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事件 平成 5年 (ネ) 4469号
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裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 1994/07/20
権利種別 特許権
訴訟類型 民事訴訟
主文 原判決を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じて被控訴人の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた判決
一 控訴人主文同旨二 被控訴人本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
当事者の主張
一 請求の原因1 訴外エス・アール・デー株式会社(以下「訴外会社」という。)は、電子、電気機器の製造、販売等を目的とする会社であり、控訴人は、昭和五八年当時、同社の技術部長であった。
2 訴外会社は、昭和五五年ころから、電子機器の信号復調装置の開発を企画し、
これを控訴人を総括責任者とする同社の技術部に担当させていたところ、昭和五八年初めころ、信号復調装置の発明が完成した(以下「本件発明」という。)。
3 本件発明は、訴外会社における職務発明であるところ、昭和五八年ころ、訴外会社と控訴人との間で、本件発明について米国特許庁に特許の出願をするに際して、控訴人が本件発明について米国特許庁に特許の出願をしてその特許権を取得し登録したら、これを訴外会社に譲渡し特許権者名を訴外会社に登録手続をする旨の黙示の合意をした。
右合意の存在を裏づける事実及び訴外会社が控訴人個人の名義で特許申請した事情は、以下に述べるとおりである。
(一)昭和五八年当時、訴外会社においては、会社と役員・従業員との間で、役員・従業員の担当した職務発明につき、特許を受ける権利若しくは特許出願権を当然に各発明完成時に会社に譲渡する旨の黙示の合意があった。
(二)訴外会社は会社名義で特許の出願準備を進めていたが、会社名義で特許申請することには、次のような問題点があった。
すなわち、訴外会社は、本件特許申請前の昭和五八年ころ、本件発明を使用した磁気カードリーダを開発し、米国で順調に売上を伸ばしていたが、訴外会社の商品が他社の特許を侵害しているとの抗議を受けたことから、訴外会社名義で本件発明の出願をすると、訴外会社の出願をライバル会社に知られ、妨害を受ける危険性があり、また、訴外会社が本件発明を用いた商品を販売し始めてから既に一年以上も経過していたことから、「公知のもの」として米国特許庁から特許として認められないことも十分考えられた。
(三)そこで、訴外会社は、会社名より個人名によって出願し特許権を取得した方が得策であると判断し、控訴人個人の名義で特許申請する旨決定し、このとき、控訴人が本件発明について米国特許庁に特許の出願をしてその特許権を取得し登録したら、これを訴外会社に譲渡し特許権者名を訴外会社と変更する登録手続をする旨の黙示の合意をした。
(四)本件特許出願費用二五万円は訴外会社が全額負担した。
(五)訴外会社は、本件発明につき、同社名義で、昭和五八年七月一日、我が国の特許庁に特許の出願をし、さらに、昭和六〇年六月二四日イギリス、同月二六日西ドイツにおいてそれぞれ特許の出願手続を完了し、費用も同社が負担したが、控訴人は、これらについて何らの異議をも述べていない。
4 控訴人は、昭和五八年六月二二日、本件発明について米国特許庁に特許の出願をし、昭和六〇年九月一〇日、控訴人名義で別紙特許権目録記載の特許権(以下「本件特許権」という。)の登録がされた。
5 訴外会社は、昭和六一年九月ころ、日立化成株式会社に対し、本件特許に関する権利等を含めて営業譲渡し、さらに、同社から、同社の出資により設立された被控訴人に対し、これが譲渡された。
6 被控訴人は、控訴人から右特許権譲渡による登録手続を受けられないことによって、昭和六一年一一月二七日以降少なくとも年五〇万円の損害を被っている。
7 よって、被控訴人は、控訴人に対し、本件特許権につき、米国特許庁に対し、
被控訴人への譲渡の登録手続を求めるとともに、昭和六一年一一月二七日以降前項の給付を完了するまで年五〇万円の割合による損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否1 請求の原因1、2は認める。
2 同3は否認する。
本件発明は、もともと控訴人個人が発明したもであり、米国に特許出願したのは、他国と比べて最も権利化の可能性が高かったからであり、控訴人が個人出願することは、訴外会社の当時の社長も了解していた。
(一)被控訴人主張の、訴外会社における会社と役員・従業員間の特許権譲渡の黙示の合意などは存在しない。
(二)被控訴人は、訴外会社名義で本件発明の出願をすると、訴外会社の出願をライバル会社に知られ、妨害を受ける危険性があったと主張するが、米国の特許制度は非公開制度がとられており、特許成立まで特許内容は他社に知られることはない。他方、日本の特許制度は公開制度がとられており、出願後一年六月を経過すると特許内容が一般公開され、他社に出願内容が知られてしまうのである。現に、米国特許成立の八か月前に出願公開されていることからしても、被控訴人の右主張には矛盾がある。
(三)被控訴人主張の訴外会社と控訴人との間の本件特許権譲渡の黙示の合意などは存在しない。
(四)訴外会社が出願費用を負担したことは認めるが、出願費用については、控訴人は、昭和五八年六月初めころは海外勤務に出発する直前で、手もとに用意ができなかったので、訴外会社に右費用の立替えを依頼したものである。なお、本件特許の更新にあたっては、控訴人が更新費用を負担している。
(五)日本、イギリス及び西ドイツへの出願に関する被控訴人主張の事実は認めるが、本件発明の日本出願については、控訴人が米国に出国した直後のことであり、
本訴に至るまで出願の事実は知らなかった。なお、控訴人は、イギリス及び西ドイツへの出願については特に異議を述べなかったが、それは右両国への出願の意思が全くなかったからである。
3 同4は認める。
4 同5、6は不知。
5 同7は争う。
証拠(省略)
理 由一 請求の原因1、2、4の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、被控訴人主張の本件特許権の譲受け及び登録名義変更の合意の有無について判断する。
1 証人【A】の証言により真正に作成されたものと認められる甲第一五号証(同人作成の陳述書)及び同証言、証人【B】の証言により真正に作成されたものと認められる甲第一六号証(同人作成の陳述書)及び同証言によれば、本件発明の行われた昭和五八年当時、訴外会社においては、職務発明に関する明文の契約、勤務規則その他の定めはなかったこと、当時の訴外会社の代表取締役【A】及び取締役企画部長【B】は、職務発明について、特許を受ける権利は当然使用者である会社が有するものであると認識し、会社が特許を受ける権利を得た場合、これに対し相当の対価を支払うことなどを全く意識していなかったことが認められ、【A】は、このような認識のもとに、その陳述書(甲第一五号証)中に、「役員・従業員が会社で、勤務時間内に行なった開発・発明である以上、特許を受ける権利または特許出願権を会社が有するのは当然だというような事実上の合意はありました。」との記載をしたものと認められる。
しかし、特許法は、職務発明について、特許を受ける権利発明者である従業者等に当然帰属するものとして、従業者等の権利を確保しながら、一方において、使用者等の職務発明成立についての寄与を考慮して、職務発明について従業者等及びその承継人が特許を受けたとき、使用者等は、その特許発明について通常実施権を有する旨を定めて(同法35条1項)、両者の利害を調整するとともに、これを超えて、従業者等が、契約、勤務規則その他の定めにより、職務発明について使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させ、又は使用者等のため専用実施権を設定したとき、従業者等は相当の対価の支払を受ける権利を有する旨を定めて(同条三項)、従業者等の保護を図っているのであるから、この法条の趣旨に鑑みれば、従業者等の明示の意思が表示されている場合あるいは黙示の意思を推認できる明白な事情が認定できる場合は別として、そうでない場合に、特許を受ける権利又は特許権を会社に帰属させる結果を招来させることが従業者等の合理的意思に合致すると軽々に推認することはできず、特に使用者等の側において職務発明は無償かつ当然に会社に帰属するものであるとの意思が明白な場合にまで、黙示の合意の成立を認めることはできないものというべきである。
2 そこで、本件において、被控訴人主張の黙示の合意を推認できる明白な事情が存在するかについて検討する。
(一)前掲各陳述書(甲第一五、一六号証)及び各証言中には、本件発明について控訴人名義で出願した理由につき被控訴人の主張に沿う記載及び供述があるが、弁論の全趣旨により原本の存在及び成立の認められる甲第一号証によれば、訴外会社は、本件発明の米国特許出願の直後である昭和五八年七月一日に我が国の特許庁に特許出願しているのであって、この出願内容は、非公開制度がとられている米国特許制度のもとでの出願と異なり、我が国の出願公開制度のもとでは、遅くとも出願の日から一年六か月を経過すると一般公開され(特許法65条の2)、他社に出願内容が知られてしまうことになり、現に、本件発明についても、弁論の全趣旨から成立の認められる甲第一〇号証の一によれば、我が国において米国特許成立の約八か月前に特許出願内容が公開されていることが認められることからすると、訴外会社の名義で本件発明を出願すると、ライバル会社に知られ、妨害を受ける危険性があったので個人出願としたとの被控訴人の主張には、必ずしも合理性がない。
また、甲第一六号証及び証人【B】の証言中には、訴外会社は、磯野特許事務所に対し、本件発明については、当初、会社名義で米国特許を申請するよう依頼したが、右事情等により、急きょ会社名義から控訴人個人名義で出願するよう切り換えたこと、その切り換えた時期は、控訴人が米国に出国した後であることの記載及び供述がある。
しかし、証人【C】の証言によれば、控訴人が米国に出国する以前から既に控訴人個人名義で米国特許の出願をすることが訴外会社から磯野特許事務所に伝えられており、また、控訴人が特許明細書の原案を作成し、磯野特許事務所でこれを翻訳する等実質的な出願手続の準備は控訴人及び磯野特許事務所の【C】が行ったが、
申請書を提出する際には控訴人は米国に出国していたこと、特許申請手続後、米国特許庁に対し、補正及び意見を提出すべく検討したのも控訴人であることが認められるので、会社名義から控訴人個人名義で出願するよう切り換えた時期は、控訴人が米国に出国した後であるとの前記記載及び供述は信用できないし、訴外会社の都合上、単に控訴人個人の名義を借りただけであるとの主張も、たやすく肯定しがたいところである。
(二)本件特許出願費用二五万円を訴外会社が全額負担したとの点については当事者間に争いがなく、前掲甲第一五号証及び証人【A】の証言によれば、訴外会社が右出願費用を負担したのは、職務発明は無償かつ当然に会社に帰属するとの前示認識のもとに、将来自己に帰属すべき特許権獲得の経費の支出として、これをしたものであることが認められる。
しかし、このような前記特許法の定める職務発明の規定の趣旨を誤解した認識のもとに出願費用を立替えたとしても、これをもって、職務発明に係る特許権の譲渡の合意の成立を推認すべき合理的な事情とすることはできない。
他方、成立に争いがない乙第五、第六号証の各一、二、控訴人本人尋問の結果によれば、本件特許の設定登録を受けた後、控訴人が、本件特許権の更新料(手続手数料等を含む。)名目で四年ごとの特許維持料を平成元年と平成四年の二回にわたり七万一二七五円及び一七万一六二〇円を支払って、本件特許権の存続についての出捐をしていることが認められるのに対し、本件特許権を承継取得したと主張する日立化成株式会社及び被控訴人が本件特許権の存続についての出捐に意を用いたことは、本件全証拠によってもこれを認めることができず、これによってみれば、日立化成株式会社及び被控訴人は、本件特許権の実質的な権利者として当然に負担すべき出捐をしておらず、また、これを負担する意思もなかったというべきであり、
このことは、右両者が本件特許権の実質的な権利者としての意識を有していたかを疑わしめる事情というべく、ひいては、被控訴人主張の黙示の合意を認めることを妨げる事情というべきである。
(三)本件発明につき、訴外会社が同社名義で、昭和五八年七月一日に我が国特許庁に特許の出願をし、さらに、昭和六〇年六月二四日にイギリス、同月二六日に西ドイツにおいてそれぞれ特許の出願手続をし、これに要する費用も同社が負担したこと、後二者の出願について、控訴人は特に異議を述べていないことは、当事者間に争いがない。
しかし、控訴人作成の陳述書(乙第一六号証)及び控訴人本人尋問の結果中には、本件発明につき訴外会社名義で我が国の特許庁に特許出願がされたことは、控訴人が米国に出国直後のことで知らされていなかったとの記載及び供述があり、その時間的近接関係からみて、右記載及び供述の内容はあながち不合理とはいえず、
また、訴外会社のイギリス及び西ドイツにおける特許出願について、控訴人は、右陳述書において、この両国において本件発明につき特許出願をする意思はなかったので、訴外会社からの要求を了承した旨述べており、その出願時期は、被控訴人が主張する黙示の合意成立の時期より約二年後であって、特許出願は各国ごとに独立して行われるものであることを考慮すれば、これらの特許出願に係る事実をもって、黙示の合意を推認できる明白な事情ということはできない。
3 以上の事実関係に照らせば、前記被控訴人の主張に沿うかのような各証拠によっては、未だ被控訴人主張の黙示の合意を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
三 そうすると、被控訴人の本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく失当であるから、棄却すべきである。
よって、右と結論を異にする原判決を取り消し、被控訴人の本訴請求を棄却し、
訴訟費用の負担につき民事訴訟法89条96条を適用して、主文のとおり判決する。
裁判官 牧野利秋
裁判官 山下和明
裁判官 芝田俊文