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関連審決 異議2000-70455
関連ワード 同一技術分野(同一の技術分野) /  容易に発明 /  周知技術 /  発明の詳細な説明 /  発明の概要 /  優先権 /  共有 /  数値限定 /  容易に想到(容易想到性) /  実施 /  設定登録 /  請求の範囲 /  取消決定 / 
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事件 平成 13年 (行ケ) 139号 特許取消決定取消請求事件
原告 富士電機株式会社
原告 上村工業株式会社
両名訴訟代理人弁理士 山口巖
同 駒田喜英
被告 特許庁長官及川耕造
指定代理人 田中秀夫
同 松下聡
同 小林信雄
同 大橋良三
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2002/06/06
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告ら (1) 特許庁が異議2000-70455号事件について平成13年2月1日にした決定中,特許第2929464号の請求項1に係る特許を取り消した部分を取り消す。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告 主文と同旨
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告らは,発明の名称を「電気機器の摺動接触子」とする特許第2929464号の特許(平成2年10月9日特許出願(優先権主張平成1年10月14日),平成11年5月21日設定登録,以下「本件特許」という。)の共有特許権者である。
本件特許に対し,請求項1及び2につき,特許異議の申立てがあり,特許庁は,この申立てを,異議2000-70455号事件として審理した。原告らは,この審理の過程で,平成12年8月11日,本件特許の出願に係る願書の訂正の請求をした(以下「本件訂正」といい,本件訂正による訂正後の明細書とその図面を「本件明細書」という。)。特許庁は,審理の結果,平成13年2月1日,「訂正を認める。特許第2929464号の請求項1に係る特許を取り消す。」との決定をし,平成13年3月5日にその謄本を原告らに送達した。
2 特許請求の範囲(本件訂正による訂正後のもの(元の請求項1及び2が,訂正後の請求項1に訂正された。)。これにより特定される発明を,以下「本件発明」という。) 【請求項1】開閉機構に起動されて支軸を支点に開閉運動をする可動接触子と,ケースに固定され,前記可動接触子に前記支軸の近傍でばねにより圧接されて摺動接触する腕を有する固定導体とからなり,前記可動接触子及び固定導体の摺動接触面の少なくとも一方に,銀(Ag)マトリクス中にグラファイト(C)粒子を3から6体積%分散させた複合材の被覆を電気めっきにより形成し,かつ前記グラファイト(C)粒子の大きさを長径10μm以下で,前記被膜の厚さより小さくしたことを特徴とする電気機器の摺動接触子。
3 決定の理由 決定は,別紙決定書の写しのとおり,本件訂正を認めた上,本件発明は,刊行物である米国特許第4733033号明細書(以下「刊行物1」という。)に記載された発明(以下「引用発明1」という。)及びドイツ公開特許公報第2543082号(以下「刊行物2」という。)に記載された発明並びに刊行物2及び欧州公開特許公報第0142615号に記載された周知技術に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであると認定判断した。
原告ら主張の決定取消事由の要点
決定の理由中,「1.手続の経緯」,「2.訂正の適否についての判断」は認める。「3.特許異議の申立てについての判断」については,「(1)本件発明」,「(2)引用刊行物に記載された発明」は認め,「(3)対比・判断」については,5頁35行から6頁21行までを認め,その余は争う。「(4)むすび」は争う。
決定は,本件発明と引用発明1との二つの相違点についての判断をいずれも誤り(取消事由1,2),本件発明の顕著な効果を看過した(取消事由3)。これらの誤りがそれぞれ決定の結論に影響を及ぼすことは,明らかであるから,決定は,違法として取り消されるべきである。
1 取消事由1(相違点1についての判断の誤り) 決定は,「グラファイト粒子の分散量に関し,本件発明が「3から6体積%」としたのに対し,引用発明1では,数値について特に言及されていない点」(決定書6頁15行〜16行)を本件発明と引用発明1との相違点の一つ として認定した上で(以下,決定と同じく「相違点1」という。),この相違点につき,「摺動接触子において,耐摩耗性及び高導電性の確保は,その機能及び構造上の観点から当然に要求されるべき課題である。また,接触子の表面層の摩耗をグラファイトによって減少できることは,刊行物2に公知事項として記載されており,一方,銀に対するグラファイトの体積比が増えるほど接触抵抗が増大し導電率が低下することも自明のことである。そうすると,引用発明1の摺動接触子において,耐摩耗性及び高導電性が得られるように,銀に対するグラファイトの体積比を選定することは,当業者であれば当然に試みる程度のことであり,その具体的な数値は,最適な特性が得られるものとして実験的に適宜決定しうるところである。したがって,相違点1は,当業者が適宜なし得る設計的事項にすぎない。」(決定書6頁24行〜34行)と認定判断した。しかし,この認定判断は誤りである。
(1) 決定の行った,上記「摺動接触子において,耐摩耗性及び高導電性の確保は,その機能及び構造上の観点から当然に要求されるべき課題である。」(決定書6頁24行〜25行)との認定は,誤りである。
本件発明の出願当時においては,摺動接触子の「静止状態での導電性」を高く保つべきことは当然とされていたが,「摺動過程での導電性」を高く保つことが当然に要求されるべき課題であるという認識はなかった。従来の摺動接触子においては,摺動過程での抵抗値を測定しようとしても,銀被膜が,「かじり」により,その表面が荒れるため,その抵抗値の測定値の変動が激しすぎて,評価に耐え得る測定結果が得られなかった。そのため,摺動接触子においては,「摺動過程での導電性」を高く保つことが,課題として認識されなかったものである。このことは,刊行物1ないし3に,摺動過程での導電性についての考察が全く存在しないことからも明らかである。
(2) 決定の行った,上記「銀に対するグラファイトの体積比が増えるほど接触抵抗が増大し導電率が低下することも自明のことである。」(決定書6頁27行〜29行)との認定も,誤りである。
銀に対するグラファイトの体積比が増えると,それに応じてその「固有抵抗」が増大し,導電率が低下することは,従前から,当業者にとって自明の事実である。しかし,銀に対するグラファイトの体積比が増えると,「接触抵抗」も増大し,導電率が低下することが自明のこととして認識されていた,という事実はない。現に,本件発明においては,グラファイトを銀被膜に添加することによって,摺動接触子の摺動過程での接触抵抗が,銀単独の被膜の摺動時の接触抵抗よりも減少したことが見いだされているのである。決定の前記認定は,事実に反するものであり,誤っている。
(3) 決定は,上記(1)及び(2)の認定を前提として,「相違点1は,当業者が適宜なし得る設計的事項にすぎない。」(決定書6頁34行)と判断した。しかし,決定のこの判断は,その前提とするところが上記(1)及び(2)のとおり誤っているものであるから,誤りである。
2 取消事由2(相違点2についての判断の誤り) 決定は,本件発明が「グラファイト粒子の大きさを長径10μm以下で,被膜の厚さより小さくした」のに対し,引用発明1では,それ等の寸法について特に言及されていない点」(決定書6頁18行〜20行)を,両発明のもう一つの相違点として認定した上で(以下,決定と同じく「相違点2」という。),この相違点について,「接触子表面の銀グラファイト被膜において,刊行物2には,グラファイト粒径1-5μm,膜厚15μmとしたものが,刊行物3には,グラファイト粒径0.1-5μm,膜厚10μmとしたものがそれぞれ記載されているように,グラファイト粒子の大きさを長径10μm以下で,被膜の厚さより小さくした点は,周知の事項であり,かかる周知技術を引用発明1の接触子に適用することは当業者にとって容易である。」(決定書6頁36行〜7頁2行)と認定判断した。しかし,この認定判断は誤りである。 刊行物2及び3に記載されているものは,「接触子」であり,いずれも単なる電気接点にすぎない。例えば,刊行物3で用いられている「Gleitkontakt」(摺動接点)との用語は,アークを伴う開閉接点が開閉時にわずかに摺動することをとらえて名付けられたもので,「接点」を意味するものであり,摺動接触子とは異なる。本件発明における,開閉を伴わずに摺動する摺動接触子と,刊行物2及び3の電気接点とでは,要求される仕様,特性が全く異なるのである。
電気接点は,電気回路を開いたり閉じたりする,いわゆる開閉動作を行うものであり,開閉時間は短い代わりに,開閉時には高熱のアーク(電弧)にさらされるのに対し,摺動接触子は,電気回路の開閉動作は行わず,その代わり,電気接点よりはるかに長い時間,摺動しながら電流を流さなければならないものである。このため,電気接点においては,耐アーク性能が重視され,摺動時の接触抵抗が問題となることはないのに対し,摺動接触子においては,摺動時の接触抵抗ができるだけ小さいことが重視され,耐アーク性能が問題となることはない。したがって,電気接点に好適な材料と摺動接触子に好適な材料とでは,要求される仕様が本質的に異なるのである。
引用発明1において摺動接触子に用いられているグラファイトは,単なる潤滑剤の一種としかみられていない。したがって,引用発明1に,摺動過程での接触抵抗を低下させる手段として,これと技術分野の異なる刊行物2及び3に記載された電気接点に関する周知技術を適用することは,当業者にとって容易ではない。
引用発明1の摺動接触子と刊行物2及び3の電気接点との技術分野の相違を無視するとしても,両者に共通するのは,たかだか「耐摩耗性」が要求されるという点だけである。「摺動過程での接触抵抗を銀被膜のものより小さくするために,銀被膜に分散させるグラファイトの粒径や分散量は,どのくらいが適当か」という観点からの記載は,刊行物2にも同3にもない。このような状況では,引用発明1にこれらの周知技術を組み合わせるとの動機付けは生じようがないのである。
3 取消事由3(本件発明の顕著な効果の看過) 決定は,「本発明により奏される効果は,上記刊行物1乃至3に記載された発明から予測しうる範囲のものである」(決定書7頁3行〜4行)としたが,誤りである。
本件発明の構成においては,銀により被膜した摺動接触子より,銀にグラファイト粒子を分散させた複合材により被膜した摺動接触子の方が,摺動過程での接触抵抗が小さくなるという予想外の効果が得られたものであり,これは,引用発明1ないし3からは,予測し得ない効果であり,決定は,本件発明のこの顕著な効果を看過したものである。
刊行物1により,摺動接触子の摺動接触面の銀被膜にグラファイトを分散させることによって,摺動接触面の耐摩耗性が向上することは従来から知られていた。しかし,従来は,グラファイトの分散によって,接触抵抗も増加するので,摺動接触面の耐摩耗性と高導電性の両特性は,二律背反の関係にあると考えられていた。この考え方からすると,グラファイトの体積比(分散量)を決める際にできることは,せいぜい,接触抵抗の増加をできるだけ抑えて,必要な耐摩耗性を決めるという程度のことである。銀被膜に分散させるグラファイトの体積比を増やすほど,耐摩耗性は有利になる一方,接触抵抗は不利になるので,グラファイトの体積比は,耐摩耗性と高導電性の両特性が機器の使用条件を共に満足する範囲内で,適宜実験的に決定すればよいという程度のことが,想到できるにすぎない。
本件発明は,グラファイトの体積比を適正に選定することにより,摺動接触子の耐摩耗性を向上させると同時に,摺動過程における接触抵抗が,銀だけの被膜よりも低くなる摺動接触子を提供できるということを見いだしたのである。これは,上記のような従来の考え方の延長線上で達成できることではない。
要するに,本件発明のグラファイト粒子の分散量は,「接触抵抗が銀被膜よりも低くなる分量」という観点で定められているのであり,その分散量の決定の仕方にこそ,本件発明の独創性がみられるのである。また,本件発明においては,本件明細書の第1表に示すように,大電流を通電しても,比較例に比べて接触子の銅素地が露出しにくく,摺動接触が可能である。これは,摺動過程での接触抵抗を低くすることができるとの本件発明の効果に付随する効果である。
被告の反論
1 取消事由1(相違点1についての判断の誤り)について (1) 原告らは,決定の「摺動接触子において,耐摩耗性及び高導電性の確保は,その機能及び構造上の観点から当然に要求されるべき課題である。」との認定は誤りである,と主張する。
しかし,負荷回路を構築する際に,回路要素における本来の負荷によるもの以外の電力損失を最少にすること,すなわち,回路要素に内在する電気的抵抗を低く抑えて高導電性を確保すべきことは自明のことであり,回路要素が摺動接触子であれば,摺動接触子において,それが静止状態であるか摺動状態であるかに関わらず,常に高導電性を確保すべきであることは,当業者にとって当然の課題事項である。したがって,決定の上記認定に誤りはない。
(2) 原告らは,決定の「銀に対するグラファイトの体積比が増えるほど接触抵抗が増大し導電率が低下することも自明のことである。」(決定書6頁27行〜29行)との認定,及び,「相違点1は,当業者が適宜なし得る設計的事項にすぎない。」(同6頁34行)との判断は誤りである,と主張する。
しかし,摺動接触子において,銀に対するグラファイトの体積比を多くすると電気抵抗が増えることは,原告ら自身,本件明細書の発明の詳細な説明に「Cは導電性を有するものの電気抵抗がAgの数百倍〜数千倍である。したがって,いたずらにC%を多くしたり・・・することは,摺動接触部の発熱を増加させることになるので好ましくない。」(甲第6号証3頁左欄下から3行〜同頁右欄下から16行)と記載して,明示している事項である。
本件明細書には,「上記実施例では回路遮断器の摺動接触子について2つの例を示したが,この発明の効果はCの性質に依存しているので,C%やC粒の大きさはこれらに限ったものではない。摺動接触部のかじり易さや溶融し易さは接触部の広さや面圧力によっても影響されるので,C%やC粒の大きさはこれらを総合して決めるべきものである。」(甲第6号証3頁左欄下から9行〜4行)と記載されている。このように,銀被膜中のグラファイトの体積%(以下「C%」ともいう。)については,本件明細書中の実施例1(C%が6%)及び実施例2(C%が3%)に限らず,総合的に決めるべきものであることを,原告ら自身が本件明細書において認めている。
したがって,決定が「銀に対するグラファイトの体積比が増えるほど接触抵抗が増大し導電率が低下することも自明のことである。」(決定書6頁27行〜29行)とした点,及び,「銀に対するグラファイトの体積比・・・具体的な数値は,最適な特性が得られるものとして実験的に適宜決定しうるところである。」(同6頁31行〜33行)とした点は,本件明細書の記載事項(原告らの認識)と軌を一にするものであり,決定が,それらに基づいて「相違点1は,当業者が適宜なし得る設計的事項にすぎない。」(同6頁34行)と判断したことに誤りはない。
2 取消事由2(相違点2についての判断の誤り)について 原告らは,引用発明1は,摺動接触子に関する発明であり,刊行物2及び3に記載された周知技術は,電気接点に関する技術であるから,両者は技術分野を異にし,グラファイトを単なる潤滑剤の一種としかみていない引用発明1に,摺動過程での接触抵抗を低下させる手段として,これと技術分野の異なる刊行物2及び3に記載された周知技術を適用することは容易ではない,仮に,技術分野の相違を無視するとしても,「摺動過程での接触抵抗を銀被膜のものより小さくするために,銀被膜に分散させるグラファイトの粒径や分散量は,どのくらいが適当か」という観点からの記載は,刊行物2及び3にはないのであるから,引用発明1にこれらの周知技術を組み合わせるとの動機付けがない,と主張する。
しかし,刊行物2に記載された技術も刊行物3に記載された技術も,開閉器という技術分野に属するという点で,刊行物1記載の技術とは共通であり,かつ,それらの技術の間には,「耐摩耗性」という共通の課題がある。そうである以上,その課題の下に,刊行物2にも刊行物3にも記載されている銀グラファイト被膜の数値限定に係る周知技術を,引用発明1の摺動接触子の銀グラファイト被膜に適用することは,当業者であれば容易に想到しうることであり,それを阻害する何らの要因も見いだすことができない。
したがって,決定の「かかる周知技術を引用発明1の接触子に適用することは当業者にとって容易である。」(決定書7頁1行〜2行)とした判断に誤りはない。
3 取消事由3(本件発明の顕著な効果の看過)について 原告らは,決定の「本発明により奏される効果は,上記刊行物1乃至3に記載された発明から予測しうる範囲のものである」(決定書7頁3行〜4行)との判断は,本件発明の顕著な効果を看過したものである,と主張する。
しかし,本件発明のように,発明の特徴が数値範囲を限定した点にある場合には,当該発明により奏される効果は,当該数値範囲のすべてにわたって共通するものとしてとらえられるべきものであり,かつ,当該数値範囲は,臨界的な意義を持つべきものである。
本件明細書においては,銀グラファイトメッキによる摺動接触子の摺動過程での接触抵抗が,従来の銀メッキ,あるいは銀メッキにグリースを塗布した比較例1,2よりも「小さい」という効果は,実施例1である銀にグラファイト6体積%分散したものについて説明されているだけであり,グラファイト3体積%未満のもの,同3体積%以上6体積%未満のもの,同6体積%を越えるものについて,それぞれどのような特性を示すものかについて説明がされておらず,数値範囲を限定した根拠となる測定データが示されていない。
したがって,原告らの主張する上記効果を,銀にグラファイト3から6体積%分散させたものに共通する効果として,すなわち本件発明の効果として,主張することは許されない。
本件明細書の第3図に示されたグラフは,被測定対象サンプル数,測定回数,最良値・最悪値・平均値の区別,摺動速度等のデータの提示を,何ら伴わないものである。このようなデータの裏付けのないグラフから,実施例1の効果を合理的に把握することは,できることではない。
本件発明の効果は,本件明細書の発明の詳細な説明の【作用】の項の「周知のごとく,Cはすぐれた潤滑性を持つと同時に導電性があり,しかもAgと全く融け合わない。そのため,Agのマトリクス中にCを微細に分散させた被膜を摺動面に施すことにより,かじりが生じにくくなり,かつ摺動過程での接触抵抗が低く保たれるようになる。また,大電流通流時に発熱により接触部が溶融しても溶着し合うことが少なく摺動接触面が平滑に保たれ,安定した通電が引き続き維持される。」(甲第8号証2頁末行〜3頁5行)との記載,及び【発明の効果】の項の「この発明によれば,摺動接触面にAgマトリクス中にCを分散させた複合材の皮膜を電気めっきで形成することにより,摺動過程における接触抵抗が低く保たれて通電電流による発熱が抑えられ,かつ機械的な摺動摩耗も小さくなるので,通電容量が大きく寿命の長い摺動接触子を構成できる。また,発熱が小さいので接触力を小さくでき,その結果として接触力を付与するばね機構,あるいは接触子を動かすための駆動機構を小容量のものとし,機器全体の小型化を図ることができる。」(甲第8号証6頁13行〜19行)との記載を参照すれば,かじりが生じにくい分,かじりが生じている従来のものより摺動過程での接触抵抗が低く保たれ,また,摺動接触面が平滑に保たれ,安定した通電が引き続き維持され,さらに,通電容量が大きく寿命の長い摺動接触子を構成でき,機器全体の小型化を図ることができるという効果であると解するのが相当であり,原告が主張する上記効果ではない,というべきである。
そして,本件発明から導かれる本件発明の上記効果は,引用発明1ないし3から予測し得る範囲のものである。
当裁判所の判断
1 本件発明の概要 本件明細書には,次の記載がある。
【産業上の利用分野】 この発明は,回路遮断器などの各種の電気機器において,相手導体と摺動接触して電気的な接続を行う電気導体相互の接触機構(摺動接触子という)に関し,特にその表面処理に関する。(甲第8号証1頁12行〜15行) 【従来の技術】 ・・・摺動接触子は通電を受け持つ接触点が摺動の過程で刻々変化するため,摺動過程での接触抵抗は静止状態と比較すると不安定であり,かつ高くなる傾向にある。・・・従来は大きな電流を流す摺動接触子では摺動接触面に銀(Ag)めっきを施している。(同1頁16行〜24行) 【発明が解決しようとする課題】 しかし,Agめっきは軟質でかじりを生じやすいものであり,無負荷開閉でも容易に摩耗して導体素地が露出する。また,通電時にはジュール熱によりAgが軟化してかじりが一層生じやすくなり,摺動によりめっき層の剥離が発生するようになる。更に,電流が大きくなると接触部は発熱により溶融し,遂には発弧溶融に至る。・・・そこで,この発明は,摺動過程においても接触抵抗が低く安定した通電が得られる摺動接触子を提供することを目的とするものである。(同1頁25行〜2頁13行) 【作用】 周知のごとく,Cは優れた潤滑性を持つと同時に導電性があり,しかもAgと全く溶け合わない。そのため,Agのマトリクス中にCを微細に分散させた被膜を摺動面に施すことにより,かじりが生じにくくなり,かつ,摺動過程での接触抵抗が低く保たれるようになる。また,大電流通流時に発熱により接触部が溶融しても溶着し合うことが少なく摺動接触面が平滑に保たれ,安定した通電が引き続き維持される。(同2頁27行〜3頁5行) 【課題を解決するための手段】 上記目的を達成するために,この発明は,・・・可動接触子及び固定導体の摺動接触面の少なくとも一方に銀(Ag)マトリクス中にグラファイト(C)粒子を3〜6体積%分散させた複合材の被膜処理を施すものである。また,その際,グラファイト(C)粒子の大きさは被膜の厚さより小さくするものとする。(同2頁14行〜21行) 【発明の効果】 この発明によれば,摺動接触面にAgマトリクス中にCを分散させた複合材の皮膜を電気めっきで形成することにより,摺動過程における接触抵抗が低く保たれて通電電流による発熱が抑えられ,かつ機械的な摺動摩耗も小さくなるので,通電容量が大きく寿命の長い摺動接触子を構成できる。また,発熱が小さいので接触力を小さくでき,その結果として接触力を付与するばね機構,あるいは接触子を動かすための駆動機構を小容量のものとし,機器全体の小型化を図ることができる。
(同6頁12行〜19行) 本件明細書の上記記載によれば,本件発明は,摺動接触子においてはその摺動接触面における銀の被膜にかじりや剥離が生じやすい,という認識の下に,この問題に対処するため,潤滑性と導電性を持つグラファイトを用い,所定の分量と粒径のグラファイトを分散させた銀グラファイト被膜を摺動接触面にメッキするとの構成を採用したものであり,これにより,機械的な摺動による摩耗を小さくし,摺動過程における接触抵抗を低く保つとの上記のような効果を奏することができる,と認められる。
2 取消事由1(相違点1についての判断の誤り)について (1) 原告らは,決定の「摺動接触子において,耐摩耗性及び高導電性の確保は,その機能及び構造上の観点から当然に要求されるべき課題である。」との認定は誤りである,と主張する。
しかし,本件発明は,「相手導体と摺動接触して電気的な接続を行う電気導体相互の接触機構(摺動接触子という)」(甲第8号証1頁13行〜14行)に関するものであり,摺動接触子においては,摺動接触面において摩耗が生じるため,摺動接触面に耐摩耗性が要請されること,及び,電気導体相互を接続するとの機能から,摺動接触面における低抵抗性(高導電性)が要請されることは,当業者でなくとも,容易に理解できる,自明の事項というべきである。このように考えるのを妨げるべき資料はない。
したがって,決定の「摺動接触子において,耐摩耗性及び高導電性の確保は,その機能及び構造上の観点から当然に要求されるべき課題である。」との判断に誤りはない。
原告らは,本件発明の出願当時においては,摺動接触子の「摺動過程での導電性」を高く保つことが当然に要求されるべき課題であるという認識はなかった,従来の摺動接触子においては,摺動過程での抵抗値を測定しようとしても,銀被膜が,「かじり」により,その表面が荒れるため,その抵抗値の測定値の変動が激しすぎて,評価に耐え得る測定結果が得られなかった,そのため,摺動接触子においては,「摺動過程での導電性」を高く保つことが,課題として認識されなかったものであると,主張する。
しかしながら,摺動接触子の摺動過程での導電性について,仮に,上記のような定量的測定が困難であったとしても,そのことは,電気導体相互の接続を行う摺動接触子に,低抵抗性(高導電性)が求められることを,何ら否定するものではない。評価に耐え得る測定結果が得られないからといって,測定対象となる事項の重要性が失われるわけではないことは,いうまでもないことである。原告らの主張は,失当である。
(2) 原告らは,決定が,「銀に対するグラファイトの体積比が増えるほど接触抵抗が増大し導電率が低下することも自明のことである」(決定書6頁27行〜29行)と認定したことは誤りである,と主張する。
銀に対するグラファイトの体積比が増えるほどその「固有抵抗」が増大し,導電率が低下することが自明の事実であることについては双方に争いはない。
接触抵抗とは,「導体の機械的接触部に存在する抵抗」を意味する用語であり,「接触部が平面接触でなく,幾つかの突起部で接触している場合,電流の流線が個々に集中することによって生じる集中抵抗と接触部に生ずる絶縁性皮膜やその他の汚れなどによる抵抗がその主要なものである。」(オーム社発行「OHM電気電子用語辞典」)とされている。接触抵抗の測定方法として,甲第10号証(平成13年9月13日付け篠原久次作成の報告書)に示されるような固定導体,可動導体にリード線を接続し,当該線間の電圧を検出する測定方法によれば,前記突起部などの機械的接触部の状態が同一の条件であるならば,固有抵抗が影響することとなるから,固有抵抗の低い方が接触抵抗が低く測定されることになることは明らかである。
決定の「銀に対するグラファイトの体積比が増えるほど接触抵抗が増大し導電率が低下することも自明のことである」との前記認定は,この趣旨をいうものであることが明らかであり,そこには何の誤りもない。
原告らは,本件発明においては,グラファイトを銀被膜に添加することによって,摺動接触子の摺動過程での接触抵抗が,銀単独の被膜の摺動時の接触抵抗よりも減少したことが見いだされている,決定の認定は,事実に反するものであり,誤っている,と主張する。確かに,銀被膜の摺動接触子では,摺動過程において,「かじり」が生じやすくなり,そのため,メッキされた銀被膜の剥離や摩耗が生じ,低く安定した接触抵抗が得られなくなることは,本件明細書の発明の詳細な説明の欄の【発明が解決しようとする課題】の項(甲第8号証1頁25行〜2頁13行)に記載されているところである。しかし,決定が述べたのは,このような,銀被膜にかじりや剥離が生じた状態における摺動接触子の接触抵抗のことではない,ということは,前記のとおりである。すなわち,ここで,決定が述べていることは,摺動による変形等がない同一の測定条件下において,摺動接触面に銀被膜をしたものと,銀グラファイト被膜のもの(グラファイトの体積比が増えたもの)の各接触抵抗を比較すると,後者の方がその固有抵抗が増大し,接触抵抗が増えることを述べているものであるにすぎず,決定の上記認定に何ら誤りはない。
(3) 原告らは,決定が「相違点1は,当業者が適宜なし得る設計的事項にすぎない」と判断したことは誤りである,と主張する。
しかし,原告らが決定の判断が誤りであると主張するその前提の議論が理由がないことは,上記(1),(2)のとおりである。
付言すれば,決定は,@刊行物2に,「例えば,リレー用の,銀または銀合金(例えば,AgCu3)からなる接触層は・・・機械的に,例えば,摩擦によって負荷された表面層の摩耗をグラファイトによって減少できることは公知である」(甲第2号証訳文1頁4行〜7行),「グラファイトは,銀グラファイト分散被覆層中に極めて微細に且つ均一に分布して存在する。被覆層のグラファイト含量は,当該の使用目的に対応して0,1-3重量%である。」(同号証1頁17行〜19行)との記載があること,及び,A銀に対するグラファイトの体積比が増えるほどその「固有抵抗」が増大し,導電率が低下することが自明であることから,相違点1,すなわち,銀グラファイト被膜におけるグラファイトの含入比率について,摩耗防止と導電性を高くすることを考慮して適宜決定される事項であると判断したものであることは,決定の説示自体で明らかであり,決定のこの判断に何ら誤りはない。
3 取消事由2(相違点2についての判断の誤り)について 決定は,相違点2について,前記のとおり,接触子表面の銀グラファイト被膜において,刊行物2及び刊行物3には,グラファイト粒子の大きさが長径10μm以下で,被膜の厚さより小さいものが記載されており,このような周知技術を引用発明1の接触子に適用することは当業者にとって容易である,と判断した。
原告らは,引用発明1は,摺動接触子であり,刊行物2及び3に記載された周知技術は,電気接点に関する技術であるから,両者は技術分野を異にし,グラファイトを単なる潤滑剤の一種としかみていない引用発明1に,摺動過程での接触抵抗を低下させる手段として,技術分野の異なる刊行物2及び3に記載された周知技術を適用することは容易ではない,と主張する。
しかし,刊行物2及び刊行物3のそれぞれに記載された各技術と引用発明1とは,いずれも,各種電気機器における開閉機構に関するものであるから,同一の技術分野に属するということができ,しかも,それらの間には,摺動接触部の銀被膜の摩耗を防止するという共通の課題が存在するのである(甲第1ないし第3号証)。引用発明1の銀グラファイト被膜において,摩耗防止のために加えられるグラファイトの粒径について,刊行物2及び刊行物3に示されている,銀グラファイト被膜におけるグラファイト粒径,膜厚等の周知技術を適用することは,当業者にとって容易に想到し得ることは,明らかというべきである。
原告らは,仮に,技術分野が異ならないとしても,「摺動過程での接触抵抗を銀被膜のものより小さくするために,銀被膜に分散させるグラファイトの粒径や分散量は,どのくらいが適当か」という観点からの記載は,刊行物2にも同3にもないのであるから,引用発明1にこれらの周知技術を組み合わせるとの動機付けは生じようがない,と主張する。
しかし,引用発明1と刊行物2及び3に記載された技術の間には,摺動接触部の銀被膜の摩耗を防止するという共通の課題が存在するものであり,そうだとすれば,引用発明1の銀グラファイト被膜において,摩耗防止のために加えられるグラファイトの粒径について,刊行物2及び刊行物3に示されている,銀グラファイト被膜におけるグラファイト粒径,膜厚等の周知技術を適用することは,刊行物2及び3に原告ら主張の観点からの記載があるかないかに関係なく,当業者であれば容易に想到し得ることであるというべきである。また,本件発明は,前記のとおり,摺動接触面の接触抵抗を低く保つことと,銀被膜のかじり防止すなわち耐摩耗性という両方の課題を解決しようとしたものであって,原告らが主張するように「摺動過程での接触抵抗を銀被膜のものより小さくする」ことをその目的としていたものではない。原告らの前記主張は,本件明細書の記載に基づかない主張であるといわざるを得ない。
「かかる周知技術を引用発明1の接触子に適用することは当業者にとって容易である。」とした決定の判断に誤りはない。
4 取消事由3(本件発明の顕著な効果の看過)について 原告らは,決定は,銀メッキより,銀グラファイトメッキを施した接触部の方が摺動過程での接触抵抗が小さくなるとの本件発明の効果を看過しており,決定の「本件発明により奏される効果は,上記刊行物1乃至3に記載された発明から予測しうる範囲のものである」(決定書7頁3行〜4行)との判断は,誤りである,と主張する。
しかし,本件発明の構成自体が想到の容易なものであったことは,既に述べたとおりであり,このように構成につき容易想到性が認められる発明に対して,それにもかかわらず,それが有する効果を根拠として特許を与えることが正当化されるためには,その発明が現実に有する効果が,当該構成のものの効果として予想されるところと比べて格段に異なることを要するものというべきである。
本件発明の効果は,前記のとおり,摺動接触子の摺動接触面に銀グラファイト被膜を施すことにより,接触抵抗を低く保ち,機械的な摺動摩耗も小さくすることであって,この効果は,引用発明1ないし3により,当業者が予想し得るところのものであることは,既に述べたところに照らし明らかである。
原告らは,本件発明の構成においては,銀により被膜した摺動接触子より,銀にグラファイト粒子を分散させたものにより被膜した摺動接触子の方が,摺動過程での接触抵抗が小さくなるという予想外の効果が得られたものである,と主張する。しかし,原告らが主張している接触抵抗は,摺動時の接触抵抗である。銀被膜の摺動接触子が,摺動時にかじり等が生じやすく,安定した通電が得られにくいものであることが,従来技術の課題であり,本件発明は,この点を改善することを目的としたものである。したがって,本件発明における摺動接触子が,銀被膜の摺動接触面を備えた従来のものと比べて,摺動過程における接触抵抗が低く保たれ,機械的な摺動摩耗も小さくなるとしても,むしろ,本件発明がその目的としたところそのものであり,これを本件発明の構成のものとして予想外の効果ということはできず,当業者にとって十分に予測可能なものというべきである。原告らの主張は採用できない。
5 結論 以上に検討したところによれば,原告らの主張する取消事由にはいずれも理由がなく,その他,決定には,これを取り消すべき瑕疵は見当たらない。そこで,原告らの請求を棄却することとし,訴訟費用の負担について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条,65条1項を適用して,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 山下和明
裁判官 設樂隆一
裁判官 阿部正幸