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関連審決 審判1997-5592
関連ワード 発明者 /  共同発明 /  29条1項3号 /  頒布された刊行物 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  一致点の認定 /  相違点の認定 /  周知技術 /  慣用技術 /  出願公開 /  技術常識 /  化学構造 /  優先権 /  参酌 /  技術的意義 /  置き換え /  置換 /  容易に想到(容易想到性) /  実施 /  共同発明者 /  拒絶査定 /  拒絶理由通知 /  請求の範囲 / 
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事件 平成 11年 (行ケ) 118号 審決取消請求事件
原告 バイオケムファーマ インコーポレイテッド 代表者 【A】
訴訟代理人弁理士 【B】
同 【C】
被告 特許庁長官【D】
指定代理人 【E】
同 【F】
同 【G】
同 【H】
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2000/11/27
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告 特許庁が平成9年審判第5592号事件について平成10年12月10日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告 主文1、2項と同旨
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は、平成元年1月26日(優先権主張、1988年1月27日、同年4月22日及び同年12月7日・米国)、名称を「HIV抗体を検出するための合成ペプチド及びその混合物」とする発明につき特許出願をした(特願平1ー15220号)が、平成8年12月10日に拒絶査定を受けたので、平成9年4月14日、
これに対する不服の審判の請求をした。
特許庁は、同請求を平成9年審判第5592号事件として審理した上、平成10年12月10日に「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は平成11年1月7日、原告に送達された。
2 特許請求の範囲の請求項1に記載された発明(以下「本願発明」という。)の要旨 下記の一般式で表される実質的に純粋な環状ペプチド: ここで式中、xはアミノ末端またはgp41-HIV-1の586から604まで延びる次の配列から選ばれた一つのアミノ酸もしくはアミノ酸配列を表す; G WG IWG GIWG LGIWG LLGIWG QLLGIWG QQLLGIWG DQQLLGIWG KDQQLLGIWG LKDQQLLGIWG YLKDQQLLGIWG RYLKDQQLLGIWG ERYLKDQQLLGIWG VERYLKDQQLLGIWG AVERYLKDQQLLGIWG LAVERYLKDQQLLGIWG ILAVERYLKDQQLLGIWG RILAVERYLKDQQLLGIWG そして y はカルボキシル末端またはgp41-HIVの612から629まで延びる次の配列から選ばれた一つのアミノ酸もしくはアミノ酸配列を表す; T TT TTA TTAV TTAVP TTAVPW TTAVPWN TTAVPWNA TTAVPWNAS TTAVPWNASW TTAVPWNASWS TTAVPWNASWSN TTAVPWNASWSNK TTAVPWNASWSNKS TTAVPWNASWSNKSL TTAVPWNASWSNKSLE TTAVPWNASWSNKSLEQ TTAVPWNASWSNKSLEQG TTAVPWNASWSNKSLEQGC TTAVPWNASWSNKSLEQI 但し、以下のxおよびyの組合わせを除く: xがGIGWであり、yがTTAVPWNASである; xがAVERYLKDQQLLGIWGであり、そして yがカルボキシル末端である;および x がアミノ末端であり、そして y がTTAである。
3 審決の理由 審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願発明が、本願の優先権主張の日前に頒布された刊行物である1987年8月発行の「Journal of Virology,Vol.61,No.8」2639〜2641頁(甲第5号証、以下「引用例」という。)に記載された発明に基づき、当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとした。
原告主張の審決取消事由
審決の理由中、本願発明の要旨の認定、引用例記載事項A(審決書6頁2行目〜15行目)及び同E(同10頁1行目〜15行目)の各認定、引用例が「ヒト免疫不全ウイルス(HIV)に含まれる糖タンパクに対する抗体を用い、この抗体に対する免疫優勢な抗原決定基の詳細を明らかにしようとする論文であって、・・・実験に用いたペプチドとして、アミノ酸配列がWGCSGKLIC,GCSGKLIC,CSGKLICからなるペプチドが記載されている」こと(同10頁末行〜11頁6行目)、本願発明と引用例記載のペプチドとの一致点の認定(同11頁8行目〜16行目)及び相違点の認定(同11頁17行目〜12頁1行目)は認める。
審決は、相違点についての判断を誤った(取消事由1)結果、本願発明が引用例記載の発明に基づき当業者が容易に発明をすることができたものとの誤った結論に至ったものであり、また、審判手続において、特許法159条2項において準用する同法50条に従った適法な拒絶理由の通知がなかった(取消事由2)ものであるから、違法として取り消されるべきである。
1 取消事由1(相違点についての判断の誤り) (1) 審決は、本願発明と引用例記載のペプチドとの相違点である「本願発明のペプチドは、CSGKLIC配列中の両システイン(略号『C』で表記)が分子内結合した『実質的に純粋な環状ペプチド』であるとしているのに対して、引用例記載のものではそのことを明示していない点」(審決書11頁17行目〜12頁1行目)につき、「引用例においては、CSGKLIC配列を含むペプチドについて、2つのシステイン残基の存在がジスルフィド結合を形成している可能性と、そのジスルフィド結合の形成に技術的意義があることを、明確に指摘している・・・。そして、この指摘は実験により裏付けられた・・・ものであり、単に憶測に基き可能性を述べたにすぎないものということはできない。すなわち、引用例の前記C(注、引用例記載事項Cの認定(同8頁2行目〜9頁3行目)を意味する。)は、CSGKLICからなるアミノ酸配列を含むペプチドについて、2つのシステイン残基がジスルフィド結合を生成し環状構造を形成することが、同ペプチドの抗原性の発現に重要であることを、合理的な実験結果に基き示すものであると認められる。そうであれば、CSGKLIC配列を含むペプチドであって、分子内ジスルフィド結合により環状構造を形成した純粋なペプチドの発明を構成することは、当業者であれば容易に想到できることといわざるを得ない。」(同12頁3行目〜20行目)と判断したが、この判断は次のとおり誤りである。
(2) 引用例(甲第5号証)は、数種の新規化合物である合成ペプチドのHIV抗体に対する抗原性について記載するものであるが、当該合成ペプチドの由来に関しては、「ペプチドは、自動ペプチド合成装置を用いる固相法(12)によって合成し、純度を高速液体クロマトグラフィーによって分析した。(文献12:Merrifield, R.B. 1969. Solid phase peptide synthesis. Adv. Enzymol. 32:221-296.)」(同号証原告提出訳文B)と記載されているだけである。そして、この記載にある固相法(Merrifield法)は、ペプチドの一般的合成法であって、特定のペプチドの合成を目的として特定の条件下に実施される特定の合成法ではないから、引用例は、新規化合物である合成ペプチドにつき、その製造法が記載されているものではない。
したがって、引用例は、当業者において、その記載内容を再現できないものであるが、再現性の保証は科学技術文献の最重要要件であるから、これを満たさない限り適切な技術文献とはみなされないものであり、そのような文献は、特許法29条1項3号所定の刊行物(以下「公知文献」という。)としての適格を欠くものである。このことは、特許庁の「特許・実用新案審査基準」(甲第10号証)の「刊行物に記載された発明」の項に、「刊行物に化学物質名又は化学構造式により化学物質が記載されている場合において、当該刊行物の頒布時における技術常識参酌しても、当該化学物質を製造することが当業者にとって可能であるとはいえないときは、当該化学物質は『刊行物に記載された発明』とはならない。」(3頁20行目〜22行目)、「技術常識とは、当業者に一般に知られている技術(周知技術慣用技術を含む)又は経験則から明らかな事項をいう。」(同頁23行目〜24行目)と規定されていることからも明らかである。
この点につき、被告は、昭和60年1月20日発行の【I】外3名著「ペプチド合成の基礎と実験」(乙第11号証、以下「【I】文献」という。)を引用して、Merrifield法が確立しており、目的とするアミノ酸配列のペプチドを合成することができることは技術常識であると主張するが、【I】文献はペプチド合成に関する教科書であって、一般論としてペプチド合成を解説するものにすぎず、アミノ酸配列さえ決まれば、当業者はあらゆるペプチドを容易に製造できるということを証明するものではない。現に、特許庁においても、ペプチドの配列さえ示せば、
その製造の具体的実施態様を明細書に記載する必要はないという審査実務は採られていない。
のみならず、本願発明の共同発明者の1人であり、当該技術分野における専門家である【J】の供述書(甲第6号証、以下「【J】供述書」という。)には、Merrifieldによって記載された固相法によって、引用例に記載されているペプチドである12-アミノ酸ペプチドの環状ジスルフィドを合成し、得られたペプチド(313G)を98%の純度までに精製したところ、生成物はジスルフィド結合を形成していないジチオール型ペプチドであったこと、ジチオール型ペプチドであることは、それが陽性のエルマン・テストを与えることにより確認されたことが記載されている(同号証訳文3頁24行目〜29行目)。すなわち、当該技術分野の専門家による実験に基づいても、引用例に記載された特定のペプチドは合成できなかったものである。
(3) ペプチドが、環状ジスルフィド結合を持つ場合とこれを持たない場合とがあるときに、環状ジスルフィド結合を持つことが抗原性の発現に重要であることを証明しようとするのであれば、環状ジスルフィド結合を持つペプチド(以下「ペプチドT」という。)とこれを持たないペプチド(アミノ酸配列はペプチドTと同じだが、2個のシステイン残基(C)が有するSHが環状ジスルフィド結合を形成していないペプチド、以下「ペプチドU」という。)とを比較し、ペプチドTだけが抗原性を発現することを確かめればよいことは明白である。
ところが、審決の引用例記載事項Cの認定のとおり、引用例に記載された実験においては、ペプチドTと比較するのにペプチドUを使用せず、これと異なるペプチド、すなわち、環状ジスルフィド結合を持たないだけでなく、末端のシステイン(C)に代えてセリン(S)を有しているためアミノ酸配列が異なり、末端のアミノ酸(セリン)が有する置換基がSHではなくOHであるペプチド(以下「ペプチドV」という。)と比較している(審決書8頁2行目〜9頁1行目)。そして、ペプチドTとペプチドVとを比較して、ジスルフィド結合の存在と抗原性の発現との間に因果関係があることを証明するためには、ペプチドUとペプチドVとが少なくとも抗原性の発現試験に関して同等であることが前提となるにもかかわらず、引用例ではそのことが保証されていない。
この点につき、引用例は、ペプチドVがペプチドUの「同類置換物」であるとしているから、ペプチドUとペプチドVとが同等であるとの仮定に基づいてこの実験を設計したと考えられるが、それは誤りである。
すなわち、「同類置換」は、タンパク質における1個のアミノ酸残基を類似のアミノ酸残基で置換した場合をいうものであり、タンパク質のような巨大な分子(100以上のアミノ酸残基を含み、分子量が10,000以上に及ぶ。)においては、その物性(抗原性を含む。以下同じ。)に対する1個のアミノ酸残基の寄与が小さいため、これを類似のアミノ酸残基で置換しても当該タンパク質全体の物性に実質的な変化を生じ得ないとの経験則に基くものであるから、ペプチドUのような小さい分子(アミノ酸残基12、分子量約1,400)にこれを適用することはできない。また、そもそもシステイン(C)とセリン(S)とは互いに類似のアミノ酸とはいい難く、仮に、タンパク質の場合であっても、システイン(C)をセリン(S)に置換することは同類置換に当たらない。
したがって、ペプチドUの末端のシステイン(C)をセリン(S)で置換してペプチドVに変換することが「同類置換」であって、ペプチドUとペプチドVとは同等であるとする誤った仮定に基づく実験には、実験設計上の誤りがある。
(4) 国際特許出願公開WO87/06005号(公開日1987年10月8日、甲第7号証、以下「対比例」という。)には、@式(U)のペプチドとして、引用例に記載されたものと類似の15-アミノ酸ペプチドIWGCSGKLICTTAVP(2個のシステインがチオール型のもの)を合成し、これを塩基性の緩衝液に溶解して酸化(ポリマー化)したところ、生成物は、少量の線状モノマー、それより多量の環状モノマー(分子内環状ジスルフィド)及びさらに多量の種々の大きさのポリマー(環状構造を有しない分子間ジスルフィド)からなる混合物であったこと、A酵素免疫アッセイ法(ELISA法)への適用上、環状構造を有しないポリマー型ペプチドが重要であり、
環状モノマーはELISA法における使用には適さない旨が記載されている(同号証原告提出訳文1頁5行目〜20行目)。
そして、上記@の記載は、線状ジチオール体(線状モノマー)を酸化しても、簡単に環状ジスルフィドを与えるのではなく、当該ペプチドの2個以上が分子間ジスルフィド結合で連結した種々の大きさのジスルフィドポリマーが環状ジスルフィドと共に得られたことを、上記Aの記載は、ペプチドを診断薬として使用するには非環状ジスルフィドポリマーの方が環状ジスルフィドより優れていることを、
それぞれ意味するものであり、したがって、いずれも本願発明の思想に相反するものであるから、対比例の記載は、本願発明に対し強い負の動機を与えるものであり、これについての検討を経ないで、相違点についての判断をすることはできない。
(5) 以上のとおり、審決の相違点についての判断は誤りである。
2 取消事由2(適法な拒絶理由通知の欠缺) (1) 本件の審査の過程において、審査官は原告に対し、平成8年3月18日付け拒絶理由通知(甲第3号証の2、以下「本件通知」という。)をしたところ、本件通知の「理由2」は、特許請求の範囲の請求項1記載の発明を含む各発明につき、拒絶理由を「その出願前日本国内又は外国において頒布された下記の刊行物に記載された発明に基いて、その出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない」とし、当該理由中の「下記の刊行物」(引用文献)として、引用例を含む9点の刊行物を挙げ、備考として「引用文献1、2には環状構造を持ったHIV検出用ペプチドが記載されており、また、引用文献3(注、引用例)には上記構造のジスルフィド結合による環状構造がペプチドの抗原性に必要である旨記載されているから、引用文献4-9に記載されている鎖状のペプチドを環状にすることは当業者が容易になし得ることと認められる。」と記載するものである。
そうすると、上記備考欄の記載に照らし、本件通知の理由2(進歩性の欠缺)が、引用文献1、2と引用文献4〜9の組合せ又は引用文献3(引用例)と引用文献4〜9の組合せによって、出願に係る発明に進歩性がないとするものであって、引用例のみに基づいて当該発明の進歩性を否定したものでないことは明らかである。
また、拒絶査定(甲第3号証の3)の理由は、「この出願については、平成8年3月18日付け拒絶理由通知書に記載した理由1、2、4によって、拒絶査定する。」というものであるが、備考欄には「理由・・・2について・・・引用文献1の第1347頁表2、第1348頁表3は該環状ペプチドがHIV検出に有用であることが具体的に記載され、同引用文献2の第22頁第27〜31行には、該環状ペプチドがポリマー形態の抗原性を保持していることが記載されているので、
両文献に具体的に記載された環状ペプチドをエピトープとして有するペプチドは当業者が容易に想到することができたものと認められ、よって、本願の請求項1・・・に係る発明はこれらの文献に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められる。」との記載があるものの、引用例(引用文献3)には言及されていない。
そうすると、備考欄の記載に照らして、拒絶査定が、本件通知の理由2(進歩性の欠缺)に関しては、引用文献1、2の組合せによって本願発明に進歩性がないとするものであること、引用例については、それ単独ではもとより、他の文献との組合せによっても、拒絶の理由とされていないことが明らかである。
(2) これに対し、審決が、引用例のみに基づいて本願発明が当業者が容易に発明をすることができたものであるとしたことは上記のとおりであるところ、このような新たな拒絶理由によって本願発明に進歩性がないとするためには、審判手続において、特許法159条2項において準用する同法50条により、特許出願人に対し、その旨の拒絶理由通知を要するものである。ところが、引用例を単独の引用文献として本願発明の進歩性がないとする拒絶理由は、原告に対し一度も通知されていない。
したがって、審決は、審判手続において、特許法159条2項において準用する同法50条に従った適法な拒絶理由を通知しなかった違法がある。
被告の反論
審決の認定、判断は正当であり、原告主張の取消事由は理由がない。
1 取消事由1(相違点についての判断の誤り)について (1) 原告は、Merrifield法が、ペプチドの一般的合成法であって、特定のペプチドの合成を目的として特定の条件下に実施される特定の合成法ではないから、引用例には、合成ペプチドの製造法が記載されていないとした上、引用例が、その記載内容を再現できないものであって、適切な技術文献とはみなされず、公知文献としての適格を欠くものであると主張する。
しかしながら、【I】文献(乙第11号証)に記載されているとおり、ペプチドを合成するMerrifield法は確立しており、目的とするアミノ酸配列のペプチドを合成することができることは技術常識である。そして、引用例(甲第5号証)には、ペプチド(具体的には表2記載の各ペプチド)を固相法(Merrifield法)により合成し、高圧液相クロマトグラフィーにより分析したことが明記されている(同号証原告提出訳文B)のであるから、それを疑う理由はない。
また、科学文献である引用例に、特許明細書としての記載が求められるものでないことはもとより、引用例は、ペプチドの構造と抗原性の関係を究明する点を研究の主題とするものであって、ペプチドの合成法を主題とするものではないから、既に周知であるペプチドの合成法について、反応条件の詳細が記載されていないからといって、適切な技術文献とみなされないものではなく、公知文献としての適格を欠くものでもない。
さらに、ペプチド中のジスルフィド結合の存在の有無及びその存在割合は、合成時の反応条件あるいは合成後の取扱い状態によって変化するところ、
【J】供述書(甲第6号証)には、12-アミノ酸ペプチドを固相法により合成し、
得られたペプチド(313G)を逆相HPLCで精製したことが記載されているにとどまり、合成時の反応条件あるいは合成後の取扱い状態について、引用例記載のものと具体的に一致することは示されていない。のみならず、エルマン試験は、遊離のチオール基が存在していれば、遊離のチオール基とジスルフィド結合をしたチオール基の両者が混合状態で存在する場合であっても、陽性を呈するから、【J】供述書に記載されているように、ペプチド(313G)が「陽性のエルマン・テストを与えた」(同号証3頁29行目)からといって、ジスルフィド結合をしたチオール基が存在せず、環状構造物を含まないということはできない。したがって、【J】供述書を根拠として、当該実験により得られたペプチド(313G)がジスルフィド結合を形成していないジチオール型ペプチドであり、引用例に記載されたペプチドが合成できなかったとする原告の主張は失当である。
(2) 原告は、引用例記載の実験において、アミノ酸配列LGLWGCSGKLICで、環状ジスルフィド結合を持つペプチド(ペプチドT)と対比して、環状ジスルフィド結合を形成しない場合の抗原性を試験するために、システイン(C)をセリン(S)で置換したアミノ酸配列LGLWGCSGKLISのペプチド(ペプチドV)を用いたことが、実験設計上の誤りであると主張する。
しかしながら、上記実験で置換に用いられたセリンは、システインの硫黄原子を酸素原子で置き換えたものに相当する同類置換物であり、システインとは異なってジスルフィド結合形成能はないが、化学構造は類似するから、アミノ酸配列LGLWGCSGKLICのペプチドがジスルフィド結合による環状構造を形成しない場合の抗原性を試験する一つの方法として、同類置換物を用いることは、不合理ではない。
当該実験は、環状構造の存在とその抗原性に対する寄与に関して、これを決定的に証明するとはいえないまでも、これを支持する内容を有する合理性のある実験といえるものである。
(3) 原告は、対比例の記載が、本願発明に対し強い負の動機を与えるものであると主張するが、その主張は対比例に記載された1例のみに基づくものであり、対比例には、むしろ引用例の示唆が正しいことを裏付ける結果を示すとも理解できる記載もある。
すなわち、対比例(甲第7号証)は、引用例に記載されたものと同じアミノ酸配列CSGKLICの7-アミノ酸ペプチドを含むHIVウイルス抗体に反応する15種の合成ペプチドについての発明(同号証被告提出訳文(1))に係る国際特許出願の明細書が登載されたものである。
そして、対比例中には、アミノ酸配列IWGCSGKLICTTAVPWNASのペプチド(式(V))は大部分が環状モノマーで存在すること(同(6))、アミノ酸配列CSGKLICのペプチド(式(T))はELISA法を行ったとき式(V)のペプチドと競合することから、
式(V)のペプチドに存在するエピトープは式(T)のペプチドにも存在すると考えられることが記載されている(同(7)、(8))ところ、式(V)のペプチドにおいて環状構造を形成し得るのは、そのアミノ酸配列IWGCSGKLICTTAVPWNAS中のCSGKLIC部分のシステインによるから、結局、対比例は、式(T)のペプチドに分子内ジスルフィド結合が存在すること、すなわち、引用例記載の7-アミノ酸ペプチドが環状ペプチドであることについて、引用例の著者らと一致した見解を表明するものと理解することができる。
したがって、対比例は、引用例の実験結果からの推論が正しいことを別の実験によって裏付けているといえるものである。
2 取消事由2(適法な拒絶理由通知の欠缺)について 本件の審査の過程で、審査官から原告に対し、特許請求の範囲の請求項1記載の発明を含む各発明につき、拒絶理由(理由2)を「その出願前日本国内又は外国において頒布された下記の刊行物に記載された発明に基いて、その出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない」とし、当該理由中の「下記の刊行物」として、引用例を含む9点の刊行物を挙げた本件通知がされていることは、原告主張のとおりである。そして審決は、
本件通知において引用文献3として示された引用例の記載に基づいて、本願発明が特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとしたものであるから、審決の理由と同旨の拒絶理由が、すでに審査の過程において本件通知により原告に示されていたことは明らかである。
本件通知は、備考として、引用例(引用文献3)に関し、「ジスルフィド結合による環状構造がペプチドの抗原性に必要である旨記載されている」としているが、「特定アミノ酸配列」の記載があることについての明示的な言及はない。しかしながら、引用例に特定のアミノ酸配列を有するペプチドが記載され、その記載部分を含んで引用例の記載の大部分が本願発明と関係することは容易に理解されるところであるから、本件通知は、引用例に関し、「特定アミノ酸配列」の記載を特に指摘しなかったものであるが、その指摘がなくとも、本件通知に対応して、意見書の提出及び補正をすることは容易であった。
したがって、審決をするに当たり、審判手続において、特許法159条2項において準用する同法50条に従った拒絶理由を改めて通知する必要はなく、原告の主張は失当である。
当裁判所の判断
1 取消事由1(相違点についての判断の誤り)について (1) 引用例に「我々は、HIVの貫膜糖タンパク質であるgp41から誘導される、12個のアミノ酸からなるペプチド(Leu-Gly-Leu-Trp-Gly-Cys-Ser-Gly-Lys-Leu-Ile -Cys;アミノ酸 598-609)を同定し、これが、試験したHIV感染者の血清から100%識別され、一方、対照となる健康者の血清とはまったく反応しないことを示した。この報告では、ペプチドの長さを順次短くしていくことにより、エピトープのさらに詳細なマッピングを行い、免疫優勢な領域の特徴を明らかにする。また、エピトープの抗原立体配置に関して、ジスルフィド結合の形成が鍵となっていることを示す証拠を提供する。」(審決書6頁A)との記載があることは当事者間に争いがない。また、引用例(甲第5号証)には、そのほかに、「我々は、一連の合成ペプチドを用いて、gp41のアミノ酸位置598-609の免疫優勢な領域を同定した。最小限の必須エピトープは、2つのシステイン残基を含む7-アミノ酸配列(603-609のアミノ酸)である。両方のシステイン残基が、その配列の抗原性立体配置のために要求され、それはジスルフィド結合の形成により環状構造が創成されるためである可能性がある。」(同号証原告提出訳文@)、「これらのデータは、603位および609位のシステイン残基がこのペプチドの抗原性立体配置に重要な役割を果たしていることを示唆しており、
それは、恐らくジスルフィド結合を介して環状構造を形成することによるのであろう。」(同D)、「我々の実験は次のことを示している:(@)HIVの貫膜糖タンパク質のアミノ酸配列598-609が免疫優勢なエピトープを包含しており、(A)免疫認識に必須のエピトープは2個のシステイン残基を包含する7-アミノ酸配列(アミノ酸603-609;Cys-Ser-Gly-Lys-Leu-Ile-Cys)であり、そして(B)両方のシステイン残基の存在がエピトープの抗原性立体配置に必須であって、それはジスルフィド結合の形成によるものである可能性がある。」(同E)との各記載がある。さらに、
当事者間に争いのない引用例の表2(TABLE2、審決書10頁E)のA欄には、HIVの貫膜糖タンパク質であるgp41から誘導される9種のアミノ酸配列のペプチドについて、HIV陽性の血清に対する反応をテストした結果が記載されているところ、システイン残基(C)を2個含む7-アミノ酸ペプチドCSGKLICと、システイン残基の一方を欠く6-アミノ酸ペプチドSGKLICとでは、陽性率において前者が48%、後者が0%という差があることが示され、また、同表のB欄には、gp41領域に含まれる12-アミノ酸ペプチドLGLWGCSGKLICと、このペプチドに含まれる2個のシステイン残基(C)のうち、アミノ酸配列の右端のものをセリン残基(S)で置換した12-アミノ酸ペプチドLGLWGCSGKLISについて、同様のテストをした結果が示されているところ、
陽性率において前者が100%、後者が9%という差があることが示されている。
これらの記載によれば、引用例には、前示の表2に示された実験結果に基づいて、免疫認識に必須のエピトープが、2個のシステイン残基を包含する7-アミノ酸配列Cys-Ser-Gly-Lys-Leu-Ile-Cys(CSGKLIC)であること、両方のシステイン残基の存在がエピトープの抗原性立体配置に必須であることが記載されており、かつ、抗原性の発現は、2個のシステイン残基がジスルフィド結合を介して環状構造を形成することによるものである可能性があるとの指摘がされているものということができる。
そうすると、引用例のこれらの記載に基づいて、引用例記載のCSGKLIC配列を含むアミノ酸配列からなるペプチドにつき、CSGKLIC配列の部分の両方のシステイン残基をジスルフィド結合により環状化して、相違点に係る本願発明の「実質的に純粋な環状ペプチド」の構成とすることは、当業者において容易に想到し得るものであると認めることができる。
(2) 引用例(甲第5号証)にはペプチドの合成につき、「ペプチドは、自動ペプチド合成装置を用いる固相法(12)によって合成し、純度を高速液体クロマトグラフィーによって分析した。」(同号証原告提出訳文B)との記載があり、文献(12)には、「Merrifield, R.B. 1969. Solid phase peptide synthesis. Adv. Enzymol. 32:221-296.」(同号証2641頁左欄12行目〜13行目)と記載されているところ、原告は、固相法(Merrifield法)が、ペプチドの一般的合成法であって、特定のペプチドの合成を目的として特定の条件下に実施される特定の合成法ではないから、引用例には、合成ペプチドの製造法が記載されていないとした上、引用例が、
その記載内容を再現できないものであって、適切な技術文献とはみなされず、公知文献としての適格を欠くものであると主張する。
しかしながら、【I】文献(乙第11号証)には「1963年Merrifieldは,固相法と呼ばれる斬新なペプチド合成法を発表した.これは担体にアミノ酸を結合させ,順次アミノ酸を導入してペプチドを形成させる方法である.これまでにコプロトキシン(n=62)などのポリペプチド合成に利用されたが,現在でも各種のポリペプチドや各種のタンパク質の合成に盛んに使用されている.」(同号証5頁2行目〜5行目)との記載があり、この記載に照らせば、引用例の発行時(1987年8月)において、固相法(Merrifield法)は、アミノ酸数が62のものを含め、ペプチドやタンパクの合成に広く使用されている具体的な合成法であったことが認められる。そして、このことに、引用例(甲第5号証)に記載されたペプチドはアミノ酸数6〜12の短いものであることを併せ考えれば、そのようなペプチドの合成について、前示のとおり、引用例に、自動ペプチド合成装置を用いる固相法によって合成した旨の記載があれば、それ以上詳細な記載がないとしても、引用例につき、合成ペプチドの製造法が記載されていないとか、記載内容を再現できず、適切な技術文献ではないなどということはできない。
また、原告は、【J】供述書に、固相法(Merrifield法)によって、引用例記載の12-アミノ酸ペプチドの環状ジスルフィドを合成し、得られたペプチド(313G)を98%の純度までに精製したところ、生成物はジスルフィド結合を形成していないジチオール型ペプチドであったことが記載されており、引用例に記載された特定のペプチドが合成できなかったとも主張する。
しかしながら、【J】供述書(甲第6号証)には、当該ペプチドの合成及びジスルフィド結合の形成の有無に関して、「わたくしはMerrifieldによって記載された固層法を用いて『ナンU』に記載されているドデカペプチドを合成し、次いで、98%以上均質となるまで逆相HPLCで精製した。わたくしが313Gと呼ぶ『ナンU』のペプチドは以下の配列を有する:Leu-Gly-Leu-Trp -Gly-Cys-Ser-Gly-Lys-Leu-Ile-Cys。予期されたように、このペプチドは2個の遊離チオール基を有し、陽性のエルマン・テストを与えた。」(同号証訳文3頁25行目〜29行目、なお「固層法」とあるのは「固相法」の誤記と認める。)との記載があるのみであるところ、弁論の全趣旨によれば、エルマン試験は、遊離チオール基が存在していれば、遊離チオール基及びジスルフィド結合をしたチオール基の両者が混合状態で存在する場合であっても、陽性を呈することが認められるから、エルマン試験が陽性であったからといって、Merrifield法によって合成されたペプチドが、ジスルフィド結合を形成していないジチオール型ペプチドとしてのみ存在するということはできないし、【J】供述書の前示記載がそのような断定をしているものと認めることもできない。
なお、対比例(甲第7号証)には、「本発明は、HTLV-Vウイルスのgp-41エンベロープ(ENV)タンパク質中の残基配列に対応する、少なくとも7つのアミノ酸残基から成る配列を有する合成ペプチドを提供するものである。これらのペプチドは、ウイルス自体の免疫特性に似た特性を有することが見いだされたものであり、次の群から選ばれる。
CSGKLIC (T) IWGCSGKLICTTAVP (U) IWGCSGKLICTTAVPWNAS (V) ・・・ AVERYLKDQQLLGIWGCSGKLICTTAVPWNAS (X) ・・・ LLGIWGCSGKLIC (Z) QQLLGIWGCSGKLICTTAVPWNAS ([) IWGCSGKLICTTAVPWN (\) CSGKLICTTAVPWNAS (])」(同号証被告提出訳文(1))、「式(U)のペプチドの合成は典型的なメリフィールド法を用いて行なわれた。」(同号証原告提出訳文1頁2行目)、「式(U)のペプチドは2個のシステインを含むので、中性又は塩基性の水性緩衝液に溶解することによって、重合する。下記のELISAで使用されたペプチドは、非常に少量の線状モノマーおよびより多量の環状モノマー(分子内ジスルフィド結合によって生じる)ならびにさらに多量の種々の大きさのポリマー(分子間ジスルフィド結合によって生じる)の混合物であった。」(同1頁11行目〜16行目)、「Synthesis and characterization of peptides(V) through (XI): Synthesis of these peptides was accomplished using substantially the same classical Merrifield technique as described earlier for peptide(U).」(同号証23頁11行目〜16行目、邦訳は「ペプチド(V)からペプチド(XI)までの合成と特性: これらのペプチドの合成はペプチド(U)について前述したところと実質上同様の典型的なメリフィールド法を用いて行われた。」)、「ペプチド(T)〜(V)、(X)及び(Z)〜(])は2つのシステインを含む。したがって、これらのペプチドは酸化ジスルフィド結合により重合又は環状化することができる。・・・このように、HTLV-V抗体検査に対するELISAでこれまで使用された(U),(V)及び(X)のペプチドの形態は、典型的には線状モノマー、環状モノマー、二量体及びポリマーの混合物である。」(同号証被告提出訳文(4))との各記載があり、これらの記載によれば、対比例には、少なくとも、式(U)、(V)、(X)で表される各ペプチドが、CSGKLIC配列を含むアミノ酸配列から成り、Merrifield法によって合成され、
かつ、分子内ジスルフィド結合によって生じる環状モノマーを含んでいることが示されているものと認められる。そうすると、引用例記載の環状ジスルフィド結合を形成するペプチドを、Merrifield法によって合成し得ることは、対比例の上記記載によっても裏付けられるものというべきである。
したがって、原告の上記主張は採用することができない。
(3) 原告は、ペプチドが環状ジスルフィド結合を持つことが抗原性の発現に重要であることを証明しようとするのであれば、環状ジスルフィド結合を持つペプチドTとこれを持たないペプチドUとを比較し、ペプチドTだけが抗原性を発現することを確かめればよく、引用例記載の実験において、アミノ酸配列LGLWGCSGKLICであって、環状ジスルフィド結合を持つペプチド(ペプチドT)と対比して、環状ジスルフィド結合を形成しない場合の抗原性を試験するために、システイン(C)をセリン(S)で置換したアミノ酸配列LGLWGCSGKLISのペプチド(ペプチドV)を用いたことは、実験設計上の誤りであるとも主張する。
しかしながら、引用例(甲第5号証)には、アミノ酸配列LGLWGCSGKLISのペプチド(ペプチドV)の合成に関し、「我々はこのペプチド(注、12-アミノ酸ペプチドLGLWGCSGKLIC)をジチオスレイトールで還元し、そのスルフヒドリル基をα-ヨウ素アセトアミドでアルキル化しようと試みたが、・・・pH10未満ではこのペプチドが溶解性不良であったためこれらの実験は不成功であった。代わりに、我々は保存的アミノ酸置換(すなわち、アミノ酸609位のシステインをセリンに代える)を含む別の12-アミノ酸ペプチドを合成した。これによりペプチド内ジスルフィド結合の形成は妨げられるであろう。」(同号証原告提出訳文D)との記載があり、この記載に照らして、引用例記載の実験において恣意的にペプチドVを用いたものではなく、その使用はやむを得ない理由に基づくものであることが認められ、
かつ、システインに最も類似した構造を有するアミノ酸がセリンであることは周知事項と認められるから、システイン残基をセリンで置換したことには合理性があるものと認められる。
のみならず、引用例の前示「両方のシステイン残基が、その配列の抗原性立体配置のために要求され、それはジスルフィド結合の形成により環状構造が創成されるためである可能性がある。」、「これらのデータは、・・・システイン残基がこのペプチドの抗原性立体配置に重要な役割を果たしていることを示唆しており、それは、恐らくジスルフィド結合を介して環状構造を形成することによるのであろう。」、「我々の実験は次のことを示している・・・両方のシステイン残基の存在がエピトープの抗原性立体配置に必須であって、それはジスルフィド結合の形成によるものである可能性がある。」等の各記載にかんがみて、引用例は、前示のとおり、7-アミノ酸ペプチドCSGKLICと6-アミノ酸ペプチドSGKLICとでは、HIV陽性率において前者が48%、後者が0%という差があり、また、12-アミノ酸ペプチドLGLWGCSGKLICと12-アミノ酸ペプチドLGLWGCSGKLISとでは、HIV陽性率において前者が100%、後者が9%という差があるとの実験結果に基づいて、アミノ酸配列CSGKLICの2個のシステイン残基の存在が抗原性立体配置に必須であるとし、かつ、抗原性の発現は、2個のシステイン残基がジスルフィド結合を介して環状構造を形成することによるものである可能性を指摘しているものの、それにとどまるものであって、ペプチドが環状ジスルフィド結合を持つことと抗原性の発現との間の因果関係を証明しようとするものであるとは認められない(なお、そうだとしても、引用例記載のCSGKLIC配列を含むアミノ酸配列のペプチドにつき、本願発明の「実質的に純粋な環状ペプチド」の構成とすることが当業者において容易に想到し得るものであることを認めるには十分である。)。
そして、2個のシステイン残基(C)を有するペプチドがジスルフィド結合による環状構造を形成する可能性があるのに対し、2個のシステイン残基(C)のうち一方を欠くもの(6-アミノ酸ペプチドSGKLIC)及びその一方がセリンで置換されたもの(12-アミノ酸ペプチドLGLWGCSGKLIS)がそのような環状構造を形成し得ないことは自明であるから、引用例が上記のような可能性を指摘したことは、前示実験に基づく合理的な推論に基づくものというべきである。
したがって、原告の上記主張は採用することができない。
(4) 対比例(甲第7号証)には、@「式(U)のペプチド(注、15-アミノ酸ペプチドIWGCSGKLICTTAVP)は2個のシステインを含むので、中性又は塩基性の水性緩衝液に溶解することによって、重合する。下記のELISAで使用されたペプチドは、非常に少量の線状モノマーおよびより多量の環状モノマー(分子内ジスルフィド結合によって生じる)ならびにさらに多量の種々の大きさのポリマー(分子間ジスルフィド結合によって生じる)の混合物であった。」(同号証原告提出訳文1頁11行目〜16行目)、A「出願人はポリマー型がここに記載している反応性のために重要であると信じている。環状モノマー型は、ポリマー型の抗原性の一部を保持しているが、マイクロタイター・ウェルへの結合性においてより非効率であると信じられ、ELISAの固相成分としての適切さで劣る。」(同頁16行目〜20行目)との各記載があるところ、原告は、上記@の記載が、線状ジチオール体(線状モノマー)を酸化しても、簡単に環状ジスルフィドを与えるのではなく、分子間ジスルフィド結合で連結した種々の大きさのジスルフィドポリマーが環状ジスルフィドと共に得られたことを意味し、また、Aの記載が、ペプチドを診断薬として使用するには非環状ジスルフィドポリマーの方が環状ジスルフィドより優れていることを意味し、
いずれも本願発明の思想に相反するもので、本願発明に対し強い負の動機を与えると主張する。
しかしながら、@の記載は、当該式(U)のペプチドの混合物中に、ごく少量の線状モノマー及びより多量の分子間ジスルフィド結合で連結した種々の大きさのジスルフィドポリマーとともに、分子内ジスルフィド結合によって生じる多量の環状モノマー(環状ジスルフィド結合を形成しているペプチド)が含まれていたということであるから、適宜の方法により、当該環状モノマーを分離、精製することにより、「実質的に純粋な環状ペプチド」を得ることができることは明らかであって、この記載が、本願発明の思想に反し、本願発明に対し強い負の動機を与えるということはできない。
また、Aの記載は、分子間ジスルフィド結合で連結したポリマーと比較した場合に、分子内ジスルフィド結合によって生じる環状モノマーが酵素免疫アッセイ法(ELISA法)への適用において劣るとの趣旨であるが、当該環状モノマーがELISA法に適用できないとするものではない。のみならず、対比例(甲第7号証)の「ペプチド(T)〜(V)、(X)及び(Z)〜(])は2つのシステインを含む。したがって、これらのペプチドは酸化ジスルフィド結合により重合又は環状化することができる。(V)のC末端に4つのアミノ酸を加えると、ペプチドの環状型が、ELISA分析におけるプラスチックに結合可能になる。この結果、(V)の環状型は固相ELISA法では(U)の環状型より効果的である。」(同号証被告提出訳文(4))との記載に照らして、対比例は、式(U)や式(V)に示される環状ジスルフィド結合を形成するペプチドをELISA法に適用できるとしているものと認められる。加えて、本願発明のペプチドをELISA法に適用してHIV診断薬として使用することは、そもそも本願発明の要旨の規定するところではない。そうすると、Aの記載も、本願発明の思想に反し、
本願発明に対し強い負の動機を与えるというものではない。
よって、原告の上記主張も失当である。
(5) したがって、審決の相違点についての判断に原告主張の誤りはない。
2 取消事由2(適法な拒絶理由通知の欠缺)について 本件の審査の過程で、特許請求の範囲の請求項1記載の発明を含む各発明につき、拒絶理由(理由2)を「その出願前日本国内又は外国において頒布された下記の刊行物に記載された発明に基いて、その出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易に発明をすることができたものであるから、
特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない」とし、当該理由中の「下記の刊行物」として、引用例を含む9点の刊行物を挙げた本件通知がされていることは当事者間に争いがない。
ところで、原告は、本件通知(甲第3号証の2)の備考欄に「引用文献1、
2には環状構造を持ったHIV検出用ペプチドが記載されており、また、引用文献3(注、引用例)には上記構造のジスルフィド結合による環状構造がペプチドの抗原性に必要である旨記載されているから、引用文献4-9に記載されている鎖状のペプチドを環状にすることは当業者が容易になし得ることと認められる。」との記載があることを根拠として、本件通知の理由2(進歩性の欠缺)は、引用例のみに基づいて本願発明の進歩性を否定したものでないから、審決が、引用例のみに基づいて本願発明が当業者が容易に発明をすることができたものであるとするためには、審判手続において、特許法159条2項において準用する同法50条により、
その旨の拒絶理由を改めて通知することを要する旨主張する。
しかしながら、特許法159条2項が、拒絶査定不服の審判において査定の理由と異なる拒絶の理由を発見した場合に、同法50条の規定を準用しているのは、審査手続において通知した拒絶理由によって出願を拒絶することは相当でないが、別個の理由によって拒絶するのが相当と認められる場合に、出願人に対し意見書の提出又は補正の機会を与えることにあるというべきである。したがって、特許庁は、拒絶査定と異なる理由によって拒絶査定不服の審判請求を不成立とする審決をする場合であっても、それが、審査手続において既に通知した拒絶理由の内容から容易に予想されるものであるなど、改めて拒絶理由を通知することにより出願人に対し意見書の提出又は補正の機会を与えることを要しない場合には、改めて拒絶理由を通知することなく、審判請求を不成立とすることができるものと解するのが相当である。
本件において、上記本件通知の備考欄の記載は、引用例(引用文献3)につき、形式的には引用文献4〜9との組合せによって特許請求の範囲記載の各発明に進歩性がないとするもののようではあるが、その内容は、ジスルフィド結合による環状構造とペプチドの抗原性に関する引用例の記載と、引用文献4〜9の鎖状のペプチドの記載とに基づいて、当該各発明に進歩性がないとするものであるから、当該各発明に含まれるペプチドのアミノ酸配列と、同一のアミノ酸配列を有するペプチドが引用例に記載されているとすれば、引用例の記載(ジスルフィド結合による環状構造とペプチドの抗原性に関する引用例の記載及び当該アミノ酸配列を有するペプチドの記載)のみによって、当該各発明の進歩性が否定されるに至ることは、
直ちに理解されるところであり、これに対応した意見書の提出又は補正をすることは、当業者であれば極めて容易であったというべきである。
そして、原告は、本件通知後に提出した平成9年5月14日付け手続補正書(甲第4号証の3)によって、特許請求の範囲を補正し、本願発明(特許請求の範囲の請求項1に記載された発明)の構成を前示本願発明の要旨のとおりとしたものであるところ、本願発明に含まれるペプチド中に、引用例記載のペプチドとアミノ酸配列において一致するものがある(審決書11頁8行目〜16行目、原告はこのこと自体を争わない。)ことから、審決は、引用例の記載のみに基づいて本願発明の進歩性を否定する判断をしたものと認められるが、前示のとおり、この判断は本件通知の内容から直ちに理解されるものであって、改めてその旨の拒絶理由を通知して意見書の提出又は補正の機会を与えることを要しないというべきである。
したがって、原告主張のように、引用例のみに基づいて本願発明の進歩性を否定する旨の拒絶理由が改めて通知されなかったからといって、審決に特許法159条2項において準用する同法50条に従った拒絶理由通知の欠缺の違法があるということはできない。
3 以上のとおりであるから、原告主張の審決取消事由は理由がなく、他に審決を取り消すべき瑕疵は見当たらない。
よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担並びに上告及び上告受理の申立てための付加期間の指定につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条96条2項を適用して、主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 篠原勝美
裁判官 石原直樹
裁判官 長沢幸男