運営:アスタミューゼ株式会社
  • ポートフォリオ機能


追加

関連審決 無効2000-35460
関連ワード 進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  一致点の認定 /  上位概念 /  技術常識 /  発明の詳細な説明 /  優先権 /  参酌 /  置換 /  容易に想到(容易想到性) /  実施 /  設定登録 /  請求の範囲 / 
元本PDF 裁判所収録の全文PDFを見る pdf
事件 平成 14年 (行ケ) 256号 審決取消請求事件
原告 昭和電工株式会社
訴訟代理人弁護士 吉澤敬夫
同 牧野知彦
同 内田幸男
被告 エフ・ホフマン−ラロシュ アーゲ ー
訴訟代理人弁理士 津国肇
同 束田 幸四郎
同 齋藤房幸
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2003/06/25
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
請求
特許庁が無効2000─35460号事件について平成14年4月8日にした審決を取り消す。
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は,名称を「養魚飼料用添加物」とする特許第2139541号発明(昭和61年1月30日出願,平成10年12月18日設定登録。以下,その特許を「本件特許」という。)の特許権者である。
被告は,平成12年8月31日,原告を被請求人として,本件特許について無効審判の請求をしたところ,原告は,同年11月28日,特許請求の範囲等を訂正(以下「本件訂正」という。)する訂正請求をした。特許庁は,同審判請求を無効2000-35460号事件として審理した上,平成14年4月8日に「訂正を認める。特許第2139541号発明についての特許を無効とする。」との審決をし,その謄本は,同年4月18日,原告に送達された。
2 本件訂正に係る明細書(以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲【請求項1】に記載された発明(以下「本件訂正発明」という。)の要旨 アスコルビン酸活性を示す有効成分としてL-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類を含有することを特徴とする,ニジマス,ヒメマス,シロザケ,アユ,アマゴ,ヤマメ,ハマチ,タイ,コイ,またはウナギのペレット飼料の中に配合する養魚用ペレット飼料用添加物。
(注)以下,「アスコルビン酸-2-リン酸エステル」は,「アスコルビン酸-2-ホスフェート」,「アスコルベート-2-ホスフェート」と同じ物質を意味し,「L-アスコルビン酸」は,ビタミンCを指す。
3 審決の理由 審決は,別添審決謄本写し記載のとおり,本件訂正発明は,特開昭52-136160号公報(本訴甲4・審判甲4,以下「第1引用例」という。)に記載された発明(以下「第1引用例発明」という。),Chen-Hsiung(Eldon)Lee, "Syntheses and Characterization L-ascorbate phosphates and their stabilities in model systems"(1976)(本訴甲13・審判甲5,以下「第2引用例」という。)及び昭和55年11月15日恒星社厚生閣発行,荻野珍吉編「魚類の栄養と飼料」292頁〜306頁(本訴甲14・審判甲10)に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,本件特許は,特許法29条2項に違反してされたものであり,平成5年法律第26号による改正前の特許法123条1項1号に該当し,その特許を無効とすべきものであるとした。
原告主張の審決取消事由
審決は,本件訂正発明と第1引用例発明との一致点の認定を誤り(取消事由1),本件訂正発明の顕著な選択的な作用効果を看過した(取消事由2)結果,本件訂正発明の容易想到性を誤って肯定したものであるから,違法として取り消されるべきである。
1 取消事由1(一致点の認定の誤り) (1) 審決は,本件訂正発明と第1引用例発明とは「『アスコルビン酸活性を示す有効成分としてL-アスコルベート-2-ホスフェートの塩を含有する,魚の飼料の補充剤』である点で一致する」(審決謄本12頁下から第2段落)と認定したが,誤りである。
第1引用例(甲4)の記載において「魚の餌の補充剤として用いられることが知られている」(3頁左上欄第1段落)とされているのは,「L-アスコルビン酸の2-サルフェート」であって,「L-アスコルベート-2-ホスフェートの塩」(L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩類)ではない。第1引用例発明の出願当時,魚に投与することが知られていたのは,「L-アスコルビン酸の2-サルフェート」のみであり,「L-アスコルビン酸のリン酸エステルの塩類」を魚に投与することを示す文献は存在しない。このことは,原告従業員A作成の調査報告書(甲5,6)のほか,Federation of American Societies for Experimental Biology, 56th Annual Meeting, April 9-14, 1972, Symposia and Special Sessions Abstracts of Papers, 2764(甲7),Annals of the New York Academy of Sciences, vol.258,p.81〜101(1975)(甲8)から明らかである。第1引用例発明の出願後も,前者については,特開昭52-102192号公報(甲9)外の文献が見られるのに対し,後者については,Progressive Fish-Culturist 47, No.1, p.55-59(1985)(甲10)があるのみである。
(2) 第1引用例(甲4)の「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートおよび2-サルフェート誘導体類は動物中でビタミン活性を示し,動物によって有用な安定なビタミンC誘導体とされ,このものは例えば魚の餌の補充剤として用いられることが知られている」(3頁左上欄第1段落)との記載は,第1引用例発明の優先権の基礎とされた米国特許第4179445号の明細書(甲11)の「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートおよび2-サルフェート誘導体類は動物中でビタミン活性を示すことが知られており,そのことによって,それらは,例えば魚の餌の補充剤として用いられる可能性がある有用かつ安定なビタミンC誘導体となる」(甲11の抄訳第1段落)との記載中の「それらは」との表現とは異なっており,「このもの」と単数形で表示することで,「魚の餌の補充剤」として知られているのが「このもの」の直前に記載されている「L-アスコルビン酸の2-サルフェート誘導体」であることを示している。このように,第1引用例の上記の記述は,客観的な事実に反するから,当業者がこれを信頼し,みずからの発明の基礎とするに足りるものではなく,これを容易想到性の判断の基礎とすることは誤りである。また,第1引用例は,基本的にリン酸エステルの「製法」に関する発明で,「魚の餌の補充剤」の用途はたまたま引用した単なる例示にすぎず,L-アスコルビン酸2-ホスフェート誘導体の形(遊離酸の形か塩の形か,有効な置換対),飼料形態,投与方法,有効な魚種など,魚の餌の補充剤として必要な技術的事項の開示は皆無であるから,特許法29条2項にいう「刊行物に記載された発明」ということはできない。
(3) 第1引用例に「魚の餌の補充剤として用いられることが知られている」とされているものは,「塩」ではなく,遊離酸のホスフェートを意味しているにすぎない。化合物として遊離酸と塩類とは異なる物質であり,単に「L-アスコルビン酸の2-ホスフェート(誘導体類)」とした場合には,アスコルビン酸の誘導体である遊離酸を指すというのが当業者の一般的な用法であって,このことは,原告従業員B作成の報告書(甲33),Chemical Abstracts, Formula Index, Vol.104(1986)329F(甲34),特公昭58-44667号公報(甲35),特開昭51-16656号公報(甲36)のほか,アスコルビン酸リン酸エステルそのものを得るという第1引用例発明の目的からもいえることである。第1引用例の実施例等には塩類について記載されているが,実施例は合成されたアスコルビン酸リン酸エステルを確認するために塩の形に変えているものであり,単に単離するための手段にほかならない。
(4) 被告は,審決が,魚類にホスフェートエステル基を開裂する酵素であるホスファターゼが広く存在するという技術常識参酌して第1引用例に記載された発明を認定していると主張するが,ホスファターゼには互いに性質の異なる様々な酵素が含まれ,また,酵素は基質特異性を有するから,ホスファターゼであればすべてのリン酸エステルを分解し得るとはいえず,魚類のホスファターゼがL-アスコルビン酸2-ホスフェートの塩類を分解してアスコルビン酸を生成するとは必ずしもいえない。
2 取消事由2(顕著な作用効果の看過) (1) 本件訂正発明における「L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩」は,魚の飼料の補充剤として,他の誘導体とは比較にならない顕著な選択的な作用効果を奏するものであるから,これを看過して本件訂正発明の容易想到性を肯定した審決の判断は誤りである。
L-アスコルビン酸誘導体には膨大な種類があり(甲15の報告書),魚の種類により,また,遊離酸形か塩形かによっても,効果が異なり,実験によって確かめなければ誘導体と動物の組合せにおける有効性は分からない。審決は,本件明細書の「実施例2,第2表で比較されているデータは,『アスコルビン酸-2,6-ジパルミテート』の場合を除いて,養魚に給餌する際にペレット飼料中に残存しているビタミンC源化合物量が多くなければ,ビタミンC代替品としての作用を十分果たし得ない,という当然の結果を示しているものである。その中で『L-アスコルベート2-リン酸エステルの塩』が優れた生存率を示していることは,アスコルビン酸との比較においては甲第4号証の記載(4b)から当然である」(審決謄本17頁第2,第3段落)としているが,本件明細書には,アスコルビン酸-2,6-ジパルミテートが,ペレット中のビタミンCの残存量が多くても生存率が悪いことが示されており,これによれば,誘導体の種類と生物の種類の組合せによってはビタミンCとして全く効果がないことが明らかである。
また,審決は,「『アスコルビン酸-2,6-ジパルミテート』については,リン酸エステルのマグネシウム塩に比べて,生体におけるアスコルビン酸への変換率が1/3の低率であることが本願特許出願前知られている化合物である(甲第3号証[注,本訴甲16]第392頁右欄1行〜第393頁左欄4行参照)から,そのような化合物との対比において養魚用のペレット飼料用添加剤として優れていたからといって,格別の効果を奏するものと評価することはできない」(審決謄本17頁第3段落)としているが,アスコルビン酸の誘導体の種類と動物の種類による効果については,様々な見解があり(日光ケミカルズ社発行「アスコルビン酸ジパルミテート」カタログ,1頁上段(甲17)),長期の実験によって確かめるほかなく,L-アスコルビン酸-2-サルフェートの生化学的な性質が魚種によって異なることが知られている(甲8,J. Nutr. 108(1978)p.1761〜1766(甲18))のであるから,モルモットについての実験結果と同様なアスコルビン酸への変換率が,作用機序の異なる魚の体内で達成されるかどうかは実験しなければ分からないことである。
さらに,熱や酸素に安定であって特定の動物に有用であっても,養魚用の飼料添加剤としては有用でないアスコルビン酸の誘導体が知られている(J. C. S. Perkin I, (1974)p.1220(甲19),ビタミン49巻11号(1975)439頁〜444頁(甲21),魚に対する給餌および栄養摂取に関する第3回国際シンポジウム,ロシュ・ワークショップ(1989)(甲12),上記甲17,ビタミン37巻2号(1968)147頁〜151頁(甲20),J. Nutr. Sci.Vitaminol. 38(1992)p.235〜245(甲22),化学と生物29巻11号726頁〜733頁(甲23))から,養魚用ペレット飼料添加物として有用か否かは,実験して結果を確かめないと分からないことである。
(2) 「アスコルビン酸-2-リン酸エステルマグネシウム」は,アスコルビン酸-2,6-ジパルミテート,アスコルビン酸ステアレート,アスコルビン酸と比較して優れたアスコルビン酸欠乏症抑制効果を示している(本件明細書の実施例2,第2表)。「アスコルビン酸-2-リン酸エステルマグネシウム塩」の要求量はアスコルビン酸に比して著しく低く,ビタミンCとしての活性ははるかに大きい(平成4年1月5日緑書房発行養殖臨時増刊号添加商品29巻1号臨(通巻347号)(甲29),平成4年2月社団法人日本水産学会発行日本水産学会誌58巻2号337頁〜341頁(甲30))。
(3) 第1引用例(甲4)にいう「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートおよび2-サルフェート誘導体類」が,遊離酸のみならず,その塩類を包含する意味であるとしても,この上位概念に含まれる,遊離酸であるL-アスコルビン酸の2-ホスフェートおよびその塩,L-アスコルビン酸の2-サルフェートおよびその塩などのうちで,「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートの塩」のみが,塩類であることによって極めて特異的な効果を奏する(本件明細書の第2表)から,この点のみで本件訂正発明には進歩性が認められる。粉末状の塩類より液状の遊離酸の方が配合に有利であるから,当業者は遊離酸を用いるはずである。
被告は,甲13をもって,酸性下における遊離酸状態のものよりアルカリ性下における塩の方が熱や酸素に安定であることは,当業者が容易に認識できると主張するが,甲13はpHが1と13という極端なpH差の場合を示しているのに対し,本件訂正発明においては,遊離酸であっても100ppm程度の薄さで水に溶解されるから極めて弱い酸性で,塩として用いる場合はほぼ中性であり,ほとんどpH差がない。
(4) 「L-アスコルビン酸2-リン酸エステルの塩類」は,ペレット飼料中に配合される小麦粉や魚粉等の動植物由来の原料中に存在するホスファターゼ等の酵素により,分解されることが予想される(The Journal of Biological Chemistry, Vol.235, No.8(1960)p.2278〜2280(甲31))から,「L-アスコルビン酸2-リン酸エステルの塩類」の,高温高圧下におけるペレット調製工程での安定性,ペレット飼料の保存中での安定性,給餌したとき水中での安定性の予見は困難である。
(5) アスコルビン酸誘導体類の中で,商業的に事業化に至っているのは,「アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩」のみである(甲25の報告書,「養殖」平成4年7月1日号78頁(甲26),化学工業日報2000年12月21日号(甲27),平成14年4月25日付け官報第3349号(甲28),平成9年9月29日付け化学工業日報(甲37))。
被告の反論
審決の認定判断は正当であり,原告主張の取消事由はいずれも理由がな い。
1 取消事由1(一致点の認定の誤り)について (1) 第1引用例(甲4)は,明確に,「L-アスコルビン酸の2-ホスフェート誘導体類」が魚の餌の補充剤として用いられることが知られていると記載している。審決は,原告が引用する箇所(なお,「このもの」という語が単数のみを示すとは必ずしもいえない。)のみならず,第1引用例の他の箇所の記載や魚類にホスフェートエステルを開裂する酵素ホスファターゼが広く存在する等の技術常識(乙1〜6)も勘案して,上記一致点を認定したものであって,その認定に誤りはない。第1引用例の記載に接した当業者は,「L-アスコルビン酸の2-ホスフェート誘導体類」が,ホスフェートエステルを開裂することが知られている酵素の存在により,ほとんどすべての動物中でビタミンC活性を示し,例えば,魚の餌の補充剤として用いることができることを認識し得る。また,第1引用例において具体的に提供されているのは,実施例に示されているように,「L-アスコルベート2-ホスフェートの塩類」のみであるから,審決のいう「アスコルビン酸活性を示す有効成分としてL-アスコルベート2-ホスフェートの塩を含有する,魚の飼料の補充剤」という発明を認定することができる。
(2) 原告が主張するように,第1引用例の出願前に,「L-アスコルビン酸の2-ホスフェート誘導体」を魚に与えることを記載した刊行物が皆無であっても,第1引用例の記載事実が左右されるわけではないし,原告の文献検索も完全とはいえない。また,第1引用例発明の出願後に,「L-アスコルビン酸の2-ホスフェート誘導体」を魚に与えることを記載した文献が長年にわたって存在しなかったとしても,L-アスコルビン酸の2-サルフェート誘導体を魚に与えることを記載した文献が多数存在したとしても,第1引用例(甲4)の記載内容とは無関係である。
(2) 原告が主張する,第1引用例発明の優先権の基礎とされた米国特許第4179445号の明細書(甲11)の記載からも,「L-アスコルビン酸の2-ホスフェート誘導体類」が魚の餌の補充剤として使用され得ることが知られていること,すなわち,「L-アスコルビン酸の2-ホスフェート誘導体類」が魚の餌の補充剤として用いられる可能性のあることが直接に認識できる。
(3) 原告は,第1引用例(甲4)記載の「L-アスコルビン酸の2-ホスフェート(誘導体類)」は遊離酸を指すとするのが当業者の一般的な用法であると主張するが,L-アスコルビン酸の2-ホスフェート誘導体類は,遊離酸の形態と塩の形態の両方を含むものである。
(4) 平成4年12月1日東京化学同人発行「生化学辞典(第2版)」84頁〜85頁(乙11)には,アルカリ性ホスファターゼがほとんどすべてのリン酸モノエステル結合を加水分解する非常に特異性の広い酵素でその存在は高等動物から細菌に及ぶことが記載されており,同558頁〜559頁(乙12)には,酸性ホスファターゼがリン酸エステルを加水分解する酵素で広く動物界,植物,細菌に分布することが記載されているから,乙1〜6記載の酸性及びアルカリ性ホスファターゼは,基質特異性が低く,広範囲のリン酸モノエステルを加水分解できることが分かる。
2 取消事由2(顕著な作用効果の看過)について (1) 第1引用例(甲4)に記載された誘導体は,「L-アスコルベート2-ホスフェートの塩」に限定されているので,膨大な種類のものが存在するわけではなく,本件訂正発明で規定されている魚種も代表的ないし周知のものである。
(2) 原告は,第1引用例における「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートおよび2-サルフェート誘導体類」が遊離酸のみならずその塩類を包含すると仮定しても,「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートの塩類」のみが選択的かつ格段の効果を奏するから,本件訂正発明は進歩性が認められるべきと主張するが,甲4には,「L-アスコルベート2-ホスフェートの塩」そのものを含有する魚の餌の補充剤が具体的に記載されているのであるから,塩のみが格段の効果を奏するとしても選択発明として成立する余地はなく,進歩性を肯定することはできない。
(3) 第1引用例(甲4)に記載された「L-アスコルベート2-ホスフェートの塩を含有する魚の餌の補充剤」ではなく,他の誘導体と比較しても,本件訂正発明が引用発明に対して顕著な選択的効果を奏することの証明にはならない。
(4) 第2引用例(甲13)には,「L-アスコルベート2-ホスフェート」が酸性よりアルカリ性で格段に安定であることが示されているから,酸性下における遊離酸状態のものよりアルカリ性下における塩の方が安定であることは,当業者が容易に認識できる事項である。原告は,粉末状の塩の形態より液状の遊離酸の形態の方が配合に便利であるから,当業者は遊離酸を用いるはずであると主張するが,液状の遊離酸は,希釈や噴霧の工程が追加的に必要となり,効率的であるとはいえないし,「L-アスコルベート2-ホスフェート」は強酸性物質であって,製造,使用,貯蔵,輸送において不便である。
(5) 原告は,原料中に含まれるホスファターゼ等の酵素がアスコルビン酸誘導体のペレット中での安定性に極めて大きな影響を及ぼすところ,この点を考慮していない審決の認定は誤っていると主張するが,本件訂正発明の特許請求の範囲の記載においてホスファターゼなどの酵素が必須であることは規定されていない上,ペレット中にホスファターゼが含まれるとしても,飼料製造中に高温高圧でホスファターゼなどの酵素は失活すると考えるのが当業者の常識であるから,原告の上記主張は失当である。
当裁判所の判断
1 取消事由1(一致点の認定の誤り)について (1) 原告は,本件訂正発明と第1引用例発明とが「『アスコルビン酸活性を示す有効成分としてL-アスコルベート-2-ホスフェートの塩を含有する,魚の飼料の補充剤』である点で一致する」(審決謄本12頁下から第2段落)とした審決の認定が誤りであると主張するので,第1引用例(甲4)の記載について検討するに,甲4には以下の記載がある。
ア 「本発明(注,第1引用例発明)は広範囲の食品に使用しうる安定 な栄養価値のあるビタミンC源として有用なホスホリル誘導体類を製造するためのモノアスコルビル-およびジアスコルビル-2-ホスフ ェートの合成法に関する」(2頁右上欄3.〔発明の詳細な説明〕) イ 「L-アスコルビン酸は,それを特定の化学誘導体に変えることに よって,酸素及び熱に対して一層安定化されうることが知られている。特にL-アスコルベート2-ホスフェートまたはL-アスコルベート2-サルフェートの如きアスコルビン酸の2-位置の無機エステル類は,L-アスコルビン酸のようには容易に酸化されない。さらには,L-アスコルビン酸の2-ホスフェートおよび2-サルフェート誘導体類は動物中でビタミン活性を示し,動物によって有用な安定なビタミンC誘導体とされ,このものは例えば魚の餌の補充剤として用いられることが知られている。ホスフェートエステル基を開裂することが 知られている酵素が動物の消化系に存在するから,かかる2-ホスフェートエステルは,殆ど全ての動物中で活性を示すと考えられる」(3頁左上欄第1段落) ウ 「L-アスコルベート2-ホスフェートを合成するいくつかの方法 が過去に提案されてきておりまた該ホスフェートエステルが期待通り 高ビタミンC効力を有することが示されている。例えば,・・・は, モルモット(guinea pig)にL-アスコルベート2-ホスフェートマグネシウム塩を給餌または注射すると,モルモットが尿中にL-アスコルベートを排泄することを発表している[Gazz Chim. Ital. 91(1961), 964]。L-アスコルベート2-ホスフェートを与えられた動物によって排泄されたL-アスコルビン酸の量は,当量のL-アスコルビン酸を与えた動物によつて排泄された量と同じであった。これらの結果は, L-アスコルベート2-ホスフェートは腸内で定量的にL-アスコルベートと無機燐酸塩とに変化することを示している」(3頁左上欄第2段落) エ 「ホスホリル化反応の完結後,2-ホスフェートモノエステルは,無定形マグネシウム塩の形でまたは結晶性トリシクロヘキシルアンモニウム塩(TCHAP)の形で単離することができる」(5頁右下欄第3段落) オ 「この時点で,単離されたマグネシウム塩は実質的に純粋なL-アスコルベート2-ホスフェートであり」(6頁左上欄) 甲4の以上の記載,殊に,上記ウの「L-アスコルベート2-ホスフェートを合成するいくつかの方法が過去に提案されてきておりまた該ホスフェートエステルが期待通り高ビタミンC効力を有することが示されている。例えば,・・・L-アスコルベート2-ホスフェートマグネシウム塩を」の記載,エの「2-ホスフェートモノエステルは,・・・塩の形で単離することができる」の記載,オの「単離されたマグネシウム塩は実質的に純粋なL-アスコルべート2-ホスフェートであり」の記載によれば,甲4における「L-アスコルベート2-ホスフェート」が,「L-アスコルベート2-ホスフェートの塩」をも意味する用語として用いられていることは明らかであり,加えて,甲4の実施例において実際に製造されているのが,「L-アスコルベート2-ホスフェートの塩」のみであることからすれば,甲4においては,「L-アスコルベート2-ホスフェートの塩」が,上記イに記載された「魚の餌の補充剤に用いられる」ものとして位置付けられていると認めるのが相当である。
(2) また,第1引用例(甲4)に「ホスフェートエステル基を開裂することが知られている酵素が動物の消化系に存在するから,かかる2-ホスフェートエステルは,殆ど全ての動物中で活性を示すと考えられる」との記載のあることは上記(1)イのとおりであるところ,第1引用例発明の出願前の刊行物であるActa histochem.Bd.47,S.8-14(1973)(乙2)(8頁Summary)には,「Clarias batrachus(LIXX.)(アルビノクララ),Ophiocephalus(Channa)punctatus(BLOCH)(インディアンスネークヘッド),Ophioce phalus(Channa)gachua(BLOCH)(ドワーフスネークヘッド)およびBarbus(Puntius)sophore(HAM.)(Pool barb)の消化器系の種々の部分における,アルカリホスファターゼの分布について研究した。胃においては,ホスファターゼは粘膜,固有層,胃腺,毛細血管およびリンパ腔の基底部分に分布している」との記載が,Acta histochem.Bd.53,S.206-210(1975)(乙3)(206頁Summary)には,「Cirrhinus reba(Reba),Ompak bimaculatus(Butter catfish)およびLabeo gonius(Kuria labeo)の腎臓における,酸およびアルカリホスファターゼの局在化について研究した。これらの魚すべてにおいて,近位尿細管で酵素が見られる」との記載が,Endokrinologie,68(1),1976,S.80-85(乙4)(80頁Summary)には,「ラタフィッシュ(Ophicephlus punctatus)は,チロキシン含有媒体(0.025μg/ml)中に15-30日間浸漬後,肝臓におけるアルカリ性及び酸性ホスファターゼ活性の増加を示した」との記載がある。さらに,Journal of Faculty of Fisheries,Prefectural University of Mie,Vol.6,No.3,p.291-301,December15,1965(乙5)(291頁)には,養殖ニジマス器官内の,酸性ホスファターゼ,アルカリ性ホスファターゼを含む5種類のホスファターゼの測定法を検討し,これらの酵素の魚体分布を明らかにした報告が記載され,同p.303-311(乙6)(303頁)には,11種類の養殖魚の各器官における,酸性ホスファターゼ,アルカリ性ホスファターゼの含量等について研究した報告が記載されている。これらの記載によると,「ホスフェートエステル基を開裂することが知られている酵素」(上記(1)イ)である酸性ホスファターゼ及びアルカリ性ホスファターゼが,魚類にも広く存在することは,第1引用例(甲4)の頒布時において技術常識であったことが認められる。
(3) 以上のような第1引用例(甲4)の記載及びその頒布時における技術常識を勘案すれば,第1引用例において「L-アスコルベート2-ホスフェートマグネシウム塩」が期待どおりモルモットの体内において「L-アスコルベート」(L-アスコルビン酸)の形に活性化されることが確認されている(上記(1)ウ)のと同じように,「L-アスコルベート2-ホスフェートの塩」が,ホスファターゼを有する魚の体内でも「L-アスコルビン酸」に開裂されて活性を示すことは,実際にこれを確認した試験例や魚の餌の補充剤として必要な技術的事項等まで具体的に記載されていなくとも,当業者においてこれを合理的に理解し得ることであって,甲4の上記(1)イの「魚の餌の補充剤」に係る記載が,原告主張のように,たまたま引用した単なる例示にすぎないとはいえず,実体を伴った用途として当業者に把握されるものというべきである。したがって, 第1引用例発明が特許法29条2項にいう「刊行物に記載された発明」ということはできないとする原告の主張は,採用の限りではなく,甲4には「L-アスコルベート-2-ホスフェートの塩を含有する,魚の飼料の補充剤」が記載されているとして,この点を第1引用例発明と本件訂正発明との一致点とした審決の認定に誤りはない。
(4) 原告は,第1引用例発明の出願当時,魚に投与することが知られていたのは「L-アスコルビン酸の2-サルフェート」であると主張し,その根拠として,「L-アスコルビン酸のリン酸エステルの塩類」を魚に投与することを示す文献が存在しないこと(甲5〜10),魚の餌の補充剤として用いられるビタミンC誘導体に関する甲4の記載が第1引用例発明に係る優先権基礎明細書(甲11)の記載とは異なることなどを主張するが,これらの点は,甲4の記載及びその頒布時における技術常識から導かれる上記(3)の認定を何ら左右するものではない。
原告は,また,甲33〜36によって「L-アスコルビン酸の2-ホスフェート」が遊離酸を示す用語であり,実施例は合成されたアスコルビン酸リン酸エステルを確認するために塩の形に変えているもので単に単離するための手段にすぎないとも主張するが,一般的には,「L-アスコルビン酸の2-ホスフェート」が遊離酸を示す用語として用いられるものであるとしても,甲4においては,「L-アスコルベート2-ホスフェート」が「L-アスコルベート2-ホスフェートの塩」をも意味する用語として用いられていることは前示のとおりであるから,原告の上記主張は採用することができない。
原告は,さらに,ホスファターゼには互いに性質の異なる様々な酵素が含まれ,酵素は基質特異性を有するため,魚のホスファターゼが「L-アスコルビン酸2-ホスフェートの塩類」を分解してアスコルビン酸を生成するとは必ずしもいえないと主張する。
しかし,平成4年12月1日東京化学同人発行「生化学辞典(第2版第4刷)84頁〜85頁(乙11)には,アルカリ性ホスファターゼがほとんどすべてのリン酸モノエステル結合を加水分解する非常に特異性の広い酵素であり,その存在は高等動物から細菌に及ぶことが記載され,同558頁〜559頁(乙12)には,酸性ホスファターゼがリン酸エステルを加水分解する酵素であり,広く動物界,植物,細菌に分布することが記載されている。これらの記載によれば,魚の体内に存在する酸性及びアルカリ性ホスファターゼは,基質特異性が低く,広範囲のリン酸モノエステル結合を含むL-アスコルビン酸2-ホスフェートの塩類を加水分解することができ,それによりアスコルビン酸を生成する蓋然性が極めて高いものと認められるから,原告の上記主張も理由がない。
(5) したがって,原告の取消事由1の主張は理由がない。
2 取消事由2(顕著な作用効果の看過)について (1) 原告は,本件訂正発明における「L-アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩」は,魚の飼料の補充剤として,他の誘導体とは比較にならない顕著な選択的な作用効果を奏するものであると主張し,さらに,特定の「L-アスコルビン酸の誘導体」が特定の動物に対して有効であるかどうかは,実際に実験をして確かめなければ分からないものであるところ,「L-アスコルビン酸2-リン酸エステルマグネシウム」は,他の誘導体やリン酸エステルの遊離酸と比較して,アスコルビン酸欠乏症抑制性,ビタミンC要求量等の点で,顕著な選択的な作用効果を奏するものであり,審決はこの点を看過していると主張する。
しかし,ある発明が,特定の引用発明を出発点として進歩性を有するか否かを検討する際に参酌されるべき効果とは,当該引用発明と比較した場合における有利な効果というべきところ,上記のとおり,第1引用例(甲4)の頒布時の技術常識参酌すれば,甲4には「L-アスコルベート-2-ホスフェートの塩を含有する,魚の飼料の補充剤」が記載されていると認定できる以上,この点において,本件訂正発明は第1引用例発明と一致するのであるから,「L-アスコルビン酸2-リン酸エステルマグネシウム」が,他の誘導体やリン酸エステルの遊離酸と比較して優れた効果を奏するとしても,その効果は,引用発明と比較した効果といえないことは明らかである。そして,本件訂正発明が,甲4に記載された「L-アスコルベート-2-ホスフェートの塩を含有する,魚の飼料の補充剤」の発明と比較して有利な効果があるという事実を認めるに足りる証拠はないのであるから,審決が,本件訂正発明の顕著な選択的な効果を看過したとする原告の主張は理由がない。
なお,本件訂正発明に係る「L-アスコルビン酸2-リン酸エステルの塩」は,魚に広く存在することが明らかな酵素ホスファターゼによりリン酸エステル結合が分解されてL-アスコルビン酸に活性化されるものであるところ,原告が実験により確かめなければ有効性は分からないとして挙げる証拠は,いずれも「L-アスコルビン酸のサルフェート」,「アスコルビン酸のパルミチン酸エステル」,「アスコルビン酸2-O-α-グルコシド」に関するものであり,リン酸エステル結合を有しないこれらの物質は,ホスファターゼによってL-アスコルビン酸に活性化されるものではないから,これらの証拠は,実験によらなければ「L-アスコルビン酸2-リン酸エステルの塩」の有効性は分からないとする原告の主張を裏付けるものとはいえない。
(2) 原告は,第1引用例(甲4)にいう「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートおよび2-サルフェート誘導体類」が,遊離酸のみならず,その塩類を包含する意味であるとしても,この上位概念に含まれる,遊離酸であるL-アスコルビン酸の2-ホスフェートおよびその塩,L-アスコルビン酸の2-サルフェートおよびその塩などのうちで,「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートの塩」のみが,塩類であることによって極めて特異的な効果を奏するから,この点のみで本件訂正発明には進歩性が認められると主張する。しかし,甲4には,原告主張の上位概念である「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートおよび2-サルフェート誘導体類」を含有する魚の餌の補充剤ではなく,上記のとおり,「L-アスコルベート-2-ホスフェートの塩」そのものを含有する魚の餌の補充剤が記載されているのであるから,「L-アスコルビン酸の2-ホスフェートの塩」のみが極めて特異的な効果を奏するとしても,本件訂正発明が選択発明として成立する余地はなく,原告主張の理由により本件訂正発明の進歩性を肯定することはできない。
原告は,「L-アスコルビン酸2-リン酸エステルの塩類」は,ペレット飼料中に配合される動植物由来の原料中に存在するホスファターゼにより分解されることが予想されるから,安定性の予見は困難であると主張するが,本件訂正発明は,特許請求の範囲の記載から見て,ホスファターゼを含有することが明らかな原料の配合を必須の構成とするものではないから,ホスファターゼ含有の原料の配合を前提とする原告の上記主張は理由がない。
(3) 原告は,商業的に事業化に至っているのは,「アスコルビン酸-2-リン酸エステルの塩」のみであると主張するが,ある発明の実施に係る商業的成功が当該発明の進歩性を推認させる一つの根拠となり得る場合があるとしても,商業的成功には様々な要因が関与しているのが通常であり,本件においては,原告主張のような事実があったとしても,そのことのみで本件訂正発明の進歩性を肯定することは困難である。
(4) したがって,原告の取消事由2の主張は理由がない。
3 以上のとおり,原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく,他に審決を取り消すべき瑕疵は見当たらない。
よって,原告の請求は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 篠原勝美
裁判官 岡本岳
裁判官 早田尚貴