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関連審決 審判1989-15082
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事件 平成 4年 (行ケ) 14号
裁判所のデータが存在しません。
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 1997/08/07
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告ら(1) 特許庁が平成1年審判第15082号事件について平成3年12月16日にした審決を取り消す。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告 主文同旨
請求の原因
1 特許庁等における手続の経緯 【A】(以下「【A】」という。)は、名称を「桃の新品種黄桃の育種増殖法」とする特許第1459061号発明(昭和52年10月24日出願、昭和59年8月22日出願公告、昭和63年9月28日設定登録、以下「本件発明」という。)の特許権者であった。
原告らは、平成元年9月18日、特許庁に対し、【A】を被請求人として、本件発明の特許(以下「本件特許」という。)について無効審判を請求し、平成1年審判第15082号事件として審理された結果、平成3年12月16日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は、平成4年1月11日、原告らに対し送達された。
【A】は、原告らによる本訴提起後の平成7年2月4日に死亡したため、【A】の本件発明についての権利義務は、相続により被告に承継され、平成8年2月23日、その旨の移転登録がなされた。
2 本件発明の特許請求の範囲 従来周知の缶詰専用桃品種タスカンを種子親とし、これに花粉親として桃品種エルバーターを交配せしめて本発明者が改良育成した桃品種タスバーターを種子親とし、本発明者が偶発実生の黄肉の桃品種晩黄桃を交配せしめ、得た種子より発芽した植物を選抜淘汰の結果 本文に詳記し、図面に示すように葉縁がわずかに波立つが種子親タスバーター程には波立たない大きな披針形の葉を有し、花は、淡紅色の蕊咲きで、花粉多く自家受精の性質を有し、結実多く、果実は整った円形で、果皮強靭であり、色は黄色地に陽光面に紅暈を現し、外観きわめて美麗であり、果肉は黄色で、肉質きわめて緻密で繊維少なく、粘核であり、核の周囲に着色が少なく、微酸を含む甘味を有し、
果頂と底部との味の差がなく、芳香を有する桃の新品種黄桃を育成し、これを常法により無性的に増殖する方法(別紙第一ないし第3図参照)。
3 審決の理由の要点(本件訴訟に関係しない部分を除く。)(1) 本件発明の要旨は前項記載のとおりである。
(2) これに対し、請求人ら(原告ら)は、本件特許は無効にされるべきであるとして、以下のとおり主張する。
ア 特許法29条1項柱書違反(ア) 遺伝学上の通念によれば、特定の種子親と特定の花粉親とを交配させたとしても、全く同一の特性を有する新種を確実に再現させることはほとんど不可能に近く、上記特性の反復可能性はほとんど無きに等しい。したがって、本件発明の育成方法により、同じ種子親と花粉親とを交配させたとしても、必ず同じ特性の新種が得られるという保証はなく、本件発明は、理論上、実施不可能な発明である。
(イ) 本件発明の明細書(後記イにおける手続補正後のものを指す。以下「本件明細書」という。)に記載された育種経過によると、まず、昭和27年に得た実生苗130本から、その1年後の昭和28年に、「両親の中間形質を供えていると思われるもの」3種を選抜したとあるが、どのような形質を確認して選抜を行ったかについての客観的な記述がなく、専ら発明者の主観に従って「中間形質を供えていると思われるもの」を選抜している。そのため、発明者以外の者が同じ選抜を行ったとしても、その結果が異なる場合もあり得ることになる。そのような場合においては、本件発明は、特許法29条1項柱書による「産業上利用できる発明」、ないしは、同法2条における「自然法則を利用した技術的思想創作」に当たるものとはいえない。
(ウ) 昭和29年に行われた第1回の選抜の段階では、実生苗は2年生であり、
通常栽培の場合には果実をつけていない状態である。仮定的に、上記段階において果実をつけていたとすると、それは特殊な育成法を用いたはずであるが、本件明細書にはそのような記載がまったくみられない。
たとえ、その場合、高接法を使用したとしても、本件明細書にはどのような木に高接したのか開示されていない。
本件明細書記載の育種経過によると、育成者は、果実における両親品種の形質の良いところを合わせ持った品種を得るために、果実以外の形質において両親の中間形質を備えていると思われるものを選抜したことが明らかである。ところが、遺伝学の教えるところによると、生物体の諸形質は、通常それぞれ独立して遺伝することから、例えば葉の形態の中間形に基づく選抜により、両親の良いところを合わせ持った果実の中間形が必ず得られるという理論は成立しない。したがって、本件発明の方法は、遺伝学の基本法則に従って創作されたものではなく、たとえ、発明者が、本件発明の方法によって所期の目的を達成し得たとしても、それは単なる偶然に過ぎず、再現性はまったく期待できないものであるから、本件発明は、反復可能性も、創作性も備えていない。
(エ) 本件明細書の記載からみるならば、本件発明に係る品種について、他品種との区別性、均等性、安定性、永続性等を判断するために必要な事項が一切記載されていない。したがって、本件発明においては、それらについての実証がなく、創作手段が具体的に開示されているとは到底いえない。
イ 特許法29条2項違反 本件発明の重要な構成要件である花粉親としての「晩黄桃」については、願書に最初に添付した明細書(以下「当初明細書」という。)には、その入手手段が具体的に記載されておらず、出願から五年後に提出された昭和57年7月19日付け手続補正書(以下「本件補正書」という。)によりその具体的事項が補正(以下「本件補正」という。)され、更に、その3年後に提出された、特許異議申立てに対する昭和60年3月4日付け答弁書において、なお説明を加えているものである。この事実からみるならば、本件補正は、品種に属する植物の創成手段が明らかになっていない明細書に、その創成手段を加える補正に該当するから、出願時の当初明細書の要旨を変更するものであるとともに、当初明細書における発明は、明らかに未完成である。
そうすると、当初明細書の要旨を変更する本件発明については、その特許出願が、本件補正書を提出したときになされたものとみなされるから、本件発明は、本件補正書の提出日前に公開された本件発明の出願公開公報(昭和54年5月15日特許出願公開、同年第60132号公報、以下「本件公開公報」という。)に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものである。
ウ 特許法29条1項1号、2号違反 本件明細書の記載によれば、本件発明に係る新品種の育種は、昭和27年から昭和42年にかけて、東京都世田谷区<以下略>において実施したこと及び新品種が完成したのは、特許出願の17年前であることが記載されている。
これは明らかに、本件発明が、特許法29条1項1号にいう「特許出願前に日本国内において公然知られた発明」を対象としたものであり、少なくとも、同項2号の「特許出願前に日本国内において公然実施された発明」に該当するものであることは明らかである。
エ 平成5年法律第26号による改正前の特許法123条1項2号(特許の条約違反。以下「旧2号」という。)及び5号(特許後における特許の条約違反。以下「旧5号」という。)該当 本件明細書においては、「本発明の実施には、特許法第2条第3項第3号の規定(判決注―平成6年法律第116号による改正前の規定)により、特許請求の範囲に記載された育種増殖法の使用のみならず、前記方法で育成された後代の本植物新品種に属する植物の生産、使用、販売も含まれること、はいうまでもない。」と記載されていることから、本件発明は、新品種をも対象とするものであり、「植物新品種の保護に関する国際条約」(以下「UPOV条約」という。)に違反する。
(3) そこで、以上の主張について検討する。
ア 特許法29条1項柱書違反の主張について(ア) (ア)について 本件発明は、その要旨から明らかなとおり、特定の親品種を交配せしめ、得た種子より発芽した植物を選択淘汰して、所望の特性を有する桃品種を育成し、これを、常法により無性的に増殖する方法であって、品種の創成手段として交配を利用するものである。
そして、交配による品種の改良は、当業界における周知の手法である。
すなわち、特定の親植物を交配させるならば、その親植物の遺伝子の組み替えは、一定の法則(メンデルの法則)に従って起こり、何通りかの組み替えのうちの一つとして、確率的にあるいは統計的に、必ず目的とする特性を有する植物が反復して得られることは、育種学上周知のことである。
してみれば、本件発明に係る育成方法は、理論上、その反復可能性が認められるものであり、本件発明が実施不能であるとすることはできない。
(イ) (イ)について 本件明細書においては、本件発明の育成方法にに係る黄桃(以下「本件黄桃」という。)の育種経過について、以下の記載がなされている。
「この新品種“黄桃”の育種は、昭和27年(1952年)〜昭和42年(1967年)にかけて、発明者の農場である東京都世田谷区<以下略>において実施した。
昭和27年(1952年)に、まず本件発明者が昭和15年(1940年)に、
当時朝鮮慶尚南道蔚山郡長生浦に在住時代に、その土地において缶詰用果実の研究改良の一環として、黄桃の改良を志し、米国の缶詰専用黄桃品種“タスカン”にこれも米国の黄肉種の桃品種“エルバーター”を交配して育成し、本発明者が命名した“タスバーター”種を種子親として採用し、これに、やはり本発明者が昭和15年頃、上記朝鮮で発見した偶発実生より選抜淘汰し、発明者が命名した“晩生黄桃”を花粉親として交配した。
(略) 同昭和27年(1952年)に交配種子約150粒を得て、これを播種し、これより実生苗130本を得た。
昭和28年(1953年) 上記実生苗より、両親の中間形質を備えていると思われるもの約3種を選び、20本ずつ計60本を実生砧木に切接ぎして供試苗とした。昭和29年(1954年)〜昭和33年(1958年)の間、各系統の形質を比較し乍ら、前記両親の中間形質のものの選抜をくり返し行った。」(本件発明の出願公告公報(以下「本件公告公報」という。)2欄10行ないし3欄6行) また、本件明細書には、育種目標、種子親の来歴及び特性、花粉親の来歴及び特性、交配により得られた新品種の特性、親品種及び新品種の所在地が明記されており、更に、本件明細書を精査するに、本件発明における交配後の選抜淘汰の手段については、何ら特殊な方法を用いるものでないことも明白である。
そうすると、本件発明を実施する過程(育種目標の設定↓交配親の選定↓交雑採種↓播種育苗↓主要形質の選抜育成↓増殖)のうち、交雑採種から増殖の一連の過程は、果樹の育種における通常の手法により実施できるものと解される。
そして、桃において、交雑育種は最も広く行われている方法であり、その選抜法、繁殖法、特性検定法も、本出願前周知であったところからみて、本件明細書の記載から、当業者が、本件発明を実施することは可能であり、更に、上述のように、理論的に一定の確率をもって、目的とする品種を得ることができるものといえる。
請求人ら(原告ら)の指摘する育種経過の記載は、いわる具体的な実施例ないし実験例に相当するものであり、この部分の記載は完全ではないが、当業者としては、本件明細書全体の記載及び周知技術から、本件発明を容易に実施できる程度の内容を読み取ることができるものであり、上記育種経過の記載をもって、本件発明の反復可能性、産業上の利用性、創作性までを否定することは、到底できない。
(ウ) (ウ)について 実生個体を早く結実させるために、既存の成木に高接する方法が取られること、
この方法により特性の識別を早期に行うことができることは、本出願前周知である。
そして、本件明細書の育種経過の欄にも、「上記実生苗より、両親の中間形質を供えていると思われるもの約3種を選び、20本ずつ計60本を実生砧木に切接ぎして供試苗とした。」と記載されていることから、昭和29年以降の選抜が、接木の手法によるものであることが明瞭であり、更に、桃を接木する際に使用する台木の種類も周知である。
そうすると、昭和29年以降の選抜が、果実の形質が育種目標に適ったものか否かの基準によって行われたものであることは、当業者にとって自明のことであり、
この点についての請求人ら(原告ら)の主張も当を得ないものである。
(エ) (エ)について 本件発明は、交配を利用して植物を育種し、無性的に増殖する方法であって、その再現性は、理論的に認められるものであるし、また、通常、交配から品種の確立までに10年ないし20数年を必要とするが、本件明細書には、目的とする新品種の特性の均等性、安定性、永続性の確認に17年の歳月を費やしたことが記載されていること、本件明細書には、新品種の特性が詳記され、育種目標の1つである甘味、酸味のバランスについては、定性的記載のみならず、精密調査による定量的データも示されていること、本件明細書においては、新品種の所在も明らかにされ、
それを本件発明の確認及び本種の特性確認のため役立てることが宣言されていることからみて、本件発明で得られる品種の区別性、均等性、安定性、永続性は、出願時には確認されていたものとするのが自然である。
したがって、この点についての請求人ら(原告ら)の主張も採用できない。
イ 特許法29条2項違反の主張について 当初明細書においては、花粉親である「晩黄桃」について、次のとおり記載されている。
「本発明者が昭和15年頃、上記朝鮮で発見した偶発実生より選抜淘汰し、発明者が命名した“晩生黄桃”を花粉親として交配した。
この両品種の採用理由は、種子親♀とした“タスバーター”は、酸味が強いが、
果実が大きい特徴を有しており、これに花粉親♂として採用した“晩生黄桃”は、
果実は甘いが外観が悪く、酸味が少ないという欠点があったので、この両者の優秀な形質を利用するのが目的であった。」(3頁5行ないし13行) 「B 花粉親品種(a) 晩生黄桃来歴前述したように、本発明者が、昭和15年(1940年)朝鮮慶尚南道蔚山郡において、作出したが、父母不明の偶発実生の黄肉種の桃を選抜淘汰して作出したものであり、終戦時芽接した苗を持帰ったものである。
特性―樹勢:普通葉:葉縁に波打ちがなく東洋系と思われる。
花:普通咲き、花粉多く開花期は普通、色は淡紅色である。
果実:形特に変った点はない。中果。果色は地肌黄色に赤色の暈を現し美しい。
果肉は黄色で肉質緻密、
味は糖度多く、酸味少く、甘味のみが感ぜられる。
熟期:八月上旬〜中旬その他:熟すると軟化するので、缶詰用としては不向きである。」(9頁6行ないし10頁4行) 以上によれば、当初明細書においては、晩黄桃がどうような来歴を持ち、どのような特性を有するものであるかが特定されている。そして、育種経過の記載からみても、昭和27年に、該品種を花粉親として、本件発明が実施されたことは明らかである。
してみれば、当初明細書には、本件発明において使用する花粉親の入手手段が明記されていなくとも、上記した花粉親の特性及び育種経過と、当初明細書のその余の部分の記載とを総合すれば、本件発明の方法は、全体として具体性を備えたものといえる。
そうすると、本件補正書によりなされた、「晩生黄桃」の原木及びこれより穂木を採り、接木をして成木となったものの所在地を示し、本件発明の確認のために役立て得るとの宣言を追加する本件補正は、本件発明に使用する花粉親の入手手段を明らかにし、当業者が本件発明を容易に実施できることを更に明確にしたものであるから、要旨を変更する補正には当たらない。
よって、本件発明の出願日は、その現実の出願日である昭和52年10月24日であり、それ以降に公開された本件公開公報に基づいて、当業者が本件発明を容易に発明することができたものとすることはできない。
ウ 特許法29条1項1号、2号違反の主張について 本件明細書においては、本件発明が、いつ、どこで実施されたかについて明記されているが、それをもって、直ちに、本件発明が、出願前に公然と知られた発明、
あるいは公然と実施された発明に該当するとはいえないし、また、被請求人(【A】)の答弁書における主張の内容が、上記事実を自白したものであるともいえない。
請求人ら(原告ら)は、本件発明が、いつ、どこで、誰によって公然と知られるに至ったか、あるいは公然と知られる状態で実施されたかについて、本件明細書における記載事実のほかに根拠を示して主張するものではないから、その主張は、具体的な裏付けを欠くものであって、採用することができない。
エ 特許法123条1項2号(特許の条約違反)及び5号(特許後における特許の条約違反)該当の主張について 本件発明は、発明の要旨として認定したとおりの方法にほかならず、新品種自体について対象とするものと解釈すべき余地はない。本件明細書の発明の詳細な説明の項における、「特許法2条3項3号の規定が本件発明の実施に適用される」旨の記載も、本件発明が新品種自体にあることを示す根拠にはなり得ない。したがって、本件特許が、UPOV条約に違反するものではない。
(4) 以上のとおりであるから、請求人ら(原告ら)が主張する理由及び証拠方法によっては、本件特許を無効とすることはできない。
4 審決を取り消すべき事由 審決の理由の要点(1)は否認する。
同(3)ア(ア)のうち、交配による品種の改良が周知の手法であることは認め、その余は否認する。
同(3)ア(イ)のうち、本件明細書において、本件黄桃の育種経過について審決摘示のとおり記載されていること、また、本件明細書には、育種目標、種子親の来歴及び特性、花粉親の来歴及び特性、交配により得られた新品種の特性、親品種及び新品種の所在地が明記されていること、本件明細書における本件黄桃の育種経過についての記載が完全なものでないことについては認め、その余は否認する。
同(3)ア(ウ)のうち、本件明細書において、本件黄桃の育種経過欄に、審決摘示のとおり記載されていることは認め、その余は否認する。
同(3)ア(エ)のうち、本件明細書において、目的とする新品種の特性等の確認のため17年を費やしたこと及び新品種の所在地を示すことにより、それを、本件発明の確認、本種の特性確認のため役立てる旨を宣言することが記載されていることは認め、その余は否認する。
同(3)イのうち、当初明細書において、「晩黄桃」について審決摘示のとおり記載されていることは認め、その余は否認ないし争う。
同(3)ウは争わない。
同(3)エは否認する。
審決は、(1)本件発明には反復可能性がなく、発明として未完成であるにもかかわらず、完成したものと誤って判断したこと(特許法29条1項柱書違反)、
(2)本件発明の要旨の認定を誤ったこと、(3)本件補正により、本件発明の当初明細書の要旨が変更されたにもかかわらず、その変更がなかったものと誤って判断したため、本件発明の進歩性について判断を誤ったこと(同法29条2項違反)、(4)本件発明が、UPOV条約に違反するものであるにもかかわらず、違反しないものと誤って判断したこと(同法123条1項旧2号、旧5号該当)の各点において違法であり、取り消されるべきである。
(1) 本件発明が反復可能性を欠くため、発明として未完成であることについて(特許法29条1項柱書違反、取消事由1) 「発明」とは、自然法則を利用した技術といえるものでなければならない(特許法2条1項)から、発明には客観性がなければならない。
発明に客観性があるとは、当業者が同じ方法で実施すれば、同じ結果が得られるということであり、一定の確実性に裏付けられた反復可能性があるということである。
したがって、一定の確実性に裏付けられた反復可能性がないものについては、当業者において再実施することができないから、そのような技術的思想は、客観的存在とはいえず、発明として完成したものとは評価し得ない。
これを本件についてみるならば、本件発明は、以下のとおり、反復可能性がないものであることが明らかであるから、「発明」として完成したものとは認められず、未完成なものというべきである。
ア 遺伝法則(メンデルの法則)を理由とする反復可能性について(ア) 審決は、「特定の親植物を交配させるならば、その親植物の遺伝子の組み替えは、一定の法則(メンデルの法則)に従って起こり、何通りかの組み替えのうちの1つとして、確率的にあるいは統計的に、必ず目的とする特性を有する植物が反復して得られることは、育種学上周知のことである。」(前記3(3)ア(ア))とするとともに、本件発明における育種目標は、両親の中間形質のものを獲得しようとするものであると認定している(前記3(3)ア(イ)(ウ))。
しかしながら、両親の中間形質の獲得は、メンデルの法則によって理論的に解明できるものではないし、メンデルの法則が妥当する場面でもない。
例えば、両親の花の色が赤と白の場合、メンデルの第1法則である優性の法則によれば、中間形質である桃色の花は獲得できない。
つまり、メンデルの法則によれば、親植物の遺伝子の組替えが何通り行われようとも、両親の中間形質を有する植物は得られないのである。
(イ) また、遺伝子の組替えが起こることは、一般論としては認め得るが、本件発明がメンデルの法則に従っているか否かについては、何ら明らかにされていない。
一般的に遺伝子の組替えが起こり得るということから、理論的には、同一のものが出現する可能性があるとしても、このような可能性は、ここでいう発明の反復可能性を何ら裏付けるものではない。
(ウ) この点についての被告の主張は、畢竟、本件黄桃を過去に1回獲得できたのであるから、もう1度獲得できる可能性があるという抽象的なものである。
しかしながら、特許庁の「植物新品種」に関する審査基準(昭和50年10月審査基準室作成)では、発明の成立性の要件として、まず反復可能性を挙げ、「品種に属する植物に関する発明の反復可能性は、同一の育種素材を用いて同一の育種手段を繰り返せば、確実に同一の結果を再現できるか否かで判断する。」と規定し(同基準3・1・1(1))、また、発明の成立性について、特許庁の一般審査基準(昭和47年2月)では、「出願時の技術水準からみると、開示された手段では発明者の得た成果と同じものが得られるかどうか疑わしいという程度のものもあり、このようなものについては未完成発明として取り扱うのが妥当である。」(1―4―3)と規定していることに照らすならば、発明の成立要件たる反復可能性は、例え成功率は低くとも、一定の確実性に裏付けられたものでなければならない。すなわち、単に論理上可能というだけでは足りず、成功率は低くとも、所定の個体数をとれば、必ず目的とする植物(個体)が得られるというのでなければ、一定の確実性に裏付けられた反復可能性があるとはいえない。
しかるに、本件発明については、
a 遺伝学的説明、論証がまったく行われていないことb 遺伝学的に再現の確率算定を試みても、天文学的数字になること(モモの染色体数(n)は8であり、ヘテロであると考えられているから、計算上、一つの遺伝子座についての再現の確率は65536(2の8乗×2の8乗)分の1となり、これを、仮に30組の遺伝子について考えると、交配による遺伝子の組み合わせは2の30乗×2の30乗となる。) 現に、育種関係者の間においては、交雑による新品種の作出について、予測性、
再現性が認められていないことc モモの育種、増殖において、有効な新品種が発見された場合には、その品種が交配(交雑)によって作出されたものであっても、同一の品種を再度作出するために再び交配を行うということはなく、作出された個体の無性的増殖方法(栄養増殖等)を用いていること 本件発明においても、本件黄桃を再度作出(増殖)するにあたっては、常法により無性的に増殖するとしていることに照らすならば、その反復可能性確実性は明らかにされているとはいえない。
本件黄桃の特性(形質)に着目しても、本件明細書に記載された特性は30項目以上あるから、各特性が2分の1の確率で現れるとしても、同一の結果が再現される確率は2分の1の30乗(10億7374万1824分の一)ということになり、後記イ(イ)b(a)@において用いられた130個体程度では再現性がないに等しく、偶然に期待するものというべきである。
また、再現の確率を満たし得るだけの手段の実施が当業者にとって不可能である場合には、その発明は、当業者において一定の確実性をもって再現し得るものとはいえず、発明に反復可能性があるとはいえない。本件において、上記のような個体数を取得することは、当業者にとって不可能というべきである。
(エ) 以上のとおり、本件明細書中においては、一定の確実性の存在について何らの論証も行っておらず、本件発明においてこれを明らかにするものは何もない。
イ 本件発明の選抜方法に客観性がないことについて(ア) 果樹である桃の遺伝構造は雑種性であるから、種子をまいて育てたものは、親と違った性質を示すことになるのが通常であり、発芽した植物も、同一の形質を示すことがないのが通常である。そのため、本件発明のように、交配(有性生殖)によって植物を作出する場合、作出過程において選抜をまったく行わないものはともかく、選抜を行うものにおいては、素材(両親)である種子親と花粉親を特定することで足りるものではなく、目的とする植物をいかに選抜するかが重要な意味を有することになる。
したがって、植物の育種方法の発明に関しては、明細書に、親植物の種類のほか、目的とする植物を客観的指標に基づいて選抜する方法等からなる作出過程が、
順を追って記載されるべきことが要求される。なぜならば、選抜のための客観的指標(基準)が明らかにされなければ、当業者が当該方法を実施し、目的とする植物を獲得することができないからである。
(イ) しかしながら、本件明細書の記載によれば、本件発明においては、以下のとおり、発明者(出願人)の勘(主観)に頼って選抜が繰り返されているのみであるから、当業者が本件発明を反復実施することは不可能である。
a 本件特許請求の範囲には、選抜について、「得た種子より発芽した植物を選抜淘汰した結果」と記載されているのみであり、選抜する上で必要な特性等の客観的基準については記載されていない。
本件特許請求の範囲における、「葉縁わずかに波立つが種子親タスバーター程には波立たない大きな披針形の葉を有し」以下の記載部分は、結果物(作出物)の特性を記載しているものに過ぎず、選抜の基準としての特性を記載しているものではない。
b(a) 本件明細書の「発明の詳細な説明」欄には、本件発明における交配育種の過程について、次のように記載されている。
@「昭和27年(1952年)に交配種子約150粒を得て、これを播種し、これより実生苗130本を得た。」A「昭和28年(1953年) 上記実生苗より、両親の中間形質を供えていると思われるもの約3種を選び、20本ずつ計60本を実生砧木に切接ぎして供試苗とした。」B「昭和29年(1954年)〜昭和33年(1958年)の間、各系統の形質を比較し乍ら、前記両親の中間形質のものの選抜をくり返し行った。」C「昭和35年(1960年)にようやく希望にそったものが育成されたので、これについてさらにその均等性、
安定性、永続性等について検討を加え、その確認に今日まで要したが、今回(略)特性の均等性、安定性及び永続性の確認が出来た(略)。」(本件公告公報2欄33行ないし3欄14行)(b) 上記Aの記載では、選抜のための客観的基準が示されておらず、当業者といえども、的確に選抜することはできない。
すなわち、そこには、「両親の中間形質を供えている」と記載されているが、本件明細書の記載における種子親の「タスバーター」の特性と、花粉親の「晩黄桃」の特性とを比較しても、「中間形質」の具体的内容は明らかではない。
しかも、上記Aにおける選抜は、実生苗の段階において行われるものであるから、この時点では果実は存在しない。
したがって、この段階において、種子親の果実の特性と、花粉親の果実の特性との中間形質を有するものを選抜することは不可能である。なぜならば、実生苗の段階で、将来の果実における種子親と花粉親の中間形質の基準となる特性は、何ら明らかにされていないからである。
(c) 上記Bにおいても、種子親と花粉親の特性の記載に照らして、どのような形質を比較し、どのようにして中間形質を認定したかは不明である。
仮に、種子親と花粉親の果実の形質に着目し、その中間形質を基準にしようとしても、種子親の果実の特性は、本件明細書において、以下のとおり記載されているに過ぎない。
「果実:大きさ:大果400g以上のものもある。平均350g。」「形状:円形で果頂に小突起を生ずる。」「果色:熟すと肌黄色となり、日向面に紅暈を現わし外観きわめて美しい。」「果肉:色黄色で、肉質緻密であり粘核種。」「味:糖度普通でやや酸味が強く、生食用としては本種の花粉親エルバーターよりも美味である。」 また、花粉親の果実の特性についても、
本件明細書に以下のとおり記載されているに過ぎない。
果実:「中果」形状:「特に変った点はない。」果色:「地肌黄色に赤色の暈を現し美しい。」果肉:「黄色で肉質緻密」味:「糖度多く、酸味少く、甘みのみが感ぜられる。」 したがって、両親の果実の形質からみても、選抜のための客観的指標(基準)が明らかであるとはいえない。
c また、本件明細書によれば、前記b(a)Aのとおり、昭和28年に実生苗約3種を選抜して、「20本ずつ計60本を実生砧木に切接ぎして供試苗とした。」というのであるから、それぞれの20本ずつについては、遺伝的にまったく同じものである。したがって、本件発明における選抜淘汰というのは、実生苗3種(本)のうちから1種(本)を選ぶことに過ぎない。
そうすると、本件発明において、交雑による遺伝子の組替えは一度行われたに過ぎないから、その後、各20本について繰り返し行われた選抜の際に、それぞれの固体に現れた形態の差異は、遺伝子の組替えのみによったものではなく、それ以外の栽培条件等の影響を受けたものと考えられる。
そして、本件発明は、5年に渡る無性的増殖、形態についての検討、選抜淘汰を繰り返し実施するうちに、望ましい形質、形態を有する固体を発見し、更に、その固体の均等性、安定性、永続性の確認に17年を要したということであろう。
このようにして選抜が行われ、望ましい固体が発見されたとするならば、それは、発見者(出願人)の選抜眼によって選抜され、発見されたものであるに過ぎず、本件発明が技術として反復実施されるということを示すものではない。
d 以上のとおり、本件発明においては、客観的指標に基づく選抜の方法が示されておらず、発明者の主観(勘)による選抜が開示されているに過ぎないものであるから、本件発明は、反復可能性を有するものではないといわざるをえない。
(ウ) 審決は、育種目標を設定することにより、目的に沿った果実(植物)を容易に取得することができるものと解しているかのようであるが、このような考え方は、育種における通常の考え方ではない。
因みに、本件明細書における、本件発明の育種目標に関する記載は、「桃の品種として甘酸適度で、果実が比較的大きく」(本件公告公報1欄末行ないし2欄1行)、「果実が比較的大きく、甘酸適度であり品質のよい」(同2欄5行ないし6行)とあるにとどまり、何ら選抜のための客観的な指標を提供するものではない。
したがって、上記育種目標により、育種の各段階における具体的な選抜の反復実施をすることができないことも明らかである。
ウ 「通常の手法」により本件発明を反復実施することができないことについて(ア) 審決は、桃の育種における選抜法、繁殖法、特性検知法が本出願前周知であったことから、当業者が、通常の手法に基づいて、交配により本件発明と同一の結果を獲得することが可能であると認定する(前記3(3)ア(イ))が、他方、
審決は、周知の選抜法、繁殖法、特性検知法の内容たる技術を明らかにしておらず、前記イのとおり、選抜のための客観的指標も明らかにしていないから、当業者といえども、「通常の手法」により本件発明を実施することはできない。
審決における上記の認定は、交雑による新品種の作出について予測性、再現性がないとする当業者の常識に反するのみならず、植物の育種方法の発明にあっては、
明細書に、親植物の種類のほか、目的とする植物を客観的指標に基づいて選抜する方法等からなる作出過程を、順を追って記載すべきことが要求されている趣旨(前記イ(ア)参照)を没却するものである。
(イ) また、審決は、上記のとおり、本件発明を実施する過程は、果樹の育種における通常の手法により実施することができるとするが、前記イ(イ)b(a)Aにおける、「昭和28年(1953年)上記実生苗より、両親の中間形質を供えていると思われるもの約3種を選び、20本ずつ計60本を実生砧木に切接ぎして供試苗とした。」という過程は、「果樹の育種における通常の手法」ではない。なぜならば、前記イ(イ)b(b)のとおり、実生苗の段階において、将来の果実における、種子親と花粉親の中間形質を示す基準となる特性を見出だすことは困難であるからである。
更に、昭和28年に実生苗を実生台木に切接ぎして、昭和29年に果実が得られることは、当業者にとって自明ことではなく、「通常の手法」でもない。
更にまた、審決が、「実生個体を早く結実させるために、既存の成木に高接する方法が取られること…は、本出願前周知である。」(3(3)ア(ウ))とすることも誤りである。すなわち、桃については、結実が早いので、既存の成木に高接する方法は採られない。
(ウ) 結局のところ、本件発明における昭和28年以降の選抜淘汰は、発明者(出願人)の「勘」(主観)に頼ってなされたものというべきであり、その反復可能性はないものである。
エ 本件発明に係る新品種に、均等性、安定性、永続性が存在しないことについて(ア) 本件明細書には、本件黄桃の特性の均等性、安定性、永続性の確認ができたと記載されており(本件公告公報3欄9行ないし14行)、審決も、本件明細書に、上記の均等性、安定性、永続性の確認に17年の歳月を費やしたことが記載されているとして、上記記載のとおり確認できたものと認定しているが、これは、あくまでも作出された物についての認定である。
この均等性、安定性、永続性の確認された作出物を、上記のように無性的に増殖すれば、同じものを継続反復して安定的に得ることができることは明らかである。
(イ) しかしながら、本件発明のような交配(有性生殖)による場合、上記のような無性生殖と同一に論ずることはできない。
果樹(桃)の育種の業界では、得られた品種(植物)の再取得(反復取得)が、
交雑によってなされることはないというのが、周知技術の下における当業者の常識である。特に、桃の遺伝構造は雑種性であり、遺伝子の構成が明らかにはなっていないのであるから、親品種を交配した場合、継続反復して安定的に同じものが得られるとは考えられていない。
(ウ) したがって、交配により種子を得て行う育種方法からなる本件発明においては、両親であるタスバーターと晩黄桃とを交配して、継続反復して安定的に同じものが得られるとすることはできない。
審決が、本件発明により得られた品種の均等性、安定性、永続性の確認ができたと認定したことは誤りであり、本件発明については、反復可能性が認められるものではない。
オ 本件発明における親品種(「晩黄桃」)の入手手段が確保されていないことについて(ア) 本件発明のような植物の育種方法の発明においては、親品種の入手手段が確保されていなければならない。
この点について、特許庁の「植物新品種」に関する審査基準では、「当該品種に属する植物の親植物が新規なものである場合、その親植物の入手手段(例えば、親植物自体の創成手段あるいは入手源など)が具体的に記載されていなければならない。」とされており、特許庁編「特許・実用新案審査基準」(第2章「生物関連発明」・2「植物」、社団法人発明協会平成5年7月20日発行)では、「親植物が容易に入手できないため当業者が追試できない場合は、出願前に寄託機関に寄託するか、入手手段を明細書に記載し出願人が分譲を保証すること」とされている。
親品種が入手できなければ、交配を手段とする育種方法の発明を再現することはできないから、親品種の入手手段の確保は、当該育種方法を反復可能なものとするのであり、これを欠く場合は、発明は未完成である。
(イ) ところで、本件発明における親品種のうち、花粉親である「晩黄桃」は、
【A】が朝鮮で発見した偶発実生の品種を日本に持ち帰ったものであるから、第三者が容易に入手し得るものではない。したがって、本件発明においては、第三者が、親品種である「晩黄桃」を入手し得ることが確保されていなければならない。
しかしながら、本件においては、寄託制度の利用もなく、第三者が「晩黄桃」を入手できることが確保されているとは認められないから、本件発明は、反復可能性を欠いているものというべきである。
(ウ) これに対し、審決は、【A】が本件明細書において「晩黄桃」の所在地を示し、本件発明の確認に役立てると宣言したことをもって、当業者が「晩黄桃」を容易に入手し得ることが確保されたとするが、発明の反復可能性は客観的に認定されるべきであり、【A】の宣言という極めて不確実な事実により、上記反復可能性を認定することは誤りである。
カ 本件発明における親品種(「晩黄桃」)が既に存在しないことについて(ア) 仮に、本件発明において、本件明細書に親植物の入手手段が記載され、出願人が、分譲を保証し、第三者の入手手段を確保することによって、当業者の追試、つまり反復可能性が確保されたとするならば、親植物は、少なくとも本件特許の存続期間の満了に至るまで、保存、分譲が確保されていなければならない。
親植物が入手不能(例えば不存在)であれば、発明の反復可能性はなく、発明は特許法29条1項柱書の発明とは認められず、未完成というべきである。
(イ) しかるに、現在、本件黄桃の親品種である晩黄桃の分譲は、被告により拒絶されており、その理由については、晩黄桃が既に存在しないからとのことである。
(ウ) そうであれば、その点においても、本件発明には反復可能性が認められないことになり、本件発明は未完成のものといわざるをえない。
(2) 本件発明の要旨認定の誤り(取消事由2)ア 選抜方法の記載について(ア) 植物特許の審査基準においては、植物の作出方法の発明について、作出された植物の種類に関する事項等とともに、植物の作出過程に関する事項を発明の構成要素であるとした上、特許請求の範囲には、親植物のほか、目的とする植物を客観的指標に基づいて選抜する方法等からなる作出過程を、順を追って記載することを要求している。
(イ) しかるに、本件発明の特許請求の範囲(以下「本件特許請求の範囲」という。)においては、「…タスバーターを種子親とし、…晩黄桃を交配せしめ、得た種子より発芽した植物を選抜淘汰の結果…新品種を育成し、…」と記載されるにとどまり、「目的とする植物を客観的指標に基づいて選抜する方法」についての記載を欠いている。
そして、審決は、上記「選抜する方法」を「果樹の育種における通常の方法」と認定しているものと解されるが、これは、本件明細書における「詳細な説明」欄の記載に基づくものでもない。
(ウ) そうすると、審決の認定に係る本件発明の要旨は、本件明細書に基づくものとはいえず、審決は、本件発明の要旨の認定を誤ったものである。
イ 「常法により無性的に増殖する方法」の記載について(ア) 審決は、本件発明の要旨を特許請求の範囲に記載されたとおりのものと認める一方、「本件発明は、その要旨から明らかなとおり、特定の親品種を交配せしめ、得た種子より発芽した植物を選択淘汰して、所望の特性を有する桃品種を育成し、これを、常法により無性的に増殖する方法であって、品種の創成手段として交配を利用するものである。」(前記第2、3(3)ア(ア))として、本件発明が、桃の新品種の育種方法(創成手段)についてのものであると認定している。
(イ) 本件発明において、先行技術により解決されていない技術的課題は、新品種を育種することにあり、増殖方法は、「常法により無性的に増殖する方法」と記載されているとおり、先行技術によって解決済みのものである。
そのため、解決済みの技術的課題である品種の増殖方法(「常法により無性的に増殖する方法」)が、未解決の技術的課題である「新品種を育種すること」の達成に向けて、有機的に協働することはない。本件発明において発明者が解決した技術的課題は、上記のとおり新品種の育種(創成手段)である。
(ウ) したがって、本件特許請求の範囲に、周知の構成要素である「常法により無性的に増殖する方法」が付加的に記載されていても、それは、本件発明の要旨となるものではなく、上記付加的な部分についても本件発明の要旨とした審決は、発明の要旨の認定を誤ったものである。
(三) 本件発明の要旨変更により、本件発明が進歩性を欠くことについて(特許法29条2項違反、取消事由3)ア 仮に、本件発明が反復可能なものであり、未完成発明ではないとしても、前記(1)オのとおり、交配を手段とする育種方法の発明においては、親品種の入手手段の確保が、その発明性(反復可能性)を認めるための要件の一つである。
すなわち、親品種が入手できなければ、交配を手段とする育種方法の発明を再現することができないから、親品種の入手手段の確保は、当該育種方法を反復可能なものとするために必要であり、これを欠く場合は、発明は未完成である。
そして、本件発明における花粉親の「晩黄桃」は、発明者である【A】が朝鮮で発見した偶発実生であり、同人が日本に持ち帰ったものであるから、【A】以外に「晩黄桃」を知る者はいない。そのため、「晩黄桃」は、【A】が分譲しなければ、第三者が入手し得るものではないから、本件発明が完成されたものであるとするならば、「晩黄桃」の入手手段の確保は、【A】による「晩黄桃」の所在地の開示と、その分譲を保証する旨の宣言に依拠しているものである。
イ しかるに、本件発明においては、当初明細書に、新規な親植物(花粉親)である「晩黄桃」について、入手手段の記載がなく、その分譲を保証する旨の記載もなかったところ、昭和57年7月19日提出の手続補正書(本件補正書)によって、
上記の入手手段と分譲の保証についての記載が追加補充されたものである。
そうすると、当初明細書に記載されていなかった、新規な親植物である「晩黄桃」の入手手段及び分譲の保証を補充追加する本件補正は、それまで未完成であった発明を、反復可能な完成された発明とするものであり、発明の要旨を変更するものというべきである。
ウ したがって、本件発明は、特許法40条(平成6年法律第116号による削除前の規定)により、本件補正書の提出された昭和57年7月19日に出願したものとみなされ、その結果、本件発明は、本件公開公報に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明することができたものとなり、特許法29条2項により、特許を受けることができないものである。
(4) 本件発明が、「植物新品種の保護に関する国際条約」(UPOV条約)に違反するものであることについて(特許法123条1項旧2号、旧5号該当)ア UPOV条約は、1条1項において、その目的を「この条約は、植物の新品種の育成者又はその承継人(以下「育成者」という。)に対しこの条約の定めるところによりその権利を承認し及び保証することを目的とする。」と規定し、2条1項において、「同盟国は、この条約に定める育成者の権利を、特別の保護の制度により又は特許を与えることにより承認することができる。国内法によりこれらの2の方式の双方による保護を認める同盟国においては、同一の種類の植物の保護は、一の方式により行われなければならない。」と規定している。
したがって、UPOV条約の趣旨、内容については、これらの記載に照らして明らかにされなければならない。
また、UPOV条約に違反するか否かの判断にあたっては、当該特許が新品種の保護を目的とするものか否かについて、実質的に判断されるべきである。
イ 本件発明においては、育成された桃の新品種の増殖は、所定の交配の過程を繰り返すことにより行われるものではなく、常法により無性的に行われるものである。
したがって、本件特許は、実質的に、新品種の生産、護渡等の権利を育種者(特許権者)に付与するものであり、新品種の保護を目的とするものである。
ウ また、本件発明は、当初は「倉方黄桃」の発明として出願され、それを方法の発明として変更(補正)したに過ぎず、補正するに際しても、明細書に特段の技術的要素が付加されることはなかったものである。そして、本件発明は、「特定の親品種を交配せしめ、得た種子より発芽した植物を選択淘汰して、所望の特性を有する桃品種を育成する」というのであるから、交配という通常の方法を利用しているに過ぎず、親品種の掛け合わせ方法に、特別な技術を用いるものではない。
したがって、本件特許は、上記の点からも、実質的には交配により作出された新品種の保護を目的とするものである。
エ 更に、本件明細書には、特性の均等性、安定性、永続性の確認ができたと記載されており、審決も、本件明細書に、均等性、安定性、永続性の確認に17年の歳月を費やしたことが記載されているとして、特性の均等性、安定性、永続性の確認ができたと認定しているが、これは、あくまでも、作出された物についての均等性、安定性、永続性の確認である。
したがって、審決も、本件特許が新品種をその保護の対象とするものであることを認めているのである。
オ 以上からみるならば、本件特許は、実質的には、新品種の保護を図るものであることが明らかであるから、UPOV条約における二重保護の禁止に抵触するものである。
したがって、審決が、本件発明の範疇が形式的には方法の発明であることの一事をもって、上記の二重保護の禁止に抵触することはないと認定したのは誤りであり、少なくとも、審理不尽、理由不備の違法を免れない。
カ なお、被告は、衆議院外務委員会における政府答弁を引用して、特許法49条における条約にはUPOV条約が含まれないと主張するが、上記答弁は、UPOV条約については、現実の実態として、種苗法による保護を行うことでその目的が達せられることから、植物新品種について特許が与えられることは事実上ないということを背景に、種苗法との二重保護の問題や、条約上の問題が生じないとしたものであって、特許法49条における「条約」にUPOV条約が含まれることは、当然である。
また、種苗法12条の5第2項5号の規定は、方法の特許との調整規定であって、上記のとおり、植物品種について、物として特許が付与されることは事実上ないから、調整の問題は生じないとの見解が採られており、「物についての特許権者と品種登録者との関係を調整する規定は現在設けられていない。」との政府答弁がなされている。
請求の原因の認否及び被告の反論
1 請求の原因1ないし3の各事実は認める。
同4は争う。
審決の認定、判断は正当であり、審決に原告ら主張の違法はない。
2 取消事由についての被告の反論(1) 取消事由1(反復可能性の欠如による本件発明の未完成)についてア ア(遺伝法則による反復可能性)について(ア) 植物における「中間形質」とは、学術用語として、特にその内容が確定しているものではない。
本件発明における「中間形質」とは、本件明細書の記載からも明らかなように、
種子親(タスバーター種)の特性と、花粉親(晩黄桃)の特性に対する本件黄桃の特性を指すものである。つまり、本件黄桃の形質が、いずれかの両親の形質とまったく同一というのではなく、両親の形質のうちの優れたものを幾らかかずつ取得したものを、「中間形質」といっているのである。したがって、原告らの主張するような両親の各形質の中間の形態(形質)、例えば、赤と白の中間の桃色というものではない。
また、審決は、遺伝の一般法則といっているのであり、その法則の例としてメンデルの法則を挙げているに過ぎないし、メンデルの法則は優性の法則に限定されるものでもない。
(イ) 更に、原告らは、遺伝子の組替えによる同一の結果の出現可能性についても主張しているが、その点は、正確には、同じ形質のものの出願可能性として論ずべきである。
本件発明は、遺伝子を特定した黄桃についての発明ではなく、種々の特徴を持った黄桃の育成増殖方法の発明であるから、遺伝子の組合わせの確率が、直ちに本件発明における黄桃の再現確率に一致するものではない。つまり、遺伝子が異なっていても、特性として表に現れる形質が同じであればよく、その数は膨大なものに上る。
本件発明は、このような表に現れた形質を特定した黄桃の育成増殖方法であるから、上記のような黄桃の出現する確率は、まったく同一の遺伝子を持つ黄桃の出現確率に比べると、はるかに高いのである。
そして、上記のような同じ形質を持つ黄桃の出現確率がある程度の値を取り得るということは、まさに、本件発明の反復可能性を裏付けているものである。
(ウ) なお、原告らの指摘する審決の記載部分(前記第2、4(1)ア(ア))は、交配による有性繁殖が一定の法則(メンデルの法則)に従ってなされるから、
ある特性を有する植物は反復して得られるものであるという一般論を述べたものに過ぎない。ある特性の出現する確率が少しばかり低くとも、発生すればよいというのが特許法の解釈である。
イ イ(本件発明の選抜方法の客観性)について(ア) 植物の育種においては、まず、育種目標を決定し、その目標に基づいて、
種子親、花粉親を選択する。その後、これらを交配して多くの種子を取り、その種子をまいて、多くの実生苗を作る。次に、それらを台木に接木して果実を結実させながら、育種目標に沿うものを根気よく選抜する。そして、選抜は、育種目標に適うものを、接木により成長したものの中から選び出すのである。
なお、育種目標に沿った形質の選抜にあたっては、果実の色や、甘味等の品質検定法も用いられる。具体的には、例えば、果実の色については、@標準色標と比較する方法、A分光光電光度計で分光測定する方法、B色差計を用い、三刺激値を直読する方法、C特定波長を測定する方法等があり、育種では、@Bの方法で検定することが多く、甘みについては、わずかの供試材料でも検定できるリフラクトメータ(屈折計)を使用したり、果汁を比重計で測定する方法等がある。
このような、育種の実施に際して用いられる選抜法、繁殖法、特性検定法等は、
いずれも当業者であれば容易に実施し得るものである。
本件発明においては、本件黄桃の形質特徴が、本件明細書の「特許請求の範囲」にも、「発明の詳細な説明」にも明記されており、これらの諸形質を育種目標として選抜したものであることは明白である。
そして、種子親及び花粉親については、栄養体選抜法及び実生選抜法で選抜したことも、当業者であれば当然分かることである。
更に、育種目標と比較して、形質特性を検定して選抜したことも、当業者には当然明らかである。
よって、本件発明においては、選抜のための客観的指標(基準)が当業者にとって明らかであり、本件明細書の記載から、当業者が反復実施することは十分可能なものである。
(イ) これに対し、原告らは、本件特許請求の範囲にも、本件明細書の「発明の詳細な説明」にも、選抜のための客観的な基準が記載されていないと主張する。
a しかしながら、まず、本件特許請求の範囲の記載についてみるならば、本件黄桃に関する、「葉縁わずかに波立つが種子親タスバーター程には波立たない大きな披針形の葉を有し」以下の諸形質についての記載部分は、まさに発明者が考えた育種目標でもあることが明らかであり、これらを育種目標として、前記の、形質に対する具体的検定方法を用いて選抜したものであることは、本件明細書の記載から明白である。
この点について、原告らは、本件特許請求の範囲には、単に選抜された結果物についての特性が記載されているのみであるとするが、植物の育種は、育種目標に基づいて試みられ、育種目標に合致したものを得るのであるから、結果物の特性そのものが育種目標であることは常識である。
そして、その際の具体的選抜方法は、選抜者が目で見、手で触り、食べて味わうことにより判断できる内容のものであり、当業者であれば容易に実施できるものであって、発明者だけが実施できるような勘に頼ったものではない。
b また、本件明細書における「発明の詳細な説明」の記載についてみるに、原告ら主張の、交配育種の過程についての記載部分(前記第2、4(1)イ(イ)b(a))における「中間形質」とは、まさに本件発明の育種目標として示されているものであり、両親の形質そのものではない。上記過程においては、両親の形質の中から、発現可能で、しかも好ましい組合わせである中間形質を特に育種目標として、選抜を行ったものであり、ここにいう中間形質の内容は明らかである。そして、育種目標を掲げて、それが出現する可能性のある種子親、花粉親を見つけることは可能である。
更に、「発明の詳細な説明」欄における、原告ら指摘の、前記第2、4(1)イ(イ)b(a)Aの記載部分については、多少の混乱があるが、当業者であれば、
この部分は、「昭和27年に交配種子150粒を得た後、昭和28年春にこの交配種子を播種し、その翌年である昭和29年に花芽が出たものにつき、これを高接法で接木して、果実を得て、この果実と実生苗の形態から、両親の中間形質を選んで、3種選び出した。」ことを意味するということが、当然に理解できるはずである。そうすると、花芽を高接法で接木すれば、その年に果実を得ることが可能であり、しかも、本件発明の育種目標には葉や花に関するものもあるから、原告らの主張が誤りであることは明らかである。
c なお、原告らは、「審決は、育種目標を設定することにより、目的に沿った果実(植物)を容易に取得することができるものと解しているかのようであるが、このような考え方は、育種における通常の考え方ではない。」とも主張する(第2、
4(1)イ(ウ))が、育種目標の設定が難しく、育種目標として設定したものが実現し得るか否かが不明であるとしても、そのことと、育種目標が実際に実現可能であった場合に再度反復し得るということとは、別のことである。
ウ ウ(本件発明における「通常の手法」)について(ア) 前記イ(ア)のとおり、本件における具体的選抜方法、すなわち、育種における選抜法、繁殖法、特性検定法は、当業者に周知の技術であるから、それについて審決が具体的に記載していないとしても、その周知の技術に基づいて、当業者が本件発明を実施することは容易になし得ることである。
(イ) また、原告らの指摘する本件明細書の前記第2、4(1)イ(イ)b(a)Aの記載(昭和28年における育種経過)については、確かに不正確な点もなくはないが、本件発明における中間形質とは、まさに育種目標のことであり、上記記載も、当業者であれば十分理解し得る程度に記載されているものであるから、
それによれば、本件発明において、「果樹の育種における通常の手法」が採られていることは明らかである。
更に、高接法については、それが、実生個体を早く結実させるために採られる方法であること自体は周知というべきである。審決は、そのことを述べているのであり、桃を高接法で結実させることが周知であるとしている訳ではない。しかしながら、高接法が、桃等の結実の早い果実の育種に用いられないということもない。本件発明の育種経過をみるならば、当業者であれば、そこにおいて、周知技術である高接法が用いられているということは容易に理解し得ることである。
(ウ) 本件発明の中間形質は、形、色、味等で見分けることができるものであり、本件発明において、発明者でなければ行うことができないような選抜を行っているものではない。
エ エ(本件発明の均等性、安定性、永続性)について 本件発明は、「特定の親品種を交配せしめ、得た種子より発芽した植物を選抜淘汰して、所望の特性を有する桃品種を育成し、これを常法により無性的に増殖する方法」であって、単なる交配による育種方法に限定されるものではない。
したがって、本件発明を単に交配によって種子を得て行う育種方法に過ぎないとする原告らの主張は、その前提において誤っている。
そして、本件発明は、育種目標を定め、それに基づいて親品種を選択、交配し、
得た種子を播種して花芽を得、これを高接法により接木をして果実を得た上、この果実と実生苗との形態から育種目標にあったものを選抜するものであり、このような手法により元の育種目標のものが再現できればよいのであって、その再現の確率が低くても、再現可能であればよいのである。
オ オ(晩黄桃の入手手段の確保)及びカ(晩黄桃の不存在)について 原告らの主張についてはいずれも争う。
特に、カの主張は、特許庁における審判手続において主張されていない新たなものであるから、本訴において主張し得るものではない。
(2) 取消事由2(要旨認定の誤り)についてア ア(選抜方法の記載)について 原告らの主張は、「客観的指標に基づいて選抜する方法等からなる作出過程」と、選抜する方法それ自体とを混同したものである。
植物の作出方法の発明においては、特許請求の範囲中に、「作出過程を順を追って明示すること」を記載することが要求されているが、本件発明の特許請求の範囲中には、「従来周知の缶詰専用桃品種タスカンを種子親とし、これに花粉親として桃品種エルバーターを交配せしめて本発明者が改良育成した桃品種タスバーターを種子親とし、本発明者が偶発実生の黄肉の桃品種晩黄桃を交配せしめ、得た種子より発芽した植物を選抜淘汰の結果」と、本件発明の作出過程が詳しく書かれており、植物の作出方法の発明における特許請求の範囲の記載としては十分である。
また、本件明細書における「詳細な説明」欄には、前記第2、4(1)イ(イ)b(a)のとおり記載されており、ここでいう「中間形質」とは、育種目標である本件発明の諸特性そのものであるから、そこには、客観的指標に基づいて選抜する方法等の作出過程が順を追って記載されているものといえる。
更に、審決は、本件発明を実施する過程が、果樹の育種における通常の手法により実施できると認定し、選抜法、繁殖法、特性検定法が周知の技術であると認定しているのであって、審決が、「果樹の育種における通常の手法」を認定したことと、本件発明の要旨の認定とはまったく関係がないことである。
イ イ(「常法により無性的に増殖する方法」の記載)について(ア) 審決は、本件発明を単なる育種方法(創成手段)についてのものとしている訳ではなく、桃の品種を育成してこれを無性的に増殖する方法のうち、創成手段として交配を利用するものであると認定していることが明らかである。したがって、原告らが、審決は、本件発明を桃の新品種の育種方法(創成手段)の発明であると認定しているとすることは、明らかに誤りである。
(イ) また、本件発明が、交配を利用して植物を育種し、無性的に増殖する方法であることは、本件特許請求の範囲の記載から明らかである。
本件発明は、本件黄桃の接木苗の製造方法として、その増殖方法をも含めたものであり、「常法により無性的に増殖する方法」は、本件発明に必須の事項である。
(ウ) そもそも、原告らの、本件発明が「新品種の育種方法」についてのものであり、本件特許請求の範囲内に、周知の構成要素である「常法により無性的に増殖する方法」が付加的に記載されていても、それは発明の要旨になるものではないとの主張は、特許庁における無効審判手続ではまったくなされていなかったのであり、本訴において新たに主張されたものである。
したがって、原告らの上記主張は、本訴において審理できる範囲外のものである。
(3) 取消事由3(本件発明の要旨変更による進歩性の欠如)についてア 原告らは、本件発明における花粉親の「晩黄桃」について、その入手手段を追加補正することが、それまで実施不可能であった発明を実施可能にするものであるとし、それを前提に、本件発明に進歩性がない旨を主張するが、本件補正が上記のとおりのものであるならば、補正前の当初明細書に基づく本件公開公報には、実施不可能な発明しか記載されていなかったことになり、そのような記載だけから、当業者が直ちに本件発明を容易に想到し得るということはありえないはずである。
イ また、当初明細書には、「晩黄桃」がどのような来歴を持ち、どのような特性を有するかが特定されており、これにより、「晩黄桃」がどのようなものかを十分に特定することが可能である。
したがって、当業者は、当初明細書の記載により本件発明を容易に実施し得るものであり、「晩黄桃」の所在地についての本件補正は、当業者が本件発明を容易に実施できることを更に明確にしたものであるから、それが発明の要旨変更に当たらないことは明らかである。
(4) 取消事由4(条約違反)についてア 本件発明は、新品種である本件黄桃の接木苗の製造方法として、本件黄桃を育成し、これを常法により無性的に増殖する方法についてのものであり、新品種それ自体についてのものではない。
したがって、本件発明は、UPOV条約の二重保護の禁止条項に抵触するものではない。
また、本件発明は、実質的にも、新品種である本件黄桃を育成し、これを常法により無性的に増殖する方法を保護するものであり、審決は、これを発明の要旨として認定し、単に、形式的に方法の発明であるとの一事をもって、上記条約の二重保護の禁止に抵触しないとしている訳ではないから、審決には、審理不尽、理由不備の違法はない。
イ 更に、UPOV条約への加入については、昭和57年の第96回国会において、その審議の過程で以下のような確認が付され、承認されたものである。
すなわち、衆議院外務委員会においては、特許法との関係について、上記条約を受ける国内法は種苗法があるのみであり、一方、特許法と種苗法とは保護対象、保護形態を異にするから、理論的には、特許権を植物品種に対する権利として設定することはあり得るものとの解釈が示された。そして、特許法49条2号26条の「条約」に上記条約が含まれないものと確認されたのである。
また、種苗法の新品種登録と方法の特許との調整規定として、方法特許の優越が種苗法12条の5第2項5号に明確に規定され、新品種の物としての特許も、「もちろん解釈」により新品種登録に優越することが確認された上で、種苗法の改正がなされているのであり、その後、この見解が変更されたということはない。
ウ 以上のとおり、本件発明が植物新品種についての発明であり、UPOV条約が特許法49条2号に規定する「条約」に該当するから、本件発明は無効とされるべきであるとする原告らの主張は誤りである。
なお、UPOV条約自体についても、その2条1項(二重保護の禁止条項)の政策的意義と運用上の問題点が明らかになり、1991年(平成3年)のUPOV条約改正外交会議において、上記条項の削除が決定されている。
証拠(省略)
理 由
請求の原因1ないし3の各事実(特許庁における手続の経緯、本件特許請求
の範囲、審決の理由の要点)については当事者間に争いがない。
また、交配により品種の改良を行うことが周知の手法であること、本件明細書において、本件黄桃の育種経過が、請求の原因3「審決の理由の要点」(3)ア(イ)のとおり記載され、更に、本件発明における育種目標、種子親の来歴及び特性、花粉親の来歴及び特性、交配により得られた新品種の特性、親品種及び新品種の所在地についても記載されていること、本件明細書において、本件黄桃の育種経過欄に、請求の原因3「審決の理由の要点」(3)ア(ウ)のとおり記載されていること、本件明細書において、目的とする新品種の特性等の確認のため17年を費やしたこと及び新品種の所在地を示すことにより、それを本件発明の確認、本種の特性確認のため役立てる旨を宣言することが記載されていること、当初明細書において、「晩黄桃」につき、請求の原因3「審決の理由の要点」(3)イのとおり記載されていること、本件発明が出願前に公然知られていたか否か、もしくは公然実施されていたか否かについての認定判断が審決記載のとおりであることについても、当事者間に争いがない。
本件発明の概要について
前記第一における当事者間に争いのない事実に、成立に争いのない甲第二号証(本件公告公報)を総合すると、本件発明の概要は以下のとおりであることが認められる。
一 本件発明は、桃の品種として、甘酸適度で、果実が比較的大きく、黄肉種の加工用にもなるが、主として生食用である黄肉の桃黄桃を育成し、これを常法により無性的に増殖することを目的とする(1欄37行ないし2欄3行)。
二(1) 育種目標 本方法は、果実が比較的大きく、甘酸適度であり、品質のよい黄桃種の桃新品種を育成することを目標として出発した(2欄4行ないし7行)。
(2) 本件発明に係る新品種(本件黄桃)の育種過程ア 新品種である本件黄桃の育種は、昭和27年から昭和42年にかけて、発明者の農場である東京都世田谷区<以下略>において実施した。
イ まず、昭和27年に、「タスバーター」を種子親とし、「晩黄桃」を花粉親として交配を行った。
上記の「タスバーター」とは、発明者が、昭和15年、当時在住していた朝鮮慶尚南道蔚山郡長生浦において、黄桃の改良のため、米国の缶詰専用黄桃品種「タスカン」に、同じく米国の黄肉種の桃品種「エルバーター」を交配して育成し、発明者が命名した品種である。また、上記の「晩黄桃」とは、同じく、発明者が、昭和15年ころ、同所において発見した偶発実生から選抜淘汰し、発明者が命名した品種である。
ウ この両品種を採用した理由は、種子親(♀)とした「タスバーター」は、酸味は強いが、果実が大きいという特徴を有しており、他方、花粉親(♂)として採用した「晩黄桃」は、果実は甘いが、外観が悪く、酸味が少ないという欠点を有していたため、この両者の優秀な形質を利用することにあった。
エ 昭和27年に、前記イにより交配種子約150粒を得て、これを播種し、実生苗130本を得た。
オ 昭和28年、上記実生苗より、両親の中間形質を供えていると思われるもの約3種を選び、20本ずつ計60本を実生砧木に切接ぎして、供試苗とした。
カ 昭和29年から昭和33年までの間、各系統の形質を比較しながら、前記両親の中間形質のものの選抜を繰り返し行った。
キ 昭和35年にようやく希望に浴ったものが育成されたので、これについて、更にその均等性、安定性、永続性等について検討を加え、その確認に今日まで要したが、今回、ようやくその理想とする要件を満足し、かつ、その特性の均等性、安定性、永続性の確認ができたため、本出願に至った(2欄8行ないし3欄一4行)。
(三)本件発明に係る新品種(本件黄桃)の両親の来歴及び特性ア タスバーター種(本件新品種の種子親)(ア) 来歴 前記(2)イのとおり(イ)特性樹勢 旺盛、立木性葉 東洋系の桃とは異なった、葉縁に波打ちがあり、かつ鈍鋸歯のある披針形である。
花 淡紅色の蕊咲きである。
花粉はほとんどない。開花は比較的早い。
果実 大きさ 大果、400g以上のものもある。平均350〇g。
形状 円形で果頂に小突起を生ずる。
果色 熟すと肌黄色になり、日向面に紅暈を現し、外観きわめて美しい。
果肉 色黄色で、肉質緻密であり、粘核種。
味 糖度普通で、やや酸味が強く、生食用としては本種の花粉親エルバーターよりも美味である。
栽培 洪積層(火山灰土)においては生理的落果が多い。粘質土壌においては落果が少ない(5欄1行ないし32行)。
イ 晩黄桃(本件新品種の花粉親)(ア) 来歴 前記(2)イのとおり。父母不明の偶発実生の黄肉種を選抜淘汰して作出したものであり、終戦時芽接した苗を持ち帰ったものである。
(イ) 特性樹勢 普通葉 葉縁に波打ちがなく、東洋系と思われる。
花 普通咲き、花粉多く、開花は普通、色は淡紅色である。
果実 形に特に変わった点はない。中果。
果色は地肌黄色に赤色の暈を現し美しい。
果肉は黄色で肉質緻密、味は糖度多く、酸味少なく、甘味のみが感ぜられる。
熟期 8月上旬ないし中旬その他 熟すと軟化するので、缶詰用としては不向きである(5欄39行ないし6欄17行)。
3 本件発明によって育成された新品種(本件黄桃)の特性(別紙第1ないし第3図参照)樹勢 旺盛であり、耐病性も強い。
葉 葉縁は鈍鋸歯状で、幅広い披針形である。
色 若葉の色は、英国王室園芸協会色表(ローヤルホルティカルチュラル カラーチャート(Royal Holticultural Color chart)、以下「カラーチャート」という。)138/B―Dグリーングループであり、
成葉の色は、カラーチャート137/Aグリーングループである。蜜線の形は腎臓形である。
花 花芽の発生は多く、蕊咲きで、大きさは比較的小さい。
花粉は多く、自花受精する。
色は淡紅色である。
開花期は、一般の桃より早く、東京付近で3月下旬ないし4月上旬である。
着花率は良く、東京方面の台地においても生理的落花は少ない。
果実 重量は、220gないし350gで、平均250gである。
大玉で、円形、玉揃えもよい、果頂部の窪みななく、梗窪の深さ、広さ共に中位で、縫合線は明瞭である。
果皮 厚さ中程度で強靭、先端の先熟はなく、平均に熟し、地肌が未だ緑色がかった時期に収穫して、6ないし8日に及び追熟させても、他の桃と異なり極端な劣変がなく、食味が変わらず、したがって、遠距離輸送に耐え、店頭販売にも好都合である。
熟期 8月上旬ないし中旬である。
収穫量 多収である。
果皮色 地肌黄色カラーチャート19/Aイエローオレンジグループに、向陽面には紅色カラーチャート41/Aー47/Aレッドグループの紅暈を現す。
果肉色 黄色カラーチャート17/Bイエローオレンジグループである。
果肉質 緻密で多汁、繊維少ない。
種子 大きさは、他の品種に比べ小形であり、粘核である。
食味 甘味強く、酸味少ない。また、他の黄桃にみられる渋味はまったくない。
食味についての精密データを示すと下記のとおりである。
(1) 調査方法果実採取 昭和52年8月10日調査月日 昭和52年8月13日調査時熟度 柔軟Soft供試個体数 5個(2) 調査項目PH ガラス電極法による。
滴定酸度 通常の方法にならって、0.1NのNaOHで滴定する。リンゴ酸として計算。
糖度 市販の屈折糖度計による。
(以上の3項目については、1個の果実の約3/4の果肉をガーゼで搾汁したものにつき測定した。) 可溶性固形物比率 果肉10gを採取し、赤外線水分計で水分量を測定し、恒量時の重量をもって表した。
(3)試験結果PH 個体No.1について、4.78 同2について、 4.82 同3について、 4.89 同4について、 4.89 同5について、 4.81 平均値 4.84滴定酸度(リンゴ酸g/100ml) 個体No.1について、0.43 同2について、 0.37 同3について、 0.35 同4について、 0.36 同5について、 0.30 平均値 0.38糖度 個体No.1ないし5について、12ないし16%可溶性固形物比率 個体No.1ないし5について、平均11.0(6欄18行ないし7欄30行及び8欄1行ないし28行)4 本件発明によって育成された新品種(本件黄桃)及びその両親の各所在 本件黄桃の種子親となったタスバーター種及び本件黄桃の原木は、発明者の農場である東京都世田谷区<以下略>に保管栽培されている。
また、花粉親である晩黄桃の原木は、発明者の弟である東京都目黒区<以下略>【B】方の庭内にあり、更に、これより穂木を採り接木して成木となったものが、
島根県邑智郡<以下略>【C】方の農場に保管栽培されており、本件発明の確認及び本件黄桃の特性確認のために役立て得ることを宣言する(7欄31行ないし44行及び8欄29行、30行)。
5 本件黄桃の増殖法 従来周知の芽接、切接等、果樹類の通常の無性的繁殖法によって、容易に、かつ、正確に本件品種の形質を後代に伝え得るものである(8欄31行ないし34行)。
6 栽培上の留意点 本件黄桃は、桃の一般病害に対し強いので、栽培は容易である。花芽が多く着生する性質があり、花粉もきわめて多く、かつ、自花受粉の性質を有するので、本品種の単植や、家庭園での一本植えも可能である。なお、生理的落果も少ないので、
経済的栽培品種である(8欄41行ないし9欄3行)。
審決取消事由について
そこで、原告ら主張の審決取消事由について判断する。
1 取消事由1(本件発明の反復可能性の欠如による発明未完成)について 特許法において「発明」とは「自然法則を利用した技術的思想創作のうち高度のもの」(特許法2条1項)をいい、出願に係る発明が発明として未完成のものであるときは、同法29条柱書にいう「発明」に該当しないものと解すべきである。
ところで、技術的思想創作が「自然法則を利用したもの」といい得るためには、自然力を利用して、反復実施することにより確実に一定の結果を得られることを意味し、このような反復可能性がないときは、その発明は未完成というほかない。しかしながら、ここにいう反復可能性は、反復実施すればその都度100%ないしそれに近い確率をもって一定の結果が得られることを意味するものではない。
利用する自然力如何によっては必ずしも反復実施の都度確実に一定の結果を得られるものではないし、そうであっても産業上利用できる発明として特許性を認めることができる技術的思想創作が存在し得るからである。
特に「植物の新品種を育種し増殖する方法」が技術的思想創作として特許出願された場合、育種した新品種は従来用いられている増殖方法により反復増殖(再生産)できるのが通常であることに照らすと、技術的思想創作として重要な意味を持つのは、新品種の育種であり、理論的にみてそれが再現される可能性があるということに存する(その点で「新品種の育種」と単なる「新種の発見」とは区別される。)。したがって、前記意味での「反復可能性」があるとは、理論的に新品種の育種を再現できることであり、その確率が高いものであることを要求されないのであって、当業者において当該明細書の記載に基づいて確実に一定の結果をもって新品種を再育種できるならば、反復可能性は満たされるとするのが相当である。
本件発明は、その名称を「桃の新品種黄桃の育種増殖法」とし、その特許請求の範囲を前記請求の原因2記載のとおりとするものであって、上記にいう「植物の新品種を育種し増殖する方法」に該当することが明らかであるから、本件発明が反復可能性を有し、発明として完成したものといえるかは、上記の観点から判断すべきものである。
そこで、原告らの主張に基づいて本件発明が発明として完成したものであるかについて順次検討する。
(1) 遺伝法則(メンデルの法則)による反復可能性ア 原告らは、本件発明に係る新品種(本件黄桃)における両親の中間形質の獲得は、審決の摘示するように、メンデルの法則からみて明らかであるとはいえないとともに、遺伝学的にみても、交配により、本件黄桃の特性(遺伝子の組合わせ)を再現することは不可能であるから、本件発明については、一定の確実性に裏付けられた反復可能性があるものとはいえないと主張する(請求の原因4(1)ア)。
イ ところで、本件発明に係る本件黄桃の形質は、前記第2、2(3)、3のとおり、両親のいずれかの形質を示すものであったり、そのいずれでもなく、中間の形質(「葉縁」等)を示すものであったりするなど、種々の様相を示しており、また、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第28号証(【D】作成の陳述書、10頁)及び成立に争いのない乙第11号証(【E】外編著「果樹園芸大事典」株式会社養賢堂昭和59年1月10日第2次訂正追補版発行(昭和47年5月25日第1版発行)、90頁右欄10行ないし25行、91頁、99頁左欄9ー5表下27行ないし右欄7行)の各記載に照らすならば、果樹における各形質の遺伝構造は、
形質の基になる遺伝因子が相互に影響し合い、複雑なものとなり、メンデルの法則によっては解明し切れない面を有するものであることが窺える。したがって、本件黄桃と同一の遺伝子の構造を有する桃を交配により再現することは、きわめて低い確率でしか成立しないと認められる。
ウ しかしながら、本件発明の目的は、その発明内容からみて、育種目標とする形質の基礎となるべき遺伝構造の異同にかかわらず、育種目標とする形質自体の獲得の点にあることが明らかであり、遺伝子構成により桃の新品種「黄桃」を特定することを発明の要旨とするものではない。
そして、桃を含む果樹の形質遺伝においては、前記のとおり、その遺伝構造が複雑であるがゆえに、遺伝構造の異同にかかわらず、部分的には同一の形質を含む多様な形質が発現し得るものであることもまた、前出乙第11号証の記載に照らし明らかというべきである。
したがって、これらのことを前提にするならば、本件発明における新品種(本件黄桃)の作出過程(以下「本件作出過程」という。)を反復実施することにより、
本件発明の育種目標とする形質と同じ形質が発現する可能性は、現実にはあり得ることであって、このことは、遺伝的知見もしくは育種学的知見に照らしても、容易に理解し得るところである。
そうすると、形質遺伝に係る遺伝構造の同一の観点からではなく、現実に発現する遺伝形質(特に、育種目標とする形質)自体の同一の観点からみるならば、本件作出過程により同じ形質が再発現する確率は、高いものとはいえないにしても、その可能性はあり得るものと認めるのが相当であるから、この限りにおいて、本件作出過程につき、遺伝形質の面から反復実施の可能性を否定することはできないものというべきである。
エ 以上のとおりであるから、原告らの上記主張も理由がないというべきである。
(2) 本件発明の選抜方法の客観性ア 原告らは、本件明細書中において、本件作出過程、具体的には前記第2、2(2)オ及びカの過程(以下、それぞれを「オの作出過程」、「カの作出過程」という。)について、植物を選抜淘汰するための客観的基準が示されていないから、
当業者がそれらの過程を反復実施することはできない旨を主張する(請求の原因4(1)イ)。
イ そこで、検討するに、前記第2、1によると、本件発明の目的は、「桃の品種として、甘酸適度で、果実が比較的大きく、黄肉種の加工用にもなるが、主として生食用の黄肉の桃黄桃を育成し、これを常法により無性的に増殖する」ことにあることが認められる。
そして、本件特許請求の範囲の記載からみるならば、本件作出過程における具体的な育種目標は、「果実は整った円形で、果皮強靭であり、色は黄色地に陽光面に紅暈を現し、外観きわめて美麗であり、果肉は黄色で、肉質きわめて緻密で繊維少なく、粘核であり、核の周囲に着色が少なく、微酸を含む甘味を有し、果頂と底部との味の差がなく、芳香を有する桃」を育成することにあることが明らかである。
その上で、上記の具体的育種目標に合致する本件黄桃を作出するための本件作出過程(第2、2(2)イ、エ、オ、カ、キ)のうち、まず、原告ら主張のオの過程(「昭和28年、上記実生苗より、両親の中間形質を供えていると思われるもの約3種を選び、20本ずつ計60本を実生砧木に切接ぎして、供試苗とした。」との過程)を当業者が反復実施することができるか否かについて検討するならば、次のとおりである。
(ア) 前出甲第28号証(1頁5行ないし13行)によると、桃の品種育成において一般に行われている交雑育種の過程では、交配年の翌年に得られる実生苗において、葉芽は得られるが、花芽は得られないことが認められる。
そうすると、交配年(昭和27年)の翌年であるオの過程においては、実生苗から果実を得ることができず、育種目標である前記のとおりの果実の形質による選抜はできないものと解される。
(イ) しかしながら、本件特許請求の範囲の記載によれば、本件黄桃は、果実の形質のほかに、葉の形質(「葉縁がわずかに波立つが種子親タスバーター程には波立たない大きな披針形の葉を有し」)及び花の形質(「淡紅色の蕊咲きで、花粉多く自家受精の性質を有し」)によっても特定されており、それらが一体となって、
新品種である本件黄桃を特徴付ける要件とされていることが明らかであるから、葉の形質及び花の形質もまた、本件作出過程における選抜基準になり得るものというべきである。
(ウ) そして、前記第2、2(3)ア(イ)、イ(イ)における、本件黄桃の種子親「タスバーター」の葉の形質と、花粉親「晩黄桃」の葉の形質からみるならば、本件黄桃の「葉縁」の形状は、両親の各「葉縁」の形状の「中間」の形質を示していることが認められる。
また、上記の中間の形質における葉形や葉縁の形状は、その態様の異同について、視覚的に確認できるものであり、更に、前出甲第2号証及び成立に争いのない甲第31号証(昭和52年10月24日付け本件特許願書及び添付の当初明細書、
図面)によると、本件発明についての昭和52年10月24日付け特許願書(以下「本件願書」という。)においては、本件黄桃の葉の形質について、別紙第1図のとおりの葉部の枝の写真が添付されていることが認められるから、上記中間の形質については、当業者において客観的に把握、認識し得るものであったことが明らかである。
(エ) そうすると、本件明細書に、オの過程における選抜基準として、両親の「中間形質」とする旨のみが記載されていたとしても、当業者においては、それが葉の形質を示すものであることが了知され、かつ、その「中間形質」としての形質の内容についても明確に了解し得るものであったというべきである。
(オ) なお、上記の葉の形質が上記選抜基準として実効性を有するものであるか否かについても検討するに、前出乙第11号証(113頁右欄12行ないし22行)及び成立に争いのない乙第10号証(【F】監修「育種ハンドブック」株式会社養賢堂昭和49年4月1日発行、545頁35行ないし546頁図9―13下1行)によると、交雑育種による果樹の品種改良に要する年数を短縮する方法の一つとして、「幼植物検定法」があり、それは、生育初期(幼苗期)において、生育後期(成木)においてもまったく同様に発現する形質、もしくは、生育後期(成木)の形質を推認できるような遺伝相関関係にある別の形質を選抜基準として、幼苗を選抜する方法であることが認められ、また、前出乙第11号証(104頁左欄18行ないし21行)によると、リンゴにおいては、葉の大きさと果実の大きさ、葉形と果形、葉柄の形と果こうの形の間に、それぞれ正の相関があり、葉柄および果こうの長さと果実の重さとの間に負の相関があるとされていることが認められる。
そうすると、桃に関する本件発明についても、本件特許請求の範囲に記載された「果実」の形質と、「葉」の形質とが相互に何らかの関連を有するものと推測し得るところであり(発明者においても、その点についての自己の経験的知見に基づいて、「葉」の形質を選抜基準として採用、実施したものと考えられる。)、当業者においても、実生苗の段階において、前記のような「葉」の形質に基づいて選抜することは、十分に意図し得るものというべきである(また、仮に、桃における「葉」の形質と「果実」の形質との関連が客観的に明らかとはいえないとしても、
そのこと自体が、オの過程における「葉」の形質を基準とした選抜を実施不可能とするものでもなく、後記ウ(ウ)(エ)のとおり、本件作出過程において中心となるべき「果実」の形質による選抜に影響を与えるものともいえない。)。
(カ) したがって、オの過程において、当業者が「中間形質」を選抜基準として本件黄桃の実生苗を選抜することは可能であり、上記基準による選抜の反復可能性がないとすることはできない。
ウ 次に、原告ら主張のカの過程(「昭和29年から昭和33年までの間、各系統の形質を比較しながら、前記両親の中間形質のものの選抜を繰り返し行った。」との過程)についての反復実施の可能性を検討するならば、
(ア)a 前出甲第28号証(1頁14行ないし21行)によると、桃について一般に行われている交雑育種による品種育成の方法では、交配年から2年目の冬において、実生苗に、数は少ないが花芽が着生するようになり、3年目には花芽の着生が多くなるとともに、春に開花し、夏に結実するものであることが認められる。
b 他方、本件作出過程においては、前記第2、2(2)オのとおり、オの過程において、実生苗が台木に切接ぎされているものであるが、前出乙第10号証(545頁35行ないし546頁図9―13下1行)、乙第11号証(113頁右欄1行ないし14行、同33行ないし114頁左欄2行)によると、交雑育種による果樹等の品種改良に要する年数を短縮する方法の一つとして、前記の「幼植物検定法」のほかに、「老化促進法」(「生育促進法」)があり、それは、生理面から積極的に老化を促進させ、幼型から成型への移行を早めて、世代交代を早期に実現させる方法であること、その一つである「接木法」は、1年生実生苗から採った穂木を、
成木の台木に芽接ぎ、あるいは切接ぎをして、開花、結実を早める方法であり、果樹の育種年限の短縮のため、広く用いられているものであることが認められる。
c そうすると、切接ぎを用いた本件作出過程においては、開花が早まり、
切接ぎの年である昭和28年の冬に花芽が着生し、翌年(昭和29年)の春には開花、結実し得たものとも考えられ(前出甲第28号証の記載(7頁10行ないし14行)も、必ずしもこれに反するものとはいえない。)、そうでなくとも、遅くとも、通常の品種育成の場合と同様に、交配年の翌々年(昭和29年)に花芽が着生し、その翌年(昭和30年)に開花、結実し得たものというべきである。
d なお、この点について、前出甲第28号証(2頁23行ないし3頁10行)には、「(1)モモは、通常、交配後播種してから3年目より開花、結実する。
(略)(2) モモは接木するより、実生樹を剪定せずにそのまま養成するほうが早く結実する。実生の若木に切り接ぎした場合、結果年齢は1〜2年遅くなるというのが育種関係者の常識である。従って、幼苗養成、幼木養成、予備選抜の段階では通常接木はしない。」と記載されていることが認められる。
しかしながら、前記の乙第10、第11号証の記載からみるならば、桃の育成において、育種年限を短縮させるため接木法を採用し得ないとする理由はなく、また、接木法においては、成木の台木を用いることは技術常識(乙第11号証113頁33行ないし37行参照)であるところ、甲第28号証の上記記載においては、
若木を台木とした場合の結果年齢をいうものであるから、同号証の上記記載部分は、カの過程における開花、結実についての前記認定を左右するものとはいえない。
(イ)a そして、前記(ア)cのとおり開花する花についても、その形質をもって、本件における選抜基準となし得るものであることは、前記イ(イ)のとおりである。
b 本件特許請求の範囲に記載された花の形質は、「淡紅色の蕊咲きで、花粉多く自家受精の性質を有」するというものであるが、これと、前記第2、2(3)ア(イ)、イ(イ)における本件黄桃の種子親「タスバーター」の花の形質及び花粉親「晩黄桃」の花の形質とをそれぞれ対比するならば、本件黄桃の花の形質は、両親に共通する「淡紅色」に加え、種子親の「蕊咲き」と、花粉親の「花粉多く」を併せ持つものであることが認められる。
そうすると、本件黄桃の花の形質は、両親の花の形質との全体的な比較において、両親に共通の形質と、それぞれの両親の一部の形質とを併せ持つ、「中間」の形質を示すものということができる。
c また、本件黄桃における上記の中間の形質は、色、咲き様、花粉量についてのものであるから、その異同を視覚的に確認することができ、他方、前出甲第2、第31号証によると、「葉」の場合と同様に、本件願書においては、本件黄桃の花の形質について、別紙第2図のとおりの開花状況の写真が添付されていることが認められることから、当業者において、上記中間の形質を客観的に把握、認識することが可能というべきである。
d 更に、「花」の形質と、本件特許請求の範囲に記載された「果実」の形質とが相互に何らかの関連を有するものと推測し得ることについても、「葉」の形質の場合と同様である。
e 以上によれば、前記(ア)のとおり、切接ぎにより苗木の開花が早まった場合には、交配年から2年目(昭和29年)において、葉の形質に加え、花の形質によっても、カの過程における「中間形質」のものを選抜することが可能であったというべきであり、また、切接ぎした苗において、老化の程度が不十分であったため、
切接ぎした年(昭和28年)に花芽が着生しなかったとしても、切接ぎのない実生苗に比べ、老化は進行しているはずであるから、交配年から2年目(昭和29年)には多くの花芽が着生し、交配年から3年目(昭和30年)以降には多くの開花が得られ、上記のとおりの花の形質による選抜が可能であったものと認められる。
(ウ)a また、前記(ア)のとおり、交配年から2年目もしくは3年目以降の苗木においては、開花に伴い、特に3年目以降においては多くの結実が得られるものであることが明らかである。
b そして、本件黄桃の「果実」の形質(育種目標)は、前記(2)イのとおり、
「果実は整った円形で、果皮強靭であり、色は黄色地に陽光面に紅暈を現し、外観きわめて美麗であり、果肉は黄色で、肉質きわめて緻密で繊維少なく、粘核であり、核の周囲に着色が少なく、微酸を含む甘味を有し、果頂と底部との味の差がなく、芳香を有する」ものであるが、これと、前記第2、2(3)ア(イ)、イ(イ)における本件黄桃の種子親「タスバーター」の果実の形質及び花粉親「晩黄桃」の果実の形質とを対比するならば、育種目標である果実の形質は、両親に共通する色、外観、果肉、肉質とともに、種子親の「整った円形」、「粘核」、及び、
花粉親の「微酸を含む甘味」を併せ持つものであることが明らかである。
このように、育種目標である果実の形質は、両親に共通する形質及び両親の形質の一部を併せ持つものであるから、それを、両親の全体的な形質との対比において位置付けるならば、葉及び花の形質と同様に、両親の形質の「中間」に位置するものということが可能である。
c また、前出乙第10号証(570頁27行ないし572頁24行)によると、
果実の形状、色、外観、果肉、肉質、味等について、それらを客観的指標により評価、確認し得る各種の検定法が存在することが認められ、更に、前出甲第2及び第31号証によると、本件願書には、果実の側面と断面について、別紙第3図のとおりの写真が添付されていることが認められることから、当業者においても、カの過程における果実の「中間形質」について、客観的に把握、認識し得るものというべきである。
d したがって、交配年から2ないし3年目以降においては、当業者において、果実の形質により選抜を実施することが可能というべきであり、そのうち、多くの結実が認められる年以降においては、専ら果実の形質による選抜基準のみに従って、
選抜を実施し得るものと考えられる。
(エ) そうすると、カの過程においても、本件明細書においては、選抜基準として、両親の「中間形質」によるべきことが記載されているが、当業者としては、この点についても、桃の開花前は、「葉」の形質の基準により、開花、結実後は、
「葉」「花」もしくは「果実」の各形質の基準により、苗木を選抜すべきことが理解でき、かつ、その選抜基準は明確なものというべきであるから、上記過程における「中間形質」を基準とする選抜の反復可能性についても、肯定することができるものというべきである。
(オ) なお、原告らは、カの過程において、実生苗から「約3種を選び、20本ずつ計60本を実生砧木に切接ぎして供試苗とした。」とされていることに対し、
各20本については遺伝的にまったく同じものであるから、本件発明における遺伝淘汰とは、実生苗3種(本)のうちから1種(本)を選ぶことに過ぎず、各20本から選抜した際に現れた形態の差異は、必ずしも遺伝因子とは関係がないものと主張する(請求の原因4(1)イ(イ)c)。
しかしながら、前出乙第11号証(99頁右欄3行ないし9行)によると、同号証における「交雑育種法」の説明の項において、果樹類の個体の選抜に関し次のとおり記載されている。
「現在の品種はその中で最も多くのすぐれた形質が組み合わされているものが多いから、交雑することにより各形質の組合せがくずれて、優良な形質の組合せが散逸することが少なくない。したがって、交雑実生の中で両親よりすぐれた形質の組合せを持つ個体を選抜するには、多くの個体を必要とする。」 上記記載に照らすならば、交雑実生の中から、所望の形質の組合わせを持つ個体を選抜するには、多くの個体を必要とすることが認められるから、カの過程における「実生苗の選抜」とは、両親の中間形質を有し、かつ、ある程度の幅を持つ3つの選抜基準を設定し、それにかなう実生苗を、翌年の選抜対象数として十分な数だけ選抜したことを意味するものと解するのが相当である。
したがって、カの過程における20本ずつの各実生苗については、遺伝的にまったく同じものとみなすことはできないものというべきである。
エ 更にまた、前出甲第28号証(5頁8行ないし6頁7行)には、本件作出過程中における前記第2、2(2)エの過程についても、交配種子を播種した年(昭和27年)に実生苗を得ることはできず、翌年(昭和28年)に得られるべきものであるとして、上記記載内容は誤りであるとする趣旨の記載がある。
しかしながら、前出乙第10号証(546頁1行ないし3行)及び乙第11号証(113頁右欄28行ないし32行、116頁左欄2行ないし9行)によると、桃の苗を養成するにあたり、交配種子に、除核処理、休眠打破処理(温度、日長、化学物質等による処理)、はい培養処理等を施して播種するならば、播種した年に実生苗を得ることができることが認められる。
したがって、それらの方法を用いるならば、上記エの過程に記載のとおり、播種した昭和27年に実生苗を得ることができたものと解することが可能であるから、
本件明細書における上記記載も誤りとはいえない。
オ 以上によれば、本件明細書に、植物を選抜淘汰するための客観的基準が示されていないから、当業者において本件発明を反復実施することができないとする原告らの主張は、いずれも失当というべきことになる。
(3) 「通常の手法」による本件発明の反復実施の可否ア 原告らは、審決が、周知の選抜法、繁殖法、特性検定法の内容たる技術を明らかにしておらず、選抜のための客観的指標も明らかにしていないから、当業者において、審決のいう「通常の手法」により本件発明を実施することはできないと主張する(請求の原因4(1)ウ(ア))。
しかしながら、本件発明において、苗木を選抜するための客観的指標(基準)が明らかであることは、前記(2)に判示のとおりであり、また、本件発明に係る桃の育種における選抜法、繁殖法、特性検定法が本出願前に周知であったことも、前記(2)における各証拠としての刊行物の記載から明らかである。
したがって、原告らの上記主張は失当である。
イ また、原告らは、オの過程において、実生苗から約3種を選び、20本ずつ計60本を実生砧木に切接ぎをしたとされていることについて、実生苗の選抜基準が不明である以上、その過程については「通常の手法」とはいえないとも主張する(請求の原因4(1)ウ(イ))が、この点についても、選抜基準が明らかであることは前記(2)の判示のとおりである。
ウ 更に、原告らは、実生苗を台木に切接ぎをした年(昭和28年)の翌年(昭和29年)に果実が得られることは当業者にとって自明とはいえず、「通常の手法」ではないと主張する(請求の原因4(1)ウ(イ))。
しかしながら、前記(2)ウ(ア)のとおり、本件発明において、必ずしも、切接ぎをした翌年に果実を得ることができなかったものともいえず、また、仮に、果実を得ることができなかったとしても、「葉」と「花」の形質により、苗木を選抜することが可能であったものと認められるところである上、そのことは、当業者においても十分了解可能であったものというべきであるから、本件作出過程の反復実施の可能性は否定されるものではなく、原告らの上記主張も失当である。
エ 原告らは、オの過程について、桃は結実が早いため、その育種にあたり、成木に高接する方法が採られることはないとも主張し(請求の原因4(1)ウ(イ))、前記甲第28号証(3頁5行ないし4頁4行、7七頁2行ないし七行)にも同旨の記載がある。
しかしながら、前記(2)ウ(ア)bのとおり、「接木法」は、果樹の育種年限の短縮のため広く用いられている方法であり、また、接木法そのものが育種学的もしくは育種技術的に、桃に適用することができないとする理由は見当たらないところであるから(前出甲第28号証における記載内容も、接木法が桃に適用できないとするものではなく、適用する必要がないとするものである。)、接木法を用いることによる育種上の効果(育種能率の向上、育種年限の短縮等)が想定できれば、
それを採用したとしても不都合はなく、したがって、オの過程において接木法を用いたことが、本件発明の反復実施に対する障害となるべき余地はない。
オ 以上によれば、本件発明が「通常の手法」によらないものであり、出願人の「勘」に頼ってなされたものであるとする原告らの主張も理由がない。
(4) 本件黄桃の均等性、安定性、永続性の存否 原告らは、交配により、本件発明に係る新品種(本件黄桃)を安定的に取得することができないから、本件黄桃に、均等性、安定性、永続性を認めることはできず、本件発明に反復可能性はないと主張する(請求の原因4(1)エ)。
しかしながら、交配により、その確率は高いとはいえないが、本件黄桃と同様の特性を有する桃を作出できることは、前記(1)及び(2)のとおりであり、そうすると、その作出物を無性的に増殖することにより、その均等性、安定性、永続性を確保することは十分に可能というべきである。
したがって、本件発明に係る本件黄桃について、均等性、安定性、永続性を欠くものとすることはできない。
なお、前出甲第28号証(9頁8行ないし20行)の記載においては、本件発明により作出された本件黄桃の均等性について、供試個体数が少ないこと、滴定酸度、糖度の各数値にも開きがあることを理由に、疑問を呈しているが、上記の個体数及び数値であっても、必ずしも均等性を欠くものとみなすことができないことは明らかである。
(5) 親品種(「晩黄桃」)の入手手段の確保 原告らは、本件発明において作出された新品種(本件黄桃)の花粉親である「晩黄桃」について、発明者(【A】)によるその入手経路からみるならば、第三者による再入手の方法が確保されているとはいえないから、本件発明は反復可能性を欠くと主張する(請求の原因4(1)オ)。
しかしながら、前出甲第2号証によるならば、本件明細書においては、前記第2、4のとおり、本出願当時、発明者により「晩黄桃」の所在が確保されている旨及び発明者がそれを分譲する意思を有する旨が記載されていることが認められるのであり、本件において、上記記載内容に、格別疑問を呈すべき事由は見当たらない。
当業者が本件明細書の記載に基づいて本件黄桃と同様の特性を持つ桃を再現するための親品種の入手手段としては、親品種が出願人(発明者)の事実上の管理下にあり、第三者に提供可能であることが合理的疑いのない程度に明細書に示されていれば足り、それによって産業上利用することができる発明として完成しているといえるのであって、当該親品種が寄託機関に寄託されていることや、当該発明の特許期間の終了まで常に第三者に提供できることが保証されていることまで必須とするものではない。
そうすると、本出願当時、当業者(第三者)が「晩黄桃」を入手することは、発明者を通じることによって可能であったものというべきであり、本件明細書上、その入手方法の確保が発明者の「宣言」に基づくものであったとしても、本件において、「晩黄桃」の入手手段については確保されていたものというべきである。
したがって、本件発明において、花粉親の「晩黄桃」の入手手段の確保がなく、
その反復実施が不可能であったとすることはできない。
(6) 親品種(「晩黄桃」)の不存在 原告らは、本件発明においては、少なくとも本件特許権の存続期間の満了に至るまで、親品種の保存、分譲が確保されるべきであるところ、現在、花粉親である「晩黄桃」については存在しないものであるから、本件発明についての反復可能性は認められず、本件発明は未完成のものというべきである旨主張する(請求の原因4(1)カ)。
ところで、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第23号証の1及び成立に争いのない同号証の2によると、平成7年2月に発明者であった【A】が死去したことに伴い、同人が使用していた圃場を管理する者がいなくなったこと等から、本件黄桃の花粉親である「晩黄桃」の原木については、同年8月時点において既にその所在が不明となり、今日に至っていることが窺えるところである。
しかしながら、前記(5)のとおり、「晩黄桃」の入手手段は、本件明細書の記載(前記第2、4)により確保されていたものと認められ(なお、本件明細書における上記記載は、後記3のとおり、本件補正により補正されたものであるが、補正の効力は本出願当初にまで遡るものと解される。)、それによって本件発明は産業上利用できる発明として完成していたといえるから、仮に、上記のとおり、本件特許権の設定登録後であって、特許権の効力発生時から18年近く経過した平成7年の時点において、本件発明に係る本件黄桃の花粉親である「晩黄桃」の原木が所在不明になったとしても、そのことから本件発明を未完成のものとすることはできない。
(7)以上によれば、本件発明については、原告ら主張のいずれの事由をもってしても、本件発明の反復実施の可能性を否定することはできないものというべきであるから、本件発明を未完成のものであるとする原告らの主張は失当といわざるをえない。
2 取消事由2(本件発明の要旨認定の誤り)について(1) 選抜方法の記載について 原告らは、本件特許請求の範囲について、「目的とする植物を客観的指標に基づいて選抜する方法」の記載を欠き、また、審決においては、上記「選抜する方法」を、「果樹の育種における通常の方法」であると認定しているが、この「通常の方法」は、本件明細書の「詳細な説明」の記載に基づくものではないから、審決における本件発明の要旨の認定は誤りであると主張する(請求の原因4(2)ア)。
しかしながら、前記審決の理由の要点によれば、審決は、請求人である原告ら主張の特許無効事由を検討して本件発明が特許要件を具備していたかについて判断するに当たり、その前提として本件発明の要旨を特許請求の範囲の記載に基づいて認定したものであり、本件発明の前記特許請求の範囲の記載に照らし、その記載どおりに本件発明の要旨を認定したことに何らの誤りも存しない。
原告らの前記主張は、本件発明の特許請求の範囲には「目的とする植物を客観的指標に基づいて選抜する方法」を記載すべきであり、この記載を欠くことは特許請求の範囲に特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項を記載していない場合に当たるという趣旨に理解されないではないが、本件特許が特許法36条に違反することは、審判手続において無効事由として主張されていないから、そのような主張を審決取消訴訟においてすることは許されないところであり、また本件明細書の記載内容に照らし、本件発明に係る桃の作出過程の基本的手法を「果樹の育種における通常の方法」と認定したことに何らの誤りも存しないことは前記1に判示したとおりである。
したがって、審決においては、本件発明の要旨認定について、上記の点に関する誤りがあるとする余地はなく、原告らの主張は失当である。
(2) 「常法により無性的に増殖する方法」の記載について 原告らは、本件発明は、桃の新品種の育種方法についての発明であり、他方、植物品種の増殖方法については、先行技術により既に解決済みの事項であるから、本件特許請求の範囲の記載中における「常法により無性的に増殖する方法」の部分は、本件発明の要旨となるものではないと主張する(請求の原因4(2)イ)。
しかしながら、本件発明は、新品種を育成するとともに、増殖することも発明の目的とするものである(前記第2、1)から、「常法により無性的に増殖する」ことについても、発明の構成要件となり得ることは明らかである。
したがって、本件発明の要旨については、「常法により無性的に増殖する」ことをも含めて認定すべきことは当然であるから、原告らの上記主張も理由がないというべきである。
3 取消事由3(本件発明における要旨変更)について(1) 原告らは、本件明細書に基づく本件発明について反復可能性が認められ、
未完成のものとはいえないとしても、当初明細書においては、「晩黄桃」の入手手段の記載がなく、その分譲を保証する旨の記載もなかったため、発明の反復可能性を欠き未完成のものであったところ、本件補正により上記記載が追加され、本件発明が反復可能なものとなったのであるから、本件補正は、未完成発明を完成させたものとして、発明の要旨を変更するものである旨、したがって、本件発明は、本件補正のなされた昭和57年7月19日に出願されたものとみなされるから、本件公開公報に記載された発明に基づいて容易に発明することができたものである旨を主張する(請求の原因4(3))。
(2) そこで検討するに、前出甲第31号証(当初明細書)及び成立に争いのない甲第7号証(本件補正書)、甲第32号証(昭和56年8月17日付け手続補正書)によると、本件黄桃及び「晩黄桃」の所在等について、当初明細書の「発明の詳細な説明」欄には次のとおり記載されており(なお、昭和56年8月17日付け手続補正書(全文補正)においても同文とされた。)、それが、本件補正書により、前記第2、4のとおり補正されたことが認められる。
「[3]本新品種‘倉方黄桃’の所在 本発明の桃植物の新品種‘倉方黄桃’の原木は、本発明者の農場である。
東京都世田谷区<以下略>にその直接の種子親であり朝鮮より移入したタスバーター種と共に保管栽培されており、本種の特性確認のために役立て得ることを宣言する。」(当初明細書13頁下から9行ないし3行、以下「補正前の記載部分」という。)(3) そして、本件発明については、本件補正に係る前記第2、4の記載により、本件黄桃の親品種である「晩黄桃」の入手手段が確保されているものと解されることは、前記1(5)のとおりである。
そうすると、本件補正が「晩黄桃」について記載を追加したことにより、本件発明が反復実施不可能なものから実施可能なものに補正されたものであるか否かは、
当初明細書における補正前の記載部分に基づいて、当業者が本件発明を反復実施することが可能であったか否かにかかることになる。
(4) そこで、以下、その点について検討するに、
ア 補正前の記載部分においては、本出願人が当業者(第三者)に対し、種子親「タスバーター」の原木の所在及び本件黄桃の原木の所在を明確にし、かつ、本件黄桃の無性的繁殖を試みようとする当業者には、両原木の分譲を保証する旨が記載されているが、花粉親「晩黄桃」の所在及び分譲の保証については記載されていない。
イ しかしながら、成立に争いのない甲第20号証(【G】著「果物のたどってきた道」日本放送出版協会昭和51年1月20日発行、45頁11行ないし14行、
49頁12行ないし14行)の記載にも照らすならば、交雑育種で得た果樹の新品種を増殖、栽培するにあたっては、同じ交雑育種を繰り返しても同様の品質、特性のものを得ることが困難であることから、再度の交雑育種によることなく、無性増殖の方法を用いることが当業者の技術常識であることが明らかである。
このような技術常識を前提とするならば、当業者が、本件発明を再実施するに際しては、交配から本件作出過程を反復実施するということはなく、本出願人から、
本件黄桃の原木の分譲を受けるのが通常であると解される。
ウ してみれば、本出願人が、当初明細書において、当業者に対し、本件黄桃等の原木の所在を明確にし、その分譲を保証するとしたことは、上記のような技術常識を踏まえた上でのことであり、それにより、当業者に対し、本件発明の反復実施を保証するという趣旨を示したものと解される。したがって、補正前の記載部分は、
上記技術常識によらず、本件作出過程の当初の段階から本件発明の反復実施を開始しようとする当業者が出現した場合には、当然、本件発明の反復実施のため、本件黄桃の花粉親「晩黄桃」の提供に応じる意思を示すものであることが明らかである。
エ そして、前記第2、2(2)のとおりの本件明細書(甲第2号証)の記載(なお、当初明細書においても同様の記載がある。)及び上記(2)のとおりの当初明細書の記載からみるならば、花粉親「晩黄桃」が、昭和27年当時、本出願人の農場に存在していたものであることは確かであり、その後も、本出願人の農場又はその支配の及ぶ場所において、それが栽培されていたものと考えられるところである。したがって、当初明細書に、本件黄桃の花粉親「晩黄桃」の所在及び提供手段が記載されていなかったとしても、そのことは、花粉親「晩黄桃」が、本出願当時、本出願人の所有又は支配の及ぶ場所に存在せず、その結果、当業者による本件発明の実施が不可能であったことまでをも意味するものでないことは明らかである。
オ 以上によれば、当初明細書における補正前の記載部分は、本件黄桃の花粉親「晩黄桃」の原木の分譲についても、実質的に保証する趣旨を示しており、本件補正は、当初明細書に開示された本出願人の上記保証の範囲内において、出願時に明示されていなかった花粉親「晩黄桃」の所在及び提供手段を明確にしたものということができるから、当初明細書の開示の範囲内において、その記載内容を補正したものというべきである。
カ したがって、当初明細書の補正前の記載部分においても、「晩黄桃」の入手手段の確保は図られていたものとみなすのが相当であり、本件発明は、当初明細書の記載によっても、当業者による反復実施の可能性を欠くものではなかったというべきである。
そうすると、本件補正は、未完成発明を完成させたものであるとはいえず、本件発明の要旨を変更するものといえないことは明らかである。
(5) 以上のとおりであるから、原告らの上記主張も、その点において失当というべきである。
4 取消事由四(UPOV条約違反)について 原告らは、本件特許権が、実質的には新品種(本件黄桃)の保護を目的とするものであるから、UPOV条約2条1項(二重保護の禁止)に違反するとし、また、
その点について、審決には、審理不尽、理由不備の違法があると主張する(請求の原因4(4))。
しかしながら、UPOV条約は、植物品種の保護を目的とした国際条約であり、
それに対応する国内法として種苗法が施行されているが、UPOV条約及び種苗法は、植物品種それ自体を保護するためのものであるのに対し、本件発明は、その特許請求の範囲における記載のとおり、実質的にも、植物品種についてのものではなく、植物品種の育成、増殖方法についてのものであることが明らかであり、このことは、原告ら主張の各事由を考慮しても同様である。
そうすると、本件特許権は、その保護対象を種苗法と異にするものであるから、
そもそも、本件特許権がUPOV条約2条1項抵触する余地はないものというべきであり(なお、1991年3月の外交会議において、上記二重保護禁止条項の削除を含むUPOV条約の改正案が採択されている。)、また、審決に、審理不尽、
理由不備の違法があるとする余地もない。
したがって、原告らの上記主張もまた失当というべきである。
以上によれば、審決には、原告ら主張の違法はなく、その取消しを求める原
告らの本訴請求は理由がないものというべきであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条93条1項を適用して、主文のとおり判決する。
裁判官 竹田稔
裁判官 持本健司
裁判官 山田知司