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審判番号(事件番号) データベース 権利
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平成8ワ11205 判例 特許
平成8ワ7430 判例 特許
平成14ワ6205特許権侵害差止請求事件 判例 特許
平成16ワ8682損害賠償請求事件 判例 特許
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事件 平成 1年 (ワ) 7961号
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裁判所 大阪地方裁判所
判決言渡日 1994/10/27
権利種別 特許権
訴訟類型 民事訴訟
主文 一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
三 原告のために、本判決の控訴期間の付加期間を三〇日と定める。
事実及び理由
請求の趣旨
一 被告は、別紙目録一記載の形質転換されているチャイニーズハムスター卵巣細胞を用いて組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を製造してはならない。
二 被告は、別紙目録二記載の組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を製造し、販売し、販売のために宣伝、広告してはならない。
三 被告は、別紙目録三記載の方法を用いて同目録記載の組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を製造し、販売し、販売のために宣伝、広告してはならない。
四 被告は、別紙目録四記載の粉末状注射用製剤を製造し、販売し、販売のために宣伝、広告してはならない。
五 被告は、その所有する別紙目録一記載の形質転換されているチャイニーズハムスター卵巣細胞、同目録二記載の組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子及び同目録四記載の粉末状注射用製剤を廃棄せよ。
事案の概要
一 原告の権利1 A特許権 原告は、次の特許権(「A特許権」といい、各発明を一括して「A発明」という。)を有する(争いがない)。
(一) 発明の名称 組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子(二) 出願日 昭和五八年五月六日(特願昭五八―七九二〇五)(三) 優先権主張(1) 一九八二年(昭和五七年) 五月五日米国特許出願第三七四八六〇号(2) 一九八二年(昭和五七年)七月一四日米国特許出願第三九八〇〇三号(3) 一九八三年(昭和五八年) 四月七日 米国特許出願第四八三〇五二号の各アメリカ合衆国特許出願(以下、順次「米国第一出願」、「米国第二出願」、
「米国第三出願」という。)に基づく優先権主張(以下、順次「第一優先権」、
「第二優先権」、「第三優先権」という。)(四) 出願公告日 昭和六二年四月一五日(特公昭六二―一六九三一)(五) 登録日 平成三年一月三一日(六) 特許番号 第一五九九〇八二号(七) 特許請求の範囲(以下「A特許請求の範囲」という。)「1 ヒト細胞以外の宿主細胞が産生する、以下の特性:1) プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する2) フィブリン結合能を有する3) ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す4) クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する5) 一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得るを有する、ヒト由来の他のタンパクを含有しない組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子であって、以下の部分的アミノ酸配列を含んでいる活性化因子: 別紙目録六記載の部分的アミノ酸配列(69〜527番)。
2 ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNAで形質転換されたヒト細胞以外の宿主細胞を、該DNAの発現可能な条件下で培養して、以下の特性:1) プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する2) フィブリン結合能を有する3) ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す4) クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する5) 一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得るを有し、以下の部分的アミノ酸配列: 別紙目録六記載の部分的アミノ酸配列(69〜527番)を含んでいる組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を産生させ、次いで該組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を回収することを特徴とする、ヒト由来の他のタンパクを含有しない組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の製造方法
3 ヒト細胞以外の宿主細胞が産生する、以下の特性:1) プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する2) フィブリン結合能を有する3) ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す4) クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する5) 一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得るを有し、以下の部分的アミノ酸配列: 別紙目録六記載の部分的アミノ酸配列(69〜527番)を含み、ヒト由来の他のタンパクを含有しない組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の治療上有効量を、薬剤上許容し得るキャリヤーと混合して含有する血栓症治療剤。」2 B発明 原告は、次の特許出願に係る発明(「B発明」といい、「A発明」と「B発明」をまとめて「本件発明」という。)について特許法(平成五年法律第二六号による改正前のもの、以下同じ)52条1項100条の仮保護の権利を有する(争いがない)。
(一) 発明の名称 ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNAを発現し得る組換え発現ベクターで形質転換された宿主細胞(二) 出願日 昭和五八年五月六日(特願昭五八―七九二〇五の分割出願)(三) 優先権主張(1) 一九八二年(昭和五七年) 五月五日米国特許出願第三七四八六〇号(2) 一九八二年(昭和五七年)七月一四日米国特許出願第三九八〇〇三号(3) 一九八三年(昭和五八年) 四月七日米国特許出願第四八三〇五二号の各アメリカ合衆国特許出願(以下、前示のとおり順次「米国第一出願」、「米国第二出願」、「米国第三出願」という。)に基づく優先権主張(以下、前示のとおり順次「第一優先権」、「第二優先権」、「第三優先権」という。)(四) 出願公告日 平成元年七月二〇日(特公平一―三四五九六)(五) 特許請求の範囲(以下「B特許請求の範囲」という。)「形質転換された細菌、酵母または哺乳動物細胞中に於いて、下記のアミノ酸配列1〜527を有するヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNAを発現し得る組換え発現ベクターで形質転換された細菌、酵母または哺乳動物細胞: 別紙目録六記載のアミノ酸配列(1〜527番)。」二 本件発明の明細書の記載内容1 A発明の明細書 A発明について特許をすべき旨の査定があった時点の明細書(以下「A特許明細書」という。)及び図面の記載内容は、特許出願公告公報(甲第一号証、以下「公報(1)」という。)に掲載の明細書及び図面の記載内容に、昭和六三年一二月一五日付手続補正書(甲第二号証、特許異議答弁書提出時)及び平成二年七月五日付手続補正書(甲第一五号証、拒絶査定不服審判請求時)による補正がされたものである。補正箇所は、発明の名称「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」が「組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」と補正されているほか、別紙特許公報訂正箇所指摘書の直線で四角に囲った箇所であり、補正の内容は同書の「訂正後」欄に記載のとおりであり、補正後のA特許明細書の第5A〜C図は、別紙目録六記載のとおりである。
(以上につき甲第一、第二、第一四、第一五、第一九号証)2 B発明の明細書 B発明について特許出願公告をすべき旨の査定があった時点の明細書及び図面の記載内容は、特許出願公告公報(甲第六号証、以下「公報(2)」という。)に記載のとおりである。
三 本件発明の概要1 A発明(一) A特許請求の範囲第一項の発明(以下「第一発明」という。)は、「組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」という物の発明であり、第二頃の発明(以下「第二発明」という。)は、組換DNA技術を用いて「組織ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」を製造する方法の発明であり、第三項の発明(以下「第三発明」という。)は、「組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」を有効成分とする血栓症治療剤という医薬の発明である。
「組換」とは、組換DNA技術を用いて得られるということであり、「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」とは、ヒト(人)の持っている組織プラスミノーゲン活性化因子の遺伝子に由来する組織プラスミノーゲン活性化因子であるということであるから、結局、A発明は、組換DNA技術を用いて得られるヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に関する三つの発明から成る。
(二) 組換DNA技術とは、例えば、ヒト細胞の持っているインシュリンやインターフェロンなどの有用物質を効率的に人体外で量産する場合に応用される技術であって、遺伝子組換技術ともいい、有用物質生産のための遺伝情報(DNA断片)を組み込んだ発現ベクターを大腸菌や酵母等の宿主細胞に導入して形質転換し、形質転換宿主細胞を培養して有用物質を発現させ、かくして生産された有用物質を培養倍地及び宿主細胞から分離回収する技術である(公報(1)5欄6〜17行、乙第七六号証、弁論の全趣旨)。
(三) ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子は、「ヒトtPA」又は「t―PA」と略称されるが、これはTissue Plasminogen Activatorの略語であり、ヒトの血液中において、プラスミンの前駆体たるプラスミノーゲンに働きかけてプラスミンに変換し、このプラスミンが血栓(血管内で線維素〔フィブリン〕という難溶性の蛋白質が集まって不溶性の線維素網を作ることによって生じる凝血塊)を形成している線維素を溶解して、線維素網を除去することによって血栓症を治癒させるという機能(線維素溶解能)を有するプラスミノーゲン活性化因子の一種である(公報(1)3欄3行〜4欄18行、乙第七八号証、弁論の全趣旨)。
(四) t―PAは、蛋白質の一種である。蛋白質は二〇種類のα―アミノ酸(アミノ基〔NH2〕とカルボキシル基〔COOH〕が同一炭素原子〔C〕に結合していることを共通の構造とするアミノ酸)から構成されている。蛋白質は、α―アミノ酸がペプチド結合(NH―CO)によって長く鎖状につながった構造であり、蛋白質を構成している各アミノ酸部分をアミノ酸残基と呼ぶ。二〇種類のα―アミノ酸は、それぞれ、三文字記号又は一文字記号の略字(例えばアラニンの場合は「Ala」、「A」)を用いて表示される。どのような順序で、どのようなアミノ酸残基がどれ程結合してるか(蛋白質の一次構造)は、各蛋白質ごとに異なるが、蛋白質のアミノ酸配列は、通常、アミノ末端(ペプチド結合せずにアミノ基が残っている端で、「N末端」又は「5´末端」と略称される)から始まり、カルボキシル末端(ペプチド結合せずにカルボキシル基が残っている端で、「C末端」又は「3´末端」と略称される)で終わる順序で示され、アミノ酸残基には順次番号が付される。
A特許明細書の第5A〜C図(別紙目録六)には、全長t―PAのcDNAのヌクレオチド(塩基―糖―リン酸と結び付いた単位。核酸の構成単位)の配列が、塩基の記号(シトシンが「C」、チミンが「T」、アデニンが「A」、グアニンが「G」)を用いて示されるとともに、上記ヌクレオチド配列(塩基配列)から推定される産生物のアミノ酸配列が三文字記号を用いて示されている。そして、各アミノ酸残基の三文字記号の下には、それに対応する遺伝情報であるt―PAのDNAを構成する各コドン(三つの塩基の組合せから成る遺伝暗号の一単位)が示されており、その中に、N末端がセリン(SER)で始まりC末端がプロリン(PRO)で終わる五二七個のアミノ酸残基から成る完全なt―PAに対応するヌクレオチド配列及びそれから推定されるそのアミノ酸配列(以下「本件全長アミノ酸配列」という。)が示されている。また、A特許明細書第12図には、本件全長アミノ酸配列から成る全長t―PAの構造概略図が、一文字記号を用いて示されている。したがって、A特許請求の範囲各項に共通の「以下の部分的アミノ酸配列を含んでいる」とは、別紙目録六記載のアミノ酸配列のうち、六九番のセリンから五二七番のプロリンまでの「部分的アミノ酸配列」を含んでいるということである。
(以上につき公報(1)7欄35〜38行、21欄20行〜22欄33行、37欄13行〜38欄16行、54欄1〜12行、60欄8〜10行、第4図、第12図、乙第七七号証、弁論の全趣旨)(五) A特許請求の範囲各項に共通の五つの「特性」(1) 「プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する」(以下「特性@」という。) 特性@は、血液中のプラスミノーゲンがプラスミンに変換することを促進することによって、プラスミンが、血栓を形成している線維素を溶解するのを増強する生理活性、すなわち生体内の化学変化を円滑にするための触媒作用を行う能力(触媒能)を有することを意味する(乙第二八、第七八号証、弁論の全趣旨)。
(2) 「フィブリン結合能を有する」(以下「特性A」という。) 血栓の生じている部位(フィブリン〔線維素〕が沈積している箇所)においては高濃度で、それ以外の箇所では低濃度であるという生理活性、すなわちフィブリンに対し高度の親和性(結合能)を有することが、特性Aである(乙第二八号証、弁論の全趣旨)。
(3) 「ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す」(以下「特性B」という。) ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞が産生したt―PA(天然t―PA)をヒト以外の動物に加えると、異物として侵入した天然t―PAを排除しようとして、
生体内に天然t―PAに特異的に結合する抗体が生じる。特性Bは、このような抗体に対して抗原として作用する(特異的に反応を起こす)性質、すなわち天然t―PAと同様の生理活性を有するということである(弁論の全趣旨)。
(4) 「クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する」(以下「特性C」という。) クリングル領域は、別紙目録六の第5A〜C図記載の九二番のシステイン(CYS)から一七三番のシステイン(CYS)までと、一八〇番のシステイン(CYS)から二六一番のシステイン(CYS)までの各八二個のアミノ酸配列から形成され、t―PAがフィブリンと結合する作用に関与する領域である。
セリンプロテアーゼ領域は、同図記載の二七六番のイソロイシン(ILE)から五二七番のプロリン(PRO)までの二五二個のアミノ酸配列から形成され、t―PAがプラスミノーゲンをプラスミンに変換する作用に関与する領域である。
特性Cは、このクリングル領域とセリンプロテアーゼ領域を含んでいるということである。
(以上につき公報(1)8欄7〜11行、9欄12〜18行、53欄42〜44行、54欄13〜38行、第12図、弁論の全趣旨)。
(5) 「一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得る」(以下「特性D」という。) アミノ酸が長く鎖状につながったt―PAの構造(一本鎖)が、環境の条件如何によっては、別紙目録六の第5A〜C図記載の二七五番のアルギニン(ARG)と二七六番のイソロイシン(ILE)との間(公報(1)第12図に矢印で示された箇所)の結合が酵素の作用によって切れて二本鎖に分かれることがある(但し、同図に記載されているように二本鎖に分解開裂してもジスルフィド〔S―S〕結合〔同図記載のCとCの間、すなわちシステインとシステインとの間に太線で示された箇所〕による架橋により両方の鎖は結合しているから、二つの分子に分かれるわけではない。)。したがって、特性Dは、A発明のt―PAには、一本鎖構造又は二本鎖構造の二つの存在形態があることを意味する(公報(1)8欄44行〜9欄12行、54欄1〜12行、第12図、弁論の全趣旨)(六) 「ヒト細胞以外の宿主細胞が産生する」(以下「条件@」という。) これは、第一発明のt―PAの産生に使用する宿主細胞はヒト以外の生物の細胞に限ることを意味する(弁論の全趣旨)。
(七) 「ヒト由来の他のタンパクを含有しない組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」(以下「条件A」という。) これは、組換DNA技術で製造(産生)したt―PAであることを意味するとともに、DNA組換工程において、t―PAの産生に関与するヒトの遺伝情報たるDNA断片を使用するのみで、宿主細胞はもちろんその余の工程においても、ヒト細胞以外の細胞・遺伝子を用いて産生されたt―PAであるがゆえに、ヒト由来の他のタンパクを含まないことを意味する(弁論の全趣旨)。
(八) A特許請求の範囲第2項の「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNAで形質転換されたヒト細胞以外の宿主細胞を、該DNAの発現可能な条件下で培養して、……次いで該組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を回収することを特徴とする、」 これは、条件@と同じ意味、すなわち組換DNA技術により、t―PAの遺伝情報を持っているヒトt―PAのDNAを導入して形質転換されたヒト以外の宿主細胞を用いて第一発明のt―PAを産生するために必要な基本的な製造工程を明記したものである(乙第七六号証、弁論の全趣旨)。
2 B発明(一) B発明は、「形質転換された細菌、酵母または哺乳動物細胞」という物の発明であり、A特許請求の範囲第2項の方法に用いられる宿主細胞に相当するが、
ヒト細胞を包含する点で、A特許請求の範囲第2項記載の方法に用いられる宿主細胞よりも範囲が広い。
(二) 「細胞」は、電子顕微鏡による細胞の構造に関する知見に基づき核を持たない「原核細胞」(細菌等)と、細胞内に核膜で隔てられた核を持つ真核細胞とに分れる。「形質転換された細胞」とは、培養されている細胞の外からDNAを導入した結果、その細胞が新しい形質を表現するようになり、その性質が子孫に受け継がれるようになったものをいう。(公報(2)15欄2〜9行、16欄5〜9行、
乙第七六号証、弁論の全趣旨)(三) B発明の「形質転換された細胞」は、「組換え発現ベクター」で「形質転換された細胞」である。「発現ベクター」とは、細胞内で特定の外来遺伝子を発現させようとする場合に用いられるベクターであり、発現ベクターは、発現させようとする蛋白質をコードしている塩基配列の他、転写の開始を指令する塩基配列や転写の終了を指令する塩基配列などの遺伝情報を有しており、B発明ではこれを「組換え発現ベクター」と称している(公報(2)14欄8〜23行、弁論の全趣旨)。
(四) 発現ベクターで形質転換されたB発明の形質転換細胞は、「下記アミノ酸配列1〜527を有するヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNAを発現し得る」発現ベクターを有している。すなわち、その発現ベクターは、
そのDNA中にt―PAのアミノ酸配列に対応する塩基配列と、その転写に必要な塩基配列とを有している。
したがって、B発明の「組換え発現ベクターで形質転換された細胞」は、これを適当な条件で培養したとき、t―PAをコードしているDNAの転写、翻訳によってt―PAを産生する。
(以上につき公報(2)21欄36行〜22欄5行、弁論の全趣旨)四 被告の行為1 被告は、英国法人ザ・ウェルカム・ファウンデイション・リミテッド(以下「ウェルカム社」という。)から組換DNA技術の導入を受け、業として別紙目録一記載の細胞(以下「イ号細胞」という。)を培地で培養して同目録三記載の方法(以下「イ号方法」という。)を用いて同目録二記載の組換組織プラスミノーゲン活性化因子(以下「イ号物件」という。)を製造し、これを販売すること及び同目録四記載の血栓症治療用製剤である粉末状注射用製剤(以下「イ号製剤」という。)を製造、販売することを企図して、住友化学工業株式会社の愛媛工場内に動物細胞大量培養タンクを建設し、組換DNA技術を利用するにあたって医薬品等の品質及び製造上の安全性を確保するために厚生省の定めた指針に基づいて、製造に利用する設備、装置及びその運営管理方法等(製造計画)が該指針に適合していることの確認を厚生大臣に申請し、右申請を審議した厚生省中央薬事審議会は、厚生大臣に対して、右確認申請に係る製造計画が右指針に適合する旨の答申を行った。
被告が右製造計画において、製造に利用しようとする設備及び装置は右動物細胞大量培養タンクである。(争いがない)2 被告は、イ号製剤について次の特許権を有している(乙第一一七号証の1・2)(一) 発明の名称 非経口溶液製剤(二) 出願日 昭和六一年五月二七日(特願昭六一―一二二〇五〇)(三) 優先権主張(1) 一九八五年(昭和六〇年)五月二八日イギリス国特許出願第八五一三三五八号(2) 一九八五年(昭和六〇年)八月三一日イギリス国特許出願第八五二一七〇四号(四) 出願公告日 昭和六三年七月二九日(特公昭六三―三八三二七)(五) 登録日 平成二年一二月二七日(六) 特許番号 第一五九四七二四号3 被告は、薬事法に基づき厚生大臣にイ号製剤の製造承認を申請し、平成五年七月二日付で製造承認を受け、イ号製剤は同日薬事法49条1項の要指示医薬品に指定され、被告は、イ号製剤を「ソルクロット」との商品名で販売するとの宣伝広告をするなどしてその販売体制を整えている(甲第八八号証、弁論の全趣旨)。
五 本件発明のt―PA(以下、特に断らない限り「本件発明のt―PA」とはA発明及びB発明のt―PAをいう。)のアミノ酸配列とイ号物件のアミノ酸配列の対比 イ号物件のアミノ酸配列は、別紙目録五に記載のとおりであり、N末端から二四五番目の部位のアミノ酸残基がメチオニン残基である点において、その部位のアミノ酸残基がバリン残基である本件発明のt―PAのアミノ酸配列と相違しており、
イ号物件は本件発明におけるアミノ酸配列をそっくりそのままは含んでいない(争いがない)。
六 原告の請求の概要 イ号物件、イ号方法及びイ号製剤はA発明の技術的範囲に属すること、及び、イ号細胞はB発明の技術的範囲に属し、これを用いて組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を製造することは原告の有するB発明の仮保護の権利の侵害を構成することを理由に、A特許権及びB発明についての仮保護の権利に基づき、その侵害の停止又は予防(イ号細胞を用いた組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の製造、イ号物件の製造、販売、イ号方法を用いたイ号物件の製造、販売及びイ号製剤の製造、販売の停止)、侵害予防に必要な行為(右各販売のための宣伝、広告、
並びにイ号細胞、イ号物件及びイ号製剤の廃棄)を請求。
七 主な争点 イ号物件、イ号方法、イ号製剤及びイ号細胞が本件発明の技術的範囲に属するか。すなわち、イ号物件、イ号方法、イ号製剤及びイ号細胞はA及びB特許請求の範囲の記載文言そのままのアミノ酸配列を有してはいないが、本件発明と実質上同一若しくは均等であると評価すべきか。
なお、被告はA特許に特許無効の審判を受けるべき事由がある旨主張するが、この点に関する当事者の主張の骨子は、概ね当裁判所が平成三年一〇月三〇日に言渡した当庁昭和六二年(ワ)第七九五六号事件判決(特許管理別冊判例集平成三年V四九八頁)及び右事件の控訴事件である大阪高等裁判所平成三年(ネ)第二四八五号事件について同裁判所が平成六年二月二五日に言渡した判決(甲第一〇三号証)に摘示のとおりであり、当裁判所もA特許につき特許無効の審判を受けるべき事由があると認めることができないものと判断する。
その理由は右各判決における認定説示と概要同一であるから、それらの認定説示を参照されたい。
主たる争点に関する当事者の主張
【原告の主張】 本件発明のt―PAは、A及びB特許請求の範囲の記載文言そのままのアミノ酸配列を有するものには限定されず、それと実質上同一の物、若しくはその均等物も本件発明のt―PAに該当する。イ号物件、イ号方法、イ号製剤及びイ号細胞は、
何れも本件アミノ酸配列と完全に一致するアミノ酸配列を有しない点を除き、本件発明の構成要件を悉く具備しているから、本件発明の技術的範囲に属する。その理由の詳細は次のとおりである。
一 被告のt―PA(メチオニンt―PA)は、本件特許の実施品として原告が米国において市販し、また日本において本件特許の実施権者である三菱化成株式会社と協和醗酵工業株式会社が市販しているt―PA(バリンt―PA)と酵素として同一のものである。
1 メチオニンt―PAはバリンt―PAとは臨床効果上同効のt―PAである。
(一) 臨床比較試験の結果(甲第三四号証、第三五号証)及び【P1】鑑定書(甲第六三号証)について 甲第三四号証(【P2】ら「急性心筋梗塞に対するGMK―527(alteplase:rt―PA)の静脈内持続投与の臨床的有用性に関する検討 ウロキナーゼを対照薬とした多施設共同二重盲検比較試験」と題する「医学のあゆみ vol.156No.6 1991.2.9」所載の報文)に記載の原告が米国で市販している本件特許の実施品たるt―PA製剤についての臨床試験報告と、甲第三五号証(【P3】ら「急性心筋梗塞に対するSM-9527〔duteplase;t―PA〕の静脈内投与の臨床的有用性に関する検討―ウロキナーゼを対照とした多施設二重盲検比較試験―」と題する「臨床評価」一七巻三・四号所載の報文)に記載の被告のt―PA製剤についての臨床試験報告とには、血栓によって閉塞した冠動脈が、それぞれのt―PA製剤の投与によりどの程度に血栓が溶解されて動脈が開通するかという「再開通率」を「TIMI(Thrombolysis In Myocardial Infarction)基準」を用いて評価した結果が記載されているが、それらによれば両t―PA製剤の示した閉塞冠動脈の「再開通率」は、左記の表に記載のとおり極めて良く一致しており、このように、血栓によって閉塞された血管の「再開通率」が等しいということは、両t―PAの血栓溶解能(線溶活性)が異ならないことを表わしている。
<28394-001> 岡崎国立共同研究機構長、東京大学名誉教授【P1】博士は、その鑑定書(甲第六三号証)の中で、これら甲第三四号証及び第三五号証その他メチオニンt―PAとバリンt―PAの臨床薬理効果に関する種々の報文に検討を加えた上で、「Genentech社のt―PAと住友製薬のt―PAのように、薬剤の効果を直接比較できない状況では、充分に確立された既存の薬剤を基準としてその効果を比較するのは、科学的にも合理的な最善の方法であり、薬剤検定の常道である。上記の論文『医学のあゆみ』と『臨床評価』を読むと両t―PAの場合、ウロキナーゼがこの『充分に確立された既存の薬剤』に当たり、両t―PAの間接的な比較を可能にしている。投与法の細部には差があるとしても、ウロキナーゼがこの二つの試験においてほぼ同じ結果を与えていることを考えると、全体としての効果判定の上で両試験を比較するのに支障はない。両試験を比較すると、Genentech社のt―PAと住友製薬のt―PAが臨床効果の上で有意な差があるとは認められない。
医薬の効果を判定する際に、種々のin vitroの生化学試験が行われるが、
これはあくまで生体内での効果を間接的に推察する為の手段であって、医薬としての効果を最終的に判断できるのは、臨床試験をおいて他にはない。上述した様に、
Genentech社のt―PAと住友製薬のt―PAは、現在実施し得る最善の比較法において臨床上のその効果に差は認められない。in vitroのどの様なデータも今の所この事実を覆すことはできない。」と述べている。
被告t―PAの比活性が約五〇〇、〇〇〇IU/mgあることは、被告t―PAを用いて臨床試験をした多数の医療機関の試験成績に関する報文中に記載されている(甲第二六〜第二八号証)。また、被告が製造販売しようとしているt―PA製剤(デュプラーゼ、商品名「ソルクロット」)は、平成五年七月二日に厚生大臣から薬事法に基づく製造承認を受け、かつ薬事法49条1項の規定に基づいて要指示医薬品に指定されるとともに、その概要が厚生省から公表されたが、厚生省の右発表による右「ソルクロット」の概要(甲第八八号証)に従えば、その比活性の値は、五〇〇、〇〇〇IU/mgとされている。さらに、被告の右血栓溶解剤たる右t―PA製剤は、ウェルカム社からの技術導入によって製造されているのであるが、同社のt―PAに関する英国特許出願明細書(甲第八九号証)には、「本t―PAの比活性は約五〇〇、〇〇〇IU/mgである」と記載されている。これらの比活性の値五〇〇、〇〇〇IU/mgは、原告の米国特許第四七五二六〇三号(甲第四五号証)のクレーム1に記載されているバリンt―PAの比活性の値とも一致する。A特許明細書及びB発明の明細書では比活性について言及していないから、
本件ではその点を特に検討する必要はないのであるが、仮に検討したとしても、以上に述べたところからすれば、本件発明のt―PAと被告t―PAとの間に比活性の差異のないことは明らかというべきである。
(注)比活性(specific activity)とは、二五度℃において酵素のタンパク質一mg当たり一分間に変換される基質のμmol数(甲第九四号証)。
t―PA(ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子)の基本的作用はプラスミノーゲンに作用してこれを活性化するということであるが、このように被告t―PAの作用の強さ(比活性)が、本件発明のt―PAと異ならないということは、被告t―PAが、酵素として、本件発明のt―PAと等価であることを如実に示している。したがって、原告のt―PA製剤と被告のt―PA製剤とはその二四五位のアミノ酸残基が、前者はバリン残基であり、後者はメチオニン残基であるという差異があるにも拘らず、その臨床効果が等価であることは動かし難い事実である。
(二) 被告主張に対する反論 この点に関して、被告は、概要次のとおり主張している。
(1) 生物活性に関する主張(実験報告書(一)〔乙第六三号証の1・2〕、実験報告書(二)〔乙第六八号証〕及び実験報告書(三)〔乙第六九号証〕) メチオニンt―PAは、次のとおりバリンt―PAと生物活性において差があることが明らかになっている。
@ バリンt―PAとメチオニンt―PAの比活性に関する比較実験を行なった実験報告書(一)(乙第六三号証の1・2)には、左記の表(単位:IU/mg)に記載のとおり、メチオニンt―PAはバリンt―PAに比べて比活性が二〇%低いことが示されている。
<28394-002>A 血栓症患者は一般に血液中のPAI―1濃度が高く、特に、血栓付近のPAI―1濃度が高くなっていることが予想される。そこで、PAI―1の高濃度下において、バリンt―PAとメチオニンt―PAの一本鎖及び二本鎖のものを用いて、
t―PAの二四五位がバリン残基かメチオニン残基かの相違により生物活性に差異が生じるか否かについて、トロンボエラストグラフィ(乙第六七号証参照)を用いて、実験報告書(二)(乙第六八号証)及び実験報告書(三)(乙第六九号証)に記載の、バリンt―PA又はメチオニンt―PAを血漿に添加し、血漿中のフィブリノーゲンがフィブリンに変換して形成された血漿塊の溶解時間及び溶解率を測定して、両t―PAのフィブリン溶解能力を調べる実験を行なった。その結果、ヒト正常血漿を用いた実験では、バリンt―PAとメチオニンt―PAとの間に特段の差異はなかったが、ヒト高PAI―1濃度血漿を用いた実験では、最大振幅から判定されるフィブリンに与える影響は、両t―PAにおいて殆ど同等であるが、その場合の血漿塊の溶解時間及び一定時間後における溶解率から判定されるフィブリン溶解能については、最大で左記の各表に記載の差異がみられた。
(注) 最大振幅(単位mm)とは、凝固・線溶反応に伴う血漿の反射光の振幅の変化の最大値であり、血漿塊の固さを表し、t―PAにより分解されなかった血漿中のフィブリノーゲン濃度の指標となる(乙第六七号証2〜3頁)。
<28394-003><28394-004>(2) 被告は、以上の実験結果に基づき、同じ酵素であるt―PAにおいても、
活性中心を構成しないアミノ酸残基が一個異なるだけで、その生物活性に差異が見られる場合があるものと考えられると主張し、その根拠として乙第六四号証(浜松医科大学教授【P4】作成の平成四年二月三日付意見書)中の「タンパク質によっては、触媒中心や結合中心を構成していないアミノ酸残基が少し変化しただけでも、その生物活性に予想外の影響を与えるものがあることが知られており、t―PAについてもかようなことは充分にありえます。それゆえ、本件のアミノ酸残基の相違部位である二四五位がたとえ触媒中心や結合中心を構成していないとしても、
ここでの相違が高PAI―1濃度下でのt―PAの活性に影響を与えたことは不思議なことではありません。」(4頁)との記載を援用している。
《原告の反論》 被告作成の実験報告書(二)及び(三)に記載の両t―PAの効果の差は、被告の主張するように両t―PAのPAI―1に対する反応性の差に起因するものではない。前記したとおり、医薬の効果を最終的に判断し得る手段は臨床試験であり、
臨床試験においてメチオニンt―PAとバリンt―PAとの間に臨床効果上有意の差があると認められない以上、実験報告書(二)及び(三)に記載されているようなin vitroの生化学的試験については、原告側で格別批判を加える必要はないとも考えられるが、右各実験内容については極めて明らかな問題点の存在を指摘できるので、以下その点について簡単に説明する。
実験報告書(二)及び(三)の実験では、実験報告書(一)で用意されたメチオニンt―PAとバリンt―PAが試料として用いられている。しかるに、その比活性はメチオニンt―PAのそれがバリンt―PAのそれに比べて約二〇%低い。
(注) 被告のメチオニンt―PAの公表されている、言わば公称の比活性は約五〇、〇〇〇IU/mgであって、原告の市販しているバリンt―PAの比活性と変わらない。しかし、被告のこれらの実験においては、バリンt―PAより約二〇%比活性の低いメチオニンt―PAが実験報告書(一)記載の実験で用意され、それが実験に用いられている。
しかるに、実験報告書(二)の実験では、一定の高濃度のPAI―1を含む二組のヒト血漿中に、各々同一の線溶活性(IU/ml)としたメチオニンt―PAとバリンt―PAを加えて、血漿中に形成された各血漿塊の溶解時間及び溶解率が測定されている。また、実験報告書(三)の実験でも、予めヒト血漿を用いて血漿塊を作製し、一定の高濃度のPAI―1を含む二組のヒト血漿中に血漿塊を浮遊させ、各々同一の線溶活性(IU/ml)にしたメチオニンt―PAとバリンt―PAが加えられ、一定時間経過後の各々の血漿塊の溶解率が測定されている。右の場合そもそもメチオニンt―PAはバリンt―PAに比べて比活性が約二〇%低いのであるから、両者の線溶活性を同一にするためには、メチオニンt―PAはバリンt―PAに比べてタンパク濃度(mg/ml)にして約二〇%多く加えられなければならない。一方、PAI―1は、t―PAの一分子に対して一分子が結合して、
t―PAの活性を阻害するのであるから、同一の高濃度の二組のPAI―1を含む血漿中に各々同一の線溶活性としたメチオニンt―PAとバリンt―PAとを加えるとすれば、PAI―1と結合して、系中にて、活性を失うメチオニンt―PAとバリンt―PAは等モルであるから、残存する線溶活性の大きさは、メチオニンt―PAの場合の方がバリンt―PAの場合よりも大きいのは当然である。そうすれば、そのような系においてt―PAの血漿溶解能を測定した場合、メチオニンt―PAを用いた場合の方がバリンt―PAを用いた場合よりも血漿塊溶解率が高くなるのは当然の結果である。かかる事実を説明したのが、甲第四九号証(三菱化成株式会社総合研究所第二部門医薬研究所所属【P5】作成の「住友実験報告書(二)に対する意見書」)であり、同意見書の末尾には、「彼らが述べているMet-tPAとVal-tPAの生物学的差とは、単に比活性の違いに起因する現象として説明できるものであり、Met-tPAとVal-tPAのPAI―1に対する反応性の差に起因するものではないと思われる。」(3頁)と記載されている。かように、実験報告書(二)及び実験報告書(三)で得られた実験結果は、両t―PAの生物活性の差を示すものではない。
被告主張が正しいとすれば、甲第三四号証及び第三五号証に記載の各臨床試験の施された患者は全て血栓症患者であるから、その血液中、特に、患部におけるPAI―1濃度は健常人に比して遥かに高い筈である。そして、PAI―1濃度の高い場合における血栓溶解能は、メチオニンt―PAがバリンt―PAに比べて遥かに大きいとすれば、それらの各々を投与した結果認められる血管の再開通率は、メチオニンt―PAの投与された患者の場合の方が、バリンt―PAの投与された患者の場合に比して遥かに大きくなければならない。しかるに、事実はこれと異なり、
両t―PAの示した再開通率には差が認められないのみならず、むしろ一致しているのである。
これに対し、前掲乙第六四号証の作成者である【P4】教授は、その証人調において、甲第三四号証及び第三五号証を示されて、「ここに示されたような少数の例では、実際にどちらが有効かということを判定することは非常に難しいと私は思います。それから、もう一つ、バリンt―PAとメチオニンt―PAの優劣を決めるためには、両方を、同時に、同じ背景の患者、男女差、年齢、その他を一定にさせて、どちらが有効かということを調べて、初めて結果が出ることでありまして、そうでない限りにおいては、これを判定することは非常に難しいと私は考えております。」(平成四年一一月二四日の同証人調書八丁表)、「より症例の数を多くするということと同時に、一対一の比較をしない限りは、優劣というのは判定できないというふうに考えます。」(同八丁表〜裏)と証言している(同教授のこのような見解は、同教授監修の「t―PAに関する技術説明書」〔乙第七八号証〕の17頁にも、「@原告の提出した証拠における臨床試験の症例数はそれほど多いものではない、……A通常、二つの薬剤の比較を行う場合には直接的な比較が必要となる。」と要約されている。)。しかし、t―PAのような血栓溶解剤の臨床試験は、薬剤の効果が非可逆的であるため、同一患者での効果の対比は不可能である。
さらに、被告は、乙第八三号証(帝京大学医学部第三内科学教授【P6】外一名作成の平成五年七月五日付意見書)を提出して、「一般に、二つの薬剤の効果の差異を臨床試験によって調べるためには、薬剤以外の要因が臨床上の効果に影響を与えないようにしなければならない。臨床上の効果に影響を与える要因としては、例えば、患者群の背景(性、年齢、既往症、発症から薬剤の投与までの時間等)、薬剤の用量、用法などの違いが考えられる。また、効果の判定法が異なれば当然に結果にも影響が出るであろうし、加えて、二つの薬剤の試験期間に時間的なズレがあれば、それも結果にどのような影響がでるか予測がつかない。したがって、異なった臨床試験について、文献上で間接的な比較を行なうことは、これらの臨床結果に影響を与える要因を無視して、無理やり比較することになるから、医学統計学上無意味である。現在、新しい化合物が医薬品として認可されるためには、
既存の対照薬との比較試験によって同等以上の効果がその新しい化合物に存在することが条件となっているが、この比較試験は、間接的な方法ではなく、直接的な同時比較実験を行なわなければならないとされている。このように、直接的な同時比較実験でなければ、臨床上の効果を科学的に判定できないというのが臨床医学上常識である。」(乙第八三号証2〜3頁)と反論している。
しかし、この点については、甲第六三号証の作成者たる【P1】名誉教授自らがその反駁を記載した意見書(甲第七九号証)が委曲を尽くしているものといわなければならない。すなわち、これを簡単に言えば、乙第八三号証の作成者らも被告も、【P1】名誉教授や原告とは異なり、原告のt―PA製剤と被告のt―PA製剤の双方を入手し得る立場にあるのであるから、この二つの製剤を入手して臨床比較試験を実施すれば、理屈抜きに両者の臨床比較試験の結果を対比することが極めて容易に可能であるにも拘らず、殊更にこれを避け、種々の理屈を述べるに留っているということである。甲第三五号証(臨床評価一七巻三・四号)には乙第八三号証の作成者の一人である【P7】小倉記念病院主任部長が加わって被告のt―PA製剤の臨床比較試験が行われたことが報告されている。また、同人は、甲第三四号証(本件特許の実施品たる「アルテプラーゼ」の臨床試験に関する報文)にも第V相試験の治験協力者として名を連ねている(四三一頁)。このように、乙第八三号証の作成者らは、被告のt―PA製剤も原告のt―PA製剤も入手し得る立場にあり(原告の実施品たるt―PA製剤は既に実施権者たる三菱化成株式会社及び協和醗酵工業株式会社から市販され市場で入手可能の状態となっているが、被告のt―PA製剤は未だ市販されていないから入手不能である。)、容易に両t―PAについて臨床比較試験を行い、その結果を入手し得る立場にあるにも拘らず、かかる試験を行うことを故意に避けているとわなければならない。
(2) 両t―PA分子の立体構造に関する主張(実験報告書(四)〔乙第七九号証〕)について 被告は、メチオニンt―PAとバリンt―PAとの間に生理活性の差が存在することを前提として、分子動力学法に基づくコンピューター・シミュレイションを用いて、両t―PAの立体構造の比較実験を行なったとして、実験報告書(四)「バリンt―PAとメチオニンt―PAのクリングル2の動的な立体構造比較」(乙第七九号証)を提出援用しており、右実験報告書(四)には、「図1に示すように、
両者の動的な立体構造には明らかな違いがみられる。」(6頁)、「この違いを定量的に見るために、バリン残基からメチオニン残基に変わった二四五位に立体的に近い四〇残基について、バリンt―PAとメチオニンt―PAのあいだの動的な立体構造の違いを、両者の各残基ごとのα炭素の位置の違いで表してグラフにしたものを図2に示す。」(7頁)、「図2……に示すように、バリンt―PAとメチオニンt―PAにおける明らかに1●を超える大きな動的立体構造の違いが、両者における周囲の水分子との水素結合との出来やすさの違いなどのような立体構造上意味のある違いをもたらし、ひいてはバリンt―PAとメチオニンt―PAのあいだに存在する生理活性をはじめとする種々の性質の違いをもたらしたと考えられる。」(11頁)と記載されている。
しかし、前記したようにメチオニンt―PAとバリンt―PAとの間には臨床効果上の有意な差異が認められないのであり、そのことは同時に両t―PAの間に立体構造にも生理活性の差をもたらすような違いがないことを意味している。また、
その点を暫く措くとしても、実験報告書(四)(乙第七九号証)に対しては、東京大学名誉教授【P8】博士が三菱化成株式会社総合研究所部長研究員【P9】博士と共に作成した平成五年二月五日付の「乙第七九号証 実験報告書(四)に対する意見書」(甲第六四号証)において詳細な批判が展開されているので、それに従って被告の主張に反論を加えると、次のとおりである。
@ 実験による蛋白質の構造決定は、X線結晶構造解析については一九六〇年以来、核磁気共鳴スペクトル分析については一九八七年以来、何れも確立されていて、その結果の信頼性の高さは広く認識され承認されている。これに対して、“計算機実験”の現在の水準は、実験結果に近似度の高い種々の計算法を開発し、その信頼性を検証して行く過程にある。したがって、分子動力学計算の信頼性検証は、
実測の実験結果を再現できるか否かの検証であって、現在の唯一の方法は、計算の結果から得られた構造が、X線結晶構造解析又は核磁気共鳴スペクトル分析によって得られた構造とどの程度一致するかによって判断することである。それゆえ、バリンt―PAとメチオニンt―PAの構造の異同を証明する直接の信頼性のある方法は、X線結晶構造解析又は核磁気共鳴スペクトル分析によって両t―PAの構造を決定し、それらを比較することである。
A X線結晶構造解析によって得られるt―PAの分子構造は分子模型に結論されるので、どうしても静止した構造と誤解されやすいが、実際にはt―PA分子は熱運動の揺らぎ(甲第七〇号証参照)を含んだ動的立体構造を示している。また、X線結晶構造解析によって得られる構造は、水溶液中の構造と異ならないことが知られているし、更に又、X線結晶構造解析の測定温度は二〇度℃であるが、三七度℃との間のエネルギー差は僅かであって、温度差による違いは極めて小さく、甲第六四号証において、【P8】博士らは、「分子動力学法で求められたバリン型とメチオニン型の構造の差は別途作成された分子動力学計算検討報告書(甲第七一号証)を参照すると、X線結晶構造解析、核磁気共鳴スペクトル分析で観測される蛋白質の動的ゆらぎの範囲内にある。」(甲第六四号証14頁)、「バリンとメチオニンは物理化学的性質が似ていて、天然の蛋白質で置換される頻度も高く、置換によって蛋白質の安定性と機能とが損なわれない場合が多いことはよく知られている。」(同14〜15頁)、「二四五番のバリンの位置はt―PAの活性部位、阻害剤結合部位、基質結合部位のような機能に重要な部位ではなく、メチオニンへの置換が大きな影響をもつ可能性は極めて低い部位である。これらを考え合わせると、
メチオニン型t―PAについてバリン型t―PAと明確に異なる機能上の差異が実測されない限り、両蛋白質は構造も機能も類似していると結論することが科学的判断と考える。」(同15頁)と述べている。
このように、バリンt―PAとメチオニンt―PAの立体構造には有意な差が認められず、両者の差異はt―PA分子を構成する原子の熱運動の揺らぎの範囲内にあるものとみなければならない。そして、その事実をさらに明確に示したのが、甲第七一号証(三菱化成株式会社三菱化成総合研究所部長研究員【P9】博士作成の平成五年四月一二日付「分子動力学計算検討報告書」)である。同博士は、被告の実験報告書(四)(乙第七九号証)の分子動力学計算によって得られた結果が種々の仮定を設けた上での計算結果であるため、その信頼性に欠けることを考慮し、被告の実験報告書(四)よりもさらに正確に分子動力学計算を行い、バリンt―PAとメチオニンt―PAとの動的な立体構造を比較している。その結果結局、同博士は、二四五位のアミノ酸残基がバリン残基からメチオニン残基に変換された被告t―PAの周辺残基のα炭素間の距離の差は、X線構造解析や核磁気共鳴スペクトル分析で観測される構造の熱運動の揺らぎの範囲内にある旨結論づけている(17頁)。
(3) 反応速度に関する主張(乙第八〇号証〔実験報告書(五)〕)について 乙第八〇号証(浜松医科大学第二生理学教室【P10】助教授作成の平成四年一一月二〇日付実験報告書(五))には、バリンt―PAとメチオニンt―PAとのPAI―1による阻害反応を反応速度論的に解析して、前者は後者より速い速度で阻害される旨記載されている。
しかし、この報告書に対しては、その実験内容を詳細に批判する必要はない。何故ならば、この報告書においては、「t―PAとPAI―1の二次反応速度定数(Ki)を以下の式に従って求めることができる。」(1頁)として、2頁の冒頭に「式1」を示し、この「式1」を用いて表1(3頁)に記載の二次反応速度定数を求め、これを用いて図2を作成しているが、右「式1」は、PAI―1が大過剰の場合に適用されるべき式であって、PAI―1とt―PAの濃度がほぼ等しい場合に適用されるべき式ではない。しかるに、実験報告書(五)によれば、「PAI―1は最終濃度(〔I〕)10nMで、t―PAは最終濃度三三七・五IU/ml(約10nM)で使用した。」(2頁)と記載し、両者の濃度はほぼ等しいものとされているから、この実験においては、PAI―1が大過剰のときに適用される式ではなく、PAI―1とt―PAとの濃度がほぼ等しい場合に適用される式が用いられなければならなかったのである。すなわち、実験報告書(五)においては、PAI―1とt―PAの濃度がほぼ等しい条件で実験を行いながら、PAI―1がt―PAに比べて大過剰の場合に適用されるべき式を用いて計算しているのであるから、求められた結論には何の意味もない。
二 メチオニンt―PA(被告t―PA)は、バリンt―PA(本件発明のt―PA)における二四五位のアミノ酸残基がバリン残基からメチオニン残基に置き換えられたものであるが、右置換はt―PAの活性部位とは無関係な位置の一アミノ酸残基の置換であり、しかも、物理化学的性質の類似したアミノ酸残基の置換である。
1 バリンt―PAの立体構造モデル(検甲第三号証)とメチオニンt―PAの立体構造モデル(検甲第四号証)は殆ど同一といってもよいほどに酷似している。
検甲第三号証は、二四五位のアミノ酸残基がバリン残基であるバリンt―PAにおける一七六位のアミノ酸残基から二六三位のアミノ酸残基までの部分(クリングル2の部分)の立体構造モデルであり、検甲第四号証は、二四五位のアミノ酸残基がメチオニン残基であるメチオニンt―PAにおける一七六位のアミノ酸残基から二六三位のアミノ酸残基までの部分(クリングル2の部分)の立体構造モデルであり、検甲第二号証の1、3、5、7、9は、何れも右バリンt―PAの立体構造モデル(検甲第三号証)を五方向から撮影したカラー写真であり、検甲第二号証の2、4、6、8、10は、何れも右メチオニンt―PAの立体構造モデル(検甲第四号証)を五方向から撮影したカラー写真である。各モデルにおいて、二四五位のバリン残基とメチオニン残基の側鎖の炭素に結合した水素は緑色に、メチオニン残基の側鎖の硫黄は黄色にそれぞれ着色されている。甲第四〇号証の1(三菱化成株式会社総合研究所分析物性研究所部長研究員【P9】博士作成の「バリン型およびメチオニン型t―PAのクリングル2分子模型の作製」と題する書面)の記載からも明らかなように、右検甲第三号証のバリンt―PAのクリングル2のの部分の立体構造モデル(分子模型)は、一九九二年一月一四日に発行された“Biochemistry”誌三一巻一号二七〇〜二七九頁に掲載された、原告会社の技術者等の著した“Crystal Structure of the Kringle 2 Domain ofTissue Plasminogen Activator at 2.4-● Resolution”(Tissue Plasminogen ActivatorのKringle2領域の2.4-●分解能での結晶構造)と題する報文(甲第四〇号証の2)、右報文記載の実験の結果及び原告会社の技術者達が所有しているバリンt―PAのクリングル2の部分のX線構造分析の結果得られた空間座標に基づいて作成されたものであるから、それが極めて精密であり正確なものであることは言うまでもない。また、メチオニンt―PAのクリングル2の部分の立体構造のモデル(分子模型)は、甲第四〇号証の1に記載のようにバリンt―PAのクリングル2の部分の分子模型から一定の推定によって作製されている。そこで、バリンt―PAのクリングル2の立体構造モデルとメチオニンt―PAのクリングル2の立体構造モデルとを対比すると、
@ 両者の立体構造は殆ど同一と言ってもよいほどに酷似している。
A 二四五位のバリン残基もメチオニン残基も、各々t―PAの球状分子の内部の奥まった部位、すなわち、疎水領域に包み込まれており、分子表面には露出していない。
B 置換されたメチオニン残基は、周囲の各原子の位置に影響を与えることなくメチオニン側鎖の中に安定位置を得ている。
C これは米国特許侵害訴訟における「(メチオニン残基は)蛋白の疎水性領域内に埋没し、抗体産生を生じさせ得る分子表面には露出していない」し、「t―PAの内部の、非常につつみこまれた『クリングル』構造群の一つに位置している」ので、「検出可能な範囲での生物活性に影響を与えなかった」との【P11】証人の証言(甲第二〇号証)が決して誤りでなかったことを示している。
蛋白質中のあるアミノ酸残基が変化しても、変化したアミノ酸残基がもとの正常のアミノ酸残基に近似のアミノ酸残基であって、かつ、それが蛋白質の活性中心になく、また、立体構造に影響を与えないような「重要でない場所」で生起している場合には、該蛋白質の生物活性には変化を生じない。本件の場合におけるt―PAのアミノ酸配列の二四五位がt―PAの生物機能を発揮するために必須の構成部分にはなく、またメチオニンはバリンに極めて近似のアミノ酸である。原告が検甲第四号証(メチオニンt―PAの立体構造のモデル)を検甲第三号証(バリンt―PAの立体構造のモデル)と共に提出したのは、検甲第三号証の立体構造中の二四五位のバリン残基の位置には、その全体の立体構造を変化させることなしにメチオニン残基が位置し得るということを視覚的に明瞭にするためであって、それ以上のものではない。本件特許請求の範囲には、そのt―PAが如何なる立体構造をとるべきかについては何ら規定されていないからである。被告は、乙第九四号証(バリンt―PAとメチオニンt―PAの立体構造比較に関する意見書)を提出してバリンt―PAとメチオニンt―PAとの立体構造の差異の有無を論じ、原告の提出したメチオニンt―PAの分子模型(検甲第四号証)の構造は、メチオニン側鎖以外の原子位置に変更を与えずに分子力場計算プログラムDISCOVERによる計算を一部に用いた構造にすぎず、実際のメチオニンt―PA(クリングル2)の構造を反映しているものとはいえない旨主張する。しかしながら、被告の右主張は、乙第九四号証の内容を祖述したものであって、これに対しては、三菱化成株式会社三菱化成総合研究所部長研究員【P9】作成の平成五年九月二一日付「バリンt―PAとメチオニンt―PAの立体構造比較に関する意見書と題する書面(乙第九四号証)に対する見解書」(甲第九〇号証)において詳細に反論を加えているとおりである。
2 酵素蛋白質には酵素が生物機能を発揮するために必須の構造部分と、単にその立体構造を保持するためだけに必要な構造部分があり、t―PAの二四五位のアミノ酸残基の位置は、t―PA分子の内部の包み込まれたクリングル構造の中にあり、t―PAの活性部位、阻害剤結合部位、フィブリン結合部位のようなt―PAの機能に重要な影響を与える部位ではない。
甲第六六号証(【P12】著「プロテインエンジニアリング」〔株式会社東京化学同人一九八九年二月一五日第一刷発行〕)は、次のように述べている。「そこで目をもう少し大きく、地球の歴史の時間にまで広げてみよう。すなわち進化という過程をタンパク質のアミノ酸配列のレベルで眺めてみることにしよう。いろいろの生物が共通してもっているタンパク質がたくさんある。例えば今まで何回も登場した酸素を運ぶヘモグロビンというタンパク質は、ヒトのほか硬骨魚以上の脊椎動物ではすべてがもっているタンパク質である。しかしそれらのアミノ酸配列は非常によく似てはいるが決して同じではない。進化の過程で同じ生物機能をもったタンパク質のアミノ酸配列は変化してきているのである。これはもちろんそのタンパク質の遺伝子に進化の過程で突然変異が集積していった結果である。すなわち、進化も自然界が長い時間をかけて続けてきたプロテインエンジニアリングの結果なのである。具体的な例をシトクロムcというタンパク質で見てみよう。(中略)図20にはいくつかの生物種のシトクロムcの一次構造を、ヒトのシトクロムcを基準にして、どの部位でアミノ酸置換が起きているかを模式的に示してある。ヒトとサルの間ではわずかに一つのアミノ酸が変わっているだけである。それがウシ、ニワトリ、ハエ、酵母とだんだんヒトから分類学上で離れた生物になっていくと、それに比例してアミノ酸の違いの数が増えていく。我々は、違っているアミノ酸の数から、その生物が何万年前に共通の祖先から分かれて進化したかを計算することができる。ヒトとサルの間でわずか一個のアミノ酸だけしか違わないということは、ヒトとサルがごく最近になって共通の祖先から別れたことを意味し、ヒトとウシの間では十個のアミノ酸変化があるということは、ヒトがサルよりもずっとずっと昔にウシと共通の祖先から別れたことを示している。(中略)しかし、ここでは本当の進化という専門の分野を離れて、進化という過程を自然界のプロテインエンジニアリングという視点で眺めてみよう。図20を眺めて気づくことは、シトクロムcのある部分はかなり生物種によって配列が違っているのに、ある部分ではどのシトクロムcでもそのアミノ酸配列が先祖の形のまま保存されているということである。
これはこの部分のアミノ酸配列が突然変異で変わってしまった生物はたとえ生まれたとしても歴史の中で生き続けてこられなかったことを意味している。すなわち、
そのような部分はこのシトクロムcというタンパク質がシトクロムcとしての生物機能を発揮するために必須の構造部分であって、この部分のアミノ酸配列は、このタンパク質が生きた分子であるためには変えてはならない配列なのである。例えば七〇番から八〇番付近はそれに当たるが、この部分はシトクロムcオキシダーゼと相互作用する大切な領域であることが現在知られている。シトクロムcはヘムタンパク質であると述べたが、もう一つの保存された配列、一六番から二〇番の部分はヘムとの結合部位である。このことは我々がプロテインエンジニアリングを行う場合も軽率に手を触れてはいけない領域のあることを教えてくれる。しかし他の部分ではかなり配列が変化しており、一つの機能をもったタンパク質のその機能を損なわずに、種々のアミノ酸の置換を導入することが可能であることを教えてくれる。
(中略)自然が行ってきた突然変異という技術を人工的に我々が行えるようになったのは、遺伝子工学と呼ばれる組換えDNAの技法を確立したからである。」(49〜53頁) そして、甲第二〇号証(ウェルカム社におけるt―PAの開発部門の責任者であった【P11】証人の米国特許侵害訴訟における証言記録)中の「(メチオニン残基は)蛋白の疎水性領域内に埋没し、抗体産生を生じさせ得る分子表面には露出していない」し、「t―PAの内部の、非常につつみこまれた『クリングル』構造群の一つに位置している」ので、「検出可能な範囲での生物活性に影響を与えなかった」との証言について、東京大学名誉教授【P13】博士は、その鑑定書(甲第三二号証)において、次のように説明している。
(一) 【P11】証人が、置換されたメチオニン残基は、「蛋白の疎水性領域に埋没し、抗体産生を生じさせ得る分子表面には露出していない。」と証言しているのは、「このメチオニンという疎水性の側鎖を持つアミノ酸は分子表面に存在するのではなく、疎水性の側鎖を持つアミノ酸の密実につまった分子の内部に存在しているということを意味しています。この様な、分子表面に存在しないアミノ酸残基は抗体産生に関与する細胞と接触することができませんから、抗原決定基にはなり得ません。『抗体産生を生じさせ得る表面には露出していない』とは、そのことをいっているのです。」(3頁)。
(二) また、【P11】証言における、置換されたメチオニン残基は、「t―PAの内部の非常につつみこまれた『クリングル』構造群のひとつに位置している。」とは、「クリングル構造とは、t―PA分子のある部分のポリペプチド鎖が、ドーナツ形を形成している構造部分のことを言います。『置換されたメチオニン残基が非常につつみこまれた『クリングル』構造群のひとつに位置している』とは、そのメチオニン残基が、ドーナツ形の構造のつつみこまれた内側の、従って球状の分子の内部の奥まった部位にあることを意味しています。」(3頁)と説明している。
(三) さらに、置換されたメチオニン残基は、「検出可能な範囲での生物活性に影響を与えなかった。」とは、「置換されたメチオニン残基ということを遺伝子レベルで見れば、これは、二四五位のバリンをコードするGTGがメチオニンをコードするATGに変わった、即ちG(グアニン)↓A(アデニン)という変異を意味しています。GもAも、いずれもプリン塩基を持ったヌクレオチドであり、この様なGからA、またはAからGへの変異は自然界で最も頻繁に起こっているものです。自然界で生起するさまざまな変異の内、生物活性にマイナスの変化を起こすものは、進化の課程で排除されて、生物活性に不利な影響を与えない変異だけが生き残ることになります。置換されたメチオニン残基が『検出可能な範囲での生物活性に影響を与えなかった』ということは、このG↓Aという変異は、生き残ることができる、即ち生物活性に変化を与えない変異であったということを意味しています。」(4頁)と説明している。
(四) さらに、「t―PAはセリンプロテアーゼ領域やクリングル領域という活性部位を持っています。しかし、t―PA分子の全ての部分が生物活性に直接関与しているのではありません。酵素蛋白質のアミノ酸残基の大部分は活性部位を構成している各部分を適性な位置に保って、一定の立体構造を保持するという消極的な役割を果たしているに過ぎません。特に球状構造の内部に存在しているアミノ酸は主として分子の全体の形を保持しそれによって活性に寄与するアミノ酸残基を空間的に適性な相互位置に保つという役割を果たしています。先に述べた様に、バリンからメチオニンへの変化は分子の内部での変化であり、従ってt―PA活性を発現するための必須部位と考えられているセリンプロテアーゼ領域やクリングル領域の活性部位には何ら影響を与えるものではありません。更に、二四五位という位置は、t―PAの立体構造を固定する役割を果たしているシスチン結合(S―S)に関与している二四六位(二四三位の誤記である。原告注記)のアミノ酸残基(システイン残基)のすぐ隣りに位置しているので、この置換によってt―PA分子の内部の構造ですら、有意な影響を受けるとは考えられません。
バリンからメチオニンへの変化が『検出可能な範囲での生物活性に影響を与えなかった。』のは、このような理由によるもので、当然だと思います。」(4〜5頁)と説明している。
このように、バリンt―PAの二四五位のアミノ酸残基がバリン残基からメチオニン残基に置き換っても、t―PAの立体構造には変化を生ぜず、メチオニン残基はバリン残基と同様に疎水性の側鎖を有し、球状分子の内部に包み込まれて存在しているので、t―PAの生物活性に有意の影響を与えない。
また、東京大学名誉教授【P8】博士及び三菱化成株式会社総合研究所部長研究員【P9】博士作成の平成五年二月五日付「乙第七九号証 実験報告書(四)に対する意見書」(甲第六四号証)では、「t―PAの二四五番バリンの位置は触媒作用をはたす活性部位四七八番セリンと、プラスミノージエン・アクチベーター・インヒビター(PAI)の結合部位とされる二九六番リジンと二九九番アルギニンとからは遠い。また二四五番バリン側鎖はフィブリン結合部位二三六番アスパラギン酸‥二三八番アスパラギン酸、二四二番トリプトファン、二五三番トリプトファンの側鎖とはβシートで形成される二四一〜二五六番ループを挟んだ反対側にある。
二四五番バリンは活性部位にも、阻害剤結合部位にもフィブリン結合部位にも直接の変化を与えていないことが理解されよう。」(13〜14頁)と説明されている。
以上の説明によれば、二四五位のアミノ酸残基の相違が両t―PAの生物活性に差異をもたらさないことは明白である。
3 メチオニンとバリンとは共に非極性(疎水性)の側鎖を有し、物理化学的性質のよく似たアミノ酸である。
(一) 蛋白質を構成している二〇種類のアミノ酸は、そのR基(側鎖)の性質、
特に極性、すなわち、生物学的pH(七・〇付近)で水と相互作用をする傾向如何によって、次の四つの群に分類できる。
(1) 非極性、すなわち疎水性のR基を持つもの(2) 極性ではあるが、電荷を帯びていないR基を持つもの(3) 負電荷を帯びたR基を持つもの(4) 正電荷を帯びたR基を持つもの バリンt―PAにおけるバリン、メチオニンt―PAにおけるメチオニンは、共に非極性のR基を持つアミノ酸であり、共に疎水性を示す。一方、t―PAの存在する生体内は水の存在する系であるから、蛋白質を構成しているアミノ酸残基の中で、親水性の側鎖は分子表面を形成し、疎水性の側鎖を持つアミノ酸残基は分子の内側により集まる傾向を示す。そして、バリンもメチオニンも前記のように疎水性の側鎖を有しているから、分子の内部に存在しているバリン残基がメチオニン残基に置き換っても、それによって球状分子の構造にさして変化が生じないのはこのためである。
(二) バリンはメチオニンに最も近縁であり、他のアミノ酸に比してメチオニンとの置換を最も起こし易いアミノ酸である。
二つの遺伝子の塩基配列あるいは蛋白質のアミノ酸配列に類似性が認められるとき、それらの間には「ホモロジー(homology)」があるという。そして、
コンピュータを補助手段として用いて遺伝子又は蛋白質のホモロジー解析が種々試みられており、コンピュータによる遺伝子又は蛋白質のホモロジー解析において、
バリンは他の一九種のアミノ酸の中で、メチオニンに最も近縁であり、互換性の高いアミノ酸とされている。例えば、株式会社東京化学同人一九八六年六月二五日第一版第一刷発行の「日本生化学会編 続生化学実験講座1 遺伝子研究法T 核酸の化学と分析技術」(甲第七二号証)所収の「21コンピューターによる遺伝子のホモロジー解析」と題する報文において、筆者らはアミノ酸配列の比較に触れて、
「多数の相同なタンパク質配列の解析から、“物理・化学的に性質がよく似たアミノ酸同士は進化の過程で置換を起こしやすい”ということが明らかにされている。
一九〇のアミノ酸の組に対して、置換頻度がすでに定量的に与えられている。アミノ酸の物理・化学的性質をその体積と極性で代表させ、異なるアミノ酸間の性質の違いの程度を表す“距離”(d)をつくると、この距離と置換頻度との間には明らかな相関が認められる。したがって各アミノ酸の組に対して、置換頻度あるいは距離に基づいて、適当なスコアの値を付与することができる。」(三九〇頁)と述べ、一九〇のアミノ酸の組のスコア値を図21・7(三九一頁)に示している。このスコア値は実際の値を一〇倍して示されているが、この数値が高ければ高い程相同性が高く置換が起こり易いことを表している。この図から、バリンを基準として、これと他の一九種のアミノ酸との組合わせのスコア値を拾ってみると、バリンとメチオニンの組合せには最高のスコア値たる八二二が与えられている。このように、バリンをメチオニンに置換する場合の相同性は最も高く、メチオニン以外のアミノ酸と置換する場合に比して、最も置換を起こし易いことが知られるのである。
甲第一八号証(特開昭六二―二六二三三号公報)は、被告が技術導入をした英国ウェルカム社の公開公報であるが、そこでは第1図にメチオニンt―PA(被告t―PA)の代表的アミノ酸配列を示し、その比活性は「約五〇〇,〇〇〇IU/mg」とするとともに、「二四五番目の位置にメチオニンの代わりにバリンを有する以外は同一の配列を有」するt―PAもその発明に含まれるとしてメチオニンt―PAとバリンt―PAとを同効のt―PAであるとして記載している。
三 バリンt―PA(本件発明のt―PA)の二四五位のバリン残基がメチオニン残基に置換されても、米国第一出願当時の技術水準の下において、当業者は、バリンt―PAと実質上同一のt―PA(被告t―PA)が得られるであろうと予見することは可能であった。
1 tーPAのような酵素蛋白質のアミノ酸配列において、その酵素の生理活性を発揮させるために必須の構造部分と、一部のアミノ酸残基を置換しても、その酵素の生理活性に影響を与えない部分とが存在することは、米国第一出願当時から当業者の間で既に知られていた。例えば、株式会社東京化学同人一九七〇年九月五日第一版第一刷発行の「ペプチドとタンパク質」(甲第二四号証の1〜3)には、酵素の活性中心について、「活性中心を構成しているアミノ酸はタンパク質の一次構造の上では互いに近接しているとはいえないが、分子が折りたたまれると空間的には同一場所に集中する。
酵素分子のアミノ酸の大部分は活性中心の各部分を適正な位置に保つという消極的な役割を果たしている。あとで述べるように、生物学的活性なペプチドは、その活性を損なうことなしに、ある種の基を付加したり、ある種のアミノ酸を除いたりして、化学的に修飾することができる。明らかにこのような分子は必要以上に過剰なアミノ酸を含んでいるわけである。」(一二六頁)、「タンパク質におけるすべてのアミノ酸が生物活性に本質的な役割を果たしているならば、生物学的“雑音”ともいえる遺伝的突然変異はその生物にとって致死的であり、したがって進化などはありえないことになる。しかしながら、タンパク質分子に過剰なアミノ酸が多く含まれていれば、突然変異はこれらのアミノ酸に起こる確率は大いにあるし、その場合にはその生体またはその種は生きながらえるのである。過剰なアミノ酸のほか、
タンパク質はまた縮重したアミノ酸をもっている。すなわち、それらアミノ酸をよく似た他のアミノ酸と置き換えても生物活性は失われないが、それらを取除くと失活するようなものである。これらのアミノ酸の役割は分子の全体の形を保持し、したがって本質的な役割を果たすアミノ酸を空間的に適正な相互位置に保つことにある。」(一二七頁)と記載されている。
2 バリンとメチオニンは、共に非極性(疎水性)の側鎖を持つアミノ酸であり、
タンパク質のアミノ酸配列を構成するものとして共通の性質を有していることが米国第一出願当時から当業者の間で既に知られていた。例えば、一九七二年に発行された「ATLAS of PROTEIN SEQUENCE and STRUCTURE Volume 5」89〜99頁に掲載された【P14】らの「A Model of Evolutionary Change in Proteins」と題する報文(甲第七三号証、第八五号証)には、アミノ酸残基の一部が置換しても蛋白質の基本的な機能が変化しない中立変異の実例が多数収録されており、t―PAはセリンプロテアーゼの一種であるが、セリンプロテアーゼに属するエラスターゼ、トリプシン、
キモトリプシンの間で、バリン残基(val)がメチオニン残基(Met)に変換していても機能に変化を生じない中立変異の実例が示されている。そして、同報文では、そのような中立変異の中でもバリン残基(Val)からメチオニン残基(Met)への変異は最も交換頻度の高いものの一つに挙げられている(甲第七三号証訳文2頁図9―11の横軸上に示されている「バリン」欄と縦軸上に示されている「メチオニン」欄との交点には★記号が付されているが、この★記号は「点突然変異の許容される比率」が40以上と最も交換頻度が高い場合であることを示している。)。【P14】の開発したこの置換頻度(あるアミノ酸が別のアミノ酸にどの程度変わりやすいかという頻度)のデータは、現在でも『ホモロジーマトリックス』という図形として当業者の間で汎用されている(甲第一〇一号証89頁、92頁参照)。
また、東京工業大学教授【P15】博士作成の平成五年九月一〇日付意見書(甲第八〇号証)によれば、キニン系、血液凝固系に関与する多くのセリンプロテアーゼについては一九七〇年代に構造と機能の相関に関する研究が進展しており、セリンプロテアーゼのアミノ酸残基の役割を予測することは可能であった(5頁)。
さらに、検甲第三号証(本件発明のバリンt―PAの立体構造モデル)と検甲第四号証(被告のメチオニンt―PAの立体構造モデル)に示されるように、t―PAの二四五位のアミノ酸残基は、球状のt―PA分子の表面には存在せず、その内部に包み込まれて存在している。この点について、東京大学名誉教授【P13】博士作成の平成三年一一月一一日付鑑定書(甲第三二号証)では、「酵素蛋白質の多くは、分子が伸びたり縮んだり折り畳まれたりして球状の密実な立体構造をとっています。t―PAも球状の立体構造を持つ酵素蛋白質です。t―PAは生体内において水性の雰囲気下に存在しています。アミノ酸の側鎖には親水性のものと疎水性のものとがあって、水性の雰囲気下で蛋白質が球状の立体構造をとる場合には、疎水性の側鎖の部分はできるだけ水に触れまいとして互いに球状構造の内部にもぐり込み、親水性の側鎖を持つ部分が表面に並んで全体として球状の構造をとることになります。こうして内部に疎水性の側鎖を持つ部分が密実に集まった球状蛋白質が出来上がります。『メチオニン残基は蛋白の疎水性領域に埋没し』とは、このメチオニンという疎水性の側鎖を持つアミノ酸は分子表面に存在するのではなく、疎水性の側鎖を持つアミノ酸の密実につまった分子の内部に存在しているということを意味しています。この様な、分子表面に存在しないアミノ酸残基は抗体産生に関与する細胞と接触することができませんから、抗原決定基にはなり得ません。『抗体産生を生じさせ得る表面には露出していない』とは、そのことをいっているのです。」(2〜3頁)と説明されており、本件発明のt―PAにおける二四五位のバリン残基(val)も、被告t―PAにおける二四五位のメチオニン残基(Met)も、疎水性のアミノ酸であるために、球状のt―PA分子の内部に埋没して存在しており、それらがt―PA分子の機能あるいは挙動に影響を及ぼす位置にあるアミノ酸残基でないことは明らかである。
これに対し、被告は、一九九〇年発行のザ・ジャーナル・オブ・モレキュラー・バイオロジー、二一一巻九七五〜九八八頁(乙第一一四号証)に掲載された「Evolution of Protein Cores Constraints in Point Mutations as Observed in Globin Tertiary Structures」と題する報文の「水との接触表面のうち少なくとも九〇%がタンパク質に覆われているもののみを、中心部のアミノ酸残基とみなした。それらのアミノ酸残基は、埋没した核のアミノ酸残基となっている可能性が高い。」との記載、一九七五年三月に発行されたNature二五四巻三〇四〜三〇八頁(乙第一一五号証)に掲載された「Structural invariants in Protein folding」と題する報文の「溶媒と接触できるところがアミノ酸残基の接触表面積の五%以下である場合には、そのアミノ酸残基は埋没していると定義されている。」との記載、一九七九年二月に発行されたNature二七七巻四九一〜四九二頁(乙第一一六号証)に掲載された「Surface and inside volumes in globular proteins」と題する報文の「二〇〇一個の埋没残基(20●2の接触表面積以下のもの)と三二二〇個の接触残基(20●2以上のもの)のサンプル中における二〇個のアミノ酸のモル分配率。」との記載を挙げるとともに、他方、甲第九〇号証(三菱化成株式会社三菱化成総合研究所部長研究員【P9】博士作成の平成五年九月二一日付「バリンt―PAとメチオニンt―PAの立体構造比較に関する意見書と題する書面(乙第九四号証)に対する見解書」)5頁には、メチオニンtーPAのメチオニン残基(Met)の露出表面積一三・一三●2は全表面積一一九・六●2の一一%とされているから、乙第一一六号証の定義に従えば、それは「埋没残基」であるが、乙第一一四号証及び乙第一一五号証の定義に従えば、メチオニン残基(Met)はt―PA分子の内部に埋没していないことになり、いずれにせよ米国出願当時は勿論現在も、それが分子内部にあるかどうかは当業者が予測が出来ない旨主張している。
しかし、右乙第一一四号証の露出表面積の算出方法に従えば、メチオニンt―PAの立体構造モデル(検甲第四号証)におけるメチオニン残基(Met)の露出表面積の割合が全表面積の八・一%となることは甲第九七号証(三菱化成株式会社総合研究所リサーチフェロー【P9】博士作成の平成五年一二月一七日付「被告準備書面(14)の立体構造関係の主張に対する反論書」)5頁に示すとおりである。
したがって、乙第一一四号証の定義に従っても、また乙第一一六号証の定義に従っても、メチオニンt―PAのメチオニン残基(Met)は「埋没残基」にほかならない。なお、被告指摘の乙第一一五号証の三〇六頁のTable 2において注記されている、露出表面積が全表面積の五%以下であればそのアミノ酸残基は分子内部に埋没しているとするという定義は、決して一般的、普遍的なものではなく、
「この報文に記載の作業を行うための定義(a working definition)」にすぎない(乙第一一五号証三〇七頁右欄41〜44行)。
このように、t―PAの二四五位のアミノ酸残基がバリン残基(val)であれ、メチオニン残基(Met)であれ、それらは分子の内部に埋没しており、外部には露出していない。そして、その事実は、被告の主張するような曖昧な事実では決してなかった。だからこそ、被告製法の開発を担当していたウェルカム社の【P11】証人は、米国の法廷において、「その異なったアミノ酸はt―PAの内部の非常につつみこまれた『クリングル』構造群の一つに位置している」(甲第二〇号証訳文12頁)と証言したのである。そして、球状のt―PA分子の内部に埋没しているこのような部位が活性部位でないことは疑いを容れる余地がない。甲第九九号証(【P16】著「新生化学上巻」、原文は一九八二年発行)には、「酵素の基質特異性の研究から、基質分子と、基質分子が結合して触媒反応を受けるべき……触媒部位catalytic siteと呼ばれる酵素分子の表面上の特異的領域との間に相補的な『鍵と鍵穴』の関係があるという概念が生まれるに至った。」(二四四〜二四五頁)と記載されており、酵素の活性は分子の内部につつみこまれたところにあるのではなくて、球状分子の表面の鍵穴の部位にあることが明らかにされており、また、甲第一〇〇号証(一九七〇年発行の【P17】著「生化学」)には、「酵素は触媒作用を持つタンパク質である。すなわち、それは反応の途中において消費されたり変質されたりすることはなく、反応速度を促進するものである。この触媒作用はタンパク質の表面に一様に分布されているものでなく、活性中心と呼ばれる或る特定の部位に極在している。」(八〇頁)と記載されており、酵素の触媒作用を果たす部分は蛋白質の内部にあるのではなくて、その表面のしかも活性中心と呼ばれる特定の部位にあることが説明されている。
以上を要するに、バリン残基(val)とメチオニン残基(Met)とは、分子の機能を変化せしめることなしに互換性のあることが米国出願当時の技術水準の下においても当業者の間で広く認識されていたのである。
3 そして、そのような技術水準を考慮し、東京大学名誉教授【P13】博士は、
その鑑定書(甲第三二号証)の中で、「置換されたメチオニン残基は上記の様にt―PAの内部の非常につつみこまれたクリングル構造群のひとつに位置していて、
分子表面には露出しておらず疎水性領域に埋没しているとされていますが、その様な位置のアミノ酸残基がバリン残基からメチオニン残基に置換したとき、得られるt―PAの活性に影響はないであろうと、一九八二年当時予測することは可能だったでしょうか。」との問に対し、「既に述べた様に、二四五番目のバリン残基は分子表面に存在するのではなく、分子内部を構成する疎水性領域内に埋没した位置にあり、しかもt―PAの構造を固定する役割を果たしているシスチン結合を構成している二四三位のシステイン残基のすぐ隣りに位置しているので、このバリン残基を、同じく疎水性アミノ酸であるメチオニン残基で置き換えても、t―PAの分子の立体構造に変化を与えず、又、その生物活性は変化しないと予想することができます。」(5〜6頁)と答えている。したがって、当業者が、t―PAの機能及び挙動に影響を及ぼさない分子内部に埋没して存在し、しかも機能に影響を及ぼさないメチオニン残基(Met)とバリン残基(val)との置換によって、t―PAの作用になんらの変化も生じないと予測することは当然である。
被告は、乙第二六号証(【P18】のPCT特許出願明細書)を引いて、同明細書には「疎水性」を示す「ハイドロパシック・インデックス」が記載されているが、それによるとバリンの疎水性度は四・二であるのに対し、メチオニンの疎水性度は一・九であって、その差は二・三であるが、同明細書には、「ハイドロパシック・インデックス」の数値の差が約±1の範囲内にはいるとき「首尾良く置換される」と記載されているから、バリンからメチオニンへ「首尾良く置換される」かどうかは分からない旨主張する。
しかしながら、被告主張の第一の誤りは、「ハイドロパシック・インデックス」を「疎水性度」と訳した点である。「Hydropathic Index」は、
「疎水性度」を意味しない。それは、「疎水性度」と関連はするが、アミノ酸残基が蛋白質の内部に埋もれている場合と、表面に露出している場合の統計的な比率から算出された係数であって、「ハイドロパシック・インデックス」は「疎水性度」の値を示すものではない。バリン残基(val)の「ハイドロパシック・インデックス」が四・二であるのに対して、メチオニン残基(Met)のそれが一・九であるというのは、それらの残基の疎水性度を示す値ではない。また、乙第二六号証の明細書には、「ハイドロパシック・インデックス」の数値の差が約±1の範囲内にはいるとき「首尾良く置換される」と記載されてはいるが、同明細書が引用している【P19】の一九八二年発行のJournal of Molecular Biology一五七巻一〇五頁(甲第九八号証)に掲載された【P19】の報文にもこのことは全く記載も示唆もされていない。そればかりでなく、そもそもかかる技術常識自体が存在しないのであって、右記載は同明細書の筆者の誤解に基づく記述というほかない。
4 東京工業大学教授【P15】博士作成の意見書(甲第八〇号証)には、米国第一出願当時、既にバリン及びメチオニンの各側鎖の疎水性が定量的に測定されており、極めて近似の値をとることが知られており、両者が蛋白質の立体構造形成の上で近似の挙動をとることが予測できたこと、さらに一九八二年以前に知られていた多くの「中立変異(基本的に蛋白質の機能が変化しないアミノ酸残基の置換)」の諸例の中で、バリン残基↓メチオニン残基の変異は最も頻度の高いものの一つとして数えられていたこと、また、バリン残基↓メチオニン残基の変異は安定性にも大きな違いを与えない例に分類されていたこと、さらに、セリンプロテアーゼについても、バリン残基の箇所のアミノ酸配列がメチオニン残基となっているセリンプロテアーゼが既に多く知られていたこと(t―PAもセリンプロテアーゼの一種である。)等を挙げ、「活性中心にないバリン残基をメチオニン残基に置換しても機能を損なわないであろうという予想」が一九八二年当時可能であったことを明らかにしている。【P15】教授の右見解は、【P13】東大名誉教授作成の意見書(甲第三二号証)及び【P8】東大名誉教授等作成の乙第七九号証実験報告書(四)に対する意見書(甲第六四号証)の記載と全く揆を一にするものである。
四 アミノ酸配列の限定に関する被告主張に対する反論 被告は、本件発明の出願経過に照すと、本件発明は、アミノ酸配列の限定要件が付加されてはじめて特許査定されたものであり、またその限定要件が付加された理由からみて、本件発明の技術的範囲は、本件アミノ酸配列を有するtーPAだけに限定され、それと異なるアミノ酸配列を有するtーPAは、本件発明の技術的範囲には属しない旨主張する。
しかしながら、本件発明の明細書の発明の詳細な説明には、「本明細書に於いて、『ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子』又は『ヒトt―PA』又は『t―PA』は、微生物培養系又は細胞培養系により産生され、プロテアーゼ部分を含み且つヒト組織に天然に存在する組織プラスミノーゲン活性化因子に対応する生物活性形態のヒト外因性(組織型)プラスプラスミノーゲン活性化因子を意味する。本発明により産生されるヒト組織プラスミノーゲン活性化因子タンパクは、決定されたDNA遺伝子及び推定アミノ酸の配列決定によって定義されている。各固体毎に天然のアレル変異体が存在し及び/又は発生することは理解されよう。これらの変異は、全配列に於ける一個以上のアミノ酸の相違、又は配列中の一個以上のアミノ酸の欠失、置換、挿入、転位もしくは付加によって示される。更にグリコシル化の位置及び程度は宿主細胞環境の性質に依存するであろう。
組換DNA技術を使用して、例えば、基本となるDNAの特定の部位に突然変異を誘発することにより、一個又は複数のアミノ酸の置換、欠失、付加又は転位によって種々変性された種々のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子誘導体を製造することが可能である。本明細書中で特に説明するヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の一般的特性である必須のクリングル(kringle)領域とセリンプロテアーゼ領域とを維持しているが他の部分は前記の如く変性された誘導体の製造も可能である。ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子中の前記の如きアレル変異及び変性は、全て本発明の範囲内に包含される。」(公報(1)7欄28行〜8欄15行、
公報(2)10欄32行〜11欄19行)との記載、及び「更に、ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の本質的特徴である活性が実質的に維持されている限り、物理的及び生物学的に類似した他の近縁のヒト外因性(組織型)プラスミノーゲン活性化因子も本発明の範囲内に包含される。」(公報(1)8欄15〜19行、公報(2)11欄19〜23行)との記載がある。一九七六年七月二一日第五刷発行の【P20】著【P13】訳「ペプチドとタンパク質」(甲第二四号証の1〜3)に「生物学的活性なペプチドは、その活性を損なうことなしに、ある種の基を付加したり、ある種のアミノ酸を除いたりして、化学的に修飾することができる。」と説明されていることからも明らかなように、右の明細書の各記載は、t―PAについても、米国第一、第二出願当時公知なものとなっていたそのような化学的修飾の手法を適用することによって変異体や誘導体を積極的に製造することが可能であることを述べたものであって、決して根拠のない単なる着想を記載したものではない。
被告t―PA(イ号物件)の製法は、本件発明の明細書に記載されている方法と全く同様に、メラノーマ細胞由来のt―PAmRNAを逆転写酵素によって逆転写してt―PAcDNAを得、これをベクターに組み込んで発現ベクターとし、該発現ベクターで宿主細胞たるチャイニーズ・ハムスター卵巣細胞を形質転換して形質転換された宿主細胞を得、次いでこれを培養してt―PAを産生せしめているのであるが、メラノーマ細胞由来のt―PAmRNAを逆転写することによってcDNAを得るに当たって、t―PAの二四五位のアミノ酸残基をコードしているコドン(GTG)が、誤ってATGと転写されたt―PAcDNAをそのままベクターに組み込んで発現ベクターとして用いたために、二四五位のアミノ酸残基がバリン残基ではなくてメチオニン残基に置換したt―PA(メチオニンt―PA)を得ているのであって、その製法は、本件発明の明細書に記載されている各発明の目的と全く同一の目的を解決する手段として開発された製法であり、その手段自体も本件発明の明細書に記載されているところと何ら異ならない。ただ、その手段を実現するに際して、クローニングの過程においてクローニングエラーを生じ、塩基配列中の一つの塩基たるグアニン(G)がアデニン(A)に替ったcDNAをそのまま用いたために二四五位のバリン残基がメチオニン残基に置換したt―PA(メチオニンt―PA)が産生されたのである。この点について、大阪大学細胞生体工学センター教授【P21】博士作成の平成四年六月四日付陳述書(甲第三八号証)には、
「GI社がクローニングエラーによって生じた二四五位のアミノ酸残基がバリンからメチオニンに置換したヒトt―PAcDNAを取得し、その発現を行ったことは少なくともヒトt―PAの製法という観点から見れば、何の科学的意義も認められない。」(3頁)と記載されている。しかも、米国第一出願当時の技術水準においても、かかる誤った塩基配列を含むcDNAを正規の塩基配列のcDNAに戻すことが極めて容易であることは、【P21】教授が平成四年六月三〇日の証人尋問において証言しているとおりである(平成四年六月三〇日付証人調書九丁表)。したがって、かかる正規の塩基配列のt―PAcDNAを用い、改めて、宿主細胞の形質転換を行うならば、何時でも、正規のt―PA(バリンt―PA)を産生することのできる形質転換された宿主細胞が得られるにも拘らず、被告は、かかるクローニングエラーを含んだ宿主細胞を用いてt―PAの製造を行っているのである。すなわち、【P11】証人の証言(甲第二〇号証)にあるように、「ヒトt―PA分子中の一個のアミノ酸の変化は、計画された、あるいは設計による変化ではなかった。」(甲第二〇号証訳文13頁4〜6行)のであり、それは「クローニングエラー」であった(同頁8行)のであり、該残基は、「蛋白の疎水性領域内に埋没し、
抗体産生を生じさせ得る分子表面には露出していない」し(同11頁4〜5行)、
「t―PAの内部の、非常につつみこまれた『クリングル』構造群の一つに位置している。」(同12頁下から5行以下)ので、「検出可能な範囲での生物活性に影響を与えなかった。」(同12頁下から6行以下)。そこで、「ヒトt―PAに正確に相当する様に、メチオニンからバリンへ変化させて戻すことをしないと決め」(13頁12〜13行)、そのままに作業を進めたというのである。さらに、被告のt―PA(メチオニンt―PA)は本件発明のt―PA(バリンt―PA)と同一の臨床効果を持ち、酵素として同一である。それにもかかわらず、特許請求の範囲の記載文言に拘泥して、被告t―PA(イ号物件)のように、t―PAとしての基本的機能を同じくするにも拘らず、偶々そのアミノ酸配列中の一個のアミノ酸残基が相違するものが本件発明の技術的範囲に属しないものと認めるとすれば、組換DNA技術の分野における特許は有って無きに等しく、有名無実化することは明らかであり、この技術分野において特許権は存立し得ないのと同様の結果が招来されることになろう。そうとすれば、かかる被告のt―PA、その製法、用いる形質転換された宿主細胞、該t―PAを有効成分とする被告の製剤が、何れもA及びB特許請求の範囲に記載の各発明と実質上同一であるか若しくは均等であることは否定し得ないというべきである。
また、被告は、本件発明の出願経過からみて本件発明のt―PAは本件アミノ酸配列を包含するものに限定される旨主張するが、当該特許請求の範囲が出願人の出願段階における明細書の補正内容によって限定的に解釈されるべきか否かは、補正がなされた理由により決まる。
A特許請求の範囲第1項に補正によって加えられた六九〜五二七番目までの部分的アミノ酸配列の要件は、特許庁審査官がA発明の出願明細書に記載されており、
実際に製造されたと認められたとしている三種の蛋白質(t―PA)を特許請求の範囲に記載の発明におけるt―PAとするという意味を持つ要件である。したがって、右補正は、出願人たる原告が右三種のt―PAのいずれかと実質的に同一のt―PA或は均等のt―PAが補正されたA特許請求の範囲第1項に記載の発明の技術的範囲に属すると主張することを禁ずるものではない。換言すれば、第一発明の技術的範囲には、右三種のt―PAのみならずそれと実質上同一のt―PA或は均等のt―PAが包含されるのである。この点について、甲第四三号証(米国ジョージ・ワシントン大学教授、【P22】博士の宣誓供述書)には、「審査手続における禁反言(File wrapper estoppel)」の適用を受けて、均等の主張が禁ぜられるのは、公知事実を回避するために特許請求の範囲が補正され限定された場合であって、たとえ出願過程において特許請求の範囲減縮する補正がなされたとしても、その補正が当該発明を公知事実(先行技術)と区別するための補正でなかった場合には、均等の主張は決して禁じられないということが多数の判例を引用して明確に述べられており、右見解は、日本特許法の解釈としても参照されるべき貴重な見解である。また、その点は、ドイツ特許法の下においても全く同様に認められている(甲第九三号証の1〜8)。
五 イ号方法の開発経過に関する被告主張に対する反論 被告は、イ号方法は、本件発明とは全く独立して独自に開発されたものである旨主張するが、本件発明者の一人である【P23】博士は、一九八二年七月二三日にスイス国ローザンヌで開催された会議において、オリゴヌクレオチドプローブ法を用いてt―PAcDNAのクローニングに成功したことを報告しており、その場にはジェネティックス・インスティテュート(GI社)の研究者も出席していた。当時、GI社は、ようやく三種の一七マーから成るオリゴヌクレオチドのプールを八プール作ったにすぎない。そして、一九八二年当時、微量タンパクのcDNAのクローニングには確立された方法が存在していたのではなく、幾つかの方法から適切と思われる方法を選択していたにすぎなかったのであり、とりわけオリゴヌクレオチドプローブ法を用いれば間違いなくクローニングができるという保証は何もなかった。GI社は、【P23】博士の報告により、自らのクローニング法に確信を得ることができ、その意味でGI社のt―PAcDNAのクローニングに大きく方向付けをしたのであって(甲第二九号証=【P21】鑑定書質問1・9)、本件発明とイ号方法の技術内容の評価には雲泥の差があり、イ号方法は、本件発明の明細書に開示されている技術をそっくりそのまま借用したものに他ならない六 まとめ 以上に述べたとおり、本件発明のt―PAは、A及びB特許請求の範囲の記載文言そのままのアミノ酸配列を有するものには限定されず、それと実質上同一の物若しくは均等物も本件発明のt―PAに該当するものと解すべきであり、イ号物件、
イ号方法、イ号製剤、イ号細胞のいずれもが本件発明と実質上同一若しくは均等であると評価されるべきことは明らかである。
【被告の主張】一 A特許請求の範囲第一項に記載の発明(第一発明)について A特許明細書の特許請求の範囲の記載内容及び発明の詳細な説明の記載内容並びにA発明の特許出願の審査過程に照すと、A発明は、アミノ酸配列の限定要件が付加されてはじめて特許査定されたものであり、またその限定要件が付加された理由からみても、A発明の技術的範囲は、本件部分的アミノ酸配列を有するt―PAに限定され、それ以外のアミノ酸配列を有するt―PAは、A発明の技術的範囲に属しない。
第一発明のt―PAとイ号物件とは、前者の二四五位がバリン残基であるのに対し、後者の二四五位がメチオニン残基である点においてそのアミノ酸配列が相違しており、イ号物件は本件部分的アミノ酸配列をそっくりそのままには包含していない。したがって、イ号物件は第一発明の技術的範囲に属しない。
仮に、原告主張のように、第一発明のt―PAと実質上同一の物若しくは均等物であるか否かによって、本件特許権の侵害を構成するか否かを判断するとしても、
その判断基準は、第一発明のt―PAとイ号物件が、組換t―PAとして共通の性質を有するものであるか否か、すなわち前示のt―PAの条件@、A及び特性@〜Dを有するか否かに求められてはならない。なぜならば、そうするとアミノ酸配列の限定条件が全く無意味なものとなってしまうからである。
被告の実施した実験結果等によれば、第一発明のt―PAとイ号物件は、二四五位におけるアミノ酸残基が相違する結果、生理活性だけでなく物理化学的性質も異なるものであることが明らかであるから、両者はその機能が相違している。仮に第一発明のt―PAとイ号物件の生理活性及び物理化学的性質が同じであり、両者の二四五位のアミノ酸残基の置換が可能であるとしても、米国第一出願当時、そのことは当業者にとって全く予測ができなかった技術的事項であるし、現在においても実験等の確認を行なわない限り容易に予測のできない技術的事項である。したがって、本件では、置換可能性及び予見可能性のいずれの要件も欠いているから、イ号物件は第一発明のt―PAと実質上同一の物あるいは均等物とはいえない。特に、
A発明は、米国第一出願当時、糖鎖が天然t―PAと異なるt―PAが、天然t―PAと同種の生物活性を有することは予測できなかったとの理由で特許査定されたのであるから、米国第一出願当時第一発明のt―PAと同じ性質を有するt―PAとなるかどうかを予測できなかったイ号物件に、第一発明の技術的範囲が及ぶ余地はない。
二 A特許請求の範囲第二項記載の発明(第二発明)について 原告主張の第二発明に伴う「困難性」とは、単にその遺伝子組換技術による開発に時間や労力を要するということを言い換えたものにすぎず、仮にそこに本来の第二発明の技術上の困難性があるのであれば、第二発明の技術内容は、右の技術上の困難性を克服する具体的手段、方法によって特徴づけられ得るものでなければならない。ところが、A特許明細書には、第一発明のt―PAの製法として、米国第一出願当時一般的に知られていた遺伝子組換技術によってt―PAを製造する方法が記載されているにすぎず、最終目的産物のアミノ酸配列の要件のみが第二発明の技術的特徴となっている。また、A発明の全出願経過からみても、第二発明は、最終目的産物の特徴に依拠して特許査定されたことは明らかである。したがって、第一発明について述べたのと同一の理由により、イ号方法は、第二発明の技術的範囲に属しない。
原告の主張するように、本件発明者の一人である【P23】博士は、一九八二年七月二三日にスイス国ローザンヌで開催された会議において、オリゴヌクレオチドプローブ法を用いてt―PAcDNAのクローニングに成功したことを報告しており、その場にはジェネティックス・インスティテュート(GI社)の研究者も出席していた。しかし、そのプローブに利用できるアミノ酸配列の開示を含む本件発明の技術内容を初めて具体的に公表したのは、一九八三年一月二〇日発行のnature誌に掲載された“Cloning and expression of human tissue-type plasminogen activator cDNA in E.coli”(ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子cDNAのクローニングと大腸菌における発現)と題する報文(乙第一七号証)において、本件発明者らが、A特許明細書記載の発現例(E.1.G、E.1.I)に関する知見を発表し、同報文第3図BにA特許明細書第5図と同内容の全長t―PAのアミノ酸配列を開示した時点である。被告は、その時点までにCHO(チャーニーズハムスター卵巣細胞)を形質転換させてイ号物件を発現させていたのであり、
イ号方法は、第二発明とは全く独立に開発されたものであるのみならず、その製法の具体的内容においても、原告が技術上困難であるとする点について、その点を克服するための遺伝子組換技術に関する公知技術の具体的適用態様を異にするものであるから、イ号方法は原告の主張するようにイ号方法がA特許明細書に開示されている技術をそっくりそのまま借用したものなどとは到底いえない。したがって、この点でも、イ号方法は第二発明の技術的範囲に属しない。
三 B発明について B特許請求の範囲に記載された形質転換体は、第二発明を実施するに当たり用いられる中間体に該当するものである。そして、B特許請求の範囲に記載された形質転換体についても、第二発明の場合と同様に、米国第一出願当時常法であった一般的な遺伝子組換技術による形質転換体が記載されているにすぎず、最終目的産物であるt―PAのアミノ酸配列(本件全長アミノ酸配列)の要件以外には何らの技術的特徴を見出すことができない。したがって、第一発明について述べたのと同一の理由により、イ号細胞はB発明の技術的範囲に属しない。
四 A特許請求の範囲第三項記載の発明(第三発明)について 第三発明についても、特許請求の範囲には材料に用いるt―PAのアミノ酸配列の要件以外には、特段の技術的特徴が記載されてはいない。したがって、第一発明について述べたのと同一の理由により、イ号製剤は、第三発明の技術的範囲に属しない。
争点に対する判断
【本件発明の概観】一 米国第一、第二出願当時の技術水準1 米国第一、第二出願当時、天然t―PAに関しては、(一) ヒトメラノーマ(黒色腫)セルライン(細胞株)がt―PAを分泌すること、(二) メラノーマ由来のt―PAは免疫学的及びアミノ酸組成において正常組織から単離されたt―PAと区別し得ない特性を有すること、(三) 比較的純粋な形態で単離されたt―PAは高い活性を有する線維素溶解因子であること、
(四) メラノーマセルラインから精製したt―PAはウロキナーゼ型プラスミノーゲン活性化因子(略称u―PA)に比較して線維素に対してより高い親和力を有していること、(五) t―PAは、血液、組織抽出物、血管潅流液及び細胞培養物中には非常に低濃度しか存在していないため、血栓溶解剤としての可能性を更に深く研究することは困難であること、(六) ヒト由来の他のタンパクを実質的に含まない高品質のヒトt―PAを必要充分な量で製造するために最も有効な方法は、組換DNA技術の適用であること、が認識されていた(公報(1)4欄19行〜5欄2行)。
2 また、当然、天然t―PAの化学構造及び機能(生理活性)に関しては、
(一) 分子量は、約七万〜七万二〇〇〇であること(乙第一九、第二二、第二八号証)、(二) 特性@(プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能)を有すること(乙第二八号証)、(三)特性A(フィブリン結合能)を有すること(乙第二八号証)、(四) 特性Bを有する(ボーズメラノーマ細胞由来のt―PAに対する抗体に免疫反応を示す)こと(乙第二二、第二八号証)、(五)特性Cについては、一般的特性としてクリングル領域及びセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列(ただし、当時t―PAの全アミノ酸配列は未解明であり、両領域のアミノ酸配列、すなわち具体的な一次構造も未解明であった)を含有すること(公報(1)8欄7〜11行、53欄42〜43行、54欄13〜38行、第12図、
弁論の全趣旨)、(六) 特性Dを有する(一本鎖または二本鎖として存在する)こと(乙第二八号証)、(七)二本鎖t―PAは、一本鎖分子がタンパク分解的開裂によりジスルフィド結合で接続された二個のポリペプチドになること(公報(1)54欄1〜5行)、血栓症患者に投与した治療実験では、血栓の溶解が起こっていること(乙第二〇号証)が知られていた。
3 一方、当時、組換DNA技術に関しては、目的とする遺伝子を得る技術、組換DNA分子を作成する技術、組換体を作る技術及び組換体の選択技術等のDNA(遺伝子)組換における基本的技術が知られており(乙第七六号証、弁論の全趣旨)、既に、これらの技術を用いてヒト血清アルブミン、ヒトインシュリン、α―インターフェロン、ヒト成長ホルモンなどの生理活性を有する蛋白質が生産されていた(乙第五二号証の2・3)。
二 本件発明の技術的課題(目的) 米国第一、第二出願当時の以上の技術水準からすると、当時t―PAは血栓溶解剤として有用な蛋白質であることが確認されていたものの、ヒトの組織を細胞培養して得られる天然t―PAを入手することができるにすぎず、また、その得られる量が極めて少ない上に、t―PAが非常に長い鎖構造であるために、血栓溶解剤としての研究開発を進めることが困難であったと認められる。
一方、当時技術開発に進歩が著しかった組換DNA技術、いわゆるバイオテクノロジーを用いて有用な蛋白質を生産することが実現しつつあり、世界各国においてt―PAなどの有用物質の開発競争が繰り広げられていた(乙第七六号証、弁論の全趣旨)。しかし、前示のように、当時、組換DNA技術によってある種の有用蛋白質を生産できることが知られていても、天然t―PA自体からして微量しか入手できないことや、t―PAのmRNAはその濃度が極めて低い上に、非常に長い鎖構造であることなどの困難な技術的課題があったことから、t―PAが組換DNA技術によって生産できることを確実に予測することは困難であった(甲第二九〜第三一号証、第三三号証、第五三号証の1)。
このような状況下において、本件発明の技術的課題は、前示のt―PA及び組換DNA技術に関する公知の知見を基にして、組換DNA技術によるt―PAの充分な量の生産及びt―PAの血栓溶解剤としての開発にあった。
三 本件発明の技術的課題の解決1 A特許明細書の発明の詳細な説明欄には、組換DNA技術によるt―PAの製造方法、組換t―PAの活性検出及び産生レベルに関して次の記載がある。
(一) 好適具体例の概説の項には、概略次のとおり、組換DNA技術を用いて所望のt―PA(第一発明のt―PA)を産生するまでの基本的な製造工程が順を追って記載されている(公報(1)17欄26行〜19欄44行)。
(1) t―PAを産生するヒトメラノーマ細胞を培養した。
(2) 培養された細胞から細胞質RNAを単離した。
(3) オリゴdTカラムを用い全mRNAをポリアデニル化形態で単離し、更にゲル電気泳動により全mRNAをサイズ分画した。
(4) 各ゲル画分のRNAを翻訳し、得られた蛋白質をt―PA特異的IgG抗体で免疫沈降し、t―PA特異的RNAを含むゲル画分を同定した。
(5) 適切なRNA(21〜24S)を対応する一重鎖cDNAに転換し、該cDNAから二重鎖cDNAを製造した。ポリーdCを末端につなぎ、一種以上の表現型マーカーを含むプラスミドのごときベクター内に挿入した。
(6) 前記のごとく調製されたベクターを使用して細菌細胞を形質転換し、クローン化cDNAライブラリーを調製した。t―PA中の既知のアミノ酸配列のコドンと相補的な放射活性標識ー合成デオキシオリゴヌクレオチドのプールを調製し、
コロニーライブラリーのプローブに用いた。
(7) ポジティブな(プローブに対して陽性反応を示した)cDNAクローンからプラスミドDNAを単離し配列決定した。
(8) t―PAをコードしている配列決定したDNAを適当な発現ベクターに挿入するために末端処理し、該発現ベクターを適当な宿主細胞に形質転換し、宿主細胞を培養により増殖させ、所望のt―PAを産生させた。
(二) 実施例のE.1の項には、次の技術内容が具体的に記載されている。
(1) 発現例@、すなわち宿主細胞を大腸菌(E.coli)、発現プラスミドをp△RIPA°として発現した本件部分的アミノ酸配列を有するt―PAの製造工程の主要な工程(公報(1)26欄29行〜33欄39行、22欄34〜39行、第6図。なお、公報(1)22欄34行の「第5図」は、「第6図」の誤記と認める。)。
(2) 全長t―PAのcDNAのヌクレオチド配列及びそれから推定される完全なt―PAのアミノ酸配列等の化学構造(公報(1)33欄40行〜39欄21行、21欄20行〜22欄33行、第4図、第5図、60欄8〜10行、第12図)。
(3) 発現例A、すなわち宿主細胞を大腸菌、発現プラスミドをpt―PAtrp12として発現した本件全長アミノ酸配列を有するt―PAの製造工程の主要な工程及び右t―PAの活性(線維素溶解能)試験の結果(公報(1)39欄22行〜40欄34行、24欄22行〜26欄1行、第9図、26欄2〜28行、第10図)。
(三) 実施例のE.2の項には、発現例BA、すなわち宿主細胞をCHO細胞(チャイニーズハムスター卵巣細胞)、発現プラスミドをpETPERとした本件全長アミノ酸配列を有するt―PAについて、
(1) 第11図に見られるように、t―PA断片をそれぞれ部分的にコードしているpPA25E10、pPA17及びpt―PAtrp12から調製された全長t―PAをコードする配列を含むプラスミド(pETPER)を構築したこと(公報(1)45欄17行〜48欄44行)、
(2) このプラスミドをCHO細胞にトランスフェクトし、目的とする形質転換されたCHO細胞を培地上に発生させて得たコロニーを数世代まで増殖させ、得られたコロニーを単離したこと(公報(1)49欄1〜18行)が記載されている。
もっとも、同項(公報(1)45欄17行〜50欄14行、60欄5〜8行、第11図〔特許異議答弁書提出時の補正書=甲第二号証第11図〕、60欄10〜12行、第13図〔同補正書第13図〕、第14図)を始めとしてA特許明細書中には、発現プラスミドpETPERにより発現例BA(本件全長アミノ酸配列を有するt―PA)の発現に成功したことの明示の記載は見当たらないが、同項には、
「トランスフェクトされ増幅されたコロニー中のtーPAの発現は、E.1.K.1.bで説明した方法……と同様の方法で簡便に検定され得る。」と記載されていること(公報(1)49欄20〜24行)からすると、少なくともE.1.K.1.a,b(公報(1)41欄20行〜42欄20行)で説明されている方法で表1(後記(五))に示されているp△RIPA°を含むE.coli(大腸菌)培養抽出物の活性化測定方法と同じ方法(公報(1)44欄16〜33行)、すなわちt―PAを含む溶液をプラスミノーゲン溶液とインキュベートした後に形成されるプラスミンを測定することによってt―PAの発現の有無を検出することができることは示されている。
(四) 実施例のE.Bの項には、発現例3B、すなわち宿主細胞をCHO細胞(チャイニーズハムスター卵巣細胞)とし、上記(三)の発現プラスミドpETPERと同様の方法で構築したpETPFRを発現プラスミドとして産生された本件全長アミノ酸配列を有するt―PAの製造工程の主要な工程及び同発現例の増殖条件別の産生量が具体的に記載されている(公報(1)50欄15行〜53欄8行、
60欄5〜8行、第11図〔特許異議答弁書提出時の補正書=甲第二号証第11図〕、60欄10〜15行、第13図〔同補正書第13図〕、第14図、第15図〔同補正書第15図〕、第16図)。
(五) 発現例@、Aにつき、表1にはp△EIPA°で形質転換されたE.coli(大腸菌)培養抽出物が、表2にはpt―PAtrp12で形質転換されたE.coli培養抽出物が、それぞれ抗t―PA抗体活性(特性B)を示すことが数値データ(パーセント活性)をもって示されており、また、第7図にはp△RIPA°で形質転換されたE.coli培養抽出物が天然t―PAと同様の線維素溶解活性(特性@)を有することが示され、第10図にはpt―PAtrp12で形質転換されたE.coli培養抽出物が線維素溶解能(特性@)を有することが示されている(公報(1)43欄18行〜45欄16行、22欄40〜43行、第7図、26欄2〜28行、第10図)。
(六) 発現例BBにつき、表3にはpETPFRで形質転換させたCHO細胞の増幅によってかなりの量のt―PAが産生できることが示されている(公報(1)51欄22行〜53欄8行)。
なお、A特許明細書中には、発現例@及びAについては各培養抽出物が天然t―PAと同様の生理活性(特性@、B)を有することを確認した旨の記載があるのに対し、発現例Bについてはこの確認をした旨の明示の記載がないけれども、同明細書中には、
(1) E.3.Bの項に、「……pETPFRを使用して……CHO細胞……をトランスフェクトした。選択用培地……で発生した21個のコロニーをアッセイするために、……線維素及びプラスミノーゲンを含む寒天プレート中の線維素の消化によって測定されるプラスミン形成を測定した。」、「次にE.1.K.1.bに記載した方法により、最もポジティブなクローンのうち4個の細胞当りのプラスミン形成を定量的に検定した。……前記の如き定量測定により、4個の被検クローンが、……培地内t―PA分泌を示すことが知見された。」と記載され(公報(1)50欄43行〜51欄17行)、
(2) 表3の注(公報(1)52欄16〜34行)には、抗原抗体反応を利用して培地中のt―PAを検出及び定量する方法として、ウサギ抗t―PA抗血清のIgGを使用したラジオイムノアッセイ法を用いたことが記載されているから、
(1)記載のクローンの各測定をもって、発現例BBの培養抽出物が特性@を有することの確認に代え、また、(2)記載のアッセイ(検定)をもって、同培養抽出物が特性Bを有することの確認をしたものと考えられる。
2 B発明の明細書の発明の詳細な説明欄には次の記載がある。
(一) プロモーターに関して、「哺乳動物細胞中で使用する場合、発現ベクターの制御機能は、しばしば、ウイルス性物質によって与えられる。例えば常用のプロモーターは、ポリオーマウイルス、アデノウイルス2から誘導され、更に多くの場合サルウイルス40(Simian Virus 40 SV40)から誘導される。SV40ウイルスの初期(early)プロモーター及び後期(late)プロモーターが特に有用である。これは、いずれもSV40ウイルスの複製のオリジンを併せて含む断片として、ウイルスから容易に得られるからである(Fiers、et al.、Nature、273:113(1978)参照)。」(公報(2)17欄28〜39行)、「後述の実施例では、……宿主細胞としてCHO細胞の使用、及びプロモーターとしてのSV40の複製のオリジンを含む発現ベクターについて記載する。」(18欄40〜44行)との記載がある。
(二) DHFRに関して、「t―PA及びDHFRタンパクの双方をコードしているDNA配列を含む本発明のベクターによってトランスフェクションを行なう好ましい宿主細胞を選択する際には、使用するDHFRタンパクのタイプによって宿主を選択するのが適当である。」(公報(2)18欄11〜16行)、「十分量のヒトt―PAが細胞培養に於いて産生されるが、第二コード配列を用いて更に改良することにより産生レベルを更に向上することが可能である。この第二のコード配列はジヒドロ葉酸還元酵素(DHFR)を含み、このDHFRは外部制御パラメーター例えばメトトレキセート(metho-trexate、MTX)の作用を受けるので、従って、MTX濃度の調整によって発現を制御し得る。」(公報(2)19欄5〜13行)、「DHFRタンパクをコードしている配列の増幅を行なうには、DHFR活性の競合阻害剤であるメトトレキセートを濃度約20〜500000nMで存在させて宿主細胞を増殖させる。有効濃度範囲は、勿論、DHFR遺伝子の性質、タンパク及び宿主の特性に依存する。従って、上記の上限値及び下限値は確定値ではない。」(公報(2)20欄27〜33行)、「本発明では、薬剤としてメトトレキセートを用いる。メトトレキセートは、これを摂取し得る細胞には普通致死性を有するが、制御されたMTXレベルではDHFRコード配列をコードしている遺伝子の増幅により細胞が増殖することを可能にするという性質を有している。……本発明のこの点の重要性は、DHFR遺伝子の増幅が、他のタンパクをコードしている関連配列の増幅をも生起し得ることにある。」(公報(2)22欄18〜30行)、「基本的に、本発明は、MTXの存在下で、又は形質転換された細胞をMTXで予備処理することにより、t―PA配列の発現レベルを向上せしめる制御メカニズムを得るために、DHFR配列の増幅が関連タンパクをコードしている配列に与えるインパクトを利用している。」(公報(2)23欄5〜11行)、「以下の実施例は本発明の代表例として示されたものであり限定的な性質を持たない。以下に記載の実施例に於いては、E.coli細胞及び導入されるDHFRタンパクのコード配列の型に適したCHOセルラインを宿主細胞として使用した。」(公報(2)23欄13〜18行)との記載がある。
3 これらの明細書の各記載内容を総合すると、
(一) A特許明細書中には、DNA技術を用いてt―PAを製造するための主要な技術事項として、
(1) 全長t―PAのcDNAの塩基配列及びそれから推定されるアミノ酸配列(全長t―PAに対応するcDNAの開始コドン「ATG」から停止〔終止〕コドン「TGA」に至る(別紙目録六記載のマイナス三五番のメチオニンから五二七番のプロリンに至る五六二個の全アミノ酸配列を含む)、
(2) ヒトメラノーマ細胞から得られたt―PAmRNAを起源とするt―PAcDNAを組み込んだ発現ベクターを構築し、このベクターで大腸菌又はCHO細胞を形質転換し、この形質転換細胞を培養し、増殖させてt―PAを産生させる各工程の具体例、
(3) この具体例によりt―PAが充分量産生したこと、
(4) 産生したt―PAが天然t―PAと同様の生理活性(特性@、B)を有することを確認したことが記載されていると認められる。
(二) また、B発明の明細書では、CHO細胞のような宿主細胞を用いる場合、
t―PAとDHFRの双方をコードしているDNA配列を含む発現ベクターによって宿主細胞を形質転換させて使用することが記載されていると認められる。
4 そして、これらの記載内容を含むA特許明細書及びB発明の明細書の全記載及び全図面を総合すれば、本件発明は、組換DNA技術によってt―PAを製造する際に必須のt―PAの全アミノ酸配列を解明し、当業者であれば天然t―PAに代えて組換DNA技術によって充分な量のt―PAを実際に入手できる具体的な技術情報を開示し、医薬品(血栓溶解剤)としての市場認可に先立って必要とされる動物実験及び臨床実験を遂行するのに充分な質及び量のt―PAを製造することを実施可能にし、本件発明が技術的課題とした事項を解決したものと認められる。
【イ号物件、イ号方法、イ号製剤及びイ号細胞は本件発明の技術的範囲に属するか】一 本件発明のt―PAとイ号物件の対比 本件発明のt―PAとイ号物件を対比すると、N末端から二四五番目のアミノ酸残基が、本件発明のt―PAではバリン残基であるのに対し、イ号物件ではメチオニン残基である点で明確に相違し、右相違点の存在することは原告も自認するところである。そして、イ号方法はイ号物件を製造する方法であり、イ号製剤は、イ号物件の塩酸塩を有効成分とした血栓症治療用製剤であり(甲第八八号証、弁論の全趣旨)、イ号細胞は、これを適当な条件で培養したとき、イ号物件をコードしているDNAの転写、翻訳によってイ号物件を産生する組換え発現ベクターで形質転換された細胞である。
したがって、右相違点について、イ号物件が本件発明のt―PAと実質上同一若しくは均等であると認められない限り、イ号物件のみならず、イ号方法、イ号製剤及びイ号細胞もいずれも本件発明の技術的範囲に属しないことが明らかである。
二 原告の実質上同一若しくは均等の主張について1 【結論】 原告は、イ号物件は本件発明のt―PAと実質上同一若しくは均等であると評価されるべきであるから、結局、イ号物件、イ号方法、イ号製剤及びイ号細胞は、いずれも本件発明の技術的範囲に属するとして、前記(第三【原告の主張】)のとおり、縷々主張する。しかしながら、以下に述べるとおり、原告の右主張はいずれも採用できず、イ号物件、イ号方法、イ号製剤及びイ号細胞は本件発明の技術的範囲に属すると認めることはできない。
2 【イ号物件は本件発明のt―PAと実質上同一若しくは均等であると評価されるべきであるか】(一) 明細書の記載に関する原告主張について 本件発明の明細書の特許請求の範囲の記載によれば、本件発明のうち、第一発明の構成要件の分説は、次のとおりになる。
(1) ヒト細胞以外の宿主細胞が産生する(条件@)、ヒト由来の他のタンパクを含有しない(条件A)、
(2) プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する(特性@)、フィブリン結合能を有する(特性A)、ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す(特性B)、
(3) クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する(特性C)、一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得る(特性D)、
(4) 本件部分的アミノ酸配列を含む、
(5) 組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子(t―PA) そして、前認定のとおり、米国第一、第二出願当時、当業者にとって、(A) 組換DNA技術に関しては、目的とする遺伝子を得る技術、組換DNA分子を作成する技術、組換体を作る技術及び組換体の選択技術等のDNA(遺伝子)組換における基本的技術が知られており、組換DNA技術を用いて、ヒトDNAをヒト細胞以外の宿主細胞に導入し、これを培養して産生させ、次いでこれを分離回収する方法が一部のヒトタンパク質についてではあるが成功していたこと、(B) 天然t―PAが繊維素溶解能を有していることが知られていたこと、(C) 天然tーPAが特性@〜Dを有することが知られていたこと、(D) 本件部分的アミノ酸配列は米国第一、第二出願当時は未だ公表されていなかったが、A特許明細書第5図にはその内容が明確に特定掲記されていることからすると、A特許請求の範囲第1項の記載は、当業者にとって、文言そのものに明確を欠き、客観的、一義的に意味の定まらない部分は皆無ということになる。
特許発明技術的範囲は、明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて定められる(特許法70条)。もっとも、特許請求の範囲の記載文言だけでその技術的事項が客観的、一義的に明白とはいえない場合には、必要に応じて明細書の発明の詳細な説明参酌することが許され、また、出願当時当業者にとって自明な事項(技術常識、周知慣用の技術)を参考とすることができる。しかしながら、当該特許発明に出願前全部公知等の重大かつ明白な無効事由が存するなど特段の事情のない限り、
特許請求の範囲の記載に基礎づけられることなく発明の技術的範囲を定めることはできない。したがって、A特許請求の範囲第1項の記載は、前示のとおり、当業者にとって、文言そのものに明確を欠き、客観的、一義的に意味の定まらない部分は皆無なのであるから、第一発明の技術的範囲は、前記(1)〜(5)の構成要件分説のとおり、A特許請求の範囲第1項に記載された全ての事項を要件とするものであり、その記載文言そのままのものに基づいて定めるべきものである。本件部分的アミノ酸配列は、天然t―PAが有する全長アミノ酸配列の該当部分のアミノ酸配列と同一であり(弁論の全趣旨)、A特許請求の範囲にいう「以下の部分的アミノ酸配列を含んでいる」とは、A発明のt―PAは、少なくとも天然t―PA中の六九番から五二七番までのアミノ酸配列であるところの、本件部分的アミノ酸配列を有する蛋白質であることを意味するものと解され、A発明のt―PAは、そのような本件部分的アミノ酸配列を包含するものに限定されるものと解さざるを得ない。
また、B特許請求の範囲も当業者にとって、文言そのものに明確を欠き、客観的、一義的に意味の定まらない部分は皆無であるから、A発明のt―PAと同様の理由で、本件全長アミノ酸配列を有するものに限定されると解される。したがって、本件発明のt―PAは、本件アミノ酸配列を有するt―PAに限定される。
確かに、明細書の発明の詳細な説明には、原告指摘のとおり、「本明細書に於いて、『ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子』又は『ヒトt―PA』又は『t―PA』は、微生物培養系又は細胞培養系により産生され、プロテアーゼ部分を含み且つヒト組織に天然に存在する組織プラスミノーゲン活性化因子に対応する生物活性形態のヒト外因性(組織型)プラスプラスミノーゲン活性化因子を意味する。本発明により産生されるヒト組織プラスミノーゲン活性化因子タンパクは、決定されたDNA遺伝子及び推定アミノ酸の配列決定によって定義されている。各個体毎に天然のアレル変異体が存在し及び/又は発生することは理解されよう。これらの変異は、全配列に於ける一個以上のアミノ酸の相違、又は配列中の一個以上のアミノ酸の欠失、置換、挿入、転位もしくは付加によって示される。更にグリコシル化の位置及び程度は宿主細胞環境の性質に依存するであろう。組換DNA技術を使用して、例えば、基本となるDNAの特定の部位に突然変異を誘発することにより、一個又は複数のアミノ酸の置換、欠失、付加又は転位によって種々変性された種々のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子誘導体を製造することが可能である。本明細書中で特に説明するヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の一般的特性である必須のクリングル(kringle)領域とセリンプロテアーゼ領域とを維持しているが他の部分は前記の如く変性された誘導体の製造も可能である。ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子中の前記の如きアレル変異及び変性は、全て本発明の範囲内に包含される。」(公報(1)7欄28行〜8欄15行、公報(2)10欄32行〜11欄19行)、「更に、ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の本質的特徴である活性が実質的に維持されている限り、物理的及び生物学的に類似した他の近縁のヒト外因性(組織型)プラスミノーゲン活性化因子も本発明の範囲内に包含される。」(公報(1)8欄15〜19行、公報(2)11欄19〜23行)との記載があり、右記載に従えば、組換DNA技術で製造された、@ ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子(ヒトt―PA)及び、A そのアレル変異体並びに、Bヒト組織プラスミノーゲン活性化因子誘導体(ヒトt―PA誘導体)の三種類の蛋白質の全てが本件発明の技術的範囲に含まれるように見えなくもない。しかしながら、明細書中には、@については本件発明の明細書第5図に具体的構造の開示があるが、
A及びBについては、抽象的記載にとどまり、実際に本件アミノ酸配列を部分的に改変した蛋白質を創製し、かつその生理活性を確認したことを認めるに足る記載はなく、その具体的構造は全く開示されておらず、それを示唆する記載もない。
原告は、発明の詳細な説明の右各記載について、一九七六年七月二一日第五刷発行の【P20】著【P13】訳「ペプチドとタンパク質」(甲第二四号証の1〜3)に「生物学的活性なペプチドは、その活性を損なうことなしに、ある種の基を付加したり、ある種のアミノ酸を除いたりして、化学的に修飾することができる。」と説明されていることからも明らかなように、右各記載は、t―PAについても、米国第一、第二出願当時公知なものとなっていたそのような化学的修飾の手法を適用することによって変異体や誘導体を積極的に製造することが可能であることを述べたものであって、決して根拠のない単なる着想を記載したものではないと主張する。
しかしながら、特許法36条4項は、明細書の発明の詳細な説明には、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に、その発明の構成を記載しなければならない旨規定している。独占的実施権が保障される特許は、出願人が完成した発明につき、明細書により当業者が発明を実施し得る程度に十分な開示をなすことを条件に、いわばその対価として与えられるものである。発明の開示に際し、自明な事項については、省略をすることが許されるが、その自明な事項とは、出願時の技術水準において、更に文献調査、
実験などして研究するまでもなく、当業者が周知の知見として知得しているために、あらためてその点について説明教示を加える必要がない事項をいうものと解すべきであり、その程度に自明な事項でない限り、発明の開示は、当業者が明細書の開示により容易に発明実施をすることができる程度に発明の構成の記載を命じたものというべきである。当業者は、発明の技術が属する分野における出願時の技術水準ないし公知技術のすべてを知っているという擬制が働くとしても、生化学を含む化学の分野においては、反応を理論的に予想できる場合も確かにあるにはあるけれども、実際に当該反応が生じるかどうかを実験もせずに確実に予想することは困難であることを考慮すべきである。かような見地から甲第二四号証の1〜3を見ると、それは抽象的、一般的教示にとどまり、本件で問題となっているt―PAの二四五位のアミノ酸残基の置換について直ちに適用できるものとは考えられず、本件全証拠によるも、米国第一、第二出願当時、t―PAの構造活性相関が全て解明されていたことを認めるに足りる証拠はなく、まして、生化学を含め化学は結果を予測することが比較的困難な技術分野に属するものであって、t―PA分子のあるアミノ酸残基との間に生じる反応が他の異なるアミノ酸残基との間に生じ、後者が前者と同じ挙動を示すとは直ちに言い難いことを併せ考えると、明細書の記載のみから当業者が本件発明における二四五位のアミノ酸残基(バリン残基)をイ号物件のアミノ酸残基(メチオニン残基)に置換することが容易であり、かつ、その置換体が本件発明のt―PAと同じ活性を有することが容易に想到されるものであったと判断することは困難である。かえって、原告の右主張のとおりであるならば、そのような化学的修飾を加えた改変物質(変異体や誘導体)をも特許請求することができたはずであるのに、これを特許請求していないということは、出願人自身本件発明のt―PAの二四五位のアミノ酸残基をイ号物件のようにメチオニン残基に置換することが容易に想到し得なかったからこそ、特許請求していないと推認することもできる。なお、本件発明は天然のヒトt―PAと基本構造において同一の物質を製造することを目的とするものであるところ、ヒトの細胞ないし組織については、
例えば、鎌型赤血球貧血症患者の血液中のヘモグロビンタンパク質に見られる如く、アミノ酸残基が一個置換されたのみでも全く異なる作用をすることがあることが公知であった(乙六一号証の1・2、第一八号証)にもかかわらず、本件発明の明細書には本件特許請求の範囲で明示された本件アミノ酸配列を置換した物質が本件発明のt―PAと同じ活性を有することについて全く開示ないし示唆するところはない。したがって、原告の右主張は採用できない。
また、原告は、特許請求の範囲の記載文言に拘泥して、被告t―PA(イ号物件)のように、t―PAとしての基本的機能を同じくするにも拘らず、偶々そのアミノ酸配列中の一個のアミノ酸残基が相違するものが本件発明の技術的範囲に属しないものと認めるとすれば、組換DNA技術の分野における特許は有って無きに等しく、有名無実化することは明らかであり、この技術分野において特許権は存立し得ないのと同様の結果が招来されることになろうと主張する。
確かに、本件発明は、t―PA及び組換DNA技術に関する公知の知見を基にして、組換DNA技術によってt―PAを製造する際に必須のt―PAの全アミノ酸配列を解明し、当業者であれば天然t―PAに代えて組換DNA技術によって充分な量のt―PAを実際に入手できる具体的な技術情報を開示し、医薬品(血栓溶解剤)としての市場認可に先立って必要とされる動物実験及び臨床実験を遂行するのに充分な質及び量のt―PAを製造することを実施可能にしたものであり、組換t―PAの技術分野におけるその功績には大なるものがあったことが認められる。しかしながら、米国第一、第二出願当時技術開発の進歩が著しかった組換DNA技術、いわゆるバイオテクノロジーを用いて有用な蛋白質を生産することが実現しつつあり、世界各国においてt―PAなどの有用物質の開発競争が繰り広げられていたのであり、本件発明も、そのように世界的規模で発展を続けていた組換DNA技術の成果を応用する発明であり、組換DNA技術自体の独創性よりも応用の成果を幸いにも最先に出願し得た点で特許査定されたものと認められる。したがって、本件発明の特許請求の範囲の解釈は、以上のような米国第一、第二出願当時の技術水準の下で判明していた組換DNA技術の応用技術の成果として、その記載が一義的に明確か否かという観点からなされるべきものである。
また、組換DNA技術により本件発明のt―PAとは異なるアミノ酸配列のt―PAが発現した例としては、次のような例が明らかになっている。
@ 特開昭六一―二四七三八四号公報(乙第四八号証)には、「バウス(Bowes)黒色腫細胞系列……からcDNAライブラリ(library)を作った」(四七三頁右下欄18行〜四七四頁左上欄3行)、「結果はクローニングした配列が発表(【P23】〔Penica〕ら、同書)された配列と四点(表2)で異なることを示した。」(四七五頁左下欄1〜3行)との記載があり、表2は、七二番目がアラニン、一三九番目がグルタミン酸、二九四番目がロイシンである点で、本件発明のt―PAのアミノ酸配列と相違している。
A 特開昭六一―一三九三八六号公報(乙第四九号証)には、「ヒト咽頭癌細胞デトロイト―五六二を培養し、常法に従ってこの培養物から全RNAを分離し、オリゴ4TセルロースクロマトグラフィーによりポリA+RNAを単離した。」(四〇九頁右上欄9〜12行)との記載があり、t―PA遺伝子を取り出そうとしたが、
本件発明の明細書の第5図に記載のアミノ酸配列と比較すると、四番目及び三九九番目のアミノ酸残基が変化し、五番目から五〇番目までのアミノ酸を欠いたタンパク質を得た例が記載されている。
B 特開昭六一―一二二八八号公報(乙第五二号証の4)には、「Bowesメラノーマ細胞から単離されたmRNAから逆転写によりヒトt―PAをコードするcDNA遺伝子を得た。」(四九三頁左上欄2〜4行)、「このt―PAcDNA遺伝子は前に発表されたヒトt―PAの配列と、ヌクレオチドの数が異なり、図7に示したごとく一つのアミノ酸が置換されている」(四九四頁左下欄9〜11行)との記載があり、図7は、二四五番目のアミノ酸がメチオニンである点で、本件発明のt―PAのアミノ酸配列と相違している。
右各発現例に弁論の全趣旨を併せ考えると、組換t―PAの技術分野においては、最近では蛋白質工学の手法を用いたt―PAの研究開発、特に誘導体を合成して効果の高いt―PAを得ようとする研究開発が活発化しているものと認められるから、かかる技術状況の下で考えると、本件発明のt―PAの全アミノ酸配列の解読が当時この分野で如何に重大な技術的意義を有したものであれ、明細書に具体的な技術的裏付けを欠いたまま、本件発明の出願後に開発される新しい発明の悉くを先取りして包含するような解釈を許すべきものでないことは理の当然である。したがって、原告の右主張も採用できない。
(二) 本件発明の出願経過について(1) A発明の出願経過 証拠(甲第二、第一二〜第一五、第一九号証、乙第一、第六、第九号証、弁論の全趣旨)によれば、A発明の出願経過は次のとおりであると認められる。
@ A発明の特許出願の願書に最初に添付された明細書(当初明細書)には、特許請求の範囲として、「ヒト由来の他のタンパクを実質的に含有しないヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」にはじまる一五項が記載され、そのうち(8)項には「プラスミドp△RIPA°」の記載があったが、その後原告の提出した昭和六一年三月一〇日付手続補正書(乙第六号証)により、特許請求の範囲が「ヒト由来の他のタンパクを実質的に含有しない組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」にはじまる一二項に補正され、特許庁審査官は、昭和六二年一月一三日付で右補正後の特許請求の範囲の記載に基づき、A発明の特許出願について出願公告すべき旨の決定をした。
ところが、右出願公告後合計二八件の特許異議の申立があり、原告は、昭和六三年一二月一五日付手続補正書(甲第二号証)により、特許請求の範囲を、「ヒト細胞以外の宿主細胞が産生する、以下の特性を有する、ヒト由来の他のタンパクを含有しない組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子:1) プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する2) フィブリン結合能を有する3) ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す4) クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する5) 一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得る。」にはじまる三項に補正した。原告が特許庁審査官宛てに提出した同日付の上申書には、「請求に係る組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の特性を明確にするため、該因子の生物学的並びに理化学的性状を特許請求の範囲に記載した。」(乙第九号証の2頁10行〜13行)との記載がある。
A しかし、特許庁審査官は、平成二年三月三〇日付で右特許異議の申立は理由があるものと決定(甲第一三号証)するとともに、同日付でA発明の特許出願について特許異議の決定に記載した理由によって拒絶すべきものと認める旨の拒絶査定(甲第一二号証)をした。右特許異議の決定では、「出願人も答弁書の中で、
『(組換t―PAが)天然t―PAと基本的に同じ生理活性を有するものであるか否かも予測することが出来なかった。』(答弁書第三五頁参照)と述べているように、糖蛋白質についてはそのアミノ酸部分が同一で、その糖鎖部分のみが相違しただけであっても、目的とする糖蛋白質の生物学的性質(即ち、生理活性等)を予測することは困難であった。まして、糖蛋白質の生物学的性質の重要な部分を占めていると考えられている蛋白質部分(アミノ酸配列の部分)が相違する場合には、その生物学的性質を予測することはなおのこと困難であった。」(甲第一三号証の8頁14行〜21行)、「『本願明細書』中には、天然t―PAの五二七個のアミノ酸配列のうち六九番目から五二七番目までのアミノ酸配列を有し糖鎖部分を有さない蛋白質が、天然t―PAと同種の生物学的性質を有していることを確認した旨の記載がなされていることは前記認定の通りであるが、該六九番目から五二七番目までのアミノ酸配列を部分的に改変した蛋白質を現に製造し、その生物学的性質についての知見を得たことを認めるに足る記載を『本願明細書』中に見いだすことはできない。(中略)そして、六九番目から五二七番目までのアミノ酸配列の改変されたものについては、『本願明細書』中には何も具体的な説明がなされておらず、そのような蛋白質を現に製造し、その生物学的性質を確認したとも認められないので、その生物学的性質を予測することはできず、結局、該改変された蛋白質については技術的裏付けを伴って『本願明細書』中に開示されているものとは認められない。」(同八頁下から5行〜九頁13行)、「上記特許請求の範囲各項の記載によれば、そこにいう『組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子』とは、上記1)〜5)の特性、即ち、天然t―PAの有する性質として知られている特性を有するものであるならば、ヒト細胞以外の宿主細胞を用いて遺伝子組換え技術により製造されたものである限り、如何なるアミノ酸配列を有するものであってもことごとく包含するものであって、(中略)天然t―PAの六九番目から五二七番目のアミノ酸配列を含むものばかりでなく、天然t―PAの六九番目から五二七番目のうちのアミノ酸配列の改変された蛋白質をも包含することが明らかである。したがって、発明の詳細な説明の項に技術的な裏付けを伴って記載されていない発明が特許請求の範囲に記載されているものと認められるので、本願は本件特許異議申立人の主張するとおり、特許法第36条第4項に規定する要件を満たしていないものと認められる。」(同10頁下から6行〜11頁上から6行)と認定判断されている。
B そこで、原告は、平成二年七月五日付で審判請求(甲第一四号証)をするとともに、同日付で手続補正書(甲第一五号証)を提出し、特許請求の範囲を、「ヒト細胞以外の宿主細胞が産生する、以下の特性:1)〜5)……を有する、ヒト由来の他のタンパクを含有しない組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子であって、
以下の部分的アミノ酸配列を含んでいる活性化因子:(六九〜五二七番目のアミノ酸配列を記載)」にはじまる三項に補正し、「本願発明は、発明の詳細な説明の項に技術的な裏付けを伴って記載されていない発明が特許請求の範囲の項に記載されていると認められるので特許法第36条第4項に規定する要件を満たしていない、
という理由で拒絶査定を受けたものであるが、請求人は同日付提出の手続補正書により、特許請求の範囲の補正を行なった。これにより、拒絶査定の理由は解消したものと信じる。
」(甲第一四号証の2頁2行〜9行)と主張した。
C その結果、特許庁審査官は、平成二年八月二四日付で、「原査定を取り消す。
この出願については、拒絶の理由を発見しないから、この出願の発明は、特許をすべきものと認める。」旨特許査定をした(甲第一九号証)。
(2) B発明の出願経過 証拠(乙第三〇〜第三四、第三七、第三八号証、弁論の全趣旨)によれば、B発明の出願経過は次のとおりであると認められる。
@ B発明の願書に最初に添付された明細書(当初明細書)には、特許請求の範囲として、「(1)ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしている配列を含有するDNA配列。」にはじまる七項が記載されており、ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子についてアミノ酸配列の限定要件はなかった(乙第三〇号証)が、原告は、昭和六一年一〇月一三日付手続補正書(乙第三一号証)により、特許請求の範囲の記載を、「(1)実質的に、ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNA配列からなるDNA単離物。」にはじまる七項に補正した。
A しかし、特許庁審査官は、昭和六二年八月二八日付で原告に対し、「この出願は、明細書及び図面の記載が下記の点で不備と認められるから、特許法第36条第3項、第四項及び第五項に規定する要件を満たしていない。記 1 特許請求の範囲において、ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNA配列が、“物質”として特定して記載されてない。2 特許請求の範囲第一項の『実質的に』は不明瞭である。3 特許請求の範囲には『形質転換微生物』、『形質転換細胞』及び『形質転換された微生物または細胞』とあるが、明細書の開示に比べて広範にすぎる。(例えば糸状菌や植物細胞など)4 本願発明において用いられる、出発材料(starting material)としての種々のプラスミドが、本願出願前当業者において容易に入手しうるものであることが明らかにされていない。5 本願発明におけるATCC寄託微生物について、ATCCが発行するブタペスト条約第七規則に基づく受託書(国際様式)の写しが提出されていない。
6 明細書第六六頁におけるプラスミドp△RTexsrcとpSRCex16とp△RISRCとの関係が不明瞭である。」との拒絶理由を通知した(乙第三三号証)。
B そこで、原告は、昭和六三年三月二二日付手続補正書(乙第三四号証)により、特許請求の範囲を、「(1)第5図に記載のアミノ酸配列一〜五二七で示されるヒト組織プラスミノーゲン活性化因子またはヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の特性を有するその誘導体をコードしているDNA。(2)第5図に記載のアミノ酸配列一〜五二七で示されるヒト組織プラスミノーゲン活性化因子またはそのアレル変異体をコードしているDNA。(中略)(7)形質転換された糸状菌を除く微生物又は形質転換された無脊椎若しくは脊椎動物細胞に於いて第5図に記載のアミノ酸配列一〜五二七で示されるヒト組織プラスミノーゲン活性化因子またはヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の特性を有するその誘導体をコードしているDNAを発現し得る組換え発現ベクターで形質転換された糸状菌を除く微生物又は無脊椎若しくは脊椎動物細胞。(8)形質転換された糸状菌を除く微生物又は形質転換された無脊椎若しくは脊椎動物細胞に於いて第5図に記載のアミノ酸配列一〜五二七で示されるヒト組織プラスミノーゲン活性化因子またはそのアレル変異体をコードしているDNAを発現し得る組換え発現ベクターで形質転換された糸状菌を除く微生物又は無脊椎若しくは脊椎動物細胞。」と補正するとともに、同日付意見書(乙第三五号証)を提出し、「出願人は、組換技術により天然のt―PAと実質的に同一の活性を持った物質を大量に生産し世に提供するという本願発明の思想の範囲内にあり、かつ、第5図に示されたアミノ酸配列およびDNA配列に基づいて容易に達成し得る他人の実施は、本願発明の権利範囲に入ると解釈すべきであると考えているに過ぎません。
(中略)この様な理念を具体化したのが特許請求の範囲第一項に記載の『第5図に記載のアミノ酸配列一〜五二七で示されるヒト組織プラスミノーゲン活性化因子またはヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の特性を有するその誘導体をコードしているDNA』であり、極めて妥当な権利範囲であると信ずるものであります。」(乙第三五号証5頁15行〜6頁下から2行)と主張した。
C しかし、特許庁審査官は、昭和六三年八月九日付で、原告に対し、「この出願の特許請求の範囲に記載された発明は、その出願前国内において頒布された下記1の刊行物に記載された発明と認められるから、特許法第29条第1項第3号に該当し、特許を受けることができない。この出願は、明細書及び図面の記載が下記(イ)〜(ハ)の点で不備と認められるから、特許法第36条第3項、第四項に規定する要件を満たしていない。 記 1 Nature vol.301(1983.1.20)P214〜221【第5図に記載されたt―PAのDNA配列及びこれに対応するアミノ酸配列と、優先権主張に係る米国特許出願第三七四、八六〇号(1982.5.5)(以下第一の優先権出願という)及び米国特許第三九八、
〇〇三号(1982.7.14)(以下第二の優先権出願という)に記載された配列とは、第一七五、一七八及び一九一位のアミノ酸において相違し、前記第5図に記載された配列は、優先権主張に係る米国特許出願第四八三、〇五二号(1983.4.7)(以下第三の優先権主張という)において、はじめて開示されたものである。したがって、第5図を引用する本願発明において、第一及び二の優先権出願に基づく優先権主張は認められず、当該優先日は第三の優先権出願の出願日と認められる。よって、第三の優先権出願の出願日前に頒布された上記引用刊行物1は特許法第29条第1項第3号の『刊行物』に相当する。】(イ) 本願特許請求の範囲に記載された『ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の特性を有するその誘導体』及び『アレル変異体』は明細書の開示に比べて広範にすぎる。(第一、三及び七項の『誘導体』に関して、具体的実施例を伴なった十分な裏づけが、詳細な説明中に認められない。また、第二、四及び八項の『アレル変異体』が本願発明のtPAに関して存在することが明細書の記載から確認できない。) (ロ)本願特許請求の範囲第七及び八項の『糸状菌を除く微生物又は無脊椎若しくは脊椎動物細胞』という記載は明細書の開示にくらべて広範にすぎる。(本出願前の技術水準において、宿主―ベクター系が確立され、本願発明のtPA遺伝子が発現可能と認められる適切な宿主域を記載されたい。)(ハ) 本願発明において用いられるプラスミド(pE342,pEHER,pE342HBVE400.D22)が本出願前当業者において容易入手し得るものであることが依然として明らかにされていない。
(これらのプラスミドが出願日前に頒布された文献中の記載において公知であるのみならず、第三者が容易に入手し得る状態にあったことが説明されなければならない。)」との拒絶理由を通知した(乙第三七号証)。
D そこで、原告は、平成元年二月一日付手続補正書(乙第三八号証)を提出し、
特許請求の範囲を、「1 形質転換された細菌、酵母または哺乳動物細胞中に於いて、下記のアミノ酸配列一〜五二七を有するヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNAを発現し得る組換え発現ベクターで形質転換された細菌、
酵母または哺乳動物細胞:(アミノ酸配列一〜五二七位の記載)」と補正するとともに、発明の詳細な説明に、「それ故、本願発明の『ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNA』なる用語は、前記したヒト組織プラスミノーゲン活性化因子のアレル変異体および誘導体をコードしているDNAを包含している。」との記載を挿入している(乙第三八号証2頁14行〜19行)が、その一方で、同日付意見書(乙第三九号証)を提出し、「(イ)同時提出の手続補正書により、特許請求の範囲から御指摘の用語『誘導体』および『アレル変異体』を削除致しました」(乙第三九号証3頁3行〜6行)と主張した。
E その結果、特許庁審査官は、平成元年四月二五日付でB発明の特許出願について出願公告すべき旨の決定をした。
(3) 右(1)・(2)に認定の本件発明の出願経過に鑑みれば、特許請求の範囲に本件アミノ酸配列の要件を付加する補正は、「発明の詳細な説明の項に技術的な裏付けを伴って記載されていない発明が特許請求の範囲の項に記載されていると認められる」との特許庁審査官の拒絶査定に係る拒絶理由を解消して特許査定を受ける目的で、本件アミノ酸配列を必須構成要件とするべく、本件発明の特許請求の範囲減縮しようとしたものと理解される。そして、右減縮が特許庁審査官により受け入れられた結果、原査定が取り消されて特許査定に至ったものと認められる。
したがって、出願人は、本件発明においては本件アミノ酸配列を欠くことのできない事項として特許請求の範囲に明記したうえ、本件発明のt―PAを意識的に本件アミノ酸配列を有するものに限定したものと認めざるを得ない。
(4) 原告主張について 原告は、当該特許請求の範囲が出願人の出願段階における明細書の補正内容によって限定的に解釈されるべきか否かは、補正がなされた理由により決まる。A特許請求の範囲第1項に補正によって加えられた六九〜五二七番目までの部分的アミノ酸配列の要件は、特許庁審査官が当初明細書に記載されており、実際に製造されたと認められたとしている三種の蛋白質(t―PA)を特許請求の範囲に記載の発明におけるt―PAとするという意味を持つ要件である。したがって、右補正は、出願人たる原告が特許権侵害訴訟において右三種のt―PAのいずれかと実質的に同一であるか、あるいはそれと均等のt―PAに、補正後のA特許請求の範囲第1項に記載の発明の技術的範囲が及ぶと主張することを禁ずるものではない、換言すれば、第一発明の技術的範囲には、右三種のt―PAのみならずそれと実質上同一のt―PAか、あるいはそれと均等のt―PAが包含されると主張し、甲第四三号証(米国ジョージ・ワシントン大学教授【P22】博士の宣誓供述書)及び甲第九三号証の1〜8(弁護士弁理士滝井朋子作成の意見陳述書)を援用している。
しかしながら、右甲号各証は、確かに原告主張のように先行技術回避のための補正に対してのみいわゆる均等の原則の適用を排除すべきであるという趣旨を述べているものと理解されるが、それは単に米国における「審査手続における禁反言(file wrapper estoppel)」の法理及びその実際のプラクティス(甲第四三号証)又はドイツ特許制度(甲第九三号証の1〜8)に関して言及したものにすぎないから、直ちにこれを我が国の特許法の解釈に反映させることはできない。また、出願当時原告が本件発明の技術的範囲を現在主張しているような改変物質(変異体や誘導体)を含む広範なものとして認識していたのであれば、そのことを十分審査官に主張し、自らの権利範囲を明確にし得る機会があったにもかかわらず、原告はそのような措置も一切講ずることなく、審査官の指摘に応じてそれをそっくのそのまま受け入れて、t―PAにアミノ酸配列の限定条件を付加する補正をしているのである。また、明細書の発明の詳細な説明のアレル変異及び変性に関する記載は抽象的記載にとどまり、原告が実際に本件部分的アミノ酸配列を部分的に改変した蛋白質を創製し、かつその生理活性を確認したことを認めるに足る記載はなく、その具体的構造は全く開示されておらず、それを示唆する記載もないことは前認定のとおりである。以上の事実を総合すると、原告主張を考慮してもなお、出願人たる原告が本件発明の技術的範囲を特許請求の範囲に記載の本件アミノ酸配列を有するt―PAについてだけに意識的に限定したとする前記認定を動かすことはできない。
(三) イ号方法の開発経過に関する原告主張について 本件発明者の一人である【P23】博士が、一九八二年七月二三日にスイス国ローザンヌで開催された会議において、オリゴヌクレオチドプローブ法を用いてtーPAcDNAのクローニングに成功したことを報告し、その場にはジェネティックス・インスティテュート(GI社)の研究者も出席していたことは争いがない。原告は、これを理由に、@ この当時、GI社は、
ようやく三種の一七マーから成るオリゴヌクレオチドのプールを八プール作ったにすぎない、A そして、一九八二年当時、微量タンパクのcDNAのクローニングには確立された方法が存在していたのではなく、幾つかの方法から適切と思われる方法を選択していたにすぎなかったのであり、とりわけオリゴヌクレオチドプローブ法を用いれば間違いなくクローニングができるという保証は何もなかった、B GI社は、【P23】博士の報告により、自らのクローニング法に確信を得ることができ、その意味でGI社のt―PAcDNAのクローニングに大きく方向付けをしたのであって(甲第二九号証=【P21】鑑定書質問1・9)、本件発明とイ号方法の技術内容の評価には雲泥の差があり、イ号方法は、本件発明の明細書に開示されている技術をそっくりそのまま借用したものに他ならないと主張する。
しかしながら、原告の右主張内容からみても、原告もローザンヌの会議の時点で既にGI社が独自に被告t―PAの開発に着手していたこと自体は肯認するものと理解されるところ、右会議の席上t―PAのアミノ酸配列、特にプローブに利用できるアミノ酸配列の開示があったことをことを認めるに足りる証拠はなく、それが初めて公表されたのは、米国第一、第二出願の後で、米国第三出願の日の前に当たる一九八三年一月二〇日発行のnature誌に掲載された“Cloning and expression of human tissue-type plasminogen activator cDNA in E.coli”(ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子cDNAのクローニングと大腸菌における発現)と題する報文において、本件発明者らが、A特許明細書記載の発現例@、Aに関する知見を発表し、同報文第3図BにA特許明細書第5図と同内容の全長t―PAのアミノ酸配列を開示した時点であると認められる(乙第一七号証、弁論の全趣旨)。そして、原告とウェルカム社との間で本件特許の有効性が争われた英国特許侵害訴訟においてGI社とコールドスプリングハーバー(CSH)の共同開発で被告t―PAのクローニングに成功した経過を開示した乙第五三号証によると、次の事実が認められる。
@ 一九八二年六月八日 ヘウィックがプローブをデザインするのに充分なN末端のアミノ酸配列を得た(ヘウィック§6)(3頁)。
A 一九八二年六月二一日〜二四日 ブラウンが三種の17マーから成る(オリゴヌクレオチドの)プール八プールを作った(ブラウン§5)(3頁)。
B 一九八二年一二月 t―PAcDNAがカイの研究室で大腸菌用のベクターに、ロジャーの研究室で酵母用のベクターに組み込まれる。またカウフマンが、動物用細胞に対する適切なベクターに、t―PAcDNAを組み込んだ(カイ§30、31、ラーセン§17、カウフマン§9)(5頁)。
C 一九八三年一月一三日 ラーセンが、大腸菌によるt―PAコード配列の最初の発現を観察した(ラーセン§17)(5頁)。
D 一九八三年一月一四日 COS細胞(サルの腎臓細胞)が(t―PAcDNAで)形質転換された(ゲッシング§15)(10頁)。
E 一九八三年一月一七日 COS細胞における最初の(t―PA)発現を確認した(ゲッシング§15)(10頁)。
F 一九八三年一月一九日 (大腸菌による)t―PAの発現が抗体抑制反応により確認された(ラーセン§17)(5頁)。
G 一九八三年三月 カウフマンがCHO細胞において、最初のt―PAの発現を確認した(カウフマン)(5頁)。
H 一九八三年八月 カウフマンが〇・〇五μM MTX抵抗性で、三・五mU/細胞/日のt―PAを生産するCHO細胞株を得た(カウフマン§14)(6頁)。
右各事実に照らして考えると、CSH及びGI社は、前記スイス国ローザンヌの会議前に既に独自にオリゴヌクレオチドプローブ法をt―PAcDNAのスクリーニング法として選択することを決定した上で、t―PAの部分的なアミノ酸配列を解析し、その結果に基づき、原告とは異なったプローブの作成まで終え、被告t―PAcDNAのクローニングに成功し、遺伝子組換えによるt―PAの発現を確認していたものと認められる。
また、前認定のとおり、米国第一、第二出願当時、天然t―PAが公知であり単離もされていたのであるから、t―PAの部分的なアミノ酸配列を解析することが可能であったと認められるのみならず、原告がその選択適用が困難であったと主張するオリゴヌクレオチドプローブ法に関しても、当時次の文献が存在していたことが認められる。
@ 一九八〇年に発行されたリーセント プログレス イン ホルモン リサーチ誌三六号二六一頁〜二七六頁(乙第五五号証)に掲載された「Synthesis,Cloning,and Expression of Hormone Genes in Escherichia coli」と題する報文には、「現在の方法では、全mRNA中において転写されるmRNAが一%を越えないような特定の遺伝子を単離することはかなり困難である。しかしながら、合成DNAを用いれば、少なくとも部分的なアミノ酸配列が判明した、あらゆるタンパク質の天然遺伝子の単離が可能になるであろう。……我々は、cDNAを合成するための特定のプライマーとして、または特定のハイブリダイゼーションプローブとして合成DNAを使用することにより、公知のペプチド産生物のほとんどがあらゆる遺伝子を単離できることに自信がある。」との記載がある。
A 一九八二年一月二一日に発行されたnature誌に掲載された「Cloning and sequence analysis of cDNA for bovine adrenal preproenkephalin」と題する報文には、「プレプロエンケファリンmRNAに相補的なDNA配列をクローニングするために最初に行ったことは、合成オリゴデオキシリボヌクレオチドの混合物を用いてハイブリダイゼーションによりcDNAクローンのライブラリーをスクリーニングすることであった。その(オリゴデオキシリボヌクレオチドの)塩基配列は、エンケファリンを含むポリペプチドの公知の部分的アミノ酸配列から予想されるすべての可能な塩基配列を含むものであった。温度設定を含む適切なハイブリダイゼーションの条件の選択によって完全に一致した(塩基)対の形成物に影響を与えることなく、一致しなかった(塩基)対の形成物を実質的に除去し、それにより所望のクローンの選択を確実にする。(かようなスクリーニングの原理が、mRNA配列の存在が少ない場合に、そのmRNAに由来するcDNAクローンを単離するのに有用であろう。)」との記載がある。
右各記載に照らして考えると、米国第一、第二出願当時、オリゴヌクレオチドプローブ法がmRNAの濃度の低い場合においても適用できるスクリーニング法であることは当業者に既に知られていたものと認められる。そして、GI社と共同研究していたCSHも一九八一年頃にはt―PAmRNAの濃度が〇・〇一%程度であることを予測していたのである(乙第五三号証8頁22〜30行)。
また、本件発明の明細書の実施例で開示されたt―PAの製法と被告t―PAの製法(イ号方法)を比較すると、次の差異が認められる。
@ mRNAの分離とcDNAライブラリーの作成 本件発明では、ボーズ・メラノーマ細胞から全mRNAを分離した後、酸性尿素アガロースゲル電気泳動にかけて、mRNAをサイズ分画することにより、目的とするmRNAの濃縮を行った(公報(1)17欄37〜38行、27欄36行〜28欄1行)のに対し、イ号方法では、濃縮を行わずに、ボーズ・メラノーマ細胞からmRNAを取り出した後、cDNAライブラリーを作成し、それを利用してt―PAcDNAをクローニングしている(別紙目録一)点で相違している。
A オリゴヌクレオチドプローブの作製に用いられたアミノ酸配列 本件発明では、天然ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子のアミノ酸解析より得られた第二五三番目から第二五七番目のアミノ酸配列の情報に基づき八種類のプローブを用いてスクリーニングを行った(乙第五八号証43〜45頁)のに対し、イ号方法では、天然ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子のアミノ酸解析より得られた第一二番目から第一七番目のアミノ酸配列の情報に基づき二四種類のプローブを用いてスクリーニングを行っている(目録一)点で相違している。
B 全長t―PAcDNAのクローニング法 本件発明では、プライマー延長反応によるcDNA5´末端部の合成、t―PA遺伝子を含有するゲノム由来のDNA断片の単離、同断片をプローブとして使用するcDNAの5´末端部を含有するクローンの選択、cDNAの5´末端側および3´末端側の連結による全長t―PAcDNAの合成という工程を経て完全長のcDNAの調整を行った(公報(1)33欄40行〜39欄21行)のに対し、イ号方法では、プローブが異なり(t―PAcDNAの5´末端部に位置している)、
そしてそれを用いて、最初のスクリーニングで5´末端部を有する部分的t―PAcDNAを得、これをプローブとして、さらにスクリーニングを行う作業を繰り返すことにより全長t―PAcDNAを得ている(目録一)点で相違している。
以上の事実を総合して考えると、確かに原告の主張するように本件発明者の一人である【P23】博士のスイス国ローザンヌで開催された会議における報告が、GI社のtーPAcDNAのクローニングに大きく方向付けをした点はあったかもしれないが、その点を考慮してもなお、GI社とCSHが被告t―PA(イ号物件)を独自に開発した事実自体を否定し去ることはできず、その製法における公知の遺伝子組換技術の具体的適用過程も異にしている。したがって、t―PAのアミノ酸配列の解読においては結果的に原告が一歩先んじたことにはなったけれども、被告も当時世界各国において繰り広げられていたt―PAなどの有用物質などの開発競争の渦中にあり、原告とは別に独自にt―PAのアミノ酸配列の解読に努めていたのであるから、イ号方法が本件発明の明細書に開示されている技術内容をそっくりそのまま借用したものであるとする原告主張は到底採用の限りではなく、イ号物件は特許回避のために意図的に作りだされたものとは認められない。
(四) 本件発明のt―PAとイ号物件の酵素としての同一性に関する原告主張について 原告は、イ号物件は、本件特許の実施品として原告が米国において、また、実施権者たる三菱化成株式会社及び協和醗酵工業株式会社が日本において市販しているt―PA(バリンt―PA)と、@ TIMI(Thrombolysis In Myocardial Infarction、血栓によって閉塞した冠動脈が、それぞれのt―PA製剤によりどの程度に血栓が溶解されて動脈が開通するかという再開通率を示す基準)に関する臨床比較試験の結果、臨床効果上有意の差は認められず、A 免疫原性及び比活性においても差が認められないだけでなく、B 立体構造も同一であると認められるから、両t―PAは酵素として同一である旨主張する。そこで、以下右各原告主張について検討する。
(1) 原告主張@(両t―PAの臨床比較試験結果の差の有無)について 甲第三四号証(【P2】ら「急性心筋梗塞に対するGMK―527(alteplase:rt―PA)の静脈内持続投与の臨床的有用性に関する検討 ウロキナーゼを対照薬とした多施設共同二重盲検比較試験」と題する「医学のあゆみ vol.156 No.6 1991.2.9」所載の報文)の骨子は、「発症早期の急性心筋梗塞の患者を対象として、GMK―527(alteplase;rt―PA)の静脈内投与による冠動脈内血栓溶解療法の臨床的有用性を、UK(96万 IU:30分間静脈内持続投与)を対照薬とした多施設共同二重盲検比較試験にて検討した結果、発症早期の急性心筋梗塞に対し、GMK―527 0.5〜0.75mg/kg 60分間の持続投与は、UK 96万 IU:三〇分間の静脈内持続投与と比較して高い有効性を示し、安全性には差がなく、臨床的に有用性が高いことが確認された。」とするものであり、同じく甲第三五号証(【P3】ら「急性心筋梗塞に対するSM―9527〔duteplase;t―PA〕の静脈内投与の臨床的有用性に関する検討―ウロキナーゼを対照とした多施設二重盲検比較試験―」と題する「臨床評価 VOL.17 No.3・4 1989」所載の報文)の骨子は、「遺伝子組み換え法によるt―PAの一つであるSM―9527 30MU(30×10の6乗IU)静脈内投与の急性心筋梗塞に対する臨床的有用性をurokinase九六万単位の静脈内投与を対照として多施設二重盲検比較試験にて検討した結果、SM―9527 30MUの静脈内投与は発症早期の急性期治療における心筋salvageに高い有効性と安全性を有し、臨床的に有用性の高い血栓溶解薬であると考えられる。」としているものである。そして、岡崎国立共同研究機構長、東京大学名誉教授【P1】博士は、甲第六三号証において、これら甲第三四号証及び第三五号証の臨床比較試験の結果及びその他メチオニンt―PAとバリンt―PAの臨床薬理効果に関する報文に検討を加えた上で、「Genentec社のt―PAと住友製薬のt―PAのように、薬剤の効果を直接比較できない状況では、充分に確立された既存の薬剤を基準としてその効果を比較するのは、科学的にも合理的な最善の方法であり、薬剤検定の常道である。上記の論文『医学のあゆみ』と『臨床評価』を読むと両t―PAの場合、ウロキナーゼがこの『充分に確立された既存の薬剤』に当たり、両t―PAの間接的な比較を可能にしている。投与法の細部には差があるとしても、ウロキナーゼがこの二つの試験においてほぼ同じ結果を考えていることを考えると、全体としての効果判定の上で両試験を比較するのに支障はない。両試験を比較すると、Genentec社のt―PAと住友製薬のt―PAが臨床効果の上で有意な差があるとは認められない。医薬の効果を判定する際に、種々のin vitroの生化学試験が行われるが、これはあくまで生体内での効果を間接的に推察する為の手段であって、医薬としての効果を最終的に判断できるのは、臨床試験をおいて他にはない。上述した様に、Genentec社のt―PAと住友製薬のt―PAは、現在実施し得る最善の比較法において臨床上のその効果に差は認められない。in vitroのどの様なデータも今の所この事実を覆す事はできない。」としている。以上の事実に加え、被告において、本件発明のt―PAと被告t―PA(イ号物件)の効果を直接比較した臨床試験結果(同一患者についての臨床試験をいうものではない。)を提出していないことをも併せ考えると、両t―PAは、臨床効果の上では有意な差があるとは認められない。
この点について、浜松医科大学【P4】教授は、その証言において、甲第三四号証と第三五号証を示されて、「ここに示されたような少数の例では、実際にどちらが有効かということを判定することは非常に難しいと私は思います。それから、もう一つバリンt―PAとメチオニンt―PAの優劣を決めるためには、両方を、同時に、同じ背景の患者、男女差、年令、その他を一定にさせて、どちらが有効かということを調べて、初めて結果が出ることでありまして、そうでない限りにおいては、これを判定することは非常に難しいと私は考えております。」(平成四年一一月二四日・同証人証言調書七丁裏、八丁表)、「より症例を多くするということと同時に、一対一の比較をしない限りは、優劣というのは判定できない」(同八丁裏)と証言している(同教授作成の意見書〔乙第七八号証一七頁〕にも同旨の記載がある。)。しかしながら、右証言及び意見書中の記載は、薬理効果の臨床試験に関する一般的な抽象論を述べたものにすぎず、本件で問題となっているt―PAの臨床効果に関する実験等の客観的証拠により裏付けられたものとは認められないから採用できず、他に前記認定判断を左右するに足りる証拠はない。
(2) 原告主張A(両t―PAの免疫原性の差の有無)について 原告は、被告がイ号物件について多数の臨床機関に臨床試験を依頼して薬事法に基づく製造承認に必要な臨床試験資料を整えたにもかかわらず、その間に顕著な副作用事故が全く生じなかったということは、イ号物件が、原告の実施品たるt―PA、
ひいては天然のt―PAと免疫原性において何ら異ならないことを如実に示している旨主張するが、右主張は的確な裏付けを欠き採用できない。
また、原告は、@ t―PAの如き蛋白質の異同を免疫学的に決定する方法としては、オクタロニー拡散法とウーダン拡散法が米国第一、第二出願前から知られている、A イ号物件はアミノ酸配列の二四五番目のアミノ酸残基が、バリン残基からメチオニン残基に変わっているが、そのメチオニン残基は、「t―PAの内部の非常につつみこまれた『クリングル』構造群の一つに位置しており」、また、メチオニン残基はバリン残基と極めてよく似た性質を保有しているから、この置換よってイ号物件の免疫原性が変化したとは到底考えられない、B しかし、仮にこの点を確認しようとするならば、米国第一、第二出願当時の技術常識に基づいて、オクタロニー拡散法及びウーダン拡散法を用いることによって、何の困難もなく免疫原性の同一性を確認することができた旨主張し、甲第八〇号証(東京工業大学教授【P15】博士作成の平成五年九月一〇日付意見書)には、「オクタロニー拡散法を用いれば、t―PA抗原決定基のほんの一部に変化が出た程度でも免疫原性の差異を測定することができるのです。」(一〇頁)との原告の右主張に沿う記載がある。しかしながら、【P15】教授の右見解は、複数のアミノ酸残基から構成される抗原決定基に対しては、一種類の抗体しかできないのではなく、同一の抗原決定基に対しても複数種の抗体が生じ得るのであり、アミノ酸残基一個の置換によってもそれらの複数種の抗体が異なり得ることをその理論的根拠とするものと考えられるところ、乙第一一〇号証(被告会社研究所主任研究員【P24】作成の平成五年一〇月二七日付「オクタロニー拡散法に関する技術説明書」)によれば、オクタロニー拡散法は、一つの抗原に存在する複数の抗原決定基に複数種の抗体が同時に結合することによって生じる沈殿物の有無によって抗原性の違いを判断する方法であり、同号証には、「沈降反応は、多価抗原が二価抗体でクロスリンクを形成するために起こる。抗体が一種類しか存在しない場合、抗原決定基が一個しかない分子はクロスリンクを形成できない。」(同号証添付の「細胞の分子生物学」〔株式会社教育社、昭和六二年二月二五日初版発行〕九七二頁)のであるから、「オクタロニー拡散法の実験原理から考えれば、抗原決定基が一か所違うという意味での『ほんの一部に変化が出た程度』の場合には、それによる抗原性(免疫原性)の差異をオクタロニー拡散法で見いだすことはできません。バリンt―PAとメチオニンt―PAのように、アミノ酸残基一個に違いが生じている場合には、抗原決定基が一箇所のみ異なる可能性は否定できませんから、【P15】教授の意見書に記載された『オクタロニー拡散法を用いれば、t―PA抗原決定基のほんの一部に変化が出た程度でも免疫原性の差異を測定することができるのです。』との見解には問題があると言わざるを得ません。」との記載があり、いずれの見解を正当とすべきかを決し得る決定的な証拠は本件全証拠によるも見出し難く、原告主張A(両t―PAの免疫原性の差の有無)は直ちには採用できない。
(3) 原告主張B(両t―PAの構造の差の有無)について マクロの物理量の値はもし十分に精度を上げて観測するならば、物質を構成している粒子の複雑きわまりない熱運動を反映して、平均値(統計力学的な平均値あるいはもっとも確からしい値)からの不規則なずれがみいだされ、これを「ゆらぎ」という(甲第七〇号証=朝倉書店「高分子辞典」七三一頁)。そして、甲第七一号証(三菱化成株式会社三菱化成総合研究所部長研究員薬学博士【P9】作成の「分子動力学計算検討報告書」)は、被告提出の乙第七九号証(実験報告書(四))について対比すべく、本件発明のt―PAと被告t―PAに関して分子動力学計算を行ない、結果について解析検討を行なった報告書であるが、同報告書は、右検討結果として、「バリン残基からメチオニン残基に変換のあった二四五位の周辺残基のα炭素間の距離の差は、熱運動のゆらぎを考慮すると、そのゆらぎの範囲内と見られる。」(甲第七一号証17頁)と結論している。
しかしながら、分子動力学計算については、原告自らも主張するように「分子動力学計算による検証は、実験結果に近似度の高い種々の計算法を開発し、その信頼性を検証していく過程にある。従って、分子動力学計算の信頼性検証は、実測の実験結果を再現できるか否かの検証であって、現在の唯一の方法は、計算の結果得られた構造が、X線結晶構造解析または核磁気共鳴スペクトル分析によって得られた構造とどの程度一致するかによって判断することである。」(原告の平成五年四月一三日付第八準備書面二三頁〜二四頁)という状況にあるのであって、分子動力学計算は、安定性の違いなどさまざまな物性の違いを考える場合の参考とはなるものと認められるが、モデリングされた蛋白質立体構造は、現時点では実験的に解析されているわけではなく、その構造は実証されているものとはいえず、前提条件や推定方法の差異によって違った立体構造モデルや結論を導く可能性も否定し去ることはできないものと認められる(乙第九五号証の1〜3、弁論の全趣旨)。その一方で、蛋白質の安定化機構については、「蛋白質の立体構造は変性してポリペプチド鎖が自由に動きまわろうとする力に水素結合とか疎水結合を形成してポリペプチド鎖が折りたたまって構造を形成しようとする力が少し打ち勝っていることで保たれている。蛋白質の構造は破壊しようとする力と形成しようとする力の差し引き勘定ぎりぎりの安定性(marginal stability)で支えられているのである。蛋白質の変性の自由エネルギー変化はほぼ10kcal/molである。
水素結合のエネルギーがモルあたり数キロカロリーなので、蛋白質の立体構造はたとえば余分の二〜三本の水素結合のエネルギーで保たれていることになる。蛋白質の安定性をこの観点からみると蛋白質のただ一個のアミノ酸置換でその分子の安定性が影響されることは当然のことともいえる。」(乙第九六号証の2一一九七頁)、「2 蛋白質工学の研究方法 ……アミノ酸配列から立体構造、蛋白質機能にいたる法則性が解明されていないため、蛋白質工学は、学問としてまだ真に確立しているとはいえない。そのため、蛋白質工学の研究は独特な方法で進められている。すなわち、……らせん的に研究を行いながら、学問としての体裁を整えていくやり方である。まずはじめは、わかっている範囲での天然の蛋白質に関する知見を使って、アミノ酸配列を設計(改変、挿入、削除、創製)する、すなわち『新蛋白質の設計』を行う。次に、この設計図に基づいて、遺伝子工学の技術やペプチド合成の技術を用いて、この新蛋白質をつくり、単離・精製する『新蛋白質の合成』。
さて、できあがった新蛋白質が、設計した通りの構造・物性をもっているかどうかを、X線結晶解析やNMRスペクトル測定などの構造解析の実験および物理化学測定の実験によって確認する『新蛋白質の構造物性の解析』。さらに、この新蛋白質の機能を、生化学実験によって確認する『新蛋白質の機能の解析』。……もとの出発点では、一次構造から三次構造、機能へ至る道筋の『原理』は確立していないため……新蛋白質が目標とした性質をただちにもつ(成功する)ことは極めてまれである。むしろ、当初期待したのとは異なる、ときには思いもかけぬ結果になることのほうが、現実には多い。」(乙第一〇二号証の1〜3=株式会社朝倉書店「応用化学講座11 蛋白質工学」のはしがき)との指摘も無視することはできない。
したがって、以上の事実を総合して考えると、分子動力学計算に基づくt―PA分子の立体構造の推定については、その計算の精度になお疑問を払拭することができず、原告挙示の証拠のみから本件発明のt―PAとイ号物件との間に立体構造の差がないとは速断できず、原告主張B(両t―PAの構造の差の有無)は採用できない。
右の認定判断は、甲第六四号証(【P9】及び東京大学名誉教授【P8】作成の「乙第七九号証 実験報告書(四)に対する意見書」)及び甲第九〇号証(【P9】作成の「バリンt―PAとメチオニンt―PAの立体構造比較に関する意見書(乙第九四号証)に対する見解書」)によっても覆されるものではない。
(4) まとめ 以上の事実を総合考慮すると、本件発明のt―PAと被告t―PA(イ号物件)とは、その臨床上の効果に有意な差があるとは認められないが、両t―PAの免疫原性異同及び比活性と構造の相関関係等の詳細は米国第一、第二出願当時は未だ完全に解明されているものとはいえず、右出願当時、両t―PAが酵素として同一であるとまで断定することはできない。したがって、本件発明のt―PAと被告t―PA(イ号物件)の酵素としての同一性をいう原告主張は理由がない。
(五) 二四五位のアミノ酸残基の置換可能性に関する原告主張について 原告は、次の@〜Bの理由を挙げて、被告t―PA(イ号物件)は、本件発明のt―PAにおける二四五位のバリン残基がメチオニン残基に置き換えられたものであるが、そのような置換は当業者であれば容易になし得た旨主張する。
@ 本件発明のt―PAの立体構造モデル(検甲第三号証)と被告t―PA(イ号物件)の立体構造モデル(検甲第四号証)とは殆ど同一といってもよいほどに酷似している。
A 酵素蛋白質には酵素が生物機能を発揮するために必須の構造部分と、単にその立体構造を保持するためだけの構造部分とがあり、t―PAの二四五位のアミノ酸残基は、t―PA分子の内部の包み込まれたクリングル構造の中に位置し、t―PAの活性部位、阻害剤結合部位、フィブリン結合部位のようなt―PAの生物機能に重要な影響を与える部位には位置していない。
B バリンとメチオニンは共に非極性(疎水性)の側鎖を有し、物理的化学的性質がよく似たアミノ酸であり、バリンは他の一九種のアミノ酸の中でも最もメチオニンに近縁であって、両者は相互に互換性の高いアミノ酸である。
そこで、以下右各原告主張について検討する。
(1) 原告主張@(立体構造モデル)について 原告は、二四五位のアミノ酸残基がバリン残基であるバリンt―PA(本件発明のt―PA)における一七六位のアミノ酸残基から二六三位のアミノ酸残基までの部分(クリングル2の部分)の立体構造モデル(検甲第三号証)及び二四五位のアミノ酸残基がメチオニン残基であるメチオニンt―PA(被告t―PA)における一七六位のアミノ酸残基から二六三位のアミノ酸残基までの部分(クリングル2の部分)の立体構造モデル(検甲第四号証)と共に、このバリンt―PAの立体構造モデルを五方向から撮影したカラー写真(検甲第二号証の1、3、5、7、9)及びメチオニンt―PAの立体構造モデルを五方向から撮影したカラー写真(検甲第二号証の2、4、6、8、10)を証拠として提出し、それらに基づき骨子次のとおり主張している。甲第四〇号証の1(三菱化成株式会社総合研究所分析物性研究所部長研究員【P9】博士作成の「バリン型およびメチオニン型t―PAのクリングル2分子模型の作製」と題する書面)に記載されているように、右検甲第三号証のバリンt―PAのクリングル2の部分の立体構造モデル(分子模型)は、一九九二年一月一四日に発行された“Biochemistry”誌三一巻一号二七〇〜二七九頁に掲載された、原告会社の技術者等の著した“Crystal Structure of the Kringle 2 Domain of Tissue Plasminogen Activator at 2.4-● Resolution” (Tissue Plasminogen ActivatorのKringle 2領域の2.4-●分解能での結晶構造)と題する報文(甲第四〇号証の2)、該報文記載の実験結果、及び原告会社の技術者達が所有しているバリンt―PAのKringle2領域のX線結晶構造解析の結果得られた空間座標に基づいて作製されたものであるから、極めて精密で正確なものであることは言うまでもない。また、メチオニンt―PAのクリングル2の部分の部分の立体構造モデル(分子模型)は、右甲第四〇号証の1に記載されているように、バリンt―PAのクリングル2の部分の分子模型(検甲第三号証)から一定の推定によって作製されている。そして、このようにして作製されたバリンt―PAのクリングル2の部分の立体構造モデルとメチオニンt―PAのクリングル2の部分の立体構造モデルを対比すると、両者は殆ど同一といってもよいほどに酷似しており、二四五位のバリン残基もメチオニン残基も、各々t―PAの球状分子の内部の奥まった部位すなわち疎水領域に包み込まれた部位に位置しており、分子表面には露出していない。また、置換されたメチオニン残基は、周囲の各原子の位置に影響を与えることなくメチオニン側鎖の中に安定した位置を得ているが、これは本件発明のt―PAに対応するt―PAの米国特許に関する訴訟における【P11】証人の「(メチオニン残基は)蛋白の疎水性領域内に埋没し、抗体産生を生じさせ得る分子表面には露出していない」し、「t―PAの内部の、非常につつみこまれた『クリングル』構造群の一つに位置している」ので、「検出可能な範囲での生物活性に影響を与えなかった」との証言(甲第二〇号証)が決して誤りでなかったことを示している。
そこで検討するに、右甲第四〇号証の2に記載のX線結晶構造解析によるバリンt―PAのクリングル2の部分の構造決定は、クリングル2単体でとらえる限り、
その正確度は高いものと認められ、そのデータをそのまま基にして作成されたものであれば、バリンt―PAの立体構造モデル(検甲第三号証)の正確度も高いものといえよう。しかしながら、甲第四〇号証の1に記載されているように、検甲第四号証のメチオニンt―PAの分子模型は、実際にはバリンt―PAのクリングル2の部分の分子模型(検甲第三号証)からBiosym社の分子力場計算プログラムDISCOVERを用いて、構造エネルギー計算によりメチオニン側鎖の安定位置を推定して作製されたものである。しかも、一般に、このような構造エネルギー計算によって蛋白質分子の安定な立体構造を探索する場合、「仮につくられた初期構造では、共有結合長や角度がひずんでいたり原子同士の接触が起きたりしており、
構造エネルギーポテンシャルの値は必ずしも低くない。低い構造エネルギーポテンシャルの値をもつ立体構造をさがしだせれば、よいモデルとなりうる。この問題は、そのポテンシャルを、立体構造を記述するパラメータ(たとえば各原子の三次元座標とか回転可能な各内部回転角の値など)の関数と考えれば、数学における一般の最小値探索の問題となる。しかし、この最小値探索は決して容易なものではない。このポテンシャル関数は、数千から数万という非常に多くのパラメータをもつため、……たくさんの同じような値をもつ極小値が存在することが知られている……そのため、極小化の処理は工夫をしないとなかなか収束せず、また、あまり低くない極小値にひっかかってしまうことが多い。」(乙第九五号証の1〜3〔「応用化学講座11 蛋白質工学」、株式会社朝倉書店、一九九一年一一月二〇日初版第一刷発行〕八八〜八九頁)という問題点のあることが指摘されており、原告側でこの問題点を如何にしてクリアして計算したのかは提出されている証拠のみからは必ずしも具体的かつ明瞭に窺い知ることはできない。そして、前認定のとおり分子動力学計算による検証は、実験結果に近似度の高い種々の計算方法を開発し、その信頼性を検証していく過程にあること及び被告側で右の問題点を考慮して再計算したとする被告会社研究所研究員【P25】及び同【P26】作成の「バリンt―PAとメチオニンt―PAの立体構造比較に関する意見書」(乙第九四号証)の記載内容をも総合して考えると、検甲第四号証の立体構造モデルが被告t―PA分子の立体構造の実態をそのまま反映したものであるとは俄かに断じ難いから、右立体構造モデルから本件発明のt―PAの二四五位のアミノ酸残基の置換容易性について一定の結論を出すことは困難であるといわざるを得ない。したがって、原告主張1(立体構造モデル)は採用できない。
(2) 原告主張A(t―PAの二四五位のアミノ酸残基の位置)について 甲第六六号証(【P12】著「プロテインエンジニアリング」、株式会社東京化学同人、一九八九年二月一五日第一刷発行)には、原告指摘の記載があり、右記載に照らすと、原告主張のように、一般に蛋白質にはそれが生物機能を発揮するために必須の構造部分とそれ以外の部分のあること及び当該生物機能を損なうことなしに一部のアミノ酸残基を置換することが可能な場合のあるものと認められる。そして、甲第三二号証(東京大学名誉教授【P13】博士作成の平成三年一一月一一日付鑑定書)には、甲第二〇号証(ウェルカム社における開発部門の責任者であった【P11】の米国特許侵害訴訟における証言記録)の中で、「置換されたメチオニン残基は、クリングル領域中にはあるが、『蛋白質の疎水性領域に埋没し、抗体産生を生じさせ得る分子表面には露出していない』し、『t―PAの内部の非常につつみこまれたクリングル構造群の一つに位置している』ので、『検出可能な範囲での生物活性に影響を与えなかった。』」との証言をしていることを前提とする原告の質問に対し次のとおり解答している。
@ 質問1(1) 「蛋白質の疎水性領域に埋没し、抗体産生を生じさせ得る分子表面には露出していない」(2) 「t―PAの内部の非常につつみこまれたクリングル構造群の一つに位置している」とはどういうことを言っているのでしょうか。
解答1(1) 「メチオニン残基は蛋白質の疎水性領域に埋没し」とは、このメチオニンという疎水性の側鎖を持つアミノ酸は分子表面に存在するのではなく、疎水性の側鎖を持つアミノ酸の密実につまった分子の内部に存在しているということを意味しています。この様な、分子表面に存在しないアミノ酸残基は抗体産生に関与する細胞と接触することができませんから、抗原決定基にはなり得ません。「抗体産生を生じさせ得る分子表面には露出していない」とは、そのことをいっているのです。
(2) クリングル構造とは、t―PA分子のあるポリペプチド鎖が、ドーナツ形をしている構造部分のことを言います。「置換されたメチオニン残基が非常につつみこまれた『クリングル』構造群のひとつに位置している」とは、そのメチオニン残基が、ドーナツ形の構造のつつみこまれた内側の、従って球状の分子の内部の奥まった部位にあることを意味しています。
A 質問2 置換されたメチオニン残基は、上記(1)、(2)にあるので、「検出可能な範囲での生物活性に影響を与えなかった。」とはどういう意味ですか。
解答2 置換されたメチオニン残基ということを遺伝子レベルで見れば、これは、二四五位のバリンをコードするGTGがメチオニンをコードするATGに変わった、即ちG(グアニン)↓A(アデニン)という変異を意味しています。GもAも、いずれもプリン塩基を持ったヌクレオチドであり、この様なGからA、またはAからGへの変異は自然界で最も頻繁に起こっているものです。自然界で生起するさまざまな変異の内、生物活性にマイナスの変化を起こすものは、進化の過程で排除されて、
生物活性に不利な影響を与えない変異だけが生き残ることになります。置換されたメチオニン残基が「検出可能な範囲での生物活性に影響を与えなかった。」ということは、このG↓Aという変異は、生き残ることができる、即ち生物活性に変化を与えない変異であったということを意味しています。
t―PAはセリンプロテアーゼ領域やクリングル領域という活性部位を持っています。しかし、t―PA分子の全ての部分が生物活性に直接関与しているのではありません。酵素蛋白質のアミノ酸残基の大部分は活性部位を構成している各部分を適性な位置に保って、一定の立体構造を保持するという消極的な役割を果たしているに過ぎません。特に球状構造の内部に存在しているアミノ酸は主として分子の全体の形を保持しそれによって活性に寄与するアミノ酸残基を空間的に適性な相互位置に保つという役割を果たしています。先に述べた様に、バリンからメチオニンへの変化は分子の内部での変化であり、従ってt―PA活性を発現するための必須部位と考えられているセリンプロテアーゼ領域やクリングル領域の活性部位には何ら影響を与えるものではありません。更に、二四五位という位置は、t―PAの立体構造を固定する役割を果たしているシスチン結合(S―S)に関与している二四三位のアミノ酸残基(システイン残基)のすぐ隣りに位置しているので、この置換によってt―PA分子の内部の構造ですら、有意な影響を受けるとは考えられません。バリンからメチオニンへの変化が「検出可能な範囲での生物活性に影響を与えなかった。」のは、このような理由によるもので、当然だと思います。
また、甲第六四号証(三菱化成株式会社総合研究所部長研究員【P9】博士作成及び東京大学名誉教授【P8】博士作成の平成五年二月五日付「乙第七九号証 実験報告書(四)に対する意見書」)には、「t―PAの二四五番バリンの位置は触媒作用をはたす活性部位四七八番セリンと、プラスミノーゲン・アクチベーター・インヒビター(PAI)の結合部位とされる二九六番リジンと二九九番アルギニンとからは遠い。また二四五番バリン側鎖はフィブリン結合部位二三六番アスパラギン酸:二三八番アスパラギン酸、二四二番トリプトファン、二五三番トリプトファンの側鎖とはβシートで形成される二四一〜二五六番ループを挾んだ反対側にある。二四五番バリンは活性部位にも、阻害剤結合部位にもフィブリン結合部位にも直接の変化を与えていないことが理解されよう。」(甲第六四号証13〜14頁)との記載がある。
しかしながら、甲第三二号証や甲第六四号証が前提とする米国特許侵害訴訟における一九九〇年三月二〇日の【P11】証人証言中の原告指摘部分(「置換されたメチオニン残基は、……検出可能な範囲での生物活性に影響を与えなかった。」)は、原告の弁護士が同証人に対する反対尋問に際して、同証人がウェルカム社の社内文書として一九八四年六月に執筆した原告証拠No.三一八の文書を示してこれを引用しつつした質問に対し、同文書の作成の事実を肯定したものにすぎず(甲第二〇号証訳文一二頁)、同証人自身の右証言当時の認識を述べたものとは到底解されない。なんとなれば、まず右米国訴訟原告証拠No.三一八の原典は、一九八四年六月付の同証人作成の「計画の表題 K24 組織プラスミノーゲン活性化因子」と題するウェルカム社の社内文書(乙第四三号証)であるが、そのうち原告が【P11】証言の一部として引用する箇所は、「アミノ酸の置換は、検出可能な範囲でのt―PAの生物活性に影響を与えなかった。その異なったアミノ酸はt―PAの内部の非常につつみこまれたクリングル構造群のひとつに位置しているので、
この場合とうてい分子抗原になりそうにない。」(乙第四三号証訳文二頁上から6〜8行)となっており、原告の引用は不正確であるといわざるを得ない。そして、
米国特許侵害訴訟では、右証言の時点において既に、@ 原告のt―PAとウェルカム社のt―PAの比活性に有意な差があるか否かが一つの争点となっており(原告の米国特許第四七五二六〇三号のクレーム1は、「血栓溶解作用を有し、免疫学的にウロキナーゼと区別され、WHOのt―PAのファースト・リファレンス・プリパレーションを分析標準に用いると約五〇〇、〇〇〇IU/mgの比活性を有し、WHOのウロキナーゼのファースト・リファレンス・プリパレーションを分析標準に用いると約九〇、〇〇〇IU/mgの比活性を有する、ヒトプラスミノーゲン活性化因子」というものであった。乙第四二号証、弁論の全趣旨)、その点について、裁判所は、第三者に独立して行うことを命じた比較実験の結果に基づき、一九九〇年三月八日のサマリージャジメントにおいて、「本裁判所は比活性が低いmet―t―PAは文言的に侵害しないと判断する。裁判所は独立した試験によりmet―t―PAが約五〇〇、〇〇〇IU/mgの比活性を有していないと確信している。」(乙第四二号証訳文一五頁9〜11行)と認定判断しており、A 右比較試験を担当した原告側の証人【P27】博士は、一九九〇年三月一四日に行われた証言において、右比較試験の結果について、「しかしウェルカムの物質は、高濃度のプラスミノーゲンにおいて、極めて特徴的なものでした。その物質は低い活性を示し、私はその評価に関しショックを受けました。私はそれが意味することが分かりません。私はこの反応の作用メカニズムに極めて困惑しました。」(乙第四六号証五六〇頁25行〜五六一頁5行、訳文上から13〜16行)と証言していたし、
B 【P11】証人自身も、ウェルカム社の弁護士の主尋問に対し、「(ウェルカムt―PAの比活性の)数字は、彼が以前に行ったボーズメラノーマt―PAやアクティベースt―PA(原告の製品の米国における商品名)よりはかなり少なかった。いや著しく少なかったのです。」「それ(ウェルカム社のt―PAの比活性 裁判所注記)は、アクティベースの比活性よりも低いものでした。かなり低い。」(甲第二〇号証一一一八頁17〜18行、乙第四五号証四頁上から16行)、「私どもは、皆さんがボード上にご覧になる低い比活性を生じさせるのは培養工程ではなく、培地のためでもなく、また私どもの精製工程でもないことを結論として得たのです。従って、それは分子それ自体の固有の特性であるのに相違ありません。」(甲第二〇号証一一〇六頁13〜17行、乙第四五号証二頁25〜28行)と証言していたからである。
また、一九八二年四月発行の「蛋白質 核酸、酵素」vol.27 No.6七三一頁に掲載された「タンパク質の個性」と題する報文(乙第八六号証)には、
「しかし立体構造に共通的な性格がないのかといえば、けっしてそうではない。よくいわれているように疎水的な残基は分子の内側にあって水分子と接触しないように、親水的、とくに解離基をもつ残基は分子の表面にあって積極的に水分子と相互作用できる合理的な構造をとっている。ところがこの性質とて通常の法則のように厳密でない。タンパク質を理解しようとしていつもつまづくのはこういう点で、何となく法則性があるようでいながらそうでないこともあるという曖昧さがある。生物に特有の性質の反映かもしれない。たとえば疎水性基が表面に顔を出していることもあれば、解離性残基が他の残基と水素結合して解離できない状態にあるとか、
タンパク質によって違っている。タンパク質に個性的なものを感ずるのはこのような面である。すなわちタンパク質の内部が疎水的であるという共通的性質とうらはらに、これからはずれたものがちらちらと存在しているのである。」(七三九頁)との記載がある。
さらに、東北大学名誉教授、東京家政学院大学教授【P28】も平成五年一月一四日の証人尋問における反対尋問に対して次のように答えている。「問 今問題になっているバリンとメチオニンについてですが、これは極性のアミノ酸でしょうか。非極性のアミノ酸でしょうか。答 非極性のアミノ酸です。問 そういたしますと、ここに書かれている一般論に従えば、タンパク質の内部を向くということになりますか。答 内部を向きたがる基だと思います。しかし、もちろん、例外がたくさんあります。」(平成五年一月一四日付証人調書四丁表〜裏) そうすると、原告指摘の甲第三二号証や甲第六四号証に述べられているところからすれば、一般論としては疎水性のアミノ酸残基はタンパク質分子の内側にあり、
親水性のアミノ酸残基はタンパク質の外側にあることは確かにそのとおりであるかもしれないが、それは単に一つの傾向を示しているものにすぎず、例外も認められるのであるから、実験等の客観的な裏付けを伴わずに、右のような抽象的な一般論だけから直ちに原告の主張するようにバリンt―PAのバリン残基がメチオニン残基に置き換っても、その立体構造に変化を生ぜず、メチオニン残基はバリン残基と同様に疎水性の側鎖を有しているので、球状分子の内部に包み込まれて存在し、t―PAの生物活性に有意の影響を与えないとの結論を導き得るものとは考えられず、むしろ、t―PA分子の立体構造の詳細及びこれとt―PAの生物活性との相関関係は米国第一、第二出願の当時は勿論、現在においてもなお完全には解明されてはいないものと認めざるを得ない。したがって、原告主張A(t―PAの二四五位のアミノ酸残基の位置)は採用できない。
(3) 原告主張B(t―PAの二四五位のアミノ酸残基の極性)について 甲第七二号証(株式会社東京化学同人発行の「日本生化学会編 続生化学実験講座1 遺伝子研究法T 核酸の化学と分析技術」収載の「21 コンピューターによる遺伝子のホモロジー解析」と題する論文)には、「多数の相同なタンパク質配列の解析から、“物理・化学的に性質がよく似たアミノ酸同士は進化の過程で置換を起こしやすい”ということが明らかにされている。一九〇のアミノ酸の組に対して、置換頻度がすでに定量的に与えられている。アミノ酸の物理・化学的性質をその体積と極性で代表させ、異なるアミノ酸間の性質の違いの程度を表す“距離”(d)をつくると、この距離と置換頻度との間には明らかな相関が認められる。したがって各アミノ酸の組に対して、置換頻度あるいは距離に基づいて、適当なスコアの値を付与することができる。」(三九〇頁)との記載があり、一九〇のアミノ酸の組のスコア値を図21・7(三九一頁)に示している。このスコア値は実際の値を一〇倍して示されているが、この数値が高ければ高い程相同性が高く置換が起こり易いことを表している。この図から、バリンを基準として、これと他の一九のアミノ酸との組合わせのスコア値を拾ってみると、バリンとメチオニンの組合せには最高のスコア値たる八二二が与えられている。
しかしながら、物理化学的性質のよく似たアミノ酸同士は進化の過程で置換を起こしやすいとしても、当業者がそうした知見を有していたところで、そのことから実験等の客観的な裏付けもなく直ちにそのようなアミノ酸同士の置換がタンパク質の機能に影響を及ぼさないと予見し得るものとは考えられないから、原告主張B(t―PAの二四五位のアミノ酸残基の極性)は採用できない。
(4) まとめ 以上の事実を総合すると、米国第一、第二出願当時の技術水準の下において、本件発明のt―PAにおける二四五位のバリン残基をメチオニン残基に置換することは当業者であれば容易になし得たものとは認められない。
(六) 予見可能性に関する原告主張について 原告は、米国第一、第二出願当時の技術水準の下において、当業者が、本件発明のt―PAの二四五位のバリン残基がメチオニン残基に置換されても、本件発明のt―PAと実質上同一のイ号物件が得られるであろうと予見することは可能であった旨主張し、その根拠として次の公知文献の記載を挙げている。
@ 一九七〇年九月五日発行の【P20】著、【P13】訳「ペプチドとタンパク質」(甲第二四号証)には、「活性中心を構成しているアミノ酸はタンパク質の一次構造の上では互いに近接しているとはいえないが、分子が折りたたまれると空間的には同一場所に集中する。酵素分子のアミノ酸の大部分は活性中心の各部分を適正な位置に保つという消極的な役割を果たしている。あとで述べるように、生物学的活性なペプチドは、その活性を損なうことなしに、ある種の基を付加したり、ある種のアミノ酸を除いたりして、化学的に修飾することができる。明らかにこのような分子は必要以上に過剰なアミノ酸を含んでいるわけである。」(一二六頁)、
「タンパク質におけるすべてのアミノ酸が生物活性に本質的な役割を果たしているならば、生物学的“雑音”ともいえる遺伝的突然変異はその生物にとって致死的であり、したがって進化などはありえないことになる。しかしながら、タンパク質分子に過剰なアミノ酸が多く含まれていれば、突然変異はこれらのアミノ酸に起こる確率は大いにあるし、その場合にはその生体またはその種は生きながらえるのである。過剰なアミノ酸のほか、タンパク質はまた縮重したアミノ酸をもっている。すなわち、それらアミノ酸をよく似た他のアミノ酸と置き換えても生物活性は失われないが、それらを取除くと失活するようなものである。これらのアミノ酸の役割は分子の全体の形を保持し、したがって本質的な役割を果たすアミノ酸を空間的に適正な相互位置に保つことにある。」(一二七頁)との記載がある。
A 一九七二年に発行された「ATLAS of PROTEIN SEQUENCE and STRUCTURE Volume 5」89〜99頁に掲載された【P14】らの「A Model of Evolutionary Change in Proteins」と題する報文(甲第七三号証、第八五号証)には、アミノ酸残基が置換しても基本的に機能が変化しない「中立変異の実例」が収録されており、バリン残基(Val)からメチオニン残基(Met)への変異は「中立変異」の中でも最も頻度の高いものの一つに挙げられている。
B 一九八二年発行(原文)の【P16】著「新生化学上巻」(甲第九九号証)には、「酵素の基質特異性の研究から、基質分子と、基質分子が結合して触媒反応を受けるべき……触媒部位catalytic siteと呼ばれる酵素分子の表面上の特異的領域との間に相補的な『鍵と鍵穴』の関係があるという概念が生まれるに至った。」(二四四〜二四五頁)との記載がある。
C 一九七〇年発行の【P17】著「生化学」(甲第一〇〇号証)には、「酵素は触媒作用を持つタンパク質である。すなわち、それは反応の途中において消費されたり変質されたりすることはなく、反応速度を促進するものである。この触媒作用はタンパク質の表面に一様に分布されているものでなく、活性中心と呼ばれる或る特定の部位に極在している。」(八〇頁)との記載がある。
そして、東京大学名誉教授【P13】博士作成の平成三年一一月一一日付鑑定書(甲第三二号証)で、同博士は、「置換されたメチオニン残基は上記の様にt―PAの内部の非常につつみこまれたクリングル構造群のひとつに位置していて、分子表面には露出しておらず疎水性領域に埋没しているとされていますが、その様な位置のアミノ酸残基がバリン残基からメチオニン残基に置換したとき、得られるt―PAの活性に影響はないであろうと、一九八二年当時予測することは可能だったでしょうか。」との問に対し、「既に述べた様に、二四五番目のバリン残基は分子表面に存在するのではなく、分子内部を構成する疎水性領域内に埋没した位置にあり、しかもt―PAの構造を固定する役割を果たしているシスチン結合を構成している二四三位のシステイン残基のすぐ隣りに位置しているので、このバリン残基を、同じく疎水性アミノ酸であるメチオニン残基で置き換えても、t―PAの分子の立体構造に変化を与えず、又、その生物活性は変化しないと予想することができます。」(5〜6頁)と答えている。
また、東京工業大学教授【P15】博士作成の平成五年九月一〇日付意見書(甲第八〇号証)には、「一九八二年当時既にVal、Mat両アミノ酸の側鎖の疎水性が定量的に測定されており、互いに似た値であることが知られていました。……両者がタンパク質の立体構造形成の上で、近似の挙動をとることが予測できます……一九七二年に出版されたDayhofの論文(「Atlas of Protein Sequence and Structure」)に多くの中立変異(基本的に機能が変化しないアミノ酸残基の置換)が収録されており、中立変異の諸例の中で、Val↓Met変異は頻度の高いものの一つと数えられています。同様に七〇年代末にArgos(Biochemistry 18 5698〜5703(1979))はタンパク質の中で同じ機能をもつが安定性には差のあるアミノ酸置換についてまとめた論文を発表していますが、ここでもVal↓Met変異は大きな違いを与えないものに分類されています。……キニン系、血液凝固系にかかわる多くのセリンプロテアーゼは七〇年代に構造機能相関に関する研究が進展しており、セリンプロテアーゼのアミノ酸残基の役割を予測すること(例えば、活性中心セリンの同定など)は一九八二年以前にすでに可能であったと言えます。」(三〜五頁)との記載がある。
しかしながら、これらの公知文献ないし鑑定書及び意見書の各記載は一般的、抽象的記載にとどまり、それらの教示により、米国第一、第二出願当時、当業者が、
本件発明のt―PAの二四五位のバリン残基をメチオニン残基に置換しても、本件発明のtーPAと実質上同一のイ号物件が得られることを予見し得たものとは認められない。
そして、右のような原告指摘の公知文献ないし鑑定書及び意見書の記載がある一方で、タンパク質分子のアミノ酸残基の置換に関しては、被告指摘のとおり、米国第一、第二出願当時、次のような公知文献が存在していたことが認められる。
@ 一九七三年二月発行のTHE JOURNAL OF CLINICAL INVESTIGATION誌五二巻二号三四二頁〜三四九頁(乙第一〇五号証)に掲載された「Hemoglobin Olympia(β20 Valine↓Methionine):An Electrophoretically Silent Variant Associated with High Oxygen Affinity and Erythrocytosis」と題する報文には、「Hbオリンピアの場合、構造と機能との間に類似の関係を推測することはできない。なぜなら、正常なヘモグロビンの20β残基(ヘリックス表示におけるB2)に関係し得る特別な機能はなにもないからである。この構造変化は、サブユニット間のアロステリックな相互作用には無関係な、ポリペプチド表面に存在する残基にも及んでいる。しかし、20β位におけるメチオニンの疎水性側鎖がサブユニットの内部に突き出ている可能性があるかもしれない。あるいは比較的大きな硫黄原子を有するこの側鎖のかさだかさがヘリックスBのこの部分の全体的な形をゆがめ、サブユニットの相互作用において役割を有する他の部位に影響を与える可能性もある。」との記載がある。
A 一九七四年発行のTHE JOURNAL OF CLINICAL INVESTIGATION誌五三巻三二九頁〜三三三頁(乙第一〇九号証)に掲載された「Hemoglobin San Diego(β109(G11)val↓Met)」と題する報文には、「特定の残基の揺れ。バリン109βから置換したメチオニンは、直接三個の残基に影響を与える。即ち、Tyr35(CI)βと、その上His122(H5)αと、β―Gヘリックスの次のターンにあるCys112(G14)βである。Cys112βは側面からメチオニン側鎖の方向に動くが(図3)、一方、メチオニン側鎖はバリン側鎖の場合よりさらに上のほうに突き出しているので、Tyr35βとHis122αはメチオニン側鎖から離れる方向に動く。後者の動き(図4および図6)は特に重要である。なぜなら、その動きによって、Tyr35β1…Asp126(H9)α1の間の水素結合が弱められ、Asp126α1…His122α1の間に新たな分子内α鎖の結合が形成されるからである。おそらく再配列は、通常はTyr35βと相互作用をしているAsp126のカルボキシ酸がHis122αのほうへ揺れ動き、新たな水素結合をつくることにより起こる。(三三二頁第六図の説明)109β位にメチオニンが導入されることによって影響を受ける水素結合(Tyr35β…Asp126α1、His122α1…Asp126α1)と、塩橋(Arg141α2…Asp126α1)との概略図(y軸に対して垂直な側面から見たもの)。弱い水素結合が変異体のAsp126αとTyr35βの間に存在するかもしれないが、それは描かれていない。黒い線は天然構造を示し、白い線はヘモグロビン・サンディエゴの構造を示す。」との記載がある。
B 一九七八年一一月一日発行の「蛋白質 核酸 酵素」誌二三巻一二号一一九〇頁に掲載された「蛋白質の安定性とアミノ酸置換」と題する報文(乙第九六号証の1〜3)には、「蛋白質の立体構造は変性してポリペプチド鎖が自由に動きまわろうとする力に水素結合とか疎水結合を形成してポリペプチド鎖が折りたたまって構造を形成しようとする力が少し打ち勝っていることで保たれている。蛋白質の構造は破壊しようとする力と形成しようとする力の差し引き勘定ぎりぎりの安定性(marginal stability)で支えられているのである。蛋白質の変性の自由エネルギー変化はほぼ10kcal/molである。水素結合のエネルギーがモルあたり数キロカロリーなので、蛋白質の立体構造はたとえば余分の二〜三本の水素結合のエネルギーで保たれていることになる。蛋白質の安定性をこの観点からみると蛋白質のただ一個のアミノ酸置換でその分子の安定性が影響されることは当然のことともいえる。」(一一九七頁右欄)との記載がある。
C 一九八〇年一一月二五日第一版第一刷発行の「タンパク質 構造・機能・進化」(乙第八七号証の1〜3)には、「タンパク質におけるアミノ酸変異の受容基準」と題して、「ある残基の役割を正しく評価するためにはそのタンパク質の全般にわたる詳細な知見を必要とする……あるアミノ酸変異が受け入れられるか否かは、そのアミノ酸の生物学的役割に決定的に依存する。しかし、この役割というのは、酵素の触媒作用といった既知の機能に関係するばかりでなく、そのタンパク質が生合成されてから分解されてしまうまでの寿命の間に、生体の他の部分とどのような相互作用をもつか、という点にもかかわり合うため、それを正しく評価することは困難である。また現在、そのような詳細なタンパク質の“伝記”は手にすることができない。しかしながら、いくつかの一般的な事がらについて述べることはできる。タンパク質表面にある残基は内部の残基に比べてより頻繁に変異する……あるタンパク質におけるアミノ酸残基の変異率はポリペプチド鎖上の座位によって異なり、立体構造上の位置に決定的に依存する。一般的に表面にある残基は内部の残基より速やかに変化する。タンパク質の安定性にとって、外側の残基は内側の残基ほど重要でないので、この規則性はタンパク質を維持する上での重要性の違いを反映している、とみることができる。タンパク質の反応に直接関与するような表面残基は例外であり、例えば、酵素の触媒部位にある残基、基質や補酵素、補欠分子族、アロステリック作用因子などの結合部位の残基、あるいは他の高分子に対する結合部位の残基などである。……タンパク質内部で起こるアミノ酸変異の影響は、
しばしば他の変異によって償われる 球状タンパク質は有機化合物の結晶と同程度に稠密に充填されている……ので、内部残基の変異はその近傍にある他の残基の配置に影響を及ぼし、通常、タンパク質の安定性を下げる。結果として内部の変異はまれにしか起こらない。また、内部変異は別の変異を併発することが多く、そのような相補的変異の例はリポヌクレアーゼで発見されている。」(一八六〜一八七頁)と記載している。
D 一九八〇年一二月一日発行の「蛋白質 核酸 酵素」誌二五巻一三号に掲載された「ヘモグロビンの分子進化」と題する報文(乙第八九号証の1〜3)には、機能に関わる部位のアミノ酸残基の置換であれば、いわゆる保守的な置換であってもヘモグロビンの機能に明らかな異常がみられる旨の記載がある。
E 一九八〇年発行のアニュアル レビュー オブ バイオケミストリー誌四九巻に掲載された「BLOOD COGULATION」と題する報文(乙第九〇号証)では、一九八〇年当時アミノ酸配列が知られていたタンパク質(プロトロンビンとプラスミノーゲン)のクリングル領域のアミノ酸配列を比較対比した記載がある。
F 一九八二年四月五日発行の「蛋白質 核酸 酵素」誌臨時増刊「タンパク質とは何か」に掲載された「タンパク質の個性」と題する報文(乙第八六号証の1〜3)には、「アミノ酸組成という単純な量がタンパク質の個性と相関があることはアミノ酸自身に何かこれまで気づかれていない性質があってそれがタンパク質を決めているのかもしれない。疎水性残基、解離性残基と十把ひとからげに議論してよい場合と、個々のアミノ酸の性質を考慮しなければならないときといろいろあろうが、一次構造で与えられるアミノ酸はそれぞれの位置での意味がありそうである。
アミノ酸組成から一次構造へ研究が進んだように、道を再びたどればタンパク質を理解する新しい道が開けるかもしれない。」(七四三頁左欄〜右欄)との記載がある。
G 一九八二年四月五日発行の「蛋白質 核酸 酵素」誌臨時増刊「タンパク質とは何か」に掲載された「タンパク質の安定性」と題する報文(乙第一〇三号証の1〜3)には、「Zuber、Rossmanらは、脱水素酵素類やフェレドキシンについて一次配列上の違いを調べ、置換にある傾向がみられることを報告した。結果は図2にまとめたが、Gly↓Ala、Ser↓Ala、Ser↓Thr、Lys↓Arg、Asp↓Gluが上から五位のものである。これらは表3の結果とも比較的よい一致を示している点で興味深いが、はたして他のタンパク質一般に適用できるものかどうかは問題である。」(八四四頁左欄)との記載がある。
H 一九八二年一〇月発行のProceedings OF THE National Academy of Sciences誌七九巻二〇号六一三二頁〜六一三六頁(乙第一〇八号証)に掲載された「Plasminogen Tochigi:Inactive plasmin resulting from replacement of alanine-600 by threonine in the active site」と題する報文には、「この研究はプラスミノーゲン・トチギが分子として機能を損なっていることを説明するために、その構造の異常性を明確にすることを目的として行われた。その結果、プロテアーゼ活性を失っていることは、異常プラスミノーゲン分子において六〇〇位のアラニンがスレオニンに置き変わっていることに依存していることが示された。」との記載がある。
そうすると、米国第一、第二出願当時の技術水準の下においては勿論、現在においてもなお、当業者が、その技術常識と周知慣用手段を駆使して、本件発明の開示する技術的事項の教示に従って判断したとしても、本件発明のt-PAの二四五位のバリン残基がメチオニン残基に置換されても、本件発明のt-PAと実質上同一若しくは均等のイ号物件が得られるであろうと予見することが直ちに可能であったとは俄かに断定することができない。したがって、右予見が可能であったとする原告主張は理由がない。
結語
以上によれば、イ号物件、イ号方法、イ号製剤及びイ号細胞は、いずれも本件発明の技術的範囲に属さない。
よって、原告の本訴請求はすべて理由がないから、主文のとおり判決する。
なお、民訴法158条2項366条2項に基づき、原告のために、本判決の控訴期間の付加期間を三〇日と定めることとする。
追加
別紙目録五、六及び特許公報(省略)目録一ボーズメラノーマ細胞から取り出したmRNAより、cDNAライブラリーを作成して、天然ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子のアミノ酸配列解析より得られた第一二番目から第一七番目のアミノ酸配列に対応する一七ヌクレオチドをプローブとしてスクリーニングを行ない、その結果得られたcDNA断片をプローブとしてさらにスクリーニングを行うことを繰り返して得られた、目録五記載のアミノ酸配列を有する組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているcDNAおよび翻訳されないマウスのDHFRcDNAを含み、二個のSV40由来の転写促進因子とアデノウィルス由来のプロモーターを有する発現ベクターと、マウスのDHFRをコードしているcDNAを含み、アデノウィルス由来のプロモーターを有する発現ベクターとによりチャイニーズ・ハムスター卵巣DUKX-B11細胞を同時形質転換して得られる組換えチャイニーズ・ハムスター卵巣AJ19細胞目録二目録一記載の細胞を培養して得られた、目録五記載のアミノ酸配列を有し、以下の特性を有する組換組織プラスミノーゲン活性化因子(1)プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する(2)フィブリン結合能を有する(3)ヒト子宮細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す(4)クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域として、本件発明のアミノ酸配列のかわりに目録五記載のアミノ酸配列を有する(5)主として2本鎖タンパクとして存在する目録三目録一記載の細胞を培地で培養して、目録二記載の組換組織プラスミノーゲン活性化因子を得て、次いでこれを単離精製する、組換組織プラスミノーゲン活性化因子の製造方法目録四目録二記載の組換組織プラスミノーゲン活性化因子の塩酸塩を含有する紛末状注射用製剤
裁判官 庵前重和
裁判官 小澤一郎
裁判官 阿多麻子