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関連審決 審判1999-35429
関連ワード 方法の発明 /  製造方法 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  周知技術 /  技術常識 /  パリ条約 /  優先権 /  優先日 /  参酌 /  容易に想到(容易想到性) /  特許発明 /  実施 /  設定登録 /  請求の範囲 / 
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事件 平成 13年 (行ケ) 584号 審決取消請求事件
原告 アトフィナ
訴訟代理人弁理士 越場隆
被告 株式会社トクヤマ
訴訟代理人弁理士 小田島 平吉
同 深浦秀夫
同 江角洋治
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2003/04/22
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告 特許庁が平成11年審判第35429号事件について平成13年8月20日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告 主文と同旨
当事者間に争いのない事実等
1 特許庁における手続の経緯 原告は,発明の名称を「クロロメタン類の製造法の改良」とする特許第2140218号の特許(平成2年2月16日特許出願(パリ条約による優先権主張1989年2月16日,フランス国)(以下「本件出願」という。),平成7年11月29日に出願公告,出願公告後の平成10年8月26日付けの手続補正書により補正(以下「本件補正」という。),平成11年2月19日設定登録,以下「本件特許」という。)の特許権者である。
被告は,平成11年8月17日,本件特許を請求項1に記載された発明に関して無効にすることについて審判を請求した。
特許庁は,この請求を平成11年審判第35429号事件として審理し,その結果,平成13年8月20日,「特許第2140218号の請求項1に係る発明についての特許を無効とする。」との審決をし,審決の謄本を同年8月30日に原告に送達した。
2 特許請求の範囲 (本件補正後のもの。請求項1により特定される発明を「本件発明」といい,(a)ないし(f)により特定される各工程をそれぞれ「工程(a)」などという。) 「【請求項1】(a)メタンの塩素化またはメタノールのハイドロクロリネーションによって塩化メチル(1)を作り, (b) こうして得られた少なくとも塩化メチルを含む混合物をさらに塩素化することによってクロロメタン類と,塩酸と,少量の水と,場合によっては残る塩素とを含む混合物(4)とし, (c) この混合物を蒸留(30)してHCl(5)を分離除去し, (d) (c)工程で回収された混合物(6)をCH3Cl分離カラム(40)で蒸留することによって,塔頂から塩化メチルと,大部分の水と,少量のHClおよび塩素とを回収し, (e) 残りを蒸留(60)して高級クロロメタン類(CH2Cl 2,CHCl 3,CCl 4)(10,11,12)を分離し, (f) 塩化メチルの一部(9)を,必要に応じて高級クロロメタン類の一部(13,14,15)と一緒に,(b)工程へ再循環させる 各工程を含むクロロメタン類の製造方法において, (i) 上記(d)工程のCH3Cl分離カラム(40)の塔頂から,少なくとも塩化メチルと,塩酸と,1重量%以下の水とを含む混合物を取り, (ii) その混合物を無水の塩化カルシウムからなる乾燥剤と接触させて乾燥することを特徴とする方法。」 3 審決の理由 (1) 別紙審決書の写しのとおりである。要するに,本件発明は,刊行物である「Hydrocarbon Processing」(1981年3月発行,76頁〜78頁)に掲載された「Downstream Methanol Processing」と題する論文(審判甲第1号証,本訴甲第5号証。以下「刊行物1」という。)に記載された発明(以下「引用発明1」という。),及び,「’87腐食診断技術事例発表会」(社団法人日本プラントメンテナンス協会,昭和62年9月9日発行,5-1頁〜5-8頁。審判甲第4号証の1,本訴甲第8号証の1。以下「刊行物2」という。)に記載された発明(以下「引用発明2」という。),並びに,「実験化学講座2基礎技術U」(丸善株式会社,昭和31年4月20日発行,1頁〜6頁,13頁〜14頁。審判甲第5号証。
本訴甲第9号証。以下「甲9文献」という。)及び「化学実験操作書[改稿版]」(廣川書店,昭和44年4月5日発行,42頁〜49頁。審判甲第6号証,本訴甲第10号証。以下「甲10文献」という。)に記載された周知技術に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであり,本件特許は,本件発明について,特許法29条2項の規定に違反して特許されたものであるから,無効とすべきである,と認定判断するものである。
(2) 審決が,上記認定判断において,本件発明と引用発明1との一致点・相違点として認定したところは,次のとおりである。
一致点 「以上のことから,甲第1号証(判決注・本訴甲第5号証。刊行物1)に記載された発明(判決注・引用発明1)は, (A) メタノールのハイドロクロリネーションによって塩化メチルを作り(塔R)(判決注・以下「工程(A)」という。), (B) 得られた塩化メチルを含む混合物をさらに塩素化することによってクロロメタン類と塩化水素(塩酸)を含む混合物とし(塔I)(判決注・以下「工程(B)」という。), (C) この混合物を蒸留して塩化水素を分離除去し(塔U)(判決注・以下「工程(C)」という。), (D) その工程で回収された混合物をさらに蒸留して塩化メチルを回収し(塔V)(判決注・以下「工程(D)」という。), (E) 残りをさらに蒸留して高級クロロメタン類,すなわち二塩化メチレン,クロロホルム,四塩化炭素を分離し(塔IV,V)(判決注・以下「工程(E)」という。), (F) 塩化メチルの一部を塩素化工程へ再循環することにより(塔Vから塔Iへの再循環)(判決注・以下「工程(F)」という。) クロロメタン類を製造する方法 に係るものであり, この甲第1号証に記載された発明と本件発明を比較すると, いずれもクロロメタン類を製造する方法の発明において,甲第1号証に記載された発明の工程(A),(C),(E),(F)は,本件発明の工程(a),(c),(e),(f)とそれぞれ一致し,さらに,本件発明の(b)工程と甲第1号証に記載された発明の(B)工程が,塩化メチルを含む混合物を塩素化することによってクロロメタン類と塩化水素を含む混合物とする点,本件発明の(d)工程と甲第1号証に記載された発明の(D)工程が,その前の工程で回収された混合物をさらに蒸留して塩化メチルを回収する点でも一致し,」 相違点 「本件発明では, (ア)(b)工程において得られるものが,クロロメタン類,塩酸以外に「少量の水と場合によっては残る塩素」も含むとしていること, (イ)(d)工程において「塔頂から塩化メチルと大部分の水と少量の塩化水素および塩素を回収し」,さらに,「少なくとも塩化メチルと,塩酸と,1重量%以下の水を含む混合物を取り,その混合物を無水の塩化カルシウムからなる乾燥剤と接触させて乾燥する」こと, の2点が規定されているのに対し,甲第1号証に記載されている発明ではその点が明示されていない点で相違している。」(判決注・以下,上記(ア)を「相違点(ア)」,上記(イ)を「相違点(イ)」という。)
原告主張の審決取消事由の要点
審決は,相違点(ア)についての判断を誤り(取消事由1),相違点(イ)についての判断も誤った(取消事由2及び取消事由3)。これらの誤りは,それぞれ,審決の結論に影響することが明らかである。審決は,違法として取り消されるべきである。
1 取消事由1(相違点(ア)についての判断の誤り-引用発明1の認定の誤り) 審決は,相違点(ア)について,「塩化メチルの塩素化工程では原料として塩素を使用しており,通常の塩素化で使用する塩素ガスに水分が含まれていることは,例えば,甲第2号証,甲第3号証の記載から広く知られているものであり,それらが反応混合物に含まれる水となることは当業者の常識とが(判決注・「常識と」の誤記と認める。)考えられることであり,また,反応原料である塩素が100%反応で消費されないで反応混合物中に残存することもやはり当業者の常識であり,さらに,甲第1号証(判決注・刊行物1)において,それらを除去することについて特に記載されていないので,甲第1号証の工程(B)において得られているのはクロロメタン類,塩酸以外に少量の水と場合によっては残存する塩素が含まれていると見るのが妥当であり,この点について両者に実質的な相違はない。」(審決書11頁第4段落)と認定判断した。しかし,これは誤りである。
(1) 審決は,刊行物1の「腐食。反応段階は無水で操作する。それによって装置の腐食の可能性は除去される。」(甲第5号証77頁右欄下から9行〜7行,訳文4頁下から9行)との記載を看過している。なお,刊行物1のFig.3(図3)の各塔の記号は,審決書9頁5行ないし6行の記載に従い,次のとおりとする。
引用発明1の工程(A)(メタノールのハィドロクロリネーションによって塩化メチルを作る塔Rの工程)は,水を生じる反応であり,これを無水で操作することは理論上不可能である。工程(C)と工程(D)は塩化水素の分離除去と塩化メチルの回収工程であり,工程(E)は高級クロロメタン類の精製工程であり,工程(F)は塩化メチルの再循環工程であって,これらの工程は,いずれも,反応とはいわれない工程である。そうすると,引用発明1において無水で反応が起こり得る工程となり得るのは,工程(B)(得られた塩化メチルを含む混合物をさらに塩素化することによってクロロメタン類と塩化水素(塩酸)を含む混合物とする塔Iの工程)だけということになる。したがって,刊行物1の「反応段階は無水で操作する」との上記記載は,引用発明1の工程(B)を無水で操作するということを意味することが明らかである。
(2) 引用発明1の工程(B)を無水で操作する方法は,被告が有する特許第3,193,627号公報(甲第11号証。以下「甲11文献」という。)に記載されている。甲11文献は,本件出願に係る優先権主張日(以下「本件優先日」という。)当時における公知文献ではないものの,被告自身が有する特許の公報であるから,被告が本件優先日当時において工程(B)を無水で操作するとの技術を使用することは可能である。
引用発明1の工程(B)を無水で操作することは,本件出願時の技術,すなわち,二つの原料(塩化メチルと塩素)を濃硫酸で洗浄するとの技術によっても十分に可能であった。すなわち,塩素ガスを硫酸によって十分に乾燥することができることは,甲9文献及び甲10文献に記載されており,塩化メチルを硫酸によって乾燥することができることは,刊行物1のFig.3中の「Washing and dehydration(洗浄と脱水)」の記載の上方に示された塔Cに「H2SO 4」が供給されていることを図示するという形で示されており(甲第5号証77頁,訳文3頁),さらに,刊行物1には「・・水を除去するために,濃硫酸による洗浄が行われる。これらの処理が施された後,精製された塩化メチルは液化され,」(同78頁左欄下から6行〜3行,訳文6頁9行〜10行)とも記載されている。
したがって,引用発明1においては,蒸留,抽出(濃硫酸による脱水)等の公知の手段によって,二つの原料(塩化メチルと塩素)から,水が既に除去されている,と解するのが,刊行物1の素直な読み方であり,引用発明1の工程(B)において,クロロメタン類,塩酸以外に少量の水が含まれているとの審決の上記認定は誤りである。
2 取消事由2(相違点(イ)についての判断の誤り-引用発明2認定の誤り) (1) 審決は,「この甲第4号証の1(判決注・本訴甲第8号証の1。刊行物2)は甲第1号証(判決注・刊行物1)が発表された(1981年)後の,1987年に発表されたもので,二塩化メチレン,クロロホルム,四塩化炭素等のクロロメタン類の製造方法としては塩化メチルの塩素化による方法が代表的なものであることを考慮すると,甲第4号証の1が指摘している有機塩化物製造工程には甲第1号証の製造方法が該当することは明らかであり,甲第4号証の1は,そこで指摘している他の有機塩化物であるC2H4C1 2, C 2C1 4の製造工程と同様,甲第1号証の製造方法における腐食の問題と原因を指摘し,その解決方法を示しているものと見ることができる。」(審決書12頁第2段落)と認定した。しかし,これは誤りである。
審決の上記説示の中で,「有機塩化物製造工程」が何を意味するのか明らかでない。
刊行物2には,そこにいう有機塩化物が,本件発明が対象とするメタノールのハイドロクロリネーション及びその後の塩素化によるクロロメタン類の製造方法で得られたものであるか否か,明確に記載されていない。審決が指摘するとおり,「二塩化メチレン,クロロホルム,四塩化炭素等のクロロメタン類の製造方法としては塩化メチルの塩素化による方法が代表的なものである」としても,有機塩化物混合物を製造する方法はほかにも存在する。
刊行物2の5-1頁2行目に具体的に記載されている化合物であるCH2Cl 2(二塩化メチレン),C 2H4Cl 2(塩化エチレン),CHCl 3(クロロホルム),CCl 4(四塩化炭素),C2Cl 4(テトラクロルエチレン)は,塩素原子を二つ以上含む化合物である。一方,引用発明1において,CH3Cl分離カラム(塔V)で回収される塩化メチル(CH3Cl)は塩素原子が一つの化合物である。そうである以上,引用発明2は,引用発明1とは処理対象が異なる,と考えるのが,刊行物2の素直な読み方である。
(2) 審決は,「甲第1号証(判決注・刊行物1)の塩素化工程の後の精留工程(塩素化反応混合物が供給され,分留がおこなわれる工程)である塔Vから塔Xはいずれも塔頂部に還流ラインを持ち,特定の成分が濃縮する可能性を持っていることから,甲第4号証の1(判決注・刊行物2)が指摘する水分と酸分の濃縮による腐食の危険性を有していると見るのが至当である。その危険を避けるために塔頂部の還流ラインに脱水剤による乾燥設備を設けることは甲第4号証の1を知った当業者が容易になし得ることであり,その際,それより後の塔に乾燥設備を設けても塔Vにおける腐食を防ぐことはできないので,直列的に並ぶ最も前の段階である塩化メチル回収塔である塔Vにその設備を設けることもごく当然に行なわれることである。」(審決書12頁第3段落)と判断した。しかし,審決のこの判断は誤りである。
(ア) 引用発明1の工程(B)のように,水が存在しない反応系(無水の反応系)では,脱水剤による乾燥設備を設けることが容易である,という判断は,あり得ないことである。無水の反応系である引用発明1の工程(B)においては,本件特許の「特徴部分」である(i)及び(ii)の塩化カルシウムによる乾燥との構成を採用しようとする動機付けが見当たらないのである。
(イ) 刊行物2の図6(甲第8号証の1・5-7頁)は,「ある有機塩化物の精留塔還流ラインのフロー」(甲第8号証の1・5-7頁3行)を示したものであるから,同図は,「有機塩化物製造工程」ではなく,「精製(精留)工程」を示したものである。そうだとすれば,刊行物2の図6の精留塔還流ラインが,引用発明1が対象とする,クロロメタン類の製造方法で得られたものを精留する還流ラインである,と仮定しても,刊行物1の図3において,この図6の「精留塔」に該当するのは塔(W)及び(X)であり,CH3Clを分離する塔(V)はこれに該当しないと考えるのが自然である。したがって,「精留塔」ではない塔Vに乾燥設備を設けることが当然であるとした審決の判断は誤りである。
(3) 審決の「塩化水素,塩化アルキルの乾燥剤として塩化カルシウムが適していることは,例えば甲第5号証(判決注・甲9文献),甲第6号証(判決注・甲10文献)から周知であるから,乾燥剤の選択に関して困難性はない。」(審決書12頁第4段落)との判断は,本件発明と引用発明2との構成上の差異を看過し,この差異を考慮に入れないでなされたものである。
刊行物2の図6のフロー図を見ると,精留塔の上部から回収されるものは「pure solvent」(純粋な溶媒)である。すなわち,腐蝕の原因となる水分と塩化水素は,この「純粋な溶媒」中には存在しないことを意味し,水分と塩化水素は乾燥器のラインを流れることになる。このことは,このラインを流れる流体の伝導度が低下することで証明される。刊行物2には,水分と塩化水素とを分離する手段についての記載がないので,引用発明2では,本件発明のように水分のみが乾燥器で選択的に吸収されるか否かは不明である。しかし,刊行物2には,水分と酸分(塩化水素)が腐食の原因として一緒に記載されているから(甲第8号証の1の5-1頁5〜6行,15行,17行参照),引用発明2では水分と酸分(塩化水素)が乾燥器で同時に吸収されるとするのが,合理的な判断であるというべきである。
これに対し,本件発明は,水分と塩化水素とを分離する手段を有し,水分と酸分(塩化水素)とが同時に吸収されることはない。
(4) 被告は,同一製造会社が同一製品を製造するのに異なる製造方法実施することは通常あり得ないので,刊行物1と刊行物2とは同一の製造プロセスについて記載したものであると主張する。しかし,同一製造会社が同一製品を製造するのに異なる製造方法実施することはあり得ない,とは必ずしもいえないだけでなく,同じ製造方法でも開発時期が相違すれば解決すべき課題が相違し,解決すべき手段も相違するのであるから,類似する製造方法に関する二つの文献があったとしても,その二つの文献が直ちに同じ製造方法に関する文献であるとすることはできない。
被告は,刊行物2は,被告が実施していた刊行物1に記載されたクロロメタン類の製造プロセスの装置の一部の腐食問題を論じたものである,と主張する。
しかし,刊行物2は,実験報告書であって,実稼働中のプラントでの測定データではないので,刊行物1に記載されたクロロメタン類製造プロセスの実際の装置の一部の腐食問題について記載したものとはいえない。
3 取消事由3(相違点(イ)についての判断の誤り-塩化カルシウム選択についての判断の誤り) 審決は,「乾燥剤として塩化カルシウムを選択することは甲第4号証の1,甲第5〜6号証の記載により当業者が容易に行えることである。また,本件特許発明の構成をとることによる効果,すなわち,装置の腐食の問題をなくすこと,クロロメタン類から水のみを選択的に除去できることは甲第4号証の1,甲第5〜6号証の教示するところから予測できる範囲のものである。」(審決書12頁第5段落)と判断した。しかし,審決のこの判断は誤りである。
(1) 塩化カルシウム(CaCl2)は,塩化メチルと一緒に用いると装置を腐食させることが公知であった(甲第13,第14号証)ため,当業者は,水の存在下にある塩化メチルを乾燥させるために塩化カルシウムを使用することは避けるべきことである,と理解していた。
塩化カルシウム(CaCl2)は,多量の水を除去するための乾燥剤であり(甲第16,第17号証),最後に残った少量の水(甲第16号証)の除去には,より効率的な乾燥剤を使用する必要があった。これに対して,本件発明で問題にしている水の量は最後に残った数十ppm〜数百ppm程度の水の量であり,塩化カルシウムによっては,このような水を除去することができないことは当業者間の技術常識であった。
したがって,本件発明において,乾燥剤として塩化カルシウムを選択したことを,当業者にとって容易なことであったとすることはできない。
(2) 本件特許の願書に添附した明細書(以下「本件明細書」という。)における,本件発明についての参考例,実施例,比較例の記載から,塩化カルシウムを用いることにより,塩化水素,塩化アルキル,塩素,水の混合物から,水のみを除去することができるとの本件発明の効果を確認することができる。
しかし,甲9文献13頁の表1.4及び甲10文献の46頁のTable3.5には,塩化カルシウムが塩化アルキルの乾燥剤として使われることが記載されており,甲9文献の3頁8,9行には,塩化カルシウムは塩化水素の乾燥に最適であることが記載されているだけであり,塩素(Cl2)に適した乾燥剤として塩化カルシウムは挙げられていないのである(硫酸 (H 2SO 4) が塩素(Cl 2)に適した乾燥剤として挙げられているだけである。)。
本件発明の実施例1では,塩素(Cl2)及び塩化水素(HCl)はほぼ同量(100〜500ppmと50〜500ppm)含まれている。塩素(Cl2)から水を分離して回収できるという作用効果は,甲9文献及び甲10文献の記載からは分からないのである。
被告の反論の骨子
審決の認定判断はいずれも正当であって,審決を取り消すべき理由はない。
1 取消事由1(相違点(ア)についての判断の誤り-引用発明1の認定の誤り)について (1) 引用発明1の工程(B)が実施される塔Tにおいては,工程(A)においてメタノールのハイドロクロリネーションによって形成される塩化メチル(CH3Cl)を含有する反応混合物が更に塩素化される。この際に用いられる塩素(工業用塩素)には,濃硫酸で乾燥したものであっても, (夏季) 平均0.32mg/Nl (春秋季) 平均0.15mg/Nl (冬季) 平均0.10mg/Nl という少量の水を含有している(甲第6号証2頁左欄17行〜24行,甲第7号証313頁16行〜21行)。塔Tで実施される工程(B)が,このように少量の水を含有する工業用塩素を用いるものである以上,そこに少量とはいえ水が混入することは不可避である。
(2) 刊行物1の図3のフロー・シートに示されているクロロメタン類の製造方法において,塔(T)(反応装置)中に連続して塩化メチル及び塩素ガスを供給し,かつ塔(V)(蒸留カラム)において蒸留し,回収した未反応の塩化メチルを塔(T)に循環しながら,連続的に塔(T)中で塩化メチルの塩素化反応を行うと, (@) 塔(T)中に連続的に供給される塩素ガスに随伴する水分,及び (A) 塔(V)の塔頂から回収される未反応塩化メチルに随伴する水分, によって,塔(T),塔(U)及び塔(V)を含む循環系中の水分濃度は漸次増大し,これらの反応系に重大な腐食の問題が起こる。
したがって,刊行物1の「腐食:反応段階は無水で操作する。それによって装置の腐食の可能性が除去される。」(甲第5号証77頁右欄下から9行〜7行,訳文4頁下から9行)との記載は,正に,塩化メチルの塩素化カラムである塔(T),HClを留出,回収する蒸留カラムである塔(U)及び未反応塩化メチルを回収する蒸留カラムである塔(V)を含む循環系(反応系)中に,塩素ガスに随伴して導入,蓄積される水分による腐食について述べたものであり,その反応段階(循環系)の適当箇所で脱水して無水で操作することによって,装置の腐食の可能性を除去することができる,ということを教示したものである。
2 取消事由2(相違点(イ)についての判断の誤り-引用発明2認定の誤り)について 刊行物1の76頁の記載と,刊行物2の5-1頁の記載とを比較すると,両者とも,被告(徳山曹達(株))で実施されていた二塩化メチレン(CH2Cl 2),クロロホルム(CHCl3),四塩化炭素(CCl 4)等のクロロメタン類を製造する同一の製造プロセスを対象として記載しているものであることが明らかである。同一の製造会社が,上記のようなクロロメタン類を製造するのに,異なる製造方法実施する,というようなことは,通常,あり得ない。
刊行物2は,CH2Cl 2,CHCl 3,CCl 4等のクロロメタン類の製造工程での腐食問題を解決したことを述べた論文であるから,同刊行物に記載された腐食解決手段,具体的には,刊行物2の5-7頁に記載された図6の還流ラインに脱水槽が設けられた精留塔は,CH2Cl 2,CHCl 3,CCl 4の製造工程に適用されることを当然の前提としたものである。したがって,刊行物1に開示されたCH2Cl 2,CHCl 3,CCl 4等のクロロメタン類の製造工程に刊行物2の図6の精留塔を適用することは,刊行物2に開示されており,仮にそうでないとしても,刊行物2に開示されたところから当業者が極めて容易に想到し得ることである。
刊行物2には,「これらの微量酸分および水分は,精留塔などの塔頂部に濃縮されることが多く,思わぬ腐食損傷をもたらしてきた。」(甲第8号証の1第5-1頁)と説明されているのであるから,刊行物2の前記図6に明示されている粗塩素化溶媒の精留塔還流ラインに設けられた「脱水剤充填槽」を,これに相当する引用発明1のクロロメタン類の製造方法に設けるとすれば,還流ラインを有する精留塔である塔V,塔W及び塔Xの内の少なくとも一塔であり,その際,塔W又は塔Xに設けるのであれば,塔Vにおける腐食を防ぐことはできないので,少なくとも直列に並ぶ最も前の精留塔である塔V(塩化メチル回収塔)に設けることは,当業者が極めて容易に想到し得ることである。しかも,塔Vで塔頂から留出する未反応CH3Clは塔T(塩素化反応器)に循環されており,これら塔T(塩素化反応器),塔U及び塔Vは循環系を構成しているのであるから,刊行物1における「反応段階を無水で操作する」との前記記載にも合致するのである。
3 取消事由3(相違点(イ)についての判断の誤り-塩化カルシウム選択についての判断の誤り)について (1) 塩化カルシウムは,塩化メチル系の乾燥剤として,過去においても現在においても,使用されており,また,塩化メチル-水-酸系においては,塩化カルシウムによっては,酸は除去されないことまで教示されているのである(甲第13号証579頁右欄17行〜29行)。
そうである以上,本件発明において用いるべき乾燥剤として塩化カルシウムを採用することは,当業者にとって容易に想到することができたことというべきである。
(2) 塩化カルシウムは,安価な乾燥剤であり,大量に使用することが可能であることから,予備乾燥に使用されることもある。しかし,このことは,数十ppmないし数百ppmの水分の乾燥に塩化カルシウムを使用することができないことを示すものではない。塩化カルシウムの吸水能力は,甲9文献によれば,水蒸気で飽和した空気を毎時1〜3lの割合で乾燥剤(塩化カルシウム)の中を通過させた場合,空気1l中の水分残存量が0.14〜0.25mgである(甲第9号証13頁表1・3)。この値は約100〜200ppm(重量/重量)に相当する。このように,塩化カルシウムは,約100〜200ppm以上の水分の乾燥に使用することが十分に可能な乾燥剤なのである。
(3) 塩化カルシウムが塩素と反応しないことは化学の常識であり,塩化カルシウムと塩素とを接触させたとしても塩素が塩化カルシウムに吸収されないことは当業者にとって自明である。そうである以上,仮に,本件発明に付随して,塩化カルシウムにより塩素を回収したとしても,それによって本件発明の特許性が生じるということはあり得ない。
本件発明は,塩素を回収することを特定した発明ではなく,単に,「場合によっては」残存した塩素を回収するというだけのものであるから,塩素の回収の有無は,本件発明の特許性の存否とは,無関係の事項である。
当裁判所の判断
1 取消事由1(相違点(ア)についての判断の誤り-引用発明1の認定の誤り)について 原告は,刊行物1に記載された「反応段階は無水で操作する。」(甲第5号証77頁右欄下から9行,訳文4頁下から9行)の「反応段階」とは,引用発明1の工程(B)(得られた塩化メチルを含む混合物をさらに塩素化することによってクロロメタン類と塩化水素(塩酸)を含む混合物とする塔Tの工程)をいい,反応段階の原料物質である塩素及び塩化メチルを濃硫酸で乾燥させ,除水することは技術的に可能であったから,引用発明1においては,水が既に除去された原料を用いるものと解すべきであり,引用発明1の工程(B)においては,「クロロメタン類,塩酸以外に少量の水・・・が含まれていると見るのが妥当であり」(審決書11頁第4段落)との審決の認定は誤りであると主張する。
刊行物1には, 「塩化水素化の段階。反応は以下のように進行する。
CH3OH+HCl→CH 3Cl+H 2O 蒸発装置により蒸発したメタノールが,塩化水素と共に最適の比率で反応装置に供給される。反応は触媒の存在下で気相において行われ,塩化メチルが生じる。
少量の未反応のメタノールと塩化水素を除去するために,このようにして得られた塩化メチルは水と,希釈されたカセイソーダ溶液で洗浄される。さらに副産物のジメチルエーテルと水を除去するために,濃硫酸による洗浄が行われる。
これらの処理が施された後,精製された塩化メチルは液化され,その一部は製品として使用され,残りはさらに反応を行うために次の塩素化の段階に送られる。」(甲第5号証78頁,訳文6頁) と記載されている。
刊行物1の上記記載のうち「さらに副産物のジメチルエーテルと水を除去するために,濃硫酸による洗浄が行われる。」との工程は,同刊行物の図3においてH2SO 4が供給されている塔Cで行われるものと解すべきであるから,引用発明1においては,この塔Cの工程で濃硫酸により水が除去された塩化メチルが塔Iに供給されるものと認められる。
しかしながら,甲10文献には,乾燥剤としての濃硫酸について,水蒸気で飽和した空気をH2SO 4(100%)で乾燥させると空気1l中に3×10-3mg,H 2SO4(95.1%)で乾燥させると空気1l中に0.3mgの水が残存すること(甲第10号証44頁Table3.4),及び,「硫酸は濃度が高いほど有効であるから,使用中時々とりかえるのがよい。硫酸が乾燥剤として使用に耐えるかどうかを調べるには,濃硫酸1l中に18gの硫酸バリウムを溶解しておくと,濃硫酸が水分を吸収して使用に耐えなくなれば硫酸バリウムの白色沈殿が析出するのでわかる。」(甲第10号証43頁下10行〜5行)ものであることが記載されている。そうすると,刊行物1における濃硫酸は,反応副産物である水等を除去するために使用され,比較的多量の水を吸収する結果,使用により次第にその濃度が低くなっていくものであることが推認され,これによっては塩化メチルから水を完全に除去することは不可能であると認められる。
塩素の乾燥に濃硫酸が使用されることも,甲9文献の表1・4及び甲10文献のTable3・5に記載されている(甲第9号証13頁・表1・4,甲第10号証46頁Table3・5)。甲第6号証(「ソーダと塩素」第23巻265号(1972)1〜2頁。)によれば,濃硫酸の乾燥塔から出た塩素ガス中には,平均値で,夏季0.32mg/Nl,春秋季0.15mg/Nl,冬季0.10mg/Nlの水分が残存することが認められ,甲第15号証(小川浩平教授の鑑定書)に,「工業用として使用される塩素は,通常,食塩の電解により製造され,水分を含んでいる。このため,工業用塩素は硫酸で脱水されるが,完全に脱水することはできず,数10〜数100ppm程度の水を含んでいることがよく知られている。」(同3頁下8行〜下5行)と記載されていることからも,濃硫酸により,塩素から完全に水を除去することは困難であると認められる。
以上からすれば,硫酸により乾燥させるとの方法によっては,引用発明1の工程(B)において塔Tに供給される塩化メチルと塩素から完全に水を除去することはできないものと認められるから,刊行物1の「反応段階は無水で操作する。」との記載が完全に無水の原料を用いることを意味すると解することはできず,引用発明1における原料である塩化メチルと塩素にはある程度の量の水分が存在していると認められるのである。
原告は,引用発明1の工程(B)を無水で操作する方法が甲11文献に開示されている,と主張する。しかし,甲11文献は,本件優先日後に公知となった文献であるから(甲第11号証),この文献の記載内容を,引用発明1の技術内容の認定に際して参酌することはできない。
以上のとおりであるから,審決が引用発明1の工程(B)においては,「クロロメタン類,塩酸以外に少量の水・・・が含まれていると見るのが妥当であり」(審決書11頁第4段落)と認定したことに誤りはない。
2 取消事由2(相違点(イ)についての判断の誤り-引用発明2認定の誤り)について (1) 原告は,刊行物2には,そこにいう有機塩化物製造工程が何を意味するか明記されておらず,引用発明1と引用発明2とは処理対象が異なるというべきであるから,審決が「甲第4号証の1(判決注・刊行物2)が指摘している有機塩化物製造工程には甲第1号証(判決注・刊行物1)の製造方法が該当することは明らかであり」(審決書12頁第2段落)と認定判断したのは誤りである,と主張する。
刊行物2には, 「1.はじめに 当社では,CH2Cl 2,C 2H4Cl 2,CHCl 3,CCl 4,C 2Cl 4,などの有機塩化物を製造しているが,これらの有機塩化物取扱い工程において,予期しない激しい腐食にしばしば遭遇してきた。これらの純粋な溶媒は,非電解質(導電率:10-8〜10-13ohm-1・cm-1)であり,腐食性は全くない(表1)。有機塩化物中では,その中に不純物として混在する水分と酸分とが,その腐食性に重要な役割を持っている。
酸分は,未反応原料または反応副生物として当初から混在している,あるいは有機塩化物自身の分解により生ずる,主に塩化水素から成る。有機塩化物の分解は,酸素,水,光,熱などにより加速される。また,水分は,粗製品の洗浄水の残存以外に,原料中の水分,運転起動時の工程内残存水分,熱交損傷部からの漏洩水,タンク内の液面変化や減圧機器での外気湿気の吸収などにより,もたらされる。これらの有機塩化物中への水の溶解度は非常に小さく,飽和水分濃度を越えるとまず微小水滴分散状態となり,更に水分が増すと分離水層が形成される。この飽和水分濃度は,溶媒中の酸分濃度が増すと共に低下する(図1)。
これらの微量酸分および水分は,精留塔などの塔頂部に濃縮されることが多く,思わぬ腐食損傷をもたらしてきた。しかしながら,有機塩化物中での酸分及び水分濃度と腐食性との関係については,あまり明確にされていなかった。
本研究では,@有機塩化物中の酸分および水分濃度と腐食性との関係を明らかにすること,およびA得られた知見をもとに腐食モニタリング法を見出すこと,を目的とした。本報では,研究結果と実機での腐食モニタリング例について報告する。」(甲第8号証の1の5-1頁) と記載されている。
刊行物2の上記記載によれば,同刊行物には,CH2Cl 2,C 2H4Cl 2,CHCl 3,CCl4,C 2Cl 4などの有機塩化物の製造に際して,主として未反応原料又は反応副生物等として混在する塩化水素から成る酸分と,原料中等に含有される水分とが,精留塔などの塔頂部に濃縮されて腐食損傷をもたらしてきたことが記載されていると認められる。
引用発明1の方法は,工程(A)で原料としてメタノールと塩化水素を用いて塩化メチルを作り,工程(B)で塩化メチルを更に塩素化して,二塩化メチレン(CH2Cl 2),クロロホルム(CHCl 3),四塩化炭素(CCl 4)などのクロロメタン類を作るものであり,上記1で検討したように,原料である塩化メチルや塩素中に水も存在するのであるから,刊行物2が指摘する,腐食が生じる可能性のある有機塩化物製造工程に該当すると認められる。そして,@被告は,1981年3月ころに刊行された刊行物1において,引用発明1の方法で,クロロホルム,四塩化炭素,二塩化メチレン,塩化メチルを製造していることを公表していること(甲第5号証訳文1〜2頁),A続いて1987年9月に発表された刊行物2において,被告の生産技術部主任が,上記のとおり,「当社では,CH2Cl 2,C 2H4Cl 2,CHCl 3,CCl 4,C 2Cl 4,などの有機塩化物を製造しているが,これらの有機塩化物取扱い工程において,予期しない激しい腐食にしばしば遭遇してきた。・・・有機塩化物中では,その中に不純物として混在する水分と酸分とが,その腐食性に重要な役割を持っている。」と記載していること,及び,B二塩化メチレン,クロロホルム,四塩化炭素等のクロロメタン類の製造方法としては塩化メチルの塩素化による方法が代表的なものであること(甲第4号証,弁論の全趣旨)からすれば,刊行物1及び同2に接した当事者が,刊行物2でいう,有機塩化物混合物を製造する方法に,引用発明1の方法が含まれる,と理解するのはごく当然なことというべきであり,そのように審決が認定したことに誤りはないということができる。
原告は,同一製造会社が同一製品を製造するのに異なる製造方法実施することはあり得ないとは必ずしもいえない,同じ製造方法でも開発時期が相違すれば解決すべき課題が相違し,解決すべき手段も相違する,などと主張して,審決の認定を非難する。しかし,原告の主張するところは,仮にそうであるとしても,刊行物1,2に接した当業者が上記のように理解するとの上記判断の結論に影響を及ぼし得るものではない。刊行物1,2に示された製造方法について,当業者が上記のように理解することを妨げる特段の事情を認めるに足りる証拠もない。原告の上記主張を採用することはできない。
原告は,引用発明2が対象とするCH2Cl2,C2H4Cl2,CHCl3,CCl4,C2Cl4などの有機塩化物は,塩素原子を二つ以上含む化合物であり,一方,引用発明1において,CH3Cl分離カラム(塔V)で回収される塩化メチル(CH 3Cl)は塩素原子が一つの化合物であるから,引用発明2は,引用発明1とは処理対象が異なる,とも主張する。しかし,引用発明1は,CH2Cl 2,CHCl 3,CCl 4などのクロロメタン類を作る方法でもあるから,この点で引用発明2と処理対象が異なるということができないことは明らかである。
したがって,審決が「甲第4号証の1(判決注・刊行物2)が指摘している有機塩化物製造工程には甲第1号証(判決注・刊行物1)の製造方法が該当することは明らかであり」(審決書12頁第2段落)と認定判断したことに何ら誤りはない。
(2)(ア) 原告は,「その危険を避けるために塔頂部の還流ラインに脱水剤による乾燥設備を設けることは甲第4号証の1を知った当業者が容易になし得ることであ」(審決書12頁第3段落)るとの審決の判断は,引用発明1の工程(B)のように,水が存在しない反応系(無水の反応系)では,脱水剤による乾燥設備を設けることはあり得ないことからすれば,誤りである,と主張する。
しかし,前記1で判断したとおり,引用発明1における工程(B)(塔I)に供給される原料には水分が存在すると認められるのであるから,原告の主張は,その前提において既に誤っており,理由がないことが明らかである。
(イ) 原告は,刊行物1の図3でいえば,刊行物2の6図の精留塔に該当するのは,塔(W)及び(X)であり,CH3Clを分離する塔(V)はこれに該当しない,したがって,「直列的に並ぶ最も前の段階である塩化メチル回収塔である塔Vにその設備を設けることもごく当然に行なわれることである。」(審決書12頁第3段落)」との審決の判断は誤りである,と主張する。
しかしながら,乙第1号証(大木道則他編「化学大辞典」東京化学同人(1989年10月20日)1247頁)によれば,「精留」とは「沸点の異なる混合物を,その沸点差を利用して分離する操作」をいうものであり,引用発明1における回収された混合物を更に蒸留して塩化メチルを回収する塔(V)の工程は,刊行物2における「精留」に該当するということができる。
そうすると,引用発明1の塔(V)を,刊行物2の図6に示された乾燥方法により腐食を防止しようとする対象となるものから除外する理由はなく,原告の主張は失当である。
(3) 原告は,刊行物2では,水分と酸分(塩化水素)が腐食の原因として一緒に扱われているところからみると,同刊行物では,水分と酸分(塩化水素)が乾燥器で同時に吸収されると判断され,水分のみを乾燥器で吸収する本件発明とは異なるのであるから,「塩化水素,塩化アルキルの乾燥剤として塩化カルシウムが適していることは,・・・周知であるから,乾燥剤の選択に関して困難性はない。」(審決書12頁第4段落」との審決の判断は,誤りである,と主張する。
しかしながら,刊行物2には,分離水滴が存在しない場合には,酸分が増加しても激しい腐食は起こらないこと(甲第8号証の1の5-4頁),「図6に,ある有機塩化物の精留塔還流ラインのフローと,電極プローブの取付け位置を示した。この還流ラインには,運転中に水分が徐々に増加するようであり,一定期間運転後,開放点検してみると激しい孔食条の腐食が観察された。そこで,このラインに脱水層を設けると共に電極プローブを取付け,分離水滴の有無を監視してきた。」(同5-7頁),「溶媒中での分離水滴の有無が実質上の腐食性支配要因である。」(同5-8頁10行)ことが記載されている。これらからすれば,刊行物2においては,水分と酸分とを腐食の原因として同等に扱っているわけではなく,腐食の支配要因は分離水滴であること,及び,腐食を防止するために,水分を脱水層によって除去すべきであることを開示しているものと認められる。したがって,原告の,刊行物2では,水分と酸分(塩化水素)が乾燥器で同時に吸収されると判断される,との主張は採用することができない。
甲9文献の表1・4(甲第9号証13頁)及び甲10文献のTable3.5(甲第10号証46頁)の記載からすれば,塩化カルシウムが塩化アルキル及び塩化水素の乾燥剤として周知であったことが認められるから,塩化アルキル及び塩化水素を乾燥するために塩化カルシウムを用いれば,腐食の原因物質である水分と主として塩化水素からなる酸分とから,水分のみを選択的に除去することができることは,当業者にとって容易に予測することができるところであると認められる。審決の上記判断に誤りはない。
3 取消事由3(相違点(イ)についての判断の誤り-塩化カルシウム選択についての判断の誤り)について (1) 原告は,塩化カルシウムは塩化メチルと一緒に用いると装置を腐食させることが公知であり(甲第13,14号証),塩化カルシウムは多量の水を除去するための乾燥剤である(甲第16,17号証)から,本件発明における乾燥剤として塩化カルシウムを選択することが容易であるとはいえない,と主張する。
(ア) 刊行物である「POWER-November1935」には,「無水の塩化カルシウムは塩化メチル系の乾燥剤として広く用いられてきたが,成功したものもあれば失敗したものもある。正しく使用する限り,乾燥効率の観点からは問題はないが,冷凍系,特に膨張弁のところの腐食を誘発するので,その使用は勧められない。塩化メチル系の腐食の原因を追跡したところ,大抵の場合は湿気の存在下で塩化カルシウムを使用していたことが分かった。上記の事実にかかわらず,塩化カルシウムは,塩化メチル系の乾燥には何らの障害もなしに,しばしば使用されてきたし,また使用されている。しかし,その使用には特別な注意が払われなければならない。それは,一水塩の形成-充填した塩化カルシウムの16.2重量%に相当する量-より多くの水を吸収させないことである。 また,塩化カルシウム脱水剤は,系内に数日間より長く放置すべきではない。塩化カルシウムの使用によって,冷却系から酸を除去することは期待できない。何故なら,市販の一般用のものには,少量で不十分な量のアルカリしか含まれていないからである。」(甲第13号証579頁右欄。
下線付加。)と記載されている。また,「Manufacturing Chemist and Manufacturing Perfumer」April 1946, ]Zには,「硫酸(濃縮硫酸が効率的)および塩化カルシウムは多量に使用されているが,これらの化合物は常に腐食を起こし,時として制御が困難である。」(甲第14号証144頁,訳文)と記載されている。
上記各刊行物のこれらの記載によれば,本件優先日当時既に,塩化カルシウムには腐食の危険があるものの,塩化カルシウムの16.2重量%を超える大量の水を吸収させないように注意して使用すれば問題はないとされていたことが認められる。
(イ) 刊行物である「Laboratory Experiments in Organic Chemistry」seventh edition(1979)には,「大抵の場合,混入水の大部分を高性能乾燥剤(塩化カルシウム,硫酸マグネシウム)で除去し,その後に,より効率的な乾燥剤で乾燥するのが有利である。」(甲第16号証142頁),「Purification of Laboratory Chemicals」(1966)には,「多量の水を除去しなければならないときには,濃縮塩化カルシウム溶液とシェークすることによって液体を予備乾燥することが多い。」,「塩化カルシウム(無水物)・・・その主要な用途はアルキル及びアリールハライド・・・の予備乾燥である。」(甲第17号証17頁)と記載されており,本件優先日当時,塩化カルシウムが主として多量の水の除去に用いられるものとされていたことが認められる。
しかしながら,本件優先日当時,塩化カルシウムが多量の水の除去にしか用い得ないものとされていたことは,本件全証拠によっても認めることができない。むしろ,甲9文献の表1・3には,水蒸気で飽和した空気を毎時1〜3lの割合で乾燥剤(塩化カルシウム)の中を通過させ,回収されなかった水分をさらに五酸化リン(P2O5)で吸収させ,この五酸化リンが吸収した水分の量を測定することにより求めた値として,空気1l中の水分残存量が0.14〜0.25mgであることが記載されており(甲第9号証13頁),この値は約100〜200ppm(重量/重量)に相当する(弁論の全趣旨)から,本件優先日当時,塩化カルシウムは,約100ないし200ppm以上の水分の乾燥に十分使用可能な乾燥剤であるともされていたということができる。
原告は,この点に関し,本件発明では数十から数百ppmの水を問題としており,塩化カルシウムによっては,このような水を除去することができないことは当業者間の技術常識であった,と主張する。
本件明細書には「水の量も任意であるが,水の量は1重量%以下が有利であり,0.1重量%以下が好ましい。水の量が1重量%以上の場合には本発明はもはや経済的に重要でなくなる。実際,2,3重量%またはそれ以上の含水量の場合には蒸溜や抽出等の一般的な分離法を用い,その後に本発明の方法を使用する方がずっと容易である。」(甲第4号証5欄24行〜30行),「本実施例ではCHCl3分離カラム40の塔頂から出た混合物を乾燥器50で乾燥する。乾燥剤は塩化カルシウムが好ましい。・・・水の量は広範囲に変えることができるが,有利なのは1重量%以下,好ましくは0.5重量%以下,より好ましくは50〜500ppmの間である。」(同6欄45行〜7欄3行)との記載があり,また,「乾燥剤の品質は混合物中に残存してもよい水の量に依存する。水を0〜25重量%,好ましくは0〜12重量%含む塩化カルシウムを用いるのが有利である。数ppmの水しか含まない混合物を得るためには本質的に無水の乾燥剤を用いる必要で(判決注・「必要が」の誤記と認める。)ある。例えば,10ppm以上の水は含まない混合物を得るためには,水の量が5重量%以下の塩化カルシウムを使用する必要がある。」(同5欄48行〜6欄5行),「実施例1・・・流れ8はこのCH3Cl分離カラム40への還流分で,こ還流分(判決注・「この還流分」の誤記と認める。)はCH3Clと,HClと,Cl 2とを含み,水の含有量は20ppm以下である。」(同10欄24行〜42行)との記載もある。
しかし,本件発明の特許請求の範囲は,前記のとおり,「(i) 上記(d)工程のCH3Cl分離カラム(40)の塔頂から,少なくとも塩化メチルと,塩酸と,1重量%以下の水とを含む混合物を取り,(ii) その混合物を無水の塩化カルシウムからなる乾燥剤と接触させて乾燥することを特徴とする方法。」と規定しているのである。したがって,本件発明が,「1重量%以下の水とを含む混合物」を「塩化カルシウムからなる乾燥剤」と接触させて乾燥するものであることは明らかであり,本件発明が数十から数百ppmの水を問題としているとの原告の上記主張は,本件発明の特許請求の範囲に基づかない主張であり,失当という以外にない。
以上からすれば,本件発明は,1重量%以下(10000ppm以下に相当する。)の水を除去することを目的としているのであるから,100ないし200ppm以上の水分の乾燥に用いられる乾燥剤であれば,十分に本件発明の目的を達成することができるのであり,当業者が本件発明の乾燥剤として塩化カルシウムを使用することを容易に想到することができないとする原告の主張は,採用することができない。
(2) 原告は,塩化カルシウムが,塩素に適した乾燥剤であることは知られておらず,また,塩素から分離して水のみが吸収されるという効果は,予想できない,と主張する。
しかしながら,甲9文献には,「塩化カルシウムは気体,液体,固体などの乾燥にもっとも広くもちいられているものの一つである。」(甲第9号証2頁第3段落)との記載があり,甲10文献にも,「塩化カルシウム:気体,液体,固体の乾燥に最も広く用いられ,乾燥用として無水物が市販されている。」(甲第10号証43頁1行)との記載があることからも分かるように,塩化カルシウムが気体の乾燥に広く用いられるものであることは周知の技術である。したがって,塩化カルシウムを塩素の乾燥剤として用い,水のみを除去することは,塩化カルシウムを塩素の乾燥剤として使用することが困難であることを示す特段の事情がない限り,当業者にとっては容易なことであるということができる。本件全証拠によっても上記特段の事情に当たるものを認めることはできない。原告の上記主張は採用し得ない。
結論
以上に検討したところによれば,原告の主張する取消事由にはいずれも理由がなく,その他,審決には,これを取り消すべき誤りは見当たらない。そこで,原告の本訴請求を棄却することとし,訴訟費用の負担について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 山下和明
裁判官 設樂隆一
裁判官 阿部正幸