運営:アスタミューゼ株式会社
  • ポートフォリオ機能


追加

関連審決 無効2004-35001
関連ワード 技術的思想 /  頒布された刊行物 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  引用発明の認定 /  周知技術 /  技術常識 /  先行技術 /  技術的意義 /  容易に想到(容易想到性) /  実施 /  構成要件 /  設定登録 / 
元本PDF 裁判所収録の全文PDFを見る pdf
事件 平成 17年 (行ケ) 10105号 審決取消(特許)請求事件

原告 X
訴訟代理人弁理士 武蔵武
被告 佐治陶器株式会社
訴訟代理人弁理士 笠井量
裁判所 知的財産高等裁判所
判決言渡日 2005/06/28
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
請求
特許庁が無効2004-35001号事件について平成16年8月31日にした審決を取り消す。
事案の概要
本件訴訟は,原告が平成12年9月14日に設定登録を受けた後記特許につき,被告が無効審判請求をしたところ,特許庁が特許を無効とする審決をしたため,原告がその取消しを求めた事案である。
当事者の主張
1 請求の原因(1) 特許庁における手続の経緯 ア 原告は,平成9年9月4日,名称を「レンジ用炊飯器」とする発明について特許出願(特願平9-257687号)をした。特許庁は,同出願につき特許すべき旨の査定をし,平成12年9月14日,特許第3110007号として設定登録をした(甲16。
以下,この特許を「本件特許」といい,甲16の特許公報を「本件明細書」という。)。
イ 本件特許について,平成15年12月26日付けで被告から特許無効審判請求がなされ,同請求は無効2004-35001号事件として特許庁に係属した。特許庁は,上記事件について審理を遂げ,平成16年8月31日,「特許第3110007号の請求項1ないし3に係る発明についての特許を無効とする。」との審決(以下「審決」という。)をし,同年9月10日その謄本は原告に送達された。
(2) 発明の内容 本件特許に係る発明は請求項1ないし3から成るが,その内容は下記のとおりである。
記 【請求項1】上面に開口部を有しその開口部より下の位置に蓋止め用の内向き鍔を突設した炊飯容器と,蒸気を通す通気孔を有し前記炊飯容器の内向き鍔に周縁を載せて開口部を塞ぐ中蓋と,前記中蓋の上に設置する外蓋と,からなり,前記中蓋を,周縁より上面中央部が高い中高形状にするとともに通気孔を周縁より高所に配し,もって,中蓋上に吹き上がる煮汁を通気孔周りに滞留させることなく周縁側に流下させ,さらに中蓋の周縁部分から炊飯容器内に戻すようにしたことを特徴とするレンジ用炊飯器。
【請求項2】前記中蓋の裏側に前記中高部分に対応させて窪み部を設けたことを特徴とする請求項1記載のレンジ用炊飯器。
【請求項3】前記外蓋は,逆さ碗状の形態にすると共に高所に通気用の貫通孔を設けてなることを特徴とする請求項1又は2記載のレンジ用炊飯器。
なお,上記請求項1ないし3に係る発明を,以下,それぞれ「本件発明1」「本件発明2」「本件発明3」といい,これらを合わせて「本件発明」という。) (3) 審決の内容 ア 審決の内容は,別添審決謄本写しのとおりである。その理由の要旨は,本件発明1ないし3は,いずれも,その出願前に頒布された下記@の刊行物に記載された発明及び下記A〜Gの各文献に記載された周知の技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたから,特許法123条1項2号,29条2項により無効とすべきもの,としたものである(甲号証の番号は審判と本訴とにおいて共通である。)。
@ 実願昭59-51325号(実開昭60-164323号)のマイクロフィルム(甲1) (以下「引用例」という。) A 特開平10-165298号公報(甲5) B 実公平3-22647号公報(甲6) C 実公平4-23451号公報(甲7) D 実願昭61-176146号(実開昭63-83114号)のマイクロフィルム(甲8) E 実公昭43-9384号公報(甲9) F 実公昭30-6768号公報(甲11) G 実用新案登録第345394号公報(昭和20年1月23日技術院発行)(甲13) イ 上記判断をするに当たり,審決は,本件発明1と前記引用例(甲1)に記載された発明との一致点及び相違点について,次のとおり認定している。
(一致点) 「上面に開口部を有した炊飯容器と,蒸気を通す通気孔を有し前記炊飯容器の鍔に周縁を載せて開口部を塞ぐ中蓋と,外蓋と,からなり,前記中蓋を,周縁より上面中央部が高い中高形状にするとともに通気孔を周縁より高所に配した,もって,中蓋上の液体を通気孔周りに滞留させることなく周縁側に流下させるようにしたレンジ用炊飯器。」である点。
(相違点A) 炊飯容器について,本件発明1は「その開口部より下の位置に蓋止め用の内向き鍔を突設した」ものであって,その「内向き鍔」に中蓋の周縁を載せたものであるのに対し,引用例の発明は,その開口部の周縁に外向き鍔を設けたものであって,該外向き鍔に中蓋の周縁を載せたものである点。
(相違点B) 本件発明1は,外蓋を「中蓋の上に設置する」ものであるのに対し,引用例の発明は,外蓋を外向き鍔の上に設置するものである点。
(相違点C) 通気孔周りに滞留させることなく周縁側に流下させる液体について,本件発明1は「中蓋上に吹き上がる煮汁」とし,「さらに中蓋の周縁部分から炊飯容器内に戻す」ようにしたものであるのに対し,引用例の発明は,水蒸気が結露した露とし,これを露受け溝に溜めるようにしたものである点。
(4) 審決の取消事由 しかしながら,審決は,前記引用例記載の発明(以下「引用発明」という。)の作用・効果についての認定を誤った結果,上記相違点Cに関する判断等を誤った(取消事由)ものであり(なお,審決が認定した一致点と相違点A,Bについては認める。),違法として取消しを免れない。
ア 本件発明は,炊飯の過程で吹き上がる煮汁を,「炊飯容器の内部→通気孔→中蓋の上面→周縁部分→炊飯容器の内部」の経路で還流させることによって,煮汁の吹出しによる炊飯水量の減少を防止するとともに,煮汁の吹出しによる受皿やレンジ内の汚れを防止する効果を果たさせるようにしたものである。
これに対し,引用発明における炊飯容器本体と中蓋の組合せ態様は,炊飯容器本体の上端に環状の露受け溝を形成してその露受け溝に中蓋を載置するように構成し,炊飯中に水蒸気となり外蓋と中蓋との間で結露することによって水滴に戻った水を,前記露受け溝に溜めるようにしたものである。そして,引用例に記載された引用発明の効果は,炊飯中に発生した結露による水滴を露受け溝でせき止めて炊飯容器本体に戻さないことによって,炊き上がりの米飯のべとつきを防止する,というものである。
したがって,引用発明の構成及び作用効果は,本件発明の構成及び作用効果と180度相違する。
イ そもそも,炊飯容器の容量が米と水の総量よりも十分に大きければ,炊飯時に煮汁が吹き上がることはない。引用発明は,このように煮汁の吹き上がりという問題が生じない炊飯容器であることを前提とした発明であると考えるべきであり,本件発明1が解決しようとする課題が本質的に存在しないのであるから,引用発明には,本件発明を想到することへの動機付けがない。
ウ この点につき,審決は,下記のとおり,引用発明の炊飯容器においても煮汁の吹き上がりという問題があると認定している。
記 「炊飯量が多い場合や特に炊飯過程中の比較的水分の多い状態では,炊飯容器本体内の煮汁が激しく沸騰して中蓋の開口部(通気孔)からその上に吹き上がり,通気孔周りに滞留することなく周縁側に流下し,さらに露受け溝から溢れて中蓋の周縁と容器本体の間隙を流れて,容器本体内に戻るものと認められる。そうすると,引用例の発明が解決した上記の点は,炊きあがりのごはんに悪い影響を与えないように,炊飯過程の後期の水分が少なくなくなった段階で,水蒸気が結露して内容物の上に落下しないようにしたものであって,このことは,炊飯容器本体内の煮汁が激しく沸騰して中蓋の開口部(通気孔)からその上に吹き上がるような状態について記載したものではないし,そのような状態が起きないとするものでもない。」(9頁最終段落) しかし,審決の上記認定に従えば,引用発明は本来の作用効果を奏し得ないことになる。なぜなら,炊飯の早い段階で吹き上がる煮汁(どろどろした粘り気のある液体)が露受け溝を満たしてしまうと,炊飯過程の後期に発生する結露による水滴を露受け溝でせき止めることはできなくなってしまうからである。したがって,引用発明についての審決の上記認定は誤りであり,この誤りが,本件発明の進歩性に関する審決の判断を誤らせたことは明白である。
エ また,引用例の図1〜3に示された構成によれば,引用発明の炊飯容器において煮汁の吹き上がりが生じるとすれば,煮汁は中蓋3の中央部にある開口部3aから吹き出す前に,中蓋3の下端部と露受け溝4の底面との間に形成された隙間を通って露受け溝4を満たし,更に,容器2と容器本体1との合わせ目から外部にあふれ出すことは自明である。したがって,引用発明は,沸騰した煮汁が露受け溝4を超えるような炊飯量を想定していないことは明白であり,かかる想定外のことを前提とする審決の認定は誤りである。
2 請求原因に対する認否 請求の原因(1)〜(3)の各事実は認める。同(4)は争う。
3 被告の反論 原告が,審決の認定判断が誤りであるとして主張するところは,いずれも失当であり,審決の認定判断に原告主張のような違法はない。
(1) 原告は,引用発明においては,激しく沸騰した煮汁が中蓋の開口部(通気孔)から吹き上がるという状態は想定されておらず,審決が,引用発明は「そのような状態が起きないとするものでもない」と認定したことは誤りであると主張するが,失当である。
引用発明でも,炊飯に必要な対流を発生させており,炊飯量が多い場合や炊飯過程中の水分の多い状態において,煮汁が上方に上昇することは,当業者にとって明らかである。そして,引用発明の,環状の露受け溝の内側が外側より低く設定されているという構成により,激しく沸騰して中蓋の開口部(通気孔)から吹き上がった煮汁は,通気孔周りに滞留することなく周縁側に流下し,更に露受け溝からあふれて,中蓋の周縁と容器本体の間隙を流れて,容器本体内に戻ることになる。
引用例において,露受け溝を設けたことの作用効果として,結露した水滴が炊き上がりの米飯の表面に露が落下するのを防ぐことが記載されているのは,炊き上がり,すなわち,炊飯過程の後記の水分が少なくなった段階のことをいっているのである。この記載は,引用発明において,煮汁が激しく沸騰して中蓋の開口部(通気孔)から吹き上がるような状態が生じないとするものではない。
現に,実願平3-7917号(実開平4-108025号)のマイクロフィルム(乙20)及び実願平3-7918号(実開平4-108026号)のマイクロフィルム(乙21)は,先行技術として引用発明に言及したものであるが,これらの文献において,引用発明は,「蓋の密封をある程度よくして吹きこぼれが起きないようにし,希望の状態に能率よく仕上がるように工夫したもの」であるとされており,当業者は,引用考案を煮汁の吹き上がりを想定したものとして理解するのである。
(2) 原告は,炊飯容器の容量が米と水の量よりも十分に大きければ,炊飯時に煮汁が吹き上がるような状態はそもそも生じないのであるから,煮汁の吹きこぼれという本件発明1の課題が引用発明に存在しないと解するのが相当である,と主張する。
しかし,引用例(甲1)の第3図が図示する構成から見て,炊飯容器本体が,例えば,縦長になっているものでもなく,吹きこぼれを防止するように米と水の総量の5倍程度の容量となっているとも,炊飯量に比してかなり大型となっているともいえないから,引用発明に本件発明1が解決しようとする課題が本質的に存在しないとしたり,本件発明1への動機付けがないとしたりすることはできない。
(3) 原告は,引用発明において,露受け溝が粘り気のある煮汁によって満たされてしまえば,炊飯過程の後期に発生する結露による水をせき止めて溜めることができなくなってしまうから,引用発明では煮汁の吹き上がりは想定されていないと主張する。
しかし,煮汁が吹き上がったとしても,その後,水分が少なくなる段階に至るまでの間には,煮汁の吹き上がりが少なくなっていく過程が介在することは技術常識である。そして,このような過程においては,露受け溝に滞留した煮汁中の水分はマイクロ波により蒸発するので煮汁の容量は減少し,露受け溝は,結露した水滴をせき止めて溜めることができるようになる。したがって,引用発明において煮汁の吹き上がりが想定されていないとすることはできない。
(4) 原告は,引用発明では中蓋の下端部と露受け溝との間には隙間があることを理由に,引用発明において煮汁が吹き上がれば,煮汁は中蓋の中央部の通気孔から吹き出す前に露受け溝を満たし,更に容器本体の外にあふれ出すと主張する。
しかし,本件発明の出願前に頒布された刊行物である甲11を参照すれば,原告の主張は技術常識に反する。甲11に記載された考案に係る鍋は,中蓋の下端部と鍋主体との間に間隙を設けた構成を有するが,甲11によれば,炊飯過程で生じる泡汁が当該間隙から鍋の外にあふれ出すことはなく,泡汁は,中蓋の中央に集まって貫通孔より中蓋外へ流出し,かつ,その表面を下方へ流れ,当該間隙から鍋主体内へ流入するのである。
また,引用発明において煮汁が隙間から流出するのであれば,本件発明1においても同様であるはずであり,本件発明1において,煮汁が中蓋の周縁部分から容器本体内へ戻るとされていることと矛盾する。このことからしても,原告の主張は当を得たものではない。
当裁判所の判断
1 請求の原因(1)(特許庁における手続の経緯),(2)(発明の内容)及び(3)(審決の内容) の各事実は,いずれも当事者間に争いがない。
なお,以下の説明を分かりやすくするため,本件特許の請求項1に係る発明の要旨を構成要件に分節して示すと,下記のとおりである(以下,A〜Fをそれぞれ「構成要件A」〜「構成要件F」という。)。
記 A 上面に開口部を有しその開口部より下の位置に蓋止め用の内向き鍔を突設した炊飯容器と, B 蒸気を通す通気孔を有し前記炊飯容器の内向き鍔に周縁を載せて開口部を塞ぐ中蓋と, C 前記中蓋の上に設置する外蓋と,からなり, D 前記中蓋を,周縁より上面中央部が高い中高形状にするとともに通気孔を周縁より高所に配し, E もって,中蓋上に吹き上がる煮汁を通気孔周りに滞留させることなく周縁側に流下させ,さらに中蓋の周縁部分から炊飯容器内に戻すようにしたことを特徴とする F レンジ用炊飯器。
2 争点に対する判断 原告の主張する審決の取消事由は,要するに,引用発明には煮汁の吹き上がり・煮こぼれに対処するという技術的課題がないにもかかわらず,審決は引用発明に当該技術的課題があると誤って認定した結果,引用発明に周知技術を適用して相違点Cに係る本件発明1の構成要件Eを得ることは容易である,との誤った判断に至った,というものである。そこで,以下その当否について判断する。
(1) 本件発明1の技術的課題及びその解決のための構成について 本件明細書(甲16)には,次の記載がある。
「本発明………の目的は,炊飯時の煮こぼれが殆ど無く,使用後の洗浄が容易でしかも低コストであり,さらに故障のおそれがないレンジ用炊飯器を提供することにある。」(段落【0004】) 「上記の目的を達成するため本発明は,図示したように,………炊飯容器2と,蒸気を通す通気孔9を有し………中蓋3と,前記中蓋3の上に設置する外蓋4とからなり,………,もって,中蓋3上に吹き上がる煮汁を通気孔9周りに滞留させることなく周縁8側に流下させ,さらに中蓋3の周縁8部分から炊飯容器2内に戻すようにしたレンジ用炊飯器1を提供する。」(段落【0005】) 上記記載によれば,本件発明1は,炊飯の過程で炊飯容器の内部から吹き上がる煮汁が容器の外部に煮こぼれないようにするために,中蓋に設けた通気孔を通じて煮汁を中蓋の上面に吹き出させ,当該煮汁が中蓋と外蓋との空間部分を周縁部分に向かって流下し,更に,周縁部分から炊飯容器の内部に還流するようにしたものであると認められる。
(2) 引用発明の技術的課題及びその解決のための構成について ア 引用例(甲1)には,以下の記載がある。
a「従来,電子レンジを用いて炊飯する場合,誘電体で形成した容器本体と蓋とからなる炊飯容器が使用されているが,この種の炊飯容器では内容物がマイクロ波で均一に加熱され,炊飯に必要な対流を生じないため,炊いた米飯にムラを生じ,しかも炊飯中に水蒸気が蓋内壁に触れて結露し,これが蓋内壁を伝わり内容物表面に落下して炊き上がりのごはんがパサパサしたり炊飯容器の壁面に接する部分がべとつくなどの欠点があった。」(2頁第1段落) b「本考案は,炊飯時に炊飯に必要な対流を生じさせると共に,蓋内壁で結露した露により米飯がまずくなるのを防止することを技術的課題とし,………」(2頁第2段落) c「本考案は,前記目的を達成するため,中央部に開口部を有する金属製の中蓋を用い,炊飯時,容器上方からのマイクロ波を一部遮断し,………炊飯に必要な対流を発生させる一方,誘電体製蓋内面及び中蓋の表面で結露した水滴を容器本体の上端部に設けた環状の露受け部に溜めて炊き上がりの米飯の表面に露が落下するのを防止しようとしたものである。」(2頁第3段落から3頁第1段落) d「以下,本考案の一実施例を示す添付の図面を参照して具体的に説明する。
第1図および第2図において,1は容器本体,2は容器本体1を密閉する外蓋,3は中蓋で,………,容器本体1の上端には環状の露受け溝4を形成する環状リング6が着脱自在に載置される。中蓋3は………で形成され,その中央部には………,水蒸気を外蓋2と中蓋3との間の空間部5に導入する開口部3aが形成される………。」(3頁第2段落以下) e「炊飯中に生じた水蒸気の一部は,中蓋3の中央開口部3aを通り,中蓋3と外蓋2との空間部5に入り,該空間部5で又は外蓋2に触れて結露するが,そのまま外蓋2の内面あるいは中蓋3の外表面を伝わって露受け溝4に溜まり,容器本体1内部の米飯の上に落下することが無い。」(4頁第3段落から5頁第1段落) 上記記載aと同c及びdとを対比すると,記載dにおいては「外蓋」及び「中蓋」の存在が明記されているのに対し,従来技術について述べた記載aにおいては炊飯容器の「蓋」とのみ記載され,外蓋と中蓋との区別がない。そして,記載aにおいて,水蒸気が蓋の内壁に触れて結露することが問題とされているところから見て,当該蓋の外壁は炊飯容器の内部に比べて低温の外気に接触していると解するのが相当であるから,引用発明が前提とする従来技術においては,1枚から成る蓋が炊飯容器に載置されていたものと認められる。
そして,上記記載c〜eによれば,1枚の蓋を載置しただけの従来技術においては,水蒸気が結露することによって生ずる露が直接に米飯の表面に落下するという技術的課題が存在し,引用発明は,かかる課題を解決するという目的のために,次のような構成を採用したものであることが認められる。
@ 外蓋のほかに,開口部を有する中蓋を設けて,外蓋と中蓋の間に空間部を設ける構成を採用し,水蒸気を中蓋の開口部を通じて当該空間部に導入し,結露が当該空間部で生じるようにする。
A 容器本体に載置される環状リングに露受け部を設けた構成とすることによって,空間部で生じた結露が露受け部に溜まるようにする。
しかるに,引用例には,引用発明に関する記載としてはもちろんのこと,従来技術に関する記載としても,沸騰した煮汁の吹き上がり・煮こぼれという現象に言及した記載は認められない。引用例に記載された従来技術においては,上記のとおり蓋は1枚から成るものであることと認められるのであるから,沸騰した煮汁の吹き上がりが生じるのであれば,これが容器外部に煮こぼれないようにするためには何らかの手段を講じる必要があることは明白であるところ,引用例にはそのような観点からする記載はない。そして,引用発明において蓋を外蓋と中蓋との2層とし,中蓋には開口部を設けるという構成を採用することの技術的意義も,水蒸気が結露した水が炊き上がりの米飯の上に落下するのを防止する,という課題に対するものとして説明されており,煮汁の吹き上がり・煮こぼれとの関係については何らの記載も見いだすことはできない。
イ 引用例の上記記載c,eによれば,引用発明の構成のうち「露受け溝」は,炊飯過程において発生する水蒸気が結露して生じる水滴をせき止め,これを溜めることによって,水滴が炊き上がりの米飯の表面に落下するのを防ぐという作用効果を奏するものであると認められる。
そして,引用発明の炊飯容器を利用する際に,沸騰によって煮汁の吹き上がりが生じるのであれば,露受け溝はその本来の作用効果を奏し得ないことになる。なぜなら,炊飯の早い段階で吹き上がる煮汁(どろどろした粘り気のある液体)が露受け溝を満たしてしまうと,炊飯過程の後期に発生する結露による水滴を露受け溝でせき止めることはできなくなってしまうからである。
(3) 上記(2)のとおり,引用発明においては,煮こぼれの防止という本件発明1の技術的課題は何ら認識されていない上に(上記(2)ア),そもそも,煮汁の吹き上がりという現象が生じるとすれば,引用発明は,結露した水の米飯表面への落下防止という本来目的とした作用効果を奏し得なくなる(上記(2)イ),というものである。そうすると,審決が,引用例について,「炊飯容器本体内の煮汁が激しく沸騰して中蓋の開口部(通気孔)からその上に吹き上がるような状態………が起きないとするものでもない」(9頁最終段落)と認定した上,「引用例には本件発明1が解決しようとする課題がないとしたり,本件特許への動機付けがないとすることはできない」(同)と判断したことは,誤りであるといわざるを得ない。
(4) しかしながら,審決の上記認定判断の誤りは,審決の結論に影響を及ぼすものではない。その理由は以下のとおりである。
ア 煮こぼれの防止という本件発明1の技術的課題について,本件特許の出願当時(平成9年9月4日)に頒布されていた文献を見ると,次のような記載がある。
@ 実公昭43-9384号公報(甲9) 「本案は沸騰によって生ずる煮こぼれを適確に防止できる便宜な鍋を目的としたもので………」(1頁左欄) A 実公昭30-6768号公報(甲11) 「本案鍋は以上の如くして煮汁,泡等を絶対に鍋外に流出せしめないものにして………」(1頁右欄) B 實用新案登録第345394號公報(甲13)(昭和20年1月23日発行) 「………釜ノ外側ニ泡汁ヲ流出セシメズ………」(1頁上段) イ 一方,前記甲9,11,13については,審決も,周知技術の内容を検討するに当たり,次のように認定している。
@ 甲9 「甲第9号証によれば,実公昭43-9384号公報は本件発明の出願前に頒布された刊行物であって,その記載と図によれば,同公報には,鍋の考案に関して,内蓋2と外蓋6との間に形成された空隙イに噴出され破裂した気泡は,気体のみが排出され,残りの液体は内鍋の上面に受けられ,内鍋の小孔1又は周縁から鍋体に戻されることが記載されている。」(8頁下から2段落目) A 甲11 「甲第11号証によれば,実公昭30-6768号公報は本件発明の出願前に頒布された刊行物であって,その記載と図によれば,同公報には,鍋の考案に関して,鍋主体3内の泡汁が貫通孔7より中蓋外に流出すると,その表面を下方へ流れ,鍋主体に形成された支承部5と中蓋6の周縁との間隙を流れて鍋主体内に戻ることが記載されている。」(8頁最終段落) B 甲13 「甲第13号証によれば,実用新案登録第345394号公報は,本件発明の出願前に頒布された刊行物であるが,そこには,二重蓋高圧釜の考案に関して,釜の口近くの内側に上面水平にして釜の側壁から生出する環状台座4を設けて内蓋3を載せるように構成した二重蓋高圧釜が開示されている。」(7頁最終段落) ウ 上記の各記載(甲11の考案の構成はとりわけ本件発明1に類似する。)及びそれぞれの文献の頒布時期から見て,本件特許の出願当時,煮汁の吹き上がりによる煮こぼれは,炊飯容器の考案ないし発明について共通の技術的課題として,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(当業者)に広く認識された周知の技術的課題であったことは明らかである。
エ 一般に,ある発明(以下「後行発明」という。)の容易想到性を判断するに当たり,これと対比すべき刊行物記載の発明に後行発明の技術的課題が欠如している場合であっても,後行発明の技術的課題が当業者にとって周知である場合は,かかる技術的課題を解決すべく,刊行物記載の発明から後行発明を想到することの動機付けは存在するというべきであるところ ,引用発明と本件発明1との間には審決が認定したとおりの一致点が存在するのであるから,引用発明に接する当業者にとって,引用発明が本件発明1の一致点として有する「中蓋上の液体を………周縁側に流下させる」という作用効果に着目し,これを,煮こぼれの防止という周知の技術的課題の解決のために応用することとし,引用発明に審決認定の周知技術を適用して,本件発明1の相違点3に係る作用効果を得ることへの動機付けが存在するといえるのであるから,結局,引用発明から本件発明1ひいては同発明2,3を得ることは当業者にとって想到容易であったと認めるのが相当である。
(5) 原告は,引用発明は,水蒸気が結露した水を露受け溝に「溜める」ものであり,煮汁を容器内に戻そうとする本件発明1とは本質において相違するから,この点からしても,引用発明から本件発明1を想到することは困難であると主張する。
しかし,引用発明の構成及び作用効果のうち,審決が本件発明1との一致点として認定しているのは,@ 上面に開口部を有する炊飯容器であること,A 蓋が外蓋と中蓋の2枚から成ること,B 中蓋を中高形状としてその中央に開口部を設けること,C 上記@〜Bの構成を採用することによって中蓋上の液体を周縁部分に流下させる作用効果が得られること,という4点にとどまる。そして,審決は,中蓋上を周縁部分に向けて流下させる液体について,吹き上がった煮汁であってこれを炊飯容器内に戻すとするか(本件発明1),水蒸気の結露した水であってこれを露受け溝に溜めて炊飯容器に戻さないとするか(引用発明),という点は,相違点Cとして認定した上,吹き上がった煮汁を中蓋の周縁に落下させて炊飯容器内に戻すことは周知技術であるから,相違点Cにかかる本件発明1の作用効果は当業者の容易に想到し得たことであると判断しているのである。
このように,引用発明の認定においては,引用発明の全体としての構成及び技術的思想とは別に,引用発明に含まれる一まとまりの構成及び技術的思想を抽出することができるのであって,審決も,上記@ないしCのとおりの構成及び作用効果の限りにおいて,本件発明1との一致点を引用発明から抽出していることは明らかである。そうすると,引用発明が,中蓋上を周縁部分に向けて流下してきた結露水を露受け溝に「溜める」ような構成及び作用効果を有していることは,引用発明及び周知技術から本件発明1を容易に想到できるという審決の論理付けに影響しないものである。また,煮汁の吹き上がりによる煮こぼれを防ぐことが上記(4)のとおり当業者にとって周知の技術的課題であり,またその解決手段も周知技術であったことも考慮すれば,結露水を露受け溝に溜めるという構成及び作用効果を引用発明が有することは,審決が認定した一致点の限りにおいての引用発明の構成及び作用効果から本件発明1の構成及び作用効果を想到することにとって,特段の妨げとなるものではない。よって,原告の上記主張は採用できない。
3 結語 以上のとおりであるから,審決は,理由付けの一部に誤りがあるが結論に影響を及ぼすものではなく,原告の本訴請求は理由がない。よって,原告の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 中野哲弘
裁判官 岡本岳
裁判官 上田卓哉