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関連審決 審判1963-5426
関連ワード 発明者 /  創作性(創作) /  同一技術分野(同一の技術分野) /  公知技術 /  上位概念 /  下位概念 /  技術的範囲 /  発明の詳細な説明 /  優先権 /  実質的に同一 /  特許出願日 /  同一の作用効果 /  実施 /  加工 /  構成要件 /  混同 /  拒絶査定 /  拒絶理由通知 /  請求の範囲 / 
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事件 昭和 45年 (行ケ) 76号
裁判所のデータが存在しません。
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 1973/01/23
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告のための附加期間を九〇日とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
原告訴訟代理人は「特許庁が昭和四五年三月一九日同庁昭和三八年審判第五四二六号事件についてした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告指定代理人は主文第一、第二項同旨の判決を求めた。
請求原因
一、特許庁における手続の経緯 原告は一九六〇年(昭和三五年)七月一一日アメリカ合衆国にした特許出願に基づく優先権を主張して昭和三六年七月四日「冷凍の魚切身の解氷滴を防止する方法」という名称の発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願したが、昭和三八年九月一〇日拒絶査定を受けたので、同年一二月二日審判を請求した(昭和三八年審判第五四二六号)。特許庁は右審判事件につき昭和四五年三月一九日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をし、その謄本は同年四月一八日原告に送達された(出訴期間として三ケ月附加。)。
二、本願発明の特許請求の範囲 魚を切身にし、この切身に約一対一から二対一までのH2O対P2O5のモル比の分子的に脱水されたリン酸のナトリウム塩またはカリウム塩もしくはこれと食塩の混合物の水溶液を付与し、次いでこの切身を冷凍結させ、かくしてこの冷凍切身を油揚その他の調理に付与するときいわゆる「解氷滴」として知られている解氷による魚肉の水分損失を防止するようにしたことを特徴とする冷凍の魚の切身の解氷滴防止方法。
三、審決理由の要点 本願発明の要旨は前項掲記の特許請求の範囲のとおりである。
昭和三五年三月二八日出願にかかる第三〇七二一七号特許の発明(以下「先願発明」という。)の要旨および特許請求の範囲は、「サバ、サンマ、イワシ、マグロ等の所謂赤身の魚をねり製品原料として、冷蔵、冷凍貯蔵するに当り、これら魚類の死後硬直終了前に縮合リン酸塩処理を行うことを特徴とする魚の処理法」である。
本願発明と先願発明とを比較すると、両者は生魚を冷凍結するに先立ち縮合リン酸塩(ポリリン酸のナトリウムまたはカリウムの塩)で処理する魚の処理法という大綱において一致し、次の諸点を問題点として指摘できる。(1)本願発明は魚の切身を被処理対象とするのに対し、先願発明では「サバ、サンマ、イワシ、マグロ等の所謂赤身の魚」を対象とする点、(2)本願発明ではリン酸塩処理が魚体を切身にした後であるのに対し、先願発明では魚の「死後硬直終了前」である点、
(3)本願発明では調理時解氷による魚肉の水分損失を防止することが目的(作用効果)となつているのに対し、先願発明では解氷後ねり製品を製造するに当り足の強い生地を得ることが目的(作用効果)となつている点。
しかし、右の(1)の点については、先願発明では切解しない全魚体を対象とするのか切身を対象とするのか明瞭でないが、サバ、マグロなどの大型魚類をも対象としていること、先願発明の明細書に「魚体又は魚肉の処理法の数例」と記載されていること、練り製品は必ずしも冷凍した全魚体を原料とするとは限らないことからみて、先願発明も切身を対象として含むものと認めるのが相当である。なお、本願発明の対象から赤身の魚を排除すべき理由はない。右(2)の点については、原告(審判請求人)は、先願発明では「死後硬直終了前」にリン酸塩処理するのに対し、一般に死後硬直後の魚体を切身にするのが普通であるから、本願発明のリン酸塩処理は死後硬直後であると解すべきである、と主張するが、魚の処理加工特に冷凍はなるべく新鮮なうちに行うのを可とするから、本願発明において積極的に死後硬直終了を待つて切身としリン酸塩処理を行うことを必要とする特段の事由は見出せない。したがつて、本願発明においても魚の死後硬直終了前に魚体を切身としてリン酸塩処理を行うことを妨げないものと解する。右(3)の点については、本願発明と先願発明の作用効果が一見異るようにみえるが、それは観点が多少異なるだけであり、要は縮合リン酸塩処理による鮮度の保持(鮮度劣化の防止)に帰着するから、実質上はなんら異なる点はない。何故ならば、同一魚種では鮮度がよい程「足」が強いことは周知であるし、解氷によつて魚肉に含まれる水分が損失すればこのこと自体冷凍魚の鮮度劣化にほかならないからである。
以上のとおりであるから、本願発明とは、生魚を冷凍結するに先立ち縮合リン酸塩で処理し、その鮮度を保持して爾後の加工処理に便益を得るというその骨子とする発明思想においてなんら択ぶところがない。したがつて、本願発明は先願発明と同一に帰着するから、特許法第39条第1項によつてこれを特許することができない。
四、審決を取り消すべき事由 先願発明の特許出願日および特許請求の範囲が審決認定のとおりであること、先願発明の特許請求の範囲の「縮合リン酸塩処理を行うこと」が本願発明の特許請求の範囲の「約一対一から二対一までのH2O対P2O5・モル比の分子的に脱水されたリン酸のナトリウム塩またはカリウム塩もしくはこれと食塩の混合物を付与し」という構成と同一であることは認めるが、本願発明と先願発明とは、以下に述べるとおり、目的および構成を異にするから、両者を同一発明であるとした審決は違法として取り消されるべきである。
(一) 先後願関係における発明の同一性判断 いうまでもなく、発明は技術思想であるが、それは一般に目的(課題)およびその目的解決のための具体的手段ならびにそれによつてもたらされる作用効果から成るものとされる。そして、発明が同一であるとは、同一の目的から出発して同一の解決手段により同一の作用効果を実現する場合をいうのである。すなわち、目的、
解決手段(構成)、作用効果の総てにおいて同一でなければならず、いずれか一つが違つてしまえば、それだけで同一発明といえないことはいうまでもないのである。これは発明の同一性についての極く普通の考え方であると思う。
ところで、特許法第29条第1項各号の関係で発明と公知技術の同一性を問題にする場合には、通常それ程厳密に考えられていないかも知れない。それは、公知技術との関係を問題とする場合には、たとえ公知技術と全く同一ではないとしても、
少なくともそれから容易に推考できるものとして同条第二項に該当する場合が多く、結局は同条内で第一項の問題か第二項の問題かというに過ぎないことになるからである。
しかしながら、先後願関係の場で発明の同一性を考える場合には、事情が全く異なつてくる。つまり先後願関係についての特許法第39条には、先願の発明から容易に推考できるという価値判断を容れる余地がない。同条の関係で問題となるのは、条文上も明らかなように発明の同一性のみであり、同一でない限り後願を同条該当の故をもつて拒絶することはできないのである。したがつて、果して同一であるかどうかの判断は、発明の目的、解決手段、作用効果の総てにわたつて全く同じといえるかどうかという、同一性判断本来の基準によつて、厳格になされなければならないのである。
なお、発明の同一性判断の過程において重要なことは、目的、解決手段、作用効果のいずれについても、同一かどうかの判断の指標を何に求めるかということである。この指標の採りかた如何によつては、或るときは同一と判断され、或るときは同一でないと判断されることになる。たとえば、指標を具体的な、分化された所謂下位概念に求めれば別の範疇に入り、同一ではないと判断されるものでも、これを抽象化若しくは上位概念化された指標に従つて判断すれば同一範疇に入ることになり、同一と判断されるようなことも起り得る。
一般的にいつて、この指標を設定するについては次のことが注意されなければならない。第一に、原則として、同一性判断の指標はなるべく具体的、個別的なものに求められるべきであり、徒らにこれを抽象化若しくは上位概念化すべきではない。そもそも、発明とは常に具体的な問題意識から出発するものであり、目的、解決手段、作用効果のいずれにおいても元来抽象的ではあり得ない、ということからそれは当然のことである。殊に、発明の目的の同一性判断について、この点は重要な意味をもつ。何となれば、或るものを抽象化若しくは上位概念化するというのは、そこに解釈を容れるということであるが、発明の目的とは、発明者が当該技術思想によつて解決しようとした主観的な意図のことであるから、もともと特に具体的かつ個別的なものであり、後に第三者があれこれ解釈を加えるということには性質上なじまないものといわざるを得ないからである。第二に、同一性判断の指標を抽象化若しくは上位概念化されたところに求めることが許される場合があるとしても、それは次の二つの条件が共に満たされる場合に限られなければならない。それは、まず当該発明の出願当時の技術水準として、指標の抽象化を肯定すべき一般的状況が存在することである。例えば、当時の技術水準から見れば、発明の具体的な効果を或る上位概念によつて抽象化するには疑問が残るというような場合にはそれは許されない。そもそも発明は出願当時の技術水準に立つて評価されなければならないという原則から、これは当然のことである。次に、指標を抽象化することが、
当該発明に関する客観的資料と矛盾しないことである。例えば、当該発明の明細書の記載は勿論、審査経過資料等客観的資料から見て限定解釈すべきものであることが明らかな場合には、これを上位概念に従つて評価することは誤りである。
(二) 目的(課題)の差異(1) 審決の同一性判断の指標 審決は、本願発明と先願発明の目的の同一性判断の指標を「縮合リン酸塩処理による鮮度の保持(鮮度劣化の防止)」というところに求めている。しかしながら、
このような指標によつて両発明は同一であるとするのは明らかに誤りである。
まず、本願発明は、明細書の記載から明らかなとおり、冷凍の魚の切身の解氷滴を防止することにその目的がある。一方、先願発明は、赤身の魚を練り製品原料として使用する際に弾力性(足)を低下させないようにすることを目的とするものである。この両発明の目的は一見して明らかなように全く相違するものである。
この明らかに相違する本願発明の目的と先願発明の目的を同一であるというために、審決では「鮮度の保持(鮮度劣化の防止)」という全く別個の指標をたてているのであるが、本願発明、先願発明ともに、
鮮度の保持(鮮度劣化の防止)などということを目的としているものでないことは、いずれの明細書にもそのような記載が全く認められないことから疑問の余地のないところである。
審決が、本願発明と先願発明は鮮度の保持(鮮度劣化の防止)という点で目的を同じくするものであるというのは、その根本において、発明の目的と作用効果を混同しているか、或は作用効果から逆にその目的を推測する考え方である。
しかしながら、発明における目的と作用効果とは明らかに別の概念である。すなわち、発明の目的とは、発明者が当該技術思想によつて解決しようと企てた主観的な意図のことである。これに対して、発明の作用効果というのは、当該技術思想を適用することによつて実現される客観的な結果である。両者は明らかに別ものである。また、発明の目的は、いわば発明の原動力であり、発明の出発において具体的なものとして定まつているのである。したがつて、客観的な結果たる作用効果(仮にそれが同一であるとしても)から、逆に目的が同一であると推断するのは順序が逆である。
次に、本願発明、先願発明ともに、その作用効果が鮮度の保持(鮮度劣化の防止)にあると断定するのはそのこと自体誤りである。
まず、冷凍魚の切身の解氷滴防止ということと、赤身の魚を練り製品原料として使用する際に弾力性を保持し得るということが、いずれも鮮度が保持されるということと技術的には同一であるとする根拠は、出願当時の技術水準から認められることではない。審決にもその理由は何ら示されていないのである。また、特に先願発明について、赤身の魚を練り製品原料として使用する際に弾力性を保持し得るということを、鮮度保持という、いわば上位概念で抽象化してしまうのは、先願発明の明細書ならびに審査経過資料等客観的な資料からみて許されることではない。
(2) 先願発明の目的(課題) 先願発明の出願当時の技術水準を見るに、同出願についての昭和三六年九月一日付拒絶理由通知書の記載においても明らかなとおり、魚肉に高分子リン酸塩を混入して練り製品の弾力性ならびに粘着性を高めることは公知であつた(甲第四号証参照)。右のような同一技術分野に於けるリン酸塩の使用に公知の技術があつたにもかかわらず先願発明に特許性が認められたのは、先願発明がより分化専門化した水準における技術思想の創作であると認められたことによるものと考えられる。すなわち、先願発明は単に魚の処理に縮合リン酸塩を添加し、ねり製品に弾力性を与えたということではなく、一には、縮合リン酸塩の添加を魚の死後硬直終了前に行うこと、二にはサバ、サンマ、イワシ、マグロ等の赤身の魚を添加の対象魚として限定したことという分化専門化した技術思想を創作したものと考えられる。
そこでの課題は赤身の魚のねり製品に弾力性(以下「足」ともいう)を与えることなのである。このことは先願発明の出願明細書の記載からも明らかであるが、なお、前記拒絶理由通知書に対する昭和三六年一〇月三一日提出の意見書(甲第五号証の二)の中で、出願人が、前記公知技術と比較して目的と効果が同一であることは争わず、「しかし、本発明とこの特許内容(前記公知技術を指す)とは次の二点で全く相違しております。すなわち、第一には処理時間の差であります。本発明における処理は水揚直後に行うものであるに対し、該特許は加工中、もしくは加工直前の処理であります。換言すれば、保蔵前と保蔵後の処理という差であります。第二には対象魚種の違いであります。白身の魚にあつては該当特許による処理によりねり製品の足は強化されますが、赤身の魚にあつては本発明による処理によつて初めて足が強化されます。」と述べているところからも明瞭である。
先願発明の課題であるねり製品の足の形成については、足の生成機構を考察したうえで、その課題のより正確な認識が得られるであろう。
足の形成の原因となるものは魚肉蛋白質である。魚肉蛋白質には親水性で容易に水に溶解するミオゲン類と、疎水性で塩類が存在するときに溶解するミオシン区蛋白質と、不溶性のコラーゲンおよびエラスチンなどからできている。ミオゲン類は全蛋白質の二〇ないし三〇%を占め、ミオシン区蛋白質は普通の鮮度の原料魚肉中ではアクトミオシンとして存在することが多く、細長い形をして、全蛋白質量の六〇ないし七〇%を占める。足の形成に直接関与するのはこのミオシン区蛋白質である。通常ねり製品を作る場合、魚肉をすりつぶすときにうすい食塩を添加し、これがアクトミオシンを溶出し、食塩中でアクトミオシンは伸びた繊維状になつているので、魚肉のすり身としてはきわめて粘性の強い状態となる。これをそれぞれの形状に成形して、蒸煮、湯煮、油であげる、焙焼などの加熱をほどこすと、アクトミオシンは熱凝固して、網目構造を形づくる。この網目構造のもつ物理的性質(ねり製品、例えばかまぼこを指で押すと弾力を感じ、指を放すと元の形となり、噛み切ると快い触感がある)を足というのである。
ところで、魚は死後ミオシン区蛋白質量に大きな変化が起るのであり、特に赤身の魚は、白身の魚と比較し、死後ミオシン区蛋白粒子に著しい変化がある。このことが、赤身の魚の足形成力が死後急速に低下する原因となつているのである。死後硬直期を過ぎると、魚は筋肉組織に含まれている酵素の作用によつて筋肉蛋白質が変化し、筋肉は次第に柔軟性を増すことになる。したがつて、白身の魚に比し、ミオシン区蛋白質の変化が急速に進行する赤身の魚にあつては、ミオシン区蛋白質の変化を白身の魚のそれの変化とできるだけ同じ位にするためには、水揚げ後可及的速やかに、少くとも死後硬直終了前までに縮合リン酸塩処理をすることが不可欠なのである。ミオシン区蛋白質の変化と縮合リン酸塩の相関々係は必ずしも学問的にも明確とはなつていない。このため、前記意見書においても出願人も「そもそも本発明の動機は赤身の魚の死後硬直前における縮合リン酸塩処理により、ミオシン区蛋白質の変性の抑制が可能ではないかという考えに基いております。」と述べているのである。
以上のとおり、先願発明の技術課題の焦点は、赤身の魚について、ミオシン区蛋白質の変性の抑制ということにあることは疑いの余地がない。他の蛋白質、すなわちミオアルブミン、ミオゲンなどは全蛋白質の二〇ないし三〇%を占めるにかかわらず、ねり製品の足形成を妨げるので、有用な蛋白質ではあるが、水さらしによつて他の栄養分と共に流出させてしまうのである。したがつて、先願発明では、ミオシン区蛋白質以外その他の栄養分の変性の抑制、その保持などは技術課題とは完全に問題外のものとされているのである。
(3) 本願発明の目的(課題) 本願発明も、先願発明と同じく、魚の処理に縮合リン酸塩を添加することにおいては変りない。しかし、この未分化、未専門化段階の公知技術思想を、更に分化専門化して、冷凍魚の切身の解氷滴損失防止を課題とするところが本願発明の本質となつているのである。既に述べたように、先願発明の課題とするところは、魚の処理に縮合リン酸塩を添加することには違いないが、その焦点はミオシン区蛋白質の変性の抑制(ひいてはねり製品にした場合の足形成保持)にあるのであつて、冷凍魚の切身の解氷滴損失防止を課題とする本願発明とは技術思想創作の出発点において既に根本的な差異があるのである。以下、この点を更に詳述する。
解氷滴というのは、魚の切身の解氷時または料理したりするときに流出する水分をいうのである。この解氷滴は単に魚肉の中の水分を指すのではなく、その中には前述のミオシン区蛋白質は勿論ミオゲン類蛋白質のような可溶性蛋白質、ミネラル、ビタミン等重要な栄養分が含有されているのである。そして、この量は、長時間の冷凍貯蔵のものでは魚の重さの二〇%位にも達し、冷凍貯蔵一箇月のものでも一四%位になるのである。かような重要な栄養分の解氷時損失を可及的に減少しようとすることが本願発明の課題であつて、そのための凍結法や解凍法等が種々研究されてはいたが未だにこれを解決することはできなかつたのである。前述のとおり魚の死後の蛋白質の変性については未だに学問的にも明確になつていないで、先願発明において縮合リン酸塩処理がミオシン区蛋白質の変性の抑制にいかなる機能を営むかがわからないと同じように、本願発明において縮合リン酸塩処理がこれら可溶性蛋白質を含む重要な栄養分損失防止をいかなる機構によつて行われるか正確にわかつていない。本願発明の発明者が種々の経験、実験を重ねた結果特許請求の範囲記載のように特定の縮合リン酸塩処理をすることによりこの技術課題を経験的に解決したのである。
(4) 両者の差異 以上述べたとおり、本願発明の目的(課題)は、「冷凍魚の解氷滴損失の防止、
すなわち、解氷時におけるミオシン区蛋白質およびミオゲン類蛋白質等の栄養分の損失防止」であるのに対し、先願発明の目的(課題)は、「赤身の魚のミオシン区蛋白質の変性の抑制によるねり製品の弾力性の保持」である。したがつて、本願発明では、足形成に重要なミオシン区蛋白質の変性の抑制ということはそもそも発明者の意識に登場すらしなかつたことであり、先願発明では、前述のとおり、ミオシン区蛋白質が足形成に機能することを妨げるミオゲン類蛋白質その他可溶性の栄養分をねり製品製造に不可欠の水さらしにおいて流出させるのであつて、両発明は全く相反する技術思想に基いているのである。審決が抽象的な「縮合リン酸塩処理による鮮度の保持(鮮度劣化の防止)」ということを比較対照の指標として単純に両発明が同一であると判断したのは、両発明の理解そのものの不完全を示すのみならず、重大な誤判であるといわざるを得ない。
(三) 構成の差異本願発明の構成要件(発明の構成に欠くことができない事項。以下同じ。)は1 魚の切身に2 魚の死後硬直終了後冷凍結前に3 縮合リン酸塩処理を行うことであり、対象魚の種類に限定はない。右の2のうち、「魚の死後硬直終了後」という要件は特許請求の範囲の記載からは明白ではないが、本願発明は魚の切身についての経験ないし実験に基づき創作された処理方法であり、魚を切身にするのは死後硬直終了後であるのが通常であるから、本願発明の縮合リン酸塩処理は死後硬直終了後になされなければならないものと考えるべきである。
これに対し、先願発明の構成要件は1 赤身の魚に2 全身に(切身としないで)3 魚の死後硬直終了前に4 縮合リン酸塩処理を行うことである。右の2が先願発明の構成要件であることはその特許請求の範囲からは明白ではないが、先願発明の明細書の実施例には、イワシについて「前記処分の溶液中に捕獲した直後のイワシを浸漬」するとあり、サンマについて「捕獲直後のサンマに前記縮合リン酸塩を振りかけ」ると記載されていることからみても、先願発明ではもともと死後ミオシン区蛋白質が急速に変性する赤身の魚を対象としているのであるから漁獲直後に全魚体を溶液に浸漬したり、振りかけたりして処理することを前提としていることが明らかである。
以上のとおり、本願発明と先願発明の構成要件は、縮合リン酸塩処理を行う時期、処理の対象となる魚種の範囲、処理時点における魚の形態において全く異なる。これは、前述のとおり、両発明の技術課題が出発点において基本的に異なることから由来するものであるが、この差異は両発明が同一であると認定するにはあまりにも重大な差異であるといわざるを得ない。
被告の答弁
本件の特許庁における手続の経緯、本願発明の特許請求の範囲、審決理由の要点が原告主張のとおりであること、本願発明および先願発明の目的(課題)がいずれも原告主張のとおりであることは認めるが、その余の原告の主張は争う。
発明の同一性の判断は、発明の目的、構成要件および作用効果の同一をみてなされなければならないものであることは当然であるが、それは表現された文言のみにとらわれず、客観的なものとして把握されるその実質についてなされなければならないものである。一方、独占権を与えるという特許法の根本精神および特許法第39条第1項の規定から明らかなように一発明一特許の原則があるところからみて、
発明の同一性の判断は、二重特許を排除するという面からもなされなければならないものである。ところで、比較する二発明において、その構成要件に相違するところがなければ、それは同一発明であると解される。すなわち、たとえ、表現された発明の目的および作用効果が異なつていても、発明の構成要件に差異がなければ、
技術の本質からして両発明とも同一の目的が達成され、また同一の作用効果も奏されているものであるから、結局客観的な目的、作用効果は同一となる。したがつて、構成に差異がない限り、両発明は別異のものとはすることができないものである。次に、二発明の構成要件が全面的に一致しない場合でも、同一発明である場合がある。それは、発明の構成要件がその広狭の点のみで相違する場合である。この場合、両発明の技術的範囲は、広狭の差が生じるものの重複する部分が存在し、その部分については、両発明は全く同一のものである。そしてこの技術的範囲において重複する部分のある両発明を、仮に別異の発明であるとすると、そこには二重特許が発生することとなる。したがつて、この両発明も技術的範囲において重複する部分がなくならない限り、別異のものとはすることができないものであつて、実質的には同一のものである。したがつて、本願発明と先願発明とが同一であるか否かは、両発明の構成要件が客観的に同一であるか、またはその相違点が広狭の差にすぎず実質的に同一であるか否かによつて定まるものである。
本願発明の構成要件は、
1 魚の切身に2 魚の死後硬直終了前または終了後冷凍結前に3 縮合リン酸塩処理を行うことであり、対象魚の種類に限定はない。原告は右の2につき死後硬直終了後に縮合リン酸塩処理を行うことが本願発明の構成要件であると主張するが、本願発明の特許請求の範囲には、その処理の時期が冷凍結前であることは記載されているものの死後硬直との関係での時期は何も記載されていないし、発明の詳細な説明の項においても説明されていない。仮に本願発明において、死後硬直終了後に処理することが構成要件であるとすれば、それは技術的にみて無意味な処理時期の限定である。なぜならば、死後硬直終了後といえば、魚体はやわらかくなり、自己消化がすでに進行しており、鮮度の低下をきたしていることは従来より知られているところであり、しかも、死後硬直終了までには漁獲後短くとも一〇時間長くは四〇数時間の時間の経過が必要であるので、新鮮なうちに処理加工するを要する鮮魚について、長時間経過し魚肉の鮮度が低下してから処理を行い、ついで冷凍結するとは考えられないことであるからである。したがつて、死後硬直終了後に右の処理を行うことが本願発明の構成要件であるとはとうてい考えることができない。
一方、先願発明の構成要件は、
1 赤身の魚に2 全身または切身に3 魚の死後硬直終了前に4 縮合リン酸塩処理を行うことである。原告は右の2につき「全身に(切身としないで)」縮合リン酸塩処理を行うことが先願発明の構成要件であると主張するが、先願発明の特許請求の範囲には縮合リン酸塩処理の時点における魚の形態について何らの限定がない。そして、(1)先願発明はサバ、マグロ等の大型魚類を対象としており、特にマグロについては冷凍するに当り全身より頭、内蔵を除去し、さらに背骨を取り除き(三枚におろす)、魚肉のみとしてブロツク状等にして冷凍結することが、従来より極めて周知慣用の冷凍方法であること、(2)先願発明の明細書の発明の詳細な説明の項には「魚体又はは魚肉の処理法の数例」という記載があり、右の「魚肉」は切身を指すものと解する以外には解釈のしようがないこと、(3)ねり製品は魚の骨、
内臓は原料として使用せず魚肉のみを使用するものであることから考えれば、先願発明が、処理時点における魚の形態として切身を排除していると解する根拠はない。
以上のとおり、本願発明および先願発明の構成要件実質的に同一であり、両者は同一発明である。よつて、審決には原告主張の違法はない。
証拠関係(省略)
理 由 本件の特許庁における手続の経緯、本願発明の特許請求の範囲、審決理由の要点が原告主張のとおりであること、先願発明の特許出願日および特許請求の範囲が審決認定のとおりであることは当事者間に争いがない。
本願発明の目的が「冷凍魚の解氷滴損失の防止、すなわち解氷時におけるミオシン区蛋白質およびミオゲン類蛋白質等の栄養分の損失防止」であり、先願発明の目的が「赤身の魚のミオシン区蛋白質の変性の抑制によるねり製品の弾力性の保持」であることは当事者間に争いがないから、両発明は目的を異にすることが明らかである。
そこで、両発明が目的を異にすることだけで直ちに両発明が別発明であるとすることができるかどうかについて次に判断する。この点につき原告は、発明は目的(課題)、構成、作用効果から成るから、そのいずれか一つが異なれば、二個の発明は同一発明とはいえない旨主張する。しかし、発明が目的、構成、作用効果から成ることは原告主張のとおりであるとしても、特許法第39条第1項の立法趣旨が重複特許の排除にあることに照らせば、二個の発明が別発明であるとするためには、両発明の異なることが客観的に識別されうるものでなければならないことが明らかであるから、発明の同一性の有無を判断する基準は右の観点からこれを選ばなければならない。そうだとすると、発明の構成は発明を客観的に表現したものであるから、これを基準として発明の同一性の有無を定めることができる。すなわち、
両発明の構成が全面的に一致し、または両者に広狭の差があるだけで部分的に牴触する場合は、構成の面から客観的に両発明を別個のものと識別することはできないのであるから、両者は同一発明であり、また両発明の構成が異なり互いに牴触しない場合は、これによつて両発明の異なることを客観的に識別することができるから、両発明は別発明であることが明らかである。これに対し、発明の目的は発明者の主観的意図であり、作用効果は本来客観的なものであるが、明細書に記載された作用効果は、発明者が認識したもの、または目的との関係で必要と考えたものだけに限られ、これまた主観的なものに過ぎないから、かような発明の目的または明細書記載の作用効果を基準として両発明の同一性の有無を定めることは許さるべきではないといわねばならない。しかも両発明の目的または明細書記載の作用効果がたとい異なつていても、両発明の構成が全面的に一致するか部分的に牴触する場合には、両発明は同一の作用効果を生ずるはずであり、ひいては両発明は客観的には同一の目的を達成するものともいいうるから、かような場合に、ただ単に主観的な目的ないし明細書記載の作用効果が異なることの故をもつて、両発明を別個のものとすることの不当なことは明らかなところであろう。以上の次第で、本願発明と先願発明が目的を異にしていても、それだけでは両発明が別発明であるとすることはできない。よつて次に、両発明の構成が全面的に一致しまたは部分的に牴触するか否かを検討することとする。
本願発明の特許請求の範囲記載の「約一対一から二対一までのH2O対P2O5のモル比の分子的に脱水されたリン酸のナトリウム塩またはカリウム塩もしくはこれと食塩の混合物を付与し」という構成が先願発明の特許請求の範囲記載の「縮合リン酸塩処理を行う」という構成と同一であることは当事者間に争いがない。前示当事者間に争いがない本願発明の特許請求の範囲と右の争いのない事実および成立に争いのない甲第二号証によれば、本願発明の構成要件は1 魚の切身に2 冷凍結前に3 縮合リン酸塩処理を行うことであり、対象魚の種類に限定はないことが認められる。原告は、本願発明は右1ないし3のほかに、死後硬直終了後に縮合リン酸塩処理を行うことを構成要件とするものである旨主張する。しかし、前示当事者間に争いのない本願発明の特許請求の範囲にはその旨の記載のないことが明らかであり、前記甲第二号証によれば、
明細書の発明の詳細な説明の項にも魚の死後硬直終了と縮合リン酸塩処理を行う時期との関係については何も記載がないことが認められるので、原告主張の右事項が本願発明の構成要件であると認めることはできない。原告は右主張を理由づける事情として、魚を切身にするのは死後硬直終了後であるのが通常である旨主張するが、右事実を認めるに足りる証拠は全くないのみならず、成立に争いのない乙第一号証の二、第四号証の二によれば、魚の死後硬直は漁獲後三〇分ないし三時間からはじまり、一〇ないし四〇時間続くこと、死後硬直終了後は魚肉の自己消化がはじまり、これを冷凍しても融解後に自己消化が一層速やかに起り、鮮度が著しく低下することが認められ、右の事実は本願優先権主張日である昭和三五年七月一一日前においても当業者間に周知であつたものと推認されるので、右年月日前当業者が魚を切身にしこれを冷凍結するのはいずれも死後硬直終了前であるのが通常であつたことがうかがわれる。したがつて、原告の右主張は採用の限りではない。
一方、前示当事者間に争いがない先願発明の特許請求の範囲および成立に争いがない甲第三号証によれば、先願発明の構成要件は1 赤身の魚に2 魚の死後硬直終了後に3 縮合リン酸塩処理を行うことであることが認められる。原告は、右1ないし3のほかに、魚の全身に(切身としないで)縮合リン酸塩処理を行うことが先願発明の構成要件である、と主張する。しかし、前示当事者間に争いがない先願発明の特許請求の範囲にはその旨の記載がないことが明らかであり、前記甲第三号証によれば、明細書の発明の詳細な説明の項にも縮合リン酸塩処理を行う時点の魚の形態を限定していると解すべき記載はないことが認められる。もつとも、同号証によれば、右発明の詳細な説明の項に、実施例としてイワシおよびサンマについて原告主張の各記載があることは認められるが、同時に先願発明の対象魚種にはイワシ、サンマのほかにマグロ、カツオ、サバが含まれる旨の記載および縮合リン酸塩処理法の説明として、「魚体又は魚肉の処理法の数例」および「縮合リン酸塩水溶液の魚体又は魚肉への注入」との記載があることが認められる。そうだとすると、原告主張の右各実施例はたまたまイワシ、サンマのような小型魚類を対象としたため全身に縮合リン酸塩処理を行つたに過ぎず、マグロ、カツオ等の大型魚類を対象として先願発明を実施する場合には「魚肉」すなわち切身としたうえで縮合リン酸塩処理を行うことを妨げない趣旨であることが明らかであるから、原告主張の右各実施例の記載が縮合リン酸塩処理時点における魚の形態を全身に限定したものであるとはとうてい認めることができない。したがつて、他に特段の事情の主張がない本件では、原告の右主張は採用の限りではない。
以上に認定した本願発明および先願発明の各構成要件を対比すれば、両発明は、
赤身の魚の切身に、死後硬直終了前に縮合リン酸塩処理を行う範囲において互いに牴触することが明らかであるから、両発明が異なることを客観的に識別することは不可能である。したがつて、両発明を同一発明であるとし、特許法第39条第1項により本願発明を特許することができないとした審決の結果は正当であり、審決には原告主張の違法はない。
よつて、原告の請求を棄却することとし、行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条第158条第2項を適用して主文のとおり判決する。
裁判官 青木義人
裁判官 瀧川叡一
裁判官 宇野栄一郎