関連審決 | 無効2002-35353 |
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審判番号(事件番号) | データベース | 権利 |
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平成15行ケ326審決取消請求事件 | 判例 | 特許 |
平成17行ケ10605審決取消請求事件 | 判例 | 特許 |
関連ワード | 頒布された刊行物 / 進歩性(29条2項) / 容易に発明 / 引用発明の認定 / 一致点の認定 / 技術常識 / 発明の詳細な説明 / 化学構造 / 優先権 / 参酌 / 均等 / 容易に想到(容易想到性) / 特許発明 / 実施 / 設定登録 / 請求の範囲 / 訂正明細書 / |
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事件 |
平成
16年
(行ケ)
126号
審決取消請求事件
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原告 昭和電工株式会社 訴訟代理人弁理士 武井秀彦 同 吉村康男 被告 ディーエスエムニュートリショナル プロダクツ アーゲー (旧商号) ロシュ ビタミン アーゲー 訴訟代理人弁理士 津国肇 同 齋藤房幸 同 小國泰弘 |
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裁判所 | 東京高等裁判所 |
判決言渡日 | 2004/12/27 |
権利種別 | 特許権 |
訴訟類型 | 行政訴訟 |
主文 |
原告の請求を棄却する。 訴訟費用は原告の負担とする。 |
事実及び理由 | |
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請求
特許庁が無効2002-35353号事件について平成16年2月19日にした審決を取り消す。 |
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当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は,名称を「養魚粉末飼料用添加物及び養魚用飼料」(後記訂正により「養魚用ペレット飼料」と訂正)とする特許第2943785号発明(昭和61年1月30日にした特許出願〔特願昭61-16739号,以下「原出願」という。〕の一部につき平成10年1月23日新たな特許出願〔以下「本件特許出願」という。〕,平成11年6月25日設定登録,以下,この特許を「本件特許」という。)の特許権者である。 被告は,平成14年8月27日,本件特許を無効にすることについて審判の請求をし,無効2002-35353号事件として特許庁に係属し,原告は,平成15年7月8日,本件特許出願の願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載等について訂正(以下「本件訂正」という。)を求める訂正請求をした。 特許庁は,同事件について審理した結果,平成16年2月19日,「訂正を認める。特許第2943785号発明についての特許を無効とする。」との審決をし,その謄本は,同年3月1日,原告に送達された。 2 本件訂正に係る明細書(以下「訂正明細書」という。)の特許請求の範囲【請求項1】記載の発明(以下「本件発明」という。)の要旨 有効成分としてL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類と魚粉を含有することを特徴とするアスコルビン酸活性を有するニジマス,ヒメマス,シロザケ,アユ,アマゴ,ヤマメ,ハマチ,タイ,コイまたはウナギの養魚用ペレット飼料。 (注)以下,「アスコルビン酸-2-リン酸エステル」は,「アスコルビン酸-2-ホスフェート」,「アスコルベート-2-ホスフェート」と同じ物質を意味し,「L-アスコルビン酸」は,ビタミンCを指す。 3 審決の理由 審決は,別添審決謄本写し記載のとおり,本件発明は,特開昭52-136160号公報(審判甲1・本訴甲3,以下「刊行物a」という。),昭和55年11月15日恒星社厚生閣発行,荻野珍吉編「魚類の栄養と飼料」,1頁,292頁〜306頁(本訴甲4,以下「刊行物b」という。),昭和60年4月15日同社発行,米康夫編「養魚飼料-基礎と応用」111頁〜114頁(本訴甲5,以下「刊行物c」という。)及びChen-Hsiung(Eldon)Lee,″SYNTHESES AND CHARACTERIZATION OF L-ASCORBATE PHOSPHATES AND THEIR STABILITIES IN MODEL SYSTEMS″(1976)の内容を撮影したマイクロフィルム(国立国会図書館昭和54年(1979年)3月14日受入,国立国会図書館所蔵マイクロフィルム資料DI/77-05510)(本訴甲6,乙42,以下「刊行物d」という。)に記載された発明に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定に違反してされたものであり,同法123条1項2号に該当するとした。 |
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原告主張の審決取消事由
審決は,刊行物aに記載された発明(以下「引用発明」という。)の認定を誤った結果,本件発明と引用発明との一致点の認定を誤り(取消事由1),本件発明と引用発明との相違点についての判断を誤り(取消事由2,3),本件発明の顕著な作用効果を看過した(取消事由4)ものであるから,違法として取り消されるべきである。 1 取消事由1(本件発明と引用発明との一致点の認定の誤り) (1) 審決は,引用発明として,「有効成分としてL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類を含有する,アスコルビン酸活性を有する魚の餌の補充剤」(審決謄本8頁第2段落)を認定した上,本件発明と引用発明の一致点として,「『有効成分としてL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩を含有する,アスコルビン酸活性を有する養魚用飼料』である点」(同11頁最終段落)を認定したが,誤りである。 (2) 刊行物a(甲3)の「魚の餌」の記載は,本来「魚から成る食事」の意味であるべきところを誤訳したものである。弁理士A作成の2004年(平成16年)5月21日付け宣誓書(甲8,以下「甲8宣誓書」という。),信州大学工学部物質工学科教授B作成の平成16年8月27日付け意見書(甲37,以下「甲37意見書」という。),弁理士C作成の2004年6月3日付け宣誓書(甲41,以下「甲41宣誓書」という。)及びD作成の2004年6月4日付け宣誓書(甲42,以下「甲42宣誓書」という。)は,刊行物aの優先権主張の基礎とした出願に係るアメリカ合衆国特許第4179445号公報(甲7,以下「甲7公報」という。)の記載中の「supplement the diet of fish」は,「魚から成る食事の補充剤」と解すべきであり,刊行物aの上記記載は,L-アスコルビン酸の2-ホスフェート及び2-サルフェート誘導体類が,魚から成る食事の補充剤として使用される可能性があることを記載しているだけであり,魚の餌の補充剤として使用されていることを記載したものではないとしている。仮に,「supplement the diet of fish」を「魚の餌の補充剤」と解し得たとしても,甲7公報では「can be used to supplement the diet of fish」は,可能性を表す「can be」が用いられている点からみて,魚の餌の補充剤として用いられる可能性があることを開示するにとどまる。 刊行物に記載された発明とは,刊行物に記載されている事項及び記載されているに等しい事項から把握される発明をいい,記載されているに等しい事項とは,当該刊行物の頒布時における技術常識を参酌することにより導き出されるものをいうところ,被告が引用するProgressive Fish-Culturist, 47, No.1, p55-59, 1985(乙6,以下「乙6文献」という。)は,原出願時である昭和61年1月30日のわずか1年前の論文であって,その記載は,刊行物aの頒布時はもとより,原出願時の技術常識ともいえない。 (3) 刊行物a(甲3)において,L-アスコルビン酸の2-ホスフェート及び2-サルフェート類が魚の餌の補充剤として用いられていることが知られている旨の記載のほかは,一貫して,食品へのL-アスコルビン酸の2-ホスフェートの利用について記載されており,文脈からいって,「魚の餌」の記載は不自然である。 「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートおよび2-サルフェート誘導体類は動物中でビタミン活性を示し,動物によって有用な安定なビタミンC誘導体とされ」(3頁左上欄第1段落)の記載中,「動物」の語は,次の段落で,モルモットの実験例の人間への応用の可能性を論じるために用いているのであり,生物分類学上の植物に対する「魚」を含む動物という意味で用いているものではないことは,文脈から明らかである。したがって,当業者は,L-アスコルビン酸の2-ホスフェート及び2-サルフェート類が魚の餌の補充剤として用いられていることが知られている旨の上記の単なる一行記載を,信ぴょう性があるものとして,そのままうのみにすることはない。原告従業員E作成の平成14年8月31日付け報告書(甲9,以下「甲9報告書」という。)及び東京海洋大学海洋科学部教授F作成の平成16年9月6日付け意見書(甲52,以下「甲52意見書」という。)によれば,刊行物aの特許出願前に,L-アスコルビン酸の2-ホスフェートを魚の餌に使用した例は知られておらず,刊行物aにおける「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートおよび2-サルフェート誘導体類は動物中でビタミン活性を示し,動物によって有用な安定なビタミンC誘導体とされ,このものは例えば魚の餌の補充剤として用いられることが知られている」(刊行物aの3頁左上欄第1段落)との記載は,事実ではない。 (4) 酵素学あるいは生物学的な常識からいえば,ホスファターゼが存在するというだけで,魚類,特に本件発明飼料の対象魚種についても,その消化系において,L-アスコルビン酸の2-リン酸エステルの塩を開裂して有効化し得るとはいえない。アルカリ性ホスファターゼとは,アルカリ条件下でリン酸エステルを分解する酵素の総称であり,基質や性質の異なる様々な酵素が含まれる。その作用,性質は,ホスファターゼの起源によっても異なるから,アルカリ性ホスファターゼなら,起源にかかわらず,いかなる条件下でも,L-アスコルビン酸の2-ホスフェート誘導体を分解し得るとは,技術常識上いうことができない。例えば,野田宏行=立野新光「魚類のホスファターゼに関する研究-T.魚体ホスファターゼの測定法」Journal of Faculty of Fisheries, Prefectural University of Mie, Vol.6, No.3, p.291-301, 1965(甲10,以下「甲10文献」という。)の第4図によれば,ニジマスのアルカリ性ホスファターゼはpH8以下ではほとんど活性を示しておらず,同「魚類のホスファターゼに関する研究-U.各種ホスファターゼの魚体内分布」Journal of Faculty of Fisheries, Prefectural University of Mie, Vol.6, No.3, p.303-311, 1965(甲11,以下「甲11文献」という。)の第7表によれば,大多数の魚類のアルカリ性ホスファターゼの至適pHは9.6であるから,魚類のアルカリ性ホスファターゼは,pH8以下ではほとんど活性を示さないと,当業者は考えるはずである。他方,昭和46年12月1日緑書房発行,尾崎久雄著「魚類生理学講座 第3巻/消化の生理〔上〕」60頁〜63頁(甲12,以下「甲12文献」という。)が示すように,魚類の消化管のpHは,例えば,ハマチは7.6にすぎず,その他の魚でも,消化管のpHはかなり低いから,アルカリ性ホスファターゼは有効な活性を発揮できず,L-アスコルベート2-ホスフェートを開裂できない。昭和59年4月10日東京化学同人発行「生化学辞典」79頁〜80頁(乙51,以下「乙51文献」という。)には,アルカリ性ホスファターゼがほとんどすべてのリン酸モノエステル結合を加水分解する非常に特異性の広い酵素であることが記載されているが,この記載は不正確であり,アルカリ性ホスファターゼがすべてのリン酸モノエステルを分解することはできず,アルカリ性ホスファターゼにおいても基質特異性が存在する(Journal of the Chinese Biochemical Society, vol.13 No.2, p.60-69,1984〔甲54,以下「甲54文献」という。〕,Agric. Biol. Chem., 45(9), p.1959-1967,1981〔甲55,以下「甲55文献」という。〕,Exp. Anim. 26(3), p.223-229, 1977〔甲56,以下「甲56文献」という。〕)。次に,酸性ホスファターゼは,ライソゾームに局在する酵素であるから,健康状態にある動物の消化系においてアスコルビン酸のホスフェートを開裂することはあり得ず,まして,魚の消化系において酸性ホスファターゼがアスコルビン酸の2-リン酸を有効化するとは到底いえない(昭和50年6月30日朝倉書店第3版発行「細胞学大系1 概説・細胞膜」79頁〜85頁〔甲13〕,昭和52年4月28日理工学社発行「細胞生物学B 細胞構造と物質代謝」236頁,290頁〜291頁〔甲14〕,昭和50年6月10日朝倉書店再版発行「細胞学大系3 小器官U」412頁〜413頁〔甲15〕)。基質特異性が比較的広いといわれる酸性ホスファターゼにおいても,基質特異性は現に存在し,しかも,起源生物,採取源によって基質特異性は異なり(Food Science, Vol.2: PRINCIPLES OF ENZYMOLOGY FOR THE FOOD SCIENCES, p.494, COPYRIGHT 1972〔甲16〕),同様のことは,アルカリ性ホスファターゼについてもいうことができる。また,刊行物aにおいて,実験例も技術的裏付けもない「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートの魚の餌の補充剤」は,発明として完成していないというべきである。 (5) ある薬剤がある動物に効果を奏したからといって,他の動物でも同様の効果を奏するといえないことは,技術常識に属することであって,モルモットの例が記載されているにすぎない刊行物a(甲3)の記載のみから,これとは分類学上異なる魚に対してもL-アスコルビン酸の2-ホスフェートが有効であるとは認識できない。稲垣長典=山田真里子「アスコルビン酸2-硫酸の酵素的分解(T)モルモット,ウサギ,マス内臓中の酵素活性について」昭和50年発行ビタミン49巻11号439頁〜444頁(甲17,以下「甲17文献」という。),J. Nutr. 108, p.1761-1766, 1978(甲18,以下「甲18文献」という。),Annals of the New York Academy of Sciences, vol.258, p.81-101(1975)(甲19,以下「甲19文献」という。)は,L-アスコルビン酸誘導体が,ある特定の種類の魚あるいは動物に対して効果があっても,他の種の魚あるいは動物においても効果を有するとはいえないこと,魚と哺乳動物間では,L-アスコルビン酸誘導体あるいはビタミン誘導体の効果は同様であるとはいえないことを示している。また,Federation of American Societies for Experimental Biology, 56th Annual Meeting, April 9-14, 1972, Symposia and Special Sessions Abstracts of Papers, p.2759-2764(甲21)に示される発表以来,研究が続けられた2-サルフェートについては,結局,被告自身によって,魚には効果がないことが結論づけられている(1989年〔平成元年〕8月29日開催,魚に対する給餌及び栄養摂取に関する第3回国際シンポジウム,ロシュ・ワークショップ〔甲20〕)。マス等の実験データがあるアスコルビン酸2-サルフェートと比べれば,モルモットの実験しかなく,実験根拠が薄弱なアスコルビン酸2-ホスフェートについて,「魚の餌の補充剤」として実体を伴った用途が記載されているなどとはいえない。さらに,アスコルビン酸2-O-α-グルコシドは,良好な耐酸化,耐熱安定性を有し,モルモット,ラット中のα-グルコシダーゼによりアスコルビン酸を遊離する(化学と生物vol.29, No.11, p.726-733,山本格「強いビタミンCをつくる」〔甲22〕)が,養魚飼料原料中に存在するα-グルコシダーゼにより不安定なアスコルビン酸に変換してしまうため,実用化されていない(株式会社林原生物科学研究所作成の平成13年12月26日付け審判請求書〔甲23〕)ことからも明らかなように,アスコルビン酸誘導体が,耐熱性,耐酸化性を有し,かつ,体内で酵素により活性体に変換されるだけでは,水産養殖用固形飼料に配合して有効な活性を有すると予測することはできない。結局,魚においてL-アスコルビン酸-2-ホスフェートが有効か否かは,実際に魚に投与試験をして初めて分かることである。桐蔭学園横浜大学工学部教授G作成の平成16年5月26日付け意見書(甲24,以下「甲24意見書」という。)は,刊行物aのモルモットの試験例についての原出典(E. Cutolo and A. Larizza, Gass. Chim. Ital. 91(1961)p.964〔甲25,以下「甲25文献」という。〕)には,実験の具体的な方法がほとんど記載されておらず,生化学者が追試を試みたとしても,同様の効果が得られるか疑問であること,モルモットの例から,すべての種について同一の効果は期待できないこと等を指摘している。 2 取消事由2(本件発明と引用発明との相違点(1)についての判断の誤り) (1) 審決は,本件発明と引用発明との相違点(1)として認定した,「本件特許発明(注,本件発明)では,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類と魚粉を含有する養魚用ペレット飼料としているのに対し,刊行物a(注,甲3)記載の発明(注,引用発明)では,飼料の組成およびその形態は不明な点」(審決謄本12頁(相違点)の項の(1))について,「『L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類』を魚粉を含む飼料に添加してペレットの形態とすることは当業者であれば容易に想到し得る」(同頁下から第2段落)と判断したが,誤りである。 (2) 魚粉は,魚体を粉砕したもので,ホスファターゼを含む。そうすると,このホスファターゼが,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステル塩を,L-アスコルビン酸と無機リン酸に分解するから,安定性の低いL-アスコルビン酸は,ペレット化工程の加圧加熱処理により分解し,有効なビタミンC活性を発揮できないと,当業者は予想するはずである。魚粉の製造においては,蒸煮工程を伴うものの,加熱が原料すべてに均等にされるわけではなく,また,酵素はすべて失活するわけではなく,熱失活しても再生する(原告従業員H作成の平成15年8月11日付け,平成16年4月27日付け,平成15年12月1日付け各実験成績証明書〔甲26,27,29〕,APPLIED AND ENVIROMENTAL MICROBIOLOGY, VOL.64, Nov.1998, p.4446-4451〔甲28〕)。したがって,魚粉を原料として含有する養魚用飼料にL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類を添加することには,阻害事由が存在する。 3 取消事由3(本件発明と引用発明との相違点(2)についての判断の誤り) (1) 審決は,本件発明と引用発明との相違点(2)として認定した,「本件特許発明(注,本件発明)では,養魚として,ニジマス,ヒメマス,シロザケ,アユ,アマゴ,ヤマメ,ハマチ,タイ,コイ,またはウナギと特定されているのに,刊行物a(注,甲3)に記載の発明(注,引用発明)では,対象とする魚種は不明な点」(審決謄本12頁(相違点)の項の(2))について,「ビタミンC源を含む養魚用飼料の対象魚種として,ニジマス,ヒメマス,シロザケ,アユ,アマゴ,ヤマメ,ハマチ,タイ,コイ,ウナギを選定して使ってみるようなことは,当業者であれば容易に想到し得る」(同13頁第1段落)と判断したが,誤りである。 (2) 魚のアルカリ性ホスファターゼは,魚の消化管のpHでは有効に活性を発揮できないと考えられることは上記1(4)のとおりであり,魚種ごとに消化管pH,温度等がホスファターゼの作用条件下にあること,あるいは,これら各魚種のホスファターゼの基質特異性等の酵素学的性質が明らかでなければ,本件発明の対象魚種において,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩が有効であるとはいえない。 4 取消事由4(本件発明の顕著な作用効果の看過) (1) 審決は,刊行物a(甲3)には,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩を含む養魚用飼料が実質的に記載されている以上,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩が,他の誘導体よりも優れた効果を奏するとしても,顕著な効果とはいえないとした(審決謄本13頁第2段落)が,刊行物aには,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩を含有する養魚用飼料が記載されていないことは上記1のとおりであるから,前提において誤りである。 本件発明は,刊行物aを含め,従来知られた,極めて多数のL-アスコルビン酸誘導体(甲30)の中から,魚の餌の配合剤として,極めて有効なL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩を選択したものに相当するから,選択発明として進歩性が認められるべきである。 (2) また,審決は,本件発明の効果は,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルのマグネシウム塩の耐熱性,耐酸化性に基づく高い残存率によるものであり,刊行物a(甲3)の記載から当業者が容易に予測できるとした(審決謄本13頁最終段落)が,残存率が高くても有効なL-アスコルビン酸活性を示さないビタミンC誘導体があるから,誤りである。L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩は,ビタミンCの1/4〜1/8の要求量で高い効果を示す(平成4年1月5日緑書房発行「『養殖』臨時増刊号『添加商品』29巻1号臨(通巻347号)」〔甲32〕,同年2月日本水産学会発行「日本水産学会誌」58巻2号,337頁〜341頁〔甲33〕)。魚粉中に存在する酸性ホスファターゼにより,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩が不安定なアスコルビン酸に分解され,その後のペレット化工程の加圧加熱により不活性化されることが予想されるが,実際には,本件発明は,特定の対象魚に対して,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩が極めて優れたアスコルビン酸活性を奏するものであって,この効果は当業者が刊行物aの記載からは予測できないものであり,L-アスコルビン酸誘導体を使用するものとして,水産養殖史上初めて商業的成功を収めたものである(上記「養殖」平成4年7月1日号,78頁〔甲34〕,「化学工業日報」平成12年12月21日号〔甲35〕)。このような原告による商業的成功は,本件発明が安定性及びアスコルビン酸活性において他に代替できない効果を有するからであり,このことは,被告が,平成15年4月になって,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルナトリウムカルシウムについて,「飼料の安全性の確保及び品質の改善に関する法律」に基づく飼料添加物として認可(平成14年4月25日付け官報第3349号1頁〜5頁〔甲36〕)を得たことからも裏付けられる。 |
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被告の反論
審決の認定判断は正当であり,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。 1 取消事由1(本件発明と引用発明との一致点の認定の誤り)について (1) 刊行物a(甲3)には,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類が動物中でビタミン活性を示し,魚の餌の補充剤として用いられていることが知られていると記載されており,この記載に接した当業者は,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類がビタミンC活性を有する魚の餌の補充剤として用い得ることを認識できる。甲7公報は,刊行物aに係る特許出願(特願昭52-16670)の優先権主張の基礎とした出願(No.683,888)の継続出願(No.817,555)の更なる継続出願に係るものであり,刊行物aの優先権主張の基礎とした出願ではないから,刊行物aは,甲7公報と直接の関係はなく,甲7公報の解釈は,刊行物aの解釈に影響を与えるものではない。 (2) 刊行物a(甲3)は,ビタミンCを体内で合成できないヒト,モルモット及び魚などの動物の食品系におけるL-アスコルビン酸2-ホスフェートの利用について記載したものであるから,刊行物a記載の「動物」は,実質的にヒト,モルモット及び魚類を含むものであることが明らかである。刊行物a記載の「魚の餌」は,L-アスコルビン酸の2-ホスフェート及び2-サルフェート誘導体類が動物中でビタミン活性を示し,動物によって有用な安定なビタミンC誘導体とされることの具体的例示として挙げられていることが明らかで,何ら不自然ではない。刊行物aの特許出願前に,L-アスコルビン酸2-ホスフェートを魚の餌に使用した例がないとしても,刊行物aの記載が開示する事実には何らの影響もなく,乙6文献には,1976年(昭和51年)に実施された,L-アスコルベート2-ホスフェートの塩を魚に与えた試験の結果が記載されているから,刊行物aの出願前にL-アスコルビン酸2-ホスフェートが魚の餌に使用されていたことは明らかである。 (3) また,甲10文献の第4図に示されたアルカリ性ホスファターゼは,腸のものでない可能性があり,同図は,pH8.0以下ではアルカリ性ホスファターゼがほとんど活性を発揮し得ないとは記載しておらず,同図に示されたアルカリ性ホスファターゼは,生体中とは異なる状態にある。さらに,アルカリ性ホスファターゼは,通常測定された最適pHより十分下回った低いpH値でも,細胞中において有意な活性を有し,pH6.5〜8.0で活性を示す魚のアルカリ性ホスファターゼが存在するから,魚において腸のアルカリ性ホスファターゼが,pH8.0以下ではほとんど活性を示さないと当業者が認識することはあり得ない。むしろ,多くの魚類において消化管のpHは8.0〜10である(昭和53年8月1日緑書房第2版発行,尾崎久雄著「魚類生理学講座 第4巻/消化の生理(下)」278頁〜283頁,338〜339頁〔乙33,以下「乙33文献」という。〕,平成3年6月30日恒星社厚生閣発行「魚類生理学」69頁〜70頁〔乙34,以下「乙34文献」という。〕)から,魚にホスファターゼが存在し,魚に対しL-アスコルビン酸2-ホスフェートの塩が活性を示すと当業者が理解することは明らかである。 (4) 東京海洋大学海洋科学部教授I作成の平成16年7月5日付け見解書〔乙16,以下「乙16見解書」という。〕に記載されるように,モルモットは,分類学上,魚類と同じ脊椎動物に属し,ビタミンC合成能を欠くという点で魚類と共通していること,モルモットが,ホスフェートエステル誘導体の代謝に関して,魚と特段異なるとの見解もないことから,モルモットと同様,魚類においても,L-アスコルビン酸のホスフェートエステルが期待通り高いビタミンC効力を有することは,当業者が当然に理解することである。原告が挙げた,「L-アスコルビン酸2-サルフェート」,「アスコルビン酸2-O-α-グルコシド」に関する証拠は,これらがいずれもホスフェートエステル基を有しない物質であり,ホスファターゼによってL-アスコルビン酸に活性化されるものではないから,これらの知見は,ホスファターゼによってL-アスコルビン酸に活性化されるL-アスコルビン酸2-ホスフェートに直接適用できるものではなく,実験によらなければL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類の魚における有効性が分からないとする原告の主張を裏付けるものではない。モルモットの試験例の原出典に当たる甲25文献や技術常識(昭和51年発行ビタミン50巻1号19頁〜25頁,辻村卓=吉川春寿=長谷川忠男=鈴木隆雄「アスコルビン酸2-硫酸のモルモットに対する抗壊血病作用について」〔乙41〕)を基に,モルモットの試験を追試することは可能である(乙16見解書)。刊行物d(甲6,乙42)の著者も,甲25文献のモルモットの試験結果に疑義を抱いていない。 2 取消事由2(本件発明と引用発明との相違点(1)についての判断の誤り)について 「魚粉」がL-アスコルビン酸-2-リン酸エステル塩を分解することは,訂正明細書(甲2)には記載されていないから,これを考慮すべきではない。また,魚粉は,養魚用ペレット飼料の慣用原料であって,当業者は,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステル塩が魚粉中で分解されるとしても,これを使用する。魚のホスファターゼが魚粉の製造中において完全に失活することは当業者にとって技術常識であり(甲10文献,昭和40年5月10日日本栄養・食糧学会発行「栄養と食糧」18巻1号63頁〜65頁〔乙30,以下「乙30文献」という。〕,昭和55年11月15日恒星社厚生閣発行「魚類の栄養と飼料」256頁〜257頁〔乙43,以下「乙43文献」という。〕,昭和63年5月30日同社発行「水産油糧学」8頁〜13頁,40〜43頁〔乙44〕,昭和59年2月20日講談社第4版発行「新水産ハンドブック」588頁〜591頁〔乙45,以下「乙45文献」という。〕),ペレット飼料を製造する際も,製造時の熱により魚粉中のホスファターゼは失活し(刊行物b〔甲4〕),魚粉の製造工程やペレット化工程では,酸性ホスファターゼは残存しない。ペレット飼料中及びその製造工程中は,ホスファターゼ活性の発現の至適状態ではなく,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩は分解せず,魚粉にホスファターゼ活性が存在しても,加熱処理したり増量したりすることにより,ホスファターゼによる分解の影響を容易に抑えることができる。したがって,当業者は,魚粉を原料として含有する養魚用ペレット飼料にL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類を添加することを回避することはしないし,得られた養魚用ペレット飼料が,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩の高い残存率とビタミンC活性を奏することを当然に予想することができるというべきである。 3 取消事由3(本件発明と引用発明との相違点(2)についての判断の誤り)について 刊行物b〜d(甲4〜6)の記載から,ビタミンC源を含む養魚用飼料の対象魚種として,一般的な養殖魚であるニジマス,ヒメマス,シロザケ,アユ,アマゴ,ヤマメ,ハマチ,タイ,コイ,ウナギを選定することは,当業者が容易に想到し得るものである。本件発明の対象魚は,ニジマス,ヒメマス,シロザケ,アユ,アマゴ,ヤマメ,ハマチ,タイ,コイ及びウナギであるが,実際,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩を給餌して有効性を調べたのは,ニジマス及びハマチだけであり,それ以外のヒメマス,シロザケ,アユ,アマゴ,ヤマメ,タイ,コイ及びウナギについては,比較試験例3において,これら魚の肝臓と腸とを混合して得た抽出液によるL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩の加水分解活性を調べただけである。それにもかかわらず,本件発明が特許されたのは,魚種ごとにその消化管のpH,温度などがホスファターゼの作用条件下にあることや,これら魚種のホスファターゼの基質特異性が明らかでなくても,生体内にホスファターゼが存在していれば,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩は有効化し得るということが当業者の技術常識であったことによるものと判断せざるを得ない。 4 取消事由4(本件発明の顕著な作用効果の看過)について (1) 化学構造及び生理特性において全く異なる他のアスコルビン酸の誘導体を用いた比較対照実験から得られた効果は,本件発明の有利な効果として容易推考性判断の際に参酌することはできない。本件発明が魚の餌の配合剤として選択してきたものは,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類そのものであり,その点において引用発明と全く一致しており,本件発明は,何らアスコルビン酸誘導体を選択していないのだから,選択発明であるとする原告の主張は,明らかに失当である。 (2) 本件発明の効果は,引用発明である「有効成分としてL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類を含有する,アスコルビン酸活性を有する養魚用飼料」の効果と対比すべきであるが,原告の主張する本件発明の効果,アスコルビン酸を有効成分とする発明との対比であって,本件発明の進歩性の判断において参酌することのできないものである。刊行物a,b,d(甲3,4,6)の記載から,当業者は,ペレット飼料の製造条件下でL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルが実質的に残存できると考えることは明らかである。また,商業的な成功は,進歩性の存在の真偽が不明な場合に,その存在を肯定的に推認するのに役立つ事実として参酌することができるにとどまり,本件発明のように,引用発明との構成上の相違点が微差であり,引用発明と対比した効果が有利でないことが明らかな場合には,商業的に成功したという事実があったとしても,そのことだけで本件発明の進歩性が肯定されるものではない。 |
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当裁判所の判断
1 取消事由1(本件発明と引用発明との一致点の認定の誤り)について (1) 原告は,刊行物a(甲3)から,引用発明として,「有効成分としてL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類を含有する,アスコルビン酸活性を有する魚の餌の補充剤」(審決謄本8頁第2段落)を認定した審決を誤りであると主張する。そこで,刊行物a(甲3)の記載を見ると,刊行物aには,@「本発明は広範囲の食品に使用しうる安定な栄養価値のあるビタミンC源として有用なホスホリル誘導体類を製造するためのモノアスコルビル-およびジアスコルビル-2-ホスフェートの合成法に関する」(2頁右上欄最終段落),A「L-アスコルビン酸は,それを特定の化学誘導体に変えることによって,酸素および熱に対して一層安定化されうることが知られている。特にL-アスコルベート2-ホスフェートまたはL-アスコルベート2-サルフェートの如きアスコルビン酸の2-位置の無機エステル類は,L-アスコルビン酸のようには容易に酸化されない。さらには,L-アスコルビン酸の2-ホスフェートおよび2-サルフェート誘導体類は動物中でビタミン活性を示し,動物によって有用な安定なビタミンC誘導体とされ,このものは例えば魚の餌の補充剤として用いられることが知られている。ホスフェートエステル基を開裂することが知られている酵素が動物の消化系に存在するから,かかる2-ホスフェートエステルは,殆ど全ての動物中で活性を示すと考えられる」(3頁左上欄第1段落),B「L-アスコルベート2-ホスフェートを合成するいくつかの方法が過去に提案されてきておりまた該ホスフェートエステルが期待通り高ビタミンC効力を有することが示されている。例えば,・・・は,モルモット(guinea pig)にL-アスコルベート2-ホスフェートマグネシウム塩を給餌または注射すると,モルモットが尿中にL-アスコルベートを排泄することを発表している[Gazz Chim. Ital. 91(1961), 964]。L-アスコルベート2-ホスフェートを与えられた動物によって排泄されたL-アスコルビン酸の量は,当量のL-アスコルビン酸を与えた動物によつて排泄された量と同じであった。これらの結果は,L-アスコルベート2-ホスフェートは腸内で定量的にL-アスコルベートと無機燐酸塩とに変化することを示している。同様な結果は,ヒトの消化系におけるアルカリ性燐酸塩の作用によって,ヒトにおいても期待されよう」(3頁左上欄最終段落〜右上欄第1段落),C「従って,本発明の最も重要な目的は,分析化学的に純粋な状態に容易に回収でき,しかも酸素の存在によりまたは高熱条件下で活性を失うことなく食品系中におけるビタミンC源またはビタミンプレミックスとして使用しうるアスコルビン酸のホスフェートエステルを高収率で製造するための工業的に使用しうる方法を提供することにある」(3頁左下欄第2段落),D「ホスホリル化反応の完結後,2-ホスフェートモノエステルは,無定形マグネシウム塩の形でまたは結晶性トリシクロヘキシルアンモニウム塩(TCHAP)の形で単離することができる」(5頁右下欄最終段落),E「この時点で,単離されたマグネシウム塩は実質的に純粋なL-アスコルベート2-ホスフェートであり」(6頁左上欄)との記載がある。 上記B,D及びEの記載によれば,刊行物a(甲3)においては,「L-アスコルベート2-ホスフェート」が「L-アスコルベート2-ホスフェートの塩」をも意味する用語として用いられていることは明らかであり,また,上記Cに記載されているように,ビタミンC源又はビタミンプレミックスとして使用し得るアスコルビン酸のホスフェートエステルを,高収率で製造することを最も重要な目的とする刊行物aにおいて,実際に最終生成物として単離されているのは「L-アスコルベート2-ホスフェートの塩」のみである(実施例1〜5)ことから,刊行物aにおいては,「L-アスコルベート2-ホスフェートの塩」をビタミンC源として記載しているものと認められる。そうすると,上記Aの「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートおよび2-サルフェート誘導体類は動物中でビタミン活性を示し,動物によって有用な安定なビタミンC誘導体とされ,このものは例えば魚の餌の補充剤として用いられることが知られている」との記載においても,「L-アスコルベート2-ホスフェートの塩」が,「魚の餌の補充剤に用いられる」ものとして記載されているものと認められる。 (2) ところで,Acta histochem. Bd. 47, S.8-14(1973)(乙2,以下「乙2文献」という。)には,「Clarias batrachus(LIXX.)(アルビノクララ),Ophiocephalus(Channa)punctatus(BLOCH)(インディアンスネークヘッド),Ophioce phalus(Channa)gachua(BLOCH)(ドワーフスネークヘッド)およびBarbus(Puntius)sophore(HAM.)(Pool barb)の消化器系の種々の部分における,アルカリホスファターゼの分布について研究した。胃においては,ホスファターゼは粘膜,固有層,胃腺,毛細血管およびリンパ腔の基底部分に分布している。・・・Barbusの腸の球および4匹の魚すべての腸において,強力な活性が,粘膜および固有層の刷子縁で見られる。Ophiocephalusの両種の幽門盲嚢における分布パターンは,腸と同様である」(訳文第1段落〜下から第2段落)と記載され,昭和53年8月1日緑書房第2版発行,尾崎久雄著「魚類生理学講座第4巻/消化の生理〔下〕」290頁〜291頁(乙5,以下「乙5文献」という。)には,魚類の酵素に関して,「5.アルカリ性フォスファターゼ Arvy(1960)によるとScorphthalmusの咽頭から肛門までのすべての消化管の上皮にアルカリフォスフォモノエステラーゼ(alkaline phosphomonoesterase)の作用が存在する。・・・Utida(1967)はニジマス(体重70〜100g,14℃)の腸粘膜のアルカリ性フォスファターゼは腸の前半の方が活性が高く,海水へ順応させると活性は腸全体に高まること,Utida&Isono(1967)とUtida,Oide&Oide(1968)はウナギの腸粘膜の活性も海水に順応せしめると4〜5倍にも高まることをみている」(291頁)と記載され,甲11文献には,11種類の養殖魚おけるアルカリ性ホスファターゼの分布に関し,「Alk Pase(注,アルカリ性ホスファターゼ)は殆どすべての臓器に高濃度に存在しているが,とりわけ腎臓,腸,幽門垂に豊富に含まれる」(305頁)と記載され,さらに,乙51文献には,アルカリ性ホスファターゼがほとんどすべてのリン酸モノエステル結合を加水分解する非常に特異性の広い酵素であることが記載されている。また,本件特許出願前(原出願時である昭和61年1月30日前)に頒布された刊行物である乙6文献には,ナマズによる実験結果において,ビタミンC源としてL-アスコルベート2-ホスフェートを利用できることが開示されていることから,当業者は,L-アスコルベート2-ホスフェートの塩類もホスフェートエステルを有する以上,同じように,魚の体内でビタミンC源として利用されると理解するということができる。これらの記載によれば,魚の消化管内に,基質特異性が低く,広範囲のリン酸モノエステルを加水分解できるアルカリ性ホスファターゼが存在することは,本件特許出願前において,技術常識であったことが認められるから,刊行物aにおける,「ホスフェートエステル基を開裂することが知られている酵素」(上記(1)A)は,上記技術常識の魚類の消化管に存在するアルカリ性ホスファターゼに該当するものということができる。そうすると,刊行物aの上記記載及び上記技術常識を参酌すれば,L-アスコルベート2-ホスフェートマグネシウム塩が,期待どおり,モルモットの体内においてL-アスコルベート(L-アスコルビン酸)の形に活性化されることが確認されている(上記(1)B)のと同じように,L-アスコルベート2-ホスフェートの塩が,ホスファターゼを有する魚の体内でも,L-アスコルビン酸に開裂されて活性を示すことは,当業者が理解することである。 原告は,刊行物に記載された発明とは,刊行物に記載されている事項及び記載されているに等しい事項から把握される発明をいい,記載されているに等しい事項とは,当該刊行物の頒布時における技術常識を参酌することにより導き出されるものをいうところ,乙6文献は,原出願時である昭和61年1月30日のわずか1年前の論文であって,その記載は,刊行物aの頒布時はもとより,原出願時の技術常識ともいえないと主張する。しかしながら,特許発明が刊行物に記載された発明に基づいて容易に想到し得たか否かは,特許発明の出願時(本件においては原出願時)を基準として判断されるから,引用刊行物に記載された発明の認定も,これを容易想到性の判断の基礎とする場合には,特許発明の出願時における当業者の技術常識を参酌して行うべきであり,乙6文献のほか,乙2文献,乙5文献及び乙51文献の上記記載から上記技術常識を認定できることは,上記に説示したとおりであって,原告の上記主張は採用することができない。 また,原告は,乙51文献の上記記載は不正確であり,アルカリ性ホスファターゼがすべてのリン酸モノエステルを分解することはできず,アルカリ性ホスファターゼにおいても基質特異性が存在すると主張し,甲54文献〜甲56文献を提出するが,乙51文献は,アルカリ性ホスファターゼが,ほとんどすべてのリン酸モノエステル結合を加水分解する非常に特異性の広い酵素であることについて記載するものであり,この記載は,アルカリ性ホスファターゼが,すべてのリン酸モノエステル結合を加水分解する基質特異性の存在しない酵素であることを意味しているわけではない。甲54文献〜甲56文献は,アルカリ性ホスファターゼが,様々な構造の基質に対し有効な活性を示すこと,アルカリ性ホスファターゼが全く活性を示さないか,低い活性しか示さない基質もいくつかは存在することを開示するものと認められるから,これらの記載は,乙51文献の記載と矛盾するものではなく,その記載内容が不正確であるとする根拠とはならない。したがって,原告の上記主張も採用することができない。 以上検討したところによれば,当業者は,刊行物a(甲3)に「L-アスコルベート-2-ホスフェートの塩を含有する魚の餌の補充剤」が記載されていることを理解するというべきである。 (3) 原告は,甲8宣誓書,甲37意見書,甲41宣誓書及び甲42宣誓書を挙げて,刊行物a(甲3)の優先権主張の基礎とした出願に係る甲7公報の記載中,「supplement the diet of fish」は,「魚から成る食事の補充剤」と解すべきであるから,刊行物aの「魚の餌」の記載は,本来「魚から成る食事」の意味であるべきところを誤訳したものであると主張する。しかしながら,甲7公報には,刊行物aの優先権主張の基礎とした1976年(昭和51年)5月6日にしたアメリカ合衆国特許出願第683888号の明細書(甲40添付)とほぼ同じ内容が記載されていることが認められるものの,審決が引用発明を認定した刊行物は,刊行物aであり,甲7公報ではないから,原告主張の甲7公報の記載は,審決の引用発明の認定の当否を何ら左右するものではない。 (4) 原告は,刊行物a(甲3)の文脈から,「魚の餌」の記載は不自然であり,当業者は,「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートおよび2-サルフェート誘導体類は動物中でビタミン活性を示し,動物によって有用な安定なビタミンC誘導体とされ,このものは例えば魚の餌の補充剤として用いられることが知られている」(3頁左上欄第1段落)との単なる一行記載を,信ぴょう性があるものとして,そのままうのみにすることはなく,また,刊行物aの特許出願前に,L-アスコルビン酸の2-ホスフェートを魚の餌に使用した例は知られていなかったと主張する。 そこで,刊行物aの記載を見ると,刊行物aの発明の詳細な説明には,第1段落に,刊行物a記載の発明は,広範囲の食品に使用し得る安定な栄養価値のあるビタミンC源として有用なホスホリル誘導体類を製造するためのモノアスコルビル-及びジアスコルビル-2-ホスフェートの合成法に関するものであること((1)の上記@),第2段落に,L-アスコルビン酸は,均衡栄養食の必須成分であり,このビタミンの推奨摂取許容量は確立されているが,空気中の酸素と非常に反応性であるので,食品中で最も低安定なビタミンであるが,L-アスコルビン酸の2-ホスフェートエステル類は,L-アスコルビン酸自体ほどには還元力の強い化合物ではないので,L-アスコルビン酸を用いた場合のような不都合は発生しないと思われること(2頁左下欄最終段落〜右下欄),第3段落に,L-アスコルベート2-ホスフェート又はL-アスコルベート2-サルフェートのごときアスコルビン酸の2-位置の無機エステル類は,L-アスコルビン酸のようには容易に酸化されず,動物中でビタミン活性を示すこと((1)の上記A),第4段落に,モルモットにL-アスコルべート2-ホスフェートマグネシウム塩を給餌又は注射すると,尿中にL-アスコルベートが排泄されたとの発表例に示されるように,L-アスコルベート2-ホスフェートは期待どおり高ビタミンC効力を有し,ヒトにおいても同様の結果が期待されること(同B),第5段落に,これまでに提案されているL-アスコルベート2-ホスフェート及びその誘導体の合成法は,目的生成物の収率が比較的低かったり,ビタミンC源として食品系に使用し得る分析化学的に純粋な誘導体を与えることができないものであること(3頁右上欄第2段落〜左下欄第1段落),第6段落に,そこで,本発明の最も重要な目的は,分析化学的に純粋な状態に容易に回収でき,しかも酸素の存在によりまたは高熱条件下で活性を失うことなく食品系中におけるビタミンC源またはビタミンプレミックスとして使用し得るアスコルビン酸のホスフェートエステルを高収率で製造するための工業的に使用し得る方法を提供することにあること((1)の上記C)が記載されている。これらの記載によれば,刊行物aは,全体として見れば,食品に使用し得るL-アスコルベート2-ホスフェートの合成法について記載したものと認められる。 しかしながら,第3段落には,L-アスコルベート2-ホスフェートが,単に,食品に添加したときにビタミンCのように容易に酸化されないという利点を有するのみならず,動物の体内でビタミン活性を示すものであることが説明されており,特に,第3段落中の「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートおよび2-サルフェート誘導体類は動物中でビタミン活性を示し,動物によって有用な安定なビタミンC誘導体とされ,このものは例えば魚の餌の補充剤として用いられることが知られている」との記載における「魚の餌の補充剤」は,「例えば」との記載からみて,その直前に記載された「動物によって有用な安定なビタミンC誘導体とされる」ことの例を挙げたものと理解することができ,続いて,「ホスフェートエステル基を開裂することが知られている酵素が動物の消化系に存在するから,かかる2-ホスフェートエステルは,殆ど全ての動物中で活性を示すと考えられている」とした上で,第4段落で,実際に,期待どおりにビタミン活性が示されることを,モルモットの例を挙げて説明し,ヒトにおいても同様の効果が期待されることを説明して,第6段落のL-アスコルベート2-ホスフェートの食品への使用についての記載につながっていることが理解できる。そうすると,刊行物aの「魚の餌の補充剤」の記載が,その文脈上,不自然であるとは認められない。また,当業者は,その技術常識に基づいて,刊行物aに「L-アスコルベート-2-ホスフェートの塩を含有する魚の餌の補充剤」が記載されていることを理解することは,上記(2)に説示したとおりであり,仮に,原告主張のとおり,刊行物aに係る特許出願当時,L-アスコルビン酸-2-ホスフェートを魚の餌に使用したことを示す例が知られていなかったとしても,そのことは,刊行物a及び技術常識から導かれる上記認定を何ら左右しない。 (5) 原告は,甲10文献〜甲12文献の記載から,魚類のアルカリ性ホスファターゼは,pH8以下ではほとんど活性を示さないと,当業者は考えるはずであり,魚類の消化管のpHは,例えば,ハマチは7.6にすぎず,その他の魚でも,消化管のpHはかなり低いから,アルカリ性ホスファターゼは有効な活性を発揮できず,L-アスコルベート2-ホスフェートを開裂できないと主張する。 しかしながら,甲11文献の表7には,11種類の魚類の腸から抽出したアルカリ性ホスファターゼの至適pHが,9.0又は9.6であることが記載され,甲10文献の図4には,ニジマス器官から抽出したアルカリ性ホスファターゼのpH8.5〜10.5における活性曲線が示されているが,魚類の生体における消化管内のアルカリ性ホスファターゼ及びニジマス以外の魚種のアルカリ性ホスファターゼについての記載はないから,魚において腸のアルカリ性ホスファターゼがpH8以下でほとんど活性を示さないという一般論を導くことはできない。また,甲12文献の表19には,ハマチの大腸のpHが7.6であることが示されているが,乙33文献には,無胃魚Fundulus heteroclitusの十二指腸に機械的刺激を与えた後のpHが8.6〜9.0であること(279頁),Pleuronectes Platessaの腸内容が明らかにアルカリ性であり,pHは7.43〜8.65の間にあること(281頁),Scorpaena porcusの腸分離領域に海水か非緩衝グルコース液を注入し,90分後にはpHが8.5〜9.0になること(同頁),広塩性魚Anguilla vulgarisの腸のpHは海水にいるものではpH10であること(282頁), Lumpfishでは胃充満時の腸のpHが8.2で胃空虚時の腸のpHが8.6であること(283頁の表123)が記載されているから,魚の消化管pHは,魚の種類や環境等によって異なるものと認められる。そうすると,異なる魚種について記載された甲10文献〜甲12文献を組み合せて,アルカリ性ホスファターゼが魚の消化管で有効な活性を発揮できないとする原告の上記主張は,採用することができない。 むしろ,乙33文献の「腸管内のpHは胃,膵臓,肝臓,幽門垂及び腸自身などの分泌物と餌料と嚥下された水(淡水と海水)などの混合されたものの値である。腸内で働く膵臓,肝臓,幽門垂及び腸からの消化酵素はすべて中性ないし弱アルカリ性に至適pHを持つから,腸内でこれらの酵素が十分に作用しうるようにpHが調整されてゆくのであろう」(280頁)との記載によれば,魚の消化管は,そこに存在するアルカリ性ホスファターゼが十分に作用し得るようなpH値を有すると解する方が合理的であり,このことは,本件特許出願前に頒布された刊行物である乙6文献に,ナマズによる実験結果において,ビタミンC源としてL-アスコルベート2-ホスフェートを利用できることが開示されていることによっても裏付けることができる。 原告は,酸性ホスファターゼは,ライソゾームに局在する酵素であるから,健康状態にある動物の消化系においてアスコルビン酸のホスフェートを開裂することはあり得ず,まして,魚の消化系において酸性ホスファターゼがアスコルビン酸の2-リン酸を有効化するとは到底いえないとも主張するが,魚の消化管内に,基質特異性が低く,広範囲のリン酸モノエステルを加水分解できるアルカリ性ホスファターゼが存在することは,本件特許出願前において,技術常識であり,刊行物aにおける,「ホスフェートエステル基を開裂することが知られている酵素」(上記(1)A)は,上記技術常識の魚類の消化管に存在するアルカリ性ホスファターゼに該当するものということができることは,上記(2)のとおりであるから,酸性ホスファターゼに係る原告の上記主張は,引用発明の上記認定を左右するものではない。 原告は,刊行物aにおいて,実験例も技術的裏付けもない「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートの魚の餌の補充剤」は,発明として完成していないとも主張する。しかしながら,上記(2)のとおり,刊行物aの記載及び技術常識から,L-アスコルベート2-ホスフェートの塩が,ホスファターゼを有する魚の体内でもL-アスコルビン酸に開裂されて活性を示すことは,当業者が合理的に理解し得ることであり,また,L-アスコルベート2-ホスフェートの塩類は,ホスフェートエステルを有する以上,乙6文献に記載されたL-アスコルベート2-ホスフェートと同じように,ビタミンC源として利用できると認められるから,刊行物aに,魚についての実験データが記載されていなくとも,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類が魚に対して有効であることは明らかであり,刊行物aの「L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類を含有する魚の餌の補充剤」が,発明として完成していないということはできない。 (6) 原告は,甲17文献〜甲19文献を挙げて,L-アスコルビン酸誘導体がある特定の種類の魚あるいは動物に対して効果があっても,他の種の魚あるいは動物においても効果を有するとはいえず,また,魚と哺乳動物との間では,L-アスコルビン酸誘導体あるいはビタミン誘導体の効果は同様であるとはいえないと主張する。 しかしながら,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類が魚に対して有効であることは上記(2)のとおりである。他方,原告の挙げる上記文献について見ると,甲17文献には,ウサギ,モルモット,マスの肝臓のアスコルベート2-サルフェートを分解する酵素の活性を比較した結果,マスの酵素活性が低かったことが記載され,「しかし魚類については,マスのみしか行っていないうえ実験例も少ないので,更に検討する必要があるが,各動物とも個体差があるように思われるので,この点についても更に検討の必要がある」(443頁右欄〜444頁左欄)と記載され,甲18文献には,「ニジマス幼魚において,L-アスコルビン酸2-硫酸二カリウム二水和物が,ビタミンC源としてL-アスコルビン酸と同等の効果を持つと報告されている・・・が,上記事実は,ナマズではその利用効率が低い可能性があることを示唆している」(訳文最終段落)と記載され,甲19文献には,「アルコルビン酸2-硫酸はニジマスに於いて生理活性を示し,迅速にアスコルビン酸欠乏症の症状を阻止した。それ故この化合物はビタミンC2と命名された」(訳文第1段落),「J博士:あなたはアスコルビン酸2-硫酸に対し,ビタミンC2という用語を用いた。これは魚には当てはまりそうだと思うが,モルモットにおいてアスコルビン酸2-硫酸がビタミンCとなるか否かについては決定的で無いと考える。サルについては疑問があり,ヒトについては我々はまだなにも知らない」(訳文下から第2段落)と記載されているだけであり,これらは,いずれも,硫酸エステルを分解する酵素が存在するにもかかわらず,アスコルビン酸2-硫酸をアスコルビン酸として利用できない生物があることを示すものではない。したがって,甲17文献〜甲19文献は,リン酸エステルを分解する酵素が魚の消化管に存在することが技術常識であることを前提とする引用発明の認定に何ら影響を及ぼすものではない。 また,原告は,アスコルビン酸2-O-α-グルコシドは,良好な耐酸化,耐熱安定性を有し,モルモット,ラット中のα-グルコシダーゼによりアスコルビン酸を遊離するが,養魚飼料原料中に存在するα-グルコシダーゼにより不安定なアスコルビン酸に変換してしまうため,実用化されていないことからも明らかなように,アスコルビン酸誘導体が,耐熱性,耐酸化性を有し,かつ,体内で酵素により活性体に変換されるだけでは,水産養殖用固形飼料に配合して有効な活性を有すると予測することはできないとも主張する。しかしながら,アスコルビン酸2-リン酸エステルの塩が養魚飼料原料に存在する酵素で必ずしもアスコルビン酸に変換してしまうといえないことは,後記2のとおりであり,アスコルビン酸2-リン酸エステルの塩を水産養殖用固形飼料に配合した場合に有効な活性を有すると予測することは,原告が主張するアスコルビン酸2-O-α-グルコシドに関する上記知見によって妨げられることはない。 原告は,甲24意見書は,刊行物aのモルモットの試験例についての原出典である甲25文献には,実験の具体的な方法がほとんど記載されておらず,生化学者が追試を試みたとしても,同様の効果が得られるか疑問であること,モルモットの例から,すべての種について同一の効果は期待できないこと等を指摘していると主張する。しかしながら,甲25文献には,モルモットに対するアスコルビン酸誘導体の皮下投与の際の投与量,尿中へのアスコルビン酸の排出量が,具体的に記載されているから,当業者は,容易に追試をして効果を確認することができるものと認められる。そして,モルモットの試験例から直ちに魚においても有効であると解することはできないにしても,魚の消化管内にアルカリ性ホスファターゼが存在することが技術常識であったことは上記(2)のとおりであるから,当業者は,L-アスコルベート2-ホスフェートの塩を経口投与すれば,アスコルビン酸に開裂されて活性を示すと理解することができるものというべきであり,すべての種について同一の効果が期待できるまでの必要はない。したがって,原告の上記主張も理由がない。 (7) 以上検討したところによれば,引用発明として,「有効成分としてL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類を含有する,アスコルビン酸活性を有する魚の餌の補充剤」(審決謄本8頁第2段落)を認定した上,本件発明と引用発明の一致点として,「『有効成分としてL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩を含有する,アスコルビン酸活性を有する養魚用飼料』である点」(同11頁最終段落)を認定した審決に誤りはなく,原告の取消事由1の主張は理由がない。 2 取消事由2(本件発明と引用発明との相違点(1)についての判断の誤り)について (1) 原告は,魚粉はホスファターゼを含み,このホスファターゼにより,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステル塩は,有効なビタミンC活性を発揮できないと当業者は予想するから,魚粉を原料として含有する養魚用飼料にL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類を添加することには,阻害事由が存在すると主張する。 しかしながら,乙30文献には,魚肉中のホスファターゼについて,「キグチについて,その酸性フォスファターゼとアルカリ性フォスファターゼの熱安定性をしらべ第2図のような結果を得た。すなわち,いずれも70℃,5分間の加熱で,ほぼ完全に失活し」(64頁右欄下から第2段落)と記載されている。乙43文献及び乙45文献の記載によれば,魚粉(フィッシュミール)の製造工程として蒸煮の工程があることが認められるところ,乙45文献の「蒸煮 原料を水蒸気で十分に加熱する操作で,その目的は(1)原料のタンパク質を熱凝固させ,水を分離させる,(2)細胞膜を軟化させ,圧さくの際に水と脂質の分離を容易にさせる,(3)原料に含まれる酵素を失活させ,品質保持を助ける,(4)細菌を死滅させ,製品の腐敗や汚染を防止する,ことにある」(589頁右欄第3段落)との記載から,蒸煮とは,原料を水蒸気で十分に加熱する操作であり,原料に含まれる酵素を失活させることを目的の一つとするものであることが認められるから,魚粉に含まれるホスファターゼは,飼料の製造工程においてほぼ完全に失活するものと認められる。そうすると,魚粉にホスファターゼが残存しても,「ペレットは,粉末原料を加圧成型したもの」(刊行物b〔甲4〕の295頁下から第2段落)であり,その製造工程における「加水度は普通5〜10%である」(同最終段落)ことを考慮すると,酵素と基質が共存する溶液中において酵素が基質を分解するのとは異なり,魚粉に残存するホスファターゼは,ペレット製造工程において配合されるL-アスコルビン酸-2-ホスフェートと十分に接触しこれを有効に分解できるような状態にあるとは認められないし,不安定で分解されやすいとされるビタミンC(アスコルビン酸)自体でさえ魚粉中に配合することが知られていた(刊行物bの293頁「表6.40 配合飼料の組成」,297頁下から第2段落)のであるから,魚粉にホスファターゼが存在するということが,魚粉を原料として含有する養魚用飼料にL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類を添加することの阻害事由になるとは認められない。 (2) したがって,原告の取消事由2の主張は理由がない。 3 取消事由3(本件発明と引用発明との相違点(2)についての判断の誤り)について (1) 原告は,魚のアルカリ性ホスファターゼは,魚の消化管のpHでは有効に活性を発揮できないと考えられ,魚種ごとに消化管pH,温度等がホスファターゼの作用条件下にあること,あるいは,これら各魚種のホスファターゼの基質特異性等の酵素学的性質が明らかでなければ,本件発明の対象魚種において,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩が有効であるとはいえないと主張する。しかしながら,魚のアルカリ性ホスファターゼが魚の消化管のpHでは有効に活性を発揮できないとの主張に理由がないことは,上記1(5)のとおりである。また,訂正明細書(甲2)においては,実際に活性が確認されているのはニジマス及びハマチのみで,他の対象魚種については,消化管pH,温度等がホスファターゼの作用条件にあることやホスファターゼの基質特異性等の酵素学的性質を明らかにすることなく,生体外での加水分解活性を確認しただけで,ニジマス及びハマチと同様に生体内でも活性があるものとみなして,特許請求の範囲に記載されたものと認められる。そうすると,魚種ごとに消化管pH,温度等がホスファターゼの作用条件にあること,ホスファターゼの基質特異性等の酵素学的性質が明らかでなければ,本件発明の対象魚種においてL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩が有効であるとはいえないという原告の主張は,魚種ごとにこれらの条件や性質を確認することなく作成された訂正明細書の記載に反する主張であるから,採用できない。 (2) したがって,原告の取消事由3の主張も理由がない。 4 取消事由4(本件発明の顕著な作用効果の看過)について (1) 原告は,本件発明は,刊行物a(甲3)を含め,従来知られた,極めて多数のL-アスコルビン酸誘導体(甲30)の中から,魚の餌の配合剤として,極めて有効なL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩を選択したものに相当するから,選択発明として進歩性が認められるべきであると主張する。しかしながら,本件発明と引用発明の一致点として,「『有効成分としてL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩を含有する,アスコルビン酸活性を有する養魚用飼料』である点」(審決謄本11頁最終段落)を認定した審決に誤りがないことは上記1のとおりであり,そうである以上,本件発明は,多数の誘導体の中から特定の誘導体を選択したものということはできず,原告の上記主張は失当である。 (2) 原告は,残存率が高くても有効なL-アスコルビン酸活性を示さないビタミンC誘導体があるから,本件発明の効果について,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルのマグネシウム塩の耐熱性,耐酸化性に基づく高い残存率によるものであり,刊行物a(甲3)の記載から当業者が容易に予測できるとした審決の判断は誤りであると主張する。しかしながら,アスコルビン酸の2-ホスフェートの塩類は,熱安定性が高いことが刊行物aに記載されているのであるから,加熱加圧工程を経ても,なお残存率が高いことは,容易に予測できることであり,また,刊行物aの記載及び技術常識から,魚の消化管でアスコルビン酸に分解されて有効に利用されることが読み取れる以上,本件発明の効果は,当業者に予測できる範囲内のものというほかはない。 (3) 原告は,アスコルビン酸-2-リン酸エステルマグネシウム塩の要求量はアスコルビン酸に比して著しく低いが,ビタミンCとしての活性はむしろ高いとも主張する。しかしながら,ある発明が,特定の引用発明に基づき進歩性を有するか否かを検討する際に参酌される効果は,当該引用発明と比較した有利な効果であると解すべきである。刊行物aには「L-アスコルベート-2-ホスフェートの塩を含有する魚の飼の補充剤」が記載されていると認定できる以上,この点において,本件発明は引用発明と一致しているのであるから,「L-アスコルビン酸2-ホスフェートの塩」をアスコルビン酸と比較した効果を論じても,引用発明と比較した効果とはいえず,本件発明の進歩性を裏付けるものとなり得ないことは明らかである。 (4) さらに,原告は,本件発明は,特定の対象魚に対して,L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩がアスコルビン酸活性を奏するものであって,この効果は当業者が予測できないものであり,L-アスコルビン酸誘導体を使用するものとして,水産養殖史上初めて商業的成功を収めたものであるとも主張する。しかしながら,引用発明として,「有効成分としてL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類を含有する,アスコルビン酸活性を有する魚の餌の補充剤」(審決謄本8頁第2段落)を認定した審決に誤りがないことは,上記1のとおりであり,そうである以上,本件発明は,養殖魚としてよく知られたニジマス及びハマチについてこの効果を確認をしたというにすぎないというべきであり,当業者にとって予測できない効果であるとはいえない。また,商業的成功には,通常様々な要因が関与しており,商業的に成功したということのみで本件発明の進歩性を肯定することはできない。 (5) したがって,原告の取消事由4の主張も理由がない。 5 以上のとおり,原告主張の取消事由はいずれも理由がなく,他に審決を取り消すべき瑕疵は見当たらない。 よって,原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。 |
裁判長裁判官 | 篠原勝美 |
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裁判官 | 岡本岳 |
裁判官 | 早田尚貴 |