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関連審決 不服2000-328
関連ワード 創作性(創作) /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  相違点の認定 /  相違点の判断 /  周知技術 /  技術的手段 /  発明の概要 /  警告 /  参酌 /  技術的意義 /  置き換え /  置換 /  容易に想到(容易想到性) /  実施 /  交換 /  拒絶査定 /  請求の範囲 /  変更 / 
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事件 平成 14年 (行ケ) 58号 審決取消請求事件
原告 蛇の目ミシン工業株式会社
訴訟代理人弁理士 吉村眞治
被告 特許庁長官太田 信一郎
指定代理人 吉國信雄
同 山崎豊
同 大野克人
同 大橋良三
同 涌井幸一
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2003/02/27
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は,原告の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告 特許庁が不服2000-328号事件について平成13年12月10日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告 主文と同旨
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は,平成4年5月29日,発明の名称を「下糸必要量警告表示を備えたミシン」とする発明について,特許出願(特願平4-163652号。以下「本願出願」という。)をしたが,平成11年12月6日に拒絶査定を受けたため,平成12年1月12日,これに対する不服の審判を請求した。特許庁は,同請求を不服2000-328号事件として審理し,その結果,平成13年12月10日に「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本を平成14年1月4日に原告に送達した。
2 特許請求の範囲(請求項1) 本願出願の願書に添付した明細書(平成13年10月5日付け手続補正書で補正されたもの。以下,同願書添付の図面と併せて「本願明細書」という。)の特許請求の範囲の欄には,請求項1として,次の記載がある。
「上糸と下糸とにより多数針の縫目模様を形成する模様縫いミシンにおいて, 複数の模様を形成するための縫い目情報を記憶する第1の記憶手段と, 前記第1の記憶手段に記憶された模様に対応する必要な下糸量を記憶する第2の記憶手段と, 前記第1の記憶手段から所望の模様を選択する模様選択手段と, 装着されているボビンの下糸残量を検出する下糸検出手段と, 下糸検出手段の検出値と選択された模様に必要な下糸量とを比較する比較手段と, 該比較手段の比較結果に基づいて,下糸必要量に対してボビンの下糸残量が不足している場合に警告表示をする表示手段とを備え, 縫製開始前に,ボビンに巻かれている下糸量が選択された模様の縫製に足りるか否かを判別し,警告表示するようにしたことを特徴とする模様縫いミシン。」(以下,この発明を「本願発明」という。) 3 審決の理由 別紙審決書の写しのとおりである。要するに,本願発明は,本願出願前に公開された刊行物である特開平3-12195号公報(甲第2号証。以下「引用例1」という。審決における表示は「引例1」である。)に記載された発明(以下「引用発明1」という。)に実願昭63-44968号(実開平1-155985号公報)のマイクロフィルム(甲第3号証。以下「引用例2」という。審決における表示は「引例2」である。)に記載された技術手段(以下「引用発明2」という。)や,周知の技術手段を適用することにより当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項に該当し,特許を受けることができない,というものである。
審決が,上記結論に至るに当たり,本件発明と引用発明との一致点・相違点として認定したところは,次のとおりである。
一致点 「上糸と下糸とにより多数針の縫目模様を形成する模様縫いミシンにおいて,複数の模様を形成するための縫い目情報を記憶する記憶手段と,前記記憶手段から所望の模様を選択する模様選択手段とを備えた模様縫い可能なミシン」(以下,単に「模様縫いミシン」という。)」である点 相違点 「模様の縫製に必要な下糸量データの保管形態に関して,本願発明は,「第1の記憶手段に記憶された模様を形成するに必要な下糸量を記憶する第2の記憶手段」を備えているのに対して,引例1記載の模様縫いミシンは,そうした手段を備えていない点」(相違点1) 「本願発明は,「装着されているボビンの下糸残量を検出する下糸検出手段」を備えており,選択された模様に必要な下糸量と比較するために,下糸の残量の絶対量を検知するようになっているのに対して,引例1記載の模様縫いミシンは,ボビンの下糸の残(留)量を検知する手段は備えており,残量の絶対量を検知できるものではあるものの・・・所定の残量以下となるか否かを検知するために用いられている点」(相違点2) 「本願発明は,「下糸検出手段の検出値と選択された模様に必要な下糸量とを比較する比較手段と,該比較手段の比較結果に基づいて,下糸必要量に対してボビンの下糸残量が不足している場合に警告表示をする表示手段とを備え,縫製開始前に,ボビンに巻かれている下糸量が選択された模様の縫製に足りるか否かを判別し,警告表示するようにした」との構成を備えているのに対して,引例1記載の模様縫いミシンは,警告表示手段は備えているものの・・・,ボビンの下糸量が所定の量以下となったときに警告表示するものである点」(相違点3)
原告主張の審決取消事由の要点
審決の理由中,「1.手続の経緯・本願発明の特定」,「2.引用文献」は認める。「3.対比」のうち,一致点と相違点の認定(審決書3頁1行〜33行)は認め,相違点の判断(3頁34行〜5頁35行)は争う。「5.むすび」は争う。
審決は,引用発明1及び2から本願発明の技術的課題を予測することが困難であることを看過した結果,本願発明の想到容易性の判断を誤り(取消事由1),引用発明2の技術の認定を誤った結果,審決のいう相違点1及び3についての判断を誤り(取消事由2,3),審決のいう相違点2についての判断を遺脱し(取消事由4),本願発明の顕著な作用効果の顕著性を看過した(取消事由5),ものであり,これらの誤りが,それぞれ審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから,違法なものとして取り消されるべきである。
1 取消事由1(本願発明の技術的課題の予測困難性の看過による想到容易性についての判断の誤り) (1) 本願発明は,縫製開始前に,ボビンの下糸残量が選択された模様の形成に必要な下糸量に足りるか否かを自動的に判別して,不足する場合には警告を発するようにした,模様縫いミシンを提供することを,技術的課題とするものである。
(2) 引用発明1は,模様縫いミシンの下糸供給装置において,形成する一針ごとの縫目に対する適正な下糸量を供給することを技術的課題とするものである。
本願発明の上記技術的課題は,引用発明1のこのような技術的課題とは,根本的に異なるものであり,引用発明1から到底予測することができない。
(3) 引用例2(甲第3号証。実願昭63-44968号(実開平1-155985号公報)のマイクロフィルム。)の実用新案登録請求の範囲には,「・・・モータ回転数を検出するセンサーが設けられ,被縫製物を縫製するのに必要な下糸の引き出し長さに相当するモータ回転数と上記センサーで検出されたモータ回転数とを比較する制御回路が設けられていることを特徴とするミシンの下糸途切れ防止装置」との記載がある。しかし,「被縫製物を縫製するのに必要な下糸の引き出し長さに相当するモータ回転数」と「センサーで検出されたモータ回転数」を比較するということは,それだけでは,無意味というほかなく,同構成自体では,下糸の糸途切れを予告,防止することができない。
もっとも,引用例2には,実施例として,「このボビン21に巻き直された下糸量(40m)を検出してマイクロコンピュータ27に入力し,マイクロコンピュータ27では下糸量から設定回転数R1(6000回転)を演算し,それをデジタルディスプレイ29の上段Aに“6000”と表示する。」(8頁20行〜9頁5行)との記載がある。ここにいう設定回転数R1とは,「被縫製物を縫製するのに必要な下糸の引き出し長さ」ではなく,ボビン21に巻き直された下糸量から演算された回転数である。設定回転数R1と実回転数R2との差から,ボビンの下糸残量に対応する回転数を知ることができ,リストアップされた必要下糸量に対応するモータ回転数と比較して縫製に必要な下糸が残っているか否かが判断できる。
この実施例に記載された技術が,引用発明2の実質的内容である。
結局,引用発明2は,このように,1回転当たりの引出し長さが同一であることを前提として,縫製途中での下糸途切れを,縫製者が予測できるようにすることを技術的課題とするものであり,しかも,必要下糸量のリストアップや下糸途切れの予測は縫製者が行うものである。
このような引用発明2からは,本願発明の技術的課題は,到底予測することができない。
被告は,引用発明2に記載された技術的課題から,本願発明の技術的課題が容易に予測できると主張する。しかし,審決は本願発明の技術的課題の予測性について何ら判断していないから,被告が引用発明2記載のミシンの技術的課題について本件訴訟において主張することは許されないものというべきである。
引用例2の(考案が解決しようとする課題)には,「下糸の糸途切れを予告して,縫製途中での下糸途切れを未然に防止することを目的とする」(甲第3号証3頁5行〜7行)との記載がある。しかし,これは,縫製者自身が下糸の糸切れを予知もしくは予測できるようにする,という意味であるにすぎず,ミシン自身が下糸の糸切れの予知を自動的に行うようにする,という本願発明の技術的課題とは異なるものである。
(4) 以上のとおり,審決は,当然行うべき,本願発明の技術的課題の予測可能性についての検討を全く行うことなく,各相違点に係る本願発明の構成は,引用例1,2と周知事項とから容易に想到し得る,との結論を導くという,誤りを犯したものである。この誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。
2 取消事由2(引用発明2の認定の誤りによる相違点1についての判断の誤り) (1) 審決は,本願発明と引用発明1との相違点の一つ(模様の縫製に必要な下糸量データの保管形態に関して,本願発明は,「第1の記憶手段に記憶された模様を形成するに必要な下糸量を記憶する第2の記憶手段」を備えているのに対して,引例1記載の模様縫いミシンは,そうした手段を備えていない点。相違点1)についての判断において,「引例2には,縫製者等がシートクッションを縫製する場合必要な下糸量を予め測定し,この値をリストアップしておくことが開示されている・・・。」(審決書3頁末行〜4頁2行)と認定した。
しかし,前記1(3)で述べたとおり,引用発明2では,下糸量そのものはリストアップされない。そこでリストアップするのは,シートトリム,シートバック等の縫製部位とその必要下糸量に対応するモーターの実回転数である。
引用発明2は,シートクッションを縫製する工業用特殊ミシンであって,送り量が一定の直線縫いミシンであり,モータの回転数と,モータの回転による針の上下動に伴う下糸の引出し長さとの間に,比例関係が存在することを前提とするものである。通常のミシンにおいては,ボビンからの下糸の引出し長さは,布送り量と針の横振り量,布厚等によって決められてくるものであるため,このような比例関係は存在せず,縫製に必要とする下糸量すなわちボビンからの下糸の引出し長さを,それに対応する実回転数によって示す,ということはできない。
引用発明2と通常のミシンとの間にこのような相違がある以上,引用例2に開示されている,必要な下糸量に対応する実回転数を,縫製に必要な下糸量と同一視して,そこに,「下糸量を測定し,この値をリストアップする」ことが開示されているとすることはできないというべきである。
引用例2に開示されている技術事項(引用発明2)についての審決の上記認定は誤りであり,この誤りが相違点1についての判断に影響を及ぼすことは明らかである。
(2) 本願発明のミシンと引用発明2のミシンとは,上記のとおりミシンの種類を異にし,それに伴い,そこで前提とされる条件も異にする。
引用発明2のミシンにおいてリストアップされる縫製部位は,せいぜい2,3種類にすぎない。同発明がこのようなものである以上,これを参考にする場合でも,本願発明の模様縫いミシンにおいては,縫い模様は通常200ないし300種類にも及んでいるから,それら模様形成に必要な下糸量を一つ一つ計測し,リストアップしようとは当業者であれば考えない。
このように,引用発明2の技術を引用発明1の模様縫いミシンに適用することには阻害要因があるというべきである。
(3) 審決のいうように,縫製に必要なデータを記憶する記憶手段を設けることが広く実施されているとしても,記憶手段に記憶されるデータとして,縫製に必要な下糸量を下糸残量と比較するために記憶させることが容易に想到できない以上,必要な下糸量を記憶した記憶手段を設けることに容易に想到することができたということはできない。
3 取消事由3(引用発明2の認定の誤りによる相違点3についての判断の誤り) (1) 審決は,本願発明と引用発明1との相違点の一つ(本願発明は,「下糸検出手段の検出値と選択された模様に必要な下糸量とを比較する比較手段と,該比較手段の比較結果に基づいて,下糸必要量に対してボビンの下糸残量が不足している場合に警告表示をする表示手段とを備え,縫製開始前に,ボビンに巻かれている下糸量が選択された模様の縫製に足りるか否かを判別し,警告表示するようにした」との構成を備えているのに対して,引用例1記載の模様縫いミシンは,警告表示手段は備えているものの,ボビンの下糸量が所定の量以下となったときに警告表示するものである点。相違点3)についての判断において,「引例2には,下糸残量と縫製に必要な下糸量とを比較して,縫製途中での下糸切れがないような措置を未然にとることが記載されている(記載2-2参照)。」(審決書5頁15行〜17行)と認定した。
しかしながら,審決が上記認定に当たり参照すべきものとした記載2-2は,正確には,「何枚目かの縫製が終了したとき……次のシートクッション2の縫製途中……で下糸切れが発生することがわかる。そこで,縫製者は……新しいボビン21を釜23にセットし直し,以下,同様にして縫製作業を行う。」というものである。これは,文脈からみて,設定回転数R1を6000,シートクッション2の縫製に必要な実回転数375として,B段の表示5850の場合には,次のシートクッション2の縫製途中で実回転数5850+375=6225が設定回転数R1の6000を超えると予測でき,これにより縫製途中で下糸切れが発生することがわかるので,縫製者はステップ5で縫製を終了する,という趣旨の記載にすぎず,そこには,審決のいうように,「下糸残量と縫製に必要な下糸量とを比較」すると記載されているわけではない。
前記2(1)で述べたとおり,引用発明2で比較の対象とされるのは,シートトリム,シートバック等の縫製部位の縫製に必要とされる下糸量に対応する「モーターの実回転数」であって,下糸量そのものではない。
引用発明2における,必要な下糸量に対応する実回転数が,本願発明における,縫製に必要な下糸量,すなわちボビンからの下糸の引出し長さと異なることは,前記2(1)に記載したとおりであるから,引用発明2における必要実回転数を,本願発明における縫製に必要な下糸量と同一視することはできない。
引用例2記載の技術事項(引用発明2)についての審決の上記認定は誤りであり,この誤りが相違点3についての判断に影響を及ぼすことは明らかである。
(2) 引用発明2では,設定回転数R1から実回転数R2を引いて得られた数値と,あらかじめ試し縫いをしてリストアップした必要下糸量に対応する回転数とを比較しているのであり,これらの引き算及び比較は,いずれも人が行うのである。
これに対し,本願発明は,比較手段(中央演算装置)により,記憶手段に記憶された模様形成に必要な必要下糸量と下糸量検出手段により検出された下糸残量とをミシン自体が縫製開始前に比較しており,引用発明2とは,比較する主体も,比較すべき対象も異なっている。
比較手段そのものは周知であるとしても,そもそも,比較については,比較の対象及び機能が重要である。設定回転数から実回転数を引いた数値とリストアップした必要下糸量に対応する回転数の数値とを比較する引用発明2の技術を引用発明1に適用したとしても,比較対象を記憶手段から選択指定された模様の必要下糸量と検出された下糸残量とし,その比較を比較手段(中央演算装置)の機能として設定する,本願発明の構成に想到することは困難である。
(3) 警告手段そのものは周知であるとしても,引用発明2と本願発明とでは,比較手段によって比較する対象が異なる。そうである以上,引用発明2の技術を引用発明1に適用したとしても,本願発明における比較手段と警告手段の構成に想到することは困難である。
審決は,人間の判断を機械による判断,警告置き換えることは容易であるとの考え方に立脚するようである。しかし,このような置換えのためには具体的な技術手段の創作が必要であり,置換えの容易性の判断が正しくなされるためには,その技術手段の技術的意義が判断されなければならない。審決はこの判断をしていない。
(4) 引用発明2のミシンでは,使用途中のボビンを使う場合には,以前の設定回転数,実回転数を知ることができないから,あらかじめ一杯に巻かれたボビンと交換して,設定回転数を入力しなければならない。この技術を模様縫いミシンに適用した場合には,ボビンを交換するごとに,別途巻き直した満杯のボビンしか使用できないため,前に使ったボビンの糸は捨てなくてはならず,糸の浪費となる。引用発明2の上記技術を,引用発明1の模様縫いミシンに適用することは困難であるというべきである。
4 取消事由4(相違点2についての判断遺脱) 審決は,本願発明と引用発明1との相違点の一つ(相違点2)として,「本願発明は,「装着されているボビンの下糸残量を検出する下糸検出手段」を備えており,選択された模様に必要な下糸量と比較するために,下糸の残量の絶対量を検知するようになっているのに対して,引例1記載の模様縫いミシンは,ボビンの下糸の残(留)量を検知する手段は備えており,残量の絶対量を検知できるものではあるものの・・・,所定の残量以下となるか否かを検知するために用いられている点。」(審決書3頁19行〜24行)を認定し,これについて,「引例2には,下段Bに下糸残量を直接表示することが記載されている・・・。してみると,引例1には,ボビンの下糸の残量を検知する手段があるのだから,それが検知した下糸の残量をそのまま直接表示するようにした点に格別の困難があったとは認められない。」(審決書4頁28行〜31行)と認定判断した。
しかし,引用発明2が下糸の残量を直接表示するものであるか否かは,相違点2とは関係がないことである。審決は,相違点2についてなすべき判断をしていない。
5 取消事由5(顕著な作用効果の看過) 本願発明は,@模様選択時に,装着されたボビンの下糸量を検出して模様形成に必要な下糸量と比較してボビンの下糸量が不足する場合に警告表示をするようにしたから,模様選択ごとに,あるいは色替えごとに,縫製者が模様の大きさと下糸量を,確認をする必要がない,A縫製途中に下糸途切れが生じるおそれがある場合には,縫製開始前に下糸途切れを「模様に対して下糸量が不足しています。」等の音声,ブザー音と液晶表示体による文字表示あるいは二つのLEDの点滅表示等によって警告してくれるから,ミシンに慣れない人,子供から年配者まで,だれでも安心してミシンを使用することができる,B模様記憶手段にない新たな模様を追加した場合,演算プログラムによって必要な下糸量を演算し,当該必要下糸量に対しボビン下糸量が不足するか否かを検出することができるから,新たな模様についても安心して縫いを開始することができる,C刺繍模様の色彩を変えるため,上糸の色替えを行う際に下糸が布表に出て色模様を乱さないように,上糸に対応して下糸の色替えも行う場合,本願発明では,装着されたボビンの下糸残量が検出されて必要下糸量と比較してくれるから,前に使用しまだ下糸が残っている使いかけのボビンを使用することができる,という引用発明1,2からは到底予測できない作用効果を奏する。
審決は,本願発明のこのような顕著な作用効果を看過しており,この誤りが結論に影響を及ぼすことは明らかである。
被告の反論の要点
1 取消事由1(本願発明の技術的課題の予測困難性の看過による想到容易性についての判断の誤り)について 引用例2には,「縫製途中で下糸途切れが発生することが多々ある。」(甲第3号証2頁16行〜17行)ので,「本考案は上記従来の問題を解消するためになされたもので,下糸の糸途切れを予告して,縫製途中での下糸途切れを未然に防止することを目的とするものである。」(3頁4行〜7行)との記載がある。
引用例2において上記のとおり指摘された課題は,特殊な工業ミシンであろうが,縫目模様を形成するミシンであろうが,ミシンの種類に関係なく,共通してミシンが抱えている課題であることは,当業者には明らかなことである。
本願発明の技術的課題が引用例1及び2記載のミシンから予測できないとの原告の主張は,失当である。
2 取消事由2(引用発明2の認定の誤りによる相違点1についての判断の誤り)について (1) 引用発明2のミシンは,原告が主張するとおり,下糸量を計測するのにモータの回転数を使用しているものの,モータの回転数を検知することによって縫製に必要な下糸量あるいは下糸残量を計測できるものであることは,明らかである。
本願発明の特許請求の範囲(請求項1)には「模様に対応する必要な下糸量」あるいは「下糸残量」と記載されているだけであるから,回転数を用いて下糸量及び下糸残量を表示することを排除する格別の理由もない。
引用発明2のミシンが,下糸の引出し長さとモータの実回転数とが比例することを前提としていることは,事実である,しかし,そのことによって,同発明が縫製に必要な下糸量を事実上リストアップしていることを否定することはできない。
引用例2に,縫製に必要な下糸量をあらかじめ測定し,この値をリストアップしておくことが開示されている,との審決の認定に誤りはない。
(2) シートクッションの縫製においても,模様縫いミシンを用いた縫製作業においても,下糸を用いて縫製することには違いがない。このように,いずれも下糸を用いて縫製するものである以上,ミシンの種類,前提条件を異にしているとしても,シートクッション縫製用のミシンである引用発明2における「下糸量を測定し,この値をリストアップする」という技術思想を模様縫いミシンである引用発明1に適用することに,格別の困難性はない。
リストアップされた下糸量を利用することを考慮すれば,それを記憶手段に記憶することにも格別の困難性はない。
3 取消事由3(引用発明2の認定の誤りによる相違点3についての判断の誤り)について (1) 引用例2には,「本考案は上記従来の問題を解消するためになされたもので,下糸の糸切れを予告して,縫製途中での下糸途切れを未然に防止することを目的とする」(甲第3号証3頁4行〜7行)と記載されている。そして,その目的を達するために,「このように,デジタルディスプレイ29の上段Aと下段Bに表示された設定回転数R1と実回転数R2を目視確認することで,下糸20の残量を常に知ることができるので,縫製途中での下糸切れが未然に防止でき,縫製不良品の減少が図れるのである。なお,上記実施例では,デジタルディスプレイ29に回転数を表示するようにしたが,マイクロコンピュータ27で演算して,上段Aに下糸量,下段Bに下糸残量を直接表示するようにしてもよい。」(甲第3号証10頁19行〜11頁9行)とその具体的手段を開示している。
これらの記載によれば,引用例2に下糸残量と縫製に必要な下糸量とを比較して,縫製途中での下糸切れがないような措置を未然にとることが記載されている,とした審決の認定に誤りはない。
(2) 審決は,比較手段に関して,「2つの縫製関連データを比較する比較手段を設けることや,トラブル発生の可能性を検知したとき,検知結果に基づいて,適宜の警告を表示をする表示手段を設けることは,いずれも周知である。」(審決書5頁11行〜13行)としているのであって,引用例2に記載された比較手段が周知であると述べているのではない。本願発明と引用例2に記載されたものを比較したとき,対象となるデータが異なっているとしても,引用例2には,下糸残量と縫製に必要な下糸量とを比較することが記載されており,比較するために比較手段を設けることは一般的なことであるから,本願発明において,「下糸検出手段の検出値と選択された模様に必要な下糸量とを比較する比較手段」を設けた点に格別の困難はない。
(3) 原告は,警告手段を設けた点について,対象となるデータが異なれば警告することに困難が生じると主張する。しかし,データの種類がどのようなものであれ,比較対象となる設定値を決めて,その設定値との比較をして警告を発するようにすることそのものがよく知られたことである以上,対象となるデータが異なることを理由に周知技術を適用することが困難であるということはできないのである。
(4) 原告は,引用発明2を引例発明1に適用した場合の糸の浪費を主張する。
しかし,本願発明の特許請求の範囲(請求項1)には,下糸をどのように交換するかについて何ら記載がない。原告の主張は特許請求の範囲の記載に基づかないものである。
審決は,相違点3について,「2つの縫製関連データを比較する比較手段を設けることや,トラブル発生の可能性を検知したとき,検知結果に基づいて,適宜の警告を表示をする表示手段を設けることは,いずれも周知である。」(審決書第5頁第11行〜13行)と認定した上で,「下糸量を予め測定し,この値をリストアップすること。」,「下糸残量と縫製に必要な下糸量とを比較して,縫製途中での下糸切れがないような措置を未然にとること。」,「下段Bに下糸残量を表示すること。」という技術思想が引用例2に記載されており,そうした技術思想を,引用発明1の模様縫いミシンに適用することに格別の困難がないと述べているのであって,引用例2に記載された実施例のものを適用することに困難がないといっているのではない。
4 取消事由4(相違点2についての判断遺脱)について 相違点2についての,審決の,「引例2には,下段Bに下糸残量を直接表示することが記載されている」(審決書4頁28行)との記載は,引用例2には,これから縫製しようとする被縫製物の下糸必要量と比較するために,検知した下糸残量を表示器の下段Bに直接表示することが記載されていることを,述べようとしたものである。審決では,「表示」ということが強調され,本来強調すべき「表示」の目的についての記載が省略されていたため,論旨の明確さに欠けるきらいがあったことは否めない。しかし,審決は,上記のとおり,引用発明1の下糸残量検知手段が検知した下糸の残量を,引用例2の記載に倣って,被縫製物の下糸必要量と比較する目的に用いるようにした点が容易であったことを述べようとしたものである。
審決は,相違点3について,「2つの縫製関連データを比較する比較手段を設けることや,トラブル発生の可能性を検知したとき,検知結果に基づいて,適宜の警告を表示をする表示手段を設けることは,いずれも周知である。」(審決書5頁11行〜13行)ことを前提として,「引例2の記載2-2の技術事項を,引例1の模様縫いミシンに適用して相違点3のようにした点に格別の困難があったとは認められない。」(審決書5頁19行〜21行)と判断した。この判断は,引用発明1が備える下糸残留量検出手段の検出値を,選択された模様に必要な下糸量と比較する目的に用いることは容易であるという相違点2に係る判断を,当然の前提としてなされたものであるから,審決は,相違点2についての判断を実質的にしている。
5 取消事由5(顕著な作用効果の看過)について 原告が主張する作用効果@,A,Cは,本願発明の構成を採用したことにより自明の作用効果にすぎない。
原告の主張する作用効果Bは,本件出願のうち請求項3に係る発明の作用効果であり,本願発明(請求項1に係る発明)の作用効果ではない。
当裁判所の判断
1 本願発明の概要 (1) 本願明細書(甲第5号証参照)には,本願発明について,次の記載がある。
ア「【発明の属する技術分野】本発明は,縫目模様を形成可能にするミシン,とくに下糸必要量に対してボビンの下糸残量が不足している場合に警告表示をする表示手段を備えた模様縫いミシンに関する。」(【0001】)。
イ「【従来の技術】記憶手段に記憶された複数の縫い模様から所望の模様を選択して,単独或いは複数の模様を組み合わせて,上糸と下糸とにより縫い模様を布上に形成するミシンは従来より知られており,近年,記憶手段の容量が拡大化され,多くの針数による複雑な模様が縫製可能になり,また,種々の模様を多数組合せ,組合せ模様を縫製することも実施されている。
また,縫製物の縫製に必要な下糸量がボビンに残っているか否かを判断して縫製途中での下糸切れを防止するようにしたミシンも実開平1-155985号公報(判決注・引用例2)に記載されているよう従来より公知となっている。」(【0002】,【0003】) ウ「【発明が解決しようとする課題】しかしながら,下糸ボビンには,一定量の下糸しか巻きとることができないので,複雑な模様で針数が拡大した場合,組合わせる模様を増大させた場合に,模様の縫製途中に下糸がなくなることがしばしば起こり,そのため模様の縫製途中でミシンを止めて,布をミシンの停止位置から下糸切れ位置まで戻し,ミシンを再起動し縫製を再開する必要があり,その戻し作業,糸替え作業が煩雑であるという問題があった。
・・・また,前記公報記載のミシンは,ボビンに巻きとられた下糸量と,使用した下糸量を表示するだけでボビンに巻かれている下糸残量が縫製に必要な下糸量に足りるが否かは,縫製者が表示された数値を比較検討して判断しなければならず,その判断には一定時間も要し,簡単にできないという問題があった。」(【0004】,【0006】) エ「【課題を解決するための手段】「本発明は,上記の問題を解決するため,模様縫いミシンとして,上糸と下糸とにより多数針の縫目模様を形成する模様縫いミシンにおいて,複数の模様を形成するための縫い目情報を記憶する第1の記憶手段と,前記第1の記憶手段に記憶された模様に対応する必要な下糸量を記憶する第2の記憶手段と,前記第1の記憶手段から所望の模様を選択する模様選択手段と,装着されているボビンの下糸残量を検出する下糸検出手段と,下糸検出手段の検出値と選択された模様に必要な下糸量とを比較する比較手段と,該比較手段の比較結果に基づいて,下糸必要量に対してボビンの下糸残量が不足している場合に警告表示をする表示手段とを備えたことを特徴とする構成を採用し,縫製開始前に模様の選択と同時に下糸残量の不足を警告表示するようにする。」(【0008】) オ「【発明の実施の形態】・・・17は下糸必要量演算プログラム記憶手段であって,模様縫目に対応した下糸の必要量を演算するプログラムが記憶されており,模様縫目情報記憶手段7に予め記憶された模様に必要な下糸必要量と,布の厚さ,布の種類,糸の種類,模様の変形などにより異なる修正係数の演算式により,必要とされる下糸の量を演算できるようにするものである(判決注・請求項3に対応する記載である。)。
18は下糸必要量表示手段であって,前記演算プログラムを用いて求められた下糸必要量aを表示するものであって,本実施例では,標準的な太さの下糸をボビンに巻いた状態で表示する表示データを表示データ記憶手段19から読み出して表示する。
・・・21は下糸量検出手段であって,公知のものが多く知られているが,図4にその1実施例として,本願出願人による特開平1-126996によるものを示すが他のものであってもよい。
・・・22は警告表示手段であって,下糸必要量に対して検出したボビンの下糸残量が不足する場合に「模様に対して下糸量が不足しています。」等の音声表示するものである。
・・・次に本発明における下糸警告表示の動作について説明する。模様選択手段6を操作して所望の模様を選択すると,模様縫目情報記憶手段7に記憶された模様が指定されて模様表示手段8に表示されると共に,中央演算装置14によって該模様に必要な下糸必要量が演算されて,下糸必要量表示手段18に表示する。
・・・次に,下糸量検出手段21が動作して装着されているボビンの下糸量を検出する。そして,中央演算装置14は,検出下糸量と下糸必要量を比較し,検出下糸量が不足する場合は,警告信号を出力し,それに応答して警告表示手段22は音声にて警告表示する。」(【0018】,【0019】,【0021】,【0023】【0025】【0026】) カ「【発明の効果】本発明は以上のような構成及び作用のものであり,所望の模様を選択するだけで予め必要な下糸の量が表示され(る)と共に,装着されているボビン下糸量を検出して必要な下糸量と比較してボビン下糸量が不足する場合には警告表示するので,縫成(判決注・「縫製」の誤記と認める。)開始前にボビンの下糸量を確認して縫製を開始することができ,縫製途中での下糸不足による下糸切れを生じる恐れがなくなる。また,残存量の少なくなったボビンの下糸も,使用する模様によっては使用することができるので糸の有効利用ができる。」(【0028】) (2) 本願明細書の上記認定の記載によれば,本願発明は,従来の模様縫いミシンでは,縫製途中に下糸が不足する事態がしばしばあったことから,これを防止することを課題として設定し,縫製前に,あらかじめ,そのままでは下糸が不足するかどうかを縫製者に知らせるようにすることにより,この課題を解決したミシンである,ということができる。具体的には,下糸が不足するかどうかは下糸の残量と必要量との多少関係で決まることから,下糸の残量を知るための検出手段と,必要量を知るための二つの記憶手段(一つは模様ごとの縫い目情報の記憶,他は模様に対応する必要量の記憶)とを備え,縫製者が模様を指定すると,指定された模様から必要下糸量を割り出し,これと検出した下糸残量との比較をミシン自体(内蔵コンピュータ)が行うものである。
2 取消事由1(本願発明の技術的課題の予測困難性の看過による容易想到性についての判断の誤り)について (1) 引用発明1が,下糸残量が所定の残量以下となるか否かを検知するための下糸残量検知手段及び検出した下糸残留量が所定の残留量以下となった場合に下糸不足発生を警告する下糸残留量警告手段を備える,模様縫いミシンであることは当事者間に争いがない。
(2) 引用例2(甲第3号証)には,次の記載がある。
ア「(考案が解決しようとする課題) ところで,上糸は,通常,糸製造工場等において大径の上糸巻きに非常に長い長さで均一に巻き付けられており,しかも,ミシンヘッド上部の糸立てにセットされるので,その残量が常に目視確認でき,縫製前に交換する等により,縫製途中で上糸途切れが発生することはほとんどない。しかしながら,下糸は,縫製者が当該ミシンを利用する等して上糸を小径のボビンに巻き直すので,長さが非常に短いうえに巻き直し長さが極端にバラツキやすく,しかもミシンベース内部の釜にセットされるので,その残量を目視確認するのが困難で,縫製途中で下糸切れが発生することが多々ある。そして,その縫製物が,自動車シートのシートトリムのように高価な皮革であるような場合,下糸途切れが発生すると,その部分に針穴が明き,再縫製しても見栄えが悪くなって商品価値が低下するのみならず,縫製途中のシートトリム全体が不良品となることがある。本考案は上記従来の問題を解消するためになされたもので,下糸の糸途切れを予告して,縫製途中での下糸途切れを未然に防止することを目的とするものである。」(甲第3号証2頁4行〜3頁7行) イ「モータ9の回転数と下糸20の引き出し長さは比例する。そこで,予め測定したモータ9の回転数と下糸20の引き出し長さの関係をマイクロコンピュータ27に記憶させておけば,新たに入力した下糸量ではモータ9が何回転するのかがわかる。これを設定回転数R1とする。」(甲第3号証7頁12行〜18行) ウ「縫製者等は,例えば上記シートクッション2のシートトリムを縫製する場合には下糸量が何m(例えば2.5m)必要で,シートバック3の場合には下糸量が何m(例えば3.5m)必要であるか等を予め測定し,シートクッション2の場合の実回転数R2(例えば375回転)やシートバック3の場合の実回転数R2(例えば525回転)等を演算してリストアップしておく。」(8頁5行〜12行) エ「ボビン21に巻き直された下糸量(40m)を検出してマイクロコンピュータ27に入力し,マイクロコンピュータ27では下糸量から設定回転数R1(6000回転)を演算し,それをデジタルディスプレイ29の上段Aに“6000”と表示する。」(8頁末行〜9頁5行) オ「何枚目かの縫製が終了したとき,デジタルディスプレイ29の下段Bに例えば“5850”と表示されているような場合,次のシートクッション2の縫製途中には実回転数R2が設定回転数R1を越える(“6225”)と予測できるので,縫製途中で下糸途切れが発生することがわかる。」(10頁8行〜13行) 引用例2の上記認定の記載によれば,引用発明2のミシンは,モータの回転数と下糸の引出し長さとが比例するミシンであって,ボビンに巻き直された下糸量(初期値として入力した値)と特定の時点までに消費した下糸量(センサーにより検出した値)を上下段に並べて,いずれも回転数として表示するものであること,このミシンにおいては,縫製者は,縫製の区切りにおいて,新たに縫製を始めようとするに当たり,あらかじめ測定,検出しておいた被縫製物の種類ごとの必要下糸量(必要回転数で表示される。)と,上記回転数で表示された下糸量の初期値とその時点までの間の下糸消費量との差から,始めるべき縫製途中で下糸切れが発生するか否かを知り,縫製を開始してよいかどうかを判断することができることが,明らかである。
(3) 原告は,本願発明は,縫製開始前にボビンの下糸残量が選択した模様の形成に必要とする下糸量に足りるか否かを自動的に判別して,不足する場合には,警告を発するようにした模様縫いミシンを提供することを技術的課題としており,引用発明1及び2からこの課題を予測することができない,と主張する。
しかしながら,原告の主張は,取消事由の主張としては,主張自体として,失当である。発明の進歩性の検討において問題とされるべきは,従来技術(引用例)を出発点にして,これと出願発明との構成上の相違点を克服して,出願発明に至ることが,当業者にとって容易であったかどうかということであって,これが容易とされるのであれば,その際,出願発明の構成に至る動機となる課題が何であるかは問題になり得ないからである(異なった動機・課題から同一の構成に至ることは十分あり得ることであるから,もし,動機・課題が異なれば別の発明となるということになれば,同一の構成について複数の発明が成立することになる。このような結果を認めることができないことは,明らかである。)。
本件においても,引用発明1を出発点にして,これに引用発明2及び周知事項を適用して本願発明と同一の構成に至る動機・課題の有無は問題となり得るものの,その動機・課題が本願発明におけるものと同一であるか否かは,問題となり得ないのである。
原告の主張の具体的内容をみても,これもまた,失当である。
原告が主張する本願発明の技術的課題のうち,模様縫いミシンにおいて,自動的に検出した下糸残量が所定の値に不足する場合に警告を発するようにすることは引用発明1に開示されている。本願発明と異なるのは,下糸残量と比較する対象となる所定の値が,本願発明では模様形成に必要とする下糸量であるのに対し,引用発明1では所定の残量である点だけである。
引用発明2は,縫製途中での下糸切れを未然に防止することを課題とするものであり,下糸残量と必要下糸量とを比較して下糸切れを予知するものである。
引用発明1及び同2の存在の下では,現実の下糸残量と比較する対象となる値を,所定の残量とし,自動的に検出した下糸残量が所定の値に不足する場合に警告を発するミシンである引用発明1を出発点としつつ,これを改良して,引用発明2におけるのと同じく,縫製の区切りにおいて,新たに縫製を開始してよいかを判断することができるようにしようとすることは,これを妨げる特別の事情がないかぎり,容易なことであるというべきである。
原告は,引用発明1は,模様縫いミシンの下糸供給装置において,形成する一針ごとの縫目に対する適正な下糸量を供給することを技術的課題とするものであり,本願発明の技術的課題とは根本的に異なると主張する。しかしながら,引用発明1が原告主張の技術的課題を有しているとしても,そのことは,引用発明1が,上記認定のとおり,模様縫いミシンにおいて,検出した下糸残量が所定の値に不足する場合に警告を発するようにすることを開示している,と認めることを妨げるものではないことは,明らかである。
原告は,引用発明2は,一回転当たりの引出し長さが同一であることを前提として,縫製途中での下糸途切れを,縫製者が予測することができるようにすることを技術的課題とするものであり,必要下糸量のリストアップや下糸途切れの予測は縫製者が行うものであるから,引用発明2からは,下糸量の不足を自動的に判別して警告表示を発するという本願発明の技術的課題は到底予測することができない,と主張する。
上記のとおり,引用発明2のミシンにおいては,下糸量の不足は縫製者が判断するものであり,ミシン自体に下糸切れの予告機能が備わっているわけではない。しかしながら,ミシン自体に下糸切れの予告機能を備えさせること自体は,既に,引用発明1が行っていることである。そのことはおいても,もともと,縫製者の未熟又は不注意が原因となって,縫製途中に下糸切れに陥ることに縫製者が気付かないことは十分あり得ることであり,ミシン自体に下糸切れ予告機能が備わっていれば,そのような事故を未然に防止することができることは,当業者にとってのみならず,一般人にとっても余りに明らかなことである。引用発明1及び引用発明2の下で,下糸量の不足を自動的に判別してこれを予告する機能を備えることについての動機付けがないなどということは,あり得ないことである。
原告の主張はいずれも採用することができず,他に,引用発明1及び2から原告主張の本願発明の技術的課題と同じ課題に思い至ることを妨げる事情は本件全証拠を検討しても見当たらない。
原告は,審決が本願発明の技術的課題について述べていないから,被告が引用発明2のミシンの技術的課題について本件訴訟において主張することは許されない,と主張する。しかし,審決は,本願発明及び引用発明2のそれぞれの課題につき,特に課題という表現を用いて明示して論ずることはしていないものの,両発明そのものについての認定と相違点についての説示をみれば,審決がこれらの認定を行い,それを前提に判断したことが,明らかである。そもそも,本願発明の進歩性についての審決の判断の当否を判断するに当たり,本願発明及び引用発明1,2の技術的課題を参酌することは,審決に明記されていなくとも当然になし得ることというべきである。原告の主張は,いずれにせよ,採用することができない。
3 取消事由2(引用発明2の認定の誤りによる相違点1についての判断の誤り)について (1) 審決は,本願発明と引用発明1との相違点の一つ(模様の縫製に必要な下糸量データの保管形態に関して,本願発明は,「第1の記憶手段に記憶された模様を形成するに必要な下糸量を記憶する第2の記憶手段」を備えているのに対して,引例1記載の模様縫いミシンは,そうした手段を備えていない点。相違点1)についての判断において,「引例2には,縫製者等がシートクッションを縫製する場合必要な下糸量を予め測定し,この値をリストアップしておくことが開示されている・・・。」(審決書3頁末行〜4頁2行)と認定した。
原告は,上記審決の認定について,引用発明2でリストアップするのは,シートトリム,シートバック等の縫製部位とその必要下糸量に対応する「モーターの実回転数」であって,下糸量そのものをリストアップするのではなく,必要な下糸量に対応する実回転数を,縫製に必要な下糸量と同一視することは誤りである,と主張する。
引用発明2でデジタルディスプレイ29に表示されているのが,下糸量そのものではなく回転数であることは,原告の主張するとおりである。しかしながら,引用発明2のミシンにおいて,モータの回転数を表示するのは,それが,同発明においては,下糸の引出し長さと比例関係にあることから,下糸の引出し量を表示する手段として選ばれているだけのことであり,回転数自体に意味があるわけではないことは,引用例2の記載自体で明らかである。したがって,同発明において,表示対象を回転数とするか下糸量とするかとの間に,実質的な差異はないというべきである。引用例2自体に,「回転数を表示するようにしたが,・・・上段Aに下糸量,下段Bに下糸残量を直接表示するようにしてもよい。」(甲第3号証11頁6行〜9行)として,回転数でなく下糸量を直接表示することも記載されているのは,このことを示すものである。同記載において,表示対象を回転数から下糸量に変更した場合,本来,下段に表示されるのは消費した下糸量であって残量ではないこと,下糸残量を表示するのであれば,上段に下糸量(初期値の量と認める。)を表示する必要がないことから,「下糸残量」との記載が誤記である可能性はあるが,その場合であっても,表示対象を回転数ではなく,下糸量とすることは明確に記載されているというべきである。
原告の主張は採用することができない。
(2) 原告は,引用発明2のミシンが,シートクッションを縫製する工業用特殊ミシンであり,下糸引出し長さとモータの回転数とが比例することを前提とするものである点において,本願発明のミシンと異なり,引用発明においてリストアップされる縫製部位はせいぜい2,3種類にすぎないのに対し,本願発明の模様縫いミシンにおいてはリストアップすべき縫い模様は200ないし300種類に及んでいることを挙げて,引用発明2の技術を引用発明1の模様縫いミシンに適用することには阻害要因がある,と主張する。
しかしながら,引用発明1及び2の下糸切れを防止するという技術的課題が,ミシンの種類を問わずミシン全般を通じての一般的課題であることは,当業者にとってのみならず,一般人にとっても,余りにも明らかなことである。引用発明2において,回転数を表示することにしているのは,下糸引出し長さとモータの回転数が比例しているため,回転数によって下糸量を表示することができるからであること,引用例2自体に,下糸量を直接表示してもよいと記載されていることは前記のとおりであり,下糸量を直接表示することにすれば,モータ回転数と比例することを前提とする必要がないことは明らかである。また,リストアップすべき量が多いことは,引用発明2の技術を引用発明1に適用することを困難することになるものではなく,むしろ,本願発明のように,コンピュータによって認識できる形態の記憶手段を採用することの強い動機となるものである。
原告の主張は採用することができない。
4 取消事由3(引用発明2の認定の誤りによる相違点3についての判断の誤り)について (1) 審決は,本願発明と引用発明1との相違点の一つ(本願発明は,「下糸検出手段の検出値と選択された模様に必要な下糸量とを比較する比較手段と,該比較手段の比較結果に基づいて,下糸必要量に対してボビンの下糸残量が不足している場合に警告表示をする表示手段とを備え,縫製開始前に,ボビンに巻かれている下糸量が選択された模様の縫製に足りるか否かを判別し,警告表示するようにした」との構成を備えているのに対して,引用発明1は,警告表示手段は備えているものの,ボビンの下糸量が所定の量以下となったときに警告表示するものである点。相違点3)についての判断において,「引例2には,下糸残量と縫製に必要な下糸量とを比較して,縫製途中での下糸切れがないような措置を未然にとることが記載されている・・・。」(審決書5頁15行〜17行)と認定した。
(2) 原告は,@引用例2には,モータの回転数同士を比較して下糸切れを予測することが記載されているにすぎず,本願発明のように下糸残量と縫製に必要な下糸量とを比較することは記載されていない,引用発明2では,設定回転数R1から実回転数R2を人が引いて得られた数値と,あらかじめ試し縫いをしてリストアップした下糸必要量に対応する回転数とを人が比較しているのに対し,本願発明では,比較手段(中央演算装置)により,記憶手段に記憶された模様形成に必要な下糸必要量と下糸量検出手段により検出された下糸残量とをミシン自体が縫製開始前に比較しており,引用発明2とは比較する主体も比較すべき対象も異なっている,と主張する。
しかしながら,引用発明2において表示対象を回転数とするか下糸量とするかの間に実質的な差異はないというべきであることは,前記3(1)に記載したとおりである。
引用例1(甲第2号証)には,「模様選択手段4が操作されると前記模様データ記憶手段56から縫い模様データ及び模様の表示データを読み出す。」(甲第2号証6頁右上欄3行〜6行),「255は中央演算装置であって,・・・模様データ記憶手段256,・・・下糸残留量警告手段270・・・が接続されている。」(同号証8頁左下欄6行〜18行),「下糸残留量検出手段268で検出した下糸ボビン233に巻かれた下糸部分の外径値を示す下糸残留量の検出結果を・・・送信する。該送信内容は・・・中央演算装置255に送られ,検出結果から前記下糸ボビン233から引き出された実際の下糸供給量を演算する。」(同号証8頁右下欄1行〜9行)との各記載がある。引用例1は,平成3年1月21日に公開された特許公報であり,そこに記載されたこれらの記載によれば,引用発明1は,コンピュータを利用して,外部機器とのデータの交信,データの記憶・読出し,及びデータの演算がなされているミシンということができる。のみならず,本願出願がなされた平成4年当時の技術水準においては,ミシンに限らず各種技術分野において,それまで人手によりなされていた作業を,コンピュータを利用することにより機械化することが広く行われていたことは,当裁判所に顕著な事実である。
引用発明2のミシンにおいて,縫製者は,下糸残量と下糸必要量の多少関係の比較を行うのであるから,これを機械化する際に必要となるものは,ミシン自体が,下糸残量の値及び下糸必要量を認識する機能,及び,これらの差を演算しその結果を表示する機能を備えることであることが,明らかである。そして,これら機能がミシンに備わっていれば,ミシンの種類を問うことなく,下糸の糸途切れを予告できることも明らかである。
引用発明2に記載された課題である下糸途切れ予告に必要な機能のうち,下糸残量認識機能は,既に引用発明1が有しているものであることは上記のとおりである。下糸必要量を記憶する手段としてコンピュータが認識し得る形態のものを採用すること,並びに,下糸残量と下糸必要量の多少関係の判別(これは演算の一種である。)及び表示(演算結果を表示することは,表示形態がいかなるものであれ,「警告表示をする表示手段」といい得るものである。)を備えることは,コンピュータを利用したミシンとして自明の構成というべきである。このような構成を採用することに困難性があるとは,到底認めることができない。
(3) 原告は,引用発明2において人間がしていた下糸切れの判断を,本願発明の機械による判断,警告置き換えることの想到容易性を判断するためには,上記構成を実現するための技術的手段の意義についての判断が必要であるのに,審決はこの判断をしていない,と主張する。
しかしながら,本願発明の特許請求の範囲の記載から明らかなように,本願出願は,模様縫いミシンにおいて,ミシン自身が下糸切れの判断,警告をする,という構成そのものについて一般的に特許を求めるものであって,その構成を実現するための技術的手段について特許を求めるものではない。そして,上記のような構成自体に想到することの容易性は,その構成を実現するための技術的手段に想到することの容易性とは,別のものである。
原告の主張は,本願発明の特許請求の範囲の記載に基づかないものであるというほかなく,採用することができない。
(4) 原告は,引用発明2では,ボビンを交換するときに,前に使った使用途中のボビンを使うことができず,糸の浪費となるから,引用発明2の技術を引用発明1の模様縫いミシンに適用して,相違点3に係る本願発明の構成を成すことは困難であると主張する。しかしながら,審決は,引用例2には「下糸残量と縫製に必要な下糸量とを比較して,縫製途中での下糸切れがないような措置を未然にとる」(審決書5頁15行〜16行)との技術思想が記載されていると認定した上で,この技術思想と「2つの縫製関連データを比較する比較手段を設けることや,トラブル発生の可能性を検知したとき,検知結果に基づいて,適宜の警告を表示をする表示手段を設けることは,いずれも周知である」(審決書5頁11行〜13行)ことに基づいて,相違点3に係る本願発明の構成に想到することが容易であると判断したのであって,引用発明2の技術をそのまま引例発明1に適用することが容易と判断したものでないことは明らかである。
原告の主張は,審決の趣旨を正確に理解しておらず,採用することができない。
(5) 以上のとおりであるから,取消事由3は理由がない。
5 取消事由4(相違点2についての判断遺脱)について (1) 審決は,本願発明と引用発明1との相違点の一つ(相違点2)として,「本願発明は,「装着されているボビンの下糸残量を検出する下糸検出手段」を備えており,選択された模様に必要な下糸量と比較するために,下糸の残量の絶対量を検知するようになっているのに対して,引例1記載の模様縫いミシンは,ボビンの下糸の残(留)量を検知する手段は備えており,残量の絶対量を検知できるものではあるものの・・・,所定の残量以下となるか否かを検知するために用いられている点。」(審決書3頁19〜24行)を認定した。
すなわち,審決は,本願発明と引例発明1とは,「装着されているボビンの下糸残量を検出する下糸検出手段」を備える点では共通するが,その設置目的が相違すると認定したものである。
(2) しかしながら,本願発明と引例発明1との一致点及び相違点の認定は,本願発明の構成を引例発明1が備えるか否かに着目してなされるべきものであり,構成の設置目的に着目してなされるべきものではない。例えば,本願発明と引例発明1とがすべての構成において一致しているならば,一部の構成の設置目的が相違していたとしても,両者は同一発明であるとみるべきである。
発明相互の間に構成上の相違点がある場合において,両者に共通する構成の設置目的が異なることに起因して,相違点に係る構成に想到することが容易でない,と判断されることはあり得るが,その場合であっても,設置目的の相違が両発明の相違点となるものではない。
本願発明において,下糸残量検出手段を設置する目的は,選択された模様に必要な下糸量と比較するため,である。この点に関し,審決は,本願発明が「下糸検出手段の検出値と選択された模様に必要な下糸量とを比較する比較手段」を有するのに対し,引用発明1がこのような比較の対象となる選択された模様に必要な下糸量の記憶手段及びこれとの比較手段を有しないこと,を本願発明と引用発明1との相違点(相違点1,3)として認定した上で,この相違点1,3に係る本願発明の構成が想到容易であると判断している。
(3) 上に述べたところによれば,審決の認定した相違点2は,本願発明と引用発明1との一致する構成についての単なる設置目的の相違にすぎず,これを,審決が相違点1,3から独立した相違点として認定したこと自体が誤りであるというべきである。
審決は,相違点2について「引例1には,ボビンの下糸の残量を検知する手段があるのだから,それが検知した下糸の残量をそのまま直接表示するようにした点に格別の困難があったとは認められない。」(審決書4頁29行〜31行)と判断した。この判断は,相違点2の判断としては的外れであり,その限りで原告の指摘は正当である。
しかしながら,審決が相違点2を独立した相違点として認定したこと自体が誤りであることは前記のとおりである。上記設置目的の相違が,本願発明の想到容易性に対する判断に影響を及ぼすものでないことは,相違点1,3について上記1で説示したところから明らかである。
審決の相違点2に対する判断が的外れであることは,審決の結論に影響を及ぼさないというべきである。
取消事由4にも理由がない。
6 取消事由5(顕著な作用効果の看過)について 原告は,審決が本願発明の顕著な作用効果を看過した,と主張する。
しかしながら,原告の主張する本願発明の作用効果@,A,Cは,いずれも本願発明の構成を採用した場合に当然に奏せられる自明の作用効果にすぎない。
原告の主張する作用効果Bは,新たな模様を追加すること,新たな模様の必要下糸量が記憶されること,という構成を前提とする作用効果である。本願発明(請求項1に係る発明)の第1の記憶手段及び第2の記憶手段には,新たな模様に対応できる旨の限定がなく,上記構成を含まない発明もその範囲に含まれているというべきであるから,上記構成を本願発明の作用効果とすることはできない。
原告の主張する本願発明の作用効果は,いずれも,本願発明の進歩性の根拠とならないものというべきである。
原告の主張は採用することができず,取消事由5も理由がない。
結論
以上のとおりであるから,原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく,その他審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。そこで,原告の本訴請求を棄却することとし,訴訟費用の負担につき,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 山下和明
裁判官 設樂隆一
裁判官 阿部正幸