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関連審決 異議1997-73563
関連ワード 特許を受ける権利 /  発明者 /  物の発明 /  方法の発明 /  製造方法 /  新規性 /  29条1項3号 /  容易に実施 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  先願主義 /  試行錯誤 /  発明の詳細な説明 /  数値限定 /  実施 /  構成要件 /  設定登録 /  拒絶理由通知 /  請求の範囲 /  取消決定 / 
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事件 平成 12年 (行ケ) 120号 特許取消決定取消請求事件
原告 株式会社ユアサコーポレーション
訴訟代理人弁理士 青山葆
同 大森忠孝
同 田代攻治
同 大畠康
被告 特許庁長官及川耕造
指定代理人 小野秀幸
同 森田ひとみ
同 大橋良三
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2002/02/07
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告 特許庁が平成9年異議第73563号事件について平成12年2月24日にした取消決定を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告 主文と同旨
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は,発明の名称を「アルカリ蓄電池用ニッケル電極活物質」とする特許第2576717号の特許(平成3年5月27日出願,平成8年11月7日設定登録。以下「本件特許」という。)の特許権者である。
特許庁は,平成9年7月24日及び同月29日,本件特許について特許異議の申立てを受け,これを平成9年異議第73563号事件として審理した結果,平成12年2月24日,「特許第2576717号の特許を取り消す。」との決定をし(以下「本件決定」という。),平成12年3月21日,その謄本を原告に送達した。
2 特許請求の範囲 【請求項1】 「亜鉛,カドミウムおよびコバルトの一種以上を固溶状態で含有し,細孔半径30Å以上の内部遷移細孔の発達を抑制し,全細孔容積を0.1ml/g以下に制御した水酸化ニッケル粉末において,その結晶のX線回折ピーク(001)面の半価幅が0.5度から1.0度であることを特徴とするアルカリ蓄電池用ニッケル電極活物質。」 【請求項2】 「上記水酸化ニッケル粉末の結晶のX線回折ピーク(001)面の半価幅が,0.6度から0.8度であることを特徴とする請求項1記載のアルカリ蓄電池用ニッケル電極活物質。」(以下,請求項1に係る発明を「本件発明1」,請求項2に係る発明を「本件発明2」といい,両者を「本件発明」と総称することがある。) 3 本件決定の理由 本件決定の理由は,別紙異議の決定書の写しのとおりである。要するに,本件特許の願書に添付された明細書(以下「本件明細書」という。)の発明の詳細な説明は,当業者が本件発明を容易に実施することができる程度に記載されていないから,本件特許は平成6年法律第116号による改正前の特許法36条4項(以下「旧特許法36条4項」という。)に規定する要件を満たしていない,とするものである。
原告主張の取消事由の要点
本件決定中,1(手続の経緯)及び2(取消事由の内容)を認め,3(当審の判断)を争う。ただし,一部認めるところがある。
本件決定は,発明の詳細な説明の記載要件についての一般的解釈を誤り(取消事由1),本件明細書の発明の詳細な説明には,当業者が,本件発明に係る所定の半価幅を有する活物質である水酸化ニッケル粉末(以下「本件粉末」という。)を容易に得ることができる程度に記載されていないと誤認した(取消事由2,3)ものであり,これらの誤りは,いずれも,結論に影響を及ぼすことが明らかであるから,違法なものとして取り消されるべきである。
1 取消事由1(発明の詳細な説明の記載要件についての一般的解釈の誤り) 本件決定は,「本件発明の活物質を得るためには,高密度を維持しながら,所定量結晶が歪んだ規定の半価幅を有するような製造条件が開示されていなければならないが,本件明細書には,上記のように本件粉末の活物質を得るための具体的実施例は記されていない。」(決定書3頁下から2行〜4頁2行)として,本件粉末を得るための製造条件の記載が旧特許法36条4項に規定する発明の詳細な説明の要件であることを当然の前提にして,認定判断をしているが,この前提そのものが誤りである。
本件発明は,物の発明であり,物を得るための方法の発明ではない。そして,その物は,現に得られており,特有の作用効果を呈している。このようなとき,その物を得るための方法が明細書に記載されていないからといって,特許性を否定してしまうのは,物の発明について特許を得るために,その物を得るための方法まで開示しなければならないことにも通じ,発明保護の見地から著しく不合理である。
2 取消事由2(本件明細書の記載に基づいて実施することの容易性についての判断の誤り) (1) 本件明細書に,実施例に挙げられた本件粉末BないしDを得るための製造条件と,本件発明から外れる高密度水酸化ニッケル粉末Aの製造条件の違いが記載されていないことは,事実である。
しかし,本件粉末を得るための方法として本件明細書に示されているのは,最初から本件粉末(BないしD)だけを得るものではなく,pH及び温度の条件を設定することによって,まず高密度粉末を各種(AないしD)製造し,その後,それらの粉末の中から,半価幅を測定して所定の半価幅を有する粉末(BないしD)を選定して得るものであり,その際,pH及び温度が知られていれば,高密度粉末を得ることができ,後は半価幅の公知の測定方法を実施するだけであるので,何ら試行錯誤は必要としない。したがって,本件粉末は,本件明細書に記載された製造方法によって,当業者ならば再現して得ることができるものである。
被告は,漠然とした操作,pH,温度範囲を広範囲に示しただけの本件明細書の記載から,本件粉末BないしDに到達するためには,多くの試行錯誤を要すると主張するが,失当である。
本件明細書(甲第2号証参照)には,その発明の詳細な説明の欄の,「硝酸ニッケルに少量の硝酸亜鉛・硝酸カドミウムおよび硝酸コバルトを加えた水溶液に,硝酸アンモニウムを添加した後,水酸化ナトリウム水溶液を滴下しながら激しくかくはんし,錯イオンを分解させて亜鉛,カドミウムおよびコバルトの固溶した水酸化ニッケル粒子を徐々に析出成長させることによって,高密度水酸化ニッケル粉末を作製した。この時,反応時のpHを10〜12,反応温度を20〜90℃に変化させ,4種類の高密度水酸化ニッケル粉末A,B,C,Dを得た。」(甲第2号証2頁4欄23行〜32行)との記載(以下「記載甲」という。)以外に,本件粉末を製造する具体例が記されていないことは,事実である。
しかし,本件明細書には,上記記載のほか,「これら高密度水酸化ニッケル粉末A,B,C,Dの粉末X線回折を行い,(001)面の回折線の半価幅を測定した。」(4欄39行〜41行),「図1より半価幅の値が・・・0.5〜1.0の範囲に限定される。」(4欄46行〜5欄1行)との記載(以下,これらの記載をまとめて「記載乙」という。)がある。
本件明細書の記載をみた当業者は,記載甲に従って高密度水酸化ニッケル粉末A,B,C,Dを得た上,その中から記載乙に従って本件粉末BないしDを選定すれば本件粉末を得ることができるのであるから,本件粉末を得るための方法は,本件明細書に十分に開示されているといい得る。
被告は,原告の審査段階での意見書(乙第3号証)を根拠として,本件粉末の製造条件の開示が不十分であるとしている。確かに,乙第3号証に挙げられている製造条件は,本件粉末に該当しない他の粉末を排して始めから本件粉末のみを得ようとした場合においては必須のものであり,半価幅を異ならせる因子となるものである。しかし,他の粉末を排して始めから本件粉末のみを得ようとするか,他の粉末も含めて本件粉末を得た後に本件粉末のみを得ようとするか,のいずれの方法を選ぶかは,実施者が任意になし得ることである。本件明細書は後者の方法を開示しているのである。しかも,後者の方法では,得られるものに本件粉末に該当しない他の粉末まで含まれるとしても,本件粉末も得ることができるのであるから,これを本件粉末の製造方法ということには何の問題もないはずである。
被告は、原告が本件発明の肝腎なところを秘匿しているという。
しかしながら、本件発明の肝腎なところは、半価幅を限定した点にあるのであって、その半価幅を持った粉末を目的として製造する方法にあるのではないから,本件発明の肝腎なところを秘匿しているということはない。このような場合に,出願人(本件では原告)が,自らは開示十分であると考えているのに、開示不十分であるとして特許を受ける権利を奪われるのであれば、出願しようとする者は,開示不十分となることを恐れて出願に消極的となり、かえって発明の秘匿を助長する恐れにつながる,というべきである。
(2) 本件粉末が現に得られていることは,甲第11号証から理解することができる。甲第11号証の(T)は,本件粉末の実際の製造方法を示すものであり,(U)は,その製造工程図及び反応槽の作動模式図を示し,(V)は,そのパイロットプラント装置の外観写真であり,これらにより,本件粉末が実際に得られることが分かる。なお,本件粉末Cは,実際に,原告の商品であるニッケル水素電池(型番:DHA0700AAA)に用いられている。
被告は,出願人(原告)が出願当時出願に係る物の製造技術を知っていたという事実を,出願後にいくら立証してみても,それは無意味なことである旨主張するが,失当である。甲第11号証は,本件粉末が確かに得られるものであることを証明するための製造具体例を示したにすぎないものである。
被告は,原告が,異議審理の段階において提出すべき資料を提出すべき時期には提出しないでおいて,訴訟の段階になって新しい資料を提出し,記載要件不備を訴訟段階で治癒しようとすることは,審判の意義をないがしろにするものであり,また,時機に遅れた攻撃防御の方法に相当し,その証拠は,採用されるべきではない,と主張するが,失当である。
本件出願当時の技術水準を示す資料は,元来,多々あるのである。それらの中から,どれだけの資料を提出すれば立証に十分であるかは必ずしも明確ではなく,現実には,ある程度の資料を収集し,取捨選択し,これで立証可能であろうと考えて提出するのが一般的である。審判段階において,その資料では不十分であると判断された場合に,何ら補充の機会が与えられないのでは,出願人の保護に欠けることになることが明らかであり,取消訴訟の段階においても,補充証拠の提出が認められなければならないのは当然である。また,有力な証拠があるのに,提出時期の制限により有効な発明が特許されなくなるのは,産業発展に寄与しようとする特許制度の趣旨に反するものというべきである。
被告は,このような「時機に後れて提出した証拠」が採用され,取消決定が取り消されるとすれば,審判業務の徒労を招き,行政効率の低下を来す,と主張する。
被告の主張は,行政の便宜のためならば,特許されるべきものでも特許されなくてもよいというものであって,このような主張が被告によってなされること自体,はなはだ遺憾なことというべきである。
被告は,甲第11号証が反応制御因子として6個の因子を挙げていることを理由に,本件明細書の記載が不十分であるとしている。しかし,甲第11号証は,本件粉末が確かに得られるものであることを証明するための製造具体例を示したにすぎないものであるから,これを本願明細書の記載不備の理由とすることは不当である。
3 取消事由3(本件出願当時の技術水準に基づいて実施することの容易性の看過) 本件決定は,本件粉末を実際に製造するに当たって,「種々の検討すべき項目について,それぞれに微妙な条件や数値の設定及びそれらの組み合わせが要求されるものと認められるから,それらの条件を当業者が種々設定し,試行錯誤の結果でしか製造できないのであれば,本件明細書には本件発明を当業者が容易に実施できる程度に構成が開示されていないことになる。」(決定書5頁4行〜8行)と判断するが,この判断は誤っている。本件粉末は,本件明細書に,その製造条件が開示されていなくても,本件出願当時の技術水準に基づいて,当業者が容易に実施し得たものである。
甲第4号証(特開昭60-131765号公報)には,低密度水酸化ニッケル粉末の製造法である中和法が示されており,甲第5号証(特開昭56-143671号公報)には,高密度水酸化ニッケル粉末の製造法であるアンミン錯塩法が記載されており,甲第6号証(平成7年8月5日社団法人電気化学協会発行「電気化学および工業物理化学」752頁〜758頁)には,アンミン錯塩法が反応晶析法であることが記載されており,甲第7号証(昭和50年8月30日丸善株式会社発行「晶析・分離・乾燥を中心にする設計」19頁の表1・6)及び第8号証(1993年6月10日株式会社岩波書店発行「岩波理化学辞典 第4版」245頁、611頁)には,反応晶析法における結晶成長の制御因子として過飽和度ひいては反応速度が公知であることが記載されている。甲第4号証ないし第8号証を参考にすれば,アンミン錯塩法において結晶性を考慮した場合に反応速度を制御することは公知であったということができる。
このように,本件粉末の製造条件は,本件出願時の技術水準でもあったので,本件明細書に,本件粉末の製造条件が開示されていないとしても,当業者は,本件発明を容易に実施することができる。本件明細書の記載に不備があるとはいえない。
被告の反論の要点
本件決定の認定判断は正当であって,本件決定を取り消すべき理由はない。
1 取消事由1(発明の詳細な説明の記載要件についての一般的解釈の誤り)について 特許出願は書面によらなければならず,出願に際しては,願書並びに明細書及び必要な図面の提出が必要である。そして,出願時に願書に添付された明細書には,当業者が容易にその実施をすることができる程度に,その発明の目的,構成及び効果を記載しなければならない(旧特許法36条4項)。したがって,先に出願した者に対して特許を付与するという先願主義の特許制度は,出願当初から,願書に添付された明細書に,当業者が容易に発明実施ができるように,その発明の全体が記載されていることを前提としている。そして,当業者が容易に実施できるとは,特定の企業の特別な研究者だけでなく,当該技術分野に属する世間一般の通常の知識を有する者でも,明細書の記載に従って追試をすれば,その発明が容易に実施することが可能であることが求められるのである。したがって,物の発明であっても,当業者が明細書の記載に従って追試をすることができるように技術開示がなされていることが求められるのである。
2 取消事由2(本件明細書の記載に基づいて実施することの容易性についての判断の誤り)について 原告は,本件明細書の記載をみた当業者は,記載甲に従って高密度水酸化ニッケル粉末A,B,C,Dを得た上,その中から記載乙に従って本件粉末BないしDを選定すれば本件粉末を得ることができる,と主張するが,失当である。
(1) 漠然とした操作,pH,温度範囲を広範囲に示しただけの本件明細書の記載から,本件粉末BないしDに到達するためには,多くの試行錯誤を要するものというべきである。
すなわち,本件明細書によると,本件発明に係る水酸化ニッケル粉末は,従来の中和法による多孔性に富む粉末とは異なり,ニッケルの錯イオンを用いたいわゆるアンミン錯塩法により細孔の容積を少なくした六方晶型の層状構造を有する結晶の高密度水酸化ニッケル粉末としたものではあるものの,単に高密度の結晶体というだけでなく,その結晶の状態が高密度を維持しつつ,結晶のC軸方向の原子の層の重なりの乱れの状態(歪み状態)が所定の範囲幅で乱れているものであり,この歪みの程度は(001)面の回折線の半価幅で表され,これが乱れて歪み過ぎると,従来の中和法による低密度の水酸化ニッケル粉末と同様になり,高密度の粉末ではなくなるというのである(第4段,第8段,第10段,第12段参照)。
審査段階で,拒絶理由(新規性及び進歩性の欠如)の根拠となるものとして引用された特開平1-260762号公報(乙第1号証),特開平2-30061号公報(乙第2号証)には,本件発明でいう細孔の発達を抑制した高密度水酸化ニッケル粉末をアンミン錯塩法を用い,特定のpH及び温度で製造した旨記載されている。このpHと温度の値は,本件明細書に記載されたアンミン錯塩法による製造例と格別異なるところがない。
原告は,審査段階で上記の拒絶理由の通知を受け,これに対して,意見書(乙第3号証)を提出し,この意見書において,「C軸方向の歪み((001)面の回折線の半価幅)は,グラファイトと類似の層状構造を持つ水酸化ニッケル結晶の層の重なりの乱れ具合を示すもので,生成時の析出・成長条件に依存する。・・・同一のPH値かつ同一の反応温度であっても,結晶を析出・成長させる速度や反応時間が異なれば,また,反応終了後の熟成条件が違えば,生成した水酸化ニッケルのC軸方向の歪み状態(層の重なりの乱れ)は相違する」などと述べていた。そして,審査官は,この意見により,拒絶理由で引用した上記各刊行物において得られる水酸化ニッケル粉末と本件粉末とは異なる物であると判断し,特許査定をしたのである。得られている水酸化ニッケル粉末の結晶状態に,両者異なるところがなければ,物として同一であって,本件発明は,特許法29条1項3号に該当するはずのものであったのである。
このように,本件発明は,オングストローム(Å)レベルの細かな孔の生成を抑制しつつ,結晶中の層状原子の配列を微妙に制御することにより,化学的に製造される物質の発明であり,しかも,この物質の製造に当たっては,微妙な塩梅(あんばい)を必要とするというのである。本件粉末を製造するには,高密度粉末を得るためのアンミン錯塩法において,前掲のpH,温度条件だけでなく,他の種々の条件も考慮して,高密度を維持しつつ,所定範囲の結晶の乱れ状態にする必要がある。
ところが,本件明細書には,製造に関する記載として,単に「・・・反応時のpHを10〜12,反応温度を20〜90℃に変化させ・・」(2頁4欄30行,31行)という記載があるのみであり,本件粉末BないしDの製造条件が全く不明である。粉末の結晶の原子の配列状態を30Å以上の細孔の発達を抑制したものにし,結晶のC軸方向の原子の層の重なりの乱れ具合を特定しただけでは,当業者は,高密度で,かつ,所定の半価幅にするための製造技術として考慮すべき調製条件及びそれら個々の調製条件を具体的にどのように組み合わせて行えばよいのか,製造に必要な技術上のポイント,あるいは,こつがわからず,その物を実際に容易に製造することはできない。
本件明細書に漠然とした操作,PH,温度範囲を広範囲に示しただけでは,当業者が本件粉末BないしDに到達するためには,不相当に多くの試行錯誤を要することになるのである。
(2) 原告は,本件発明に係る物が現に得られているとして,製造具体例を示すという甲第11号証を提出する。しかしながら,先願主義のもとでは,当該発明の開示が十分かどうかの判断は,出願当初の明細書の記載をもってするのが当然のことであり,出願人が出願当時出願に係る物の製造技術を知っていたという事実を,出願後にいくら立証してみても,それは無意味なことである。
また,原告が,異議審理の段階において,提出すべき資料を提出すべき時期には提出しないでおいて,訴訟の段階になって新しい資料を提出し,記載要件不備を訴訟段階で治癒しようとすることは,審判の意義をないがしろにするものであり,また,時機に後れた攻撃防御の方法に相当する。そのような証拠は,採用されるべきではない。このような「時機に後れて提出した証拠」が採用され,取消決定が取り消されるとすれば,審判業務の徒労を招き,行政効率の低下を来すものである。
本件粉末の製造条件としては,反応制御因子として,@pH値,A温度,B反応時間,滞留(撹拌)時間,撹拌速さ,Cニッケル塩濃度,DNaOH濃度,E滴下速さ,を調製し,組み合わせることが必要であり,このことは,甲第11号証や乙第3号証(審判段階における原告の意見書)から明らかである。ところが,本件明細書においては,上記6個の個々の因子をどのように調製し,組み合わせて製造すれば,本件粉末BないしDが得られるのか,全く不明である。漠然とした操作,pH,温度範囲を広範囲に示しただけの本件明細書の記載から,本件粉末BないしDに到達するためには,不相当に多くの試行錯誤を要するものというべきである。
3 取消事由3(本件出願当時の技術水準に基づいて実施することの容易性の看過)について 化学工学的処理の一つとしての広い概念である反応晶析法での反応や晶析装置に影響を与える因子として,溶質の過飽和度や結晶の成長速度は知られていても,本件発明でいうような高密度粉末の製造法で検討すべき項目として具体的に知られている因子は,pHと温度だけであり(甲第6号証参照),製法として,ニッケルのアンミン錯塩にして後,アルカリを添加して,徐々に反応させて高密度の粉末が得られることは知られているものの,本件出願後の意見書(乙第3号証)でいうような条件を調製して,高密度を維持しつつ,しかも,本件粉末のような所定の半価幅の結晶を得る手法は不明であった。
すなわち,化学常識的に検討すべき因子はあるとしても,本件特許におけるように,一方では,結晶の原子の配列を所定値以上に乱れさせねばならず,他方,そうかといって,乱れの程度を表す半価幅が所定値以上に乱れると前提である高密度結晶状態は維持できず,細孔の発達した従来の中和法による低密度の粉末と同様になるような不安定,鋭敏かつ微妙なもので,意見書で述べるように細かな条件の制御が必要な物の製造においては,検討すべき項目条件とそれらの組合せは多数となり,しかも,実際に本件特許で規定する粉末を得るには,種々の条件が合致した場合のピンポイントでの設定が要求されると考えられ,これでは,当業者に過度の試行錯誤と複雑な実験を強いることになる。
このように,過度の試行錯誤や複雑な実験の結果でしか現実に当業者が本件粉末を得られないときに,本件明細書に当業者が容易に実施できる程度に構成が開示されているということは,できないのである。
当裁判所の判断
1 取消事由1(発明の詳細な説明の記載要件についての一般的解釈の誤り)について (1) 特許法1条の下では,我が国の特許制度は,産業政策上の見地から,自己の発明を公開して社会における産業の発達に寄与した者に対し,その公開の代償として,当該発明を一定期間独占的,排他的に実施する権利(特許権)を付与してこれを保護することにしつつ,同時に,そのことにより当該発明を公開した発明者と第三者との間の利害の調和を図ることにしているものと解するのが相当である。旧特許法36条4項が,「前項第3号の発明の詳細な説明には,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に,その発明の目的,構成及び効果を記載しなければならない。」と定めているのも,発明の詳細な説明の記載要件という場面における,特許制度の上記趣旨の具体化であるということができる。そして,特許制度の上記趣旨の下で上記文言をみれば,ここに,「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる」との要件は,物の発明,方法の発明のいずれにも求められるものであることは,明らかなことというべきである。
出願された発明が物の発明であって,その物の目的,構成及び効果が開示されているとしても,その物を当業者が容易に製造することができない場合には,社会における産業の発達に寄与する程度に発明を公開したことにならないことは,いうまでもないところであるから,上記特許制度の趣旨に照らせば,このような場合に,代償としての独占権である特許権を要求するに公開がなされているとすることはできない。
したがって,物の発明であっても,そこに開示されたその物の目的,構成及び効果の開示だけでは,当業者がその物を容易に製造することができないという場合には,その物を製造する方法まで開示していなければ,「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度」に「その発明の目的,構成及び効果」が明細書に記載されているとはいえないのである。
(2) 原告は,本件発明は,物の発明であり,物を得るための方法の発明ではない,そして,その物は,現に得られており,特有の作用効果を呈しているものである,このようなとき,その物を得るための方法が明細書に記載されていないからといって,物の特許性を否定してしまうのは,物の発明について特許を得るために,その物を得るための方法まで開示しなければならないことにも通じ,発明保護の見地から著しく不合理である,と主張する。
しかしながら,仮に,明細書に,従来技術の下で存在しなかった物が,現に得られており,特有の作用効果を呈していることが記載されているとしても,それは,その物に新規性がある,進歩性があるというにすぎない。特許法は,新規性,進歩性に関する29条1項,2項の規定のほか,上述したとおり,旧特許法36条4項によって,当業者にとって実施容易であることをも要件としているのである。原告の主張は,要するに,当業者が実施することができなくても,新規性,進歩性があるものには特許を認めよ,ということであり,特許法による発明保護の要件の理解を誤っているという以外にない。
原告の主張は,採用できない。
2 取消事由2(本件明細書の記載に基づいて実施することの容易性についての判断の誤り)について (1) 本件発明1が,「亜鉛,カドミウムおよびコバルトの一種以上を固溶状態で含有し,細孔半径30Å以上の内部遷移細孔の発達を抑制し,全細孔容積を0.1ml/g以下に制御した水酸化ニッケル粉末において,その結晶のX線回折ピーク(001)面の半価幅が0.5から1.0であることを特徴とするアルカリ蓄電池用ニッケル電極活物質。」,本件発明2が,「上記水酸化ニッケル粉末の結晶のX線回折ピーク(001)面の半価幅が,0.6度から0.8度であることを特徴とする請求項1記載のアルカリ蓄電池用ニッケル電極活物質。」との各構成を有する物の発明であることは,当事者間に争いがない。
(2) 本件発明1は,上述のとおり,「亜鉛,カドミウムおよびコバルトの一種以上を固溶状態で含有し,細孔半径30Å以上の内部遷移細孔の発達を抑制し,全細孔容積を0.1ml/g以下に制御した水酸化ニッケル粉末」に関し,「その結晶のX線回折ピーク(001)面の半価幅が0.5度から1.0度であることを特徴とする」という「アルカリ蓄電池用ニッケル電極活物質」の発明であるから,本件発明1は,「その結晶のX線回折ピーク(001)面の半価幅が0.5度から1.0度である」というように水酸化ニッケル粉末を数値限定したところに,その眼目があるということができる。また,本件発明2は,本件発明1の構成を有する水酸化ニッケル粉末につき,その数値限定の範囲を「結晶のX線回折ピーク(001)面の半価幅が,0.6度から0.8度である」として,更に限定しているものであり,この数値限定にこそその眼目があるということができる。
言い換えれば,本願発明は,「亜鉛,カドミウムおよびコバルトの一種以上を固溶状態で含有し,細孔半径30Å以上の内部遷移細孔の発達を抑制し,全細孔容積を0.1ml/g以下に制御した水酸化ニッケル粉末」のうちの上記の数値の範囲内にあるもの(本件粉末)に限って,これに新規性,進歩性があるとしているものである。
そうである以上,本件明細書には,従来の水酸化ニッケル粉末と区別して,本件発明1及び2の新規性,進歩性の眼目である「その結晶のX線回折ピーク(001)面の半価幅が0.5度から1.0度である」あるいは「結晶のX線回折ピーク(001)面の半価幅が,0.6度から0.8度である」という所定の構成を有する数値限定された特定の水酸化ニッケル粉末について,当業者が容易に実施し得るように,すなわち,容易に製造することができるように記載されていなければならないことは,明らかというべきである。
(3) 本件明細書の記載 (ア) 甲第2号証によれば,本件明細書の発明の詳細な説明の欄には,本件発明についての一般的な説明として,「本発明は・・・全細孔容積を低減した高密度水酸化ニッケル粉末において,安定した高い電気化学的活性度(活物質利用率)を示す水酸化ニッケル活物質の提供を目的とするものである。」(2頁3欄36行〜40行),「本発明は,上記目的を達成するべく,亜鉛,カドミウムおよびコバルトの一種以上を固溶状態で含有し,細孔半径30Å以上の内部遷移細孔(メソポアー)の発達を抑制し,全細孔容積を0.1ml/g以下に制御した水酸化ニッケル粉末において,その粉末X線回折図の(001)面の回折線の半価幅が0.5度から1.0度であり,望ましくは0.6度から0.8度であることを特徴とするアルカリ蓄電池用ニッケル電極活物質である。」(2頁3欄42行〜末行),「我々は,水酸化ニッケルの活物質利用率と上記の水酸化ニッケル結晶の緻密性(歪み程度)の目安となる(001)面の回折線の半価幅との間に相関関係のあることを見出した。すなわち,内部細孔容積を0.1ml/g以下に制御した高密度水酸化ニッケル粉末の該半価幅は,亜鉛,カドミウムおよびコバルトの固溶状態により変化し,その活物質利用率は半価幅の増大するに伴い高くなる。ここに,粉末X線回折図の(001)面の回折線の半価幅が0.5度以上の該高密度水酸化ニッケル粉末を作成することによって,その活物質の利用率を常に安定して90%以上とすることが可能となる。」(2頁4欄10行〜20行)との記載があることが認められる。
(イ) 甲第2号証によれば,本件粉末の製造方法に関しては,本件明細書の発明の詳細な説明中に,実施例に係るものとして,「本発明の実施例を以下に説明する。各種の高密度水酸化ニッケル粉末を次のように作製した。硝酸ニッケルに少量の硝酸亜鉛・硝酸カドミウムおよび硝酸コバルトを加えた水溶液に,硝酸アンモニウムを添加した後,水酸化ナトリウム水溶液を滴下しながら激しくかくはんし,錯イオンを分解させて亜鉛,カドミウムおよびコバルトの固溶した水酸化ニッケル粒子を徐々に析出成長させることによって,高密度水酸化ニッケル粉末を作製した。
この時,反応時のpHを10〜12,反応温度を20〜90℃に変化させ,4種類の高密度水酸化ニッケル粉末A,B,C,Dを得た。」(2頁4欄22〜32行),「これら高密度水酸化ニッケル粉末に少量の一酸化コバルト粉末を混合し,CMCで増粘した水溶液を加えてぺースト液となして,ニッケル繊維多孔体基板に一定量充填して電極を作製した。この電極をカドミウム負極を相手極として水酸化カリウム水溶液中で充放電して,水酸化ニッケル活物質の利用率を測定した。また,これら高密度水酸化ニッケル粉末A,B,C,Dの粉末X線回折を行い,(001)面の回折線の半価幅を測定した。これら水酸化ニッケル活物質利用率と半価幅の関係を図1に示した。活物質利用率と半価幅とには相関があり,半価幅の増大に伴い利用率は高くなることが認められる。通常,ニッケル電極においては,90%以上の活物質利用率が要求される。従って,90%以上の活物質利用率を得るためには,図1より半価幅の値が0.5度以上である必要がある。一方,半価幅の値が1.0度を超えると,水酸化ニッケル粉末の高密度性は維持されず,従来の低密度の水酸化ニッケル粉末と同様になるため,半価幅の値は0.5〜1.0の範囲に限定される。また,水酸化ニッケル粉末の高密度性とより高い利用率を得るとの観点から,0.6〜0.8の範囲がより望ましい。」(2頁4欄33行〜3頁5欄3行)との記載があること,図1には,半価幅の値が,水酸化ニッケル粉末B,C,Dにおいては0.5〜1.0の範囲にあり,Aにおいては0.5より低いことが示されていることが認められる。
(ウ) 本件明細書には,上記記載以外に,本件発明にいう所定の半価幅を有する粉末(本件粉末)を製造する具体的事項が記されていないこと,本件明細書には,本件粉末BないしDを得るための製造条件と,本件発明から外れる高密度水酸化ニッケル粉末Aの製造条件の違いが記載されていないことは,当事者間に争いがない。
(4) 本件明細書の上記記載によれば,本件粉末の製法は,次のとおりであり,この工程によって得られる高密度水酸化ニッケル粉末は,本件粉末とそれ以外の粉末が混在するものであり,しかも,これが本件明細書に開示された唯一の製法であるということができる。
@ 硝酸ニッケルに少量の硝酸亜鉛,硝酸カドミウム及び硝酸コバルトを加えた水溶液に硝酸アンモニウムを添加する。
A これに水酸化ナトリウム水溶液を滴下しながら激しく攪拌し,錯イオンを分解させて亜鉛,カドミウム及びコバルトの固溶した水酸化ニッケル粒子を徐々に析出成長させることによって,高密度水酸化ニッケル粉末を作製する。
B 反応時のpHを10〜12,反応温度を20〜90℃に変化させる。
本件発明は,特許請求の範囲に記載されているとおり,「亜鉛,カドミウムおよびコバルトの一種以上を固溶状態で含有」する水酸化ニッケル粉末であるのに対し,本件明細書にその製法が開示されているのは,硝酸ニッケルに少量の硝酸亜鉛,硝酸カドミウム及び硝酸コバルトを加えた場合のみであって,亜鉛,カドミウム,コバルトのそれぞれ1種を含有する場合,亜鉛及びカドミウム,亜鉛及びコバルト,カドミウム及びコバルトのそれぞれ2種を含有する場合については,その製法に関する記載は,本件明細書に全く存在しないということになる。
本件のような化学技術の分野においては,一般に,複雑な反応工程をたどることが多く,出発物質,反応条件等のわずかな相違によって思いがけない結果が生じることがあるので,本件明細書の発明の詳細な説明に,硝酸亜鉛,硝酸カドミウム及び硝酸コバルトの3種を含有させた実施例が開示されているのみで,果たして,その余の,亜鉛,カドミウム,コバルトのそれぞれ1種を含有する場合,亜鉛及びカドミウム,亜鉛及びコバルト,カドミウム及びコバルトのそれぞれ2種を含有する場合の製法をも開示しているといえるのかこれ自体に大きな問題がある。
審査段階で特開平1-260762号公報(以下「乙第1号証公報」ということがある。),特開平2-30061号公報(以下「乙第2号証公報」ということがある。)が引用されて本件発明に新規性進歩性もない旨の拒絶理由通知が発せられたことは,当事者間に争いがない。
乙第3号証及び弁論の全趣旨によれば,@原告は,審査段階における新規性,進歩性を欠くとの上記拒絶理由通知に対し,意見書(以下「乙第3号証意見書」ということがある。)を提出したこと,Aその意見書には,「先ず,本願発明は以下の理由により,引用例1,2(判決注・引用例1は乙第1号証公報,引用例2は乙第2号証公報である。)に記載された発明と同一ではない。後述の通り,本願発明は,活物質利用率がC軸方向の結晶歪み((001)面のXRD回折線の半価幅)に相関することを見出したものであり,この歪みはグラファイトと類似の層状構造を持つ水酸化ニッケル結晶の層の重なりの乱れ具合を示すもので,生成時の析出・成長条件に依存する。ここで,引用例1,2と本願発明の実施例に記載の水酸化ニッケル粉末の製造条件は,内部遷移細孔の発達を抑制し,全細孔容積を0.1或いは0.05m1/g以下に抑制した細孔構造を持たせるためのものであって,結晶歪みを必ずしも一定範囲にすることを保証するものではない。同一のpH値かつ同一の反応温度であっても,結晶を析出・成長させる速度や反応時間が異なれば,また反応終了後の熟成条件が違えば,生成した水酸化ニッケル結晶のC軸方向の歪み状態(層の重なりの乱れ)は相違し,その結果,活物質利用率も変動することになる。従って,引用例1,2と本願発明の製造条件が類似しているからといって,生成物の結晶歪み,即ち(001)面のXRD回折線の半価幅が,同一範囲になるとは限らない。これより,引用例1,2には,本願発明の構成要件である「水酸化ニッケル粉末の結晶のX線回折ピーク(001)面の半価幅が0.5度から1.0度であること」が記載されておらず,本願発明は引用例1,2に記載された発明とは同一ではない。」([意見の内容]1頁17行〜2頁7行)などと記載されていること,審査官は,上記意見書を検討した結果,本件発明につき特許査定をしたことが認められる。
乙第3号証意見書の上記認定の記載,特に,「引用例1,2と本願発明の製造条件が類似しているからといって,生成物の結晶歪み,即ち(001)面のXRD回折線の半価幅が,同一範囲になるとは限らない。これより,引用例1,2には,本願発明の構成要件である「水酸化ニッケル粉末の結晶のX線回折ピーク(001)面の半価幅が0.5度から1.0度であること」が記載されておらず,本願発明は引用例1,2に記載された発明とは同一ではない。」(同2頁1行〜3行)との記載によれば,原告は,審査段階から,少なくとも,乙第1,2号証公報に記載された技術と本件発明との間で製造条件が類似していることを認めた上,乙第1,2号証公報には,本願発明にいう「水酸化ニッケル粉末の結晶のX線回折ピーク(001)面の半価幅が0.5度から1.0度であること」が記載されていないという点を強調していたということができる。
仮に,硝酸ニッケルに「硝酸亜鉛,硝酸カドミウム及び硝酸コバルト」を加える場合と,「亜鉛」,「カドミウム」,「コバルト」,「亜鉛及びカドミウム」,「亜鉛及びコバルト」あるいは「カドミウム及びコバルト」を加える場合とが製造条件として類似していないとすれば,本件明細書には,硝酸ニッケルに「亜鉛」,「カドミウム」,「コバルト」,「亜鉛及びカドミウム」,「亜鉛及びコバルト」あるいは「カドミウム及びコバルト」を加える場合の製造方法が一切記載されていないことになるから,製造方法の記載が特許請求の範囲の「亜鉛,カドミウムおよびコバルトの一種以上を固溶状態で含有」するとの記載に合致しないという不合理な結果となる。
上述した各事情を総合すると,硝酸ニッケルに「硝酸亜鉛,硝酸カドミウム及び硝酸コバルト」を加える場合の製造条件に係る本件明細書の記載は,硝酸ニッケルに「亜鉛」,「カドミウム」,「コバルト」,「亜鉛及びカドミウム」,「亜鉛及びコバルト」あるいは「カドミウム及びコバルト」を加える場合のものとしても示されているものとみる以外にない。
以上によると,本願発明における本件粉末の製法は,次のとおりであるということになる。
@ 硝酸ニッケルに少量の硝酸亜鉛,硝酸カドミウム,硝酸コバルトの1種以上を加えた水溶液に硝酸アンモニウムを添加する。
A これに水酸化ナトリウム水溶液を滴下しながら激しく攪拌し,錯イオンを分解させて亜鉛,カドミウム及びコバルトの固溶した水酸化ニッケル粒子を徐々に析出成長させることによって,高密度水酸化ニッケル粉末を作製する。
B 反応時のpHを10〜12,反応温度を20〜90℃に変化させる。
(5) 水酸化ニッケルが硝酸亜鉛,硝酸カドミウムを含有する場合の上記@ないしBの工程は,公知となっているものである。すなわち,次のとおりである。
(ア) 乙第1号証によれば,同号証公報の特許請求の範囲(1)の欄には,「多孔性の耐アルカリ性金属繊維基板を集電体とし,水酸化ニッケル粉末を活物質主成分とするペースト式ニッケル極において,水酸化ニッケルが15〜30Åの細孔半径を有し,その空孔容積が0.05ml/g以下で且つ比表面積が15〜30m2/gであることを特徴とするアルカリ電池用ニッケル電極。」(1頁左欄5行〜11行),発明の詳細な説明の欄には,「以下,本発明における詳細について実施例により説明する。硝酸ニッケルに少量の硝酸カドミウムを加えた水溶液に硝酸アンモニウムを添加し,ニッケルおよびカドミウムのアンミン錯イオンを形成させる。この液に水酸化ナトリウム水溶液を滴下しながら激しく攪拌を行い,錯イオンを分解させてカドミウムの固溶体化した水酸化ニッケル粒子を徐々に析出成長させる。従来の如く,PH14以上の高濃度アルカリ溶液では無秩序に水酸化ニッケル粒子が析出するのみであり,空孔容積が増大する。そこで,PH10〜14程度の薄いアルカリ濃度にして,温度20〜90℃の範囲で徐々に析出させることが必要である。」(3頁右上欄16行〜左下欄9行)との記載があることが認められる。
乙第1号証公報の上記認定の記載によれば,同公報には,次のとおりの,水酸化ニッケル粉末の製法が,それにより15〜30Åの細孔半径を有し,その空孔容積が0.05ml/g以下で,かつ,比表面積が15〜30m2/gの水酸化ニッケルが得られることとともに,記載され散るということができる。
@ 硝酸ニッケルに少量の硝酸カドミウムを加えた水溶液に硝酸アンモニウムを添加してニッケル及びカドミウムのアンミン錯イオンを形成させる。
A この液に水酸化ナトリウム水溶液を滴下しながら激しく攪拌を行い,錯イオンを分解させてカドミウムの固溶体化した水酸化ニッケル粒子を徐々に析出成長させる。
B pH10〜14程度の薄いアルカリ濃度にして,温度20〜90℃の範囲で徐々に析出させる。
(イ) 乙第2号証によれば,同号証公報の特許請求の範囲(1)の欄には,「水酸化ニッケル粉末活物質に亜鉛を3〜10wt%添加し,該亜鉛が水酸化ニッケルの結晶中で固溶状態にあり,且つ細孔半径が30Å以上の内部遷移細孔の発達を阻止し,更に全細孔容積を0.05ml/g以下に制御したことを特徴とするニッケル電極用活物質。」(1頁左欄6行〜11行),発明の詳細な説明の欄には,「以下,本発明における詳細について実施例により説明する。硫酸ニッケルに少量の硫酸亜鉛を加えた水溶液に硫酸アンモニウムを添加し,ニッケル及び亜鉛のアンミン錯イオンを形成させる。この液を水酸化ナトリウム水溶液中に滴下しながら激しい攪拌を行い,徐々に錯イオンを分解させて亜鉛の固溶体化した水酸化ニッケル粒子を析出成長させる。PH11〜13程度の薄いアルカリ濃度にし,温度は40〜50℃の範囲で徐々に析出させる。」(3頁右上欄16行〜左下欄6行)との記載があることが認められる。
乙第2号証公報の上記認定の記載によれば,同号証公報には,次のとおりの,水酸化ニッケル粉末の製法が,これにより細孔半径が30Å以上の内部遷移細孔の発達を阻止し,更に全細孔容積を0.05ml/g以下に制御した水酸化ニッケルが得られることとともに記載されているということができる。
@ 硫酸ニッケルに少量の硫酸亜鉛を加えた水溶液に硫酸アンモニウムを添加し,ニッケルおよび亜鉛のアンミン錯イオンを形成する。
A この液を水酸化ナトリウム水溶液中に滴下しながら激しい攪拌を行い,徐々に錯イオンを分解させて亜鉛の固溶体化した水酸化ニッケル粒子を析出成長させる。
B pH11〜13程度の薄いアルカリ濃度にし,温度は40〜50℃の範囲で徐々に析出させる。
(6) 前記(4)並びに上記(5)の(ア)及び(イ)に基づき,本件発明の上記@ないしBの工程と乙第1,2号証公報に記載された各技術の上記各@ないしBの工程とを対比すると,出発物質は,本件発明が,硝酸ニッケルに少量の「亜鉛」,「カドミウム」,「コバルト」,「亜鉛及びカドミウム」,「亜鉛及びコバルト」,「カドミウム及びコバルト」あるいは「硝酸亜鉛,硝酸カドミウム及び硝酸コバルト」を加えた水溶液であるのに対して,乙第1号証公報に記載された技術では,硝酸ニッケルに少量の「硝酸カドミウム」を加えた水溶液,乙第2号証公報に記載された技術では,硝酸ニッケルに少量の「硫酸亜鉛」を加えた水溶液となっており,反応条件は,本件発明と乙第1号証公報に記載された技術では「硝酸アンモニウムを添加」,「水酸化ナトリウム水溶液を滴下しながら激しく攪拌」,乙第2号証公報に記載された技術では「硫酸アンモニウムを添加」,「水酸化ナトリウム水溶液中に滴下しながら激しい攪拌」となっており,反応時のpH,温度については,本件発明では「pHを10〜12,反応温度を20〜90℃」,乙第1号証公報に記載された技術では「pH10〜14程度の薄いアルカリ濃度にして,温度20〜90℃の範囲」,乙第2号証公報に記載された技術では「pH11〜13程度の薄いアルカリ濃度にし,温度は40〜50℃の範囲」となっているものである。
(7) 上記検討の結果によれば,本件発明の上記@ないしBの工程は,出発物質として,硝酸ニッケルに少量の「亜鉛」,「カドミウム」を加えた水溶液である場合に,乙第1,2号証公報に記載された各技術に係る上記各@ないしBの工程と同一ということが許されるほどに極めて類似していることが明らかである。そうである以上,審査段階において拒絶理由通知によって指摘されているように,本件発明は,新規性あるいは進歩性を欠いているのではないかとの疑義が生じることはさけられない。なぜならば,乙第1,2号証公報に記載された各技術に係る上記各@ないしBの工程が本件発明の@ないしBの工程と同一ということが許されるほどに極めて類似している以上,乙第1,2号証に記載された各技術に係る@ないしBの工程によって,本件発明1にいう「その結晶のX線回折ピーク(001)面の半価幅が0.5度から1.0度である」水酸化ニッケル粉末,あるいは,本件発明2にいう「結晶のX線回折ピーク(001)面の半価幅が,0.6度から0.8度である」水酸化ニッケル粉末が製造されている蓋然性が極めて大きいといい得るからである。
(8) 前記認定の乙第3号証意見書の記載,特に,「同一のpH値かつ同一の反応温度であっても,結晶を析出・成長させる速度や反応時間が異なれば,また反応終了後の熟成条件が違えば,生成した水酸化ニッケル結晶のC軸方向の歪み状態(層の重なりの乱れ)は相違し,その結果,活物質利用率も変動することになる。」との記載によれば,本件粉末は,少なくとも,結晶を析出・成長させる速度,反応時間,反応終了後の熟成条件等を微妙に調製しなければ製造し得ないものであると推測することができる。もし,このような微妙な調製をしなくとも本件粉末が得られるとすると,乙第1,2号証公報に記載された製造条件に従って製造される物の中にも,本件粉末以外のものばかりでなく,本件粉末も生じてくることを避けることができないということになり,乙第3号証意見書の上記記載によれば,このようなことはあり得ないはずであるからである。
(9) また,原告において,本件粉末を実際に製造し得る証拠であるとして甲第11号証として提出する原告作成の「製造方法」と題する書面(以下「甲第11号証書面」ということがある。)によれば,「製造方法 硝酸ニッケル水溶液(2モル/リットル)に,硝酸亜鉛(0.05モル/リットル)を添加して混合した後に硝酸アンモニウム水溶液(3モル/リットル)を添加してニッケル・アンミン錯体水溶液を調整した。次に,攪拌機付きの反応槽(約50リットル)に,前記のニッケル・アンミン錯体水溶液を約300ミリリットル/時の速さで連続投入しながら,水酸化ナトリウム水溶液(8モル/リットル)を反応槽内のpHが自動的に下表のpH値に維持されるように投入して反応させた。その際,反応槽内の温度は下表の値に維持し,攪拌機でもって常に激しく攪拌しながら,少なくとも15時間程度にわたり攪拌を継続し粒子成長(熟成)させた。その後に,生成した水酸化ニッケル粒子は,反応槽のオーバーフロー管から取り出し,水洗・脱水し,80℃にて16時間乾燥処理し,高密度水酸化ニッケル粉末を得た。」との文言と,pH制御値,温度制御値の数値の組合せを,10.2±0.1と25±1℃(第1の方法)、11.0±0.1と55±1℃(第2の方法)、11.5±0.1と50±1℃(第3の方法)、11.5±0.1と55±1℃(第4の方法)に変えたとき,粉末AないしDの半値幅が,それぞれ,約0.3,約0.6,約0.7,約0.7であることを示す表が記載され,上記記載に沿った「高密度水酸化ニッケル製造工程図」が示され,そこでは反応制御因子として,@pH値,A温度,B反応時間,滞留(撹拌)時間,撹拌速さ,Cニッケル塩濃度,DNaOH濃度,E滴下速さ,が挙げられていることが認められる。
甲第11号証書面の上記認定の記載によると,同書面に記載されている方法においては,本件明細書には特定されたものとして記載されていない,ニッケル・アンミン錯体水溶液(水酸化ナトリウム水溶液が滴下される水溶液)を調製する際の硝酸ニッケル水溶液の濃度,硝酸亜鉛の添加量及び硝酸アンモニウム水溶液の濃度,並びに反応槽の容量,ニッケル・アンミン錯体水溶液の投入要領,滴下される水酸化ナトリウム水溶液の濃度,粒子を徐々に析出成長させる時間,さらに乾燥温度と時間などが特定されており,また,反応時のpH及び反応温度の関係についても,pHを10.2±0.1としたときには反応温度を25±1℃とし,pHを11.0±0.1としたときには反応温度を55±1℃とし,pHを11.5±0.1としたときには反応温度を50±1℃とし,pHを11.5±0.1としたときには反応温度を55±1℃とするものとして,その製造条件が具体的に特定されていることが認められる。そして,上記第1の方法によっては,本件発明に当たらない半値幅が約0.3の水酸化ニッケル粉末が得られ,第2ないし第4の方法によっては,本件粉末である半値幅約0.6,0.7,0.7の水酸化ニッケル粉末が得られたことがうかがわれる。
(10) 以上検討したところによれば,本件発明に係る製造方法は,乙第1,2号証公報に記載された各技術とは同じではなく,本件明細書の記載が不十分であるため,乙第1,2号証公報に記載された各技術と区別がつかない状態になっているものというほかないことは,乙第3号証意見書及び甲第11号証書面により,明らかであるということができる。
このように,本件明細書には,漠然とした操作,PH,温度範囲が示されているだけであって,本件粉末又はこれを含む水酸化ニッケル粉末を製造するために必要な,具体的な指針もない以上,当業者がこれに従って製造しようとしても,製造できるかどうかも不明のまま不相当に多くの試行錯誤をしなければならないことになるのである。このようなとき,当業者が,本件粉末を含む水酸化ニッケル粉末を容易に製造することができるとすることはできず,このような明細書の記載について,「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度」に記載されているということができないことは,明らかというべきである。
(11) 上述したところに反する原告の主張は,いずれも採用することができない。
(ア) 原告は,本件明細書の記載をみた当業者は,記載甲に従って高密度水酸化ニッケル粉末A,B,C,Dを得た上,その中から記載乙に従って本件粉末BないしDを選定すれば本件粉末を得ることができるのであるから,本件粉末を得るための方法は,本件明細書に十分に開示されているといい得る,と主張する。
しかしながら,上記粉末のうち,本件粉末に当たるBないしDについては,記載甲によるだけでは容易に得ることができないことは,上述したとおりである。
高密度水酸化ニッケル粉末A,B,C,DのうちB,C,Dについては,それを得る技術が開示されていない以上,A,B,C,Dの中からB,C,Dを選択する技術に関する記載である,記載乙を論ずることに意味を認めることはできない。
(イ) 原告は,乙第3号証意見書に挙げられている製造条件は,本件粉末に該当しない他の粉末を排して始めから本件粉末のみを得ようとした場合においては必須のものであり,半価幅を異ならせる因子となるものである,しかし,他の粉末を排して始めから本件粉末のみを得ようとするか,他の粉末も含めて本件粉末を得た後に本件粉末のみを得ようとするか,のいずれの方法を選ぶかは,実施者が任意になし得ることである,本件明細書は後者の方法を開示しているのである,しかも,後者の方法では,得られるものに本件粉末に該当しない他の粉末まで含まれるとしても,本件粉末も得ることができるのであるから,これを本件粉末の製造方法ということには何の問題もないはずである,と主張する。
しかしながら,上述したとおり,原告は,新規性,進歩性を有するはずの本件粉末BないしDを製造する方法を開示していないのであり,ここに本件粉末BないしDを製造する方法とは,高密度水酸化ニッケル粉末Aを含んでいるかどうかに関係がないのである。本件において問われているのは,他の粉末を排して始めから本件粉末のみを得ようとするか,他の粉末も含めて本件粉末を得た後に本件粉末のみを得ようとするかという問題ではない。
原告の上記主張は,前提において既に誤っており,失当である。
3 取消事由3(本件出願当時の技術水準に基づいて実施することの容易性の看過)について 原告は,本件出願当時,アンミン錯塩法において結晶性を考慮した場合に反応速度を制御することは,公知であり,技術水準でもあったから,本件明細書に本件粉末の製造条件が開示されていなくても,本件出願当時の技術水準に基づいて当業者が容易に実施し得たものであると主張し,これを裏付けるものとして,特開昭60-131765号公報(甲第4号証)には,低密度水酸化ニッケル粉末の製造法である中和法が示されており,特開昭56-143671号公報(甲第5号証)には,高密度水酸化ニッケル粉末の製造法であるアンミン錯塩法が記載されており,平成7年8月5日社団法人電気化学協会発行「電気化学および工業物理化学」752頁ないし758頁(甲第6号証)には,アンミン錯塩法が反応晶析法であることが記載されており,昭和50年8月30日丸善株式会社発行「晶析・分離・乾燥を中心にする設計」19頁の表1・6(甲第7号証)及び1993年6月10日株式会社岩波書店発行「岩波理化学辞典 第4版」245頁,611頁(甲第8号証)には,反応晶析法における結晶成長の制御因子として過飽和度ひいては反応速度が公知であることが記載されている,との事実を挙げている。
しかしながら,本件で記載不備が問題となっているのは,上述したとおり,乙第1,2号証公報に記載された各技術と区別するための具体的な製造条件であり,例えば,乙第3号証意見書の記載からうかがわれる,結晶を析出・成長させる速度,反応時間,反応終了後の熟成条件,甲第11号証書面からうかがわれる,pH値,温度,反応時間,滞留(撹拌)時間,撹拌速さ,ニッケル塩濃度,NaOH濃度,滴下速さ,といった本件粉末を製造するための反応制御因子の記載,その調製方法などである。そして,甲第4号証ないし第8号証によれば,上記刊行物には,これらの製造条件は,全く開示されていないことが明らかである。
その他,本件全証拠によっても,本件出願当時の技術水準に基づいて当業者が容易に本件発明を実施し得たことを認めさせる特別の事情を見いだすことができない。
原告の上記主張も,採用できない。
4 以上のとおりであるから,原告主張の決定取消事由は理由がなく,その他本件決定にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。よって,本訴請求を棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 山下和明
裁判官 宍戸充
裁判官 阿部正幸