運営:アスタミューゼ株式会社
  • ポートフォリオ機能


追加

関連審決 審判1997-10489
関連ワード 外国の特許 /  新規性 /  29条1項3号 /  頒布された刊行物 /  複写物 /  公衆に利用可能 /  インターネット /  アクセス /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  周知技術 /  技術常識 /  実質的に同一 /  特許出願日 /  信義則 /  特許発明 /  設定登録 /  請求の範囲 /  変更 / 
元本PDF 裁判所収録の全文PDFを見る pdf
事件 平成 12年 (行ケ) 207号 審決取消請求事件
原告 松下電器産業株式会社
訴訟代理人弁理士 役昌明
被告 インターナショナル・レクティファイアー・コーポレイション
訴訟代理人弁理士 深見久郎
同 森田俊雄
同 竹内耕三
同 伊藤英彦
同 堀井豊
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2001/09/27
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告 特許庁が平成9年審判第10489号事件について平成12年4月25日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告 主文と同旨
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は、名称を「インバータ装置の駆動回路」とする特許第1996072号の発明(昭和58年9月27日に出願、平成7年12月8日に設定登録、以下「本件発明」という。)の特許権者である。本件特許について、平成9年6月20日に被告から原告に対して無効審判の請求がされ(平成9年審判第10489号)、平成10年7月31日に「本件審判の請求は成り立たない」旨の審決(一次審決)があったが、同審決に対する審決取消訴訟(平成10年(行ケ)第392号)において、平成11年12月22日に同審決を取り消す旨の判決(一次判決)があり、特許庁は同審判事件を再度審理した結果、平成12年4月25日に、「本件特許を無効とする」旨の審決をし、その謄本は、平成12年5月20日に原告に送達された。
2 本件発明の要旨(特許請求の範囲の記載) 「電力電源端子間に、第1スイッチング素子と第2スイッチング素子とを直列に接続し、前記第1スイッチング素子の駆動信号端子に第1ドライブ部の一端を接続し、前記第1ドライブ部のパワー端子をコンデンサを介して、前記第1、第2スイッチング素子間の中点に接続すると共に、前記第1ドライブ部の他端を、周波数設定部からの信号を受けて第1信号を発する制御回路部の端子に接続し、前記第2スイッチング素子の駆動信号端子に第2ドライブ部の一端を接続し、この第2ドライブ部の電源端子に直流電源部を接続すると共に前記第2ドライブ部の他端を前記制御回路部の第2信号を発する端子に接続し、前記直流電源部をダイオードを介して前記第1ドライブのパワー端子と前記コンデンサとの間に接続し、前記ダイオードを前記第2スイッチング素子が導通したときに前記コンデンサを充電する方向としたインバータ装置の駆動回路。」 3 審決の理由 審決は、別紙審決書の理由写しのとおり、本件発明は、甲第3号証(審判甲第1号証)に記載された事項及び技術常識に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法29条2項の規定により、特許を受けることができないから、本件特許は無効とされるべきものであると判断した。
原告主張の審決取消事由の要点
1 審決理由の認否 審決の理由の「T.本件特許」、「U.請求人の主張」、「V.甲各証の記載」(以上審決書2頁12行から4頁12行)は争わない。同「W.対比・判断」のうち、審決書4頁13行から5頁8行は争わないが、同頁9行から14行は争う。「X.むすび」は争う。
2 取消事由(頒布刊行物記載についての認定の誤り) 審決は、甲第3号証(審判甲第1号証)の2枚目以下の「Power FETs in Switching Applications」と題するマサチューセッツ工科大学(MIT)の修士論文(著者:Charles Edward Harm。以下この論文を「甲第3号証の論文」という。)が、本件特許出願前に「頒布された刊行物に記載された」ものか否かについて何も審理することなく、「頒布された刊行物に記載された」ものであるという前提で本件発明の進歩性を否定したが、同論文が「頒布された刊行物に記載された」ものであるという認定は、以下の(1)から(3)に述べるとおり、誤りである。審決は、甲第3号証の論文の頒布刊行物記載について審理を尽くすことなく、同論文が「頒布された刊行物に記載された」ものであるという誤った前提に基づいて同論文と本件発明とを対比し、本件発明の進歩性を否定する判断をしたものであって、その判断には審決の結論に及ぼすべき重大な誤りがあるから、審決は違法として取り消されるべきである。
なお、被告は、原告には甲第3号証の論文の頒布刊行物性について争う機会があったのに争わなかったのであるから、この点を本訴において取消事由として主張することは許されるべきでないと主張するが、原告は、本件特許に対する無効審判が請求された際に審判事件答弁書において甲第3号証の頒布刊行物性に疑義がある旨を主張し、第一次判決の後にも甲第4号証を添付した上申書を提出して、甲第3号証は「頒布された刊行物」に当たらないことを機会あるごとに主張しており、
被告の主張は当たらない。
(1) 甲第3号証の冒頭に添付された図書館長“A”の1997年5月20日付け署名のある書面には、@1980年6月20日にCharles Edward Harm の「Power FETs in Switching Applications」と題する修士論文をMIT図書館(“MIT Libraries ”)に受け入れたこと、及び、A1981年11月3日に甲第3号証の論文をMIT及びナショナル・オンライン・データベースの目録に入れたことが記載されている。
しかし、MIT図書館による甲第3号証の論文の受入れは、本件特許出願前に当該論文が米国内に存在した事実を証するにとどまる。「修士論文」は、「修士号」を取得するために作成されたものであって、不特定多数の人に頒布することを目的として作成されたものではないから、修士論文自体は、特許法29条1項3号に規定する「頒布された刊行物」に該当しない。
一方、甲第3号証の論文がMIT及びナショナル・オンライン・データベースの目録に加えられた事実について、確認のために、原告が、インターネットにより“MIT Libraries”をアクセスして検索したところ、書誌的事項が検索結果として出力されるだけであった(甲第4号証)。このように甲第3号証の論文の全文は、ナショナル・オンライン・データベースの目録に入れられていない。また、本件特許の出願時におけるインターネットの普及状況は、何人でも私的・商業的に利用することができる状態ではあり得なかった(甲第5号証)。インターネットが発展した現在でも甲第3号証の論文については甲第4号証に示す程度の書誌的情報しか得られないのであるから、インターネットの揺籃期前の1981年頃に甲第3号証の論文の全文が入手できたとは到底考えられない。
したがって、甲第3号証は、本件特許発明新規性ないし進歩性を否定するに足りる「頒布された刊行物」が本件特許出願前に存在した事実を何ら証するものではない。また、甲第3号証の論文に記載されたものが本件特許出願前に日本国内で公知若しくは公用であった事実を証するものでもない。
(2) 被告は、判決(東京高等裁判所平成4年(行ケ)第16号同5年7月29日判決・知的裁集25巻2号439頁)を引用して、修士論文であっても、博士論文であっても、学術論文その他いかなる論文であっても、一般に図書館に受け入れられるということは、図書館で受け入れられた後公衆の自由な閲覧に供することなく秘密状態に保持されることが明らかでない限り、それが不特定多数の人に頒布することを目的とするのが通念であると主張する。しかし、上記判決は、「頒布された刊行物」というには原本(学位論文)が公開されて公衆の自由な閲覧に供されている必要があるが、原本自体が公衆に対し頒布により公開することを目的として作成される必要はなく、複製されたものが公衆に対し頒布により公開することを目的として作成されれば足りるというものであって、本件に当てはまるものではない。
図書館で受け入れられた甲第3号証の論文が普通の図書・雑誌と同じように、公衆の閲覧に供されていたか否か、閲覧の態様が不明であり、被告が主張する通念に当たるとはいえない。
(3) また、被告は、Bの宣誓供述書(乙第1号証の1枚目)に、同人がMIT図書館の文書サービス課長Cとの電話及び同課長からの書簡(乙第1号証の2枚目)を通じて知ったこととして、@甲第3号証の論文は、1980年6月20日にMIT記録保管所に受け入れられ、1981年11月3日にMIT図書館のカタログに入れられたこと、A論文が一旦MIT記録保管所に置かれると公衆に利用可能となること、すなわち1980年6月20日現在何人によっても利用可能であったこと、B論文が受け入れられた後、カタログに入れられる日の1981年11月3日までに、マイクロフィルム化されたこと、Cカタログに入れられた1981年11月3日からほぼ2週間以内に製本された論文がMIT図書館の1つであるBarker Engineering 図書館の棚の上に置かれていたこと、D1980年当時のMIT図書館の方針は現在と同じであることが述べられていることから、甲第3号証の論文は1980年6月20日から公衆の閲覧が可能であったと主張する。
しかし、甲第3号証として提出されたCharles Edward Harm の修士論文の表紙頁には「D」の署名がなく、他方、前記Cの書簡に添付された同修士論文の表紙頁(乙第1号証の3枚目)には「D」の署名があって、両者が相違しているところから、甲第3号証の論文は格別の事情がなければ入手することができなかったものではないかという疑問が存する。乙第1号証は、MITの現在のルールを適用すれば甲第3号証の論文が1980年6月20日から公衆の閲覧可能な状態であったことを推測させるだけで、実際に同論文が閲覧可能であったことを証するものではない。また、甲第3号証の論文が1980年6月20日にMITの記録保管所に受け入れられたことは認められるが、1981年11月3日にMIT図書館のカタログに入れられたこと、マイクロフィルム化され製本されたこと、製本された論文がBarker Engineering図書館の棚に置かれていたことを示す証拠はない。カタログとは常識にみて甲第4号証に示されるような書誌的データを載せたもので、論文の全文を載せたものとは認められない。また、被告が2001年3月2日現在において甲第3号証の論文の入手が可能であることを示すものとして提出した乙第3号証は、本件特許出願前において同論文の入手が可能であったことを示すものではない。要するに、乙第1ないし第3号証によっては、被告が引用する最高裁判所判決にいう「原本自体が公開されて公衆の自由な閲覧に供され、かつ、その複写物が公衆からの要求に即応して遅滞なく交付される態勢が整っていた」ものと断定することはできない。
被告の反論の要点
審決の認定判断は正当であって、原告主張の審決取消事由は理由がない。
1 頒布刊行物記載を争う主張について 原告は、一次判決の後に再開された審判手続において、甲第3号証の修士論文の頒布刊行物記載を争う機会があったのに、これを争わなかった。それにもかかわらず、同論文の頒布刊行物記載を前提として特許法29条2項に基づく無効事由を判断した審決に対して、本件訴訟において原告が新たに頒布刊行物記載を争うことは、許されるべきでない。
2 甲第3号証の論文の頒布刊行物記載について 甲第3号証の論文は、以下の(1)から(4)に述べるとおり、「頒布された刊行物に記載された」ものに該当するものであり、原告の主張は失当である。 (1) 特許法29条1項3号にいう頒布された刊行物とは、公衆に対し頒布により公開することを目的として複製された文書、図面、その他これに類する情報伝達媒体であって、頒布されたものを指すが、公衆から要求を待ってその都度原本から複写して交付されるものであっても、上記原本自体が公開されて公衆の自由な閲覧に供され、かつ、その複写物が公衆からの要求に即応して遅滞なく交付される態勢が整っているならば、上記の公衆に対し、頒布により公開することを目的として複製されたものであるといって差し支えない〔最高裁判所昭和53年(行ツ)第69号同55年7月4日第二小法廷判決・民集34巻4号570頁〕。上記判旨に照らしても、甲第3号証の修士論文が特許法29条1項3号にいう「頒布された刊行物に記載された」ものであることに疑いはない。
(2) 「修士論文」は、「修士号」を取得するために作成されたものであるが、
だからといって「不特定多数の人に頒布することを目的として作成されたものではない」とはいえない。修士論文であっても、博士論文であっても、学術論文その他いかなる論文であっても、一般に図書館に受け入れられるということは、図書館で受け入れられた後公衆の自由な閲覧に供することなく秘密状態に保持されることが明らかでない限り、それが不特定の人に頒布することを目的とすると考えるのが通念である〔東京高等裁判所平成4年(行ケ)第16号同5年7月29日判決・知的裁集25巻2号439頁〕。
(3) さらに、甲第3号証の論文が「頒布された刊行物」であることは、以下に述べるとおり、乙第1ないし第3号証により、明らかである。
ア. 乙第1号証 Bの2001年3月13日付け宣誓供述書(乙第1号証の1枚目)には、同人がMIT図書館の文書サービス課長Cとの電話及び同課長からの書簡(乙第1号証の2枚目)を通じて知ったこととして、@甲第3号証の論文は、1980年6月20日にMIT図書館の記録保管所に受け入れられ、1981年11月3日にMIT図書館のカタログに入れられたこと、A論文が一旦MIT図書館の記録保管所に置かれると公衆に利用可能となること、すなわち1980年6月20日現在何人によっても利用可能であったこと、B論文が受け入れられた後、カタログに入れられた日の1981年11月3日までに、マイクロフィルム化されたこと、Cカタログに入れられた1981年11月3日からほぼ2週間以内に製本された論文がMIT図書館の1つであるBarker Engineering 図書館の棚の上に置かれたこと、D1980年当時のMIT図書館の方針は現在と同じであること、
を述べている。
イ. また、同人 の2001年3月8日付け宣誓供述書(乙第2号証)は、
@同人の行ったインターネット検索の結果、2001年3月1日時点において、MIT図書館がCharles E. Harmの修士論文・題名「Power FETs in Switching Applications」(1980年発行)を2部所蔵していること、また、A電話による問い合わせにより、当該論文は1部59ドルで複写物を入手することができ、MIT図書館の一つであるBarker Engineering図書館に当該論文の上記2部のうちの1部が存在して公衆の閲覧に供されており、これを複写することも可能なことを知らされたと述べている。
ウ. さらに、被告の従業員Eの宣誓供述書(乙第3号証)は、同人がMIT図書館を通じて甲第3号証の論文のマイクロフィルムの複写物、電子複写物又は紙の複写物を入手することが可能であったことを述べている。
エ. 以上の証拠によれば、甲第3号証の論文は、@1981年11月3日現在公衆に閲覧可能であり、A1981年11月3日までに、その原本からの複写物であるマイクロフィルム及び製本が存在し、B1981年11月3日からほぼ2週間以内に、MIT図書館の1つであるBarker Engineering 図書館の棚の上に置かれ、公衆に閲覧可能かつ複写可能となっており、CMIT図書館に受け入れられて公衆に閲覧可能となった当初から、請求があれば論文の複写物を入手することもできた(MIT図書館のとる方針は1980年代も同じである)のであるから、明らかに、本件特許出願日(1983年9月27日)より前にアメリカにおいて頒布された刊行物に記載されたものに該当し、特許法29条1項3号の刊行物記載の要件を満たす。
(4) 原告は、甲第3号証の論文が「頒布された刊行物に記載された」ものであることは上記乙号各証によっても立証されないとして種々主張するが、原告の主張はいずれも失当である。
ア. 原告は、甲第3号証の論文が1981年11月3日に実際にMIT図書館のカタログに入れられた事実について証拠がないと述べるとともに、カタログは、常識的にみて書誌的データ程度を載せたものにすぎず、論文の全文を載せたものとは認められない、と主張する。
しかし、甲第3号証の論文がカタログに入れられたことは、MIT図書館の現文書サービス課長CのB宛て書簡(乙第1号証の2枚目)に添付されたカタログ記録(同号証の4枚目)から明白である。すなわち、Cの書簡は、カタログの“008”のフィールドはカタログ用データベースに入れられた日を示すもので、
カタログ記録に記載された日付である1981年11月3日に甲第3号証の論文がカタログに入れられたと明言している。カタログとは、図書目録を指すものであり、書誌的データ程度を載せたものであって論文全文を載せたものではないが、この書誌的な事項の存在は、カタログに記載された甲第3号証の論文がMIT図書館に保管され、その存在を公衆に知らしめていることを意味する。したがって、MIT図書館に受け入れられた同論文が、秘密状態に保持されておらず、公開されて公衆の自由な閲覧に供されるものであったことは明らかである。
ちなみに、カタログ記録の“005”のフィールドは、カタログ記録データに最後に改変が加えられた日付を示すものであり、そこに記載された最後の改変日である1982年3月17日は、本件特許の出願日の1983年9月27日よりも前であるから、乙第1号証の4枚目のカタログ記録に記載された事項は、少なくとも本件特許出願日前の事項であることに疑いはない。
イ. 原告は、甲第3号証の論文が1980年6月20日に受け入れられた後に、直ちに公衆の閲覧が可能であったことを証明する証拠はないと主張するが、
理由のない主張である。すなわち、1982年3月7日が最終のデータ改変日であるカタログ記録(乙第1号証の4枚目)には、甲第3号証の論文が1981年11月3日にMIT図書館のカタログに入れられたことが記載され、さらに“590”フィールドには、“MICROFICHE COPY AVAILABLEIN ARCHIVES AND ENGINEERING”(「記録保管所及びエンジニアリングにおいてマイクロフィッシュコピー利用可」。被告注;「エンジニアリング」は Barker Engineering図書館)との記載がある。このカタログ記録は、原告が提出したカタログ記録(甲第4号証)と実質的に同一のものであり、双方のカタログ記録に基づくと、@甲第3号証の論文が1980年頃に公表されたこと、A少なくともカタログ記録の最終改変日である1982年3月17日時点において、MIT図書館の記録保管所及びBarker Engineering図書館でマイクロフィッシュコピーが利用できたこと(すなわちマイクロフィルム化されていたこと)、及びB同論文がBARKER MCRFORM 及びARCHIVES NOLOAN3の図書館に保管されていたことが示されている。とりわけ、同論文がマイクロフィルム化されて、そのコピーが利用できる状態になっていたことから、同論文のマイクロフィルムは、公衆に対し頒布により公開することを目的として複製されたものであることが明らかである。
ウ. 原告は、インターネットによりアクセスした結果(甲第4号証)、「書誌的な事項が検索結果として出力されるだけであって、被告が甲第3号証として提示した修士論文は得られなかった」と主張するが、アクセスの結果を示す甲第4号証は、その1頁の記載からも明らかなように「25Oct1999」、すなわち、1999年10月25日現在のデータを、2000年1月19日(00/01/19)にプリントアウトしたものに過ぎない。データベース上のデータは適宜変更、削除される性質のものであり、甲第4号証の記載事実をもって、修士論文の全文は、ナショナル・オンライン・データベースの目録に入れられていない、との立証にはなり得ない。
当裁判所の判断
1 甲第3号証の論文の特許法29条1項3号該当性について まず、原告は、審決が甲第3号証の論文の頒布刊行物性について審理を尽くすことなくこれを認め、同論文を本件発明と対比して本件発明の進歩性を判断したのは違法であると主張し、被告は、原告が本訴において頒布刊行物性を争うことは許されるべきではないと主張するので、その当否について判断するに、審決は、甲第3号証の論文が「頒布された刊行物に記載された」ものであるとの認定を前提に判断をしていることは明らかであり、その認定過程は審決理由中に説示されていないものの、この点について審理を尽くさなかったとして審決を取り消すべき違法があるとまでいうことはできない。他方、乙第5号証、第6号証及び弁論の全趣旨によれば、原告は、審判手続の当初から甲第3号証の論文の頒布刊行物性に疑義がある旨の主張をしており、一次判決後の審判手続においても頒布刊行物に当たらないとの主張をしていたことが認められ、本訴においてこれを争うことが信義則上許されないということはできない。したがって、原告及び被告の上記各主張はいずれも理由がない。
そこで、進んで、甲第3号証の論文、すなわちCharles Edward Harm の執筆に係るMITの修士論文「Power FETs in Switching Applications」(以下、「Harm論文」と略称する。)が特許法29条1項3号にいう特許出願前に外国において「頒布された刊行物に記載された」ものといえるかどうかを検討する。
(1) 「頒布された刊行物に記載された」の意義 「頒布された刊行物」とは、「公衆に対し頒布により公開することを目的として複製された文書、図面その他これに類する情報伝達媒体であって、頒布されたものを指すところ、ここに公衆に対し頒布により公開することを目的として複写されたものであるということができるものは、必ずしも公衆の閲覧を期待して予め公衆の要求を満たすことができるとみられる相当程度の部数が原本から複製されて広く公衆に提供されているようなものに限られるとしなければならないものではなく、右原本自体が公開されて公衆の自由な閲覧に供され、かつ、その複写物が公衆からの要求に即応して遅滞なく交付される態勢が整っているならば、公衆からの要求を待ってその都度原本から複写して交付されるものであっても差し支えないと解するのが相当である。」〔最高裁判所昭和53年(行ツ)第69号同55年7月4日第二小法廷判決・民集34巻4号570頁〕。 さらに、外国の特許出願の明細書原本を複製したマイクロフィルムが、同国特許庁の本庁及び複数の支所に備え付けられ、公衆がディスプレースクリーンを使用してその内容を閲覧し、普通紙に複写してその複写物の交付を受けることができる状態になっている場合には、そのマイクロフィルムは頒布された刊行物に該当するものと解することができる〔最高裁判所昭和61年(行ツ)第18号同年7月17日第一小法廷判決・民集40巻5号961頁〕。
(2) Harm論文について 甲第3号証、乙第1号証ないし4号証及び及び弁論の全趣旨によれば、Harm論文について、次の事実を認めることができる。
ア. 2001年3月13日付けBの宣誓供述書(乙第1号証の1枚目)に添付されたMIT図書館文書サービス課長CのB宛て書簡(乙第1号証の2枚目)には、Harm論文の表紙頁(乙第1号証の3枚目)及び同図書館のカタログ用データベースからのプリントアウトと認められるカタログ記録(乙第1号証の4枚目)が添付されているところ、上記表紙頁には、同論文が1980年6月20日にMIT図書館の記録保管所(ARCHIVES)に受け入れられたことを示す受領印が、また、上記カタログ記録には、同論文が1981年11月3日にMIT図書館のカタログ(図書目録)に入れられたことを示す記載及び「記録保管所及びエンジニアリングにおいてマイクロフィッシュコピー利用可」の記載があることが認められる。
なお、上記カタログ記録には、そのカタログ用データの最終更新日が1982年3月17日であることが記録されている。
イ. 2001年3月8日付けBの宣誓供述書(乙第2号証)及び同日付けEの宣誓供述書(乙第3号証)によれば、2001年3月時点で、MIT図書館にはHarm論文が2部存在し、うち1部は記録保管所に、他の1部はBarker Engineering 図書館に収蔵されており、一般公衆はBarker Engineering図書館でHarm論文を閲覧し、その複写物を得ることができること、またMIT図書館の文書サービス部門に注文すれば1部59ドルで同論文の紙の複写物及び電子複写物を入手することができたことが認められる。
ウ. 以上によれば、Harm論文は、1980年6月20日にMIT図書館に受け入れられ、1981年11月3日に同図書館のカタログ(図書目録)に収載され、遅くともカタログ用データの前記最終更新日である1982年3月17日よりも前にマイクロフィッシュ化(マイクロフィルム化)されて、MIT図書館の「記録保管所及びエンジニアリング」(「エンジニアリング」は乙第1号証の2枚目により「Barker Engineering Libraries」 の略称と認める。)においてマイクロフィルム化された同論文の閲覧及び同論文の複写物の入手が可能な状態となっていたことが認められ、上記認定に反する証拠はない。 (3) マイクロフィルムは、それが図書館において作成される場合、特に非公開が予定されている等の特別の事情がない限り、一般利用者が当該マイクロフィルムの内容を閲覧し、必要に応じてその複写物を請求し入手することができるようにすることを予定したものであると推認することができる。そして、当該マイクロフィルムが実際に閲覧に供され、一般利用者がマイクロフィルムからの複写を請求して入手することができるようになっている場合には、そのマイクロフィルムは頒布を目的として複製されたものというべきである。
本件についてみると、前記認定のとおり、Harm論文は、1980年6月20日にMIT図書館の記録保管所に受け入れられた後、1981年11月3日に同図書館のカタログ(図書目録)に記載され、一般公衆がカタログに記載された書誌的事項からその存在を知ることができる状態となっていた。そして、遅くとも1982年3月17日(カタログデータの最終更新日)以前にHarm論文の原本を複製したマイクロフィルムが作成され、そのマイクロフィルムは、MIT図書館に備え付けられて、公衆がその内容を閲覧することができ、必要があれば同図書館の担当部署に請求して遅滞なくマイクロフィルムからの複写物(普通紙の複写物及び電子複写物)を入手することができる状態になっていた。
そうすると、本件においては、前掲最高裁判所判決(昭和55年7月4日判決及び昭和61年7月17日判決)の判旨に照らし、MIT図書館において受け入れたHarm論文の原本からマイクロフィルムが作成され、公衆の閲覧及び複写が可能な態勢が整えられていた事実により、少なくともそのマイクロフィルムを「頒布された刊行物」と認めることができるものであるから、Harm論文は、本件特許出願日(1983年9月27日)より前に外国において「頒布された刊行物に記載された」ものということができる。
したがって、審決が、Harm論文に記載された事項が本件特許出願日前に公知であったとの前提に立って、同論文に記載された事項と本件発明とを対比したことに誤りはない。
2 結論 以上のとおり、Harm論文は、本件特許出願前に外国において頒布された刊行物に記載されたものということができる。そして、原告は、Harm論文の公知性を争うのみで、公知とした場合に本件発明が同論文の記載内容及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明することができたか否かについては、これを容易であるとした審決の判断を実質的に争っておらず、この点について審決の判断に誤りがあるとも認められない。
したがって、原告主張の審決取消事由は理由がなく、その他審決の認定判断に取り消すべき瑕疵は見当たらない。
よって、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 永井紀昭
裁判官 古城春実
裁判官 橋本英史