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関連審決 異議2002-72931
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審判番号(事件番号) データベース 権利
平成14行ケ301特許取消決定取消請求事件 判例 特許
平成20行ケ10196審決取消請求事件 判例 特許
平成17行ケ10445審決取消請求事件 判例 特許
平成20行ケ10065審決取消請求事件 判例 特許
平成17行ケ10754審決取消請求事件 判例 特許
関連ワード 発明者 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  相違点の認定 /  発明の詳細な説明 /  優先日 /  数値限定 /  技術的意義 /  置換 /  不存在 /  実施 /  構成要件 /  設定登録 /  請求の範囲 /  変更 /  訂正明細書 /  取消決定 / 
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事件 平成 17年 (行ケ) 10189号 特許取消決定取消請求事件
原告 出光興産株式会社
同訴訟代理人弁護士 熊倉禎男
同 富岡英次
同 飯田圭
同訴訟代理人弁理士 平山孝二
同 服部博信
被告 特許庁長官 小川洋
同指定代理人 上野信
同 鹿股俊雄
同 高橋泰史
同 涌井幸一
同 宮下正之
裁判所 知的財産高等裁判所
判決言渡日 2005/06/22
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
請求
特許庁が異議2002―72931号事件について平成16年1月29日にした決定中,「特許第3290432号の請求項1乃至6に係る特許を取り消す。」との部分を取り消す。
争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は,発明の名称を「有機エレクトロルミネッセンス素子」(なお,以下,「有機エレクトロルミネッセンス素子」を「有機EL素子」ともいう。)とする特許第3290432号の特許(平成11年12月22日出願(優先日・平成10年12月28日),平成14年3月22日設定登録。以下「本件特許」という。)の特許権者である。
本件特許について,特許異議の申立てがされた(異議2002―72931号)ところ,原告は,平成15年9月2日,訂正請求をした(以下「本件訂正」という。)が,特許庁は,平成16年1月29日,本件訂正を認めた上,「特許第3290432号の請求項1乃至6に係る特許を取り消す。」との決定(以下「本件決定」という。)をし,その謄本は,同年2月23日,原告に送達された。
2 特許請求の範囲 本件訂正後の本件特許に係る明細書(甲2中の「全文訂正明細書」。以下「本件明細書」という。)の請求項1ないし6の記載は,次のとおりである(以下,これらの発明をそれぞれ「本件発明1」等という。)。
「【請求項1】少なくとも一対の電極間に挟持された有機発光層を含む有機化合物層を有する有機エレクトロルミネッセンス素子において,2つ以上の有機化合物層をハロゲン化合物からなる不純物の濃度が500ppm未満の有機化合物材料で形成した有機エレクトロルミネッセンス素子。
【請求項2】有機化合物層を,正孔注入層と有機発光層および電子注入層で構成した請求項1記載の有機エレクトロルミネッセンス素子。
【請求項3】有機化合物層を形成する有機化合物材料中の少なくとも一つとして,昇華精製法により精製した有機化合物材料を用いた請求項1又は2に記載の有機エレクトロルミネッセンス素子。
【請求項4】有機化合物層を形成する有機化合物材料中の少なくとも一つとして,再結晶法または再沈精製法,もしくは再結晶法と再沈精製法の併用により精製した有機化合物材料を用いた請求項1〜3のいずれかに記載の有機エレクトロルミネッセンス素子。
【請求項5】高速液体クロマトグラフィー法により有機化合物層を形成する有機化合物材料中のハロゲン化合物からなる不純物の含有量を定量し,その含有量が500ppm未満の有機化合物材料を選定して有機化合物層の形成材料に使用する有機エレクトロルミネッセンス素子用の有機化合物材料の選定方法。
【請求項6】有機化合物層を形成する有機化合物材料中の2つ以上について,該有機化合物材料中のハロゲン化合物からなる不純物の含有量を定量し,その含有量が500ppm未満の有機化合物材料を選定して有機化合物層の形成材料に使用する有機エレクトロルミネッセンス素子用の有機化合物材料の選定方法。」 3 本件決定の理由 別紙決定書写しのとおりである。要するに,本件発明1ないし6は,特開平8-48656号公報(甲3。以下「刊行物1」という。),特開平8-283416号公報(甲4。以下「刊行物2」という。),特開平7-282977号公報(甲6),特開平10-25472号公報(甲7),特開平9-255774号公報(甲8)及び特開平5-140145号公報(甲9)に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定に違反して特許されたとするものである。
なお,本件決定が認定した本件発明1と刊行物2記載の発明との一致点及び相違点は,次のとおりである。
(一致点) 「少なくとも一対の電極間に挟持された有機発光層を含む有機化合物層を有する有機エレクトロルミネッセンス素子。」である点 (相違点) 本件発明1は,2つ以上の有機化合物層をハロゲン化合物からなる不純物の濃度が500ppm未満の有機化合物材料で形成するのに対して,刊行物2には,その【0024】欄及び【0025】欄に環状ホスファゼン化合物について純度(質量%)は99.9%以上で,塩素置換率は,好ましくは99%以上,さらに好ましくは99.5〜100%である旨記載され,また,刊行物2の請求項2などには環状ホスファゲン化合物を含有する有機化合物層を少なくとも1層有する旨記載されるが,「2つ以上の有機化合物層をハロゲン化合物からなる不純物の濃度が500ppm未満の有機化合物材料で形成する」具体的な記載がない点
原告主張に係る本件決定の取消事由
本件決定は,本件発明1と刊行物2記載の発明との相違点についての判断を誤った結果,本件発明1についての進歩性の判断を誤り(取消事由1),また,同判断を前提とした結果,本件発明2ないし6についての進歩性の判断をも誤った(取消事由2)ものであり,これらの誤りが決定の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから,取り消されるべきである。
なお,本件発明1と刊行物2記載の発明との一致点及び相違点の認定は争わない。
1 取消事由1(本件発明1についての進歩性の判断の誤り) (1) 刊行物1記載の発明の認定の誤り 本件決定は,「有機化合物材料の残量塩素を極力少なくする方がより高輝度で長寿命な有機EL素子が得られるであろうことは,当業者が容易に想起し得ることである。」(決定書8頁)との判断の裏付けとして,「実際,刊行物1には,実施例1乃至3の純度99.99%の有機EL素子用化合物を用いて有機EL素子とした実施例が記載されている。純度99.99%であるから,有機EL素子用化合物の残留塩素は100ppm未満であることは明らかである。」(決定書8〜9頁)と認定する。
しかしながら,刊行物1の実施例1ないし3は,単に純度が99.99%であることを開示するだけで,0.01%(100ppm)の不純物がいかなる化合物であるかを開示していない。まして,特に除去すべき不純物としてハロゲン化合物を選択すること,及びこのハロゲン化合物の濃度を選択的に500ppm未満とすることについては何ら開示も示唆もしていない。
それにもかかわらず,本件決定は,何の根拠もなく,刊行物1記載の有機EL素子用化合物の100ppm未満の不純物が残留塩素であると誤認したものである。
(2) 臨界的意義の看過 本件決定は,本件発明1においてハロゲン化合物からなる不純物の濃度の上限が500ppm未満に数値限定されていることが有機EL素子の半減寿命との関係において臨界的意義を有しているにもかかわらず,「本件特許明細書(特に,ハロゲン残留不純物濃度が500ppmではなく,1000ppm未満とする全実施例の記載)ならびに平成15年8月29日付けの実験証明書の実験1の図をみても,500ppmに特に半減寿命の臨界的意義があるものとは認められない。」と誤って判断した(決定書9頁)。
ア 平成15年8月29日付け実験証明書(甲11) 有機EL素子の発光輝度の減衰や発光寿命の低下は,特許異議手続において提出した平成15年8月29日付け実験証明書(以下「甲11実験証明書」という。),特に実験1の図によって認めることができる。確かに,同図においては,500ppm付近の測定結果が詳細に示されているものではなく,また,500ppm付近のデータは,他よりも突出した数値となっていて,有意なものとは認めにくい図となっているが,400ppmと600ppmとの各半減寿命の差をその他の部分と比較すると,著しく大きなものとなっており,この二つの不純物濃度の間に臨界点があることは明らかに示されている。
したがって,有機EL素子において,2つ以上の有機化合物層におけるハロゲン化合物からなる不純物濃度を500ppm未満とすることにより,500ppm以上のものに比べて,半減寿命において著しい改善が見られることは明らかである。
イ 平成16年8月19日付け実験証明書(甲12) 平成16年8月19日付け実験証明書(以下「甲12実験証明書」という。)は,本件決定後に行われた実験結果を記載したものである。そこに記載された実験においては,甲11実験証明書に記載された実験よりも,サンプル及び測定数を大幅に増加した(特に500ppm付近において)。
その結果を示す図3によれば,測定に不可避的なばらつきは認められるものの,有機EL素子の寿命の長期化は,ハロゲン化合物濃度が500ppm未満になると急激になることが分かる。図3の近似曲線に示されるように,500ppm付近で半減寿命の変曲点(臨界点)が表れ,ハロゲン化合物濃度が1000ppm付近では,有機EL素子の寿命が400時間前後に低下している。さらに,ハロゲン化合物濃度が1000ppmから2500ppmにかけてはハロゲン化合物濃度の低下に伴って半減寿命が緩やかに低下している。
したがって,1000ppm〜2500ppm付近では,ハロゲン化合物濃度の低減効果が半減寿命の向上に与える影響が小さいが,ハロゲン化合物濃度が500ppm付近で臨界点を示し,ハロゲン化合物濃度の低減が有機EL素子の長寿命化に大きく貢献するようになる。なお,更に低濃度のハロゲン化合物濃度300ppm以下では,1000ppm程度のハロゲン化合物濃度の場合と比べ,2倍以上の半減寿命向上効果を奏する。
ウ まとめ 甲11実験証明書及び甲12実験証明書で示されるように,有機EL素子の2つの有機化合物層のハロゲン化合物濃度500ppmを境に,その数値の内と外では,有機EL素子の発光寿命に顕著な差異がある。このように,ハロゲン化合物濃度が500ppm付近を越えると生じる半減寿命の急激な長期化は,当業者の予測を超えるものである。
刊行物2には2つ以上の有機化合物層のハロゲン化合物からなる不純物の濃度を500ppm未満とすることについて具体的な記載がないし,また,刊行物1に記載された実施例1ないし3の純度99.99%の有機EL素子についても,ハロゲン化合物濃度を低減させた場合にどの程度半減寿命が長期化するかについては全く記載されていない。
当業者にとって,特定の不純物の濃度をコントロールすることは,技術的にも費用的にも容易なことではないから,仮に,不純物割合を減少させることが,製品の性能向上に有用であることを認識していたとしても,特定の不純物をある程度まで減少させることにより製品の性能が画期的に向上することを知ることができれば,無駄なく高機能の製品を製造することができることになり,その技術的意味が重大であることはいうまでもない。
以上のとおり,本件発明1において,ハロゲン化合物からなる不純物の濃度の上限が500ppm未満に数値限定されていることは,有機EL素子の半減寿命との関係において臨界的意義を有するものである。
エ 明細書の記載 本件明細書には,「有機化合物材料に含有される不純物として,ハロゲン化合物についての許容濃度は,500ppmであり,これを超えるハロゲン化合物濃度の有機化合物層形成材料を使用すると,有機EL素子の発光輝度の減衰や発光寿命の低下を招くおそれが大きくなることが見出された」(43頁)との記載があるから,本件明細書には本件発明1の数値限定に係る作用効果が開示されている。
このように,本件明細書に本件発明1の数値限定に係る作用効果が開示されており,実験証明書(甲11,12)により臨界的意義が認められる以上,本件明細書に,不純物濃度500ppm未満の材料を使用した実施例,500ppmが臨界点であるとの実験結果等が具体的に示されていないとしても,本件発明1は数値限定の臨界的意義により進歩性が認められるべきものである(東京高裁平成4年(行ケ)第168号同5年12月14日判決,東京高裁平成4年(行ケ)第12号同年11月5日判決参照)。
2 取消事由2(本件発明2ないし6についての進歩性の判断の誤り) 本件決定は,本件発明1が刊行物1及び2に基づいて当業者が容易に発明できたものであるとの誤った判断に基づいて,本件発明2ないし6も当業者が容易に発明できたと誤って判断したものである。
被告の反論
本件決定の判断に誤りはなく,原告の主張する本件決定の取消事由には理由がない。
1 取消事由1について (1) 刊行物1記載の発明について 刊行物1には,有機EL素子用化合物の合成例として示された実施例1の記載があり(段落【0264】〜【0268】),これによれば,残留した不純物(0.01%以下の量)の中には,溶媒として用いられたハロゲン化合物である塩素化合物が少なからず含まれているものと推認することができ,このような状況で,複数回の精製により99.99%の純度を得たことは,塩素を含む不純物が0.01%以下(100ppm以下)であること,いいかえれば,不純物がすべて塩素化合物であったとしてもその量は100ppm未満であることを意味する。したがって,本件決定において,刊行物1に「有機EL素子用の残留塩素が100ppm未満である」ことが開示されていると認定したことに誤りはない。
(2) 臨界的意義について ア 明細書の記載について 本件明細書の記載には,500ppmを境にして有機EL素子の機能が低下する点について実験データの開示等の客観的な裏付けはなく,また,500ppmを境にして発光寿命等の機能が著しく変化するとの理論的確証も得られない。
つまり,本件明細書においては,2つ以上の有機化合物層がハロゲン化合物からなる不純物濃度500ppm未満の材料を使用した実施例どころか1層のみに使用した例も提示されず,かつ不純物濃度500ppmが臨界点であるとの実験結果も記載されていない。したがって,原告の指摘する本件明細書の記載だけからでは,500ppmに臨界的な意義があるものということはできない。
原告は,本件特許出願後に作成した後記各実験証明書に基づき,本件発明1は臨界的意義を有すると主張するが,明細書において開示されなかった発明を主張するものであって失当である。
イ 甲11実験証明書について 甲11実験証明書では,「材料の準備」として,NPDについて,「ハロゲン化合物である不純物の総量は36ppm」としているが,それに続いて,「この昇華NPDを高速液体クロマトグラフィー法により分析したところ,ハロゲン化合物である不純物の総量は380ppmであった。」との矛盾した記載がある。
また,DPVDPANについては「126,130,204,233,236,235,317,423,480,546,674,744ppmの12種類のDPVDPAN発光材料を得た。」として,それぞれについての寿命に関する実験結果をグラフに表しているが,測定値としては,126ppmで1600時間,546ppmで688時間,674ppmで629時間,744ppmで640時間の4種の結果のみが示されているのみである。
このように,甲11報告書の記載内容は信頼性が乏しく,この実験証明書から有意な結果を導き出すことはできず,これによって400ppmと600ppmの間に臨界点があるとする原告の主張は失当である。
ウ 甲12実験証明書について 甲12実験証明書においては,実験に伴う誤差についての評価がなされていない。そこで,同一ハロゲン化合物濃度での複数の半減寿命が測定されているもの,すなわちハロゲン化合物濃度774ppmにおける半減寿命430時間と360時間,1982ppmにおける半減寿命432時間と235時間の測定値が,素子の製造,ハロゲン化合物濃度の測定,輝度の測定,時間の測定を含む全実験過程における誤差を示していると考えると,774ppmにおいては17%の誤差があり,1982ppmにおいては57%もの誤差があることとなるから,各測定値につき,17%と57%の平均である37%の誤差がある,すなわち,各測定値が±37%の幅を有するとしてグラフを描くと,このグラフからは,臨界値が500ppmであるということはできない。
また,不純物による物理現象の変化は,不純物濃度の一定の比による変化,例えば半分の濃度になった時の変化を見るようにすることが一般的であり,不純物濃度の指数関数的な変化に対する実験結果の解析を行うことが慣用的である。
原告による臨界値の算出方法は,このような指数関数的な変化を無視したものである。原告の行った実験結果からは,想定される指数関数的な変化から不連続に変わる境界の存在を認めることができす,単に不純物濃度を少なくすればするほど一定の規則にそって半減寿命が延びること(臨界点がないこと)を示している。
したがって,甲12報告書の記載内容から,400ppmと600ppmの間に臨界点があるとすることはできない。
2 取消事由2について 上記のとおり,本件発明1の進歩性についての本件決定の判断には,原告の主張するような誤りはないから,上記判断の誤りを前提とする,本件発明2ないし6の進歩性についての原告の主張は,その前提を欠き,理由がない。
当裁判所の判断
1 取消事由1(本件発明1についての進歩性の判断の誤り)について (1) 刊行物1記載の発明の認定について 原告は,刊行物1が単に純度が99.99%であることを開示するだけで,不純物がいかなる化合物であるかを開示していないにもかかわらず,本件決定は,刊行物1記載の有機EL素子用化合物の100ppm未満の不純物が残留塩素であると誤認した旨主張するので,検討する。
ア 刊行物1(甲3)の段落【0264】ないし【0268】には,有機EL素子用化合物として,「<実施例1> N,N,N’,N’-テトラ(3-ビフェニリル)ベンジジン(化合物No. I-1)の合成」についての記載がある。具体的には,段落【0265】には,「10000mlの反応容器に,濃塩酸775ml,水775ml,氷775g を仕込み,m-アミノビフェニル125g (0.740mol )を加えて懸濁させた。」と,上記合成の過程において,濃塩酸と水と氷からなる溶媒を用いることが記載されている。また,段落【0268】には,「…シリカゲルカラム精製し,30g の一次精製N,N,N’,N’-テトラ(3-ビフェニリル)ベンジジンを得た(収率55.7%)。これをトルエンにて再結晶精製し,純度99.58%品6.0g と純度99.23%品5.0g を得た(収率20.4%)。さらに,昇華精製を行い,純度99.99%品8.0gを得た。」と,複数回の精製後に最終的に99.99%の純度の製品が得られたことが記載されている。
イ これらの記載事項によれば,最終的に得られた有機EL素子用化合物に残留する不純物には,塩酸を含む溶媒に由来した塩素化合物,すなわちハロゲン化合物が含まれていると容易に推認される。そして,純度99.99%の有機EL素子用化合物を得たことは,その不純物が最大でも0.01%以下,すなわち100ppm以下であることにほかならないから,たとえその不純物のすべてがハロゲン化合物であったとしても,その量は最大でも100ppm未満と解される。したがって,本件決定が,刊行物1記載の有機EL素子について,「純度99.99%であるから,有機EL素子用化合物の残留塩素は100ppm未満であることは明らかである。」(決定書8〜9頁)と認定した点に誤りはない。
なお,刊行物1が単に純度が99.99%であることを開示するだけで,不純物がいかなる化合物であるかを具体的に開示していないことは,原告の指摘するとおりである。しかしながら,本件決定の上記認定は,仮に,不純物のすべてが塩素化合物であったとしても,その量は100ppm未満であり,この濃度が本件発明の構成要件を満たすことを認定したものであって,不純物のすべてが残留塩素であるとしたものでないことは,その文脈から明らかである。したがって,原告の上記主張は,本件決定を正解しないで論難するものであり,採用できない。
(2) 臨界的意義について 原告は,本件発明1においてハロゲン化合物からなる不純物の濃度の上限が500ppm未満に数値限定されていることは,有機EL素子の半減寿命との関係において臨界的意義を有しているにもかかわらず,本件決定が「500ppmに特に半減寿命の臨界的意義があるものとは認められない。」(決定書9頁)と判断したのは誤りである旨主張するので,検討する。
ア 本件発明1の内容 (ア) 本件明細書の発明の詳細な説明欄の記述 本件明細書には,本件発明1の目的,効果に関して,次の記載がある。
「本発明は,有機エレクトロルミネッセンス素子(以下,有機EL素子と称することがある。)に関する。さらに詳しくは,軽量・薄型で低電圧駆動のディスプレイに適用可能であって,しかも長期間駆動しても発光輝度の減衰が小さく,耐久性に優れた有機EL素子に関する。」(「技術分野」の項,2頁) 「本発明は,このような状況から,軽量・薄型で低電圧駆動のディスプレイに適用が可能であって,しかも長期間の駆動に伴う発光輝度の減衰が小さく,耐久性に優れた有機EL素子を提供することを目的とするものである。」(「背景技術」の項,3頁) 「本発明者らは,前記課題を解決するために種々検討を重ねた結果,有機EL素子における少なくとも1つの有機化合物層を,不純物濃度が1000ppm未満,0ppm以上の有機化合物材料で構成することにより,その目的を達成しうることを見出し,かかる知見に基づいて本発明を完成するに至った。」(「発明の開示」の項,3頁) 「このように構成される有機EL素子における各有機化合物層を形成するために用いる有機化合物のうちの少なくとも1つ,好ましくは2つ以上の有機化合物につき,これに含有される不純物の濃度を1000ppm未満として,その有機化合物層を形成する。より好ましくは,すべての有機化合物層に含有される不純物の濃度を1000ppm未満とする。」(「発明を実施するための最良の形態」の項,41頁) 「このように,合成した直後の有機化合物材料に含有される不純物には,様々な化合物が存在するが,これらの中でも,ハロゲン化合物が有機EL素子の発光輝度の減衰や発光寿命の低下の大きな要因となっていることが,本発明者らによって新しく見出された。上記不純物の反応性官能基としてハロゲン原子を有する化合物が多く,これらは,各電極から移動してきた正孔や電子のトラップとして働くからである。したがって,有機化合物材料に含有される不純物として,ハロゲン化合物についての許容濃度は,500ppmであり,これを超えるハロゲン化合物濃度の有機化合物層形成材料を使用すると,有機EL素子の発光輝度の減衰や発光寿命の低下を招くおそれが大きくなることが見出された。」(「発明を実施するための最良の形態」の項,43頁) 「本発明の有機EL素子は,軽量・薄型で低電圧駆動のディスプレイに適用可能であり,かつ長期間の駆動によっても発光輝度が減衰することがなく,耐久性に優れている。」(「産業上の利用分野」の項,58頁) (イ) 本件明細書に掲げられた実施例 また,本件明細書における実施例に関する記載(48〜58頁)においては,有機EL素子用の材料として〔製造例1〕ないし〔製造例5〕が記載されている(48〜56頁)が,このうち,本件発明の構成である「ハロゲン化合物からなる不純物の濃度が500ppm未満の有機化合物材料」を満たすものは〔製造例5〕のみであり,その余の〔製造例1〕ないし〔製造例4〕の材料は,「1000ppm未満」であることが確認されているにすぎない。しかるところ,本件明細書において実施例として挙げられた「実施例1ないし7」(56〜58頁)は,いずれも,〔製造例5〕ではなく,〔製造例1〕ないし〔製造例4〕の材料を使用した例にすぎないから,結局,本件明細書には,ハロゲン化合物からなる不純物の濃度が「500ppm未満」である実施例は全く記載されていないことになる。
(ウ) 本件発明1の内容 本件発明1に係る請求項1は,本件訂正前の請求項1「少なくとも一対の電極間に挟持された有機発光層を含む有機化合物層を有する有機エレクトロルミネッセンス素子において,少なくとも1つの有機化合物層をハロゲン含有化合物からなる不純物の濃度が1000ppm未満の有機化合物材料で形成した有機エレクトロルミネッセンス素子。」のうち,「少なくとも1つの有機化合物層」を「2つ以上の有機化合物層」に,また,「1000ppm未満」を「500ppm未満」にそれぞれ訂正したものである(甲2)。
本件明細書の上記(ア)の各記載には,本件訂正前の請求項1を前提としていると解され,その趣旨が判然としない部分も含まれているものの,本件訂正後の請求項1の記載を前提として,上記(ア)の各記載を善解すれば,本件発明1の技術的意義は,有機化合物層中の不純物としてのハロゲン化合物濃度の増加に伴う有機EL素子の発光輝度の減衰や発光寿命の低下という傾向が見いだされたなかで,その許容限度としての濃度500ppmを設定することにより,長期間の駆動に伴う発光輝度の減衰が小さく,耐久性に優れる有機EL素子を提供する点にあるものと一応理解することができる。
しかし,本件明細書には,上記の点以上に,有機EL素子の発光輝度の減衰や発光寿命の低下傾向がハロゲン化合物濃度500ppm付近を境にして急激に変化すること,すなわち500ppm付近に臨界点が存在することを明示的に述べた記載は存在せず,そのような臨界点の存在をうかがわせる記載も一切存在しない。
また,上記(イ)のとおり,本件明細書には,ハロゲン化合物濃度が500ppm未満である実施例は全く記載されていないから,実施例においても,有機EL素子の発光輝度の減衰や発光寿命の低下傾向が,ハロゲン化合物濃度500ppm付近を境にして急激に変化すること(500ppm付近に臨界点が存在すること)は一切示唆されていない。
上記のような本件明細書の記載内容に照らせば,本件発明1は,有機化合物層中の不純物としてのハロゲン化合物濃度の増加に伴う有機EL素子の発光輝度の減衰や発光寿命の低下という傾向が見いだされたなかで,長期間の駆動に伴う発光輝度の減衰が小さく,耐久性に優れる有機EL素子を提供するに際しての許容限度として,濃度500ppmを設定したものと理解するほかはない。
上記において検討したとおり,本件発明1は,長期間の駆動に伴う発光輝度の減衰が小さく,耐久性に優れる有機EL素子を提供するに際してのハロゲン化合物濃度の許容限度として,濃度500ppmを設定したものというべきであって,当該数値の内外において効果が顕著に異なるという,いわゆる臨界的意義を有する数値として500ppmの濃度を開示した発明ということはできない。
(エ) 原告は,500ppmの濃度に臨界的意義があることを述べて,本件発明1が進歩性を有すると主張する。
しかし,上記のとおり,本件明細書には,本件発明1について500ppmの濃度が臨界的意義を有することを示す記載は一切存在しない。
特許請求の範囲において特定の数値限定のされた発明について当該数値の内外において特定の作用効果が顕著に異なるという,いわゆる数値限定の臨界的意義に基づき発明の進歩性が認められるためには,当該数値限定の臨界的意義が明細書において開示されていることを要するものというべきである。原告の主張は,明細書の記載を離れて本件発明1の進歩性を主張するものであり,採用することができない。
(オ) この点に関し,原告は,本件明細書に本件発明1の数値限定に係る作用効果が記載されているのであるから,実験証明書(甲11,12)により臨界的意義が認められる以上,本件明細書に不純物濃度500ppm未満の材料を使用した実施例や,500ppmが臨界点であるとの実験結果等が具体的に示されていないとしても,本件発明1は数値限定の臨界的意義により進歩性が認められるべきである旨主張する。
しかしながら,上記のとおり,本件発明1をもって数値限定の臨界的意義を開示することを内容とする発明と解することはできない。仮に,本件訂正前の請求項1について,これを原告のいうような臨界的意義を有する数値として500ppmの濃度を開示する内容の発明に訂正しようとしても,そのような訂正は,実質上特許請求の範囲変更するものとして許されないものである。審決取消訴訟において提出された上記実験証明書(甲11,12)により臨界的意義が認められれば,それにより本件発明1の進歩性が肯定されるべきであるという原告の主張は,訂正によって許されない発明の内容の変更を,審決取消訴訟における実験証明書の提出により達成することで,本件特許の進歩性の欠如を免れようとするものであり,不当というほかはない。
また,原告の挙げる裁判例(東京高裁平成4年(行ケ)第168号同5年12月14日判決,東京高裁平成4年(行ケ)第12号同年11月5日判決)は,いずれも本件とは事案を異にするものであるから,これらの裁判例をもって,本件明細書に数値限定の臨界的意義が記載されていないとしても,審決取消訴訟において実験報告書を提出することにより進歩性についての審決の判断を争うことができるという原告の主張を是認する裁判例と解することはできない。
原告の主張は採用できない。
イ 本件発明1についての作用効果の不存在 なお,本件発明1は,有機化合物層を有する有機EL素子において,「2つ以上の有機化合物層」におけるハロゲン化合物濃度を「500ppm未満」に限定しているものにすぎない。したがって,例えば,当該2層以外の有機化合物層の数が多数に上り,かつ,これらの有機化合物層における各ハロゲン化合物濃度が極めて高い数値である場合も,本件発明1の実施態様として含まれると解さざるを得ない。しかしながら,このような場合にまで,有機EL素子としての寿命が顕著に長期化するという効果を奏することは考え難い。したがって,仮に有機EL素子におけるハロゲン化合物濃度について何らかの臨界的数値が存在するとしても,そもそも,本件発明1に係る有機EL素子については,すべての実施態様において当該臨界的意義に対応する作用効果を得られるとは認められないものである。この点からみても,「500ppm」が臨界的意義を有する数値であるとして,本件発明1の進歩性を基礎付けようとする原告の主張は,失当である。
ウ 有機EL素子におけるハロゲン化合物濃度の臨界数値 また,次のとおり,本件発明1の技術的意義を踏まえれば,仮に原告が主張するように,有機EL素子におけるハロゲン化合物濃度に臨界数値が存在するとしても,そのことに基づいて本件発明1の進歩性を認めることはできない。
(ア) すなわち,前記ア(ウ)のとおり,本件発明1の技術的意義は,有機化合物層中の不純物としてのハロゲン化合物濃度の増加に伴う有機EL素子の発光輝度の減衰や発光寿命の低下という傾向が見いだされたなかで,その許容限度としての濃度500ppmを設定することにより,長期間の駆動に伴う発光輝度の減衰が小さく,耐久性に優れる有機EL素子を提供する点にあるものと理解することができる。
(イ) しかるところ,刊行物2には次の記載があるから,有機EL素子の技術分野においては,本件特許の出願前から「残留塩素や不純物がないことにより高輝度で長寿命な有機EL素子が得られる」ことは公知であったと認められる。
「このように,上記のポリホスファゼン化合物は,高分子であるがゆえに,未置換の塩素が側鎖に残存すること,かつ精製が困難で高純度のものが得られないことなどから,…未反応の残留塩素や不純物による素子の特性劣化が大きな問題となる。より具体的には,残留塩素と他の素子材料との反応が生じること,不純物による注入キャリアのトラップや再結合・発光領域およびその近傍での励起子の失活が生じること,などである。」(段落【0010】), 「【作用】本発明の化2で示される環状ホスファゼン化合物は,…未反応の残留塩素が少ない。また,分子量もそれほど大きくないため,精製も容易で不純物が少ない。…このため,この化合物を有機薄膜EL素子の有機化合物層,特に正孔注入輸送層に用いた場合,未反応の残留塩素による発光層材料等の他の素子材料との反応,不純物による注入キャリアのトラップや再結合・発光領域およびその近傍での励起子の失活などが防止される。…従って,本発明の有機薄膜EL素子は高輝度で長寿命なものとなる。」(段落【0016】) (ウ) また,刊行物1には,純度99.99%,すなわち不純物濃度100ppmの有機EL素子用化合物(実施例1,前記1のとおり)や,この化合物を用いた有機EL素子(実施例9,14,19等)も実施例として記載されており,これらも本件特許出願前から公知であったものである。
(エ) このように,本件特許出願時の技術水準によれば,「残留塩素や不純物がないことにより高輝度で長寿命な有機EL素子が得られる」こと自体は知られており,また,不純物濃度が本件発明1の範囲内の100ppmである有機EL素子も,実用に供される物として知られていたのであるから,これらを前提とすれば,当業者であれば,精製純度を高めることによる設備投資及びランニングコスト等の費用の増加という経済的要素を考慮しながら,有機EL素子における不純物の許容限度を適宜設定し得ることは明らかであって,本件発明1が,有機EL素子の発光寿命の観点から,不純物としてのハロゲン化合物の(上限値としての)許容濃度が500ppmであることを確認したものであるからといって,これをもって進歩性を認めるほどの技術的貢献をもたらすものということはできない。
(オ) この点に関し,原告は,特定の不純物の濃度をコントロールすることは技術的にも費用的にも容易なことではないから,特定の不純物をある程度まで減少させることにより製品の性能を画期的に向上させることができることの技術的意味は重大である旨主張する。しかしながら,前記(イ)のとおり,高輝度で長寿命の有機EL素子を得るために,不純物として含まれる残留塩素の濃度が低い方が望ましいことは,刊行物2にも記載されているように,本件特許出願前から公知であった以上,特定の不純物として塩素等のハロゲン化合物に注目することは,当業者が当然になし得ることというべきであるし,その上で,精製純度を高めることによる費用の増加という経済的要素を考慮しながら,不純物としてのハロゲン化合物の許容限度を実験的に適宜設定することは,当業者が通常になし得ることであって,進歩性の根拠とはならないものというべきであり,原告の上記主張は理由がない。
エ したがって,原告の臨界的意義についての主張は,前記アないしウのいずれの観点からも,理由がない。
(3) 以上に検討したところによれば,本件発明1の進歩性についての本件決定の判断に誤りはなく,原告の取消事由1の主張は理由がない。
2 取消事由2(本件発明2ないし6についての進歩性の判断の誤り)について 原告は,本件決定が,本件発明1の進歩性についての判断の誤りに基づいて,本件発明2ないし6についても進歩性の判断を誤った旨主張する。しかしながら,上記のとおり,本件発明1の進歩性についての本件決定の判断に誤りはないのであるから,原告の上記主張は,その前提を欠き,理由がない。
3 結論 以上のとおり,原告主張の取消事由はいずれも理由がなく,他に本件決定を取り消すべき瑕疵は見当たらない。
よって,原告の本件請求は理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 三村量一
裁判官 若林辰繁
裁判官 沖中康人