審判番号(事件番号) | データベース | 権利 |
---|---|---|
平成5ネ723 | 判例 | 特許 |
平成16ワ11060職務発明の対価請求事件 | 判例 | 特許 |
平成13ワ7196特許権譲渡対価請求事件 | 判例 | 特許 |
平成11ネ3208補償金請求控訴事件 | 判例 | 特許 |
平成17ワ12576職務発明対価支払等請求事件 | 判例 | 特許 |
関連ワード | 特許を受ける権利 / 承継 / 発明者 / 職務発明 / 相当の対価(相当な対価) / 協議 / 方法の発明 / 製造方法 / 技術的範囲 / 試行錯誤 / 発明の詳細な説明 / 着想 / ライセンス / 抵触 / 存続期間 / 均等 / 特許発明 / 実施 / 加工 / 対価 / 請求の範囲 / 変更 / |
---|
元本PDF | 裁判所収録の全文PDFを見る |
---|
事件 |
平成
12年
(ワ)
17124号
実績報償金請求事件
|
---|---|
原告X 訴訟代理人弁護士 小柴文男 同 井坂光明 被告 コスモ石油株式会社 訴訟代理人弁護士 佐野隆雄 同 村上久 同 高橋成明 同 佐久間 学 |
|
裁判所 | 東京地方裁判所 |
判決言渡日 | 2001/12/26 |
権利種別 | 特許権 |
訴訟類型 | 民事訴訟 |
主文 |
1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 |
事実及び理由 | |
---|---|
請求
被告は原告に対し,3000万円及びこれに対する平成12年9月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 |
|
事案の概要
原告は,職務発明をしたとして,当該発明について特許権を取得した被告に対し,特許法(以下「法」という。)35条3項,4項に基づき,特許を受ける権利の承継に対する相当の対価の支払を求めた。 1 争いのない事実 (1) 当事者等 原告は,昭和36年4月,訴外丸善石油株式会社(以下「丸善石油」という。)に入社し,石油精製等の業務に属する技術に係る研究開発の職務に従事した。昭和61年7月1日,合併により,丸善石油の権利義務関係は被告に承継され,原告は,被告においても同種の職務に従事し,平成10年5月31日,被告を退職した。 被告及び丸善石油は,石油類及びその副産物の精製,加工,貯蔵,売買その他の事業を営む株式会社である。訴外重質油対策技術研究組合(以下「訴外組合」という。)は,鉱工業技術研究組合法に基づき,国庫からの研究補助金を得て重質油の処理技術等の研究開発を行うことを目的に,丸善石油を含む石油会社,鉄鋼会社等を組合員として,昭和54年に設立された。 (2) 本件各発明 ア 訴外組合は,昭和59年6月15日,L,M及び原告の3名を発明者として,以下のとおりの発明(以下「本件発明A」という。)について,特許出願をした。本件発明Aについての特許権は,平成8年4月1日,訴外組合から被告に譲渡された。 (ア) 発明の名称 水素化処理触媒およびこれを用いた重質鉱油の水素化脱硫分解方法 (イ) 出願日 昭和59年6月15日 (ウ) 登録日 平成5年11月26日 (エ) 特許番号 第1802107号 (オ) 特許請求の範囲 別紙特許公報(本件発明A)該当欄記載のとおり イ 訴外組合は,昭和59年11月22日,N,O及び原告の3名を発明者として,以下のとおりの発明(以下「本件発明B」という。)について特許出願をした。本件発明Bについての特許権は,平成8年4月1日,訴外組合から被告に譲渡された。 (ア) 発明の名称 炭化水素類の水素化分解方法 (イ) 出願日 昭和59年11月22日 (ウ) 登録日 平成7年2月8日 (エ) 特許番号 第1902513号 (オ) 特許請求の範囲 別紙特許公報(本件発明B)該当欄記載のとおり ウ 本件発明A及び本件発明B(以下両者を「本件各発明」という。)は,丸善石油の業務の範囲に属する。 (3) 職務発明に係る規程 ア 丸善石油は,昭和37年,「発明,考案等に関する規程」を定めた。これによれば,同社は,職務発明をした従業員に対し,報償金を支給することがある旨規定されている。 イ 被告は,丸善石油を吸収した後の昭和61年に「発明考案規程」を定め,次いで,平成5年に「報償金支給及び表彰に関する運用基準」及び「実績報償支払いに関する運用内規」を定めた。被告の前記運用基準及び運用内規には,職務発明をした従業員から特許を受ける権利を譲り受けた時に当該従業員に支払うべき報償金について,要旨以下の定めがある。 (ア) 特許出願を行ったときは,出願報償として,1件当たり5000円を支払う。 (イ) 特許権を取得したときは,登録報償として,1件当たり1万2000円を支払う。 (ウ) 特許発明を実施して相当の利益を得たものについては,第1回(公告された日以降5年間),第2回(その後5年間),第3回(その後権利存続期間満了まで)の期間ごとに,発明の経済的価値に応じ,実績報償として5万円ないし30万円を支払う。 (エ) 発明者が2人以上あるときは貢献度に応じて支払う。均等に分割することもある。 (オ) 実績報償金を受ける権利は,発明者が退職した後も存続する。 (4) 報償金の支払等 ア 丸善石油は,前記規程類に基づき,本件発明Aについては,出願時に総額5000円を,登録時に総額1万2000円を,L,M及び原告の3名に支払い(原告の受領分は5666円),本件発明Bについては,N,O及び原告の3名に,上記同額の金員を支払った(原告の受領分は5666円)。 イ 被告は,平成5年2月17日から平成10年2月16日までの間,被告の千葉製油所において,本件発明Aを独占的に実施した。 2 争点 (1) 原告は本件各発明を発明したか。 ア 本件各発明共通 (原告の主張) 丸善石油は,通商産業省の呼びかけに応じて訴外組合に参加したものの,石油精製触媒の開発経験はなく,自社で触媒を開発する目途は立っていなかった。原告は,中途半端な態勢での開発は危険であるとの社内の反対があるにもかかわらず,触媒の寿命評価のためのスーパーマイクロリアクターを新規に製作し,データに関するコンピュータ処理化の工夫をこらし,透過電子顕微鏡を新たに導入するなど,数々のアイデアを提供して,高温分解型触媒及び接触分解型触媒の実用化開発に研究資源を集中した。 本件各発明は,いずれも脱硫触媒の分解機能の改良技術に係る発明であり,この種の発明においては,様々な条件による組合せを試行錯誤によって検証しながら,最適な,あるいは従来よりも良好な結果を得られる組合せ条件を見出す作業が必要不可欠である。前述した原告の創意工夫によって,これらの試行錯誤的作業の効率的かつ正確な遂行処理が可能となり,本件各発明は完成した。以上のとおり,原告は本件各発明について発明者の一人である。 また,原告が発明者であることは,出願書類に原告の名が発明者として記載されたこと,出願報償と登録報償が支払われたことから明らかである。 (被告の反論) 原告は,以下のとおりの理由から,その発明者ではない。 原告は,本件各発明がされた当時,他の研究活動に従事していた。本件各発明について,原告が発明者に加えられているのは,当時,丸善石油に,発明者の上司に当たる者を発明者に加えて出願する慣行が存在し,原告が,本件各発明が行われた研究部門のグループ長であったことによる。また,被告(丸善石油)は,原告に対し,本件各発明についての報償金を支払ったが,これは,原告が,研究部門のグループ長として,特許権の取得について社内でのパックアップ等をしたことに報いる趣旨である。 以上のとおり,出願書類に発明者として記載されたこと,及び出願報償等の支払を受けたことは,原告が本件各発明の発明者であることの根拠とはならない。 イ 本件発明A (原告の主張) 本件発明Aの課題は,触媒寿命の長い水素化処理触媒を開発することであったが,原告は,電子顕微鏡,スーパーマイクロリアクター及びパソコンデータシステムを利用して,触媒にスキン層が形成されることがその寿命を短くする原因であることを発見した(原告は,触媒に形成された細かい穴目の皮を「スキン層」と呼び,被告はこれを原告の造語にすぎない旨主張するが,便宜上「スキン層」を用いる場合がある。)。他の研究員らは水銀ポロシメーターによる測定に固執したが,原告は,この測定方法では触媒の長寿命化につながる知見は得られないことを確認した。原告は,L及びMらとともに,運転員からのデータをとりまとめ,議論を重ね,本件発明Aの実施例となる触媒の寿命予測について検討した。 そして,原告は,触媒製造メーカーとの共同検討の結果,スキン層の形成されない長寿命触媒の製造法の開発に成功したが,旧来の方法でも,寿命の長期化は可能であるとの確証をつかみ,低コスト化を実現する観点から,触媒メーカーに改善された方法で実用化試験用触媒を製造させ,同試験に成功した。 原告は,特許請求の範囲の記載方法についても,アイデアを提供するなど,本件発明Aについて,特許権を実質的に確保するために相当の尽力をした。 以上の経緯から,原告は本件発明Aの発明者の一人である。 (被告の反論) 以下に述べるとおり,本件発明Aを発明したのはL及びMであり,原告ではない。 (ア) 丸善石油は,昭和54年,中央研究所において,重油の直接脱硫装置を従来より高い温度領域で運転することにより,本来の脱硫性能を維持しつつ,灯油,軽油などの中軽質留分を得ることのできる触媒の開発に着手した。中央研究所の触媒グループに属するMらは,まず特許,学術文献の調査を開始し,触媒の試作,試作触媒のデータ取得等を行った。昭和55年度中,L及びMは,プロセスグループのメンバーとして研究開発を続け,本件発明Aの基礎となる知見を得た。昭和56年度から昭和57年度に掛けて,L及びMは触媒グループに所属して目標とする水素化分解率,脱硫率及び触媒寿命に適合した触媒の細孔径及び細孔分布を見出し,実用化試験も行うなど,本件発明Aをほぼ完成させた。そして,昭和59年の2月ないし3月ころ,L及びMは,「P因子」というパラメーターを用いて,本件発明Aについて特許を取得することとし,Lが出願書類の原案を作成して,丸善石油の特許担当部署に所属するTと議論を重ねて,本件発明Aについて特許出願を行った。 (イ) 原告は,Mらが研究開発を開始した昭和54年度,55年度には,中央研究所の高分子グループに所属し,石油化学関係の研究開発を担当しており,触媒の開発には関与していなかった。原告は,昭和56年4月以降,触媒グループのグループ長であったが,スーパーマイクロリアクターの製作や,コンピュータプログラムの作成等を主に行い,L及びMが行う触媒の細孔径や細孔分布の測定には関与していなかった。また,L及びMは,P因子を着想した昭和59年2月ないし3月ころにはプロセスグループに所属しており,原告とは所属が異なっていた。原告が,本件発明Aの特許出願についてTと打合せをしたり,Tの指導を受けた事実はない。 当時,丸善石油には,真の発明者以外に,その上司を発明者に加えて特許出願を行うという慣行があり,L及びMは,原告が,昭和56年度,57年度にL及びMが所属した触媒グループのグループ長であったことから,原告を本件発明Aの発明者の一人に加えて出願書類を作成し,訴外組合を出願人として出願を行った。 (ウ) 原告は,透過型高倍率電子顕微鏡で触媒内部を直接観察することを着想し,その観察によりスキン層の生成しない長寿命の触媒の開発に成功したことを理由に,本件発明Aの発明者である旨主張する。しかし,本件発明Aの特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の欄には,このような主張に対応する記載は全く存在しない。また,原告がいう触媒製造方法の改善とは,フィルタープレス法の導入のことと推察されるが,この製造方法が導入されたのは本件発明A出願の後であり,本件発明Aの実施例の触媒は,従前の方法で製造されたものである。 ウ 本件発明B (原告の主張) 本件発明Bの課題は,結晶性触媒組成物の寿命を長くすることであるが,原告は,電子顕微鏡,スーパーマイクロリアクター及びパソコンデータシステムを用いて,触媒中のゼオライトの分散性の低いことが寿命を長くできないことの原因であることを突き止め,これを改善することで本件発明Bを完成した。 Nは,触媒の使用等について常に原告と相談しながら研究を進めており,本件発明BはNのみの着想ではない。実験結果をNのみで考察したということもない。 以上のとおり,原告は本件発明Bの発明者の一人である。 (被告の主張) 以下に述べるとおり,本件発明Bを発明したのはNであり,原告は発明者ではない。 (ア) Nは,昭和54年以降,中央研究所の触媒グループに所属して(昭和55年度はプロセスグループに所属した。),高い水素化分解活性を長期間維持して,炭化水素類を水素化分解することのできる触媒の研究開発に従事し,公開資料の調査や結晶性触媒組成物の試作等を行って,触媒の機能試験の結果の蓄積を踏まえて本件発明Bを発明し,これについて特許出願を行うべく,Tと検討,議論を重ねて出願書類の内容を決定した。 (イ) 原告は,Nが触媒開発の基本方針を定めた昭和54年度,55年度には,中央研究所の高分子グループに所属しており,Nの研究開発には関与していなかった。また,原告は,昭和56年4月以降,触媒グループのグループ長となったが,電子顕微鏡による粒子の過密部分の観察,スーパーマイクロリアクターの製作,実験データを処理するためのコンピュータープログラムの作成を行っており,これらによって本件発明Bの研究開発が円滑になったとの評価はできるとしても,本件発明Bを発明したということはできない。 当時,丸善石油には,真の発明者以外に,その上司を発明者に加えて特許出願を行うという慣行があり,Nは,燃料プロセス部門の部門長であるO,及び触媒グループのグループ長である原告を発明者に加えて出願書類を作成した。 (ウ) 原告は,触媒中のゼオライトの分散性を改善することで本件発明Bを完成した旨主張する。しかし,本件発明Bの特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の欄には,このような主張に対応する記載は全く存在しない。また,ゼオライト結晶の分散性を高くすれば良いことは,本件発明Bの出願当時,公知の技術であった。 (2) 相当の対価 (原告の主張) 被告は,本件発明Aを独占的に実施することにより,同発明の公告日である平成5年2月17日から平成10年2月16日までの間,毎年30億4900円,合計152億4500万円の利益を得た。また,被告は,本件発明Bを独占的に実施することにより,同発明の公告日である平成6年4月27日から平成11年2月16日までの間,毎年2億9000万円,合計14億5000万円の利益を得た。 前記被告の規程類によれば,原告ら発明者は,本件発明A及び本件発明Bについて,最大各30万円(原告としては最大各10万円)を受領し得ることになるが,この金額は,被告が現に得た利益に比して著しく低額であるから,原告は,法35条3項,4項に基づき,相当の対価を請求する権利を有する。 本件発明Aについて,原告が第1回の実績報償金として受け取るべき相当な対価は,前記被告の利益152億4500万円に対する発明者の寄与率を3分の1と考え,それを発明者の数3で除した16億9388万8889円とすべきである。また,本件発明Bについて,原告が第1回の実績報償金として受け取るべき相当な対価は,前記被告の利益14億5000万円に対する発明者の寄与率を3分の1と考え,それを発明者の数3で除した1億6111万1111円とすべきである。 よって原告は,被告に対し,本件発明Aについての第1回の実績報償額16億9388万8889円及び本件発明Bについての第1回の実績報償額1億6111万1111円の合計額である18億5500万円の内金3000万円を請求する。 (被告の主張) 被告が本件発明Aを実施したことは認め,その利益については争う。本件発明Bについては,被告がこれを実施したことはなく,これによって利益を得たことはない。 |
|
争点に対する判断
当裁判所は,本件発明AについてはL及びMが,本件発明BについてはNが,それぞれ発明したのであり,原告が本件各発明を発明したものではないと認定、判断する。その理由は,以下のとおりである。 1 証拠(乙1ないし13,15ないし18,20)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認定することができ,これを覆すに足りる証拠はない。 (1) 研究開発の経緯 ア 訴外組合は,鉱工業技術研究組合法に基づき,国庫からの研究補助金を得て重質油の処理技術等の研究開発を行うことを目的に,昭和54年6月に設立されたが,丸善石油は,他の石油会社,鉄鋼会社等と共に,組合員としてその設立に参加した。 訴外組合の研究開発は,組合員である各企業が,特定の従業員を訴外組合の研究開発業務に参画させることを決定すると,訴外組合の理事長がこれを主任研究員,研究員その他に任命し,これらの研究員らが訴外組合の研究開発に従事するという方法で行われ,実質的には組合員である企業の従業員が,国庫の補助を得て,組合の定めた計画に沿って研究開発を進めた。丸善石油においても,その中央研究所の従業員を訴外組合の研究員として研究に参画させ,昭和54年6月ころ,訴外組合の研究開発を開始した。 訴外組合では,テーマごとに研究開発グループが構成され,組合員である企業は,いずれかの研究開発グループに属していた。丸善石油は,重質油分解技術の開発を行うグループのうちの「残油水素分解第2グループ」に属し,高硫黄・高金属常圧残油を,灯油,軽油などの中軽質留分に転化させ,しかもその活性が長期間持続する水素化分解触媒の開発などをその研究テーマとした。昭和54度は,まず公開資料の調査等を行い,現状把握の結果,高温分解型触媒(U型触媒とも呼ばれ,その研究開発により本件発明Aが発明された。)と接触分解型触媒(T型触媒とも呼ばれ,その研究開発により本件発明Bが発明された。)の2つのタイプについて,研究開発を行うこととした。 イ 昭和54年当時,丸善石油の中央研究所には,高分子関係の研究等を行う化学部門のほか,石油精製技術等の研究を行う燃料プロセス部門があり,燃料プロセス部門には,触媒の研究を行う触媒グループと,その実用化試験等を担当するプロセスグループが置かれていた。また,触媒グループには,前記各触媒の研究開発を進めるため,高温分解型触媒開発班と接触分解型触媒開発班が置かれた(その後,燃料プロセス部門は第1研究室に,触媒グループは同研究室第2グループに,プロセスグループは同研究室第1グループにそれぞれ名称が変更されるが,便宜上,当初の名称で表記する。)。 (2) 本件発明Aに係る発明の経緯 ア Mは,昭和54年3月に中央研究所燃料プロセス部門の触媒グループに配属され,丸善石油が訴外組合に参加した後は,その研究員として高温分解型触媒の研究開発に従事した。高温分解型触媒とは,重油直接脱硫装置の本来的機能である脱硫性能を維持しつつ,従来より高い温度領域で運転することによって熱的な水素化分解反応を促進させ,残査油等の重質鉱油から,軽油,灯油などの中軽質留分を得ることのできる触媒である。Mらは,昭和54年度中,前述した公開資料の調査のほか,それに基づく触媒具備要件の解析,検討を行い,さらにミゼットプラントやマイクロリアクターといった機械設備を用いて,市販触媒及び試作調製触媒の測定,解析等を行った。 イ Lは,昭和55年4月,中央研究所の化学部門から燃料プロセス部門のプロセスグループに異動して訴外組合の研究員に任命され,高温分解型触媒研究のチームリーダーとなった。Mも触媒グループからプロセスグループへと所属変更になり,Lと共に物性の異なる触媒の機能試験を行い,細孔容積及び細孔径の測定や,反応温度を上げた場合に分解率,脱硫率,脱金属率等がどのように変化し,運転により触媒がどの程度劣化するか等を調査した。同年度中の試験等の結果,L及びMは,高い反応温度領域で脱硫活性を維持することのできる触媒を発見するためには,触媒の細孔のコントロールが近道かも知れないとの結論に達し,高温分解型触媒の開発方針を定めた。 ウ L及びMは,昭和56年4月に触媒グループに異動し,昭和57年に掛けて,メーカーに外注した触媒及び自社で試作した触媒の評価試験等を行い,検討の結果,同じ平均細孔径を持ちながら全細孔容積の異なる触媒を比較した場合,全細孔容積の大きい触媒ほど脱硫性能が劣化する速度は小さいこと,触媒物性における若干の相違がその脱硫反応速度に大きく影響し,最適な触媒の設計,調製については細部の物性コントロールが必要であることなどを発見し,ほぼ目的とする物性を有する触媒の調製法を確立した。また工業化スケールでの試験用触媒の調製も行った。 エ 丸善石油が属する訴外組合の「残油水素分解第2グループ」は,昭和54年以降,残油の水素化分解技術の開発研究を進めてきたが,同テーマについては昭和57年度に終了し,昭和58年度以降,それまでの成果及び知見を基礎として,残油水素化分解技術の実用化開発の研究に着手した。L及びMは,昭和58年4月に再度プロセスグループに異動して,引き続き訴外組合の研究員として高温分解型触媒の実用化開発の研究に従事し,同年12月には,丸善石油の製油所の直接脱硫装置に試験用触媒を充填して行う実用化試験を開始した。 オ L及びMは,触媒の長期寿命試験や加速寿命試験などの結果,当時丸善石油の製油所で他社のライセンスを得て使用されていた触媒よりも細孔径を大きくすると,ある孔径で寿命が最大化することを突き止め,さらに触媒を組み合わせて試験をした結果,ある充填比率で相乗効果が出現することをも発見した。そして,L及びMは,昭和59年2月ないし3月ころ,前述の内容を整理した結果,触媒の平均細孔直径と,平均細孔直径から一定の範囲内に属する細孔が全細孔中に占める割合との関係から算出される指数によって,触媒の細孔径と細孔分布を特定する方法に想到し,この指数をP因子と名付けた。 カ L及びMは,P因子を構成要素に含む水素化触媒及び水素化脱硫分解方法について特許出願することとし,Lが出願書類の原案を作成し,Lにおいて数回,Mにおいて数回以上,丸善石油の特許担当部署に属するTと議論,検討を重ねて,特許請求の範囲を確定した上,昭和59年6月15日,訴外組合を出願人として,本件発明Aについての特許出願をした。当時,丸善石油においては,発明及び特許出願をバックアップしたことに報いる趣旨で,発明者の上司を発明者欄に記載して出願を行う慣行があった。L及びMが本件発明Aのための研究開発を行った昭和56年,57年当時,原告がLらが属する触媒グループのグループ長であったことから,出願書類には,L,M及び原告の3名を発明者欄に記載した。 (3) 本件発明Aへの原告の関与の内容,程度 ア Mらが高温分解型触媒の研究開発に着手した昭和54年度,L及びMが触媒の細孔のコントロールをその開発方針と定めた昭和55年度には,原告は,中央研究所化学部門の高分子グループに所属していた。原告は,昭和56年4月,L及びMと共に,燃料プロセス部門の触媒グループに所属替えとなり,同グループのグループ長となったが,主にスーパーマイクロリアクターという超小型反応装置の測定機器の製作や,実験データを処理するコンピュータプログラムの作成等を行い,L及びMが進めていた触媒の細孔径や細孔分布の測定等には関与していなかった。 イ L及びMは,前述のとおり,昭和58年4月以降,再度プロセスグループに異動して高温分解型触媒の実用化開発の研究に従事し,昭和59年2月ないし3月ころ,P因子を着想したが,原告は,この間,触媒グループに在籍しており,L及びMがP因子を着想するに当たり,これについて助言等をしたことはなかった。原告は,このころ,細孔分布に2つのピークを持つバイモーダル触媒の研究開発を進めており,Tに対し,バイモーダル触媒の特許出願について説明することはあったが,本件発明Aについて説明したことはなかった。 (4) 本件発明Bに係る発明の経緯 ア Nは,昭和54年6月の訴外組合の設立当初からその研究員に任命され,中央研究所の触媒グループにおいて,Mらとともに,公開資料の調査や研究開発の基本方針の策定に関与した。そして,昭和55年度には,触媒の性能を支配する要素として,石油中の分子の結合を切断する働きを持つ酸の性質,切断された分子の元の結合部分に水素を効率的に供給して,生成物を良質なものとする水素化機能,分子サイズを考慮した細孔径の3つの重要な点があり,それらのバランスによって触媒の性能が支配されることを見出し,触媒開発の基本方針を定めた。 イ Nは,昭和55年度には一旦プロセスグループに異動したが,昭和56年度以降は触媒グループに所属し,プロセスグループで行った実証研究等を踏まえ,結晶性アルミノけい酸塩ゼオライトを有効活用する触媒の設計を行い,さらに,その固体酸触媒をガードする前処理触媒と組み合わせることにより最大活性を引き出すという着想を得て,本件発明Bの基本的内容を完成した。 ウ Nは,特許出願手続を行うに当たり,Tに対し,本件発明Bは,前処理と水素化分解の2段階の重油処理方法であること,その特徴の1つは後段触媒にあり,さらにその触媒の被毒(原料油中の硫黄化合物等によって触媒の活性が失われること。)を抑制するために,原料油をあらかじめ通常の水素化処理触媒と接触させる点にあることを説明し,Tと数回議論を重ねた上,昭和59年11月22日,本件発明Bについての特許出願を行った。 前記(2)カ記載のとおりの理由により,所属する触媒グループのグループ長である原告,及び燃料プロセス部門の部門長であるOが発明者欄に記載された。 (5) 本件発明Bへの原告の関与の内容,程度 原告は,Nらが触媒開発の基本方針を定め,実証研究等を行った昭和54度,55年度の間は,中央研究所の高分子グループに所属しており,Nらの研究には関与していなかった。また,Nが触媒グループに戻った昭和56年度以降,原告は,同グループのグループ長であったが,スーパーマイクロリアクターの製作や実験データを処理するコンピュータプログラムの作成等を行っており,グループ長としてミーティングに出席することはあっても,原告が,Nとともに実験計画を立てたり,実験結果の考察を行うということはなかった。また,原告が,本件発明Bの特許出願について,Tと打合せをするということもなかった。 2 上記認定に対し,原告は,以下のとおりの理由から,原告が本件各発明を発明したと主張するので,同主張の当否について検討する。 (1) 本件発明Aの関係 ア 電子顕微鏡及びスキン層 原告は,原告が,電子顕微鏡を活用して,触媒のスキン層がその寿命を短くする原因であることを発見したこと,触媒製造メーカーと共同でスキン層の形成されない触媒を実用化したことに照らすならば,原告が本件発明Aを発明したと認定,判断されるべきであると主張する。 そこで,この点を検討する。本件発明Aは,水素化処理触媒の発明(請求項1)及び,請求項1記載の水素化処理触媒を用いた重質鉱油の水素化脱硫分解方法の発明(請求項2)である。請求項1の発明は,水素化処理触媒を,触媒金属化合物の組成,触媒の細孔容積及び平均細孔直径,P因子,並びに細孔分布によって特定しているが,これらの構成要素のうち,P因子を除いたその余の構成要素は出願当時公知であるので,本件発明Aの特徴部分は,前述したP因子によって触媒の細孔径と細孔分布を特定した点にある(この点については当事者間に争いはない。)。すなわち,本件発明Aは,触媒の細孔径と細孔分布の特定の仕方に特徴があるのであって,触媒の新たな製造方法やその改良に関するものではない。本件発明Aに係る明細書には,電子顕微鏡の利用に関する事項や,スキン層に対応する内容は全く記載されておらず,かえって,「発明の目的,構成,効果」の欄には,「上記の触媒は通常の調製法により調製できる。」との記載がある。 したがって,原告が電子顕微鏡を利用して触媒に形成されたスキン層の観察を行った事実が認められるとしても,そのことから,原告が本件発明Aを発明したと認定することはできない。原告の同主張は失当である。 イ スーパーマイクロリアクター及びパソコンデータシステム 原告は,原告が触媒の寿命評価のためのスーパーマイクロリアクターを新規に製作したこと,コンピュータ処理化の工夫をこらしたことに照らすならば,原告が本件発明Aを発明したと認定,判断されるべきであると主張する。 そこで,この点を検討する。本件発明Aは,高い反応温度領域で,触媒が必要な脱硫活性を維持し得るよう,触媒の細孔径や細孔分布を特定することを特徴とする発明である。その研究開発の過程で触媒の性能や寿命を試験することは当然に予定されているというべきであるから,触媒の細孔径や細孔分布を特定する新たな方法を着想したというのであれば格別,単に,前記試験に用いる機器を開発,製造し,あるいは研究開発環境を整備したにとどまる者を,本件発明Aを発明したと認定、判断することはできない。原告の同主張は失当である。 ウ 特許出願への関与 (ア) 原告は,本件発明Aについて,原告が,特許請求の範囲の記載方法についてもアイデアを提供して,特許権を取得するためにも尽力したことに照らすならば,原告が本件発明Aを発明したと認定,判断されるべきであると主張する。 そして,甲18(原告の陳述書)には,本件発明Aの特許出願に関しては,L及びMは何もしていなかったこと,原告は,昭和57年から特許担当部署と協議を開始し,Lに対して,高温分解型触媒の出願案作成を命じたこと,特許部署は,Lの出願案は,先行特許と抵触すると判断をしたこと(甲14),原告は,有益なアドバイスをして(甲15),Lに対して案文を作成させたこと(甲16),原告は,発明の技術的範囲を狭くしないための工夫として,先行発明を参考にP因子を定義したことが記載されている。また,甲5、21(原告の陳述書)には,「原告は特許出願作業を昭和58年2月28日から特許担当のT氏の指導を得てスタートさせた。原告とL氏がかなり苦労して出願文を何度も作り直し」,「取りまとめ担当のLに特許原案の作成を命じた。58年2月末にT特許担当と原告は初回だけLを伴って特許原案を提示し」たことが、それぞれ記載されている。そこで、この点を検討する。 (イ) 甲14は,昭和58年3月に丸善石油の研究業務課が作成した文書であり,これには,高温分解型水素化分解触媒の探索研究の結果,工業化触媒として選定したHCK-12-2を実施した場合,工業技術院の特許に抵触することなどが記載されている。しかし,HCK-12-2触媒の規格と本件発明Aとを対比すると,目的や構成の一部に共通する点はあるものの,前者には,本件発明Aの特徴であるP因子に関する記載は存しない。 甲15,16は,いずれも昭和58年3月ころに作成された特許出願関係の書類であり,その内容からして,本件発明Aの研究開発過程のものと推認されるが,P因子に関する記載は存在しない。また,「細孔分布の限定の方法については(略)もっとこまかく条件をつける」,「高温にするためには脱S(硫黄の趣旨と推測される)活性ただ下げたらよいのみではない」といった書込みが存在し,原告がこれらの書き込みをした可能性も存するものの,書込みの時期は明らかではなく,その内容も抽象的な課題の指摘に止まる。 甲17は,先行発明に係る特許公報であり,その特許請求の範囲の記載にp,dという用語が用いられているが,pは該触媒の特定の平均孔直径を,dは該触媒の特定の平均粒子直径を表すとされており,本件発明AにおけるP因子とは意味を異にする。のみならず,甲17以外にも,触媒の平均細孔径と平均粒径,あるいは比平均細孔直径,比平均粒子直径を表す記号として,pとdを用いた特許文献が多数存在する(乙21)。 (ウ) 以上の証拠によれば,原告がP因子を着想をして,特許請求の範囲の記載に影響を与えたと認めることはできないのみならず、L及びMにおいてP因子を着想して本件発明Aを完成した昭和59年2月ないし3月ころより後に,原告がその特許出願に関与したと認めることもできない。昭和58年3月まではL及びMは触媒グループに所属しており,そのグループ長である原告は,L及びMが行った研究開発の経緯について報告を受けるべき立場にあったことに鑑みると,原告が原告の主張に関連する書類を所持していたからといって,原告が本件発明Aの特許出願手続に積極的に関与したと認めることはできない。甲5及び甲21の陳述記載も,L及びMが昭和59年2月か3月に本件発明Aを完成したとの前記認定事実に照らし,採用できない。 (2) 本件発明Bの関係 ア ゼオライトの分散性 原告は,本件発明Bの課題は,目的の灯油留分得率が低いことにあったが,原告が,電子顕微鏡等を用いて,その原因が触媒中のゼオライトの分散性が低いことにあることを突き止め,これを改善することを見出したことに照らすならば、原告が本件発明Bを発明したと認定,判断されいるべきである旨主張する。 そこでこの点を検討する。本件発明Bについての特許請求の範囲及び発明の詳細な説明によれば,本件発明Bの効果は,結晶性触媒組成物を前処理触媒と併用することにより,長期間にわたり極めて高い水素化分解活性を維持して,炭化水素類を水素化分解することであり、また、本件発明Bの特徴部分は,特許請求の範囲記載の要件を備えた結晶性触媒組成物を,炭化水素類を水素化精製する触媒と併用する点にある(以上の点については当事者間に争いがない。)。 他方,特許請求の範囲及び発明の詳細な説明欄の記載には,ゼオライトの分散性に言及した部分はなく,ゼオライトの結晶の分散性を高めることによって過分解を防止し,あるいは軽油,灯油の得率を向上するとの記載も存しない。かえって,ゼオライトの結晶を含む触媒については,既に特許出願(特開昭59-216635)がされている旨記載されているにとどまる。 したがって,原告がゼオライト結晶の分散性を高めることを見出したとしても,そのことから,原告が本件発明Bを発明したと認定,判断することはできない。原告の同主張は失当である。 イ スーパーマイクロリアクター 原告は,原告が,スーパーマイクロリアクター及びパソコンデータシステムを導入したことに照らすならば,原告が本件発明Bを発明したと認定、判断されるべきである旨主張する。 そこでこの点を検討する。甲6,7によれば,本件発明Bの研究開発の過程で,スーパーマイクロリアクター等によって試作触媒の評価が行われたことが推認される。しかし,本件発明Bの発明者とされるのは,本件発明Bの前記の特徴部分について着想を得て,これを具体化した者というべきであるから,その評価に用いる実験設備等の導入をしたに過ぎない者が本件発明Bを発明したと認定,判断することはできない。原告の同主張は失当である。 ウ 研究開発過程への関与 原告は,本件発明Bについて,原告が,研究開発の過程でNと議論をするなどして,研究開発過程において尽力したことに照らすならば,原告が本件発明Bを発明したと認定,判断されるべきであると主張する。 しかし,甲10には,「ゼオライトの特性」といった検討課題のみが書き連ねられ,解決手段等は何ら記載されていないこと,本件発明Bの特徴の1つである前処理触媒に関する記載も全くないことから,この証拠によって,原告が本件発明Bを発明したと認定,判断することは到底できない。原告の同主張は失当である。 3 結論 以上のとおり,本件発明Aについては,専らL及びMが,本件発明Bについては専らNが,それぞれ発明したと認められ,原告が本件各発明を発明したと認めることはできない。 したがって,原告が本件各発明の発明者であることを理由に,職務発明の譲渡に対する相当の対価の支払を求める原告の請求は,その余の点について判断するまでもなく,理由がない。 |
裁判長裁判官 | 飯村敏明 |
---|---|
裁判官 | 谷有恒 |
裁判官 | 佐野信 |