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関連審決 審判1970-5771
関連ワード 自然法則 /  技術的思想 /  容易に実施 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  発明の詳細な説明 /  実施 /  請求の範囲 /  公知事実 / 
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事件 昭和 49年 (行ケ) 72号
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裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 1977/11/30
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 特許庁が昭和四九年二月一五日同庁昭和四五年審判第五七七一号事件についてした審決を取消す。
訴訟費用は、被告の負担とする。
事実及び理由
当事者の申立
原告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。
請求の原因
原告訴訟代理人は、本訴請求の原因として次のとおり述べた。
一 特許庁における手続の経緯 被告は、名称を「コースロープ用フロート」とする特許第五二九八六四号発明(昭和三八年一〇月二四日出願、昭和四三年一〇月二六日登録)の特許権者であるところ、原告(旧商号株式会社ジイテイヤング)は、昭和四五年六月一九日特許庁に対し、右特許の無効審判を請求し、同年審判第五七七一号事件として審理されたが、昭和四九年二月一五日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決があり、
その謄本は同年三月五日原告に送達された。
二 本件発明の要旨 コースロープを挿通し得るようにした筒体の外周面に凹陥部を設けて消波性を附与してなるコースロープ用フロート。(別紙図面参照)三 本件審決理由の要点 本件発明の要旨は前項のとおりであり、その目的及び作用効果は、従来のコースロープ用フロートでは、泳行時に生ずる波がこれに当つて反射され、身体に抵抗として作用し、そのため泳進速力に影響を及ぼすものであつた点に着目し、泳者によつて生ずる波をフロートによつて細かく乱反射し、フロートに消波性を附与して、
泳者によつて生ずる波をよく減殺し、これによりスピードの向上をはかるとともに、その波が隣接コースにまで及ぶことを可及的に防止するというものである。
(一) 請求人(本件原告)の主張する無効事由(以下、単に「無効事由」という。)(1)(本件発明は、自然法則を利用したものでなく、明細書に記載された目的、効果を奏しない。)について(1) 一般に、競泳は同一コースを何回も往復するものであるから、泳者が、自己の発生させた波が反射されて返つて来るまでには相当のスピードで前進しているとしても、その復路においてはこの反射波によつてその泳行が妨げられることは予想されるから、本件発明においてフロートにより反射波を消波しスピードの向上をはかることは十分に意味がある。
(2) 本件発明において消波しようとする波がどんな波を指すのかは、明細書の記載上必ずしも明確ではないが、被請求人(本件被告)の意見書からみて、右波は泳者によつて生ずる表面波であると認められる。そして、一般に、波が凹凸のある面にぶつかれば、その面によつて種々の方向に反射(すなわち乱反射)されることは、光線の場合と同様、経験上容易に予測されるところであり、技術士Aの鑑定書(本件乙第一号証)によつても、これを認めることができる。
(3) 本件発明は、水波の単なる反射現象を意図したものではなく、乱反射により、泳者によつて生じた波の反射波を消波しようとするものであるのに対し、表面が平滑な普通のフロートでは乱反射が起らないから、その消波性において明白な差があることは、前記鑑定書によつても十分認められる。
(4) 本件発明が、反射波の消波を行なうとともに、泳者によつて生じた波が隣接コースにまで及ぶことを可及的に防止することをも意図していることは、明細書の記載から明らかであり、Bの試験報告書(本件甲第八号証中にあるもの)も、本件発明がこのような効果を奏することを示している。もつとも、同書では、その効果がロープの太さ、もしくはフロートの径を在来のものよりも大きくしたことに基づくのか、またはフロート表面に凹陥部を設けたことに基づくのか判然としない点はあるが、前記鑑定書によれば、フロート表面に凹陥部を設け、その大きさを水波の波長と同じかあるいはそれより大きくすれば反射波を消波し得ることが認められるので、右試験報告書のみをもつて、本件発明が明細書記載の効果を奏しないと断定することはできない。
(二) 無効事由(2)(本件発明は、公知事実に基づいて容易に発明することができた。)について 一般に、波が凹凸のある反射面につき当れば乱反射が起きることは公知の自然法則であるが、本件発明は、右自然法則をコースロープ用フロートという特定の対象物に応用し、その結果、泳者によつて生じた波を消波し、かつ、隣接コースにも及ばないようにしてスピードの向上をもたらすという格別の作用効果を期待できるものである。
また、実用新案出願公告昭三〇-一七一七五号公報(以下「引用例」という。)には、外見上表面に凹凸部のある浮子が記載されているが、これは漁網の浮子であつて、浮子を漁網の基綱に直接取付けられるようにし、かつ、着脱操作が簡単で操業中に脱離のおそれがないように工夫したものであり、消波性について示唆するところはなく、また、漁網においては、通常消波性を必要としないものであるから、
本件発明とは目的、構成、効果が全く相違する。
したがつて、本願発明は、自然法則または引用例に基づいて当業者が容易に発明できたものとはいえない。
(三) 無効事由(3)(本件発明の明細書は、当業者がその発明を容易に実施できる程度に構成、効果を記載していない。)について 本件発明においてフロートの凹状によつて消波する波が表面波であることは、当業者の容易に理解できるところであり、前記鑑定書によると、反射面の凹凸によつて水波を乱反射させて消波させようとする場合には、その凹凸の大きさは水波の波長と同程度以上でなければならないことが認められ、また、このような原則は「理化学辞典」(岩波書店発行)にも記載されているから、当業者が本件発明を実施する際、泳者によつて生ずる表面波の波長と同程度以上の大きさの凹凸をフロートの表面につけなければならないことは容易に推測できることであり、また、表面波がどの程度の波長を有するかも経験上容易に認識できるから、フロートの外周に設ける凹状の幅、深さをどの程度にするかは単なる設計的事項に過ぎない。
したがつて、本件発明の明細書にその凹状の幅、深さの具体的記載がなくても、
これに当業者がその発明を容易に実施できる程度に構成、効果が記載されていないとはいえない。以上のとおりであるから、請求人の主張は、いずれも理由がなく、
本件発明の特許を無効にすることはできない。
四 審決の取消事由 しかし、審決は、後記のとおり認定ないし判断を誤り、その結果、請求人の主張を排斥して、本件発明の特許を無効にすることはできないとしたものであるから、
違法であつて、取消されるべきものである。
(一) 無効事由(1)について(1) 審決は、泳者が発生させた波の反射波によつて、その復路における泳行が妨げられることが予想されるとしている。しかし、本件発明の効果とするところが、泳者が直進する場合の泳進速度の向上にあることは、その明細書の記載から明らかであるから、右は、本件発明の効果を曲解するものである。しかも、泳者は、
折り返し点(ターン)においては潜水して折り返すのであり、その潜水距離は五メートル以上あり、潜水中は表面波である反射波によつて何ら影響されないから、この点でも右判断は誤りである。
(2) 審決は、本件発明において消波しようとする波は泳者によつて生ずる表面波であると認定する。しかし、泳者の泳進速度を妨げ、かつ、本件発明によつて消波することができる波の形態については、少くとも波長、周期、振幅をもつて特定しなければならない。なぜなら、波長、周期、振幅の小さい波は滅衰期が短く、泳者からフロートに届くまでに消滅するから、そのような波を問題にすることは無意味であり、逆に、波長や振幅が一〇センチメートル以上の波であれば、これを消すフロートを作ることは実際上不可能である(プール用である以上、フロート自体の大きさには一定の限度がある。)からである。したがつて、審決の右認定によつても、その波の内容はいぜん不明である。
(3) 審決は、本件発明は消波性において普通のフロートと明白な差があるとする。しかし、請求人は、無効事由として、波と波とがぶつかつて消波するというならば、普通のコースロープで反射した波でもプール中いたるところで他の波とぶつかつて消波するのではないかと主張したのであり、その趣旨は、波と波とがぶつかつても消波現象は起らないというにあるから、審決の右判断は的はずれである。
(4) 審決は、本件発明が「泳者によつて生じた波が隣接コースにまで及ぶことを可及的に防止すること」をも意図し、その効果があるとする。しかし、そのような目的、効果については、明細書の発明の詳細な説明の項には記載されていないから、これをもつて本件発明の目的及び効果とすることは誤りである。
(二) 無効事由(2)について 波が凹凸面に当つて乱反射するということは、公知の自然法則(公理)であつて、本件発明は、右公理がフロートに凹凸を設けた場合にも該当することを「考案」したというに過ぎず、何人も容易に思いつくことであるから、高度の考案とはいえない。自然法則を利用した高度の技術的思想といえるためには、泳者が起した波のうち泳進速度に影響のある波を消波すべき乱反射を発生する凹凸面が具体的に示されていなければならないのに、本件発明においては、何らその開示がない。したがつて、本件発明の進歩性に関する審決の判断は誤りである。
(三) 無効事由(3)について 審決は、請求人が無効事由として主張した「泳進速度の向上がみられる消波性を得る凹状の幅、深さ等についての構成及び効果の詳細な説明がない」との点に対して十分な判断をしていない。そして、審決の判断したところによつても、泳進速度に影響する波の波長やどの程度の波長の波を消せば泳進速度が向上するのかも不明であるから、本件発明を実施するすべがない。したがつて、特許法第36条4項違反の主張に対する審決の判断は誤りである。
被告の答弁
一 請求原因事実中一ないし三は認めるが、同四は争う。
二 審決の認定ないし判断は正当であつて、原告主張の違法はない。但し、本件発明による効果は、泳者によつて生ずる波をフロートで乱反射させることにより消波し、その泳者の復路におけるスピードの向上を期待できることにあり隣接コースに対する防波性能の点については問題としない。
原告の主張に対する反論は次のとおりである。
(一) 無効事由(1)について(1) 往路において泳者によつて発生させられた波がフロートに至り、フロートで反射してコース内に残留し、復路における泳者の身体に抵抗として作用し、そのため泳進速力に影響を及ぼすことは十分ありうるから、審決の認定に誤りはない。
また、原告は、潜水中は表面波である反射波によつて何ら影響されないと主張するが、泳者はコースの全区間にわたつて潜水するものではないから、右主張は採るに値しない。
(2) 本件発明においては、「要は、フロートの外周に消波性を附与しうれば可なるもの」(特許公報一頁右欄二〇、二一行目)であり、この目的を達成するためにフロート筒体の外周面に凹陥部を設けた点に本件発明の技術的思想が存するのであるから、原告主張のように、消波すべき波の形態を波長、周期、振幅をもつて特定しなければならないものではない。
(3) 本件発明の明細書には「波と波とがぶつかつて消波する」などとは記載されていない。右明細書の発明の詳細な説明の項には、筒体の外周面に凹陥部を設けることによつて単なる円柱状のフロートに比し消波性が優れることの理由として「本発明は、叙上の点に着目し、泳者によつて生じる波をフロートによつて細かく乱反射し、すなわち、フロートに消波性を附与したものである。」と記載されているが、この「乱反射」について次のとおり詳述する。
一般に、水波は障壁面に当ると、音波や光の波と全く同様に、いわゆる「反射の法則」に従つて反射する。すなわち、波の進行方向と障壁の反射点に立てた垂線とのなす角(‖入射角)によつて、反射波の方向が定まり、その反射角(前記垂線と反射波の方向とのなす角)は入射角に等しく、障壁面の反射点に立てた垂線に対して左右対称であるということができる。したがつて、もし当該障壁面に凹凸が存在する場合(すなわち、水波の入射方向に対して障壁の各々の部分が当該凹凸の故に種々の異なつた方向に向いて位置している場合)には、その凹凸が波の波長程度かそれ以上の大きさであるならば、障壁の各々の極めて小さい部分の面に立てた垂線に対して、当該水波の入射角と反射角とは相等しく、その垂線に対して左右対称となるべきものである。そうすると、たとえ水波の入射方向が一定であつても、凹凸を有する障壁の各々の部分で反射した水波の進行方向(‖反射方向)は一定ではなくなり、障壁の凹凸によつて種々の方向に向つて反射するようになる。そして、水波の場合にもこのような乱反射現象が生ずることは、物理学上の常識であるといつてよい。
ところで、凹凸を有しない障壁で反射した水波は、光の場合の鏡面での反射と同じように、反射したのちもさほどその強さを減じないが、凹凸を有する障壁で乱反射した水波の各々の部分は、種々の方向に進む(換言すれば、障壁にあたる直前の水波のエネルギーは各方向に分散される)から、あるひとつの方向に進んだ水波の強さは、乱反射する前の水波の強さに較べて極めて弱い波となる。すなわち、乱反射によつて水波は減衰されるものであつて、この点はあたかも光がスリ硝子の面で乱反射する場合と同様である。本件発明は、まさにこの現象を応用しようとするものにほかならないものであつて、コースロープ用フロートの筒体の表面に凹陥部を設けて障壁面に凹凸を形成してあり、その結果、泳者によつて生ずる波がこの凹凸によつて乱反射し減衰せられることを意図するものであるが、このことが十分可能であることは前記のところからも明らかであろう。
もつとも、乱反射の発生は、前記のとおり、その障壁面の凹凸が波の波長より大きいことを要するのであるから、波の波長に対して小さな凹凸によつて反射した波は乱れることがないとはいえよう。しかしながら実際には泳者によつて生ずる波は、正弦波(図一)というより、むしろ鋸歯状波(図二)に近い波であることは、
経験上直ちに理解できることであつて、このような鋸歯状波は、物理学上、その波の見掛けの波長と同じ波長を有する正弦波と、それより波長の短いかつ振幅の異なる無数の正弦波(波長、振幅が一定の規則的関係になつている波)を合成した波と同等である。したがつて、鋸歯状波の場合には、必ずしもその波の見掛けの波長のみで、障壁面の凹凸の大きさとの関係を論じることはできず、乱反射の状態も、見掛けの波長だけから決定されるものではない。すなわち、合成波の成分である短い波長の波も考慮に入れて論じなければならず、換言すれば、このような波形の波の場合には、見掛け上の波長より小さい凹凸を有する障壁面によつてでも反射の際乱反射を起しうるものである。
以上により明らかなように、フロートの外周に凹陥部を設けることによつて、泳者によつて生じた波がフロートの凹凸面で乱反射し、すなわちフロートに消波性を附与しうることは、物理学上も十分に成り立ちうるところである。
(二) 無効事由(2)について 本件発明は、平滑な面よりも表面に凹凸を設けた面(いわゆる粗面)の方が前記理論によつて消波性においてはるかに優るという現象に着目し、これをコースロープ用フロートに応用したものであつて、このこと自体新規な発明たるに値する。原告の主張する凹凸面の具体的構成は、本件発明を実施する際に生ずる設計上の問題に過ぎない。
(三) 無効事由(3)について 本件発明の明細書にいう「これによりスピードの向上を望みうる」(公報一貢右欄ニ四、ニ五行)とは、本件発明にかかるフロートは公知の「単なる円柱状」のフロートと比較して消波効率において遥かに優るものでありその結果当然に、右公知のフロートを用いた場合と比較すれば、本件発明にかかるフロートを用いた場合には、泳者のスピードの向上を期待し得るという趣旨にほかならない。しかるに、請求人は「泳進速度の向上がみられる消波性を得る凹状の幅、深さ等についての構成効果の詳細の説明がない」と主張しているが、少しでも波が存在すれば、波が全然ないよりは泳進速度はそれだけ低下し、逆に、少しでも波がなくなれば泳進速度はそれだけ向上するといえるから、右主張もまた本件発明の技術思想の枠内における設計上の問題の域を出るものではない。
証拠関係(省略)
理 由一 請求原因中、被告が特許権者である本件発明について、原告の特許無効審判の請求より審決の成立にいたるまでの手続の経緯、発明の要旨及び審決理由の要点は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の取消事由の有無について考察する。
無効事由(1)について 前掲発明の要旨及び成立に争いのない甲第二号証(本件発明の特許公報)に弁論の全趣旨をあわせると、本件発明は、競泳時に使用されるコースロープを張設するためのフロートに関するものであり、泳者によつて生ずる波をフロートで細かく乱反射すること(フロートに消波性を附与すること)を目的としていること、その目的を達成するために、従来の単なる円柱状のフロートとは異なり、フロートの「外周面に凹陥部を設け」(特許請求の範囲)る構成を採つていること、そして、右構成によつて、泳者によつて生じフロートに当つて反射される波が、その泳者の復路泳行時において身体に対する抵抗として作用しないようになり、もつて、その泳進速力の向上に資する効果を期待するものであることが認められる。なお、審決は、
その他の効果として、泳者によつて生ずる波が隣接コースにまで及ぶことを可及的に防止する点を挙げているが、そのような効果は、明細書の記載に徴しても、本件発明に特有のものとは認められないので、これを本件発明の特段の効果とする審決の右認定は相当ではない。
ところで、右認定のように、本件発明において消波性を附与する唯一の技術手段は、フロート筒体の外周面上に設ける凹陥部であるが、その凹陥部の構成については、発明の要旨において位置、形状、大きさ、個数等が全く限定されていないし、
前記甲第二号証によると、発明の詳細な説明の項においても、「本発明はこれが使用材料及び構造を諸種に変換……でき、要はフロートの外周に消波性を附与しうれば可なるものである。」と記載されているのみであつて、目的たる消波性の附与と手段たる凹陥部とがいわば同義反覆的に記述されているに過ぎず、しかも、泳者のスピード向上という効果との関連も明らかではないから、結局、本件発明においては、右効果を達成しうべき「凹陥部」の具体的構成は開示されていないといわざるをえない。
もつとも、右の記載が、通常のフロートの外周面に任意の凹陥部を設けた構造のすべてのものについて、凹陥部がある限り、泳者のスピード向上に十分資する消波の効果を収めうるという趣旨であつて、そのような事実が肯定されるならば、単なる「凹陥部」という表現であつても、必ずしも具体性がないとはいえない筋合であるから、さらに、この点について検討する。
成立に争いのない乙第一号証によると、一般に、水波を反射面の凹凸によつて乱反射し、これを消波するには、その凹凸の大きさが水波の波長と同程度か、またはそれ以上でなければならないものであり、したがつて、泳者によつて生ずる表面波をフロートの外周面の凹陥部で乱反射するにも、その凹陥部の深さ及び幅は、表面波の波長と同程度以上の大きさでなければならないことが明らかであつて、審決もこの理を認めている。
次に、成立に争いのない甲第一〇、第一一号証に弁論の全趣旨をあわせると、波長が一〇センチメートル未満の波は、その寿命(減衰するまでの時間)が非常に短く、エネルギーも非常に小さいものであるので、泳者に対する波の影響、殊にその復路における影響を考慮する場合、これを無視してよい程度のものであることが認められ、これに反する証拠はない。そうだとすると、泳者によつて生ずる波のうち、その泳者に対し影響を及ぼすもの、すなわち、本件発明において乱反射によつて減殺すべき波は、その波長が一〇センチメートル以上のものであり、したがつて、これに前記乱反射の理論を適用すれば、フロートの外周面に設ける凹陥部の深さ及び幅はともに少くとも一〇センチメートル以上でなければならないことになる。被告は、泳者によつて生ずる波は正弦波というより鋸歯状波であつて、このような鋸歯状波は、その見掛けの波長と同じ波長を有する正弦波とそれより波長の短く、かつ、振幅の異なる無数の正弦波を合成した波と同等であると主張し、前記乙第一号証にその旨の記載があるけれども、仮にそうであるとしても、一〇センチメートル以上の波長の正弦波が成分として包含されていることは否定されえないのであるから、右判断を左右しうるものではない。
他方、本件発明におけるコースロープ用フロートの大きさについては、その明細書に格別の規定がないこと(この点は前記甲第二号証により明らかである。)よりみて、通常使用される程度の大きさのものと解するほかないところ、成立に争いのない乙第二号証の二には「公式競技用の浮きの大きさとしては、直径は七〇ミリメートルないし八五ミリメートル程度、長さは二〇〇ミリメートルないし三〇〇ミリメートルが適当と考えられている。」と記載され、同第三号証の三には、直径競技用七〇ミリメートル、普及用六〇ミリメートル、学童用四〇ミリメートル、同第四号証には、直径普及用六〇ミリメートル、学童用四〇ミリメートル、同第五号証には、直径三ないし六センチメートル、長さ二〇センチメートルの各フロート規格が示されているから、これからすると、通常使用されるコースロープ用フロートの大きさは、直径三センチメートルないし八・五センチメートル、長さ二〇ないし三〇センチメートルの範囲内にあるものと認めることができる。
してみると、泳者に影響すべき波をフロートで乱反射するには、直径一〇センチメートルに満たないその筒体の外周面に一〇センチメートル以上の凹凸(深さ及び幅)を設ける必要があることになり、特段の構造部分を加えない限りは技術上不可能であることはいうまでもない。換言すれば、本件発明において開示される技術手段に従つて、通常使用されるコースロープ用フロートの筒体の外周面に凹陥部を設けたとしても、それによつて乱反射され消波されるものは、もともと泳者に対し影響を及ぼさない波長一〇センチメートル未満の水波に限られ、それ以上のものには及ばないのであるから、本件発明にいう、その泳者の泳進速力の向上という効果のごときは、到底これを期待しえないものである。
したがつて、本件発明の技術手段は、当該技術分野における通常の知識を有するものがこれを実施しても、その目的とする技術効果を挙げることができないものであるから、発明としては未完成であつて、特許法第2条第1項にいう「発明」には当らないというべきである。
以上のとおりであるから、本件発明について明細書記載の効果を奏しないとはいえないとした審決の判断は誤りでありこれに基づいて原告の特許無効審判の請求を排斥した審決はその余の争点について判断するまでもなく違法であつて、取消を免れない。
三 よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条及び民事訴訟法第89条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
裁判官 荒木秀一
裁判官 石井敬二郎
裁判官 橋本攻