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関連審決 不服2000-7972
関連ワード 発明者 /  一致点の認定 /  相違点の認定 /  相違点の判断 /  29条の2(拡大された先願の地位) /  出願公開 /  技術常識 /  発明の詳細な説明 /  発明の概要 /  優先権 /  特許出願日 /  参酌 /  技術的意義 /  実施 /  拒絶査定 /  請求の範囲 / 
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事件 平成 13年 (行ケ) 460号 審決取消請求事件
原告 サイマーインコーポレイテッド
訴訟代理人弁護士 熊倉禎男
同 田中 伸一郎
同 宮垣聡
同 相良 由里子
同 弁理士 西島孝喜
被告 特許庁長官及川耕造
指定代理人 東森秀朋
同 森正幸
同 小林信雄
同 宮川久成
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2002/07/29
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 特許庁が不服2000−7972号事件について平成13年6月1日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告 主文と同旨 2 被告 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は、1997年(平成9年)7月1日にアメリカ合衆国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、平成10年6月30日、名称を「不安定な共鳴キャビティを用いた極めて狭い帯域のレーザ」とする発明につき特許出願をした(特願平10-184881号)が、平成12年2月17日に拒絶査定を受けたので、同年5月29日、これに対する不服の審判の請求をし、同年6月28日付け手続補正書により明細書の特許請求の範囲の記載を補正した(以下、補正後の特許請求の範囲の請求項1記載の発明を「本願発明」という。)。
特許庁は、同請求を不服2000-7972号事件として審理した上、平成13年6月1日に「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同月18日、原告に送達された。
2 本願発明の要旨 狭帯域レーザにおいて、
A.ゲイン媒体と、
B.(1)部分反射性の円筒形鏡、
(2)(a)ビームエキスパンダ、
(b)円筒形に湾曲した表面を有する格子、
を含む線狭めモジュール、
を含む不安定な共鳴キャビティと、を備え、
前記円筒形に湾曲した表面を有する格子と前記部分反射性の円筒形鏡が前記不安定な共鳴キャビティの境界を画定していることを特徴とする狭帯域レーザ。
3 審決の理由 審決は、別添審決謄本写し記載のとおり、本願発明が、本件特許出願日前の他の出願であって本件特許出願後に出願公開された特願平9-174478号出願(以下「先願」という。)の願書に添付した明細書(以下「先願明細書」という。)に記載された発明(以下「先願発明」という。)と同一であると認められ、
本願発明の発明者が先願明細書に記載された発明者と同一であるとも、本件特許出願時にその出願人が先願の出願人と同一であるとも認められないので、本願発明は、特許法29条の2第1項の規定により特許を受けることができないとした。
原告主張の審決取消事由
審決の理由中、本願発明の要旨の認定(審決謄本2頁11行目〜20行目)及び先願明細書の記載をそのまま摘記した部分の認定(同2頁25行目〜3頁27行目)は認める。
審決は、本願発明と先願発明との一致点の認定を誤り(取消事由1)、相違点の認定を誤り(取消事由2)、相違点の判断を誤って(取消事由3)、本願発明が先願発明と同一であると誤って判断した結果、本願発明は特許法29条の2第1項の規定により特許を受けることができないとの誤った結論に至ったものであるから、違法として取り消されるべきである。
1 取消事由1(一致点の認定の誤り) (1) 審決は、先願発明の「任意に曲げることができるグレーティング」が本願発明の「円筒形に湾曲した表面を有する格子」に相当すると認定し、この認定に基づいて、両者が「円筒形に湾曲した表面を有する格子、を含む線狭めモジュール」(審決謄本4頁2行目〜3行目)を有する点で一致すると認定したが、誤りである。
(2) すなわち、先願発明のグレーティングの構成は、任意に曲げることができると記載されているだけであり、本願発明の格子のように「円筒形に湾曲した表面を有する」ことの開示はない。
先願明細書(甲第4号証)には、「光共振器内においては、様々な原因によって、レーザ光の波面はダイバージェンス(拡がり)および曲率を有することになる」(3欄【0006】項)、「共振器内にスリットが配置されている場合には、このスリットによる回折によりスリット通過後の光は球面波となる」(3欄【0007】項)及び「共振器内に配置されている光学素子自身の収差によって波面が歪むこともある。例えば、狭帯域化素子として用いられるプリズムエキスパンダのような透過型の光学素子では(a)内部の屈折率分布が完全に一様ではない(b)プリスムの研磨面が歪んでいるなどにより、この光学素子を通過したレーザ光の波面は凸面または凹面の曲率を持つものとなる」(3欄〜4欄【0008】項)との記載があり、先願発明が補正対象としている波面の歪みは、光路内の光学要素によって生じてしまう態様の予測できない微妙な次元のものである。
これに対し、本願発明において補正対象とする波面の歪みは、回折によるものではなく、円筒形鏡という鏡の形状によって生ずるものであり、先願明細書にいう歪みとは次元の異なるもので、その発生、態様は光学系の設計段階から予測されているものである。
したがって、先願発明の「任意に曲げることのできるグレーティング」は、定まった形状を有さず、円筒形鏡により生ずる予測できる歪みについては考慮されていないのであるから、本願発明の「円筒形に湾曲した表面を有する格子」に相当するものではない。
加えて、先願明細書に記載された曲げ機構は、両端部を固定して背面の1ないし複数の点に力を加えるというものであり、厳密な円筒形の湾曲には適さないものであるから、グレーティングを円筒形に湾曲した表面を有するように調整して凹凸を設けるなどということは、先願明細書には一切開示も示唆もされていないことである。
(3) 被告は、スリットにより回折で歪みを受けたレーザ光の波面が円筒形に湾曲した波面となることは当業者に明らかであり、先願発明は、スリット又は他の光学素子で影響を受けた波面の形状に一致するようにグレーティング自体を曲げるという公知の技術を前提とするものであるから、波面の歪みが補正されるように調整された後に、当該「任意に曲げることができるグレーティング」が円筒形に湾曲した波面に一致するように湾曲されたものとなっていることは明らかであると主張する。しかし、回折における波面の乱れは極めて微妙なものであり、その歪みを予測することは不可能であるし、別の光学要素が介在すれば更に歪みは変形するのであるから、スリットによる回折波面が円筒形になるという被告の主張は誤りである。
2 取消事由2(相違点の認定の誤り) (1) 審決は、「本願発明は、『部分反射性の鏡』として『円筒形鏡』を用いた『不安定な共鳴キャビティ』を備える『狭帯域レーザ』の発明であるのに対して、
先願発明は、『部分反射性の鏡』として『フロントミラー』を用いた『共鳴キャビティ』を備える『狭帯域レーザ』の発明であるという点で一応相違している」(審決謄本4頁7行目〜10行目)とのみ認定しているから、本願発明の前記円筒形に湾曲した表面を有する格子と前記部分反射性の円筒形鏡が前記不安定な共鳴キャビティの境界を画定しているとの構成について、先願発明がこれを有しないことを看過した誤りがある。
(2) すなわち、本願発明の「円筒形に湾曲した表面を有する格子」及び「部分反射性の円筒形鏡」は一体不可分の構成であって、これらによって「不安定な共鳴キャビティの境界を画定している」からこそ、顕著な作用効果をもたらすものである。したがって、「円筒形に湾曲した表面を有する格子」との構成を除外して、
「部分反射性の円筒形鏡」を用いた「不安定な共鳴キャビティ」という構成のみを抽出して、先願発明との相違点の認定を行うことはできない。
3 取消事由3(相違点についての判断の誤り) (1) 審決は、上記認定した相違点について、先願明細書(甲第4号証)に、
「本発明(注、先願発明)は・・・不安定共振器などの他の共振器構造に適用するようにしてもよい」(17欄【0123】項)と記載されていることを理由に、
「先願明細書には、『フロントミラー』に換えて『部分反射性の円筒形鏡』を用いた『不安定な共鳴キャビティ』(不安定共振器)を備える『狭帯域レーザ』の発明が記載されているというべきである」(審決謄本4頁20行目〜22行目)と判断したが、誤りである。
(2) すなわり、先願明細書の上記記載は、先願発明の回折による歪みの補正機構を不安定共振器に付すことに問題がないことをいうにすぎない。
また、先願発明は、出力カップラ等については関心を示しておらず、曲げる契機としても、光路内の光学成分の補正しか意識していないのであり、出力カップラを円筒形鏡にするなどということを開示、示唆する記載は一切存在しない。むしろ、先願発明においては、安定型の共鳴キャビティを前提にしており、かつ、
「グレーティング」の曲げ機構も円筒形の表面を有するのに的確でないことからすると、出力ミラーを円筒形状とする必要は一切存在しないばかりでなく、むしろ意図し得ないものである。
被告の反論
審決の認定判断は正当であり、原告主張の取消事由は理由がない。
1 取消事由1(一致点の認定の誤り)について (1) 先願発明の「グレーティング」が「円筒形に湾曲した表面を有する」ことは、以下に述べるとおり明らかであるから、審決の認定に誤りはない。
(2) 先願明細書(甲第4号証)には、原告が摘示した【0006】項〜【0008】項の記載に加えて、「USP-5095492においては、グレーティングに入射するレーザ光の波面に一致するようにグレーティング自体を曲げることにより、上記不具合に対処するようにしていた」(【0010】項)との記載があり、
さらに、【0034】項〜【0039】項において、グレーティングに入射するレーザビームの拡がり角Δθをほぼ零にする効果として説明されていることから、先願発明の「任意に曲げることができるグレーティング」は、光共振器内において様々な原因で影響を受けたレーザ光の波面の存在を前提とし、その波面の形状に一致するように「グレーティング」自体を曲げるために設けられた構成である。
特に、【0007】項には「共振器内にスリットが配置されている場合には、このスリットによる回折によりスリット通過後の光は球面波となる」と記載され、スリットによる回折による波面が球面波であるとされているが、同波面は円筒形に湾曲した波面となることが当業者に明らかである。そして、先願発明は、スリット又は他の光学素子で影響を受けた波面の形状に一致するように「グレーティング」自体を曲げるという公知の技術を前提とするものであるから、「任意に曲げることができるグレーティング」との構成が円筒形に湾曲した波面に一致するように湾曲されたものとなっていることは明らかである。
また、先願発明は、公知の技術の、湾曲した「グレーティング」が滑らかな曲率を持つ凹面とはならず、屈曲点を有する略3角形状となっていた点を克服するために、「任意に曲げることができるグレーティング」との構成を採用したものであるから、この構成は、先願明細書の実施例の記載からも明らかなとおり、曲げ機構により調整された後の「任意に曲げることができるグレーティング」が円筒形に湾曲した形状であることを意味している。
2 取消事由2(相違点の認定の誤り)について (1) 審決の一致点の認定に誤りがないことは上記のとおりである。審決が、
「本願発明は、『部分反射性の鏡』として『円筒形鏡』を用いた『不安定な共鳴キャビティ』を備える『狭帯域レーザ』の発明であるのに対して、先願発明は、『部分反射性の鏡』として『フロントミラー』を用いた『共鳴キャビティ』を備える『狭帯域レーザ』の発明であるという点で一応相違している」(審決書謄本4頁7行目〜10行目)と認定した趣旨は、本願発明と先願発明とが文言上一応相違していることを言い表したものである。
(2) 後記3のとおり、先願明細書には、「円筒形に湾曲した表面を有する格子と部分反射性の鏡が不安定な共鳴キャビティの境界を画定している」との構成が記載されているのであるから、審決において、本願発明の「前記円筒形に湾曲した表面を有する格子と前記部分反射性の円筒形鏡が前記不安定な共鳴キャビティの境界を画定している」との構成について、この構成のすべてを先願発明は有しないと認定しなかったことは当然のことであり、審決の認定に誤りはない。
3 取消事由3(相違点についての判断の誤り) (1) 上記1のとおり、先願発明は「円筒形に湾曲した表面を有する格子」を有している。共鳴キャビティを構成する鏡のように設計上いくつかの選択肢がある場合には、先願発明の目的や意図の範囲内で、技術常識や周知の事項を考慮に入れて解釈するのが相当であるところ、先願発明の目的は、グレーティング(反射型波長選択素子)を曲げることによって当該グレーティングから出射されるレーザ光の波面を補正することであって、先願発明の円筒形に湾曲した格子の補正の対象は、光共振器内に配置されている光学素子で影響を受けた波面であるから、フロントミラー(出力カップラ)等の共振器自体で影響を受けた波面を補正の対象として含むものである。そして、先願明細書(甲第4号証)に、「本発明(注、先願発明)は・・・不安定共振器などの他の共振器構造に適用するようにしてもよい」(17欄【0123】項)との記載があることは審決が摘示したとおりであり、不安定な共鳴キャビティ(不安定共振器)を構成する反射鏡として部分反射性の円筒形鏡は、審決で引用した特公昭47-32954号公報(甲第5号証)のほかに、特開平2-303178号公報(乙第1号証)、特開平6-252474号公報(乙第2号証)及び特開平5-102584号公報(乙第3号証)に記載された事項からも周知であるから、先願明細書には、部分反射性の円筒形鏡を用いた不安定な共鳴キャビティを備えた狭帯域レーザの発明も記載されている。
(2) 以上のとおり、先願発明の「円筒形に湾曲した表面を有する格子」は、部分反射性の円筒形鏡を用いた不安定な共鳴キャビティを採用した場合の円筒形鏡による波面の歪みをも補正するものであるから、先願明細書には、「円筒形に湾曲した表面を有する格子と部分反射性の円筒形鏡が不安定な共鳴キャビティの境界を画定している狭帯域レーザ」の発明も記載されているとした審決の判断に誤りはない。
当裁判所の判断
1 取消事由1(一致点の認定の誤り)について (1) 本件特許出願の願書に添付した明細書(甲第2号証)の発明の詳細な説明には、従来の技術として、「湾曲した波面を補償するための曲げられた格子が知られている」(2頁【0003】項)、本願発明の概要及びその実施例として、「本発明は、極めて狭い帯域幅のレーザを提供する。この極めて狭い帯域幅は、出力カップラを構成している円筒形部分反射鏡と、ビームエキスパンダ及びこの円筒形鏡によって生ずる波面ひずみを補正するために僅かに湾曲させた格子からなる線狭めシステムとを組合わせて、不安定な共鳴キャビティを形成させることによって達成する」(3頁【0006】項)、「格子74は、調整可能な湾曲を有し、円筒形鏡68によって生ずる波面ひずみを補正するように調整される」(同頁【0007】項)及び「回折格子38は曲げられて円筒形凹格子表面を形成し、円筒形鏡68によって生ずるレーザ光波面ひずみを補償するようになっている。・・・本実施例では、球形望遠鏡式キャビティではなく、円筒形望遠鏡式キャビティを使用しているので、一方向、即ち水平にのみ『望遠鏡式』特性を呈する」(4頁〜5頁【0013】項)との記載がある。
これらの記載によれば、本願発明は「波面を補償するための曲げられた格子」が公知であることを前提として、出力カップラとして円筒形部分反射鏡を採用するとともに、同部分反射鏡を採用したことに伴い、線狭め機能を有する回折格子への入射波面が歪み、この歪んだ波面が円筒形状であることから、回折格子として、「円筒形に湾曲した表面を有する格子」を採用したものと認めることができる。また、「円筒」とは、ある一つの軸方向には曲率を有さず、それと直交する方向には「円」である図形を意味するものであり、このことは上記【0013】項の「一方向、即ち水平にのみ『望遠鏡式』特性を呈する」との記載とも符合する。したがって、本願発明の「円筒形部分反射鏡」は、一つの方向には曲率を有さない反射面を有する部分反射鏡であって、同じく「円筒形に湾曲した表面を有する格子」とは、「円筒形部分反射鏡」と対応する方向に曲率を有さない表面を有する回折格子であると解することができる。
(2) 先願明細書(甲第4号証)の発明の詳細な説明には、「光共振器内においては、様々な原因によって、レーザ光の波面はダイバージェンス(拡がり)および曲率を有することになる」(3欄【0006】項)、「共振器内にスリットが配置されている場合には、このスリットによる回折によりスリット通過後の光は球面波となる」(同欄【0007】項)、「共振器内に配置されている光学素子自身の収差によって波面が歪むこともある」(3欄〜4欄【0008】項)、「グレーティングへのレーザ光の入射波面が曲率を持つ場合は、グレーティングのそれぞれの溝にレーザ光が異なる角度で入射されることになるので、グレーティングの波長選択特性が低下し、狭帯域化したレーザ光のスペクトル線幅が広くなる」(4欄【0009】項)、「【発明が解決しようとする課題】・・・従来技術によれば、グレーティング105を凹面に調整することはできるが、グレーティング105を凸面には成形することができないという問題がある」(4欄〜5欄【0014】項)、
「従来技術ではグレーティング105の両端を支持し、その中央部をの1点を引っ張るという単純な機構であるため、グレーティング105の形状が滑らかな曲率を持つ凹面とはならず、図23に示すような屈曲点を有する略3角形状となっていた、このため、従来技術のグレーティングに平面波面は入射された場合、その回折波面は、図23に示すような、3角形状となっていた」(5欄【0016】項)、
「この発明では、共振器の一方を構成する反射型波長選択素子を曲げる事によって該反射型波長選択素子から出射されるレーザ光の波面を補正する反射型波長選択素子の曲げ機構において、前記反射型波長選択素子の両端部を支持する支持機構と、
前記反射型波長選択素子の背面の1次元方向の複数の異なる位置を押圧または引っ張る機構とを備えるようにしている」(5欄〜6欄【0022】項)、「かかる発明によれば、反射型波長選択素子の背面の複数箇所を押圧または引っ張ることによって反射型波長選択素子を凹面又は凸面に成形するようにしているので、滑らかでほぼ一定の曲率をもつ凹面又は凸面を得ることができる」(6欄【0023】項)及び「第8実施例においては、マイクロメータヘッドによる引っ張り機構70をグレーティング9の長手方向(溝が並べられている方向)の3箇所に配設するようにしている」(14欄【0101】項)との記載がある。
これらの記載によると、先願発明は、共振器内のスリット、共振器内に配置されている光学素子等に起因して、グレーティングへのレーザ光の入射波面が歪み、その結果グレーティングの波長選択特性が低下することを防ぐために、グレーティングを入射波面の曲率に応じて曲げるという技術が公知であることを前提として、従来の曲げられたグレーティングでは、@グレーティングを凸面には成形することができない、Aグレーティングが略3角形状となり、滑らかな曲率を持つ凹面とはならない、という課題があることから、背面中央部を押圧又は引っ張ることにより凹面から凸面までの形状を得る(課題@に対応)ようにするとともに、押圧又は引っ張る点を多点とすることで滑らかな形状を得る(課題Aに対応)ことに技術的意義を有するものと認めることができる。そして、これら先願明細書記載の課題@及び同Aは、グレーティングへの入射波面が円筒面となることを前提とする課題ではないことが明らかである。また、これら課題の解決手段によっては、グレーティングが円筒面になるものと認めることができない。すなわち、背面の1点を押圧又は引っ張った場合、どの方向にも曲率を有する面となることは明らかであって、
特定の1方向に曲率を有さない面、すなわち円筒形を形成することができないことは明らかである。また、先願明細書の発明の詳細な説明には、審決が摘記(審決謄本3頁13行目〜15行目)した「背面を1点または多点で押圧または引っ張る機構が備えられており・・・グレーティング9自体を任意に曲げる(あるいは曲げを修正する)ことができる」(8欄【0033】項)との記載があるが、ここでいう「多点」とは、上記「1次元方向の複数の異なる位置」(5欄〜6欄【0022】項)及び「グレーティング9の長手方向(溝が並べられている方向)の3箇所」(14欄【0101】項)との記載から、グレーティングの長手方向すなわちグレーティングの溝と直角の方向(以下「線引方向」という。)の1直線上の多点をいうものと認められる。そうすると、このように配設された多点を押圧又は引っ張った場合には、上記線引方向だけではなく、溝方向にも曲率が生ずることが明らかであり、他方、多点数を多くして均一に押圧又は引っ張れば、線引方向に曲率を生じないことは可能かもしれないが、それでは、前提とされる従来技術(5欄【0016項】、14頁【図23】)と大幅に異なることになり、従来技術の改良にならないから、そのような押圧又は引っ張りは、先願発明において採用されていないというほかなく、結局、先願発明において、「押圧または引っ張る」点を多点とした場合も、円筒面を形成することはできないことが明らかである。したがって、先願発明の「背面を1点または多点で押圧または引っ張る機構」によっては円筒面を形成することができないから、「任意に曲げる」の「任意」とは、凸面にも凹面にもでき、その曲率を自在に調節できるという意味に理解するのが相当である。
(3) 被告は、先願明細書(甲第4号証)に「共振器内にスリットが配置されている場合には、このスリットによる回折によりスリット通過後の光は球面波となる」(3欄【0007】項)と記載され、スリットによる回折による波面が球面波であるとされているが、同波面は円筒形に湾曲した波面となることが当業者に明らかであり、また、先願発明は、スリット又は他の光学素子で影響を受けた波面の形状に一致するように「グレーティング」自体を曲げるという公知の技術を前提とするものであるから、「任意に曲げることができるグレーティング」との構成が円筒形に湾曲した波面に一致するように湾曲されたものとなっていることは明らかであると主張する。
特開平2-303178号公報(乙第1号証)記載の発明は、発明の名称を「狭帯域発振エキシマレーザ」とする発明であって、その特許出願の願書に最初に添付した明細書の発明の詳細な説明には、「この発明は、波長選択素子としてグレーティングを採用し、しかも効率よく狭帯域化できる狭帯域発振エキシマレーザを提供することを目的とする」(3頁右下欄17行目〜末行)、「グレーティング30は光の回折を利用して特定波長の光を選択するもので、一定方向に配列された多数の溝が形成されている。・・・この多数の溝と直角の方向を線引方向と称している」(4頁左下欄9行目〜12行目)、「レーザビームの広がり角は・・・放電方向に垂直な方向の方が小さい。そこでグレーティング30の線引方向をこの放電方向に垂直な方向に一致させると、グレーティング30におけるビーム広がりを最小にすることができ、これにより効率よく狭帯域化することができる」(同頁右下欄8行目〜15行目)、「これによりグレーティング31の線引方向に照射されるレーザ光の広がりは最小になり、グレーティング31におけるビーム広がりを最小にすることができるので高効率で狭帯域化することが可能となる」(5頁左上欄14行目〜18行目)、「ビームエキスパンダによるビーム拡大方向・・・はグレーティング30の線引方向・・・に一致している。・・・グレーティング30におけるビーム広がり角がビームエキスパンダの拡大率の逆数分だけ小さくなるので狭帯域化の効率を高めることができる」(同頁右上欄9行目〜18行目)及び「ビームエキスパンダのビーム拡大方向がグレーティング30または31の線引方向と略一致すれば充分な高効率の波長制御が可能となる」(7頁左上欄15行目〜18行目)との記載がある。これらの記載によると、乙第1号証記載の「グレーティング」は、本願発明の「格子」及び先願発明の「グレーティング」と同様に、エキシマレーザの発振波長を狭帯域とするために用いられている光学素子であり、グレーティングへの入射ビームに広がり(本件明細書記載の「波面ひずみ」及び先願明細書記載の「波面の歪み」と同義であると解される。)があると狭帯域化の効率が悪くなるため、ビームの広がりが小さい方向と線引方向を一致させ、さらに、グレーティングの線引方向にビームを拡大し、その分だけ線引方向におけるビームの広がりを抑えることにより、効率的な狭帯域化を実現するとの技術的事項が開示されているものと認めることができる。すなわち、乙第1号証においては、ビームの広がりが狭帯域化を阻害する要因であることの指摘はされているものの、そこにいう「広がり」とは専らグレーティングの線引方向であって、それと垂直な方向(グレーティングの溝方向)におけるビームの広がりが狭帯域化の上で障害となる旨の記載はない。
そこで、先願発明に係る特許出願当時の技術水準と考えられる上記技術的事項を参酌して先願明細書の記載を更に検討すると、先願明細書(甲第4号証)には、「図2に示す構成において、グレーティング9に入射するレーザ光の波長をλ、その入射角度をθ、グレーティングの溝間隔距離をdとしたときに回折光強度が最大になるのは、下式が成立するときである。
m・λ=2・d・sinθ…(1) ・・・ Δλ=(λ/tanθ)・Δθ…(4) 上記(4)式において、Δλはスペクトル線幅、Δθはグレーティングに入射するレーザビームの拡がり角である。・・・ビームエキスパンダ8やグレーティング9の波面収差を補正することは、上記(4)式のΔθをほぼ零にするのと同じ効果があるので、これにより(4)式の左辺、すなわちスペクトル線幅Δλを最小にすることができる」(7欄〜8欄【0034】項〜【0039】項)との記載があり、ここにいう入射角度θ及び拡がり角Δθが、線引方向を含みグレーティングに垂直な面(【図2】が記載された紙面の平面)上の角度であることは明らかであり、レーザビームが同紙面の平面と垂直方向、すなわち、線引方向と垂直方向に拡がっていることと、スペクトル線幅Δλとの関係については記載がない。そして、
このことと、前示したように、乙第1号証に線引方向と垂直な方向(グレーティングの溝方向)におけるビームの広がりが狭帯域化の上で障害となる旨の記載はないことを併せ考えれば、先願明細書における波面の補正とは、グレーティングの線引方向における波面の補正、すなわち、線引方向を含みグレーティングに垂直な面(【図2】が記載された紙面の平面)上での波面の補正の趣旨と解すべきであり、
線引方向と垂直方向の補正まで包含するものではないことは明らかである。そうすると、先願明細書が「スリットによる回折」を「波面歪み」の原因として挙げ、スリットによる回折波面が円筒面になるとしても、線引方向と垂直の方向の波面に関心を有しない先願発明において、線引方向と垂直の方向においてグレーティングに曲率を持たせないようにしなければならない理由はないというべきである。
したがって、先願発明の「任意に曲げることができるグレーティング」との構成が円筒形に湾曲した波面に一致するように湾曲されたものとなっているとの被告の上記主張は失当であり、採用することができない。
(4) 被告は、また、先願発明は、公知の技術の、湾曲した「グレーティング」が滑らかな曲率を持つ凹面とはならず、屈曲点を有する略3角形状となっていた点を克服するために、「任意に曲げることができるグレーティング」との構成を採用したものであるとし、先願明細書の実施例の記載から、曲げ機構により調整された後の「任意に曲げることのできるグレーティング」が円筒形に湾曲した形状であることを意味しているとも主張するが、各実施例記載の曲げ機構は、いずれも「背面を1点または多点で押圧または引っ張る機構」であって、同機構によっては円筒面を形成することができないことは、前示のとおりであるから、この主張も失当である。
(5) 以上によれば、審決の「先願明細書に記載された発明(以下、先願発明という。)の・・・『任意に曲げることができるグレーティング』・・・は、本願発明の・・・『円筒形に湾曲した表面を有する格子』・・・に対応し、それぞれの対応に格別の差異がない」(審決書謄本3頁29行目〜34行目)との認定は誤りであり、この誤った認定に基づいて、「円筒形に湾曲した表面を有する格子」を備えることを本願発明と先願発明の一致点とした審決の認定も誤りというべきである。
2 以上のとおり、原告主張の取消事由1は理由があり、この誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、その余の点について判断するまでもなく、審決は取消しを免れない。
よって、原告の請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 篠原勝美
裁判官 岡本岳
裁判官 宮坂昌利