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関連審決 異議2000-71296
関連ワード 発明者 /  技術的思想 /  創作性(創作) /  加工方法 /  新規性 /  頒布された刊行物 /  容易に発明 /  周知技術 /  技術常識 /  発明の詳細な説明 /  数値限定 /  技術的意義 /  実施 /  加工 /  設定登録 /  混同 /  請求の範囲 /  補助参加 /  取消決定 / 
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事件 平成 13年 (行ケ) 338号 特許取消決定取消請求事件
原告 三菱重工業株式会社
訴訟代理人弁護士 熊倉禎男
同 辻居幸一
同 宮垣聡
同復代理人弁護士 相良 由里子
訴訟代理人弁理士 弟子丸 健
同 倉澤 伊知郎
被告 特許庁長官太田信一郎
指定代理人 小林武
同 宮崎侑久
同 大野克人
同 大橋良三
同 涌井幸一
被告補助参加人 株式会社不二越
訴訟代理人弁理士 河内潤二
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2003/06/05
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告 特許庁が異議2000-71296号事件について平成13年6月14日にした決定のうち,特許第2961106号の請求項1,2,4,5,6及び8に関する部分を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告 主文と同旨。
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は,発明の名称を「ギヤシェーパ加工方法及びギヤシェーパ」とする特許第2961106号の特許(平成10年6月26日に特許出願(以下「本件出願」という。),平成11年7月30日に特許権設定登録,以下「本件特許」という。)の特許権者である。
本件特許の請求項1ないし8について,特許異議の申立てがなされた。特許庁は,これを異議2000-71296号事件として審理し,その結果,平成13年6月14日に,「特許第2961106号の請求項1,2,4,5,6,8に係る特許を取り消す。同請求項3,7に係る特許を維持する。」との決定をし,同年7月2日にその謄本を原告に送達した。
2 特許請求の範囲 「【請求項1】高速度工具鋼製の歯車形削り用工具を用いて歯形を創成するギヤシェーパ加工方法において, 前記歯車形削り用工具として, 実質的に,(Ti (1-X) Alx)(NyC (1-y) ) ただし,0.2 ≦x≦0.9 0.2 ≦y≦1.0 の組成の膜を少なくとも一層を,少なくとも逃げ面にコーティングしたものを用い, 切削油剤を用いずに,切削速度300m/min以下で加工することを特徴とするギヤシェーパ加工方法。」(以下「本件発明1」という。) 「【請求項2】高速度工具鋼製の歯車形削り用工具を用いて歯形を創成するギヤシェーパ加工方法において, 前記歯車形削り用工具として, 実質的に, (Ti (1-X) Alx) (1-W) (NyC (1-y) ) w ただし,0.2 ≦x≦0.9 0.2 ≦y≦1.0 0.45 ≦w≦0.55 の組成の膜を少なくとも一層を,少なくとも逃げ面にコーティングしたものを用い, 切削油剤を用いずに,切削速度300m/min以下で加工することを特徴とするギヤシェーパ加工方法。」(以下「本件発明2」という。) 「【請求項3】高速度工具鋼製の歯車形削り用工具を用いて歯形を創成するギヤシェーパ加工方法において, 前記歯車形削り用工具として, 窒化物形成元素をMとし,実質的に, (TizAlxM(1-Z-X) ) (1-W) (NyC (1-y) )w ただし,0.2 ≦x≦0.9 0.2 ≦y≦1.0 0.1 ≦z≦0.8 0.7 ≦(Z+X) <1.0 0.45 ≦w≦0.55 の組成の膜を少なくとも一層を,少なくとも逃げ面にコーティングしたものを用い, 切削油剤を用いずに,切削速度300m/min以下で加工することを特徴とするギヤシェーパ加工方法。」 「【請求項4】 切削部にエアを吹き付けることを特徴とする請求項1乃至請求項3のいずれか一項に記載のギヤシェーパ加工方法。」(以下「本件発明4」という。) 「【請求項5】 実質的に, (Ti (1-X) Alx)(NyC (1-y) ) ただし,0.2 ≦x≦0.9 0.2 ≦y≦1.0 の組成の膜を少なくとも一層を,少なくとも逃げ面にコーティングした高速度工具鋼製の歯車形削り用工具をカッタヘッドに取り付け,切削油剤を用いずに,切削速度300m/min以下で加工するようにしたことを特徴とするギヤシェーパ。」(以下「本件発明5」という。) 「【請求項6】 実質的に, (Ti (1-X) Alx) (1-W) (NyC (1-y) ) w ただし,0.2 ≦x≦0.9 0.2 ≦y≦1.0 0.45 ≦w≦0.55 の組成の膜を少なくとも一層を,少なくとも逃げ面にコーティングした高速度工具鋼製の歯車形削り用工具をカッタヘッドに取り付け, 切削油剤を用いずに,切削速度300m/min以下で加工するようにしたことを特徴とするギヤシェーパ。」(以下「本件発明6」という。) 「【請求項7】窒化物形成元素をMとし,実質的に, (TizAlxM(1-Z-X) ) (1-W) (NyC (1-y) )w ただし,0.2 ≦x≦0.9 0.2 ≦y≦1.0 0.1 ≦z≦0.8 0.7 ≦(Z+X) <1.0 0.45 ≦w≦0.55 の組成の膜を少なくとも一層を,少なくとも逃げ面にコーティングした高速度工具鋼製の歯車形削り用工具をカッタヘッドに取り付け, 切削油剤を用いずに,切削速度300m/min以下で加工するようにしたことを特徴とするギヤシェーパ。」 「【請求項8】 切削部にエアを吹き付けるエアノズルを設けたことを特徴とする請求項5乃至請求項7のいずれか一項に記載のギヤシェーパ。」(以下「本件発明8」という。) 3 決定の理由(本件発明1,2,4,5,6及び8(以下,これらをまとめて「本件発明」ということがある。)に関する部分) 別紙決定書の写し記載のとおりである。要するに,本件出願前にGleason-Pfauter社(以下「ファウター社」という。)により作成・頒布された刊行物「American Pfauter IMTS 1994 Tech Report」(異議甲第1号証の2の2枚目。本訴甲第3号証の2枚目。以下「甲3文献」という。)には,「高速度工具鋼製の歯車形削り用工具を用いて歯形を創成するギヤシェーパ加工方法において,前記歯車形削り用工具として,実質的に,TiAlNの組成の膜を少なくとも一層をコーティングしたものを用い,切削油剤を用いずに加工するギヤシェーパ加工方法」(以下「引用発明1」という。)及び「実質的にTiAlNの組成の膜を少なくとも一層をコーティングした高速度工具鋼製の歯車形削り用工具をカッタヘッドに取り付け,切削油剤を用いずに加工するようにしたギヤシェーパ」(以下「引用発明2」という。引用発明1と同2とを併せて「引用発明」ということがある。)が記載されていると認定した上,@本件発明1,2は引用発明1と同一である,A本件発明4は,引用発明1及び日本機械学会[No.95-68]見学・講習会教材(異議甲第6号証。本訴甲第4号証。以下「甲第4号証刊行物」という。)に記載された発明(以下「甲第4号証発明」という。)に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである,B本件発明5,6は,引用発明2と同一である,C本件発明8は,引用発明2及び甲第4号証発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである,とするものである。
原告主張の決定取消事由の要点
決定の理由中,「第1 手続の経緯」,「第2 訂正の内容」,「第3 訂正拒絶理由の概要」,「第4 訂正の適否」,「第5 本件発明」,「第6 特許異議の申立ての理由の概要」,「第7 取消理由通知の概要」(決定書2頁1行〜6頁18行)は認める。
「第8 対比・判断」(6頁19行〜14頁13行)のうち,「1 本件発明1,2,5及び6について」の「(1)甲第1号証の2及び甲第6号証に記載された発明」中,6頁22行ないし26行,6頁35行ないし7頁29行は認め,6頁27行ないし34行,7頁30行ないし9頁13行は争う。9頁14行ないし21行は,これが超硬製合金以上に硬度の高い窒化ケイ素基セラミックス製の工具による切削に関する記載であることを限度として,認める。
「(2)本件発明1」のうち,本件発明1と引用発明1との対比,判断について,「引用発明1ではTiAlNであり,Ti,Al及びNの組成の割合について不明であること(決定書9頁29行〜30行),逃げ面へのコーティングについて一致すること(10頁11行〜17行)は認め,その余は争う。「(3)本件発明2」のうち,本件発明2と引用発明との対比,判断について,w=0.50のとき本件発明2が本件発明1と同一となるとの認定(10頁28行〜32行)は認め,その余は争う。「(4)本件発明4」のうち,異議甲第6号証(本訴甲第4号証刊行物)に切削部にエアを吹き付けることが記載されていること(10頁下から4行〜3行)は認め,その余は争う。「(5)本件発明5」のうち,本件発明5と引用発明2とが逃げ面へのコーティングについて一致すること(11頁3行〜4行)は認め,その余は争う。「(6)本件発明6」のうち,w=0.50のとき本件発明6が本件発明5と同一となること(11頁14行〜15行)は認め,その余は争う。「(7)本件発明8」のうち,異議甲第6号証(本訴甲第4号証刊行物)に切削部にエアを吹き付けることが記載されていること(11頁18行〜19行)は認め,その余は争う。
決定は,甲3文献に切削油剤を用いないで切削する技術(以下「ドライカット」ということがある。切削油剤を用いて切削する技術を,「ウエットカット」ということがある。)の発明が開示されていないのに,誤って開示されていると認定し,本件発明と引用発明とが膜の組成において一致する,と誤って認定し,本件発明と引用発明とが切削速度において一致する,と誤って認定し,本件発明の顕著な作用効果を看過した。これらの誤りがそれぞれ請求項1,2,4,5,6及び8のすべてにつき決定の結論に影響を及ぼすことは明らかである。決定は,上記各請求項に関する部分のすべてにつき取り消されるべきである。
1 甲3文献に切削油剤を用いないで切削する技術(ドライカット)の発明が開示されている,とした認定の誤り 決定は,甲3文献中の「Cutting」(切削)の欄の「(Dry,i.e.no coolant!)」(ドライ 即ち 切削液無し!)の記載から,同文献には,高速度工具鋼による切削油剤を用いないギヤシェーパ加工方法が開示されている,と認定し,さらに,これを前提に,切削油剤を用いずに加工するようにしたギヤシェーパも開示されている,と認定した(決定書6頁27行〜34行)。
しかし,甲3文献には,ドライカットの発明は開示されていない。決定の上記認定は誤りである。
(1) 甲3文献は,1994年10月26日から11月3日まで大阪市で開催された第17回日本国際工作機見本市において出品され実演がなされた装置であるPSA-300についての,同見本市で頒布されたパンフレットである。同文献は,上記見本市でのPSA-300の実演時において,装置の作動条件を見本市の見学者に説明するために作成されたものである。
(2) 甲3文献作成当時においても,本件出願当時においても,高速度工具鋼製の工具を用いたギヤシェーパ加工方法においては,摩擦を減少させることによって発熱を減少させ,あるいは,発生した熱を除去することにより,耐摩耗性を高め,工具寿命を伸ばすため,切削油剤を用いることが必須とされていた。ところが,甲3文献には,「(Dry,i.e.no coolant!)」(ドライ 即ち 切削液無し!)との記載はあるものの,切削油剤を用いないことに関して,技術的課題,作用効果はもとより,その画期的意義についても一切記載されていない。
(3) PSA-300は,一度のセットアップ(段取り)で被工作物の内歯と外歯を加工できるということを売り物にしている装置であるから,見本市に来た見学者に歯車(被加工物)の切削動作を実際に見てもらうことが重要である。しかし,切削の際に切削油剤を用いると,これが周囲に飛散して会場の床面や装置の周囲に多数いる見学者の衣類を汚損する。切削油剤の飛散防止のため装置の周囲にカバーをかけると,装置の動作状況が見学者に見えなくなる。このため,見本市では,切削油剤の飛散を防ぎつつ装置の動作状況を見学者に見せるため,通常,切削油剤を用いない,という簡便な方法が採られる。PSA-300を出品したファウター社は,見本市での加工実演という目的に沿って,この簡便な方法を採用したと考えることができる。
(4) 甲3文献の右下には,「Cutting」(切削)の欄に,「(Dry,i.e.no coolant!)」(ドライ 即ち 切削液無し!)として,わざわざ括弧書きで,末尾に「!」を付して,他の加工条件とは区別した記載方法が採られている。
これは,切削見本を製作する切削の実演において切削油剤を用いないと切削見本の表面が粗くなることがあるので,見学者に通常の加工条件と異なることを認識してもらうよう注意を促すため,念のため注記したものである,と考えることができる。
(5) 発明とは,技術的課題,その課題を解決するための構成,作用効果からなるものであるから,公知文献にある「発明」が開示されているというためには,その文献に技術的課題,当該課題を解決するための構成及び作用効果が開示ないし示唆されていなければならない。「たまたま」当該方法を,実施したことが記載されていたとしても,当該方法に技術的意義があることが少なくとも示唆されていなければ,当業者は,その文献に技術的思想としての「発明」が開示されているということが理解できないからである。
(6) 以上(1)ないし(5)に述べた状況の下では,当業者は,甲3文献に接しても,切削油剤を用いないギアシェーパ加工方法やそれに用いられるギヤシェーパが,「たまたま」示される形になっていると理解するだけであり,そこに,技術思想としての,切削油剤を用いないギヤシェーパ加工方法やそれに用いられるギヤシェーパを見いだすことはあり得ないというべきである。
(7) 事実として,甲3文献には,切削油剤を用いないギアシェーパ加工方法やそれに用いられるギヤシェーパが「たまたま」示されていたにすぎず,それらが技術思想として示されていたわけではないこと,換言すれば,本件発明が技術的課題,作用効果としているもの,すなわち,切削油剤を用いないことの画期的な技術的意義は,甲3文献の作成者自身にも,これに接した当業者にも,全く理解されていなかった,ということは,以下の点からもうかがうことができる。
ア 甲3文献には,ドライカットにWaferUという工具が使用されることが記載されている。このWaferUは使い捨て用の工具である(甲第17号証)。実演において摩耗しても差し支えないように使い捨て工具が採用されたものと考えられる。
イ 甲第3号証の1枚目(証明書)においても,画期的技術であるはずのドライカットについて,何ら言及されていない。
ウ 甲3文献作成当時,あるいはそれ以後のPSA-300のカタログや製品説明書にも,ドライカットについて記載したものはないと考えられる。このような記載があるのであれば,当然,本件において証拠として提出されているはずだからである。
エ PSA-300の製造業者であるファウター社は,1999年3月に,「ドライホブ切りに対して,ハイスホブ(原告注:高速度工具鋼製のホブ加工)の適用の可能性はあるが,生産性を考えるとドライ切削はほとんどの場合超硬が適用される。超硬は耐熱性が優れていることから,高速切削が可能であることによる。」と発表している(甲第18号証の第8項)。このように,ファウター社すら,甲3文献に記載されたドライカットの画期的意義を理解しておらず,工業的に実施することもしていない。
オ ドライカット委員会の委員長である有浦氏の意見書(甲第20号証)において,甲3文献について触れられていない。
(8) 本件は,ある刊行物に,発明の構成自体は開示されているが,その作用効果についての記載はない,という一般の新規性の判断事例とは,場合の異なる事例である。甲3文献のドライカットの記載は「偶然の産物」でしかなく,同文献が頒布された当時及び本件出願当時の技術常識からすれば,当事者は,同文献に接したとしても,これから本件発明の教示ないし示唆を得ることは不可能である,という事例である。
甲3文献に本件発明が開示されているとすることはできないというべきである。
2 本件発明と引用発明とが膜の組成において一致する,とした認定の誤り (1) 決定は,甲3文献に記載されたTiAlNの組成の膜におけるTiとAlとの割合は,Ti(1-x)AlxN(ただし,0.2≦x≦0.9)に含まれる,とした(決定書9頁下から2行〜10頁3行)。しかし,この認定は,誤りである。
(2) 決定は,上記認定の根拠として,「本件特許明細書等に0.2≦x≦0.9なるxの範囲のTiとAlとの割合の組み合わせが,普通に採用される割合の組み合わせを含まない特別の割合の組み合わせのものであるとの記載もない」(決定書9頁下から5行〜下から2行)ことを挙げる。被告は,Ti(1-x)AlxN膜においてx=0.5が代表的なものであることが技術常識であるとして,「神戸製鋼技報」(Vol.43,No.3/Oct. 1993, 通巻第175号,p23-26。乙第1号証。以下「乙1文献」という。)を提出する。
しかし,乙1文献は,超硬合金製の工具に係るものであり,高速度工具鋼製の工具に係るものではない。高速度工具鋼製の工具においては,x=0.5のTiAlN膜を使用することは,技術常識でも周知技術でもない。そもそも,ドライカットのためにTiAlN膜を使用すること自体,技術常識でも周知の技術でもないのである。
(3) 本件発明は,Ti(1-x)AlxNにおけるxを0.2≦x≦0.9という特別の範囲に限定することにより,発明の目的を達成し,その作用効果を奏することができるものである。本件出願の願書に添付した明細書(以下,同願書に添付した図面と併せて「本件明細書」という。甲第2号証は,これに係る特許公報である。)には,「よって,ピニオンカッタ4として,図3に示すコーティングのものを用いれば,切削油剤を使わないで,かつ従来の6倍の切削速度で加工できることがわかる。この場合のコーティング膜のxの値は,0.2≦x≦0.9である。」(甲第2号証4頁段落【0026】)と記載されている。
このように本件発明における,「0.2≦x≦0.9なるx値の範囲のTiとAlとの組合せ」は,切削油剤を用いないでも加工することができる特別の割合の組合せである。本件発明は,TiとAlとの組成の割合を数値的に限定し,選択した発明である。
3 本件発明と引用発明とが切削速度において一致する,とした認定の誤り (1) 決定は,甲3文献に記載されたギヤシェーパ加工方法における切削速度は300m/min以下であるから,本件発明は切削速度において甲3文献に記載されたものと一致する,とした(決定書10頁8行〜10行)。しかし,この認定は,誤りである。
(2) 甲3文献自体には,切削速度は記載されていない。しかし,実演の際には,従来の切削油剤を用いたウエットカットにおけるのと同じ程度の,ごく一般的な50〜100m/min程度の切削速度が採用されたものと想定される。
しかし,本件発明は,甲3文献が頒布された当時の技術常識に反して,切削油剤を用いないことによって,かえって耐摩耗性を向上させたものである。その結果として,本件発明の発明者は,切削速度の上限値が従来のウエットカットの切削速度よりも著しく高速である300m/minという値を見いだし,このような切削速度でのドライカット加工を実用化したものである。本件発明は,切削速度の上限値(300m/min)を規定することにより,その切削速度の上限値でも摩耗量を実用レベルの摩耗量内に収めることができる,という点に技術的意義が存在するのである(本件明細書段落【0025】参照)。
本件発明により初めて明らかとなった,このような切削速度の上限値及びその技術的意義は,甲3文献には何ら開示も示唆もなされていない。
(3) 切削速度として上限値又は上限値に近い値を使用した場合には,従来のウエットカットと比べて,効率を著しく高くすることが可能となり,一方,切削速度として100m/min又はそれ以下の値を使用した場合には,工具寿命が大幅に延びるのである。
4 本件発明の顕著な作用効果の看過 (1) 本件発明は,高価な超硬合金製の工具を使用しない場合には切削油剤を用いる,という本件出願当時の技術常識に反する,高価な超硬合金製の工具を使用することもなく,切削油剤を用いることもない,ギヤシェーパ加工方法の構成を採用し,しかも,切削油剤を用いた場合よりも格段に優れた歯車形削り用工具の耐摩耗性を実現したという,当業者の予測を超えた顕著な作用効果を奏するものである。
(2) 切削油剤を用いる従来の方法を使用すると,切削速度が50m/minでも実用的には限界とされる摩耗量である0.2mmに達してしまう。これに対し,本件発明の構成を採用し,切削油剤を用いないことによって,切削速度を300m/minまで上げても,摩耗量は0.2mm以内に収まる。このように,従来の方法に比べ,実に6倍の切削速度で加工することが可能となり,加工能率が著しく高まる(本件明細書段落【0026】参照)。
「切削加工技術便覧」(日刊工業新聞社刊 昭和43年2月10日増補改訂版。甲第13号証)487頁の図5・6には,切削油剤を用いることにより,耐摩耗性が著しく向上することを示すデータが記載されている。このような本件出願当時の当業者の技術常識からすれば,切削油剤を用いないことによりかえって耐摩耗性が向上することはもとより,切削油剤の使用を避けつつ耐摩耗性を維持することすらも,到底予想し得なかったことというべきである。
(3) 以上のとおり,本件発明は,従来の当業者の技術常識に反する構成を採用することによって,耐摩耗性を単に維持するにとどまらず,これを著しく向上させることにより,当業者の予測を超えた顕著な作用効果を達成したものである。
決定は,このような顕著な作用効果を看過している。
被告の反論の要点
決定の認定判断に誤りはなく,原告主張の取消事由は,いずれも理由がない。
1 甲3文献に切削油剤を用いないで切削する技術(ドライカット)の発明が開示されている,とした認定の誤り,の主張について (1) 甲3文献は,テクニカルレポートであり,その内容は,切削条件,使用工具等についての具体的な値を示しており,ギヤシェーパ加工方法やそれに用いられるギヤシェーパについて,純粋な技術的内容を持つものである。そこに記載された「(Dry,i.e.no coolant!)」との記載事項が,切削油剤を用いずに切削するという技術的内容を意味するものであることは明らかである。甲3文献には,ギヤシェーパ加工方法やそれに用いられるギヤシェーパについて,そこに記載されたとおりの,切削油剤を用いない加工方法やそれに用いられるギヤシェーパを具体的に特定した発明が記載されているという以外にないのである。
(2) 原告は,甲3文献に,切削油剤を用いない高速度工具鋼製のギヤシェーパ加工との記載はあるものの,これは,実演のために特別に切削油剤を用いなかったことを意味するにすぎない,と主張する。しかし,甲3文献には,切削油剤を用いない理由について何も記載されておらず,その理由が実演のためであるかどうかは不明である。
(3) 原告は,本件出願当時の技術常識からみて,当業者は,甲3文献の記載からドライカットが技術常識に反する画期的な技術であることを理解することができない,と主張する。しかし,当業者であれば,甲3文献に記載された事項に基づいて,ドライカットを実施することができるのであるから,仮に,原告が主張するように,甲3文献の頒布時にPSA-300のギヤシェーパにおいてドライカットが工業的に行われておらず,ドライカットをPAS300の利点として見学者に訴えていなかったとしても,そのことにより,甲3文献に前記ドライカットの発明が記載されていると認定することができないことになるわけではない。
(4) 以上のとおりであるから,甲3文献にドライカットの発明が記載されているとした決定の認定に誤りはない。
2 本件発明と引用発明とが膜の組成において一致する,とした認定の誤り,の主張について (1) 甲3文献の頒布当時,TiAlN膜として,Ti0.5 Al 0.5 N膜の組成が代表的な組成のものであることは,当業者の技術常識であった(乙第1号証第25頁参照)。工具のTiAlN膜として,Ti0.5 Al 0.5 N膜が代表的な組成であることを考慮すれば,0.2≦x≦0.9という形でのx値の限定の意味するところは,x<0.2,0.9<xとなる特別の組成を除くことを,すなわち,普通の組成の割合であることを示すことにあると認めるべきである。甲3文献に記載されたTiAlN膜が,(Ti(1-X) Alx)Nとするときの0.2≦x≦0.9に含まれる組成の膜であることは明らかというべきである。
(2) 本件明細書の記載からみて,逃げ面摩耗量は,x値が0.2より小さくなる又は0.9より大きくなると急増するといった,x=0.2及び0.9を境として急に変化するような特性であるとは認められない。
また,0.2≦x≦0.9というxの数値は,切削速度300m/mimで材質SCM435のワークを100個切削したときの逃げ面摩耗量の限界を0.2mmと設定して,0.2mm以下となるような範囲に定められたものと認められる(本件明細書段落【0025】,【0026】及び図3参照)。逃げ面摩耗量の限界をどのような数値に設定するかは,必要に応じて適宜設定する設計的事項であり,x値の範囲もその設定した数値に応じて適宜定められものであるから,0.2≦x≦0.9というxの数値範囲に臨界的意義はない。
3 本件発明と引用発明とが切削速度において一致する,とした認定の誤り,の主張について ギヤシェーパの切削が,通常,300m/minに満たない切削速度で行われていることは,原告も認めるとおり周知の事項である。現に,甲3文献に記載された切削条件により計算すると,ギヤシェーパの切削速度は,外歯車は100.5m/min,内歯車は92.3m/minである,300m/minに満たないものとなる。
本件発明の特許請求の範囲には,「切削速度300m/min以下で加工する」という形で,切削速度の上限が記載されているのみであって,低速で加工することを除外することは記載されていない。本件明細書の発明の詳細な説明においても,「切削速度が下がると逃げ面摩耗量は減少するが,切削速度が30m/min 未満であると,切削速度が下がっても逃げ面摩耗はほとんど変化しない。よって,加工能率を考えると,切削速度は30m/min以上であることが好ましい。」(本件明細書段落【0026】参照)と記載され,切削速度の高いものばかりでなく,低いものについても効果があるとされている。本件発明は切削速度の低いものを除外するものである,と解釈すべき理由はない。
本件明細書の記載から,逃げ面摩耗量と切削速度との関係につき,逃げ面摩耗量は,切削速度が高くなるにつれて増加する,ということは理解できるものの,切削速度が300m/minより高くなると,急増するというように,300m/minの切削速度を境として急に変化するものである,とは理解することができない。切削速度を300m/min以下としたのは,材質SCM435のワークを100個切削したときの逃げ面摩耗量の限界を0.2mmと設定して,それ以下となるような切削速度を範囲の上限として定めた,ということ以上の意味はないものと認められる。しかし,前記逃げ面摩耗量の限界をどのような数値に設定するかは,必要に応じて適宜設定する設計的事項であり,切削速度の上限もその設定した数値に応じて適宜定められるものである。
切削速度の上限が300m/minである点に,格別な技術的意義は認められない。
4 本件発明の顕著な作用効果の看過,の主張について 引用発明は,その構成において本件発明と一致する以上,当然のこととして,本件発明の作用効果を奏する。
TiAlN膜を被覆した工具が,ドライカットによって生じる高温の作用で生成するAl酸化膜の働きで耐摩耗性に優れたものとなることは,当業者の技術常識である。ドライカットによりコストの低減や作業環境を改善することができることも,当業者の技術常識である。本件発明の作用効果は,格別のものではない。
当裁判所の判断
1 甲3文献に切削油剤を用いないで切削する技術(ドライカット)の発明が開示されている,とした認定の誤り,の主張について 原告は,甲3文献にドライカットの発明が開示されている,とした決定の認定は誤りである,と主張する。
甲3文献は,1994年10月26日から11月3日まで大阪市で開催された第17回日本国際工作機見本市において出品され実演がなされた装置であるPSA-300についての,同見本市で頒布されたパンフレットであり,同見本市でのPSA-300の実演時において,装置の作動条件を見本市の見学者に説明するために作成されたものである(当事者間に争いがない。)。そして,この甲3文献には,そこに記載された装置であるPSA-300による歯車形削りの「Cutting Data」(訳文・切削データ)として,「Cutting」(訳文・切削)の欄に「(Dry,i.e.no coolant!)」(訳文・(ドライ 即ち 切削液無し!))との記載がある(当事者間に争いがない。)。
甲3文献がこのようなものである以上,これに接した当業者が,そこにドライカットによるギヤシェーパ加工方法及びそれに用いられるギヤシェーパの発明の構成が記載されていると認識することは,明らかという以外にないことである。
原告は,@甲3文献作成当時においても本件出願当時においても,高速度工具鋼製の工具を用いたギヤシェーパ加工方法においては,切削油剤を用いることが必須とされており,これを用いないことは技術常識に反することであったこと,A当時の技術常識がこのようなものであったにもかかわらず,甲3文献には,切削油剤を用いないことに関して,技術的課題,作用効果はもとより,その画期的意義についても一切記載されていないこと,B同文献の上記「(Dry,i.e.no coolant!)」(訳文・(ドライ 即ち 切削液無し!))の記載は,見本市での実演という特別の目的のためだけに採用された切削態様を示すものにすぎないと理解することができることなどを挙げ,このような状況の下では,当業者は,甲3文献に接しても,切削油剤を用いないギヤシェーパ加工方法が「たまたま」示される形になっていると理解するだけであり,そこに,技術思想としての,切削油剤を用いないギヤシェーパ加工方法を見いだすことはあり得ない,と主張する。
原告の上記主張は,高速度工具鋼製の工具を用いたギヤシェーパ加工方法においては切削油剤を用いることが必須とされていたという事実をすべての出発点とするものである。
もし,原告の主張するところが,切削油剤を用いることなく高速度工具鋼製の工具によってギヤシェーパ加工をすることは技術的に不可能である,というのが当時の技術常識であった,という趣旨であるならば,そのような技術常識が存在したことは,本件全証拠によっても認めることはできない。むしろ,逆に,切削油剤を用いなくとも,高速度工具鋼製の工具によってギヤシェーパ加工をすることは技術的に可能である,という技術常識が存在したことは,弁論の全趣旨で明らかである(このような技術常識が存在したからこそ,甲3文献においても,ドライカットによることが示されているだけで,これにつきそれ以上の説明はなされていないのであろう,と考えることができる。)。
原告の主張するところは,正確には,切削油剤を用いることなく高速度工具鋼製の工具によってギヤシェーパ加工をすることには,工具寿命の点で欠点がある,というのが当時の技術常識であった,ということであろう。しかしながら,このような技術常識が存在したとしても,そして,甲3文献に接した当業者がそこに記載された方法にもそのような欠点があると考えたとしても,そのことは,同文献に,切削油剤を用いない高速度工具鋼製工具によるギヤシェーパ加工方法及びそれに用いられるギヤシェーパが,技術思想として開示されていることを何ら妨げるものではない。欠点があるとの理解を伴うものであるからといって,そこに技術思想が示されていないことになるわけではないのは,論ずるまでもないことであるからである。
原告は,甲3文献には,本件発明において技術的課題及び作用効果とされているものは全く示されていない,と主張する。
しかしながら,異なる技術的課題から同一の構成の発明に至ることがあること,同一の構成がもたらす作用効果は,複数あり得るものであり,それらは客観的には常に定まっているとはいうものの,それらのうちどれを認識し,どれに着目するかは,人により時により変わり得るものであることは,いうまでもないところである。そうである以上,たとい,甲3文献に記載されたドライカットを採用した理由が,見本市における切削実演に当たり油剤の飛散を防ぎつつ,装置の動作状況を見学者に見せることにあり,ドライカットを用いたことによる作用効果が,油剤の飛散防止及び装置の動作状況を見学者によく見せることができるというものであって,同文献に,本件発明において技術的課題及び作用効果とされているものが全く示されていないとしても,そのことは,何ら,同文献に本件発明と同一の構成が記載されていると認識することを妨げるものではない。その構成を採用した動機やいきさつがどのようなものであろうと,その構成による作用効果を作成者がどのように認識していようと,その構成に接した者が技術課題や作用効果をどう理解しようと,公知文献に当該発明と同一の構成が記載されている以上,公知文献には当該発明と同一の「発明の構成」が開示されていると認める以外にないのである。
原告の主張は,結局のところ,甲3文献に既に開示されている構成の発明(引用発明)について,それまで知られていなかった作用効果を発見したことと,同発明の構成自体を創出したこととを混同し,前者をもって後者に換えようとするものであって,誤りであることが明らかである。このような発見は,それが発見にとどまり,新しい構成を生み出さないままにある限り,情報自体としてはどのように価値のあるものであっても,創作を保護の対象とする特許法によって保護されることはないからである。
原告の主張は採用することができない。
2 本件発明と引用発明とが膜の組成において一致する,とした認定の誤り,の主張について (1) 甲3文献には,引用発明で用いられるTiAlN膜に関して,Ti(1-x)Al XNで表わした場合のx値に当たるべきものについては,何ら記載されていない(当事者間に争いがない。)。しかしながら,このことは,逆に,引用発明で用いられるTiAlN膜が特別な組成割合のものでないことを示すものであると理解することができる。甲3文献に記載された引用発明のTiAlN膜は,同文献が頒布された当時,このような切削工具の分野で普通に使用される組成割合のTiAlN膜であると考えるのが自然である。
「神戸製鋼技報」(Vol.43,No.3/Oct. 1993, 通巻第175号)中の,「立方晶(Ti,Al)N系コーティング膜の高温酸化特性と工具への応用」と題する論文(23頁〜26頁。乙第1号証。以下「乙1文献」という。)には,「TiNは工具への耐摩耗コーティングとして現在もっとも広くもちいられている物質である。しかし,近年ますます高能率加工や難削材の切削加工の要求が高まり,コーティングによるより長寿命,高耐摩耗性工具の開発が望まれるようになってきた。このようなコーティング膜に要求される特性として上述の高硬度性のほかに,熱伝導性・高温安定性に優れていることなどが重要な要因である。
これらの観点から,最近PVD(Physical Vapor Deposition)法により,TiNをベースとした固溶体膜である・・・TiN-AlN(5),(6)系の研究がなされつつある。なかでも熱伝導性に優れたAlNを端組成とする(Ti,Al)Nコーティングは従来のTiNに置き替わる耐摩耗性硬質膜として注目されている。・・・本稿では,PVD法による(Ti1-x Al X)N系の膜形成をおこない,そのAlN組成比(x)に対する結晶構造および硬さの変化などについて調べた。さらに,これらの膜の高温安定性を議論するために(Ti1-x Al x)N膜の酸化挙動を調べ,コーティング膜としての特性を検討した。」(23頁左欄5行〜27行),「代表的な組成である(Ti0.5 Al 0.5 )N膜」(25頁右欄6行)との記載がある。上記論文は,甲3文献が頒布された1994年より前の1993年(平成5年)に発表されたものであり,工具に付する(Ti(1-x) Al x)N膜の特性について記載された一般的な論文であることにかんがみると,(Ti(1-X) Al X)N膜の代表的な組成はx値が0.5のものであることは,甲3文献の頒布当時,技術常識であったということができる。
上記の技術常識に照らすと,甲3文献に接した当業者は,そこに記載された引用発明のTiAlN膜は,その代表的な組成割合のもの,すなわちTi(1-x)Al xNで表した場合のx値が0.5のもの,あるいはそれからあまり外れない組成割合のものであると理解するとみるのが相当である。
原告は,乙1文献は,超硬合金製の工具に係るものであり,高速度工具鋼製の工具に係るものではないから,高速度工具鋼製の工具においてドライカットのためにTiAlN膜を使用すること,ましてやx=0.5のTiAlN膜を使用することは,技術常識とはいえない,と主張する。
乙1文献に記載された(Ti(1-x) Al X)N膜は,同文献に「1.3 摩耗試験 超硬合金製工具に種々のコーティングをおこない,切削試験から摩耗幅測定および摩耗状況を観察した」(24頁左欄10行〜12行)と記載されていることから分かるように,超硬合金製工具に付した(Ti(1-x) Al X)N膜の実験に基づいて記載されたものであることは,原告の主張するとおりである。
しかしながら,乙1文献中の,「2.3 (Ti1-x Al X)Nコーティング工具の摩耗特性および考察 TiNにAlNを固溶させることによる耐摩耗特性に与える影響をコーティング超硬チップをもちいた切削試験から調べた。・・・純TiNコーティングにくらべて,(Ti,Al)Nは優れた摩耗状態を示すことがわかった。・・・(Ti,Al)Nコーティングは優れた耐摩耗性能を示すことがわかる。・・・切削中にこうむる高温状態(800〜900℃と推定される)において工具コ-ティングの最表面にアモルファスAl-酸化物の保護膜が形成され,コーティング膜の酸化の進行を抑制しているためと考えられた。」(26頁左欄12行〜37行)との記載及び第9図によれば,同文献の(Ti1-x Al X)N膜に関する記載は,コーティングの対象である超硬合金製工具に着目した技術ではなく,コーティング膜そのものに着目した技術であって,切削中に高温を被る工具一般に付する(Ti1-X Al X)N膜全般に適用できる技術内容に関するものであるということができる。
原告の主張は採用することができない。
以上のとおりであるから,本件発明と引用発明とは,膜の組成において一致する,とした本件決定の認定に誤りはない。
(2) 原告は,本件発明における0.2≦x≦0.9という範囲のx値のTiとAlとの組み合わせは切削油剤を用いない加工が行える特別の割合の組合せであり,本件発明は,TiとAlとの組成の割合を数値的に限定し,選択したものである,と主張する。
しかしながら,原告の主張は,主張自体失当というべきである。仮に,本件発明における0.2≦x≦0.9という数値限定に原告主張のような技術的意義があるとしても,甲3文献にはx=0.5あるいはこれと余り違わないx値のものが開示されていると見るべきであることは,上記のとおりであり,原告主張の技術的意義の存在は,引用発明と本件発明との同一性を否定する根拠とはなり得ないことが,明らかであるからである。
念のために,より一般的に,選択発明の観点から検討してみても,本件発明にこれを認めることができないことは,明らかである。
いわゆる選択発明が成立するというためには,当該発明で選択されたところのものが,当該発明によって開示されることがなくとも,通常のこととして採用されるようなものである,というような場合でないことが必要である。当該発明による開示がなくとも通常のこととして採用されているものを選択することに,技術的思想創作としての価値を認めることはできない,というべきであるからである。そして,本件発明におけるx値が,本件発明による開示がなくともごく普通に採用されるものであることは,既に述べたところから明らかである。
いわゆる選択発明が成立するためには,本件発明のx値の範囲が顕著な効果を奏する臨界的意義を有することも必要である。本件明細書中における図3(ピニオンカッタにコーティングする(Ti(1-x) Al X)Nにおけるxの値とピニオンカッタの逃げ面摩耗量との関係を示すグラフ)に示された逃げ面摩耗量は,x=0.2及び0.9を境として急に変化するようなものではないことが認められるから,同図からは,x=0.2及び0.9の値が臨界的意義を有するものであると認めることはできない。そして,他に,本件明細書中に,本件発明における0.2≦x≦0.9のx値の範囲に臨界的意義があることを認めるに足りる記載は見当たらない。
いずれにせよ,原告の主張は採用することができない。
3 本件発明と引用発明とが切削速度において一致する,とした認定の誤り,の主張について (1) 甲3文献には,実演の際の切削速度は記載されていないものの,従来の切削油剤を用いたウエットカットにおけるのと同じ程度のごく一般的な50〜100m/min程度の切削速度が採用されていることは,原告の認めるところである。
原告も,このように理解していることなどから,甲3文献に接した当業者は,そこに記載されているギヤシェーパ加工方法においては,従来の切削油剤を用いた方法においてごく一般的な上記切削速度が採用されていると理解するものと認められる。
本件明細書(甲第2号証参照)の特許請求の範囲には,「切削速度300m/min以下で加工する」(特許請求の範囲)として,切削速度の上限が定められているのみであり,発明の詳細な説明中には,「切削速度が下がると逃げ面摩耗量は減少するが,切削速度が30m/min 未満であると,切削速度が下がっても逃げ面摩耗はほとんど変化しない。よって,加工能率を考えると,切削速度は30m/min以上であることが好ましい。」(段落番号【0026】参照)との記載がある。これらの記載によれば,本件発明は,低速での加工を除外するものではないことが明らかである。本件発明において,切削速度の低い一般的な50〜100m/minの速度を除外するものであると解釈すべき理由は見当たらない。
そうである以上,甲3文献に記載された引用発明の切削速度は,本件発明の切削速度の範囲に包含されるものであり,本件発明と引用発明とは切削速度において一致するとした決定の認定判断に誤りはない。
(2) 原告は,本件発明においては,切削速度の上限値(300m/min)を規定することにより,その切削速度の上限値でも摩耗量を実用レベルの摩耗量内に収めることができるという点に技術的意義が存在するのであり,このような本件発明の切削速度の上限値及びその技術的意義は,甲3文献には,何ら開示も示唆もなされていない,と主張する。
しかしながら,本件発明は,切削速度が300m/minより低い場合を除外するものではなく,甲3文献は,引用発明において,本件発明における切削速度の範囲内に含まれる,ウエットカットにおいてごく一般的に用いられる50〜100m/min程度の切削速度が採用されていることが開示されていると解すべきことは,(1)で説示したとおりである。本件発明における切削速度の上限値の技術的意義について検討するまでもなく,原告の主張が失当であることは明らかである。
切削速度の一致に関する原告のその余の主張も,いずれも理由がないことは,上に述べたところに照らし,明らかである。
原告の主張は,いずれも採用することができない。
4 本件発明の顕著な作用効果の看過,の主張について 本件発明の構成と引用発明の構成とが一致することは,上に説示したとおりである。公知発明と構成が同一である発明に特許が与えられることはあり得ない。
原告の主張は,主張自体失当である。
結論
以上のとおりであるから,原告主張の決定取消事由はいずれも理由がなく,その他,決定にはこれを取り消すべき誤りは見当たらない。
そこで,原告の本訴請求を棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 山下和明
裁判官 阿部正幸
裁判官 高瀬順久