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関連審決 無効2000-35282
関連ワード 製造方法 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  一致点の認定 /  相違点の認定 /  寄せ集め /  周知技術 /  技術常識 /  化学構造 /  参酌 /  置き換え /  置換 /  容易に想到(容易想到性) /  実施 /  加工 /  設定登録 /  請求の範囲 /  拡張 / 
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事件 平成 13年 (行ケ) 292号 審決取消請求事件
原告 住友電気工業株式会社
訴訟代理人弁理士 西川繁明
被告 古河電気工業株式会社
訴訟代理人弁理士 須山佐一
訴訟復代理人弁理士 川原行雄
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2003/06/09
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 特許庁が無効2000−35282号事件について平成13年5月22日にした審決中,特許第2936895号の請求項3,4に係る発明についての特許を無効とするとの部分を取り消す。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は,これを3分し,その2を原告の負担とし,その余を被告の負担とする。
事実及び理由
請求
特許庁が無効2000-35282号事件について平成13年5月22日にした審決を取り消す。
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は,名称を「絶縁電線」とする特許第2936895号発明(平成4年6月18日特許出願,平成11年6月11日設定登録,以下「本件発明」といい,この特許を「本件特許」という。)の特許権者である。
被告は,平成12年5月26日,本件特許を無効にすることについて審判の請求をし,無効2000-35282号事件として特許庁に係属した。
原告は,同年9月11日付け訂正請求書により本件特許出願の願書に添付した明細書の特許請求の範囲等の訂正を請求した(以下,上記訂正に係る明細書を「本件明細書」という。)。
特許庁は,上記特許無効審判事件について審理した上,平成13年5月22日,「訂正を認める。特許第2936895号の請求項1〜6に係る発明についての特許を無効とする。」との審決をし,その謄本は,同年6月1日,原告に送達された。
2 本件明細書の特許請求の範囲の記載 【請求項1】少なくともジイソシアネート成分と酸成分とを原料とするポリアミドイミド系塗料の塗布,焼付けにより形成された絶縁被膜を有する絶縁電線において,原料としてのジイソシアネート成分が,ジフェニルメタン-4,4’-ジイソシアネート,ジフェニルメタン-3,3’-ジイソシアネート,ジフェニルメタン-3,4’-ジイソシアネート,ジフェニルエーテル-4,4’-ジイソシアネートから選ばれた1種または複数種のジイソシアネートと,下記一般式(I): 【化1】 [上記式中R1 ,R2は,同一または異なって,水素原子,アルキル基,アルコキシ基またはハロゲン原子を示す。]で表される芳香族ジイソシアネート化合物とを主体とするジイソシアネートであって,一般式(I)で表される芳香族ジイソシアネート化合物を30〜80モル%の範囲内で含有することを特徴とする絶縁電線。
【請求項2】原料としてのジイソシアネート成分における,一般式(I)で表される芳香族ジイソシアネートの含有割合が30〜60モル%である請求項1記載の絶縁電線。
【請求項3】原料としてのジイソシアネート成分における,一般式(I)で表される芳香族ジイソシアネートの含有割合が60〜80モル%であるとともに,酸成分が,分子中に折れ曲がり構造を有する酸を,5〜40モル%の範囲内で含有する請求項1記載の絶縁電線。
【請求項4】ポリアミドイミド系塗料が,一般式(I)で表される芳香族ジイソシアネートと酸成分とを原料として製造されたポリアミドイミド系塗料と,ジフェニルメタン-4,4’-ジイソシアネート,ジフェニルメタン-3,3’-ジイソシアネート,ジフェニルメタン-3,4’-ジイソシアネート,ジフェニルエーテル-4,4’-ジイソシアネートから選ばれた1種または複数種のジイソシアネートと酸成分とを原料として製造されたポリアミドイミド系塗料との混合物である請求項1記載の絶縁電線。
【請求項5】絶縁被膜の下層に,ジフェニルメタン-4,4’-ジイソシアネートとトリメリット酸無水物とを含むポリアミドイミド系塗料の塗布,焼付けにより形成された下地層を有する請求項1記載の絶縁電線。
【請求項6】絶縁被膜の上層に表面潤滑層を有する請求項1記載の絶縁電線。
(以下【請求項1】〜【請求項6】に係る発明を「本件発明1」〜「本件発明6」という。) 3 審決の理由 審決は,別添審決謄本写し記載のとおり,本件発明1,2は,「高分子論文集(Kobunshi Ronbunshu),Vol.47,No.6,pp.523~527(June.1990)」(本訴甲6,審判甲1,以下「引用例1」という。),昭和41年1月15日ラバーダイジェスト社発行の「ラバーダイジェスト」第18巻第1号19頁〜29頁(本訴甲7,審判甲2,以下「引用例2」という。),昭和45年12月25日昭和電線電纜株式会社発行の「昭和電線電纜レビュー」第20巻第4号2頁〜6頁,61頁(本訴甲8,審判甲3,以下「引用例3」という。)及び特開平2-218774号公報(本訴甲9,審判甲4,以下「引用例4」という。)に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり,本件発明3は,引用例1〜4及び特公昭49-13308号公報(本訴甲10,審判甲8,以下「引用例5」という。)に記載された発明及び特公昭49-4077号公報(本訴甲14,審判参考資料2,以下「参考資料2」という。)に記載された周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり,本件発明4は,引用例1〜4に記載された発明及び平成2年10月30日丸善発行の社団法人高分子学会編集「先端高分子材料シリーズ4 高性能高分子系複合材料」353頁〜384頁(本訴甲13,審判参考資料1,以下「参考資料1」という。)に記載された周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり,本件発明5は,引用例1〜4及び特公昭51-2627号公報(本訴甲11,審判甲9,以下「引用例6」という。)に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり,本件発明6は,引用例1〜4及び特開昭58-78319号公報(本訴甲12,審判甲10,以下「引用例7」という。)に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,本件発明1〜6についての本件特許は,いずれも特許法29条2項の規定に違反してされたものであり,同法123条1項2号に該当し,無効とすべきものであるとした。
原告主張の審決取消事由
審決は,本件発明1,2と引用例1記載の発明との一致点の認定を誤り(取消事由1),本件発明1,2の容易想到性の判断を誤り(取消事由2),本件発明1,2の顕著な作用効果を看過し(取消事由3),本件発明3〜6の容易想到性の判断を誤った(取消事由4〜7)ものであるから,違法として取り消されるべきである。
(以下,「PAI」は「ポリアミドイミド」の,「TMA」は「トリメリット酸無水物」の,「DI」は「ジイソシアネート」の,「TODI」は「3,3’-ジメチルビフェニル-4,4’-ジイソシアネート」=「トリジンジイソシアネート」の,「2,4-TDIまたはTDI」は「トリレン-2,4-ジイソシアネート」=「2,4-トリレンジイソシアネート」の,「MDI」は「ジフェニルメタン-4,4’-ジイソシアネート」の,「EDI」は「ジフェニルエーテル-4,4’-ジイソシアネート」の,「NMP]は「N-メチル-2-ピロリドン」の略称である。) 1 取消事由1(本件発明1,2と引用例1記載の発明との一致点の認定の誤り) (1) 審決は,引用例1(甲6)には,「TMAと各種DIを反応させて各PAIを得るにあたり,DI単量体としては,TODI,2,4-TDI,MDI等が使用され,TODI・・・とMDIを混合して用いる場合には,TODIを50〜80モル%の範囲内で含有すること,及び得られた各PAIは,電気絶縁用ワニスとして用いられることが記載されている」(審決謄本12頁[7]当審の判断第2段落)と誤って認定し,この誤った認定を前提に,本件発明1,2と引用例1記載の発明との一致点として,「少なくともDI成分と酸成分とを原料とするPAI系の絶縁塗料において,原料としてのDI成分がMDIとTODI{式(I)で表される芳香族DI}とを主体とするDIであって,TODIを50〜80モル%の範囲内で含有する絶縁塗料」(同)である点を認定した。しかし,審決の上記一致点の認定は,以下の理由により誤りである。
(2) すなわち,引用例1(甲6)には,従来の芳香族ポリアミドイミド樹脂(PAI)が溶融成形性を有する耐熱性樹脂であり,スーパーエンプラとして工業的に利用されており,N-メチル-2-ピロリドン(NMP)などの極性溶媒に溶解し,電気絶縁用ワニスとしても工業的に使用されている(523頁左欄「1 緒言」)と記載されているものの,引用例1において新たに合成されたポリアミドイミドについて電気絶縁用ワニスとして使用することは開示されていない。引用例1に電気絶縁用ワニスとして工業的に使用されている具体例として引用されている先行文献の引用例2(甲7)には,ポリアミドイミド(AIポリマー)のエナメル又はワニスが記載されているが,そのAIポリマーは,本件明細書の比較例2に記載のMDIとTMAからなるTMA/MDI単独重合体であって,従来技術水準を示すものにほかならない。一般に,ポリアミドイミドには,化学構造が異なった多くの種類のポリマーがあり,それぞれの特性に応じて,電気・電子産業,機械工業,車輛工業,航空・宇宙産業など広範な分野において,主として各種成形品,成形部品,絶縁フィルムなどとして広く使用されており,電気絶縁用ワニスやエナメルの用途は,その一つにすぎない。
(3) 絶縁電線の絶縁被膜を形成するために用いられるPAIには,成膜性(フィルム形成性)だけではなく,溶媒への溶解性,導体への密着性,耐熱性,機械的特性,可とう性,耐損傷性などが良好であることが求められる。PAIであれば,絶縁電線用エナメル又はワニスとして使用できる特性を備えているわけではない。
引用例1(甲6)には,そこで合成した多種類のPAIが種々のフィルム物性を有することが示されているだけであって,それらのPAIが絶縁電線用エナメル又はワニスとして適した特性を有することまで開示されていない。引用例1は,PAIとして,絶縁電線用の電気絶縁用ワニスとして使用できない極性溶媒(NMP)に不溶性であるとされる「TMA/TODI単独重合体」(表1)や,絶縁被膜としての可とう性の水準が劣悪で,導体への密着性(浮き量)も不充分な「TMA/2,4-TDI・TODI共重合体」(本件明細書〔甲4-3〕の表3〔16頁〕及び上岡勇夫作成の平成13年9月4日付け「実験成績証明書」〔甲16,以下「実験成績証明書」という。〕参照)などを広く開示している。
(4) これらの点から見れば,引用例1で「得られた各PAIは,電気絶縁用ワニスとして用いられることが記載されている」ということはできない。フィルム用途に適用可能なPAIが電気絶縁用ワニスの分野においても有用であることは,例えば,ワニスを調製して電線に被覆するなどの実験を行い,かつ,良好な特性の得られることを確認する必要があり,また,そのような確認実験を行う動機付けが必要である。
2 取消事由2(本件発明1,2の容易想到性の判断の誤り) (1) 審決は,本件発明1,2と引用例1記載の発明との相違点として,「本件発明では,PAI系の絶縁塗料を電線上に塗布,焼付けて絶縁被膜を有する絶縁電線であるのに対して,甲1(注,引用例1)の発明では,そのような記載がない点」(審決謄本12頁(相違点))を認定した上,同相違点について,「甲1及び甲4(注,引用例4)においてそれ自体公知の共重合PAI塗料を,甲2(注,引用例2)及び甲3(注,引用例3)に記載されたPAI塗料の代表的な用途として記載されている電線被覆材として用いること,即ち,導体上に塗布,焼き付けて絶縁電線とすることは,甲1〜甲4に記載された技術的事項を寄せ集めて総合的に判断すれば,これらに基づいて,当業者が容易に想到しえた」(同14頁第2段落)と判断した。
(2) 審決の上記相違点の認定は認めるが,相違点についての判断は,以下のとおり誤りである。すなわち,引用例1(甲6)には,ジイソシアネート成分として,TODI〔一般式(I)で表される芳香族ジイソシアネート〕を,MDI又は2,4-TDIと種々の割合(モル%)で使用してPAIを合成し,PAI溶液から作成したフィルムについて,ヤング率(=弾性率)(図2〔525頁〕)及び破断強度(=引張強さ)と破断伸度(引張伸度=伸び率)(図3〔526頁〕)を測定した結果が示されており,これらの結果によれば,TODIのモル%が増加するに従って,ヤング率(弾性率)と破断強度(図3の○印と●印)は著しく増大するものの,破断伸度(図3の△印と▲印)が減少することが示されている。上記図3に示されている測定結果は,ジイソシアネート成分として,MDIをTODIと併用すると,MDI単独使用の公知のPAIに比べて,破断伸度(伸び率)が約1/4以下にまで急激に低下することを示しており,このようなポリアミドイミドを用いて絶縁被膜を形成すると,その可とう性が著しく低下することを示唆しているから,上記測定結果は,ジイソシアネート成分として,MDIと共にTODIを多量に含有させて得られるポリアミドイミドを絶縁塗料として被覆電線の分野で使用することを否定していると解される。したがって,当業者は,引用例1の図2,図3のフィルム物性の測定結果に基づいて,MDI単独使用の公知のPAIに代えて,MDIと共にTODIを多量に含有させて得られる破断伸度が著しく低いPAIを絶縁塗料として被覆電線の分野で使用することが動機付けられることはない。MDI単独使用の公知のPAIに代えて,ジイソシアネート成分としてMDIと共にTODIを特定割合で含有させて得られるPAIが絶縁塗料として被覆電線の分野で使用することができること,それによって,従来品に比べて,可とう性や密着性を実質的に損なうことなく,損傷荷重を顕著に改善できることは,本件発明1,2の成立を待たねば得られない知見である。本件発明1,2のように,化学分野の発明においては,発明の課題を達成できるか否かを実験により具体的に確認する必要がある。
(3) 審決は,引用例4(甲9)に本件発明1,2と同一の組成範囲に入るPAIが開示されており,本件発明1,2の組成範囲に合致するDI成分(TODI:MDI及びTODI:EDIが7:3と4:6の配合割合である場合)とTMAとの共重合で得られたPAIフィルムの伸び率が12.1〜14.8%であること,引用例4の式(1)で表される芳香族DIの配合割合が90%以上になるとPAIの可とう性が減少し,伸び,強度が充分でなくなること,また,この伸び率はTODIの含有割合が高くなるほど小さくなること,さらに,TODIの配合量が多くなるにつれて接着力,耐屈曲性が低下することが開示されているとしたが(審決謄本13頁第2段落),引用例4には,PAIフィルムを金属箔上に形成したフレキシブル配線基板が開示されているだけであって,同じPAIフィルムに関する引用例1の開示内容を実質的に超えるものではない。引用例4には,TODIなどの式(I)で表される芳香族ジイソシアネートの割合が30モル%以下になると,ポリアミドイミド樹脂層(すなわち,PAIフィルム)を内側にしてカールが生じること(2頁右下欄〜3頁左上欄),TODIの割合が増すにつれて,カールが小さくなるが,接着力,フィルムの伸び率,耐屈曲性,熱老化性が劣ってくること(5頁右上欄),そして,90モル%以上になると,可とう性が減少し,ポリアミドイミド樹脂層の伸び,強度が充分でなくなること(3頁左上欄)が記載されているが,いずれもフレキシブル配線基板用のPAIフィルムとしての特性であって,絶縁電線の絶縁被膜としての可とう性(丸棒の直径d),密着性(銅線からの浮き量),損傷荷重などの特性を開示するものではない。接着性についても,引用例4には,銅箔を用いる場合に,電解銅箔,圧延銅箔,あるいはこれらを表面処理したものを用いると,ポリアミドイミド樹脂との接着を強くすることが記載されているものの(3頁右上欄),銅線などの導体との接着性については開示していない。銅箔と銅線とでは,必ずしも同じ表面特性を有するとは限らず,形状が平面状と細い円形状(線状)とで大きく相違している。絶縁電線の場合には,急伸切断試験での浮き量により密着性を評価している。引用例4の開示内容からは,銅線に対するTMA/MDI・TODI共重合体からなる絶縁被膜の密着性の程度(浮き量)を予測することはできない。
(4) 審決は,引用例2(甲7)には,PAI塗料の代表的な応用分野として,電線用ワニスや電気絶縁ワニスが挙げられており,また,引用例3(甲8)には,PAIワニスを電線被覆材としたエナメル線が紹介されているところから,PAI塗料の代表的な用途が電線用エナメルであることは周知のことである(審決謄本13頁第3段落)と認定したが,引用例2,3には,TMAとMDI又はこれに対応するジアミン化合物とを反応させて得られる公知のPAI塗料を絶縁塗料(ワニスまたはエナメル)として使用することが開示されているだけである。したがって,引用例2,3に電線被覆用として好適な公知のPAI塗料が開示されているからといって,引用例1,4(甲9)に開示されているPAIまたはPAI塗料が電線用エナメルとして使用可能であり,かつ,優れた特性を示すということまで示唆されてはいない。
(5) 審決は,引用例3(甲8)から,「エナメル線における機械的強度は,一般に皮膜の引張り強さ(=破断強度)と弾性率(=ヤング率)が大きい程よいこと,並びに,エナメル線被膜として用いた場合に1d.10回巻付の可撓性を持つているホルマール被膜やポリウレタン被膜における「引張り強さ(=破断強度)」が各々7.83kg/mm2,5.46kg/mm2程度,「伸び」が各々7.81%,7.21%程度,「ヤング率」が各々2.63×109dyne/cm2,1.50×109dyne/cm2程度であるところからみて,この程度の破断強度,伸び,ヤング率を具備しておれば,エナメル線被膜として用いた場合にスロット入れ作業やコイル成型時の損傷等による皮膜の損傷がなく,かつ,1d.10回巻付の可撓性を持つているエナメル線になしうることが理解できる」(審決謄本13頁第3段落)とした。しかしながら,引用例3には,工具などの衝撃による損傷などの場合における機械的強度は,一般に引っ張り強さと弾性率が大きいほど強くなることが記載されているものの,損傷がなくなる引っ張り強さと弾性率の水準を示しているわけではない。引用例3の第1表(6頁)には,ホルマール線皮膜とポリウレタン線皮膜の引っ張り強さ,伸び及びヤング率の測定値が記載されているが,これらの測定値からは,ホルマール線皮膜の方がポリウレタン線皮膜よりも引っ張り強さ,伸び及びヤング率のいずれの値においても高く,これらの差が工作性に大きく影響することが示唆されるものの,いずれの皮膜もスロット入れ作業やコイル成型時の損傷等による皮膜の損傷がないことまで開示するものではない。ホルマール線皮膜やポリウレタン線皮膜は,耐損傷性に劣るため,高性能のエンジニアリングプラスチックであるPAIを用いたポリアミド線皮膜が開発されたのであり,本件発明1,2は,そのポリアミドイミド線の耐損傷性を更に改善するものである。
(6) 審決は,引用例3の記載事項について上記の誤った認定を前提に,「甲1(注,引用例1〔本訴甲6〕)や甲4(注,引用例4〔本訴甲9〕)に記載された本件発明(注,本件発明1,2)と同一の組成範囲に入るPAIの伸び(=破断伸度)は,5〜12%(=甲1),12.1〜14.8%(=甲4)程度であるから,甲3(注,引用例3〔本訴甲8〕)にエナメル線被膜として記載されているホルマール被膜やポリウレタン被膜における「伸び」と同程度若しくはそれより優れているものであるし,また,破断強度及びヤング率(=弾性率)についても,本件発明と同一の組成範囲に入るPAIの破断強度及びヤング率は,甲1の・・・記載内容から明らかなように,エナメル電線に使用することが甲2(注,引用例2〔本訴甲7〕)に記載されているPAI(=TMAとMDIから合成されたPAI)の破断強度及びヤング率より優れたものとなっているところから,甲1や甲4に記載された本件発明と同一の組成範囲に入るPAIの機械的特性である伸び(=破断伸度),破断強度及びヤング率(=弾性率)は,エナメル電線に使用した場合には,甲2に記載されているTMAとMDIから合成されたPAIからなるエナメル電線ならびに甲3に記載されているホルマール被膜やポリウレタン被膜からなるエナメル電線と比べると,より優れた機械的特性を有していることが解る。・・・エナメル電線に使用するに際して必要な可撓性,即ち1d.10回巻付の可撓性は充分に保有しているものと認められる」(審決謄本13頁最終段落〜14頁第1段落)としたが,合理的な根拠がない。引用例1の図3(526頁)には,TODIが0モル%の場合を除いて,破断伸度(伸び率)が約5〜8%であることが示されているだけであり(▲印),審決が指摘している5〜12%の伸びの値は示されていない。引用例3には,ホルマール線皮膜やポリウレタン線皮膜が1d.10回巻付の可とう性を有することが示されているものの(第10表),ポリアミドイミドとは樹脂の材質が異なり,同等の破断伸度を有していても,絶縁被膜とした場合に同程度の可とう性を示すか否かは予測することはできない。引用例1の図3には,ジイソシアネート成分として,2,4-TDIとTODIを併用したポリアミドイミドから成るフィルムの破断伸度が約5%〜約7%程度であることが示されている(△印)が,実験成績証明書(甲16)の表1には,ジイソシアネート成分として,TODIとTDI(2,4-TDI)とを併用した場合,両者のモル比を変化させても,可とう性が5dと劣悪な絶縁電線しか得られないことが示されている。この絶縁被膜の密着性(浮き量)も3〜3.5mmと不充分であり,損傷荷重も7〜8kg程度であり,8.0kg以上の損傷荷重を安定して達成することができない。このように,実験成績証明書の実験データは,破断伸度(伸び率)が引用例3のポリホルマール線皮膜やポリウレタン線皮膜と同等であっても,ポリアミドイミドの場合,1d程度の可とう性を達成できない場合のあることを明らかに示している。したがって,ポリホルマール線皮膜やポリウレタン線皮膜に関する伸びなどのデータからは,ポリアミドイミドを絶縁被膜とした場合の特性まで予測することはできない。
他方,引用例1の図3には,ジイソシアネート成分として,MDIとTODIとを併用したポリアミドイミドからなるフィルムについて,前述したとおり,TODI=0モル%の場合(公知の電気絶縁用ワニスのPAI)の破断伸度が約22%と高いのに対して,TODIの共重合割合を高めると,約5〜8%にまで著しく減少することが示されている(▲印)。このような破断伸度の著しい低下は,このPAIを電気絶縁用ワニスとして使用すると,絶縁被膜の可とう性が著しく低下することを示唆している。実際,引用例1の図3に示されている2,4-TDIとTODIとの併用で得られるポリアミドイミドからなるフィルムは,破断伸度がMDIとTODIとを併用したポリアミドイミドからなるフィルムと同程度であるにもかかわらず,絶縁被膜とした場合の可とう性は,実験成績証明書に示されているように,5dと劣悪である。ところが,本件明細書(甲4-3)の表1(13頁)に示されているように,MDIとTODIとを併用したポリアミドイミドからなる塗料を塗布,焼付けした絶縁被膜を有する絶縁電線は,TODIの広い共重合割合において,d=1〜2,多くの場合d=1という優れた可とう性を示し,銅線との密着性(浮き量)も良好であり,損傷荷重については顕著に改善されている。
(7) 以上によれば,本件発明1,2の特定のジイソシアネート成分の組合せに,絶縁電線用ポリアミドイミドとしての選択性と顕著な作用効果のあることが明らかである。引用例4(甲9)は,PAIフィルムに関する技術が開示されているだけであって,絶縁電線としての特性を開示するものではない。したがって,引用例1〜4は,本件発明1,2のポリアミドイミド系塗料を絶縁電線に適用した場合の顕著な作用効果を開示していない。
3 取消事由3(本件発明1,2の顕著な作用効果の看過) (1) 審決は,本件発明1,2の効果は,引用例1〜4(甲6〜9)の記載内容にA作成の「実験報告書」(甲15,以下「実験報告書」という。)の報告を勘案すると,予測し得る域を出ないと判断した(審決謄本15頁第1段落)が,誤りである。引用例1の図3(526頁)は,ジイソシアネート成分として,MDIをTODIと併用すると,MDI単独使用の公知のPAIに比べて,破断伸度が急激に低下することを示しており,このようなポリアミドイミドを用いて絶縁被膜を形成すると,その可とう性が著しく低下することを示唆している。ところが,本件明細書(甲4-3)の表1(13頁)に示されているように,TODIの含有割合が40〜75モル%と広い範囲で変化しても,絶縁被膜の可とう性は,d=1〜2,多くの場合d=1と好適な水準を保持している。このような結果は,引用例1の図3に示されている極めて低い破断伸度の値から見て驚くべきことである。本件発明1,2の絶縁電線は,銅線に対する密着性(浮き量)も良好な水準を保持している。本件発明1,2の作用効果は,MDI単独使用などの従来のPAIに比べて,可とう性及び密着性を高度の水準で保持しながら,捲線工程などでの絶縁被膜の損傷を防ぐことにあり,損傷荷重8.0kg以上という顕著な効果を示している。このような作用効果は,本件発明1に規定されているように,ジイソシアネート成分として,「ジフェニルメタン-4,4′-ジイソシアネート,ジフェニルメタン-3,3′-ジイソシアネート,ジフェニルメタン-3,4′-ジイソシアネート,ジフェニルエーテル-4,4′-ジイソシアネートから選ばれた1種または複数種のジイソシアネート」と「一般式(I)・・・で表される芳香族ジイソシアネート化合物とを主体とするジイソシアネートであって,一般式(I)で表される芳香族ジイソシアネート化合物を30〜80モル%の範囲内で含有する」ものを使用することにより得ることができ,その顕著な作用効果は,引用例1〜4の記載からは到底予測することができない。
(2) 樹脂フィルムの伸び(破断伸度)は,フィルムを形成する樹脂自体の特性を示すものである。これに対して,絶縁電線は,樹脂被膜(絶縁被膜)と導体(銅線など)との複合体であり,その可とう性は,(i)樹脂被膜全体の伸びだけではなく,(ii)樹脂被膜と導体との間の密着力,(iii)丸棒への巻き付け時に絶縁被膜にかかる内側での圧縮力と外側での引張力の程度,(iv)外側での絶縁被膜の割れやはく離の発生のしやすさだけではなく,内側の圧縮部における絶縁被膜の割れやはく離の発生しやすさの程度などが関係してくる。すなわち,絶縁電線の可とう性試験において,丸棒の直径d=1mmやd=2mmで絶縁被膜に異常がないという良好な結果を得るには,複合体である絶縁電線を丸棒に巻き付けるという特殊な条件下で,その絶縁被膜が50%以上又は33%以上といった大きな伸びを発現することができ,かつ,割れやはく離などを発生しないことが必要である。このような特殊な条件下での絶縁被膜の伸びなどの特性は,絶縁被膜を構成する樹脂フィルム自体の伸びからは予測することができない。樹脂フィルムの伸びが小さくても,絶縁電線の絶縁被膜とした場合に,可とう性が良好なものも,悪いものもある。樹脂フィルムの伸びが大きくても,導体との密着性が悪ければ,可とう性試験で良好な結果を得ることができない。そのために,絶縁電線の技術分野では,丸棒に巻き付けるという可とう性試験を実施して,実用的な可とう性の程度を評価している。
4 取消事由4(本件発明3の容易想到性の判断の誤り) (1) 審決は,本件発明3について,「甲3(注,引用例3〔甲8〕)・・・甲4(注,引用例4〔甲9〕)・・・に記載されているように『引張り強度』や『伸び』が,絶縁電線の『機械的強度』や『可撓性』と密接に関連があることは明らかであるところから,結局,2官能性の出発原料として,分子構造中に官能基が非対称に結合したもの,即ち折れ曲がり構造を有する酸を使用した場合に,伸びと関連した可撓性が増大することは,当業者にとって明らかなことと認められる。したがって,甲1(注,引用例1〔甲6〕)及び甲4に記載されているDI成分(TODI/MDI=80/20〜30/70,TODI:MDI及びTODI:EDIが,共に7:3,4:6である場合)とTMAとの共重合で得られたそれ自体公知のPAI塗料における,出発原料であるTMAの一部を分子構造中に官能基が非対称に結合した,即ち分子中に折れ曲がり構造を有する酸であるイソフタル酸で5〜40モル%置換することは,甲8(注,引用例5〔甲10〕)に記載の事項および参2(注,参考資料2〔甲14〕)に記載の周知事項に基づいて当業者が容易に想到しえたことであると認められ,しかも,その奏する効果である可撓性の増大も予想しえる域をでない」(審決謄本15頁「本件請求項3の発明・・・について」)と判断するが,合理的な根拠がない。
(2) すなわち,引用例5(甲10)の参考例14〜21には,酸成分として,TMA(トリメリット酸無水物)とイソフタル酸を併用した場合の還元比粘度が記載されているが,可とう性の改善効果については開示及び示唆はない。また,参考資料2(甲14)の実施例33,34には,酸成分として,TMAとイソフタル酸とを併用すると,大きい伸度の皮膜の得られることが示されているが,イソフタル酸の含有割合が60〜80モル%と非常に高いものであって,得られた重合体は,もはや典型的なポリアミドイミドであるということができないものである。しかも,参考資料2は,ジイソシアネート成分ではなく,ジアミン成分を用いた2段法(前駆体を作成し,成形後に加熱してイミド化する方法)を採用した耐熱性重合体の製造方法に関するものであって(1頁第1欄〜第2欄,13頁第26欄〜4頁第27欄「特許請求の範囲」),その製造方法をジイソシアネート成分を用いたPAIの製造方法に適用することを否定している。したがって,引用例5及び参考資料2には,ジイソシアネート成分が本件発明1に規定されている特定のジイソシアネートの組合せであって,かつ,酸成分として,イソフタル酸などの分子中に折れ曲がり構造を有する酸を5〜40モル%の範囲内で含有するポリアミドイミドについて具体的に開示されていない。また,引用例3(甲8)の「2-1-8 ポリエステル線」の項には,「加工性を良くするために,イソフタル酸・・・を使用」(4頁左欄)との記載があるものの,ポリエステル線の加工性とPAI被膜の可とう性との間には何の関連性もない。一方,本件発明3は,本件明細書(甲4-3)の表4(17頁)に示されているように,分子中に折れ曲がり構造を有する酸を5〜40モル%の範囲内で含有させることにより,可とう性が改善され,密着性(浮き量)や損傷荷重も高水準を維持している。このような作用効果は,引用例5及び参考資料2の記載からは到底予測することはできない。
(3) したがって,本件発明3は,引用例1〜5に記載された発明及び参考資料2に記載された周知技術に基づいて当業者が容易に発明することができたものであるとした審決の判断は誤りである。
5 取消事由5(本件発明4の容易想到性の判断の誤り) (1) 審決は,本件発明4について,「数種の物理的性質の異なる高分子(溶液),即ち絶縁塗料を,ブレンドすることにより,ブレンド比率に応じて,即ち複合則に応じた性質の異なる高分子フィルムを得る技術は,参1(注,参考資料1〔甲13〕)の・・・全記載内容から明らかなように,MC技術としては周知の技術であるところから,結局,本件発明4は,本件発明(注,本件発明1,2)にこのMC技術を適用したにすぎないものであるため,甲1〜甲4(引用例1〜4〔甲6〜9〕)に,参1の周知技術を適用することにより,当業者が容易に想到しえたものであり,その奏する効果も参1に記載されたMC技術の複合則から容易に予測しえる」(審決謄本15頁〜16頁「本件請求項4の発明・・・について」)と判断したが,誤りである。
(2) 参考資料1(甲13)には,主鎖に剛直な化学構造を持つ高分子を屈曲性高分子のマトリックス中に分子状に分散させて力学的性質の向上を目指す分子複合材料(MC)に関する技術的事項が開示され(353頁),ポリイミド(PI)についても,「芳香族ポリイミドも芳香環をパラ配位させてPBTのような棒状分子をつくり,分子配向させれば,原理的にはMCの強化分子となる」(366頁最終段落)と記載され,具体的に棒状なパラフェニレンとビフェニル系イミドから成り,剛直で直線性のよい分子構造を有するPI(BDPA/PDA)と,屈曲性のジフェニルエーテルを含むPI(BPDA/ODA)やPI(PMDA/ODA)などとのMCフィルムを作成したことが記載されている(367頁最終段落〜370頁第1段落)が,ポリイミドに関するMC技術が,分子構造が異なるポリアミドイミドに適用できるとする根拠はない。参考資料1には,芳香族ポリアミドイミドについても触れている箇所があるものの(360頁),それは,ポリフェニレンテレフタルアミド(PPTA)のパラフェニレン結合に50%の3,4-ジフェニルエーテルを共重合したPPOTと芳香族ポリアミドイミド(PAI)との特殊なブレンドに関するものであって,ポリアミドイミド同士のブレンド技術に関するものではない。しかも,参考資料1には,「直線性のよいPI(BDPA/PDA)と屈曲性のPI(BPDA/ODA)は熱イミド化を通じ前者は自己伸張・配向し,後者は配向緩和する。分子複合化フィルムは図13・19のようにそれぞれが役割分担して高強度化を発現するために,これら2成分が直列につながった同組成の共重合物とは強度特性が異なる」(373頁第2段落)と記載されているように,各単独重合体のブレンド物と共重合体とでは,強度特性などの特性が相違することが示されている。このことは,MC技術の適用において,共重合体からの予測可能性のないことを示している。このように特殊なMC技術が,PAI系塗料の塗布,焼付けを行い,延伸も配向も行わない絶縁電線の技術分野に適用できるとする根拠はない。したがって,参考資料1は,MC技術が困難であることを開示しているものの,一般のポリマーブレンドに適用されるとする開示ないし示唆はない。
(3) 引用例1(甲6)には,TMAとTODIとを反応させて得られるポリアミドイミドは,極性溶媒であるNMPに不溶であることが示されており(表1〔524頁〕,表3〔525頁〕),ブレンド技術の適用可能性を明確に否定しているから,当該TMA/TODI単独重合体を単独で,あるいは他の単独重合体とブレンドして絶縁塗料とすることを開示ないし示唆するものということはできない。
6 取消事由6(本件発明5の容易想到性の判断の誤り) 審決は,本件発明5について,下地層を設けることは,引用例6,4(甲11,9)に記載されているから,引用例1〜4(甲6〜9)と引用例6を組み合わせることにより,当業者が容易に想到し得たものであり,その奏する効果も引用例6,4に記載された効果の域を出ないと判断した(審決謄本16頁「本件請求項5の発明・・・について」)が,誤りである。
引用例1〜4には,本件発明5の絶縁電線は開示されていない。引用例4は,PAIフィルムに関する技術的事項が開示されているだけである。引用例6には,ポリアミドイミド系絶縁塗料を導体に焼付けした絶縁層を下地層とし,この上に熱硬化性ポリエステルイミド系塗料を焼付けした絶縁層を上層とする構造の絶縁電線が開示されている(特許請求の範囲)が,本件発明1に規定する特定のポリアミドイミド系塗料を上層とすることについて具体的に開示されていない。一方,本件明細書(甲4-3)の表1(13頁)の実施例5〜6に示されているように,下地層を形成することにより,高度の可とう性と損傷荷重を維持しながら,密着性(浮き量)が顕著に改善されるが,このような作用効果は,引用例1〜4及び引用例6からは予測することができない。
7 取消事由7(本件発明6の容易想到性の判断の誤り) 審決は,本件発明6について,表面潤滑層を設けることは,引用例7(甲12)に記載されているように公知のことにすぎないので,引用例1〜4(甲6〜9)に引用例7に記載された事項を組み合わせることにより,当業者が容易に想到し得たと認められ,その奏する効果も予想し得る程度のものにすぎないと判断した(審決謄本16頁〜17頁「本件請求項6の発明・・・について」)が,誤りである。
引用例1〜4(甲6〜9)には,本件発明1,2の絶縁電線は開示されていない。また,引用例7(甲12)には,ポリアミドイミド被覆上に施された外部潤滑剤被覆を有するマグネットワイヤが開示されている(特許請求の範囲)が,本件発明1に規定する特定のポリアミドイミド系塗料から成る被覆層について具体的に開示されていない。引用例7には,潤滑剤層を形成することにより,ワイヤに損傷が及ぼされることなく,ワイヤの挿入困難寸法範囲で,コイル溝内に挿入し得ることが記載されているだけであり(2頁左下欄〜3頁左上欄),損傷荷重が改善されることまで示唆していない。一方,本件明細書(甲4-3)の表5(18頁)の実施例12〜13に示されているように,表面潤滑剤を施すことにより,高度の可とう性(d=1mm)を維持しつつ,密着性が改善され,損傷荷重については9.5kgと顕著に改善された絶縁電線を得ることができる。
被告の反論
審決の認定判断は正当であり,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。
1 取消事由1(本件発明1,2と引用例1記載の発明との一致点の認定の誤り)について (1) 引用例1(甲6)は,「1 緒言」(523頁左欄)に記載されているとおり,PAIが,電気絶縁用ワニスとして工業的に使用されている事実を踏まえて検討されたものである。
(2) 原告が絶縁被膜を形成するためにPAIに求められる特性として列挙した性質は,PAI一般が備えている性質である。引用例1(甲6)の図3(526頁)には,引用例2で「AIポリマー」として絶縁電線の用途に用いられていることが紹介されたTMA/MDI重合体の「破断強度」と「破断伸度」が示され(TODI0モル%の点),MDIをTODIで置き換えると「破断伸度」が低下し,「破断強度」が向上することが示されているから,TMA/MDI重合体,すなわち「AIポリマー」として知られる電気絶縁用ワニスによる塗膜の「破断強度」を向上させるためにTODIを含有させる技術は引用例1が開示している。引用例2(甲7)には,一般のポリアミドイミドについて説明されており,第2図には,二つのアミド結合がフェニレン基のパラ位置に結合しているPAIが例示されている。引用例2は,耐熱性ポリマー全般について解説した論文であり,「AIポリマー」は耐熱性ポリマーの一つであるPAIの具体例として説明されたものである。
引用例1(甲6)が「1 緒言」で引用した引用例2には,PAIが電気絶縁用ワニス及び電線用エナメルとして使用されていることが記載されている。したがって,引用例1は,引用した引用例2の記載を介して,引用例1の実験で合成されたPAIが,電気絶縁用ワニス及び電線用エナメルの用途に適用できることを開示している。
(3) 本件明細書(甲4-3)の比較例3では,「TMA/TODI」の組成を有するPAIを合成しているが,その結果を示した表1には,「濁りあり」と記載されている。「濁り」は生成したPAIがNMPに均一に溶解しなかったことを示すものであるから,「TMA/TODI」がNMPに不溶であることは本件明細書にも記載されている。しかし,引用例1(甲6)の図3は,TMA/MDI・TODIからのPAIが本件発明1の組成範囲であるTODI30〜80モル%の全範囲でNMPに可溶であることを示している。TMA/MDI単独重合体がすでに電気絶縁用ワニスとして使用されている状況下(引用例2)で,TMA/MDI単独重合体の特性と共にTMA/MDI単独重合体よりも「破断強度」の改善されたTMA/MDI・TODI共重合体が引用例1の図3に示されているのであるから,少なくともTMA/MDI・TODI共重合体については電気絶縁用ワニスとして使用可能なことが引用例1に開示されている。
2 取消事由2(本件発明1,2の容易想到性の判断の誤り)について (1) 引用例1(甲6)の図3(526頁)におけるフィルムでの小さい破断伸度と絶縁電線としたときの低い可とう性とは対応しており,本件発明1,2の実施例4(甲4-3,10頁)の場合も,本件発明1,2の絶縁被膜の可とう性が上記図3のグラフから予想し得ない値であるとはいえない。本件発明1,2の絶縁電線は,本件明細書(甲4-3)の表1(13頁)に示されるとおり,TODIの含有割合の増加につれて弾性率が増加し,可とう性,密着性(浮き量)が低下しているが,引用例1の525頁右欄〜526頁左欄には,TODIの多い領域では,フィルムのヤング率(弾性率)はTODIの成分量によって決まると記載され,上記図3には,TODIの含有割合の増加とともに破断強度が増加し破断伸度が低下することが示されている。本件発明1,2の絶縁電線のTODIの含有率の増加に対する弾性率,可とう性,損傷荷重の傾向(本件明細書の表1)は,引用例1の弾性率,破断強度,破断伸度のTODIの含有割合による変化とよく一致している。なお,引用例3(甲8)に「機械的強度は,一般に皮膜の引張り強さと弾性率が大きい程強くなる」(6頁左欄)と記載されているように,絶縁電線の損傷荷重の改善は弾性率の向上と相関性を有するから,引用例1の上記記載は,TODIの高い領域での高い弾性率は,絶縁電線としたときの絶縁被膜の機械的強度が改善されることを開示している。また,TMA/MDIからのポリアミドイミドが金属との密着性に優れていることは,引用例4(甲9)の3頁右上欄に記載されているから,本件明細書の表1に示されたように,MDIの含有割合が多いほど(TODIの含有割合が少ないほど)浮き量が小さくなることも,引用例4は開示している。
(2) 引用例4(甲9)のフレキシブル配線基板は,銅箔表面にPAI絶縁塗料を塗布焼付けして形成する点,すなわち絶縁塗膜が銅表面に密着して形成されている点,生産者,開発する技術者が絶縁電線と共通している点等において,引用例1より一層具体的に絶縁電線への使用を開示している。引用例4の表1(5頁)に示された密着性は,絶縁電線の絶縁被膜としたときの浮き量と関係し,伸び率は絶縁電線の可とう性と関係することは,当業者の常識である。引用例4のTODIとMDIとを併用したPAIの破断強度が,MDI単独のPAIの破断強度より大きくなることは,引用例1(甲6)の図3(526頁)が開示しているから,引用例1を参酌しつつ,引用例4を見たとき,そこには,引用例4のPAI絶縁塗料により絶縁電線を製作したときの可とう性,密着性,損傷荷重等も容易に類推し得る程度に開示されている。なお,絶縁電線では,可とう性を丸棒の直径dで,密着性を浮き量で表示するのに対して,フレキシブル回路基板では,可とう性,密着性を異なる方法で評価しているが,これは,形態の相違によるものであって,実質的な評価の対象が銅表面に塗布,焼付けされた絶縁塗膜であることに変わりはないから,それぞれの方法で測定された結果に相関性があることは当然である。そもそも,PAI線については,可とう性,密着性,損傷荷重等について,測定方法や許容値についての絶対的な基準はなく,その用いられ方によって設計的に決められるものであるから,引用例1の図3及び引用例4に示されたTODIの使用による弾性率の改善効果,それに応じた伸び率の逓減の程度から,絶縁電線の絶縁塗膜への適用可能性を類推することは当業者にとって容易である。引用例4の3頁右上欄の「接着性」についての記載は,TMA/MDI単独重合体が金属箔に対して強固に接着するPAI樹脂であることを説明し,この金属箔は銅箔(実施例1)であるから,引用例4はTMA/MDI単独重合体が銅線に対しても接着性がよいことを開示している。
(3) 引用例2,3(甲7,8)は,TMAとMDI又はこれに対応するジアミン化合物とを反応させて得られるPAI以外のPAIについても言及している。
そして,引用例2には,PAI塗料が電線用エナメルに使用されることが記載され(25頁「4,応用分野」),引用例3には,PAI電線が機械的特性に優れていることが記載されている(4頁右欄)。スロット入れ作業やコイル成型時の損傷は,絶縁電線の被膜の機械的強度に関係するが,スロットやコイルの設計,作業方法等にも関係するから,スロットやコイルの設計,作業方法等を実機と同じ条件としないで,損傷の有無から被膜特性の優劣を比較することは単に絶縁被膜の機械的特性を相対的に評価しているにすぎない。スロット入れやコイル成型の際に,できるだけ被膜に損傷が生ずることのないよう作業をするのは当然のことであるから,ホルマール線被膜やポリウレタン被膜がスロット入れ作業やコイル成型時の被膜の損傷について記載がないことは,スロット入れ作業やコイル成型時に被膜が損傷を受けていないことを意味するものと理解するのが通常である。引用例3(甲8)には,「実際にはスロット入れ作業およびコイル成型時の損傷の大部分は摩擦の影響以外に,工具などの衝撃による損傷が含まれている。このような場合の機械的強度は,一般に皮膜の引張り強さと弾性率が大きい程強くなる」(6頁「3-1 工作性と機械的強度」)と記載され,被膜の損傷に関係する特性としてエナメル線表面の摩耗係数だけではなく,絶縁被膜の引張り強さや弾性率も関係することを開示している。引用例4(甲9)におけるTODIとMDIを併用したPAIのフィルムの伸び率は,引用例3の第1表(6頁)のホルマールの伸び率を考慮すると,絶縁電線に求められる伸び率として十分なものであり,破断強度は引用例1の図3に示されるようにMDI単独によるPAIよりも上昇している。また,引用例4の2頁右下欄〜3頁左上欄には,TODIと他のDIとのモル比が30:70〜90:10の範囲では可とう性,伸び率,強度が十分なものであることが示されている。引用例1の図3におけるTODI80モル%と30モル%の破断伸びの値は,同図3のグラフから,およそ5%,12%とそれぞれ読み取ることができる。そして,この値は,絶縁電線としてではなく,フィルム単独について測定された破断伸びであるから,引用例3の第1表(6頁)のホルマールの「伸び率」を考慮すると絶縁電線に求められる「伸び率」として十分な値であり,絶縁電線の絶縁被膜の状態で可とう性1dを十分満足する値である。被膜単独よりも絶縁電線の被膜の可とう性の値が大きくなるのは,絶縁電線では被膜が銅線と密着して絶縁被膜が均一に延伸されるためであるから,その影響は樹脂が変わっても変わることはなく,密着性が良好であれば,フィルムの特性から絶縁電線としたときの絶縁被膜の特性を予測することは可能である(ただし,絶縁電線の可とう性はその測定方法から1d,2d等の自己径の倍数刻みで表されるから,50%より大きい伸びはすべて1dとなる。)。異なる性質を持つDIを混合して用いた場合に,剛直構造を持つDIの含有割合に応じて剛直性が逓増し(弾性率が向上),可とう性が逓減(伸び率が向上)することは,当該技術分野における技術常識である。引用例1の図3も引用例4の実施例も,屈曲構造をもつDIと剛直構造をもつDIの併用により剛直性が逓増し可とう性が逓減することを示している。フィルムであっても,絶縁電線の絶縁被膜であっても,PAI自体が持つ性質が特性として現れるのであるから,引用例1の図3及び引用例4の実施例の結果から,TMA/MDIから成るPAIを絶縁被膜とする絶縁電線の弾性率を向上させるために,引用例1,4が開示するところに従って,MDIの一部をTODIで置き換えて本件発明1,2の構成に至ることは,当業者が容易に想到し得ることである。引用例4には,TMA/MDI・TODIからのPAIが密着性に優れていることが記載されているから,絶縁電線にしたときに優れた可とう性を示すであろうことは容易に予測し得たことである。
3 取消事由3(本件発明1,2の顕著な作用効果の看過)について (1) 引用例1(甲6)の図3(526頁)は,MDIをTODIと併用したとき,TODIの比率が増えるにつれて,ほぼ規則的に破断伸度が逓減し,破断強度が逓増することを示している。絶縁電線の可とう性は,d=1のとき伸び率が50%以上,d=2のとき50%未満,33%以上であり,d=1のときの伸び率の上限は自己径巻付け試験では現れないからフィルムでの破断伸度と絶縁電線の状態での伸び率が対応しないことにはならない。
(2) 本件明細書(甲4-3)の表1(13頁)は,絶縁被膜の密着性はTODIの割合が多くなるにつれて低くなることを示している。また,損傷荷重も比較例1の7.5kgが実施例1では8.0kgと改善されてはいるが,7.5kgと8.0kgとの間に臨界的な意義があるわけではない。弾性率,損傷荷重は絶縁被膜の破断強度と,可とう性,密着性は破断伸度とそれぞれ相関性を有するから,上記表1は,TODIの割合が多くなると弾性率,損傷荷重が高くなり,可とう性,密着性(浮き量)は低下する傾向を示しているが,これは引用例1(甲6)の図3(526頁)に示されたTODI/MDIの破断伸度,破断強度の傾向と一致しており,引用例1の図3から予測できたことである。
4 取消事由4(本件発明3の容易想到性の判断の誤り)について (1) 引用例5(甲10)の参考例14〜21,28,29には,酸成分としてTMAとイソフタル酸を併用した絶縁塗料の例が示されており,実施例3,4,6,7,10,12,13,16〜19,21,24,26〜28には,この絶縁塗料を用いた絶縁電線が開示されている。そして,引用例5には,イソフタル酸を使用した場合の効果は記載されていないが,イソフタル酸のような非対称の酸を原料の一部に用いて被膜の可とう性を改善する技術は周知であるから,引用例5においてイソフタル酸を使用した場合に可とう性が向上することは,当業者が容易に想到し得たことである。したがって,明文でイソフタル酸の添加の効果が記載されていなくとも,PAIの原料のTMAの一部をイソフタル酸で置き換えることは,当業者が引用例5から容易に想到し得たものである。ちなみに,イソフタル酸を使用してTMAの比率が低くなった分だけTMAによる効果,すなわち弾性率や損傷荷重が低くなることも当然であり,本件明細書(甲4-3)の表4(17頁)にはそのことが明確に示されている。引用例3(甲8)の「2-1-8 ポリエステル線」の項にも,「加工性をよくするために,イソフタル酸・・・を使用」(4頁左欄)と記載されており,本件発明3におけるイソフタル酸の効果を示唆している。
(2) 参考資料2(甲14)の実施例33(24欄)は,実施例1(15欄,16欄)のTMA80モル%をイソフタル酸で置き換えることにより,実施例1では伸度11.5%であったものが,実施例33では150%となったものである。実施例33では,イソフタル酸で置き換えた分だけTMAによるポリアミドイミドとしての性質が低くなっているのであるから,伸度がこれほど必要ではなく,かつ,ポリアミドイミドとしての性質を多く残そうとするとき,イソフタル酸の置換量を80モル%より少なくして5〜40モル%の範囲とすることは,当業者が容易に採用し得ることである。また,参考資料2は,ジアミンを出発原料とするものであるが,ジアミンとジイソシアネートとの違いは,ジアミンが脱水重縮合反応によりPAI樹脂を形成するのに対して,ジイソシアネートは脱炭酸ガスを伴う水重縮合反応によりPAI樹脂を形成する点であり,生成されるPAI樹脂は同じ分子構造を有している。そして,参考資料2には,ジイソシアネート成分を用いたPAI樹脂の製造を否定するような記載はない。
5 取消事由5(本件発明4の容易想到性の判断の誤り)について (1) 高分子の物性は,引用例1(甲6)の図3(526頁)からも明らかなように,主としてその分子骨格により特徴付けられ,高分子の分子骨格は反応させる単量体の組み合わせと配合量により決まるから,この意味でブレンド技術と共重合の技術は共通している。ポリイミドとポリアミドイミドは,分子骨格中で特有な構造を持つイミド環とアミド結合の存在に着目した命名であるから,MC技術においてポリイミドとポリアミドイミドに本質的な差異があるわけではない。したがって,本件発明4は,引用例1〜4に参考資料1(甲13)の周知技術を適用することにより,当業者が容易に想到し得たものであり,その奏する効果も,参考資料1に記載のMC技術の複合則から容易に予測し得るとした審決の判断に誤りはない。
(2) 参考資料1(甲13)には,本件発明4におけるTMA/TODI単独重合体に相当するビフェニル骨格を持つポリイミドと本発明におけるTMA/MDIに相当するベンゾフェノン骨格を持つポリイミドの混合物からフィルムをキャスティングしたことが記載されており,イミドとアミドイミドの違いはあるが,本件発明4の目的は,剛直性のビフェニル骨格をもつPAI樹脂と屈曲性のジフェニルメタン骨格をもつPAI樹脂のブレンドであるから,参考資料1の高分子ブレンドと原理は一致している。参考資料1には,ポリマーブレンドを芳香族ポリアミドイミドを対象として行ったことも記載されている(360頁第2段落)から,ポリアミドイミドについては開示及び示唆がないとする原告の主張は失当である。また,参考資料1には,ビフェニル型ポリイミドの難溶性を,前駆体の易容性PAA(ポリアミド酸)を用いて解決したこと(370頁第3段落),イミド環がビフェニル骨格についたポリイミドの前駆体の溶液は不透明であるが,長時間の混合により透明になること(375頁最終段落〜376頁第1段落)が記載されているから,PAI樹脂が不溶であることはブレンド技術の適用可能性を否定することにはならない。
6 取消事由6(本件発明5の容易想到性の判断の誤り)について 引用例4(甲9)には,DAIを用いたポリアミドイミドが金属層との密着性に優れていることが記載され(3頁右上欄),いわゆるダブルコート層とされた絶縁電線は周知技術である。したがって,下地層を設けることは,引用例6,4(甲11,9)に記載されているから,引用例1〜4(甲6〜9)と引用例6を組み合わせることにより,当業者が容易に想到し得た(審決謄本16頁「本件請求項5の発明・・・について」)とした審決の判断に誤りはない。
7 取消事由7(本件発明6の容易想到性の判断の誤り)について 表面潤滑層を設ける技術は,引用例7(甲12)にも示されるように本件特許の出願前からの周知技術である。そして,表面潤滑層は,絶縁被膜を摩耗や損傷から保護するものであって,絶縁層の性質によって何らかの効果を奏するようなものではなく,表面潤滑層を設けることは,引用例7(甲12)に記載されているように公知のことにすぎないから,引用例1〜4(甲6〜9)に引用例7に記載された事項を組み合わせることにより,当業者が容易に想到し得た(審決謄本16頁〜17頁「本件請求項6の発明・・・について」),とした審決の判断に誤りはない。
当裁判所の判断
1 取消事由1(本件発明1,2と引用例1記載の発明との一致点の認定の誤り)について (1) 引用例1(甲6)には,「1 緒言」に「芳香族ポリアミドイミド樹脂(以下PAIと略)は,溶融成形性を有する最高級の耐熱性樹脂であり,その優れた電気特性,機械特性とあいまって,スーパーエンプラとして工業的に利用されている。また,PAIはN-メチル-2-ピロリドンなどの極性溶媒に溶解し,電気絶縁用ワニスとしても工業的に使用されている。このようにPAIは加工性と耐熱性を併せ持ち,かつ重合も比較的容易なことから今後,いろいろの応用が期待される樹脂である。そこで本報告は種々の単量体を用いて種々のPAI樹脂を合成し,その物性を調べたものである」(523頁左欄)との記載があり,「2 実験」には,「等モル量の無水トリメリット酸(TMA)とジイソシアナートをN-メチル-2-ピロリドン(NMP)中,100〜200℃に加熱し,次式に従って合成した」(同頁同欄)と記載され,「用いた単量体」として,4,4’-ジフェニルメタンジイソシアナート(MDI),トリジンジイソシアナート(TODI)を挙げている。さらに,引用例1の図2には,TODIとMDIを用いて合成した共重合PAIフィルムのヤング率とTODI成分量(mol%)の関係が,図3には,TODIとMDIを用いて合成した共重合PAIフィルムの破断強度,破断伸度とTODI成分量(mol%)の関係が,それぞれ示されており,TODI成分が50〜80モル%の範囲内のPAIフィルムが記載されている。以上の記載から,引用例1は,芳香族PAIが電気特性,機械特性に優れ,電気絶縁用ワニスとして工業的に使用されるものであるとの前提に立った上で,種々の単量体を用いて種々のPAIを合成し物性を調べた結果を報告するものと認められるから,その「2 実験」に示された方法で合成され,フィルム物性が測定されたPAIも,上記のような芳香族PAIが一般的に有する特性を有し,電気絶縁用ワニスに使用されるものとして記載されていると認めることができる。そうすると,引用例1には,「少なくともDI成分と酸成分とを原料とするPAI系の絶縁塗料において,原料としてのDI成分がMDIとTODIとを主体とするDIであって,TODIを50〜80モル%の範囲内で含有する絶縁塗料」が記載されていると認められる。
(2) 原告は,電気絶縁用ワニスやエナメルはPAIの用途の一つにすぎず,引用例1(甲6)には,そこで合成した多種類のPAIが種々のフィルム物性を有することが示されているだけであって,それらのPAIが絶縁電線用エナメル又はワニスとして適した特性を有することまでは開示されていないと主張する。しかしながら,引用例1は,芳香族PAIが一般的に電気特性,機械特性に優れ,電気絶縁用ワニスとして工業的に使用されることを記載したものであるから,MDIとTODIとを主体とするDIであって,TODIを50〜80モル%の範囲内で含有するPAI樹脂も電気絶縁用ワニスとして使用可能な特性を有するとの前提で記載されているものと認められるところ,これが適した特性を有することの開示まで要するものではないから,原告の上記主張は採用することができない。
(3) 原告は,引用例1(甲6)が,PAIとして,絶縁電線用の電気絶縁用ワニスとして使用できない極性溶媒(NMP)に不溶性であるとされる「TMA/TODI単独重合体」(表1)や,絶縁被膜としての可とう性の水準が劣悪で,導体への密着性(浮き量)も不充分な「TMA/2,4-TDI・TODI共重合体」などを広く開示している点から見れば,引用例1に「得られた各PAIは,電気絶縁用ワニスとして用いられることが記載されている」ということはできないと主張する。しかしながら,DI成分としてTODIのみを用いたTMA/TODI単独重合体が特定の溶媒に不溶であることが記載されているからといって,DI成分としてTODIとMDIとを用いたTMA/TODI・MDIが同じように溶媒に不溶で電気絶縁用ワニスとして使用できないことを意味するものではないし,また,審決は引用例1に絶縁電線用の電気絶縁用ワニスが記載されていると認定したものではないから,本件明細書(甲4-3)の表3(16頁)及び実験成績証明書(甲16)により電線用被膜としての可とう性の水準が劣悪で導体への密着性(浮き量)も不充分であると認められる「TMA/2,4-TDI・TODI共重合体」が記載されていても,引用例1に「得られた各PAIは,電気絶縁用ワニスとして用いられることが記載されている」(審決謄本12頁[7]当審の判断第2段落)との審決の認定が誤りであるということはできない。
(4) 以上によれば,本件発明1,2と引用例1記載の発明との一致点を,「少なくともDI成分と酸成分とを原料とするPAI系の絶縁塗料において,原料としてのDI成分がMDIとTODI{式(I)で表される芳香族DI}とを主体とするDIであって,TODIを50〜80モル%の範囲内で含有する絶縁塗料」である点とした審決の認定を誤りということはできず,原告の取消事由1の主張は理由がない。
2 取消事由2(本件発明1,2の容易想到性の判断の誤り)について (1) 引用例2(甲7)には,アミドイミドポリマーの応用分野として,マグネットワイヤへの応用が記載され(25頁「4,応用分野」),引用例3(甲8)には,電線としてのポリアミドイミド線が記載されている(4頁右欄)から,PAIを電線被覆に用いることは,本件特許の出願当時,よく知られていたことが認められる。また,引用例3には,「エナメル線の工作性と機械的強度を,ここで特に取り上げた理由はマグネットワイヤーを取扱う者にとって非常に重要であるにもかかわらず未だ十分な評価方法がないことである。例えば電動機のスロット入れ作業の場合は挿入用工具による皮膜の損傷,自動巻線機では案内装置などで多かれ少なかれ皮膜は削りとられるか,銅線が伸張されるはずである。・・・実際にはスロット入れ作業およびコイル成型時の損傷の大部分は摩擦の影響以外に,工具などの衝撃による損傷が含まれている。このような場合の機械的強度は,一般に皮膜の引張り強さと弾性率が大きい程強くなる。すなわち応力-ひずみ曲線で囲まれる面積に左右されるわけである。第1表は筆者が測定したホルマール線皮膜およびポリウレタン線皮膜の引張り強さ,弾性率を示したもので,これらの差が工作性に大きく影響することも見逃すことができない。以上のような諸要因を含めてエナメル線に要求される機械的特性はつぎの三つに分類できる。@皮膜の耐摩耗性が優れていること。A皮膜と導体との密着性が優れていること。B可撓性(しなやかさ)が優れていること。これらの評価にはJIS C 3003の摩耗試験,密着試験,可撓試験が代表的である。これら試験機で測定した一例を示せば,第2表,第3表の通りである。特に耐摩耗性に関してはエナメル線の表面の摩耗係数が大きな要素をもっているので,これに対する改善が行われている」(6頁「3-1工作性と機械的強度」)と記載され,その「第1表 エナメル線皮膜の弾性率」(同頁)には,ホルマールについて,引っ張り強さ7.83kg/mm2,伸び7.81%,ヤング率2.63×109dyne/cm2,ポリウレタンについて,引っ張り強さ5.46kg/mm2,伸び7.21%,ヤング率1.50×109dyne/cm2と記載され,「第10表 PVF,PEW,UEW JIS規格値(特性)一覧表」(61頁)には,PVF,UEWの可とう性として「1d.10回巻付」との記載がある。以上の記載によれば,エナメル線には機械的特性として,@皮膜の耐摩耗性が優れていること,A皮膜と導体との密着性が優れていること,B可とう性(しなやかさ)が優れていることが要求されることが認められ,スロット入れ作業及びコイル成型時の損傷に対する機械的強度は,一般に皮膜の引っ張り強さと弾性率が大きいほど強くなることも認められる。そして,少なくとも皮膜の伸びが可とう性に関係することは原告も争わないところである。一方,引用例1(甲6)の図2には,TODI系共重合PAIフィルム(未延伸)のヤング率とTODI成分量(mol%)の関係が示されており,TODI50%,70%をMDIと共重合させたPAIフィルムのヤング率は,それぞれ,約320kg/mm2,約460kg/mm2であることが記載され,「TODIのmol%が高くなると得られるPAIフィルムのヤング率が高くなる傾向を示している」(525頁右欄)と記載されている。また,同図3(526頁)には,TODI系共重合PAIフィルム(未延伸)の破断強度,破断伸度とTODI成分量(mol%)の関係が示されており,TODI50%,80%をMDIと共重合させたPAIフィルムの破断強度は,それぞれ,約13.2kg/mm2,約14.8kg/mm2,破断伸度は,それぞれ,8%,5%であることが記載され,「破断強度はTODIのmol%の増加とともに増大するが,逆に破断伸度は減少する傾向がある」(526頁左欄)と記載されている。また,引用例4(甲9)の表1(5頁左上欄)には,DI成分がTODI:MDI比が4:6〜9:1の範囲にあるPAIは,銅箔との接着力が良好であることが記載されている。そうすると,引用例1に記載されたTODIを50〜80%含有するPAIフィルムは,引っ張り強さ(破断強度),ヤング率(弾性率),伸び(破断伸度)において,引用例3に記載された,電線被覆樹脂として公知のホルマールやポリウレタンと同等ないしより優れていることが認められ,また,銅との接着性にも優れているのであるから,引用例3記載の電線被覆に一般的に要求される特性,すなわち,@皮膜の耐摩耗性が優れていること,A皮膜と導体との密着性が優れていること,B可とう性(しなやかさ)が優れていることを満足しているものと認められ,このPAIを,一般にPAIの用途として知られている電線の被覆に採用することは,当業者が容易に想到するというべきである。したがって,「甲1(注,引用例1)及び甲4(引用例4)においてそれ自体公知の共重合PAI塗料を,甲2(注,引用例2)及び甲3(注,引用例3)に記載されたPAI塗料の代表的な用途として記載されている電線被覆材として用いること,即ち,導体上に塗布,焼き付けて絶縁電線とすることは,甲1〜甲4に記載された技術的事項を寄せ集めて総合的に判断すれば,これらに基づいて,当業者が容易に想到しえた」(審決書14頁第2段落)とした審決の判断に誤りはない。
(2) 原告は,引用例1(甲6)は,DI成分としてMDIをTODIと併用すると,MDI単独使用の公知のPAIに比べて,破断伸度(伸び率)が約1/4以下にまで急激に低下することを示しており,このようなポリアミドイミドを用いて絶縁被膜を形成すると,その可とう性が著しく低下することを示唆しているから,被覆電線の分野で使用することを否定していると主張する。しかしながら,50〜80%のTODIを含有するPAIの伸び率は,5〜8%であり,引用例3(甲8)に電線被覆樹脂として記載されたホルマールやポリウレタンのそれと同程度の数値を包含しているから,50〜80%のTODIを含有するPAIの伸び率の低下が被覆電線への適用を阻害するとは認められない。
(3) 原告は,引用例4(甲9)は,フィルムとしての特性を示しているにすぎず,引用例1(甲6)の開示内容を実質的に超えるものではないから,絶縁皮膜とした場合の特性を開示するものではないと主張する。しかしながら,引用例4の表1(5頁)に,TODI:MDI比が4:6〜9:1のPAIフィルムは,銅箔との密着性が良好であることが記載されていることは上記のとおりであり,そうであれば,同じPAIフィルムは銅線に対しても良好な密着性を有すると理解するのが通常であって,箔の形態では良好な密着性を呈するにもかかわらず,線の形態では密着性が不良となることが合理的に予想されるとの証拠はないから,PAIフィルムの特性についての記載は,絶縁皮膜としての適用可能性を示唆するものといえる。
3 取消事由3(本件発明1,2の顕著な作用効果の看過)について (1) 引用例3(甲8)の上記2(1)の記載によれば,スロット入れ作業及びコイル成型時の損傷に対する機械的強度は,一般に皮膜の引っ張り強さと弾性率が大きいほど強くなることが認められる。そして,引用例1(甲6)の図2(525頁)及び図3(526頁)によれば,50〜80%のTODIを含有するPAIの引っ張り強さと弾性率は,ホルマールやポリウレタンよりも大きいことも上記2(1)のとおりであるから,引用例1記載のPAIを電線被覆に用いれば,スロット入れ作業及びコイル成型時の皮膜の損傷に対する改善された機械強度を有することは,当業者が容易に予想し得ることである。また,引用例4(甲9)には,「式(1)で表わされる芳香族ジイソシアネートが30%以下になると,フレキシブル配線基板が,ポリアミドイミド樹脂層を内側にしてカールが生じてしまい,逆に90%以上になると,ポリアミドイミド樹脂の可とう性が減少し,ポリアミドイミド樹脂層の伸び,強度が十分でなくなるためである」(2頁右下欄〜3頁左上欄)と記載され,TODIが30〜90%であるPAIは,十分な可とう性及び伸びを有することが認められる。そして,PAIのDI成分としてTODI:MDI=4:6〜9:1のPAIフィルムは,銅箔との密着性が良好であることは上記2(1)のとおりであるところ,絶縁電線は,樹脂被膜(絶縁被膜)と導体(銅線など)との複合体であり,その可とう性が,樹脂被膜全体の伸びだけではなく,樹脂被膜と導体との間の密着力等にも関係することは,原告の自認するところである。そうすると,TODIが50〜80%であるPAIは,可とう性,伸び,導体との接着性に優れていることが認められることは上記のとおりであるから,引用例1(甲6)に記載されたPAIで被覆した電線が優れた可とう性を有することは,当業者が容易に予測することである。したがって,本件発明の「改善された損傷発生と良好な可撓性とを有する」との効果は,当業者が予想し得ない顕著な作用効果であるということはできない。
(2) 原告は,実験成績証明書(甲16)に基づき,伸びが同じであっても,可とう性には違いが生ずるから,本件発明の効果は当業者が予測し得ないものであると主張する。実験成績証明書には,TODI/2,4-TDIのモル比が40/60〜60/40であるPAIを絶縁電線とした場合に,可とう性が5dとなることが記載されている。そして,引用例1(甲6)の図3(526頁)によれば,TODI/2,4-TDIのモル比が40/60〜60/40であるPAIの破断伸度は,7%程度であることが認められ,TODI/MDIのモル比が50/50〜80/20のPAIの破断伸度5〜8%と同程度であることが記載されている。そうすると,実験成績証明書は,伸びの絶対値が同じであっても,可とう性には違いが生ずることを示しているということができる。この点に関して審決は,「2,4-TDIを原料とするPAIはもともと破断伸度が大きいものではないから,Fig.3に示されているようにTODI/2,4-TDIの組み合わせを50/50モル%,40/60モル%と変化させても,破断伸度は増大せず,可撓性も改善されないものと認められる。これに対して,MDIを原料とするPAIは破断伸度が大きいものであるから,TODIにMDIを組み合わせてPAIとすれば,TODIにより破断強度(機械的強度)が保持され,MDIにより破断伸度は増大し,可撓性も改善されると予測するのが当業者にとって自然なことである」(審決謄本14頁第4段落)とし,他方,「エナメル線被膜として用いた場合に1d.10回巻付の可撓性を持つているホルマール被膜やポリウレタン被膜における『引張り強さ(=破断強度)』が各々7.83kg/mm2,5.46kg/mm2程度,『伸び』が各々7.81%,7.21%程度,『ヤング率』が各々2.63×109dyne/cm2,1.50×109dyne/cm2程度であるところからみて,この程度の破断強度,伸び,ヤング率を具備しておれば,エナメル線被膜として用いた場合にスロット入れ作業やコイル成型時の損傷等による皮膜の損傷がなく,かつ,1d.10回巻付の可撓性を持つているエナメル線になしうることが理解できる。ところで,甲1(注,引用例1〔甲6〕)や甲4(注,引用例4〔甲9〕)に記載された本件発明と同一の組成範囲に入るPAIの伸び(=破断伸度)は,5〜12%(=甲1),12.1〜14.8%(=甲4)程度であるから,甲3(注,引用例3〔甲8〕)にエナメル線被膜として記載されているホルマール被膜やポリウレタン被膜における『伸び』と同程度若しくはそれより優れているものであるし,また,破断強度及びヤング率(=弾性率)についても,本件発明と同一の組成範囲に入るPAIの破断強度及びヤング率は,甲1の上記(1-3),(1-4)の記載内容から明らかなように,エナメル電線に使用することが甲2(注,引用例2〔甲7〕)に記載されているPAI(=TMAとMDIから合成されたPAI)の破断強度及びヤング率より優れたものとなっているところから,甲1や甲4に記載された本件発明と同一の組成範囲に入るPAIの機械的特性である伸び(=破断伸度),破断強度及びヤング率(=弾性率)は,エナメル電線に使用した場合には,甲2に記載されているTMAとMDIから合成されたPAIからなるエナメル電線ならびに甲3に記載されているホルマール被膜やポリウレタン被膜からなるエナメル電線と比べると,より優れた機械的特性を有していることが解る。しかも,甲4の上記(4-2),(4-4)の記載内容から明らかなように,伸びと可撓性は関係があり・・・エナメル電線に使用するに際して必要な可撓性,即ち1d.10回巻付の可撓性は充分に保有しているものと認められる」(審決謄本13頁第3段落〜14頁第1段落)とし,前者の説示においては,TODIの配合比による破断伸度の変化から可とう性の効果を論じ,後者の説示においては,破断伸度等の特性の絶対値を根拠に効果の予測性を論じており,説示にやや一貫性を欠くところがあるといわざるを得ない。しかしながら,絶縁電線は,樹脂被膜(絶縁被膜)と導体(銅線など)との複合体であり,その可とう性が,樹脂被膜全体の伸びだけではなく,樹脂被膜と導体との間の密着力等にも関係すること,また,引用例4(甲9)に,TODIが30〜90%のTMA/TODI・MDIは,可とう性,伸び,導体との密着性に優れることが記載されており,この樹脂を被覆した電線が可とう性に優れることは当業者が容易に予測できることは上記のとおりであるから,「甲1においてはPAIにおけるDI成分のうちTODIの配合割合は,50〜80モル%であって,90モル%以下となっているところから,PAIの可撓性も減少していない好ましい範囲内にあると認められるので,エナメル電線に使用するに際して必要な可撓性,即ち1d.10回巻付の可撓性は十分に保有しているものと認められる」(審決謄本14頁第1段落)とし,本件発明1,2の可とう性に関する効果が予測可能なものであるとした審決の判断(同15頁第1段落)に誤りはない。
(3) 以上のとおり,原告主張の取消事由3は理由がない。
4 取消事由4(本件発明3の容易想到性の判断の誤り)について (1) 審決は,本件発明3について,「甲3(注,引用例3〔甲8〕)・・・甲4(注,引用例4〔甲9〕)・・・に記載されているように『引張り強度』や『伸び』が,絶縁電線の『機械的強度』や『可撓性』と密接に関連があることは明らかであるところから,結局,2官能性の出発原料として,分子構造中に官能基が非対称に結合したもの,即ち折れ曲がり構造を有する酸を使用した場合に,伸びと関連した可撓性が増大することは,当業者にとって明らかなことと認められる。したがって,甲1(注,引用例1〔甲6〕)及び甲4に記載されているDI成分(TODI/MDI=80/20〜30/70,TODI:MDI及びTODI:EDIが,共に7:3,4:6である場合)とTMAとの共重合で得られたそれ自体公知のPAI塗料における,出発原料であるTMAの一部を分子構造中に官能基が非対称に結合した,即ち分子中に折れ曲がり構造を有する酸であるイソフタル酸で5〜40モル%置換することは,甲8(注,引用例5〔甲10〕)に記載の事項および参2(注,参考資料2〔甲14〕)に記載の周知事項に基づいて当業者が容易に想到しえた」(審決謄本15頁「本件請求項3の発明・・・について」)と判断し,被告は,引用例5(甲10)には,酸成分としてTMAとイソフタル酸を併用した絶縁塗料の例が示され,イソフタル酸のような非対称の酸を原料の一部に用いて被膜の可とう性を改善する技術は周知であるから,引用例5においてイソフタル酸を使用した場合に可とう性が向上することは,当業者が容易に想到し得たことであり,明文でイソフタル酸の添加の効果が記載されていなくとも,当業者はPAIの原料のTMAの一部をイソフタル酸で置き換えることは,引用例5から容易に想到し得たと主張するので,検討する。
(2) 本件発明3は,上記第2の2の【請求項3】記載のとおり,「一般式(T)で表される芳香族ジイソシアネートの含有割合が60〜80モル%」,「酸成分が,分子中に折れ曲がり構造を有する酸を,5〜40モル%の範囲内で含有する」として特定されるものであり,これにより本件明細書(甲4-3)の表4(17頁)の実施例10に示されるように,可とう性が改善され,密着性(浮き量)や損傷荷重も高水準を維持するものである。他方,引用例5(甲10)の参考例14〜21,28,29には,酸成分としてTMAとIPAを併用した絶縁塗料の例が挙げられ,参考例14(15頁)には,イソフタル酸0.5モルとTMA0.5モルとMDI1.0モルとを反応させて重合体を得ることが記載されているが,本件発明3の「一般式(T)で表される芳香族ジイソシアネート」のように,特定のDI成分との組合せにおいて,イソフタル酸を配合することについて記載するものではなく,また,イソフタル酸を採用することにより可とう性が改善され,密着性(浮き量)や損傷荷重も高水準を維持するという効果についても,何ら記載はない。
(3) また,参考資料2(甲14)には,TMA0.1モルとDAM(4・4’-ジアミノフェニルメタン)0.1モルとからなるフィルムの伸度が14.1%である(実施例2)のに対し,イソフタル酸0.08モルとTMA0.02モルとDAM0.1モルとから成るフィルムの伸度は150%である(実施例33)こと,TMA0.1モルとm-PDA(m-フェニレンジアミン)0.05モルとから成るフィルムの伸度が12.5%である(実施例3)であるのに対し,イソフタル酸0.06モルとTMA0.04モルとm-PDA0.1モルとからなるフィルムの伸度が23.8%である(実施例34)ことが記載されており,これによれば,イソフタル酸を配合することにより伸びが向上することが認められるが,参考資料2は,本件発明3で使用される,特定のDI成分との組合せにおいて,酸成分中にイソフタル酸を特定割合で配合して得られるPAIを,示唆するものではない。被告は,参考資料2(甲14)の実施例33(24欄)は,実施例1(15欄,16欄)のTMA80モル%をイソフタル酸で置き換えることにより,実施例1では伸度11.5%であったものが,実施例33では150%となったものであり,実施例33では,イソフタル酸で置き換えた分だけTMAによるポリアミドイミドとしての性質が低くなっているのであるから,伸度がこれほど必要ではなく,かつ,ポリアミドイミドとしての性質を多く残そうとするとき,イソフタル酸の置換量を80モル%より少なくして5〜40モル%の範囲とすることは,当業者が容易に採用し得ることであると主張するが,実験成績証明書(甲16)に記載されているように,伸びの値が同じであっても,電線被覆として用いた際に,同様の可とう性を有するものとはならないことが認められるから,単に伸びが向上するという理由で,イソフタル酸を適当な割合で配合したからといって,可とう性に優れ,密着性(浮き量)や損傷荷重も高水準を維持する電線被覆が得られるとは限らない。また,引用例3(甲8)には,加工性を良くするために,イソフタル酸を使用することが記載されているが,本件発明3で使用される特定のDI成分との組合せにおいて酸成分中にイソフタル酸を特定の割合で配合することにより,上記の効果が得られることについて開示するものではない。そして,他に効果の予測が容易であったと認めるに足りる証拠もない。
(4) 以上によれば,「甲1(注,引用例1〔甲6〕)及び甲4(注,引用例4〔甲9〕)に記載されているDI成分(TODI/MDI=80/20〜30/70,TODI:MDI及びTODI:EDIが,共に7:3,4:6である場合)とTMAとの共重合で得られたそれ自体公知のPAI塗料における,出発原料であるTMAの一部を分子構造中に官能基が非対称に結合した,即ち分子中に折れ曲がり構造を有する酸であるイソフタル酸で5〜40モル%置換することは,甲8(注,引用例5〔甲10〕)に記載の事項および参2(注,参考資料2〔甲14〕)に記載の周知事項に基づいて当業者が容易に想到しえた」(審決謄本15頁「本件請求項3の発明・・・について」)ということはできないから,これを前提とし,本件発明3は,引用例1〜5に記載された発明及び参考資料2に記載された周知技術に基づいて当業者が容易に発明することができたとした審決の判断は,誤りといわざるを得ない。
したがって,原告の取消事由4は,理由がある。
5 取消事由5(本件発明4の容易想到性の判断の誤り)について (1) 本件発明4は,上記第2の2の【請求項4】記載のとおり,本件発明1の「ポリアミドイミド系塗料」が,「一般式(I)で表される芳香族ジイソシアネートと酸成分とを原料として製造されたポリアミドイミド系塗料」と「ジフェニルメタン-4,4’-ジイソシアネート,ジフェニルメタン-3,3’-ジイソシアネート,ジフェニルメタン-3,4’-ジイソシアネート,ジフェニルエーテル-4,4’-ジイソシアネートから選ばれた1種または複数種のジイソシアネートと酸成分とを原料として製造されたポリアミドイミド系塗料」との混合物として特定される「絶縁電線」であり,本件明細書(甲4-3)の表3(16頁)によれば,TODIとTMAとから成る単独重合体(比較例3)とMDIとTMAとから成る単独重合体(比較例2)との混合物を採用した場合,損傷荷重が8.0kg(実施例7),8.5kg(実施例8),可とう性d=1という効果を奏するものである。
(2) ところで,参考資料1(甲13)には,「主鎖に剛直な化学構造をもつ高分子を屈曲性高分子のマトリックス中に分子状に分散させて力学的性質の向上を目指す分子複合材料(Molecular Composite,MC)は,マクロな繊維強化複合材料の概念を分子レベルに拡張して新しい高性能素材を生み出す可能性のある高分子複合系として知られている」(353頁第1段落),「分子複合材料の基本形は屈曲性高分子中に剛直な高分子を分子状に分散させた高分子ブレンドである。ブレンド中の構成分子は,それぞれアイデンティティーを有し,力学的役割を分担しつつ強度,弾性率の発現に寄与する」(353頁第4段落)と記載されているが,他方,「これまで述べたように,PPTAやPBTなど多くの剛直な芳香族高分子は,本質的に難溶で凝集しやすく,マトリックス中に分子状分散を達成することは容易ではない」(381頁第3段落),「このように分子複合化の強化分子に関する難溶と凝集性という本質的難題は,ブロック共重合化やグラフト化,あるいはPIの易溶な前駆体PAAを利用した混合,共重合化などにより強化分子の特性を保ちつつ解決することが必要とされ,最終成形物の化学構造と高次構造を明確に描いたうえでMCの構成分子を巧みに分子設計することこそ将来に道を開くものと思われる」(382頁最終段落)とも記載されており,これらの記載によれば,剛直な芳香族高分子は難溶で凝集しやすいため,MC化することが難しく,強化分子の特性を保ちつつ解決することが必要とされることが認められる。また,参考資料1には,「直線性のよいPI(BPDA/PDA)と屈曲性のPI(BPDA/ODA)は熱イミド化を通じ前者は自己伸長・配向し,後者は配向緩和する。分子複合化フィルムは図13・19のようにそれぞれが役割分担して高強度化を発現するために,これら2成分が直列につながった同組成の共重合体とは強度特性が異なると考えられる」(373頁第2段落)とも記載されており,単独重合体のブレンド物と共重合体とでは強度特性に違いが生じる場合があることも認められる。そして,TODI/MDIを所定の比率で含有している,TODIと酸成分とからなるポリアミドイミド系塗料とDMIと酸成分とから成るポリアミドイミド系塗料との混合物自体が公知であったと認めるに足りる証拠もない。そうすると,参考資料1(甲13)にMC技術が記載されているからといって,引用例1に記載された共重合体にMC技術を適用して,TODIと酸成分とから成るポリアミドイミド系塗料とDMIと酸成分とから成るポリアミドイミド系塗料との混合物とする本件発明4の構成に至ることが容易であるとはいうことはできず,また,当該混合物を使用した場合の効果も当業者が予測できたものということもできない。
(3) 以上によれば,本件発明4は,引用例1〜4に記載された発明及び参考資料1に記載された周知技術に基づいて当業者が容易に発明することができたとした審決の判断は,誤りといわざるを得ない。
したがって,原告の取消事由5は,理由がある。
6 取消事由6(本件発明5の容易想到性の判断の誤り)について (1) 原告は,引用例1〜4(甲6〜9)には,本件発明5の絶縁電線の開示はなく,引用例6(甲11)には,本件発明1に規定する特定のポリアミドイミド系塗料を上層とすることについて具体的な開示はなく,また,本件発明5は,下地層を形成することにより,高度の可とう性と損傷荷重を維持しながら,密着性(浮き量)が顕著に改善されるが,このような作用効果は,引用例1〜4及び引用例6からは予測することができないから,本件発明5について,引用例1〜4と引用例6を組み合わせることにより,当業者が容易に想到し得たものであり,その奏する効果も引用例6,4に記載された効果の域を出ない(審決謄本16頁「本件請求項5の発明・・・について」)とした審決の判断は誤りであると主張する。
(2) しかしながら,引用例6(甲11)には,「ポリアミドイミド系絶縁塗料を導体に焼付けた絶縁層を下層とし,この上に熱硬化性ポリエステルイミド系絶縁塗料を焼付けた絶縁層を上層とする構造の絶縁電線」(41欄「特許請求の範囲」),「ポリアミドイミド系絶縁塗料を導体に焼付けた絶縁層を下層とし,熱硬化性ポリエステルイミド系絶縁塗料を焼付けた絶縁層を上層とする構造の場合は,上記の如き耐熱衝撃性,耐熱軟化性,耐湿性,耐冷媒性等のポリエステルイミド系絶縁塗料の有するすぐれた特性をそこなうことなく,あるいはより向上せしめ,導体との密着性が著るしく改良せられ,高速の自動巻線機の使用条件にも充分に耐えることができるすぐれた絶縁電線を提供するものである」(2欄)と記載され,実施例1(36欄)には,参考例3(35欄)に記載された,TMA1.0モル,MDI1.0モルを反応させて得られたポリアミドイミド絶縁塗料を下層として用いた例が記載され,第3表(20頁)には,下層を施さない比較例1に比べて膜浮きが良好であることが記載されている。また,引用例4(甲9)には,「ポリアミドイミド塗料を金属箔上に直接あるいは接着層を介して,塗布流延し加熱処理を行いポリアミドイミド樹脂層を形成する」(3頁左上欄),「前記接着層としては,金属箔と強固に接着するものが好ましく,構造式が式(2)で表されるポリアミドイミド樹脂層が最も好ましい」(3頁右上欄)と記載されている。そして,上記の式(2)で表されるポリアミドイミド樹脂は,ジフェニルメタン-4,4’-ジイソシアネートとトリメリット酸無水物とを含むポリアミドイミド系塗料に相当する。
そうすると,引用例1(甲6)記載のPAIを電線に被覆する際にも,導体との密着性を向上するために引用例6に記載されているように下地層を設けること,そして,その際,下地層として引用例4(甲9)に金属箔とポリアミドイミドを強固に接着するものとして記載されたのと同じ樹脂を用いることは,当業者が容易に想到することと認められ,また,本件明細書(甲4-3)の表1(13頁)によれば,ジフェニルメタン-4,4’-ジイソシアネートとトリメリット酸無水物とを含むポリアミドイミド系塗料から成る下地層を設けた実施例5の浮き量は1.5であり,下地層を有しない実施例3の浮き量2.5に比べいくらか改善されているが,この密着性改善効果は,上記引用例4,6の記載から当業者が予測し得ないものということはできない。
(3) したがって,本件発明5について,引用例1〜4と引用例6を組み合わせることにより,当業者が容易に想到し得たものであり,その奏する効果も引用例6,4に記載された効果の域を出ない(審決謄本16頁「本件請求項5の発明・・・について」)とした審決の判断を誤りということはできず,原告の取消事由6の主張は理由がない。
7 取消事由7(本件発明6の容易想到性の判断の誤り)について (1) 原告は,引用例1〜4(甲6〜9)には,本件発明1,2の絶縁電線の開示はなく,引用例7(甲12)には,本件発明1に規定する特定のポリアミドイミド系塗料から成る被覆層について具体的な開示はなく,また,本件発明6は,表面潤滑剤を施すことにより,高度の可とう性(d=1mm)を維持しつつ,密着性が改善され,損傷荷重については9.5kgと顕著に改善された絶縁電線を得ることができるから,本件発明6について,引用例1〜4に引用例7に記載された事項を組み合わせることにより,当業者が容易に想到し得たと認められ,その奏する効果も予想し得る程度のものにすぎない(審決謄本16頁〜17頁「本件請求項6の発明・・・について」)とした審決の判断は,誤りであると主張する。
(2) しかしながら,引用例7(甲12)には,「本発明は・・・電気絶縁層の表面に外部潤滑剤被覆を有し,これにより電気絶縁層に損傷が及ぼされることなくそのワイヤの挿入困難寸法範囲にてコイル溝内に容易に動力挿入し得るマグネットワイヤを提供することを目的としている」(2頁右下欄)と記載されており,潤滑剤層を設けること及びそれにより損傷が防止されるとの技術事項が開示されている。そうすると,引用例1(甲6)記載のPAIを電線に被覆する際に,損傷を防止するため,上記引用例7に記載されているように潤滑層を設けることは,当業者が容易に想到することというべきである。そして,本件明細書(甲4-3)の表5(18頁)によれば,表面潤滑層を設けた実施例12,13は,可とう性,弾性率及び浮き量については表面潤滑層を有しない実施例2と同水準であるが,その損傷荷重は9.5であり,表面潤滑層を有しない実施例2の損傷荷重8.5に比べいくらか改善されていると認められるものの,この損傷荷重の改善効果は,引用例7の上記記載から当業者が予測し得ないものということはできない。
(3) したがって,本件発明6について,引用例1〜4(甲6〜9)に引用例7(甲12)に記載された事項を組み合わせることにより,当業者が容易に想到し得たと認められ,その奏する効果も予想し得る程度のものにすぎない(審決謄本16頁〜17頁「本件請求項6の発明・・・について」)とした審決の判断を誤りということはできず,原告の取消事由7の主張は理由がない。
8 以上のとおり,原告主張の取消事由1〜3,6,7はいずれも理由がないが,取消事由4,5はいずれも理由があるから,審決中,特許第2936895号の請求項3,4に係る発明についての特許を無効とするとの部分を取り消し,原告のその余の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 篠原勝美
裁判官 岡本岳
裁判官 長沢幸男