関連審決 | 審判1999-2123 |
---|
関連ワード | 進歩性(29条2項) / 容易に発明 / 周知技術 / 出願公開 / 技術常識 / 化学構造 / 択一的 / 優先権 / 共有 / 技術的意義 / 拒絶査定 / 請求の範囲 / 拡張 / |
---|
元本PDF | 裁判所収録の全文PDFを見る |
---|
事件 |
平成
12年
(行ケ)
295号
審決取消請求事件
|
---|---|
原告 アスタメディカ アクチェンゲゼルシャフト 訴訟代理人弁護士 清水三郎 同 鹿野直子 同弁理士 山崎利臣 被告 特許庁長官及川耕造 指定代理人 谷口浩行 同 三浦均 同 森田 ひとみ 同 林栄二 |
|
裁判所 | 東京高等裁判所 |
判決言渡日 | 2002/07/18 |
権利種別 | 特許権 |
訴訟類型 | 行政訴訟 |
主文 |
1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 3 この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。 |
事実及び理由 | |
---|---|
当事者の求めた裁判
1 原告 特許庁が平成11年審判第2123号事件について平成12年3月28日にした審決を取り消す。 訴訟費用は被告の負担とする。 2 被告 主文1,2項と同旨 |
|
前提となる事案
1 特許庁における手続の経緯 原告は,平成2年11月8日,名称を「細胞保護作用を有する疼痛及び炎症性疾患及び/又はレトロウイルスに起因する病気の治療用医薬並びにその製法」とする発明につき特許出願した(優先権主張1989年11月9日,ドイツ国。特願平2-301255号)。原告は,平成10年7月31日付けの手続補正書により,名称を「消炎剤又は細胞保護剤並びにその製法」としたほか,特許請求の範囲等につき,補正をしたが,平成10年10月26日付けで拒絶査定を受けたので,平成11年2月15日,審判請求をし,平成11年審判第2123号事件として審理された結果,平成12年3月28日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決があり,その謄本は同年5月1日原告に送達された(出訴の附加期間90日)。 2 本願発明の要旨 本件出願にかかる発明のうち前記補正後の特許請求の範囲の請求項1に記載された発明は,「作用物質としてR-α-リポ酸又はその生理学的に認容性の塩を含有することを特徴とする,免疫作用によらない消炎剤又は細胞保護剤。」というものである(以下「本願発明」という。)。 3 審決の理由 審決の理由は,別紙審決書の写し(以下「審決書」という。)に記載のとおりである。要するに,本件審決は,本願発明の要旨を前記2のとおりと認定した上,本願発明は,引用例1ないし3(甲第5,6,4号証)に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないというものである。 なお,上記引用例1は,「Cesolari, Jose A. M.; et. al.,Drogas citoprotectoras de la mucosa gastrica, ante la agresion del etanol, Rev. Esp. Enfrem. Apar. Dig.,1988, 73(3), 229-232」[エタノールによる胃粘膜侵襲に対する細胞保護薬](甲第5号証),引用例2は,「S. Szabo, Experimental Basis for a Role for Sulfhydryls andDopamine in Ulcerogenesis: A Primer for Cytoprotection-Organoprotection, Kiln.Wochenschr., 1986,64(Suppl VII),116-122」[潰瘍発生におけるスルフヒドリル及びドーパミンの役割に関する実験基準:細胞保護作用及び臓器保護作用の手引き](甲第6号証),引用例3は,特開昭63-68585号公報(甲第4号証)である。 |
|
原告主張の審決取消事由の要点
1 取消事由1(相違点(1)の判断の誤り) 審決は,引用例3記載の発明の認定を誤った結果,相違点(1)の判断を誤ったものである。 (1) 審決は,相違点(1)として,次のように認定した。 「本願発明と引用例1及び2に記載の発明とを対比すると,両者はリポ酸を含有する薬剤の点で共通し,次の点で相違している。 (1)薬剤に含有されるリポ酸が,本願発明は「R-α-リポ酸」であるのに対し,引用例1及び2のものではチオクト酸(リポ酸)である点 」(別紙審決書2頁22〜25行) その上で,審決は,相違点(1)について,次のように検討,判断した。 「引用例3には,リポ酸を薬物療法において使用する場合には,α-リポ酸より強力なエナンチオマーを使用すればよいことが記載され,また,一般に,優れた作用を有する活性の高い化合物を選択してみることは当業者にとって通常の行為であることを考慮すると,薬物療法において使用する化合物として,本願発明が,α-リポ酸に代えて,より活性の高いR-α-リポ酸を採用することは,格別困難なこととはいえず,容易に予測し得ることである。」(別紙審決書2頁30〜36行) (2) 引用例3(甲第4号証)は,まず,D,L-チオクト酸がラセミ混合物の形で急性及び慢性の肝臓疾患並びに中毒処置のために既に医薬製剤として使用されている事実を挙げている。 そもそも,これらの疾患にD,L-チオクト酸が臨床的に有用であることの根拠は,体外投与されたD,L-チオクト酸によるピルビン酸及びα-ケトグルタール酸の酸化機転促進作用に基づき,血液中のこれら酸の濃度を低下させる作用によるものである(甲第11号証)。 他方,生体組織内に天然物質として存在するR-(+)-α-リポン酸(R-(+)-α-リポ酸。以下,「R体」ともいう。)の作用機序は,引用例3に明記されているとおり,α-ケト酸の酸化性脱カルボキシル化時における補酵素として機能,すなわち,ピルビル酸が酸化性脱カルボキシル化されアセチルCoAに,α-ケトグルタール酸が酸化性脱カルボキシル化されコハク酸CoAに,それぞれ代謝される際,補酵素として作用することである(甲第11号証参照)。 したがって,引用例3に記載された各疾患に対するD,L-チオクト酸の臨床的適用の根拠は,生体組織内に天然物質として存在するR-(+)-α-リポン酸の補酵素作用と同一の作用機序に基づくことにある。 すなわち,引用例3は,既になされているD,L-チオクト酸体外投与の臨床的適用例を挙げ,これに続けて天然物質として生体組織内に存在するR-(+)-α-リポン酸の作用機序を記載しているが,その根拠は,両者が同一の作用機序に基づくものであることに存する。 引用例3は,次に,リポ酸のR体とS-(-)-α-リポ酸(以下,「S体」ともいう。)との補酵素作用の活性(生物学的活性)の差異が記載されている文献(「Journalof American Chemistry Society 78, 1763」甲第10号証)を挙げ,上記各記載に続け,α-リポン酸の双方のエナンチオマー形の生物学的活性が異なり,かつS-(-)-エナンチオマーがR体に比べ低い生物学的活性を有することを記載しているものである。 引用例3の上記一連の記載は,いずれも,リポ酸の補酵素作用についてのみ述べたものである。 引用例3は,上記記載を受け,「従って」という文言に続けて,「合理的な薬物療法のためには,α-リポン酸のより強力な作用のエナンチオマー形を使用することが必要である。」(3頁右上欄1〜4行)と述べているものである。 なお,引用例3の発明内容は,リポ酸の光学的分割方法であり,光学的分割方法以外の事項,例えば,R体及びS体の薬理活性の比較等を示す記載は一切存在しない。 上記一連の引用例3の記載を慮みれば,審決が摘示する引用例3の記載箇所は,生体組織内に存在する天然物質R-(+)-α-リポン酸の補酵素作用と同一の作用機序に基づく薬理作用が期待し得る各疾患に対し,その具体的な薬理学的効果(薬理活性)の差異は不明であるが,補酵素としての生物学的活性が高いと確認されているR体を光学的分割方法によって製造することが必要である,という課題提起の意味にとどまる。 したがって,審決が摘示する引用例3の記載箇所は,天然物質として存在するR-(+)-α-リポン酸の補酵素作用であるα-ケト酸の酸化性脱カルボキシル化反応における生物学的活性がリポ酸の各光学異性体間に差異があることのみを根拠に,より補酵素活性(生物学的活性)の高いリポ酸の光学異性体には,R-(+)-α-リポン酸の補酵素作用と同一の作用機序に依拠するリポ酸の薬物療法においてのみ,薬理作用も高いであろうと抽象的に憶測し課題提起をする記載部分にすぎず,その薬理作用の高低の存在自体はもちろんのこと,補酵素作用に依拠しないリポ酸のあらゆる薬物作用についてまで,各光学異性体間に高低が存在する可能性を具体的に示唆するものではない。 つまり,審決の「α-リポン酸のより強力な作用のエナンチオマー形を使用することが必要である」との摘示箇所は,既に補酵素活性(生物学的活性)の高さが確認されているR体を補酵素作用と同一の作用に基づく薬物療法のみに転用することができる抽象的な可能性があり得ることを示したにすぎない。 そして,引用例3の審決摘示箇所から導出される技術的意義は,上記事項に限定されるものであるから,引用例3は,それを超えて,リポ酸のR体とS体との補酵素作用と同一の作用機序に基づく薬理作用以外のあらゆる薬理活性の差異の存在自体はもちろんのこと,補酵素作用と同一の作用機序に基づく薬理作用についてもR体の薬理作用がS体に比べ高いことすら示唆するものではない。 また,本件優先権主張日前においては,生体内に天然物質として存在するR体は,血中では遊離リポ酸として一切検出されておらず,生体内に天然物質として存在するR体の作用は,酵素中において共有結合した補酵素としての生物学的活性に基づく作用であることが知られていたにとどまり,したがって,天然物質として生体内に存在するR体の薬理作用が,遊離リポ酸に基づく作用か否かも不明であった。 (3) 本願発明の課題は,薬理作用を得るためのR体の体外投与による治療上の効果であるところ,以上によれば,引用例3の記載を根拠に,引用例1及び2に記載の発明におけるα-リポ酸に代えて,より活性の高いR体,すなわち,R-α-リポ酸を採用することは困難なことであって,当業者が容易に推考し得ることではない。このように,審決は,引用例3記載の発明の認定を誤った結果,相違点(1)の判断を誤ったものであり,その結果,本願発明の進歩性を否定する誤りを犯した。 また,審決は,引用例3の発明が前記(2)のとおりであるにも係わらず,この点を看過し,天然物質として生体内に存在するR体から,直ちに,体外投与物質としてのR体を推考可能としている。結局,生体内に存在する天然物質としてのR体の生物学的活性の高さが確認されれば,当然に体外投与によっても天然物質と同じ作用機序により高い薬理作用が得られるであろうという誤った議論を本願発明に適用し,結論を導いているのであって,理由不備の違法も存在する。 2 取消事由2(顕著な効果の看過) 本願発明は,α-リポ酸ラセミ体(以下,「ラセミ体」ともいう。)に比し,R体が優れた消炎効果若しくは細胞保護効果又はその双方の相乗効果を有し,しかも急性毒性はせいぜい2倍程度にとどまるという効果を有するものであるのに,審決は,これらの顕著な効果を看過し,何らの検討,判断をせず,本願発明につき進歩性欠如と判断した違法がある。 (1) 引用例1,2に記載されているチオクト酸は,リポ酸と同義であり,ラセミ体である。これらの引用例では,細胞保護作用の作用機序にのみ言及されている。 (2) 本願発明の細胞保護効果に関しては,本願明細書に「同様に動物実験で,R-及びS-形に関して,既に10r/s 経口の用量から細胞保護作用が存在する。」(甲第2号証11頁14〜16行)と記載されている。従来,ラットにおいて,細胞保護効果を得るために必要なラセミ体の経口での有効投与量(ED50 )は,200r〜1gであるところ,ラットに対するR体の経口投与におけるED50は,上記明細書のとおり10r/s から効果を有するから,本願発明は,R体を用いた場合,従来治療に要したラセミ体投与量に比し,最小有効投与量が極めて低く,少量の投与量により,細胞保護効果を実現することができる。 さらに,平成10年7月31日付け意見書(甲第7号証)に示した試験1及び2により,R体のみが細胞保護効果を担い,かつ,ラセミ体に比し数倍以上の細胞保護効果を有することが認められる。すなわち,試験1として,免疫抑制マウスに対するIgM抗体の交差反応による自己免疫反応惹起に基づく細胞破壊作用に対し,同量のR体及びラセミ体投与による細胞保護効果を,生存週数を測定する方法による比較実験を行った結果,ラセミ体投与群においては29週の生存期間に対し,R体投与群においては38週の生存期間が確認されたことが示され,R体が,同量のラセミ体投与の場合に比較して,数倍もの格段に優れた細胞保護効果を有することが,in vivo(生体内)の実験において確認されている。さらに,試験2として,ラット水晶体を高濃度グルコースに浸潤することにより惹起された炎症に起因する細胞破壊の際,細胞から漏出するLDH(乳酸デヒドロゲナーゼ)を細胞保護効果の指標として,R体投与群及びS体投与群におけるLDH漏出量のR体及びS体を投与しない対照群のそれとの差として,細胞保護効果を測定した結果が示され,この結果は,LDH漏出,すなわち細胞破壊は,R体投与により抑制されることが確認されたが,S体投与によっては抑制されないことを示し,細胞保護効果はR体にのみに存し,S体には存在しないことが確認された。 なお,本願明細書には,「R-α-リポ酸も消炎又は抗関節症作用の主作用他に,抗痛覚及び細胞保護作用を有するが,その程度は僅かである。」(甲第2号証21頁4〜6行)と記載されているが,この記載は,「主作用(の)他に,細胞保護作用を有する」と明示されているとおり,本願発明の薬理作用のうち,消炎又は抗関節症作用が格段顕著であることを主作用とし,これら作用に比べれば,細胞保護効果は多少低いことを意味するのであって,細胞保護効果がわずかであることを意味するものではない。 また,被告は,原告が,一方ではS-形に関して細胞保護作用が存在するとしながら(前記本願明細書・甲第2号証11頁14〜16行),他方で細胞保護効果はR体にのみに存し,S体には細胞保護効果が存在しないことが確認されたものであるとする(前記試験の結果)のは,矛盾するものであり,これらの内容は到底信用することができないと反論する。しかしながら,試験2は,in vitro(試験管内)での実験結果であり,他方,上記本願明細書記載部分は「動物実験で」と記載されているとおりin vivo(生体内)での実験結果である。そして,体外より投与された薬物の薬理作用は,薬物の生体内における代謝機序や組織特異性等,多種の因子により修飾されるものであって,S体の細胞保護作用がin vitroにおいて確認されなかったがin vivoで確認されたという事実のみをもって,R体がラセミ体に比し数倍の細胞保護作用を有することを示す上記試験1のin vivoでの実験結果を覆す根拠とはなり得ない。 (3) 消炎効果に関しては,本願発明は,本願明細書の「その際,同様に意外にもR-光学的対掌体の消炎作用はラセミ体の作用の10倍強いことが判明した。」(甲第2号証7頁6〜8行)及び「R-光学的対掌体(R-α-リポ酸)は例えばラッテにおけるカラーゲニン(Carrageenin)―浮腫で,α-リポ酸の作用を少なくとも10倍も超える(経口)消炎作用を示す。」(同11頁1〜4行)からも明らかなとおり,本願発明のR体は,ラセミ体と比較し,約10倍以上の消炎効果を発揮する。 (4) 消炎効果及び細胞保護効果の相乗効果に関しては次のとおりである。本願明細書には,「α-リポ酸の光学異性体は例えば急性の炎症及び炎症痛を抑制し,例えば特異的な細胞保護作用を有する。」(甲第2号証22頁18〜20行)と記載され,この記載に続けて,「適応症として例えば下記のものが挙げられる:炎症性,変性関節及び関節外リウマチ病,非リウマチ性炎症及び腫脹状態,変形性関節炎,軟骨症,動脈周囲炎,炎症及び非炎症性皮膚疾患,例えば神経皮膚炎及び乾せん,炎症性及び非炎症性胃腸管の疾患,例えば胃炎,胃潰瘍,回腸炎,十二指腸炎,空腸炎,結腸炎,糖尿病性,アルコール性肝臓及び尿毒症による多発性神経病,肝実質変性,肝炎,脂肪肝及び脂肪硬変並びに慢性肝臓病,炎症性呼吸器系病,例えば気管支喘息,類肉腫,ARDS(急性呼吸器困難症候群)。」(同23頁1〜13行)と記載されている。 上記疾患は,炎症性病変とともに細胞破壊という壊死性病変を伴う病理学的所見が観察される疾患であって,本願明細書には,R体投与適用例として,消炎効果のみならず,細胞保護効果を期待し得る疾患が挙げられているものである。そして,本願発明におけるR体は,ラセミ体に比し,炎症を抑え,かつ炎症から細胞壊死への進展を抑制することによる相乗効果として,細胞壊死を抑制するという格段に優れた細胞保護効果を実現することができる。 上記本願明細書のうち前者の記載は,消炎効果とともに優れた細胞保護効果を同時に実現し得ることを明記しているのであり,被告の「消炎効果,細胞保護効果の双方の相乗効果に関しては,本願明細書には何ら記載がない」旨の主張は失当である。 (5) ラセミ体の急性毒性がマウスに対する経口投与によるLD50として160〜275r/sであるのに対し,本願発明のR体は,本願明細書に「R-α-リポ酸又はS-α-リポ酸のマウスにおける急性毒性[LD50 r/sとして表して;方法リッチフィールド(Litchfield)及びウィルコキソン(Wilcoxon),J. Pharmacol. Exp Ther.第95巻,99頁(1949年)]は,例えば経口投与では100r/sより上である。」(甲第2号証28頁1〜7行)とあるように,急性毒性がラセミ体に比しせいぜい2倍程度にとどまること,R体の細胞保護作用は,前記試験1の結果からラセミ体に比し数倍であること,これらの事実から本願発明のR体は,細胞保護効果を得たい症例に対しラセミ体投与では実現することのできないリポ酸の多量投与が可能となる。 |
|
被告の反論の要点
1 取消事由1(相違点(1)の判断の誤り)に対する反論 (1) 鏡像異性体(エナンチオマー)においては,生理的作用が異なることがごく普通に見いだされるものであり,事実,乙第4〜18号証において,ラセミ体よりも活性の高いエナンチオマー形を得て使用することが示され,より強力な作用のエナンチオマー形を分離して薬物療法に使用する技術は本件出願前において周知というべきものである。 このことは,光学異性体が存在すれば,前記周知技術の知見に従って,当業者であれば,ラセミ体に代えてその光学異性体のどちらかを採用すれば,よりよいであろうことは容易に理解し得ることであり,また,その光学異性体の活性の強弱についても,二者択一であることを考慮すると,格別困難なく確認することができるものである。 そして,引用例3においては,α-リポ酸に双方のエナンチオマー形があること,合理的な薬物療法のためには,α-リポン酸のより強力な作用のエナンチオマー形を使用することが必要であることの記載があり,引用例1〜2に示されているような,細胞保護作用を含む薬理作用一般において,α-リポ酸の鏡像異性体は相互に活性が異なる可能性が高いと予想するのがむしろ普通であり,これらの記載と,前記記載の従来周知の知見及び技術を考慮すれば(これを審決は「また,一般に,優れた作用を有する活性の高い化合物を選択してみることは当業者にとって通常の行為であること」と記載),リポ酸を治療に用いる場合,R体及びS体の双方についてその活性の強弱を確認し,リポ酸の光学異性体のどちらか活性の高いものを採用することは格別困難なこととはいえない。そして,活性の高いものは確認試験により得られるから,その結果として,R体とS体のうち活性の高いR体である「R-α-リポ酸」を採用することは当業者において容易にできるものである。 したがって,審決が「薬物療法において使用する化合物として,本願発明が,α-リポ酸に代えて,より活性の高いR-α-リポ酸を採用することは,格別困難なこととはいえず,容易に予測し得ることである。」と判断した点に誤りはない。 (2) 引用例3の「D,L-チオクト酸は,ラセミ混合物の形で急性及び慢性の肝臓疾患並びに中毒の処置のための医薬製剤として使用される。」との記載は,R-体,S-体チオクト酸のラセミ混合物が薬物療法に使用し得ることを示すものである。 また,引用例3には,「α-リポン酸の双方のエナンチオマー形は,同じ生物学的活性を有せず,S(-)-エナンチオマーは低い活性を有する。」の記載と「合理的な薬物療法のためには,α-リポ酸のより強力な作用のエナンチオマー形を使用することが必要である。」とある。乙第19号証(生体工学用語辞典)によれば,「生物活性(biological activity)」につき,定義として,「化学物質が作用する生物体に誘起する物質または量的変化」とし,解説として,「生命体由来物質による作用としての生理活性や,疾病治療にかかわる薬理活性などを含めた生物体への何らかの影響を及ぼす性質一般について広義に用いられる。」と記載されているように,化合物の薬理活性を含めた広い意味がある。よって,引用例3に記載の上記「生物学的活性」とは,単に補酵素活性のみをいうのではなく,薬理活性を含めた広い意味を有すると解する方が妥当である。 確かに,「α-リポン酸の双方のエナンチオマー形は,同じ生物学的活性を有せず,S(-)-エナンチオマーは低い活性を有する。」の記載において引用された文献(甲第10号証)においては,エナンチオマー形による補酵素活性の相違を示しているにすぎない。しかし,このような生体内の代謝系における作用にエナンチオマー形の相違がみられたとすれば,薬物として使用する場合においても,エナンチオマー形による薬理活性に相違がある可能性を示唆するものであり,上記の記載は,上記引用された文献(甲第10号証)に記載されている補酵素活性についての知見そのものではなく,この知見から導かれる薬理活性の相違を含めた広い意味において「同じ生物学的活性を有せず」と記載したということができる。また,仮にそうでないとしても,少なくとも,この記載はエナンチオマー形により薬理活性が相違する可能性を示唆する記載であるはずであって,単にエナンチオマー形による補酵素活性の相違のみを示したものに止まるものではないとするのが相当である。 したがって,引用例3に記載の「合理的な薬物療法のためには,α-リポン酸のより強力な作用のエナンチオマー形を使用することが必要である。」の記載中「薬物療法」とは生体に薬物を投与して疾患を治療するものであり,単に生体内にある補酵素としての活性に関してより強力な作用のエナンチオマー形を使用すべきことを示すものではなく,文字通り,生体に薬物を投与して疾患を治療する際には,α-リポ酸のより強力な作用のエナンチオマー形を使用すべきことをいうものである。 (3) 以上によれば,原告の取消事由1の主張は誤っており,審決の相違点(1)に関する判断に誤りや理由不備の違法もない。 2 取消事由2(顕著な効果の看過)に対する反論 (1) 本願発明は,その特許請求の範囲の請求項1に記載のとおりの「作用物質としてR-α-リポ酸又はその生理学的に認容性の塩を含有することを特徴とする,免疫によらない消炎剤又は細胞保護剤。」に係るものである。そして,請求項1の記載によると,消炎剤と細胞保護剤とは,択一的に記載されているものであるから,結局,本願発明は,R-α-リポ酸又はその生理学的に認容性の塩を含有する消炎剤と,R-α-リポ酸又はその生理学的に認容性の塩を含有する細胞保護剤とについてされているものである。 そして,審決は,細胞保護剤として既にα-リポ酸が知られており,しかもα-リポ酸にはR-体,S-体の2種類の光学異性体が存在することも知られているのであるから,従来技術を考慮して2種類の内1種類を選択することは格別困難なことではない,と判断したものであって,R-体,S-体の2種類のうちどちらかの化合物を使用する以上,その化合物の効果は当然の結果としてもたらされるものであるから,審決が,R-体の効果について特に言及していないとしても,審決に原告主張の違法はない。 (2) 本願明細書には,細胞保護作用についてのα-リポ酸の光学異性体の効果は示されていない。それどころか,本願明細書には,「S-α-リポ酸は,抗痛覚(鎮痛)作用の主作用の他に,消炎及び細胞保護作用を有するが,その程度は僅かである。R-α-リポ酸も消炎又は抗関節症作用の主作用他に,抗痛覚及び細胞保護作用を有するが,その程度は僅かである。」(甲第2号証21頁1〜6行)と記載され,細胞保護作用は,S-α-リポ酸もR-α-リポ酸も,即ち,α-リポ酸の光学異性体の効果の程度は,わずかであることを示している。 本願明細書によると,消炎については,R-体はラセミ体の10倍,鎮痛については,S-体は5〜6倍というものであるが,細胞保護作用については,R-体,S-体ともわずかであったというものであるから,R-体,S-体とも細胞保護作用については,消炎作用,鎮痛作用とは異なり,光学異性体であることの特異性はなかったということができる。すなわち,細胞保護作用については,R-体とすることになんら技術的意義はないということである。 なお,原告は,一方で,「同様に動物実験で,R-(及びS-)形に関して,既に10r/s経口の用量から細胞保護作用が存在する。」との本願明細書の記載を引用して,S-形に関して細胞保護作用が存在するとしながら,他方で,平成10年7月31日付け意見書(甲第7号証)に示した試験1及び2を引用して,細胞保護効果はR体にのみに存し,S体には細胞保護効果が存在しないことが確認されたものであるとするのは,矛盾するものであり,これらの内容は到底信用することができない。 (3) 本願発明は,消炎剤に関する発明と細胞保護剤に関する発明とを含むものであり,消炎剤に関する発明のみではないから,消炎作用の効果について触れるところがないとしても何ら誤りではない。原告は,本願発明の一部である消炎剤について取り出し,その効果を縷々主張するものであるから,到底許されるべきことではない。 (4) 消炎効果,細胞保護効果の双方の相乗効果に関しては,本願明細書には何ら記載がなく,明細書の記載に基づかない主張である。 |
|
当裁判所の判断
1 取消事由1(相違点(1)の判断の誤り)について (1) 「化学総説 No.4 不斉反応の化学,203及び233〜235頁,昭和49年5月15日,株式会社学会出版センター発行」(乙第2号証),「薬物学(縮刷版),39〜42頁,1987年2月25日,株式会社南山堂発行」(乙第3号証),「特開昭53-40779号公報」(乙第8号証)及び「特開昭55-149233号公報」(乙第12号証)には,以下の記載があることが認められる。 ・ 「ある分子に回映対象がなければ,その分子とその鏡像が重なり合わないから,鏡像体が存在することになる。この鏡像体の水溶液は,偏光面を同じ強さで,一つは右に,一つは左に回転させる光学的性質,すなわち光学活性をもっている。これ以外の物理的性質および化学的性質は,まったく同じである。このように,鏡像体どうしは右旋性および左旋性を示すという光学的性質のみが異なっているので,古くから光学異性体と呼ばれてきた。また,このようなキラルな物質を通常の合成法によって合成した場合,熱力学的にエネルギーの等しい両鏡像体が等量ずつ合成され,分子の集合としては,見かけ上光学的に不活性になる。この一つの集合(ラセミ体)から,それを構成する個々の光学活性をもった2つの鏡像体を分離することを光学分割と呼んでいる。・・・キラルな物質の生体に対する作用は,アミノ酸その他医薬品などの例にみられるように,両鏡像体ではその生理作用が著しく異なる場合が多く知られている。」(乙第2号証233頁下から15行〜234頁20行) ・ 「以上の考察の下に有効物質の化学構造をまとめると次のごとくなる。 ・・・・ A 光学異性体の一方が特に効力が強いことが多い。morphinan誘導体のl体は鎮痛が強く,d体は弱い。しかし薬理作用が違うと異性体間の効力比は違ってくることがある。morphinanのd体もl体も鎮咳作用は強い」(乙第3号証42頁6〜17行) ・「薬理作用の総括 トルペリゾンのd-,dl-およびl-体の薬理作用を中枢性筋弛緩作用と血管および気管平滑筋に対する薬理作用の試験項目で比較すると次の如くになる。 1 中枢性筋弛緩作用 (1) 最大電撃けいれん抑制 d≧dl>l (2) ペンチレンテトラゾールけいれん抑制 d>dl>l (3) ニコチンけいれん抑制 d>dl>l (4) ヘキソバルビタール睡眠延長 d>dl>l (5) 神経伝導抑制 d>dl>l (6) 脊髄反射抑制 d > l (7) 貧血性除脳固縮 d>dl>l 2 血圧降下作用および血管並びに気管拡張作用 (1) 血圧降下作用 l>dl>d (2) 降圧持続時間 l>dl>d (3) 末梢血管拡張作用 l>dl>d (4) 気管拡張作用 l>dl>d 3 急性毒性(LD50 値) l>dl>d 以上に示した如く,dl-トルペリゾンの有する主たる二つの薬理作用はd-,l-体に光学分割することにより二つに分離することが可能となった。一方の光学活性体をそれぞれ選択利用することにより,副作用の発現を少なくするとともに主薬効果の増大を期待することができ,臨床上極めて有用である。 即ちd-体およびその酸付加塩,例えば塩酸塩,硫酸塩等は中枢性筋弛緩剤として,またl-体およびその酸付加塩は鎮咳,抗喘息および末梢循環改善剤と(して)有用である。」(乙第8号証5頁左上欄下から13行〜右上欄17行) ・「この点に関し,今回驚くことにモプロロールの左旋性異性体の活性がラセミ体モプロロールのそれの実質的に2倍であり,一方右旋性異性体の活性が実質的にないということが発見された。この発見は本発明の特徴の一つを構成する。このことから,前述したように,左旋性モプロロールを臨床で用いればラセミ体形に必要とされる投薬量の半分で十分となり,また同一の治療効果と明らかに減少した毒性作用とが達成される。このことは,β-ブロッキング剤での処置によって明白な利益を受けるが,連続した高投薬量が必要である種類の病気の治療処置に対して特に有利である。特に高血圧,神経性狭心症及びある種の不安症に対して有効である。」(乙第12号証3頁左下欄下から2行〜右下欄12行) これらの記載によれば,鏡像をなす2つのエナンチオマー形(R体,S体)には医薬としての薬効に差のあることがうかがわれ,このことは,本件優先権主張日当時,技術常識であったものと認められる。そして,ある化合物を医薬とするに際して,それが持つべき,副作用が小さいなどの性質が考慮されるのはもちろんのことであるが,まずは薬効の大きいものを採用しようとすることは自明の理であるから,上記化合物にエナンチオマー形があり,これらが個別に入手できる場合には,より薬効の高い方のものを採用することも,本件優先権主張日当時,技術常識(以下,ここにおける技術常識を「本件技術常識」という。)にあったものと認められる。特に,乙第8号証からは,l-体に比べ中枢性筋弛緩作用の大きいd-体を中枢性弛緩剤に採用し,血管及び気管拡張作用の大きいl-体を鎮咳,抗喘息及び末梢循環改善剤に採用することなどが,また,乙第12号証からは,右旋性異性体に比べ活性の高いモプロロールの左旋性異性体を高血圧に対する医薬として採用することなどがうかがわれ,これらの事実は,本件技術常識の事実を裏付けるものである。 (2) 引用例3においては,以下の記載が認められる(甲第4号証3頁左上欄1行〜左下欄11行)。 「本発明は,エナンチオマー純粋な1,2-ジチオラン-3-ペンタン酸(チオクト酸,α-リポン酸)並びに中間体としてのノネン-もしくはメシル誘導体の新規製法に関する。D,L-チオクト酸は,ラセミ混合物の形で急性及び慢性の肝臓疾患並びに中毒の処置のための医薬製剤として使用される。光学活性のR-(+)-α-リポン酸は,低濃度で動物及びヒトの組織中に存在する天然物質である。R-(+)-α-リポン酸は,α-ケト酸の酸化性脱カルボキシル化時に補酵素として作用する。天然に存在するα(+)-リポン酸のR-配置は,S-マロン酸からの(-)-対掌体のエナンチオ選択性合成により確認された(M.H.Brookes.B.T.Golding,D.A.Howes.A.T.Hudson J.Chem.Soc.Chem.Commun.1983,1051)。 α-リポン酸の双方のエナンチオマー形は,同じ生物学的活性を有せず,S(-)-エナンチオマーは低い活性を有する(J.C.Gunsalus,L.S.Barton,W.Gruber J.Am.Chem.Soc.78,1763(1956))。従つて,合理的な薬物療法のためには,α-リポン酸のより強力な作用のエナンチオマー形を使用することが必要である。 α-リポン酸を製造するための公知方法は,ラセミ混合物を生じるだけである(西ドイツ特許出願公開(DE-OS)第3512911.5号明細書及びそこに記載の文献参照)。 D(-)アラビノースを用いるラセミ分割の方法は公知である(L.G.Chebotareva,A.M.Yurkerisch Khim,-Farm.Zh.14(9),92〜99,1980.C.A.94(13),103722g参照)が,得られる収率は僅かで,この方法は非経済的である。 R(+)-α-リポン酸を製造するための第1に公知の不斉合成は,7-工程の反応順序から出発する(J.D.Elliott,J.Steele,W.S.Johnson,TetrahedronLett.1985,26,2535参照)。この際,出発物質として高価なキラール性2,4-ペンタンジオールを使用すべきであるので,エナンチオマー純粋なα-リポン酸の経済的合成は不可能である。 同時に1種のエナンチオマー形のみの製造が成功している。 本発明は,エナンチオマー純粋なR(+)-α-リポン酸及びS(-)-α-リポン酸を製造するための新規の経済的合成を得ることを課題としている。 この合成は非キラール性出発物質から出発するから,後の1反応工程でキラール性物質との反応により,選択的にR(+)-α-リポン酸又はS(-)-α-リポン酸を製造することができる。」 以上においては,α-リポ酸(α-リポン酸)にはエナンチオマー形があり,それはR-α-リポ酸(R-(+)-α-リポン酸,R(+)-α-リポン酸)とS-α-リポ酸(S-(-)-α-リポン酸,S(-)-α-リポン酸)であり,これらは,それぞれ,個別に入手のできることが記載され,また,特に,「合理的な薬物療法のためには,α-リポン酸のより強力な作用のエナンチオマー形を使用することが必要である。」との記載をみると,ここにおいて,特に薬物療法について,これを特定して記載していないから,この記載は,一般的な薬物療法の指針として,α-リポ酸を医薬とするに際して薬効の大きいエナンチオマー形を採用することを示唆するものであり,本件技術常識が,一般的にα-リポ酸を医薬とするに際しても適用し得ることが示唆されているものと認められる。 原告は,D,L-チオクト酸がラセミ混合物の形で急性及び慢性の肝臓疾患並びに中毒処置のために既に医薬製剤として使用されていることについての記載(甲第4号証3頁左上欄4〜7行),R-α-リポ酸の補酵素としての作用機序についての記載(甲第4号証3頁左上欄7〜11行),及び,α-リポ酸の双方のエナンチオマー形の生物学的活性が異なり,かつS体がR体に比べ低い生物学的活性を有することについての記載(甲第4号証3頁左上欄下から4行〜右上欄1行)を指摘して,これらの一連の記載は,いずれもリポ酸の補酵素作用についてのみ述べたもので,これらの記載に続く「合理的な薬物療法のためには,α-リポン酸のより強力な作用のエナンチオマー形を使用することが必要である。」との記載も含め,引用例3の記載は,補酵素作用に依拠しないリポ酸のあらゆる薬物作用についてまで,各光学異性体間に高低が存在する可能性を具体的に示唆するものではないと主張する。 しかしながら,仮に,上記一連の記載及び「合理的な薬物療法のためには,α-リポン酸のより強力な作用のエナンチオマー形を使用することが必要である。」という記載がα-リポ酸の補酵素作用についてのみ述べたものであったとすると,この一連の記載において「α-リポン酸の双方のエナンチオマー形は,同じ生物学的活性を有せず,S(-)-エナンチオマーは低い活性を有する。」と記載され,α-リポ酸の補酵素作用においては,S-α-リポ酸と比較してR-α-リポ酸が高い活性,すなわち,より強力な作用を有していることは明言されているのであるから,薬物療法のための指針を与えている上記「合理的な薬物療法のためには,α-リポン酸のより強力な作用のエナンチオマー形を使用することが必要である。」との記載にあって,より強力な作用のエナンチオマー形としてR-α-リポ酸を指摘しないのは不自然である。先に説示したように,この記載は,一般的な薬物療法の指針として,α-リポ酸を医薬とするに際して薬効の大きいエナンチオマー形を採用することを示唆するものであり,ここにおける医薬とは,その薬効の作用機序が補酵素作用に依るものか否かを問わないものと理解するのが自然である。 (3) 引用例1(甲第5号証)及び引用例2(甲第6号証)においては,以下の記載が認められる。 ・「我々は,胃粘膜におけるエタノール侵襲に対し,14種類の医薬,すなわち・・・チオクト酸・・・の細胞保護効果を研究した。病変は,表層の上皮細胞のみに認められたことから,すべての医薬につき,組織学的にも,又,肉眼的にも壊死性病変が0%という完全な胃粘膜保護作用が認められた。」(甲第5号証の訳文8〜15行) ・「要約。 この短いレビューにより,細胞保護作用の概念の進展を紹介する。この概念は,1979年Robertによって紹介されたものであり,化学的に惹起されて胃粘膜における出血性びらんに対し,酸分泌抑制を伴わない細胞保護作用である。プロスタグランジン(PG)及びスルフヒドリル(SH)は,表層の上皮細胞への初期ダメージを変性することなく,粘膜における深部出血性壊死を防ぐだけである。」(甲第6号証の訳文6〜10行) 以上によれば,引用例1及び2記載の発明は,α-リポ酸を含有する細胞保護剤という医薬に係るものであると認められる。 (4) 前記(1),(2)に説示したとおり,引用例3においては,ある化合物を医薬とするに際して,この化合物にエナンチオマー形があり,これらが個別に入手することのできる場合には,より薬効の高い方のものを採用するという本件技術常識が,α-リポ酸を医薬とするに際しても適用し得ることが示唆されているのである。よって,(3)記載の発明である細胞保護剤に本件技術常識を適用し,R-α-リポ酸及びS-α-リポ酸について,当業者が通常行う実験等に基づき,より薬効の高い一方のもの,結果としてR-α-リポ酸を採用することは,容易になし得るものといえ,これと同旨の判断をした審決に誤りはない。 なお,原告は,「本件優先権主張日前においては,生体内に天然物質として存在するR体は,血中では遊離リポ酸として一切検出されておらず,生体内に天然物質として存在するR体の作用は,酵素中において共有結合した補酵素としての生物学的活性に基づく作用であることが知られていたにとどまり,したがって,天然物質として存在するR体の薬理作用が,遊離リポ酸に基づく作用か否かも不明であった。」と主張し,引用例3の記載が,引用例1及び2に記載のような遊離リポ酸として作用するα-リポ酸の体外投与による薬理作用についてまでR体が高い効果を有することに言及していないことは明らかであって,上記のようにR-α-リポ酸を採用することは困難であって,容易に予測し得ることではない旨をいう。 しかしながら,前記(2)に説示したように,引用例3には,本件技術常識がα-リポ酸を医薬とするに際しても適用し得ることが示唆され,その結果として,引用例1及び2記載の発明におけるα-リポ酸に代えてR-α-リポ酸を採用することは容易になし得るものといえる以上,仮に,本件優先権主張日前において生体内に天然物質として存在するR-α-リポ酸は血中では遊離リポ酸として一切検出されていなかったことや,R-α-リポ酸の薬理作用が遊離リポ酸に基づく作用か否かは不明であったことが事実であったとしても,前記の審決に誤りはないとの判断を左右するものではない。 また,原告は,引用例3の発明を前記原告主張のとおりに認定すべきものとの前提のもとに,審決は,生体内に存在する天然物質としてのR体の生物学的活性の高さが確認されれば,当然に体外投与によっても天然物質と同じ作用機序により高い薬理作用が得られるであろうという誤った議論を本願発明に適用し,結論を導いており,理由不備の違法が存在すると主張する。 しかしながら,前記のとおり,引用例3の「合理的な薬物療法のためには,α-リポン酸のより強力な作用のエナンチオマー形を使用することが必要である。」の記載における医薬(薬物)とは,その薬効の作用機序が補酵素作用に依るものか否かを問わないものと理解されるのであるから,原告の上記主張は前提を欠くものであり,前説示のとおり,審決の相違点(1)についての判断に誤りはなく,その過程に理由不備などの違法も認められない。 2 取消事由2(顕著な効果の看過)について 原告は,本願発明は,α-リポ酸のラセミ体と比較して,優れた消炎効果若しくは細胞保護効果又はその双方の相乗効果を有し,しかも急性毒性はせいぜい2倍程度にとどまるという効果を有するものであるのに,審決は,これらの顕著な効果を看過するものであるとの趣旨を主張するので,以下に検討する。 (1) 細胞保護効果について 原告は,従来,ラットにおいて,細胞保護効果を得るために必要なラセミ体の経口での有効投与量(ED50 )は200r〜1gであるの対し,本願明細書にあるとおり,本願発明のED50 は10r/sであることを根拠に,優れた細胞保護効果について主張し,さらに,平成10年7月31日付け意見書(甲第7号証)に示した試験1及び2により,S-α-リポ酸に対し,本願発明のR-α-リポ酸のみが細胞保護効果を担い,かつ,ラセミ体に比し数倍以上の細胞保護効果を有することが認められる旨主張する。 審決は,本願発明における細胞保護効果について特段の説示をすることなく結論を導いているが,その説示全体をみると,本願発明の構成を検討した結果,引用例1ないし3に記載された発明に基づいて容易に発明を構成することができ,本願発明の構成自体に困難性がないという趣旨であると理解される。そして,前記1(取消事由1について)において判示したところからも明らかなとおり,審決のこの判断は是認し得るものである。 仮に,本願発明に原告の主張どおりの細胞保護効果があるとしても,それは当業者が予測し得る範囲のものであって,予測し難い特別顕著なものであるとはいえない。すなわち,既に説示したとおり,引用例1及び2記載の発明である細胞保護剤において,より薬効の高いR-α-リポ酸を採用することが容易である以上,その結果として,他方のエナンチオマー形であるS-α-リポ酸より高い細胞保護効果があるのは自明のことであり,また,より低い薬効のS-α-リポ酸とより高い薬効のR-α-リポ酸との混合物であるラセミ体より高い細胞保護効果を有することも,容易に予測し得ることである。乙第8及び12号証によれば(前記1(1)の記載参照),他方のエナンチオマー形より高い薬効のエナンチオマー形が,これらエナンチオマー形からなるラセミ体より高い薬効を有する事実が認められ,該事実は前述した予測の容易性を裏付けるものである。 以上により,原告の上記主張は,採用することができない。 ちなみに,原告の準備書面中には,本願明細書23頁14行〜18行に「鎮痛又は細胞保護又は消炎作用のための本発明による服用形式の1日の用量は,例えばR-α-リポ酸又はS-α-リポ酸0.1〜600r,有利には15〜400r及び特に50〜200rからなる。」と記載しているとおり,ラセミ体に比し,はるかに少量で同等の細胞保護効果を実現することができることを本願発明は見出したものである旨の記載もあるが,この主張は,上記に取り上げた主張とは異なり,比較対象としたラセミ体に関する数値すら具体的に主張されておらず,失当というほかない。 (2) 消炎効果並びに,消炎及び細胞保護効果の相乗的効果について 本願発明は,請求項1に記載された「作用物質としてR-α-リポ酸又はその生理学的に認容性の塩を含有することを特徴とする,免疫作用によらない消炎剤又は細胞保護剤」であって,択一的に記載された消炎剤又は細胞保護剤という医薬に係るものである。そして,審決は,引用例1(甲第5号証)には,エタノールの侵襲に対する胃粘膜の細胞保護作用を研究したことが示され,チオクト酸が効果を有することが記載されていると認定し,引用例2(甲第6号証)には,細胞保護作用を有する薬物により,エタノールのみならず他の抗炎症薬により生じる胃粘膜の損傷に対する保護作用について記載され,前記細胞保護作用を有する薬物としてリポ酸が示されていると認定した上,本願発明と引用例1,2に記載の発明との対比をし,相違点(1)として「薬剤に含有されるリポ酸が,本願発明は「R-α-リポ酸」であるのに対し,引用例1及び2のものではチオクト酸(リポ酸)である点」を,同(2)として「薬剤について,本願発明が「免疫作用によらない消炎剤又は細胞保護剤」としているのに対し,引用例1及び2のものは特に明記していない点」を認定している。このように審決は,本願発明と引用例1及び2に記載の発明とを対比,検討した上で,「本願発明は,前記引用例1ないし3に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたもの」と判断した。すなわち,審決は,上記のように択一的に示された消炎剤又は細胞保護剤のうち,細胞保護剤に関する発明について検討した上,本願発明につき進歩性がない旨の判断をしていることが明らかである。そして,この判断が是認し得ることは,前記1,2(1)などにおいて既に判示したとおりである。 そして,消炎効果は,前記消炎剤の薬理効果であって,細胞保護剤が必ず持つべき薬理効果ではなく,また,各種医薬が共通のものとして持つ一般的な効果でもないことは技術常識である。 そうすると,審決が消炎剤についての本願発明の顕著な効果について判断,説示をしていないとしても,上記のとおり,審決は,択一的に示された本願発明のうち,細胞保護剤に関する発明について検討し,本願発明の進歩性を適法に否定しているのであり,消炎剤に関する点を判断するまでもなく,本願発明の特許要件は否定されるのであって,審決に違法はない。結局,原告の消炎効果に関する上記主張は,審決の結論に影響を及ぼさない点について非難するものに帰し,採用の限りではない。 また,消炎及び細胞保護効果の相乗的効果については,消炎作用と細胞保護作用を同時に必要とする疾患に特化した医薬の薬理効果であって,細胞保護剤の必ず持つべき薬理効果ではなく,また,各種医薬が共通のものとして持つ一般的な効果でもないことは技術常識であるから,先に消炎効果について説示したのと同様の理由により,原告の主張に理由はない。 (3) 急性毒性について 急性毒性の検査で使われるLD50 とは,実験動物の50%の個体を死に至らせる薬物の量をいい,動物の単位重量当たりの薬物の重量で表すものであり,数値が小さいほど逆に急性毒性が高いことを意味することは技術常識であるところ,原告の主張によるとしても,前記のとおり,ラセミ体のLD50 が160〜275r/sであるのに対し,本願発明のそれは100r/sより上というものであり,本願発明のR体の急性毒性がラセミ体のそれよりも低いなどとは到底いえず,むしろ,逆にラセミ体に比べて急性毒性が高いことが明らかである。 原告は,「本願発明のR体では,・・急性毒性がラセミ体より低い」(原告準備書面第1回)又は「R体の急性毒性は,ラセミ体に比し低い」(同第3回)と主張していたが,最終的には前記第3のとおり,「R体の急性毒性がラセミ体の急性毒性に比しせいぜい2倍程度にとどまる」とし,本願発明の技術的意義の説明の中では「細胞保護,消炎及び鎮痛の・・・各効果につきR体がラセミ体に比し格段に優れているにもかかわらずその毒性はせいぜい2倍にとどまる」(同第4回)との主張となった。 上記主張は,そもそも,ラセミ体の急性毒性につき,マウスに対する経口投与によるLD50 が160〜275r/sであることがひとつの根拠とされているが,証拠の指摘はない。その点をおくとしても,上記の急性毒性の観点自体は,R体とラセミ体との比較においてはR体に不利な要素であって,前記2(1)において細胞保護効果について認定,判断をしたところを覆すに足りるものとは認められない。なお,消炎効果との関係についても,前記2(2)において説示したところを左右するに足りるものではない。 3 結論 以上のとおり,原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく,その他審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。 よって,原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。 |
裁判長裁判官 | 永井紀昭 |
---|---|
裁判官 | 塩月秀平 |
裁判官 | 田中昌利 |