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関連審決 異議1997-70472
関連ワード 技術的思想 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  容易に想到(容易想到性) /  特許発明 /  実施 /  設定登録 /  請求の範囲 /  取消決定 / 
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事件 平成 10年 (行ケ) 60号 特許異議の申立てについての取消決定取消請求事件
原告 株式会社デンソー代表者代表取締役 【A】
訴訟代理人弁理士 【B】
被告 特許庁長官【C】
指定代理人 【D】
同 【E】
同 【F】
同 【G】
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 1999/08/30
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 特許庁が、平成9年異議第70472号事件について、平成10年1月9日にした特許異議の申立てについての決定を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた判決
1 原告 主文と同旨 2 被告 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は、昭和63年12月27日、名称を「圧縮機」とする発明(以下「本願特許発明」という。)につき、特許出願をし(特願昭63-331307号)、平成8年5月31日に特許(特許第2522213号)の設定登録を受けた。
訴外【H】及び【I】は、平成9年2月7日、本願特許発明について、特許異議の申立てをした。
特許庁は、上記各異議の申立てを、平成9年異議第70472号事件として審理した上、平成10年1月9日、「特許第2522213号の請求項1ないし3に係る特許を取り消す。」との決定(以下「本件決定」という。)をし、その謄本は、
同月29日、原告に送達された。
21 本願特許発明の特許請求の範囲請求項1に記載された発明(以下「本件発明1」という。)の要旨 吸入口と吐出口を有するハウジングと、端板上に形成された渦巻体を有し、前記ハウジング内に設けられた固定スクロール部材と、端板上に形成された渦巻体を有し、前記固定スクロール部材と中心をずらして噛み合うように組み込まれた可動スクロール部材と、前記ハウジングに回転自在に支持されたシャフトと、前記シャフト端部に偏心して配置され、前記可動スクロール部材に公転運動を与えるブッシュと、前記可動スクロール部材の公転のみを許容し、自転を阻止する回り止め機構とを有し、前記可動スクロール部材の公転運動によって、前記可動スクロール部材と前記固定スクロール部材間の密閉空間が容積を減少しながら渦巻体の中心方向へ移動し、前記密閉空間内の流体の圧縮が行われるスクロール型圧縮機において、前記可動スクロール部材の端板には前記ブッシュの回転を許容しつつ公転駆動力を受けるための前記ブッシュとの係合部が形成されており、前記ブッシュには平行な2面を持った形状の溝が設けられており、前記シャフト端部には平行な2面を持った形状の駆動キーが設けられており、前記溝は、前記ブッシュが前記駆動キーの平行な2面に沿って移動可能なようにその移動方向において前記駆動キーと所定の間隙をもって前記駆動キーに嵌合され、前記ブッシュの中心が前記シャフトの中心から公転運動の半径だけ偏心し、前記駆動キーの平行な2面が前記ブッシュの中心と前記シャフトの中心を通る線に関して前記シャフトの回転方向とは反対方向へ傾くように設置されていることを特徴とする圧縮機。
2 同請求項2に記載された発明(以下「本件発明2」という。)の要旨 吸入口と吐出口を有するハウジングと、前記ハウジングに回転自在に支持され、
端部に少なくとも一つの回転伝達面を持った形状の駆動キーを有するシャフトと、
前記駆動キーの回転伝達面に沿って移動可能なようにその移動方向において前記駆動キーと所定の間隙をもって前記駆動キーに嵌合する回転伝達面を持った形状の溝を有するブッシュと、前記ブッシュに回転自在に係合し、前記ハウジング内を公転する可動スクロール部材と、前記可動スクロール部材と係合し、前記可動スクロール部材との間で密閉空間を形成する固定スクロール部材とを備え、前記シャフトの駆動キーの回転伝達面が前記ブッシュの中心と前記シャフトの中心を結ぶ線に対して前記シャフトの回転方向とは反対方向に所定角度傾斜するように形成されている圧縮機。
3 同請求項3に記載された発明(以下「本件発明3」という。)の要旨 端板上に形成された渦巻体を有する固定スクロール部材と、端板上に形成された渦巻体を有し、前記固定スクロール部材と中心をずらして噛み合うように組み込まれた可動スクロール部材と、駆動力を受けて回転するシャフトと、前記シャフト端部に偏心して配置され、前記可動スクロール部材に公転運動を与えるブッシュと、
前記シャフトの回転を前記ブッシュに伝達する回転伝達機構と、前記可動スクロール部材の公転のみを許容し、自転を阻止する回り止め機構とを有し、前記可動スクロール部材の公転運動によって、前記可動スクロール部材と前記固定スクロール部材間の密閉空間が容積を減少しながら渦巻体の中心方向へ移動し、前記密閉空間内の流体の圧縮が行われるスクロール型圧縮機において、前記可動スクロール部材の端板には前記ブッシュの回転を許容しつつ公転駆動力を受けるための前記ブッシュとの係合部が形成されており、前記回転伝達機構は、回転伝達面を持った形状の溝と、この回転伝達面に沿って前記ブッシュが移動可能なようにその移動方向において該溝と所定の間隙をもって嵌合される少なくとも一つの回転伝達面を持った形状のキーとによって構成されており、前記ブッシュの中心が前記シャフトの中心から公転運動の半径だけ偏心し、前記キーの回転伝達面が前記ブッシュの中心と前記シャフトの中心を通る線に関して前記シャフトの回転方向とは反対方向へ傾くように設置されていることを特徴とする圧縮機。
3 本件決定の理由 本件決定は、別添決定書写し記載のとおり、本件発明1〜3が、特開昭62-162786号公報(以下「引用例1」という。)及び米国特許第3817664号明細書(以下「引用例2」という。)に記載された各発明(以下「引用例発明1」及び「引用例発明2」という。)に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、本件発明1〜3に係る特許は、特許法29条2項の規定に違反してなされたものであり、同法113条2号に該当し、特許を取り消すべきものとした。
原告主張の取消事由の要点
本件決定の理由中、本件発明1〜3の認定、引用例1及び2の記載事項の認定、
本件発明1と引用例発明1との一致点及び相違点Aの認定、相違点Aについての判断の一部(決定書7頁6〜12行)、本件発明2と引用例発明1との一致点及び相違点Bの認定、本件発明3と引用例発明1との一致点及び相違点Cの認定は、いずれも認める。
本件決定は、引用例発明2を誤認する(取消事由1)とともに、引用例発明1及び2を容易に組み合わせることができると誤って判断した(取消事由2)ものであるから、違法として取り消されなければならない。
1 引用例発明2の誤認(取消事由1)1 本件決定が、引用例発明2を「非圧縮性流体を移送するスクロール型流体機械に関するもの」(決定書7頁13〜15行)と認定しながら、その「密閉空間内の流体の全動的ヘッドで請求項1に係る発明と同様の効果を奏する」(同頁18〜19行)と認定したことは誤りである。
本件発明1は、例えば、自動車空調用の冷媒圧縮機として用いるような、圧縮性流体の圧縮機に関するものであり、このような圧縮機では、吸入圧力(例えば2気圧程度)と吐出圧力(例えば20気圧程度)との間で大きな圧力差が生じ、それが圧縮反力となって活用できるのである。本件発明1は、この圧縮反力を利用して圧縮室のシール性を達成することを特徴としたものである。
これに対し、引用例発明2のような、オイル等の送り出しを行うポンプにあっては、構造上単に液体の移送を行うだけであり、可動螺旋壁17,19と固定螺旋壁16,18との間のシールは、バネ60と動的ヘッドによって行われ、本件発明1のように、可動螺旋壁と固定螺旋壁との間に形成される部屋の圧縮力を直接受け、
その圧縮力を用いてシール性を達成しようとするものではない。したがって、引用例発明2の動的ヘッドと本件発明のような圧縮機の圧縮反力とは、明らかに性格が相違するものである。
被告は、ベルヌーイの式を用いて、引用例発明2の動 的ヘッドと本件発明の圧縮反力を同視する。しかし、「機械工学便覧基礎編 A5 流体工学 日本機械学会編」(甲第6号証、以下「本件技術文献」という。)によれば、ベルヌーイの式は、圧縮性と粘性がともにない理想流体の定常流れにおいて、熱移動及び機械的仕事もない場合にあてはまる式とされている。したがって、引用例発明2が、非圧縮性流体である液体のポンプであることに鑑みれば、動的ヘッドの説明にベルヌーイの式を用いることは首是でき、これが「流体の圧力」といえるものであることは認めるが、本件発明1のように、冷媒のような圧縮性流体を対象として、しかも、圧縮という機械的仕事を行う圧縮機にまで、このベルヌーイの式による圧力の考えを適用することは、技術的にも不可能である。
そうすると、引用例発明2のエネルギーの原因が圧縮反力でないことを自認しておきながら、その「移送される流体の有する圧力が可動スクロール部材に作用することによって生ずる力」を、本件発明の「圧縮反力」と同様のものであると短絡的に結びつける被告の論理展開は、到底認められない。
2 また、本件決定が、引用例発明2について、その一対の可動螺旋壁17,19及び一対の固定螺旋壁16,18を、それぞれ本件発明の可動スクロール部材及び固定スクロール部材と同一物とみなした点、引用例発明2の回転駆動部材55を、
本件発明のブッシュ相当物とみなしている点、引用例発明2の軸受58が、スロット59内を滑動自在と判断した点(決定書7頁15行〜8頁6行)は、いずれも誤りである。
すなわち、引用例発明2は、流体移送の方向が異なる2組のポンプ室をそれぞれ形成する可動螺旋壁17と固定螺旋壁16、及び可動螺旋壁19と固定螺旋壁18を組み合わせる構造であって、ポンプとして作動しても、その圧力バランスが一方のポンプ部と他方のポンプ部で全く異なるものである。このように、機構的にも流体移送の方向が異なる2組のポンプ室をそれぞれ形成する可動螺旋壁及び固定螺旋壁を、単に螺旋形状をしているからというのみで、本件発明の可動スクロール部材及び固定スクロール部材と同一構造とみなすのは、技術的に妥当ではない。
また、引用例発明2の駆動手段55は、シャフト54と同軸上に配置されており、シャフト54と一体回転するのみで、スライドはできない構造となっている。
これに対し、本件発明のブッシュは、圧縮反力を受けて所定方向にスライド可能となっているから、単にスロット59が形成されていることの一点をもって、機構的同一性を吟味することなく、引用例発明2の駆動手段55が本件発明のブッシュの相当物であると判断したことは不適切である。
さらに、引用例発明2は、間にシャフト35を介し、いわゆる味噌すり運動により可動螺旋壁17及び19を公転させる構造である結果、本件発明と異なり、その動力伝達機構が複雑となるばかりでなく、スロット59内の変移が困難な構造となっているから、滑動自在とはいえない。
2 組合せ判断の誤り(取消事由2) 上述したように、引用例発明2は、圧縮性流体の圧縮機ではないため、圧縮反力を利用して可動スクロールと固定スクロール間のシール力を高めようとする思想は全く開示されていない。また、引用例発明1にも、圧縮反力を利用して可動スクロールと固定スクロール間のシール性を向上させる旨の開示は全くない。
これに対し、本件発明1は、両スクロールのシール力に冷媒の圧縮反力を利用することで、例えば、自動車用空調装置の冷媒圧縮機として用いる場合には、自動車の低速走行から高速走行まで、幅広い使用領域で良好なシール力が発揮できるのである。すなわち、本件発明において、シール力は単なる「力」でなく、「圧縮反力」を用いることは、その作用効果において重要な意味を持っているのである。 このように課題の開示及び示唆が全くない両発明を組み合わせたとしても、本件発明1のように、シール性の確保という冷媒圧縮機のような圧縮機に特有の問題点を、圧縮反力を利用して解決しようとする発明は、容易に想到されるものではない。
被告の主張
1 取消事由1について1 本件発明1が、圧縮反力、すなわち移送される圧縮性流体が圧縮されることによって生じる圧力を利用して、可動スクロール部材を静止壁に押し付けるものであるのに対し、引用例発明2は、非圧縮性流体を移送するスクロール型流体機械であるから、その「動的ヘッド」ないし「動的ヘッドにより伝えられた力F」が、流体の圧縮反力でないことは認める。
この「動的ヘッド」という用語は、確立された技術用語ではないが、参考資料である板谷松樹著「水力学」社団法人日本機械学会昭和34年3月5日初版発行の40頁「2・6・1 水頭」の項及び68〜69頁「4・4・1 液体に対するベルヌーイの方程式」の項に記載されているように、流体について「水頭」、すなわち、「ヘッド」というとき、それは、流体の有するエネルギーを長さの単位で表したもの、ひいては、流体の有するエネルギーそのものを意味している。
そして、水力学ないし流体力学の教えるところによれば、流体の有するエネルギーは、流体の圧力、流速、流量等によって表されるが、流体の有するエネルギーがその被作用部材に対する力として顕現するのは、もっぱら流体の圧力による。
そうしてみると、引用例発明2の「動的ヘッドにより伝えられた力F」とは、スクロール型流体機械により移送される非圧縮性流体の有する圧力が、可動螺旋壁17、19に作用することによって生じる力(より正確には、この力がシャフト35を介して軸受58に伝えられたもの)であると解され、この力は、本件発明1の圧縮反力、すなわち、移送される圧縮性流体が圧縮されることによって生じる圧力が可動スクロール部材に作用することによって生じる力ではないものの、移送される流体の有する圧力が可動螺旋壁、すなわち、可動スクロール部材に作用することによって生じる力であるという限りにおいて、本件発明1と共通しているということができる。
したがって、引用例発明2が、密閉空間内の流体の動的へッドにより、本件発明1と同様の作用効果を奏するとする本件決定の認定(決定書7頁18〜19行)に誤りはない。
2 引用例発明2では、スクロール型流体機械において、「動的ヘッドにより伝えられた力」を利用して可動螺旋壁を静止壁に押し付けるようにするために、回転駆動部材55にスロット59を設けてこのスロット59内にシャフト35の端部に設けた軸受58を滑動自在に配するとともに、スロット59を回転駆動部材55の中心とシャフト35の中心を通る線に関して回転駆動部材55の回転方向とは反対方向へ傾くように設置するという技術的思想が開示されている。
すなわち、本件決定が、引用例発明2を引用しているのは、この「移送される流体の有する圧力が可動螺旋壁に作用することによって生じる力を利用して可動螺旋壁を静止壁に押し付けるようにする」ために、「回転駆動部材と当該回転駆動部材の運動を可動螺旋壁に伝達する被駆動部材(シャフト35)との動力伝達部となるスロットを回転駆動部材の中心と被駆動部材の中心を通る線に関して回転駆動部材の回転方向とは反対方向へ傾くように設置する」という技術的思想である。
そして、この引用例発明2に開示されている技術的思想を、本件発明1と同様のスクロール圧縮機に関する発明である引用例発明1に適用して、本件発明1のように構成する点に格別の困難性は見当たらないとするのが、本件決定における相違点A〜Cについての判断の趣意である。
このような観点から、本件決定は、引用例発明2に開示されている上記技術的思想を引用しているのであり、本件決定で引用していない引用例発明2の具体的な構成の細部を個々に取り上げて本件発明1と相違しているとする原告の主張は、各主張について逐次反論するまでもなく、当を得ないものである。
2 取消事由2について 引用例発明1は、スクロール圧縮機であるが、遠心力を利用するものであって、
引用例発明2と同様に、流体の圧縮反力の利用が考慮されていないことは認める。
しかし、引用例発明1と引用例発明2とは、スクロール型流体機械として共通の技術分野に属するものであることから、引用例発明2に開示されている、前記の「移送される流体の有する圧力が可動螺旋壁に作用することによって生じる力を利用して可動螺旋壁を静止壁に押し付けるようにする」ことを、引用例発明1に適用して、スクロール圧縮機においても、移送される流体の有する圧力が可動スクロール部材に作用することによって生じる力、すなわち、圧縮反力を利用して可動スクロール部材を固定スクロール部材に押し付けるようにすることは、当業者にとって容易に想到し得るところである。また、そのために、引用例発明2の「回転駆動部材と当該回転駆動部材の運動を可動螺旋壁に伝達する被駆動部材(シャフト35)との動力伝達部となるスロットを回転駆動部材の中心と被駆動部材の中心を通る線に関して回転駆動部材の回転方向とは反対方向へ傾くように設置する」ことを、引用例発明1のスクロール圧縮機に適用して、その動力伝達部となる駆動シャフト端に設けられた駆動キーの平行な2面を、ブッシュの中心とシャフトの中心を通る線に関してシャフトの回転方向とは反対方向へ傾くように設置することも、当業者が格別の創意を要することなく容易に想到し得ることである。
したがって、この点に関する本件決定の判断(決定書8頁7〜15行、9頁19行〜10頁5行、11頁8〜14行)には、いずれも誤りはない。
当裁判所の判断
1 取消事由1(引用例発明2の誤認)及び2(組合せ判断の誤り)について 本件決定の理由中、本件発明1〜3の認定、引用例1及び2の記載事項の認定、
本件発明1と引用例発明1との一致点及び相違点Aの認定、本件発明2と引用例発明1との一致点及び相違点Bの認定、本件発明3と引用例発明1との一致点及び相違点Cの認定は、いずれも当事者間に争いがない。
また、本件発明1において「冷媒ガスの圧縮反力で両渦巻体の接触線部での押付力が必要にして十分に自動的に得られ、接触線を確実に形成し、シールが確実に行われる。」(決定書7頁8〜11行)こと、すなわち、本件発明1が、移送される圧縮性流体が圧縮されることによって生じる圧縮反力を利用して、可動スクロール部材を固定スクロール部材である静止壁に押し付けるものであること、これに対し、引用例発明1は、スクロール圧縮機であるが、遠心力を利用するものであって流体の圧縮反力の利用が考慮されておらず、引用例発明2も、非圧縮性流体を移送するスクロール型流体機械であるから、可動スクロール部材を固定スクロール部材に押し付けるための力である「動的ヘッド」ないし「動的ヘッドにより伝えられた力F」が、流体の圧縮反力でないことは、いずれも当事者間に争いがない。
ところで、本件明細書(甲第2号証)には、従来の技術及びその問題点として、
「特開昭59-120794号公報には、可動スクロールとこの可動スクロールを支持する可動軸受をシャフトの軸線と直角な面内でスライド可能に取り付けたものが開示されている。また、特開昭62-162786号公報には、可動スクロールとこの可動スクロールにシャフトからの回転を伝える中間部材をシャフトの軸線と直角な面内でスライド可能に取り付けられたものが開示されている。しかし、これらのものは上記スライドの方向がシャフト中心と可動スクロールを結ぶ線に対して、シャフトの回転方向と同じ向きに傾いている構成となっているため、スライドによって可動スクロールを固定スクロールに押し付ける力として遠心力を利用する構成となっている。そのため、例えば自動車用空調装置の様に高回転時は隣接しあう圧縮室間の高低圧差が小さく、それほど両スクロール間のシール性が求められないにもかかわらず、回転数が高いために上記遠心力が大きく利用し、過剰な力で可動スクロールを固定スクロールに押しつけてしまうことになる。このため圧縮機の消費馬力が増大するとともに両スクロール歯の磨耗が進む等の不具合が発生する。
一方、低回転時は隣接し合う圧縮室間の高低圧差が大きく、高いシール性が要求されるにもかかわらず、回転数が低いために上記遠心力がさほど作用せず、可動スクロールを固定スクロールに押しつける力が不足し、所望のシール性が得られえず高圧側から定(注.「低」の誤記)圧側へ冷媒が洩れてしまうといった問題が生じる。」(同号証3頁5欄6〜30行)と、発明が解決しようとする課題として、
「本発明は上記問題点に鑑みて案出されたもので、小型で簡単な構造で密閉空間を形成する可動スクロール・固定スクロール間のシールを適切な押圧力で行わせ、同時に停止時等にスクロール同士の激しい衝突を未然に防止する手段を提案する」(同5欄32〜36行)と、課題を解決するための手段として、「キーを嵌合溝に嵌挿すると、シャフトとブッシュは各々の中心が偏心量RIだけ離れて組み合わされる。該ブッシュはベアリングを介して可動スクロールに装着される。シャフトが回転すると、自転を防止された可動スクロールは半径RIで公転運動をする。このとき、ブッシュにはブッシュ中心に向かって公転運動軌跡の接線方向に圧縮反力Fが作用し、その分力F・sinθはブッシュを押し上げようとする力になる。嵌合溝はキーに対して所定量の間隙分大きく設けられているので、F・sinθによってブッシュは溝に沿って移動する。その結果、公転半径は初期のRIよリ大きくなり、可動スクロールは固定スクロール形状に沿って当接摺動し、確実にスクロール歯間のシールを行う。」(同5欄44行〜6欄6行)と、実施例に基づく本件特許発明の効果として、「式F・sinθから明らかなように、シール力は圧縮反力Fの大きさにも左右される。そして、該圧縮反力Fは圧縮機の運転状態で決定される。そして、両スクスール間の密閉空間の圧力Pとの間に単調増加の函数関係があるため、熱負荷が大きく且つ圧縮機の回転数が低いような運転条件においては、圧縮機内部の圧力Pは大きくなり、上記圧縮反力Fも大きいものとなり、その結果、
シール力F・sinθも増大する。このように、シール力F・sinθは圧縮機内部の圧力Pが大きい時、即ち、密閉空間同士の間の差圧が大きい時ほど大きくなるものである為、上記θを適当なものに設定しさえすれば、運転条件・圧力条件に応じてシール力も増減するという大変理にかなった機構となっている。」(同4頁8欄32〜44行)と、それぞれ記載されている。
これらの記載及び前示本件発明1の要旨によれば、本件発明1は、自動車用空調装置などに用いられる従前の圧縮機において、可動スクロールを固定スクロールに押し付ける力として遠心力を利用する場合に、回転数が高いと、遠心力が大きく作用し、過剰な力で可動スクロールを固定スクロールに押し付けてしまい、消費馬力が増大するとともに両スクロール歯の磨耗が進む等の不具合が発生する一方、回転数が低いと、遠心力がさほど作用せず、可動スクロールを固定スクロールに押しつける力が不足し、所望のシール性が得られず冷媒の漏れが生じるという点を技術課題とし、前示発明の要旨に記載された構成を採用したものと認められる。そして、
可動スクロールと固定スクロール間の密閉空間が容積を減少しながら渦巻体の中心方向へ移動し、当該空間内の流体の圧縮が行われる場合に、自転を防止された可動スクロールの公転運動により発生する流体の圧縮反力を利用することとし、その結果、高回転時において、過剰でない適切な押圧力を有し、低回転時においても、高いシール性が得られるという作用効果を達成したものと認められる。
したがって、本件発明1は、従前の圧縮機において可動スクロールを固定スクロールに押し付ける力として、遠心力を利用した場合に生じる不具合の解消を技術課題として、対象とされる流体の圧縮反力を利用したものであり、これが当該発明における技術思想の中核をなすものと認められる。他方、引用例発明1は、スクロール圧縮機であるが、遠心力を利用するものであって流体の圧縮反力の利用が考慮されておらず、引用例発明2も、非圧縮性流体を移送するスクロール型流体機械であり、その「動的ヘッド」ないし「動的ヘッドにより伝えられた力F」が、流体の圧縮反力でないことは、前示のとおり、当事者間に争いがない。そうすると、このような引用例発明同士を組み合わせることについての動機づけを欠くとともに、仮に、これらの発明を組み合わせても、圧縮機において可動スクロールを固定スクロールに押し付ける力として流体の圧縮反力を利用するという、本件発明1の中核をなす技術思想を想到することは困難といわなければならない。
この点に関して、被告は、ベルヌーイの式等に基づいて、流体の有するエネルギーがその被作用部材に対する力として顕現するのは、流体の圧力によることを説明した上、引用例発明2の「動的ヘッドにより伝えられた力F」とは、スクロール型流体機械により移送される非圧縮性流体の有する圧力が、可動螺旋壁に作用することによって生じる力であると解されるから、移送される流体の有する圧力が可動螺旋壁、すなわち、可動スクロール部材に作用することによって生じる力であるという限りにおいて、本件発明1と共通していると主張する。
しかし、本件技術文献(甲第6号証)のA5-20頁「4.8.2 ベルヌーイの式」の説明によれば、ベルヌーイの式は、圧縮性と粘性がともにない理想流体の定常流れにおいて、熱移動及び機械的仕事もない場合に妥当する式であると認められるところ、非圧縮性流体を対象とする引用例発明2の動的ヘッドが、「流体の圧力」によるものであることは、当事者間に争いがないが、圧縮性流体を機械的に圧縮する本件発明1には、ベルヌーイの式による圧力の考え方が妥当するものでなく、圧縮性流体の圧縮に対する反力を、上記の観点から「流体の圧力」として動的ヘッドと同一視することは、理論的に見て誤りであることが明らかである。しかも、前示のとおり、本件発明1は、流体の圧縮反力の利用を発明における技術思想の中核とするものであって、そのことに基づく特有の作用効果を奏するものであるから、これとは力の発生原因が異なる「動的ヘッド」ないし「動的ヘッドにより伝えられた力F」とを、流体の有する圧力の利用という一般的観点から安易に同視することは許されないことといわなければならない。また、仮に、両者を同様のものとして扱うのであれば、その理由を決定書中において明記すべきところ、本件決定にはこのような記載は全く認められないから、いずれにしても被告の主張は失当であって、これを採用することはできない。
以上のとおり、本件決定は、本件発明1と引用例発明1及び2の対比・判断を誤り、その結果、両引用例発明から本件発明1が容易に想到することができると誤って判断したものであって、このことが本件決定の結論に重大な影響を及ぼすことは明らかであるから、その余の原告主張の取消事由の内容について検討するまでもなく、本件決定は取消しを免れない。
よって、原告の本訴請求は理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 田中康久
裁判官 春日民雄
裁判官 清水節