運営:アスタミューゼ株式会社
  • ポートフォリオ機能


追加

関連審決 審判1999-3485
関連ワード 発明者 /  製造方法 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  公知技術 /  技術常識 /  数値限定 /  実施 /  拒絶査定 /  請求の範囲 / 
元本PDF 裁判所収録の全文PDFを見る pdf
元本PDF 裁判所収録の別紙1PDFを見る pdf
事件 平成 12年 (行ケ) 328号 審決取消請求事件
原告 株式会社村田製作所
訴訟代理人弁理士 小谷悦司
同 伊藤孝夫
被告 特許庁長官太田信一郎
指定代理人 大橋隆夫
同 小林信雄
同 大橋良三
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2002/10/15
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告 特許庁が平成11年審判第3485号事件について平成12年7月18日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告 主文と同旨
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は,平成3年1月11日,発明の名称を「表面波装置」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(平成3年特許願第2034号。以下「本願出願」という。)をし,平成11年2月9日に拒絶査定を受けたので,同年3月9日,これに対する不服の審判を請求した。特許庁は,これを平成11年審判第3485号事件として審理し,その結果,平成12年7月18日「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,同年8月12日にその謄本を原告に送達した。
2 特許請求の範囲(別紙図面(1)参照) 「【請求項1】圧電基板を伝播する表面波のうち,変位が表面波伝播方向と垂直な方向の変位を主体とするSHタイプの表面波を用いた表面波装置であって,圧電基板と,前記圧電基板上に形成された少なくとも1のインターデジタルトランスデューサと,前記インターデジタルトランスデューサを少なくとも覆うように設けられたゲル状またはショア硬さ30以下の樹脂層とを備えることを特徴とする,表面波装置。」 3 審決の理由 審決は,別紙審決書の写しのとおり,本願発明が,特開昭54-108551号公報(以下「刊行物1」という。)に記載された発明(以下「引用発明」という。別紙図面(2)参照。)に周知の技術手段を適用することにより当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項に該当し,特許を受けることができないものである,と判断した。
原告主張の審決取消事由の要点
審決は,本願発明と引用発明との相違点についての認定判断を誤った(取消事由1,2)ものであるから,違法として取り消されるべきである。
1 取消事由1(動機付けの有無についての判断の誤り) (1) 審決は,本願発明と引用発明との相違点として「前記樹脂(判決注・インターデジタルトランスデューサを覆うように設けられた樹脂層に用いられる樹脂)として,前者が,被覆による共振特性の変動を小さくするために,ゲル状またはショア硬さ30以下の樹脂を採用しているのに対して,後者が具体的にはシリコンゴムを採用している点」(審決書3頁4行〜6行)を認定した上,この相違点につき,「刊行物1に記載された第1の発明において,被覆による共振特性の変動を小さくするために,前記樹脂として,ゲル状またはショア硬さ30以下の樹脂を採用して本願発明のようにすることは,当業者が容易になし得たことである。」(審決書3頁27行〜30行)と判断した。しかし,引用発明から,本願発明の「ゲル状またはショア硬さ30以下の樹脂層」との構成に想到する動機付けはなく,次に述べるとおり,むしろこれを妨げる事情がある。
(ア) 刊行物1には,「本発明は,・・・不要信号が除去され,かつ簡便な包装がなされているデバイスを提供しようとするものである。」(甲第2号証1頁右下欄5行〜11行),「このように,本発明による弾性表面波デバイスは,・・・不要信号の除去が格別に挿入損を増加させることなく効果的になされてあり,かつ安価で簡便な包装がなされているなど,従来例の欠点や問題の解決されたものである。」(3頁右下欄6行〜11行)との記載があり,これらの記載は,引用発明の目的及び効果が,「簡便な包装」をすることのみにあるのではなく,「不要信号の除去」をすることにもあることを明示している。
刊行物1には,「絶縁性ゴム4の材質は,実用上,大気中での常温,常圧下で粘液状であり,加熱または吸湿作用により硬化するものであることが望ましい。」(甲第2号証2頁左下欄13行〜16行)及び「本発明品における絶縁性ゴムとしては吸湿硬化性のシリコンゴムを用い,これで被覆されている素子を大気中で約150℃に予熱しておき,これに粉粒状のエポキシ系樹脂を付着させ,上記温度で再加熱して全体を被覆した。」(3頁右上欄10行〜14行)と記載されており,これらの記載により,引用発明における被覆材である「絶縁性ゴム4」は硬いものである,と理解することができる。
引用発明の重要な目的及び効果である「不要信号の除去」を達成するためには,「絶縁性ゴム4」の硬度が硬いものでなければならない,ということは,引用発明と同じ「弾性表面波デバイス」に関する特開平8-167828号公報(甲第4号証。以下「甲4公報」という。)における「吸音部の硬度は、ショアD70以上であると硬過ぎて表面波の反射が大きくなる一方、ショアD40以下であると柔らか過ぎて、表面波を減衰出来ず透過してしまう事から、ショアD40〜70の範囲である事が望ましい。」(甲第4号証3頁3欄11行〜15行)との記載からも明らかである。すなわち,引用発明における被覆材である「絶縁性ゴム4」としては,不要信号の除去という引用発明の目的及び効果を達成するために,ショア硬さ40ないし70の範囲のものが望ましいのである。なお,この甲4公報は,刊行物1に係る特許出願の時点で公知となっていた技術ではないとはいえ,そこに示されている上記技術的な知見は,普遍的なものであり,刊行物1中の「絶縁性ゴム4」が相当硬いものであることをうかがわせる同刊行物の上記記載とも内容的に一致するものである。
「実験結果報告書」(甲第6号証。以下「本件実験報告書」という。)の「5.2 塗布するシリコーンの硬さと不要波抑圧レベルの関係」は,不要信号を除去するためには,圧電体の上面を覆う絶縁性ゴムがショア硬さ30では足りず,ショア硬さ45以上が必要であることを明確に示しており,引用発明の「絶縁性ゴム4」が相当硬いものでなければならない事実が,これによっても立証されている。
(イ) これに対し,本願発明は,「パッケージ構造を簡略化」(甲第3号証1欄48行〜49行)することのみならず,「共振特性の変動が生じがたい構造」(1欄49行〜50行)あるいは「表面波出力の減衰が生じないこと」(2欄16行),すなわち共振抵抗の増大の抑制,をその目的及び効果とするものであり,そのため,本願発明の被覆材は,「ゲル状またはショア硬さ30以下の樹脂層」でなければならないのである。
刊行物1の上記の記載及び本件実験報告書の示す上記事項からすれば,被覆材のショア硬さを低くすると,不要信号の除去が達成できなくなるものであるため,不要信号の除去をも目的とする引用発明から,樹脂層のショア硬さを30以下にして共振抵抗の増大を抑えることを企図する本願発明に想到することは,不可能というべきである。したがって,引用発明から本願発明に想到し得る動機付けはなく,むしろ,これを妨げる事情があるものといわなければならない。
(2) 被告は,特開昭62-257211号公報(乙第3号証。以下「乙3公報」という。)を引用し,これには,弾性表面波素子において発生する不要信号を除去する素材として,ゲル状のシリコーン樹脂,粘弾性のシリコーンゴム若しくはエポキシ樹脂,すなわち,ゲル状又はショア硬さ30以下の樹脂を用いることが記載されている,と主張する。
しかしながら,乙3公報に記載された発明は,その第1図,第3図及び特許請求の範囲に記載された発明の要旨(特に後2者)から明らかなとおり,粘弾性物質又はゲル状物質が,すだれ状電極以外の部分に塗布されたものにすぎず,引用発明や本願発明におけるように,インターデジタルトランスデューサ(すだれ状電極)の上に樹脂層を塗布するものではない。このように,乙3公報に記載された弾性表面波素子と,引用発明や本願発明の表面波装置とは,その構造を異にするものであるから,乙3公報を根拠とする被告の主張は,理由がないといわざるを得ない。
被告は,本願発明についても,不要信号を除去するという効果を奏するものである,引用発明も,表面波出力が減衰することがないように配慮している,と主張する。
確かに,本願発明についても,不要信号を抑圧する効果を全く奏しないということはできない。しかし,本件実験報告書の表4は,ショア硬さ30以下の樹脂層による不要信号の除去が,ショア硬さ45の樹脂層による不要信号の除去と比べると不十分なレベルであることを明瞭に示しており,不要信号を除去するためにはショア硬さとしてある程度の硬さが必要であることを示している。そうである以上,不要信号を除去することを目的とする引用発明を出発点としつつ,共振抵抗の増加を抑制する目的で樹脂層のショア硬さをより小さくするという本願発明の構成を発想するに至る余地は,ないものというべきである。
被告は,本願発明と引用発明とは,被覆材として用いる樹脂層が,本願発明では,ゲル状又はショア硬さ30以下であるのに対して,引用発明では,絶縁性ゴム,具体的には,吸湿硬化性のシリコンゴムである点で相違するということでしかない,かつ,このような樹脂層の構成の差は,この技術分野における当業者が適宜になすべき設計事項の範囲のことにすぎない,と主張する。
しかしながら,表面波出力の減衰の回避は,樹脂層の性質以外に様々な要因によって決定されるものであるから,引用発明においても,表面波出力の減衰が多少なりとも回避されていることを,直ちに樹脂層の構成の差に結び付けて考えることはできない。
2 取消事由2(柔らかさについての判断の誤り) (1) 審決は,「表面波装置の分野に於いて,インターデジタルトランスデューサの上を直接物で覆うと,電気的特性が悪くなることは周知であり(刊行物1にも「機械的負荷」の存在による悪影響として記載されている)」(審決書3頁14行〜16行)ことを根拠に,「共振抵抗は機械的に柔らかい程小さい(機械的に硬い程大きい,同じ物(「絶縁物5(二酸化シリコン)」)である場合その膜厚が薄い程機械的に柔らかく膜厚が厚い程機械的に硬いことは当業者に自明である)」(同3頁17行〜20行)と判断した。
しかし,前者の「機械的負荷」と,後者の決して技術的用語とはいえない「機械的に柔らかい」との用語の意味は同一とはいえず,そもそも,「機械的に柔らかい」とはどのような意味を有しているのか不明である。また,「膜厚が薄い程機械的に柔らかく膜厚が厚い程機械的に硬いことは当業者に自明である」とする審決の上記認定については,何ら技術的な根拠は示されていない。本来,物の硬さ,柔らかさ自体は,ショア硬さで表される材質の問題であるから,これを膜厚と関係づけること自体が誤りである。
審決は,前記のとおり,「共振抵抗は機械的に柔らかい程小さい(・・・同じ物・・・である場合その膜厚が薄い程機械的に柔らかく・・・)」(審決書3頁17行〜20行)との誤った判断に続いて,「共振抵抗が増大することを抑えるために「絶縁物5(二酸化シリコン)」を(その膜厚を薄くして)機械的に柔らかくすることも,例えば特開昭61-117913号公報に記載されているように周知であり,」(審決書3頁20行〜23行)と判断している。しかしながら,特開昭61-117913号公報(甲第5号証。以下「甲5公報」という。)には,「絶縁層5の膜厚を薄くすることにより,ひいては共振抵抗の増加も小さく抑えることができる」(3頁左上欄18行〜20行)との記載があるのみで,審決がいうような「膜厚が薄い程機械的に柔らかい」ことについては何ら記載も示唆もされていない。したがって,甲5公報の記載を根拠に,このことが,当業者に自明であるということもできない。素材自体が硬い被覆材は,たとい膜厚を薄くしたとしても,ショア硬さは低くならないのである。
同じ物であれば膜厚が薄いほど機械的に柔らかくなる,とはいえないのであるから,同じ物であれば膜厚が薄いほど機械的に柔らかくなる,ということを前提に,共振抵抗は機械的に柔らかいほど小さくなることは自明である,とした審決の上記判断は,誤りである。
(2) 被告は,共振抵抗が増大することを抑えるために被覆用の材料用として変形しやすいものを採用することの周知性を立証するものとして,特開昭61-161432号公報(乙第1号証。以下「乙1公報」という。)及び乙2公報を提示している。しかしながら,乙1公報は,表面波装置の技術分野に係るものではなく,そこには,圧力で共振抵抗を変えるという異質のものが示されているにすぎない。
そこに示されている事項は,本願発明が必須とする「ゲル状またはショア硬さ30以下の樹脂層」とは,材種においても数値範囲においても,全く無関係である。乙2公報は,空孔を利用することで素子上の樹脂の厚みを調整しているものであって,ゲル状又はショア硬さを問題とするものではなく,かつ,「ゲル状またはショア硬さ30以下」の数値範囲の点からしても,本願発明とは全く無関係である。
被告は,被覆する樹脂層が,柔らかいもの,若しくは,硬くても薄いものであれば,伝搬する表面波の変位を押さえ込む力,すなわち,機械的負荷が小さいであろうことは,当業者ならずとも,容易に認識し得ることである,と主張する。
しかし,樹脂層のショア硬さと共振抵抗の増加の抑制との関係は,本願発明者が初めて見出したことであるから,被告の指摘は不適切である。そもそも,被覆する樹脂層が,柔らかいもの,若しくは,硬くても薄いものであれば,伝搬する表面波の変位を押さえ込む力,すなわち,機械的負荷が小さいであろうことは,当業者ならずとも,容易に認識し得るとの被告の主張では,本件実験報告書に示す実験結果を説明することはできない。すなわち,本件実験報告書によれば,サンプルNo.1〜No.20の共振抵抗は,塗布なし,塗布回数1回,2回,3回のそれぞれにおける値がほぼ一致しており,しかも,シリコーンの塗布によって膜厚が1倍から約2倍,3倍と厚くなったにもかかわらず,共振抵抗は全く変化していないのである。
(3) 被告は,本願出願の願書に添付した明細書及び図面(以下「本願明細書」という。)の【図4】によれば,本願発明における「ゲル状またはショア硬さ30以下の樹脂層」との限定は,何らの臨界的意義を有するものではない,と主張する。しかし,本願明細書の【図4】には,ショア硬さ30以下と,30以上とで,回帰直線の勾配が異なること,すなわち,その臨界的意義があることが示唆されており,かつ,本願明細書中に「これに対して,硬度が30を越えるシリコンゴムを用いた場合には,共振抵抗が大幅に高くなることがわかる。」(甲第3号証3頁右欄9行〜11行)と,【図4】と整合する内容が記載されている。被告の主張は失当である。
被告の反論の要点
審決の認定判断はいずれも正当であって,審決を取り消すべき理由はない。
1 取消事由1(動機付けの有無についての判断の誤り)について (1)(ア) 本願明細書には,「本発明の目的は,・・・パッケージ構造を簡略化し得るだけでなく,共振特性の変動が生じがたい構造を備えたものを提供することにある。」(甲第3号証段落【0005】)との記載があり,この記載によれば,本願発明の目的は,パッケージ構造を簡略化すること及び共振特性の変動を小さくすることである。
本願明細書の段落【0004】,【0006】,【0009】等の記載からすれば,本願発明にいう共振特性とは,共振抵抗のことであり,本願発明の目的である共振特性の変動を小さくすることとは,共振抵抗が増加するのを抑制することのことであり,より正確にいえば、インターデジタルトランスデューサ上又は表面波伝播路上等を樹脂で被覆したことによって生じる共振抵抗の増加により表面波出力が減衰してしまうのを回避することのことであると解すべきである。
(イ) 引用発明が,「簡便な包装」をすることに加えて「不要信号の除去」をすることをその目的及び効果とするものであることは,原告主張のとおりである。
ただし,刊行物1には,「実際に、たとえば防湿と不要超音波の吸収とを兼ねる物質でこの種デバイス素子を包装しようとすれば,圧電体の表面に設けた交差指形電極上や,表面波の伝搬路面に機械的負荷がかからないようにしなければならない。なぜなら・・・交差指形電極や表面波の伝搬路面にわずかでも機械的負荷があると、実用にならない程度にまで出力が減衰してしまうからである。・・・本発明は,・・・交差指形電極上や表面波の伝搬路面に,絶縁性のゴムを設置しても,該表面波の出力が全く減衰しなかったので,この実験事実に基いて前述した従来例の欠点や問題点を解決したデバイスを提供するものである。」(1頁右下欄18行〜2頁左上欄20行)との記載がある。この記載によれば,引用発明は,圧電体の表面に設けた絶縁性ゴムによって交差指形電極上や表面波の伝搬路面に生じる機械的負荷により,実用にならない程度まで表面波出力が減衰してしまうことがないように配慮しつつ,前記目的を達成しようとするものであることが明らかである。
(2) 本件実験報告書の「5.2塗布するシリコーンの硬さと不要波抑圧レベルの関係」の項からは,塗布したシリコーンがゲル状又はショア硬さ30以下の場合でも,不要信号によるレスポンスの抑圧作用がかなりの程度で生じることを見て取ることができる。したがって,本願明細書に明示的に記載されていないものの,本願発明は,その構成により,パッケージ構造を簡略化するという効果及び共振特性の変動を小さくするという効果に加えて,不要信号を除去するという効果をも奏する,ということができる。
したがって,引用発明において,被覆材のショア硬さを30以下にしたからといって,直ちに,不要信号の除去が全く達成できなくなるというわけではない。
原告は,甲4公報を提出し,引用発明における被覆材である「絶縁性のゴム4」は,不要信号の除去という引用発明の目的及び効果を達成するためには,ショア硬さ40ないし70の範囲のものが望ましい,と主張する。しかし,乙3公報には,弾性表面波素子において発生する不要信号を除去することに関して,例えば,「反射器3,3’の部分にシリコーンゴム(粘弾性物質5,5’)を0.1mm程度の厚さに塗布した。その結果,シリコーンゴムを塗布しない従来のものに比べて,伝送特性のリップルが1dBから0.1dB以下に減少した。なお,主共振レベルの劣化は,測定上見うけられなかった。なお,シリコーンゴムの代りに,エポキシ樹脂またはゲル状のシリコーン樹脂を用いても同様な結果が得られた。」(乙第3号証3頁左下欄14行〜右下欄3行)との記載がある。この記載が,弾性表面波素子において発生する不要信号を除去する素材として,ゲル状のシリコーン樹脂,粘弾性のシリコーンゴム若しくはエポキシ樹脂,すなわち,ゲル状又はショア硬さ30以下の樹脂を用いることを意味しているのは,明らかである。
(3) 以上のとおり,本願発明と引用発明とは,本願明細書及び刊行物1の記載における,発明の目的及び効果に関する表現に差異はあるとしても,パッケージ構造の簡略化,表面波出力の減衰の回避及び不要信号の除去という三つの効果を奏する発明である点で軌を一にするものである。そして,両者の構成の間に存する相違は,被覆材として用いる樹脂層が,本願発明では,ゲル状又はショア硬さ30以下のものであるのに対して,引用発明では,絶縁性のゴム,具体的には,吸湿硬化性のシリコンゴムである,という点のみである。
この技術分野においては,ある性質の改善を図ることによって他の性質に無視できない悪影響が生じる場合には,ある性質の改善の程度を若干落としてでも,他の性質に生じる悪影響を緩和する,という手法が普通に採用されているから,引用発明において,不要信号の除去の効果を若干落としてでも,共振抵抗の改善を図ろうと試みることは,この技術分野における当業者がその必要に応じて適宜になすべき設計事項の範囲内のことにすぎない,というべきである。
以上のとおりであるから,引用発明には本願発明に想到しうる動機付けがなく,むしろ,これを妨げる事情がある,とする原告の主張には,全く理由がない。
2 取消事由2(柔らかさについての判断の誤り)について (1) 本願発明と引用発明とは,パッケージ構造の簡略化,表面波出力減衰の回避及び不要信号の除去という三つの効果を奏する発明である点で軌を一にするものであり,両発明の構成の間に存する唯一の相違は,被覆材として用いる樹脂層が,本願発明では,ゲル状またはショア硬さ30以下のものであるのに対して,引用発明では,絶縁性ゴム,具体的には,吸湿硬化性のシリコンゴムである点のみであることは,前記1のとおりである。
(2) 審決は,上記相違点について,「表面波装置の分野に於いて,インターデジタルトランスデューサの上を直接物で覆うと,電気的特性が悪くなることは周知であり・・・,電気的特性が悪くなる因子として共振抵抗が増大する(高くなる)こと,共振抵抗は機械的に柔らかい程小さい(機械的に硬い程大きい,同じ物・・・である場合その膜厚が薄い程機械的に柔らかく膜厚が厚い程機械的に硬いことは当業者に自明である)こと,共振抵抗が増大することを抑えるために「絶縁部5(二酸化シリコン)」を(その膜厚を薄くして)機械的に柔らかくすることも,例えば特開昭61-117913号公報に記載されているように周知であり,柔らかい樹脂としてゲル状またはショア硬さ30以下の樹脂は例示するまでもなく周知である・・・ので,刊行物1に記載された第1の発明において,被覆による共振特性の変動を小さくするために,前記樹脂として,ゲル状またはショア硬さ30以下の樹脂を採用して本願発明のようにすることは,当業者が容易になし得たことである。」(審決書3頁14行〜30行)と認定判断した。審決のいう「機械的に柔らかい」とは,「変形しやすい」の意味で用いられており,また,審決の括弧書きの内容は,説明の補助のために付加したものであり,さらには,審決が特開昭61-117913号公報(甲5公報)を挙げたのは,変形しやすい材料で被覆することにより共振抵抗の増大を抑えることができることが周知であることを示すための1例としてのことにすぎないことを斟酌すれば,審決の前記認定判断は,「表面波装置の分野において,インターデジタルトランスデューサの上を直接物で覆うと,電気的特性が悪くなることは周知であり,電気的特性が悪くなる因子として共振抵抗の増大があること,共振抵抗は変形しやすいほど小さいこと,共振抵抗が増大することを抑えるために被覆用の材料として変形しやすいものを採用することも周知であり,変形しやすい材料としてゲル状又はショア硬さ30以下の樹脂は例示するまでもなく周知であるので,引用発明において,被覆による共振特性の変動を小さくするために,前記樹脂としてゲル状又はショア硬さ30以下の樹脂を採用して本願発明のようにすることは,当業者が容易になし得たことである」,端的に言えば,「表面波装置の分野において,共振抵抗が増大することを抑えるために被覆用の材料として変形しやすいものを採用することは周知である」との趣旨であると解するべきである。
(3) 共振抵抗が増大することを抑制するために被覆用の材料として変形しやすいものを採用することは,次に述べるとおり,周知である。
乙1公報には,「水晶振動子の共振抵抗が,その周囲気体の圧力に広い範囲で依存性を有する」(2頁左上欄8行〜9行)と記載され,また,乙2公報には,「かかる構成においては,・・・空孔を介した薄い樹脂皮膜との介合面であるため,比較的大きな質量を有する樹脂被覆層内での反射吸収などに伴う干渉を抑制することが出来る。」(2頁左上欄6行〜11行)と記載されている。
刊行物1にも,前記1で主張したように,圧電体の表面に設けた交差指形電極上や,表面波の伝播路面にかかる機械的負荷が小さいほど挿入損あるいは出力の減衰を抑えることができることが記載されている。そして,この「機械的な負荷」が,インターデジタルトランスデューサの上を樹脂層で被覆することに起因して出力の減衰を招く要因であるという意味で,共振抵抗と等価であることも明らかである。
刊行物1には,前記1で主張したことに加えて,「上記素子の電極面および伝搬路面に被着された絶縁性ゴムは,B・G波に対する機械的負荷の緩衝剤としての役割を果たしていると考えられ,実際これを用いないで直接表面にエポキシ系樹脂を加熱塗装した場合に比べて従来例に対する挿入損の増加は零かごくわずかであった。」(3頁左下欄11行〜17行)」との記載もある。この記載が,前記絶縁性ゴムを,パッケージのためのエポキシ系樹脂よりも機械的負荷の小さいものとする(絶縁性ゴムをパッケージのためのエポキシ系樹脂よりも変形しやすいものとする)ことを意味していることは,その内容自体から明らかである。
以上のとおり,引用発明においても,被覆材として用いられる絶縁性ゴムは,不要信号の除去ができるような硬さのものが考慮されるものの,その中で,機械的な負荷の小さい,それほど硬くない範囲のものが選定されるであろうことは,当然のこととして推測されるところである。
もっとも,引用発明の絶縁性ゴムのショア硬さの範囲は,必ずしも明確ではない。しかし,被覆する樹脂層が,柔らかいもの,若しくは,硬くても薄いものであれば,伝搬する表面波の変位を押さえ込む力,すなわち,機械的負荷が小さいであろうことは,当業者ならずとも,容易に認識し得ることである。また,実際上は,乙2公報に示されるように,被覆材として発泡性樹脂(この発泡性樹脂は,ショア硬さ30以下に相当するものと思料する。ちなみに,本願明細書の段落【0016】には,「上記実施例では,樹脂層5はゲル状シリコンゴムや二液製シリコン発泡体等のシリコンゴムにより構成されて」と記載されており,この二液製シリコン発泡体は,前記発泡性樹脂に相当するものと思料する。)を用いることや,乙3公報に示されるように,不要信号を除去する素材としてゲル状樹脂又は粘弾性樹脂を用いることが本願出願前に当業者に既に知られているから,引用発明において,被覆材としての樹脂層をゲル状又はショア硬さ30以下とすることは,本願出願前に当業者が必要に応じて適宜になし得たことというしかない。
なお,本願明細書の【図4】によれば,本願発明における「ゲル状またはショア硬さ30以下」との限定は,何らの臨界的意義を有するものではないことが明らかである。
当裁判所の判断
1 取消事由1(動機付けの有無についての判断の誤り)について (1) 本願明細書には,「本発明の目的は,・・・パッケージ構造を簡略化し得るだけでなく,共振特性の変動が生じがたい構造を備えたものを提供することにある。」(甲第3号証段落【0005】)との記載がある。この記載によれば,本願発明の目的は,パッケージ構造を簡略化すること及び共振特性の変動を小さくすることである。
本願明細書には,共振特性に関するものとして,「BGS波を利用した弾性表面波共振子において,インターデジタルトランスデューサ上および表面波伝播路上をシリコンゴムで被覆すると,共振抵抗及び伝搬損失がかなり高くなり,従って共振特性やフィルタ特性が変化するという問題があった。」(甲第3号証段落【0004】),「本願発明者らは,・・・特定の樹脂層によりインターデジタルトランスデューサ上を被覆した場合,出力が減衰しないことを見出した。」(段落【0006】),「本発明において,上記ゲル状またはショア硬さ30以下の樹脂層を用いる必要があるのは,ショア硬さが30を越える樹脂層によりインターデジタルトランスデューサを被覆した場合には,共振抵抗が大幅に高くなり,共振特性の変化を無視し得なくなるからである。」(段落【0009】)との記載がある。
これらの記載を総合判断すれば,本願発明の目的の一つとしていわれている,共振特性の変動を小さくする,とは,共振抵抗が増加するのを抑制する,ということであり,より具体的には,インターデジタルトランスデューサ上又は表面波伝播路上等を樹脂で被覆したことによって生じる共振抵抗の増加により表面波出力が減衰してしまうのを回避する,ということであると認められる。
(2) 引用発明の目的及び効果は,刊行物1における「弾性表面波デバイスに関するものであり,各デバイスの電気的特性にとって好ましくない不要信号が除去され,かつ簡便な包装がなされているデバイスを提供しようとするものである。」(甲第2号証1頁右下欄7行〜11行)との記載から明らかなように,不要信号の除去と簡便な包装である。ただし,刊行物1における「実際に、たとえば防湿と不要超音波の吸収とを兼ねる物質でこの種デバイス素子を包装しようとすれば,圧電体の表面に設けた交差指形電極上や,表面波の伝搬路面に機械的負荷がかからないようにしなければならない。なぜなら・・・交差指形電極や表面波の伝搬路面にわずかでも機械的負荷があると、実用にならない程度にまで出力が減衰してしまうからである。・・・本発明は,・・・交差指形電極上や表面波の伝搬路面に,絶縁性のゴムを設置しても,該表面波の出力が全く減衰しなかったので,この実験事実に基づいて前述した従来例の欠点や問題点を解決したデバイスを提供するものである。」(甲第2号証1頁右下欄18行〜2頁左上欄20行)との記載からすれば,引用発明も,圧電体の表面に設けた絶縁性ゴムによって交差指形電極上や表面波の伝搬路面に生じる機械的負荷により,実用にならない程度まで表面波出力が減衰してしまうことがないように配慮しつつ,前記の不要信号の除去及び簡便な包装を実現するとの目的を達成しようとするものであることが,明らかである。
刊行物1には,上記のほかにも,「それぞれについてその電気特性を比較すると,挿入損は本発明品が従来例に比べて,帯域通過フィルタで0.1〜0.3dB増加し,FM用遅延線素子では0.0〜0.5dBしか増加していないのに対し,不要信号の主信号に対する利得は,本発明品の方が従来例よりも10〜20dB小さかった。」(甲第2号証3頁右上欄15行〜20行)及び「上記素子の電極面および伝搬路面に被着された絶縁性ゴムは,B・G波に対する機械的負荷の緩衝剤としての役割を果たしていると考えられ,・・・従来例に対する挿入損の増加は零かごくわずかであった。」(同3頁左下欄11行〜17行)との記載がある。これらの記載は,引用発明が,電極面及び表面波の伝搬路面を含む表面を絶縁性のゴムにより被覆することによって,挿入損,すなわち,表面波出力の減衰を少なくしながら,不要信号の利得(除去)を多くすることをその効果として奏することを明示するものである。
以上によれば,刊行物1には,弾性表面波装置において,簡便な包装,不要信号の除去をその目的としながら,できるだけ表面波出力が減衰することがないように配慮するとの,引用発明の技術思想が示されている,といってよいことが明らかである。
(3) 原告は,甲4公報を提出し,引用発明の被覆材である「絶縁性のゴム」は,それが,不要信号の除去という引用発明の目的を達成するためのものであることからして,上記目的の達成を可能とする,ショア硬さ40ないし70の範囲のものを指す,と主張する。
確かに,甲4公報には,「本発明は・・・不要な表面波を,吸音部にてより効果的に吸収する・・・弾性表面波装置を提供する事を目的とする。」(甲第4号証段落【0006】),「本発明は・・・硬化後の硬度をショアD40〜70とされるフェノール系樹脂からなり不要な表面波を吸収する吸音部とを設けるものである。」(段落【0007】)との記載はされている。
しかし,甲4公報は,平成8年6月25日に公開された特許公開公報であり,そもそも本願出願時における公知技術ではない。また,この点はおくとしても,刊行物1には,「絶縁性ゴム4の材質は,実用上,大気中での常温,常圧下で粘液状であり,加熱または吸湿作用により硬化するものであることが望ましい。」(甲第3号証2頁左下欄13行〜16行),「本発明品における絶縁性ゴムとしては吸湿硬化性のシリコンゴムを用い,これで被覆されている素子を大気中で約150℃に予熱しておき,これに粉粒状のエポキシ系樹脂を付着させ,上記温度で再加熱して全体を被覆した。」(3頁右上欄10行〜14行)との記載はあるものの,絶縁性のゴムの硬度についての記載はない。樹脂の硬化については,本願明細書にも「各ゲル状シリコンゴムおよび硬度を測定したシリコンゴムは,いずれも,70〜150℃の温度で1〜2時間程度硬化させた後に,針入度または硬度を測定した。」(甲第3号証段落【0014】),「表面波共振子を製品として構成する例を,製造方法を参照しつつ説明する。・・・弾性表面波共振子1の上面に,樹脂層5を塗布し,硬化させる。」(段落【0018】〜【0020】)との記載があり,本願明細書のこれらの記載と刊行物1の上記記載とを比較してみても,直ちに,引用発明の「絶縁性のゴム」が,原告が主張するような硬いものであるということはできないことが,明らかである。
甲4公報の弾性表面波装置と,引用発明の弾性表面波デバイスとは,その構造も同一ではない(甲第2,第4号証)。不要信号の除去という共通の目的を有するということのみを根拠に,その他の相違を無視して,甲4公報に記載された被覆材の硬度をそのまま引用発明の被覆材の硬度を意味するものとすることはできない。
(4) 原告は,本件実験報告書を提出し,不要信号を除去するためには圧電体の上面を覆う絶縁性ゴムが相当硬いものでなければならないと主張する。
しかし,本件実験報告書5頁の表4によれば,シリコーンの塗布なしの場合,抑圧量が-0.2〜0.0dBであるのに対し,硬さJIS-A:45のサンプル7,8では,それぞれ抑圧量が3.0〜12.6dB,3.0〜12.8dBであること,並びに,ゲル状のサンプル1,2では,それぞれ抑圧量が1.5〜6.7dB,1.5〜6.4dBであること,硬さJIS-A:25のサンプル3,4では,それぞれ抑圧量が1.7〜7.3dB,1.7〜6.8dBであること,及び,硬さJIS-A:30のサンプル5,6では,それぞれ抑圧量が1.8〜7.7dB,1.8〜7.5dBであることが示されている(甲第6号証)。
そうすると,塗布したシリコーンがゲル状又はショア硬さ30以下の場合でも,不要信号によるレスポンスの抑圧量は1.5〜7.7dB存在するのであって,本願発明のように,「ゲル状またはショア硬さ30以下の樹脂層」を備えるものにおいても,不要信号を抑圧する効果を奏するのであるから(この点は原告も争っていないところである。),引用発明が不要信号を抑圧する効果を奏するものであることを根拠に,引用発明の被覆材のショア硬さが原告がいうように高いものでなければならないと解することはできない。また,本願発明における「ゲル状またはショア硬さ30以下の樹脂層」も不要信号の除去の効果を奏することは,本件実験報告書の上記結果から明らかであるから,本願発明も,パッケージ構造の簡略化,共振特性の変動を小さくすることに加えて,不要信号を除去するとの効果を奏するものであることが明らかとなる。
また,乙3公報には,弾性表面波素子において発生する不要信号を除去することに関して,例えば,「反射器3,3’の部分にシリコーンゴム(粘弾性物質5,5’)を0.1mm程度の厚さに塗布した。その結果,シリコーンゴムを塗布しない従来のものに比べて,伝送特性のリップルが1dBから0.1dB以下に減少した。なお,主共振レベルの劣化は,測定上見うけられなかった。なお,シリコーンゴムの代りに,エポキシ樹脂またはゲル状のシリコーン樹脂を用いても同様な結果が得られた。」(乙第3号証3頁左下欄14行〜右下欄3行)との記載がある。この記載が,不要信号を除去する素材として,ゲル状のシリコーン樹脂,粘弾性のシリコーンゴム若しくはエポキシ樹脂を用いることを意味していることは明らかである。したがって,弾性表面波装置において発生する不要信号を除去するための被覆材の硬さについて,引用発明の絶縁性のゴムを,ショア硬さ40ないし70のものと限定して解することは到底できないのである。なお,原告は,乙3公報に記載された発明は,その第1図,第3図及び特許請求の範囲に記載された発明の要旨(特に後2者)から明らかなとおり,粘弾性物質又はゲル状物質が,すだれ状電極以外の部分に塗布されたものにすぎず,引用発明や本願発明におけるように,インターデジタルトランスデューサ(すだれ状電極)を塗布するものではない,と主張する。確かに,乙3公報の弾性表面波素子は,原告主張の構成のものであり,本願発明及び引用発明のものとは,原告主張のとおり,その構成を一部異にするものである。しかし,乙3公報に記載された発明のように,不要信号の除去を目的として,ゲル状のシリコーン樹脂等を使用する公知技術があることは,引用発明の絶縁性のゴムのショア硬さについて,甲4公報に示された40ないし70のものに限定して解する必要がないことを理解する上では,本件実験報告書の上記結果とともに,十分な証拠となり得るのである。
(5) 以上のとおり,本願発明と引用発明とは,いずれも,弾性表面波装置において,インターデジタルトランスデューサの上に樹脂層を直接被覆するとの共通の構成を有し,これにより,パッケージ構造の簡略化,共振抵抗の増大の抑制を通じての,表面波出力の減衰の回避,及び,不要信号の除去という三つの効果を奏する発明である点で共通性を有しているものである。両者は,その構成上,被覆材として用いる樹脂層が,本願発明では,「ゲル状またはショア硬さ30以下」のものであるのに対して,引用発明では,絶縁性ゴム,具体的には,吸湿硬化性のシリコンゴムであり,そのショア硬さについては何らの限定もない点で相違するにすぎない。そして,引用発明が不要信号の除去を目的としているからといって,「ゲル状またはショア硬さ30以下」の樹脂層を排除しているものではないこと,当業者にとっては,不要信号の除去と表面波出力の減衰の防止という相矛盾する要素のある二つの効果を調和よく奏するための樹脂層として,どの程度のショア硬さの樹脂層を選択すべきかということは,それぞれの効果にどの程度重点を置くかなどの考慮の下に,適宜選択すべき設計的事項の範囲の事柄にすぎないことは,上に説示したところから明らかである。
引用発明には本願発明に想到する動機付けがなく,むしろ,これを妨げる事情があるとする原告の主張は,採用することができない。
2 取消事由2(柔らかさについての判断の誤り)について (1) 審決は,「表面波装置の分野に於いて,インターデジタルトランスデューサの上を直接物で覆うと,電気的特性が悪くなることは周知であり(刊行物1にも「機械的負荷」の存在による悪影響として記載されている),電気的特性が悪くなる因子として共振抵抗が増大する(高くなる)こと,共振抵抗は機械的に柔らかい程小さい(機械的に硬い程大きい,同じ物(「絶縁物5(二酸化シリコン)」)である場合その膜厚が薄い程機械的に柔らかく膜厚が厚い程機械的に硬いことは当業者に自明である)こと,共振抵抗が増大することを抑えるために「絶縁物5(二酸化シリコン)」を(その膜厚を薄くして)機械的に柔らかくすることも,例えば特開昭61-117913号公報に記載されているように周知であり,柔らかい樹脂としてゲル状またはショア硬さ30以下の樹脂は例示するまでもなく周知である(柔らかさ(硬さ)の表現としてショア硬さ(ショア硬度)が使用されることも周知である)ので,刊行物1に記載された第1の発明において,被覆による共振特性の変動を小さくするために,前記樹脂として,ゲル状またはショア硬さ30以下の樹脂を採用して本願発明のようにすることは,当業者が容易になし得たことである。」(審決書3頁14行〜30行)と判断した。すなわち,審決は,@表面波装置の分野において,インターデジタルトランスデューサを直接被覆すると,共振抵抗が増大し,電気的特性が悪くなり,表面波出力が減衰すること,共振抵抗は被覆物が機械的に柔らかいほど小さいことは,いずれも周知であること,A共振抵抗が増大するのを抑制するため被覆物を「機械的に柔らかくする」方法としては,第1に,柔らかい材質のものを使用するというもの,第2に,同じ材質である場合は,その膜厚を薄くするというものがあることは,いずれも当業者に自明であること,B第1の方法における柔らかい被覆物に当たる,ゲル状又はショア硬さ30以下の樹脂の存在は周知であること,C第2の方法である膜厚を薄くする方法も,甲5公報に記載されているように周知であること,を認定した上,これに基づき,引用発明の絶縁性のシリコンゴムについて,共振抵抗が増大するのを抑制するために,上記第1の方法を採り,柔らかい被覆物として,ゲル状又はショア硬さ30以下の樹脂を採用して,本願発明のようにすることは,当業者が容易になし得たことである,と判断したものである。
引用発明と本願発明とは,本願発明が,インターデジタルトランスデューサを被覆する物として,共振抵抗が増大するのを抑制するために,「ゲル状またはショア硬さ30以下の樹脂」を採用したのに対し,引用発明が,樹脂(シリコンゴム)を採用しているものの,そのショア硬さについては明示していない点が,その構成における唯一の相違点であることは,前記1に説示したとおりである。本願発明と引用発明との相違点が,このように樹脂層のショア硬さが特定の範囲のものとして明示されているかどうかであり,樹脂層の膜厚は,構成上の相違点ではないのであるから,審決としては,本来,上記第1の方法,すなわち,引用発明を出発点として,そこで用いられる樹脂として,「ゲル状またはショア硬さ30以下」の柔らかい樹脂を採用することに想到することが,当業者にとって容易であったかどうかのみを判断すれば足りるのであり,上記第2の方法,すなわち,引用発明のものの膜厚を薄くする方法を採用することが当業者にとって容易であったかどうかなどということを判断する必要がなかったことは,上記に説示したところから明らかである。したがって,審決の第2の方法についての判断は,本件においては,もともと不要であったのである。原告は,審決の上記第2の方法についての判断が誤りであるとして種々主張する。しかし,審決は,もともと,この点について判断をする必要がなかったのであるから,仮に,この点についての審決の判断が誤りであったとしても,それ自体では,結論に影響する誤りとならないことが明らかであり,結論に影響することがあり得るとすれば,その誤りが第1の方法についての審決の判断の当否に関係する場合のみである。ところが,原告は,第2の方法についての審決の誤りをいうのみで,その誤りが第1の方法についての審決の判断に影響することについては,何らの主張も立証もしていない。そうである以上,審決のこの判断の当否について,当裁判所が判断をする必要がないことは明らかである。そこで,以下,この点についての判断はせず,第1の方法についての審決の判断の当否についてのみ,判断する。
(2) 引用発明は,前記1で説示したように,圧電体の表面に設けた絶縁性ゴムによって交差指形電極上や表面波の伝搬路面に生じる機械的負荷により,実用にならない程度まで表面波出力が減衰してしまうことがないように配慮しつつ,前記の不要信号の除去及び簡便な包装を提供するとの目的を達成しようとするものである。引用発明の実施例も,電極面及び表面波の伝搬路面を含む表面を絶縁性のゴムにより被覆することによって,挿入損,すなわち,出力の減衰を少なくしながら,不要信号の利得を小さくする(除去する)ことをその効果として奏することを明示している。したがって,引用発明においては,前記1のとおり,簡便な包装,不要信号の除去をその目的としながら,できるだけ表面波出力が減衰することがないように配慮して,インターデジタルトランスデューサの被覆物として絶縁性のゴムを採用したものと認めることができる。
すなわち,刊行物1における「実際に、たとえば防湿と不要超音波の吸収とを兼ねる物質でこの種デバイス素子を包装しようとすれば,圧電体の表面に設けた交差指形電極上や,表面波の伝搬路面に機械的負荷がかからないようにしなければならない。なぜなら・・・交差指形電極や表面波の伝搬路面にわずかでも機械的負荷があると、実用にならない程度にまで出力が減衰してしまうからである。・・・本発明は,・・・交差指形電極上や表面波の伝搬路面に,絶縁性のゴムを設置しても,該表面波の出力が全く減衰しなかったので,この実験事実に基づいて前述した従来例の欠点や問題点を解決したデバイスを提供するものである。」(甲第2号証1頁右下欄18行〜2頁左上欄20行)との記載からすれば,従来,インターデジタルトランスデューサ等に,わずかでも機械的負荷がかかると,実用にならない程度まで出力が減衰してしまっていたところを,引用発明においては,被覆物として絶縁性のゴムを使用したことにより,実用にならない程度までの表面波の出力の減衰がなかったということが認識されていたのであり,このことからすれば,インターデジタルトランスデューサ等に機械的負荷を与えるような硬いものを直接被覆することは,重大な出力の減衰につながるのであり,被覆物は,重大な出力の減衰を招かない柔らかい物でなければならないことが,引用発明において既に認識されていた,ということができる。したがって,引用発明自体が,弾性表面波装置における,インターデジタルトランスデューサ等の被覆物は,重大な出力の減衰を招かないためには,柔らかい樹脂を採用した方がよいということを前提にしていたものであり,このことは,遅くとも,本願発明の出願時における当業者の技術常識であったと認めるのが相当である。
そして,前記1に認定した甲4公報の記載,及び,本件実験報告書によれば,本件のような弾性表面波装置において,不要信号を除去するためには,インターデジタルトランスデューサ等を直接被覆する樹脂のショア硬さは,ある程度大きい方がよいことは前記1に認定したとおりであり,逆に,表面波出力の減衰を少なくし,共振抵抗を小さくするためには,樹脂のショア硬さは,小さい方がよい(柔らかい方がよい)ことも,上に説示したところから明らかである。
したがって,本願発明の出願時における当業者が,引用発明において,不要信号の除去の効果を若干落としてでも,共振抵抗の増大を抑制するとの効果の改善を図ろうとすれば,引用発明の絶縁性のゴムについて,ショア硬さの低いものを採用することは,当業者がその必要に応じて適宜なすべき設計的事項の範囲内のことにすぎないということができる。引用発明から本願発明の構成に想到するに至ることが容易であるとした審決の判断に,何ら誤りはない,というべきである。
(3) 原告は,本願明細書の【図4】には臨界的意義が示唆されており,ショア硬さ30以下と30以上とで回帰直線の勾配が異なり,かつ,本願明細書中に「これに対して,硬度が30を越えるシリコンゴムを用いた場合には,共振抵抗が大幅に高くなることがわかる。」(甲第3号証3頁右欄9行〜11行)との【図4】と整合する内容が記載されている,と主張する。
しかし,本願明細書の【図4】には,硬度10付近から硬度80付近にかけてグラフの左下から右上にかけて分布する10個の点が示されており,硬度の増加に対応して共振抵抗が概ね増加する傾向を見ることができるものの,これらの点を全体的にみても,硬度30を境にして共振抵抗値に顕著な変化が生じているとまでいうことはできず,本願発明の数値限定に臨界的意義があるとすべき十分な根拠は見いだせない。原告の主張は採用することができない。
3 結論 以上に検討したところによれば,原告の主張する取消事由にはいずれも理由がなく,その他,審決には,これを取り消すべき瑕疵は見当たらない。そこで,原告の本件請求を棄却することとし,訴訟費用の負担について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 山下和明
裁判官 設樂隆一
裁判官 阿部正幸