における機械の構築をサポートすることが明記されている以上,両論文が相互に関連づけて読まれるべきものであることは明らかであり(前記1(1)エのとおり,H論文,Z論文及びW論文は,いずれも「II.3.進化バイオテクノロジー」のセクション中の一部分を構成するものである。),H論文において核酸増幅のオンラインモニタリングを可能とする蛍光指示薬の種類が具体的に記載されていなくとも,当業者はW論文で使用された,RNAの増加をオンラインでモニターを可能とする「エチジウムブロマイド」を使用すればよいことを当然に理解することができるものと認められる。 また,被控訴人は,エチジウムブロマイドが「DNAの正常な複製や転写を妨げる」ことが周知であった旨主張するが,本件報告書(乙26)のH論文に,「予備的実験では,核酸濃度を,蛍光指示薬を用いてPCRの間測定することができ,そのことにより増幅反応は妨害されない,ということが示された」(前記(1)アC)と明記されているのであるから,被控訴人の主張する周知事項が存在したとしても,当業者が上記のような理解をする妨げとなるものではない。 したがって,被控訴人の前記主張は,その前提を欠くものであって採用することができない。 4 本件発明3の新規性について (1) 本件報告書(甲26)に,本件発明3(本件訂正後の請求項3)の構成要件AないしE(本件発明1と同一)が記載されていることは,先に説示したとおりである。 そして,前記3(1)アCによれば,本件報告書(乙26)には,改造された装置は複数の核酸増幅反応(PCR)を同時に行うことができるものであることが記載されていることが認められるから,本件発明3の「複数の核酸増幅反応混合物を収容するようにされた」(構成要件F)が記載されているものと認められる。 (2) 次に,本件訂正後の請求項3(本件発明3)は,その記載上,「増幅前に存在する標的核酸量の定量のために使用される」(構成要件G)特有の「装置の構成」を有するものと認めることはできない。 また,本件発明3の構成要件Gは,装置の用途を示すものではなく,単に,「光学シグナルの循環依存的変化」を測定することにより得られたデータの使用目的を規定したものにすぎないと解するのが相当である。 そして,請求項3が請求項1を引用して記載されていることによれば,本件発明3に係る装置の用途が,本件発明1と同様に,「複数の熱循環にわたって核酸増幅反応をモニターする」ことにあるものと認められる。 (3) 以上によれば,本件発明3の装置は本件報告書(乙26)の装置と,構成要件AないしFの全てを備える点で一致しており,構成要件Gが加えられても,装置としての同一性は何ら変わるものではないから,本件報告書には,本件発明3の構成要件が全て開示されているものと認められる。 5 小括 以上によれば,本件発明1,3は,本件報告書(乙26)に記載された発明と同一であって,本件特許は特許法29条1項3号に違反する事由(新規性の欠如)があり,特許無効審判により無効にされるべきものと認められるから,特許法104条の3第1項の規定により,特許権者たる被控訴人は控訴人に対し,その権利を行使することができないと解すべきこととなる。 6 結論 そうすると,その余について判断するまでもなく,被控訴人の本訴請求は全て理由がなく,これを一部認容した原判決は理由がなく,原判決中,控訴人敗訴部分は取消しを免れない。 よって,原判決中,控訴人敗訴部分を取り消し,上記取消しに係る被控訴人の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。 |
裁判長裁判官 | 中野哲弘 |
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裁判官 | 大鷹一郎 |
裁判官 | 長谷川浩二 |