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関連審決 審判1998-852
関連ワード 反復(反復可能性) /  頒布された刊行物 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  周知技術 /  公知技術 /  技術常識 /  発明の詳細な説明 /  容易に想到(容易想到性) /  交換 /  混同 /  拒絶査定 /  請求の範囲 / 
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事件 平成 11年 (行ケ) 84号 審決取消請求事件
原告 旭硝子株式会社代表者代表取締役 【A】
訴訟代理人弁護士 宇井正一
同 弁理士 永坂友康
被告 特許庁長官【B】
指定代理人 【C】
同 【D】
同 【E】
同 【F】
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2001/01/31
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告 特許庁が平成10年審判第852号事件について平成11年1月29日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告 主文と同旨
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は、昭和62年10月2日、名称を「作動媒体混合物」とする発明について特許出願(特願昭62-248084号)をしたが、平成9年10月14日、
拒絶査定を受けたので、平成10年1月16日、これに対する不服の審判を請求し、同年2月13日、本件特許出願の願書に添付された明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の補正(以下「本件補正」といい、補正後の上記明細書を「本件明細書」という。)をした。特許庁は、同請求を平成10年審判第852号事件として審理した上、平成11年1月29日、「本件審判の請求は、成り立たない。」とする審決をし、その謄本は、同年2月24日、原告に送達された。
2 本件明細書の特許請求の範囲の記載(以下、この発明を「本願発明」という。) トリフルオロエタンとペンタフルオロエタンを必須成分とし、トリフルオロエタンとペンタフルオロエタンの混合モル比が40:60〜60:40であることを特徴とする作動媒体混合物。
3 審決の理由 審決の理由は、別添審決書記載のとおり、本願発明は、本件出願前に頒布された刊行物である「RESEARCH DISCLOSURE February 1977 154 15402」(Industrial Opportunities社発行、審判甲第1号証、本訴甲第4号証、以下「引用例」という。)に記載された発明及び周知の技術事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないというものである。
原告主張の審決取消事由
審決は、トリフルオロエタン(R143a)とペンタフルオロエタン(R125)の混合比の決定の難易性の判断を誤り(取消事由1)、R143aとR125の混合比を規定することによる効果の予測性の判断を誤り(取消事由2)、追加充填性について本件発明の効果を看過し(取消事由3)、その結果、本件発明は当業者が容易に発明をすることができたとの誤った判断をしたものであって、違法として取り消されるべきである。
1 取消事由1(混合比の決定の難易性についての判断の誤り) (1) 審決は、「本願発明において、トリフルオロエタン(R143a)とペンタフルオロエタン(R125)の混合モル比を40:60〜60:40に決定することは、反復試験によって当業者が容易になしえたことであると認められる。」(審決書5頁13行目〜17行目)と認定したが、誤りである。
引用例には、「1,1,1-トリフルオロエタン(R143a)とペンタフルオロエタン(R125)の混合物」が記載されているが、この混合物が作動媒体として充足すべき特性に関し、冷却熱交換器における温度差の減少がみられることが記載されているにすぎず、しかも、R143aとR125の混合物は、可燃性であり、エラストマー及び電動機絶縁材に対する攻撃性があるとの欠点を有することが明記されている。引用例の上記記載に接した当業者は、冷媒として不利な性状を複数有する混合物を、本願発明のような作動媒体混合物として採用することを避けるのが常識である。本願発明は、上記のような不利な情報があるにもかかわらず、それを研究対象として特定の成分比を選定し、引用例に記載された性状と全く反対の「不燃性」という、作動媒体として望ましい性状を実現することができたものである。したがって、引用例の記載に基づいて、トリフルオロエタンとペンタフルオロエタンの混合物を実用性のある作動媒体として用い、それらの混合比を特定することで不燃性の作動媒体を得ることは、当業者が容易に想到し得たということはできない。
また、試験をする複数の特性において、それぞれの最適値が異なり、ある特性が最適値となる混合比は決められるとしても、すべての特性が最適値である混合比は通常は存在しないため、何度試験を繰り返しても、複数の特性における最適値が容易に得られるものではない。混合冷媒においては、その成分の組合せは多数あり、その目指す特性(発明の課題)も様々であって、それにふさわしい混合比も様々に変化する。単に成分比を様々変えてそれに応じた試験結果を得ることが通常行われることであるとしても、複数の技術課題の解決に適した特定の成分の組合せから成る作動媒体混合物を選定し、かつ、成分混合比を選定することは、当業者が容易に想到し得るものではない。本願発明の混合物においては、例えば、成績係数はトリフルオロエタンの割合が高いほど高く、逆に、可燃性はトリフルオロエタンの割合が高いほど高い傾向を示す。不燃性を前提として成績係数がある程度低くてもよいとするか、成績係数が高いことを前提にしてある程度の可燃性を認めるかは、当業者の高度な技術的判断に係るものであり、両特性とも満足する混合比は存在しない。このように、混合比の決定は、当業者個々の技術思想に左右されるのであり、単に特性試験を繰り返すのみで容易に混合比の最適範囲を決定することができるものではない。
(2) 審決は、「フロン系の作動媒体混合物を開発するにあたって、その構成成分の混合比を変えてみて、その成績係数、冷凍能力、燃焼性を試験すること、及び、その試験結果に基づいて混合比の最適範囲を決定することは当業者が通常行うことであると認められる(必要であれば、例えば、特開昭59-62687号公報、特開昭60-245686号公報、及び特開昭61-287979号公報参照。)。」(審決書5頁5行目〜12行目)と認定している。
しかしながら、引用例は、混合比について何も開示しておらず、混合比が、本願発明の課題とする不燃性の作動媒体を得る上で重要な構成であることはもちろん、成績係数、冷凍サイクル効率を低下させずに冷凍能力、加熱能力に優れ、
混合前の単独成分に比し大幅な改善を図る上で重要な構成であることを示唆する記載もない。また、作動媒体混合物の成績係数、冷凍能力、燃焼性を試験すること、
混合物の混合比を変えてその特性を試験し混合比の望ましい範囲を決定しようと試みることは当業者が通常行うことであっても、その試験結果に基づいて混合比の最適範囲を決定することは、当業者が通常行うことであるとはいえない。
また、作動媒体の構成成分の混合比を変えて試験を行う以前に、構成成分としていかなるものを使用すべきかを決定することが重要であるのに、審決は、この選択の困難性を看過している。引用例の記載に基づくならば、単独化合物の冷媒6種とそのうちの2種類の組合せの中から、当業者がまず3の組合せを選ぶ可能性があるとしても、次に選ぶべきものについては、何らの指針も示されていない。
さらに、3種類以上の化合物の組合せが冷媒として有用である可能性も否定できず、その場合、選択肢は更に広がることになる。引用例は、数ある選択肢の中からあえて本願発明の混合物に相当する4の組合せを採用するよりどころとなるものではない。引用例に、R143aとR125の混合冷媒が記載されているからといって、上記の数多くの組合せの中から容易にこれを選ぶことができるとはいえない。 (3) 被告は、本件出願当時、オゾン層の破壊という環境問題への対処の観点から、従来作動媒体として広く用いられてきたパークロロフルオロカーボン系物質の代替物質として、水素を含有するフルオロカーボン化合物から成る作動媒体の開発が求められていたと主張するが、本願発明は、オゾン層を破壊せず、しかも、冷媒としての各種特性を満足するフルオロカーボンを開発することを課題として、本願発明の塩素を含有しないフルオロカーボンの作動媒体混合物に想到したのである。
被告は、本願発明の出願前、水素を含有するフルオロカーボン系作動媒体の開発が重要な課題となっていたと主張するが、この課題は、塩素を含有せず水素を含有するフルオロカーボン作動媒体混合物という本願発明を示唆するものではない。
2 取消事由2(効果の予測性の判断の誤り) 審決は、「混合比を規定することによる効果も、当業者の予測を越えるものではない。」(審決書5頁18行目〜19行目)と認定するが、誤りである。
(1) 冷凍能力について 審決は、「混合モル比を40:60〜60:40に規定することによる冷凍能力の6%程度の向上は、上記周知技術として挙げた文献にも記載される程度のものであり、顕著なものであるとは認められない」(審決書5頁末行〜6頁4行目)と判断するが、上記文献は、作動媒体混合物の冷凍能力が混合物の構成成分単独の場合と比べて高くなることもあれば低くなることもあることを示しているのであって、冷凍能力の向上が容易に予測することのできるものでないことを示している。本願発明における混合物の冷凍能力がいずれの構成成分単独のものよりも向上するという効果は、当業者が容易に予測し得るものではない。本願発明の混合物の冷凍能力向上効果は、引用例にはもちろん、上記文献にも記載されておらず、示唆もされていない。
本願発明の混合物の示す冷凍能力は、R143aとの比較においてもR125との比較においても6%向上している。このため、機器内を循環させる冷媒量を少なくすることができることから、圧縮機や熱交換器を小型化することができ、配管も小さくすることができる。この意味で、本願発明の混合物が構成成分単独の冷凍能力よりも6%も向上した点は、決して小さな効果ではない。 (2) 不燃性について 審決は、「トリフルオロエタンが可燃性でペンタフルオロエタンが不燃性であることは当業者に周知であるから、トリフルオロエタンにペンタフルオロエタンを混合することで不燃性になるという効果も当業者が予測できることである」(審決書6頁5行目〜9行目)と判断する。
しかしながら、引用例には、上記混合物が可燃性であると明記されており、この記載に基づけば、これが不燃性であることは予想することができない。また、本願発明は、不燃性の混合作動媒体の提供のみをその目的としてされたものではなく、可燃性のR143aと不燃性のR125を混合することで、その混合物としては不燃性となる組成範囲において、単一物質と同様に取り扱うことができる共沸混合物となり、しかも、冷凍能力がどちらの構成成分のそれよりも高くなるという、優れた作動媒体混合物を得ることを目指すものであって、この点は当業者が容易に予測し得ないものである。
(3) 共沸混合物について 審決は、「熱交換器入口・出口の温度が等しいという効果も、引用例の『ある種の組み合わせは、・・・蒸気圧縮冷却系の蒸発器およびコンデンサー熱交換器における標準温度の差を減少させる』という記載から当業者が予測しうることである。」(審決書6頁10行目〜14行目)と判断するが、失当である。
本願発明の混合物は、熱交換器の入口温度と出口温度、すなわち蒸発又は凝縮の開始温度とその終了温度とが等しい共沸混合物である。しかし、引用例には、例示された混合物が共沸混合物を形成するとは記載されていない。非共沸性の通常の混合物は、蒸発又は凝縮の開始温度とその終了温度を異にし、その温度差は、混合物ごとにまちまちである。引用例の記載は、言及している混合物のこの温度差が小さいということであるが、この温度差が認められる以上は、その混合物は共沸混合物とはいえない。また、冷媒の非共沸性混合物が通常ラウールの法則からの正のずれを示すとの引用例の記載は、引用例に例示された負のずれを示す冷媒混合物が共沸混合物となる可能性を示唆するものでもない。
3 取消事由3(追加充填の効果の看過) (1) 審決は、「冷媒追加充填しても冷凍能力が低下しないという効果は、共沸混合物冷媒が単一冷媒と同様の挙動を示すことが当業者に周知の技術事項であることから、当業者に予測できることである。」(審決書6頁16行目〜末行)と判断するが、誤りである。
(2) このように判断することができるのは、対象となる混合物が共沸混合物であることが判明している場合に限られる。本願発明の作動媒体混合物が共沸混合物を形成することは、当業者が容易に予測し得ないことであるから、本願発明の混合物について冷媒追加充填をしても冷凍能力が低下しないという効果も、当業者が容易に予測することはできない。審決は、共沸混合物の一般的効果と、共沸混合物であることが明らかになって初めて予測し得る効果とを混同している。
被告の反論
1 取消事由1(混合比の決定の難易性についての判断の誤り)について (1) 原告が主張する冷媒として不利な性状とは、引用例記載の作動媒体が可燃性である旨並びにエラストマー及び絶縁体に対する攻撃性を有する旨の記載を指すものと解されるが、妥当でない。
作動媒体の燃焼性の評価は、一定の試験法に沿って燃焼のしやすさを測定し、これが一定の基準を超えるものを可燃性としている。そうすると、可燃性ガスと不燃性ガスを混合した場合には、その混合比によって燃焼のしやすさは変化し、
したがって、不燃性ガスの割合が多くなれば混合物が不燃性に至ることは、容易に推測できることである。R143aが可燃性でR125が不燃性であることは当業者に周知であるから、当業者であれば、混合比を変化させれば不燃性に至ることは容易に推察し得るものであり、引用例の混合物が可燃性であるという記載があっても、これを作動媒体混合物として用いることを当業者が思いとどまるというものではない。
引用例には、水素を含まないパークロロフルオロカーボン化合物との比較で、エラストマー及び電動機絶縁材に対する攻撃性が大きいことを指摘する記載がある。水素を含まないパークロロフルオロカーボン化合物は、作動媒体として適切な物理的性質を有するともに、熱的・化学的に安定であり、不燃性で毒性も低く、
電気絶縁物を劣化し難いなどの優れた安全性を有することから、作動媒体として従来広く用いられていたが、本件出願当時には、オゾン層破壊能による地球環境への影響が懸念され、これに替わるものとして、水素を含有するフルオロカーボン化合物から成る作動媒体の開発が求められたものである。環境問題を踏まえると、水素を含有するフルオロカーボンに共通してみられる、エラストマー及び電動機絶縁材に対する攻撃性から直ちに、当業者が引用例記載の作動媒体の使用を思いとどまるものではない。
(2) 原告は、混合比の決定が容易であるとした審決の判断は誤りであると主張するが、二成分から成る混合物において、両成分の混合比の変化に応じて混合物の特性に変化が生ずることは通常のことであり、引用例に記載された二成分系の作動媒体についても、その混合比を変化させることにより、作動媒体としての特性に変化が生ずることは、当然に予測されることである。作動媒体の特性として、冷凍能力や成績係数は、実用性を評価する上での基本的な特性である。
また、原告は、試験する複数の特性のすべてが最適値である混合比は通常は存在しないため、何度試験を繰り返しても複数の特性における最適値が容易に得られるものではないと主張する。確かに、二成分から成る組成物について複数の特性を評価する場合に、混合比に応じてそれらの特性が異なる混合比で最良値を示し、あるいは背反的に変化することは、しばしば生じ得ることである。しかしながら、そのような場合であっても、各特性について許容し得る程度を規定して各特性が並立し得る混合比範囲を設定し、さらに、その範囲内で総合的な特性を目的に応じて比較検討することなどにより、適切と考えられる範囲を選定することは、当業者としての通常の研究開発能力の発現であると考えられる。
さらに、原告は、本願発明の混合物において、成績係数はトリフルオロエタンの割合が高いほど高く、逆に、可燃性はトリフルオロエタンの割合が高いほど高い傾向を示すのであり、両特性とも満足する混合比は存在しないと主張するが、本件明細書に記載された成績係数の実験データ及び原告が審査の過程で提出した実験成績証明書(乙第2号証)記載の燃焼性に関する実験データを正しく反映したものではない。
2 取消事由2(効果の予測性の判断の誤り)について (1) 冷凍能力について 冷凍能力は、作動媒体の実用性を評価する上での基本的特性の一つである。二成分系混合物から成る作動媒体が示す冷凍能力は、必ずしも各成分物質が示す冷凍能力の単純な中間値を示すわけではなく、各単独成分との比較で冷凍能力が上がる場合もあれば下がる場合もある。トリフルオロエタンとペンタフルオロエタンの混合物が作動媒体として有用であることは引用例により公知であるから、その実用性を評価するために冷凍能力を試験し、その結果、混合物の冷凍能力が向上したとしても、冷媒の組合せによって通常予測される程度のものであれば、特段顕著な効果ということはできない。混合比に応じて冷凍能力がある範囲で変化することは従来技術であって、混合冷媒が単独成分のものより6%冷凍能力が向上するからといって、顕著な効果ということはできない。
(2) 不燃性について 安全性の観点から、作動媒体が不燃性であることの重要性は、従来から認識されている。水素を含まないフルオロカーボン系の作動媒体が安全な作動媒体として広く用いられたのも、可燃性や毒性のないことによる。したがって、新たなフルオロカーボン系の作動媒体を開発するに当たり、燃焼性を評価することは、当然のことといえる。そして、トリフルオロエタンとペンタフルオロエタンの混合物について、両成分の混合比によって不燃性に至ることは、当業者が容易に予想し得ることである。
(3) 共沸混合物について フルオロカーボン系混合物は、しばしば共沸混合物となることが本件出願前に普通に知られており、混合冷媒として使用されていたものである。そして、引用例においては、作動媒体として非共沸性の混合物を使用した場合にみられる、蒸発又は凝結の開始温度とその終了温度との差が引用例記載の混合物を使用した場合は小さいということを教示する記載がある。また、フルオロカーボン系の冷媒では、共沸の現象はしばしばみられることであるから、引用例にトリフルオロエタンとペンタフルオロエタンの混合物から成る冷媒が共沸性である旨明記されていないとしても、上記冷媒が共沸性のものであることは十分期待することができる。そうすると、熱交換器入口・出口の温度が等しいなど冷媒が共沸性であることに付随して生じる作用効果についても、上記冷媒を使用したときに得られる効果として予測することができる。
原告は、本願発明がトリフルオロエタンとペンタフルオロエタンの混合物を用いた場合に奏される複数の作用効果を主張するが、いずれも、上記の予測を超えるものではない。
3 取消事由3(追加充填の効果の看過)について 原告は、トリフルオロエタンとペンタフルオロエタンの混合物が共沸混合物を形成することが容易に予測し得ない以上、追加充填に関する効果も容易に予測し得ない旨主張する。しかしながら、上記のとおり、冷媒の混合物が共沸性であることにより生じる、熱交換器入口・出口の温度が等しいという効果が予測し得るのであるから、冷媒が共沸性であることに付随して生じる追加充填に関する効果も、当業者が予測し得ることである。
当裁判所の判断
1 取消事由1(混合比の決定の難易性についての判断の誤り)について (1) 引用例(甲第4号証)には、トリフルオロエタンとペンタフルオロエタンの混合物が可燃性であり、エラストマー及び電動機絶縁材に対する強い攻撃性を有している旨の、作動媒体として不適切な性質を有することが記載されているので、
まず、この点について検討する。
社団法人日本冷凍協会編「冷凍空調便覧・新版第4版基礎編」(1981年社団法人日本冷凍協会発行、乙第5号証)の表4.2(184頁)及び表4.3(185頁)には、主要冷媒21種の特性が掲載されているところ、これら掲載冷媒のうち、R40(クロロメタン)、R142b(1-クロロ-1,1-ジフルオロエタン)及びR152a(1,1-ジフルオロエタン)の3種は、可燃性であることが明示されている。これによれば、可燃性のフロン類も、従来より冷媒として使用されていることが明らかである。また、環境庁「オゾン層保護検討会」編「オゾン層を守る」(平成2年日本放送出版協会発行、乙第9号証)には、米カリフォルニア大学【G】教授らによりフロン類によるオゾン層の減少の可能性が1974年に指摘されたこと、1977年ないし1981年には、完全にハロゲン化されたフロン類のエアゾール等の特定用途への使用禁止、削減等の措置が、米国、日本、スウエーデン、カナダ等において相次いで導入されたこと、1985年には「オゾン層保護条約(ウイーン条約)」が採択されたこと(20頁〜21頁、表T-3-1)が記載されている。これらによれば、本件特許出願(1987年)に先立って、完全にハロゲン化されたフロン類によるオゾン層破壊の危険性が国際的に広く知られるに至ったことが認められる。さらに、「ファインケミカル16巻15号」(昭和62年9月1日株式会社シーエムシー発行、乙第14号証)には、「無公害フロンへ向けて(2)」と題する論文が掲載され、「無公害フロンを分子設計するための一つの方策は、分子中に水素を含ませることである。・・・水素の含有量が大きくなると当然のことながら可燃性となってくる。これもフロンの一般的特長の一つである不燃性を損なうことになり、水素の含有量は必要最低限であることが望ましい。表3に水素を含むフロンと含まないフロンの代表的な化合物の物性を示す。」(8頁左欄5行目〜19行目)と記載され、この記載を受けて表3(第7頁)に、水素を含むフロンであるCHF2CF 3すなわちR125が不燃性であること、その用途は冷媒であり、オゾン破壊係数がゼロであること、同じく水素を含むフロンであるCH3CF 3すなわちR143aについても、可燃性であること、その用途が冷媒であること、オゾン破壊係数がゼロであることが記載されている。これらの記載によれば、不燃性であるR125のみならず、可燃性のR143aも、オゾン破壊係数がゼロの無公害の冷媒として有用であることについて、本件出願(1987年10月)前において当業者が認識していたと認められる。以上によれば、本件出願前において、可燃性のフロン類が冷媒として使用されていたこと、地球環境の保護の観点からオゾン層を破壊しない冷媒の開発が求められていたこと、R143a及びR125がオゾン破壊係数がゼロの代替フロン候補として認識されていたことが認められる。そうすると、このような状況下において、R143aとR125の混合物が可燃性である旨引用例に記載されているとしても、この記載に接した当業者が上記混合物を冷媒として不適切であると判断しその使用を避けるということはできない。
引用例(甲第4号証)には、「これらの組合せ(注、R143aとR125との組合せを含む5種の組合せ)は・・・他の水素含有フルオロカーボンと同様に・・・エラストマー及び電動機絶縁材に対する攻撃性を有している」(4頁右欄27行目〜29行目、訳文34行目〜37行目)との記載がある。しかしながら、引用例(甲第4号証)には、R143aとR125の混合物を含む5種の混合物がエラストマー及び電動機絶縁材に対する攻撃性を他の水素含有フルオロカーボンと同様に有する旨記載されているにすぎず、他の水素含有フルオロカーボンと比較して格別その程度が高いと記載されているものではない。そして、そのような攻撃性を水素含有フルオロカーボン類が一般的に有しているとしても、それらの使用が地球環境の保護に資することを当業者が認識していたことは上記のとおりであるから、引用例に、水素含有フロンであるR143aとR125の混合物の攻撃性について上記の記載があるとしても、これにより当業者がR143aとR125の混合物が冷媒として不適当であると判断するとはいえない。
(2) 原告は、成績係数、冷凍能力、燃焼性などの特性について、それぞれの課題解決のための最適値は異なるから、複数の技術課題の解決に適した特定の成分の組合せから成る作動媒体混合物を選定し、かつ、最適の成分混合比を選定することは、当業者が容易に想到し得るものではないと主張するので、進んで、これについて検討する。
本件明細書(甲第2号証)には、「本発明の作動媒体混合物を用いた・・・冷凍サイクルシステムの運転条件として蒸発器における作動媒体の蒸発終り温度・・・と凝縮器における作動媒体の凝縮始めの温度・・・を設定した。第1表に本発明の作動媒体を用いた上記の冷凍サイクルシステムにおける成績係数、圧縮機単位容積当りの冷凍能力、蒸発器入口・出口温度及び凝縮器入口・出口温度を記す。」(3欄33行目〜4欄7行目)との記載があり、第1表(2頁)には、R143aとR125とのモル比0/100、20/80、40/60、60/40、80/20及び100/0の各混合物及びR12(ジクロロジフルオロメタン)について、成績係数、冷凍能力、蒸発器入口温度、蒸発器出口温度、凝縮器入口温度及び凝縮器出口温度の測定値が示されている。また、本件明細書(甲第2号証)には、「表から理解されるようにR143aとR125との混合モル比が約20:80〜80:20の範囲となる本発明の冷媒を用いた冷凍サイクルでは、成績係数をR143aおよびR125それぞれ単独で用いた場合よりあまり低下させずに、冷凍能力を大きく改善されており、現在、一般に用いられているジクロロジフルオロメタン(R12)と比べても大きく改善されていることがわかる。さらに、R143aとR125のモル比が約40:60〜60:40の範囲において熱交換器(蒸発器又は凝縮器)入口・出口の温度が等しく共沸混合物を形成し、その際の冷凍能力はR143aおよびR125を単独に用いた場合に比べ約6〜8%の改善が認められる。」(4欄8行目〜18行目)、「本発明の作動媒体混合物は単独で用いた場合可燃であるR143aに、不燃であるR125を混合しているため、不燃化することが可能である。」(4欄32行目〜35行目)との記載がある。
上記の記載によれば、本件明細書(甲第2号証)には、本件発明におけるR143aとR125の混合モル比「40:60〜60:40」の範囲は、成績係数、冷凍能力、蒸発器入口温度、蒸発器出口温度、凝縮器入口温度及び凝縮器出口温度をR143aとR125の混合モル比を種々変化させて測定するとともに、当該混合物が不燃化可能であることを見いだし、これらの実験結果に基づいて選択されたものであると認められる。
そこで、まず、蒸発器入口温度、蒸発器出口温度、凝縮器入口温度及び凝縮器出口温度について検討する。本件明細書(甲第2号証)の第1表(2頁)には、蒸発器入口温度及び蒸発器出口温度の差並びに凝縮器入口温度及び凝縮器出口温度の差は、R143aとR125の混合比率が40/60及び60/40において、いずれもゼロであるとの記載がある。そして、冷媒の混合物が共沸混合物を形成する場合にこのような現象が見られること、冷媒の混合物が共沸混合物を形成すると単一冷媒と同様に取り扱うことが可能である点で有利であることは技術常識であるから、そのような有利な特性を示す「40/60〜60/40」の範囲を選択することは、当業者にとって格別の創意を要するものではない。
次に、成績係数及び冷凍能力について検討するに、本項目についての結果を記載した本件明細書(甲第2号証)の第1表(2頁)には、R125とR143aの混合比率が40/60及び60/40において、冷凍能力は、591及び593であり、他の混合比率範囲における値より高いとの記載がある。冷凍係数について見ると、混合比率が40/60及び60/40において、冷凍係数は4.4であるところ、この値は混合比率が0/100及び20/80における値と同一であり、80/20及び100/0における値である4.5と比較しても、わずかに0.1劣るにすぎないことが認められる。そうすると、R125とR143aの混合物からなら成る冷媒の混合比率を選択するに際し、成績係数及び冷凍能力を評価に加えても、「40/60〜60/40」の範囲を選択することに、当業者が格別の創意を要したということはできない。
さらに、可燃性について検討すると、実験成績証明書(乙第2号証)によれば、R143aとR125の混合物は、R143aとR125の混合モル比が少なくとも0/100〜80/20の範囲内において不燃性であることが認められる(表1)。そして、この不燃性の範囲は、他の特性が好適な範囲である「40/60〜60/40」を包含するから、不燃性と他の特性を勘案して、R143aとR125の混合モル比として40/60〜60/40を選択することに当業者が格別の創意を要したものということはできない。
原告は、成績係数、冷凍能力、燃焼性などの特性について、複数の技術課題の解決に適した特定の成分の組合せから成る作動媒体混合物を選定し、かつ、複数の技術課題の解決に適した最適の成分混合比を選定することは、当業者が容易に想到し得るものではない旨主張するが、R143aとR125の混合冷媒については、上記のとおり、当業者が容易に想到し得るものと認められる。
(3) 原告は、引用例(甲第4号証)には、単独で使用可能な6種のクロロフルオロカーボン化合物が記載されており、これら化合物の数多くの組合せの中からR143aとR125の混合物を選択することは当業者にとって容易ではないと主張する。
しかしながら、引用例(甲第4号証)には、「以下の水素含有化合物は蒸気圧縮系における冷媒として有用であることが見いだされた。」(4頁左欄63行目〜64行目、訳文3行目〜4行目)と記載された上で、1-ペンタフルオロエタン(R125)及び1,1,1-トリフルオロエタン(R143a)を含む6種の化合物が開示されていること(4頁左欄62行目〜右欄2行目、訳文3行目〜10行目)及び「上記物質の組合せは、公知技術から予測されるよりも更に有用な冷媒を提供する。例えば、下記するようなある種の組合せは、ラウールの法則からの負のずれを示し、結果として、蒸気圧縮冷却系の蒸発器及びコンデンサー熱交換器における標準温度の差を減少させる。」(4頁右欄3行目〜8行目、訳文11行目〜14行目)と記載された上で、具体的な組合せとして、1-ペンタフルオロエタン(R125)と1,1,1-トリフルオロエタン(R143a)の組合せを含む5組の組合せが開示されている(4頁右欄3行目〜26行目、訳文11行目〜31行目)ことが明らかである。
上記のとおり、「更に有用な冷媒を提供する」として引用例に具体的に示された冷媒の組合せは5組であり、本件発明のR143aとR125の組合せはこれら5組の中に含まれるのであるから、このような限られた組合せの中から好適なものを見いだすことは、当業者にとって格別困難であるということはできない。もっとも、引用例(甲第4号証)には、R143aとR125の組合せについて、可燃性及び攻撃性の点で欠点があることが記載されているが、この欠点が格別の障害とならないことは、上記(1)に判示したとおりである。
2 取消事由2(効果の予測性の判断の誤り)について (1) 冷凍能力について 引用例(甲第4号証)に、「上記物質の組合せは、公知技術から予測されるよりも更に有用な冷媒を提供する。」と記載され、そのような組合せの例として、R143aとR125の組合せが開示されていることは、上記のとおりである。また、
【H】著「標準機械工学講座24・改訂冷凍工学15版」(昭和54年株式会社コロナ社発行、乙第4号証)の共沸混合物の項に、「フロン系冷媒は適当に混合すると共沸混合物(液体と蒸発してできたガスの組成が同じ混合物)となり一つの冷媒のように使用されている」(81頁14行目〜15行目)と記載され、R500の説明として、「現在最も一般に使用されている混合冷媒でR-12、74.2%、R-152、(C2H 4F 2)25.8%の混合物である。・・・この冷媒は、・・・冷凍能力がR-12に比較して約20%増加する」(81頁16行目〜87頁3行目)と記載されている。特公昭48-33877号公報(乙第3号証)には、実質上ジクロルジフルオルメタン(CCl2F 2)及びモノクロルモノフルオルメタン(CH 2ClF)から成る真の共沸混合物及び実質上共沸的な混合物の「冷凍能力は、CCl2F 2単独の能力よりも14.6%も高」い(5欄29行目〜30行目)ことが記載されている。特開昭61-287979号公報(甲第7号証)には、クロロジフルオロメタン(R22)及び1,2-ジクロロ-1,1,2-トリフルオロエタン(R123a)から成る非共沸性混合冷媒は、汎用の単一冷媒である「ジクロロジフルオロメタン(R12)と同様の冷凍能力(No.5)で比較した場合、冷凍効率を表す成績係数は20%以上高い」(4頁右下欄9行目〜12行目)との記載があり、同号証4頁左下欄の第2表には、クロロジフルオロメタン(R22)と1,2-ジクロロ-1,1,2-トリフルオロエタン(R123a)の混合物(No.3)は、前者が19.6%、後者が80.4%の場合に最大の成績係数(3.12)を与えるところ、この成績係数は、前者100%の冷媒の成績係数2.14(比較例)より46%高く、前者7.3%と後者92.7%の混合物の成績係数2.84(No.1)より9.9%高い旨記載がある。特開昭60-245686号公報(甲第6号証)には、「トリクロロモノフルオロメタン、ジクロロジフルオロメタン・・・から選ばれる少なくとも1種とn-パーフルオロオクタンとを必須成分とする・・・作動媒体混合物」は、ヒートポンプに用いると、成績係数が、単独で用いた場合と比べて33%ないし144%改善されること(2頁左上欄18行目〜3頁左上欄9行目)が記載されている。
これらの記載によれば、冷媒を組み合わせて使用した場合、その組合せが真の共沸混合物、共沸的混合物又は非共沸混合物のいずれの場合にも、単独で使用した場合と比較して冷凍能力又は成績係数の向上をもたらす可能性があることが周知であり、その向上率が本願発明の6%を上回るものも知られていたことが認められる。
そうすると、引用例の「上記物質の組み合わせは、公知技術から予測されるよりも更に有用な冷媒を提供する。」との記載に接した当業者は、引用例に記載されたR143aとR125の組合せが、上記のような冷凍能力又は成績係数の向上をもたらす可能性があると推認するのが自然である。そして、実験の結果、R143aとR125の混合物による冷凍効率の向上率が特定の混合比範囲において6%であることを確認したとしても、上記の他の例にかんがみるならば、この数値が当業者の予測し得ない格別の効果であるということはできない。
(2) 不燃性について CHF2CF 3(R125)が不燃性であり、CH 3CF 3(R143a)が可燃性であることは、本件特許出願前に周知であったから、本願発明のR125とR143aとの混合物が常に可燃性であり得ないことは自明である。
特開昭59-62687号公報(甲第5号証)には、不燃性のクロロジフルオロメタン(R22、化学式CHClF2)と可燃性の1,1-ジフルオロエタン(R152a、化学式CH3CHF 2)との混合物からなる冷媒について、「1,1-ジフルオロエタン自体は可燃性ガスであるに拘らず、本発明の冷媒に於て1,1-ジフルオロエタンを10〜30重量%含有するものは不燃性であるので、冷媒として安全に使用できるという利点をも有する」(2頁左上欄12行目〜16行目)と記載されている。また、「ファインケミカル16巻15号」(乙第14号証)には、「無公害フロンを分子設計するための一つの方策は、分子中に水素を含ませることである。・・・水素の含有量が大きくなると当然のことながら可燃性となってくる。」(8頁左欄5行目〜14行目)との記載がある。ここで、特開昭59-62687号公報(甲第5号証)記載の可燃性フロンのR152a(化学式CH3CHF 2)と本件発明の混合物に使用される可燃性フロンのR143a(化学式CH3CF 3)を比較すると、前者の水素含有量は4、後者の水素含有量は3であり、前者は後者より水素の含有量が大きくなっているから、水素の含有量がより少ない後者を含む混合物の可燃性は、前者を含むものよりも低くなると考えるのが自然である。
そうすると、本件発明は、上記のとおり、「本発明の作動媒体混合物は単独で用いた場合可燃であるR143aに、不燃であるR125を混合しているため、不燃化することが可能である」ことを見いだしたものであるが、このことは、当業者に自明なことを確認したものにすぎない。また、実験成績証明書(乙第2号証)によれば、本件発明のR125とR143aとの混合物は、可燃性のR143aの割合が90%では可燃性を示し、その割合が80%以下で不燃性を示すことが認められるが、このことは、当業者の予測に反するものということはできない。
(3) 共沸混合物の生成について 冷媒の共沸混合物は、ラウールの法則から負のずれを示すところ、引用例(甲第4号証)には、「冷媒の非共沸混合物は、通常、ラウールの法則からの正のズレを示す。ラウールの法則からの負のズレ及びその結果としての冷却熱交換器における温度差の減少が、今、次の組合せにおいて見いだされた。」(4頁右欄11行目〜16行目。訳文18行目〜21行目)との記載があり、具体的な組み合わせとしてR143aとR125の混合物を含む5組の組み合わせが開示されている。引用例(甲第4号証)のこの記載に接した当業者は、上記の技術常識に照らし、引用例に具体的に示された5組の組合せの中に共沸混合物が含まれていると考えるのが自然である。
そうすると、引用例(甲第4号証)は、R143aとR125の混合物を含む5組の組合せの中に共沸混合物が存在することを当業者に示唆するものということができるから、本件発明は、引用例に記載された5組の冷媒の組合せのうち、少なくともR143aとR125の混合物が共沸混合物を組成することを確認したにすぎない。
3 取消事由3(追加充填の効果の看過)について 本件発明に係るR143aとR125の混合物が共沸混合物を形成することが当業者にとって容易に予測することができることは上記のとおりであるから、この予測が困難であることを前提とする取消事由3に関する原告の主張は、理由がない。
4 以上のとおり、原告主張の審決取消事由は理由がなく、他に審決を取り消すべき瑕疵は見当たらない。よって、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民訴法61条を適用して、
主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 篠原勝美
裁判官 石原直樹
裁判官 長沢幸男