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関連審決 補正審判1978-28
関連ワード 発明者 /  産業上利用(29条1項柱書) /  技術的思想 /  有用性 /  容易に実施 /  発明の詳細な説明 /  化学構造 /  優先権 /  着想 /  クレーム /  特許出願日 /  置換 /  実施 /  請求の範囲 /  変更 /  忌避 / 
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事件 昭和 54年 (行ケ) 109号
裁判所のデータが存在しません。
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 1984/06/21
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 特許庁が昭和五三年補正審判第二八号事件について昭和五四年二月二二日にした審決を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告 主文同旨の判決2 被告 「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決
請求の原因
1 特許庁における手続の経緯 原告は、昭和四八年五月一〇日に、一九七二年(昭和四七年)五月一〇日、同年九月二九日及び一九七三年(昭和四八年)三月二九日のスイス国における特許出願に基づく優先権を主張し、名称を「有害生物防除剤」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(昭和四八年特許願第五二〇七八号)をし、その後昭和五〇年五月一九日付手続補正書によつて特許請求の範囲及び発明の詳細な説明を補正し、更に、昭和五二年一〇月七日付手続補正書を提出した(以下「本件補正」という。)ところ、同年一一月二二日、本件補正を却下する旨の決定があつた。
そこで、原告は、昭和五三年四月八日、審判を請求し、昭和五三年補正審判第二八号事件として審理された結果、昭和五四年二月二二日、「本件審判の請求は成り立たない。」との審決があり、その謄本は、同年三月一二日、原告に送達された。
なお、原告のため出訴期間として三か月が附加された。
2 本件補正内容の要旨(一) 昭和五〇年五月一九日付手続補正書第九頁第四行の「nD20=1.5598」を「nD20=1.5478」と補正する。
(二) 明細書第七八頁末行の「良好な作用を示した。」の後に次の文章を加入する。
「後記第1表にいくつかの化合物についての前記試験Bの評価結果を示す。評価は1〜5の数字で表したが、5は正常な成虫が皆無であること(最大の作用)を意味し、1は正常な発育に何ら影響を及ぼさなかつたこと(作用なし)を意味し、4〜2はその中間の作用を意味する。」(三) 同第八〇頁第一行と第二行の間に次の文章を挿入する。
「後記第1表にいくつかの化合物についての前記試験の評価結果を示す。評価は実施例5Bで使用した尺度で行つた。」(四) 同第八〇頁第一四行の「作用を示した。」の後に次の文章を加入する。
「後記第1表にいくつかの化合物についての前記試験の評価結果を示す。評価は実施例5Bで使用した尺度で行つた。
実施例9 エフエステイア・クーニエラ(Ephestia kuhniella)に対する作用 小麦粉五〇gを、有効成分の五〇%粉剤の所定量と混合して〇・一、〇・〇五又は〇・〇一%濃度となるようにし、二個のビーカーに入れた。一ビーカー(小麦粉二五g)につき、エフエステイア・クーニエラの幼虫一〇匹を入れた。八週間後に、羽化した蛾の数を調べた。
前記試験の評価結果を後記第1表に示す。評価は1〜9の数字で表したが、1は有効濃度〇・一%で蛾が発生することを意味し、3、5及び9はそれぞれ〇・一%、〇・〇五%及び〇・〇一%濃度で蛾が全く発生しないことを意味する。
実施例10 コクヌストモドキ(Tribolium castaneum)に対する作用 小麦粉五〇gを所定量の有効成分と混合して、実施例9に記載したのと同じ濃度に調製して二個のビーカーに入れた。一ビーカー(小麦粉二五g)につきコクヌストモドキの甲虫二五匹を入れ、三日後に篩分けた。小麦粉の中に産みつけられた卵からかえつた甲虫の数を八週間後に調べた。
前記試験の評価結果を後記第1表に示す。評価は実施例9で使用した尺度で行つた(但し「蛾」を「甲虫」と読み代えるものとする。)。
実施例11 アカマルカイガラムシ(Aonidielle aurantii)に対する作用 アカマルカイガラムシを寄生させたジャガイモの塊茎を、有効成分〇・〇五%を含有するアセトン溶液又は乳液中に漬けた。昆虫の発生及び産卵を調べた。
前記試験の評価結果を後記第1表に示す。評価は左記の1〜9の尺度で行つた。
9=死虫率七五ー一〇〇% 7= 〃 五一ー七四% 5= 〃 二五ー五〇% 3= 〃 一ー二五% 1=正常な成虫が一〇〇%(作用なし)実施例12 ヒメトビウンカ(Laodelphas striatellus)に対する作用 栽培容器中の五〜一〇cmに生育した稲に、水対アセトン=一対一中に有効成分のアセトン溶液を加えたもの(〇・〇五%濃度)をスプレーした。スプレー液が乾燥後、容器にL2段階のヒメトビウンカの幼虫約二〇匹を入れた。
実施例11に記載した評価尺度による前記試験の評価結果を後記第1表に示す。
実施例13 レプテイノタルサ・デセムリネアータ(Leptinotarsa decemlineata)に対する作用 水対アセトン=一対一の混合物に、有効成分の一%アセトン溶液の所定量を添加して、有効成分濃度〇・〇二五%とした。このアセトン-水-溶液にジャガイモの葉を漬け、次にこれをつるして乾かした。殺菌土壌上の前記処理されたジヤガイモの葉を入れた二個のポリ塩化ビニル皿の各々に、第四段階のレプテイノタルサ・デセムリネアータの幼虫一〇匹を入れた。
実施例11に記載した評価尺度による前記試験の評価結果を後記第1表に示す。
実施例14 スポドプテラ・リトラリス(Spodoptera littoralis)に対する作用 水対アセトン=一対一の混合物に、有効成分の一%アセトン溶液を、有効成分濃度〇・〇七五%の液が得られるような量だけ添加した。このアセトン-水-溶液にレタスの葉を漬け、次にこれをつるして乾燥した。円形フイルター上の前記処理されたレタスの葉を入れた二個の大皿の各々に、第三ないし第四段階のスポドプテラ・リトラリスの幼虫一〇匹を入れた。蛹化の直前に、紙フイルターの下に殺菌鋸粉を加えた。次に蛹を鋸粉から取出し、かごの中に入れて発育を観察した。
実施例11に記載した評価尺度による前記試験の評価結果を第1表に示す。」第1表 試験結果〈12449-001〉3 審決の理由の要旨(一) 本件補正は、本件出願の願書に最初に添付した明細書(以下「出願当初の明細書」という。)に記載されていなかつた、本願発明で有害生物防除剤として使用される化合物(以下「本件化合物」という。)を何種類かの昆虫に対し適用した試験における死虫率を新たに数値をもつて示したものである。
(二) 本件補正の却下の決定の理由は、大要次のとおりである。
出願当初の明細書には、本件化合物を実際に殺虫試験に供した場合の効果が定量的に示されていないので、本願発明が所期の効果を現実に奏するか否か不明瞭である。これに対する本件補正は、本願発明について技術的裏付けとなる試験結果を付加することにより発明を完成させるものであるから、特許法第53条第1項の規定にいう明細書の要旨を変更するものと認められるので却下する、というものである。
(三) そこで、この決定の理由の当否について検討する。
まず、出願当初の明細書の記載を精査すると、第一五頁、第一六頁には、本件化合物を有害昆虫の防除に使用した場合における防除に適当な昆虫の種類が二八科名列記され、第四七頁ないし第五八頁には、本件化合物を使用する際の製剤形態について記載され、そして、第七七頁ないし第八〇頁には、本件化合物をデイスデルクス・フアシアトウス、デルメステス・ラルダリウス、ネツタイシマカ、チヤイロコメゴミムシダマシ等に適用した場合について、すなわち、これらの昆虫に対する局所作用と接触作用等についての試験例が記載されている。
しかしながら、この試験例における本件化合物を適用した結果については、「化合物は……試験……で良好な作用を示した。」、「化合物は……試験……で高い効力を示した。」又は、これらと実質上同等な内容の記載がみられるにすぎない。更に、出願当初の明細書のこの外の部分について精査しても、定量的なその試験結果は、実質上不明瞭である。
ところで、いわゆる単一化合物の用途発明は、特定の化合物について特定の用途の発見に基づく発明であるから、これが発明として成立するためには、発明の用途としての作用効果の優れていることが必須とされることは、その性質上からみて当然のことである。つまり、特定の化合物が用途面において優れていることこそは、
単一化合物の用途発明の成立にとつて不可欠な要件であるといわざるをえない。このような発明の成立要件との均衡上、単一化合物の用途発明においては、該化合物を適用すべき用途について試験すること、及び、この試験結果は、第三者にとつて明瞭であるように、主観的、感覚的表現をもつてすることなく、数値かそれに準ずべき記載によつて、明細書に記載されることが必要欠くべからざることである。また、これによりはじめて、該化合物は、用途としての作用効果の優れていることが、第三者に対して開示され、かつ、証明されたと考えられる。
この観点から、出願当初の明細書の試験結果についての「良好な作用を示す」と「高い効力を示す」との記載をみると、これらは、何に対して「良好か」「高いか」が不明瞭であるといわざるをえず、この記載をもつてしては、発明の作用効果は不明瞭である。
(四) 前記したところから明らかなように、出願当初の明細書を精査しても、その発明の成立性にとつて不可欠な要件である本願発明の作用効果が明瞭に記載されていないので、本件出願は、その出願当時発明が完成されていたものでなく、本件補正により、出願当初の明細書の試験結果について新たに数値を示し、これを出願当初の明細書に添加することは、出願当初の明細書の作用効果に関する記載を実質的に変更することになる。それ故、本件補正は、明細書の要旨を変更するものであり、これを却下すべきものとした原決定の理由は、妥当である。
4 審決を取消すべき事由 本願発明がいわゆる単一化合物の用途発明であることは争わないが、出願当初の明細書の記載から、本願発明は完成されたものであることが明らかであるのに、審決が「出願当初の明細書を精査しても、その発明の成立性にとつて不可欠な要件である本願発明の作用効果が明瞭に記載されていないので、本件出願は、その出願当時発明が完成されていたものでない」ことを理由に、本件補正が明細書の要旨を変更するものであると判断したのは誤りであり、審決は違法であるから、取消されねばならない。
(一) 出願当初の明細書には、「発明の詳細な説明」として、次の記載がある。
(1) まず、第三頁第四行、第五行には、「本発明は、置換フエニル誘導体を有効成分とする有害生物防除剤に関する。」と記載され、産業上の有用性が述べられている。
(2) 第三頁第六行ないし第一五頁第一行には、本願発明の化合物について、その製法も含めて、詳細に記載され、特に第六頁第一八行ないし第九頁第一三行には、「特に有利な化合物は……」、「作用の点から有利な化合物は……」として、
多くの合成された化合物の中から試験した結果によつて特定の化合物が選び出され、示されている。
(3) 第一五頁第二行ないし第一六頁第一二行には、本願発明の化合物の有用性が、防除できる虫の科を具体的にあげて説明されている。
(4) 第一六頁第一三行ないし第四七頁第一五行には、本願発明に係る殺虫剤が、他の殺虫剤と組み合わせることによって、特別の環境にも対応でき、その効果も拡大されることが説明されている。
(5) 第四七頁第一六行ないし第五八頁第一七行には、本願発明に係る殺虫剤の配合剤及び組成物について、詳細な説明がされている。当業者は、これによつて、
右殺虫剤がどのようにしてつくられ、どのような組成をもち、どのように使用されるかを具体的に知ることができる。
(6) 第五八頁第一九行ないし第七七頁下から第五行までには、実施例1ないし4として、有効成分及びその製法について、具体的に説明されている。
(7) 第七七頁下から第四行ないし第八〇頁第一四行には、実施例5ないし8として、本願発明に係る殺虫剤をどのように使用し、これがどのような動きをするかが具体的に記載されている。
以上のとおり、本願発明の目的、使用法及び効果は、詳細に出願当初の明細書中に開示されているから、殺虫剤の分野で通常の知識をもつ者は、誰れでも、この発明を容易に実施することができる。この明細書の記載から、本願発明が完成されたものであることは明らかである。また、この完成された発明が産業上有用なものであることも明細書中に明らかにされているから、この発明が産業上利用しうるか否かを改めて確認する必要はない。
(二) 審決は、出願当初の明細書には、昆虫に対する局所作用と接触作用等についての試験例が記載されているが、この試験例における本件化合物を適用した結果については、「良好な作用を示す」「高い効力を示す」と記載されているだけで、
この記載をもつてしては、発明の作用効果は不明瞭であるとする。
(1) しかしながら、右明細書には、実施例5ないし8として、次の試験データが記載されている。
実施例5 「約一〇日後、すなわち、対照幼虫が完全に脱皮して成虫段階になったら直ちに、試験昆虫を調べて正常成虫の数をかぞえた。
実施例1ないし4による化合物は、前記試験A及びBで良好な作用を示した。」実施例6 「デルメステス・ラルダリウスの新しい蛹一〇匹を……局所的に処理した。……約一〇日後、すなわち、対照が成体としてそのまゆを去つたら直ちに、試験昆虫を調べて正常成虫の数をかぞえた。
前記試験で実施例1ないし4による化合物は、良好な作用を示した。
実施例7 「有効成分溶液(濃度5ppm)を含むビーカー中にネツタイシマカの生後2日の幼虫約二〇匹をおいた。……対照昆虫が完全に成虫段階に脱皮したら、昆虫を調べ、対照に存在する正常成虫の数に対する正常成虫の百分率を計算した。
実施例1ないし4による化合物は、前記試験例で高い効力を示した。
実施例8 「アセトンを蒸発させた後、新しく脱皮した蛹一〇匹を処理した表面上においた。……対照が成虫としてそのまゆを去つた後、試験昆虫を調べ、正常成虫の数をかぞえた。
前記試験で実施例1ないし4による化合物は、良好な作用を示した。」 以上の記載から明らかなように、本願発明の発明者は、その化学物質について、
各種の観点から試験を行い、かつ、その具体的方法を開示するとともに、試験後の昆虫の数までかぞえ、その数値に基づき、有効性の判断を、「良好な作用を示した。」、「高い効力を示した。」という言葉で結論づけている。
したがつて、右にいわゆる「良好」とか「高い効力」という言葉は、決して発明者の主観的感覚的に使用されたものでないことが明らかであつて、右に掲げた実施例は、産業別審査基準 産[3]-18-2にいわゆる「殺虫試験データあるいはこれに準ずる事項が記載されている場合」に該当する。
(2) 出願当初の明細書に記載された試験結果は、前述のとおり、当該技術分野における通常の知識を有する者が容易に追試できるような試験方法に従つて実際に試験した結果を評価して、「良好な作用」又は「高い効力」を示したという表現をもつて、記載したものである。
「良好」とか「高い効力」といつた表現は、数値表現がなくても、当業者間においては、当該技術分野における通常水準ないしそれ以上の優れた効果のあつたことを示す表現であることは、誰れもが認識できるところである。
殺虫剤の分野では、標準となるような試験方法はなく、各会社によつてそれぞれ異なつた試験方法をとつており、試験結果の数値も異なつたものとなるから、数値のみを記載すると、その発明が産業上利用できる発明であるかについて誤つた結論を引き出す危険性があり、単に数値データを記載するよりも、発明者のようなその技術分野の専門家のした評価の方が、はるかによく産業上の利用性を示している。
(三) 本願発明は、前述のとおり、出願当初の明細書の記載から発明として完成されていることが明らかであり、本件補正により数値によるデータが後から追加されたとしても、発明の要旨を変更するものに当らない。
発明の未完成は、当業者において反覆実施しうる程度に具体的に当該技術的思想を開示しないで、精神的行為の開示の範囲を出ない場合をいうのであつて、当業者の具体的行為において反覆実施しうる程度に当該技術的思想が開示されているにも拘らず、なおかつ、その実施条件においての開示が不十分の場合とは、区別しなければならない。後者の場合は、発明未完成とすべきではなく、発明の開示不十分の問題として処理されるべきであり、この実施条件の開示不十分の部分に関する資料を後に補充訂正しても、当該発明の要旨を変更したことにはならない。
明細書の要旨は、クレーム中に記載された技術的な構成に係る事項を意味するのであつて、そのような技術的事項を変更した時のみが明細書の要旨を変更するものというべきである。したがつて、既に提示してある試験結果を評価した文章による記載を単に確認するものであるデータの挿入は、クレームの範囲を変更、拡大又は縮小するものではなく、このような補正は、特許法第41条に規定された明細書の要旨を変更しない補正の問題でもないことは明らかである。
被告の答弁及び主張
1 請求の原因1ないし3の事実は認める。
2 同4の審決取消事由の主張は争う。
審決の判断は、次のとおり正当であつて何ら違法の点はない。
(一)(1) いわゆる用途発明とは、物の一属性に基づき、その物をある特定の用途に用いることについての発明であつて、その発明の成立には、その用途について発見的であることと、その確認が明確にされていることが必須である(特許庁における「単一化合物の用途発明」の審査基準においても、@用途としての作用効果がきわめて劣つているために有用性がないと認められる用途についての発明、A化合物の五感で直接認識できる性質から当然予期できる用途についての発明は、いずれも特許法第29条の要件を備えないものとされ、更に、B目的達成のための技術的内容が不明で、着想のみのもの、C用途に関し、その目的が達成されないものは、いずれも発明未完成とされている。)。
本願発明に係る「有害生物防除剤」とは、農薬、食品工業等の各種産業における有害生物を防除するための薬剤を指し、殺滅剤のみでなく、誘引剤、忌避剤、植物生長抑制剤も含まれ、これら殺虫剤等の各用途発明の成立性の判断においては、前記「単一化合物の用途発明」についての考え方がそのまま妥当し、かつ、生体に対するものであるという用途の特殊性があるため、物質の構造等から直接生体への実際の作用を予測することは一般的に困難というほかないから、現実的な適用手段と作用効果の十分な確認がされていない限り、発明が完成されたものとみることはできない。すなわち、その薬剤の適用目的、適用場所、適用手段、適用量、適用剤型等が明確にされ、かつ、適用結果については、原則として、試験成績をもつて明示されなければ、発明をしたということはできない。
(2) 出願当初の明細書には、
使用される特定化合物についての記載(第三頁ないし第一五頁)、有害昆虫の羅列的記載(第一五頁、第一六頁)、一般的な併用殺虫剤、添加剤及び担持物質の例示並びに製剤についての記載(第一六頁ないし第五八頁)、殺虫剤の一般的試験法の記載(生物検定法、第七七頁ないし第八〇頁)は認められるが、本件化合物についての具体的試験結果については何の記載もなく、ただ、「良好な作用を示した。」「高い効力を示した。」との評価の記載があるのみである。これを具体的に説明すると、右明細書の実施例5ないし8に記載の殺虫作用の試験方法は、微量滴下法(実施例5A、同6)、残渣接触法(実施例5B、同8)、薬液継続接触法(実施例7)と呼ばれ、この技術分野で慣用化されているものであり、右試験の際の室温、薬用量等も、殺虫剤のかかる効力検定における通常の範囲を超えるものではない。更に、微量滴下法の検査に当つては、使用された有効成分の濃度すら記載がなく、また、実施例記載の昆虫名は、いわゆる有害な昆虫として当業者によく知られているものである。そのほか、添加剤、担持物質及び製剤についての記載をみても、格別のものはなく、本件化合物に固有とはいえない。結局、出願当初の明細書は、八〇頁に及ぶ長いものであつても、一般的な記載が殆ど全体を占め、本件化合物については、何のデータもなく、前記「良好な作用」等の記載があるだけであるから、これでは、試験結果の確認のしようがなく、例えば、その試験の実際において具体的に何匹の昆虫が死滅したのかさえ客観的に確定することはできない。
したがつて、単に化合物又はその製法の発明ではなく、用途発明であることの明らかな本願発明は、出願当初において未完成であつたというほかなく、審決のこの点に関する判断に誤りはない。
(二) 殺虫剤に関する技術分野、学術分野では、殺虫剤による殺虫試験の試験結果は、適用する物質、昆虫(種類、数、生育の段階)、試験方法及び適用後の昆虫に現われる経時的な変化とそのような変化の発生した個数が明瞭に記載されたときに、殺虫試験の試験結果として必要とされるものが記載されたと認められる。
しかるに、出願当初の明細書に記載された試験結果に相当する記載は、「良好な作用」又はこれに類する主観的な記載であつて、何をもつて良好な作用ありとするか人によつて評価の分れるところであり、また、良好な作用といつても、それが、
例えば、殺虫率一〇〇%を示すのか五〇%を示すのか、はたまた、五%以下なのかは全く不明であり、このような記載をもつてしては、審査基準「有害生物防除剤」の発明の成立要件である殺虫試験データあるいはこれに準ずる事項に該当するものであるということもできない。
(三) 一般に、出願当初の明細書の記載から開示不十分とはいえ発明の存在が明確に認識しうるならば、発明は完成されていたものとして、開示不十分の問題だけが残り、必要な範囲での明細書の補正が許される。これに対し、開示不十分なため明細書の記載から発明の存在が認識できないときは、発明は未完成とされ、この場合、発明の存在を明らかにする補正は、未完成な発明を補正により完成させるものであるから、明細書の要旨を変更するものに当る。
本願発明の出願当初の明細書には、前述のとおり、効果が主観的にのみ記載され、具体的、客観的には不明であり、効果の確認及びその有用性を第三者に示す具体的、客観的なものが何も示されておらず、したがつて、本願発明は作用効果の不明瞭な未完成発明であるから、試験例の数値補充により新たな技術的裏付けを付加し、この発明を完成させる本件補正は、明細書の要旨の変更に当るから、この点に関する審決の判断には誤りがない。
証拠関係(省略)
理 由1 請求の原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。
2 そこで審決取消事由の存否について判断する。
(一) 成立に争いのない甲第二号証によれば、出願当初の明細書に記載された本願発明の特許請求の範囲は、「適当な担持物質及び(又は)添加剤とともに、一般式:<12449-002>〔式中、R1はシクロヘキシル基、シクロヘキシルオキシ基又は次式の基:<12449-003>((R5はC1-C3-アルキル基、ホルミル基又はアセチル基を表す。))又は直接結合を表わし、R7は水素、
ハロゲン、C1-C5-アルコキシ基又はC1-C5-アルキル基を表わす。)を表わし、Zは<12449-004>(R6は水素又はC1-C3-アルキル基を表わす。)を表わし、この<12449-005>部分はフエニル核に結合しており、R2は水素又はC1-C3-アルキル基を表わし、R3は-COOH,(C1-C5-アルコキシ)カルボニル基、(C3-C5-アルケニルオキシ)カルボニル基、(C3-C5-アルキニルオキシ)カルボニル基、シクロヘキシルオキシカルボニル基、フエノキシカルボニル基、(C3-C5-ハロゲンアルケニルオキシ)カルボニル基、シアノ基又はC1-C5-アルキルー、C3-C5アルケニル―もしくはC3-C5-アルキニルモノ置換もしくはジ置換カルバモイル基を表わし、この場合カルバモイル基の置換分はこれが結合している窒素原子とともに五員もしくは六員の飽和ヘテロ環式環を形成し、該環は更に酸素原子、硫黄原子又は別の窒素原子を含んでいてよく、R4は水素、メチル基又はエチル基を表わし、R8はハロゲン、メチル基又はエチル基を表わす。〕の化合物の少なくとも一種を含むことを特徴とする有害生物防除剤」であつて、本願発明は、いわゆる単一化合物の用途発明に該当することが明らかである。
(二) そこで、本願発明がその特許出願当時完成されていたかどうかについて検討すると、成立に争いのない甲第七号証、第一五号証によれば、原告は、本願発明の特許請求の範囲に記載された化合物、すなわち、本件化合物であつて、出願当初の明細書に、実施例1(製造例)として記載(第五八頁第一九行ないし第五九頁第一七行)されている@<12449-006>、実施例4として記載(第六三頁第三行ないし第五行)されているA<12449-007>、実施例1ないし4に記載した化合物と同様の方法で製造したものとして記載(第六六頁、第六七頁、第六九頁、第七五頁)されているB<12449-008>、融点:五五-五六度C、
C<12449-009>D<12449-010>E<12449-011>F<12449-012>、融点六五-六七度C及びG<12449-013>を用いて、本願発明のわが国における特許出願日である一九七三年(昭和四八年)五月一〇日以前(@につき一九七一年九月六日、Aにつき一九七二年六月二日、Bにつき一九七三年四月一四日、Cにつき一九七三年三月一六日、Dにつき一九七二年六月二日、Eにつき一九七一年六月一七日、Fにつき一九七一年五月五日、Gにつき一九七三年四月一八日)に、同明細書に本件化合物が特にその防除に適当であると記載(第一五頁第二行ないし第一六頁第一二行)された昆虫の科に属する昆虫であつて、実施例5A、5Bとして記載(第七七頁下から第四行ないし第七八頁末行)された(a)デイスデルクス・フアシアトウス、実施例7として記載(第七九頁第一一行ないし第八〇頁第一行)された(b)ネツタイシマカ、実施例8として記載(第八〇頁第二行ないし第一四行)された(c)チヤイロコメゴミムシダマシに対する接触作用等の殺虫効果試験を実施したこと、右試験はいずれも出願当初の明細書に記載された実施例5B、7及び8の方法に対応するものであること、右試験の結果、「正常な成虫なし」を5と評価し、「正常な発育」を1と評価した場合、@の(c)及びBの(a)に対する接触作用の評価が4であつたほか、すべて評価5の成績を得たことが認められる。
したがつて、出願当初の明細書中の実施例5A、5Bデイスデルクス・フアシアトウスの幼虫に対する局所作用、接触作用について、「実施例1ないし4による化合物は、前記試験A及びBで良好な作用を示した。」(第七八頁第一九行、第二〇行)実施例7のネツタイシマカの幼虫に対する接触作用について、「実施例1ないし4による化合物は、前記試験で高い効力を示した。」(第七九頁末行、第八〇頁第一行)、実施例8のチヤイロコメゴミムシダマシの蛹に対する接触作用について、「前記試験で実施例1ないし4による化合物は、良好な作用を示した。」(第八〇頁第一三行、第一四行)との各記載は、本件化合物のうち少なくも前記@及び(2)については、具体的、客観的な試験データに基づいてこれらの昆虫の防除に有効であることを記載したものと認められ、これをもつて効果が主観的にのみ記載されているということはできない。
そして、右の事実から、実施例5A、5B、7、8に記載された前記効果に関する部分は、前記@及びAと化学構造上主要骨格において類似の化合物である実施例1ないし4記載の他の本件化合物いずれについても、同様に具体的客観的にこれらの昆虫の防除に有効であることを記載したものと推認することができ、このことは、出願当初の明細書に実施例1ないし4に記載した化合物と同様の方法で製造したものとして記載されている前記化合物BないしGについて本願発明の特許出願日前に行われた殺虫試験データからも裏付けられる。
そうであれば、以上認定の事実関係のもとにおいては、出願当初の明細書に有害生物防除剤として用途を特定し、その用途に有用な具体的化合物名及び防除の対象となる有害昆虫名、右昆虫に対する作用効果を記載してされた本願発明は、出願当初の明細書に具体的に記載された化合物に関する限り、その技術的思想は出願時において完成されたものであり、作用効果の記載において試験例の結果が数値をもつて明らかにされていない点で開示が十分といえない点が存するけれども、それをもつて出願時に発明未完成であるとすることはできない。
(三) 被告は、出願当初の明細書の記載によつては、効果の確認及びその有用性を第三者に示す具体的客観的なものが何も示されていないから、発明は未完成である旨主張する。
しかしながら、成立に争いのない甲第三一号証(【A】作成の鑑定書)によれば、当該技術分野において通常の知識を有する者は、右明細書の実施例5ないし8の記載により、実施例1ないし4に示された本件化合物は昆虫の変態を阻害する作用を有するものであり、「良好な作用を示した」「高い効力を示した」との記載は、発明者において予め定めた評価基準にあてはめて顕著な効果を示したことを意味すると理解できるものと認められる。
成立に争いのない乙第四七号証(【B】作成の鑑定書)には、日本応用動物昆虫学会誌その他の学術雑誌掲載の論文では、殺虫試験の結果発表に際し、客観的に事実を記述するのが原則であつて、数字を使つて表わすのがよいとされており、「良好な作用を示した」とか「高い効力を示した」といつた記述は、化合物の殺虫効力の正当な評価を得るに足りない旨、また、実施例5、6、8における対照との比較の仕方は明確でなく、何に比べて「良好な作用」であり、何に比べて「高い効力」を示したのか不明である旨の記載が存するが、特許制度は発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与することを目的とするものであるから、学術上の研究論文における試験結果の発表に際し望ましいとされる基準に適合しない記載があり、また、効力の記載として十分でない点が存するとしても、これが本願発明の特許出願前にした客観的具体的試験データに基づいてされた記載であることが認められるものであれば、これをもつて発明が未完成であるとすることはできない。
(四) 以上により、「出願当初の明細書を精査しても、その発明の成立性にとつて不可欠な要件である本願発明の作用効果が明瞭に記載されていないので、本件出願は、その出願当時発明が完成されていたものでない。」とした審決の判断は誤りであり、この誤つた判断を前提に、本件補正をもつて明細書の要旨の変更に当るとした審決は、違法であり、これが審決の結論に影響することが明らかであるから、
取消さなければならない。
3 よつて、本件審決の取消を求める原告の本訴請求は、理由があるから、正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の各規定を適用し、主文のとおり判決する。
裁判官 荒木秀一
裁判官 竹田稔
裁判官 水野武