関連審決 | 不服2004-17147 |
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関連ワード | 特許を受ける権利 / 技術的思想 / 製造方法 / 進歩性(29条2項) / 容易に発明 / 発明特定事項 / 一致点の認定 / 周知技術 / 公知技術 / 課題の共通性 / 上位概念 / 技術常識 / 発明の詳細な説明 / 化学構造 / 優先権 / 名義変更 / 着想 / 優先日 / 参酌 / 容易に想到(容易想到性) / 実施 / 加工 / 拒絶査定不服審判 / 拒絶査定 / 請求の理由 / 審理終結通知 / 拒絶理由通知 / 請求の範囲 / 変更 / 国際公開 / |
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事件 |
平成
17年
(行ケ)
10630号
審決取消請求事件
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原告 ヴィアトリスゲゼルシャフト ミッ ト ベシュレンクテルハフツング ウント コンパニー コマンディート ゲゼルシャフト 訴訟代理人弁護士 加藤義明 同 角田邦洋 同 三留和剛 同 弁理士 杉本博司 被告 特許庁長官中嶋誠 指定代理人 森田 ひとみ 同 中野孝一 同 大場義則 同 徳永英男 |
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裁判所 | 知的財産高等裁判所 |
判決言渡日 | 2006/06/27 |
権利種別 | 特許権 |
訴訟類型 | 行政訴訟 |
主文 |
原告の請求を棄却する。 訴訟費用は原告の負担とする。 この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。 |
事実及び理由 | |
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請求
特許庁が不服2004-17147号事件について平成17年3月29日にした審決を取り消す。 |
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当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯原告の前権利者であるアスタ メディカ ゲゼルシャフト ミット ベシュレンクテル ハフツング(出願当初の社名「アスタ メディカ アクチエンゲゼルシャフト」)は,1994年(平成6年)9月22日(以下「本件優先日」という。)にドイツ連邦共和国においてした特許出願に基づく優先権を主張し,平成7年9月22日,発明の名称を「経口適用のための服用形」とする発明につき特許出願(特願平7-244884号,以下「本件出願」という。)をしたところ,平成15年3月31日までに,原告に対して,特許を受ける権利を譲渡し,同年4月18日,原告において特許庁長官に対し出願人名義変更の届出をした。原告は,平成16年6月3日付け(発送日)で拒絶査定を受けたので,同年8月18日に拒絶査定不服の審判を請求した。特許庁は,これを不服2004-17147号事件として審理した結果,平成17年3月29日に「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,同年4月14日にその謄本を原告に送達した。 2 発明の要旨( ) 平成15年4月28日付け手続補正書により補正された明細書(以下,本 1件出願の願書に添付した明細書と併せて「本件明細書」という。)の特許請求の範囲の請求項1に記載された発明(以下「本願発明」という。)の要旨R-チオクト酸の固体塩を含有する服用形。 ( ) 平成16年8月18日付け手続補正書により補正された本件明細書の特許 2請求の範囲の請求項1に係る発明(以下「本願補正発明」という。)の要旨R-チオクト酸と,アルカリ金属又はアルカリ土類金属,水酸化アンモニウム,塩基性アミノ酸,例えばオルニチン,シスチン,メチオニン,アルギニン及びリジン,式:NR R R [式中,基R ,R 及びR は同一又は異123 1 2 3なるものであり,水素,C1-C4-アルキル又はC1-C4-オキシアルキルを表わす]のアミン,C-原子数2〜6のアルキレン鎖を有するアルキレンジアミン,例えばエチレンジアミンまたはヘキサメチレンテトラミン,ピロリドン,モルホリン;N-メチルグルカミン,クレアチン及びトロメタモールから選択された塩基とから成る固体塩を含有する,経口適用のための服用形。 3 審決の理由( ) 審決は,別添審決謄本写し記載のとおり,@本願補正発明は,特開平6- 116543号公報(甲13,以下「引用例」という。)に記載された発明(以下「引用発明」という。)に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により,特許出願の際独立して特許を受けることができないものであって,平成16年8月18日付け手続補正書による補正は,特許法17条の2第5項において準用する同法126条4項(注,平成15年法律第47号による改正前のもの)に規定する要件を満たしておらず,同法159条1項において準用する同法53条1項の規定により却下すべきものである,A本願発明も,上記同様,引用発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により,特許出願の際独立して特許を受けることができないとした。 ( ) なお,審決は,本願補正発明と引用発明との対比について,「本願補正発 2明も引用文献1(注,引用例)に記載された発明も,ともに,『R-チオクト酸を含有する固体形状の経口適用のための服用形』である点」(審決謄本4頁第2段落)で一致し,「有効成分であるR-チオクト酸の化学的形態に関し,本願補正発明では同形態が『R-チオクト酸と,アルカリ金属・・・及びトロメタモールから選択された塩基とからなる固体塩』であるのに対し,引用文献1に記載された発明では同形態が(遊離の)『R-チオクト酸』である点」(同頁第3段落)で相違すると認定した。 |
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原告主張の審決取消事由
審決は,本願補正発明と引用発明の対比を誤り(取消事由1),相違点についての判断を誤り(取消事由2),本願補正発明の顕著な効果を看過し(取消事由3),しかも,特許法156条1項違反による手続違背を犯し(取消事由4),その結果,本願補正発明が引用発明に基づいて容易に想到し得たとの誤った結論を導いたものであり,違法であるから,取り消されるべきである。 1 取消事由1(本願補正発明と引用発明の対比の誤り)( ) 審決は,本願補正発明と引用発明の一致点について,「R-チオクト酸を 1含有する固体形状の経口適用のための服用形」(審決謄本4頁第2段落)であると認定したが,誤りである。 本願補正発明の本質的構成は,「R-チオクト酸と,アルカリ金属又はアルカリ土類金属,水酸化アンモニウム,塩基性アミノ酸,例えばオルニチン,シスチン,メチオニン,アルギニン及びリジン,式:NR R R [式中,123基R ,R 及びR は同一又は異なるものであり,水素,C1-C4-アル12 3キル又はC1-C4-オキシアルキルを表す]のアミン,C-原子数2〜6のアルキレン鎖を有するアルキレンジアミン,例えばエチレンジアミンまたはヘキサメチレンテトラミン,ピロリドン,モルホリン;N-メチルグルカミン,クレアチン及びトロメタモールから選択された塩基とから成る固体塩を含有する,経口適用のための服用形」であるのに対して,引用発明の構成は,「(遊離の)R-チオクト酸を含有する,経口適用のための服用形」であり,本願補正発明のR-チオクト酸の「固体塩」は,「R-チオクト酸を含有する」化合物ではない。審決は,本願補正発明と引用発明とで使用されるR-チオクト酸の化学的形態が,「R-チオクト酸の固体塩」と「遊離のR-チオクト酸」とで本質的に相違していることを認識していながら,化学物質としての相違を全く無視して,単に,「R-チオクト酸を含有する」なる極めてあいまいな上位概念的認定により本願補正発明を認定した。しかも,本件明細書の特許請求の範囲にも発明の詳細な説明にもない「固体形状」という新たな用語を付加している。 このように,本願補正発明及び引用発明の技術的意味を全く無視して行われた審決の一致点の認定が誤っていることは明らかである。 ( ) 審決は,本願補正発明と引用発明との相違点について,「有効成分である 2R-チオクト酸の化学的形態に関し,本願補正発明では同形態が『R-チオクト酸と,アルカリ金属・・・及びトロメタモールから選択された塩基とからなる固体塩』であるのに対し,引用文献1に記載された発明では同形態が(遊離の)『R-チオクト酸』である」(審決謄本4頁第3段落)と認定したが,誤りである。 本願補正発明は,「経口適用のための服用形」に関するものであるから,含有成分のみを取り出して相違点であるとすることはできない。審決は,本願補正発明を含有成分と経口適用の服用形とに分離して対比しているが,本願補正発明と引用発明とではそれぞれの構成が本質的に異なっていることからすれば,含有成分と経口適用の服用形とを安易に分離して比較すべきではないのであって,本願補正発明と引用発明とは,「欠点なくタブレットにプレスできる,作用物質の高成分を有する医薬製剤を提供すること」という課題において一致するのみであり,構成において一致するところはない。審決にいう「一致点」は,上記課題の共通性を述べるものにすぎず,構成に基づく発明の一致点を認定したものということはできない。 2 取消事由2(相違点についての判断の誤り)( ) 審決は,本願補正発明と引用発明との相違点について,「このような当業 1界における技術常識を考慮するならば,引用文献1(注,引用例)に記載された固体形状の経口医薬製剤に配合されるR-チオクト酸につき,その安定性や製剤のしやすさ,バイオアベイラビリティー等の観点から製剤に好ましい形態のものを選択し,上記遊離形のみならず各種塩基との塩の形態にすることは,当業者が容易になし得ることと言わざるを得」(審決謄本4頁下から第2段落)ないと判断した。 しかし,上記のとおり,審決は,本願補正発明が「経口適用のための服用形」に関するものであることを看過し,単に,含有成分のみを取り出して相違点と認定し,これを前提として進歩性の判断をしているのであって,そもそも,前提を誤っているのである。 ( ) 引用発明の解決すべき課題は,チオクト酸(α-リポ酸),メスナ又はフ 2ルピルチンマレイン酸塩といった作用物質を欠点なくタブレットにプレスできる,作用物質の高成分を有する医薬製剤を提供することである。従来から,大きなタブレットは呑みにくいので,患者側の服用を容易にし,かつ,受容量を向上させるために,より小さな寸法で高濃度のチオクト酸タブレットが求められており,そのため固体薬剤形中の助剤成分を減らすことが必要とされていたが,特にチオクト酸については,その低い融点のゆえに高濃度になるとタブレットプレスの際に,プレス工具への付着並びにタブレット表面のワレといった種々の問題が生じていた。この問題を解消するために採用された構成は,多量の結合剤溶液を用いて作用物質を特に強力に造粒するか,又は大量の水を用いて作用物質/結合剤混合物を顆粒化することである。そして,引用発明の特徴は,チオクト酸が低い融点を有することを前提に,チオクト酸自体の化学構造を変えることなく,特定の製剤技術(顆粒化,固体化,固形化技術)を適用することで高濃度のチオクト酸をタブレットプレスする際に,プレス工具への付着並びにタブレット表面のワレが生じるといった欠点を克服するものである。 一方,本願補正発明の課題は,引用発明における「欠点なくタブレットにプレスできる,作用物質の高成分を有する医薬製剤を提供する」という課題を共通の課題として含んでいるのは当然のことであるが,さらに,貯蔵安定性が良好で,かつ,より高い生物供給性を有するR-チオクト酸の薬理作用を示す服用形を開発することをも課題としている。 このように,本願補正発明と引用発明とでは,発明の課題が大きく相違しているので,引用発明から,「良好な貯蔵安定性で,できる限り高い生物供給性を有する服用形の開発」という課題を有する本願補正発明の構成に,当業者が思い至る契機も動機付けもない。 ( ) 審決は,本願補正発明と引用発明との相違点についての判断につき,それ 3ぞれの含有成分のみに着目し,本願補正発明と引用発明の課題の相違を看過して,容易想到であるとの誤った判断をしたものであって,失当である。 3 取消事由3(顕著な作用効果の看過)( ) 審決は,本願補正発明の効果について,「固体製剤において塩の形態を選 1択したことにより格別顕著な作用効果を奏するとも言えない。」(審決謄本4頁下から第2段落)と判断したが,誤りである。 ( ) 本件明細書(甲2)には,「例2aによる錠剤からの作用物質の放出は, 2放出媒体として0.06NHClを使用して37℃で下記のとおりである:15分後:6% 30分後:9% 分解時間:<2分」,「意外にも,例3による錠剤の製造にR-チオクト酸の固体塩を使用する場合には,再び良好な放出値が得られることが判明した(方法は前記と同じ):15分後:75% 30分後:88% 分解時間:<1分 」(段落【0017】)との記載があり,実施例(段落【0038】〜【0069】)には,本願補正発明による効果(例3)が,対比する発明(例2a,引用発明)と比較して,格別に顕著な作用効果を奏するものであることが明確に記載されている。このように,本願補正発明の「適当な塩基との固体塩」を用いて製剤化した「経口適用のための服用形」が,極めて良好な放出値を示すことは,全く意外な結果であり,これが当業者の予想を超えた効果であることは明らかである。 ( ) 被告は,仲井由宣他編「新製剤学」(昭和57年11月25日株式会社南 3山堂発行〔第1版〕,乙1,以下「乙1文献」という。),西垣貞男著「調剤学-基礎と応用-」(昭和50年7月30日株式会社南山堂発行〔第1版〕,乙3,以下「乙3文献」という。)を根拠にして,薬理作用を有する化学物質を医薬製剤とするに当たり,これを遊離の形で用いるほか,製薬学的に使用可能な塩の形で用いることは,本件優先日当時,当業界で広く行われていることである旨主張する。 しかし,本願補正発明は,一般的な「難溶性の酸の塩を含有する服用形」に係る発明ではなく,具体的な薬理活性成分及び投与形である「R-チオクト酸と特定の選択された塩基からなる固体塩を含有する,経口適用のための服用形」である。被告が主張するように種々の塩基とα-チオクト酸の理論的に可能な塩が得られたとしても,それらすべての塩が,服用形を経口適用した際,必要な濃度のα-チオクト酸が望ましい時間で血中に放出されるかどうかは不明である。 また,被告は,難水溶性のR-チオクト酸を塩の形態にすれば,溶解速度が高まり,吸収速度やバイオアベイラビリティが改善されることは技術常識であると主張する。 しかし,乙1文献に,「溶解速度は固体の表面積と物質の溶解度の積に比例する。しかしながら,溶解速度が速ければ速いほど,吸収速度が必ずしも速いわけではない。」(231頁第2段落)と記載されているように,溶解速度が速ければ,吸収速度が必ずしも速くなるわけではないことも技術常識である。溶解速度ないし分解速度と作用物質の放出は,直接関連しているものではなく,また,医薬成分のバイオアベイラビリティも,投与された後,たくさんすばやく溶けて血中濃度が高くなればよいという単純なものではないのである。要するに,医薬成分のバイオアベイラビリティは,具体的な各薬理活性成分ごと,さらに投与形ごとにそれぞれ好ましい放出プロフィ-ル(放出濃度の時間依存性)に依存するものであるから,被告のいう技術常識が直ちに本件に当てはまるとはいえない。 被告は,大木道則他編「化学大辞典」(平成元年10月20日株式会社東京化学同人発行〔第1版〕,乙8,以下「乙8文献」という。)の記載を理由として,d形のリポ酸(R-チオクト酸の別名)はもともと水に溶けにくいことが知られているのであるから,これを塩の形態にすれば水溶性(溶解速度)すなわち放出速度が大幅に改善されることは,当業者が当然に期待する事項であるとも主張する。 しかし,被告は,「当業者が当然期待する事項である」と一般論として繰り返すにとどまり,なぜ,本件明細書の段落【0017】に具体的かつ定量的に示された効果が当業者にとって「意外な効果」ではなく,「予想を超えた効果」でもないかについて,一切述べていない。また,被告のいう「当業者が当然期待する事項」の意味は必ずしも明らかでないが,仮に,単に「期待する事項」でさえあればよいというのであれば,その効果を実際に奏する具体的な構成を初めて着想して完成されたあらゆる発明は,同様の理屈により進歩性なしとされることとなり,あまりに道理を無視した主張であることは明らかである。 ( ) R-チオクト酸は,固体塩の場合には遊離のR-チオクト酸の融点(50. 46〜50.7℃)と比較して,極めて高い融点(トロメタモール:116〜118℃,水酸化ナトリウム:247〜257℃)を示す。そして,この遊離のR-チオクト酸と比較して極めて高い融点により,製造工程で不所望な焼結が起こらず,生物供給性の悪化も引き起こされず,かつ,服用形製造の煩雑性を同時に解決することができる。本願補正発明の上記の効果も,全く意外なものであり,当業者の予想を超えたものというべきである。 4 取消事由4(特許法156条1項違反の手続違背)原告は,平成16年8月18日,拒絶査定不服の審判を請求したところ,平成17年3月15日付け(同月16日発送)審理終結通知を受け取り,同月29日付け(4月14日発送)審決を受け取った。この間,原告が,審判官及び審判書記官の氏名通知を受けたのは,同年3月4日付け(発送日同月9日)であるから,その後,審決までの実質的な審理期間は,わずか25日間にすぎず,到底,本願補正発明についての審理が十分にされたとは考えられない。しかも,その間,原告は,審判合議体から,特許法134条4項に基づく審尋も一切受けず,拒絶理由通知を受けることもなく,ただ,同年3月4日,審判合議体の審判官から,電話で,原告の審判請求書の請求の理由において引用文献2についての言及がないことを指摘されたのみであった。その結果,審判合議体は,本願補正発明と引用発明との正確な対比をすることができず,また,本件明細書に記載されている顕著な作用効果についも一切参酌することなく,本願補正発明ひいては本願発明が進歩性を欠くとの誤った審決をしたものである。このような審理手続は,特許法156条1項の規定に違反するものであり,その違法が審決の結論に影響を及ぼすことも明らかである。 |
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被告の反論
審決の認定判断に誤りはなく,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。 1 取消事由1(本願補正発明と引用発明の対比の誤り)について( ) 審決は,本願補正発明と引用発明とを対比するに当たり,平成16年8月 118日付け手続補正書により補正された本件明細書(甲10)の特許請求の範囲の請求項1に記載された発明特定事項に注目し,そこに現れた観点から両者の一致点,相違点を認定したものである。すなわち,本願補正発明の発明特定事項は,R-チオクト酸の特定の固体塩を含有する経口適用のための服用形と記載されていることから,この製剤の薬理特性を発揮する化学成分,その化学成分の形態,いかなる適用がなされる製剤であるか(経口適用のための服用形)のそれぞれの点を,両発明を対比し,両者の一致点,相違点を認定する上での観点として採用したものであり,本願補正発明と引用発明の対比の手法に誤りはない。 ( ) 原告は,審決が,化学物質としての相違を全く無視して,単に,「R-チ 2オクト酸を含有する」なる極めてあいまいな上位概念的認定により本願補正発明を認定した旨主張する。 しかし,審決が製剤の薬理特性を発揮する化学成分(有効成分)について「R-チオクト酸を含有する」ものであるとする認定は何らあいまいなものではなく,誤りはない。 確かに,「遊離のR-チオクト酸」と「R-チオクト酸の固体塩」とは,その形態をみると化学的には異なっている(同一の形態でない。)。しかし,製剤において薬理特性を発揮する本質的な有効成分が「R-チオクト酸」である点で両者は共通する。遊離の酸を塩の形態に変えることは製剤化において頻繁に行われ,このことにより薬理特性は変わらないというのは技術常識である。そして,塩の形成をはじめとする,製剤特性を改善するための化学的加工は,あくまで薬物の薬理特性を基本的に変えないようにして行われるのである。そうであればこそ,審決では,引用発明,すなわち,「遊離のR-チオクト酸を含有する(特定剤形,特定含有率の)患者が服用するための医薬製剤」と,本願補正発明すなわち「R-チオクト酸の(特定の)固体塩を含有する経口適用のための服用形」とを,本質的に同じ薬理特性を持つ医薬製剤としてとらえ,この薬理特性が「R-チオクト酸」の基本的な化学構造に由来することに着目し,当該基本構造を(遊離の酸か塩かの点を除き)共通する化学成分として取り上げたのである。 したがって,審決が,本願補正発明と引用発明の対比において,「R-チオクト酸を含有する」点を一致点に含めて認定したことは,遊離の酸か固体塩かにかかわらず,「R-チオクト酸」の部分が両発明において共通の薬理特性を発揮する本質的な化学成分であるという技術的に明確な認識に基づくものである。また,一致点の認定において,「固体形状の」と表現したのは,審決が,引用発明について,「これらの記載によれば,引用文献1には,『R-チオクト酸を含有するタブレット,顆粒またはペレットの形の・・・患者が服用するための医薬製剤』の発明が記載されているものと認められる。」(審決謄本3頁最終段落)と認定したことから,引用発明の医薬製剤がタブレット,顆粒,ペレットであり固体形状であること,かつ,本願補正発明の経口適用のための服用形もR-チオクト酸の特定の固体塩を含有するから,当然に,服用形も固体形状であるので,そこを一致点ととらえたのであり,一致点の認定に誤りはない。 ( ) 原告は,審決は,本願補正発明が「経口適用のための服用形」に関するも 3のであることを看過し,本願補正発明と引用発明の構成を比較する際に,含有成分と経口適用の服用形とを安易に分離して比較し,両発明の相違点をそれぞれの含有成分のみに着目して導き出したことが誤りである旨主張する。 しかし,上記のとおり,審決は,本願補正発明と引用発明を,複数の異なる観点から対比し,その結果を一致点及び相違点としているのであって,発明自体を含有成分と経口適用の服用形とに分離しているのではない。 本願補正発明が「R-チオクト酸と,アルカリ金属・・・及びトロメタモールから選択された塩基とからなる固体塩を含有する,経口適用のための服用形」であるのに対し,引用発明が遊離の「R-チオクト酸を含有する,経口適用のための服用形」であるとしても,いかなる服用形に属するかという観点からみれば,両者とも経口適用のための服用形であることには変わりなく,両者の本質的な相違は,審決にいう相違点に尽きるものである。 2 取消事由2(相違点についての判断の誤り)について( ) 乙1文献及び乙3文献によれば,遊離の酸の形態では水溶性が十分でない 1場合に,溶解速度を高める目的で, 塩, 塩,有機アミン塩,塩酸塩, Na K硫酸塩などとすることは製剤化における常とう手段であり,R-チオクト酸もこの例外でなく,やはり塩の形で用い得るものであり,このことは,R-チオクト酸を有効成分とする医薬製剤について,トロメタモールをはじめとする各種塩基との塩の形態で用いることができる旨がいずれにも記載されており,本件優先日前によく知られた事項である(甲14,乙4〜6参照)。 そうすると,薬理作用を有する化学物質を医薬製剤とするに当たり,これを遊離の形で用いるほか,製薬学的に使用可能な塩の形で用いることは,乙1文献,乙3文献の上記記載にもみられるとおり,本件優先日当時,当業界で広く行われていることである。 このような医薬品等の技術分野における技術常識を考慮するならば,審決で述べるとおり,引用発明のタブレット,顆粒又はペレットの形,すなわち固体形状の経口医薬製剤に配合されるR-チオクト酸につき,その安定性,製剤のしやすさ,溶解速度,バイオアベイラビリティ等の観点から製剤に好ましい形態のものを選択し,上記遊離形のみならず各種塩基との塩の形態にすることは,当業者が容易に着想し得ることである。 ( ) 確かに,「遊離のR-チオクト酸」と「R-チオクト酸の固体塩」とは, 2その形態をみると化学的には異なっている。しかし,遊離の酸を塩の形態に変えることは製剤化において頻繁に行われ,このことにより薬理特性は変わらないというのは技術常識である。塩の形成をはじめとする,製剤特性を改善するための化学的加工は,飽くまで薬物の薬理特性を基本的に変えないようにして行われるものである。 3 取消事由3(顕著な作用効果の看過)について( ) 原告は,本願補正発明の「適当な塩基との固体塩」を用いて製剤化した 1「経口適用のための服用形」が極めて良好な放出値を示すことは,全く意外な結果であり当業者の予想を超えた効果であると主張する。 しかしながら,難水溶性の有機酸をNa塩,K塩,有機アミン塩等各種塩基との塩の形態にすれば,溶解速度が高まり吸収速度やバイオアベイラビリティが改善されることは技術常識である(バイオアベイラビリティと吸収率が等価であることについては,高木敬次郎=小澤光編著編著「薬物学(縮刷版)」〔昭和62年2月25日株式会社南山堂第2版発行,乙7,以下「乙7文献」という。〕の28〜29頁の「 )bioavailability(生物学 2的利用率)と吸収率」参照)。そうである以上,R-チオクト酸をトロメタモール(有機アミンの一種である)との塩の形態にした錠剤は,上述のとおり遊離の酸に比べて水溶性(溶解速度)が高くなる結果として,放出速度が改善されることは自明であり,何ら意外な結果ではない。むしろ,乙8文献にみられるように,d形のリポ酸(R-チオクト酸の別名)は,もともと水に溶けにくいことが知られているのであるから,これを塩の形態にすれば水溶性(溶解速度)すなわち放出速度が大幅に改善されることは,当業者が当然に期待する事項である。 ( ) 原告は,本願補正発明の「適当な塩基との固体塩」を用いて製剤化した 2「経口適用のための服用形」は,その融点が,遊離のR-チオクト酸の融点と比べて,極めて高いため,製造工程で不所望な焼結を起こさず,良好な生物供給性を示し,かつ,服用形製造の煩雑性の問題を解決することは,全く意外な結果であり当業者の予想を超えた効果であると主張する。 しかし,R-チオクト酸のような融点の低い物質を錠剤成形(タブレットプレス)する際には,成形機に付着する問題を引き起こしたり,焼結によって崩壊時間の悪化,不十分な薬剤遊離,不十分な生物有効性(バイオアベイラビリティ)といった問題を引き起こすことが,本件優先日当時に当業者間において明確に認識されていたのであり(甲13〔引用例〕,乙9〔国際公開93/23026号パンフレット,特表平7-506583号,以下,後者により「乙9文献」として引用する。〕参照),要するに,錠剤(固体形状の医薬製剤)に加工する有効成分として,遊離の酸よりも高い融点を有する塩の形態を採用すれば,低融点に起因する上記公知の諸問題が解決されることは当業者にとって自明な事項であったのであるから,引用発明の経口適用の服用形において,R-チオクト酸の固体塩を採用した際に,製造工程で焼結を起こさず,良好な生物供給性(バイオアベイラビリティ)を示し,かつ,服用形製造の煩雑性の問題も解消することは,当業者が当然に予測する効果にすぎない。 4 取消事由4(特許法156条1項違反の手続違背)について特許法156条1項にいう「審決をするのに熟したとき」とは,審理に必要な事実をすべて参酌し,取り調べるべき証拠をすべて調べて,結論を出せる状態に達したことを指すものであり,また,同法145条2項は,拒絶査定不服の審判手続は書面審理によるのが原則である旨規定している。したがって,たとえ,審判合議体の見解が審判請求人である原告に対し示されたことがなく,審判請求人が本願補正発明の特許性について直接審判官に意見を述べる機会が与えられないまま審理終結通知がされたとしても,そのことをもって,特許法156条1項の規定に違反する手続違背があるとはいえない。 本件において,審判合議体は,原告が本願補正発明の特許性に関して主張するところを漏れなく考慮した上で慎重に審理手続を進めたのであり,手続違背に当たる点は何ら存在しない。 |
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当裁判所の判断
1 取消事由1(本願補正発明と引用発明の対比の誤り)について( ) 原告は,審決は,本願補正発明と引用発明とで使用されるR-チオクト酸 1の化学的形態が,「R-チオクト酸の固体塩」と「遊離のR-チオクト酸」とで本質的に相違していることを認識していながら,化学物質としての相違を全く無視して,単に,「R-チオクト酸を含有する」なる極めてあいまいな上位概念的認定により,しかも,本件明細書の特許請求の範囲にも発明の詳細な説明にもない「固体形状」という新たな用語を付加して本願補正発明を認定したと主張する。 そこで,本件明細書(甲2)をみると,「【本発明の属する技術分野】本発明は,改良された遊離及び生体供給性を有するチオクト酸又はチオクト酸の固体塩を含有する服用形に関する。」(段落【0001】),「【従来の技術】チオクト酸(=α-リポン酸)は,化学的には1,2-ジチアシクロペンタン-3-バレリアン酸である。遊離R-チオクト酸の製造は西ドイツ特許公開公報(DE-OS)第4137773号明細書に記載されている。」(段落【0002】),「チオクト酸は細胞物質代謝の成分であり,従って多数の植物及び動物生体中に存在する。これはピルビン酸塩及びその他のα-ケト酸の酸化脱カルボキシル化で補酵素の一つとして作用する。チオクト酸はかなり前から種々の病気で使用されており,即ち特に肝臓病,菌中毒による肝臓障害並びに糖尿病性及びアルコール性多発神経病,代謝機能病を伴う末梢神経の変化の際に使用されている。」(段落【0003】),「本発明は,改良された生体供給性を有するチオクト酸又はチオクト酸の固体塩を含有する医薬調剤に関する。」(段落【0004】)と記載されており,「チオクト酸又はチオクト酸の固体塩」というように,「チオクト酸」と「チオクト酸の固体塩」とを対比させているが,前者の「チオクト酸」は,正確には「遊離チオクト酸」を意味するものであることが本件明細書の上記記載から明らかであり,また,「遊離チオクト酸」と「チオクト酸の固体塩」は,いずれも「1,2-ジチアシクロペンタン-3-バレリアン酸」という基本的な化学構造を有するものであり,前者は,有機酸そのものの形態の化学物質であるのに対し,後者は,前者の塩の形態の化学物質であるという点で相違しているものである。 原告の上記主張は,化学的形態が,「R-チオクト酸の固体塩」と「遊離のR-チオクト酸」とで相違していることのみを強調し,両者がいずれも「1,2-ジチアシクロペンタン-3-バレリアン酸」という基本的な化学構造を有するものである点を看過した議論であって,失当である。 また,本願補正発明の「固体塩を含有する,経口適用のための服用形」と引用発明の「タブレット,顆粒またはペレットの形の・・・患者が服用するための医薬製剤」(審決謄本3頁最終段落)と対比すると,いずれも「経口適用のための服用形」,かつ,固体の状態である点で一致していることが明らかである。したがって,審決が,「固体形状」という一種の上位概念を用いて一致点を抽出し,相違点において,本願補正発明の「固体形状」が「固体塩」であることを明記しているのであるから,誤りとはいえない。 ( ) 原告は,審決が,本願補正発明と引用発明との相違点について,「有効成 2分であるR-チオクト酸の化学的形態に関し,本願補正発明では同形態が『R-チオクト酸と,アルカリ金属・・・及びトロメタモールから選択された塩基とからなる固体塩』であるのに対し,引用文献1に記載された発明では同形態が(遊離の)『R-チオクト酸』である」(審決謄本4頁第3段落)と認定したことについて,本願補正発明が「経口適用のための服用形」に関するものであって,本願補正発明と引用発明とで本質的に異なっている含有成分と経口適用の服用形とを分離すべきではないのに,含有成分のみを取り出して相違点であるとしているから誤りである旨主張する。 しかし,特許を受けようとする発明を特定すべき事項は,そのすべてが特許請求の範囲に記載されているはずであり,特許請求の範囲は,一般に,発明を特定すべき複数の事項(構成要素)の組合せから成り立っているものである。もとより,構成要素を組み合せた全体についての判断を怠ってはならないことはいうまでもないが,本願補正発明も,その発明を特定すべき複数の事項(構成要素)の組合せにより一つの技術的思想を表しているのであるから,構成要素を組み合わせた全体についての判断を怠ってはならないことはいうまでもないが,各構成要素ごとに区分して検討することができることは当然である。また,特許を受けようとする発明の進歩性の判断は,特許請求の範囲と,これに対応する公知技術とを構成要素ごとに対比して一致点,相違点を抽出し,その後,相違点及び作用効果についての検討の段階で,公知技術の内容,周知技術,技術水準等を考慮した上,当業者が容易に当該発明に想到し得たかどうか,注目すべき作用効果があれば,その作用効果が予測可能であったかどうかが検討されるのが通常であり,この手法には十分に合理性が認められるところである。 本件において,審決が,上記常とうの検討方法によって一致点,相違点を認定していることは,審決の記載自体から明らかであり,上記方法によって検討することが不合理であると認め得る格別の事情を見いだすこともできない。 原告は,本願補正発明と引用発明とで本質的に異なっている含有成分と経口適用の服用形とを分離すべきではないと主張するが,これを分離して検討することができることは,上記のとおりであり,含有成分と経口適用の服用形とが本願補正発明と引用発明とで本質的に異なっているかどうか,それが本願補正発明の進歩性とどのように関わってくるのかは,相違点についての判断の当否において検討されるべき問題である。 ( ) 以上のとおりであって,一致点,相違点についての審決の認定に誤りはな 3いから,原告主張の取消事由1は,理由がない。 2 取消事由2(相違点についての判断の誤り)について( ) 審決は,本願補正発明と引用発明との相違点について,「薬理作用を有す 1る化学物質を医薬製剤とするにあたり,これを遊離の形で用いるほか,製薬学的に使用可能な塩(トロメタモールをはじめとする各種塩基との塩など)の形で用いることは当業界で広く行われており,R-チオクト酸もその例外でない(必要ならば,特開平3-188021号公報の10頁右下欄8〜16行及び11頁右下欄3行〜12頁左上欄5行,特開平5-213745号公報の段落【0007】及び【0011】,並びに特開平3-169813号公報の特許請求の範囲第1項及び3頁左下欄8行〜右下欄6行を参照)。」(審決謄本4頁第5段落)とした上,相違点に係る本願補正発明の構成の容易想到性を肯定したのに対し,原告は,この判断の誤りを主張する。 ( ) そこで,まず,本件優先日当時の医薬品の技術分野における技術常識につ 2いて検討すると,証拠(甲14,乙4,5)によれば,次の事実が認められる。 ア 特開平3-188021号公報(甲14,以下「甲14公報」という。)には,「また,式T(注,α-リポン酸)の化合物は,治療に使用可能な塩の形で使用することもできる。このような塩の製造は,このために知られた方法で行なわれる。塩形成剤としては,例えば塩の形で認容性である常用の塩基もしくは陽イオンがこれに該当する。」(11頁右下欄第2,第3段落)との記載がある。 イ 特開平5-213745号公報(乙4,以下「乙4公報」という。)には,「作用物質として,式:【化1】[式中,Xは水素原子であるか又は両方のXが両方の硫黄原子間の単結合を表し,nは1〜10の数を表す]の化合物又はその治療上使用可能な塩を含有することを特徴とする,病態生理学的原因による刺激障害及びそれに因る病気並びにアレルギー病の治療薬。」(特許請求の範囲の請求項1),「式Tの化合物は,例えばα-リポン酸(ラセミ体及び二つの光学異性体R(+)-及びS(-)-形)並びにジヒドロリポン酸(ラセミ体及び二つの光学異性体R(+)-及びS(-)-形),即ちnが数4でありXは前記のものを表す式1の化合物である。本明細書に記載の作用に関して特に有効なものは,α-リポン酸又はα-リポン酸のS(-)-形である。これは特に禁断症状・・・及び麻薬濫用時の作用に該当する。」(段落【0007】),「式Tの化合物はその治療上使用可能な塩の形で使用することもできる。この種の製造は,このために公知の方法で行われる。造塩元素としては,例えば塩の形で生理的に認容性の常用の塩基又は陽イオンが挙げられる。」(段落【0011】),「作用物質として1種又は数種の式Tの化合物(例えばα-リポン酸及びジヒドロリポン酸又はその光学対掌体)を含有する医薬を,例えば錠剤,カプセル,丸薬又は糖衣錠,顆粒,坐薬,ペレット,溶液又はエマルジョンの形で調製することもできるが,その際,作用物質を相応する助剤及び賦形剤と混合する。」(段落【0040】)ウ 特開平3-169813号公報(乙5,以下「乙5公報」という。)には,「作用物質としてR-α-リポ酸又はその製薬的に使用可能な塩を含有することを特徴とする,細胞保護作用を有する疼痛及び炎症性疾患及び/又はレトロウイルスに起因する病気の治療薬」(特許請求の範囲第1項),「塩を使用する場合には,その都度該当する用量は各々遊離酸の量に相応させ,変化させたモル重量に応じて高めるべきである。有利には,α-リポ酸の光学異性体は,即ちR-α-リポ酸及びS-α-リポ酸を遊離酸として使用する。水溶液中で有利には塩を製薬的に使用可能な造塩剤と共に使用する。R-α-リポ酸及びS-α-リポ酸並びにその塩の製造は,公知方法又はそれと類似の方法で行われる。R-α-リポ酸又はS-α-リポ酸の造塩剤としては,例えば,塩の形で生理的に認容性である,常用の塩基又は陽イオンが挙げられる。」(3頁右上欄最終段落〜左下欄第3段落),「R-α-リポ酸及びS-α-リポ酸は特に溶液の形で・・・投与することができる。作用物質としてR-α-リポ酸又はS-α-リポ酸を含有する医薬は,例えば錠剤,カプセル,丸薬又は糖衣錠,顆粒,ペレット,硬膏,溶液又はエマルジョンの形に調合することができ,その際,作用物質は各々場合により相応する助剤及び賦形剤と組み合わせる。」(7頁右上欄下から第2段落〜左下欄第1段落)上記記載によれば,本件優先日当時,医薬品等の技術分野において,R-チオクト酸が,他の医薬品と同様に,これを遊離酸の形で用いるほか,製薬学的に使用可能な塩の形で用い得ること,そして,R-α-リポ酸又はS-α-リポ酸を含有する医薬が,溶液のみならず,例えば錠剤,カプセル,丸薬又は糖衣錠,顆粒等の固体形状の服用形でも用い得ることが周知の技術事項となっていたと認められる。 ( ) また,本願補正発明は,R-チオクト酸と,「アルカリ金属又はアルカリ 3土類金属,水酸化アンモニウム,塩基性アミノ酸,例えばオルニチン,シスチン,メチオニン,アルギニン及びリジン,式NR R R [式中,基R ,123 1R 及びR は同一又は異なるものであり,水素,C1-C4-アルキル又は23C1-C4-オキシアルキルを表わす]のアミン,C-原子数2〜6のアルキレン鎖を有するアルキレンジアミン,例えばエチレンジアミンまたはヘキサメチレンテトラミン,ピロリドン,モルホリン;N-メチルグルカミン,クレアチン及びトロメタモールから選択された塩基」(以下「本件塩基」という。)とからなる固体塩であるところ,乙4公報には,「造塩元素としては,例えば塩の形で生理的に認容性の常用の塩基又は陽イオンが挙げられる。 例えば下記のものが挙げられる:アルカリ-又はアルカリ土類金属,水酸化123 アンモニウム,塩基性アミノ酸並びにアルギニン及びリジン,式NR R R・・・のアミン,例えばモノ-及びジエタノールアミン,1-アミノ-2-プロパノール,3-アミノ-1-プロパノール;C原子2〜6個から成るアルキレン鎖を有するアルキレンジアミン,例えばエチレンジアミン又はヘキサメチレンテトラアミン,環状炭素原子4〜6個を有する飽和環式アミノ化合物,例えばピペリジン,ピペラジン,ピロリドン,モルホリン;N-メチルグルカミン,クレアチン,トロメタモール」(段落【0011】),乙5公報には,「R-α-リポ酸又はS-α-リポ酸の造塩剤としては,例えば,塩の形で生理的に認容性である,常用の塩基又は陽イオンが挙げられる。例えば次のものが挙げられる:アルカリ-又はアルカリ土類金属,水酸化アン123 モニウム,塩基性アミノ酸,例えばアルギン酸及びリジン,式NR R R・・・のアミン,例えばモノ及びジエタノールアミン,1-アミノ-2-プロパノール,3-アミノ-1-プロパノール;C原子2〜6個から成るアルキレン鎖を有するアルキレンジアミン,例えばエチレンジアミン又はへキサメチレンテトラアミン,環炭素原子4〜6個を有する飽和環状アミノ化合物,例えばピペリジン,ピペラジン,ピロリジン,モルホリン;N-メチルグルカミン,クレアチン,トロメタモール」(3頁左下欄第3段落〜右下欄第1段落)との記載があり,これらの記載によれば,本件塩基は,塩の形で生理的に許容されている常用の塩基であることが認められる。 そうすると,上記技術水準の下で,「遊離のR-チオクト酸」を包含する服用形の技術に接した当業者は,通常の創造力の発揮によって,服用形の包含する物質を遊離のR-チオクト酸から,R-チオクト酸と本件塩基とからなる固体塩にすることに,容易に想到し得たものというべきである。 したがって,「このような当業界における技術常識を考慮するならば,引用文献1に記載された固体形状の経口医薬製剤に配合されるR-チオクト酸につき,その安定性や製剤のしやすさ,バイオアベイラビリティー等の観点から製剤に好ましい形態のものを選択し,上記遊離形のみならず各種塩基との塩の形態にすることは,当業者が容易になし得ることと言わざるを得」(審決謄本4頁下から第2段落)ないとした審決の判断に誤りはない。なお,バイオアベイラビリティについては,後記3( )において詳述するとおりで 5ある。 ( ) 原告は,本願補正発明と引用発明とでは,発明の課題が大きく相違してい 4るので,引用発明から,「良好な貯蔵安定性で,できる限り高い生物供給性を有する服用形の開発」という課題を有する本願補正発明の構成に,当業者が思い至る契機も動機付けもないと主張する。 しかしながら,審決が引用例から引用している技術,すなわち,引用発明は,「R-チオクト酸を含有するタブレット,顆粒またはペレットの形の,作用物質含有率が45重量%より多い,患者が服用するための医薬製剤」(審決謄本3頁最終段落)というものであって,引用例の特許請求の範囲に記載された発明ではなく,したがって,引用例の特許請求の範囲に記載された発明に係る技術課題が本願補正発明と相違しているからといって,そのことから直ちに,引用発明から本願補正発明の構成に当業者が思い至る契機も動機付けもないということにはなり得ない。 もっとも,引用例の特許請求の範囲に記載された発明に係る技術課題が本願補正発明のそれと大きく相違していることが相違点の克服を困難にすること,例えば,上記技術課題が引用発明と密接に結びついているため,引用例から引用発明のみを取り出して本願補正発明に組み合わせることを困難とするなどといった,引用発明から本願補正発明への動機付けを阻害する要因になっているかどうかという問題もあり得るので,この点について,念のため検討する。 ア 引用例(甲13)には,次の記載がある。 (ア) 「チオクト酸(α-リポ酸),メスナまたはフルピルチンマレイン酸塩を含有するタブレット,顆粒またはペレットの形の医薬製剤において,作用物質含有率が45重量%より多いことを特徴とする医薬製剤。」(特許請求の範囲の請求項1)(イ) 「【従来の技術】・・・本発明は単にラセミの形だけでなく,むしろ同様に純粋の(R)-ないしは(S)-チオクト酸ならびに(R)および(S)-チオクト酸の任意の組成を有する混合物に関する。・・・現在市販のチオクト酸含有のタブレット調剤は515mgでのタブレットでチオクト酸最大200mgを含有する。患者側の服用を容易にするためかつ受容量向上のためにはより小さな寸法で高濃度のチオクト酸タブレットのための必要が生じる。」(段落【0002】及び【0003】)(ウ) 「このような重い単一重量を有するタブレットはその大きさのために単に呑みにくいだけで受容の低下になる。その高配量の固体薬剤形中では助剤成分を減らすことが必要とされる。ところでしかし少ない助剤成分を有するチオクト酸含有の,メスナ含有のまたはフルピルチン含有のタブレットは通常の製造方法では満足すべき品質では製造できない。高濃度のチオクト酸はタブレットプレスの際に問題になる。そのプレス材料はプレス工具に付着する傾向がある。その上タブレットの際には表面に並行にワレが現れ,両凸のタブレットの際には球冠(ドーム)の飛散に至る。これらの障害はチオクト酸の特性によって引き起される。すなわち,60.5℃(R,S-チオクト酸)ないしは47℃(R-チオクト酸)および46℃(S-チオクト酸)の物質の低い融点が特に決定的であることが明らかになる。同様な問題が,高濃度のメスナまたはフルピルチンマレイン酸塩タブレットを製造するときに現れる。またこれらの作用物質の際も,プレス材料で作用物質が45重量%よりも多いと直ぐに,付着およびワレの生成のようなタブレット化障害が現れる。」(段落【0006】〜【0008】)(エ) 「【発明が解決しようとする課題】従って本発明の課題は,欠点なくタブレットにプレスできる,作用物質の高成分を有する医薬製剤を提供することであった。このために,作用物質濃度の増加と共にますます強く作用する,例えばチオクト酸,メスナまたはフルピルチンのプレス技術的に不利な特性を無効にすることであった。また同時にタブレット中の助剤の成分の減少によって相入れない,例えばラクトースに対するような,反応の可能性を減少する」(段落【0011】及び【0012】)(オ) 「【課題を解決するための手段】前記課題は本発明により,多量の結合剤溶液で作用物質の特に強力な造粒によりまたは大量の水により作用物質/結合剤混合物の顆粒化により解決される。これらの両成分の他になお顆粒は在来のタブレット助剤,例えば充填,崩解および湿潤剤を含有することができる。該タブレットは顆粒の他になおさらに充填,結合,崩解,湿潤,流動助剤,潤滑剤および付着防止剤を含有することができる。驚くべきことには,顆粒化すべき材料を徹底的に湿潤することによりチオクト酸および作用物質メスナおよびフルピルチンの技術的に不利な特性を無効にすることができることを見出した。」(段落【0013】〜【0015】)上記記載によれば,「引用文献1に記載された固体形状の経口医薬製剤に配合されるR-チオクト酸」においては,従来,大きなタブレットの固形製剤となっていたところ,タブレットの寸法を小さくすることが求められ,薬効を維持する関係で高濃度のチオクト酸タブレットとすべきことになったが,R-チオクト酸の融点が低いため,高濃度にすると,タブレットプレスの際に,プレス工具への付着並びにタブレット表面のワレといった種々の問題が生じてくるため,その解決方法として,引用発明では,多量の結合剤溶液を用いて作用物質を特に強力に造粒するか,又は大量の水を用いて作用物質/結合剤混合物を顆粒化するという構成を採用し,タブレットプレスの際に生じる種々の問題を解決したというものである。 イ このように,引用例(甲13)には,審決の認定する「R-チオクト酸を含有するタブレット,顆粒またはペレットの形の,作用物質含有率が45重量%より多い,患者が服用するための医薬製剤」(審決謄本3頁最終段落)の技術(引用発明)のみならず,上記のとおり,引用例の特許請求の範囲に記載された発明に係る技術課題(タブレットの大小,濃度,表面のワレ等の改良に関する技術課題)も開示されているものである。 ところで,引用発明と上記技術課題の関係をみると,まず,固体形状の経口医薬製剤に配合されるR-チオクト酸が存在し,これを前提に,当該製剤の固体形状を改良しようとするものであるから,上記技術課題は,引用発明との関係では,必ずしも密接に結び付いているものということはできないものであって,引用例に接した当業者において,「R-チオクト酸を含有するタブレット,顆粒またはペレットの形の,作用物質含有率が45重量%より多い,患者が服用するための医薬製剤」という技術,すなわち,引用発明を把握するに際し,引用例から引用発明のみを取り出して本願補正発明に組み合わせることを困難とする格別の事情とはなり得ないものというべきである。 その他,引用例の内容から,引用発明から本願補正発明への動機付けを阻害する要因になるような事項を見いだすこともできない。 ウ そうすると,引用発明の上記技術課題が,引用発明にR-チオクト酸の固体塩を適用して相違点に係る本願補正発明の構成に思い至る契機あるいは動機付けとなることを妨げるものではなく,引用発明のタブレット,顆粒又はペレットの形,すなわち固体形状の経口医薬製剤に配合されるR-チオクト酸につき,その安定性,製剤のしやすさ,溶解速度,バイオアベイラビリティ等の観点から製剤に好ましい形態のものを選択し,上記遊離形のみならず各種塩基との塩の形態にすることは,当業者が容易に着想し得ることといわなければならない。 したがって,本願補正発明と引用発明とでは,発明の課題が大きく相違しているとして,当業者において,引用発明にR-チオクト酸の固体塩を適用して相違点に係る本願補正発明の構成に思い至る契機も動機付けもないとする原告の上記主張は,採用の限りでない。 ( ) 以上のとおりであって,原告主張の取消事由2は,理由がない。 53 取消事由3(顕著な作用効果の看過)について( ) 審決が,「固体製剤において塩の形態を選択したことにより格別顕著な作 1用効果を奏するとも言えない。」(審決謄本4頁下から第2段落)とするのに対し,原告は,本願補正発明が,極めて良好な放出値を示すことは,全く意外な結果であり,当業者の予測を超えた効果である旨主張する。 ( ) 本件明細書(甲2)の段落【0017】には,以下の記載がある。 2ア 「これから製造した服用形からの作用物質R-チオクト酸の劣悪な放出は欠点である。ドイツ薬局方第10版(Blatruehrermethode)又は米国薬局方XXII(Aparatus2を用いる)による放出試験で,例2aによる錠剤からの作用物質の放出は,放出媒体として0.06NHClを使用して37℃で下記のとおりである:15分後:6%30分後:9%分解時間:<2分これは,比較するが,これは同じ組成の錠剤で作用物質の下記の放出を示す(方法は前記と同じ)チオクト酸のラセミ体から成る錠剤の挙動と対照的である:15分後:99%30分後:100%分解時間:2.5分意外にも,例3による錠剤の製造にR-チオクト酸の固体塩を使用する場合には,再び良好な放出値が得られることが判明した(方法は前記と同じ):15分後:75%30分後:88%分解時間:<1分造塩剤としては,例えば一般的な塩基又は塩の形で生理的に認容性である陽イオンが挙げられる。この例は,下記のものである:アルカリ-又はアルカリ土類金属,例えばナトリウム,カリウム,カルシウム,マグネシウム,水酸化アンモニウム,塩基性アミノ酸,例えばオルニチン,シスチン,メチオニン,アルギニン及びリジン,式:NR R R [式中,基R ,123 1R 及びR は同一又は異なるものであり,水素,C1〜C4-アルキル,23例えばメチル,エチル,プロピル,イソプロピル,ブチル,イソブチル,t-ブチル又はC1〜C4-オキシアルキルを表わす]のアミン,例えばモノ-及びジエタノールアミン,1-アミノ-2-プロパノール,3-アミノ-1-プロパノール;C-原子2〜6個から成るアルキレン鎖を有するアルキレンジアミン,例えばエチレンジアミン又はヘキサメチレンテトラミン,環炭素原子4〜6個を有する飽和環式アミノ化合物,例えばピペリジン,ピペラジン,ピロリドン,モルホリン;N-メチルグルカミン,クレアチン及びトロメタモール。」イ 上記段落【0017】に記載された試験は,放出媒体として,0.06NHClを使用して,37℃で保持した場合の,錠剤からの薬物の放出率を測定するものであるから,原告の主張における「溶解速度」ないしは「放出速度」に関するものと認められる。ここに,「溶解速度」とは,気体,液体,固体の物質が他の液体(溶媒)中に溶け込む速度のことであり,固形製剤の場合には,固形製剤から液体中へ薬物が溶出する(又は放出される)速度ということができる。 そして,上記アに記載された「例2a」は,本件明細書の発明の詳細な説明の段落【0042】の記載によると,「R-チオクト酸200mgを有する錠剤」,すなわち,引用発明に係る錠剤であり,一方,同アに記載された「例3」は,段落【0044】の記載によると,「R-チオクト酸200mgに相応するR-チオクト酸のトロメタモール塩317.4mgを有する錠剤」,すなわち,本願補正発明に係る錠剤である。「例2a」及び「例3」に係る上記アの記載によると,「例2a」の放出速度が,15分後:6%,30分後:9%であるのに対し,「例3」のそれは,15分後:75%,30分後:88%となっており,後者の放出速度は,前者のそれに比べて,放出速度が15分後で12.5倍,30分後で約9.7倍も高い。したがって,R-チオクト酸トロメタモール塩を有する錠剤の溶解速度が,R-チオクト酸の遊離酸を有する錠剤の放出速度に比べて約10倍も高く,30分後に大半の作用物質が放出してしまうことが認められる。 ( ) 一方,乙1文献には,「難水溶性薬品の溶解速度を高めるにはつぎのよう 3な方法が知られている。・・・BNa塩またはHCl塩とする。」(125頁),「溶解速度は固体の表面積と物質の溶解度の積に比例する。しかしながら,溶解速度が速ければ速いほど,吸収速度が必ずしも速いわけではない。」(231頁),「塩および分子錯体の形成 薬物分子のもっとも簡単な化学的加工は塩および分子錯体molecularcomplexの形成である。 難溶性の有機酸や有機塩基をNa塩,K塩,有機アミン塩,塩酸塩,硫酸塩などにすることにより,水溶性を高めて製剤化を容易にし,バイオアベイラビリティを改善したり,あるいは水溶性塩の対イオンを変更し,難溶性のCa塩,Al塩,タンニン酸塩などとして,味,臭い,刺激性,安定性,吸湿性などを改善することが行なわれている。」(273頁),乙3文献には,「( )永久双極子(有機薬剤)-永久双極子(水)の型では十分,溶解しな 1い場合は,( )イオン(有機薬剤の塩)-永久双極子(水)の型にしなけれ 2ばならない。」(149頁),乙8文献の「リポ酸」の項には,「α-リポ酸(α-lipoic acid),チオクト酸(thioctic acid)。・・・1)天然の 形(注,R-チオクト酸の別名):・・・NadOHまたはKOHの水溶液によく溶けるが,水には溶けにくい。」(2476頁)との記載がある。 上記記載によれば,遊離のチオクト酸は水には溶けにくいものと認められるところ,この難水溶性の有機酸である遊離のチオクト酸をNa塩, 塩,K有機アミン塩等各種塩基との塩の形態にすれば,溶解速度が高まることは,本件優先日当時,医薬製剤の技術分野における技術常識であったということができる。 ( ) ところで,上記のとおり,難水溶性の有機酸である遊離のチオクト酸をN 4a塩, 塩,有機アミン塩等各種塩基との塩の形態にすれば,溶解速度が高 Kまることは本件優先日当時,医薬製剤の技術分野における技術常識であったということができるが,遊離R-チオクト酸を固体塩にすると,どの程度,溶解速度が高まるのかは,必ずしも明らかではない。しかし,難水溶性と水溶性との違いは,例えば,有機薬剤の塩の溶解について,乙3文献の表8-1(含窒素有機薬剤〔アルカロイド〕の水に対する溶解度25℃)において7種類の薬剤の遊離塩基を塩にした場合に数倍ないし数千倍のばらつきをもって溶解度が上昇することが示されているところ,溶解度はほぼ溶解速度に比例するはずであるから,溶解速度の幅も同様に極めて広くばらついたものとなることが予想される。これを遊離R-チオクト酸を固体塩にした場合についてみても,同様であり,例えば,数倍の溶解速度の上昇にとどまることもあり得れば,数千倍の溶解速度の上昇になることもあり得るものということができる。 そして,難水溶性の有機酸である遊離のチオクト酸をNa塩, 塩,有機Kアミン塩等各種塩基との塩の形態にすると溶解速度が高まるという技術常識を前提に,R-チオクト酸と「アルカリ金属又はアルカリ土類金属,水酸化アンモニウム,塩基性アミノ酸,例えばオルニチン,シスチン,メチオニン,アルギニン及びリジン,式:NR R R[式中,基R ,R 及びR は同一123 1 2 3又は異なるものであり,水素,C1-C4-アルキル又はC1-C4-オキシアルキルを表わす]のアミン,C-原子数2〜6のアルキレン鎖を有するアルキレンジアミン,例えばエチレンジアミンまたはヘキサメチレンテトラミン,ピロリドン,モルホリン;N-メチルグルカミン,クレアチン及びトロメタモールから選択された塩基」との組合せから,実験等によって適当な溶解速度のものを選択することは,格別の事情のない限り,当業者による通常の応用力の発揮の範囲内であるものというべきである。そして,本件全証拠を検討しても,本願補正発明におけるR-チオクト酸とトロメタモールとの塩の放出速度が,R-チオクト酸の遊離酸を有する錠剤の放出速度に比べて約10倍高いということが,当業者による通常の応用力の発揮の範囲を超えるようなものであるとする格別の事情を見いだすことはできない。 ( ) なお,被告が,難水溶性のR-チオクト酸を塩の形態にすれば,溶解速度 5が高まり,吸収速度やバイオアベイラビリティが改善されることは技術常識であると主張するのに対して,原告は,乙1文献に,「溶解速度は固体の表面積と物質の溶解度の積に比例する。しかしながら,溶解速度が速ければ速いほど,吸収速度が必ずしも速いわけではない。」(231頁第2段落)と記載されているように,溶解速度が速ければ,吸収速度が必ずしも速くなるわけではないことも技術常識であり,医薬成分のバイオアベイラビリティは,具体的な各薬理活性成分ごと,さらに投与形ごとにそれぞれ好ましい放出プロフィ-ル(放出濃度の時間依存性)に依存するものであるから,被告のいう技術常識が直ちに本件に当てはまるとはいえない旨主張する。 しかし,吸収速度の観点からみた上記錠剤の評価に関する記載は,本件明細書のどこにも見いだすことができないから,吸収速度に関する当事者双方の主張は,本件明細書とは直接関係のない議論である。 また,バイオアベイラビリティについてみると,本件明細書(甲2)には,「【発明が解決しようとする課題】・・・良好な貯蔵安定性で,できる限り高い生物供給性を有する服用形を開発する課題が存在した。従って,本発明の課題は,その生物供給性が従来の服用形に比べて高いものである服用形である。」(段落【0013】及び【0014】),「【課題を解決するための手段】高められた生物供給性は意外にも,作用物質を十二指腸を通過後に腸液のpH値で迅速に溶解する耐胃液性の形にすることによって獲得される。 腸液のpH値は6.8〜7.3である。この際,作用物質として,遊離チオクト酸又は-更に有利には-チオクト酸の塩を使用することができる。」(段落【0015】及び【0016】)との記載があり,同記載によれば,本願補正発明は,できる限り高い生物供給性を有する服用形を課題の一つとするものであるところ,乙7文献には,「bioavailability(生物学的利用率)と吸収率 投与された薬剤の主成分がどの程度生体に利用されるかがbioavailabilityの本来の意味であるが,実際には,循環血流に移行する吸収量と吸収速度とをもって表わす。・・・一般にはbioavailabilityは,便宜上から吸収率・・・をもって表わすことが多い。」(28頁,29頁)との記載がある。そうすると,本願補正発明の課題とする「生物供給性」は,当事者双方の上記主張に係る「バイオアベイラビリティ」と同義であり,いずれも吸収速度を大きな要因とするものである。ところが,上記( )のとおり,「溶解速度は固体の表面積と物質の溶解 3度の積に比例する。しかしながら,溶解速度が速ければ速いほど,吸収速度が必ずしも速いわけではない。」(乙1文献231頁)ことにより,本件において,吸収速度の向上を考慮し難いものである上,前記2のとおり,相違点に係る本願補正発明の構成について,バイオアベイラビリティ等の観点から引用発明に基づく容易想到性を肯定し得るものである以上,バイオアベイラビリティに関する原告の上記主張も,本願補正発明の作用効果の顕著性を基礎付けるに足りないというべきである。 ( ) 原告は,本願補正発明の「適当な塩基との固体塩」を用いて製剤化した 6「経口適用のための服用形」は,その融点が,遊離のR-チオクト酸の融点と比べて,極めて高いため,製造工程で焼結を起こさず,良好な生物供給性を示し,かつ,服用形製造の煩雑性の問題を解決することは,全く意外な結果であり当業者の予想を超えた効果であると主張する。 引用例(甲13)には,「ところでしかし少ない助剤成分を有するチオクト酸含有の,メスナ含有のまたはフルピルチン含有のタブレットは通常の製造方法では満足すべき品質では製造できない。高濃度のチオクト酸はタブレットプレスの際に問題になる。そのプレス材料はプレス工具に付着する傾向がある。その上タブレットの際には表面に並行にワレが現れ,両凸のタブレットの際には球冠(ドーム)の飛散に至る。これらの障害はチオクト酸の特性によって引き起される。すなわち,60.5℃(R,S-チオクト酸)ないしは47℃(R-チオクト酸)および46℃(S-チオクト酸)の物質の低い融点が特に決定的であることが明らかになる。」(段落【0007】)との記載があり,乙9文献には,「低い融点範囲を有する物質は,周知のように錠剤成形時には焼結のために,また錠剤成形機のスタンプ及び母型に付着するために程度の差こそあれ著しく不利な製造問題を惹起する」(2頁左下欄第2段落),「さらに経験によれば低融点成分を含有する錠剤の場合には,特定の貯蔵時間後に焼結現象による後硬化も予想しなければならない・・・。この後硬化は,その後に崩壊時間の悪化及び不十分の薬剤遊離又は不十分な生物有効性(Bioverfuegbarkeit)をもたらす。」(同欄最終段落〜右下欄第1段落)との記載がある。 上記記載によれば,R-チオクト酸のような融点の低い物質を錠剤成形(タブレットプレス)する際には,成形機に付着する問題を引き起こしたり,焼結によって崩壊時間の悪化,不十分な薬剤遊離,不十分な生物有効性(バイオアベイラビリティ)といった問題を引き起こすことが,本件優先日当時,当業者間において明確に認識されていたのである。そうすると,遊離の酸よりも高い融点を有する塩を用いて錠剤加工を行えば,低融点の物質を用いることにより生じる上記問題点を解消することができることは,当業者にとって自明であるから,引用文献1に記載された経口適用の服用形において,遊離のR-チオクト酸よりも高融点である塩を採用すれば,低融点であるがゆえに生じていた上記の問題点が解消することは,当業者が予測し得る効果にすぎない。 ( ) したがって,「固体製剤において塩の形態を選択したことにより格別顕著 7な作用効果を奏するとも言えない。」として本願補正発明の作用効果の顕著性を否定した審決の判断に誤りがあるということはできない。 4 取消事由4(特許法156条1項違反の手続違背)原告は,審判合議体の実質的な審理期間は,わずか25日間にすぎず,原告に対する審尋,拒絶理由通知もなく,本件明細書に記載されている顕著な作用効果についも一切参酌することなく,本願補正発明ひいては本願発明が進歩性を欠くとの誤った審決をしたが,審理が十分にされたとはいえず,このような審理手続は,特許法156条1項の規定に違反するものであり,その違法が審決の結論に影響を及ぼすことも明らかである旨主張する。 しかし,拒絶査定不服審判における審理手続は,特許法145条2項により,原則として書面審理によるものとされており,本件において,本願補正発明と引用発明との対比,本願補正発明の作用効果及び進歩性についての審決の判断に誤りがないことは,上記判示のとおりであるから,仮に,審決までの実質的な審理期間が25日間であったとしても,十分な審理がされていたことが明らかである。その他,本件全証拠を検討しても,審理が十分に行われなかったことをうかがわせる証拠を見いだすことはできない。 したがって,特許法156条1項違反の手続違背をいう原告の上記主張は,採用の限りでない。 5 以上のとおり,原告主張の取消事由はいずれも理由がなく,他に審決を取り消すべき瑕疵は見当たらない。 よって,原告の請求は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。 |
裁判長裁判官 | 篠原勝美 |
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裁判官 | 宍戸充 |
裁判官 | 柴田義明 |