関連審決 | 審判1999-8243 |
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関連ワード | 技術的思想 / 製造方法 / 頒布された刊行物 / 進歩性(29条2項) / 容易に発明 / 相違点の認定 / 相違点の判断 / 周知技術 / 発明の詳細な説明 / 要約書 / パリ条約 / 優先権 / 数値限定 / 技術的意義 / 容易に想到(容易想到性) / 実施 / 加工 / 発明の範囲 / 拒絶査定 / 請求の範囲 / |
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事件 |
平成
14年
(行ケ)
246号
審決取消請求事件
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原告 クルーシブルマテリアルス コーポレーション 訴訟代理人 弁護士 木下洋 平、弁理士桑原英明 被告 特許庁長官今井康夫 指定代理人 中村朝 幸、沼澤幸 雄、一色 由美子、林栄二、大 橋信彦 |
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裁判所 | 東京高等裁判所 |
判決言渡日 | 2003/08/28 |
権利種別 | 特許権 |
訴訟類型 | 行政訴訟 |
主文 |
原告の請求を棄却する。 訴訟費用は原告の負担とする。 この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。 |
事実及び理由 | |
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原告の求めた裁判
特許庁が平成11年審判第8243号事件について平成13年12月26日にした審決を取り消す、との判決。 |
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事案の概要
本件は、拒絶査定を維持した審決に対する審決取消訴訟である。 1 特許庁における手続の経緯 原告は、発明の名称を「硫黄含有粉末冶金工具鋼物体」とする発明につき、平成6年9月26日、パリ条約による優先権(出願日1993年9月27日)を主張して特許出願(平成6年特許願第254124号)をし、平成9年9月19日付けの手続補正書により補正をしたが、拒絶査定を受けた(平成11年2月24日謄本送達)ので、平成11年5月14日、拒絶査定に対し審判を請求するとともに、同日付けで手続補正をした。 特許庁は、この審判の請求を平成11年審判第8243号として審理し、平成13年11月29日に「平成11年5月14日付けの手続補正を却下する。」との決定をし、平成13年12月26日に「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、平成14年1月21日に審決謄本を原告に送達した。なお、原告は、上記審判の手続及び本訴において、補正却下決定の違法を主張してはいない。 2 本願発明の要旨 本願の特許請求の範囲の記載(平成9年9月19日付け手続補正書(甲4)による補正後のもの)は、次のとおりである(請求項1の発明を「本願発明」という。) 請求項1 15μm以下の最大硫化物サイズを持ち、重量%で、0.80〜3.00%の炭素、0.20〜2.00%のマンガン、0.10〜0.30%の硫黄、0.04%までのリン、0.20〜1.50%のシリコン、3.00〜12.00%のクロム、0.25〜10.00%のバナジウム、11.00%までのモリブデン、18.00%までのタングステン、10.00%までのコバルト、0.10%までの窒素、0.025%までの酸素及び残り鉄及び付随的不純物よりなる工具鋼合金の窒素ガス噴霧され、予め合金化された粒子の熱加工され、完全に密に圧密された塊よりなる機械加工できる粉末冶金製造された硫黄含有工具鋼物体。 (請求項2ないし7の記載省略) 3 審決の理由 (1)審決は、別紙審決書のとおり、本願発明はその優先権主張日前に頒布された刊行物である特開平4-80305号公報(甲3、以下「引用例」という。)に記載された発明(以下「引用発明」という。)に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないと判断した。 (2)上記の結論を導くにあたり、審決が認定した本願発明と引用発明との一致点及び相違点は、以下のとおりである。 【一致点】 制限された最大硫化物サイズを持ち、重量%で、2.8%の炭素、 0.3%のマンガン、硫黄、0.3%のシリコン、4.2%のクロム、5%のバナジウム、6%のモリブデン、14%のタングステン、10%のコバルト及び残り鉄及び付随的不純物よりなる工具鋼合金のガス噴霧され、予め合金化した粒子の熱加工され、完全に密に圧密された塊よりなる機械加工できる粉末冶金製造された硫黄含有工具鋼物体、である点。 【相違点1】制限された最大硫化物サイズに関し、本願発明が、「15μm以下の最大硫化物サイズを持ち」としたのに対し、引用発明ではそのサイズが不明な点。 【相違点2】工具鋼合金に関し、本願発明が「0.10〜0.30%の硫黄」としたのに対し、引用発明は「0.01〜1.5%程度の硫黄」としている点。 【相違点3】工具鋼合金に関し、本願発明が「0.04%までのリン、0.10%までの窒素、0.025%までの酸素」を有するのに対し、引用発明ではそれらを有するかどうか不明な点。 【相違点4】工具鋼合金のガス噴霧にあたり、本願発明が「窒素ガス噴霧」としたのに対し、引用発明ではどのようなガスを噴霧するのか不明な点。 |
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原告主張の取消事由の要点
1 本願発明と引用発明との対比における一致点及び相違点の認定の誤り(取消事由1) 審決は、引用発明について、「硫化物はその最大サイズが制限されたものということができる。」(審決書3頁)と認定した上で、引用発明と本願発明とは「制限された最大硫化物サイズを持」つ(審決書4頁)点で一致するとしたが、この認定は誤りであり、これを前提とする相違点1の認定も誤りである。 引用発明は、介在物のアスペクト比を制限したものであって、しかも、介在物の長さ1μm以下を前提とするものであるから、本願発明のような15μm以下の最大硫化物サイズを許容する技術的思想を教示するものではない。 すなわち、引用例には、介在物の大きさについて、「長さ1μmを越える介在物の存在」という記載と、「平均粒径にして0.5μm以上」という記載があるが、 これらはいずれも介在物の最大寸法を特定するものではない。引用発明は、長さ1μmを超える介在物の存在を否定することを前提とし、例えば平均粒径0.5μm以上の比較的大型の快削介在物が粗大化してもそのアスペクト比(横寸法に対する縦寸法の比)を1.5以下に押さえ込み、長さ1μmを超えることのないようにすることによって、機械的特性を低下させずに被削性向上効果を享受しようというものである。 以上のように、引用例には、介在物としての硫化物の最大サイズ(寸法)をどう規制するかという技術的思想が全く存在しないのであるから、硫化物の最大サイズを制限するという点で本願発明と引用発明に差異がないとした審決の認定は誤りである。 2 相違点についての判断の誤り(取消事由2) 本願発明は、0.10〜0.30重量%の相対的に高い硫黄含量が、硫化物の寸法が最大約15μm以下に維持されるなら、衝撃と曲げ破壊強度に示されるごとく、それらの強度と靱性を低下させることなく、所望の工具形状に容易に切削され得る高速度工具鋼を提供し得ることを見いだしたものであり、0.10〜0.30重量%の範囲内の硫黄の存在と15ミクロン以下の最大硫化物サイズに維持することの組合せに特徴を有する発明である。 これに対し、引用発明は、前記1で述べたとおり、最大硫化物寸法を制御することの有益な結果については何の認識もない。また、本願発明の硫黄含量と最大硫化物サイズの組合せを示唆するものでもない。 審決は、以下に詳述するとおり、引用例にいう介在物の粗大化の解釈を誤り、誤った解釈に基づき本願発明の「15μm以下の最大硫化物を持」つ点を引用発明から推考容易であるとし、しかも、本願発明の工具鋼物体の機械的性質及び機械加工性を考慮することなく、当業者が適宜なし得るとしたものであって、相違点についての判断を誤っている。 (1)相違点1について 審決は、「引用例に記載の発明において、物体の靭性を劣化しないようにするために、最大硫化物サイズをこの相違点に係る本願発明の範囲内とすることは当業者が容易になし得ることであり、しかも、そのようにしたことによる作用効果は、当然予想できた範囲内のものといえる。」(審決書5頁)と判断しているが、そもそも引用発明は、鍛造後の介在物のアスペクト比を特定するものであって、「最大硫化物サイズ」という技術的思想が存在しないのであるから、引用例から本願発明の「15μm以下の最大硫化物サイズ」という要件が容易に導き出されるとする審決には、明らかに論理の飛躍があり、誤りである。引用例は、本願発明のような15μm以下の最大硫化物サイズを許容する技術思想を全く示唆していない。 (2)相違点2について ア 審決は、相違点2の判断の前提として、「鋼の被削性を向上させるために、硫黄を0.10〜0.25%の範囲で含有させることは周知技術である」(審決書5頁第18、19行)と認定したが、かかる周知技術は立証されていない。被告が周知技術の例として挙げる乙1の文献(「若い技術者のための機械・金属材料」)に記載されたものが本願発明に係る粉末冶金工具鋼に該当するかどうかは不明である。 イ 本願発明は、0.10から0.30重量%の範囲内の硫黄含有量と、最大硫化物サイズを15μm以下に維持することとの組合せにより、改良された衝撃と破壊強度との組合せによって切削性の改良を達成するものである。引用例は「15μm以下の最大硫化物サイズを持ち」という条件下で硫黄を0.10から0.30%まで含有させることを全く教示していないし、このような条件を導き出すための動機付けとなる記載もない。また、硫黄の含有量及び/又は最大硫化物サイズのいずれが物体の強度に影響を与え得るという教示もない。 (3)相違点3について 本願発明では、重量で、0.80から3.00%の炭素、0.10から0.30%の硫黄の存在下で、0.04%までのリン、0.10%までの窒素、0.025%までの酸素を添加しているが、この炭素、硫黄を含有する鋼がリン、窒素、酸素の存在により衝撃と曲げ破壊強度を確保することは「よく知られている」(審決書5頁)ことではない。 「リン、窒素、酸素のそれぞれの含有量をこの相違点に係る本願発明のように規定する理由について、本願明細書中に何の説明もなされていない。」(審決書5頁)とあるが、これらの元素の含有量の特定が衝撃や曲げ破壊強度を損なうことなく、切削性の改良に寄与していることは本願明細書の記載から明らかである。 したがって、それぞれの元素の含有量を本願発明の範囲内に規制することは当業者が適宜なし得ることでない。 (4)顕著な効果の看過 各相違点に関する構成は当業者が容易になし得るものでなく、本願発明は各相違点のようにしたことにより衝撃や曲げ破壊強度を損なうことなく、切削性を改良するという相乗効果を奏している。 引用例においては、機械的性質は低下せず、しかも、被切削性向上効果を十分享受できるとされているが、本願発明の実施例の試料92-19及び試料92-20は、547-739(ksi)の曲げ破壊強度、120-141の値のドリル機械加工指数を示し、これらの強度に対応する引用例の抗折力(337-380)と切削指数(90-100)を上回っているのである。 審決は、本願発明が工具鋼物体の機械的性質(衝撃、曲げ破壊強度)を損なうことなく機械加工性を向上させるという相乗効果を看過したものである。 |
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被告の反論の要点
1 一致点・相違点の認定の誤り(取消事由1)に対して 引用発明は、介在物(硫化物)のサイズを単にアスペクト比だけで規定したものではなく、熱間加工前の硫化物が粗大化、大型化しないようにするという前提のもとに、熱間加工後の硫化物のアスペクト比を規定したものである。工具鋼中の硫化物は、鍛造(鍛伸)などの熱間加工を受けることにより、延伸されている、すなわち、圧縮される方向(横方向)には薄く短くなり、それと直角の延伸する方向(縦方向)には長くなっている。そうすると、引用発明において、介在物(硫化物)の粗大化が進まず、熱間加工前のサイズが比較的大型にならないように制限されていれば、以後、横方向の長さはそのサイズ以下に制限されることになるから、熱間加工後の大きさをアスペクト比で1.5以下と規定することにより、縦方向の長さも自動的に制限されることになる。このように、引用発明は、硫化物の縦方向の長さ(すなわち最大サイズ)を制限することを当然の前提とし、その上でさらにアスペクト比で異方性を制限しているのである。 原告は、引用例には15μm以下の最大硫化物サイズを許容する技術思想が存在しないと主張するが、本願発明は、最大硫化物サイズを15μm以下の範囲の値(下限の限定がないから1μm以下も当然含まれる。)とするというものであり、 硫化物の最大サイズを制限するという点で本願発明と引用発明との間に技術的思想に差異はないから、審決の上記認定に誤りはない。 なお、引用例に硫化物の最大サイズが具体的数値で示されていないという点については、審決において、これを相違点1として認定し、検討しているところである。 2 相違点についての判断の誤り(取消事由2)に対して (1)相違点1について 原告は、引用例は15μm以下の最大硫化物サイズを許容する技術思想を全く示唆していないと主張するが、相違点1の容易性の判断にあたっては、引用例がその許容値を示唆しているかどうかは無関係である。本願発明は、最大硫化物サイズを15μm以下の範囲の値(下限の限定がないから1μm以下のサイズも当然含まれる。)を持つようにするというものであるから、介在物(硫化物)が15μm以下の範囲内の値を持つことが容易かどうかを判断すれば足りるのである。 引用例には、従来技術として、鍛造後の製品には1μmを超える介在物(硫化物)の存在することが記載されていることから 審決では、引用発明において、硫化物は、鍛造後に延伸した方向の長さが大きくならない(1μmを超えることがない。)ようにし、かつ、もともと粗大化しないようにされていることを前提に、最大硫化物サイズを15μm以下の範囲内における値を持つようにすることは、当業者が容易になし得るものと判断したものであり、この判断に誤りはない。 (2)相違点2について ア 文献(「若い技術者のための機械金属材料」、乙1)には、「鋼の被削性を向上させるために、硫黄を0.10〜0.25%の範囲で含有させる」点が周知技術であることが示されている。 イ 0.10〜0.30重量%の範囲内の硫黄の存在と15μm以下の最大硫化物寸法に維持することの「組合せ」に原告主張のような特徴は存在しない。 すなわち、硫黄の含有量と最大硫化物サイズに関し、本願明細書の【表3】には、実験工具鋼とされる試料4例(うち2例は、硫黄の含有量が本願発明の範囲外(0.10重量%より小さい)のもの)について、一方の増大によって他方も増大するようなデータが示されているが、最大硫化物サイズはいずれも本願発明の範囲内のものであり、【表5】によれば、硫黄含有量の少ない2例は、ドリル機械加工性指数の値が小さくなっている。このことから、本願発明の硫黄含有量の下限は、 切削性の点のみから選択されたもので、下限を超えた硫黄の含有が「衝撃と破壊強度」に顕著な影響を及ぼすものではない。 これに対し、引用例は、硫黄を0.01〜1.5%の範囲で含有させ、かつ、全ての含有範囲にわたって最大硫化物サイズを制限するものであり、それによって、 機械的特性が低下せず、しかも、被削性向上効果を十分に享受し得るものなのである。しかも、本願発明の硫黄の含有範囲は、周知の範囲(前記ア)と重なっているのであるから、本願発明の「15μm以下の最大硫化物サイズを持ち」という条件と「0.10〜0.30%の硫黄」という条件の組合せを選択することは、引用発明から当業者が適宜になし得るものである。 (3)相違点3について 原告は、リン、窒素、酸素の含有量の特定が衝撃や曲げ破壊強度を損なうことなく、切削性の改良に寄与していると主張するが、その根拠を示しておらず、かつ、 これらの元素の作用についても示すものではないから、本願発明においてこれらの元素は何ら特別の元素ということはできない。 そして、これらの元素は、不純物として、あるいは合金元素として鋼に通常含有され、かつ、それぞれの元素が鋼に与える影響もよく知られているものであるから、審決が、「それらの元素の添加量、あるいは、不純物としての許容量は、当業者が目的に応じて適宜定め得るものである。」としたことに何ら誤りはない。 (4)顕著な効果の看過に対して 本願発明は、各相違点のようにしたことにより格別の相乗効果を生み出すものではない。 なお、原告は、審決が相違点の判断において「本願発明の工具鋼物体の機械的特性(衝撃、曲げ破壊強度、ドリル機械加工性)を考慮することなく、当業者が適宜なし得るとした」と主張するが、曲げ破壊高度及びドリル機械加工性については、 引用例に、「抗折力」(曲げ破壊強度と同等のもの)及び「切削指数」(本願発明のドリル機械加工性と同等のもの)として示されており、衝撃性についても、引用例には衝撃試験として抗折力が測定されていることから、引用例では抗折力を用いて強度と衝撃性とが同時に考慮されていることがわかる。審決は、これを前提として、「本願発明は各相違点のようにしたことにより特に相乗的な作用効果を奏するものではない。」と判断しているのである。審決が本願発明の工具鋼物体の機械的特性(衝撃、曲げ破壊強度、ドリル機械加工性)を考慮していないとの原告の主張は当たらない。 |
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当裁判所の判断
1 本願発明及び引用発明について (1) 本願発明 ア 本願明細書(甲2、4)の発明の詳細な説明欄に記載されたところによれば、本願発明は、「一般の硫黄含量より高い硫黄含量を持ち、熱間加工された粉末冶金工具鋼で作られた工具鋼物体」【0001】に関するものであって、その目的とするところは、「硫黄の存在及び生じている硫化物が機械的性質に重大な有害効果を及ぼさず、改良された機械加工性及び粉砕能」【0007】を与え、より特定の目的としては「硫黄の存在及び生じている硫化物が、曲げ破壊強度により示されたように、靱性を有意に劣化させない熱間加工高硫黄含有粉末冶金製工具鋼から作られた工具鋼物体を提供すること」【0008】にあるとされている。 本願明細書の発明の詳細な説明欄には、さらに、 @本願発明の前提とする従来技術に関して、工具鋼は「充分な強さ、靱性及び耐摩耗性をもち、・・・適切な機械加工性と粉砕能を持たなければならない」【0002】ところ、「工具鋼における硫黄の存在は、硫化物を作ることにより機械加工性と粉砕能を改良し、道具成分を使る(「作る」の誤記)ため使用された切断工具と、操作の間に鋼から除かれたチップとの間の潤滑剤として作用(し)、・・・工具製造に伴う切断操作の間、チップ破壊を促進し、更に操作し易く」【0003】しているが、「約0.10%以上の硫黄の使用は、在来のインゴット-鋳鉄工具鋼の熱間加工性を減じ、機械的性質、特に靱性に悪影響を及ぼすと知られており」、 「粉末冶金で作られた工具鋼の性質は、・・・硫黄含量の変化及び硫化物のサイズ、分布に更に敏感である。」【0004、0005】ため、「一般には約0.07%以上の量で硫黄は粉末冶金製工具鋼に使用されない。」【0006】と説明され、 A 課題を解決するための手段に関し、「この発明により、最大約15ミクロン以下の硫化物サイズで0.10から0.30重量%の硫黄含量をもつ工具鋼合金の、窒素ガス微粉化され予め合金化された粒子の、熱間加工され完全に密に圧密された塊よりなる機械加工のできる粉末冶金製硫黄含有工具鋼物体が提供されている。」【0009】、「発明は、約15ミクロンの最大硫化物サイズで・・・(上記と実質上同文記載)・・・粉末冶金硫黄含有工具鋼物体の製造法を含んでいる。」【0012】として、本願発明における課題解決手段が簡潔に提示され、 B 実施例の説明として、「実験工具鋼」と称される、特定の製造条件で作製され最大硫化物サイズが15μm以下の4種の粉末冶金工具鋼(硫黄含量は、0.004%、0.05%、0.14%、0.26%の4種。【表1】)と、「市販粉末冶金工具」と称される、最大硫化物サイズが28μm〜32μmの6種の粉末冶金工具鋼(硫黄含量は、0.210〜0.240%。【表2】)の各々について、衝撃及び曲げ破壊強度の試験結果を示すデータ(【表3】及び【表4】)が示され、 これらのデータについて、「実験工具鋼の結果の比較は、最大硫化物サイズを15μm以下に保つことにより、靱性をそこなうことなく機械加工性を改良する目的のため硫黄含量を増しえることを示している。」【0024】と記載され、また、実験工具鋼4種について硫黄含量とドリル機械加工性指数を示したデータ(【表5】)について、「硫黄を0.005から0.26%に増すことが実験工具鋼の機械加工性を改良し、約0.14%又はそれ以上での硫黄含量でより大きな改良が達せられることをこの結果は示している。」【0028】と記載され、これらのデータに基づき、「上記のことから、・・・硫化物のサイズを縮小することにより、・・・高硫黄含量の負の効果を打ち消しえる・・・鋼の曲げ破壊強度により示されたように、機械的性質の有意の劣化なしに、改良された機械加工性を得るために、一般的に許容されたより高い硫黄含量で粉末冶金工具鋼物体を得ることがこの発明で可能である。」【0030】との説明がされ、 C 本願発明の効果として、「本発明により、熱間加工粉末冶金製高硫黄工具鋼から作られ、硫黄及び生じている硫化物が機械的性質に重大な有害効果を及ぼさず、改良された機械加工性及び粉砕能を有する工具鋼物体が得られる。」【0031】ことが謳われている。 イ 以上によれば、本願明細書に謳われた本願発明の特徴は、工具鋼物体中の「最大硫化物サイズ」を「15μm以下」に制限することによって、0.10〜0.30%の硫黄含有量においても、硫黄及び生じている硫化物が機械的性質に重大な影響を及ぼすことのない、改良された機械加工性及び粉砕能を有する工具鋼物体を得る、というものであると認められる。 (2) 引用発明 ア 引用例(特開平4-80305号公報、甲3)には、次の記載がある(下線付加)。 (a)【従来の技術】「粉末高速度鋼から工具などの製品を製造するには、熱間静水圧プレス(HIP)-鍛造-切削または研削による仕上げ-の工程を経ることが多い。 従来、粉末高速度鋼の初削性を向上させる目的で、SやSeのような快削元素を添加し、主としてMnS(Se)からなる介在物を生成させる手段がとられて来た。このような介在物は、溶湯噴霧により得た段階の高速度鋼粉末中では、微細かつ均一に分散している。しかし、その後の加熱工程で、粉末内部において介在物が凝集したり、粉末表面において濃化したS成分のもたらす介在物の凝集粗大化が起り、大型化した介在物が鍛伸工程で延伸されて異方性を高めるとともに、熱間加工性を悪くしていた。このため被削性は期待したほどは向上せず、また機械的性質の低下が工具の性能の低下を招いていた。事実、HIP-鍛造による粉末高速度鋼製品中には、長さ1ミクロンを越える介在物の存在がしばしば観察される。」(甲3の1頁右下欄〜2頁左上欄) (b)【発明が解決しようとする課題】「本発明の目的は、・・・加熱工程において快削化介在物の粗大化が進まず、かつ鍛伸工程における介在物のアスペクト比(縦、横の比)の増大が押えられ、したがって機械的特性が低下せず、しかも被削性向上効果を十分に享受できる製品を製造する方法を提供することにある。」(同2頁左上欄) (c)【課題を解決するための手段】「本発明の粉末高速度鋼製品の製造方法は、・・熱間加工条件下にその形状が変化する被削性改善成分を0.01体積%以上含有する高速度鋼粉末をHIP時高温加熱パラメータPを・・の範囲・・の範囲にあるようにHIPを実施することを特徴とする。」(同2頁左上欄) (d)【作用】「粉末高速度鋼製品の製造工程の中では、とくに粉末の粒子界面における快削化介在物の凝集粗大化が・・・高温に加熱されたときに進行すること、そしてこの粗大化の進行は加熱条件によって異なることを見出した。さらに、快削化介在物が比較的大型(平均粒径にして0.5ミクロン以上)の場合に、その後の鍛造工程においてそのアスペクト比が増大しやすいことを見出した。そこで、粉末粒子界面を中心として快削性物質の粗大化が進まず、したがって鍛伸後のアスペクト比の増大も少ない加熱条件を探求した・・・」(同2頁右上欄〜左下欄) (e)【実施例】「快削元素としてSを0.01〜1.5%の範囲で種々の量添加した鋼を溶製し、ガス噴霧法により粉末化した。・・この粉末を軟鋼製の缶に充填し、真空下に密封して、種々異なる高温加熱パラメータの下でHIP処理した。得られた焼結体について、 A)そのまま、 B)1200℃において鍛造(鍛錬比10.2S)に分け、それぞれの試料について、快削化介在物の占める体積%および平均アスペクト比(L/T)をしらべた。この測定は、大きさ0.1μm以上の粒子を対象に行なった。 試料を焼入れ焼戻し処理した後、ホワイトアランダム砥石を用いた研削、エンドミルを用いた切削、および衝撃試験を行って、下記の物性を測定した。 研削比:研削量/砥石減耗量 切削性能指数:最良の結果を与えたNo3の値を100としたときの相 対値 抗折力:最も低い方向の抗折力 比較のため、高温加熱パラメータPを本発明の範囲外とした場合についても実験した。それらのデータを、下表に示す。」(同2頁左下欄〜3頁左上欄) (f)「表」(引用発明のP値の範囲内の条件で加熱し鍛造した実施例1、2、3(介在物が体積%で7.0%、0.4%、0.06%)、鍛造しない実施例4、5、6、(同じく7.1%、1.2%、0.03%)、P値の範囲より大きい条件で加熱し鍛造した比較例11、12、13(同じく5.9%、0.6%、0.07%)、P値の範囲より小さい条件で加熱し鍛造した比較例14(同じく0.6%)、P値の範囲より小さい条件で加熱し鍛造しない比較例15(同じく1.7%)、P値の範囲より大きい条件で加熱し鍛造しない比較例16(同じく2.0%)の試料について、平均アスペクト比、硬さ、研削比、切削性能指数、抗折力の測定値が記載されている。) (g)「表のデータから、本発明の製造方法に従えば、介在物のアスペクト比として好ましい1.5以下の値が確保でき、それによって製品の被研削性と被切削性が向上し、しかも抗折力も高く得られることがわかる。」(同4頁左下欄) (h)【発明の効果】「本発明の方法により粉末高速度鋼製品を製造すれば、快削元素の添加がもたらす機械的性質の低下を避けて被削性向上効果を享受することができる。」(同4頁左上欄) イ 上記各記載によれば、引用発明は、 (ア) 従来の熱間静水圧プレス(HIP)-鍛造-仕上げという工程により製造された粉末高速度鋼製品には、鋼中にしばしば存在する長さ1μmを超える介在物が、鍛伸工程で延伸されて異方性を高めるとともに、熱間加工性を悪くし、 被削性の向上抑制及び機械的性質の低下を招くという問題があったため、これを解決することを課題とするものであって、 (イ) 課題解決の手段として、介在物の粗大化は鍛造前のHIP工程で起こるので、引用発明においては、介在物の粗大化、大型化が起こらないような加熱条件でHIP工程を実施するというものであり、 (ウ) これにより、加熱工程における介在物の粗大化が進まず、鍛伸加工による硫化物のアスペクト比の増大が押さえられるので、機械的特性、特に抗折力が低下せず、しかも、被削性向上効果を十分に享受できる工具鋼が得られる、という効果を奏するというものであると認められる。 2 取消事由1(一致点・相違点の認定の誤り)について 原告は、引用発明には介在物としての硫化物の最大サイズを制限するという技術思想は存在しないから、審決が本願発明と引用発明とは「制限された最大硫化物サイズを持ち」との点で一致するとしたことは誤りであり、これを前提とする相違点1の認定(制限された硫化物サイズに関し、本願発明が「15μm以下」とするのに対し、引用発明ではそのサイズが「不明」である点)も誤りであると主張する。 (1) 本願発明における「最大硫化物サイズ」 ア 本願発明と引用発明とを対比するにあたっては、まず、本願発明にいう「最大硫化物サイズ」の意義を明らかにする必要があると考えられるところ、本願明細書(甲2、4)の発明の詳細な説明中には、硫化物の「サイズ」、「硫化物サイズ」、「最大硫化物サイズ」に関して、次の記載がある(下線を付加)。 @「粉末冶金で作られた工具鋼の性質は、・・・硫化物のサイズ、分布に更に敏感である。」【0005】A「この発明により、最大約15ミクロン以下の硫化物サイズで・・・粉末冶金製硫黄含有工具鋼物体が提供されている。」【0009】B「発明は、約15ミクロンの最大硫化物サイズで・・・の粉末冶金製硫黄含有工具鋼物体の製造法を含んでいる。」【0012】C「この発明の粉末冶金製硫黄含有工具鋼物体に要求された性質をえるために、・・・硫化物のサイズ及び分布が、機械的性質を有意に劣化させないことも必須である。この発明の工具鋼物体に使用された粉末冶金製工具鋼において、これは最長の寸法で約15ミクロン以下の硫化物の最大サイズを保持することにより達せられる。」【0016】D「実験工具鋼の製造は、ミクロ構造で硫化物のサイズを最小にするよう設計された。」【0020】E「発明の工具鋼物体の性質を、異なった製法の高硫黄含有粉末冶金工具鋼から作られた物体の性質に比較するため、数種のテストが行われた。テストは、硫化物サイズ、曲げ破壊強さ、衝撃強さ、及び機械加工性について、組成の効果及び製造方法を論証するためなされた。」【0022】F「実験及び市販工具鋼における硫化物のサイズ及び分布は、夫々図1及び図2に示されている。・・・この発明による実験工具鋼におけるすべての硫化物が、硫黄含量に関係なく、その最長寸法で約15ミクロン以下であることも明らかである。 更に、実験工具鋼における硫化物のサイズが、その最長寸法において、類似の組成の市販工具鋼における硫化物より相当に小さいことが明らかである。図2に示したように、これら後者の鋼における硫化物のサイズは、長さで約20から30μmの範囲 にあり、製造で受けた熱間縮小の量に依存している。」【0023】G「実験工具鋼の比較の結果は、最大硫化物サイズを15μm以下に保つことにより、靱性をそこなうことなく機械加工性を改良する目的のため硫黄含量を増しえることを示している。これは、縦及び横両方向において、実験鋼の衝撃及び曲げ破壊強さが、0.005及び0.26%の間の範囲で硫黄含量と本質的に等価であるという事実により示されている。」【0024】H「市販工具鋼の機械的性質の比較は、それらの衝撃及び曲げ破壊強度が、硫化物のある伸びを生じるとしても、熱間縮小の量を増すことにより一般的に改良されることを示している。然しながら、これら鋼における硫化物の大サイズのため、その機械的性質は、本質的に同じ組成と熱間縮小の量を持つ実験工具鋼のそれより有意に低い。」【0027】 なお、本願明細書に添付された要約書の【構成】欄には、「最大15μm以下の硫化物サイズで、・・・工具鋼物体」と記載されている。 イ 上記各記載(特に上記アのA、B、C、F、Gの下線部)によれば、特許請求の範囲にいう「15μm以下の最大硫化物サイズを持ち」とは、本願発明に係る「粉末冶金製造された硫黄含有工具鋼物体」(以下単に「工具鋼」ということがある。)中に存在する硫化物の「最大硫化物サイズ」が、「15μm以下」の範囲にあることを規定していることが明らかである。 そして、本願明細書の中で硫化物の「サイズ」に言及した記載が、「最長の寸法で15ミクロン以下の硫化物」、「硫化物が・・・最長寸法で約15ミクロン」、 「実験工具鋼における硫化物のサイズが、その最長寸法において」、「後者の鋼における硫化物のサイズは、長さで約20から30μm」等の記載(同F)にみられるように、長さに言及したものとなっていること、熱間加工を経て製作された硫黄含有工具鋼において硫化物は熱間加工の方向に伸ばされて存在すること(本願明細書の【0004】の記載)、及び第1、2図に示された硫化物の形状に照らすと、 本願明細書における硫化物の「サイズ」は、硫化物の長さに着目した概念であり、 「最大硫化物サイズ」とは、硫化物の延伸方向のサイズ(長さ)を意味するものと解される。 (2) 引用発明における硫化物のサイズ ア 引用例には、粉末高速度鋼製品中に介在物として存在する硫化物粒子の「アスペクト比」(縦・横の長さ比)や「大きさ」に関する記載はあるが、「サイズ(長さ)」を数値で表した記載が存在しない。 しかし、引用発明がHIPに特定の加熱条件を採用しているのは、「大型化した介在物が鍛伸工程で延伸されて異方性を高め」るという問題にかんがみ、「加熱工程において快削性物質の粗大化が進まず、かつ、鍛伸工程における介在物のアスペクト比の増大が押さえられ、したがって、機械的特性が低下せず、・・・被削性向上効果を十分享受出来る製品を製造する」ことを目的したものであるから、この問題を解決したとされる引用発明においては、改削性物質(硫化物)の粗大化及びアスペクト比の増大が進まない条件を採用したことによって、HIP及び鍛造工程後の工具鋼中に含まれる介在物(硫化物)の延伸方向のサイズ(長さ)も実質的に制限されたものとなっていることが明らかである。 また、硫化物のサイズ(長さ)については、具体的数値こそ示されていないものの、引用発明は「長さ1μm」を超える介在物(硫化物)の存在によって生じる機械的特性及び被削性の低下という問題を解決したとされているものであるから、引用発明の工具鋼中に「長さ1μm」を大きく超えるような硫化物は存在しないと考えられる。 イ してみれば、引用発明においても、実質的に、工具鋼物体中に存在する硫化物の「最大硫化物サイズ」は制限されているというべきであり、また、引用発明の「最大硫化物サイズ」が15μを超えるものでないことも明らかである。 この点、原告は、引用発明は硫化物のサイズをアスペクト比で規定しただけであって、「最大硫化物サイズ」を制限するという技術的思想がそもそも存在しないと主張するが、引用発明は、硫化物が粗大化、大型化しないようにすることを前提に熱間加工後の硫化物のアスペクト比を制限しているものであるから、硫化物の延伸方向のサイズ(長さ)を制限することも当然の目的としているというべきであり、 原告の上記主張は採用できない。 したがって、審決が、引用発明が「制限された最大硫化物サイズを持」つことを本願発明との一致点と認定したことに誤りはない。 なお、原告は、引用発明は「15μm以下の最大硫化物サイズ」を許容する技術的思想を教示するものではないとも主張するが、この点は、引用発明において最大硫化物サイズを本願発明の範囲内にすることは当業者が容易になし得ることであるとした審決の判断(相違点1の判断)の当否に関わる問題であるから、次の2で検討することとする。 3 審決における相違点1、2の判断について 原告は、本願発明の特徴は、0.10〜0.30%の範囲内の硫黄含有量において最大硫化物サイズを15μm以下に制限することにあり、この点は想到容易でないと主張する。なお、審決においては、相違点1として最大硫化物サイズの点が、 また、相違点2として硫黄含有量の点がそれぞれ検討、判断されているところであるが、ここでは、硫黄含有量(相違点2)、最大硫化物サイズ(相違点1)の順で検討する。 (1) 硫黄含有量について ア 本願明細書には、「工具鋼における硫黄の存在は、硫化物を作ることにより機械加工性と粉砕能を改良し、道具成分を作るため使用された切断工具と、操作の間に鋼から除かれたチップとの間に潤滑剤として作用することが知られている。」と記載されており、これによれば、本願発明において硫黄を添加する目的は、工具鋼の機械加工性を向上させることにあると認められる。 このような硫黄の添加による効果は、例えば、比較的古い文献である「若い技術者のための機械金属材料」185、186頁(丸善株式会社昭和43年発行、乙1)に、「使用する金属材料の被削性が能率の上から大きな問題になっており、自動切削の工作機械で容易に切削可能な材料が要求される。これに対して現在用いられているものに2つの系統の快削鋼がある。1つはイオウ系快削鋼・・である。イオウ系快削鋼はSを0.1〜0.25%加え」と記載されているとおり、周知の事項であり、また、工具鋼の機械加工性を向上させるために、0.1〜0.25%程度の硫黄を含有させることも周知であったと認められる。 また、引用例には、工具鋼に硫黄を0.01〜1.5%の範囲で含有させることが記載されており、上記範囲の硫黄含有量で作製した種々の工具鋼物体について、 研削、切削及び衝撃試験をした結果、快削元素(硫黄)の添加がもたらす機械的性質の低下を避けて被削性向上効果が得られたとされている(前記1(2)アの(e)〜(h))。 本願発明の硫黄含有量0.10〜0.30%は、上記周知の硫黄含有量とほとんど重なるものであり、また、引用発明における硫黄含有量0.01〜1.5%の範囲に含まれるものであるから、引用発明において、その硫黄含有量を0.10〜0.30%の範囲とすることは、当業者が適宜になし得たことというべきである。 イ 原告は、本願発明は最大硫化物サイズを15μm以下に維持することと0.10〜0.30%の範囲の硫黄含有量との組合せにより、改良された衝撃と破壊強度との組合せによって切削性の改良という効果を達成するものであると主張する。 この点について検討するに、本願明細書には、硫黄含有量を0.10〜0.30%の範囲とする根拠について、「機械的性質における硫黄の悪影響が避けられえるなら、高硫黄含有量の粉末冶金工具鋼が、もっと広く使用されるであろう。」【0006】という一般的な記述以外に説明はなく、硫黄含有量を変えたほかは同1条件で作製された試料(実験工具鋼)4例についてのデータ及び市販の粉末冶金工具鋼についてのデータが示されているのみである。 それらのデータのうち、実験工具鋼のデータを示す【表1】、【表3】によれば、硫黄の含有量を0.004%、0.05%、0.14%、0.26%と増やしていくと、最大硫化物サイズが4μm、6μm、12μm、15μmと大きくなっており、硫黄含有量と最大硫化物サイズとの間には正の相関が認められる。そして、実験工具鋼は、4例とも、最大硫化物サイズが本願発明の範囲内であり、切り欠き衝撃強さ及び曲げ破壊強さは良好であるが、【表5】によれば、硫黄含有量が本願発明の範囲(0.10%〜0.30%)よりも少ない2例(0.004%、 0.05%)は、ドリル機械加工性指数の値が小さい。 以上のことからすると、本願発明の硫黄含有量の下限値は、もっぱら機械加工性の観点から選択されたものと認められる。 また、硫黄含有量の上限値について考えると、硫黄の含有が機械加工性を改良させるという一般的知見を前提にするとき、機械加工性の観点からは上限値を定める意味がないと考えられる一方で、機械的性質に関しては、硫黄含有量の増加及びこれに伴って生じると考えられる硫化物サイズの粗大化が工具鋼の機械的性質(特に靱性)に悪影響を及ぼすことが知られていたのであるから、本願発明において硫黄含有量の上限値を0.30%と規定したのは、実験工具鋼において機械的性質への悪影響がないことが確認された最大硫化物サイズに対応する硫黄含有量(0.26%)よりもやや高く、かつ、所望の機械的性質を有する蓋然性の高い範囲に硫黄含有量の上限値を適宜設定したものと推察される。 そして、実験工具鋼について、硫黄含有量が多くなると最大硫化物サイズが大きくなるという関係が確認されていることに照らすと、本願発明における硫黄含有量の上限値は、原告が本願発明の特徴であると主張する最大硫化物サイズとの関係で、これに見合うものとして設定されたもので、それ自体が独立した技術的意義を持つものではないというべきである。また、そうである以上、「硫黄含有量0.10〜0.30%」と「最大硫化物サイズ15μ以下」という条件とを組み合わせたところに原告の主張するような格別の意義があるということもできない。 そこで、「最大硫化物サイズ15μm以下」という相違点1に係る本願発明の構成が当業者にとって容易に想到し得るものかどうかという点から、本願発明の進歩性を以下に検討する。 (2) 最大硫化物サイズについて ア 本願明細書には、従来技術に関して、粉末冶金鋼の性質は、在来のインゴット-鋳鉄工具鋼よりも更に硫黄含量の変化及び硫化物のサイズ、分布に敏感であることが記載され(前記1(1)ア)、また、引用例においても、鋼中の硫化物の粗大化及びアスペクト比の増大は粉末高速度鋼製品の機械的性質に悪影響を及ぼすとの認識が示されている(前記1(2)ア(a))ことから、他の条件が同じであれば、鋼中に存在する硫化物のサイズは大きくない方が鋼の機械的性質は良好であるというのが当業者の一般的認識であったと考えられる。 そして、引用発明においても、鋼製品の機械的性質が劣化しないようにする目的で、硫化物の延伸方向の長さ(サイズ)を実質的に制限していると認められることは前記1のとおりである。 しかも、本願発明の最大硫化物サイズ「15ミクロン以下」(上限値が15μmで、下限値はない。)と引用発明における最大硫化物サイズ(15μmよりも十分小さい範囲にあると考えられる。前記1(4))とは、一部重複する関係にある。 以上のことからすれば、引用発明において、工具鋼の機械的性質(特に引用例のものにおいて測定されている抗折力)が劣化しないようにするために、最大硫化物サイズを制限して本願発明の範囲内(15μm以下)の値とすることは、当業者が容易になし得ることというべきである。 イ 原告は、引用例は本願発明のような「15μm以下の最大硫化物サイズを許容する技術思想」を全く示唆していないと主張する。最大硫化物サイズを本願発明の範囲内とすることが容易かどうかは、引用例に「15μm以下」という点が示唆されているか否かにはかかわりのないことであり、これが容易と考えられることは、前示のとおりであるが、念のため、原告が本願発明の特徴であると主張する硫黄含有量0.10〜0.30%の範囲で15μmまでの最大硫化物サイズを許容する技術思想に、原告の主張するような進歩性があるかどうかを検討する。 (ア) 最大硫化物サイズを「15μ以下」とする数値限定の根拠は、本願明細書によれば、実験工具鋼(4種)及び市販工具鋼(6種)の各データ(【表1】ないし【表4】)であるとされている。これらのデータを整理すると、判決添付別表のとおりとなる(以下別表に基づいて検討する。)。 @ 実験工具鋼のデータ 硫黄含有量を変えた以外は同1条件で作製された実験工具鋼4種(1〜4。うち、1、2は硫黄含有量が本願発明の範囲外であるから比較例であり、実施例は3、4のみである。)は、最大硫化物サイズが4〜15μmの範囲にあり、いずれも、比較対象とされた市販工具鋼(5〜10)に較べると、優れた切り欠き衝撃強さ及び曲げ破壊強さを示すことが認められる。 しかし、同一の作製条件で最大硫化物サイズが15μmを超える実験工具鋼は作製されていないから、「15μm」が工具鋼の機械的特性に悪影響を及ぼさない最大硫化物サイズの上限値であるかどうかは不明である。また、実験工具鋼同士の間でデータを比較検討してみても、全部の実験工具鋼(比較例1、2及び実施例3、4)を通じて、最大硫化物サイズが4μmから15μm(硫黄含有量0.004%〜0.26%)の範囲で最大硫化物サイズと機械的特性との間に有意の相関は認められず、少なくとも、最大硫化物サイズが15μmを超えたところで機械的性質が急激に変化(劣化)することを予測させるものはない。 したがって、これらのデータからは、実験工具鋼は比較対象とされた特定の市販の粉末冶金工具鋼よりは優れた機械的特性を有することは認められるものの、最大硫化物サイズの上限値を「15μm」とする数値限定の技術的意義は不明といわざるを得ない。 A 市販の粉末冶金工具鋼のデータ 実験工具鋼と比較された市販の粉末冶金工具鋼(5〜10)は、硫黄含量が0.21重量%、最大硫化物サイズが20〜32μmの範囲にあり、その切り欠き衝撃強さ及び曲げ破壊強さは、いずれも、実験工具鋼(実施例3、4及び比較例1、2)と較べて有意に劣っている。 しかし、市販の粉末冶金工具鋼については、その製造条件が不明であるため、実験工具鋼との性能の差が、硫黄含量や最大硫化物サイズの違いによるものなのか、 製造条件、組織状態などの他の要因に由来するものであるかが不明である。 さらに、市販の粉末冶金工具鋼同士の間で比較すると、最大硫化物サイズと切り欠き衝撃強さ及び曲げ破壊強さとの間に相関は認められず、例えば最大硫化物サイズが30μmの試料10は、20μmの試料6に比して、良好な機械的特性を示すなど、試料によってかなりのばらつきがある。 このことは、粉末冶金工具鋼の機械的特性が工具鋼中に存在する硫化物の最大硫化物サイズ以外の諸種の条件(硫黄の量、硫化物の分布状態、組織状態)によっても大きく影響されることを示すものといってよい。 (イ) 以上の検討結果を総合すると、本願発明において工具鋼の製造条件及びこれに由来する組織状態等の他の条件を特定することなく最大硫化物サイズを「15μm以下」と数値限定していることの技術的意義は、不明であるといわざるを得ない。 一般に、工具鋼の機械的性質は、その組織により影響されるものであるが、その組織は製造及び加工条件によって変わるものであり(市販工具鋼のデータをみても、工具鋼の機械的特性は、工具鋼中に存在する硫化物の最大硫化物サイズ以外の諸種の条件によって大きく影響されると推測される。)、硫化物のサイズは、工具鋼の組織を規定する1つの要素であるにすぎない。ところが、本願明細書によれば、機械的性質を有意に劣化しない工具鋼が得られることが確認されているのは、 実施例に示される特定の加熱成形条件、熱間加工条件で作製した特定の組織の工具鋼(実験工具鋼)の場合についてのみであり、これ以外の作製条件でも機械的性質の有意に劣化しない工具鋼が得られる最大硫化物サイズの上限値が「15μm」にあることを予測させるものは皆無である。しかも、同じ条件で作製した実験工具鋼についてすら、最大硫化物サイズの上限値とされる「15μm」を超えるものとの比較データがないことに照らすと、「15μm」が技術的に意味のある数値であることを示すものは何もないといってよい。 以上のことからすれば、結局、本願発明において工具鋼の製造条件及びこれに由来する組織状態等の他の条件を特定することなく最大硫化物サイズを「15μm以下」と数値限定していることについては、本願明細書の記載及び全証拠を検討しても、その技術的意義が不明であるといわざるを得ないから、上記の数値限定に意義があることを前提として「最大硫化物サイズ15μmを許容する技術思想」の進歩性をいう原告の主張は、採用することができない。 (3) 相違点3について 「鉄鋼材料便覧」21〜30頁(昭和51年丸善株式会社発行、乙2)によれば、リン、窒素、酸素は、不純物として、あるいは合金元素として工具鋼に通常存在する元素であり、それぞれの元素が工具鋼に与える影響もよく知られているものであると認められる。 そうすると、リン、窒素、酸素は、本願発明においては、鋼に通常の不純物として存在する量で含有してもよい程度の元素であるとともに、通常知られているそれらの元素の作用に基づき所定の目的を達成できるような量を適宜周知の範囲で調整して含有させてもよい元素であるにすぎないというべきである。したがって、審決が「それらの元素の添加量、あるいは、不純物としての許容量は、当業者が目的に応じて適宜定め得るものである。」(審決書5頁第26、27行)と認定判断したことに誤りはない。 原告は、リン、窒素、酸素について、「これらの元素の含有量の特定が衝撃や曲げ破壊強度を損なうことなく、切削性の改良に寄与していることは本願明細書の記載から明らかである」と主張する。しかし、本願明細書には、それらの含有量の具体例としては、わずか2例(硫黄を0.14%及び0.26%含む場合)の組成が【表1】に示されているにすぎず、しかも、これらの元素の作用については何らの記載も認められないから、リン、窒素、酸素が、「0.80〜3.00%の炭素、 0.10〜0.30%の硫黄の存在下」にあって格別の相乗効果を奏する元素であるとは認めることができない。原告の主張は採用することができない。 (4)顕著な効果の看過について 「硫黄含有量0.10%〜0.30%」と「最大硫化物サイズ15μm以下」が当業者の容易に想到し得るものと認め得ること、また、両者の組合せがその相乗効果によって予想外の顕著な効果を奏する性質のものとは認められないことは、前示のとおりである。 しかも、原告が本願発明の効果として主張する工具鋼の良好な機械的性質及び機械加工性は、本願発明の実施例における特定の製造及び加工条件によって製造した特定の組織を有する場合の工具鋼の性質であると考えられるのであり、その良好な性質が本願発明の工具鋼の全てについて認められる効果であることを示すものは何もない。原告の主張する本願発明の格別顕著な効果は、これを認めることができない。 4 結論 原告主張の取消事由はいずれも理由がないから、原告の請求は棄却されるべきである。 |
裁判長裁判官 | 塚原朋一 |
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裁判官 | 古城春実 |
裁判官 | 田中昌利 |